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田中克己 父(西島喜代之助)の手紙  昭和21〜23年


【昭和21年3月18日消印】
東京都杉並区天沼三ノ七八八 田中克己様
京都市上京区小山下総町四五 西島喜代之助

拝啓 千草も建も訪ひまゐり候由、流石に同胞の情とうれしく存候。肥下君には全田氏不幸の節あひ候が、南鮮より帰還後、 瓜破にありしが不在地主は米の年貢とれぬ関係上、松原の豆腐屋の二階借り致居り、同地にて皈農する由、保田君も東京の家は戦災にかかりし由なれば復員後、どこに生活を営み候事やら。 輸送の都合にて京都へ移住は見合はせ候との事なるが、将来文化の中心は当地へ移るのではないかとも存ぜられ候。
小生もあれから大阪へ通勤致候が、ゆけばすぐ中食の時間となり、それから一二時間してかへる勤めぶりながら、久しぶりの勤労とて往復に疲労を覚え、 日曜日の休みが昔ながらに楽しみと相成候。
新円生活は何か暗きここちに候。
昨年七月十六日発信、北支への十四信、付箋にて本日返付せられ候。随てその後の通信も皆未入手の事と存候、六菖十菊に候へ共、当時の情勢回顧のよすがにと同封致置候。
両三日後には気候も恢復、春めくべしとの予報なりしが、きのふより寒さまたがり、よべは雪ふり、けさ樹々につもり居候。発疹チフス、天然痘、 戦後のいやな病流りをり候間、皆々大切にせらるべく候。

 三月十七日                父より
 克己様

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同封軍事郵便ハガキ

【本郵便物は当分送達困難に付返戻致します。●本逓信局】
北支派遣至武一五六九六部隊 荒木隊 田中克己様
京都市上京区小山下総町四五 西島喜代之助

前月中に母と共に西路大垣在まで疎開可致、悠紀子より通知ありしのみにて音信絶えをり候。当地は未だ空襲有之候へ共、大都市にして剰すところは当地のみに有之。 中小都市にも戦災の拡大致候。今日留守の安全性は大垣在の方が大と存候へばそのまま止まるのがいいかと存候。連日連夜の警報にも今日の街はしずまりて敵機来らば来れの心 ●頼母敷極みに候。
敵機空をけふも過ぐるか袖ふりて舞ひけむ昔おもほゆらくに
果物も食まず久しも季節さへわれは忘るる戦のきびしさ
浪花江の焦土わがふみかへりきて眺むる山の青葉若葉よ

p4


【昭和21年3月日消印】
東京都杉並区天沼三ノ七八八 田中克己様
京都市上京区小山下総町四五 西島喜代之助

此頃ゲラ紙の闇値は六百円、四六版三〇〇頁で此紙代六円の由、新刊本に価格の相違のひどいのは、配給の紙を使ふか、闇の紙を使ふかに依る。
配給はマッカーサー司令部で検閲し許可になったもののみに対し、出版協会が配給するのださうである。その部数は一般教養向五〇〇〇、専門書三〇〇〇、特殊のもの一〇〇〇である。
金尾文淵堂は、だから一般教養向のものを書いて欲しいと希望して居る。李太白位のものならまあ一五円の定価かと思ふ。
何でもいいから一つ書けばいいと思ふ。
六大都市への移入禁止、京都は例外だといふことである。しかし荷造運搬費は大変かかるらしく鉄道もうけつけてくれるかどうか、
それにさしあたり空家が中々見つからない。
出版会の現状では著述で生活するのは困難だから、定職定収入を得るのがよく、また京都は将来文化の中心となるだらうから、研究の上にも便宜を得るだらうと思ふけれど、転居が隘路である。
よみものもなく、歌もなし。
大阪への通勤に疲れて夜は早く寝る。
これでは何が楽しみだかわからない。
きのふ彼岸に入る。雪降り寒かった春もこれから本格的に暖くなるのであらう。けふは雨がふってゐた。雨中山崎の農家に梅の咲いて居るのを見た。
 花の国日本に生れてたたかひにわが忘れ居りし春よいくとせ
紅梅であった。ゆくへもしらず漂へるこころに一抹の明るさを覚えた。
悠紀子の虫はどうかしら。石切神社に祈って置いたが、どうかして早く癒してやりたい。蒼い顔は家を暗くする。

                 三月十九日                父より
 克己様

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【[昭和21年3月]消印】[法隆寺五重塔絵葉書]

杉並区天沼3-788 田中克己様
京都市上京区小山下総町45 西島喜代助 三月二十七日

十二指腸虫はカヤの実を炒り煎じて茶
の代用に連服して駆
除したといふ。陸女の
実験。カヤの実は漢
菜屋で売つて居る。
害にならぬことだから
実験してみたらいいと
おもふ。おくれて居つた
春もどうやらおいついたらしい。けふはいい日和(※欠)

終戦僅に半月前の
七月末、敵様の爆撃に
より戦死した海軍兵の
公葬がけふ
営まれる。
民主主義の
世●●●
長も町会長
も男女有権者
の投票により選挙
せられ、余はまた町会長に
公選せられた。その第一の仕事が
この公[葬]である。


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【[昭和21年4月]消印】[平安神宮参道絵葉書]

杉並区天沼3-788 田中克己様
京都市上京区小山下総町45 西島喜代助

弓子までも入院可
致由、心配察入候。
就ては金之件、承知の
通り百円の融通も出
来ぬ縛られ方、どう
すれば都合つくかと
痛心致存候。生命に
は代へられず、何とか工
夫可致、原稿料の名に
て封鎖払ならば許可
せらるるかも知れず、文
淵堂に相談可致存
居候。四月二十五日


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【[昭和21年5月]消印】[真幡寸神社西参道絵葉書]

杉並区天沼3-788 田中克己様
京都市上京区小山下総町45 西島喜代助 五月二日

史も疥癬の由、傷心の
至に候。硫黄療法可宜
敷様に候。健は経験者
に候。次に信州へ移住の
事、今日の食糧事情は
人頼みは駄目。自ら
鍬をとらねば駄目に候。
疎開者の現況はこれを如
実に語り候。百姓をあてに
しては経済的にまゐつて
しまふべく候。悠紀子退
院後の問題なれどよくよく
思案せらるべきに候。古本
の件うまくゆき候由、至幸に[候。]


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【[昭和21年5月]消印】[入江波光筆新樹之谿絵葉書]

杉並区天沼788 田中克己様
京都市上京区小山下総町45 西島喜代助 五月十二日

拝啓、大●●●●
種々けさ話し
長野県を経て昨日
帰宅致候。 原稿を
金尾君に示し、その
結果、相談可●、天理
図書館就職の話ある由、こことも近く奈良
県ならば生活の便宜も
ある事と存候間、話を
すすめたらいかがと存候。


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【[昭和21年5月]消印】[封書]
杉並区天沼788 田中克己様
京都市上京区小山下総町45-4 西島喜代助 五月十九日

拝復 悠紀子容体捗々しからぬ由、それに弓子、苦
衷察してゐます。病気になったのを災難とあきらめ
精々養生さすこと。余暇の執筆の苦労も十分
察せられる。生活苦。お互にほんとにどうかしなけ
れば食ってゆけぬ。世の中が悪いといへば悪いが
どうにも仕方がない。山内君のシーツと靴、本人が
トランクをあけて調べてみて、そのとき何もいはなかっ
たから、あれは克己のものだと母はおもってゐたさうな。
それを渡さぬからとて、必要のとき世話になった金を
半分しか返さぬとは、山内の心情面白くない。もの
の価が高くなったとか、ならぬとかは問題外である。
若し安くなって居れば全部とりに来ないであ
らう。今度の節持たせてやるから、金は
返して貰ひなさい。
今井清一の町葬は参列して、きのふ岡山駅から
帰ったので金尾君にまだ逢って居らぬ。紙が
ないといふのは、夕刊新聞や新雑誌の簇出はどうし
たことか。下らぬものばかり。それでも読書欲に飢
えて居るといふのか売れてゆくらしい。売名は批難
せねばならぬが、盲百人の世の中、質よりもやはり
名がないと手を出しにくいのが現状である。併しいい
ものを書きなさい。あすは大掃除。二十六日は新
詩社同人の会を鞍馬寺の僧正から案内してきた。
此ころ時々知らぬ人から手紙をうけとる。笹倉氏
の葉書同封。
五月十九日   西島喜代助
 田中克己様


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【[昭和21年5月]消印】
杉並区天沼3-788 田中克己様
京都市上京区小山下総町45-4 西島喜代助

拝啓、悠紀子弓子病状はかがゆかぬ由、
苦衷察入候。折角大切に祈上候。小生
十八日岡山県下より帰宅、翌日金尾君(※金尾文淵堂主人)に
面会、聊斎(※聊斎志異)おもしろくよんだ。続稿頼むと
の事に候。同家にて新村出博士、伊達
俊光両氏も来あはせ面会致候。来る二十
六日青蓬院にて与謝野夫妻の追悼を
兼ね懇話会ある由、鞍馬寺の山主信
楽香雲氏より案内せられ居るに付
暇あれば出席可致候。五月二十一日


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【昭和21年8月28日消印】[封書]
奈良県桜井町 来迎寺内 田中克己様
京都市上京区小山下総町45-4 西島喜代助 八月二十七日

拝啓 東京西島寿一妻寿賀子生家徳島
県日和佐町寺島氏へ天理に於ける住宅そ
の他便宜の取計につき依頼致置候処、手紙之
通り返事有之。天理図書館に奉職する可●
り、管長等幹部に親交ある氏に親炙致し
置くも都合宜しかるべく存候。就ては目下天
理へ出張中と存候間、直接面会依頼致置か
れ度、尚、富永館長よりの葉書も同封致置候。
八月二十七日   父より
 克己様


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【昭和21年10月9日消印】[身延山御艸庵絵葉書]
奈良県桜井町 来迎寺内 田中克己様
京都市上京区小山下総町45 西島喜代之助

志異(※聊斎志異)原稿本日渡辺氏
宛書留小包にて送付致置
候。
どん底の生活をかこつ吾
子きけば心暗しも堪え
られなくに
まづしさを吾子の語れ
どたらちねの親に甲斐
性なきがすべなさ
われらも一粒の米なき数日なり
十月八日 きのふはなが母の忌日なりしよ


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【昭和21年10月12日消印】
奈良県桜井町 来迎寺内 田中克己様
京都市上京区小山下総町四五 西島喜代之助

河野活版所は廃業したから原稿残の追
加注文は取消と承知せられたい。先日の分の
代金は直接咲耶へ送金せられ度、序に
京都へ届けて置いてくれてもいい。

(※西島)大は室借の世話をしてくれる人の上京が遅れ
たのでまだ青木の厄介になって居るかと思ふ
が、その人はきのふ上京したから、明日位から
自炊生活するのではないかとおもふ。
建も学校は先月十六日から始まって居るの
に建同様サボ組が多いらしく先月中の登
校者は数名だったとのこと。学生はみな勤
学の熱意を失ったのだ。社会、経済、思想
各界とも混乱を重ねて居る敗戦國の現状で
は仕方がないが、建も大も来春卒業するの
だから、後は悔いないやう勉強するがいいと
おもって居る。

食に追はれてるためか生活がだらけていけない。
もっと緊張した生活をしたい。

定めない秋空といふが、まう定まってもいいのでは
ないか、松茸もことしは見るだけで仕舞ふの
かも知れない、柿もぶどうも林檎も蜜柑も
店頭にはおびただしく並んで居る。
    十月十二日                    父より

 克己様

 

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  十月七日  (※克己の生母 これんの命日)

あき風は こころもなしに
さゆらげる コスモスの花
いやはてに 妹とわが見し
あの日にも 咲きたりし花

病みける日 久しからねば
ゆたかなる 頬もおちずよ
篤しとし くすしはのれど     (※医者は宣告れど)
わかるる日 ありと思はめや

言葉なく わが手握りて
妹はしも なにおもひけむ
己が指の 指輪かなしく
わが指に はめたりしかも

敷妙の 枕安らに
コスモスの 花抱きもち
うつくしき 夢とこしへに
旅ゆける あはれ妹はや

青丹よし 奈良に遊びて
草うらら 晴れし秋日に
むるる鹿 こわしと寄る子
愛しみし あはれ妹はや

くづれたる 築ぢのかげは
天平の 郎女のごと
あえかなる まみにあふぎし
大空は けふも澄むらむ

いにしへの ひととなりける
妹が見し コスモスの花
咲き足りて 庭にそよげる
わが見れば 涙しながる


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【昭和22年1月30日消印[検閲済]】
奈良県桜井町 来迎寺内 田中克己様
京都市上京区小山下総町51 西島喜代之助

依子も風邪ひきだったさうな。新春以来一度
訪ねたく思って居るが、四日に旧友佐伯君
急逝、十八日には伊達俊光氏、二十八日
には金尾文淵堂主人が何れも急逝。金尾
君生前の委嘱に寄り当分出版の経営に
当たらねばならぬ。杜甫も企画届を出して
残を請求してあるが七−九期の分が漸く
二十パーセント配給せられた現状であるから
出版はおくれると思ふ。一月三十日


p30 p31

【昭和22年2月21日消印】
奈良県桜井町 来迎寺内 田中克己様
京都市上京区小山下総町51 西島喜代之助

停電を気にかけながら
放送の克己の詩をば寝
床にてきく
花植えむ烟草うえむと
惑ふ子よわが耕すは
石ころ畑 二月二十日


p32 p33 p34

【昭和23年1月27日消印】[封書]
奈良県桜井町 天理教大教会内 田中克己様
京都市上京区小山下総町51 西島喜代之助 一月二十四日

愛知大学就職に付て
一.月収四〇〇〇円にて分類所得税職員持なれば
家族四人にて月額五六七円、五〇〇〇円ならば
九六一円負担せねばならぬ。手取四〇〇〇円なら給
与総額四九一六円、五〇〇〇円なら同六八三一円であ
る。税込か手取額であるか、はっきりして置かぬと
生活設計が狂ふから、この点はじめからはっき
りして置かねばならぬ。
一.大学附属図書館なら事務総長は実際上館
長であるから、司書、会計、庶務など職員に事
務を分担させて総括すればいいと思ふ。天理図
書館の現在を研究して置き、先方が新設なら
これを参考として設計し、既設なら今までのや
り方と天理のを比較研究し追々に改善を加へ
たらいい図書館が出来ると思ふ。
一.不平を起さぬこと。誰でも自分の考があるのだか
ら、その考が自分のとちがふからとて一概に排斥
せぬこと。月給は生活のためであって、自分の理想
[遂]行の報酬でないことを銘記せねばならぬ。
教授には不適任、図書館などが適職でないか
とおもふ。
 一月二十四日   父より
 克己様             [欄外]萬年草置き忘れあり


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【昭和23年4月6日消印】[讃岐金毘羅旭社絵葉書]
奈良県桜井町 天理教大教会内 田中克己様
京都市上京区小山下総町51 西島喜代之助 四月三日

けふ大が大阪へゆくので
頼まれて原稿藤枝君に
届けて置いた。祭日だから
不在だと思ってゐたのに
研究室にゐて都合よかっ
た。ベッドまで備付てあって
研究するのにいい室だと
思った。杜甫の更正刷が出
来た事を話すとよろこん
でゐた。第2回のページ発表
に[して]も克己もなかったと話
してゐた。折角の連休も雨
だったが莟はふくらんで居
る。洛中洛外が花に埋る
日も近からう。林俊郎君け
ふ来訪。東京で中学に勤め
ながら大学院で研究する由。
来る十一日は咲耶帰郷する由、
老いぬれば世に忘られて道端の石ころの如価なきかな
こんなに感じて居るが肉親はうれしい。


p37 p38

【昭和23年7月28日消印】
奈良県桜井町 天理教大教会内 田中克己様
京都市上京区小山下総町51 西島喜代之助 七月二十七日

拝啓、一興よりの来信に依れば一興も民
子寿一が父なり。夫の存在を無視した行動
を苦々しく思って居り、十月には新築社宅
完成に付、民子も移住させ老若別居とな
り問題は解決するものと思はれるから寿賀
子の前途も光明はある。しかし今のところ親
子四人の意思が兎角疎隔して居るやうだから
お互に真実を打明けることが肝要だとおもは
れる。杜甫の原稿文淵堂からとり戻してある。
どうするか。暑休で子供も退屈して居らう。
史は蝉とりでもさせてやれ。


p39 p40

【昭和23年12月11日消印】[成田公園浮見堂絵葉書]
奈良県桜井町 天理教大教会内 田中克己様
京都市上京区小山下総町51 西島喜代之助 十二月十日

迎年の準備が出来たと
は結構な事である。正月
用祝酒の配給はない代り
に高価な自由販売があ
るといふ事では勤労の汗で
得た金では及びもない。ど
ぶの匂ひのするヤミ屋の
百円札の束でこれらの酒が
代へられることであらう。
不平なくこの日すごさむ
幾とせのいのちと思へば
何か嘆かむ
でも何か心うき年末である。

●●の●●なきかぎり
十四日母と●にゆく。
南和の土をふむのは何年ぶりか。


p41 p42

【[昭和23年12月11日消印]】[淡路名所賀集村八幡神社※絵葉書]
奈良県桜井町 天理教大教会内 田中克己様
京都市上京区小山下総町51 西島喜代之助

十四日八時半頃桜井着
の汽車でゆき度思って
居るが、ゆけないかも知
れないから顔を見るまで
何も用意もせぬ様。
インフレの昂進は速度を
早めて居るが前大戦
後の独乙インフレの初期
と似た状態だといふこ
とである。各自が戒心せ
ねばなるまい。
けさ初雪ふる。十二月十一日

厨べに●をいそしむ妻のため焚木割る手に雪ふりかかる
風寒し炭を乏しみ幼●のかがる手おもふ遠山の雪
わかき日にながたらちねのまゐりけむ宮※とかしこみはるかに拝む


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