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やすい りゅう【安井龍】『風のない樹木』1925【全文テキスト】


風のない樹木

『風のない樹木』

安井龍 第一詩集

大正14年8月5日 詩藝術社 刊

上製 19.5×13.8cm 7,63,5p ¥0.90

見返し

見返し


『風のない樹木』目次

(序文)安井龍に就いて……萩原朔太郎

  序詩二つ

01.春三月・うす宵はさみしい
02.春雨情調

  山上の景色

03.汽車
04.山上の景色
05.まひる
06.温泉宿附近
07.島尾にて
08.兼六公園
09.犀川
10.らんぷを消さう
11.橋
12.池のほとり
13.丘に立つて
14.冬の詩
15.砂原で

  雪に青澄む

16.丘の上の冬
17.海鳴り
18.雪の街をあゆむ
19.冬陽
20.青いぽぷら
21.雪の夜・公園散策

  風のない樹木

22.玻璃にうつる樹
23.霜夜の散策路
 i   .枯草
 ii  .桑
 iii .音
 iv .竹
 v  .池のそば
 vi .砂
 vii .松
 viii.月
 ix .曠野
 x  .
24.にじむ墨繪のなかで
25.風のない樹木

  近作小詩五篇

26.月
27.ぐみの木
28.午前の海
29.赤くこげてゆく下弦の月
30.惡の感情一つ


安井龍に就いて

 最近、名古屋から多數の新詩人が現はれ、結果として一種の「名古屋詩風」を創造し、詩壇の獨自の新境地を開拓したのは、概ね人の知る所である。 この所謂「名古屋詩風」については、毀譽さまざまの世評があるが、とにかくにも地方が地方として、それ自身の獨自な一新詩體を創立し、もつて中央の詩壇に獨歩な地位を占有し得たのは、 従來の文壇に無いことであり、地方文化の新しき勝利を豫感させるものである。
 この詩集の著者安井龍君は、名古屋における詩運動の先馳者であり、名古屋詩風の創立者として功業の著しかつた人である。最近、 多くの人が々が中央詩壇に隷屬してしまひ折角獨立の叛旗を掲げた名古屋詩壇が、今や空寂たる無實のものになつてゐるとき、獨り安井君が孤城の節を守つてゐるのは、 ひそかに私の快とする所である。

 安井君の詩の、以前の傾向に就いては此所に言はない。この詩集に現はれる所で見れば、君は“變化してゐる”のである。今や自由詩の精神が、君の智慧にはつきりと映つてゐる。 二つの推賞すべき詩篇を、詩壇に提出したいと思ふのである。

ものさびしい うすぐらい汽車は
闇のなかをまつすぐに走つてゐるが
三等客車は滿員で 夜も眠ることができない
随分ひどく勞れてしまふ
それでもそのうちには夜も明けるだらうし
朝になつて高岡の街についたら
まだみしらぬ戀人が待つてゐる
そしてうれしい心で迎へてくれるだらう
どんなかつこうしてはじめて會ふのか
と思つてみる
しかし暗くてさびしい汽車
暗い闇を走る汽車 憂鬱なる汽車

 安井君自身の「序詩」が、君の詩操の内容を説明してゐる。私はそれ以上に蛇足すまい。しかし“すつきり”とした詩ではないか。言葉が感情の影を捕へてゐる。 思ひが深く行き渡つてゐる。自由詩の詩壇は、この収穫を認めねばならないだらう。

ここは晴れやかな海水浴場に近い
飲食店のさみしい庭のほとりです
ばさばさの砂地に 砂ほこりにまみれながら
八重桔梗の花が鮮やかな紫に咲いてゐる
人の聲もあまりきこえない
午後四時
その庭には石灯籠がさびれてゐるばかりです。

 日本風な、固有の情趣ではあるが、感觸のタツチが新しいのである。或る時間の中に切り込まれた風物が、手に掴まれるやうに書かれてある。この傾向から押して行つて、 從來の詩壇に無い一新境地を開拓することができるであらう。

 安井君は情熱の人でない。清明に澄んでゐて、風雅に自適し得る詩人である。君が一層清明に徹するときは、君の詩が一層單純になるときである。 墨繪にみる素朴さと、深みのある單純さが、君の本質に於て力と光をあたへるだらう。ただあまりに安易に溺れてゐる、微温的な氣分に低廻することは、私の要求からは望ましくない。

大正十四年六月

                                        

萩原朔太郎


  序詩二つ

01.春三月・うす宵はさみしい

きみは
このごろ眞白い澄んだ水が好きになつたのだ
心はすくすくと芽のやうに
美しい理性をこして、もつと有機的な 青みをましてゆくばかり
あるいは新鮮な朝露のかをりを欲しはしない
酢つぱい夏蜜柑もきらひだといふし
ありとあらゆる
僕の俗つぽいなぐさめのおくりもの
そのなかにふくめるけものの想念ににじみ出る
月のやうなさみしさ
きみは いまそれだけを愛するだらう

今日は白ぬりのうつはにいつぱい
青い小徑を出てくる
泉を汲んで
きみの水盤へなみなみとついでやらう
そうして
とうとうと音をかなでるやうに
きみの書齋がすつかり華の影にやすらふ蝶蝶のしづかな
眠りのやうに

けれども
きみは なぐさまない
玻璃にうつる夢の青い影をこのまない

水よ! 水・水・水・水・水・水・水・・・・・・

食鹽NaClのごく純粹なのを一瓦(いちぐらむ)だけ飲まして呉れ・・・・・・

それでよろしい・・・・・・
天秤はそのまま卓(てーぶる)の白布の上に置いて下さい・・・・・・
あとで林檎酸と砒素の微量を秤るから・・・・・・
ああ きみはそうしてしづしづとねむつてゆく
春三月・白宵(うすよひ)はきみの寝床(べつど)のかげるほとりから
なまなまと匂ひを立てて寂しく・・・・・・。


02.春雨情調

古代更紗に蟲の食はれた本を持つて來たまへ。
黄いろく黴くさい一葉一葉をめくつて
水のしたたるやうな姿をさがそう

せ丈の長い大鏡にうつる人形の影を
晝間の霧の向ふにみてゐると
はるかに雨のしたたるやうな音をきく

あまり静かにしつとりした言葉なので
しばらくは綾も絹も唇紅の匂ひも
僕の五官をさけて心の瞳まで閉ぢてしまふ。

若若しい木の葉が窓の外に濡れてゐるやう
髪の毛の緑のなかをもつれもつれて
ふしぎな樂音はふるめかしく

にじむやうな餘韻をひいてゆく。
ああ はつはつと燃ゆるこころはすがしい
胸の奥深く秘められた泉のごとく青やかである。

自画像


  山上の景色

03.汽車

ものさびしい うすぐらい汽車は
闇のなかをまつすぐに走つてゐるが
三等客車は滿員で 夜も眠ることができない
随分ひどく勞れてしまふ
それでもそのうちには夜も明けるだらうし
朝になつて高岡の街についたら
まだみしらぬ戀人が待つてゐる
そしてうれしい心で迎へてくれるだらう
どんなかつこうしてはじめて會ふのか
と思つてみる
しかし暗くてさびしい汽車
暗い闇を走る汽車 憂鬱なる汽車


04.山上の景色

朝つゆのしめつぽい山路をのぼつていただきに來る。
ひと本の松の根本に朝陽をよけながら
空の景色をみつめてゐる。
遠く日本海がみえるし伏木の港も目の下にみえ、
空と海の界するところ、うす煙のもやにつつまれて。
そうして輝かしい青葉の山また山です。
空はきれいに晴れてゐる。
心もまつたく澄みわたつて
こころよい朝風に吹かれてゐると
この上もない幸福にひたつてゐる愉快さ。
後を向いても遠くは日本海の波がかすんでみえる。
雨晴、嶋尾、氷見の海水浴場もあのあたりだらう、
ずつと遠くは能登半島が連つてゐる。
こひびとよ、
この山上で、遠い日の約束まですつかりしてしまつたね
爽やかな緑の風に吹かれ、みどりの青葉につつまれ、
こころは空よりも澄みわたり、
そうして愉快に話し盡くしてしまひましたね。
實に素晴らしい山の景色の中で。


05.まひる

髪の毛のもつれをなほしてみる、
ほほをなでくる風のやはらかいこころ、
そうして眞夏のぬくもりにだらしない午睡からさめると
目にはいる青葉のひかりがまぶしい
温泉宿のまひるは實にしづかである。


06.温泉宿附近

ちようど日がしづんでしまつたころ
裏庭の雜草の中に立つてみる
そうして暮れかかる山の温泉湯(いでゆ)の景色を寫さうと思つてみる
屋根やかこひの無雜作につくつてあるのもいいし
ぶかつこうにひつかけたところも申し分ないが
もつとあたたかい湯氣のなかで、うつろひだ心持から
あの温泉にひたるすがたのやうなこころまで
僕の藝術寫眞にとつてしまひたいと思つてみる。


07.島尾にて

ここは晴れやかな海水浴場に近い
飲食店のさみしい庭のほとりです
ばさばさの砂地に 砂ほこりにまみれながら
八重桔梗の花が鮮やかな紫に咲いてゐる
人の聲もあまりきこえない
午後四時
その庭には石灯籠がさびれてゐるばかりです。


08.兼六公園

兼六公園の夏はあまりにひからびてしまつてゐる
日照りなので水もかれてしまつて、噴水もみえなければ
瀧の音もきこえない
葉のまばらな樹に蝉がさかんに鳴いてゐるばかり
それでも金澤の街を見下し、遠くこんもり茂つた
みどりの森の向山公園をみてゐるとき
やはらかい風が吹いてきて、心はすつとさわやかになる
空はどんよりくもつてゐる。


09.犀川

犀川のほとりをあゆむ、
ここは水はかれてしまって、いちめん小石の河原です
向ふ岸、社や赤塗の旅館など、
みんな古さびた匂ひをふくめ
どこかしつとりおちついた
北くにの憂鬱なる情緒にひたる
川を吹く風、ひともとの雜草のくき、
そのひとつひとつにふしぎなさびしさを感じながら
犀川の川のほとりを歩いてゆく。


10.らんぷを消さう

みどりにうすくらいらんぷを消さう

山の青葉はみんなしづもつてしまつた
目にみえるものは暗い月影ばかり

泉の涌き出る音、ながれる音

みどりにうすくらいらんぷを消さう
もつとしづかに眠つてしまはう。


11.橋

ゆがめられたひとつの橋がある
灰色にうすめられ
木で造つてあるが それは無雜作な橋である。
きれいに黒ずんだ川の水はちつともうごかない。
橋のらんかんや歪められた木の上に
雪が ぽと ぽと ぽと
それはしづかに
知らないでゐる間に積つてしまつてゐる
そうして夕やみのなかから
雪の上を赤い灯がぽつつりとみえるやうになると
たまらない よい景色であらうと思ふ。
                    (氷見にて)


12.池のほとり

もうそこには
落葉が一ぱいたまつてしまつた
錆びついた水にうつるものは何もない
櫻は枯れ 杉もまばらに葉を枯らしはじめ
さむい月かげばかり梢にかかる
うすくれる空をさぶしくおもひ
うつろこころして
わが歩む池のほとり
昨日の花はもう見あたらない


13.丘に立つて

月はななめに西へかたぶいてゐる
山のいただきに立つて 丘の景色をみてゐる
心は空よりもすみわたり さえわたり

一日のつかれも、まつたく忘れてしまつて
月と樹木と、
その影によつてつくられるそれは美しい景色と
丘の中腹、田甫、沼、遠くの山また山などにみえる
ぼやつとしたもやのやうな 煙のやうな
白いかすんだひかりと
僕はそのふしぎな香氣に醉はされてしまふ。


14.冬の詩

あかるい早春の陽ざしがさし入るやうな
白い部屋の障子のそばによりかかり
空のしづけさを見つめてゐる。
そんなにしづかなあたたかさに
忘れるやうにうつとりとなつてゐるとき
日向の障子に冬の蝿が輕くはばたく。


15.砂原で

白い砂の砂原・・・・・・。
波がしづかにゆらめいてゐる。
夕日はしづみ
人影ばかりでさびしい。
芙蓉の花とほく匂ふごとくさびしい。


  雪に青澄む

16.丘の上の冬

芝草の上に僕はたたずむ、

うす陽のもれるところ
枯れ枯れいろの樹木、
風に吹きあらされたあづま家、
しめりけのない砂のひろつぱ、
そこにちいさな丘をつくる

雪は空をうすめてしまふし
きいろく寒い空氣は
風のない樹木のそばにただよひ
土の匂ひにまざつて
美しい丘の上のたまらない香氣をつくる

青さはない
けれども海はすぐ下にみえるので
僕の心はさはさはする

樹木と芝草と土とのきいろの中に
僕はいつまでもたたずみ
煙草の煙のうすくなつてゆくやうな
輕やかさに醉はされながら
來し方の華やかさにほほえまう

海よりも青空よりも
枯れ枯れいろの丘の上の雰圍氣は
僕の心をそのふしぎにおちつかせる
ああ 丘の上の冬は
僕に美しいなぐさめの言葉と
よろこびの詩とをあたへ
神のやうに黙つてゐる景色である。


17.海鳴り
       ──あなたの家に眠る夜──

海近い部屋に
私は眠りにつかうとするとき
青い蝶蝶の翅をみる

ひら ひら ひら ひら ひら
室内の空氣が舞ひはじめる
私はふしぎな思ひにかられて
遠い海原のはてを波にゆらされながら
紫の風に吹かれる
輕いこころよさ

けれども雪に青ばむ眉はみえない
ひとり黄色に咲く花を
ほほえんでは 美しい調べを耳にする
心持ち身體をななめにして
耳をすませば
青い蝶蝶の翅は舞ひはじめる
すは すは すは すは すは

いつのまに私ひとり
あつさりとみどりをつけた枯れ木の林に來てゐる
あをあをと あをあをと
波のうねりは午前の光りにゆすれて
海藻のうすむらさきを匂はせる

小春の朝のこころ
ああまた私は朝鮮芝の枯草いろの上へ
ひつぱられてゆく
そこには氷雨が乾いた空をふりつけてゐる

すううううう
すううう
とほくの野の小川のほとりから
柔かいセロの音
星も月もない夜空は 明けてゆくやうに薄んで
飴いろの空氣は すううううう すううう

蝶蝶の翅の粉末が
もつとリズムをやはらめる

すうううう
私は眠つてしまふ
海鳴り・・・・・・それは
ふしぎに美しい夜の
青い蝶蝶の翅の音であらう

そうして海ばたの枯淡な林
みどりのうす匂ふ蔭に
私の夢は 海鳴りをきいてゐる
すううううう
すううう


18.雪の街をあゆむ

雪空にふかくうまつて
黒いふしぎな畫をみるやうな建物
うまくあかりが點在してゐる
雪あとの街はぬめぬめとして
うるしのやうに光つてゐる

その遠く遠くむかふの方に
ふしぎな仙人が住んでゐるやうな
奥深い森に
青いともし灯がくつきりとして
建物の障子にぼかされてゐる

何處へ行く人だらう
狐いろの“まんとう”を着て
よちよちとあぶない足どり
よくすんだ銀笛を鳴らせながら
四角い宮殿を出て夜の木の下をくぐり
街の方へするすると歩んでゆく

身體をぐにつとゆがめて
うまく紫色の音調を鳴らしてゐる
雪の上を吹く夜の冷氣は
何かあたたかい湯氣立つやうにみえ
じみじみじみと深まつてゆく青さに
月のない星夜の瀞をつくつて
ひつたりゆあみするこころ

笛の音色はもつと澄んで街街を遠く
遠く 餘韻をつたへてゆく

雪の上にみどりの帽子をかむり
あをい毛皮を着た こひびと
僕はこひびとの手をぐつと握りしめながら
ふしぎな笛の音色にききほれ
街から街を歩いてゆく

暗い 暗い 暗い
空と建物の上を 灯が一つ 一つ、ついてゐる
にほひのよい音と、“けもの”のゆく影と
明るいひかりの街街を
遠いこころに幻影の小徑を描きながら
花びらにふりかかる雪のなかを歩いてゆく


19.冬陽

そこにはもう落葉はいつぱいたまつてしまつた
樹といふ樹はすつかり葉を失ひ
つきつきの木立をつくり
冬の風に吹きさらされてゐる
けれども 風の音はあまりひつそりし
ただ陽ばかりうらうらと木の上にかがやく


20.青いぽぷら

そこには青いぽぷらの樹がならんでゐた

まつしろい“ふらつと”は雪が積つてゐた。

僕のさびしいこひびとは
僕の汽車の窓の下で
うつぶしたままうごかない。

風はさむざむとぽぷらばかりを揺すつてゐた。
僕はさびしい風の音を
ひそひそと積つてゐる雪のなかに聞いた。

わかれることはさびしいことだ。
こひびとよ、あなたのあたたかい唇で
もういちどくちづけしてください。

あなたの眼からは泪が流された。

僕の眼からは泪が流された。

二人は見上げることも出來なかつた。
汽笛は寒い風と雪と
“ふらつと”のこひびとを殘して
汽車をうごき出させてしまつた。

白い“はんかちーふ”がゆすられてゐる。
それは最後のおくりものであつた。

(身體を大事に、春にはきつと・・・・・・)
言葉よりもそれはあまりにさびしい場面・・・・・・。

そこには葉のないぽぷらの樹ばかり揺すれてゐた。


21.雪の夜・公園散策

ふしぎな青さは夜を匂つてゐる
さくさくさくと雪の上を歩いてゆく
もう燈篭の上にはうすくらがりをつくる
黄いろい灯はともされてゐる

雪の上をさつくさつくと靴が踏みこむたびに
黒くつやつや光る樹木から
ささやかな音がきこえるやう
それはしづかなしづかな夜です
ほかに誰も歩いてはゐない
ひつそりとなめらかな池のそばへ來て
樹木とたまらない黄ない灯を 水の上にみてゐると
遠くの方で瀧の音がきこえてくる

そこにつめたさはない
あたたかい眞綿にくるまり
ふしぎに匂ふ青さを吸ひながら
さく さく さく と雪の上を踏んでゆく

水の上にうつる黄いろいひかりと
うるしにくろくなまめく樹木と
くらいくらい空と
心持のよい雪と
僕はそこに何も欲しない
夜、 この美しい雪にふれる景色のなかを
さつく さつく と歩いてゆく

月ののぼらないうちを
いつまでも さくさくさくと歩いてゆかう
雪と樹木と、ふしぎに青さはにほつてゐる

                  (兼六公園)


  風のない樹木

22.玻璃にうつる樹

早春のひかりは
てらてらと照りわたる。
玻璃をすかして終日 空と柿の樹をみてゐる

陽にちかちかと白くひかつてゐる柿の樹の
太い枝をみてゐると
きれいに小枝を出し、さらに細い枝を出してゐる
すくすくとほそくのびのびてゐる。
枝のあいまから
瑠璃いろにひかる空がみえる

柿の樹の枝枝と空との美しいひかりのうへを
玻璃はもつとあをくひかつてみえる


23.霜夜の散策路

 i   .枯草

僕のゆく路、丘の上には枯草ばかり
月のひかり白く
殘雪を踏む音もよくひびく

ii  .桑

まつしろに乾いた路の兩側に
桑が植えられてゐる
すくすくと枝をのばしてゐる
空のつめたさを吸つてゐるのだらう

 iii .音

あまりよく乾いてゐる土なので
厚齒の下駄は
風のない空を高らかに音たてる
ただこの音のなかによろこびを感じる

 iv .竹

土のあらはれたところに
數本の竹がみえる
月の光りがうすいので枝も葉もみえないひらく(ママ)
風の音もないしづかさのなかを

 v  .池のそば

水のない池のそばをとほる
笹葉や芒が一ぱい生えてゐる
さらつさらつと 踏みだすたび音たてる

 vi .砂

もう丘をのぼつてしまふところ
まつしろいやはらかい砂原です
下駄の齒がうまく砂に食ひこんで
たまらない感觸をつたへてくる

 vii .松

まつしろの廣い砂原のうへに
ぼやけたやうににじむ松がある
丘の上の空氣は實に暖たかい
ふしぎな美しいものを波うたせる

 viii.月

うすい霧の幕をとほして
月は明るく光つてゐる
丘の上の早春を
もつと白くにじませる

 ix .曠野

一面に枯草の原のやうで
柿の樹のこまかい枝枝をみせる畑をくると
曠野の春をゆくこころの
あたたかさ

 x  .

月のあかるい 霜でいつぱいの散策路を
はてしなくゆつたり歩くこころに
いつまでも僕はあたたまりゆく


24.にじむ墨繪のなかで

ぼんやり霜夜のうすい霧は丘の上に降りかかり

ふくらみあがつたやはらかい砂原のうへを
まつくろの松の影のうへを
あたたかい にほひをただよはせ
實に氣持よくぼかしてしまふ

僕はこのやはらかい砂のなかに
身體をうづめてしまつて
美しい月の光を浴びてゐる

空氣をつたはるしづかな音は
どこかしら遠くから鳴つてくる音は
砂のうへに青みを増し
處女の肌に にほふあたたかさを感じさせる

松の樹影と、ひろい砂原と
すみわたる月と、
丘のうへのふしぎに匂ふ青さの音と、
僕はこのしづかににじむ墨繪の風景のなかに
よろこびのいづみを汲むのである

なだらかな丘の姿はいつまでもあたたかく
早春のこころをなみなみとかよはせてゐる


25.風のない樹木

早春の青いひかりが
すみすみと空をすみすみと澄みわたるとき
僕は書齋の窓の玻璃をそつとのぞいてみる
玻璃は白くしろくかがやいて
水のやうにうつくしい
遠い水平線を突き出して五六本の樹木がある

その日の午後しづかな公園をのぼりつめ
青いつぶらの“すすだめ”の實をとつて
桐の木を植えた畑のなかを歩いた
こひびとよ 芒のうへに木を横たへ
雪のうへを流れるひかりをみつけながら
竹藪にしづかな音をきいてゐた
とほい樹のやうにみえるひとつの煙突をみた

このひろい海のなかを
やはらかい樹木がいつぱいはえてゐる
うすむらさきの匂ひか

ちつともうごかない樹木は
枯草で染めた丘のうへを
すつくすつくと ひかつたままぽつねんとしてゐる

こひびとは雪にもつれる青味をとつてゐる

あたたかく玻璃は光つてゐる
樹木は木炭紙のやうに 粗雜な手觸りをもつ
それを くりくりと陽にかがやいてみえるのである(ママ)
杜の常緑木、松杉、は濁つてしまつて鮮やかでない

すすすすすすすうううう

僕のこころはどこに歩みをつづけるのか
青い青い空と青い青い海と
そのうすもやにつつむ雪のやうな空氣と
つめたいひるすぎ、
絹糸で編んだ毛皮にくるまりながら
清清しい露臺の上にもたれて
なつかしい“ふいるむ”の一巻をひもといてゐるのだらう
室内は水蒸氣がいつぱいにみなぎり
鐵瓶の音律は乾いてしまひさう

しづかに しづかに音をきいてゐると
いつか夜は更けてしまつて見えない樹木から
雨のしづくがひとつひとつと落ちる音

雨のしぐれるさみしい音
あつい茶をいれて
僕の心をその澁さにやすめよう
くりくりくりと玻璃はひかつてゐる
風のない樹木が
はるかに遠いかすみのなかにみえてゐる
早春はあさみどりの空にすませ
音のない“りずむ”を振動させてゐる


  近作小詩五篇

26.月


 

水母のうへを
あかるいたそがれが 風のやうに吹いてくる。
西の窓には障子だけぴしつとしめてある。
夜半 うしみつのころだ
らんぷを消してしまへ
じつと雨の止んだあとの静かさを聴かう。


27.ぐみの木

窓にこしかけながら
ふつとぐみの木をみてゐると
雀が二三たはむれてゐる
ぐみの花
あかるい空
遠い日の追憶に おのづから
ひとりほほえまされる


28.午前の海

青い風がいちめん空を吹いてくる
岬に立てば

岬に立てば
水は静かにうすあをい
船のかげひとつみえない
海・海


29.赤くこげてゆく下弦の月

櫻の花のにほひが
とほい林のなかに泉のやうに湧き立つてゐる
僕はさびしいつかみどころのない心を抱いて
暗い畠のなかを歩いてゆく
夜はいつか更けてしまつた
水の上になまぬくとい影が落ちて
ひそひそとささやく
僕は音におそれるやうに
暗い林をわけ入つてゆく
上弦の月はいま山の端を出たばかり
赤くこげかかつてゐる

春は水溜りの影のあたり
樹木を吹く風のすがたに
ふつくらと遠く匂ふ櫻の花のほとりに
しづかな觸手をのばしてゐる

暗い 暗い とてもさびしい心で
空の水に影をおとす 僕・・・・・・
月はくろい雲にかくれてしまつた


30.惡の感情一つ

ただひと目
僕をぐつとにらみつける
 そのなかに樹木のやうな美しい
 冷たい感情が緑にうごいてくる
嫌だ
 僕はすぐと瞳をそらして忘れてしまふ・・・・・・

けれどもいつか その目を思ひ出す
その樹木のつめたいすがたを・・・・・・。


奥付

奥付

凡例
表記は仮名遣ひの不統一(そうして・さうして)などすべて原本に従った。ルビは( )内に、また表示上該当漢字がないものも( )に読みを記すにとどめた。(追って改良します)。 新漢字のあるもの、明らかな誤植はこれを改めた。詩篇には頁の代はりに番号を新たに付した。(編者識)


コメント:拾遺詩篇

「飛行船」

ここはどこまでもはてしない曠野、
黄色く薄められた空、
そはそはふくらみ、やはらみ、
風は小春のひかりに匂ふ

ああ ふしぎにさびしい飛行船よ
ふはっと浮びあがった飛行船、遠くしづかに……遠く静に
じみじみじみじみ じみじみじみじみ じみじみじみじみ
泉にかげる青、

《 美しく春情をふるはせる 野原の上に見るものよりも
  もつとさびしい。
  はるかにとほく はるかにとほく
  しじめるそらに しじめるそらに 》

飛行船よ もっと静かに動く。
雲か、あたたかい毛糸の着物
匂ひはさらに新しく、そわ そわ そわ そわ そわ
鉛いろにすました綿のやう……

ふしぎにさびしい飛行船はゆく、飛行船はゆく

                    

『日本詩人』大正13年6月「新詩人号」


(2003/01/14up / 2003/01/27update)

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