2010/11/04 update
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たけむら ひろし【竹村浩】『高原を行く』1925


高原を行く

詩集 『高原を行く』

竹村浩 第一詩集

大正14年2月15日 抒情詩社刊

159p 20.5cm 上製 ¥2.00

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奥付

奥付


 

信州飯田の詩人によって名づけられた『高原を行く』といふ、一見抒情詩らしいタイトルながら、これはまことに人間臭い、といふか青臭い内容の詩集で何だかガッカリしてしまった。

 制作順序を詳らかにしないが、最後に収められてゐる「工場の幻想」章の一群が、あるひは当時、プロレタリア詩として認められ、持ち上げられたものだらうか。 この24歳にして不幸にも東京の泥沼で変死を遂げたといふ詩人を、故郷の仲間たちが偲び「全集」を刊行してまで顕彰したといふのは、 けだし大正末年を風靡した時代の機運に与ったとしか考へられない。

 「検束及び検束以後の詩数編」などといふ思はせぶりな名を冠した作品を始め、全体を通じて感じられる著者の眼差しといふのは、当時の民衆詩派に共通した、 選民意識に浮かれ立つ「詩人の矜恃」に満ちてゐる。それを臆面もなく表明できるほど、彼の出自は裕福でもなければ、その当然の結果でもある不遇に対する呪詛が、昇華することなく、 端無くも「階級意識」へと理想家の彼を駆っていったと、さう呼んでもよいのではないだらうか。といふのも、彼自身の被害者感情が、結局恋人が得られたら霧散してしまひかねない、 小我の「のたうつ姿」以上のものを描き出してをらず、さらに貧しい母に無心を繰り返す自分の懺悔を、詩に値する真情として描く態度に至っては、もはや私には「甘え」としか映らないからである。 愛に飢ゑたその表現も今風にいふなら「痛い」茶番であるやうな作品も少なくない。

 詩人としての語感はよいのだから、こんな心情を詩として提出する感傷的な人間性と、時代の先端であったプロレタリア詩が、 尚どのやうに残り少ない彼の時間の中で切り結ばれてゆくのか、むしろその後の作品や友人の追悼文も収まってゐるかと思はれる「全集」に当たって確かめるほかないのだらうが、 この処女詩集に気が抜けてしまった私には、もはや関心外事となってしまった。残念である。

 該書は河竹繁俊宛。早稲田人脈といふより同郷の誼みで送られたのであらう。


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