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田中克己日記 1964


【昭和39年】

 昭和39年は、前年夏に発症した神経症によって、生活が引き続き灰色に塗りつぶされる雌伏の年となります。

 完治したと思ひなし「全快の歌」を詠むも糠喜びに終り、ノートには「瘋癲日記」と副題して「遺言」を書き留めるほどに思ひ詰めてゐた精神の病ひ。
家族へ与へる影響も懼れてゐたやうですが、周りにあった旧知・教へ子の、詩人に対するまなざしは、しかしながら終始温かいものでした。

 辞職願を握りつぶしてくれた文芸学部長の栗山理一氏をはじめ、同僚の理解に支へられ、詩人は専任教授だった成城大学を、回復するまで「無理しないやうに」と休職身分ですごすやう勧められます。家族は安堵したことでしょうが、この時期、渋谷に母と同居していた劇団青年座の脚本家、西島大氏(異母弟)の存在が、「母には本当に頼りになってゐたやうです」との長女の依子さんの回想は、日記からも十二分に窺はれます。
 「暗い雰囲気が覆ってゐた」といふ、吉祥寺の借家からも4月に引っ越します。何かと転居の多かった田中家ですが、阿佐谷南の閑静な路地裏に建つ、悠紀子夫人の従姉の持家だった家が、詩人がその後の余生を過ごす終の棲家となりました。

 教会と、斎藤茂太院長の斎藤医院とに通ひながら、病気の意味をキリストへの帰依と結び付け、堅信を守る詩人ですが、休職中とはいへ、人と会ったり古本屋めぐりをしたりといった日課は変りません。どころか、父の遺稿歌集『歌日記』が刊行されると故郷の大阪まで追善に赴き、長女の依子さんが嫁いだ名古屋にも遠出してゐます。発病前に校了した『白楽天』が、集英社の漢詩大系の一冊として1万冊刷られることとなり、今までもらったことのないような印税(百万円)も入ります。傍目には休暇をもらって執筆活動にいそしんでゐるやうにもみえるその様子は、一部の同僚から羨まれもしたやうです。

 古本市に居るあひだは症状がなくなるといふのは確かに笑へます。授業ができなくなったら大学に迷惑がかかるから即退職、と決めてかかってるところもまた、身のふり方でこれまで度々損をしてきた、この詩人らしさの表れでしょう。神経を使ふ生活を改めないから、結局年末に斎藤医院に再入院する羽目となり、北杜夫“先生”から「2,3日バカになれ」と執筆読書を止められてしまひます。(復職にあたって診断書には正式に「躁鬱症」と記されますが、まさか同じ病で苦しむことになるとは、北杜夫もこの時はまだ思ってなかったでしょうね。)

 壮年から初老へ、人生の半ばを越え次第に無理が利かなくなってゆく年代。
 丸一年に及ぶ休養期間は、専ら自らの研究に充てられたやうで、学会誌を継続し仲間と輪読も行ってゐます。同業者の顔ぶれに変りはありませんが、報ぜられた松本善海や服部正己の病気は気にかかるところ。パリの日本館館長に就任する親友羽田明とは出発前に会ってゐますが、日記中を見渡せば、キリスト者として近所に住まふ紅松一雄や、弟の離婚調停に係り調停委員となってくれた丸三郎弁護士のほか、民間の出世頭である西川英夫(東京建物)、日銀理事鎌田正美、自衛隊師団長関口八太郎、吹田市長山本治雄、朝日新聞支局長高垣金三郎といった、斯界で活躍し始めた旧友名士の名前をみることができます。
 田中克己自身、この年、著書は『白楽天』のほかにも『中国后妃伝』が刊行され、過去の『李太白』が“漢訳”され、(当時印税はありませんでしたが)台湾で出版されることが伝へられ、自分と研究テーマを同じくするドイツ人の少壮学者からは、学生時代の卒論を求められるなど、こと専門分野においては、病気の影響を全く感じさせない充実した収穫の日々を送ってゐるやうです。

 ただし詩人としてはどうだったでしょうか。「詩」に向き合ってゐるやうな節は、この年の日記のどこにも見られません。
 「キリスト教に入信して詩がだめになった」と引導を渡されたといふ、先輩詩人三好達治の訃報に接しての反応は冷たい限りですが、かつての詩友たちとの詩的交流も寂しいもの。といふか、詩の依頼や集りや、とにかく新しく詩作と詩壇に関はることには病気を口実に、来たものから拒んでゐるやうにもみえることです。
 古巣の『果樹園』で「コギトの思ひ出」だけは連載を続けてゐます。しかし下阪して肥下夫人と会っても『肥下恒夫遺稿集』について進展があったわけでもなさそうであり、中島栄次郎の名も一言も出ない。そして『現代畸人伝』を新潮社から出して文壇の片隈に定位置を確保し、私生活でも相変らず女性歌人たちに絶大 な人気のある保田與重郎とは、同じく師と仰ぐ佐藤春夫の葬儀の席で会はうともしない、著書の交換もしない、といふ徹底ぶりに驚かされます。

 保田與重郎を大人(うし)と崇める影山正治は、主宰の大東塾を代々木に構へて居り、かつて「大東亜戦争を熱祷(保田與重郎序文)」する詩集『神軍』を著した田中克己は、責任を感じ、敗戦時に自決した塾生を悼む献金を20年経った今も影山正治に届け続けてゐます。渋谷の実家にも齋藤神経科にも近いこともあり、年賀状や父の遺稿歌集『歌日記』を、機関誌『不二』を自前で印刷する塾の印刷所に依頼してゐるのですが、東洋史学者を任ずる「始皇帝の末裔」である田中克己と、生粋の民族派である保田與重郎・影山正治との間には、汎アジア主義の在り方・理想に於いて元来の想ひに差異がありました。
 相撲や野球やの話題がそのまま日記には映されてゐますが、東京オリンピックが開催され、東海道新幹線が開業したこの昭和39年は、高度経済成長が始まった、実に国民生活の節目を象徴する年であったといってよいでしょう。
 戦争の記憶を忘れようとする日本にあって、奉ずる神様まで異とすることとなった彼らとは、ますます疎遠になってゆくことが予感されます。

 この年の出来事を記します。

【昭和39年】

2/11先考西島喜代之助の遺稿歌集『歌日記』刊行。
2/17ノートに遺言を書き留める。
2/21斎藤医院入院。3/18退院。
4/5三好達治死去。
4/12長男史氏帰京、本省へ戻る。
4/23渡欧する羽田明と会食。
4/26阿佐谷に転居。
5/6佐藤春夫死去。5/9葬儀参列。
6/5長女夫婦を名古屋に訪問。
7/26先考墓参のため飛行機で下阪。7/27報国寺墓参、7/29帰京。
7/30集英社版漢詩大系12『白楽天』刊行。
10/9オリンピック開会。
11/1自宅に電話引かれる。齋藤神経科再入院。11/10退院、12/1診断書に「躁鬱症」。
昭和39年1月1日〜昭和39年2月9日 「武蔵野中央病院 (付)退院誌」
25.0cm×17.8cm 横掛ノートに横書き


昭和39年1月1日〜昭和39年2月9日 「武蔵野中央病院 (付)退院誌」
25.0cm×17.8cm 横掛ノートに横書き

p1

1月1日
9:00起き、年賀状152枚受取る。
12:00吉祥寺駅を出て白鳥家へ13:00着き、先生軽快の趣き承る。芳郎氏「成城は学習院と気風似てゐる」。
帰りまたbus、東横dept.へとちがふ途とり、歩きて大(※弟:西島大)宅。俳優某氏をり、母より雑煮饗さる。
16:00出て渋谷で京と弓子を柏井(※妻の弟宅:歯科医)へゆかして帰宅。(※省略) 夜、父の年譜写して疲る。

1月2日
曇りたれど降らず。ユ(※悠紀子)「きさらぎ(※西島喜代助遺稿歌集の題目)」の写し了り、われ「あとがき(200×4)」書き了る。
史、林(※親戚)へゆき「結婚当分せず」といひし由。賀状31枚。

1月3日
〒なし。史、7:30出てゆきしか、9:00すぎ起きて見ず。昨日あたりより悪現症起る。
午すぎ青木美裟子来る(寺崎へゆく途中と)。
やがて服部三樹子女史来訪。夫婦して症状いふ中、ユ、めやぎ(※目やぎ?)のこと云ふ。
夜、経済を考へて憂鬱。弓子「5万円を貸す」といふ。「あす名古屋へゆく」也。

1月4日
弓子出勤、そのまま「名古屋へゆく」と。賀状158枚。
午后、青樹社書房青木氏来り「火野葦平の蔵書整理した。柳田先生安くうすい本出せといはれし云々」。
折よく山田俊雄教授来訪。『日本語の歴史2』賜はる。
ユ、郵便局にて5万円出し来る。(われ、そのまに佐藤dr.にて注射受けし)。
筑摩中島大吉郎氏より「原稿枚数どれだけふえるか云々」。(※省略)

1月5日(日)
ユ、礼拝にゆく。われ11:00出て渋谷。ちょっとワリツケし、大よりの5万円と(※合せて)10万円もちて不二印刷所。
(※西島喜代助遺稿歌集の編集)神谷氏とX氏とでやれと塾長よりの厳命と。
河野・鈴木夫人も出て仮受取くれる。万年筆忘れしゆゑ帰宅。年賀状ちょっと書く。憂ウツ症少しよし。

1月6日
10:00、ユとともに斎藤神経科。診断書すでに送りしと看護婦さん(210)。
北杜夫氏に会ひユーウツ症起りしを云へば、薬変へたまふ。
(出がけ澄より電話あり「高垣(※高垣金三郎、朝日新聞名古屋編集局)20日すぎは上京」と)
新宿でライスカレー食ひ(140)、成城へゆけば無人。原田・石田両先生の本などとりて帰宅。
松村達雄君来り、「4月よりやめる。嬢ちゃん武長に勤める等。高田・栗山(※高田瑞穂・栗山理一)に復職話さん」と。(例の胃癌検査の話われす)。
(※省略) 弓子帰り来り「史、畠山家にては話にならざりし」と。(※省略)
けふ賀状13枚。われも30枚位書く。

1月7日
晴。寒し。賀状10枚。親和会より見舞金5千円。
佐藤dr.へゆき注射。ついで柏井へゆく。(※省略)

1月8日
佐々木邦彦君より年賀として山の絵。
糸屋鎌吉氏より「ラマンチャの会へ来よ」と。ことわる。
けふ、午ね2時間、だるく柏井へゆかず。京、試験の願書もらひにゆく。『果樹園』95来る。

1月9日
ユ、斎藤神経科へゆき、診断書に印もらひ、成城庶務課へゆく。
さくら印刷所より電話「神谷氏来る」と。影山正治氏よりも「その中会ひたし」と。
家居、寒し。(※省略)

1月10日
晴。だるくて家居。
丸山薫氏より『パアゴラ』8号に詩をかけ、5千円与へると。
林俊郎Masisonより年賀状。他に賀状10枚。帝塚山の賀状半ばすむ。脚気また悪化。

1月11日
佐藤dr.に注射にゆき柏井歯科。帰り中央線古書会にゆき『野の花山の花(50)』、『雲荘随筆(50)』買ふ。青木氏に遭ひし。
けふも賀状6枚。安部照子見舞に来る。『李太白』与ふ。

1月12日(日)
礼拝にゆき会費献金。杉本恵美子生より見舞状来しのみ。賀状の返事にて疲る。

1月13日
暖かし。斎藤神経科へゆく。(佐藤dr.で注射打ってもらふ)帰り西荻窪の古本屋見しも買ふものなし。
筑摩の中島君より「京へゆき4〜5日後来る」と。

1月14日
不二印刷所神屋氏(※神尾氏?)より「校正もち来る」と。「雨やめば来たまへ」といふ。
湯川松次郎氏より金尾文淵堂年譜稿の礼。原田淑人先生よりお見舞。17:00神屋氏校正もち来り、軍隊の話す。校正すませば22:30。

1月15日
寒し。家居。福島恵美子、鈴木健司の2生より賀状!服部三樹子氏より見舞状。田中久夫氏来らる。

1月16日
10:00出て佐藤dr.、ついで不二印刷所、「しばらく待て」とのことに渋谷へゆく。
あすの(※弟の)調停裁判に丸、大ともに出ず、離婚裁判にせんとすと。すしよばれ13:30不二へまたゆき150pまで校正受取りbusにて阿佐谷。
高沢叔母来をり(古本屋にて船越章に会ふ)。矢野閣下(※戦時中上官)より「Smatraの後遺症か」と。

1月17日
雨。家居。大より電話「河野岑夫堀江支店長、悠紀夫天高に転入したき故、坪井への添書たのむ」と。
山本幹子、今市佐恵、清水和子諸氏より賀状。
不二より電話、鈴木正男氏、道に迷ひしとおくれて来り、「原稿増加のため紙代500円を400円にするも22万円」と。「仕方なし」といひて困惑す。

1月18日
雨。憂鬱治らず。野田又夫より賀状の返事。17:00佐藤dr.にゆきヤマダ女史より注射受く。

1月19日(日)
雨。礼拝にゆかず。〒なし。

1月20日
佐藤dr.に注射していただき斎藤神経科。けふは茂太先生にて憂鬱をいひし。
青山博士夫人よりお見舞に1千円いただく。竹内好君来り、松村達雄君より電話「復職すすめよ」と也。
SCAの服部嬢来り、卒業生13人へのsignをす。夜、白水夫人千鶴子来り、cake賜ふ。

1月21日
ユ、成城へsalaryもらひにゆく。共済組合のまだ出ず学校の立替で、
休職者手当59,800、他に10〜12月差額13,200を俸給15,000−税など9,830=18,370もらひ来し。
憂鬱治らず。ふしぎ也。

1月22日
昼食後、散髪にゆく(250)。太田陽子氏より「近況かけ」と。
『鈴木俊教授還暦記念文集』にかく気なくなる。
うづら荘へ3回電話し20:30やっとかかり「あす9:00までにゆく」といふ(福地君(※福地邦樹))。

1月23日
7:00起き8:00の電車にて目白のうづら荘へとゆく。
「栗山部長、小高根二郎に会にてなが病気話せし」と也。弟君これまた新婦つれて来るを待ち、10:30新宿御苑へゆき写真とる。
そのあと中村屋にて昼食「今夜湯河原泊り」と。
けふ青木母生より病気見舞。夜、神屋氏校正もち来り初校すむ。憂鬱止まず。

1月24日
ユ、不二へ校正もちゆき母に3千円もちゆく。留守、福島・安部2生来り、面接すみしと。
杉山平一氏より『四季』そろへてもちゐると。
栗山部長に「reportの採点せんか」と手紙かく。

1月25日
寒さややゆるき故、午后柏井歯科へゆきしに休診。
荻窪の古本屋にて『近代日本文学とキリスト教(70)』、『吉利支丹文学ノート(70)』買ふ。三鷹にゆきしも何もなし。
けふ『不二』来り、わが「全快の歌」のす! 夜、福地君へ写真包む。

1月26日(日)
礼拝にゆく。丸山薫氏より詩の受取。夕方、鶴崎祐雄より電話、中道まで迎へにゆく。海苔呉る。

1月27日
晴。9:00ユと斎藤神経科。北杜夫dr.躁鬱症の診断書たまふ(薬かはる)。
地下鉄にて南阿佐谷、昼食して数男(※義弟)にゆく。「船越章、再婚の希望あり」と。
荻窪まで歩きて帰宅。田中靖子より改名のこと。けふ太田陽子女史へノイローゼのことかく。

1月28日
曇。悒ウツで耐(※たま)らず。栗山部長より「教務一切放念せよ」と。依子より「金なら貸す」と。
筑摩の中島氏より電話「150枚以后すすまず」と答ふ。

1月29日
よべ書きし「コギトの杉浦君」200×14荒尾へ速達す。あとねてをり『ノイローゼ』よみしのみ。小高根二郎、市古宙三2氏へ原稿のことわり。

1月30日
夜半停電、こわくてたまらず。
宮崎恭溥先生に電話かけさすれば「3日(月)夫婦にて来よ」と。
終日不安、あす斎藤先生にゆくときめ、夜半port-wineと睡眠薬ブロバリン10錠のみて眠る。

1月31日
雨中をユと斎藤dr.。代診の先生「一月の入院必要」と。「ただし空室なし」と。睡眠薬もらって帰宅。(※省略)
渋谷へ夫婦ともに電話せしも「大、今夜大阪より帰り来る」と。よべ睡眠剤用ひわすれしも眠る。

2月1日
曇晴。鶴崎生より礼状。笠井千夜氏よりたのみ状!
東京教育大学より「雅護夫(※護雅夫)班の分担者となれ」と。夜、和田賀代女史より電話ありし故、笠井氏ことわりしと。
不二歌道会より表紙につき来る。(大、また大阪と)

2月2日(日)
藤井夫人より電話、入学斡旋のこと、ことわる。夕方相馬来て「秋田へ帰る」と。比留間元子生よりなぐさめ。
夜、兼清隆二君来訪。入学試験のことらし(会はず)。

2月3日
ユ、俊子姉へタカ子の祝もちゆく。われ柏井歯科。ともに出て南阿佐谷よりbusにて宮崎先生、「薬あす賜ふ」と。「閑院宮来られし」と。

2月4日
罪責観念つよし。(ゆき子にすまぬ也)
ユと11:00斎藤dr.にゆき、13:00やっと診察受く。「入院の要なし」を自らいひしあと帰宅。
16:00ユ、宮崎先生へゆく。18:30帰宅まで心配す。

2月5日
よべより漢方薬のみはじむ。少し元気出る。大江叔母へ「49回忌3月にせず」と。
母より電話「藤村氏の女入学につき相談」と。「8日ゆく」といふ。
森良雄dr.見舞に来る。「松村より聞いた」と。兼清隆二君よりカステラ1箱、入学関係か。

2月6日
ユ、教会の婦人会にと出しあと、税務署の宮川といふが来り、「15:30ごろよこせ」と。
『歌日記』500刷りしことよべより気にかかる(150にてよかりし也)。
『果樹園96』来る。夜、電話、羽田明博士より。ノイローゼをいふ。

2月7日
横山薫二君へ白鳥芳郎教授を紹介す。午后散歩す。

2月8日
朝出て駅にゆけば雨。斎藤神経科の見なれぬ先生に睡眠薬もらふ。
雨ゆゑ新宿をへて渋谷の母にゆけば「千草(※『歌日記』奥付)連名に困りゐる」と。
大もノイローゼ気味にて京都に居ると。鬱々として帰宅すれば高橋君(※高橋重臣)より速達「面接いつがよきか」と也。

2月9日(日)
雨と雪と。ユ、教会の手伝にゆき15:00すぎ帰宅。高橋君へ「わが手よりはダメ、小高根二郎氏か林富士馬氏へたのめ」とノイローゼあかす。

2月10日
2月11日
2月12日
2月13日
2月14日
2月15日      記載なし。
2月16日
2月17日
2月18日
2月19日
2月20日


昭和39年2月21日〜昭和39年5月18日 「瘋癲日記」
21.0cm×15.0cm 横掛ノートに横書き

p2

2月21日
府中市浅間町4の1 斎藤病院入院。岸主任。渡辺、山田、大塚先生。毎夜睡眠剤。

2月22日
2月23日
2月24日
2月25日      記載なし。
2月26日
2月27日
2月28日

2月29日
ブドー糖 36.3℃ 食欲なし便秘4日目。
同室土淵君(23才)よく食ひよく眠る。下剤3錠のまさる(14:30)効き目なし。

3月1日(日)
礼拝日。山田看護婦に灌腸さる。入浴、10分ですませば昼食。

3月2日
悠紀子来り、大塚dr.に5日間の帰宅たのみゆるさる。
小金井よりのbusにて帰宅。西角桂花先生より礼状。聖心の謝恩パーティに欠席の返事。福島恵美子に早く返せと。
成城図書館に貸出し書目しらせと。
坂口允男君に心配の礼。青木儴二(4E)に就職祝。中野書店へ「あす9:00ごろ来てくれ」と。

3月3日
中野17万。よべ不眠にて不安、ユを促して三鷹へ出、駅で30分待ち蛇窪の病院に帰る。
院長来診、梅よしといふ。大塚先生にものいへば心配いらずと。

3月4日
よべ睡眠薬きかず2本め飲ませてもらふ。

3月5日
入浴。隣床の土淵君、わがせいでなきかといふ。
しゃっくりとまらぬをワタナベ看護婦につれゆけばカンタンに止まる。

3月6日
11:00ユ、菓子を多くもち来る。原dr.問診、15:00下剤をもらふ。ききめなく山田女史に灌腸(明日の)たのむ。

3月7日
夜、せき出て眠剤のみて2時間後おき、あとねむらず。
院長来院「自覚より他覚の方早し云々」。そのまへ原dr.に[schrock]療法受けし也。
けふ雨、午后より。22:00再び眠術もらひて眠る。

3月8日(日)
(礼拝)讃美歌集もつるをはじめて見る。内藤子爵令嬢といふもあり、入浴。夜、8:00睡眠薬のむ。
3:00ごろ再びもらひにゆきしもきかず。

3月9日
ユ来る。「一度帰宅といふことにして退院せしめることをたのむ」と。大塚dr.は「早すぎる」と也。
浣腸そのあと下痢2回。

3月10日
朝よき便出る。院長午后突然来院、われ苦笑して不眠のとれざるのみいふ。土淵君の母来り、退院申出しもきかれざりし様子。

3月11日
ユ16:00すぎ来り、ともに大塚先生にゆき1週間後退院と決める!

3月12日
同室の土淵君、母と外出、土曜日までと。

3月13日
ユ来り、食欲出る(但し便秘)。岸主任事務室にて診断書送り返された由云々、18:00すぎ看護婦室へ電話たのみにゆきしも相手にされず。

3月14日
清水君とて対室の人、外泊より帰り来る。院長来り、わが快調を喜び玉ふ。土淵君19:00帰り来る。

3月15日(日)
午前入浴。あす退院の田村氏・清水氏と話す。岡日呂志なる老人、眩暈せしとて心配す。国領といふの暴れて眠らさる。

3月16日
田村氏退院。ユ11:30来り、事務へゆけば請求書。要求の返送なりしと。大塚先生「退院いつにてもよし」と。
夕刻、院長来る。国領けふも眠らさる。

3月17日
あす退院とうその如し。内藤嬢「ワセダを出し」と。(父君にわれ、丸の紹介で会ひしことあり)

3月18日
Arbeit中、ユ来院、退院許さる。大塚先生に3千円、婦長2千円、岸・渡辺・山田3看護婦に2千円お礼し、taxi呼んでもらふ。
払ひ合計(2.21-3.18まで10,962)。taxi代580円。帰宅、向島君子夫人に歌集のお礼。
三鷹まで散歩せしに中村書店(※中野書店?)にはわが売りし本ほとんど見えず!
(大に電話し、北さんへの礼、相談す)。夜、入浴。賀代女史より「統夫宅があくが入らぬか」と電話。

3月19日
ハガキ4枚かき、武井「山田君江とその中見舞に来る」と電話きく。宮崎昭子、西島寿一にハガキ。
午后散歩かたがた山田俊雄氏を訪ね翟灝の『通俗編』の図書館へ返還たのむ。
ついで中西進氏の転宅先ききにゆき、祖師谷(※省略)ときく。
西荻窪まで歩き古本屋見しも何もなく『文藝春秋新年号(20)』買って帰宅。高田宣武新婚旅行中のたより。

3月20日
(春分の日)夫婦とも10時に起きる。昨夜喘息性の発作ありし。
畠山六右衛門氏に「重光君入学祝に字引贈る故4月10日すぎよこせ」と見舞の礼状をかねて手紙かく。
中西進氏へ「新唐書16冊とりにゆく」とハガキ。楫西光速博士死去、58才と。(※省略) けふ苦心して排便す。

p3

3月21日
よべも喘息で苦しみし。ユ、成城へ手当もらひにゆくにつき『旧唐書』、『隋書』、『満洲国礼俗調査彙編』返却にゆかす。
本田喜代治先生より成城高校へ来年お孫さん入学についての御相談あり。16:00ユ帰り来り、散歩す。

3月22日(日)
(礼拝)ユのみゆきわれを行かしめず。栗山・大藤2教授に前期休講継続の願書かく。西宮一民氏より見舞状。
13:00出て関まで散歩、busにて帰り『日本列島(75)』買ふ。
留守に中西進氏より「借りた本みな返した」と電話ありしと! 京けふもArbeitにゆく、をかし。

3月23日
藤田福夫氏へハガキ。13:00出て柏井、『歌日記』俊子姉へもと托す。「統夫の家、間貸しにする案あり」と。
歩きて西荻窪。夕食時、杉浦母子見え「洋間あいた」と。母より「あす羽田へ林トシヲ迎へにゆく」と電話。

3月24日
本田喜代治先生に電話すれば「けふ午后来よ」と。白鳥奥様より「令孫上智へ入った。先生左手動く」とのおたより。
高田瑞穂氏より「一度会ひたし」と。長沖氏に見舞の礼かき、本田先生にまいれば「西高校と成城とを受け、両方通れば成城に」とのお話。
伊達守雄氏ご存じとのことに大体申上げ、柏井歯科をへて帰宅。

3月25日
雨。夫婦にて斎藤神経科にゆき。喘息止め入れの睡眠剤たまはる。東横dept.より北杜夫氏にbeer1打贈る。
渋谷にては母のみにて、すし食ひ『歌日記』の受取見る。
京に留守せししめしも〒なく、電話もなし。夕食後、松村達雄氏に電話すれば「大阪にゆきゐる」と。
中西進氏より「みな返した」と。(日記見れば7月8日返却のことも記されあり!!)。西島壽賀子より退院祝。

3月26日
晴。松村達雄氏に電話すれば「クビの心配なく全快祈る云々」。中西進氏よに失礼のわびいふ。兼頭生へもハガキ。
横山薫二氏よりも「不眠入院1年近かりし」由。さっそく返事。
柏井歯科へゆき高田瑞穂教授に電話すれば「4月6日より関西旅行」と。「その前あそびにゆく」といふ。
(※省略) 排便あり、湿疹かゆし。

3月27日
9:00目覚む。10:00すぎタカ子の結婚式にとユ、出てゆく。4畳の本みな4畳半に移す。『新唐書』見つからず。
14:00より15:00散歩の間に小金井の青木といふ人「あす来る」と電話ありしと。
(※省略) けふ阿南君より見舞のハガキ。澄夫妻より京の入学祝の鞄、三井銀行へもち来り「15日また上京」といひしと。

3月28日
喘息なほらず昼寐す。珍し。高田宣武へ祝ひ状。昨日の電話は古本屋の青木氏にて喘息をいひてことわりし由。
4月8日般若園で佐藤先生の会「病気にて速達で断りし」と。
(※省略)

3月29日(日)
復活祭なれどユに止められてゆかず。青木直樹氏来り、菓子賜ふ。『末摘花』など2千円でもち帰り貰ふ。
そのあと15:30本間・猿渡・川本の3副手、三野生を案内し来る。(海苔呉る。毛受の結婚式に出る由)。
相良先生停年とて『富岡鉄斎』2冊返却し賜ふ。福島恵美子生「阿佐谷の親類とは古谷綱正氏にて卒業式にも出ざりし」と。
4生とユとにて深大寺へゆき写真とり、ソバ食ふ。(※省略) 
都留純也、阿南惟敬氏へハガキ。(丸・正宗2生卒論不提出と)。

3月30日
10:00出て松村達雄に礼にゆく。そのあと成城図書館に返却にゆけばまた2冊不還出て来る。『清俗紀聞』5は研究室にあり。
鎌田、本間、前田課長に挨拶せしあと、高田瑞穂邸にゆく。帰りbusにてのりかへして帰れば斎藤宗吉dr.(※北杜夫)より礼状。
井上典子司書より『通俗編』返ったと折返しハガキ。(※省略)

3月31日
7:00起きだるし。9:00出て斎藤先生。北先生ではなかりし。
「9月頃までに瘉りたし」といへば「瘉るでせう」との事なりし。睡眠薬代請求され200円借用し渋谷。大をりし。
母より1千円借り、渋谷の古本屋見て『Creation myths of the Formosan natives(80)』買ひ<
道玄坂にて四鏡(2万円)(※『大鏡』・『今鏡』・『水鏡』・『増鏡』)買ひし。腹へらして吉祥寺駅前にて鰻飯(230)食って帰宅。久保靖彦 「札幌へ住んだ」と挨拶。

4月1日
食欲なく9:00、busにて成城。図書館へ『清俗紀聞』返せば『新唐書16』こぼれてありと。
喜んで『Biblia』事務室へ寄贈し、百瀬甫先生訊ね訊ねしてゆけば御在宅。『歌日記』贈りsemiその他にてなほ通学と伺ふ。
Sandwichとcoffee(180)とりてbusにてまた帰宅。(※省略)
ユと荻窪より歩き、ユは田中家(※俊子姉嫁ぎ先)「咸子あと2年留学、離婚談はけふつける」と。
我、柏井にて治療受け、岡田次女(村田芳子夫人)に昭和20年より19年ぶりに会ふ。(※省略)

4月2日
太田常蔵君、見舞に来賜ふ。写真とり雑炊くひてbusにのれば財布忘れをり、あはてて下車。(※省略)
図書館に『新唐書』返し「当分来ず」といひ、またbus。吉祥寺に出て帰宅。

4月3日
(※省略) 昨夜久しぶりに睡眠薬をのまず。
移転せし不二歌道会へ「14士へとでも」と2千円もちゆく。河野・長谷川・鈴木夫妻に遭ふ。(※省略)
本間生より「あす渋谷でクラス会す」と。ひるね中にて出ると答ふ。(夜、川本生よりも同じく「池辺・大藤・今井の諸氏も出る」と)。
和田賀代女史より「統夫6日赴任」と。ユ、咸子送別に出しあと也。電話せよと。
20:20田中家へ電話し、ユに「そこより電話せよ」といひ、咸子に「ムリすな」といふ。
(けふ丸に電話し「訴訟の礼のこと西川にでもいへ」といふ)。

4月4日
鶴崎祐雄より「関大の東洋文学科へ入った」と!15:00出て阿佐谷。和田統夫夫妻に会ふ。汚き家なれど貸しくれる様子。
ついで隣の船越こせん伯母に遭ふ。出てbusにて渋谷。
17:15ボングーといふへゆけば、大藤・池辺2氏すでにをり、川本・猿渡・三野・長沢・根岸・本間・松島・丸・山田・越智と10人の男女あつまりをり。
料理旨く、池辺君に「完全になほれ」といはれて帰宅。
亀井昇より電話「あす鎌倉へゆく」といひてすむ。名古屋の澄より「第3席となりしこと高垣より報せといはれし」と電話ありしと。
賀代女史より牛乳のこと。

4月5日
毛受順子へ祝電打つ。久しぶりに礼拝にゆく。笹淵博士、田口、小室諸氏と挨拶す。福島生母より礼状。(※省略)
高校選抜見了へて出、鎌倉にてうなぎと天丼(550)。手塚部長に電話し、お賀代ちゃんへ電話きき、入浴。
西洞院淑子より「上京中、しっかりしろ」と電話。(三好達治、狭心症で死)

4月6日(日)
8:00出て野草とり八幡宮。一旦帰りてひるねし(ラーメン食ふ)、15:00出て小坪までのbus探しまはり、阿南惟敬氏訪へば登学と。
電話かけたまひしも通ぜず。夫人の写真とり、大町へ出て古本屋見などして疲る。

4月7日
10:00鎌倉駅より乗車。我は斎藤神経科。茂太先生に好調いひ、荻窪よりシブヤに電話し、ライスカレー食ふ。
『果樹園98』来をり。山口書店、保田のことききに来しと。仁井田博士の還暦祝4月19日と。三好達治氏の葬儀あすと。
ユ帰り来り、林俊郎夫妻の不孝をいふ。大も三好氏の葬儀にゆかざる様子。集英社の及川氏(※及川均)よりシブヤに電話ありしと。

p4

4月8日
雨。集英社へ電話すれば薄井氏出て、(※漢詩大系『白楽天』)5月『唐詩選』の次に発行と。
神田信夫氏より見舞状。礼状かく。亀井昇、西洞院淑子2生へヱハガキ。

4月9日
雨。畠山夫人より「依子に見舞たのまれたが云々。重光フランス語とる」と電話。(※省略)
ユ、教会の婦人会の申送りにゆき、和田家へ引越し手伝ひにゆく。京、けふより吉祥寺女子高校へ登校。福島富士子氏へハガキ。
千草より電話「あとへ入らず」と。(※省略) ユ17:00帰り来り、「修繕すむまで家賃いらずと統夫はいひ、妻は金ほしがった」と。

4月10日
ユ、三鷹の銀行をへて阿佐谷へゆく。われ白水夫妻の電話まちしもかからず、写真もちて(※阿佐谷の家に)ゆけば汚しとも汚し。
ゴミもやし、賀代女史の昼食するところにて船越母子の写真とり、中村屋でrice-curry食へば(200)、14:00なり。
ノリヒコ君と『独和辞典(950)』祝に買ひ、写真現像たのみて帰宅。
18:00白水夫妻来るとのことに、フジヲ君に「あと貸すや、条件考へよ」といふ。(※省略)
19:00白水夫妻来り、「9500にて(※田中家退去後の)西側に入る」こととなる。気持よし。
涌井千恵子へ「5月に来よ」と返事。

4月11日
よべ睡眠剤のみ(3:00)、10:00起く。朝食させユ、阿佐谷へゆく。われ額二つもちゆき、家具屋の下見に来るに会ふ。屑屋来り140にボロを売る。
船越嫗カステラを御馳走し賜ふ。15:00出てIcecoffeeのみ、帰れば畠山重光君「蜜1瓶もち15:00ごろ来し」と中西令嬢。
入浴。このごろ元劇俗語方言をcardに作る。(手紙類の整理をせし)。

4月12日(日)
礼拝にゆく。畠山重光君より電話あり「12:00またかける」と。
史より「5日付で本省に戻ることとなり12日(けふ)帰京」と。(※省略)
園克己氏より共立女子大卒業生の問合せ「関係ありと坪井に聞いた」由!
17:00畠山重光君来り、『フランス語中辞典(1,000)』祝にと贈り、夕食せしむ。26日の転居手伝に来てくれると。
明和産業より見積(畳22,125、襖26,400、屋根24,000、瓦13,710、その他にて121,665)。賀代女史に電話す。
鶴崎祐雄へヱハガキ。21:00史帰宅。「大江にも寄らず」と。煙草Pall Mall、1箱呉る。

4月13日
よべ1:00にねて10:00起床。阿佐谷へゆく。15:00すませて天沼の俊子姉にゆき、「数男に19日にゆく」といふ。
明和産業といふにゆき5万円を22日に払ひ、26日移転といふ。(※省略)
史の荷物つきをり。(※省略)

4月14日
9:30出て斎藤神経科。茂太先生に快調申上ぐ。睡眠剤は強くなき由。
渋谷にゆき母に「丸への礼にせよ」といふ。ルリ子より衣類5点送れとの年賀ハガキ来てをり。
林叔母とよめとの話きき、スパゲティ食べてbusにて阿佐谷。1丁目にて降りればまっすぐ也。
200の散髪し帰れば「5分前に田上由美子来し」と。(※省略) けふは始業の日なり。(※省略)
夜、澄より電話「高垣、会ひたしといふ」と。「20日頃上京」と。(「佐々木六郎は東京へ転任しをり」と)。
青木母より「お嬢さん、世界のムードをゆく」。

4月15日
教へ子たちに礼状かきしてゐる中、突然青山定雄博士来訪。「大変よくなった。後期より聖心へ復職ささん」と。
すし食べていただき出てゆけば郵便局前で飯倉生に遭ふ。
阿佐谷にて、燃しまづ済み((※前住者が飼っていた)猫はきのふ捨て、犬はけふ引かれゆきしらし)、15:00数男にゆき歯直してもらひ帰宅。
依子よりけふ20:30帰宅のハガキ。園克己氏より「ともかく4年間の下宿しらべてくれ」と速達。
悠紀子迎へに出しと入れちがひに依子自動車にて帰宅。鈴木俊氏へ還暦記念論文集に書けざるわび状。(※省略)

4月16日
朝より大川周子・飯倉紀子の2人にて花扇もち来る。ユと依子とは阿佐谷へゆく。
12:00ともに出て井の頭公園にてソバ食ふ。(※省略) 柏井歯科へゆき亀井昇、河野岑夫のハガキ見る。
(筑摩の中島君より電話「『中国悪女伝』にす。6月半完成」といふ)。(※『中國后妃伝』のこと)
坪井明にも転居予定をかく。宮崎智慧(※宮崎智恵)、鹿熊猛へ同。

4月17日
10:00出て阿佐谷。紫檀の机の足まで燃やす。昼食にpâo食ひ、柏井歯科。光一入学祝に独和辞典(950)もちゆく。
広島バルカノンより「29日に11周年の会する。出席せぬか」と。本間、阿南夫人、松村達雄、三野裕子、四條治代の諸氏に写真包む。

4月18日
10:00前、阿佐谷へゆけば畳、フスマ修繕に来てをり。古畳6枚をユと街角まで捨てにゆく。
12:00昼食して柏井歯科。
河野岑夫よりクッキー1箱来る。礼状かく。

4月19日(日)
礼拝にゆき総会に出る。長老5人再選。13:00柏井にゆき光一の入学祝。
高沢叔母、和田賀代、田中憲三郎夫妻、タカ子、ミツ子とわれら親子4人(史はすでに退席しをり)、岡田父君の従卒といふが来合はす。
賀代女史29日に阿佐谷へ来ると。丸に電話すれば請求書われあてに送ると。羽田明君より「夫妻23日出発」と(※パリ日本館館長就任)。
松本(※松本善海)に電話せしに20日上京と。上田勤氏の名、思ひ出せず松村達雄君にきいてわかる。
『パアゴラ』3冊。(※省略) 21:00竹内家に電話すれば「依子あす参る」と。

4月20日
紙屑屋来て160円でもってゆく。そのあと阿佐谷にゆき、昼食してハガキ350枚買ひ、赤川草夫氏に転居通知の印刷たのみにゆく。
「末男家出して行方不明」と。帰り上田勤氏に電話かけしもかからず松本にいへば無関心の体なりし。
しるこ食ひ、上田夫人にきけば「あす夜つき、あさってはHotel泊り」と。
帰れば集英社より挿絵の説明ほしと及川氏より電話ありしを史ききしと。鍛冶、西洞院2生より見舞状。

4月21日
9:00すぎ出て斎藤神経科。10:30ごろ着きて12:30まで順番来らず。明日再来をいって都電にて神保町。
Rice-curry食ひ共立女子大へゆけば、高橋邦太郎教授あたかもすみしところ。久保田靖子嬢のことすでに産経記者しらべに来てをり。
出て「サンダル」といふにてcoffeeおごられ「船越章君も云々」とはじめてきく。
別れて集英社「挿絵の説明今週中に。月報の書く人も同」と約束し、近藤教授(北大と)といふに会ふ。
中教出版社にゆけば小山正孝君「小野忍教授にたのめ」と。礼いって出、帰宅。
(高橋氏より羽田の学生会館関係の送別会19:30よりありときく)。
宮崎智慧氏よりさっそく執筆依頼。阿南夫人より礼状。護雅夫氏より「25日14:00より会する」と。
松山嬢(交換手)筍多くくれる。史、同僚の印刷2人分たのまれ来る。園克己氏へ速達かく。
悠紀子、成城大学へ月給とりにゆき「渡辺氏といふが退職金もらひゐし」と、二郎博士か?
竹内好に電話して小野氏のこといへば反対。20:30上田家へ電話すれば昌ちゃん出、ついで奥さん「日程つまってゐるから明日電話する」と。

4月22日
羽田の奥さんよりユに「あすHotelにて」と。われ出て斎藤神経科。今日は空いてゐて一番に診察。
すみて新高円寺にて下車。史の同僚の移転通知2本を赤川氏にたのみにゆく。
明和建設に52,800わたし、あと11月までに分割払の証書を出す(和田統夫名義)。
途中で昼食し、柏井歯科へゆき、帰宅すれば『満文老檔Z』と福島母よりの手紙来をり。
(羽田に電話せしに「あす午后あきゐる」と。松本に電話し「あすまた聯絡する」といふ)。

4月23日
朝起きれば羽田夫人より「16:30〜20:30まで五反田の『生駒』にゐる」と電話ありしと。
ユ、婦人会にとゆきしあと留守し、(弓子欠勤して阿佐谷にゆく)、本間厚子と田上由美子2生の手紙見る。
13:30出て柏井。それより東方文化研究所に松本善海を訪ぬれば「奇病にかかり8月より休みゐし」と。
羽田にゆくこととなり、新開通の地下鉄にて恵比須『生駒』にゆけば夫妻とも忙しく、
松本まづ帰り、われら残り、令弟、上田夫人、阪大山田教授らと夕食す。
(けふ東洋文庫の後藤氏に電話し「土曜欠席」をいふ)。帰り運送屋のため地図かく。

4月24日
藤原さんに礼にゆく。ユ、沈香花(※ジンチョウゲ:沈丁花)もちて出しあと『白楽天』挿絵の説明かき疲れ、集英社に電話し「14:00ゆく」といふ。
14:00すぎ途中にてユとゆきちがひ(鎌田女史より「旧文芸部長室へ本みな移した」と電話)、集英社。
神田喜一郎先生・川口久雄・太田次男3氏の名あげ、山本にて『酬世儀礼(150)』、大安にて『唐代文学(150)』買ひ、
それぞれ転居通知し、山口書店にも同(『戦後吟』はじめわが本もあり浪曼派の本多く並ぶ)。
国鉄にて帰れば白水夫人より「畳表もって来る」と。20:00来り、20:30帰りゆく。
(けふ藤原夫人に挨拶にゆく)。武蔵野、杉並郵便局へ移転通知かく。

4月25日
曇時々雨。運送屋10:00来り、3回往復してくれる。あとで「1回1千円としてくれ」と(PallMall1箱与へしのみにて昼食出さず)。
ラーメン14:00食べ、ユ帰り来しにより本詰め、風呂焚き、焚火す。
夜、畠山重光に電話し「あす9:00よりのArbeitたのむ」。ノリヒコ君にもたのむ。
けふ洗濯屋と保険とにあすよりの転宅いふ。

4月26日(日)
礼拝休み。運送屋まてば11:00来る。畠山重光君とノリヒコ君との2人に手伝はせ往復4回(昼食すし食ってもらふ)。
16:00すみ、白水夫人にあと引渡して阿佐谷。史、京は自分のもの片付けをり。
くたくたになり丸三郎に電話すれば「土曜発信せし」と。
船越家より赤飯たまふ(あとにてきけば「統夫の犬の餌にと置きし金の残りにて作りし」と)。睡れず睡眠薬のむ。(※連れてきた)猫鳴く。

4月27日
赤川草夫氏に電話し、移転通知とりにゆく。「田中克巳」としあり(600円)。
堤康次郎氏死に、子16人と。操夫人(※大伴道子)の苦労察するに余りあり。帰宅ぼつぼつ通知かき、午すぎ柏井歯科。
『金鈴塚(100)』買ひ本棚一つくみたて、渋谷に電話すれば「猫のかご返せ」と。夜「二」まで書く。

4月28日
斎藤神経科へゆき茂太先生に証明書いただく。この二日間睡眠薬を用ひし。猫、夜うるさきも一因なれど疲れし也。
帰りて戸田謙介氏にハガキ10枚もちゆく。他の10軒はユ、廻りし。けふ移転通知かき了り少し余す。
青木直樹氏、戸田家の帰りとて寄る。これ新居の第一の訪問者なり。けふ本棚の2つ目を組立つ。

4月29日
晴。朝より本棚作りなどし、午后三鷹浅野家へ挨拶にゆけば夫妻とも不在。
中西家に15:30ゆき白水夫妻未着なるを知る。花掘り、郵便物受取る。
丸より「礼として2万円貰はん」と。兼頭淳子より「4、5、6の3日を空けよ」と。
(けふ園克己氏より「西寛治氏にしらべさした云々」)。赤川氏、午前10:00来て史の同僚の移転通知(900)2種もち来る。
夜、和田賀代氏来り、立替の52,600返却さる。猫放せしも午、帰り来る。

4月30日
久しぶりに陽の光見るも寒し。朝、小西秋雄、海老沢有道2氏より、午后榎一雄氏よりハガキ。柏井歯科へゆく。
ユ、痔わるしとて不快。専ら『醒世恒言』のcard作る。(大に電話し、丸への礼のこといふ)。

5月1日
雨。タバコ買ひに出しのみ。浅野建夫dr.より注意状。(※省略)
丸三郎、白鳥きみ子、増田忠、相野忠雄、石田幹之助の諸先生、諸友、諸生より転居通知の返事。
船越小母、これん母(※実母)を悼む政一郎小父と父との短冊賜ふ。史、タバコ呉る。和田文子母子より挨拶。

5月2日
11:30散髪にゆく。涌井千恵子より4日の「ひびき」で来ると。澄より新聞記事の切抜。
川本静江、高橋重臣、川村欽吾、浅野晃、植村清二、小高根二郎、鍛冶初江の諸氏よりたより。(※省略)
柏井歯科へゆき帰宅すれば芳野清氏、ややして林叔母、難波和子母子にて来る。
弓子、裏磐梯へと出てゆく。そのあと渡辺道夫君来り、22:30まで話しゆく。

5月3日(日)
礼拝にゆく。聖餐式あり。すみて白水にゆきみれば、ちづ子君、神経痛と。
三野裕子、前田(毛受)順子、松浦翆、堀ノ内歴、西川英夫(ニューヨークより)の便と、高田宣武より茶1缶。
岩田信次氏より『続望羊』、角川より(※『ハイネ恋愛詩集』)19版22,954など来あり。
三鷹駅への途にて明大生の定期券拾ひ、駅へ届け、浅野建夫dr.に電話す。「クラス会やれ」と也。
帰れば田代継男(朔太郎忌には柄わるかりし故ゆかずと)、石山直一(豊中高校に転任と)、千川稚泉、沢田直也(島稔と仲直りせしと)、高田宣武、岡田和枝の諸氏より便り。
夕方、時間表(※時刻表)買ひにゆく。けふ本みな片付け了る。

5月4日
11:00柏井歯科へゆく。(よべ少し痛みし)。帰りて14:30、阿佐谷駅にゆけば涌井、兼頭2生16:30頃着く。
連れ帰りて17:30中村屋へつれゆきライスカレー食べさす。今夜とあす泊ると。
(京、朝より発熱。学校休み医師迎ふ。脱肛は篠原病院へと紹介さる)。
神田喜一郎、宮本正都、藤井通雄の諸氏よりハガキ。(『武蔵野案内記(50)』)

5月5日
(休)8:00起き、2生と9:00出て横浜へ電話かけるを待ち、吉祥寺。井之頭公園より三鷹へ歩き、小スコウプ買ひ多摩湖。
村山、山口両湖の中間で昼食。Busにて立川に出て高尾山にゆく。
曇時々雨。展望台へゆかず、帰れば今度横浜へゆくといふ。阿佐谷駅前ですし食はせ送り出せば服部三樹子氏来訪。
高坂清元、高原弦太郎、富永次郎(「近々会ひたし」と)、木村繁喜、坪井明の諸氏より便り。
和田文子より「統夫6〜8日上京、一日位泊るやもしれず」と。弓子ヱハガキもち裏磐梯より帰宅。
けふ『週刊新潮』にて堤操夫人の立場よむ。

p6

5月6日
9:00すぎ出て地下鉄より栗山博士に電話すれば「今日あいてゐる」と。「来週水曜ゆく」といふ。
斎藤dr.に10日間の薬もらひ、部長にあふこといふ。帰りbusにて柏井歯科。
松田の子、学士院の同窓とけふ結婚式、俊子姉と尚子とゆくと。帰りて昼食。
野田宇太郎、原口武雄、木村三千子、坂口幸子諸氏の便りみて、赤川氏にまた転任の通知たのみにゆき、
『文藝春秋』、『むかしばなし(50)』買ふ。後者はdoubleをりし。
(高田宣武に礼、加藤隆子に「披露宴に出る」との返事出す)。
ユ、篠原病院へゆき「入院の必要なし」もいはれしと。壁の塗料買ひ来しゆゑ、塗ればきれいになりし。

5月7日
佐藤春夫先生仕事中に急死されしと。大伴道子(堤操)夫人にやっと弔状かく。富永次郎氏へ道筋かく。船越章ちょっと来る。
午、兼頭・涌井の2生来り「今夜泊めよ」と荷物おきゆく。柏井歯科へゆけば9日夕、岡田の父上に会ひに諸妹集まると。
和田統夫、夕食後来り(その前に涌井生、葛山夫人(旧山田為久子)連れ来る)、憐れなり。

5月8日
林富士馬氏に「お通夜にゆくべきや否や」電話できく。厭人症承知、受付は庄野潤三君とのことにゆくこととす。
(2生9:30出てゆくを地下鉄入口まで見送る)。
13:00出て高島屋の青木大乗展にゆけば母上をられ、「母(モト)嬢昨日下阪」と。すぐ帰り来る。けふ丹羽千年よりハガキ。
郵便局より転居承知とならん通知送り来る。

5月9日
堤操夫人、前川佐美雄の師弟より便り。16:00出て柏井歯科。岡田志紀氏へと土産ことづけ、新宿までbus。
「二光」でさしみ飯食ひ、目白より歩けば蔵原伸二郎に遭ふ。尋ねて佐藤邸につけば、受付に尾崎秀樹氏居り、記帳して御花料(5000)置く。
焼香(両陛下よりの供花あり、先生喜び玉ふらん)のあと、竹田竜児氏に「和田先生と春夫先生とで師なくなりし」といへば「2階に保田らをり」と。
出て林富士馬、高鳥賢司と話して帰る。
赤川草夫氏、史の同僚の転任通知もち来る。このごろ『醒世恒言』をもっぱらやる。

p5

5月10日(日)
夫婦とも礼拝にゆかず。母の日とて午后母に電話すれば「21日調停裁判の呼出しあり。丸さん不熱心」と。
15日に林叔父叔母と来るや否や問うてくれとたのむ。
井上多喜三郎、姜照美(京城より)、川久保悌郎、田村春雄、白鳥芳郎の諸氏よりたより。
満蒙資料研究会より「13日16:00より読書会やる」と。夕方、思ひ立って丸宅へゆく。(※省略)

5月11日
よべ3:00までねられず(睡眠剤きれをり)。9:00起き14:00昼食して柏井歯科。(図書新聞の安田氏来り、竹内好君の高校時代を語らす)。
『果樹園99』、『婦人公論』など来る。夕方、白水夫人あらはれ郵便もち来る。(※省略) 中西家ガスプロにせしと。
(千草来り、「青木嫗倒れて鷺宮にあり」と。ユ、渋谷に電話すれば「15日林叔父叔母も都合よろし」と)。
けふ岩田信次氏へ著書の礼状かく。

5月12日
睡眠剤なくなりし故、斎藤dr.にゆく。少し強きのをと8服たまふ(船越へ母より電話「青木嫗死にし故、ユ行きくれよ」と)。
12:00前やっと診察すみ、急ぎ帰り昼食。柏井歯科へゆけば岡田志紀老をられ、静岡の話とZeya河(※アムール川支流)に征戦せし話承はる。
涌井・兼頭・葛山3生よりそれぞれ礼状。花井夫人「2度目の妊娠」と。浜田恒代夫人「夫NewYorkへ転任」と。
(けふ病院より西川夫人に電話し「無事帰国」ときく)。田川孝三、、松村達雄、岡本和子諸氏よりそれぞれ便り。
「鈴木俊氏の還暦記念祝、6月末までに2千円以上」と。ユ17:00出てゆき(土山邸)、密葬し17日本葬と。

5月13日
8:30栗山夫人に電話「午后来よ」と。鍛冶初江氏(昨日奈良うちわと菓子賜ふ)に礼状。柏井歯科にゆく。歯根腫れたり。ヒロ子(尚子の妹)に遭ふ。
12:00出て青山邸に寄り夫人に会へば近々またお見舞するつもり也しと。恐縮して御長男へSportShirt、砂糖2キロ贈り、
栗山邸へゆけば「年末まで休め。あと1〜3日坐りに来て、あと1年兼任講師」といふことらしかりし。
聖心後期のこといへば「断れ」と也。わが「本はみな庫に入れあり。夏休には洋行」と。
知らぬ顔して登学、前田課長に研究室のカギ返し、図書館にて俳書4冊、栗山博士の許にあるをいへば「その通り」と。
今井講師の歩くを見て挨拶し、研究室へ案内される途、牧野副手にあへば、松崎君やめ妹来てゐると。
矢野に会ひ「父によろしく」といひ、本多副手にきけば「鈴木睦美婚約せし」と。
大藤氏に会ひ、講義といふに出て駅で前田代議士の娘に会ふ。「赤羽に住み、子供生れて4月」と。
大地堂にゆけば「note忘れてなかりし」と。これにて帰宅。
伊藤徳「停年退職」。(※省略) 夜、春夫先生のお言葉radioできけば「幸ひに(無関係とて拘引されずと)」が絶語なりしこと判る。
けふ田川博士に電話して「研究会この次出る」といへば「出られますか」とおどろいた様なりし!歯痛む。

5月14日
柏井歯科。「岡田翁きのふ静岡へ帰り玉ひし」と。野崎その生へ菓子のお礼。
午后、難波和子にあすの案内たのみにゆく。夜、雨。けふ『基督教の起源(40)』買ふ。
佐藤方哉氏より「春夫先生の香奠、鴎外記念館に寄附す」と。

5月15日
9:30柏井歯科「歯はあす抜く」と。帰りて大阪ずしbeer等買ひにゆき、12:30母、林叔父叔母、こせん小母とそろふ。
「甚城祖父、岩屋で南海屋とて北海道の物産扱ひしあと、芸者屋やりし」と。こせん小母の話。
15:00にて散会。筑摩より本代12,590の請求。田中万里子より「2年間アメリカで勉強する。本も出す」と。
青木サケ嫗の葬儀にわれゆかぬこととす。

5月16日
朝、柏井歯科で奥歯1本ぬいてもらふ。伊藤徳子に「(※実母)これん記念祭は9月末か10月4日」とハガキかく。
午后、柏井へまた薬もらひにゆく。けふ〒なし。珍し。京、遠足にとゆく。

5月17日(日)
礼拝にゆく。ペンテコステ(五旬節)なりし。転会の少女4代目と竹森先生のご紹介。
すみて青木サケ嫗の葬儀に渋谷の母の許へユゆき、われpâo買ひて帰宅。
全田の叔母、体わるしとて手紙。白水夫妻、奈良尚(定期拾ひやりし礼)、鈴木敬子、西川英夫、千川稚泉より便り。(※省略)

5月18日
柏井歯科へゆく。帰って昼食。白鳥清先生のお見舞にゆけば坐ってをられ、「両手両足とも動く。右の方が不自由」と。夫人は田園調布なりし。
(渋谷駅階段で大藤氏に遭ふ)。渋谷で『濁水渓(20)』買ひ読み了る。〒なし。(※省略)
筑摩の中島大吉郎氏来りをり、6月末までに書け、『史記』訳本は送ると。借金の中1万円を托し見合を承知せしめし?!


昭和39年5月19日〜昭和39年10月31日  「欠記」
25.3cm×18.0cm 横掛ノートに横書き

p7

[※先頭ページ一枚、破れ残りの痕跡あり。]

遺言
まだ頭のたしかな中にかいておく
われは三位一体の神を信ずる
われは今度の発病がわれがためなりしことを信ずる
しかもわが関係学校ならびに学生に心配をかけたことを申しわけなく思ふ
悠紀子よ 汝は善き人であり良き妻であって最後まで私を愛してくれた
4人の子よ その中の3人はすでに成人したが 母を扶けて京を一人前にしてとって下さり
わたし[は]悪い父だったが その性質のいく分もなんぢらに及ばさるを望む
大江の叔母さま ユキ子を助けてやって下さい
大よ 体を大切にし 母を大切にして下さい
数男君 おろかな姉ユキ子を助けてやって下さい
2月17日
申しわけなき罪人 克己(今は赦されたり)

5月19日
9:00すぎ柏井歯科へゆくみち、Seoulの姜照美に航空郵便出せば30円。他に南陽夫人、田中万里子生へヱハガキ。
(※省略)
「森田先生、雪ケ谷教会の牧師となり玉ふ承認せよ」と教会より。
全田喜美子叔母へ見舞状。午后畠山博光君来り「いまの下宿気にいらず」と。夕食せしめ送り出す。

5月20日
斎藤dr.にゆく。茂太先生に来年よりの非常勤講師と悪女伝(※の執筆・出版)いふ。
Busにて阿佐谷。筑摩より1万円の受取。集英社より『漢詩大系』のビラと送り先しらせと。
薄井氏に電話し、あす人よこせといふ。(神田博士「神田本について」書き玉ひしと)。
船越章君来て東邦大学講師の口あり、ゆくつもりらし。

5月21日
柏井歯科へゆく。数男胆石にて苦しむと。次は月曜に来よと。
依子より便り「賃上げ斗争未解決」と。(けふ集英社より住所録借りに来る)。ユ、5月分手当とりにゆく。

5月22日
柏井歯科なしとて10:00出て三鷹の浅野dr.に報告にゆく。coffeeのまさる。帰り駅より竹内夫人に電話し、「6月名古屋へゆく」といふ。
午后またcard作り。夕食後、渡辺氏にこの間の礼に菓子もちゆき、ついで松崎嬢に退職祝もちゆく。俊子姉、数男宅へ寄りて21:30帰宅。
『朝鮮地名姓便覧(100)』買ふ。

5月23日
午前中散髪。〒なし。筑摩の中島君に電話すれば「史記送りし筈」と。スワへ「5〜7日ゆく」と手紙。

5月24日(日)
礼拝。森田副牧師、雪ケ谷教会にゆくとて臨時総会。すみて帰ればチクマより『史記』2冊。
『民間伝承』も送り来りあり。戸田夫人に500もちゆく。

5月25日
雨。柏井歯科へゆく。次はあさってと。(※省略) 世間一般にのろし。チクマより『諸葛孔明』もらふ。
牛尾三千夫氏より「上京する。大藤氏によろしく」と。「呂后」を20枚ほど書く。

5月26日
けふは寒し。ユ、渋谷へゆく(あとにて無人なりしといふ)。(※省略)
丸屋市川にゆき『韓非子鈔(20)』買へばdouble。夕方、羽田よりの伝言、松本に伝へれば藤枝(※藤枝晃)来てわがこといひしと。
日野月先生より「転居を祝す!」と。

5月27日
寒し。午后柏井にゆきへゆく。歯を入れてもらひ、busにて高田馬場をへて駒込。東洋文庫にゆけば田川、後藤2氏ともに不在。
神田信夫氏と話し、4人にて研究会。文部省より70万円来り、その中3万円ほどをコンの異域録(※今西春秋撰『校注異域録』)に出すと!
帰り後藤君に会ひ見舞の礼いふ。(※省略) けふ〒なし。

5月28日
ちょっと寒し。10:00すぎ斎藤dr.にゆき12:00まへ診断書もらふ。〒なし。高円寺まで散歩。

5月29日
依子より「差支なし」と。ユ、渋谷へゆけば「この間、大阪より婚姻費用につき云々。林の嫁、大と母とに態度を改めるといひし」と。
善光寺行の小遣をふくめ5千円置いて来たと也。白鳥芳郎氏へ近況。

5月30日
家居。「呂后」了り30枚なり! 
吉祥寺より2回に転送、三田村泰助『ムクン・タタン制の研究』、白鳥夫人、朔太郎研究会(10日の会の案内を岸町にせし由)。

5月31日(日)
礼拝。雪ケ谷教会に牧師として赴任の森田武夫先生の説教なり。嵐のこといひ玉ふ。あと「いつまでもお忘れなく」と御挨拶す。
『不二』来り影山正治氏『戦後吟』の評し玉ふ。17:00東田町の公団の方へ散歩せしのみ。鈴木教授刊行会へ3000申込み。

6月1日
鈴木正男氏に「影山主宰へお礼を」と。宮崎昭子生よりヱハガキ。午后、荻窪へ散歩。

6月2日
よべ久しぶりに眠れず。睡眠剤半服のみ9:30覚めしも一日頭痛し。坪井より「服部重病にて入院したらし(※服部正己:白血病)」と。
硲晃氏より「山本重武君、佐野高校教頭に転任」と。夜、畠山兄弟に電話すれば「父上に会ひにゆきて帰らず」と。
けふ澄より弓子に電話「高垣、土曜夜会食せん」と。

6月3日
風雨。〒なし。夜となりて加藤隆子君来る。「父君、産経新聞甲府支局詰め」と。
渡辺生つとめ止めて大阪へゆきし様子なりと。「16日の披露にゆく」と約束す。
けふ「趙飛燕」書き了る。また30枚なり。

6月4日
よべ3:00まで眠れず。また薬半包のむ。昭森社より『本の手帖(※佐藤春夫追悼号)』に書けと速達(ことわる)。
午后busにて石神井公園へゆく。けふより植木屋入る。

6月5日
斎藤dr.にゆき某先生の診断受け、地下鉄にて東京駅。東京建物の西川に心配のわびいひ「池田君、史に縁談もち来る」ときく。
『週刊朝日』一冊読みplatformにゆけばユをり、のりこんで弁当食ひ了りしのち発車(準急東海4号13:25)。
名古屋へつけば澄まちをり、すぐ自動車にて虹ヶ丘住宅。夕食くはしてもらひ覚王山の「井清寿」といふにまたtaxi。
このごろ毎夜睡眠薬をのむ。ただし1袋を1/2、又は1/3に分けて也。
(畠山家に電話、あす午后伺ふといふ)。

6月6日
よべ雨降りしも、澄たち来し10:30には止みをり。東山公園へtaxiにて案内され、あと目貫きへ帰りてうどん食ふ。
熱田までbus、畠山家へゆけば紀子君、畠山氏(新湯より帰りしと)ともに会へ、今夜御馳走すと。
高垣風邪にて発熱、会ふことは会ふが云々とのことに、畠山さんの招待受けることとなり、16:30まで熱田神宮(「高松君、多賀大社へゆきし」と)。
名古屋城へ案内してもらひ、朝日新聞にゆけば高垣会議中。18:30云々とのことに置紙し、「蔦茂」といふ料理屋に案内受く。
高垣より電話かかり、来れば山形へ電話、関口師団長(※関口八太郎)呼び出してもらふ。高垣とは久しぶりの話らしかりし。
意外にも「伊丹へ転任きまりし」と。坪井喜ばん。池田この間ゆきしと。
畠山氏、大洋中日戦見に出しあと20:00すぎまで御馳走となり、宿に帰れば騒ぎをり(あとにて東北大の20年会とききし)。
また薬のみて眠る(岩崎昭弥に電話し「岐阜へ来い」「ゆかぬ」の問答す)。

6月7日(日)
8:30目覚め10:00岩崎君、坊やつれて来るに遭ふ。
そのあと依子夫婦来り、われは岩崎君の自動車にて駅へゆき(江口三五2億円の長者となりしと)、自動車おき、栄町のdept.にゆき、
朝日新聞へ12:00ゆき、すし食ひ、駅まで歩き時間丁度となる。
畠山母子見送り賜ひ、また物たまふ(岩崎君、ういろ5本賜ふ)。東京駅より地下鉄にて阿佐谷。
写真屋に寄れば兼頭・涌井2生、植木屋さんよくとれてをり。
加藤隆子より礼状来ありし。(植木屋さんまだすまずと)。西川へ電話して関口の栄転伝へし。

6月8日
『果樹園100』来る。きのふの「外郎」船越へ贈り、ユ、章より礼いはれゐし。
竹内、田中ナツ子、遠藤さんへとユ、出てゆく。坪井、小高根二郎2氏へヱハガキ。
京帰り、昼食さしてくれ(15:00)、そのあとユ帰り来る。竹内好「10月より(※復職して)行け」とすすめゐる由。
数男のところへ土産もちゆく。(章君来て「再婚の条件として助手たること承知の人を」と、長く話しゆく)。
夜、camera屋へゆき名古屋の写真とり来り、丸夫人に電話し「重俊君一度よこせ」といふ。

6月9日
朝card作り10:00林富士馬dr.に電話すれば「13:00より空きゐる」と。
すぐ出て西武dept.にて加藤隆子への祝の額ぶち贈り(1,500)、歩きて林邸。
夫人ともどもに病気語る。佐藤先生の葬儀の話ききし。出て渋谷の母に電話し、ゆけば林叔母をり。
丸より来し「(※弟大氏の離婚)調停不成立とならん」の手紙見、(※菩提寺)宝国寺後援会にと2千円置く。けふ影山正治氏よりハガキ。
柳野一郎君より「京都本社へ転任」の挨拶。高橋重臣君より印刷2種。大阪の兼頭・涌井2生への写真出来る。

p8

6月10日
涌井生より写真来る。姜照美Seoulより。丸木直子よりハガキ。丸木・高橋重臣2氏へヱハガキ。
「則天武后」書き直し(21枚)、昼食してのち14:30出て駒込。丹羽鴻一郎氏邸に寄れば夫人も不在。文庫で市古君きけばをらず。
(田川博士、天理へゆきしままと)。榎博士に会ひ「鈴木俊教授会いくらとすべきか」問ひ、病状問はる。
松村氏の室に神田・阿南2氏ゐるを見て入り、話す中、岡本氏来り、松村氏帰り来て阿南氏のよみきく。
あとCon(※今西春秋)の本もらひ、神田氏と同車して新宿。帰れば18:30なりし。

6月11日
よべ眠剤1袋のむ。川久保悌郎へ近況。井上多喜三郎氏よりヱハガキ。影山・井上両氏へヱハガキで近況。
「則天武后」20枚かき、荻窪の古本市。青木・中野両店主と挨拶。『厠風土記(280)』買ひ、帰途5万分1地図8枚買へば4枚は家にありし(10×8)。
船越章君また再婚談に来る。18:30畠山博光君に電話すれば「19:30帰宿」と。20:00電話かけ「たぶん月曜、関口坊やと来る」と博光。
重光君は月曜に大塚に移りし也。畠山氏に写真包み礼かく。

p9

6月12日
よべも眠薬半分のみ、残りなくなりし故10:00出て斎藤神経科。小金井の婦長さん来合せ、おぼえゐたまひし。dr.X「執筆差支へなからん」と。
午后「則天武后」20枚かき、出て富永次郎氏ゐるやと成城短大にきけば「見当たらず」と。
集英社に「住所録返せ」と。『唐詩選 上(※漢詩大系第一回配本)』本日出来上りし由。
筑摩中島君に電話し、原稿用紙補充たのむ。また出て古本屋。『Guidede Saigon(10)』地図つきをり。『文藝春秋6月号(45)』、『花の宴(30)』など買ふ。

6月13日
「楊貴妃」かきさし、成城に2回電話し、やっと「会議中」の富永次郎教授つかまへ「月曜の昼食」よばれることとなる。
渋谷国忠氏より『萩原朔太郎書誌』贈られ、わが4篇をいひ、古本屋またみて『ソアーナの異教徒(10)』、『方丈記(10)』買ふ。「楊貴妃」20枚も了る。

6月14日(日)
礼拝にゆき、帰れば加藤隆子より贈り物の受取。兼頭歌子氏より「娘喜びて泣きゐし」と。
市古宙三氏より「(※鈴木俊氏祝賀会カンパ)2千円で宜し。3千円、5千円もあり」と。
山本恭子より「岡本姓となりし」と。小高根二郎氏より「書け」と。影山正治氏へのヱハガキ「不二歌道会」と書かざりし故返送。
12:30畠山博光君来りし故、ラーメン食はし、難波経夫君につれゆきしに不在。1時間散歩してゆけばゐて「三菱系受けるならコネとならん」と。
チクマより原稿用紙来り、富永次郎氏より「15ヒオマチス オクサマモオイデコウ」と電報。
televiの巨人広島戦2回とも観る。

6月15日
雨上る。ユ、難波家へ傘返しにゆき11:00二人で小金井。富永家にゆく。鹿児島の鶏雑炊食はせたまふ。傷癒着にて調子悪しと也。
15:00写真とり「いづみクラフトハウス」につれゆかる。ここに石川欣一氏未亡人をり、東山千恵子の妹と。
爪楊枝立て(50)と赤ベコ(120)買ひて別る。
けふは広告のみ。船越章来り「結果いかに」と。帰りしあと「楊貴妃」書き継ぎ22:00となる。

p17

6月16日
9:00出て散髪(300)。ユ、吉祥寺へと出てゆきしあと11:00出て美濃・加藤両家の結婚式にと大隈会館へゆく。
短大卒の久野弥生夫人(旧姓菊池)といふが挨拶し、「住宅新報」社長の中野周治氏の隣に坐らさる。3甥成城経済に在学と。
右隣は同社の蒲地氏とて佐賀高校にて杉浦正一郎に習ひ、富士川英郎とピカ2人なりしと。東大西洋史の出身らしかりし。
「大蛇になれ長蛇になれ」と着換えの間のspeechに婿にいひ、14:30出てビールの赤ら顔さましに歩き、
『南方植物記(90)』と『風流滑稽譚3冊(120)』と買ひて帰宅。森田武夫先生より御挨拶来あり。
「楊貴妃」書き12枚となる。けふ13:30新潟地震。

6月17日
曇。むし暑し。斎藤茂太先生に眠れぬこといふ。佐治良三氏より再婚の通知。
前橋図書館長渋谷国忠氏より『不二』呉れと。集英社より『唐詩選 上』だけ呉れると(午后くる)。
「楊貴妃」書きつづく。紅松一雄に電話し佐治氏への祝品相談す。「何でもよし」と也。

p11

6月18日
中村漁波林氏より『詩人連邦』にかけと(よべ、久しぶりに眠剤のまずして眠れし)。
午后速達にて集英社より住所録返却を受く。「楊貴妃」書きつづける。ユをして森田武夫先生に挨拶かかす。
電話屋来り、蛍光灯なほす。『GoldenGuide(50)』地図5枚(50)買ふ。

6月19日
『不二』来り、影山正治氏へのヱハガキまた返り来る。青山南町と北町とをまちがへし也。
兼頭淳子よりやっと受取。また古本屋にて地図かひしもダブリ2枚(4×10)。
電気屋来り、6畳に蛍光灯つけ代金あすと承知し呉る。「楊貴妃」19枚かく。
鈴木正男氏に『不二』151号の残本ありや問ひ、兼頭母子にヱハガキかく。章君けふも来り、Saigonの話す。

6月20日
ユ、成城へ月給もらひにゆく。bonus(8.9万円)ももらへ「診断書来月より いらず」と。
「楊貴妃」15:00までかかり20枚とせしところへ京、帰り来る。荻窪へ地図4枚(4×10)買ひにゆく。

6月21日(日)
佐治良三氏へ祝1,000を現金書留で贈る。鈴木俊(3,000)、石田幹之助(2,000)両祝賀会へカワセ。
蒲地観一氏へ礼状。よべより歯痛み「ケロリン」のみ、朝またのみ、数男に電話せしめしに応答なし。Ringl(200)買ひ来しもまた痛む。
(※省略) 弓子「父の日」祝にパーカーの万年筆呉る。

6月22日
丸より「体わるし」と。影山正治氏より「会ひたし」と。丸山薫・村上新太郎氏へ雑誌の礼と転居と。
柏井歯科へゆく(よべ痛みてねられず)。どこ悪きやわからず頓服もらふ(視神経の使ひすぎらし)。
古本屋へゆき地図また10枚(10×10)。「楊貴妃」計算すれば290枚なり。

p16

6月23日
10:00斎藤dr.。「いらいらせぬか」と問はれ「する」といひ、薬かへていただく。
都電にて木原にゆきcard買ふ。130が180となりをり、200枚にす。帰れば〒なし。
「楊貴妃」12枚しか書けず(中島君に7月7日ごろまでのばしてもらふ。『諸葛孔明』4版となりしと)。
青木陽生より香奠返しにシーツ。大工さん来り、窓ガラスのこといふ。
ユ「斎藤dr.にbeer、栗山部長に砂糖贈り、母に会ひ5千円わたせし」と。

6月24日
「西太后」15枚かく(よべ眠剤のまず)。辻浩子より「本まだか」と。天満正雄より「元気出せ」と。涌井千恵子より写真の受取。
『不二』2冊来しゆゑ、鈴木正男氏に切手106円送らせ、14:00出て前橋図書館へ『不二』送る(20)。
busにて新宿。東洋文庫へゆく途、時間つぶしにcoffeeのみ、田川博士に会へば「無理すな。Con博士(※今西春秋)心悸昂進にて倒れた云々」。
研究会。神田氏よみ、田川、岡本、宮原、松村の4氏とで6人。この次は9月16日なり。岡本氏と新宿まで同車。
帰れば集英社より(※漢詩大系『白楽天』の)1万100枚の印紙もち来しと。(※省略)
弓子にけふ澄来て「手紙かけ」と依子にいひゐると。ふしぎなること多し。けふよりParler使ふ。(田中万里子より「マリとココの留学記」)

6月25日
よべも眠剤のまず。9:30起き、全田叔母よりのハガキ見る。「西太后」10枚かきしところへ章君来る。
出て地図また10枚(10×10)買ひ「西太后」つづけしも20枚に達せず。
大鵬休場。(けふユをして集英社に電話せしむれば「月曜までに欲し」と)。田中万里子へ礼状。

6月26日
よべ4:00まで眠れず眠剤のむ。10:30目ざめ、全田叔母のハガキ見る。
午后また地図また10枚(10×10)買ひ、角力のtelevi見しあと(ユ、近くの同窓会にゆく)、夕食して丸見舞にゆけば「大したことなし」と。
(西川より「朝日の切抜来しは丸の差金」と)。「重俊よこせ」といひて「西太后」すこしかく。

6月27日
よべ眠剤のまず。「西太后」すこしかき、地図買ひにゆき(10×10)、もはやなくなる。
大雨降り、廊下の本移す。弓子「あす那須へゆく」といふに止めしもきかず。ユ、吉祥寺女子高校のPTAにゆく。

6月28日(日)
礼拝にゆく。(弓子はやく出てゆきし)。帰りて地図了へしところへ村田(安宅)温、嬢と弟(慶応高校2年)つれ来る。
弟古本屋へつれゆき、われ『河原操子(80)』買ふ。諏訪澄より「此間、阿佐谷へ来しもわからざりし」と。
(けふ竹森先生に御都合ききしに「来週土曜のみ空きをり」と。竹内に電話かけしに「午后会にゆく」と)。
夜、「コギトの思ひ出」9枚かく。(※省略)

p17

6月29日
曇。よべユと議論し眠薬のみ10:30起き、朝昼兼帯くひ、荻窪の古本屋にて地図2枚(10×2)買ふ。
(集英社1万100枚の印紙もちゆき家具屋ガラス戸2枚入る)。
栗山博士より「渡洋8月4日より」と(砂糖の礼也)。日本歴史地理学会へ会費1000送り、これにて大体すむ。
夕方、写真出来、富永次郎氏へ送り(石川欣一夫人の分も托す)安宅夫人へも包む。「西太后」かく。

6月30日
斎藤dr.にゆく。北杜夫氏の随筆よめば「不食」と。最後の証明書もらひ食欲不振いふ。
都電にて集英社へゆき薄井・及川2氏不在ゆゑX女史に寄贈名簿わたす(31冊?)。
なほ「再校の謝礼いかにすべきやきいてくれ」といふ。山本へゆき『武進礼俗謡諺集(150)』買ふ。
新宿まで都電。Rice-curryくひ(90)、『北海道地図帖(40)』買ふ。けふの〒、岩井大慧博士あたかも転居通知。(※省略)
「西太后」5枚ほどかきて疲る。(よべまた眠薬のみし也)。(斎藤先生beerの礼いはる)。

7月1日
よべ眠剤のみ、ユ外出のまに水道屋なる者2人来る。あげて話し、ユ帰り来てことわる。
(※省略) 雨にて野球なきゆゑ夕食後出て紅松夫妻を訪ぬ。「鎌田(※鎌田正美)日銀理事とえらくなりし」と也。
味岡氏より電話留守中にありしと。けふ「西太后」わりあひと書けし。

7月2日
前橋図書館より『不二』の受取。10:30さめしにより、ねてゐる間に味岡夫人より「交際中ゆゑ云々」とことわりの電話ありしと。
屋根のヱ゛ンチレーター買はせてつけ、壁ぬりす。(栗山氏に「7月中に一度会ひたし」と手紙かく)。
集英社に電話して「わが家へ5冊送りたまへ」といふ。「再校は社内でやりし」と也。(※省略)

7月3日
『果樹園101』来り、浅野晃氏の文に戸田謙介氏の名あるを見て訪ぬれば「医者へ」と。「夕再訪」といふ。
午后夕立止みしゆゑ赤川氏にゆく。帰りてまた「西太后」かき(田中雅子に電話せし)、
夕食後戸田氏を訪へば「大藤好かず。鎌田は情婦、柳田先生の女好きと似てゐる云々。船越章挨拶せぬ云々」。

7月4日
〒なし。午后ユと出て水道屋にゆき、百日草(100)、サギソウ(150)買ひ来る。夜、「西太后」かく。150枚にまだ足らず。

7月5日(日)
けふは寝坊して礼拝にゆかず。「西太后」かき直し167枚となる。午后『文藝春秋7月号』買ひにゆきしほか、中日巨人戦と相撲のtelevi見る。
矢野昌彦より贈物ありしゆゑ夕方光子生に電話すればthemeは「救荒植物の民俗」と。「参考書やる」といふ。

7月6日
〒なし。午后出て『奉天三十年下(50)』、『戦争文学集(80)』買ひ来る。矢野光子に本2冊送る。「救荒植物の民俗」とのthemeの参考書なり。
水道屋来り、直してくれしも(1,800)、21:00まで断水。

7月7日
吉森安彦氏「三菱商事ニューヨーク支店へ転任、幸子西宮に住む」と。(※省略) 
「西太后」200枚にてかくことなくなり、高円寺の古本屋へゆきしも何もなし。

7月8日
9:30出て斎藤dr.へゆけば満員。10日間の薬いただき神田まで都電。
山本にて溥儀『我的前半生T(220)』買ひ、冷ラーメン食って帰れば、中島大吉郎君来り、「味岡令嬢ともはや見合すました」と。
「14、15日に電話かけ原稿とりに来る」こととなる。賀代女史よりも電話「チクマの教へ子は鈴木千枝子氏」と。

7月9日
雨。かき了りて計算すれば524枚しかなし。(※省略)

7月10日
曇。荻窪の古本市へゆき、日露戦争関係4冊(390)買ひ、『ボルネオ原住民の研究(100)』阿佐谷にて買ふ。
午后、集英社の薄井氏まづ出来上りし5冊もち来り賜ふ。「再校は社内にてやりし」と。「齋藤氏の本(※漢文大系『唐詩選』)みななくなりし」と。

7月11日
ユ、渋谷へ出てゆく。(母「集英社の金入りしをもち来しと思ひし」と)。
よあけまで眠れず9:00まへ起きしゆゑ昼寐せしに畠山重光君来る。仕方なく起きて時間見れば14:00なり。
14:30ともに出て荻窪の古本屋にゆき『西太后絵巻 上(100)』、『幕末明治大正史6冊(端本なり300)』買ひ、coffeeのまして別る。
「19日より一週間帰省」と。(※省略)

p12

7月12日(日)
よべ眠剤のみ礼拝にゆかれず。高垣、天野、山本文雄3新聞社(※朝日、大毎[天野愛一]、産経)に依頼(※漢詩大系の文芸欄とりあげ?)かく。
永山光文君に礼状。「楊貴妃」269枚となる。
横山より「一度遊びに来よ」と(電話かける)。丸に電話し、夫人に「夜ゆく」といふ。
夜、丸にゆく途、蒲地観一氏に電話すれば「あのひどかったのが云々」。丸「重俊、湯河原へゆきし」と。

7月13日
家居。35℃と。船越章来て話す。あと昼寐す。珍し。「三好達治の百日忌を19日」と。「欠席」と返事す。

7月14日
家居。ユ、丸家へ傘返しにゆき、帰りてより血圧高しと臥床。

7月15日
朝よりユ、医者へゆけば「心臓脚気か」と。青木直樹氏、戸田氏の帰りよりゆく。
われ昼食くひ、606枚として筑摩に電話してゆけば中島君来客あり。
匆々出て集英社に電話すれば薄井・及川2氏とも不在。某女史の言にては「5冊のみ送りしと!(※寄贈分は未送付と)」。
古本屋にゆき成城4年生に遭ひ、海老沢博士に会ふ。『星の美と神秘(50)』買ひ、地図2枚かひ、氷あづき食って帰宅。

p19

7月16日
昼食して竹内好に電話すれば「来てよし」と。ゆけば『白楽天』まだつきをらず。「1月の避暑代10万円以上」と。
田中夏子夫人、亘理信一ともに不在。白水夫人に電話すれば「独り」と。
古本屋で『Russiainthe Far East(90)』買ひ、ユと別れ、西荻窪で『長崎の殉教者(90)』買ひ荻窪まで歩く。
集英社、及川・薄井2氏とも休暇と。夕刊にまた広告のせ、現品なきはいかならん!
出川皮膚科といふへゆき、塗薬と飲み薬もらふ。「土曜17:00すぎ来よ」と也。

7月17日
ユと信仰問答す(よべ眠剤)。ユ、昼飯くはず。古田房子より帝塚山の名簿とハガキ。富永次郎氏より写真の受取。(※省略)
『詩人連邦』来る。原稿ことわらん(「俵青茅なくなりし」と見ゆ)。
(※省略) けふ集英社の薄井氏に電話、寄贈せかせばあやふやな返事なりし。

7月18日
集英社の薄井氏より「本の出来おくれ15日に入った由」の速達、隣家の婢とどけ来る。
よべ眠剤のみ11:30斎藤dr.にゆけば代診先生10日分の薬くれ、眠剤4日分くれ「湿疹は関係なし」と。
渋谷にゆけば大、仕事しをらず、15:00までゐて昼食うまく食ひ「27日飛行機にて大阪へ母とゆくこととす!」。
古田房子へ礼と「27日下阪」と。

p13

7月19日(日)
礼拝にゆくとよべ眠剤のみ6:00前に起きしため、礼拝中ねむかりし。田口嬢、齋藤齋先生など見ゆ。
帰り阿佐谷駅前で『新沖縄案内(60)』といふを買ふ。ひるねむきもねられず。
けふ古田房子へ「27日ごろ下阪」、中村漁波林氏へ『詩人連邦』にかけずとハガキ。(※暑中見舞来信 省略)

7月20日
曇。葛山・宮崎2生へヱハガキ。山田俊雄氏にゆかんと土産買ひ電話せしも無人。
午后、ユ柏井・田中(※義弟・義姉)へゆき帰らず。(※省略)
けふ『小さな灯』といふの来り、堀辰雄のことかく。

7月21日
よべ眠剤のむ。ユ、学校へ手当もらひにゆき普通にもらひし。名簿ももらひ来る。
(※暑中見舞来信 省略)田中久夫氏より『白楽天』受取。『小説新潮』きのふよりよむ。

7月22日
朝、栗山氏に電話すれば「あす午后来い」と。母に電話し、ユと10:30渋谷。
東横dept.休みゆゑ、Calpis2瓶(500)とサボテン盆植(1,000)ともちて参れば白鳥先生坐ってをられ「聖心の本とり返してくれよ」と。
11:30おいとまし(芳郎君Sovietへ1月半ゆくと)、渋谷へゆけば河野タカ夫来をり。
そば食ひ26日全日空にて下阪ときめ、渋谷の交通公社にて26日12:50の券2枚1万円を内金とす。
ユ、さき帰り、われ帰宅せば吉祥寺へゆきらしき。柏井へ歯痛とめてもらひにゆく。けふ〒なし。

7月23日
よべ歯痛の薬のみし為か10:00まで眠り、高田瑞穂氏の受取見る。清水文子買ってくれた由。
昼食して栗山家へ餞別(3千円)もちゆき、青山博士に全快祝もちゆけば「御夫婦とも軽井沢」と。
帰ればユ、渋谷へゆきてゐず(小田急にて上原助教授と同車)。夜、柏井歯科へゆく。航空切符、ユ買ひ来る。
中島大吉郎君来り、「12〜13枚ごとに小見出しつけよ」と原稿おいてゆく。「25日とりに来よ」といふ。(上原君「詩人に帰れ!」と)

7月24日
暑く、裸になって「楊貴妃」の小見出し作る。夜、柏井へ歯のためゆく。

7月25日
10:00斎藤dr.にゆく。X先生眠剤たまふ。帰宅して「コギトの思ひ出」かきゐるところへ中島大吉郎君来て原稿もちゆく。
けふも暑く32℃。(※暑中見舞来信 省略) あす下阪だるくてたまらず。

7月26日(日)
10:00出て新橋の全日空待合へゆけば母、タカ夫をり。Busにて羽田。12:50発にのる。三保松原、知多半島など見えしのみ。14:05伊丹着。
梅田まで100円(新橋−羽田120)。暑く、岑夫・ユキ夫来てをり、taxiにて天王寺。
恵我之荘へつき、梅本に電話かければ不在。「わけは手紙にて」と。

7月27日
10:00母と出て宝国寺。父の墓にタバコ挿す。十合へゆき「店長、神戸へゆきし」ときく。
歩きて戎橋下出雲屋にてうな丼くふ(土用丑なり)。吉田栄次郎君に挨拶す。
高野線にて全田叔母。元気也。渡清孝君白髪となりをり。16:00坪井(※坪井明)を訪ねしに「胃の冷めるし」と。
うどん注文し19:00となる。駅まで送り呉る。小高根二郎君を訪ね「コギトの思ひ出」おく。「明日より家族同伴軽井沢」と。22:00河野へ帰る。

7月28日
10:00出て肥下夫人。「手紙よんで来てくれたか」と。娘音楽大へやると。
出て藤井寺へゆけば伊藤徳、田中とく叔母、はつえ叔母と来をり。beerのみ、9月20日をこれん祭(※田中これん[実母])と決める。
長沖一氏に電話すれば「来よ」と。「また」といひ、清水文子呼び、谷川まさ江と連絡とれしとのことに16:00出てナンバにて会ひ、
戎橋筋ゆけば田中(岡田夫人)文子に遭ふ。4人にて夕食し、氷くひ、別れて20:00田村春雄家へゆけば21:00までdr.帰らず。
「ゆっくり飯くへ。全身体操せよ」と教はる。9月15日パリへゆく故、羽田(※羽田明)に紹介を約す。

7月29日
10:00出て梅田。特急券「第2こだま」買ひ得て、高尾へゆき『日本婚礼式(100)』、『類要婚礼式(700)』買ひ、『浪速叢書』3万5千ときき、
出て山本治雄に電話すれば不在。夫人に電話すれば「人間ドックに入りし」と。『南太平洋』といふを買ひ、sandwich食ひし。
14:30まで待ち「第2こだま」に乗車。麻布の花屋の坊やと同座、「cyclingにて東海道を五日間して下りし」と。22:00帰宅。
(※暑中見舞来信 省略) 小高根二郎に『白楽天』つきしを聞きしに他よりは受取りなし。

7月30日
船越へゆき話す。山田俊雄氏より「伊豆下田へゆきをりし」と。よべ5:00までねられず、10:00さめしゆゑ朝食し、13:00斎藤dr.に参る。
途中、天野君に電話せしに「欠勤」と。大に電話すれば「ルリ子の所知らず」と。大工来り、書庫作り了へ1万円を渡す。
戸田氏に遭ひ挨拶す。「この辺り小字清水」と。夜、苦心して羽田君へ「田村春雄君9月15日の宿舎、通訳たのむ」と便かく。

7月31日
田村春雄氏へ「羽田へ紹介した」と速達。天野愛一君へ「西川に連絡せよ」とハガキ。
山本昌三郎、諏訪澄へハガキ。栗山・今井・池田・坂本・浅野晃・田中久夫の諸氏より『白楽天』の受取。(※暑中見舞 省略)
坪井明へヱハガキ。16:30柏井へ歯の治療にゆき、帰り郷右近生に会ふ。「阿佐谷に住み図書館司書となる」と也。『フランス語語源漫筆(30)』買ふ。

8月1日
快晴、暑し。(※省略) 高垣金三郎、大阪編集局長と見ゆ。(※省略)
角川より速達「ハイネ第21版3千部の検印を8月10日までに」と。(※省略) 午后、堀内太平君来訪。「詩見よ」といひしも断る。
17:00送りに出て柏井歯科。帰り『新入蜀記(20)』、『モンゴル人民共和国便覧(20)』買ふ。
夜、村田幸三郎へ暑中見舞の礼。台風11号鹿児島に近づき、気温32.4℃と。

8月2日(日)
礼拝にゆき最前列に坐る。竹森先生「あす午前中来よ」と。松村潤氏より『白楽天』の受取。澄よりも同。転任まだかかず。
(※暑中見舞 省略)

8月3日
史、「日本アルプスへ6日まで」と出てゆく。(※暑中見舞 省略) 
9:03出て竹森先生にゆき「9月20日14:00すぎより、これん母の追悼会よろし」と。帰れば(※暑中見舞 省略)
今井善一郎氏より展覧会の案内。京、15:00帰宅。「富士山頂に登りし」と。(※暑中見舞 省略)

8月4日
きのふ眠剤のまず。(※暑中見舞 省略) 宮崎智慧氏より『花影』にかけと。大藤教授より『白楽天』の受取。
畠山重光より「父よりstick預ってきた」と。矢野光子より「本受取った」と。散髪にゆく。
大江叔母、伊藤徳子へ「9月20日に決定」と。(※暑中見舞 省略) 山田俊雄氏より『日本語の歴史4』賜ふ。
柏井歯科へゆく。夜、山田俊雄氏に電話「明後日夕方ゆく」と。畠山重光に同「あす17:00来よ」と。(※暑中見舞 省略)

8月5日
曇。やや涼し。肥下夫人より礼状。(※暑中見舞 省略)
竹田竜児氏より「保田(※佐藤春夫の)法事によく来る」と。鈴木睦美生より「20日すぎなら1,000円であり」と。(※暑中見舞 省略)
17:00畠山重光君「父より」と藤のstickもち来る。

8月6日
よべ4:00眠剤のみ9:00起床。11:30斎藤dr.に診察受ける。(※暑中見舞 省略)
『近畿民俗』、『果樹園102』来る。18:00出て吉祥寺をへて山田俊雄氏へ全快祝にゆく。High-ballのまされ『日本語の歴史3』賜ひ駅まで送らる。
高井戸よりbusにて荻窪、『昭和文学史上下(100)』買ひ、歩きて帰宅。
阿佐谷七夕の装ひして満員。(※暑中見舞 省略)

8月7日
沢田四郎作博士へ『近畿民俗』の礼。曇。(※暑中見舞 省略) 畠山六[栄]門氏へstickの礼。柏井歯科へゆく。

8月8日
暑し。坪井へ『白楽天』送る(120)。大江と徳女史の土産つく。岩井博士より『白楽天』の受取。(※暑中見舞 省略)
都留純也より「戸田謙介氏と関係ありや」と。史、ヱハガキ2袋もちて帰宅。
(※暑中見舞 省略) 19:00すぎ涼しくなりて柏井歯科へゆけば、土曜18:00までにて、夫婦子供とdriveに出るに遭ひて帰宅す。
(※暑中見舞 省略) けふ34℃。

8月9日(日)
都留生へヱハガキ。礼拝にゆき坪井のハガキ。鈴木文平の暑中見舞と『婦人公論』。糸屋鎌吉『パラダイス』へ受取。
原田淑人先生の手紙見んとするに、どこかへなくせし!けふも34℃と。

8月10日
暑し。16:00まで高校野球みて(このごろcardやる)、皮膚科にゆき、荻窪古本展。地図60枚(10×60)とヱハガキ(150)と買ふ。
青木直樹氏をりし。busにて柏井歯科。(※暑中見舞 省略) 角川より印紙受取。(※暑中見舞 省略) 「室内35℃」と京の話。

8月11日
(※暑中見舞 省略) 浅野晃氏「志摩にゆきし」と。地図をよみ、card作りし。
柏井歯科へ19:00ゆけば患者次々と来る。けふ後藤均平氏より『Fifty years of studies inoraclein scriptions』賜ひ、礼状かく。
角川よりHeine20版の印税32,000−3,200=28,800来る。『文芸 佐藤春夫追悼(100)』買ふ。

8月12日
(※暑中見舞 省略) それぞれ返事かき、14:00出川皮膚科(「内服朝夕2回でよし」と)をへて地下鉄にて淡路町。
木原正三堂で図書card200枚(170×2)。筑摩の中島君呼び出し喫茶。「この間piano弾きと見合せしも返事せず。も一度会ふ」と。
『中国烈婦伝』とすることとなりし様子(※結局『中国后妃伝』となる)。
『Far East-Europe(30)』買ひ、「石川・福岡県地図(50×2)」「八ヶ岳(35)」買ひし。新宿まで国鉄。Busにて柏井歯科。
帰宅すれば堀口太平氏より暑中見舞。けふ西川英夫に電話し「全快祝する。天野愛一東京栄転、関口10月末」などいふ。

8月13日
暑苦しく4:30眠剤久しぶりにのみ10:00さめ、12:00斎藤dr.にゆけば満員。薬のみもらひ渋谷に電話すれば母居り、busにてゆく。
「9月帰京、体わるく今度は面白くなかった。印税9日入りしか」と。大に相談すれば「5万円礼せよ」と。そのあと1割母弟に礼するといふ。
野球の成徳学院負くるを見てroom-coolerのあまりきかぬに出て、新宿東口までbus。西口より柏井歯科。(※残暑見舞 省略) けふ35.2℃。

8月14日
暑し。萩原朔太郎研究会より「特別会員」との会報。近畿民俗学会より『渋沢敬三先生(※沢田四郎作編)』。福地邦樹君より母上逝去の感。
(※残暑見舞 省略) 伊東まき生より「9月来たが(※新居がどこか)見つからなかった」と海苔。
それぞれに返事かき、16:00出て出川皮膚科より柏井歯科。ついで鷺ノ宮まで歩きて渡辺古書店探せしに見つからず。
「府立家政前」より「鷺ノ宮」まで西武、ついでbusにて帰宅。

8月15日
岡田(田中)文子、沢田四郎作先生へ礼状。福地邦樹氏へ弔み状。(※残暑見舞 省略)それぞれに返事かく。
16:30柏井歯科。左奥上歯の欠はめて貰ふ。(けふ集英社より『王維(※小林太市郎,原田憲雄著)』来る。) 夜、これをよむにeroticに解釈あり、可怪。

8月16日(日)
朝日の広告に『王維』目加田誠とあり!
礼拝にゆく。(※残暑見舞 省略) 栗山博士よりヱハガキ。千草より電話といふに船越へゆけば母「丸の都合きけ」と。
19:00電話せしに「他出」と。ユ、友達のところへゆく(帰宅23:30)。

8月17日
(※暑中見舞 省略) 中馬敦子より弟の展覧会の案内。海老沢博士より『エピストラ』。けふ柏井歯科へゆかずcard作り。
ひげ剃り(17:30母を高円寺駅で待合せ、丸へゆくこと、ユに電話せしめてきまりをり)をるところへ中島君来る(本の題、数種考へささる)。
そのまへ集英社の薄井氏来り、(※『白楽天』印税)1,100,000−(税)110,000−全巻22冊分21,120=968,800置きゆく。
あす「鈴木重役に礼もちゆく」といふ。あとにて寄贈分おちゐることに気づく。中島君と高円寺まで同車。
母まちをり。北口までtaxi探しにゆき、丸家へゆき8月5日大阪調停不成立、同日東京にて調停受理の書みせ、一応1件了りしことときめる。
「ルリ子の道具、送り返してよし。内容証明書は丸かく。」ときまる。蚕糸試験場まで母送り、busに乗す(家へ来ず)。

8月18日
よべ眠剤のむ。鈴木睦美生へ「千倉へゆかす」と返事。ユ、三井銀行へゆく。
返り来れば5万円のGiftcheckなし。(手形交換まだゆゑ、都民銀行と郵貯おろし、30万円を半年定期にせしと)。
促してゆき見れば渡さる。(川本・西沢2生、岐阜県楢谷よりたより)。
地下鉄にて斎藤先生にゆき「全快はいかにして判るや」と問ひ奉れば「周囲の判断による。も少し来よ」と。
10日間の薬いただき都電にて山本書店。
『我的前半生2,3(220×2)』、『北京風俗図譜1(450)』、『天主教十六世紀在華伝教誌(650)』、郭沫若『武則天(380)』と買ふ。
ついで『A Histryof India(30)』買ひ、冷しラーメン(80)食へば14:00近し。薄井氏呼べば「鈴木重役けふも休暇」と。
買上げの記帳なきをいひ(近日送ると)、蒲地氏へと1冊また買ひ、5万円を及川2氏に托して出、
蒲地氏にゆけば在宅。『白楽天』贈りcoffee御馳走となる。
栗山に「狂気せしにて嫌ひになりしではなし」といひくれし由。「齋藤博士(※齋藤晌)親類に同病人あり。話ききたし仰せ」と。
駿河台下までゆき「千葉」「東金」5万分1(35×2)買ひ、都電にて新宿。busにて柏井歯科。帰れば20:00前なり。
けふ福地君に弔品送りしと。(阿佐谷にて『イスラエル(70)』買ふ)。

8月19日
よべも眠剤のむ(2:00)。船越小母来り、いろいろ話す。毎日新聞より「24日までに800字を茶の間欄へ」と。(※残暑見舞 省略)
河野岑夫へ第2回の調停のこと。昼寐し17:00柏井歯科へゆけば「火曜まで休め」と。大江叔母へ「伊藤徳の縁談は他に考へん」と。

8月20日
よべ眠れる。羽田より「9月15日承知した。白鳥清先生モスクワへゆかれしや」と。
(※残暑見舞 省略) 田村春雄へその旨しらせ「ボンとハワイの案内いかに」とききやる。
父の忌日とて渋谷に電話かけさすれば「来ずとよし」と也。昼食後、郵便出しにゆき、丸屋市川にゆけば「暑中4時まで休み」と!
『風俗通(250)万治本』2冊を駅前で買ひ来る。けふ驟雨たびたび降り、水源地に40ミリと。気温も26℃余と低し。

8月21日
よべ2:00すぎ眠剤のむ。(※暑中見舞 省略) 
『安江不空歌集』を高原弦太郎氏より贈らる。(臨終の医は沢田四郎作博士にして刊行は住吉大社なり)。
午后、古本屋にゆき、ユに渋谷に電話さすれば「明日来よ」と也(けふ8月分の手当もらひにゆかしめし也)。
田村泰雄君より「Paris着は9月18日13:30」と!

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8月22日
『史苑25-1』来る。10:30出てbusにて渋谷(筑摩の中島君に電話すれば「校正速達で送る。挿画の件、月曜午前中来る」と)。
東横dept.にて西川に快気祝(砂糖500)贈り、母にゆく。岡山の孫来をり「迎へに来よ」の電報打つ。
丸に礼もちゆき、嫁の荷、返送の件、相談することとなる(2万円を大の名にて包む)。
15:30出て不二出版社にゆき、1,000を御花料と置き『新軍歌集(100)』買ふ。けふ(※昭和20年自決)現場祭とて、河野君のみなりし。
それより古本屋みてbusにて蚕糸試験場。丸に礼わたし、荷物の件きけば「一度送れ」と也。
重俊に睡眠薬用ふるには医師の指示によれと諭しつつ、高円寺の通りまで送られて帰宅(19:30)。
やがて筑摩の速達来る(64pまで)。けふ渋谷より電話し、齋藤晌博士に「月曜午后ゆく」といふ。

8月23日(日)
よべ校正了り6:00近くまで眠れず。礼拝休む。大江叔母より「17日上京。服装はいかに」と。
山田源之助(高原弦太郎)氏より「『白楽天』くれ」と。ユ、依子・大江叔母へ手紙出す。
(けさ病院へゆきしもしまりをりしと)。午后、ユ、病院ならびに紅松長老に電話し、まづ紅松邸にゆく。「この間、白井来し」と。
「西島これん記念会に献金5千円、牧師先生に3千円せばよからん。われら夫婦も出席す」と。
偶然『Two Years in the Forbidden City』の原本あることわかり(父上の所有)、借りて青梅街道に出、busにて荻窪、地図11枚買ひて帰宅。

8月24日
杉浦美智子夫人より暑中見舞。大江叔母より「城平・康平・昌三3叔父にしらせおけ」と。
ユ、電話局へ申込みにゆく「6ケ月位かからう」と。その留守、中島大吉郎君来り、挿画用にと本もちゆく。
12:30出てbusにて代田橋。のりかへして高幡不動につけば駅前大いに変りをり。齋藤博士(※齋藤晌)に明大生来をり、1万円の小切手お礼に渡し、
「東洋大学調停にかかりて180万円支払ふこととなりし」と。府中に出て猿渡家に寄りしに教子2人ともをらず。
母上に挨拶して出、氷小豆食ひ、北口よりbus、小金井行にのれば蛇窪通る。荻窪へ出て地図15枚(15×10)買ひ、歩きて帰る。
途中、宮崎幸三氏に齋藤氏のことしらせれば「近々会はん」と。

8月25日
暑し。西川英夫より快気祝の受取。柏井歯科へ光一への礼(5,000)もちゆく。城平・康平2叔父へ9月20日の案内出す。
西川・杉浦夫人へ挨拶。田中昌三叔父へハガキ。夕方、美濃(加藤)隆子夫人の使として河野嬢?葡萄もち来る。
夜、『初刻拍案驚奇』のカードすむ。(けふ毎日新聞学芸部へ25日締切と思ひちがへしと「茶の間」欄のことわり電話す)。

8月26日
美濃夫人へ礼状。斎藤dr.へゆかんとせしも止めしところへ、2回に分けて『悪女伝』の校正126pまで来り、
ついで田上生、福地邦樹、阿南惟敬氏などのハガキ来る。校正やり了へて疲れしところへ、集英社の女史22冊分とりに来る。
「もう1冊くれ」といひ23×960=22,080わたす。夕方、郵便局へゆき、夜、田上由美子に電話すれば「今のところ来る予定なし」と。
(全田叔母より「この間話したいことあった」云々)。

8月27日
堀口太平君へ「card、3千枚を」と手紙。9:30出て斎藤dr.、服薬3錠もらひ10日分の薬もらふ。
帰り紀伊國屋へゆき『風景9月号』探せどもなく、売子にきけば無代でくれる。
(待合室にて見れば庄野潤三君『歌日記』を大より貰ひしと也)「木更津(※地図)」1枚買ひ、busにて柏井。
右下歯すみ「左上歯は神経ならん」と。帰りて昼食。
ユ、吉祥寺へゆき中村嫗に保険料もちゆきしを叱れどもきかず、のちほど中村嫗来れば立ちてことわりて帰らす。

8月28日
羽田博士へ田村君の着く日変更の旨しらす。梅田夫人より「紀の川」のりし雑誌。
坪井より『白楽天』の受取。午后高円寺までゆき『麦積寺(70)』、『運命の島々(50)』、『英和新約聖書(50)』買ひ来る。けふも涼し。

8月29日
曇。涼し。丸木夫人に「近々はゆかず」と返事。坪井に「ルリ子のことしらべてくれ」と書く。
集英社の薄井氏に電話すれば「『白楽天』もって来さす」と。堀口太平氏より「注文承知」と。
このごろcard書くのみなり。佐々木邦彦画伯へ「運命の島々」の絵を見たと。
午后、ユ荻窪の医者へゆきし留守に阿南惟敬氏「味の素」など賜はる。17:00すぎ出川外科へ魚の目癒してもらひにゆく。
(『果樹園』に「コギトの思ひ出」10枚かき速達す)。

8月30日(日)
礼拝にゆく。竹森先生に「9月20日のことで」といへば「金曜午前来よ」と。帰りて『柳田全集』来しを見る。
午后和田賀代女史来り、近くの佐藤嬢pianoやりつづけるゆゑ家あるならとの返事きく。
「船越章22万円足らずの抵当に置き、いまだ返さず」と。けふも話つかざりし様子なり。

8月31日
曇。わが53回目の誕生日なり。依子より「14日(月)帰省、交通費くれ」と。(※残暑見舞 省略) 海老沢氏に切手100円。
慶応大学言語文化研究所に『柳田国男方言文庫目録』くれと200円。
14:00中島大吉郎氏来り初校みなとなる(232p、9月30日発行)。夕方までかかりて校正了ふ。「木曜に地図とりに来る」と。
渋谷に電話すれば母「丸より便りなし。金もって来るかと待ってゐる。(※省略) 大5日帰京」と。
19:00すぎタカ夫来り、きげんよく話しゆく。2千円やる。

9月1日
10:30王子へゆき北区役所にゆき(構内にて永山光文に会う)、戸籍謄本の閲覧を乞ふ。
わが44年8月31日入籍、田中これん大正3年6月25日隠居家督とのみわかり、気の毒とて閲覧金とらず。
渋谷母に電話かけ「西島家の戸籍謄本あり」との故さがしてもらふこととす。「千草文句いふ」と。
有楽町まで国鉄、毎日新聞に天野愛一君訪へば出て来、「甲陽高校2年の子あるゆゑひとりぐらし」と。
「茶の間」欄いつにてもよしと也(ともに昼食す。2月に赴任せし也)。地下鉄にて帰宅すれば恰も訪ひ来しは葛山夫人。
「舅姑と折合あしく別居さがせ」と。駅前の案内所へゆき「(※省略)あす夫と決定す」とて帰る。
清末地図かき手間どる。(千草に「近々来よ」との往復ハガキ書く)。集英社より『白楽天』1冊来る(葛山夫人Melonくれし)。

9月2日
曇。朝から「地図」作り疲る。庄野潤三氏よりハガキ。山田源之助氏へ『白楽天』送る(120)。
午后葛山夫人来て、昨日のapartは「夫、気にいらずことわった」と。
母より電話「戸籍抄本」には記載なきゆゑ住吉区田辺西之町西島健の戸籍謄本とったら、と。

9月3日
山田源之助(高原弦太郎)氏へ送り状。
それ出してのち疲れに昼ねせんとするところへ中島大吉郎君来り、初校と地図と原稿ならびに挿絵の参考書もちゆく。
けふ〒なし、珍し。船越章君来て越南の話してゆく。

9月4日
竹森先生を訪ね「西島これん略歴」わたし、「20日2時半より1時間、讃美歌3を歌ふ」こととなる。
「オルガン大塚氏も謄写版山内氏にたのむこともして下さる」と。帰り道道具屋にて整理箱をわれ注文し、ユも2品。「日曜もち来る」と。
古本屋にゆけば『世界地理風俗大系2北支那(150)』あり、珍し。千草より「土曜午后来る」と返事。杉浦母子より「軽井沢へ行った」と。

9月5日
〒なし。ユ、安生医院にゆく(発熱39℃)、「風邪」と。午后千草来り「家中3人で来る」と。全快祝わたす。
14:00出て生田の林家。全快祝を置き「20日13:30までにわが家に」といふ。
(林叔母にきけば「コレン母戌年」と。然らば明治19年生なり)。

9月6日(日)
ユ、まだ熱とれず、われのみ礼拝にゆく。齋藤齋氏に会ひ「近々お願ひに上る」といふ。『果樹園103』来る。
近藤家具店、card箱代用の箪笥もち来る(1,800のところ1,600)と。渋谷に電話すれば「大まだ帰らず電話もなし」と。

9月7日
ユ、大腸炎にて発熱。弓子欠勤して家事をす。ゴム印(180)とりにゆく。午后、市川書店で『日本語の歴史T(400)』買ふ。
夜、白鳥芳郎氏に電話せしに不在。

9月8日
子ら出でゆきしあとユ、39℃とて安生dr.に往診乞ふ。1時間して37℃となる。
けふ『展望』再刊号来り、わが『中国烈女伝』を「240円、29日発行」としるす。夜、また白鳥家へ電話せしも応答なし。
(大より電話ありしゆゑ「ユよければ明日ゆく」といふ)。杉浦母子へハガキ。

9月9日
9:00すぎ出て斎藤dr.、3番目なりし。「よく眠れる」といひ、2週間分の薬いただく。
渋谷に電話してゆき5万円を大・母に呈し、荷物送り返しを云ふ。林叔母来り、息子夫婦との別居をいふ。
14:00出て『流れ雲は生きている(20)』、『大名華族(30)』買ひて帰宅。城平・康平叔父より「10月7日大阪にて追悼」と!(※省略)
山田源之助氏より『白楽天』の受取。田村春雄君「5日出発」との挨拶。
畑山校長(※畑山博)「渡欧するにつき寄附」つのり来り、海老沢氏より切手受取。
けふ白鳥清先生に電話し芳郎君と青山博士の仲介のこといひ、夜、電話せしに「まだ帰らず」と夫人?

9月10日
ユ、安生医院にゆく。「熱はなくなり腸悪し」と。竹森トヨ先生より「早坂、笹淵、塩沢、木村、小泉、瀬尾6長老出席したまふ」と。
午后、史帰り来し故、荻窪の古本展。
『及川恒忠先生追悼文集(50)』、『物類称呼(150)』、『宮場現形記2冊(250)』、『支那の口語文学(80)』、『梅松論(50)』、『北京の歴史(80)』などと地図21枚買ふ。地図2枚とBaedekerの『Österreich und Ungarn(※オーストリア、ハンガリー)(100)』doubleをりし。
山田源之助、竹森トヨ先生にヱハガキ。

9月11日
ユ、相変らず也。朝は地図の整理す。(※省略) 
夕方、三鷹の齋藤齋先生に電話し「20:00参る」といひ、19:30ゆけば20日のこれん記念祭に出席したまふと。
けふ中島君、来り、再校の一部と地図もち来り「明日午前中再来」と。浅野dr.に電話すれば夫人出て「留守」と。

9月12日
成城へゆくつもりなりしも止め、栗山部長に電話すれば「帰朝」と。月曜あそびに登学といふ。
林富士馬氏より「コギトの思ひ出」よむとハガキ。葛山生より「家探しに熱出てゐる」と。
午后、京帰りしゆゑ、ユと2人して荻窪のdr.にゆく。体重ユ42キロ、われ38キロ也。「異状なし」と。
本屋にて地図12枚買って帰宅(10×12)。夕食時、白水夫妻来り、鰻飯くって梨呉る。「中西長男また自動車事故で入院せし」と。
史、けふ静岡まで新幹線に乗りしと、おそく帰り飯くふ。

9月13日(日)
われのみ礼拝にゆく。トヨ先生に入口でお礼いひ(※省略)、礼拝すみて竹森先生に齋藤齋氏へ出席たのまる。
Print出来をりしもオルガン弾く大塚氏出られず刷り直すと。齋藤氏とともに帰り「紅松君をよく知る」ときく。
松村潤氏より14日われ購読と。一日、地図の整理し、夕食前また荻窪へゆき、地図12枚(12×10)買ふ。
紅松君に電話し、感謝献金のこときけば「すみて牧師様にわたすが宜しからん」と。

9月14日
『東洋学報』と『文学散歩』と来り、出んとすれば中島君来り、校正の疑問点問ひ、わがnoteなどもちゆく。
祖師谷大蔵までautoに同車、講師室でまづ上原・高城2君に遭ひ、いろいろ話す。都留君に会ひ、またし、白鳥芳郎君きけば「柳田文庫」と。
ゆきて講義すむまで待つことを約し、栗山部長に会ふ。痩せゐたり。「保田に不潔感なしと宮崎・山川(※宮崎智慧・山川京子)2女史云ふ」と!
都留生にゆけば田上生をり。都留とにぎりめし食へば2女生も同席。14:00まへ柳田文庫で白鳥君まち、出れば後藤武氏挨拶に来る。
白鳥君の話きけば「清先生、空手形数千万円もち、家と土地300坪の維持に困惑」と。「本の引き取りも止めん」といふ。
言葉なく別れて阿佐谷。地図2枚と『沖縄渉外史(100)』買ひて気すむ。
帰省せし依子とユ、買物に出、史、帰りをり。角力のtelevi見了へて井川皮膚科へ手の皮むけしを見せにゆく。

9月15日
ユと依子と渋谷へゆかんとせし処へ柏井尚子、老人の日とて船越叔母に物もち来り、しばらく話しゆく。
出たあと中島君来り、貸した本みな返し校正了る。「明日より京都へゆく」と也。
大江叔母より「アスアサ9ジノル12ゴウシャムカイタノム」の電報来る。
京、帰りしゆゑ荻窪へゆけば古本屋休み。寄贈者名簿作りしに50人を越す。

9月16日
ユと依子と大江叔母歓迎の準備に出てゆく。林富士馬氏よりハガキ。
13:30出て東洋文庫。『歳華紀麗譜』写して15:30となり研究室へゆけば、宮原・岡本の2君のみ。
後藤均平君外出と(神田君は学長選挙とて先に帰る)。松村潤君の帰り来しを機に散会。新宿で下車。
『三重県(50)』、『白河(35)』、『大田原(35)』(※地図)買ひて帰り、大江叔母と話す。
4人の叔父叔母より1万円を香奠にともち来る。史、われとbeerのむ。

9月17日
よべ3時までねられず6時起き、9:50山田千代、田中綾子両家に電話し「城平妹艶詣る」といへば「13:00ごろよし」と。
船越母子に挨拶せしめしあと、近くの飯島[バン]司の女といふに寄りて、赤坂見附の藤井寺町長夫人の見舞に、依子案内しゆく。
宮崎智慧氏より「原稿たのむ」と「27日(日)13:00〜16:00赤坂プリンスホテルへ来よ」の速達。
立教史学会より11月14日(土)の案内。ともに「出席」の返事す。(ユ、千草へ「19日13:30までに来よ」と速達出しにゆく)。
12:30叔母と出て阿佐谷北口よりtaxi、大新横丁通りすぎ、電話して野方小学校まで迎へに来てもらひ、
田中勤未亡人綾子、山田千代、天谷夫人といふ勤氏次女と話す。(※省略)
15:00出てbusに叔母のらせ、われそのあと紀伊國屋にゆき地図3枚(35×3)買ひて帰宅。

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9月18日
10:30十合へと女3人出てゆく。城平(康平連名)・昌三叔父へ礼状かく(速達)。(※省略)
午后、ユ帰り来りしゆゑ、荻窪へゆき地図(12×10)買ふ。夕方、大江叔母帰り来り、冷蔵庫2.9万とて注文し「あすもて来る」と。
中国后妃伝寄贈者
浅野晃、青山、阿南、植村、太田陽子、太田常蔵、小高根二郎、太郎、庄野潤三、浅野建夫、岡本敬二、岡田文子、神田喜一郎、信夫、 鍛冶美和、北杜夫、紅松一雄、後藤均平、齋藤晌、斎藤茂太、白鳥芳郎、清水文子、鈴木俊、諏訪澄、竹内好、竹田竜児、田川孝三、 田中万里子、高田宣武、原田運治、硲晃、原田淑人、古田房子、福地、堀ノ内、堀敏一、丸三郎、松本善海、松村達雄、林富士馬、谷川真佐枝、 坪井明、辻浩子、手塚隆義、西川、西宮、野崎その、羽田明、井上靖、松村潤、宮原鬼一、美濃隆子、森亮、山本文雄、横山薫二、天野愛一、 高垣金三郎、和田博徳、吉川幸次郎(60冊+20冊(※手渡し分)

9月19日
大江叔母、依子と渋谷へゆく。われ散髪にゆき、帰れば(11:00)伊藤徳来をり、船越の悪口云ひしあと船越叔母来る。千草来て叔母たち帰り来る。
3人にて吉益へとtaxiにてゆきしあと、われ吉祥寺へ菓子の予約にゆき、2千円予約置き「14:00もて来い」といひ、busにて荻窪。
地図11枚買ふ(11×10)。叔母18:30帰り来り「徳、船越章に会はざりしを怨む」と。「弓子をあとつぎにしたし」と。
けふ福地邦樹氏より香奠返し。十合より冷蔵庫とどく。

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9月20日(日)
9:30出て熊本商大教授の長老と同車(新高架駅となる)、話しながら着けばすぐ始まる。
礼拝すみて(受洗者2小児、洗礼1)、34周年に出、長老方に挨拶す。齋藤齋氏さそひて昼食し、別れて雨ゆゑマルゼンにて傘借り、
教会の前にて立ちて待ち14:00となり、門あきしゆゑ入れば菓子来り、ユ現はる。菓子屋に払ひにゆき、依子の自動車着きしも史のtaxi来ず。
(※実母西島これん追悼会)10分おくれて始まり、終りて感謝献金5千円。
お礼5千円。Print代1,000、オルガン1,000お渡しし、大江叔母に記念撮影さしてすむ。帰りてすしとbeerの会。母、弓子つれて帰る。
大江叔母と史に、湖東長女を(※史氏と見合させたし)との坪井の手紙見せ、家族会議。22:00退室、けふは楽しかりし。

9月21日
大江叔母とこへ章君来て話す。そのあと朝食し、11:00名古屋へ帰る依子、渋谷へゆく大江叔母と新宿まで同車。
成城大学へゆけば「昨日体育祭にて休み」と。帰り船越家に電話し、ユに伝へてくれといひ、新宿紀伊國屋へゆけば集英社及川氏に会ふ。
地図5枚買ひ帰りて齋藤齋、小泉幸生、木村和郎、笹淵友一、瀬尾健二5氏に礼状かく。
佐々木邦彦君より「梓君元気」と。夜、叔母帰り来り、三十子医師と結婚と聞き、福地君に手紙出さんといふ処へ叔母の弟子来る。
弓子「上高地へ25日まで」と出てゆく。
けふ堀口太平君に電話すれば「3,000枚にて4.5千円」と。人心と物価と平均す!「5日ほどしてとりにゆく」といふ。

9月22日
近所の飯島幡司の女、迎へに来り、叔母中村屋へと 10:30出てゆく。川崎菅雄より名簿の問合せ。
成城に電話すれば「今日は普通」と。武蔵野中央病院、キリスト者経営とわかる!

9月23日
(休日)あさより雨模様。お艶叔母、近くの吉村家へゆけば留守!帰りて船越叔母と話す。
11:00われ駅前にtaxiひらひにゆき、有料道路をへて東京駅(900?)。
大丸の食堂にてbeerのみsandwich食ひし、12:40、platformにゆけば母と千草待ちをり。発車間際1人だけ弟子来る。
帰りもtaxiにて渋谷に寄り(420)、大に丸への連絡すすめ電話すれば「不在」と。
千草と渋谷駅まで歩きしも礼云はず。新宿紀伊國屋にてまた地図2枚と『福井県(50)』と買ひて帰宅。
齋藤齋先生、葡萄もちて来たまひしと。この間、礼云ひし四十物谷(アイモノヤ)ひさえ嬢より「今後ものばしてゆきたい」と紙。

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9月24日
9:00すぎ寄贈者名簿、中島大吉郎氏に速達し、斎藤神経科。11:00まで待ち好調申上ぐ。新宿をへて成城大学。
笹井生と同行、講師室のぞけば栗山・宮崎・薄井・山田・大山の諸教授あり。研究室へゆけば麝島生もをり、「大藤教授は柳田文庫」と。
ゆけば鎌田女史の鶏料理食ひゐる。挨拶して庶務課長すみ、会計課(長不在)にて手当受取りしあと、加藤教授に遭ひて礼いひ、新宿まで直行。
紀伊國屋にてまた地図3枚買ひ(角川文庫『醒睡笑 上(160)』買ふ)、地下道にてrice-curry。
帰れば田村春雄、ParisのMaison du Japonより「羽田夫妻と会ひし」とのヱハガキ来をり。けふ火鉢入る。11月半の温度と。
ユ、婦人会にゆきしも齋藤夫人出ず、電話もかからざりしと。夕方電話すれば「甥の結婚式で忙し」と齋先生。
けふ史、渋谷泊り。京のみ在り。(20:00弓子帰り来り、上高地のヱハガキ呉る)。

9月25日
台風の余波の雨風。ユ、医者へゆけば神経痛と。福地君へ香奠返しの受取りかき、七人社より「コギト時代の杉浦君」のりし雑誌。
小泉長老より5千円の受取りととる。弓子けふ休暇。

9月26日
9:00すぎ、堀口印刷所に電話すれば「card出来てゐる。いつ来てもよし」と。10:30出て新宿より豊島園行にのり山吹町下車。
2階建てとし、4,500の受取作りをりし。飯時とてbusにて四谷へ出、紀伊國屋にて地図1枚買ひ帰宅。
依子より「物送った」、林叔父より「火災保険に入れ」と。14:00訪れしは相馬弘。「故郷大館の中学校で英語教師してゐる!」と。
夕食まで散歩し、19:30送り出し、出川外科にて火傷の手当してもらふ。(堀口のcard薄くなりをり!)

9月27日(日)
礼拝にわれのみゆき、この間の母の記念日に列席の人に礼いふ。衛藤氏ソヴィエトより帰りしと。齋藤齋夫人に挨拶もす。
出て帰宅。昼食し(影山正治氏より執筆の『京大新聞』来をり)。
13:00出て赤坂プリンスホテル(※宮崎智恵『槿花集』出版記念会)。
Elevator-girlに脱帽をいはる。婦人12人に中市弘(甲鳥書林にゐし)、齋藤正二の2氏のみ男。
われ、父の歌集を大伴・宮崎(※大伴道子(堤操)、宮崎智恵)2氏に贈り、欲しき方はハガキでといへば佐藤のぶ女史のみその場で申し込まれし。
Hyre呼んでもらひ16:20出て新宿。荻窪にゆきbusにのれば北廻り。松崎嬢に遭ひ、また荻窪にて地図買ひて帰る(160)。
留守中、畠山兄弟、紅松夫人、和田賀代の諸客ありしと(章君、病気とてまた会はず)。
けふ前川氏(※前川佐美雄)『捜神』もらひフランスへ嬢に会ひにゆく大伴女史に歌4首餞けとす。史、この3日間渋谷泊り。

9月28日
雨。寒し(11月半の陽気と)。棚町知弥氏より「雑誌送った」と。
「麦」の広告雑誌(※『本』麥書房発行)伊東静雄の特集にて『わがひと』1万円に近く、中原、立原追悼号(ともに『四季』)2,200と記す。
外科へゆけば「火傷ふかき故あすも来よ」と。史、渋谷から帰り来る。

9月29日
秋晴。影山正治・前川2氏へヱハガキかく。筑摩へ電話すれば中島君未出勤。「13:00ごろ本とりにゆく」といふ。
高橋重臣君より『漢訳漢名西洋人名字典』。佐藤[坊]哉氏(※佐藤方哉)より先生(※佐藤春夫)の原稿の写真版来る。
12:00出て地図買ひ、図書card(170×2)して筑摩へゆけば中島君未出勤。20冊もらひ東博氏呼んでもらひしも話さず。
美濃隆子夫人より「悪阻やんだ。転居する」と。大藤時彦氏より『東遊日記』来る。『果樹園』に「コギトの思ひ出」(200×10)かき速達す。
出川外科へゆけば「中々癒らぬよ」と也。夜、城平叔父に「3千円御花料送る」と。艶叔母に「本4冊送る」と。

9月30日
起きて「宮崎智恵論」12枚かき、城平叔父より「まみ子、汝が母に似ずや」との手紙と、チクマ書房より「1万2千刷る」とのハガキみて成城。
途にて大藤氏に会ひ(※『中国后妃伝』)1冊わたし、講師室にて松崎(妹)嬢にきけば「栗山博士関西旅行」と。
本托し、山田・高田2氏にわたし、短大にゆき坂本・富永・池辺3氏に渡し(鎌田女史の分托す)、研究室へゆけば鎌田女史をり。
講師室に帰り池田博士(※池田勉)に会ひてまたわたし、山田氏とOrissa(※喫茶店オリッサ)にゆき、むすび食ふ。都留ほか1男来る。
「われらにも一年休暇与へよ」との言なりし。下北沢にて別れ、新宿をへて西武dept.に宮崎氏訪へば「軽井沢」と!
原稿托し、時間余りしも金なく、丹波夫人に「30年記念会せん」といひ、東洋文庫にて岩井博士に1冊贈れば喜ばる。
時間余りし故、田川氏に紙もらひ『咸淳歳時記』写して16:00、松村氏の室へゆけば神田氏のみ。
独人のDr.BodoWiethoff博士呼び来る。「明末清初の支那沿海の研究室す」と。「あさって18:00阿佐谷交番前にて待ち、家へ来」さすこととす。
田川博士の講義長く18:00近くなり、腹へりて帰るに切符失ひ、神田氏に譲られて一旦外へ出、買ひ直して帰宅。
けふ常陸宮創立。出川外科にて痛き目に遭ふ。「風呂即金ならば2万2千円余にてかはる」と也。夜、花井タヅ子夫人より柿賜はる。

10月1日
朝起きしは9:00。船越章の保証印にてユ、実印証明とりにゆきしに「代理人にては不可」と。われゆけば「保証人いる」と。
船越父子とゆけば、その改印にまた別の保証人いると(この間林叔父来り、東京海上火災保険に100万円入り2,800を払ひし)。
荻窪まで国鉄でゆき区役所出張所にてこれを貰ひ12:00まへ帰宅。花井邸へ電話かけしも無人、礼状かく。
高橋重臣氏にも同じく礼状。出川外科へゆく前散歩す。

10月2日
3:00さめ5:30出てDr.Wiethoff博士迎へにゆきしも来ず(a.m.とかきしと思ひし)。帰りてまた寝、さめれば11:00。
昼食せしのち新宿へbusでゆき紀伊國屋にて岐阜、京都2県の地図と「三崎」、「長沼」買ひて帰り、出川外科にゆけば「経過よし」と。
けふ今井富士雄氏より「后妃伝受取った。相馬に会った」と。田舎漢にもこのたくみありし也。
佐々木邦彦氏より「大丸にて個展2〜7日」と。17:30再び駅にゆけばWiethoff氏も「早く来すぎてぶらぶらしゐし」と。
つれ帰り、卒論(※帝国大学時代の「清初の支那沿海」)見せれば「貸せ、帰国までに返却」と。ライスカレー食ひ、喜びて帰りゆく(21:00)。
「33才にてKölnの生れ」と。「台湾銀行発行の本、殆ど集めし」と。わが『后妃伝』とふろしきともち帰れといひてわたす。

10月3日
このごろ夢しばしば見て変なり。『東方学28』来る。会費切れなり。松浦高嶺氏より「9月24日帰国」と。
山本喜蔵氏より「東京へは日帰りにてしばしば来るも云々」。
ユ、医師へ出るとすぐ大江叔母より速達「坪井に会へば湖東より話出た。近々母娘と会ふ」と。夕、城平叔父より御花料の受取。

10月4日(日)
久しぶりにユとともに礼拝にゆき、帰り叱りてマルゼン道具屋に支払ひにゆかす。坪井より「7日〜11日在京」と。
『Biblia28』来り、『柳田国男集』来る。(笹渕教授に『中国后妃伝』わたす。けふ竹森先生高知へゆき、トヨ先生の講話なりし)。
散歩に出てヱハガキ(60)買ふ。京、級友のバレーの見物に出、18:30弓子天城よりヱハガキ、竜胆などもちて帰る。

10月5日
よべ3:30ごろ目ざめ、またねて8:30。『果樹園』来り、伊藤徳子より「10月7日の会に出ず。縁談ありや」。(※省略)
けふ「朝日」に広告のる。佐藤ノブ氏へ父の歌集包む。10:30出て地下鉄にて大丸。
係の見喜氏といふに梓君へのcakeわたし初日のみ佐々木画伯来しときく。
地図2枚買ふ。横に『中国后妃伝』積みあり。帰ればいれちがひにWiethoff氏来り、卒論返しゆきしと。

p23

10月6日
ユ、柏井歯科へゆく。やっと手塚・林・青山諸氏より『中国后妃伝』の受取来そむ。
宮崎ちえ女史より「若林女史にこわい人と云はれた」由。3氏と棚町知弥氏へヱハガキ。
けふの「朝日」に(※同名異人の)田中克己氏の近著『遺伝相談』といふが出てをり、ややこし。
午后、高円寺の古本屋散歩し西川に電話すれば外出(大江叔母より「湖東令嬢に会った。この上なし」と速達)。
横山薫二君より受取。16:30西川に電話し、坪井に連絡電報たのむ。けふ地図すむ。

10月7日
曇時々小雨。太田常蔵、浅野晃、宮原鬼一の諸氏より『后妃伝』の受取。出版ニュース社より「わが著書を語る」欄に書けと。
文学散歩の会より「24日(土)清澄庭園で総会」と(出席の返事す)。パアゴラ社、安田明子夫人に返事。
荻窪へ散歩、『后妃伝』売れずにあり。夜、21:00坪井より電報「アス6時来ヨ」と也。

10月8日
雨。斎藤先生に症状なきをいへば「学校へ示威にゆけ」との御様子也。帰りて林富士馬、清水文子、丸、竹内、松村潤、鍛冶美和諸氏の受取見る。
「鈴木氏の会、11月6日」と。「出席」の返事す。
山本喜蔵、今井富士雄、松浦高嶺、林富士馬の諸氏へヱハガキ。16:30出んとせば庄野潤三氏より受取。
坪井に会へば「あす史に会ひたし」と。「ルリ子のことはしらべつかず」と。紅松に電話して本の礼いふ。
渋谷電話すれば大、不在。あす9:00〜10:00に坪井電話することとなる。

10月9日
よべ3:00眠剤のみ、8:30目覚む。トクに電話すれば「15日まで多忙」と。
原田淑人先生(ご病気なりしと)、竹田竜児氏(春夫先生の20年8月の荒木隊宛のおハガキ同封)。太田陽子より受取。それぞれにヱハガキ。
けふ風呂桶買ひ(22,500)、船越より5回に2千円づつもらふこととし1回分受取る。史、坪井と会ひ「13日田中順二郎宅にて湖東令嬢と見合す」と。

10月10日
晴。ユ、浅野へ耳の治療にゆく。川久保、佐藤ノブ2氏より受取。鍛冶、福島母へヱハガキ。
11:00荻窪の古本展。期待の地図なく(渡辺書店この次に出すと)、
青木氏よりTagalog語(800)と高校生用の『故事熟語成語集(50)』といふを買ひて帰り、第18回Olympicの入場式をteleviで見しあと、
(ユ、中耳炎と浅野dr.診断せし。わが本着かずと)、東京駅前の坪井の宿へゆけば女中失礼、色をなして怒り海苔(950)置いて来る。
けふ田中順二郎に電話かからず、散歩のあと(18:30)丸に電話すれば重俊「試験に出し」と。

10月11日(日)
ユに坪井の宿に電話かけ礼云はす。大江叔母に速達し、史のこと、徳のこと云ふ。
礼拝にゆき、竹内夫人に電話すれば「来よ」と。ゆきて本の出し礼いふ。帰りてOlympicのtelevi見る。
けふ城平叔父より10月7日の50回忌の報告、佐々木邦彦氏より梓君への贈物の礼、齋藤晌博士より(※裁判終結につき)「20日礼の会する」と。

10月12日
ユをすすめて浅野dr.にゆかしむ。Olympicのtelevi見、かたはらcard。齋藤晌博士へ「20日出席」の返事。(※省略)
Olympicの重量挙にはじめて日の丸揚る。畠山博光君、新潟より松茸みやげにもち来り、televi見て帰る。就職きまり(大東水産?)のん気也と。

10月13日
大藤時彦氏へ『東遊雑記』の礼状。和田博徳氏より西太后の箇所の誤(植を含む)多く指摘。
山本文雄氏より「文芸部長やめた」と『新聞編集論』贈らる。硲晃氏よりも受取。午后散歩に出るまでOlympicのtelevi見る。
鶴崎祐雄より『白楽天』『后妃伝』ともに読みゐる由。夜、史に「あす菓子もちゆけ」と云へば「何しにゆくかわからぬ」と暴言吐く。
「行くをやめよ」といひしもきかず。(けさ和田先生の論文よみ、あすの研究会の用意すむ)。

10月14日
よべ12:00眠剤のみ覚むれば9:30、televi見、炬燵切りと応対し、白鳥芳郎氏より「南詔はロロ族の国」と。齋藤晌博士より「20日会ふ」との手紙。
『骨』、『不二』受取り、和田博徳氏へ「訂正を謝す」との手紙かき、午后また高田宣武、西宮一民2氏の受取ハガキ見て、
東洋文庫へゆき、われよみて『李朝実録抄』第2冊すむ。神田氏「和田博徳氏より栄禄の西太后の甥は怪しと伝言ありし」と。
(『醒睡笑 下(140)』出てをりしを買ふ。『后妃伝』は全く売れず)。阿南氏に「一度来よ」といへば「来し」と。
Wrestlingの国旗3本揚るを看る。史11:30帰宅。

10月15日
とく女史「13:00来宅」と。史「よく考へさしてくれ」と。鶴崎祐雄、山本文雄2氏へヱハガキ出す。川久保悌郎、高田宣武2君へも同右。
青木母生へ同。植村清二先生より「どっしり構へてゐる云々」のおほめ。『骨』山前実治君へ(※いつまでも送って下さり)「心苦し云々」。
14:00とく女史あらはれ写真とり、吊書かかす。池田勉博士より受取。平中苓次氏より「11月3日入洛すや」と(「せず」と答ふ)。
(※省略) その中、真蒼となりしと。この間中の疲れみな出しらし。眠剤のむ、時に21:00。

10月16日
眠剤よくきき、目覚むれば9:30。頭少し痛く、伊藤徳紹介の状、大東博士夫妻にかき、NHK教養部の遠藤滋氏の来訪。
21日清末史座談会に野原四郎氏の推薦といふを断り、和田博徳君を推薦す。諏訪澄君より「大叔父にたのんだ云々」。(※省略)
坪井より湖東の親類書。艶叔母より伊藤重義(徳女史の祖父100才)の書付受取る。田中保隆氏「小金井に新築」と。
14:00散歩に出(花井タヅ夫人に「あす午后ゆく」と電話を朝の中せし)、大宮公団にゆき疲れて中野行のbusにのり、
乗換へにて順乱せし高校生を叱りて小倉博士『おさんずいひつ』買って帰る。史「断る」と返事。

10月17日
よべ眠剤2錠のんで眠る。9:30起き、ユ浅野博士へゆく。われ〒受取れば田村春雄氏、白浜より「帰朝、羽田博士に礼いってくれ」。
外山軍治博士より本買へ。(※同姓同名の)田中克己博士より「お宅あてなり」と日下部某氏のハガキ。
東方学会より天理での総会の出欠問合せ! 大江叔母に手紙かき、坪井に書類かきとめにて「断る」の返事速達す。
『大清歴朝実録』の太宗・世祖・聖祖の部を買ふことをユ、許す。(斎藤医院にゆき、担任の先生より眠剤5服もらふ)。
池田勉博士へハガキ。14:00山本書店へ電話「あさってとりにゆく」と約束。ユと出て花井家へゆく。(※省略) 花井家の坊や可愛し。
柿また貰ひて出る。(cameraの直したのむ)。相馬弘へ写真送る。田村春雄へ「帰朝おめでたし」とのヱハガキ。福島生母君より『五十四万石』着く。

10月18日(日)
雨。よべ眠剤のみ6時間眠る。福島恵美子生母君へ礼状。齋藤晌博士へ「20日差支へにてゆけぬ」と速達。白鳥芳郎氏へ「南詔ロロ説初耳」と。
礼拝にゆき笹淵博士より面白かったと『后妃伝』の評きく。帰れば、ユ宛羽田夫人よりヱハガキ。松村達雄より「忙し」と。
(教会の9月月報に「亡母50年記念感謝献金5,000」と記入しあり)。杉並電話局より「22日9:30出頭せよ」と、これもうれし。
木村三千子氏より松茸1カゴ賜はる。

10月19日
よべも眠剤のみ8:00前起き9:30ユと三井銀行へゆき3万円おろし、地下鉄にて斎藤病院。待合室にて国領といふ同院患者に会ふ。
意外にも北杜夫氏の診察にて「大して心配いらず」ときき、「横山君によろしく」といひ、
電車にのれば「先生」と丸玖美子。けふは丸弁護士調停に出てくれることとてふしぎ。
山本にとりのけてもらひし『大清歴朝実録』3代にて11冊。28,500払ひ、鰻丼くひ、筑摩の中島君に電話せしあと、
集英社へゆき『薜涛・魚玄機』を木村三千子氏へ送ることたのみ(1,080)、渋谷へ電話し、近々会ふことをいひ、
筑摩へゆき『后妃伝』5冊と『ノンフィクション全集18』1冊とを買ふ。近々電話引けるをいふ。帰れば14:00。
仁井田博士より『白楽天』の受取! 美濃隆子より「『后妃伝』を夫婦でよむ」と。松村達雄・木村三千子の2氏へヱハガキ。
ユをして徳女史に写真送らす。(けふ地図2枚買ふ)。硲・美濃・辻浩子へヱハガキ。ユも羽田夫人にヱハガキ。

p24

10月20日
よべ眠剤1袋のみ3:00すぎより9:00まで眠る。葛山為久子より「泣き寝入りした。体わるし」と。谷川真佐枝より『后妃伝』の受取。
集英社より4回配本の受取。坪井より余と史へ速達。集英社及川氏に電話し、第5回配本『薜涛・魚玄機』を送る様たのむ。
葛山・谷川2生へヱハガキ。頭痛し、この日記よみ返せば名古屋へゆきし頃とほぼ同じ也。
けふ田中克己博士へハガキ返信。別便にて『后妃伝』送る。白水夫人来る。ともに出て紅松家に電話かけ関行、青物市場で下り、
ゆけば夫妻ともにあり。『ノンフィクション全集18』呈すれば俳句見せらる。「虫の音のやがて韻律となりにけり」といふがあり。
(※省略) 史あての坪井の手紙に「ゆっくりでよいから返事くれ」とあり。

10月21日
曇。よべ眠剤1袋のみ9:00覚める。渋谷より「咲耶あす帰る故来よ」との電話ありしと。
radioの番組みれば、紹介せし和田君出ず、坂野正高、野原、池島の3人にて「北清事変」を語る!
西宮一民・植村清二先生へヱハガキ。11:00出て成城駅にて12:00。講師室1号館に変り上原・高城などとまた会ふ。
松崎嬢休み、牧野副手に後藤、加藤英倫、田中久夫の3氏へ『后妃伝』托す。
文化史研究室へゆき大藤、今井の匆々逃げるを見、川上副手と話しゐれば麝島生現はる。
2人と昼食約し、講師室にゆけば池田教授をり、栗山博士へと『Biblia』托す。
手当66,000もらひOrissaにて2生と13:30まで話して渋谷。車中アベベ(エチオピア)Marathon第一位ときく。
東横の売店2軒見しに『后妃伝』売れゐるらし。14:30渋谷につき(busにてユと遭ふ)Marathonのtelevi見る。円谷3位となりて倒れし。
林叔母あり千草夫婦は現る。「きのふの調停にルリ子出ざりし」と。16:00帰る岑夫を送りて咲耶17:00現はる。
われ林叔母と渋谷まで同行。(「熊本県」、『悲劇の皇帝溥儀』買ひし)。
ユ、出しあと「大阪の高橋」とて果物もち来しは高橋重臣君ならん。澄の履歴書送り来て大「会ひてのち」と云ひし

10月22日
よべ眠剤2服のみ8:00目覚む。ユ、電話局へ9:30にと出てゆく。伊東マキ「結婚して坂東姓となりし」と。
伊藤徳子「大江叔母25、6日頃まで佐渡」と。萩原葉子氏『木馬館』出版記念会と。
きのふ買ひこし本にては「溥儀の母は栄禄の女」との系譜あり。船越伯母にきけば昨日来しは大阪の高橋一好らし。
斎藤dr.の薬ねむく、さめれば20:00。夕食し、入浴し、melon食ふ。(けふ電話(314)2783ときまる)

10月23日
眠く、目あけられず終日臥床。堀ノ内歴の詩集、吉祥寺をへて来る!高橋一好へ礼状かく。
夕、艶叔母より「この縁にがすな」と越後の旅中より速達。

p25

10月24日
雨もよひ。よべ眠剤のむ。円周率を3.14165489とし、ギリシアの3哲人アリストテレス、プラトンまでにてソクラテス思ひ出せず困りし也!!
9:00柏井歯科へゆき。、帰れば花井タヅ子夫人より「カメラ直りをり」と。野口駿雄より「結婚した」と。
小包にて萩原葉子氏の『木馬館』来り、野崎その氏より奈良の菓子と奈良漬けと手紙。「夫婦でよんだ。癒ったと認める」。
ユ、斎藤dr.へ薬もらひにゆく。坂東まき、堀ノ内歴、萩原葉子の3氏へヱハガキ。
ユ、帰り来り、昼食にラーメン食ひ、紅松君に写真送る「菊の花咲くや山辺も家の庭」。(※省略) 露伴『洗心録』買ふ。(※省略)
萩原葉子氏に「出版記念会にちょっと顔出す」と。鈴木俊氏の会とダブリをり。

10月25日(日)
われ礼拝休む。田中克己博士より「1冊買ったが研究室の女の子云々」。(※省略) 木村三千子氏より「本、たのしみに待つ。小林英俊の寺へゆきし」。
『伝承文化』渋沢敬三追悼号来る。(※省略) 午后総理大臣池田隼人辞意表明。
手塚隆義部長来訪「白鳥清先生9月で退職」と。天理の高橋重臣君に紹介かく。「来月9日以後に芳郎君と鼎談せん」と。(※省略)

10月26日
柏井歯科へゆき、帰れば大工さん来をり。(※省略) 田中久夫氏より『后妃伝』の受取。ユ、花井タヅ子夫人に電話しカメラとりにゆくこととなる。
(※省略) また出て『国史の研究法(250)』買ひにゆけば、学校に置きしあると同じ也し。
花井家よりユ帰り「カメラの故障はおとしたため」と。嫁一人話ありと。田中久夫氏へ「荻窪の市の帰り寄れ」とハガキ。

p27

10月27日
このところ眠薬連服のためか2、3日前より便秘。(※省略) 近くの外科へゆき内科なりと教へられ注射うってもらひ、11:00排便して斎藤dr.。
「少し良くなった様だな、薬かへよう」と。待合室で見し『産経Olympic号』ほしく、近くの本屋へゆけば「売切れ」と。
山田憲太郎『香料の話(250)』といふを買ひ、雨気の中をいそいで地下鉄阿佐谷。本屋に読売のOlympic特集(200)ありし。
これと汽車時間表とを買って帰宅。昼食す。(※省略) 出版ニュース社より掲載誌。都島工高文芸部より「一筆を」と(「この道を」書いてやる)。
池内先生追悼会「13回忌にて7日19:00より」、東洋史談話会(8日植村先生の「山西旅行談」)と2つの会の案内来る。池内先生の方に「出席」の返事。
台湾の詩人、呉瀛涛氏より「交換を乞ふ」と散文詩集『海』。織田喜久子氏へ「秋の日のおちゆくあとを片羽蝶」。
夜、呉瀛涛氏へ『ハイネ』買ひに出て『后妃伝』売れゐるに気づく。弓子、母へ硯箱造りてくれし。

10月28日
雨。都留生へヱハガキ。古田房子、庄野潤三氏よへも同。柏井へつぎ伯母の写真もちゆく。数男、「俊子姉につれられて灸すゑにゆき休診」と。
帰宅して13:00となり、杉並郵便局へ大江叔母のFilm書留と、
呉瀛涛氏へのヱハガキと、あと台湾への開封(※書籍小包)の出し方きく中、係り金をわたせしこと忘れて了ふ。
結局『Heine』は第一種にすべきらしく、出て電話局。工事請負人に電話して「たぶん明日」と云ふ。busにて新宿、東洋文庫へ15:10つく。
『咸淳歳時記』を35分写し、松村氏の室にゆけば神田信夫氏のみをり。
台湾への郵便の話する中、松村君帰り、岡本、宮原2氏と田川博士とで読み合。
帰路、岡本氏の車にのせてもらひ中野まで来て10月にてすみし。
NHK教養部の遠藤滋氏より「和田博徳氏は電話なかったので云々」。賀代女史来てをり夕食してゆく。(柏井の帰り『三好達治特集(25)』買ふ。)
高橋重臣氏へ「手塚部長ゆく」と速達。手塚氏にも同意味のハガキ。『果樹園』の「コギトの思ひ出」半ばかく。

10月29日
よべ眠剤2服のみてやっと眠り、起床8:30。郵便局へゆき高橋君への速達(40)、台湾への航空便(140)。
ガス出張所にガスレンジの修繕たのめば「午后来る」と返事よし。帰りて散髪にゆけばまたまた350と値上りしをり。
堀ノ内歴君より「瀕死の床にあって出した詩集」と!すぐ見舞の手紙かき「見舞の物、別送する」といふ。
午后、柏井歯科へゆき、尚子と林芙美子の閲歴にてカケをす。「15日か21日に支那料理にて記念会せん。会場さがせよ」と也。
帰途、林芙美子の明治37年生、昭和26年死としらべる。外山軍治博士へ「満蒙資料研究会にて10冊買はすことにした」とハガキ。
(※省略) タバコ買ひかたがた出て阿佐谷の中華料理店を歴訪し、駅前の「新京」といふが14:00〜16:00、1卓3,000(5名)といふに当る。
夜、「コギトの思ひ出」200×11書き了へ、数男に電話して「新京」のこといふ。

10月30日
よべ眠剤のみて数時間ねむれず。6:00前目覚め(一度羽田をゆめに見し)、
『果樹園』にと思ひて「花と息吹の作者(200×9)」書き、思ひ直して堀ノ内歴に送ることとす。
(※省略) 咲耶よりユに「兄、わりあひ呑気に見えた」。他に大高同窓会より名簿\800と。
出て『文学アルバム林芙美子(250)』、『うづ潮(110)』と買ひて柏井歯科。俊子姉の意見にてすしやかうなぎ屋にせんと。尚子探しに出ることとなる。
午后、電話局来るかと待ちあぐみ、赤川氏へ散歩にゆけば心悸す。その話すれば夫妻心配し、近藤医院につれゆかる。
Dr.「神経」と。鎮静剤たまふ。赤川氏を家に伴ひ、いろいろユと話し、斎藤病院の薬と併用すべきかききしにやれば「単用すべし」と也。
心悸やや収まり、ユの説では去年の今頃と同じ症状と。(※省略) 
ユ、北鎌倉に土地もつ夢あるを知る。わがゆめは召しに応じて安らかにパライゾウ(※天国)にと足ふみ入るる。

10月31日
よべ眠剤半服のみ、1:00〜6:00就寝。起きて元気なれど排便2回。
涌井千恵子より「長沖先生に会ひ、下阪聞いた。9月より十二指腸潰瘍で入院中、大和柿と芋送る。『白楽天』よんだ」と也。
集英社出版部より『世界名詩選集』に白詩2首とハイネ2首を入れさせよと。「承知」の速達投函。
11:00赤川草夫氏「心配した」とて見え、ついで青木直樹氏来訪。自家製のラーメン「うまし」と食って帰る。(赤川氏りんご賜ふ)。
15:00涌井生より芋と柿来る。折しも木村繁喜氏来訪。敗戦後はじめての面会と。『果樹園』にて住所知り吉祥寺へも一度来訪、訊ね当てずと。
稲毛屋に案内し鰻食ひて別る。(昭和電工次長49才と)。


昭和39年11月1日〜昭和39年12月31日 「伸記」
25.3cm×18.0cm 横掛ノートに横書き

p28

11月1日(日)
よべ眠剤半服のみ(11:30)2時間ねて目あき、そのあと仕方なく『溥儀伝』よむ。つまらず。
朝起きし時、元気なりしも、そのあと心悸せし故、ユと共に教会の聖餐式には出ず、斎藤神経科。
富永先生といふ日直に病状はなせば結局「入院するがよし」となる。
2婦長(朝香さん?)と話し6畳の個室に案内受け「半金の2.5万と保証人として西島大の印もらひ来る」こととなる。
付添なかなか来ず、隣々室の森さんといふにいろいろ教はる(ユの再来14:30。けふ大工さん、電話、月賦屋とみな来しと)。
(富永先生午后の回診に「武蔵野中央病院にて診た」との話、恐縮)。あすあさ再来いひてユ、匆々帰る(よそへは渋谷泊りといふと!)。
そねまず、ひがまず、呟かずあらん。むつかしけれど。岩波文庫の『福音書』ゆるゆる読むこととす。
(けふ弓子「ついて来る」といひしと。瘋癲の児と呼ばれむを虞るれば、旅に出しといつはり云はん)。
17:00前、矢口さん(茨城県人)といふ付添来り、夕食。「タバコは食後1、2服とせよ」と云はる。薬、夕食後のみ、20:00のみ、足らねば追加0:00と。

11月2日
よべ1:00追加のみ6:00前目覚む。雨降りをり。
「朝起きて主の名唱ふるかく弱きわれ罪の子を強くなさしめ」
朝食8:00。矢口さん石岡と。「けふは北先生(宗吉ソーキチ)の番にて、朝の中まはられることあり」と。待ちしも来られず。石岡在の坪8000円と。
11:30ユ、来り、昨日帰りに渋谷にゆき印もらひ、ハクセンコウ貰ひしともち来る。
折しも宗吉先生お越しあり「2、3日バカになれ」と、執筆・読書とめらる。ユ帰りぎは矢口さんに1千円わたし、1千円チップに与ふ。
(井上多喜三郎、外山、伊藤徳子の諸氏よりハガキ。『Biblia29』。)

11月3日
一日退屈してすごす。ユ、11:30ごろ来り、井辺太郎の転居通知もつ。この次金曜に来ると。
けふ院長回診なしとて看護婦さんに便のこといふ。けふは明治節也。(体重38キロ!)

11月4日
曇。午后院長先生回診「週刊誌よんでよし。日記よし。明後日心電図とる」との仰せ也。早速買ひにやりて『週刊朝日』よむ。
「折にふれ御名をとなふるその時し われが心はすなほになるも」

11月5日
曇。よべ8:00眠剤のみ、5:00まで眠りし。
「かたきをばわれ討ちたりとゆめみゐる うたれよと主はのたまひしもの」
矢口嫗、意外にも看護婦免状もち脈搏はかってくれ65と。同女タバコのむを発見す。
「菊の花咲く晴天を病室に神思ふことすくなきわれは」
「ひとごとにうそつくことをとがめじとゆるしたまひし主は強ければ」
「父の日に買ひもち呉れしパーカーを使ひつ思ふめぐし弓子を」
「わが室の隣にいねし女子大生われにあはせて歌ひし日あり」
「旅に来よ待てりといひし友ありき青島の図を見つつおもふも(中村地平)」
「口とがらせ物いふくせのありたりしスジャラ・ムラユの主幹はいづこ(北町一郎)」
「わがよはひ高くしなれり茂吉大人(うし)のまな子の建つる病院にをり」
「いのちあるかぎり1首を一日にといひし友も早く死にしか」
「わがつとめなほありとかや父なる神けさもとくより覚めしめたまふ」
午すぎ便少々あり。それを先生にいふ。「外出しばらくして」と云はる。入院以来食事旨く、とりわけ漬物佳し。

11月6日
よべ20:00にね、2:00目覚め6:00〜6:30またねて快適。ユに電話すれば「出るところ」と。「チクマの印税2回に分け1回分は入りし」と。
ユ11:00来り、三浦先生回診。心電図とり玉ふと也。
ユのもち来し松茸飯は大阪の辻浩子より贈られし松茸と。高橋重臣氏より「手塚教授の接待心得たが令息上京の意なし」と。(※省略)
チクマより印税2回に分け1回分12万円入金したと。文学散歩の会に「欠席」の返事す。
けふ電気コンロ買ふ(1千円)。心電図とらる。ユ「来週月曜に来る」と。
昨日?「澄来り、大と会ひし」と。GelbeSorte2箱みやげにくれ「世田谷に泊る」と出てゆきしと。

11月7日
眠れず21:00、22:00、0:00と3回眠剤のみ、目覚むれば5:45。(※省略)
「ゆめのまとうつつを分かぬわが病ひ妻のおどろきまことに可なり」
「なにゆゑにねられぬよひとひと問ふもわれはしらずと答へにあぐむ」
「罪ふかき太宰治の死にざまをひとはゆるしてたたふるらしも」
午后入浴。「パンがなくとも人は生きられる・・・あなたの主なる神を試みてはならない・・・主にのみ奉仕せよ(マタイ4-4-10)」
「「わが道はけはしき道」と人みなの思ふとわれは思ひしものを」
16:00井上dr.回診。「天気よくなれば散歩す。血圧125〜90」と。けふ立冬と。

11月8日(日)
よべ9:00眠剤のみ4:30目覚む。けふ散歩20分すと矢口嫗の話。
「わだの原越えていくたびわがゆめはベツレヘムへと誘(いざな)はるるも」
「ゴルゴダの丘よ死海よそにそそぐヨルダン河よ一目見まほし」
「朝の虹わが生涯にいくたびか見しとかぞふる老いにしわれは」
けふの回診の先生は吃音か。「落ち着きなきを見よ」との婦長の指示にて中国語について質問さる。
11:00千駄ヶ谷のガード下まで矢口嫗と散歩。12:30午飯食へばユ、不意に来り「速達など来たから教会の帰りに」と。
速達は『図書新聞』の保田『現代畸人伝』の書評をと也。「病気のため不可」と返事す。『果樹園105』来り『中国后妃伝』の広告は見えず。
毎日の「茶の間」は「いつにてもよし」と。
川久保「松本善海大病にて初めての外出とて鈴木俊氏の会に出た。池内先生の会には夫人と令息と出たまひし。11日まで在京」などといひしと。
(※省略) 「あす若先生に外出乞ひ、今週一杯にて退院せん」と相談きまる。
井上多喜三郎、井辺太郎、高橋一如、宮崎昭子の諸氏へヱハガキかく。小高根二郎氏へ「その中、金送る」旨。

11月9日
よべ9:00眠剤のみ11:00追加のみ、覚むれば4:30。快便あり。11:30若先生の回診あり、
「横山君に本性きいてくれ」といひ、外出願へば許され、ユに電話して12:30帰宅。
高橋重臣氏の「鈴木治氏またよせあつめか云々」の手紙見、辻裕子夫人、手塚部長(「高橋氏の世話にならざりし」と)、
福地君(「引越した」云々「二書ともよんだ」云々)、田村春雄博士などの便り見、柳田全集34冊となりしを見、筑摩の中島君に電話番号いひ、
山本書店に『説郛』、『続説郛』(ともに精製本5,000×2)「月曜までとりおいてくれ」といひ、
14:00出て古本屋にて『町医三十年(30)』、『愛新覚羅浩子(30)』、『全植物図鑑(350)』など買ひbusにて帰院すれば矢口嫗、午の薬わすれたともちゆき帰りしがあと。ユ、斎藤院長と話すとて「明日14:00再来」と。高橋氏へ「礼状出したが云々」

11月10日
よべ21:00眠剤のみ5:00前めざむ。まづ良き方なり。福地君、山尾夫人へたより。『町医三十年』有益なり。
午后回診まで矢口嫗に誘はれ、御苑の菊見にゆく。
14:00前帰院すれば、ユ来てをり、院長先生にゆき16:00やっとすみ、「いつにても退院してよし」とのこと也と。
やがて回診の先生にGelbe Sorte差上げ、本日の帰宅お許し受く。
そのまま荻窪へ直行。陸地測量部の地図20枚と『タガログ語語彙(200)』買ひて、18:00帰宅。
川久保に電話して兄上に「帰宅したら電話したまへ」との伝言たのみしに、やがて新宿より電話「成田君と会食、帰りに寄るつもり」と。
20:00赤川氏に電話して見舞の礼いふ。川久保、成田君をつれ来る。『異域録』贈り、三田村博士の論文貸す。『清朝実録』そろへしと也。
成田君「山田雲太郎の収入、億を越す。大衆は賢し」と。21:30出てゆきしあと入浴、22:30眠剤のみ2:00目覚む。

11月11日
早川智慧氏へ電話(※自宅番号)しらす。母より年賀ハガキにつき電話かかり、わが事たづねず、出て退院のこと云ふ。
また荻窪の古本屋。地図12枚、『近畿案内記 上(50)』その他買ふ。
台湾の呉氏より「50才になる公務員。汝の『李白』を友人訳しをり、今に本になる」と等々。
織田喜久子氏より「そのうち何か書け」と。古本市にてシャッキリしたるはふしぎなり。
12:00すぎ出てbusにて四谷三丁目。斎藤神経科につけば矢口嫗「もう退院してもよろし」と。「あと一日」と云ひてすむ(けふ回診なし)。

11月12日
ユ、来り「金足らず」と。矢口嫗の払ひ借らんとする故追ひ返し「13:00再来せし」と出る。田中久夫氏きのふわれに一足おくれて来たまひしと。
矢口嫗1,500+食費+自動車迎へ賃なりして計18,730(チップやらず)、入院料・付添食費料26,800+治療費10,740+付添フトン?2,160+ガス使用料360+看護婦礼3,000+先生礼(ビール1打)1,560+・・・
涌井千恵子より「月末まで入院」と。船越家にて『鈴木俊教授還暦記念東洋史論叢』預りくれをりし。
NHK教養部の遠藤滋氏へ「電話引けた」と。白鳥芳郎氏に電話せしもかからず。

11月13日
よべ11:00すぎ眠剤のみ、覚むれば6:00前也。9:00高橋重臣君より電話、「10:00来る」と。10:00ゆけば弟(阿佐谷北口の斡旋屋に勤む)と話しゐる。
家へ案内して色々話し、訊ね、昼食くはせれば「肝臓悪し」と。
13:00丸屋市川に案内し、われも『大和の年中行事(150)』、『TheSoviet regime(50)』買ひ、柏井歯科へゆき入れ歯してもらふこととす。
22日のこときき出て『東洋の政治経済(30)』と安本買ふ。けふ宮崎智慧氏のことかきし『花影』来る。
(高橋君待つ間に「旧婚旅行」200×4書き毎日新聞「茶の間」へと天野愛一君に速達す)。丸夫人に電話の番号しらす。

11月14日
よべ眠剤11:00のみ、5:00前さめる。田中久夫氏への投函たのみ、涌井千恵子生へ見舞かく。ユ、きのふより中耳炎再発。
12:00出て新宿までbus、秋葉原行といふにのり飯田橋でのりかへて山本にゆく。(紀伊國屋で『鳥取県(50)』買ひし)。
『説郛』『続説郛』ともに仮装にてあり、喜びて『四時纂要(1,800)』買ひ、神保町よりまた都電にて池袋。
宮崎智慧氏に会ひ「処女歌集くれ」といふ。「大伴女史まだ帰国せぬ」と。
立教へゆく途、田畑副手に会ひ、またしばらくして高田宣武夫妻(妻の名カツヨと)に会ひ、茶おごる(その前、東武の喫茶室にてcream-sodaのみし)。
我来ぬと見て出、慶応病院の兄訪ぬと。立教へゆき講演二つきく。井上教授をり、すぐ懇親会(500)となり、手塚部長に白鳥、高橋両家の説明す。
井上、高橋(元東洋大学)の二君、(※東洋大学紛争時における)わが正義派の証明せし。
海老沢・若原2氏の間に坐り、beerのみ(村田昭三郎来をりし)、西田副手に「来よ」といふ。教へ子わづか3人なり。
すみて裏通へ出、『南太平洋ひるね旅(100)(※北杜夫著)』、『東西文化の交流(40)』買ふ。(小林通雄『后妃伝』くれと云ひし!)。
帰れば村田より電話かかりしとユ、迎へにゆく。『古詩源』着きをり。村田に『アメリカ史物語』与へ「三鷹の兄の家へゆく」といふに通りまで送る。

11月15日(日)
久しぶりに礼拝にゆく。
行き帰りに本屋のぞき見しに『后妃伝』売れぬでもなき様なり。帰りて『東洋学報』と柳井道弘『道』とを受取る。
畠山重光君より電話「父からの預かり物もちて来る」と。待つ間、突然現はれしは安部照子(トヨタ自動車に勤む)と、そこに同居の福島恵美子。
それぞれ菓子もち来る。「古谷綱武氏は父の友達」と。鎌田女史「成城の恥」と云ひゐると。来週2人泊りがけで来ると約し、15:30帰りしあと、
蜜もらひし重光君と散歩。夕食せしむ。外山博士より『金朝史研究』贈らる。

11月16日
よべ12:00眠剤のむ。「その前ちょっと眠った」と也。『説郛』東洋文庫本と全く異なる故、失望するも抜き書す。外山軍治氏へ受取。柳井道弘氏へ同。
小高根二郎氏より「訂正承知、200号まで出す」と。成城へ電話かけ「明日ゆく」といふ。浅沼氏出たり。
午后赤川氏に電話すれば「今日、用あり」と。水曜ゆくこととす。

11月17日
よべ10:00眠剤のみ、6:00起く。8:30出て斎藤神経科。院長先生学会とて北杜夫dr.なりし。よべ『南太平洋ひるね旅』よみし也。
その中「証明書かいてもらふかもしれぬ」といひ、一週間分の薬もらひ成城大学。ゆく途、福田君と同車になる。
ゆけば1時間目すみしところにて高田、高桑氏などをり、今井、大藤らは14:00来るらし。
都留生つかまへ、にぎり飯オリッサに食ひにゆき、図書館にて高井洋子生の卒論「笑ひについて」なりしをしらぶ。
「井上夫人、図書館やめし」と。「本間生、体わるくす」と。猿渡生に茶のまさる。ついで成城堂にゆけば「次嬢赤ちゃん出来し」と也。
13:00出て帰宅。「今中19期生会22日にやる」と出欠問ひ来りしのみ。電気stand(1,500)買ってもらひし。明武谷、大鵬を破る。

11月18日
晴。久しぶりにcardやり、今中同窓会の案内に欠席の返事をし、12:00出て柏井歯科へゆく。
混んでをり尚子と話す。14:30すみ、高円寺まで歩き、赤川氏に礼もちゆけば不在。

11月19日
ユ、婦人会にゆく。わが『李太白』訳せし『台湾文芸1-4』呉瀛涛氏より来る。堀ノ内進君「贈物まだつかず」。林富士馬氏「花影よんだ」。
ユに堀ノ内へ菓子送らせ、林君に返事かく。赤川氏より電話「復職心配するな」と也。ブー(※不詳)より電話「けふ来る」と。
午后高橋君へ「漢訳洋名」かく。ブー15:00来り、安部18:30来ると。古谷綱武氏に電話すれば「病気」と。
安部照子18:30来り泊る。けふ堀ノ内歴にcookie送る。

11月20日
14:00前、竹内夫人来り、「トンビ呉れる」と。福島恵美子そのあと出てゆく「今夕白鳥家へゆく」と也。
「キリスト教と限らず他の宗教の悪口いふはきらひ」が最後の一言也。

11月21日
8:30起き床屋へゆき、10:30出て成城。田中久夫氏と山田俊雄氏を昼食にさそふ。大藤教授に2回会ひしも話さず。
13:00俸給もらひ、山田氏と下北沢まで同車。(※省略) 東大前にて下車。後藤均平夫人見舞によれば殆どよくなりし様子。
『地中海(80)』買ひ、地図3枚買ひて渋谷。ユ、来しところと。
相撲のtelevi見了り、東横にて高井洋子に(※結婚祝に)武者小路の額送る(1,200)。19:00帰宅。
(「16日再調停開かれしもルリ子また出ざりし」と)。(※省略)

p30

11月22日(日)
夫婦とも礼拝休み、弓子まづゆかし11:30母来るを待ち数男宅。松田みね・つぎ・岡山こう・柏井小光・船越たいの合同追悼会。
島田牧師の司会にてすみ、船越こせん、高沢叔母、静江母の3老人をはじめ、つぎ伯母の友小宮山氏といふが来る。
17:00すみ、船越伯母送りて帰宅。夜、大江叔母へ「大東博士夫人に電話してくれ」とかく。

11月23日
祭日。タバコ買ひにゆきし間に、竹内夫人より電話「トンビとりに来よ」と。
12:30出て荻窪よりbus、トンビもらひ、ユの外套とりかへ礼金5千円出す。出て白水家に電話すれば「在宅」と。ゆきて狂気の話、ユ長々とす。
(※省略) クマの子を白水夫妻飼ふ。三鷹に出て別れ『トルストイ日記抄(30)』買ひて帰宅。福島生より電話ありしと。(※省略)

11月24日
斎藤dr.にゆく。「もう学校にお通ひか」と。「近々証明書お願ひするやもしれず」と云ひ、眠剤8日分もらへば500円請求され100円借りる。
『不二』来りしのみ。尚子君来り、22日の割当5千円もちゆきしと。長沖一氏をteleviにて見る。安部照子より電話。
そのあと中島君に電話して「明後日18:30ごろ来る」と。安部生にまた電話「来る」となる。宮崎洋子を案内して福島生来り20:30までゐる。
「高井の披露に大藤氏も招かれゐる」と! 長沖氏に「televiで見た」と。

11月25日
よべ眠剤2服のむ。(※省略) 母に電話せしに「大まだ帰らず」と。松村君に「研究会休む」の伝言たのむ。
東方学会(800)と文学散歩の会(2000)の会費払ふ。「コギトの思ひ出」12枚かく。その速達出しにゆき『北京風俗図譜2(450)』買ふ。
夜、ユをして紅松夫人に電話かけしむれば「佐治氏、今夜あたり帰阪」と。

11月26日
5:00一旦さめ、またね入りて10:00起き、朝食し、写真屋へゆけば17枚写りをり。数男宅へもちゆけば「歯科医一日休業とて集りをり」と。
(『蹇蹇録(30)』買ふ)。帰りて待てば18:00安部生来り、18:30中島大吉郎君来る。中島君、whiskyとbeerに酔ひ、
わが「成城に同化せざるを変へよ」といひ、22:00安部生送りて出てゆく。渋谷に電話すれば大、帰りをり「近々栗山部長宅へ同行し来る」と。

11月27日
けさ10:00さめ(よべまた2服)、母に電話すれば「来てよし」と。ユとbusにてゆき「近々栗山氏に会ひ、そのあと考へん」となる。
帰りて安部に電話すれば「近々来ていふ」と也。そのあとしらずしらずひるねす。

11月28日
10:00までねる。ユ、栗山氏に電話すれば「明日来よ」と。兼頭、岡田(田中)文子、萩原葉子の3女史よりたより。2生にヱハガキかく。
中村嫗来る。ユと話し(※成城大学進退につき)最悪の覚悟きめる。賀代嫗来り、19:00史の吊書だすこととなる。

11月29日(日)
よべ眠剤2服のみ、9:00さめる。ユも礼拝にゆかず。(※省略) 12:00出て羊羹虎屋にて買ひ、13:00かっきりに栗山博士に会ふ。
「20日までに主治医の診断書だせ。復職さす」と也。
出て青山博士に寄れば「1月または4月より聖心に帰り来れ」と。ことわる。下北沢にてユに電話し、昭和40年の暦(40)買ひて帰宅。
ユ「大に電話せし」由。

11月30日
9:00松本善海邸へ電話せしに嬢出て「父ねてゐる」と。けふにて7ヶ月月賦すむ。
(よべ眠剤1服にて12:00すぎより8:00までねし) (※省略) 堀ノ内歴君より「全快祝送った」と。宮崎洋子、萩原葉子、田代継男の諸氏にハガキ。
丸屋市川にゆき『ラオスの旅(160)』買ふ。後藤均平氏より『東洋学関係書誌書目』もらふ。
ユに賀状印刷たのみにゆかせしに「350枚にて1,750。5日に出来る」と。
夕方、松本君より電話「朝起きられぬだけ」の由。「めでたし」といひやる。後藤氏に礼状。

12月1日
よべねぎ食ひ、枕許に置き、眠剤のみしも3:00までねられず。セデスのみやっと眠り、9:00さめ、ユと斎藤先生。
12:00かっきりに診察の番来り、診断書願へば、
「病名 躁鬱症 頭書の疾病により加療中のところ、今般勤務に就くこと可能の域に達したものと認める。
上記の通り診断いたします。昭和39年12月1日」とあり。
これもちて渋谷までtaxi(220)。親子丼食ひ、大(2階でねてをり)に見せてのち成城へゆき前田[種]芳教務課長に会へば「教授会始まりをり」と。
(『果樹園』の「有心」のこといひかけしは今井信雄氏にて「蓮田氏に諏訪で習ひし」と也)。
了るを文化史研究室でまつこととし、川上、宮崎両副手、都留のほか野田宇太郎氏の坊やと話す。16:30前田課長来り、書類受取る。
栗山部長に会へば「まだ見ず」と。カマ田女史ていねいに「見舞」をいひし。
(「成城堂の主人死にし」と。23日?)。疲れて帰り来る。丸に電話し報告す。母に報告し「正月の留守番承知」といへば「考へる」と。

12月2日
よべ眠剤のみ12:00ねて9:00さめれば青木書店主来訪。話しゆく。法帖もち来し也。12:00帰りしあと朝食くひ、
大江叔母へ「(※史氏見合の件は)縁なきものと思へ」の意かく。坪井「11月末に藤井寺に転居」と。高井洋子生より恰も受取。
ユ、大江叔母へ5千円出しにゆき14:00帰り来る。仕度して出、市ヶ谷で時間余り散歩してゆけば大藤教授来て「昨日復職きまった」と。
和歌森博士に紹介さる。新郎手島巌君は都大大学院修士課程在学中にて高井洋子生とは柳田文庫での知合と。(※省略)
色直しのあと一言挨拶に「無心の笑ひをする子を産め」といふ。われらが前に坐りし老夫婦は白馬で愛息なくせし新郎の登山部友人の父母と。
最後にこの人の話にて終りとなる。

12月3日
晴。村上新太郎氏より『薔薇』に詩を、と。大江叔母より「大東夫人の電話にて方角わるく一周忌たてば小高根二郎氏よりたのめと福地君の話」と。
チクマより「10万円送った」と。堀ノ内歴君より奈良漬。村上氏へことわり。
午后荻窪まで散歩。『文献地図(50)』買ひ『后妃伝』買ひ来る(1冊売れゐたり)。(※省略)

12月4日
晴つづく。9:00めざむ。大江叔母へ返事。『通俗世界全史ローマ上下(150)』買ふ。

12月5日
晴。寒し。史、休みとて13:00出てユと白鳥家へ全快祝(東横商品券3千円)もちゆく。先生奥様おそろひにて「聖心の本とり返したのむ」とのこと也。
渋谷へより母に一万円渡す。「正月の旅行やめた」と。busにて1時間以上かかりて帰れば「筑摩の中島君より電話ありし」と。
(よべ眠剤のまずして眠る。数十日ぶり也)。

12月6日(日)
よべ眠剤半服のみ9:00覚む。大東博士夫妻へ礼状。礼拝休み。
『后妃伝』の訂正す。鈴木俊氏より受取り(※間違へて)馬橋の田中克己氏に送った趣。(※省略)
蔵原伸二郎『岩魚』の出版記念会の案内(断る)。『文芸年鑑』のアンケート。
平田春一氏『薮蘇鉄』転送料90とらる。北口へゆき『千島概史(100)』、『地図の読み方(100)』買ひ来り、鈴木、小林2氏へハガキかく。

12月7日
大江叔母より「睡眠3時間」と。成城大学への履歴書業績かく。ユをして松崎温女の家にもちゆかしむ。小林へ『后妃伝』贈る。
午后、宮崎智慧氏より歌集『花泉』贈らる。新宿へゆき紀伊國屋にて地図4枚買ひ来る。章君来て「忙し」といひしのみ。
賀代女史より電話「史の縁談につき水曜会ひたし」と。あとねられず眠剤半服のむ。(※省略)
依田義賢氏より「出版記念会15日」と(「欠席」の返事)。

12月8日
家居。ユ、Christmasのヱハガキ20枚買ひ来り、疑問きけば、はかばかしき返事せず。午后、生あくびして医者へゆく。
「藤田亮策先生未亡人、全快ならず9.26永眠」と実弟小野田氏より通知あり。史、咳するに風呂に入るを咎むれば「自分のからだ也」と。
21:00賀代女史に電話し「あすユ、行かず」といふ。

12月9日
眠剤のみ(1服)、10:00覚む。小高根二郎君より後藤末男博士につき問合せ。
12:00出て鷺宮の病院に勤務中の小野田dr.訪ね、御花料(2千円)差上げる。帰り駅前にて『后妃伝』見つけ、数男宅により茶のみて帰宅。
電話料12月分1,600と。(『中国西部考古記(60)』買ふ)。小高根・松浦氏にハガキ。大東dr.に『后妃伝』送る。
夜、紅松長老に電話(矢野君よりchocolate1箱賜ふ)。

12月10日
よべ眠剤半服のみ、9:00起き斎藤dr.。「あまり気にするな」との仰せに「気にしません」と答へ眠剤10錠?(700円)いただく。
紀伊國屋に寄り国鉄にて帰れば、澄君より電話「いますぐ土地買ふ気なし」と也。大江叔母より「冷蔵庫代金いそがず」とハガキ。
Dr.Wiethoffより『Die chinesische Seeverbotspolitik und der private Überseehandel von 1368 bis 1567』送らる。
美濃武正氏より「月の雫」贈らる。『果樹園106』来る。矢野に礼の電話かける。

12月11日
よべ半服のみ、8:00起きる。(※省略) ユをして伊勢丹にゆき斎藤dr.、栗山部長、大藤教授に歳暮送らしむ。(※省略) ユ、風邪らし。
散歩に出てGoncharov『日本渡航記(100)』また買ひ来る。本間生より「『伝承文化』10冊送った」と。

12月12日
よべ眠剤のまず12:00より8:00まで眠る。午后『伝承文化』10冊来る。「今年の…」が「去年の」と訂正しなければならず。
美濃隆子夫人より「月のしづく」の送り状。(※省略) 田中順二郎氏よりbutter賜はる。

12月13日(日)
よべ眠剤1服のみ、8:00起こされて礼拝。笹淵博士、小室君と挨拶す。西宮夫人に先生へと『伝承文化』1冊ことづける。
一昨日あたりより年賀状とChristmas祝とをかく。(※省略)

p34

12月14日
よべ眠剤のまず。不二歌道会へ誌代として2千円。戸田氏へ『民間伝承』代として500もちゆき、263号欠けゐしをもらひ来る。
(※省略) 『石点頭』のcardすむ。沢田四郎作博士へ『伝承文化』2冊包む。(大東塾より風呂敷来る)。

12月15日
よべも眠剤のまず。10:00散髪にゆき(350)、西荻窪へChristmasのヱハガキ買ひにゆき(6×30)、荻窪の本屋にゆきしに『后妃伝』2冊となりをりし。
帰って『金瓶梅』のcardにかかる。年賀状とChristmasの挨拶とかく。『后妃伝』訂正して台北の呉瀛涛氏に包む。
21:00すぎ渋谷より電話、丸君に「あすの調停旨くいってくれ」(大、北海道と)、5万円の受取のありやときく(ありと)。
学校にてわが「近日の出講の掲示」ありしと。

12月16日
よべ眠剤1服のみ(大のせい也)、9:00さめ、賀状Christmasの祝状かき了る。小高根二郎君に3千円送料として送る。
呉氏に本送る(航空便なら980と。普通240、1月かかると)。16:30出て竹森先生へお歳暮もちゆく。
(藤岡謙二郎『近畿の風物誌(100)』買ふ)。田代継男より電話かかる。

12月17日
久しぶりに雨寒し。よべ眠剤のまず8:00起く。渋谷より電話「丸君より報告あったか」と、「今夜きく」と答ふ。(※省略)
16:00母より「丸氏にきいても私にいふな。大帰り来て他人のことかまふなといふ」と。(※省略)

12月18日
曇。よべ中途起き半服のむ。伊勢丹より送り状3通。(※省略) 大江叔母へ「吊書返送あった」と。

12月19日
よべ2:00起き4:00眠剤半服のみ、ねてをれば9:30羽倉啓吉氏令嬢と共に来訪。(※省略) 土産賜ふ。
毎日新聞より掲載紙と4,000(−税400)。『不二199』。
午后(高橋)鈴木睦美生より電話「本多弘子とともに来る」と。駅まで迎へにゆく。16:30までをり羊羹くれて帰りゆく。
われ送りにゆき『日本の海賊(180)』、『川柳・年中行事(200)』、『江戸艶笑文学の探求(250)』買ひ来る。そのころまで眠気のこる。
坂根みつせ氏より蜜柑賜ふ。

p35

12月20日
Xmasの礼拝にゆけば3列目(献金2000+1000)。転会者3人、小児洗礼2人、洗礼者12人。すめば12:30なりし。
齋藤齋先生に駅で会ふ。「令息医師開業にて改築」と。(※聖心女子大学)Britt学長と川本静江生よりChristmas-card。(※省略)
川本静江に電話すれば「女性民俗の会にゆきをり」と。あとにて電話かかり「鎌田女史1月1日より先生復職といひし」と。
けふ『文藝春秋新年号(120)』買ひ来て読み了る。

12月21日
よべ半服のみ10:00朝食。手島洋子夫人より祝返し受取り、成城に電話せしのち13:30ごろゆけば、
駅にて高城君(「復職おめでたう」と)、坂本浩教授(わが本その研究室にありと)と遭ふ。
会計にては川田浩、池田博士などに会ひ、手当とともに貰ひ教務へゆけば、前田課長しらべてくれ、丸重俊卒論不提出とわかる。(※省略)
柳田文庫のぞけば鎌田女史一人をり、他の先生帰りしらし。出で福島に遭ひ「1月まで在京」ときく。「帰りには挨拶にくる」と。
『日本の地名(260)』成城堂で買ひ、中村屋でrice-curry食ひ、
紀伊國屋で高橋、本多2夫人への贈物に『后妃伝』買はんとすればもはや2冊しかなく、
1冊買ひ、地図2枚買ひ、阿佐谷で『后妃伝』また1冊買ひ疲る。
今日Britt学長に「Christmasおめでたう」と書き、Dr.Wiethoffへ誤植訂正半ば書きし也。母に電話し、丸のこといひ「大在宅の時ゆく」といふ。

12月22日
よべ一服のみ10:00出て斎藤dr.、「旧婚旅行」よみたまひしと。「年内もう一回来い(30日午前中、7日より始診)」と。眠剤500払ふ。
紀伊國屋にて地図2枚。午食すませれば電話にて電報「山本理事長死去。森院長に弔電打て」と。城平叔父よりならん。その通りす。
坂根みつせ氏にみかんの礼かく。

12月23日
よべ眠剤のまず9:00起きWiethoff博士への手紙片付け、大よりの電話きけば
「丸より報告なし。北杜夫にはwhiskyせよ。斎藤先生には大して張る必要もなからん」と。母に「近日ゆく」と電話す。
沢田四郎作博士より『伝承文化』の受取。山本文子氏へ御花料1千円同封の弔詞速達す。城平叔父にも報告の速達。
(※省略) 麝島生に電話すればローマ留学願書のことにて鎌田・大藤2氏に「卒業ささぬ」て云はれしと。
史、「あす5:30より26日まで志賀高原へゆく」と。竹内夫人より「七面鳥いらぬか」との電話ありし。

12月24日
よべ眠剤1服のみ10:00までねる。本間厚子よりChristmas-card。
中島君より電話、「来れ」といひ、聞けば「3度会ひし」と。
帰りしあと安部生に電話すれば「仕方なく会ったが云々」。「一度来い」といひ憂鬱となる。
『どくとるマンボウ航海記(130)』買ひ来って読み了る。賀代嫗来て泊る。

12月25日
よべ眠剤のみ、起きて渋谷に電話し「眼鏡屋へ寄りてゆく」といふ。大をりしが話なし。
郵便受取りしまま京に留守たのみ出てbusにて道玄坂のイワキであつらへ、10,800の内金5,000払ふ。「7日出来る」と。
母に年末の小遣5千円与へ、鰹節もらふ。この間の調停にルリ子出て来り、金次第にて離婚の意ありといひしとの手紙。
出てまたbus。『日本人の体質(20)』、『温泉案内(40)』買ひて帰る。後者は学校にあるらしきも「箱根の下の湯、神経病によし」とてゆく気となる。
海老原稔氏よりbiscuits、水谷玲子、紅松一家、海老沢博士よりChristmas-card。(※省略)
大東塾より例年の如く餅賜はる。日本歴史地理学会の紀要6来る。(※省略)

12月26日
石山直一、咲耶よりChristmas-cardの返事。相馬弘より苹果1箱贈らる。羽田より「西太后が面白かった云々」。
河北病院にて卒中入院の父の友、毛呂清春翁を見舞にゆく。87才と。

12月27日(日)
よべより咳し、早く床に入りしもねられず。ユとあす斎藤dr.にゆかん。陰性なればとのこと也し。史、12:00すぎ帰り来しと。
斎藤dr.やめ、相馬、小川嘉昭の2生にヱハガキ。小高根二郎氏に「正月復職。金受取ったか云々」のヱハガキかく。
大藤教授より「4月より史学研究法、白鳥君にやってもらふ。教科過重なれば云々。担任classなど、その中相談す」と。
賀代女史来り、我と話さず帰る。小林通雄氏よりカステラ貰ふ!小林氏へ礼状。大藤氏へ「正月会ひたし」とハガキ同封。

12月28日
やはり風邪らし。長友(新坂)康子よりChristmas-card。終日家居。のど痛くなる。
夜、「Heine22版の印紙3千枚1月9日までに」と角川より速達。

12月29日
9:00起き、ユと斎藤dr.にゆき少し躁にしてもらふやうたのむ。帰り二幸ですし食ひ、硲晃氏よりChristmas-cardの返事。
大東塾の賀状(中に年末支援金2千円の受取あり)。羽田へ返事かかんと航空郵便買ひ来る。貝塚『中国の歴史 上(150)』買ひしも面白からず。
澄より電話かかり「依子偏食。関口令嬢の結婚に、畠山紀子嬢と京」と。

12月30日
高橋(鈴木)睦美夫人より「本受取った」と。前野直彬『陸游(※漢詩大系)』来る。
10:00電話、安部「来る」と。やがて来り「縁談ことわる。あはず」と。
福島生もあらはれ「安部の父の会社に手伝ひす」(古谷綱武氏に会へばわが阿佐谷の住所知りをり)と。
『果樹園』に「コギトの思ひ出」12枚かき、羽田博士への航空郵便とともに出さしむ。宮崎幸三氏に電話し「復職した」といふ。

12月31日
のど少し痛み、午后浅田飴買ふ。栗山氏より13日書き27日出しの受取。本多弘子より同。

付記:プライバシーに配慮して人物の名前を一部省略して記してゐます。原文pdfは現在非公開です。


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