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田中克己日記 1962


【昭和37年】

 肥下恒夫氏の生涯については、さきに私も紹介文を書きましたが、澤村修治氏の著した2冊の評伝『悲傷の追想 「コギト」編集発行人、肥下恒夫の生涯(2012)』『敗戦日本と浪曼派の態度(2015)』に詳しく、 彼の最期の日々をとりまいてゐた状況が所謂「経済的な窮地」ではなかったことが、遺族の証言から判明してゐます。 


しかしながら(時運のなせるところですが)、養子に入った旧家の資産を一代にして失ってしまった彼が、日記に書きつけてゐた自恃自足の言葉の数々といふのは、清潔な世過ぎを心掛けた彼の内心=自責の念の裏返しの表れでもあった訳で、客観的状況とは別に、前途を悲観する心裡は積年にわたって蟠ってゐたものといへるでしょう。

田中克己の記すところによると死の直前、京都の保田與重郎邸まで相談しに行ったと云ひます。

「前途を悲観して、自殺の確か二日程前の日に保田のところへ行きました。「どうしよう。」といろいろ相談したのだけれど、保田は「さあー。さあー。」と言うばかり。 どうしろなんて誰にも言えなかったんだもの。ただ、もっと力になってほしかったなあ。」
(※『文芸広場』(第一法規出版)昭和59年11月「昭和文学うらおもて58」対談:田中克己×杉山平一「コギトの人々」)

「死の直前、京都まで保田を訪ねて行った由だが何を語したか。保田は葬式に列したが何もいわなかった様子である。」(※『コギト』復刻版(臨川書店)昭和59年「解説」)


保田氏没後の証言であり、澤村氏が聞き取りを行った遺族も未確認の情報なので詳細は不明です。保田氏の著書『日本浪曼派の時代(1969)』のなかでも、具体的な回想として取り上げられてはゐません。(※)

3月20日に農薬自殺した肥下氏の訃報は、翌日の夕刻、夫人からの電報「ツネオシス シラス ヒゲ」によって田中克己のもとにもたらされます。前年下阪時に会った折の印象から、酒の飲み過ぎに因るものかと思ひ、すぐさま在京の知合ひに連絡を取って報せるのですが、年度末といふこともあったのか、大学教授職にあった本人は葬儀に参列しませんでした。しかし解せないのは当時、東京・大阪間の移動は大儀であったものの、見舞ひのために下阪してゐないことです。

 早速『果樹園』には追悼文(昭和37年5月75号「肥下恒夫を哭す」)が書かれたのですが、友人(丸三郎)からの追悼文を引き写した短いもので、とりいそぎの感が拭へないものに感じられます(もっとも当時さうした一文すら、柳井道弘氏が『風日』に書いた以外の文章がないやうなのですが)。


そしてそれ以後も、遺族と弔慰のやりとりは続くものの、彼ひとりに関する回想は書かれませんでした。夫人の思し召しである遺稿集の出版計画に対しても、なにかしら煮え切らない態度が気になります。

「西寛治氏に電話すれば「肥下文集の金あつめた」と。「手間だけ也」と反対す。肥下夫人に方々よりたかりをると。」(11月19日)


そして遺稿集に付すべき文章を、夫人より直々に依頼されて、
「反対でもなし。書けず」(12月24日) と速達してゐるのはどうしたものでしょうか。

弔問休暇について同僚に相談してゐたやうですが、3月27日上京した小高根二郎から直々に伝へられた「肥下10日ほど半狂乱にて、夫人に悲しむ色うすかりしと」といふ話が気になって、とりやめてしまったのでしょうか。


その裏付けとも思はれたのかどうか分かりませんが、4月4日夫人よりの「心配いらず」の速達を、方々の友人に見せて回り、保田與重郎の上京を影山正治より伝へられるも、会って話をしようとはしてゐません。『不二』へは追悼歌を送ってゐます。しかしながらこのタイミングで彼と話をしないのは、もはや「共同の営為」と自他ともに任じた「コギト」の友誼決裂を意味する出来事のやうにも感じられるのです。


そも影山氏よりの電話(4月26日)で「保田われを傷けざらんといはずして帰りし云々」とあるのは、どう解釈したらよいのか。
赤川草夫氏からは「肥下家へ同行せん」と、また柳井道弘氏よりは、保田氏が「田中が来れば追悼会する」と言ってゐるとの伝言をもたらされ、遺稿集を一刻も早く出版したいから助力を願ふと、直接会って依頼されてゐる訳です。


費用に関しても、残された土地が道路収用を蒙り用意できること、具体的に人文書院より20万にて300部といふ話で進めさうなことまで夫人より聞かされます。
田中克己は『コギト』ひと揃ひを職場の図書館用に無心もしてゐますが、自分の手を離れて勝手に話が進んでゐることにヘソを曲げてしまったのでしょうか。夫人との関係がいまいち日記からは判読できません。


遺稿集については、未亡人からおそらく保田氏へも打診があったはずです。ともあれこの二者からはかばかしい協力が得られなかったことが、遺稿集が頓挫した一番の原因だったのではないか、そのやうに訝りたくもなってしまふのです。

けだしこの年には、日本浪曼派の同人であった山岸外史による親友太宰治との交遊の日々を綴った『人間太宰治』が刊行されてゐます。


肥下恒夫や保田與重郎についても同様に、彼らが文学に目覚めた少年時代にまでさかのぼって赤裸々な回想を書き記すことのできたのは、ひとり親友であり、同士であり、親戚でもあった田中克己だったといへるでしょう(未確認ながら、保田與重郎夫人とも遠戚関係がある由)。


たしかに小高根二郎氏の尽力によって伝記の大成をみた伊東静雄に比すれば、肥下恒夫が文学者として重きを置かれないのは仕方のないことかもしれません。しかし彼あればこそ、雑誌『コギト』は経済的にも実務的にも発行を続けられたのであり、その経営を通じて、プライバシィを描かれることを嫌った保田與重郎をはじめ『コギト』の全同人の群像があぶり出されてくる謂はばキーパーソンでありました。後世の文学史に書き遺すべき“隠れた人”であったことは疑ひの余地がありません。


この点、おなじく昭和初期にボン書店を興し、営利を顧みず数々のモダニズム稀覯詩集を刊行して蚤世した鳥羽茂もさうなのですが、物書きたちの無償の出版事業に関った人物に対する、報ゐることのまことに澆(うす)いこと、感慨を禁じざるを得ません。

思へば中島栄次郎の著作集の計画も中断したままです(※『中島榮次郎著作選』として1993年に刊行)。友人後輩の誰彼から詩を書くやう慫慂されるも、詩人廃業の気持は強く、田中克己はこの昭和37年には、すでに『果樹園』連載中の「半自敍伝」のなかで“無條件降服”このかた、自らの戦後の世過ぎについて総括を続けてゐたところでした。


さうして二年後の昭和39年から、おなじく主観的な視点で「コギトの思い出」といふ28回にも上る連載を開始します。

この連載が書かれただけでも、戦後ながらく戦犯扱ひにされた彼らグループの実態の開陳は、よほど世間に対して明らかにされたと思ふのですが、それでも事実関係を回想によって総括する田中克己らしい簡潔な文章は、(理念が強い保田與重郎の『日本浪曼派の時代』ほどではありませんが、)山岸外史のやうにエピソードをつぶさに暴露してまでして人物に食ひ下がることはしてゐません。


伊東静雄の青春を暴いて見せた小高根二郎と較べても物足りない憾みが残るのは、しかし交遊が浅かったからではなく、むしろ書き残すことが恥ずかしい程に深すぎたから、そして主観的に過ぎて書き遺す必要をさへ感じなかったから、だと思はれるのです。

結局、追悼文「肥下恒夫を哭す」の最後に、「いづれくはしく書く。」と約束された個人的回想は書かれませんでしたが、下世話な話題をあけすけに書く関係者に対し目を光らせてゐた癇癪持ちの彼が、同人中いちばんに長生きしたことが結果的に、さうした人間関係の機微を伝へる様々な回想を封じることとなってしまったといふのは皮肉なことです。(何でも話して下さったらう悠紀子夫人も、苦労を掛けられっぱなしだった夫の後を追ふやうに1992年、詩人の逝去から僅か2か月で亡くなられました。)


こればかりは残念に思はれてなりませんが、さうした意味でも『大妻女子大学紀要(文系26号, 183-220p, 1994年)』で公開された「肥下恒夫宛保田與重郎書簡」の93通は、保田氏の肉声を伝へる貴重で興味深い資料だと思はれます。

博士号を取得した京都大学の親友羽田明との仲は、手紙の返信が来ず、悪口を仄聞したこともあって何だかぎくしゃくしたみたいですが、旧友たち(藤枝晃・服部正己・田村春雄)が相次いで博士号を取得した様子に、もはや依怙地になるのも止めたのか、友人らを介して11月11日に対面。讒言も解けて羽田明とは久闊を叙すことを得たもののやうです。


しかしながら新設された博士号について複雑な思ひを以て「○○博士」と記してゐるやうに引き続き勘繰られるのは、成城同僚で一番の友人と語ってゐた高田瑞穂氏だけが博士号をとってゐないことをわざわざ日記に記してゐること、またこのさきの著書にこんなことが記されてゐることからも窺はれます。

「進士の資格だけでは小官にしか任じられないようになっていたのでもあろう。わが国の新制大学の学士だけでは足らず、博士になってはじめて学者の仲間入りできるようになった変化が、このころ唐の官界でも起こっていたのである。」 『白楽天(コンパクト・ブックス 中国詩人選 4)』集英社刊1966年

また故郷に詩碑が建つこととなった井上多喜三郎についても、それは彼の人徳ならではの結果なのですが、全詩集なんて死後に出されるべきものと謙遜して心得てゐた詩人のこと、誰からも好かれた彼に対する懐かしさや祝賀の思ひとは別に、やはり複雑な思ひを抱いたのではないでしょうか。

私生活では、お隣の成城高校教師だった山川京子氏から、学園のHealth Centerを通じて呼び出され、その痩躯(体重40.5キロ)を心配されてゐることを日記に記してゐるなどは、可笑しくもありますが、懇意にしてゐた大家の女の子が肺炎で亡くなり大家さん自身も癌で入院、この年に起きた三河島駅での痛ましい大事故に教へ子が巻き込まれたり、或ひは親戚間に内訌があったりと、吉祥寺時代の生活も決して明るいものではなかったと長女の依子さんは語ります。

コギトの旧友に限っても、肥下恒夫の死、おなじく杉浦正一郎が死の床で受洗してゐた事実、また近在の紅松一雄がキリスト者であることなどを知った詩人は、この年12月23日に日本基督教団吉祥寺教会にて夫婦にて洗礼を済ませ(立教女学院卒の悠紀子夫人は聖公会系聖マーガレット教会からの転入会)、以後プロテスタントを以て自らを律し、余生を送ることとなるのです。

明るいニュースは、劇作家である弟の西島大氏の結婚(3月2日)、そして依子さんの縁談でしょう。高校時代の旧友たち(小高根太郎・竹内好・浅野建夫)をたよりに夫婦して奔走してゐますが、どうやらこのたびは竹内門下の「名古屋の青年」がそのハートを射止めた模様です。田中家の縁談はこれ以後、長男、次女、三女と続くことになりますが、半世紀前のこととはいへプライベートな事情に亘りますので、大学入試の楽屋裏や教へ子の成績のこと、図書館学の論文を書き始めた八木さんのこと等とともに割愛させていただきたく、昭和38年以降の日記は「選択抄出」のスタイルで参りたいと検討中です。ご了解ください。


昭和37年1月1日〜昭和37年2月25日 「東京日記12」
25.3cm×17.8cm 横掛ノートに横書き

p13

【昭和37年】

1月1日
13:00ごろ寝て[午後]9:00目覚む。けふ教会の礼拝6:30よりといふにゆかざりし也。
賀状232枚来る。午后までに帝塚山と成城の教えへ子たちをのぞき欠礼ハガキ書き了へ疲る。
夕方より雨。珍し。史、出てゆき23:30自動車にて帰来。

1月2日
賀状9枚。西岡生のが無名、西菊代も同じくとわかる。
帝塚山関係80枚書き了へ疲れしうへ、脱肛となり風呂わかさせる。けふ京の友だち来り、母和菓子ひごろの礼にと呉れし。
渋谷(※義母が居る弟・西島大宅)へ電話し「2女あすゆかす。われらあさって」といひてすむ。

1月3日
賀状など15枚来る(高野夫妻しらずしてよこせし)。10:30賀状の返事一応すむ。
弓子と京と渋谷へやる。河野のユキヲに小遣ひもたす(1千円)。
井上多喜三郎氏へ『骨』の原稿ことわる(「父の骨」と題して250×6かきしもかききれず)。
筑摩書房へ『Non-Fiction全集23』の欠をいふ。

1月4日
東洋学報へ『Harem Favorites of an Illustrious Celestial』の書評(5〜6月200×20)諾と答ふ。
10:00出て中道郵便局。小山都久子へ舞芸座の切符送り、久美子へ174円送り、(※名古屋の)依子へ賀状の廻送などし、佐藤dr.へ寄り(※痔の)薬もらふ。
父の葬儀の写真の焼増したのみてのち、東生田の林宅へゆく。
坂道で高城君に遭ふ。去年2月学位とりし俊郎(論文のthema「Experimental Studies on the Protoplasmic Streaming in characeae(車軸藻) 」)と抜刷くれる。
失業保険もらひにゆきゐし叔父の帰りをまち、父の納骨式に来し親類の名きく。一人以外わかり、すしよばれて出、準急にのり経堂下車。
みかん買ひて住友住宅へゆけば大江勉夫妻留守。busにて上町、歩きて西島寿一宅へゆく(経堂駅前にて予告しありし)。
来客中とて水のみしのみにて出(写真の件、了解せしめし筈、子らにと300の小遣包2ケおく)、寿賀子に若林町まで送られbusにて渋谷。
しるこ食ひ、すし持ちて猿楽町へゆけば千草をり「宝国寺に墓所与へられ健が金出す云々」。
すし食ひ、家に電話してのち帰宅。
2,500をけふ一日で使ひしと判明。賀状6枚おくれてつきしと。岸町(※前住所)より廻送10枚。

1月5日
晴。賀状9枚。小高根二郎君より受取「(※写植代かさむ故)ない字を使ふな」と。
田中勤氏へ『平和な社会と法華経』の礼かく。
午后昼寝せんとせしところへ服部三樹子氏来られ、夫婦してこもごも語をきき賜ふ。『宇宙学』上巻と菓子1箱たまふ。
悠紀子、服部氏を送りにと出でしあと、田中雅子夫人(※旧姓北野・田中順二郎夫人)より電話「(※帝塚山短大の)class会したきゆゑ、都合しらせ。場所は東京タワーとせん」と。

1月6日
賀状6枚。きのふ5枚かきし『北鮮のツングース地域』を書かんとす。小高根氏より『果樹園』合本5来る。
昼寝せんとせしところへ佐藤副手来訪。われら夫婦の話きいて23:30帰りゆく。

1月7日(日)
快晴。7:00起き9:30出て礼拝。けふも聖餐式ありてつらし。やみ米(135×3)買って帰宅。
賀状5枚。睡眠不足にてちょっとつらし。
史、渋谷へゆきし様子。入浴。他に事なし。

1月8日
百瀬弘教授より『果樹園』よんだ旨。白鳥清、江崎梅渓(尾張一宮、香草吟社)、山田岩三郎氏より賀状。
夜に入って平野黎子の『安家村の年中行事』よみ、入試問題3題を作る(21:30了)。

1月9日
5:00サイレンにてめざめ、悠紀子調べて仲町通の辺と。丸善和田夫人に電話せしにかからず。
悠紀子、田中夫人と電話すれば「丸善火事、疑なし」と。見舞にゆくこととなる。
8:30家を出、古道具屋にゆき、われは成城大学。問題提出し、すしよばる(田中雅子に電話し「class会を2月15日以後にせよ」といふ)。
14:00より卒論交換し、下北沢に下車せしのち帰宅。和田夫人まあ元気と。(新春以来消防庁最大の火事と)。
久美子よりの手紙によれば「1月2日房子と大江叔母より電話かかりし」と。賀状13枚。
夜、鈴木睦美生、海老もて来り10分して帰る。けふ史「大(※西島大)の結婚27日(火)にのびし」と伝ふ。

1月10日
小雨。10:00悠紀子、友だちと遠藤家へ見舞にゆき13:00まで帰らず。
(満蒙史料研究会を「清帝国形成過程の研究」といふことに分担承諾書を出せと田中正俊氏より速達来りし)。
昼食そこそこにして出、「手塚教授(※手塚隆義)にのちほど会ひたし」との伝言を研究室へ電話し、2女生と40分やり「成吉思汗関係歴史地図」をレポート題とす。
手塚氏に会へば「白鳥先生の転居承知。久保生を研究室副手に」と。
出て『民間伝承16-4(10)』とVernadsky『ロシア史2冊(350)』買ひて渋谷をへて帰宅。
悠紀子、夕食の仕度おそく俊子姉よりの電話に長々と話すを叱れば家計簿つける。けふ桑原夫人来しと。
(手塚氏「歴史地図の原稿1月末にてよからん」と)。
教会よりクリスマス献金の受取。賀状など9枚。本多慈子生よりクリームオードブル賜ふ。

1月11日
9:00出て成城大学に登校。短大すませ栗山部長(※栗山理一)に挨拶し、渋谷へ電話すれば「3月2日に(※結婚式)延ばした。大江より祝もらった。河野岑夫は高知へ転勤」と。
われ「2日は入学試験採点にてゆけぬかもしれぬ。祝は5千円にて如何に」といふ。
午、高井、田島、山田、野口、坪井など挨拶に来る。明後日Romaへゆくといふ卒業生来る。そのあと武田信玄しらべ史学研究法。福島妹欠席。
教務課長に研究員承認の印おしてもらひ、駅へゆくみち福島姉に会ふ。論文書き直しを命じられたと青き顔しをり。
下北沢で別れ高井戸よりbusにて荻窪の古本市にゆき『樺太及北沿海州(100)』、『太平洋圏 上(280)』、『毎日年鑑 昭和24年(50)』買って、またbusにて高井戸へ出て帰宅。入浴。
矢野より電話「中学入学の嬢につき手を打て」と。「栗山部長に会ひてたのみ、会ふ日ききおかん」といふ。鈴木(林)元夫人より電話あり、あす夜、帰阪と。
伊東花子(※伊東静雄夫人)氏より香奠1千円。賀状2枚。他に田中正俊氏よりまた研究内容を速達。

1月12日
晴。賀状4枚。文学散歩の会より鴎外生誕百年記念の会に出欠。
11:30悠紀子と出、みやげ買って東大前にて下車すると別れしあと、渋谷にてハヤシライス食ひ聖心女子大。
講師室無人。片山教授の告別式には西川氏出しと。2時間目すませてbusにて東大裏。
伊勢宅へゆき林夫人に挨拶。「東京へ来よ」といひ18:00出て、東大前のまちを見、吉祥寺の古本屋を見て帰宅。
けふ大江勉君に悠紀子電話すれば「房子まだ大阪。子は母が世話しゐる」と。

1月13日
よべ2:00ごろ覚め1時間ほど読書。8:00起され9:00出て成城大学。
漢文了へれば青木生「近々来る」と。急ぎ月曜の中国文学史のprintきり、山田女にもちゆく(あとにて月曜「成人の日」と)。
田中久夫氏さそひて下北沢、麺食ひ、古本屋まはり、柳田国男『なぞとことわざ(150)』、『フォモサニズム(10)』、『曚朧人物号(50)』 買ひて帰宅。
後藤孝夫より「山内四郎プラスチック会社のセールスマン」と。鈴木敬子夫人より「物送った」と。
今高より「同窓会する。寄附せよ」と。入浴。『李朝実録抄』よむ。

1月14日(日)
教会へゆきinstantのしるこ買ひて帰る。『東洋史研究』来り「年額900」と。
13:00すぎおとなふは新城常三博士にて「今井氏より退職のことききし」と。
ついで(※旧コギト同人)薄井敏夫君の長女はるな君「どなたが亡くなられたか」と果物たまふ。いづれも気の毒なり。
はるな嬢は電通社につとめゐると(服部三樹子と同社にて、この間はなせしばかり也)。悠紀子駅まで送りゆく。

1月15日
成人の日と。西村公晴氏より歌2首。高橋重臣君N.Y.より写真(12月13日出)。武田豊より詩集2冊(※『ネジの孤独』)。
曇りて寒きも悠紀子と大和町鈴木(山本)敬子夫人に見舞の礼にゆく。5月2度目の出産をしたと。夫君をり因島にをりし時の話す。
出て阿佐谷。駅前にて別れ古本屋3軒まはりしも何もなし。珍しきことなり。
帰れば西島寿賀子来り、帰るみち悠紀子に会ひし。母よりは「いろいろきげんとりをるに」といはれしと。Cake賜ふ。
分県地図『福島(40)』買ふ。賀状抽籤に当りしもの(※名前省略)の9枚。

1月16日
晴。寒し。11:00出て成城大学へ登校。栗山部長に矢野のこといへば「明日18:00新宿ではいかに」と。
電話して高野2階でとなる。相馬(※ゼミ生)来る。帰郷しをりしと。教授会すみ、また本多生に会ふ。
(けふ渡辺帰郷せしと西沢、川本と来る。電車で石渡に会ひし)。
帰れば福永英二より忌明けと。
(けふ山田新之輔、大阪より電話「このみちを」の歌のわが作なりやを問ふ)。
野上弘より霊前へと乾物1籠。(帰途八百屋にて村岡夫人と話しゐる悠紀子に遭ひ、ともに帰る)。
けふ伊東花子氏に礼状出し、酒井清一氏にカステラ返送す。

1月17日
9:00出て渋谷より地下鉄にて本郷3丁目。東大の満蒙史料の会、われ当番にてよみ、田川氏に直さる。
すみて阿南、宮原2氏と昼食し、(※宮原鬼一氏)天理の高橋重臣氏と従兄弟と知る。ふしぎなることかな。
別れて古本屋、木内にて『黄禍論梗概(200)』、『沿海州一般(100)』買ひ、金なくなり、busにて立教大学。
手塚氏と会ふ。そのあと最後の講義をし、林嬢に『内蒙古史』貸す。駅前で別れ地下鉄にてお茶の水。
筑摩にゆき『Non-Fiction全集23回』の欠いへば「印もらってる」といひ、汚れたのを一冊呉れし。
そのあと古本屋まはり時間なくなり、あはてて新宿高野へゆけば矢野まちをり。18:10栗山氏来りしと。
松阪肉の「丸中」にてすき焼食はさる。「中等部は第一次通らねば手のうち様なし」と。
すみて靴下もらひ、まだ飲みにゆく栗山氏と別れて明大前をへて帰宅。
山本恭子より「男友達の劇やりたきがゐる」と速達。

1月18日
2:00ごろさめてまた眠り、8:00まで眠りつづけし。10:00登校。栗山氏にも会ふ。
昭和女子大の学生より「伊東静雄研究に諫早へゆき姉君より預り物した」と。「日をきめて会ふ日しらせ」と答ふ。
15:30より高垣新学長の挨拶「好学の模範となれ」と。
松田教授に電話すれば不在。「あとにて電話する」といひ西沢、渡辺、石渡の3生と出、
川上恭子生をまじへてしるこ食ひ、別れて大地堂へゆきしも本なし。(けふ成城堂にてBible(400)見つけてうれし)。
帰れば服部三樹子氏より礼状。朝日東京本社白取氏より「このみちを」の歌につきわび状。
伊藤桂一氏詩集出版記念会より案内。
夕食のあと山本陽子と坂根千鶴子と来り、22:00まで話しゆく。

1月19日
8:00起き、11:00までかかってnoteこさへ、きのふ野田宇太郎氏よりいはれし禅林寺の鴎外生誕100年祭にはゆけざりし。
12:00出て聖心女子大。salaryもらふ。試験問題「清の太宗について」「中国もしくは朝鮮のnationalism」400字とす。
本多慈子生に会ひ卒論出せしときく。道玄坂の古本屋見しも買はず(しるこ食ふ50)、漫画読本2冊買ひ、Ibn Battuta(角川文庫)見つけ買ひしに、隣の本とまちがへしに気づき、電車より出てとりかへてもらふ。
けふ伊藤桂一氏の『竹の思想』とどく。筑摩の「ノンフィクション」係に郵便箱は本入れるに小さすぎること書き、武田豊氏に「お祝おくれる」とハガキ速達す。

1月20日
9:00出て成城大学。漢文すませ青田女生の白楽天のこと忘れゐしに気づく。
田中久夫氏とsalaryまち、松田智雄氏に電話すれば「夕方まで不在」と。
野口生来りて物いはず。13:00となりsalaryもらひ、鈴木健司さそひて成城園にゆき湯麺くふ。
今井氏2人つれて来し。別れて帰宅。
依子より「大江叔母上京すれば同行するも美都枝氏を一人おくことできず。久美子母子いま来りをり」と。
筑摩の運搬のboy来り「郵便箱へ入れおきし」といふゆゑ、試せばたしかに入りし。筑摩へその旨ハガキ書く。

1月21日(日)
晴。教会へゆく。武田豊氏へ祝のcocoa(600)買ふ。浜治重子(旧住山)夫人より賀状。
坪井明より「本庄先生へ何かを」と。野上弘君に礼状。
午后速達にて久美子より(10日以来、藤井寺にゐる。何かいへと)。夕食後「わけわからず」と返事かく。
(けふ丸善道具店へ本棚2箇注文す)。21:00ごろ依子より「24ヒ ダイ2ツバメ8ゴウシャデカエル」と来る。

1月22日
京大東洋史研究会へ37年度会費900送らし、藤井寺にゐる久美子に「わけわからず、いふことなし」の速達してもらふ。
睡眠不足なれど9:45成城大学。卒論の面接の順序きめ、中国文学史の講義。吉川生、話やめずどなりしも平気。
12:00中休みの面接と昼食、12:30より午前の残りと午后の分やり、また東洋文化史。来週もやることとして面接にゆけば野口生、次は相馬にて書き直しを命ず。(単位足らず卒業できずと前田課長にいひしと)。
坪井勝也の「わらじ」よく出来ゐしと優とし、他は良。(加藤生負傷して面接出来ざる故留保、齋藤も留保)。
(昭和女子大のX嬢、木曜午后来ると)。疲れて帰宅。
佐藤dr.「ぶどう酒よろし」と宣ひしと悠紀子買ひ来る。けふ税務署員来り「前納は法律できまった」といひしと。

1月23日
朝、税務署来り「7月綜合所得は予定を申告する義務あり云々」、1回分2,130を払ふこととす。「咸北よりSiberiaにゆき共産政治だめ云々」といふ。
高橋重臣氏へ航空郵便。山本恭子生へ「(※友達の就職)世話やめよ」、坪井明へ「本庄先生のこと存じをる」。
白井紘史より「たびたび成城へ電話した」。日本歴史地理学会より「1月末にまにあはねば次巻まはし」と。
第100生命の中村嫗、微熱にて妹嫗集金に来る。
午后来ると思ひし2Dの男生5人、夕食すませしあと電話かけ来り、学校よりtaxiにて来しと。
吉祥寺よりまた電話、道まちがへて教へ心配せしにやがて来り、mass.-com.courseに移ると也。
青木譲二(立川の医師の子)、林昭興(タイル製品)、樺沢徹太郎(松竹支社)、本多忠利、山田耕二ならん。
21:30帰りゆきしあと入浴。22:30鈴木亨より電話、「伊藤桂一氏の出版記念会に出よ。直木賞もらった」と。

1月24日
よべ少し睡眠不足。「ツングース地域」ちょっと書き、11:00出て成城大学。阿部知二、高桑純夫氏などをり。
昼食くひ、12:30よりのMass-comi専攻の話を前田教務課長がするに立会ふ。男生13名、女生4名ききをりし。
(上原氏より「今年度の修学旅行の参加者、文化史33人、5月8日出発16日帰来」と)。
山口生のフランス語履修のことききゐれば大藤氏ちらりと覗きて去る。
やがて図書館へゆけば『柳田国男集』出来て柳田邸へゆきしと。
まつうち『朝鮮歴史地理』見了へ、鎌田女史帰り来て云々するに不快がりつつ、大藤氏に修学旅行の監督たのみて出、
15:00吉祥寺駅より家に電話して途で悠紀子に会ひて帰宅。
藤野一雄氏より武田氏の出版記念会と小林明美嬢結婚のことしらせ来しのみ。
21:00出て荻窪。雲呑食ひしあと、昨日開通の地下鉄にて東京駅。悠紀子、大江勉に遭ひ、ひげ生やしゐると話す。
23:00「第2つばめ」着き、家政婦と叔母と3人づれにて(※依子)下り来り、明後日朝、話ききにゆくこととなる。
依子の話にては「久美子、東京より房子つれもどし、いまも藤井寺にあり」と。

1月25日
よべ2:00すぎまで眠れず。5:30起きて成城大学休講ときめる。
芳野清君より「『果樹園』やめる気なし。朝日に注意した」と。苦しくてたまらず「新グレナイト」のみしもきかず。
依子と悠紀子と帰り来り(買物より)、夕食の仕度するころちょっと眠り、風邪ひく。
「(S ※省略)、房子を自殺するといひておどかし、方々の名所旧蹟みなゆきし」と依子に房子が語りしと也。
山田玲子生より「大阪文化みた」と。山本嘉蔵氏より寒中見舞。入浴す。 

1月26日
8:30ゆめ見て起き、9:30出て経堂。大江勉宅へゆけば叔母待ちて電話かけさせしと。
房子の悪女なることを説明し離婚よりほかなきをいふ。房子と出刃庖丁の話せし(依子にききたりと悠紀子)。依子の性質操行聞きおもしろし。
(けふ行きがけ富永次郎氏と同車。帰り途、小高根氏へゆかんとして夫人の出て来るに会ひ、3人にて歩く中、依子の縁談心がけんとのことに喫茶してたのみ、月曜ゆかすこととなる。藤井生と遭ひ、電車で2D女生にあふ)。
悠紀子と相談の上、久美子の「叔母は何も知らず」を見せにゆくこととす。

1月27日
風邪なれど押してゆき漢文すます。そのあと野田といふ女性より2度かかりし電話の3度目まち、
成城文芸の出来上りしの届くを待ちして12:05となり(ともにダメ)、田中久夫氏またせしに負けて出、経堂にて昼食(130)。
小高根太郎を訪ひ、陶器造りの話きく。われ停年後と死後を話せしにいやな顔せし。14:00出て帰宅。
〒なし。風邪ひどくなり佐藤dr.より薬もらひ来るを待ちてのむ。

1月28日(日)
風邪ややよきゆゑ礼拝にゆき、帰れば太田陽子夫人より「文芸通信に原稿を」と。鍛治初江氏よりもハガキ。ふしぎ。
午后「半自叙伝」かきかけしところへ永山光文来り「丹波道久1ケ月間在京」と。
弟の教材屋を紹介せよとのことに石渡氏へ名刺かく。依子けふはじめて外へゆく。

1月29日
朝、久美子の手紙のこといひにゆかんとせしところへ電話かかり、依子さそひしに風邪と。
夫婦して駅南口よりtaxi、50分かかり440円なりし。
叔母「悪人どもでも約束は守らねばならぬ」と久美子に怒らず「入院中の事故もしりしゆゑ、叔父に来てくれのたより出した」と。
正浩と出て(叔母和光学園へゆくと)小高根家。夫人に近々参るとことわり、下北沢でしるこ食って帰宅。
饗庭夫人より「弟のこと吉森安彦氏によろしくたのんでくれ」と。
箕輪さんを励ます会より12万円余送ったと。武田豊氏より「祝、受取った」と。
昨日よりけふにかけて『文芸通信』に3枚、『果樹園』に20枚かく。歴史地理かけず不快。

1月30日
7:30ごろ起き、論文かくつもりなりしも出来ず。
11:00ごろ渋谷に電話して風邪のこといひ、3月2日に決定の結婚につき大に祝ひをいひ、成城大学へ教授会欠席をとどけてねてをり。
鶴崎裕雄生より広島へ転任と。『不二』来り「保田、やまとの兵主神社に勧進角力せんとしゐる」を記す。
けふ果樹園社へ速達。

1月31日
つひに出来ず、論文断りにゆくこととし、まづ満蒙史料の会の欠席を神田信夫氏へ電話してもらひ、ついで12:00出て立教大学。
中田氏帰宅。手塚氏不在。山田助手にことわりたのむ置書し、
飯島にて『日本の祭(300)』と『農業日本の女(100)』買ひ、椎名町まで歩き練馬で下車(10)。
busにて鷺宮2丁目(15)。ふと思ひついて仙蔵院(※学生時代の下宿先)へゆき、「さくらゐ」の標札見て帰らんとすれば、
夫人に呼止められ名乗り、和上と歓待受け、『釈尊物語』2冊たまひ、『日本の祭』おき、
府立家政駅より上石神井(10)、西荻窪行のbusにのり(15)国鉄にて帰宅。
内藤智秀博士の紹介にて海老原稔夫人来訪。white-shirtおきゆきしと。
夜、田中雅子より電話「明星学園に入れし。クラス会15日」と。「大江房子犯乱」と教ふ。

2月1日
海老原夫人の包みあけしに2万円入りをり。
悠紀子と依子と出てゆきしあと艶叔母より電話「房子26日また行方不明となりしゆゑ6日帰阪」と。
悠紀子、小高根家へ昼食後ゆき、夫人に依子見せ、太郎より「骨のある人間」と我のことききしと。
そのあと大江叔母に会ひ、叔父来り、離婚の手続せんと?帰りしと。
城平叔父を大江叔父訪ねたところ、発作(内出血)でねてゐたと。
久美子は房子の逃げし(母来りこれに云ひのこしたことありと追ふふりして出しと)あと泣きゐしと。ざまみろ也。
夕方、岩崎昭弥来り、いろいろ話してゆく。油と味の素をくれし。

2月2日
桜井和上へ礼状かき、睡眠不足なれど聖心女子大のnoteつくり、12:00家を出る。
昼食せざるゆゑ、支那饅頭2ケ(50)買ひゆきしも食へず、内藤智秀博士に海老原氏のこといふ。
(けふ成城大学より試験監督表来り、あたり少し)。
2時間とも鼻声にて35分やり、都電にて渋谷。お好み店にて団子買ひ(165)、西村へゆきlunch食って大江。
叔母「6日に帰阪、(※嫁のこと)まだ憎めず」と。腹立ち寒気して出、帰宅。
『成城文芸28』3冊来をり。高橋重臣氏、NewYorkより「眞柱に2回会ってゐる」云々。
夜、矢野君より電話「1次に3嬢通った」と。栗山邸へゆきおけといふ。

2月3日
悠紀子「子宮癌かもしれぬ」といふに11:00ともに出て(丹波道久より上京中と)、浅野dr.(※浅野建夫)へゆけばapart完成しをり。
祝にと味の素、油贈り、茶よばれ笑はれて出、『佐藤春夫詩集珠玉篇(30)』、『フランス印象記(30)』買ひ、
また『中国古典小説選(60)』買ひ、平田家へ寄りて帰れば成城大学より電話。「月曜出られぬなら試験問題しらせ」といひしと。
午后みな出てゆき、われ留守番。悠紀子「癌でなし」といひ、不遜。

2月4日(日)
朝、中野清見夫人より「成城高等部へ」の電話あり「あす12:00研究室へ来よ」といひやる。
教会へ悠紀子ひとりでゆき200献金してくれた由。
午后、熱出てだるし。『果樹園72』来る。小野勝年、手塚隆義2氏に『成城文芸』、鎌田正美君に『果樹園』つつむ。
海老原稔氏に「受験番号しらせ」とハガキ。依子けふ(※見合)写真とる(750)。

2月5日
8:30家を出、教務課に挨拶し、中国文学史の監督す。60人ほど受け、中に藤本生あり、叔父藤枝晃のこと問へば「博士となりし」と。
そのあと小山生に遭ひ「河野岑夫よろしくたのむ」の名刺わたす。
ついで12:00すぎ中野清見夫人来り「高校の入試すみしならずや」と。しらべれば5日発表と。
「そのあとでも採ってもらへるなら」とのことに引下がってもらふこととす。丸と長話せしと。
14:00よりの東洋文化史のnote提出させ、相馬生と研究室にはこび(13日教授会後『成城文芸』編集会の回覧かく)ともに風月堂にてcoffeeのみしあと帰宅。
太田陽子夫人より2月末『通信』出来上ると。依子けふ大江へゆけば手伝婆さん疲労困憊の様子と。
あす叔母帰阪。(S ※省略)と房子と同棲らしと。

2月6日
晴。寒し。悠紀子郵便局へ預金おろしにゆく留守に矢野昌彦より電話「3嬢、筆記面接わるかりしゆゑいかなる条件にてもと栗山氏へ」と也。
木内書店より『西太后に侍して(450)』と『畿内見物、大和之巻(950)』と来をり。
相良教授わが「年中行事」よみ、梅花は梅花点ならんと。
14:00までまち高垣学長の挨拶きき、そのあと入試問題の校正見るため16:00までまた待つ。
松田教授に電話すれば「来年10月までだめ。松浦君か、茨城大の三浦一郎助教授を」と。
けふ「(※西島)大と大島るり子の結婚祝を3月2日18:00〜20:00丸ノ内日本工業倶楽部で」と森塚敏氏より。
なほ「挙式も16:00より同所で」と。ふしぎなる世の中なり。

2月7日
晴。家居。悠紀子、杉山産婦人科へゆきしに「異状なし」と。田中雅子の2児分娩をdr.おぼえたまひしと。
午后の便にて河野岑夫よりの転任挨拶つく。
18:00矢野昌彦より電話「結果を栗山氏にきいてくれ。あす10:00発表」と。
(手塚教授より「歴史地理に書いた。成城文芸受取った」と)。
若葉伊奈緒君に電話せしに「けふは帰宅せず」と。中学部に22:00電話せしも不通。

2月8日
8:00前、また中学に電話せしも不通。やむなく8:30出てゆけば小田急内にて矢野に遭ひ、ともにゆけば9:30すでに発表され、博子嬢合格のところにあり。
喜びて別れ10:00栗山部長に会ひ礼いへば、田中校長にも礼いはせよと。
都合きくまへ矢野に電話し、松浦高嶺氏に電話すれば「水曜午前に来[校]可能」と。
これも栗山氏にいひ、午后、相良守峰博士の試験手伝いにゆき、時間前に問題くばる。カンニングはせざりし模様なり。
すみてあやまり史学研究法にゆき、帰り来れば矢野まちをり「今日栗山氏に礼いふ」と。やがて会ひて5万円贈りしと。ともに出て帰宅。
吉森幸子夫人より「饗庭夫人のことは夫より云ふ。われはお見舞す」と。
帰りてねむくて困る。依子あす「第一こだま」で帰るとて昌三、硲、大江へ土産買はせ、硲氏へ寮歌集返却、礼の手紙かく。

2月9日
5:40依子見送りの弓子出てゆく。11:30ごろ出て聖心女子大、青山教授に会ひ「そのうち伺ふ」といふ。
Jesu会のこと話し(出席6人)、PhilippineのNationalismすまし早く出て帰宅。
途中『犯科帳(130)』買ふ。海老原好氏より「受験番号234」と。久しぶりに入浴。

2月10日
6:00起き7:30出て8:30成城大学。生物学を今井氏と共に監督。
ついで漢文。水谷生に浜松の法雲寺のことしらべたのむ。曽祖父の墓ありとreportに書きし也。
11:00すぎ昼弁当くひ、入試問題の校正のことききにゆけば必要なき様子。
出て下北沢にて散髪(250)。吉祥寺にて古本屋見てまはり、大高の寮歌集見出す(50)。ふしぎなること也(依子にもちかへらせし硲氏のもの、 悠紀子写し了へしあと也)。
他に『東蒙古の真相(100)』、『この眼で見たインドシナ(60)』を明大前で買ふ。
夜、西沢生より電話「玉葉を教はりたく」と。「あす午后来よ」と答ふ。

2月11日(日)
晴。暖し(5月の気候と)。9:30出て礼拝にゆく。
丸善道具店にゆき「本棚を火曜の14:00までに運ばれたし」といふ。名品会館へゆき帰りて昼食。
14:00西沢、渡辺2生来り『玉葉』の文治元年12月をよます。夕食して帰りゆく。
(けふフォト「ラカン」にて依子の写真出来上りしをとる)。

2月12日
9:30悠紀子と出て渋谷(吉祥寺にて老眼鏡買ひし。玉1260+つる650+ケース250)。
大に結婚祝5千円わたし母に2千円わたし、3月2日の式に出られずといふ。
ついで東急食堂にて昼食。小田急にて成城学園。森夫人に会へば早慶青山学院を次男受けるにつき心得をと。
(駅前の金物屋にてきけば「薄井夫人木曜に来る」と)。
バスにて農大前。大江へゆき女中さんにきけば「事なし」と。
小高根家へゆき夫人に依子の写真わたして帰宅。
吉祥寺中道の古本屋、代がはりせしに『むかしの歌(30)』買ふ。けふは寒かりし。
小高根二郎氏より同人費受取。井上多喜三郎氏より『骨』のしめ切3月末と。

2月13日
大江久美子より「絶交とのこと承知した。タヌキの恋愛は知ってゐると思った。ミサ子ひきとりにゆく。勉の件、叔母に云ったのはザンコク」と。
森塚敏氏へ「3月2日夫婦欠席」。吉森幸子夫人へ「お見舞を謝す」。久美子へは「4條ともしからず」と手紙。
遠藤道具店の番頭さんに「13:00より14:00に本棚持参たのむ」と電話。林桂子より「写真受取った。叔母長崎へ行った」と。
12:00出て13:05につけば、本棚はやく来て待ちをり。組んでもらひ山田教授のけふ欠席をきき置手紙見る。
教授会にて松浦高嶺氏の件すむ。(指定寄附ことしは全額献上するも、いるもの書き出せ7〜80万円までと)。
『成城文芸』の編輯交代の茶話会すみしころ、山田俊雄氏刑務所より帰り来る。
藤枝晃より『果樹園』の受取。(本棚代金3,200×2)

2月14日
寒し。9:00出て本郷。木内書店に1,450払ひ満蒙史料の会に出る。田川氏負傷入院と。
すみて阿南氏と昼食し、別れて古本屋見しも何もなし。
busにて池袋。立教大学へ成績提出(久保生85、2女生90)。手塚、中田2氏のことききしも不在と。
また古本屋を見、渋谷をへて帰来。咲耶よりハガキ「あす夜にでも来よ。大江叔母よりみな聞いた!」と。

2月15日
9:30出て写真機にfilm入れ渋谷より東京tower行のbusにのり11:20着けば(※帝塚山短大の教へ子同窓会)、
田中雅子夫婦子供2人のほか吉川綾子(星野)母子、米沢(藤田)母子、吉原夫人、和田(佐々木)母子など来をり、疋田母子、山中(花井)タヅ子にて、欠席岸夫人のみ。
料理よばれbeerよばれ、塔に上り記念撮影受取り、会費免除されて礼いひ、16:00近く出て渋谷行のbus。
ついで経堂行のbusにのりて梅ヶ丘下車。寿一(※西島寿一)宅へゆけば寿賀子買物。仏前に何もなくお供して出、
猿楽町にゆけば咲耶、房子の件を話しをり(S ※省略)の名をいはず。高知支店長になりて預金増加さすつもりなりと。
20:00出て帰宅。池上生よりnoteの片を速達。寿賀子よりわび電話。鈴木氏より「白楽天の出来いつか」の電話ありしと。

2月16日
晴。寒し。noteつくり聖心女子大へ13:00着く。
salaryもらひ(2,760+700)源泉徴収票(36,000−2,800)もらふ。田中保隆氏の研究室に『果樹園』と『成城文芸』おく。
本屋見しも何もなく、吉祥寺の北沢のあとに入りし店にて森銑三『初雁(30)』買ふ。
けふ渋谷にてGelbe Sorte(※タバコ)みつけ2箱買ひ、赤玉port-wine買へば値上り(205→215)。
藤井生来り、あす送別会を銀座風月でと案内せし由。
猿渡生の母来り、妹(立教高女卒)受験ゆゑよろしくたのむと(番号373、茂子)。カステラ賜ひしと。
16:00集英社の鈴木氏よりまた電話あり「またあとでかける」といひしと。
筑摩の票2枚(Non-fiction全集115,033−11,503)、世界の歴史6 28,737−4,310)、角川の票 (10,500×3−1,575−1,050×2)来る。
夜、藤井に電話せしに留守。「あす行けず」と伝言たのむ。

2月17日
晴。朝、本多弘子生より電話、鈴木睦美生と来ると。永山光文より「大新工業と会社を変へし」と。
午后2生来り、夕食し19:00帰りゆく。
小西秋雄氏より電話「杉本長夫氏上京につきあす新橋苑にて18:00歓迎会する」と。
出席と答ふ。けふ『通俗篇』のnote了る。

2月18日(日)
教会へ礼拝にゆく。ルカ伝だんだんによろし。
名店会館へ寄り帰れば依子より「硲氏には会へず。家政婦やとってもらへず、いやなり。久美子来り帰れといふ」と。
松浦氏の履歴書転送さる。
16:00まで漢文の採点し、京と出て買物せしめしあと、悠紀子と遠藤道具店へ寄り、教会の前通り牧師様に挨拶す。
渋谷に出てpudding食ひして新橋。「お茶の間」休みをり。
「新橋苑」へゆき待つ間、悠紀子五目飯食ふ(150)。やがて来し小西氏と話し「朔太郎を好く」ときく。
杉本長夫氏来り、黒田といふ女詩人の京都女子大の先生、伊藤青山学院助教授とそろひ、松の実粥とスープと旨かりし。
杉本氏わるよひし、21:30まで引上げに困る。小西氏勘定とらず、礼いひ、酒まんぢう買ひて帰宅。22:40。
弓子起きてゐし。短大漢文の採点すます。

2月19日
晴、家居。採点すます。聖心女子大より3月8日の謝恩会の出欠を問ひ来る。欠と答ふ。
集英社に電話し「白楽天2月末には出来ず」と伝へてもらふ。
加藤隆子生より電話「卒論面接するやもしれぬに付、あす午来よ」といふ。
中西家(※大家)ふろわかし22:30入る。

2月20日
田中昌三・初江叔父叔母へ手紙(2人に憤ると也)。
10:00ごろ出て成城大学。ゆくみち高校連絡会なりしを知る。加藤陽子生来りtobacco呉る。
13:00卒論面接すまし、来年度指定寄附より70万円呉れよとの案かく。
note検査(東洋文化史)すまし15:30よりの連絡会に出て帰宅。18:00。
西村美那子より見舞。(栗山文博、堀川文博、柳田理博、山内清男文博などの掲示出てをりし)。

2月21日
神田信夫氏へ『成城文芸』、硲氏、西村美那子へハガキ。桜井和上より「夫人流感」と。
立教史学会より「別枝氏の学位祝を10日に」と。
10:30悠紀子と出て(近火につき田中夫人より電話あり)佐藤dr.へ薬もらひにゆきしあと田中家。
ちょっと話して出、昼食くはずに分れ、下北沢でラーメン食ひ(45)、成城大学へ採点報告す。
水谷生より浜松の法雲寺の所在をしへてくれし。
salaryもらひ、成城堂に聖書の代(400×0.95)払ひ、『悪の華(200×0.95)』買ひ、宮崎氏と駅までゆく。
きのふ高田氏(※高田瑞穂)、栗山部長に切言せしと。そのあと下北沢に下車。
『南方文化講座2冊(200)』、『仏様の戸籍調べ(180)』買ひ、吉祥寺で『ある日本人1(30)』また買ひ『満洲の民芸(400)』買って帰宅。
詩人連邦「100号で止める」と宣言、同じことをいふものかな。「月原橙一郎60才となりし」と見ゆ。
アメリカの人工衛星帰りしと。(丸夫人に電話しユミ子嬢3薬大を受けるときく)。

2月22日
8:00目ざめ何もせぬ中、安田(岸)明子夫人より「class会に流感で欠。そのうち転居する」と。
吉森安彦氏より「忙し。饗庭夫人とは知合」と。
立教大学へ手塚氏に会ひにゆかんとせし所へ千草来り「咲耶より面白い話あるときいた」と面白くなきこといひ、父の歌集、母の墓のこと、その気なしといふ。
14:00帰りゆきしあと、反省の問題につき悠紀子と話し、わが中国残留のこと(※敗戦後そのまま中国で暮らさうと思ったこと)「水くさく思った」由はじめて聞く。就寝1:00すぎなりし。

2月23日
9:45めざめ、すぐ丸より電話「中野清見滞京中」と。『骨』19来り、荒木利夫号なりし(お祝のハガキす)。
『バルカノン』来り美堂正義氏の「大陸遠望序説」載す(※部外者によるもっとも早い田中克己論)。
朝の〒には尾張一宮の江崎明治郎氏より『香艸』送ったと。田川孝三氏よりニコライ堂下名倉病院に入院中と。
14:00ごろ中西家(※大家)ゴタゴタするに、悠紀子「ゆき子ちゃん肺炎らし」と。浅野に電話し往診乞ひしに三鷹日赤に連絡とれしと。
浅野、郵便局よりまだ帰らずといふにことわって入院見送り、18:00よりの「春日」の中野歓迎会にゆく。
矢野・丸・福永にて話す中(讃岐セントラル硝子をやめしと)、20:00散会まへ悠紀子より電話「ゆき子ちゃん駄目らしきゆゑ病院へ行って徹夜す」と。
われ号泣し、矢野のpocketにつっこみし金あてにしてtaxiにのれば1万円札。病院へつき悠紀子に金出さし650払ふ。
往診の先生にきけば「いよいよ悪し」と也。taxiでも泣きしが看護婦さんに2千円わたさし、出て境より三鷹まで国鉄。ついでtaxi(80)にて帰宅。
弓子起きをり、病院入口で長男に会ひしゆゑ、中西家からっぽ也。憐れなり憐れなり憐れなり。
(新宿の古本屋にて『伊藤博文(50)』買ひ「春日」へわすれし)。

2月24日
12:15分ごろガタンと音せしも誰もゐず。われ「主の祈」くり返し、のちにはほぼ云へるやうになりし。
2:00すぎより眠り5:00目ざましでさめ、5:30悠紀子帰宅せしに「12:15絶命せし」と。
10:00ごろ柩車で帰るとのことなりしも8:00すぎ帰り来る。死顔きれいなり。夫婦して香奠(3千円)もちゆき、われ泣く。
藤原氏の夫人来り、自殺せし長男思ひ出す。あす16:00葬儀ときまる。
夫人ならびに3児のかぜ、予め注意せよといひ、浅野君呼び注射打ってもらふ。
今度の風邪は心臓を冒すと。夕食後、枕経の席にゆけず、あとにて話し22:40となる。

2月25日(日)
7:00までよく眠る。例の通り9:30となり礼拝にゆく。牧師様、礼拝の意義説かれ同感。
ゆき子ちゃん天国へゆきしを信じて帰宅。山尾浩子より風邪見舞。
(丸善家具にて電話かり、矢野に礼いひ、トベリウス『小鳥の歌と物語(10)』京に買ふ。これまた風邪気味なり)。
聖心女子大の本多慈子生より電話「東洋史の会は3月3日」と。
16:00まへ井之頭小学校同級生の追悼の辞きき、担任村野教諭に教へ子失ひしわびいひ、死顔に別れつげて留守し、東夫人の話聞く。広島県の人なりと。
骨帰り、夕食し、月原橙一郎(山尾浩子に返事す)に60の写真見たとハガキかき、別枝篤彦氏の学位祝ことわることとす。

(※以下、柏井家過去帖交遊人名録にてノート終る。)



昭和37年 2月26日〜 8月31日 「東京日記13」
25.3cm×17.8cm 横掛ノートに横書き


2月26日
(※「中西ユキ子を忘れじ」写真貼付あり。)
よべ雨の音しをり。4:00さめ悠紀子ねむらざりしをきく。5:00になりて雪降れるを見る(2.26の追憶)。
悠紀子熱あり流感なることわかり6:00弓子おこし京、史送り出してのち、中西夫人にユキ子ちゃんの仏前へとたのみ、8:30浅野dr.に電話せしに「ゆく」と。
待つうち10:00まへお越し、まづ中西家の諸患者診察、すみて悠紀子に注射、一週間の安静命じらる。
岩波書店玉井乾介氏より電話「中国詩人全集続篇の蘇東坡のはさみこみを6枚今週中に」と。「小川環樹教授よりの指名なり」と。
諾して午食せしに中西家より呼ばれ、ゆけば福島県須賀川より上京の74の祖父上、倒れゐる。
脳溢血らしきも浅野dr.に電話して往診乞ひ、13:00すぎてやや安心なれば「序でに」と電話し、『果樹園』の原稿かく。
旧円最後の日なる21年3月6日、やっと帰京せしことわかる。
依子より手紙「大江叔母流感にて15日より23日まで臥床」と。
大に電話して「悠紀子倒れしゆゑ母見舞にゆけず」といひ、15:00弓子と買物にゆき、帰りて薬もらひ忘れしを憶ひ出し、
また出て中西家へ母よりの見舞として「うどん(280)」買ひ、『インカ帝国(90)』買ひなどして帰宅。
20:30浅野dr.来診。悠紀子に注射打ち、中西祖父診てゆく。そのあと岩波より速達『中国詩人選集2集』の広告なり。
(京、帰り来り、姉(※依子氏)よりの誕生祝1千円にこにこせしゆゑ礼状かかせ、われも中西家の不幸伝ふ)。

2月27日
晴。弓子学校へゆく。浅野dr.に38℃の熱のこといへば9:00来診。
依子より大江叔母1日の「はと」にて上京、土産の肉2日にとりに来よと。
松浦高嶺氏より「火曜午前しか空きゐず」と。本多慈子生より「3月3日18:00渋谷弥生にて会する」と。
12:00出て三鷹よりtaxiにて浅野dr.、薬もらふ。川崎円祐の子(慶大生)死なせしと。
出て成城大学。教授会にては入試志願者の数多く、われに仕事多く当りゐる。
山下太郎の孫娘を追加にて入れることとし、卒業判定に相馬生追試のあと残りをらば5月卒業と。
そのあとcunningせし女生の処分にて不快。栗山部長に請求書わたし、海老原234、猿渡茂子373の番号かきてわたす。
(けふ筑摩の武本氏より電話ありしといふにかけて「唐寅(伯虎)(※明代文人)のごとき風流人のこと7枚を今週中に」と也し)。
夕食すませしところへマキ子ちゃん「先生ちょっと」と。きけば「母38℃の発熱、先生呼んで」と。
早速浅野dr.たのみ20:00診察受け流感と。あと悠紀子みてもらひ、マキ子ノリヒコ2児に「祖父上に伝染ささぬやう」の注意す。
(『アラビア史(120)』買ひ、ゲルベゾルテ浅野dr.に贈りし補充す)。

2月28日
7:00ごろ弓子起き来る。8:30浅野dr.に電話「悠紀子35.9℃、中西夫人37.5℃」となり。
「午前中来診」とききも田中ダツ夫人よりの見舞の電話ききて出る。
赤門前にて『The Moons of Korea(100)』見つける。朝鮮歳時記なり。満蒙史料の会にて松村氏より地図出来上りしを受取る。
すみて神田信夫氏と阿南氏とにて昼食。「和田先生御元気」となり。阿南氏とお茶の水までbus。
杏雲堂にゆき、電話して名倉堂病院に田川孝三氏訪れ「来月8日退院」ときき、端午の扇のことききて出、
阿南氏と別れ、筑摩の武本氏に会ひにゆき、唐寅のこときく。『柳田全集』をたのみし。
地下鉄にて池袋。立教大学にて手当受取り、岡田甫『戯談(100)』、『女(180)』、『明石(80)-double』、『李容九の生涯 (50)』、『私の中国旅行(70)』など買ひ、渋谷をへて帰宅。
大江久美子より「9月23日まではしらず。その日これにて止めるときき信用し、その後もだまされつづけし云々」の手紙。
硲晃氏より「品受取った」と。悠紀子熱下って却ってふらふらとなり不快。中西家老爺帰りしと。
(けふ渋谷より安田家に電話せしに嬢病気と。流感の注意し3日出席をいふ。あさ速達書留にて答案来り、「採点報告を10日迄に」と)。

3月1日
よべ睡眠せざりしと。悠紀子変なり。
12:00浅野医院にゆき昨日までの払1,500を払ひ(雲呑麺70たべし)、古本屋にて『楠木正成(50)』、『南方詩集(50)』買ひなどして帰宅。
浅野dr.13:30来診「心配なし」と。雨降り来り、京迎へにゆかず。
16:00帰りて「買物にゆく」と。喜びて任せ、われ煮炊にまはる。
弓子帰り来り「あす大江へゆき呉る」と。「秘書課へただ一人まはされし」と。

3月2日
6:30弓子におこされ朝食し7:30家を出、試験監督3時間。経済1,700を越えし也。
社会の問題見ずして13:30また試験。問題見て単語集に鄭和と越南なきを知り、前田課長にゆけば「原稿にもなかりし」と。
岡田部長にいへばそのまま受けさせよと。すみてわが草稿にもなかりしを知り、採点より除外し、世界史の採点し計算すませしあと「入れるべき語句」といふを楯にせんと岡田部長にいへば(栗山氏ら国文にいへば「屁理屈だね」とありしも)、(※気に病まずとも)まづよからんと。
採点し21:30すませて帰宅。熟睡す。
(弓子、大江へゆき、はもの皮と牛肉ともらひ来し、「10日までお艶叔母ゐる。目ばかりの人だね」と。)
(矢野より電話あり「あすまた」と)。

3月3日
子ら出しあと矢野より電話あり「銀行支店長の女、山根治子嬢813の及落早めに報せ」と。
ついで林敏夫より電話「母ねるところなく寿一のところへ泊るにつき、叔母来る」と。風邪をいひてことわる。
14:00岩波のための「蘇東坡のこと」200×12書き了る。京帰宅。講義要項書き了る。
午后千草より電話、渋谷よりにて、敏夫にいひしことくり返す。
弓子一度帰り(証書忘れしと)また出てゆきしにより、京と悠紀子のこして16:40出て久我山で下車。
岩波に電話かけ「蘇東坡のこと」弥生へとりに来てもらふこととし、渋谷で下車。
時間つぶしに『普通消息文典(20)』、『欧米我観(20)』、『椰子の実(20)』と安本買ひ「弥生(フランス料理)」にゆけば原田先生まちをらる。
ついで現はれし本多生にきけば、卒業祝のみならず原田先生の古稀祝、青山氏の学位祝と、岩越生の結婚前祝と。
20:30までゐて原田先生をトロリーバス停まで送り、青山氏と井之頭線同車、「収入宜しきゆゑ、奥さん機嫌直したのでせう」と。困る。
帰れば「浅野dr.来診なかりし」と。われはゆきがけ佐藤dr.に遭ひ、薬もらふ。

3月4日(日)
6:00起こされ7:30出て成城大学。栗山部長に「(※試験問題の件)心配かけて」といへば、「慎重にやらねば」と叱らる。
2時間目の前に問題を検し試験場へゆけば、呼び戻されて模範答案かかさる。すみて監督。
替玉かといひて野崎君に室代ってもらへば「然らず」と。採点すまし計算たのみて21:00すぎ帰宅。
「主の祈」を時々なすが日課となれり。史のたきし湯に入る、珍しきことかな。

3月5日
6:00起き7:30出て面接。一向に面白くなきもすませて帰宅。〒なし。
(『萩原朔太郎(30)』買ふ。ちかごろ開店の古本屋にて顔おぼえられし也)。

3月6日
8:00起き「中国の風流」を苦心惨澹14×200ひるまへに書き了へ、悠紀子と出て下北沢、経堂。
小高根家へ食用油(350)を土産にして、ゆけば夫人「昨日中待ちし」と。
わびて話きけば、軍人の遺児那波信久君とて昭和8年9月22日生。立教の経済卒、日立化工勤務、母健在。3姉の中、長姉また戦争未亡人。次姉大島家へ嫁ぎしは小高根夫婦が仲人。3姉梅沢家へゆきし末子と。
われら「賛成、(※依子)呼びよせ見合さす」といひ、大江へゆけば艶叔母「依子に姑むつかしすぎずや」と。(※弟の)結婚式に祝電うたざりしをたしなめられ、出て渋谷。
筑摩の[武本]君の16:40来るを待ち、原稿わたせしあと下北沢の古本屋見て、『英雄色を好む(30)』買ひ帰宅。
小沢由美子生「単位くれ」と来し由。(けふ矢野よりつくだに一箱来り、大江へもちゆく)。
悠紀子21:30動悸し、浅野dr.に往診たのみしに来客と。
22:00ことわりいひしあと、熱はかれば39.3℃、またいひしに来診すると。

3月7日
浅野dr.午前2時来診、薬おきてゆく。医師会なりしと。
6:00起きねむくてたまらず、昌三叔父より「本店勤務となりし。正平さん今川にゐる。依子を初枝叔母ベタぼめ」と。
集英社鈴木氏の代理薄井氏より「白楽天いつできるか」と。
京、帰り来しあと、ともに出て買物もたし、『果樹園』同人費1,500現金封筒にて送る。
そのあと東横dept.にてバナナ(270)かひてゆけば、母ねてをり「13日の下阪止め。その旨大江勉にいった。6月に(※父の)墓出来上るゆゑ1周忌をやらんと。その際歌集を」と。
われ早すぎると反対、きき入れられし。新婦に紅茶のまされて出る(史、昨夜来しと)。
下北沢下車。大地堂にて『海南島語会話(70)』、『東印度の土俗(120)』買ひて帰宅。
弓子帰りをり(集英社に渋谷より電話かけ「白楽天を4月末までに」といへば喜ばる)。

3月8日
浅野dr.に支払にゆく(1,300)。患者1人もなく夫人とも話す。
『世界民謡曲集(40)』買ひ、赤飯買って帰宅。『帝塚山文芸クラブ通信』来をり、齋藤はるみの文いやなり。
13:00出て佐藤dr.に寄り薬もらひて成城大学。小沢生来りしに東洋文化史の60やる。
そのあと福島生の母来り、谷氏の単位もらへればすむと。
判定会に女生は300点以上、男生は280点以上とし(20人確保のためと)、わが関係ある3人みな駄目。
ただ足利の海老原生は補欠となりふしぎ。今年より縁故1人だけ良しとなりしらし。
すみてbusにて大江。叔母に「孫のため大切にせよ」といへば「しんどくなった」が別れの語なりし。
小高根家へ寄り、夫人に「けふ速達出した」といふ、これまこと也。経堂より乗車、明大前、吉祥寺の古本屋見しも買はずして帰宅。
(矢野の会社へ電話すれば「新潟出張」と。家へ電話し夫人にだめなりしこといふ。「今夜帰宅」と。この間たまひし佃煮は悠紀子の見舞と。春日のmadameに電話し、礼いふ)。
22:00矢野より電話あり。点数、席次いひてすむ。

3月9日
10:30までねる。悠紀子働きをり。太田陽子夫人と美堂正義氏へ礼かく。
中野清見へ『果樹園』。15:00買物にゆく。けふ文芸の入試発表なり。

3月10日
8:00起き9:30出て聖心女子大へ成績表もちゆく。
教務のmotherにきけば「もとより来学年もお願いす。時間もと通りもお聞きせし」と。
3月分手当を小林氏よりもらひ、青山学院前で下車。古本屋見しもなく、花屋へゆき「りんどう」「しょうじょうばかま」「桔梗」「なるこゆり」と買ひ(50×4)、井之頭線にて高井戸。
すし(130)食ひ、荻窪の古本市にゆきHoworth『蒙古史U(400)』、『日鮮解話辞典(100)』買ふ。(渋谷で『行事と風俗(150)』買ひし)。くさもち(50)買ひて帰宅。
矢野より電話ありしと。夕食後またかかり銀行支店長の嬢の点きく。

3月11日(日)
久しぶりに礼拝にゆく。立教の林春江生より「九州一周した」と。
夜、永山光文より電話「石渡校長のもとへはまだゆかず。丹波帰阪せしらし」と。

3月12日
「岡田剛先生2月28日亡くなられ3月3日葬儀すみし」と奥様より。
12:00京、帰宅せしあと夫婦して出、三鷹よりtaxiにて浅野dr.。夫人に依子の写真わたせば「あてなし」と!
出て渋谷(苺持ってゆく)。母起きてをり、大江叔母を東京駅に見送りしと!るり子失業保険もらひにゆきしと。
すぐ出て買物しつつ帰宅。(『マナスル(30)』といふ、この間見つけをりしを買ふ)。
渋谷にて西川英夫に岡田先生の訃伝へし。
(けさ岩波より電話、藤州のこと問ひ来り、夜、星野綾子夫人より電話、2次試験のこと訊ね来る)。

3月13日
川崎円祐へくやみのハガキ。岡田先生奥様にくやみ(1,000同封)。
散髪にゆき(250)、昼食のあと成城大学の教授会。みな(※及第)点与へしあと「来年よりきつくする」ときまる。転入も拒絶せしは文化史のみ。 すみて16:00。
busにて大蔵病院。花買ひて(230)西塚俊一(糸屋鎌吉)氏を見舞ふ。肋膜なりと。中野清見の嬢の入学のことにて礼いひ、渋谷をへて帰宅。
けふ太田陽子夫人より桝田夫人の住所しらせ来り、寿一夫妻より17日渋谷で映写会すると案内ありし。

3月14日
晴。艶叔母より速達。(※見合の)先方について多くの疑問を出す。田川孝三氏より退院の通知。
小高根二郎氏より同人費受取。午后、悠紀子小高根夫人に訊ねにゆく。夜、聖書研究会にゆく。15人位なり。
(税金のことにて竹内寄るかと思ひ電話せしに「昨日すみし」と。我家1.4万円を出さねばならぬらし)。
夜、悠紀子、依子へ手紙かく。

3月15日
9:00より雨。珍し。月原橙一郎氏より「会ひたし」と。西垣脩氏より『少年聖歌隊(※鈴木亨著)』出版記念会の案内状。
杉本長夫氏より速達、令息青山学院失敗「成城の経済と文芸といづれが難しいか」と也。速達で「わからず」と答ふ。
夜、入浴。痔痛き也。白楽天かきたくなりをり。

3月16日
晴。午后の便にて佐々木邦彦、高橋邦彦と、両邦彦の手紙来る。出て『アララギ』の『茂吉追悼号(100)』買ひ来る。
正宗得三郎画伯逝去78才。白鳥の弟敦夫の弟にして、猪早夫の子、春江生は孫にあたる也。

3月17日
晴。母より電話「河野の次男、修学旅行にて今夜上京」と。「迎へに行ってくれ」ならんも応ぜず。
〒なし。午后三鷹書店にゆき『南方亜細亜の民族と社会(50)』、『法医学夜話(50)』。夜、入浴。

3月18日(日)
晴。寒し。礼拝にゆき、昼食後ねてゐれば、依子「第一こだま」にて帰り来る。
悠紀子、弓子の買物にゆき、帰って小高根夫人に電話す。
(けふ原田先生の喜寿祝賀4月7日と『東亜古文化論考(1200)』の代金を4月末までにと)。
城平叔父、大江叔父と会ひし由。

3月19日
晴。岡田先生奥様より丁寧な礼状。東洋史談話会より会すると。『不二』来る。
午后阿佐谷へゆかんとせしも止める。悠紀子、買物の途に創価学会につかまりしと。
夕方、高井洋子生に電話すれば「パーマかけにゆきゐる」と。夕食後、武井伸子生に電話すればこれも留守。
母君「十時からか」といふ。入浴。19:30高井生より電話「式は10:00より」と。

3月20日
6:00起き、(よべたびたびねざめせし)8:30家を出て成城大学。
浅沼講師と石渡生と同道。山田生に会ひ祝に『吾妻鏡』の訳をといふ。
式すみて寒き中を写真とらる。栗山部長にきけば1次の合格者にして入学手続せしは半分と。
coffeeのみにゆき高井、神戸2生と会ふ。われをこはしと也。
出て鈴木秀穂に遭ふ。「相馬気の毒にて、けふの式に出ず」と。帰校、salaryもらひ山田教授と同車。
経堂にて下車。すし食ひ小高根家へゆけば夫人「電話してあす13:00ここにて見合といひし」と。
出て新宿、四谷をへて山本書店。『台湾使槎録(200)』、『宛署雑記』、『元白詩箋証稿』とにて730払ひ、小雨の中を都電にて渋谷。
矢野に電話し(けふ成城堂にて中学の『英和』『和英』買ひし)、某銀行支店長令嬢立教に入りしときく。
大江久美子より「感謝しゐる」と。安田夫人より転居通知。けふ卒業albumもらひし(はじめて也)。

3月21日
雨やまず。悠紀子・依子ともにパーマにゆき、依子11:00に帰り来てすぐ出る。途中飯くふ時間なく(名店会館で羊羹500)、12:45に小高根家にゆき、いへばすしとってくれ、来しと那波家の着きしと同時なり。
依子と2人ほほばりてのち、母、姉と信久君に会ふ。酒タバコともにのむと。2人のみ座敷におき、こちらは話すに、秋田県が父方、母は芝の生れと。 男のやうなものいひする母君にかってちがひ、16:00先出て矢野に電話してゆけばすし食はさる。
この間の1万円の礼いひ、見合と流感の話して出、吉祥寺に18:00。買物悠紀子し夕食せしめしあと、
19:00出て写真焼付とりにゆけば9枚しかとれてゐず。聖書研究会、来週よりなく祈祷会と。
帰れば(ゆきに依子に会ふ。吉祥寺まで送ってもらひしと)やがて電報来り、
「ツネオシス シラス ヒゲ」と大阪松原16:50発なり。
丸に電話して西川にしらしてくれといふ(由美子薬専はだめなりしと)。

3月22日
9:30出て(肥下夫人へくやみ状に3千円同封す)阿佐谷、船越章を訪ひ、肥下の訃を伝ふ。赤川草夫に伝へてくれると。
10:30出て池袋(途中、西寛治に電話せしに出勤と。長尾良にかけしに他出。肥下のこと伝へてくれといへば、コギト編緝の肥下かと)。
立教大学へゆく途、田中教授に会ふ。salaryもらひ研究室へゆけば「誰もゐず」と。地理の中田氏「この次の歴史地理に書け」と、恐縮。
古本屋見てゾッキ本の『イラン史(130)』、『ロシア史(100)』買ひ、林富士馬氏に芳賀その他への(※訃報)伝言たのみ昼食(150)。
田村敏雄氏に「入学のこと出来るだけやる」と電話。小高根家へゆけば夫人忙しく、太郎「あとは知らぬ」との様子。
tobacco(400)置き、肥下の所教へて帰る途、伊藤佐喜雄思出しゆけば旅行中と。
次にbusにのり杉浦(※正一郎)夫人訪へば他出と次嬢。
帰宅すれば夫人来をりしと。17:00悠紀子帰るをまち、硲晃氏より「上京しをり、今夜来訪」ときく。
悠紀子にきけば「杉浦死ぬまへに洗礼受けし」と夫人話せしと。
(創元社の知念君(※知念栄喜)より「電報もらった。下阪するか」と電話ありしと)。
硲氏、道わからぬかと悠紀子たびたび外へ出、われも3度目にともに出しに偶然来合せし。
礼いひ、神のこといひ、汗かくを見、22:00送り出す。(教へ児、井上斌子と相思らし)。
鈴木睦美生より「鎌倉へゆきし」、杉本長夫氏より「坊や日大法科へ入れし」と手紙。

3月23日
曇。丸より電話あり「肥下の香奠あつまらぬ故、置とどける」とのことなりし!
井上多喜三郎、鈴木睦美、安田明子へハガキ。佐々木邦彦氏へ同。
竹内好に電話すればPTAと。夫人に「香奠御自由に」といふ(夫人「照子」と)。
高橋通子より「卒論頼む」と!鍛治初江生より「伊藤久子、去年夫をなくし今年3月再婚した」と。
春の日会より4月9日料亭柳生にてと。
鍛治君へ「近々は帰らず」と手紙。午后より雨。夜「長恨歌」を写す。(中西家より卒業祝の赤飯)。

3月24日
中西由美子(※ユキ子)ちゃんの命日と、果物買ひに悠紀子ゆく。
太田陽子夫人より「伊藤、峯2夫人のアドレス。下阪の日を一週間前に知らせ」。鈴木健司生より「相馬3月7日帰郷した」と。
バナナ高価にて洋菓子を仏前にそなへる。奥さん泣く。
大田、鈴木、高橋の3生にハガキ(太田夫人には「夏、建碑式まで下阪せず」と)。「父の骨」700字を『骨』にと書く。
午后、竹内訪ねしに不在。夫人感冒と。田中夫人訪ね「交際」につき教はる。別れて帰宅すれば阿南氏より電話ありしと。

3月25日(日)
2:30ごろ目さめ、悠紀子おこして語り6:30起床。8:30までに出る。
浅沼講師と同車。「このごろ楽し」といひす。試験監督2当り、午后あき、あすの面接もなし。
300代の教室にゆけば猿渡生の妹ふたたび受験しをり。「姉、付添にも来らず」と。
(※受験者数)経済800、文芸600、短大400にて2千人近き受験生にて、はじめてらし。
田中雅子に電話して伊藤生のこといひしのみ。
採点前、尾上教授に(※遠縁である肥下恒夫の弔問休暇について?)相談すれば「自分の親友といふことにせよ」と。
宏池会に電話せしに無人(日曜といふこと忘れし)。
栗山部長に猿渡生のこといへば「宜し」といはず。採点22:00までし、短大の分はあすとして帰宅。
風呂わきをり。小高根二郎君よりの便りにては「肥下20日に農薬自殺。27日高野にて会ひたし」と。
丸より1千円封入「夫人は翠光園の光子」と。花井タヅ子夫人より「井上斌子の縁談難行」と。
けふ悠紀子、依子の出しあと(悠紀子教会にて天理教のことききしと)、林叔母来り「母のところへゆきしか」と問ひしと。
悠紀子母に会ひ「船越叔母より肥下のことききし。河野京大工科へ合格」と。
そのまへ小高根夫人に会ひ「那波家有望」と。竹内好より電話かかりし由。(永島福太郎博士より令嬢聖心女子大に入学と)。

3月26日
8:30出て途中、丸に電話し肥下のこといふ。ついで西に電話すればかからず。宏池会も同。
田村邸に電話すれば「盛岡にゆかれし」と。10:00成城大学に着き採点。
意を決して松田生の番号を内田博士にいへば一覧表見てくれ「好成績」と。安心し、他の採点も手伝ひ18:00すみて、すしと酒よばれ、早く出て帰宅。
『福地邦樹詩集』来をり。(けふ西寛治氏に社へ電話すれば年鑑係と。「あす大阪よりの話ききてまた電話す」といふ。竹内にも電話し伝へし)。
(高井生よりあさってクラス会と電話ありしと)。

3月27日
晴。寒し。枡田、和田、星野、花井、藤井、藤田の6夫人へ写真同封し、「春の日の会」へ欠席通知。
井上多喜三郎氏に「父の骨」包む。立教昨年卒業の高田宣武生より礼状。近藤園枝生より礼状。
中野清見より「次男キリスト教大学に入学」と。聖心女子大より4月14日(土)13:30教授会と。
14:00出て郵便局。名店会館(入学祝400+500)、市役所出張所をへて下北沢。
宏池会へ電話して松田生のこといひ、東生田下車。
山道で嫁と子2人に遭ひ、叔父叔母と話して全田叔母の体悪きをきく。(全田叔父の17回忌に肥下来ざりしと)。
それより田中順二郎宅、祝し弓子への祝もらひして出、農大前下車。
小高根家へゆけば夫人「電話せし。せかぬならあと数回会はせよと那波家の話」と。
すぐ出て下北沢、大地堂へゆき『笑いの誕生(50)』、『ぐろてすく(70)』買ひ、rice-curryくひ、高井洋子に電話すれば外出と。 「あすの会に出ず」との伝言たのむ。
新宿高野へゆけば19:50で閉店。外でまちをれば(※小高根二郎)20:00来り、純喫茶へとゆく。
「肥下10日ほど半狂乱にて、夫人に悲しむ色うすかりし」と。
同人費わたし、駅で別れて西に電話すれば「助力する」とのことに「いま一度しらべてから」といふ。
帰れば22:00、依子「あす帰郷」と。

3月28日
9:00出て渋谷をへて本郷3丁目。田川氏負傷癒えて出席。
すみて卒業式とて父兄や女学生の服装賑やかなるを見つつ、神田、松村(日大理学部に就任と)、岡田の3氏さそひて昼食。
すみて都電にて日本橋。東洋経済社ひっこしをり、ゆけば原田運治不在と。
日銀にゆき、鎌田君より香奠とり、紅松君呼んでもらひ同。
西川にゆけば丸より電話かかる。梅本(※梅本吉之助)来りて家に電話し、悠紀子よりききしと也。
ここにても香奠預り、梅本のゐる佐渡島金属支社へゆかんとしtaxi待ちに待ちて乗れば舟町知らず。80払ひて下り、歩きてゆきjuiceおごらる。10月保田へゆくといふ肥下に会ひしと。帰阪弔みにゆくといふに地図かきてわたし、三越へ出て地下鉄。
帰れば『柳田国男集』3冊来をり(880×3)、福地君より詩集の評かけと。
藤田幸子夫人よりclass会の礼。神鳥あや(四方)より転居通知。
けさ依子7:00弓子に送らせて出てゆきしと。夜、19:50教会へゆき祈祷し恥かし!

3月29日
「肥下恒夫を哭す」200×3果樹園社に速達。肥下夫人に西川、丸、紅松、鎌田の香奠(4,000)を送り「様子しらせ。梅本にもいへ」と書く。
林俊郎より礼状。午后、郵便局へ出(肥下93、果樹園社40)速達し、ノート5冊(100)買ひ、『菜根譚(40)』買って帰宅。
杉本氏より再び令息日大入学を報じ来る。硲氏より「今後も心がける」と。
聖心女子大へ「4月14日(土)13:30の教授会に出席」と返事。高田宣武、福地、杉本の諸氏へハガキ。



3月30日
よべよりみぞれ。岩波より『中国詩人選集 第2 蘇軾』2冊来る。
柳井道弘より「肥下の遺書なかりし。西、長尾、伊藤にしらせ」と。集英社より注意書。
12:30出て成城大学。長尾に電話す。月原橙一郎氏に電話すれば会議中と。
森忠巳氏より電話。高田瑞穂氏と相談の上、特別承知せしめ篠原氏にもちゆけば「おそし。栗山氏にいへ」と。
会議の席でいへば成績悪き故と34番目の補欠。(猿渡生は姉のせゐで通りし)。
帰途(前田課長に4Dの学科指導を4月14日(土)9:00〜10:00と届ける)山田氏と同車。
帰りて森夫人に電話し、夕食後かかりし電話、那波君よりにて、依子在阪を知らざりし様子。帰宅したら電話すると電話番号きく。
森氏より電話「明治学院の夜学受けるべきや」といふに「受けよ」といふ。日曜来訪の由。
けふ大学へ小野勝年氏より受取。のハガキ。『南方民族の生態(80)』複なりし。

3月31日
晴。霜よべ多くおきし。文学散歩東京友の会より案内来しのみ。このごろ『水滸伝辞典』のcardとりてたのし。
午后、京に留守番さして出、杉浦夫人に肥下の自殺告げ、杉浦(※正一郎)の死の床での入信をきく。
蕗子けさ東京駅までゆき金ぬすまれしとて出て来ず。
15:30となりて急ぎ帰宅。京、けふ17:00より井之頭塾へ通ひはじむ。

4月1日(日)
9:40出て礼拝。求道会出来るとて夫婦して曜時をしるす。帰りて枡田紀子より「写真ふけて写りをる」との手紙見る。
岩波より稿料700×6−420=3,780。昼食し、森忠巳氏に電話すれば「出た」と。ややして電話かかり「道わからず」と。
井之頭小学校へ迎へにゆき伴ひ帰りて「坂出秋彦旧理事にたのめ」といふ。津上製作所の社長にてはなかりし。
23:00電話、西垣脩君より『青衣』の出版記念会に名かせと。

4月2日
晴。9:30森氏より電話「子どもつれてゆく」と。やがて来り「養徳社にて貴殿のことを自他にきびしと噂せし」と。
英樹君、ひるめし食ひ15:00までをり(齋藤はるみ長崎よりヱハガキ)、直後森氏より電話「某代議士にたのめばいかに」と。「関係なし」といふ。
けふ弓子、柏井へ保証人の印もらひにゆき、祝として1千円もらひ、入行式に出しと。饅頭もらひ来し。

4月3日
雨。山田君江より「会、病気ではなかったか。短大専攻科へ入る」と。『果樹園』74来る。
午後風吹き、夜風やむ。『白楽天』にと「長恨歌」より(※訳詩)はじむ。

4月4日
晴、寒し。武蔵野教会より「13日以後金曜19:00求道者会」と案内。塚田満江(黒田しのぶ)なる女性よりハガキ。
京に留守させ11:30出て渋谷で昼食してのち第一銀行神田支店にて3,780受取りしあと、岩波文庫『吾妻鏡』探せしになく、国鉄にて新宿。 「伊勢丹」にて原田淑人先生の喜寿お祝(4月5日と)に湯呑一組(唐草模様1千円)を届けさす。
それより「二幸」にて茉莉茶みつけ1袋(160)買ひ、busにて荻窪北口。われは古本屋見し。吉祥寺南口にて『ありがたき神々(110)』といふを買ふ。
帰れば肥下みつる夫人より「心配いらず」の速達。
秋山昭子夫人より「光風会展に出品」との案内。森英樹来て「津上製作所社長室付」の名刺おきゆく。
悠紀子と議論のあと、西寛治氏に電話すれば福岡出張と。

4月5日
森忠巳氏より電話「鈴木氏より連絡あり、坂出氏に会ふ」と。これにて目さめ、『水滸伝』やり、
肥下夫人よりの死亡通知見しあと、竹内(※竹内好)に電話すれば「午后来る」と。15:00すぎ来しに肥下夫人の手紙見す。
『近畿民俗29』。谷省吾氏より「皇学館大学教授となり両帝塚山短大にもゆく」と。
三野生より「あそびゐる」と。立教大学より「水曜7〜8時限(14:50〜16:30)237教室にて」と。入浴。
20:30影山正治氏より「保田氏上京、いま会しゐる。肥下氏の死を知るや。保田氏に会ふや」と。「保田より肥下の死の事情きいてくれ」と答へしのみ。
(けふ原田淑人先生の御誕辰を祝する手紙かく。)

4月6日
曇。あさ森氏より「坂出氏と成城大学に行き補欠の人数きいたがまだわからぬ」と也。
午また電話、今度は小高根夫人にて「この日曜の都合いかにと那波氏来りての話」と。悠紀子依子へ「日曜までに帰るや」の電報打つ。
われ3:00出て高円寺赤川氏を訪ね(苺150もち)、肥下夫人の手紙見す。帰り紅松一雄君に電話して「あす午后ゆく」といふ。
16:00依子より返電「ツゴウワルシカエレヌ」と。

4月7日
曇。和田節子夫人より写真の受取。
15:00出て井荻の紅松一雄に肥下夫人の手紙見せにゆく。夫人大阪女学院(ウィルミナ)を出て竹森牧師夫人の1年下、結婚後26年にて長男早稲田を出て25才と。
金なきに気づきしは悠紀子の出しあとにて、丸に電話し「夜ゆく」といふ。
19:00出て丸へゆき、肥下夫人の手紙見す。次男東北大学の大学院へ入ると。

4月8日(日)
曇。礼拝にゆく。副牧師森田先生の紹介あり。この間お世話しくれし人也。
すみて帰り来れば原田淑人先生よりお礼状来あり。蒔田夫人「写真受取った。自動車の免状とった」と。
午后森良雄博士来り、悠紀子と信仰談す。法華経よしと。

4月9日
8:00出て久我山下車。西寛治氏に電話かければ「16:30来社せよ」と。
栗山部長訪ひ、森氏坊やのこといへば明治学院へゆかせよ、いま13人補欠出来たのみと。
成城大学まで歩き前田課長に問題提出の時のこといひ、山田生に電話すれば外出。
小高根家へゆけば悠紀子まだ来ず(けさ速達にて依子より「艶叔母またころび帰れざりしも今週末には帰宅」と)。
経堂駅にて悠紀子まち(途にて船越夫人に会ひ、高村賞の祝いふ)、青山家にてもらひしcocoa(栗山家の帰り寄りしに博士他出、25になる嬢ちゃんありと)わたし、昼食して別れ、宮崎幸三氏訪ひ、キリスト教の話伺ふ。
東京駅行のバスに乗り虎ノ門下車。給食協会に月原橙一郎訪ふ。昭和17年以来にて60才なりと。
それよりまたbusにて八重洲口、西川訪ふ時間なくなり産経まで歩き、西氏に会ひ、次の下阪に肥下家訪ふときく。
地下鉄にて荻窪。西荻窪の古本屋見、『西遊記(30)』、『支那書翰文講話(30)』買ひて18:00帰宅。
森夫人に電話す(けさ下阪との電話かかりし也)。安達潤子生長崎より。福島姉妹の母より礼状来あり。三田村泰助氏より『清初の彊域』来る。

4月10日
雨。9:30西沢生より電話「雨ゆゑ、本日の来訪やめる」と。
依子よりハガキ「12日第2ひびきで21:50東京着」と。成城大学より時間割。文2の中国文学とゼミと脱落!
午后散髪(雨やむ)。けふ私鉄ストなりし。

4月11日
9:00出て東大。われ鍵あけて待つ中、岡田、松村(日女大、日大)2君来り、田川、神田2大人の来るまでにはじむ。
すみて神田、岡田、松村氏と昼食。神田氏より『駿台史学13』もらひ地図の小型を松村氏よりもらふ。
古本屋見てbusにて大塚通り、矢野に肥下の死を伝へ、紅茶おごってもらふ。
立教大学へゆき手塚氏に地図贈り、白鳥邸の整地済みしときく。久保副手!に会ひしあと237教室へゆけば女生6人。
参考書あげ16:40すませて古本屋。『風流旅日記(130)』買って渋谷をへて帰宅。
不二歌道会より「歌か詩くれ」と。(けふ『満文老檔6』もらへると松村氏よりききし)。
22:00花井夫妻より電話「さ来週camera見にギンザへゆく」と答ふ。

4月12日
9:00出て成城大学の入学式にゆく。呼名ながすぎし。妹尾理事長、声嗄れ、ききづらかりし。
すみて時間割の増加たのみて出、鎌田女史に「沢田四郎作博士5月3日(※柳田国男米寿祝賀会)来会」ときく。
13:00まへ帰宅。「依子第2ヒビキ4号車ニテマツ」と大江叔母より電報来あり。
『Biblia21』来あり。夕方雨。20:00すぎ悠紀子東京駅まで迎へにゆく。
23:00依子帰宅。小鯛ずしを土産とし、大江叔母の手紙もち来る。「何も出来ず」とあり。

4月13日
雨。依子に那波氏へ電話かけさす。『文学散歩』来り「鴎外の遺言」のす。
『不二』へ「肥下恒夫を哭す」5首をかく。「長恨歌」訳す。
16:00西沢生より電話「雨ゆゑゆけず」と也。夜、雨の中を教会の求道者会へゆく。われら夫婦加へて5人。『ハイデルベルク信仰問題(120)』やると。竹森先生(※竹森満佐一)の訳なり。
(けふ薄井嬢に電話すれば、母君(※薄井敏夫未亡人)中川原の病院に入院しゐると。見舞にゆくゆゑ病院教へよといふ)。

4月14日
成城大学へとゆく途、一女性なれなれしくものいふ(帰りも同車、昼食ともにし宇和島出の西村生4Aとわかる)。
6人定刻に来しを相手にすまし、あとボツボツ来りしと研究室にて話す。本間生いくらかテーマ見つけ、高橋生ヒスおこす。
すまして(丸生高山へゆくと)時間割前田課長よりきけば、中国文学42教室にて木曜の第3限と。土曜なくてうれし。
西村生と別れて大地堂にゆき、鴎外『蛙』、『三田文学(400)』予約し、渋谷(※聖心女子大学)。
丁度よき時間にゆきBritt学長の訓示きき茶菓供せらる。原田先生に御挨拶し内藤先生に礼いはる。
出て同行せし老先生、電車にて教子より「宇野先生!」と呼ばれ哲人先生なることわかりし。
帰れば肥下夫人よりまた礼状。阿南氏より大分へゆきしと。
けふ留守中、猿渡夫人来り反物おきゆきしと。

4月15日(日)
寒し。9:30出て佐藤dr.にゆきし悠紀子と教会前にて会ふ。けふは「棕櫚の聖日」と。金曜が十字架にかかり玉ひし日。日曜が復活祭と。
帰りて昼食、そのあと〒も広告のみ。ハイデルベルク信仰問題の註の勉強もす。
(那波氏より電話かかりし故、依子渋谷(※義祖母宅)へゆきしと電話教へしに、あとにてパーマにゆきしことわかり、渋谷へ電話せしむ。けふ弓子ゆき母・千草に会ひしと)。
増田幸子より電話あり、銀座の日広皮革にて社長秘書求むと。「あす成城の就職係にいはん」と答ふ。

4月16日
11:00出て成城大学。就職課に日広皮革の求人をいふ。ついで前田課長に時間割のこといへば史学研究法を土曜1時限に廻さる。
古野清人博士の初講義にさはぎしと。天理以来の久闊を叙す。(大藤氏あすまた診察受くと。蒼白なり)。
成績表受取り、わたしかたがた説教す。高橋、本間けふは素直なり。
相馬、鈴木と来る。Juiceのませ高橋邦太郎氏に挨拶し、東洋文化史やる。疲る。
帰りて吉祥寺の古本屋にて『言志四録(80)』買ひ、きけば『吾妻鏡』5冊にて1千円に売りしと。
田中保隆氏、咲耶よりハガキ。依子友達にゆく(那波氏に電話せしと)。
けふ薄井嬢に電話し中川原病院ときき「見舞にゆくかもしれず」といひ、猿渡生にもゆくといふ。

4月17日
9:00出て成城大学。短大の漢文やり、今井氏と演習につき相談し、
昼食のあと(山田生挨拶に来る。松浦氏けふ1,2時限と)note返却などし、中国文学史やり3年D組の学科指導す。
帰り田中生と一緒になる。服部四郎博士より「業績しらせ」と。
けふ福島生、朝鮮飴家よりことづかり来る。

4月18日
朝10:00より立教大学のため「元旦雞羊を殺す」との「歳華綺簾」の駁をかき、
昼食後、雨ふり出せしのち立教へゆき、27日(金)の教職員会ことわらんとせしに、案内書ならびに探し出せし『四時纂要』なし。
教授室へゆけば14:45、あと1時間あまりあるとまちがへ、note補ひゐれば30分して伺ひにくる。
あはててゆき20分教へ、夏目その他古本屋見て帰れば17:30。自信をなくせしはいかなる故かしらず。

4月19日
寒し。晴。9:00出て成城大学。中国文学の時間満員にて、64に教室かへてくれといふ。
就職課へゆき山内課長に会へば篠山、神戸を推薦することとなり、日広皮革へ電話すれば増田氏外出、10:00帰来電話すると也。
弁当食ひて電話きき、そのまま出て吉祥寺。『平妖伝(落丁あとでわかりし30)』、『アメリカ史物語(30)』、『国学院雑誌56-5(50)』 買ひして帰宅。
けふ学校へ医科歯科の田中博士より眞野喜惣治氏のハガキ転送受け、梅本吉之助君より「肥下宅みまった」と。
平凡社より『アジア歴史事典9』出たと。「政治公論」社へ6月30日までに詩一篇承知のハガキ。
服部四郎博士へ抜刷送る(40)。よる、猫逃げ、京泣きてねしあと帰り来る。

4月20日
雨。〒なし。山内課長より電話「篠山生就職しをり、神戸生返答なし」と。
夜19:00教会へゆき講義受く。男3人女3人なり(他に1人欠席と)。白楽天「琵琶行」の訳すむ。

4月21日
8:30に成城へつき史学研究法を9:00よりといふ。すみて就職課へゆけば、神戸生10:00来ると。
田中久夫氏と話し、山田教授と話し、『唐会要』を図書館へかりにゆく。
大藤氏に会ひ、ゼミを演習に数へることを教務課長にいひにゆき、note返却、成績わたしなどして13:00のsalary待つ。
神戸生来しゆゑ、高井生と2人を月曜に増田氏に会はすこととし電話でいふ。
丸重俊(※丸三郎子息)に単位少なきをいひ、月給もらへば昇給しをり(給料56,200扶養手当1,400暫定6,500=64,600にて63,700に比べ900円)。
山田氏と同車、吉祥寺で『マホメット伝(100)』買って帰宅。
坪井(※坪井明)より「修学旅行中にて(※肥下氏宅への)弔みには夫人いった」と。
入浴。『不二』来り、保田と影山氏との写真あり(※対談記事)。

4月22日(日)
復活祭。家族同伴にて教会に来る人多し。
11:30すみ名店会館にて薄井夫人へみやげ(285)買ひ、地下にて昼食してのちbusにて千歳烏山。
京王にのり調布でのりかへ府中で下車。猿渡家へゆけば夫人と祥子・茂子2生と、みな留守。
やがて夫人と茂子と帰宅。祝のべ、京1女卒の夫人の話承る。
あす茂子生に来よといひ、分倍河原駅まで歩き、中川原駅より5分の病院につき、15:00よりの面会時間に看護婦室でまち、
15分ほどして来し(※薄井敏夫)夫人やせゐたり。2月22日入院といふに恰も2ヶ月めなり。
やがて2嬢来あはせ、病室見しあと別れ告げ、ハルナにきけば医療費は600円のみと。
帰りは府中より国分寺までbus、三鷹にて『無門関(50)』、『東京旋風(50)』と買ひて帰宅。
肥下夫人より礼状来をり(梅本弔問と)。坪井へ「渋谷のキョウ栄館なら紹介する」とハガキかく。
けふ来し『不二169』に影山氏の歌あり「3月21日終始コギトの署名人たりし肥下恒夫氏忽焉として逝くと聞く」と前書し
 連翹の群れ咲き盛る花小道つめたき雨にぬれにけるかも

4月23日
午后登校。高橋邦太郎氏に会ふ。東洋文化史すませ、三野生、来しにきけば朝鮮の巫をやると。
就職課長山内氏に会ひ高井生のこといへば「就職内定しゐる」と。神戸生よりは電話ありしと。(猿渡茂子生に仏和辞典贈る)。
出て金物屋にゆけば「昨日薄井家へゆきしにおばあちゃんのみなりし」と。
下北沢下車。大地堂へゆき『蛙』と『三田文学』(2冊にて400)とる。
『蛙』は佐藤君にやることをけふ約せし也。他に『南太平洋諸島(40)』。帰れば岡田先生未亡人より香奠返しにハンケチ。
けさ大江叔母より小包、ふきの佃煮ありし。一昨日は山田氏、けふは高橋邦太郎氏「石田幹之助先生危篤」と伝ふ。
夜、高井生より電話「神戸きのふ自動車事故にて入院、けふ面会にゆかざりし」と。

4月24日
9:00家を出、成城大学へゆき山内就職課長に神戸生の負傷いひ(増田氏に電話せしに「会議す」と)、土曜ごろ伺ふといひして短大。
教科書来あらず明治書院にきけば5月10日ごろ出来ると。
午ごろ増田夫人より電話、神戸の見舞いひしゆゑ、依子の手伝いへば「よろし」と。
土曜11:30服部時計店前で会ふこととす。渡辺、西沢2生と話し14:00となり、教授会に出れば高田氏部長代理。池田博士(※池田勉)立案す。
16:30すみて高井生に電話せしに外出。川本生「姜生より成績表持参せよ、自由丘駅でまつ」とのことに、
17:00待合せbusにて二子山川、自由丘で丁度約束の17:30、姜生と喫茶。成績わたし登校促す。
おごってもらひ(川本生より「けふ平野黎子の結婚、田島は山陰へ新婚旅行にゆきし」ときく)渋谷をへて帰宅。
猿渡夫人来て縁談たのみしと。やがて電話、服部三樹子さんより、駅にありと。来てきけば「電通やめprintやる」と。
中国文学史のprintたのみ月曜1枚届けくれると。
けふ有給副手を英・芸とり、また山内博士の件にてもやみ取引ありしと今井氏よりききしも黙す。大藤氏11月3日の柳田先生の会の案内す。

4月25日
9:00出て東大。考古学研究室へ原田先生の本代1,200納め、成城大学にも1冊といふ。
(途中coffeeのみ、高井の電話番号さがせしに下宿業と!止める。)
すみて神田、岡田、阿南の3氏と昼食(阿南氏の説によれば片根家すでに結婚すみしと)。
琳琅閣で見れば『清史稿』7,500、書目近々出来ると。木内にて『民族学研究4冊(100)』と『民間伝承20-2(30)』買ひ、阿南氏と別れbusにて池袋(※立教大学)。
研究室にて久保君に歴史地理学会会費1,000を托し、27日の懇親会欠席を庶務課にいひ、
14:50「237教室」へゆけば男生多く来り20名、この間の講義をくり返し「屠蘇」まですむ。
15:50すませ渋谷をへて帰宅。薄井夫人より礼状。片根氏より挨拶ありしと。
依子けふ小高根家へゆき勤めのこといひ、大江へゆき、そのあと母に3千円わたし文楽へともにゆきしと。

4月26日
9:00出て成城大学。中国文学の時間は諺を教ふ。すみて高校、高橋、猿渡、西沢の3生より教員免状の学科きかれ、定説をいはんといふ。
鎌田女史に柳田先生の会の予約せんとせしに、あとでよし、大藤氏たすけよと也。
猿渡生の傘かりて駅へゆき、下北沢にて古本屋まはり岩波文庫の『吾妻鏡五(100)』、『古事記伝一(80)、三(60)』見つけ買ふ。
『東洋史研究20-4』来り490不足と。
日記さがしまはり1月22日900フリカエにて送りしを云ふ(ハガキ)。石田博士より「日大停年となりし」と。
けふ影山氏より電話「保田われを傷けざらんといはずして帰りし云々」。

4月27日
花井タヅ子へ出せし21日のハガキ居処不明で返り来る。
12:00前出て聖心女子大へゆく。同窓会名簿もらふ(はじめて也)。4月分salaryもらふ。交通費800は増額?
Tに「清の世祖以後」、Uに「阿片戦争以後」と提案。
新津先生に誘はれbusをともにし渋谷より都電にて不二(※歌道会)へゆく。鈴木氏(※鈴木正男)もをらず。昨日の電話の礼をいひて出、
『Sailing Directions for the Pacific Islands Vol.1(100)』と『The Koreans & Their Culture(200)』見つく。
前者はよべ南太平洋諸島のことよみゐしゆゑうれしく、後者も良き本なり。
(そのまへsandwich食ふ(100)。)
帰りて茉莉花見つけしと悠紀子いふ。増田幸子より電話「土曜都合わるし、月曜に」と。
16:00服部時計店前と約束せしあと15:40まで講義あることわかる(依子いらずとのことなりし)。
教会へ19:00ゆけば女4人男4人となる。質問われのみし、すみて茉莉花(250)買ひて帰宅。
服部さんより「あす来る」と電話ありしと。白井紘史より電話「日曜午后来る」と。
けふ京大東洋史研究会へのハガキ、夕方出す。

4月28日
6:30起き7:40出て成城大学。史学研究法の時間に5月3日の会(※柳田国男米寿祝賀会)に出ることをすすめ、あとにて席なからんと云はる。
田中家へ電話し、花井タヅ子夫人呼べば「きのふ妹の結婚式なりし」と。
月曜17:00銀座にて夫君に会ひたしといひ、出るとき毛受生と会ひ(図書館より『明清史料 戊・己(6,000×2)』はこぶ)、
ともに出れば散歩の柳田国男先生に会ふ。御挨拶す。
12:00帰宅。昼飯くひ『福地邦樹詩集(※書評)』を8×200書き、busにて武蔵野局へ出しにゆく。
服部さん17:00ごろ見え、原紙おき『詩経U』と『楚辞』の原稿もちゆく。
けふ角川よりHeine(※『ハイネ恋愛詩集』)16版の検印2千部分の速達と。5月上旬出版定価80に改訂といひ来る。
青木大乗画伯の案内1〜6日高島屋にてと。
柳井道弘より「23日満中陰した。保田『田中が来れば(※肥下氏の)追悼会する』といふ」と。
筑摩書房より『ノンフィクション全集』第28回配本来る。(けふ西川氏より昨日ききし谷氏入院を山田氏にいひ、高田氏、福田君に補欠ささんとせし)。

4月29日(日)
9:30出て教会。14:30白井紘史君来り、NHKと銀行やめて東洋運搬機に入社、東京支店勤務と。近藤芳美叔父の許へゆくとて夕食早めに食はす。

4月30日
10:00出て成城大学。相馬と鈴木来り、鎌田女史と話し前田課長と教員免許状取得につき尋ね、12:30よりsemiわが室にてときめ三野「朝鮮の巫と琉球の巫」、本間「王維の絵」ときまる。
高橋通子と姜とはこの次きめることとし(栗山博士来をり)、東洋文化史15:00前にやめて渋谷をへて尾張町へゆけば、
増田幸子と嬢、悠紀子まちをり、向ひの喫茶店でまち、増田氏来る。事務員要るは増田氏の会社でなきことわかりしは別れてのち。
17:00すぎ花井忠氏われらを見付け、理研光学工業銀座事務所でいろいろ案内うけ、リコーオート35Vカメラを11,100、皮ケース21,200にて頒けらる。
新婚は花井氏令妹と。そのあと天国にて天麩羅定食おごられ、ついで千疋屋にて果物おごってもらひ、恐縮せしのち尾張町で別れて帰宅。21:00。
(よべ史0:00に帰宅せしと。畠山家より土産もち帰る)。諫早の上村肇氏より『河』を出すと

5月1日
増田夫人に礼状かき、畠山夫人への礼状を悠紀子にたのみ、10:00成城大学。
print出来てをり、短大2国の漢文に常言(※中国の諺)やり、ついで鈴木睦美、本多2生と話し(鴎外すきになりしといふに喜ぶ)、
中国文学史すまし、大藤氏と話せば5月3日(※柳田国男米寿祝賀会)われに用なしと。
14:00より臨時の教授会。浅沼、渡辺の2氏の助教授昇格を相談し、そのあと雑談。高垣学長を理事長と提携す云々。
すみて山田君江へ伝言たのみ、そのこさへし柏餅くひ、丸重俊にきけば、ユミ子北里大学へ入れしと。『明清史料 巳』もちて帰宅。
西宮一民氏より新任挨拶(旧かななり)。

5月2日
起きて「年中行事」しらべ散髪にゆく。新しき写真機使用できぬと心配し、依子古きにfilm入れ呉る。
昼食し13:00すぎ出て立教大学。「人日」やりて時間あまる。
久保君水曜に来ずなり。牛久保副手親切にしてくれ聴講者を知る。
出て『十二楼(100!)』買ひ、池袋駅の地下通りぬけゆゑ、
西武dept.の早川夫人訪ねしに、あすの柳田先生のお祝には来ずと。保田にこの間会ひしと(前川氏と仲直りせしならん)。
渋谷をへて帰り来る(福島生の母より礼状来しのみ)。『十二楼』よみ了る。

5月3日(憲法発布記念日)
11:30出がけに『柳田国男集』第4回来る。
12:30(※柳田国男米寿祝賀会)ゆけばお祝1千円、夕食費500にて、も少しにて恥かくところなりし。沢田四郎作博士来てをられ、写真(旧きのをもちゆく)とる。
山本氏きのふ長男の結婚なりしと。講演13:20よりはじまり沖縄の話2つのあと、鹿児島の龍の話参考となりし。
休憩時間に牛尾三千夫氏の名みつけし(あとにてわからず)。
われに話しかけしは■■■■(※匿名)とて蒙古研究所のキチガヒ研究員。ラバウルにありし。いま前高裁書記の教官と。松本重広氏の話にて3つとなり立食会。
柳田夫婦若夫婦おそろひにて金田一博士のあと梅原博士、ついで高垣学長の祝辞。
前田課長にcopy機の話せしもだめと(100万円也と)。
見たことありと思ひしは、昨年会ひし平山敏次郎氏なることわかる。田中久夫氏とともに出てまた■■(※匿名)と会ふ。20才の長男、2浪と。
帰りて茶漬くひ、入浴。角川より検印2千枚の受取。

5月4日
早起きし、聖心女子大のnote作りゐれば、丸重俊より電話「石渡曜子生帰宅せず」と。
三河島駅の事故しりしあとゆゑ、川本にもきけといひ、10:00出て久我山より石渡家へ電話すれば、母君出てまだ消息不明と。
成城大学へゆき前田、大藤2氏と相談、11:00聖心女子大へ休講いひ、
下北沢にて、東京都立大大学院へゆきし立教の平塚生と遭ひ(※卒論テーマ)「中国への新教伝道」にかへときき、
渋谷にて別れ、浅草まで地下鉄買ひし(50) も上野で下車。
京成電で金町まで買ひしも(50)またお花茶屋で下車。石渡家訪ねゆけば母君をられ死体見つからずと。
やがて父経夫氏(修徳学園高校長)帰宅。15:00寺に身許不明者集まるとのことに待つうち寿司山もり注文さる。
大藤氏に電話し「来る」とのことに待ち、母君検分に出てゆかれしあと、外へ出てタバコ屋より電話すれば15:30出しと。
17:30篠原局長、大藤教授、渡辺、藤浪の2生つれて来られ、まだ見つからざる死者への見舞すまし(Handbagと定期すでにあり)、
自動車にて成城大学へ帰れば(大藤氏神田にて下車)、池田館長、学生部長、前田課長、今井、鎌田の諸氏のほか、学生10名あまりのこりをり。
そこへ死体発見の電話あり。あす見舞にゆくといふ鎌田女史の提案ありしあと20:00出て吉祥寺駅へつけば悠紀子をり(夕方より雨)。
けふ恋塚生「神なぞない」といふに「あり」と教ふ。ふしぎなりしは修徳学園の校主、天理教と篠原氏よりききし。
坪井明より「28日上京、駅前で泊る」と。

5月5日(子供の日)
8:00起き、石渡家へ電話すれば「昨夜12:00遺体、家へ帰りし。今夜はお通夜」と父上。
9:00成城の小使室へ電話し、鎌田女史へ伝言たのむ。
10:00出て下北沢より丸重俊へ「お通夜へゆくや」ときけば「仲好き女史のみゆくこととなりをり」と。
成城へゆけば池辺、重久、鈴木などをり「葬儀は7日、けふ17:00ここより自動車にてゆく云々」。
前田教務課長に池辺「香奠はいくらすべきや」ときき「まあ千円でせうね」と答へられ、ついで渡す時期を葬儀当日と教はる。
13:00出て高島屋の青木大乗展へゆく。夫妻と弥支子とそろひをり。
画伯72才にて7月ヨーロッパよりイランへ弥支子つれてゆくと。
弥支子「われに児ありし。18才で死に、いまをらば48才」と。すぐ出て思案せしのち帰宅。
すぐまた成城へゆけば16:30。重久わが講義短くて不熱心なりしをいふ。
今井君来り、ともにタンメンを食ひ、田辺元先生の葬儀にあす北軽井沢へゆくこときく。
17:30、taxi来り、山高女史をくはへて出発。池辺帰宅せしゆゑ、上馬の自宅前でひろひ、窮屈がりてゆく。
途中意外にも池辺予算なく、旅行の付添にゆかず。
大藤氏より、中送り(※棺の移動)にて500づつ香奠せんと。われ単独でするといひ(※千円の謂)、変な空気なりし。
ゆけば天理教東本大教会長の花環を一とし、一拝四拍一拝四拍の葬儀のごとき式あり。
7時まで生きてゐしことわかり、成城のキリスト教の子ら来りなどし、考へること多し。
20:00出て渋谷にて下され22:30帰宅。母、8日関西へゆくと、けふ弓子きき来しと。

5月6日(日)
8:20起き、いそぎ仕度して教会へゆく。すみて帰り、昼食せんとするところへ赤川草夫氏来訪(12:30)。
よろこびていろいろ語る。15:00ごろ写真とり、土産もちて水道々路を送り、帰りて昼食。
依子と悠紀子と買物に出しあと電話、大江叔父より「たのみあり来れ」とのことに、弓子にたのみて出、中道の八百屋と丸善にもたのみて大江。
意外にも「成戸生との縁談あるもおぼえなきか」と。「おぼえなし」と答へ、
依子ら来るをまち、勉のこさへし夕食くひしに、悠紀子ひとりにて来り、きけば依子のこりて仕度すと。
怒りしあと、あす依子来さすといひ、小高根家へ寄り、夫妻にいろいろたのみて帰宅。
弓子ふくれ、依子ふくれて、あす大江行承知せしあと、悠紀子子宮癌の症状をいふ。われはげまして就寝0:00。
(けふ9:30出がけに渋谷へ電話せんとせしに向ふよりかかり、あす西下と。依子の留守番(新夫婦旅行と)も断りてすむ。)

5月7日
よべ眠れず。依子出てゆきしときき8:00起き、服部氏へわたす原稿かき(李白)、悠紀子医院へゆきしあと、
帰りし直後11:30出んとすれば『果樹園』来る。肥下の写真よろしきがのりをり。(丸より電話、重俊発熱して葬式にゆけずと)。
井上多喜三郎の詩碑出来上りしと。国鉄にて亀有13:00着。駅前にてtoast食ひ、石渡家へ13:30着き、
香奠出し14:00すぎより始まり、16:00までつづきし式にキリスト教研究会の子ら、個人の好きしといふ「ああ主のひとみ」歌ふ中を出棺(渡辺、弔詞いふ)。
成城大学生15人と今井、池辺、鎌田のハイヤーにて青戸の火葬場にゆき、骨となってまた石渡家。
18:40まで式ありてすみ、亀有より7,8人となりて乗り、帰宅20:00。
服部さん2枚原稿もちて帰りしと(1枚2.5円にて遠慮しゐると、駅まで来し悠紀子の話)。
依子21:00帰り、富山より家政婦帰り来しゆゑ云々。(中野剛宣来しと、めづらし)。

5月8日
9:00家を出、成城大学へゆく途『果樹園』を赤川氏に送る(30)。
短大漢文「支那のことわざ」つづきやる。すみて栗山部長に会ふ。あす試験手当を給すと。
午后「中国文学史」あることわかり、20名にprintわたす(服部女史に「たのむ」の伝言電話す)。
14:00よりの教授会に石渡生の遭難報告し、そのあと卒業させよと学長いふとて審議、前例とならずと可決。
ついで教授のみの会。浅沼氏の助教授可決。また加藤、今井の2氏のこと議に上る。
16:00下北沢で下車。石渡家へ(※卒業の件)電話すれば母泣き、父喜ぶ。
帰りて原田先生の『東亜古文化論考(1.200)』来あるを見てわれ喜ぶ。花井タヅ子夫人より「もう一個買ってもよし」と。
集英社薄井氏より「(※白楽天訳稿)いつできるか」と。
依子・京にて夕食後、写真とりにゆき、あけ見れば石渡生を写さず?!永山光文より電話「石渡家へゆくな」といふ。

5月9日
6:00京、城ケ島へ遠足とて起され、9:00出て東大へゆく途、琳琅閣へ寄り『支那山水画史(9,500)』、『燃藜室記述(23,000)』、『李朝実録風俗関係資料撮要(7,800)』、『明刊本月令広義(6,500)』、『高麗史節要(5,000)』を学校へと注文す。
神田信夫氏よみ、明大の松村潤君出席できぬこととなりし。すみて神田、岡田2氏と昼食。
12:50都電にて東洋文庫『説苑』所収『歳華綺簾』を30分見、受付の小父さんより礼いはれ(古稀祝の)、池袋立教大学。
手塚氏に久しぶりに会ひて3年の東洋史専攻の多きを確認し、白鳥先生の研究所出来しをきく。
14:50より16:00までやり、雨降り出でし中を駅にゆきも吉祥寺「丸善」にて傘受取り、coffeeのみて帰宅。
けふ井上多喜三郎詩碑落成式に出られずと返事。
大藤氏と水谷・正宗委員、奈良の日吉館よりヱハガキ。京、油壷のヱハガキ買ひ来しも、雨のため何も見ざりしらし。

5月10日
7:00起床、成城大学へ出講。中国文学教へ、猿渡生母君より電話ありしゆゑ「むつかし。年齢の点弛めずや」といひ、
集英社薄井氏へ「4月末の白楽天遅れる」とことわり、
長尾良の「天理へゆく故、紹介たのむ」の電話(家へかけ来しと)に「鈴木治氏に保田の友といへ」といひ、
高橋生にゼミの補充し(共済組合証一応返し試験手当9千円もらふ)、一旦帰宅(岩波少年文庫3冊×30)。
16:00すぎ出て(鈴木睦美、本多2生、奈良より「山田教授にほれた」云々)、目黒の八芳園。文芸学部の出席少なく、高橋邦太郎氏に誘はれて出、
目黒まで古本屋3軒見て『地理と民族(70)』、『支那の絵画(130)』、『柳多留1(20)』、『フランス美術展解説(50)』、『支那言語組織論(20)』、『三人は帰った(20)』買ふ。
最後のものは高橋氏のすすめに由る。服部女史print2枚もち来り、次は月曜に来ると。
(けふ羽田に『果樹園』贈り、小高根二郎氏に1,500同人費送る)。

5月11日
〒なし。11:30出て(よべねざめせし)聖心女子大、田中保隆氏と海老原、西川氏との話に「成城ではみな博士となり高田君のみのこされし云々」といふ。
谷教授下谷病院に入院すと。2時間とも元気でやり、青山をへて都電で駿河台下。木原でcard200枚(130×2)買ひ、お茶の水、新宿、下北沢より井之頭線。
(筑摩の武本氏に会へば「5千円ほどあり当分柳田国男集心配いらず」と)。17:30帰宅。
18:30出て求道者会。異教の儀式参加につき問ふ。4人しか出席せず。中西家たきし風呂に入る。

5月12日
雨。8:00家を出て成城大学。丸に電話すれば「今日は忙し。重俊、葵祭にゆく」と。
史学研究法すまし鈴木健司、戸沢恪(2D弘前)の2生と話し、ついで松嶋正夫よびて勉強すすめ、
11:00出て東洋文庫へゆく途、堀辰雄を卒論とする片岡正美生(?)と話しゆく。時間早く駒込駅前で喫茶、
そのあと丹波鴻一郎(※丹波哲郎長兄)家のぞき夫人に異状なしときき、『説苑』の他の所見て歳華綺簾抄す。
すみて岡田氏を訪ひ、『満文老檔』6のこといへば、すでに送り賜ひしと判明。
coffeeのまされ、松村潤氏のaddressきき、雨中巣鴨まで歩き帰宅。
雨止む。山田俊雄氏、奈良日吉館より玉燭宝典のことあやまり来る。

5月13日(日)
礼拝にゆく。帰りて井上多喜三郎氏の挨拶状と『栖』と受取る。
税務署より「原稿料につき5日9:00来よ」と。竹内夫人に電話かけ「大掃除ゆゑ15:00ゆく」といふ。
悠紀子、中西一家と灰運びす。われだるくて手伝はず。
15:00出てfilmを新しきcameraに入れ、竹内家にて撮影。前田隆弘とて学習院大卒の青年と(※依子氏と)見合することとなる。
beerもちゆきしをのまされ(竹内あす西下と)、出て田中家よりまた撮影。古本屋に寄り『柳樽3(50)』と『曹植(90)』と買ひて帰宅。
けふ山下幸男より、友人の恋人の和歌山出身の身許きき来る。
(けさ鈴木正男氏より電話「影山氏の日本浪曼派の文のため中河与一氏の本の刊年その他教へよ」と。「なし」といひ「中河氏にきいてくれ」とのことに「できず」と答ふ)。

5月14日
柳井道弘君より電話「15:00すぎ成城へ来る」とのことなり。
10:30出て11:30成城大学へつきHealth Centerに電話すれば「すぐ来よ」と。看護婦「山川先生(※山川京子)が心配す」と。体重40.5キロ。すみて山川女史訪ねしに授業中。
柳井君15:00すぎ来ると名刺おき、昼食すまし、4生とゼミ。すみて東洋文化史15:20までやり、柳井君待つうち15:40来る。
山川女史に電話すれば「5分前に帰宅せし」と。柳井君、家につれ帰るに「肥下の文集出すゆゑ助けよ。道路収用にて700万円入り、1反のこりしを草生やす」と。
18:00服部女史(※服部三樹子)来りて夕食し、21:00駅近くまで送りゆく(1回250と)。
けふ服部正己文博になりしときく。
依子、那波家へゆき、帰り来ってふきげん。弓子「辞めさせねば銀行で(※結婚相手)みつかったのに」といふ由。
『Heine 16版』5月10日発行として1冊来る。白柳秀湖『日本民族論(30)』買ふ。

5月15日
雨。9:00ゆき漢文(短大)うまくゆきしあと、山田タイピスト英語習ひに来るかと思ひしに来ず。
中国文学史20人相手にやり、旨くゆかず。栗山氏に印刷機のこといふ。よき返事せず。
松村「肥下と増山と友だちなりし」といふ。
中川氏と話し『果樹園』のこと朝日にのりしをいふ(小高根母堂よろこびゐしと昨日ききし)。
あと国文研究会の千家元麿の詩についての坂本氏の話きき、高田氏の反論きく。
疲れて帰り来れば(中西氏と岩本君の歓迎会をかねしと)、梅田惠以子氏より随筆のりし『消息5』。
けふ竹内夫人と依子と会ひしと。

5月16日
午前中『満文老檔』第6冊来る。受取と松村潤氏への礼とかく。山下幸男の友に「不明」と速達かく。
note作り了へて13:30家を出、立教大学。副手にHeine15版呈し(小林君に会ひ研究室にさそはれしもゆかず)、別枝氏の出勤日きく。
16:00まへやめ、古本屋2軒みて何も買はず。駅にて切符買ひゐれば声かけしは坂根と黒めがねの村田温。
渋谷まで同車、お茶おごって貰ひ別る。18:30帰宅。
依子、悠紀子19:00竹内家へ前田隆弘氏(日本銀行証券田村町支店)に紹介してもらひにゆく。
22:00悠紀子一足さきに帰り、前田君[の]悪党ぶりしをいふ。

5月17日
曇。6:30起き9:00家を出る。『唐詩選』来り『史記』まだ来ずと。漢文すませ昼食くひ(相良教授登校)、
鎌田女史に大藤氏のことききにゆけば、彼女きのふ葵祭を見ずして帰り来し。9人ゆきしと。(花井氏に電話すれば「けふは登校せず不在」と)。
意外にも石渡は先妻の1人子にて、この間の家にゐしが今の夫人、50日祭ですますと也。
いろいろ話せしあと相馬の下宿へゆきみれば無人。
「車」(※喫茶店)によりて「来よ」の伝言たのみ、高井に電話すれば神戸生を板橋の病院へ見舞にゆくと。
帰りて悠紀子、竹内夫人に電話して(※前田氏と)交際すといへば喜ばれしと。
井上多喜三郎氏へハガキ2枚かきしもやめ、西保惠以子氏へヱハガキかき、気づきて梅田とぬり直す。
20:00柳野一郎君より電話「400×4ほ来週金曜までに」と。「井上詩碑のことかく」と肯ふ。

5月18日
曇。悠紀子税務署にゆき「あと5,440を補ふべし。平凡社のがぬけをり30%以上の必要経費は認めがたし」と也。
花井氏より電話「11日男児出生、印刷機は大沢氏に云ふべし」と。西保、井上多喜三郎両氏へハガキ。硲君へ『果樹園』。
11:30出て聖心女子大。『果樹園』はうり出してあり回収す。5月分手当もらふ。
帰り青山学院前で下車。『South Sea Adventure(150)』、『Cruises along By-ways of the Pacific(80)』、『1936Handbook of the Christian Movement in China(80)』買ひ、またの店にて『Christian Year-book 1947ed.(50)』買ひして帰宅。
赤川氏より「朝日14日に『果樹園』のことのりし」。小高根二郎氏より「同人費受取った」。
安西均氏より「現代教養文庫戦後詩に3篇のせてよきや」。
田村春雄君より「23日上野着、24日午后あくや。小島館へ9:30までに電話せよ」と。
19:00求道者会にゆく。女4人男2人。質問するはわれら夫婦のみ。

5月19日
7:35家を出、立ちつづけにて成城。山田俊雄氏帰りをり、史学研究法すませ山田氏に『通俗篇』貸し、田中久夫氏と出て渋谷で昼食、喫茶。
小高根太郎より依子のことききをり。地下鉄にて銀座。別れて理研光学にゆき、成城出といふ係長代理に面会求め、印刷機の見積りしてもらふ。
書類もらって出(局長、課長、部長に働きかけよといひし)、朝日新聞に高垣金三郎訪ぬれば出張中と。
受付の女の子にききて地方発送部で14、15両日の朝刊わけてもらひ(20)、また地下鉄にて渋谷。
帰宅すれば悠紀子、買物に出てをり、村松正俊氏より「出版記念会に名をかせ」と。東洋史研究会より「490は残金のまちがひらし」と。
東方学会より「宇野哲人博士の米寿に出るやいなや」。台南の林天宋氏より「鄭延平登陸地点之論叢」。
けふ依子、前田君とdateといふに竹内家へ電話、夫人に「夕食後ゆく」といふ。
19:00、juice1瓶もちて竹内家にゆけば夫人、責任を感じ、竹内(※この縁談に)反対す。
beerのまされて帰れば、相馬と鈴木来て「月曜研究室へ来る」といひしと。
史、けふ日光へゆく。依子22:00すぎ帰りしゆゑ、竹内夫人へ電話して報告さす。

5月20日(日)
依子、陣馬高原へと出てゆく。沢田四郎作、赤川草夫、中沢晴代の諸氏へ写真つつむ。
弓子同窓会へとゆき、京ひとり留守番させて9:40家を出、吉祥寺教会へゆく。
森田副牧師の就任式にて、神学大学長桑田秀延氏の司会にて式あり。すみて帰宅。
丸木夫妻(※丸木位里・俊)より「東大泉に家もちし」と。
午后、海老原稔氏夫人、嬢をつれて礼に来り、反物呉る。目白の叔母の家にゐると也。
夕食後、紅松一雄を訪ね『果樹園』わたす。長息結婚(10月)のため家増築しをり。椎名麟三貸し賜ふ。

5月21日
晴。福地君へ詩集評のうまくかけなかったわび状。10:30出て成城大学。
池辺君に写真やり、大藤氏まだ来ざるときき、本の見積りたのみ、
午食の時、旅行の付添の若手諸氏、栗山部長に大成功といふをきき、やがて来し大藤氏迎へしに見知らぬふりをす。
やがて古野氏つれ来り、栗山氏と何か話せし。10分ほどsemiを三野、本間とやりしあと鈴木(相馬病気と)と3人つれて喫茶店にゆけば武井に会ふ。
20分して引返し大藤氏に主任やめるといひ、ごてごて理由のべし。(佐藤副手みやげくれし)
4時間目の東洋文化史15:20すませ(月給もらひしは3時間目のあと)、
宮崎、都留2生と待つま、都留生「こんどの旅行、大藤氏眠り、本見にゆき、3年生の品行あしかりし」といふ。
高橋邦太郎氏おそきゆゑ、宮崎生とOrissa(※喫茶店)にゆき待ち、やがて来し先生、宮崎生の家の、鶴巻温泉陣屋なることを探る。
われ感心して出、下北沢下車。古本屋にて『李商隠(140)』買ひして帰宅。
めし食ひ入浴す。(けふ理研光学の写真印刷機のこといひしもダメらしく、池辺君、大日本古文書の価格表つくりし)。

5月22日
身体検査とて3時間目なく11:00すぎ出てゆき、仏語字典代はらひ(1,140)、話しゐるうち鈴木睦美と本多の2生、関西の土産もち来る。
(あとにてBolo1箱にて宮崎、村上の4嬢にてくれしこと判明)。
栗山氏に大日本古文書の120万円の申請出し、主任辞職いへば「よし」と也。
鈴木健司、相馬を「車」に来るやういひしとのことに、おそくなれば様子見に来よといひ、教授会。
(はじまる前、今井氏に主任交替をいふ)すみて主任会といふに、大藤氏に出席たのみしもきかず。
16:00までやりて今年度指定寄附より各専攻へ40万円(マスコミ100万円)、個人研究2万円となりし。
すみて急ぎ「車」へゆく途中、大藤氏の歩くを見て40万円のこといひ、ついで正宗、水谷2生に会ふ。
「車」にては相馬、鈴木まちをり、相馬を家へつれ帰り、夕食せしむ。

5月23日
ノート作りに早起きし、中途にて8:00起き、9:00出て東大へゆく途中、木内書店にて『民間伝承8巻9冊(30×9)』買ひしてゆく。
すみて神田、岡田、阿南の3氏と昼食。琳琅閣に本つきしをいひ、また木内にゆき『トンガ諸島事情(50)』買ひ、busにて池袋。
立教にて5月分salaryもらひ、ノート補足せしあと(別枝博士にキリスト教伝道のこときけば「フィリッピン、インドネシアなら本あり」と)講 義。
寒食すませ、出席男2(大学院、3B山内)さそひしに用ありと。女6人(平井、堀、清涼、杉山、三上、西田)さそひて学生食堂にてcoffee(40×7)。
うち杉山、堀は西洋史らし。雨の中を出て『タラワ(30)』、『史話と文話(180)』買ひ、中野までbus。西荻窪で小島館の電話番号しらべしのち帰宅。
村松正俊氏出版記念会の発起人177人!天川勇司より転居通知。大塚易信より就職通知。
聖心女子大より「25日(金)、聖Magdalena Sophiaの祝にて講義なし」と速達。
21:30田村春雄に電話せしに「まだ帰らず」と。「老蘇の詩碑(※井上多喜三郎詩碑について)」8×200それまでに書き了ふ。

5月24日
8:00すぎ小島館の田村春雄に電話かけ12:00有楽町でと約束しておちつかず。
那波氏への断りに悠紀子、小高根家へゆきしあと、家しめて出、12:00すこしまへに着き、まてば来り、すぐ昼食おごり呉る。
そのあと滋賀日々たづねて受付に原稿わたし、filmいれかへさして喫茶。それより(※田村春雄)わが家へつれ帰り、浅野建夫の本与ふれば喜ぶ。 「長男中学2年」と。
また来てよといひ16:30送りかたがた駅へゆき、ラカンにfilmの焼付たのむ。
外口にて『月ごとの祭(240)』買ひて帰宅。けふ田島靖子より「渡辺姓となりし」と。中沢晴代より「写真受取った」と。
村松正俊氏より詩集。宮崎幸三氏より「今中同窓会にて矢野健三、田中勤2氏とわがこと話せし」と。依子、夕方出てゆく。

5月25日
曇ゆゑ「唐代の年中行事」かき30枚とし疲る。昼食すれば天気となりしゆゑ、悠紀子さそひ高円寺下車。
馬橋の根本家みつけ写真とり、大和町252の肥下家探しにゆきしに、なくなりし模様。鷺宮仙蔵院(※旧下宿)へゆけば和上在宅。
この間、大蔵省前にて自動車事故、近々下部温泉へゆきたまふと。夫人は不在。嬢に写真とってもらふ。
都立家政前より関まで西武にのり、busにて吉祥寺に帰る。
留守中、赤川草夫氏より「肥下家へ同行せん」と速達、ふしぎ。
けふ『不二』来り、浅野、保田の2氏の歌のす。沢田博士より「写真受取った。令息夫人の妹、楠田嬢、聖心女子に在学」と。
疲れて求道者会にゆく。(田中雅子より子らの入学の写真)。(服部さん留守中、printもち来たまひしと)。

5月26日
6:30起き、7:30登校。田中久夫氏の来るまへ宮崎氏らと話す。史学研究法すませ福島恵美子見つけて話しかければ「退学せねばならぬかもしれぬ」と。
丸に会ひ猿渡茂子生に会ふ。(文部省への申請、経済にとられしと池田氏の話)。
10:00より田中久夫氏のすむまで講師室にゐて、前田課長や山田氏と話す。相馬、わが貸せし本ほうりみゆきしゆゑつかまへる。
宮崎氏と写真とりあひす。12:00出て下北沢で田中氏とラーメン食ひ、大地堂にゆき、李丙Z『国史大観(40)』見つけうれし。
別れて明大前のりかへ府中に着けば悠紀子をり、猿渡家へゆけば全家不在。大国魂神社の方へゆき植木市にて花買ふ(90)。
15:00中川原病院へゆき薄井夫人見舞ひしに、さらに痩せし如し。
浴衣贈りて出、また府中より小金井行のbusにのり三鷹より帰宅。(『子供の歳時記(50)』買ふ)。
けふ林富士馬氏より「1度来よ」と。『Non-Fiction全集』来る。富士鉱業より「住金溶接棒と改名、城平叔父会長となりし」と。

5月27日(日)
教会へ礼拝にゆく。〒なし。「唐代の年中行事」かきつづけ59枚(200字)とせし。
白井紘史より夕方電話「仙台へ今夜赴任す」と。

5月28日
成城大学へゆく前、畠山のり子嬢より電話、待ちて昼食し、12:00すぎ出て(18:00の特急にて名古屋へ帰ると)、
久我山より30分遅刻をいひ、ゆけば卒業albumにと写真とるとて4生そろひをり。
そのあとゼミすませ、東洋文化史すませ、高橋邦太郎氏と出て喫茶。
帰り来れば岡田先生夫人より「お国は群馬、盆に帰らる」と也。
坪井より電話かかりしらしく「満鉄会館にあり」と伝言しあり。
依子、のり子嬢を送りて、銀座に出て前田氏に電話せしに不在なりしと怒る。
風呂より帰り来しを叱り、すみしころ服部三樹子氏より電話「5月分俸給もらひし」とてcake一箱もち来りたまふ。
けふ成城を出しところにて、神田喜一郎先生に遇ひ、御挨拶しまいらす。
(佐藤君より『還魂録』たまひしを福留生預り、水曜蘆花公園への文学散歩の会に誘ふ)。
(畠山のり子君「史、東京に留まる」といふに、夜たしかめればその通りにて関東財務局と!)

5月29日
きのふ万年筆落せしゆゑ、ゆきがけに太字を買ひ修繕におく。
成城大学につけば「先生、また1人死んだ」と。おどろきて前田課長にきけば2D櫛田和子とて平出身の子にて、われおぼえなし。
今井氏、葬儀にゆくとて500円づつの香奠出すこととなりし。
短大の『唐詩選』まだ来ず。明治書院に電話すれば「2〜30部注文4〜5日前に受けた」と。
(成城堂の嬢、矢久保副手とまちがひゐし増田さん也し。松浦氏、臼井氏とそのこと話す)。気持わるく神田信夫邸へゆけば無人。
午后、中国文学史すませ(print代60円づつといふ)、神田家に電話せしに無人(西川に電話すれば「坪井にあすゆかん」と)。
キリスト教青年会にゆき石渡追悼会のこといふ。
出て和田先生のお宅を訪ひまいらせ、神田先生の御滞在のことたづねしも不詳。先生12人のお孫をもたれ、12月の金婚式をこの間なすったと。
帰り雨となり、丸善にて傘かりて帰宅。
田中久夫氏より『南方全集』5,500にてありと。(けふ佐藤君にきけば原稿6月4日ごろでよしと。けふ29号出来上る)。

5月30日
散髪にゆく前、果樹園社へ速達(50)。13:00出て下北沢下車。大地堂に寄り『婆羅門の像(1,500)』借り、古本市へ3冊たのむ。
克書房へ電話して『南方全集12冊(5,500)』届けてくれとたのむ。新宿をへて立教大学。
矢久保女史と話し、「ハイネを増田女史よりもらへ」といひ、手塚氏と鎌田重雄の話す。
朝日新聞の切抜おもちとのこと也。寒食と上巳講じ、男生3人を呼びしに、
田畑稔(大学院2年生、知多木綿のことやると)、小田道一(天理教会会長のむすこと!!)2生のみ来り、
いろいろ話し、別れて(古本屋にてゆきに『祭り風土記(130)』買ひし)地下鉄。
八重洲会館にゆけば坪井不在。西川に電話すれば、(林富士馬氏に電話「来週ゆく」といふ)「けふ来ずと思ひ、その旨いひし」と。
30分まち、ゆく先といひ、碁会所へ2ヶ所電話するところへ(※坪井明)帰り来り、ノイローゼの話す。わが経験語れば「西川よりききし」と!
東京駅内の喫茶店で話し(寮歌集わたしreprintしてみよといふ)、地下鉄まで送られて22:30帰宅。
けふ悠紀子、小高根家へゆき、那波氏のことはりの理由いはずしてすみしと。へんな日なり。
(集英社の鈴木重役、菓子もって来訪。留守の依子会へば「8月までに白楽天を」と)。

5月31日
8:00出て(よべ睡眠不足)、篠原局長に会ひ「どちらへ」と問はれ、神田信夫邸へゆけば「喜一郎先生、一昨日御帰洛」と。菓子おき成城大学。
集英社へ電話し、薄井氏にきけば8月中頃まで宜しきらし。「今度は必ず」といひ、漢文にゆけば5冊しか『史記文粋』来ずと。
すませて都留生と話す。(櫛田和子の出席とりし!白血球過多となりて死にしと)。
池田、池辺2氏と話しゐれば天野生来り、朝鮮民族の咸興の一軒の家祭と琉球と比べると。(あとにてこの夏、琉球へゆくとわかりし)。
鎌田女史に500円托し、外へ出て渡辺、川本、西沢、足立の4生と喫茶。
出て高橋、猿渡2生に遭ひ、猿渡生に「火曜に研究室へ来よ」といひ、明大前まで同車。
『佐久の草笛(20)』買って帰宅。写真出来をり20枚中19枚うつる。「滋賀日々」3部来をり。
浅沼助教授より松田智雄氏の媒妁にて結婚との挨拶状。(けふ栗山氏と話す。酒のみをりと)。

6月1日
田村春雄君へ写真送る。きのふ川田君にわたした「僕の詩」に神霊と書きしを聖霊と改めてくれよと高橋邦彦君へハガキ。
井上多喜三郎氏へ「滋賀日々」2通(20)送り、聖心女子大へ登校。
2時間目、楠田生に沢田氏の婚姻かと問へば「然り」と。
すみてまっすぐ帰宅。途中、悠紀子に会ふ。帰りてBibleよみ18:45吉祥寺教会の求道者会にゆき、帰り竹内夫人に電話すれば「まだ返事なく云々」。
(けふ渋谷へ電話すればるり子出て、5日ごろ帰京、いま京都にゐると母のこといふ)。
Eichmann(※アイヒマン:ナチス戦犯)死刑のまへ「神を信じて生き、神を信じて死ぬ」といひしと。
山本陽子より「俳優座新人会に入団、芸名を水瀬理恵といふ」と。

6月2日
山本陽子、田中久夫2氏にハガキ。朝食の時きけば史、関東財務局への辞令出しと也。
竹内夫人に電話するまへ、悠紀子とともに依子に「前田氏やめよ」といひ、同意せしと見て2人して出、名店会館にてすし買ひ、ゆけば前田家無人と。
縁なかりしことを旨くいってくれとたのみ「他に縁談出来しといふ」となり、12:00出てわれのみbusにて荻窪。またbusにて新宿。
地下鉄にて淡路町、明治書院にゆき小出氏といふに会ひ『唐詩選』20冊を成城堂に届けてもらふこととなりし(増田氏にわれ電話せし)。
『史記文粋』探すと也。出て山本書店、『清史』の落丁示し台湾にとりかへてもらふこととし、湖南『支那絵画史』その他たのみ、蒲池家へゆけば夫人「会にゆきし」と。
飲物注文せしにきかぬふりされ、ice-creamたのみて金払はんとすれば不要と!
集英社にゆきしに無人。都電にて渋谷をへて帰り(花井家へあすゆくと伝へてくれを田中家に電話す)、阪本姓となりし山内和子の挨拶を見る。
依子帰り来って変なり。服部三樹子氏来り「(※転業を)後悔す」といふ。夫婦してなだめて帰す。

6月3日(日)
雨。教会へ礼拝にゆく。帰り出口にて森田先生「竹森先生のところへゆけ」と。
ゆきて「お話承りたし」といへば「金曜求道者会すみしあと」といはる。
一旦帰宅し昼食せしあと二人してまた出、cameraにfilm入れ(145)、国鉄にて池袋。
新開店の東武dept.にゆきcastella(450)と苺(120)と買ってbus江古田行にのり、
花井家へゆけば山中母上をられ、大きな目をした赤ん坊(厚)。産重かりしと。写真とり妹さん(27才)未婚ときく。
井上斌子の話こはれしらし。江古田へ出て中野行のbusにのり、中野より丸家へ電話すれば由美子出しゆゑ、祝にsocks3足(620)もちゆく。
(父母ともに不在。母君煦美子の運転にて外出と)。帰れば夕食しをり。21:00「唐代の年中行事」了る。81×200。

6月4日
雨。原稿83枚とし、10:30出て成城大学。高橋生、父君退院にて休みしほか3生来り、semiやる。
(姜生の母、帰り来しとて人蔘茶1箱たまふ)。すみて相馬来り、5月末卒業のことわびしも笑ひて去る。
東洋文化史noteなく、はやくすませ、都留生よびて話す。
成城堂へゆき『唐詩選』来をるを見、岩波文庫『唐詩選 中』買ひ、矢野光子と話しつつ駅まで来る。
けふ丸重俊にも会ふ。帰り雨やみ『文藝春秋3月号(20)』買って帰宅。
高橋邦彦より受取。昭和女子大よりPRの雑誌、よみて不快なり。

6月5日
8:30出て成城大学。図書館へゆき琳琅閣と克書房の請求書とり来る。
(けふ買はんと思ひしバラの切花なかりし)。短大にてみな教科書もちをり、成城堂にて買はずともよかりしと。
すまして成城堂へゆき、明治書院の小出氏に電話すれば「引取る」と。
あやまりて出、午食するところへ重久武志、地図返却に来る。1冊与へて話し、中国文学史にゆく。
3Dの金(26×60)受取る。研究室に帰り、甲本生よび3Eの話きき、やがて来し福留、本多2生と話す中、松村達雄君来り、家建て増すと。
2女生とともに出んとして教授会なりしを思出し、ゆけばすぐ始まる。bonus、9日、1.7ヶ月分出ると。
文化史主任大藤氏となりしこと通告してもらひ、指定寄附の残金照合せよときき、今井、池辺2氏を研究室によぶ。
(大藤氏けふ柳田先生御夫妻と筑摩より箱根へ招待されゐると)。
SCAの委員来り、石渡生の追悼を10日14:00からと。篠原局長のところへ今井氏とゆきしに会議中。木曜にとなる。
われ琳琅閣の払ひしてもらふことをたのみし。相馬5月卒でなしと今井氏注意す。ふしぎ。
大地堂へ1,500払ひ、市にて『奉天史話(200)』のみとれしと。『台湾写真帖(200)』買ひして帰宅。
井上多喜三郎氏より「滋賀日々」の礼状。田村春雄より「写真受取った」。
松下きくゑ(文雄氏夫人)より「肥下の死のこと新聞で知った。ところしらせ」と。
畠山敬子より「坪井君名古屋へ寄った。関口も名古屋へ来るやもしれず」と。川久保より抜刷。

6月6日
松下喜久恵氏へ肥下夫人の住所。11:30家を出て立教大学。6大学リーグ戦にて法政との決勝をteleviにて見る人に手塚氏あり。
「学生殆ど不在」と。定刻のぞいてみれば早川生1人のみ。やがて西田生来りしゆゑ「4月8日」の話し、別れてtelevi見れば3-0と負けをり。
古本屋見しあと林dr.89(※林富士馬)に電話すれば「来よ」と。花市見、東武dept.でcheezeとham買ひてゆく。文芸日本の会でよく会ひし某君をり。
beer2,3杯のみて出、駅前にてうな丼くって帰宅。
『柳田国男集』第5回配本来をり。服部三樹子さんより「print出来ず、月曜に」と電話ありしと。

6月7日
朝から雨。10:00ゆき都留生と話す中、時間となり漢文教ふ。
11:35までやり(この頃、時間長くやることとす)、すみて昼食。
今井氏誘ひ、篠原氏と指定寄附の帳簿引合せれば、記載漏れとやらにて4万円余りしかのこりをらず。
すみて大藤氏探せしに欠勤と。『南方全集』5冊もちて帰宅(14:00)。丸より礼状。『南方全集8』よむ。

6月8日
午前中note作る。石渡夫人より電話「23日15:00自宅にて曜子君の50日祭す」と。
ついで西川英夫より電話「珍しき人あり」と取次ぐ。出しは小高根二郎氏にて「入社試験のため来て18:00の飛行機にて帰る」と。
15:00聖心女子大にてと約束し、昼食して聖心。
田中保隆氏に成城のbase表わたし、小高根君のこといへば「会ってよし」と。助野健太郎氏に「論叢にかけ」といはれ、滋賀日々に紹介すといふ。
15:00かっきりに了へて階下へ下りれば玄関に小高根氏をり。一服してのち田中氏に紹介、『群島』の同人なりしと。
PalaceHall(※旧久邇宮邸御常御殿)の案内たのみ、出て来しとハイヤーにのせてもらひ高樹町にて下車。
(「朝日」の(※『果樹園』紹介)記事のあと読者30人増え手紙100通以上来しと)。
青山車庫まで都電、『四千六百年的中国(100)』、『Out of this world to forbidden Tibet(80)』、『The Adventure of travel(50)』買ひ、『文藝春秋5月号(50)』買って帰宅。
京都新聞東京支局より2千円。白井紘史より「仙台に着任」と。坪井より「名古屋にて云々」、千川稚泉より「伊豆へ行った云々」。
18:00出て羊羹買ひ(220)、求道者会。すみて竹森先生夫妻に挨拶申上ぐ。

6月9日
7:00起き8:00出て混む電車にてゆく。けふ甲州へ民俗採集にゆきしらしく大藤氏ら見えず。
12:00まで待ちbonusもらふ(77,820−15,560+32,300=94,560)。
田中久夫氏と小高根太郎訪はんとゆきしに、経堂駅で遭ひ、昼食し、梅ヶ丘でわれ下車。
麥書房にて『文学 鴎外研究(400)』買ひ、雨にて「マルゼン」前より電話。
依子のもち来し傘受取り、真珠のネクレス買ひやる(2,000×0.9)。
帰れば母来をり、殿井の悪口いふ。大江へはゆかざりし。父の歌集は来年にと。(大江・田中へ7月22日の墓碑式の案内出さざれといふ)。
小遣ひ2千円わたし、帰るを見る。けふ『果樹園』来る。薄井夫人より礼状。

6月10日(日)
五旬節。雨にて寒しとゆくに礼拝中暑くなる。(柳野一郎、桜井栄章和上、赤川草夫氏へたより投函)。
一度帰りて昼食。シャツ着替へて13:00出、成城大学へゆけば、鈴木睦美・福留泰子2生をり。
14:00より始まりし追悼会に、われ石渡曜子のこと話す。思ひ出に「暗かりしもこの頃明るくなった」との評、多かりし。
あとにて「神さま恨む」恋塚生の言をいひ、成城教会平出牧師の話あり。
すみてわれ写真機出し3枚撮ってもらひし。教徒でなき2生を誘ひ、新宿をへて荻窪の市にゆき、
久保天随『朝鮮史(250)』、『日鮮会話三十日速成(100)』、『儒林外史(double,100)』、『レ・ミゼラブルT(30)』買ひ、
吉祥寺より電話すれば「飯くはせよ」と悠紀子。すし食はせて(450)帰宅。
鈴木生に犀星『鶴』与ふ。(けふ彼女『鳥雀集』買ふ。) 福留生、村松教授の詩集もちゆきし。21:30雨の中を帰りゆく。
(けふゆきがけ夏帽買ふ350。ネクタイ買ってもらふ200)。
(けふ依子の留守番のところへ中野清見君、嬢つれて来り、学校へ電話するといひしと)。

6月11日
雨。中西夫人外泊をことわって出てゆく。
宮崎智慧(大伴道子夫人『道』の)、西村公晴(『大東亜戦争殉難者辞世歌抄』の)、安水稔和(『能登へ』の)受取かく。
11:00弁当もちて出、成城大学。
姜生来り、教会のこといへば「云ふを好まず。ブル(※ブルジョア)と思はれる」と。たしなめる。新羅史やると。
三野生に『朝鮮巫俗の研究』3冊わたす。高橋生は父の病気にてすすまず。本間生来ず。
juiceのみて、渡辺生らに23日の「出席20名位」といふことに同意し、東洋文化史すみてalbumのこと1つにせよと川本生にいふ(SLAとクラスと)。
大藤氏来り、あす帳簿引継ぎせんといひ、考古学の無給副手は認めずと栗山部長と相談し来る。
今中同窓会より電話といふに、待てば早大生中川君とて、あす11:30来ると。
高橋邦太郎氏またせ、定期の証明もらひ「オリツサ」にゆきpãoとcoffeeとご馳走となり同車、
吉祥寺にて『文藝春秋6月号(50)』買ひて帰れば、服部女史まちをり。1,560わたしprint1枚おきてゆく。

6月12日
10:00登校。山田夫人来り、旅行しゐしと。わが贈物の礼いひ、名古屋の外郎2本賜ひ、家庭の事情話す。
短大へ15分遅れてゆき、李白・王維やり、すまして11:25研究室へ帰れば、
今宮高校の同窓会支部作らんと、早大生2名来をる(中川君と岡本君)。しっかりした発起人とせよと19期は西川を推す。
帰りしあと昼食(松浦氏に松島生の欠席伝へし)。高田氏に問へば浜松一中の出身と。小池少尉の話す。
中国文学史早々にすませ、福島生呼べば、姉を奸せしは30数人をだませし男と。
外郎切り19人分のprint代もち来し3A生2人とprintとりに来しとを饗す。
そのあと恋塚生来り、網走の産と。伝言してくれし新谷生も同じと。
神の有ることを話し、礼いはれて別れ、大藤氏探せば丸をり、中野君への連絡父に尋ねてくれると。
猿渡生に昭和起重機のこと伝言たのみ、今井氏探しに考古学の室へゆき、
磯崎君、山田夫人、戸沢恪の外に女生1人ゐるを見、今井氏けふは来ずときき、
餅と茶と饗せられしところへ、山内講師挨拶に見ゆ。標本搬入を示さる。
出て高宮生さそひ「車」へゆき喫茶。相馬、一度帰郷ときき雨の中を帰宅。
高橋邦彦より「訂正承知」と。けふ鎌田生にも遭ひ、ものごと旨くゆくとうれし。
大江叔母来りをり、依子みやげの肉とりにゆき「房子、大阪にゐることわかりし」と。

6月13日
雨。10:30東大にゆき、われよむ。神田、田川、阿南、岡本氏と4人のみ。
神田、阿南2氏と昼食。すませてまた琳琅閣、木内と歩き、
木内にて『民間伝承13-1,2,3(80)』買ひ、busにて池袋(※立教大学)。
端午考よみ、すみて村上(宇和島南校)、藤森正一(諏訪清陵)、村田生(鹿児島産)と喫茶。
出て『標準世界地図(600)』買ひ、重くて困りながら帰宅。福地君と桜井栄章師より礼状。手帳を忘れし。

6月14日
雨の中を出てゆき中国文学。10人足らず教科書なしと。すませて池辺、大藤、今井諸氏に12:10より会せんといふ。
坂根千鶴子、青年1人伴ひ高等部へ「Veniceの商人」上演につき援助をと。断りてゆかす。
猿渡生「山中嬢の生年月日しりたし」と。「土曜来よ」といふ。池辺、今井2氏来り、12:30まで待ちしも大藤氏「あとにて」と。
待つ間、三野生現れいろいろ訊ねる。枡田副手(立教)、きのふ忘れし手帖届け呉る(けさ電話せし也)。
14:00大藤氏、今井氏来り、池辺君のいふ「柳田先生の会の5万円別途より」と篠原氏にたのみにゆけば「良し」と。
考古学の山内氏の副手の件、大藤氏ことはる。われ琳琅閣の払の件につき書き、大藤氏の印もらひ、出て久我山にて下車。
田中家に電話し、山中母堂より末嬢の生年月日きく。父上7月10日帰国と也。『西行法師全歌集(80)』買ひて帰宅。
(けさ大江叔母よりけふ一日外出の電話あり。悠紀子伝へ来し也)。
文学散歩の会より通知。入浴中、和田夫人より電話「中学へ知人の子を入学させたし」と。

6月15日
晴。悠紀子出しあと金なきに気付き、1円銅貨あつめしを30円ばかりもちて聖心女子大。
田中保隆君「けふ出る」といふ(渋谷駅にて松村達雄君に遭ひし)。
果して小林氏6、7両月分わたし賜ふ(2.8×20×2+800×2=7,240)。
2時限目早くすみ、出てtaxiつかまりしゆゑ農大前下車(420)。
大江叔母にお針の教へ子来てをり、あとにてきけば、嫁あす世話すと也。
手伝の嫗、村田幸子とて帝塚山の服飾の出の子の母と。房子、辻姓にかへりし。子どものことも云はずと。(S ※省略)わびしと。
16:30出て経堂へ出、吉祥寺へ帰りとんかつ食ふ(150×2)。
古野清人『原始文化の探求(80)』買ひしてのち求道者会に出る。内山書店より『西太后に侍して』見つけた、350円と。ハガキ。

6月16日
6:50起き、7:40出て成城大学。史学研究法を鐘鳴るまでせり。
死にし櫛田生の名、また呼び、あとにて唄[脩]氏よりも同じ失敗したとききし。
けふ文化史専攻の新入生歓迎会13:00よりときく。
11:45田中久夫氏まち、ともに出んとせしに山田夫人auto駆りて来り、のせしも武居生まつといふに駅まで送らせ、渋谷にて昼食。
湖南の『涙珠唾珠』探すことを約し、赤坂プリンスホテルへゆけば半数ほどをり(元の李王邸と)。
13:30よりはじまり、15:00近くなりしゆゑ出て駿河台下の古本市にゆき、
鈴木経勲『南洋探険実記(300)』買ひしのみにて、出て『和歌山県(40)』地図買ひ、神保町まで歩き、
『西洋蕃国志(80)』、『長恨歌評釈(50)』買ひ、都電にのりて渋谷をへて帰宅。
畠山のり子より「本位田検事正、山口へ出発」と。(鎌田女史より本位田重美氏上京中と。ふしぎ)。
硲晃氏より『果樹園』の受取。(けふ佐久間氏より父の香奠3千円もらふ)。
「らかん」(※カメラ屋)に焼付たのみにゆけばネジ故障とて預けし。

6月17日(日)
礼拝にゆく。竹森先生「洗礼まだ早し」ときこえる説教さる。
すみて帰れば10:00ごろ阿南氏来りしと『東亜人文学報1-4』おきあり。昼食後、電話せしに外出と。
14:30出て平田へ悠紀子ゆけば女たち不在。われ『其角句集(70)』買ひ、悠紀子と浅野dr.に電話すれば不在。
また本屋見て『朝鮮里程図(50)』と「バクダン」買ふ。
夕方電話あり「2-2貸せ」と。再来週の満蒙史料の会にもってゆくことを約す。
夜、写真とりにゆきしにカメラ直らず。14枚現像出来、追悼会の写真はみな写らず。
(けふ父の日として弓子、支那饅頭買ってくれ、本棚(200)買ひ、neck-tie(200)買ひし)。

6月18日
晴。10:30出て成城大学。栗山氏にsofaのこときけば「返却せよ」と。
前田課長にいへば「篠原局長の係り」と。「香奠返しせぬならはし」と。姜生休み、3生とゼミ。
本間生、内藤湖南『支那絵画史(3,500)』買ふと。そのためわれ『白居易詩評述彙編(300)』、『中国俗諺4000首(220)』、『神田博士還暦記念書誌学論集(2,000)』、『中国諺語研究書目(100)』、『王右丞箋注(670)』買ふこととなる。
電話かかり、今高の中川と。「17:30吉祥寺駅北口」でと約束し、東洋文化史に「三伏」と「七夕」すませ、
相馬来し(聴講card教務へ提出)と出んとすれば、高橋邦太郎氏同行さる。
われすすめて「車」へ誘ひ、高橋氏、中座するとて1枚ガラスの扉と衝突。出血におどろき病院へゆかんといへば第一病院の嬢のところへと。
これ元の陸軍病院にてtaxi甲州街道を走り700円余り。
われ持合せなく困りしに、高橋氏払ひ、やがて令嬢(皮膚科医らし)に引渡し、busにて大久保。国鉄にて17:10吉祥寺着。
家に電話すれば「服部さん来ず」と。「2人でゆく」といひしあと、17:30現はれしは3人(中川、岡本2君のほか慶応の住吉君)。
事務所を石本建築にせしと。夕食4杯づつ食ひて帰りゆく。あと高橋氏に電話すれば「絆創膏にて帰宅」と。

6月19日
9:00出て成城大学。短大の漢文すませ昼食して(朝ゆきしに「車」しまりをり、扉のガラスは入りをりし)、
高宮生さそひて「車」にゆき、ガラス代訊ぬれば1,300円と。高橋氏に伝へるといふ。
中国文学史すませれば1人print代もち来りしも「集めてくれ」とたのむ。都留生来ず(写真らかん今日休業にて焼増できざりし)。
(栗山氏に特別研究費2万円の請求出す)。教授会低調にて、すみてすぐ出、下北沢、渋谷をへて地下鉄、広小路下車。
松坂屋にて菓子買ひ(300)、花園町の高橋邸を訪へば外出と。そのあと水谷玲子に電話せしにかからず、交番にてきき、行きみれば呼鈴なく大邸宅ゆゑ、止めて七軒町にてtoastとcoffee(100)。上野まで不忍を廻りて地下鉄。
『果樹園』の合本第6来りしのみ。(けふきけば青木生、立川市の兄弟市へ招かれて渡米と)。
東方学会に1,600送る(600会費、1,000論文集代)。

6月20日
散髪にゆく。帰りて和田節子夫人より「大阪へゆきGroupに会った。伊藤元気にて子あり。成城大学入学の件はやめた」と手紙。
柳井一郎君より「助野氏にたのんでくれ」と。石渡恒夫氏より香奠返しに盆。
12:00すぎ猿渡夫人見え「山中家へ親類書と写真とほしの旨伝へてくれ」と。洋菓子一折たまふ。悠紀子と16:30を約束して立教大学。
枡田副手に『我国近世の社会経済(改造文庫)』贈り、手塚氏に会ひて「読売報知」の21.1.21の「叫び」欄の切抜き借る。
「隠れた戦時利得者」なる見出しにて東京理科大講師鎌田重雄と明記しあり。講義20人ばかり出席。
15:50すみ、古本屋見しに休み。駅前のbus乗場にて20分あるゆゑcoffeeのみ、16:30すぎに悠紀子あらはれしを叱る。
花井家にて姉さんも呼んでもらひ、田中家は昭和起重機の社員なることわかる。佐藤氏のこといひ「よければ写真を」といって出る。
中野へbusつけば丁度国鉄故障、busにて吉祥寺に帰り19:30。
京、塾にゆきをり。依子けふ理研光学へゆき「土曜にcamera直る」と也。
けふ焼増しとり330なりし。晩に子らの退きしあと、悠紀子叩き、退け、3:00ごろまで眠れず。

6月21日
よべは休まんと思ひしも、考へ直して登校。漢文旨くゆき、写真、都留と正宗2生にわたす。
大藤氏来り、この間立替への500円出せと。鎌田女史にわたせといひしあと、たづねにゆき云ってもらふ。
13:00、salary出るを待って出、「車」にゆきcoffeeのみ(50)、高橋氏のこといふ(けさ電話あり、ところきかる)。
ついで(平凡社に電話し『アジア史事典』Vol.8までの2,444は払ひしことわかり、Vol.9の代1,545を為替にて送る)。
busにて大江へゆき、東京の花嫁候補Rentgenにて曇あり、だめと。大阪の墓へゆかずといひ激論となる。
あとbusに同車、三軒茶屋にて下り(bus代40われ払ふ。24日浜松へゆきて帰阪と)、
三茶書房にて『柳の葉末(400)(※艶句集)』見つけうれしく、そのあと『ニューギニア探険(100)』、『歴史学の発達(280)』買ひ、
他の店にて『Tales of fair and gallant ladies(130)』、『理科年表(20)』買ひ、宮崎幸三氏に電話すれば「病気」と。
あとにて「来よ」とかはりしゆゑ、枇杷(250)買ひtaxiにてゆく(100)。「小さいことにはあまりこだはるな」と也。
出てbusにて渋谷(25)。Pork coteletteたべcoffeeのみ(210)、西川に電話すれば(20)、坊出て自彊会支部発起人のこと伝へると(6年生と)。
思案せしのち吉祥寺よりtaxi(70)にて帰宅。立教より講師の辞令。久美子より「Bibleよむ」と。
(けふふしぎにも三軒茶屋にて大阪へゆくといふ山田君江夫妻の自動車より声かけられし)。

6月22日
傘もちて11:30出、聖心女子大にゆき海老沢博士より再度Christian Missionの参考書きく。
すみて青山学院前にてbus下車。ice-coffeeのみて不二出版社。十四烈士顕彰碑の募金(2回目)1千円を寄附。
鈴木氏と話して出、『支那童謡集(20)』、『イエス伝(100)』買って帰宅。
小高根二郎氏より「磯花佐知男(※コギト同人、戦歿。池沢茂の義兄)は立野利男か」と。夕食して求道者会。

6月23日
晴。6:30起き、7:30ゆく。「1時間目を10:00にすませてくれ。瀬川清子氏の講演あり」と都留生来る。
諾してすませ、田中久夫より問はれし杜詩の註せし趙次公を探し、11:50了へて来し田中氏と出て(相馬生を叱りし)新宿にて昼食(180)。
国鉄にて亀有に14:15着。coffeeのみて重久生、山内生と会ひ14:25となりて大藤、鎌田2氏と会ひ、800の果物1箱買ひて(※故・ 石渡曜子生宅へ)ゆく。
きのふ50日祭すみ染井墓地に葬りしと父上の話なり。beerよばれ17:00出て(礼とsandwichもらふ)、
亀有より上野まで買ひ、神田に重久、中沢、川本の3生と下車。茶のみて別れ、吉祥寺につけば雨。
マルゼンより電話し、迎へに来し悠紀子と会ふ。白井紘史「秋田に出張」と。New-Fiction全集30回来をり。入浴。

6月24日(日)
晴。暑し。礼拝にゆく。悠紀子、立教女学校のclass会にゆく。
15:00ごろ三鷹の古本屋にゆき『亜細亜民族の研究(100)』買ふ中、雨ふり来る。平田にゆけば不在。
途中ラーメン食ひ帰り来る。鈴木正義生、室蘭へ転任の挨拶。

6月25日
傘もって出る。高橋邦太郎氏来られ、礼送ると。
栗山部長に特別研究費『明清史料(12,000)』と『南方熊楠全集(5,700)』請求の紙わたす。佐藤君「横光利一買ってくれ」と。
けふゼミの4生そろひ、姜生「新羅の善徳真徳両女王のことやる」、高橋生「フィリッピンのキリスト教」ときまる。
(図書館に『冠婚葬祭と年中行事』さがせしもみつからず)。
東洋文化史の時間早くすます。2D武田生の「母より」ともち来しさくらんぼを川本、牧野、本多生などに与へ、
最後に来し福島生に傘貸してともに出る。(家の営業安宅紹介のおかげにて助かりし由)。
大江久美子、武田マサ2氏へハガキかく。柳野一郎より電話、助野健太郎、野田宇太郎、護雅夫の3氏紹介す。
服部三樹子氏来るはずなりしかど来ず。雨はげし。(けふ学園名簿もらひしに中西家の電話しるす)。

6月26日
雨。13:30渋谷でと約束して家を出、2時限3時限のあることわかり、家へ電話して15:00と変更。
昼食sandwichくふ。3時間目、傘さしかけくれしは鎌田生。
松浦氏に高橋生を別枝博士に紹介してくれとたのみ、14:00了り、
成城堂に190の払ひし、東横へゆけば腹へり、和田・栗山2家へ砂糖送りしあと(1,000×2)、
すし買って渋谷の大のところへゆけば、母居り、るり子をり(※夫の)大は喧嘩して2日帰らずと。
花井タヅ子の姉、稲田夫人に電話すれば「大阪より相談来し」と。青山博士に電話せしに夫妻不在と。
帰り吉祥寺の古本屋を見、『アメリカの内幕(20)』買ひて帰宅。
(渋谷より服部三樹子氏に電話し「急がず」といふ)。
22:30大阪より電話といふにおどろけば山中母上。「写真送りおけ」とすすむ。

6月27日
9:00出て東大(『支那のユーモア(30)』買ふ)。宮原君よめず、神田、阿南2君と4人のみ。すみて3人にて昼食。
そのあと木内にゆき『支那の有用植物』など3冊学校へとたのむ。帰宅15:00。
(けふ出がけに猿渡夫人に電話す)。ひとやすみし夕食して、横浜市大と合同のchorusを都市会館へ夫婦づれでききにゆく。
山部生受付にをり。疲れて帰宅(22:10)。

6月28日
9:00出て成城大学、12:30出て(『文学散歩』受取り日曜不忍池集合と福留生よりきく)、立教大学。
6月分のsalary受取り、神田山本書店の払すませば、あとなしとて池袋。
吉祥寺をへて三鷹。『建国大学研究期報1(250)』と横光利一『無礼な街(200)』買って帰宅。後者は佐藤君がため也。
(けふ木内へ鴎外の美学関係3部4冊相良教授のために注文す。わが買ひし5万円の請求書見つからず払まだらし)。
高橋邦太郎氏より『National Geographic Vol.118No.2』来をり。西村美那子より「東生、新居浜へ嫁ぐ」と。
京、寝てをり風邪と。悠紀子帰り来て熱計れば39℃。浅野dr.に電話し往診乞へばすぐ来り、風邪と扁桃腺炎と。
夜、ふろ焚く悠紀子に代り薬とりにゆけば来客中。薬代その他にて350。
散歩して『Les Miserables2(50)』、京のために『シャーロックホームズ(50)』買ひ来る。川本生より電話「丸重俊と土曜午后来る」と。

6月29日
家居。午前中に「半自叙伝」20×200かき速達してもらふ。
午后、和田先生お宅より受取り。夜、求道者会にゆく。京38℃あまり。

6月30日
7:00起き成城大学。けふにて土曜の史学研究法をキリとす。
田中久夫氏に挨拶し、会計にゆきて弓子の就職いふ(扶養家族よりのくこととなる)。
図書館へゆき琳琅閣の請求書会計にまはりゐるときき、月曜午前中に整理たのむ。
成城堂で『わらべうた』と『柳多留5』とつけてもらひ帰宅。
山中母君より写真と書類来てをり。のちほど猿渡家に電話せしに「夫人外出」。
丸重俊と川本静江2生来り、12日にBangkokにゆく川本生に案内記貸し、丸に父親へと植物図譜わたす。
けふ足立生、島根県へ採集旅行にゆくを見送ると。佐藤dr.にゆき『小説新潮2冊(70)』買ひ来る。

7月1日(日)
雨の中を礼拝にゆく。貧血気味なり。帰りて本位田昇の山口地検検事正栄転の挨拶を見てひるね。
その間に猿渡夫人より電話。「あす午前中、写真とりにゆかす」と。16:30投票(参議院補選、野坂、小林珍雄)。
けふ角川より15版の印税来る。

7月2日
雨。10:00出て図書館。整理せかし高橋邦太郎氏に茉莉茶の礼いひ、
4生とsemi。姜生に『三国史記』『三国遺事』『新羅史』貸出さしめ、高橋生の別枝博士より借りし本見て安心し、
14:00本間生へともち来し『支那絵画史』貸すこととし、三野生のみ貸さず。
東洋文化史の時間、中元やりてすまし、15:00まへ4生と出んとすれば高橋氏、茶のまんとさそふ。
ことわりて下北沢まで同車。雨やみし中を4生家に伴ひ、夕食せしむ。
姜生も茉莉茶くれしゆゑ『京城』与ふ。創価学会全員当選(9名と)。(けふ猿渡生に山中さよ子嬢の写真と親類書わたす)。

7月3日
傘もって出、短大にゆけばこの前「きる」といひしこと忘れゐし。
午后、李白やらんとするに中本ら話しやまず。相内生のあつめし金と女生の集めし2人分と受取る。
(けふ山田君江うしろより自動車にて来り「うしろ姿若し」といふ!)。
福島生よびて話せしあと教授会。つまらず。
少し時間あまりしも出て薄井宅へ桃もちゆけば不在。
丁度の時間に向ヶ丘までゆき、百瀬教授と同時となればtaxiよび賜ふ。
文芸の懇話会つまらず、20:00出て帰宅。
坪井より寮歌集300円かかると。佐野和子生より云々。自彊会より6日(金)18:00発起人会すと。
(けふ果樹園社へ同人費並に製本代として1,600送り、山田美妙『アギナルド(60)』買ふ。)
千草来り、大阪の法事にゆけずといひしと。

7月4日
猿渡夫人へ電話し、あさってゆくこととす。(けふ14:00佐藤家より電話と)。山中母上(照子)へ速達(受取り)。
東京自彊会へ欠席。台南林天宋氏へ抜刷。『無限』編集部へ「詩できなかった」とことわり。花井厚のお礼に温度計。
昼食して竹内(※竹内好)夫人に電話し、14:00すぎゆく。「名古屋より(※お見合の)候補者来れば電話す」と也。
『文藝春秋7月号』と『漫画読本7月号』買って帰宅。
(中野清見に留守のわび云ひ、太田陽子夫人の石川喜久子帰国歓迎クラス会にゆけず。齋藤博士に承知のハガキ書く。9月20日公判の証人をと也)。

7月5日
雨中、成城大学へゆき漢文を教へる。都留生をらず、森生来る。
高橋生呼びてあすより来ずといひ、13:40出て3D村山生?と同車。下北沢で氷しるこ食へば140!
渋谷へ出、都電にのれば国会図書館へゆく岡谷元講師に会ふ。いま尾道にゐると。夫人は聖心の大学院にて朔太郎を論文とせし也。
山本にゆき6,790払ひ『王維(70)』買ひ、香港より『辞海』のとりよせたのむ(2千円と)。
集英社へゆき薄井氏に8月半脱稿を約束し、busにて東京駅北口。西川に今中自彊会発起人会への出席たのむ。
あと地下鉄にて渋谷へ出、17:00帰宅。鈴木睦美生、鮭と筋子と賜ひしと。

7月6日
きのふより猫ロミ、病気にて獣医にかかる。やむを得ずわれのみ猿渡家にゆき夫人に会へば「見合承知。佐藤氏の会社はテレビ器具製作。猿渡氏6月末三越製作所へ転」と。
「日曜に山中夫人に会ふ予定せよ」といひ帰宅。
依子、竹内家へゆき16:00ごろ帰り来る。19:00より求道者会。あと一回にて終りと。畠山博光より電話「あす午前中来る」と。

7月7日
雨模様。太田陽子夫人へ「福留泰子生、8月20日より一週間、300円づつにて泊めてくれる家なきや」と。
散髪にゆき古雑誌売れば27円。竹内夫人より電話「埴谷雄高夫人に依子生花を習はずや、あす13:00宅へ来れ」と。
11:00畠山博光来り、やがて依子獣医より帰り、ジステンパーと(450)。
昼食ともにせしあと高橋邦太郎氏より贈られし『世界の旅・日本の旅』既蔵ゆゑもって帰ってもらふ。(六右衛門氏糖尿と)。
中野で夫婦下車。茂呂行に乗り江古田駅前下車。花井家へゆけば「母君ら15:30東京着。家庭は9日帰国の父君独裁」と。
佐藤家のこと記して出る。17:00まへわれ帰宅。ロミひとりをり。

7月8日(日)
9:30菊川獣医へ猫かげてゆき、そのまま礼拝に出る。すみて一旦帰宅。
14:00まへ田中家へゆけば咸子、槙口修二夫妻のほか、数男夫妻、平田夫妻をり。あす9:00羽田発と。
そのあと松田みす子母子来る。16:30となりて出(あと和田賀代、史、来しと)、荻窪より紅松に電話すれば在宅と。
西荻窪より上石神井行にのり井荻3丁目下車。20分ほどゐて帰り、民俗学の本屋へ寄り『柳多留2、4(80×2)』買って帰宅。
夕食後、和田賀代女史より電話、依子の写真もってゆく(平田、玉野(※岡山県)へ転任命ぜられし也)。
けふ矢野より砂糖。永山よりタオル1本。

7月9日
終日雨。家居。〒なし。王維のこと本間生にと書きしも了へず。

7月10日
午前中は雨。齋藤博士より雑誌。午后、また『Biblia22』。Kon(※八木嬢)元気らし! 山中家より電話なし。

7月11日
よべ3:00までねられず。明小説よみし為なり。
9:00出て渋谷より矢野に電話し、中元の礼いひ、光子生25日ごろ瀬戸内海へゆくときく。
そのあと地下鉄にて楊井克己(経済学部長)みつけ、20年目の挨拶すればcoffeeおごり呉る。
ついで満蒙史料の会。けふは田川、神田2氏のほか岡田、阿南、教育大2君とそろひ、松村潤氏のよみ也。
すみて出れば山本治雄と遇ふ。ともに昼食し、東洋史諸先生とは話せず。
「15:30の富士に乗る。川島武宣に会ふ」とのことに矢野に電話せしむも外出。
13:20図書館前の芝生で会ふこととし、琳琅閣にわれ入れば「払ひし」と。
13:45山本出て来、矢野にゆかんとせしにtaxiつかまらず。迎へに来てもらひ三越までtaxi。
みやげに靴買ふを見、東京駅まで歩き発車前の富士に送りこむ。
そのあと地下鉄にて池袋。家に電話し、16:30花井家へゆけば不在。
稲田夫人に会へば「父君の帰国7日ほどおくれ、きのふ電話せしもかからざりし」と。
中野へ出、阿佐谷にて下車。丸屋市川にて『比律賓群島の民族と生活(100)』買って帰宅。
太田陽子夫人より福留生を「とめる」と。夜、猿渡夫人に電話して報告す。

7月12日
自彊会中川君と福留泰子生へハガキ。眞野喜惣治、今田哲夫2氏へハガキ。
山中母君より電話、留守のわびなりし。『東洋史研究』、『東洋学報』来る。
平凡社より『アジア歴史事典9』送ったと。『果樹園77』やっと来る。
16:00千草来り「大阪の墓は西島家の墓としるすのみ。建設費8万円にてわれにも負担さすつもり」と!
佐藤昭夫君より電話「校正出た」とのことに、もち来るやうたのめば浅沼家へゆくと。
それこそ途中といひ、17:00吉祥寺駅で待つこととし、来しをcoffeeのまし(120)、
校正刷受取って帰宅(16日再訪と。小高根二郎『はぐれたる春の日の歌』入手と)。
足立明子生より21:00電話「あす渡辺生と来る」と。

7月13日
けさ4:00さめ睡眠不足。足立生より電話「10:00に来る」とのことなりしゆゑ、待てば10:30来り、
牛尾三千夫氏の手紙と雑誌ともち、桃1箱もちて来る。
昼食せしめ、14:00渡辺生と3人にて、この間見つけし青樹社といふ古本屋へつれゆく。
渡辺生noteとる。足立生雑誌買ふ。われも『星座の話(80)』買ひ、また吉祥寺。別れて帰宅。
18:30教会へゆき、森田副牧師の『ハイデルベルク信仰綱領』の最終日をすます。
柳谷君といふに名刺わたす。他に元気よき青年1人。雷雨となる。
けふ『アジア歴史事典9』来る。「村松正俊氏の祝賀会を25日に」とまた。
竹内夫人より電話「名古屋の青年22日ごろ上京」と。

7月14日
依子を留守番とし、10:00出て南海屋にて旋風機(7,900の6月月賦)注文し、
渋谷へ出て(富永次郎氏と同車)、東横にて大阪ずし(230)買ひ、父の霊前に1千円とともに供へる。
昼食にすし分けてくひしのち、るり子帰来。青山博士に電話す。
東横にてつまみセット(600)買ひ、ゆけば博士も在宅。防大の礼いひ、悪妻を紹介す。
15:00帰宅すれば石井正己氏よりリプトンセット。牛尾三千夫氏に返事かく。福島夫人より詩集の礼の礼。
佐藤泰正氏(下関)より論集。小西秋雄氏より『韓来文化の後栄』転送。
(けふ母に「大阪へゆけず。依子の見合」といふ)。(三鱗へ初校速達す40)。

7月15日(日)
9:45礼拝にゆく。宮城学園の女生のchorusにて多く来てをり。
すみて帰宅すれば中沢生より電話ありしと。鈴木睦美生より海水浴と。井上多喜三郎詩碑建設会より報告。
16:30ごろ(※西島)寿賀子より電話、墓詣りの帰りと。やがて来り中西家より貰ひしおこわ食ってゆく。
「教会へ行って(※もいいのか、右翼の)影山氏に如何?」と寿一。
中沢生よりまた電話『冠婚葬祭と年中行事』など5冊貸しありと。安心す。
夜、ユキ子ちゃんの霊前に詣り、中西夫人と話す。beerたまふ。

7月16日
依子、午前中在宅とのことに9:30竹森先生お宅へ伺ふ。「求道者会にて話題作ってくれた」との仰せなり。
竹内家へゆけば外出するところ。諏訪氏(※「名古屋の青年」)22日より25日まで在京と。
礼いひて西荻窪までbus。森田副牧師訪ね礼いふ。嬢百日咳と。
帰り古本屋を見、藤浪『ハイネ伝(80)』買ひ、国鉄にて吉祥寺、juice1瓶(320)買ひて佐藤dr.に礼にゆく。「顔色よくなった」と也。
帰りて昼食し、午ねせんとするところへ(14:00)佐藤昭夫君来訪。小高根二郎『はぐれたる春の日の歌(300)』ゆづり受け『果樹園』あるだけ与ふ。
井上司書だめ也と。けふ三野生より「30日鹿児島発」と。長沖一氏より誉田へ転居と。梅田惠以子夫人より「8月5日来訪」と。
依子、スワ氏との見合むだと怒り、京、鎌倉へゆけざるを怨むと。

7月17日
家居。10:30突然おとなひ来しは鶴崎裕雄とて、帝塚山の卒業にて大映広島勤め。昼食して台湾へゆきし話す。
『東洋学報44-4』来り、赤字210と。福留生「20日に来る予定」と。
谷川真佐枝より「日生3人となりし」と。山中家より電話なし。PTAで京、成績少し上りしと。平田、岡山へ赴任したと。

7月18日
8:00ごろ山中父君より電話「9:30三菱3号館の事務所で会ひたし」と。
朝食し、その間に猿渡家に電話せしめれば午前中在宅と。荻窪より地下鉄にてゆけば9:40。父君まちをられ色々訊ねられ、
猿渡夫人に電話し「本日父上同士の会見は」と問へば、佐藤氏バイエルとの交渉にてけふはだめ。
近々大阪事務所へゆくとのこと也し。出て私鉄協議会訊ぬれば移転。
野村ビルへゆき寿一(東塩業とあり)訪ねて扇子わたし、1階上の野村建設へゆき竹井支店長に会ふ。
遠藤清在京と。出て東京駅へゆく途、交通公社ビルの前通りしゆゑ田中勤氏に会ひ、正平未亡人竹子、市川の友人宅にありときく。
この間淡路へゆき、おそうさんに会ひしと。西阪の日曜世界社より出し賀川豊彦『神と歩む一日』を推薦さる。
東京駅内のミカドで食事し(150)、丁度よくなりし時間に山中夫妻送りにゆき、姉上夫婦に紹介さる(通産省と)。
父君「いい会社ですね」とのことなりし。
三鷹行にのり、駅より電話して悠紀子と古本屋で会ひ(『用字便覧(80)』買ふ)、浅野医院へお中元もちゆく。
Dr.往診中。夫人草刈中にて(ライターおき忘れしこと電話してわかる)早々退出。入浴し、猿渡家へ報告してすむ。
(けふ神田氏「毛文竜(※明末武将)」21日東洋文庫でと通知ありし)。
夜、「花井」といふ電話に出れば大阪の花井彩生にて鶴崎と同級なり。あす夕方来ることとなる。

7月19日
服部三樹子氏より「近々来る」と。服部四郎博士より挨拶。
これにて思ひ出し多田順子生に父文男博士の都合しらせと。手塚氏に『果樹園』送る。
三野裕子生に「元気でゆけ」と。16:30花井彩より電話、迎へにゆき家へつれ帰り夕食せしむ(海老原氏より悠紀子に草履)。
賢き子にして27才となり。神を信ぜず。21:30駅まで送る。

7月20日
雨。ゆふべ3:00すぎまでねられず。8:30矢野光子生に電話すれば「29日出発」と。
あす夕方ゆくといふ。10:30福留生来り、太田家へゆくといふゆゑ、坊やのこと大切にといひ、紹介の手紙わたす(8月20日以後)。
咲耶にも会へといふ。本間生より切手10枚。
悠紀子、浅野医院へゆき忘れしライターとり来る。その間に深井母上来り、鎌倉行承知と。
今夜悠紀子やるといひしに、帰り来て疲れてゆけずと。
文学散歩の会より「7月28日露伴15年の命日のため(30日)13:00より云々」出席と返事す。
太田夫人へたのみ状。姜照美生へ新羅史の上限。森川平人氏へ紹介状。

7月21日
9:00悠紀子深井家へゆく。われ中野よりbusにて立教大学。
salaryもらひ飯島にて『南方閑話(150)』、『うるまの国(100)』、『カラコルム(200)』、『奄美の島々(200)』、『太平洋の歴史(90)』買ひ『その他大勢(70)』買ひなどして西武dept.。宮崎智慧氏訪ぬれば離席と。
昼食に鰻丼(150)くひてゆけばをり、8月12日(日)の会に出よと。林富士馬氏も呼ぶと。
東洋文庫へゆけば市古宙三君をり、挨拶せず。毛文竜の話を神田信夫氏より聞く。
すみて朝鮮史に10万円出ることとなり、退出して高井戸にて下車後、みち迷ふ。矢野光子生に尾道、土生と5万分1地図2枚わたし、森川平人博士への手紙托し、帰宅すればわれ20:00帰宅となりゐしらしく、悠紀子をらず。
平田春一氏より第6歌集。杜甫1250年記念会より発起人会に出るやいなや。水谷玲子、裏磐梯よりヱハガキ。
服部三樹子さん杜子春のprintもち来り、13枚目と。計算して(132×50=1,160)1,590わたす。菓子たまふ。8月初帰省と。

7月22日(日)
8:00すぎ弓子、京をつれ深井君つれて鎌倉へ出発。悠紀子とわれ礼拝にゆけば1列目なりし。
了りて帰宅。昼食し、依子に留守たのみ出て、竹内(※竹内好)夫人に電話すれば、名古屋のスワ君より連絡いまだなしと。
15:00鎌倉につきbus名越で下りれば、和田賀代女史に遭ふ。24日夜、帰り来ると。
夕食し18:00弓子送りて駅までゆき、古本屋にて春夫『青春期の自画像(100)』買ひ、草履買ひ、手塚隆義教授に「あす午前中参る」と電話す。

7月23日
手塚家へ参る。令婿岩国の税務署長としてあす赴任と。令孫との写真とる。
帰りbusのりつぎ夕食後、見つけし材木座の古本屋にゆき『レミゼラブル(200!)』買ふ。
悠紀子も本買ひ、京にと本買ふ。

7月24日
夜、下痢発熱せしゆゑ朝絶食し、午すぎくず湯。ついで粥食ふ。
賀代女史21:50帰り来る。この間『荷風日記』3冊よむ。関口八太郎第6管区総監に転任と新聞。

7月25日
8:00出て鶴岡八幡宮へゆく途、Filmいれかへ財布失ひしこと階段前にて気づく。
松岡旅館の前通りしゆゑ、自民党より参議院選に出て落ちしといふ館土元中尉に名刺をことづける。
21:44の横須賀線に乗り帰宅。手塚教授よりいれちがひにハガキ。鈴木敬子夫人より5月嬢出生と。
高橋生より「英語弱し」と。柳野一郎氏より暑中見舞。
白井紘史より秋田で買ったと『北阿の新戦線: モロッコ・アルジェリア・チュニジア』(すぐ礼状かきし)。
午后の便にて東京自彊会の報告。西原・西川の外にわれをも幹事とす。
依子、きのふスワ氏?と会ひしと。
谷川、鈴木敬子、高橋通子の3女性にハガキ。夕食後、竹内夫人に電話すれば「20:00来よ」と。小田原カマボコ(200)買ひてゆく。
諏訪氏、われらに会ひたしといひしと。

7月26日
暑いゆゑ、ゆふべ睡眠不足なれど9:00出て成城大学。前田教務課長と話せば「相馬生の10月卒業むつかし」と也。
松崎君来をらぬゆゑ、図書館へゆき『高麗史節要』、『燃藜室記述』、『月令広義』などの整理如何をきけば、わからず。
中山君に電話かけて未整理とわかりしを野口?中村君にてやってくれる間、成城堂へ払ひにゆきice-cream買ひ来って礼す。
姜生来をり、『アジア歴史事典』の「シンラ」写さす。足立生来会せ、西沢生も来るとのことなれど、
整理出来上りしゆゑ『燃藜室記述』のみもち(山本より『鄭和航海図』と『海道針経』来をりしをとる)帰宅。
「諏訪君、禿げ黒くやせをり」と。けふ富士登山に依子・弓子ゆくと。
堀ノ内歴、明渡淑江2教へ子より暑中見舞。坪井より「寮歌集の再版ちょっと躊躇」と。牛尾三千夫氏より受取。
(「車」へゆき相馬の居所教へてくれるやう雇はれのmadameにたのむ。Madame貧血と)。入浴。
20:00富士へ出発といふに弓子20:05まで帰らず、やきもきさす。
21:00悠紀子の持ち帰りし鎌倉の写真、現像されしは10枚。手塚家は教授単独のもの2枚に落胆。

7月27日
坪井へ「寮歌集の復刻やめよ」とハガキ。福島富士子夫人、本多慈子生(NHKの国際局につとめゐると)よりハガキ。
川本静江生、バンコックより21日出のヱハガキ。多田文男博士より「日時場所指定せよ」と。
夜、水谷玲子より「Forum」にゼミの説明をせよとの速達。

7月28日
台風近畿地方に来しと。野田宇太郎氏に電話し、けふの文学散歩にゆけざるを云ふ。
午后、東京も台風の余波あり。電報石川夫人より「連絡取れ」と。電話すれば松原旅館とて他出と。17:00散髪にゆく。
京、あす房州岩井へ3泊4日の旅行と仕度す。水谷生へ「かきたくなし」と返事す。
21:00前、自彊会の中川君より電話「西原出席して熱心だった」と。
石川夫人より電話かからざる故、21:30電話すれば「明朝7:00帰阪」と。
羽田より立つまへ会ふことときめる。

7月29日(日)
よくねて8:30さめ、京の6:00出発を知らざりし。
暑き中を礼拝にゆけば竹森先生信州へとのことにて森田先生の司会なりし。
服部三樹子氏より「print12枚なりし」と。林春江生より「楽しい授業だった!」と!
花井彩より「ごちそうありがたう」と。(教会の帰り、山形県の地図買ふ。) 
太田芙佐子氏(「車」の主人)より相馬の居所しらせたまふ。
この2〜3日に『風と共に去りぬ』よみ了る。夕方、依子・弓子帰り来る。富士8合目までのぼりしと。

7月30日
あさ『果樹園』の「半自叙伝」かき11:30了る。
速達出し(50)にゆく悠紀子に『東洋学報』の会費800たのむ。3D安達生より暑中見舞。
林富士馬氏より「12日[の会に]出席して腹立てずや、この間、義理堅い保田氏に会った」と。「腹たてず」と返事。
多田教授へ「4日朝電話す」とハガキ。17:00散歩かたがた出てゆきGas-lighter見せれば石なくなりをりし。これにて気をよくし『文藝春秋8月号(70)』買って帰宅。

7月31日
風吹く。水道道路舗装の計画と隣組にて悠紀子きき来る。相馬弘に「来い」のハガキ書く。服部女史へは「あとの1枚分に」と。
山本嘉蔵氏より「令孫帝塚山幼稚園に入った」と。

8月1日
朝起きがけ眩暈し、浅野dr.に電話すれば往診したまふと。臥床し昼食し、本多弘子、大江叔父の暑中見舞を見、水谷玲子のハガキ見る。
高橋邦太郎氏の紹介にて国民懇話会に入れと。15:00浅野dr.来診。注射したまふ。京、17:00房州岩井より帰り来る。
けふ『柳田国男集7』来る。

8月2日
晴。高橋邦太郎氏と本多生へヱハガキ。果樹園社へ同人費1,500送る。兼頭淳子生より「兄東京にをり、その中訪ねる」と。
浅野dr.に往診いらずと電話し、18:00出てゆけば夕食中(途中『世界の言葉(80)』買ふ)。
19:00までにて宅診やめると。注射ことはり薬もらひ往診料(100)払って散歩して帰る。門司のcholera真性なりしと。

8月3日
家居。手塚氏より写真の受取。矢野光子生「森川平人さんに会った」と生口島より。中野清見君「八戸市経済部に勤めた」と。
悠紀子、午后渋谷に電話すれば母出て「22日?!に帰って来た。大江、城平・昌三叔父叔母みな呼んだ。当分来る必要なし」と。

8月4日
昨日東京34.3℃、山形で38.8℃と。あさ電話すれば「来てよし」とのことに8:30出て「池の上」の多田教授を訪ひまいらす。
順子嬢アルバイトして十和田湖へゆきゐると。
5万分1は法政大学にそろひをり、8日検べに来よ、また浅井辰郎氏(自然科学研究所、治平教授の息)に紹介状たまふ。
出て駒場町の後藤均平氏見舞へば「全快して東洋文庫」と。
道玄坂まで歩き、氷くひ(文庫の田川氏に電話すれば12:00と。神田氏に電話すれば応答なし)、
寿賀子に電話し「近日訪ねる」といひ、文庫へゆけば田川氏をられ冷たき茶たまふ。急ぐことなしとのこととなる。
出て(『文献6(80)』を頒けてもらひ金なくなる)大塚下車。矢野を訪ねんとしてやめ、渋谷をへて帰宅。
森川平人氏より田村春雄のことしらせよと。『風日』に柳井道弘の「肥下追悼」のりをり。
荒井平次郎、硲晃、田上由美子(2D)の諸氏より暑中見舞。白鳥夫人より芳郎氏のこと。
けふ『殷帝国(220)』買ひし。夜、梅田惠以子夫人より電話「あす13:00来訪」と。
矢野光子、森川平人2氏へたより書く。
今夜、弓子熱海へ泊りにゆき、史、渋谷へ泊りにやる。るり子女史面白くなしと大阪よりかへらず。
大、カンヅメの由にて、きのふ弓子に泊りに来てくれと母より電話ありし也。けふ37.6℃なりしと。

8月5日(日)
礼拝にゆく。避暑か長老達も少し。すみて水羊羹買ひて帰宅。
午后〒来り、永山光文、筑摩書房武本武憲氏以外は帝塚山にて東井氏、井上順子、東孝子、涌井千恵子。
他に東洋学報の受取。成城大学より「山本書店の書留預る」と。
13:30梅田惠以子夫人、Melonもちて来る。随筆2篇見よとおき、深大寺へ案内さす。
寺前にてそば食ひtaxi拾ひて三鷹へ帰る(220)。神を知る必要なき様子也。
史、今夜も渋谷泊りらし。弓子焼売みやげとして帰り来る。
(けふ礼拝にゆきし間に山中父上より電話あり。12:00再度かかり、佐藤氏しらべしによき故云々。
あすより一週間Hongkongに出張、本人と母とに見合さしてもよし云々とにて、猿渡夫人に電話すれば令家避暑、あす夜帰宅と。
その旨山中氏に電話す。留守中見合してよろしき由なり。)

8月6日
晴。家居。田中雅子夫人「大阪へ帰省中」と。小西秋雄氏より「三好達治氏に紹介してくれ」と。
われ平田家へたのまれゆく依子に多田博士への「8日法政へ参れず」の速達たのむ。
後藤均平氏より「失礼した」の電話。夕方、猿渡夫人より電話ありしゆゑ、山中家の意向伝ふ。
夜、林夫人(半田良平氏令嬢)より悠紀子に長き電話「阿部キョウ子(木村さん)肝臓癌にて仕方なし」と。

8月7日
小島ひかり(短2B)、鍛治初江、南隈夫人、加賀山秀夫(二名町−奈良市とあれど富雄なり)、西村和喜子(4A)の諸生より暑中見舞。
14:30悠紀子と出て経堂、小高根家へゆく。
(※王維の)江山雪霽図はしらず、長江積雪図といふがありしもアメリカへ出しと。会社社長のむすこを田中スミ子にいかにと也。
出て梅ヶ丘下車。寿賀子にゆき、盲の子猫見る。天理高校へゆくといふ弟の嫁を見し。
歩きて若林へ出、電車にて渋谷。田中三郎に悠紀子電話して帰宅。

8月8日
暑し。水谷・正宗の2生、飛島より。吉森夫妻、山口玲子(10月結婚と)、丸木直子夫人より暑中見舞。
福島生母より礼状。本田晴光氏より暑中見舞。神田喜一郎先生より秋に御上京と。
15:00都留生より電話「柳田国男先生御逝去」と。
(京、写真屋へゆきしに概ねとれゐたり)。入浴し、16:10のbusにて千歳船橋。
柳田家見つからず枡田嬢にききてゆけば池田氏をり。ともに大藤氏に会ひてきけば12日青山斎場で葬儀。10日お通夜となり。
帰らんとして青樹堂青木直記氏と話す中「何もありませんが」とbeerとうなぎよばれる。
関敬吾氏に挨拶せし。本郷彩画伯がdeath-maskとり、納棺のころ出て駅前にて池辺弥君に電話すれば旅行中と。
また千歳船橋より最終のbusにて帰宅。




8月9日
猿渡夫人に電話すれば「佐藤夫人軽井沢にゆき云々」。山中家に電話し報告させれば「兄さん北海道へ転任」と。
折から相馬来り、小見川へゆきゐし不足単位とり将来は自分で決めると。昼食せしむ。
佐藤昭夫君より「『成城文芸』21日受取れ」と。鈴木睦美生「母病気にて帰郷」と。
高井洋子生より「家を出にくし」と。高橋三千子(2D)、梅谷京子(2D)より暑中見舞。相馬にもらひし朝日新聞よむ。
けふ『果樹園』来り、半自叙伝いやになりし。

8月10日
学校より柳田家のお通夜今夜19:00よりと。
成尾禧佐子(辻本夫人)より「今月3人目生れる」と。千川義雄より「『俳句作家』当分休刊」と。
『歴史地理学紀要4(800)』来る。お通夜にと香奠2千円用意し、出んとするところへ竹内家の姐やの電話あり、依子出てゆく。
折から集英社の鈴木・薄井の2氏来訪。『白楽天』はやくと也。
下北沢にて池辺家へ電話すればまだ帰らずと。香奠御自由にといひて柳田家へゆけば、中沢、高井などの卒業生も受付に立ち、今井氏もをり、琉球より鎌田女史帰り来しと。
栗山、百瀬、岡田諸氏来あり、あさって14:00にゆきて宜しきらし。
20:00出れば栗山博士と同車。保田の瑞穂、父のことをボケたといふ由。高藤武馬の子よりききしと。
帰りて入浴。茶漬くふ。

8月11日
白居易かきゐしに11:30電話あり。齋藤はるみ生、小金井まで来てゐると。すぐ三鷹へ迎へにゆき、平田稔子にあふ。
平田君いま帰宅しをり「玉野、よし」といふ。15日出発と。
そこへ齋藤生来りしゆゑ、独歩の武蔵野の碑「山林に自由あり」見せ、busなきゆゑtaxiにのせて家へつれ帰る。
山形県の東根市に3日ゐしといふに自衛隊のこときけば「気がつかざりし」と。
16:30までゐて夫婦して荷物はこび駅まで送る。
けふまた帝塚山の日にて坂根千鶴子、浅田博子、山口照子(西岡)の3生より暑中見舞。
藤井生、佐世保より。城平叔父、丹波道久より同。
野田宇太郎氏より8月末日までに『文学散歩』に3〜10枚かけと(電話せしに不在らしかりし)。
美堂正義氏より『骨』のことを『バルカノン』にかけと。
木村三千子氏より20日会ひたしと(のちほど父の忌日なることわかる)。
小高根二郎氏より野間光辰が「風格出て来た」といひしと。夕方、弓子帰り来り、るり子のこと知らぬ顔す。

8月12日(日)
礼拝にゆく。『エゼキエル書』よまる。悪人を戒め義人を戒めよとあり。
帰宅して城田生の暑中見舞を見、黒ネクタイして13:00出て渋谷をへて青山1丁目。
浅野晃氏に遭ひ、ともに斎場まで歩く。(前田課長20年ぶりに会ひしと喜びゐし)。
文化史専攻の子ら接待す。列立者の中に沢田四郎作博士あり挨拶さる。
五列にて焼香すみて沢田氏に弔意のべ、出れば高橋邦太郎、富永次郎、野田宇太郎の諸氏と会ふ。
岩井大慧その他名士多く、高橋さん富永氏と出てゆく。われ品川行の都電にのり、古川橋にて下車。
林富士馬氏に電話し(あさ電話かかり、まちがひ書きしと)、品川駅にて待ち合せることとし、駅着。
待つ中16:00前に宮崎智慧氏に会ふ。林氏来しと地下の食堂にてice-cream食べ、16:30taxiにてPrince Hotel(元北白川、竹田両宮邸と)。
5首ゑらんで評し、18:00となり庭に出てバーベキューとやら食はさる。
近くにをりし高橋(『季節風』同人にて石川信夫氏一生独身と)、饗庭2夫人と話し、
林氏より、春夫先生「伊藤(※伊藤佐喜雄?)の首切れ」と仰せありし(われ山岸の会の待合せの時、新聞よみゐし)ときく。
20:00林氏と早退。渋谷まで同車。女と会ふといふに別れて帰宅。戒めることも出来ざりし。林氏両親ともに長崎と。
(品川駅より母に電話せしに8月20日いづこへも参会断りしと)。

8月13日
家居。涼しき風吹く。ソ連人工衛星2つを運行せしむ。西村美那子より東孝子の主人、住友関係と。
辻芙美子より「かねての相愛の大阪商大につとめる人と9月末結婚、女子高校へ2回英語教へにゆきゐる」と。
柳井夫人より「主人15〜16日まで帰郷」と。山口勇より暑中見舞。家路阿津子より残暑見舞。
(悠紀子に木村夫人へ「20日着ホームで待ち、会へねば丸の内降車口待合室前にて待つ」との速達せしむ)。
平田へ転居の手伝にゆきし悠紀子、ひる帰り、午后またゆく。和田賀代嫗、この間の話またいふと。
(けふ朝早く悠紀子をして猿渡夫人に電話せしめしに「涼しくなるまで延すつもりなりし」と)。
午后の便にて福島恵美子生。高橋邦彦より『繭』の創刊9月5日と。
夕方修理出来しradioとりにゆく。川本静江より電話「あす15:00訪ふ」と。

8月14日
悠紀子、草とりしあと出てゆく。平田より電話「来てくれ」と也。
田中夫人よりまた電話。梅田惠以子夫人より「他人より良いことしてゐる云々」、悠紀子へは縁談。
松浦翠生より「中尊寺にゆき似たGuideに会った」と。神田信夫氏へ地図のことと喜一郎博士のこと。
午后、悠紀子また平田へゆく。
川本生15:00すぎ汗かいて来り、Bangkokの地図とananas1箇とうちわ1本、Wat Poの石ずり呉る。
『南方全集7』与へ駅まで送る。(小西秋雄氏より「三好達治への紹介状役立ちし」と)。
中央書房にて『インドの神話(110)』買って帰る。

8月15日
三野生より6日出しの航空便つく。「17日がウンジャミ(※沖縄の海神祭)」と。
けふ猿渡夫人に電話せしに「佐藤夫人より連絡なし」と。
16:00散髪にゆき、ソ連のVostok2台とも無事着陸とradio。

8月16日
三野生その他へ便りかき家居。白詩人名索引の半ばすみしのみ。齋藤はるみより「物送った」と。
田中雅子より「14日帰京(15日にclass会と齋藤のはがきに見ゆ)、石川の歓迎会、米沢夫人が世話する」と。
寿賀子より「20日本家へゆく。そこで会はん!」と。母ことわりしとは嘘なりし。

8月17日
家居。晴。竹内夫人、蓮台寺から「20日帰京」と。猿渡祥子生「近江、京阪にゆきし」と。
井上恵子「勤めゐる」と。齋藤はるみより海苔1箱。
夜、足立生より電話「西沢、渡辺とあす9:30来る」と。

8月18日
梅田夫人にことわりと写真。弓子けふ丹波清水へcampと。
9:30西沢、渡辺、足立の3生来り、明後日より西湖へsemi旅行一週間と。
渡辺生に『南方閑話』貸す。足立生、姉の縁談たのむとのことに、その中ゆきて会ふといふ。
柳井君より肥下の本は一周忌にと。岩田生より残暑見舞。
13:30、3人の帰りゆきしあと昼寝してゐれば、久保生来り「婚約せし」と。
駅まで送りcoffeeのませ、蘇峰『支那漫遊記(30)』買ひて帰る。
夜よりTyphoon12号の雨。7月末以来の雨なり。

8月19日(日)
台風の接近おくれ、雨降ったり止んだり也。
あさ多田文男博士より電話「ギリシアへゆく故、来週地図見に来ぬか」と。
あわてて神田信夫氏に電話すれば「火曜より旅行、岡田、松村2氏にたのみおく」と也。
礼拝に出席少なかりしも『エゼキエル書』有益なり。
帰りて林富士馬氏より「愉快なりし。『果樹園』はもらはず」のハガキ見る。
夜、多田先生に電話し、火曜13:00前、法政大学院前へゆくとなる。
史、よる黒部へ金曜までゆくと出てゆく。

8月20日
猿渡夫より電話「山中令嬢上京せぬか」と。福島恵美子生より「1万円位の下宿さがせ」と。
梅田惠以子夫人より「原稿送り返せ」と。山尾浩子より「石川夫人の歓迎クラス会に出られなかった」と。
けふ白楽天の江州までの旅をやる。14:00出て阿佐谷で下車。
東洋文庫の岡田君に電話し、あす12:30飯田橋で待合せいひ、ついで花井夫人に電話すれば「今夜大阪へ電話する」と。
阿佐谷の区役所前まで歩き、寿賀子に電話すれば「渋谷へゆきし」と。busにて東京駅。
coffeeのみて鳩bus案内所できけば、3時間半かかり22:00の汽車には無理と。
17:00の「なにわ」号到着、最先頭の車に木村(※木村三千子)夫人をり、八重洲口でjuiceのみ、東京towerへさそひ新橋よりtaxi(80)。
曇りて眺望わるく、食堂もよくなしとてbusにて新橋。銀座歩き天金にて定食550×3とbeer1本。
地下鉄にて上野まで送りて帰宅。下着もらふ。(けふTowerにて体重はかりしに42kgなりし)。

8月21日
8:00起き10:00出て立教大学。8月分手当もらひしに研究室無人。
中田氏のこと受付にて問へば、あとにて追ひかけて来らる。多田博士を識ると也。
古本屋を見、飯島にて『李太白(50)』、『ギリシアとスカンディナギア(50)』(あとにて虚子に贈りし署名本とわかる)、『移りゆく沖縄のすがた(180)』買ひ、『日本語の悲劇(100)』買ひして時間なくなり飯田橋。
12:30より50分まで待ち、東洋文庫に電話すれば11:30より待ちしと岡田君。
あやまりて多田博士に1人でゆき、お手伝受けて5万分1咸鏡南北道226枚と50万分1を4枚、20万分1を5枚借用し、駅前よりtaxiにて文庫(210)、田川氏にとへば、そばとってもらふ。岡田氏と調べしに会[寧]以東はなし。
17:00となり、ことわられて田川氏にいひて出、juiceのみ、家へ18:00すぎ着く。
筒井信義より同窓会の報告。鈴木睦美生、金沢へゆきしらし。山辺潤子より暑中見舞。
けふ竹内夫人より「高松へゆく」との電話ありし故、19:30出てゆけば松山、岡山のついでに寄ると也。ねえやの出にて夫人の眼でsignさる。 疲れて帰宅。

8月22日
9:00ごろ出て成城大学。松崎女史と会ひ研究室あくと安心す。
教務で月初より預りし呉れしは予想通り『清史稿』なりし。『成城文芸』きのふ出来上らず、今日丁度来しを2冊とる。
そのあと図書館にゆき馮応京『月令広義』さがし、白楽天関係3冊と借り来る。
階下に正宗、水谷2生と会ひ、やがて来し連中とにice-creamおごり、出てbusにて渋谷、東急食堂にて昼食し(悠紀子帰らざるゆゑ)、
山中嬢に会ひに明日夜19:00にゆくと花井夫人に電話し、吉祥寺駅よりtaxiにて帰宅。
国元生より残暑見舞。林dr.より『果樹園』の受取。ひるねしをれば悠紀子16:00帰宅。
阿部夫人(夫君乾六氏は昭和10年西洋史出にて深川高校長)死病を自覚せずと。
猿渡夫人より「土曜15:00築地東急会館にてはいかが」と。
悠紀子をして花井家へ電話し「よし」となれば猿渡家へその旨電話す。相手は祥子生なりし。
集英社の鈴木氏来り、小林太市郎の『王維』をまづ出さんかと。
22:30一睡後、猿渡夫人より電話「あす山中嬢に会ひたし」と。

8月23日
8:00花井家へ電話し「午前中にゆく。午后ともに猿渡家へ」といふ。
9:00すぎ出んとすれば猿渡夫人より「14:30以後来よ」と。11:00cameraもち花井家。
さよ子嬢われに会ひしこと2度と。厚君かあいく、13:00までゐて昼食よばる。孝博士大阪出張と。
電話かかり来り、母上「着物用意させなかったことを了解させよ」と。
15:00まへ猿渡家へゆき、御馳走うけ、あさって稲田姉上(夫君は大高・京大なり)と、われら夫婦付添ふこととなる。
16:00すぎ出て府中駅前で別れ、busにて小金井をへて帰宅。関口八太郎より着任挨拶。21:00史、帰宅。

8月24日
家居。田中久夫氏より「西太后みつけて買った!」と。木村三千子氏より礼状。
長沢生、加藤美智子生より残暑見舞。杉浦夫人にゆくつもりなりしも果さず。白楽天の「東南行」にて疲る。

8月25日
朝ね猿渡夫人より電話「佐藤家御本人と母上」と。江州の白居易かき、午となる。
鈴木淳子生、高遠りヱハガキ。13:00驟雨来り、出を控へしに猿渡夫人よりまた電話「東急会館ならず東急ホテル」と。
新宿より電話して東横口にて待合すこととし14:10稲田夫人とさよ子嬢来る。地下鉄にて東京駅。八重洲口よりtaxiにて東急会館(100)。
15:00に5分前、かっきりに猿渡夫人、ついで佐藤家。本人おとなしげにてアメリカ、ヨーロッパに旅行せし話す。
17:00まへ2人をのこして出んとせしに自動車呼び、「Lucky strike」10ケを賜ひ、東京駅にて分れる。
また夕立、吉祥寺にてありし様子。竹内夫人に電話し、諏訪氏わが速達見たが云々と。

8月26日(日)
賀代女史より電話、依子縁談をことわりしと。
大工さん来るかと思ひて礼拝にゆく。9月16日より求道者会と。『エゼキエル書』をよまる。
帰りて福留生より「咲耶に会ひ高知の悪口きいた。太田夫人には21、22案内受けた」との手紙。
笹井洋子生(2D)、帯広の十勝川温泉の家より。西湖畔の丸、渡辺、足立、西沢、川本の5生の寄書見る。
夫婦ひるねしゐれば、鈴木睦美生、わかめもちて来り、
房州の地代上る。9月より合宿して卒論かく。犀星の詩はやめ「杏っ子」以後かくと。送り出して駅までゆく。

8月27日
よべ睡眠不足。(ねざめして白詩人名索引つくりし)。
10:00出て杉浦家へ空き室ききにゆけば、名古屋の伯父■愁とて全家ゆきしままと。
小室家へ寄り、帰り佐藤dr.にて薬もらひて帰宅。
佐々木邦彦画伯より「青龍展」8.28〜9.9三越にてと案内ありしのみ。
『不二』の鈴木氏より電話「書をとりに高知の人あす来る」と。われ「書かず」といふ。
午后ひるねし、辻芙美子より喜びと、服部(※服部正己)の博士号とをいひ来るを見し。
藤田夫人より、石川喜久子1日23:00の羽田発。同日8:00大阪発の汽車にて上京と。われ迎へにゆくこといひし。
折しも服部三樹子氏来訪。「前川佐美雄氏知りゐるには非ずや」と。京都にて保田家へゆきしと也。
22:00藤田夫人より電話「石川夫人1日9:30羽田着11:00出発」と。仕方なとしいひやる。

8月28日
9:00すぎ『不二』の鈴木氏、高知の福富吉也氏を伴ひ来る。断りしも色紙おきゆく。『浪花のれん』4冊速達にて来る。
宮崎洋子生より残暑見舞。「まるぜん」の妹の家、賄付はだめと。夜、福島恵美子生へ「賄付なし」とことわりかく。

8月29日
朝、『果樹園』へと「半自叙伝」10枚ぐらゐ書けば寒気し、ふとん着てねる。午后、浅野dr.の往診乞ふ。
竹田龍児氏より学術会議に松本信広博士立候補につき来信。
ひるねして寒気なほり、熱はかれば38℃となる。浅野君、注射打ってくれ爽快となる。
夕食後、「半自叙伝」18枚とし、これにて中止とす。

8月30日
3:00ごろ「半自叙伝」20枚にかき直しうれし。
大工さん来り、注文ききて帰りゆく。あと何もせずにゐて、午ねせしに、大工さんまた来て門作る(2,500払ひし)。
夜、高橋輝雄来り、校正見せゆく。風邪なほらず下痢す。
(あさ角川より『ハイネ恋愛詩集』17版の検印紙4,500枚を5日までにと)。

8月31日
晴。わが51回目の誕生日。桜井栄章氏より9月3日の講演の案内(速達)。
姜照美生、日光のカトリック教理講座に来てゐる。聖心女子大生に会ひ、わが評判宜しときいた旨。
16:00三鷹へゆく途、腐蝕剤買ひしに気が変り、帰りて木戸に塗る。『ノンフィクション全集』来る。
20:30藤田夫人より電話「石川夫人9:30羽田着、出発は14:00」と。
22:00花井タヅ夫人より「見送りにゆけぬ、よろしく」と。


昭和37年 9月 1日〜12月31日 「東京日記14」

25.3cm×17.8cm 横掛ノートに横書き

9月1日
6:00起き、7:30悠紀子とともに出て、駅前でcamera忘れしに気づき、とりに帰ってもらひ、
われひとり渋谷、大森、busにて空港。国内線の標幟めにつきし故、下車してきけば8:30発といふのがすぐ着くと。
待てば石川喜久子2児かかへて出て来る。悠紀子の来るを待ちていらいらし、姉上2人来しゆゑ空港入口までtaxiにてゆき、
見つからざるに帰り来り、田中雅子に電話し(花井、藤田2夫人にはかからず)、ついで出んとするところへ悠紀子来る(10:30?)
taxiにて東京towerへ案内し(620)、順二郎君呼び出し、上りしも見る時間もなし、
下りてそば食はせ、来りし順二郎君、土産を与へてくれし。
busまで送り賜ふ(Olympicの時、石川の再来いへば「その頃はゐないかもしれぬ」といふ)。
新橋へ出、国鉄にて蒲田、またtaxiにて空港(200)。階上の改札へゆけば和田夫人、坊やをつれてをり、11:30ごろ来しとか。
石川ろくろく挨拶もせず空港のロビーに出て1[4]:00の発機をまつに林敏夫に遇ひし。
14:20すぎやっと出て来し喜久子、Daniel Deboraの2児かかへ、ふりむかず乗機。
和田夫人さそひ階上にてjuiceのみながら出発を見る。Pan-Americanのジェット機なり。
4人にてbusにて大森、品川、渋谷まで国鉄。別れて藤田夫人に礼の電話せしに他出。
暑ければ吉祥寺にて氷のみ、佐藤dr.に薬もらひて帰宅。
『浪花のれん9月号』来をり、林富士馬氏書く。齋藤はるみより石川歓迎class会出席少なかりしと。
帰りの電車にて悠紀子「石川Sandalばきなりし」と。哀れにてうれし。ただしわが礼拝の楽しみを嗤ひし也。
依子、国税の超過6,400払戻書わたす。竹内夫人帰宅。電話かけ来り、スワ家大家にて恐縮しゐる様子。
中西夫人、東大へ頚の病気の検査受けにゆきしと。感ふかし。

9月2日(日)
中西夫人の病気、藁の毒による奇病と。礼拝にゆき『エゼキエル書』に感ず。白鳥夫人より御帰宅「一度来れ」と。
杉浦夫人より電話あり「夕方またかける」と。
けふわれ、齋藤はるみ、太田陽子、藤田、田中と4同窓に石川喜久子の見送りをいふ。
竹内夫人に電話すれば「直接スワ氏に送れ」と。
(けふ森田副牧師先生より「洗礼受けるか」といはれ、「この次の機会に必ず」と答ふ。求道者会、さ来週よりまた金曜夜にと)
平凡社磯田秀子氏係に『アジア歴史事典10』代として1,545送ることとす。(写真、山中家の分出来)

9月3日
よべ杉浦より電話なかりしゆゑ9:00家を出て(猿渡夫人に電話すれば、おそいなと返事のこといひをりし。のちほど訊ねて申すと!)
久しぶりに会ひ「蕗子の就職、光塩学園にたのみあるも云々。名古屋の伯父83才」と。
鈴木正義「室蘭にありし」と。『柳田国男集』8回配本。
午后猿渡夫人より電話「嬢の気持いかに」と。「男の方よりいふが礼儀」といへば「お怒りになっても云々」と。
「佐藤家好感もつ、と前提してきいてみる」と答へ、夕食後、吉祥寺よりbusにて大泉学園。
それより西武にて花井家へゆけば「稲田夫妻下阪。妹はあまりよく云はれざりしも云々」。
写真多くおきて帰宅。バカらしきこと多し。
悠紀子をして猿渡夫人に電話すれば「女だから遠慮して云々と佐藤家に云ひし」と。

9月4日
よべ雨。朝、涼風吹く。『浪花のれん』へ「私は大阪人か」と200×6書き、高田和明氏宛送る。鈴木正男氏に写真送る。
果樹園社へ1,500送り「当分書かぬ」といふ。
阿南惟敬氏より「東海呼爾哈部について」かくため鳥取の島田好氏に会ひに行ったと。
福島恵美子生より「下宿の件了解」と。小室悦子氏よりも「無し」と電話ありし也。
昼ねし、いよいよ休暇の終りしを感じる。(中西家次男、嘔吐せしとて浅野dr.の往診乞ふ。奥さんより悠紀子へ浴衣地もち来り賜ふ)。

9月5日
暑し。眞野喜惣治氏より「講習にて20日在京。三宿寮にゐる」と。
13:00出てbusにて中野、またbusにて立教大学。
手塚氏に会ふ。学生、西田、田畑、西の3人のみ。西田、田畑の2君と喫茶。
田畑生は所沢に住むと。帰り、東洋文庫岡田氏に電話すれば「地図そのまま」と。
駅までゆき西武にて大泉学園。busにて吉祥寺へ出て帰宅。けふ32℃なりと。中西夫人悪性の瘍らし。

9月6日
曇。午まへ佐藤dr.へ薬とりにゆき、多田博士に地図の件の中間報告す。
福留生「8月29日太田夫人を再訪、よくしていただいた。10日までに来るかもしれず!」と。
藤田幸子夫人よりその中茅ケ崎の妹と来るつもりと。上村肇氏より「訳ならず。創作」と。キリスト教を識るものいひなり。
史にふときけば、この間渋谷にゆきしに母「克己なぜ来ぬか」と云ひしと!河野の子来をりしと。『白楽天』85枚。

9月7日
涼し。角の家(田島)引越す。鈴木正男氏より写真の受取。悠紀子、竹内夫人に電話すれば「もううるさくなった」と。
齋藤晌博士に「白詩100枚」と報告。松島生より「10日推薦書を」と。
20:00本田生より電話「あす13:00福留生と来る」と。吉川英治、肺ガンにて死去、70才と。

9月8日
涼し。白楽天かく。13:00本田、福留の2生、鈴木淳子つれ来る。福富、月ヶ瀬の茶、上野の漬物、土佐節賜ひ、鈴木生、高遠の饅頭、本多生は羊羹呉る。
16:00すぎ送り出し、ラカンへゆけばFilmの終りまた切れをる。けふは『民間伝承257』来しのみ。

9月9日(日)
礼拝にゆく。『エゼキエル書』すむ。帰れば『桃100号』と来てをり。
午ねし、悠紀子のとり来し写真の現像見了へしころ、山中父君より電話「サチ子嬢、交際いや。せ低く、女を見た云々」。
わが好感いひ、2〜3度つきあってはいかにといふ。あす帰りていふと也。
散髪にゆき「白楽天」100枚を越す。夜、松島生より電話「あす12:00登校」と也。

9月10日
竹内夫人より9:00電話「昨夜スワ氏より電話ありし」と也。
中西夫人、腫物悪性とて弟君仙台より呼ぶ。気の毒至極なり。
竹内夫人来り、意外にもこの間、夫妻同に高松のスワ宅を訪ひしと也。
「(※せっかちな)田中にしては(※返事の)遅きは(※見合相手が)不満か」と(※竹内好の弁)。
写真その他おそくなりしとのわがわび状つけて速達することとし、10:30家を出て成城大学。
庶務で定期6ヶ月の証明かき、会計にて4,500もらふ。山本書店より『辞海(2,050)』の送り状。
松島来るまでに弁当食ひ、図書館にきけば木内の本3冊来をり、山本の本も来をりと。本間来りしと話し、他は来ざることわかりし故、帰らしめ、水谷・正宗と話す中、渡辺も来る。なぜか不快なり。
出て新宿とへて荻窪。古本市へゆき『続修台湾府志6冊(480)』、『新日本見物(200)』と『楊貴妃とクレオパトラ(180)』買ひしところへ太田常蔵君挨拶す。
『南方の実相(50)』買ひて喫茶。高校教員は社会と国語とあまると!三鷹まで同車(川久保「和田先生およびしclass会せん」といふと!)。
帰れば『果樹園』やっと来をり。夜、後藤君より「満蒙史料の会12日(水)やる」と速達。
けふ宮崎生(鶴巻温泉「陣屋」の嬢)、青木(アメリカより帰りしと)、今井氏などに会ふ。
試験の届け最後なりしと教務の話。

9月11日
6ヶ月分の定期買ひ(7,020)登校。短大教へ、試験「2首を選び解釈鑑賞せよ」とす。
鈴木健司(相馬まだ帰らずと)、都留(前田浩子結婚でやめると)、
福島恵美子(下宿見つかったと。菓子くれしゆゑ『楊貴妃とクレオパトラ』返礼とす)などと話し、
浜谷より「月末class会する」との電話きく(中沢晴代に電話すれば不在。父君に本の返却のこといふ)。
中国文学史すまし多田順子嬢に父博士への礼いふ。ものごと中々旨くゆかぬ乍らまあまあなり。
『文藝春秋(35)』買ひ、虫めがね(120)買って帰宅。
(けふ高橋通子来り、母卒倒云々と。木曜放課後をゼミにせんといふ)。肥下みつる夫人より「金渡り、税200万円」と。
角川より印紙4,500枚の受取。夜中、中沢晴代より電話「木曜来る」と。

9月12日
9:00前家を出て渋谷をへて本郷3丁目。「ルオー」にて喫茶。立教大学へ休講いひ、
花井タヅ子に電話すれば「会の女ごとにふりかへりしと妹いひし」と。
古本屋にて『魯迅(30)』、『野草と栄養(30)』買ひなどして時間つぶせしに、時計おくれゐることわかる。
ゆけば阿南、神田2氏をり、岡本、田川、後藤の諸氏にて了りとなり、学術振興会の10万円の件報告あり。
すこしよみて神田氏退出。阿南氏に昼食おごってもらふ(神田氏台湾へゆくらし)。
busにて駿台下、集英社薄井氏に会へば「五言(※絶句)は2段に」といひ来しことまちがひなし。5冊分ほどそろひて印刷にまはすと。
われ急ぐもあとにせよといひ、内山書店で『晋唐二大画家(150)』買ひ『楊貴妃とクレオパトラ』買ひ、
水道橋まで歩くつもりとなり、中教出版へ久しぶりにゆき小山正孝氏呼び出し「詩やめた」といひ、「止めるな」といはれて別れ、
主婦と生活社により長尾良よべば不在。早川君よべば来客とのことにそのまま出、
渋谷へ出、多田邸訪ひ、夫人に御元気でと旅行の御挨拶し、順子生へと『楊貴妃とクレオパトラ』おき、
歩きて大地堂。荷風『罹災日録(80)』買ひて帰宅。
萩原葉子氏より「半自叙伝よんでゐる云々」。小高根二郎氏より「詩でも書け」と!
小西秋雄氏「三好達治氏より詩もらった」と。
けふ悠紀子、中西夫人より癌との話きくと。石田幹之助博士へ『成城文芸』の送り状かく。

9月13日
晴。9:00家を出て成城大学。中国文学教ふるまへ、わがあと歩みし短大生、侮辱の語吐きしゆゑ叱りしに「笑談なり」といふ。
11:35すまし、栗山部長に『辞海』の支払ひ手続し、昼食し、中沢生来るをまつに13:00まで来ず。
菓子もち来り『台湾旧慣 冠婚葬祭と年中行事』その他を返す。結婚のこときけば某大学院の修士課程にていつのことやらわからずと。
やがて根岸、猿渡、高橋来り、中沢生去りしあと高橋生と比島のキリスト教のゼミを行ふ。
すみて鎌田女史のところへゆき(石渡の生母のところへ川本、郷右近と近日ゆくといひに来し)、
丸重俊に遭ひ「近日会ひたし」と父への伝言たのみ、足立生の姉の縁談出来ずといひ、そのまま出て帰宅。
八百屋の前にて悠紀子にきけば東夫人、中西夫人の扱ひ方をきめ、そしらぬふりをせよといひしと。弟11月まで講習にて在京と。やや安心す。
太田夫人より来信。聖心女子大より「18日より始まり10月10日までに試験問題を」と。
けふも山中家よりの連絡なし。弓子bonusにてport-wine1本買ひ来る。
(けふ藤枝晃の姪、村松純子に敦煌の参考書4冊かす。松沢秀恒よこにゐて『法隆寺』かす)。

9月14日
聖心女子大まだはじまらざるにより家居。服部三樹子氏より中林に転居。代々木の高山化学といふに勤めゐると。
諏訪氏より「手紙見、母に送った」と。
ひるまへ悠紀子と浅野dr.にゆき、中西夫人のこといへば「精神的なものもあらん。舌癌ならいたし方なし」と。
母より電話、依子きけば「林叔母たほれし!」と。
18:30出て求道者会。『マルコによる福音書』よむこととなる。
帰り来ればノリヒコ君、浅野dr.より帰りて発熱39℃と。電話して往診たのみ、母に電話すれば丹羽みさ子も来をり、
河野よりしれしと。明日見舞にゆく、そちらは訪ねてよきやといへば、来て不可といひしことなしと。
浅野dr.来てアレルギー体質と。花井タヅ子氏より電話「妹ことわりつづけゐる」と。

9月15日
6:20起き8:30成城大学。田中久夫氏に会ひ『西太后に侍して(450)』をゆづり受く。小高根氏へゆくと。
11:00出て下北沢。悠紀子と会ひ、鰻丼くふ。山中母堂よりことわり状来り、写真入りをらず。
12:30東生田へゆき林叔父、みさ子、和子に会ふ。6日に発病、近くの大平女医にかかると。嫁妊娠しをり。
(ゆく途、右側下より高城君に声かけらる)。渋谷東横dept.。
暑く、母にゆけば西島家に無関心。一周忌に来るなといはざりし。
大阪で城平・艶呼びしは青木陽生のせい、その他矛盾したこといひ、大、下り来しゆゑ話やめ(離婚調停に出すと)、
小遣ひわたして帰り、下北沢でわれ花井タヅ子に電話せしに不在。
帰れば小高根(※太郎)夫人、齋藤晌博士より電話ありしと。
悠紀子、小高根夫人に電話すれば「(※依子氏の)写真またよこせ」と。
花井よりの電話に写真返せといはす。齋藤博士「20日13:00証人出廷」と。19日16:00学士会館にて会ふときむ。

9月16日(日)
眞野喜惣治氏より電話「すぐ来る」とのことに13:00吉祥寺駅北口にてといひ、教会へゆく。
礼拝のあと武蔵野日赤の神崎三益博士の話あり。
石川達三の『使徒行伝』より説き(岡山県人と)、疫痢にて嬢を亡くし、あと坊の疫痢にてわかりしと。悠紀子泣きゐる。
求道者会で共になりし慶応藤原工大の嬢の洗礼祝をすると約束す。
そのまま駅にゆき待ちしに眞野氏来ず。
14:00家へ電話し、中道をゆく半途、悠紀子電話ありしといふに引返し、taxiにて家へつれ帰り、3男を肺炎にてなくせし話きく。ふしぎなること也。
18:00駅まで送り、竹内邸にて夫人にスハ氏のこと話し、姐やの話きく。
齋藤博士へ19日17:00学士会館へとのハガキかく。

9月17日
10:30出、齋藤博士へ速達し、成城堂で岩波文庫4冊注文し、
昼食して13:00来し本間、姜、三野3生のsemiを30分づつわける。
本間生のsemiやる。(三野生、下関の海胆1瓶たまふ)。すみて東洋文化史。卒業album用の写真とらる。
暑き中を経堂にゆけば駅にて太郎氏に会ひ、氷のんで時間の加減をし、夫人に会へば26才の電気通信出のNEDの社員。2姉あり、1人息子と。
悠紀子にあさって返答さすといひ、出れば大江スミ子と嫗とに会ふ。来月叔母来ると。いま鼻炎と。
帰れば『近畿民俗』来りわが「唐代年中行事」の講義を披露す。

9月18日
9:30成城大学へ登校。短大すませ大藤教授より教授会欠席ときき、栗山部長に伝へ、
中国文学史すませ教授会(村松生来り、敦煌の講義毎土曜日ときめる)。
岩下島(※岩下志麻)と前田浩子の退学可決。学科構成を教室の不足とにらみあはせ、次の教授会にいへと。
すみて松村達雄君と会ひ、ともにGrisiaにゆき喫茶。
齋藤勇博士の女婿平井正穂氏に紹介受く。日野月先生、新潟では不評判なりしと。
出て松村君傘わすれしと帰りゆく。(この間夫人盲腸炎とて森良雄氏に往診乞ひしと)。
悠紀子けふ天沼にゆき、数男「礼拝にゆきたし」といひしと。公平女史にほめられしと。
林敏夫より報さざりしわけいひ来る。依子「あのいひ方ではすなほに答へられぬ」といふ由。
(村上美智世(※卒論に)堀辰雄をかくと)。

9月19日
石田幹之助先生より「心臓病にて虎ノ門病院に入院中」と。
薄井夫人より悠紀子に来てくれなくとも可、体重ふえたと。
小高根夫人の話(※見合の件)、わがいひ方ではきけぬと依子いひ、断りにゆくといふに、悠紀子[が]叩けば
「それでクリスチャンか」といひ、よけい叩けば
「おまへもクリスチャンなら某女(※八木さん)を愛せよ」といったと。
出て駅前でライスカレー食ひ、時間足らずなり、立教大学に電話し20分遅刻といひ、
15:10ゆき16:00までやりて出、駅前より都電にて学士会館。
齋藤博士来られ明日10:30児島事務所にゆくこととなる。あまり自信なきやうなりし。
申立てて内山に『元白詩選(200)』買ひにゆき、都電にて渋谷に出て帰る。
けふ中西夫人入院せし日なりとて夫人癌研へゆかざりしと。

9月20日
9:00出て渋谷より地下鉄、新橋で下車。児島平弁護士にゆけば齋藤博士をられ、
いろいろ予行すませ、地裁にて別れ、第一弁護士会に丸訪ぬれば見つからず。
地下で昼食し、法廷探す中、児島氏に会ひ5階とわかる。橋本女史赤ちゃん(一穂と)連れて来る。
13:30開廷、2人にて申誓す。東洋大学側岡本理事(獅子吼会と)弁護士など。
証人は竜山氏と大野課長とともに欠席。われ旨く話せしと思ふ。人名はみな忘れしも助けてもらひし。
そのあと岡本よりの質問に「先程、下むいてゐたといふが多数どうしてわかったか」と。「そりゃわかる」と答へし。
早坂一郎博士を次回(12.6)に呼ぶこととなり、わが教授会記録確認委員に21日選出とのことよかりしと思ふ。
齋藤氏不満気なりしも、児島氏より「よろしかった」といはれ、別れ告げて丸にゆきしも連絡とれず。
渋谷(※弟宅)に電話し、宮崎氏訪ひ、キリスト者として勤めしといひ、お茶よばれて帰宅。
極東書店より「吏文の写真版出すが末松先生より語彙つけるのがよしときき、貴下作製のものつけてよきや」と。
宇宙風短歌会の名坂氏より「23日13:00の会に出てくれよ」と。
文学散歩友の会より「差額払へ」と。悠紀子けふ病友見舞しも会へず。
帰宅あたかも浅野dr.の帰りゆくところにて、栄養注射せしとて容態告げ入院すすむることとせしと。東夫人にもいひ、26日入院ときく。

9月21日
11:30出て聖心女子大へゆく。busにて新津米造先生とともになり、この間松村と話せし中島教授のこと話す。30年をられしと。
青山博士おいでなれば加藤先生のことかきし『果樹園』わたし、田中保隆氏に杉浦蕗子の履歴書わたし、2時間講義。
8,9月分のsalaryもらふ。15:00すませ(香港へゆく故、広東語習ひたしといふ学生ありし)、電車にて渋谷。
東横dept.にて二十世紀(300)買ひ、また都電にて虎ノ門。虎ノ門病院406号室に石田幹之助先生をお見舞し、また都電にて山本書店。 
先日の『鄭和航海図(140)』、『海道針経(310)』の払ひすまし『明清筆記談叢(320)』、『七修類稿(640)』、『石点頭 (220)』買ひし、
新宿行にのり四谷より急行にて吉祥寺へ18:00つき、家へ電話し、
すし食って(110)教会で悠紀子と会ひ、藤井嫁と3人『マルコ福音書』の講義を受く。
けふ浅野君また来診、注射打ちしあと中西夫人悪寒生ぜしにより電話せしと。
竹内夫人より電話「26〜28の3日間あけよ」と。
(けさ浜谷より電話「29日class会する」と)。
高橋通子より土曜登校できずと電話ありしと。極東書店へ「宜し」と返事。

9月22日
6:30起き、8:20登校。松崎女史おそく、会計せき立てし形にてsalaryもらひ、田中久夫氏に『西太后』の代金450払ひ、
史学研究法、鐘の鳴るまでやり、村松生まちしに来ず。本間、三野見て呼びしも来ず。
田中久夫氏と出て下北沢。チャーシュウメン食ひ『支那民族論(100)』買ひ、
分かれて吉祥寺、『何でも見てやろう(180)』買ふ。小田実は宮崎氏の同級生の子と。
帰りて悠紀子と相談、竹内(※竹内好)夫人に電話すれば外出。
19:00出てまた電話しきけば、埴谷雄高夫人をり、依子を「しっかりしてゐる」といふ。
中西夫人のこといひ、26、27日竹内家で諏訪氏と会ふこととす。依子、埴谷夫人に“美男子論”せし様子也。

9月23日(日)
礼拝。聖餐式あり。求道者会の同朋田口祥子嬢(吉祥寺1578)とわかる。
すみて帰宅。昼食とり国鉄にてお茶の水。高橋通子に電話すれば「父良し」と。
雑誌会館の「季節風」の会にゆけば名坂八千子夫人、安藤彦三郎氏のほか婦人2人。
14:30石川信夫氏来り6人となる。われ紅松家に電話すれば夫人、
「沼津の両親と会に出て夜帰る」とのことに15:30までゐて出、渋谷をへて帰宅。(丸に電話せしにこれまた不在。)

9月24日
10:30出て成城大学。浅沼助教授と同車。高橋邦太郎氏来らる。高橋、姜、本間3生を指導。
渡辺生に野田宇太郎氏に紹介のこといひ、のちほど電話せしも他出。
東洋文化史すませ、鈴木睦美、本多の2生と話す。鈴木、この間教会へゆきJesus Christを信ぜずといひしと。
本多座禅はよくなしと。三野生来り『朝鮮の巫俗』をくれといふ。3人にてOrissaにゆき喫茶して別る。けふ〒なし。

9月25日
10:00成城大学。短大にて「陽関三畳」うたふ。午、高田、栗山氏に杉浦蕗子のこといふ。
中国文学史すませ村上美智代に10月2日『四季』見に来よといひ、
多田順子に『ギリシアとスカンヂナヰ゛ア』与へんとすれば「勿体なし」と。
(大藤教授に学科のこといひ、柳田文庫を貰ひしと吉きしらせきく)。
出て「車」にゆき相馬のこと問ふもmadame代りしらし(旧太田氏)。
駅のプラットにて待ち(図書館に一時借りし芥川返すをわすれ電話す)、14:20来し悠紀子と卵もちゆく。
叔母ものをいへるやうになり脳膜炎と。叔父よりきけば調停委員の世話を叔母してくれしと。
毎月金おくりゐると。吉祥寺に16:30つき南口の古本屋にて本庄『日本社会経済史(30)』、『国史学特集号(80)』買ふ。
杉浦家に寄り「蕗子第二双葉に決まりし」とききしあと也。
(けふ成城堂にて岩波文庫4冊『大君の都 上・下』『わらしべ草』『西東詩集』受取り、帰りて柳田家よりの『先祖の話』受取る。)
渡辺より電話「野田氏にはまだいへざるも、あすゆきて会へ」といひ、京都新聞の柳野君の電話きき金曜聖心へ来るときく。

9月26日
中西夫人、癌研にゆくとて自動車呼ぶ。われ野田宇太郎氏に電話し渡辺生の世界文化社への紹介たのむ。
中西夫人出てゆき、われ9:00出て東大前『同和対策(30)』買ひ、田川氏らに極東書店の『吏文』のこといへば「売れざらん」と。
12:00すみて神田氏と昼食。台湾へは来月末らし。岡田君も同行か。
別れて『支那叢話2(50)』、『泰国風物詩(50)』買ひして地下鉄にて池袋。
手塚氏と話し、207教室にゆけば女3男1のみ。冬至まですませる。
(けふ卒論中間報告の表見しに東洋史2人とも地理に逃げし。)
さそひて(けふsalaryもらひし)駅前で喫茶。国鉄にて西田、杉山(千葉市住)2生と同車、
さそはれて吉祥寺まで同車し、帰宅すれば竹内夫人より連絡なく、渡辺より「会へざりし」との電話ありしと。
18:00またかけるといふに45分まち竹内夫人よりの電話もなきゆゑ、悠紀子にかけしむれば、
「スワ氏いま東京へ着き、あすも忙しく、あさって」と。
渡辺より4時間目すむころゆけば野田氏講義なく帰宅と。家へ電話しゆけとすすむ。
小島樹氏より「神奈川県関係の詩歌なきや」と。
東京自彊会より10月9日(火)18:00より代表幹事会すと。名坂八千子より礼状。
(けふ立教にて手塚氏、西田生とともに柳田文庫の成城大学への寄付をいふ。朝日に出しと)。

9月27日
たまりゐしハガキかき、午后は山中母堂に「写真かへせ」といふ。
中西夫人ひるごろ帰り来り、通院いはれ同患を見てやや元気回復と。
〒なし。13:00高橋生より電話「semiの約束やぶった」と。
われ忘れしといひ家へ来よといひしもきかず。土曜登校のこととなる。
また三浦女史より電話「萩原葉子氏と日曜午后来る」と。
16:30出て写真の焼増たのみfilm入れてもらひ、佐藤dr.に十二指腸潰瘍なほり胃弱として扱ひたまへといひ、
薬かへていただき写真とりしも、まただめとわかる(正月とりて写らざりし)。

9月28日
あさ竹内夫人より電話「依子を13:30二幸によこせ。兄にも会はせる」と。
われら夫婦とは20:00竹内邸にてとなり、昼食たべて12:20聖心女子大へゆけば、
柳野より電話あり「12:30来る」とのことに、玄関にてまちしも13:00まで来ず、助野氏出て来て、
「すでに会ひ用すみて帰りし。貴下は欠勤かと思ひし」と也。
あすbazaarとてその準備とて週一回の講義のみありと。Tを15分やりUも30分きりてすませ、
渋谷道玄坂の古本屋見て『世界市大年表1(50)』買ひ、しるこ食って帰宅。
柳田為正氏より夫人と1児つれてアメリカ留学の挨拶。
平田稔子より「物価三倍」と。悠紀子18:00近く帰り来て肝臓がんのアベさん見舞ひしも絶望と。
18:30出てbeer6本(70×6)買ひて教会。マルコ伝よみてtaxiひろひ竹内家。
スワ君と依子20:30着き、竹内22:00帰宅。その中(※遊びに)名古屋へやることを約して23:00帰宅。

9月29日
9:00出て成城大学。ゆく途猿渡祥子生と同車。昨日のわびと礼をいふ(出がけ猿渡夫人より電話ありし)。
高橋通子とGregorio F. Zaide『Philippine political & cultural History Vol.T』よむ。
11:30すみしと思ひ、パン買ひて食ふ中12:30なることに気づき、
早々にして千歳船橋の駅にゆきしに、悠紀子、数男に礼拝の説明にゆき13:45来る。
河野(浜谷)邸へゆけば古田、二児の2上京のみをり、井上律子新中野へ転居とて来ずと。やがて山本恭子と増田幸子と来る。
船橋の「早っぺ」より電話、出て話せしもわからず。
16:00出て帰る(河野夫人よりタバコ入れと茉莉茶ともらひし)。
丸に電話せしにまだ帰らず。石川信夫氏より「宇宙風」にかけと。けふ『繭』もらひしも置き忘れて帰る。

9月30日(日)
礼拝に行き、帰り田口嬢に「この次の日曜受洗のお祝ひに呼ぶ」といふ。
12:00萩原葉子、三浦久子の両氏来訪。『果樹園』に三浦氏を加へんとの挨拶か(※写真参照)。われキリスト教に専念すといひし。
15:30両氏送りて駅へゆき、(その間竹内夫人より電話あり、依子ゆかす)、名店会館にて茶器(850)買ひて紅松家。
長男の結婚祝とす。洗礼の献金3千円位、会員の献金紅松君は800円と。
長男と花嫁の挨拶受け、竹内家まで歩き、夫人に会へば依子帰りゆきしと。
家へ電話して夕食くへといひ、話きけばスワ君より「両親何といったか」と。
3月頃結婚したきゆゑ早く話を運べと高姿勢なり。不快なれど早くはこぶをいひて退去。
このごろ『月令広義』抄す。田中雅子、和田節子2夫人に石川喜久子母子の写真送る。

10月1日
11:30出る。『不二』来しのみ。13:00より1時間ドイツ語試験の監督。
(大藤氏、栗山部長に話せば「西洋文化史来年休むこととせよ」といひしと)。
すみて三野生のsemi。姜生来らず。本間生も同。(渡辺らに写真わたす。渡辺、野田宇太郎氏に15日会ふと)。
帰り下北沢下車。大地堂に寄りしも本なし。若葉弟に会ひ「鴎外特集号ほし」といふ。
依子けふスワ兄、大江へゆきしあと渋谷へ泊ると電話。

10月2日
10:00よりの試験監督にて8:30家を出、短大2国の中国文学に10:00入室すれば早すぎたり。
すみて福島生の帰郷するといふをきく(姜生をゼミに呼びしも来ず。本間生に電話す)。
14:00までまちて教授会。新校舎にsteam設備やめんとのこゑありと。
松浦君の西洋文化史来年はやめとなるらし。出て帰宅。
けふ一日讃美歌284誦しゐしに悠紀子熱湯をとばせしを叩き、服部三樹子来しあといきさついひて嗤はる。
山中家より佐藤氏の書類かへり、こちらもけふ速達せしと。田中雅子より写真の受取来る。

10月3日
花井タヅ子に石川夫人の写真と「受取った」と。13:00出て立教大学。手塚氏と話す。講義に女生4人。
すみて『ことわざの真実(70)』買ひて帰宅。けふ散髪せしに280!
夜、田口祥子嬢に受洗祝を6日(土)15:00よりすとの案内かく。

10月4日
9:00村上美智世来り、堀辰雄のこと訊く。
12:30出て宮崎教授の補助にゆき、1時間待ち、中島銀兵(NTB入社と)、松沢(大洋漁業)の2人のC組と話す中、時間来れば宮崎氏「補助不要」と。
傘もちて帰れば村上生をり(山田俊雄氏、吉祥寺へ本買ひに来し)、16:00帰りゆく。
けふ『骨20』来り、わが「父の骨」1,3,4,2と組み、意味不明となりをり。
毎月500づつ会費出すこと賛否を問ひ来る。出してやめるといふ。

10月5日
雨。杉本長夫氏に『呪文』の受取。東洋文庫より朝鮮学会をかねて展観。13,14に行ふ旨ありしのみ。
11:30出て聖心女子大。すまし渋谷で古本屋を見て帰宅。求道者会にゆき帰れば坂根千鶴子来しと塩こぶ置きありし。
電話かかり「来よ」といへば来る。白水胖君を同伴す。

10月6日
8:30出て成城大学。岡田助教授の試験監督を手伝ふ。すみて待つうち高橋通子に電話すれば無人。
やがて来しに読んでやり、14:00となりて出て野菜麺くふ。
家へ帰れば15:30。村上美智代より礼状。田口祥子氏より「17:30来る」と。
18:00ごろ来訪。学説に長老うるさくなかりしと。
成蹊より藤原工大にゆき浦和に勤めゐる。母教師、父本郷薬局に勤めゐると。21:00悠紀子送りゆく。
けふスワ君より依子に手紙。小高根夫人より「月曜までに返事を」の縁談(悠紀子、猿渡家へ写真かへしにゆきし)。

10月7日(日)
9:30出て9:55まで教会の前にて数男まち、入りて礼拝了り、うしろ向けばをり。田口嬢にも挨拶し、駅への道教へて帰る。
高橋重臣氏のRoma9月30日出せし「10.7夜、羽田着、8日朝神田の明神館に電話せよ」とのハガキ。
鈴木睦美生の「キリスト教にはこだはりのない世界ありや否や」のハガキ見て、
丸三郎訪ね、煦美子の写真返却。勤めゐる由、証人の上申書は必要なからんと。
15:00出て赤川氏(※赤川草夫)を訪ね、問へば肥下旧宅ありと。
案内してくれるとのことに16:00ともに出て、ありか全く忘れゐしに気づく。
現住者にことわりて写真とり、すみて石丸静雄氏といふを探せば向ひの夫人「4年前、三鷹に移り、電話あり」と。
駅前にて別れて帰宅。けふ丸重俊5年生にかるつもりとのことにて失笑す。

10月8日
夫婦8:30出て、久我山より明神館に電話し、1時間してゆくといひ、渋谷よりお茶の水まで地下鉄。
ゆけば夫人と従弟と3児あり。朝食くひをり、絵ハガキ見せられアメリカの話きく。海老もかずの子もありと。
11:00写真とりて出(奈良漬1折もらふ)、駅前にて昼食し、新宿をへて登校。(悠紀子は小高根家へことわりにゆく)。
鎌塚氏の教育学の監督し、すみて帰宅。(大藤氏、田中久夫氏をへらさんといふ)。
大江叔母より依子に「3日たほれた。16日の上京未定」と。
『浪花のれん』来り、巻頭に「私は大阪人か」のせる。
梅田夫人の随筆を巻頭にのせし「消息」も来あり。悠紀子、大江より17:00帰宅。
この間の花嫁候補の父、住友アパートのききあはせに狂気のタヌキの評判よすぎて断りしと!

10月9日
よべ炬燵いれそめし。大江叔母へ見舞と「預ってくれ」。梅田惠以子、古今評論社へハガキ。
11:00出て成城大学。13:00まですることなく、都留生と話す。
百瀬教授の補助監督5分にてすみ、大藤教授と来年度科目につき教務課長に会ひにゆけば会議中。
14:00となりても高橋通子来ず。家に電話すれば「20分前出し」と。姜生に電話すれば不在。母上に「よこせ」といふ。
高橋生とよむ中、大藤教授再来。課長に会ひ来年度大藤氏の「民俗学特講」と田中久夫氏の「日本文化史」やめることを通告。
高橋生すまして16:30出て内幸町の住友銀行下の「大阪」といふへゆき、1千円寄附し、18:30より同窓会の相談。
西山安三氏と隣り、矢野兼三氏の向ひ、伊原宇三郎、佐伯誠三等5回生多く、
会長長川瀬一貫氏の下に矢野、佐伯2先輩とならび西原直廉を副会長とす。
21:00散会、われrain-coatを忘れて出る。

10月10日
よべ4:00まで眠れず。朝鮮の年中行事のnote作る。
7:30起き9:00出て東大。向ひの古本屋にて『不屈のうた(30)』買ふ。岡本氏読む。すみて昼食。阿南氏と喫茶。
地下鉄にて立教大学。1時間待つ。(けふ向島(※白鳥)邸へ電話せしに、芳郎教授出て、清先生目黒と。あす朝伺ってよろしと)。
16:00すまし、地下鉄にて西銀座。昨夜会せし「大阪」へゆけば「rain-coat幹事に渡した」と。
中川君に電話すれば「下宿かはった」と。岡本君に電話すれば「山へ行った」と。「rain-coat田中忘れた」との伝言たのむ。
けふ『果樹園』来り半自叙伝すみをり。眞野喜惣治氏より礼状。

10月11日
9:00家を出、渋谷へ10:00前着きしに店みなしまりをり、白鳥家へ「おくれる」と電話し、果物籠(1,000)買ひ、
busにて八幡小学校前で下車。新築のお宅訪ぬれば清先生このごろ目黒泊りと。夫人にキリスト教のこといふ。
芳郎教授に立教の後事をといひ、写真とりまいらせ、すしよばれ、
13:00出て自由ヶ丘駅まで歩き『文藝春秋』と新垣淑明『中国文学(40)』買ひ、電車にて帰宅。
服部三樹子氏より「ハガキ見た」と。自彊会より1千円の受取(コート預りをり)。夜、矢野君より電話「同窓会11月23日」と。

10月12日
11:30出て聖心女子大。青山博士に白鳥家の本のこときけば大切に保管してありと。芳郎氏にいふ故、仲介たのむといひてすむ。
写真「あとで学長と一緒に」と委員よりきき、1時間すませしあと、一人にてとられてすむ。
空腹のためだるがって吉祥寺。coffeeのみて帰宅。〒なし。
19:00求道者会に出、「奇蹟を新解釈する」嬢の話きく。(畠山のり子「あす午後来る」と電話)。
夜、スワ君より依子へ電話「母君22日上京」と。

10月13日
眞野喜惣治、鈴木睦美2君へハガキ。
齋藤晌先生に鳥山、辛島2氏と早坂博士の委員選出が多数の証拠なりしをいふべきだった。早坂博士にお願ひしようかと手紙。
石川喜久子へ写真を航空便で(80)、影山正治氏へ『果樹園』。
12:00畠山のり子嬢来り、関口師団長16日上京と。父と弟のこといふ。
15:00博光来り、500円を8千円とする法を説く。史、帰り来り相手する。
20:00悠紀子を佐藤dr.に薬とりにゆかしめしに、すでに閉づと。
数男より電話、あす教会へゆけず。9:00吉祥寺駅にて賀代女史よりの預け物わたすと。
22:00岡本君より電話、あす14:00rain-coatもち来り賜ふと。
肥下夫人に(※東京時代の旧宅の)写真を封し「『コギト』一そろひ呉れるや」と訊ねる。

10月14日(日)
悠紀子、数男に会ひに駅へゆく。教会で会ひ礼拝すませ、
(「主のあなたに求められることはただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか」ミカ書6-8)、
竹森先生にクリスマスの洗礼の意思いふ。近日面会を指定されると。
雨ひどきゆゑ遠藤道具店にて傘借り、買物して帰る。赤川、萩原2氏へ写真つつむ。
姜生より欠席のわび。東孝子、上高地の新婚旅行よりヱハガキ。
花井タヅ子より坊や病気したと。矢野より11月23日のclass会宇治でと。
13:00中川君より電話「18:00来る」と。夜来り、夕食せしむ。(依子、竹内夫人に呼ばれてゆく)。同伴は住吉とて慶応なりし。
西原直廉へ副会長に推薦の事情いひし手紙かく。

10月15日
雨。ゆきがけ佐藤医院へ薬とり、写真差上げ礼いはる。12:00ゆきて河野(浜谷)弘子に電話せしに返答なし。
池田、高城2氏に自彊会のこといふ。12:30より14:00まで姜生に『三国史記』よんでやる。
14:10すませて東洋文化史。けふより「朝鮮の年中行事」なり。
15:10すませフランス語の新倉氏に相馬の点きけば55点なり。
三野生に卒論の概要きき、出て河野家に電話せしも無人。
吉祥寺にてRyukyuタバコ「Queen(50)」買って帰宅。
高尾書店より田中万兵衛『淡路方言研究』淡路へ売れたと。けふ矢野光子に会ふ。

10月16日
ゆきがけ下北沢駅にて矢野君に電話し「whiskyご馳走になりたし」といふ。
午、電話かかり「明日18:00来よ」と。帰宅して自彊会報見る。
記念の「生長」は11回笠置氏の作にて11期は寄附1人なり。
19期と5期とを多く出す。史、どこやらより松茸2箱。アレクサンドリア(※マスカット)1箱もらひ来る。
けふも河野夫人に電話かからず。古田嬢と2軒に写真つつむ。
(けふ大江へ寄りしに叔母14:30東京着とて村田夫人出てゆくところ、たのまれて正博にカギとどけ、
小高根家へ寄り『長江積雪図』借る。足達家のこと紹介す。
次いで山田昭一家たづね、相馬をさとす。佐野教授の英語21点、新倉氏のフランス語55点なりしとわかりし也)。
中央公論社へ電話し、倉石『中国文学史』の在庫を問へば「あり」と。

10月17日
依子をして松茸を矢野家へもちゆかす。大江叔母より電話なし。
依子出てゆきしあと「朝日年鑑」よりの問合せに答へ、
12:30出て久我山にて探し、交番でききて魚屋の安藤政吉上等兵(看護兵)に会ふ。思ひ出して詩人といふ。
Beer出さんとせしもことわり、立教へ大急ぎでゆく(ルマサキ会員名簿といふをくれし)。
3人の女生のみ。すませて松浦助教授に会ひ松嶋のわび伝へ、
来年度の講義のことにて大藤教授に会へといひしに9月より洋行と。
coffeeよばれ、古本屋見て『Reading from world religions(50)』買ひ、渋谷、
明大前をへて矢野家(渋谷にて本間生に「あす来よ」と電話せし)。兼三閣下すでにあり。依子の松茸持参しあり。『銃口に立つ』いただく。
帰れば依子「大江叔母あまり良き返事せざりし」と。あすゆくこととす。高橋生より「あすゼミありや」の電話ありしと。
(関口に電話せしに「椿山荘にあり」と。「丸に電話せよ」といふ)。

10月18日
登校。身体検査のため休みなりしことわかる。
(高橋通子に電話して呼ぶ。白鳥芳郎氏に電話して、聖心女子大に本無事、青山博士にいへといふ。清先生に辞任のことは通ぜしと)。
2Dの武田(山形)、笹井(小勝川)の2生来り話し、本貸す。Prince Hotelにて写真とりし子なりし。
フランス語の新倉講師と話し、いま一人と中島健蔵のこといふ。
出て川本静江らと逢ひ(丸重俊にきけば関口よりの電話なかりし模様)、「すみれ」にてcoffeeのみしあと大江へゆく。
艶叔母、田中城平一家と縁切り、勉の縁談も叔父ならびに勉にまかせしと。
辻夫人の親友といふが来り、タヌキを家政婦としておけといひ、叔父怒りしと。われ全面的に賛成せしあと帰る。
依子を伊勢に送れとなりし。

10月19日
依子「母君の意見など問題でない故、伊勢に早く手紙出せ」といふ由。竹内夫人「この好き縁談をのがすな」といふ由。
川崎菅雄より案内、高垣、杉野のを同封す。東方学会京都支部より案内。京阪東洋史会よりも出欠問ひ来る。欠席を答ふ。
(福地邦樹君へ、文学やめたのハガキかきし)。
18:30出て求道者会。藤井、小室2学生とわれら2人也。帰途悠紀子寒気し、われ入浴。

10月20日
雨。8:30ゆき9:00より史学研究法の講義。すみて山田俊雄氏より『キリシタン研究7』と『日本の文字』もらひうれし。
川本静江生『走湯権現記』をよます。副手になるやときけば、いやでもなかりし様子なり。
12:00すませ田中久夫氏と話しsalary出るを待つ。図書館へゆき『癸巳類篇』借出す。
若菜イナヲさそひ成城堂の払し(900×0.95)、若菜生と茶のみつつ文学散歩の会費払ふ。
了りて駅へゆけば悠紀子をり。林家へゆけば叔母ふとんの上に坐りをり、次女脱臼とて入院しゐると。
毎日14:30よりの面会ゆるされゐるのみと。出て下北沢散歩せんと思ひしに休店日。吉祥寺にて本屋を見、『心』5冊(120)買ふ。
けふ齋藤晌氏より「心配いらず」と手紙。11月11日東洋史談話会の出欠問はる。これも欠と答ふ。
(けふ極東書店より『吏文辞彙』の残部後藤君のもとにあるを頒けよと。水曜相談せんと答ふ。西川家に電話せしに英夫重役帰らず。電話かすかと。)

10月21日(日)
竹内夫人に電話してきけば、午后スワ君母君来ると。礼拝にゆき帰れば山口玲子、堀井姓となり日光よりヱハガキ。
萩原葉子氏より写真の受取。
14:00竹内夫人より「今出たのしらせあった」と。
14:30電話かければ来てもよし。15:00出て依子に菓子かはせ、わざと歩いてゆく。
父君頑固にてつきあひわるし。澄君もそれに似をりと。17:00までききて吉祥寺駅駅へともに出て別る。
24日依子、兄宅へゆく約束せし。史、ブドウもちて河口湖より帰り来る。

10月22日
よべ少し不快なりしも機嫌直して11:00家を出(天理の薮君より小説『魔像』来る)、姜生にゼミ。すみて西川英夫に電話せしに不在。
東洋文化史きもちよくすませ、越智生より卒業すれば洋行ときく。
大藤教授にあすの都合ききにゆく。京都の平山氏来会せゐたり。
ふと気がつき大江の艶叔母にきのふの見合の報告にゆく。タヌキはいやと勉いひしよし。
スワ夫人の言、愉快ならざりしをいひ、伊勢へ依子をやるといふ。叔母24日飛行機にて帰阪と。
帰宅すれば依子と悠紀子と竹内家へゆきしと。電話かければスワ3男君行方不明と。かまはずといふ。
肥下夫人より11月上京と(肥下の遺文集に30万円を用意すと)。
古田房子より「写真よく出来をり。浜谷の兄死に、帰阪しゐる。武居生結婚して東京にあり」と。

10月23日
9:00出て10:00登校(よべ少眠、アルコールきれて困りし)。
短大の漢文すませ、点ききに来し中に佐藤生は帝塚山に居り、長沖、西宮2氏識りをり。
午飯くひ(大藤教授に松浦氏紹介せしに、来年後期の後任に若き高校講師を推薦せしをことわらんと。
渡辺生、新聞よまざる故、入社試験に落ちしと。川本静江を副手賛成と。けふゼミの説明会と)。
中国文学史教へにゆく。(多田先生帰宅されしと。西川英夫「大阪へはゆかず。案内書転送するゆゑたのむ」といふ)。
高宮生と「車」にゆく。新々ダムに相馬との連絡の礼いふ。
帰れば三田村泰助氏より「初期満洲八旗の成立過程について」の抜刷。集英社鈴木省三氏より「白楽天いつ出来るか」。
依子、経堂(※小高根家)・渋谷(※叔父宅)をへて帰り来り、
伊勢せまくて駄目と母いひし。大江叔母とわれの猜疑心強きには呆れると泣きゐし。さとしてねさす。
川崎菅雄へ「11月23日ゆかず」の返事かく。(けふ白鳥先生whiskyもって午まへお越しと)。

10月24日
三田村泰助氏へ「初期満洲八旗の成立過程について」抜刷の受取。
8:30出て駅前で野田宇太郎氏に渡辺生のことたのむ。『文学散歩』送ったとのこと也。
渋谷にて白鳥先生に電話すれば「明日15:00来よ」と。地下鉄にて本郷3丁目。
大山堂にて『自由中国の表情(100)』買ひ、5名にて神田氏のよむをきく。
田川氏来り、極東書店の件われに「任す」となり。
写真とりて昼食。神田氏、岡田、松村2君と来週渡台と。琳琅閣にて『満洲国の習俗(150)』買へばdoubleなりし。
阿南氏と喫茶。立教にゆきsalaryもらひ、10人あまりの出席者に16:00までやり、4年生2人にreportの説明す。
小林君、階上にをりし。飯島にて『植物渡米考(120)』買ひ、駅前で散髪(120)。
帰れば岡田先生の奥様よりこの間「望の湯」まで来たまひしと。追悼文集の案内。
依子、スワ妹26才とききしと憤然。藤井寺へゆくこととなりしと。

10月25日
集英社鈴木省三氏へ1月初めに『白楽天』とどけると返事。小高根二郎君に1500送り「今後休む。1千円づつ送る」と。
9:30登校。漢文すませ、史学研究法のためprint切り、山田嬢にたのむこととす。
栗山氏(※栗山理一学部長)と話し、『コギト』一そろひを成城大学へ寄附のこと肥下夫人にたのむこととす。
矢野次嬢のこともいひし。試験問題作成委員のこともいひしもきかれず。
13:00高橋通子来り、(後藤君、東洋文庫より電話、極東書店来ゐるとのことに、10冊くれといってみよといふ)、
14:00までよんでともに出、(渡辺きのふ野田氏に会ひしと)、下北沢で下車。
渋谷よりbusにて白鳥家。清先生おひとりにて二階住まひらしく、1,200万円の税金(※相続税)払ったら云々。
依子に婿がね紹介あり、やむを得ず写真もち帰る。
渋谷にてprintおき忘れしに気付き成城の交換台にたのむ。
井之頭線にのりこみしに林敏夫来て難波兄と会ふゆゑ出よと。
3人にて階上にゆき次女の通院助けるといふ。beerその他ご馳走となり、別れて帰宅。
聖心女子大より試験答案来り、11月1日までに採点報告せよと。
(けふ成城堂にて小竹訳『史記』2冊(1,100)と、ル・コック『探検記(130)』とを買ふ)。

10月26日
晴。岡田先生奥様に返事。「安心した」と。河野夫人より電話「帰京した」と。武居豊子のことはしらず。
『東洋史研究21-2』来る(残金90)。『文学散歩15』、『詩人連邦80』来る。東孝子より堅田姓となり新居浜のアパートの4階と。
影山正治氏より「大和へゆきし。保田成功した」と。高橋、白鳥二家へ写真送る。求道者会に出る。竹森先生「来週会ふ」と。

10月27日
7:20家を出、経堂下車。相馬の下宿にゆけば出るところなりし。ともにゆきて山田、田中久夫2氏に点たのむ。
田中氏賜ひ、山田氏宿題あらためて出す。われ今井氏に卒論の副審査の印もらひにゆくやうし、前田課長に教授会に上程たのむ。
『玉燭宝典』を図書館に返却。『通俗編』を山田氏に転貸せしを忘れし。
12:00までまちて田中久夫氏さそひ、風月堂にてsandwich食ひつつ来年の1時間(演習)のみとなりしこといへば了解されし。
よべ眠り少くふらふら帰宅。昼ねす。
依子「コダマ第一」の切符買ひしと。自彊会より11月14日(水)、目黒の三条苑にてと出欠問ひ来る。
関口八太郎君より山形へ遊びに来よと。鈴木睦美より「卒論ほぼ書けた」と。
けふ肥下夫人へ「上京の時、電話たまへ。『コギト』のことはその時」と手紙。筑摩書房より『柳田国男集』第10冊目来る。
竹内夫人に「明日訪ふ」と電話。

10月28日(日)
雨。堅田孝子へ祝ひのハガキ。礼拝にゆく。竹森先生、瀧野川教会へ説教にゆかれしと。夫人先生に金曜お訪ねすと申上ぐ。
帰りて14:00出て竹内邸。あす依子、名古屋をへて大阪へゆく也。竹内君、宮城県へゆきしと。
帰り『大和路3冊(50)』買へば「初瀬」doubleゐし。『日華事変(90)』も亦。正宗白鳥翁逝去と。
(けふ成城より体育祭4日に延びしもあす休みと電話ありしと)。木村三千子氏より松茸1籠来し。
(この間、古本屋にて見かけしは箭内健次氏なりしと古本屋あかす)。

10月29日
雨。依子6:00出てゆきしと。10:00高橋通子来り、semiとて『比律賓史』よみ了り、和田先生の論文もて中比関係書けといふ。
肥下夫人より「(※遺稿集の件、)人文書院より20万にて300部(あと紙型とりおく)、上京せず。11月15日までに原稿かけ」と。
午后の便にて村松正俊氏より「(齋藤氏の退職)教授会では認めなかったと覚えてゐます」とハガキ。木村三千子氏へ礼状。

10月30日
登校。姜生に電話し「ゼミに家へ来よ」といふ。中谷生に電話すれば登学と(のちほど来る)。
短大の漢文すませ、中国文学史に三国志演義了へ教授会。相馬の卒業みとめられ、うれし。
文化史専攻の一次志望31人なりし。今井君久しぶりに演説打つ。
不二出版社よりの電話に18:00高知の人来るとのことに急いで帰宅。
(相馬に卒業のこといひしに写真屋するため2年間東京にゐて習ふと)。鈴木淳子生と一緒なりし。
19:00すぎ橋本高之氏来訪。「唐代の年中行事」の原稿もちゆく。われと同じく疳性の人なるを知りし。23:00ごろまで話してゆきし。
けふ史、bananaもち帰る。筒井君より岡田先生の弔意金26,500としらせ来る。

10月31日
晴。10:00出て聖心女子大へ採点もちゆく。会計小林氏不在にて手当もらへず。帰り宇野哲人博士を見る。
小高根二郎君より「あと10年しかないゆゑ詩かけ」と。(夜、あと10年しかないゆゑ書かずといふ。)
阿南惟敬氏より連休期間に来訪と。阪本和子夫人より「class会するゆゑ一言を」と。
柳井道弘君より肥下の文集のこと。(けふ出がけ中西夫人と同行、意外に元気なりし)。

11月1日
角川より『ハイネ恋愛詩集』16版(5月発行)の印税16,000−1,600来る。
帝塚山7回クラス会への手紙を阪本(山内)和子夫人あてに出す。
浅野dr.にゆかんと思ひしが点数勘定の日とて止む。

11月2日
7:30起き8:30出て成城大学。『Fornm2』とり、文化祭開会式に出れば役つき以外は臼井、山田2氏のみ。
山田氏にさそはれ、いそぎ柳田展、万葉展を見、紅茶のみ11:00となりしゆゑ新宿より地下鉄。
大手町より内閣文庫へゆく。展観見て『分類目録漢籍之部(1,000)』山田氏に借金して買ひ、産経ビルの向ひにて昼食。
電車にて山本へゆき3〜4千円本を送らせ『白居易(陳友琴)(60)』買ひて都電。渋谷に出る。(昨日より渋谷、新宿への乗越ともに20円となる)。
帰れば紅松夫人、祝返しに来しと。和田節子夫人より写真の受取。辻芙美子より養子もらひしと。
山岸外史『人間太宰治』、太田浩『夏の画集』の出版記念会。
19:00求道者会に出、そのあと竹森先生に洗礼申出づれば12月2日(日)に試問会と。

11月3日(文化の日)
家居。悠紀子に「阿部夫人死去、式もすみし」と林夫人より電話。
竹内夫人に電話せしむれば「雨中会ひし」とハガキありし。スワ君の電話もありし。あまり期待するな!と。
15:00すぎ阿南氏来訪。『清史雑考』と満洲地図帳とをもちて辞去。入浴。
弓子「姉ちゃんをもっと自由にしてやれ」といふ。帰宅せば礼拝につれゆかんとわがいひしに反対せし也。(午后より雨)。
(辻夫人へ祝辞。『浪花のれん』へ「子どもの時の好きだったもの」ハガキにて。)

11月4日(日)
礼拝にゆく。森田副牧師、坊や誕生と。帰りてひるね。15:00出て西荻窪へゆきしに古本屋休み。
電話し、山田俊雄氏に借金返しにゆく。三鷹台より井之頭線。Whisky贈れば孝雄博士関係の印刷3冊賜はる。
帰り吉祥寺駅前で丸姉妹に会ふ。けふ「あす休みでなし」と成城大学より電話ありしと。

11月5日
11:30登校。福島生帰り来り、姉よりの人形もち来る。「支那の葬式」をやりたしと。
姉、県庁につとめ朗らかとなりゐる。恋人とせしは日大生なりしと。姜生来り、来週までひまなしと。
本間生来り、一向めどつかざる様子。家へ来よといふ。『国華』36年分を上原氏に借りしもだめ。
東洋文化史すませ『西遊記』のprint切り、16:15となって前田課長に会へば、相馬おほむね単位とれし。
9月卒業とすべきか3月とすべきかと。「9月とすべし」といふ。
帰ればPTAにゆきし悠紀子帰らず。『Biblia』の富永牧太氏来をり、Kon-kon(※八木さん)の論文のりをり!
『Non-Fiction全集35』来をり。天理へ「ありがたく拝受」とかく。
京「都立はだめ」といはれしと。太田浩、山岸外史2氏の出版記念会に欠席の返事かく。(肥下夫人、岩国より栗贈らる)。

11月6日
9:00出て成城大学。短大了へ昼食。相馬の礼、諸先生にいふ。
ついで文三の中国文学史に『西遊記』のprintを牧野生にたのみ、Heine与ふ。
これすみて出、下北沢で下車。大地堂へゆきしも何もなく、庄司浅水の文庫本(60)買ひて帰宅。
悠紀子、阿部夫人のくやみにゆきしと帰り来る。『果樹園』81来る。わが欠席の第1回なり。(けふ白鳥先生に電話せしもかからず)。

11月7日
13:00出て立教大学。手塚氏待ちしも会へず(松浦助教授にきけば後任は松田君とて大学院卒2年目、他になしと)。
講義1時間足らずしてやめ(西田生に白鳥先生への伝言たのむ)、手塚氏帰宅ときき、
busにて中野、三鷹まで乗り、浅野君(※浅野建夫)をり。岡田先生のこと忘れたと。久米軍医のこといひて帰宅。
悠紀子18:00帰り来る。立教女学校の洗礼、転会のことたのみにゆきしと。
けふ相馬父より林檎1箱来る。畠山敬子嬢より「京都にて羽田嬢に会った」と。
『浪花のれん』の稿料(2,400−240)2,160来りをり。

11月8日
悠紀子、杉山婦人科へゆきしあと、川久保悌郎君より電話「上京しをり。けふあきゐる」とのことに17:00吉祥寺北口へ来たまへといふ。
13:00すぎ悠紀子と出て西荻窪。森田先生にゆけば奥さんのみ。赤ちゃんの写真うつし、林檎おきて出る。(『キリスト教要義(200)』、『キリスト(70)』)。
そのあと北口の古本屋にて『元雑劇研究(300)』買ひして帰宅。
山田源之助(高原弦太郎)氏より、父のこと『骨』を井上多喜三郎氏より見せられて知りしと。
吉祥寺駅へ迎へにゆけば17:00丁度に川久保君来り、家まで連れ、すし食ってもらひ羽田との話す。22:00駅近くまで送りて帰る。
『果樹園』の「半自叙伝」のそろひと『成城文芸』とを贈る。けふ『果樹園』に同人費1千円送る。
丸より電話「中野清見上京につき明日出ぬか」と。「明日はだめ」とあやまる。

11月9日
羽田明君より速達「11日東洋史談話会で会ひたし」と!肥下、木村、相馬の3氏より送り状
11:00まで聖心の下調べし、まにあはず。(けさ5:00起き睡眠不足なり)。
悠紀子に休講の電話かけさすれば47かかりしと。午后ちょっと昼ねして気分なほり、求道者会。
すみて西荻窪へbusで出、川久保に電話すれば「先業と」と。
松本(※松本善海)に電話し、羽田に連絡せよといひやる。
またキリスト教本屋にて『病む友へ(140)』、『聖書地図(80)』買ひて帰宅。
(けふ悠紀子、竹内夫人に電話し、スワ君より「また会ったの電話ありし」とききしと。)
22:00前、川久保より電話「鈴木俊氏と会ってゐた」と。「羽田に会ふが宜しいか」ときく。

11月10日
10:00、千円もちて家を出、国鉄にて田町(70)。
慶大西5号館のオリエント学会の講演場受付にて羽田教授の在不在問へば「午後来るはず」と。
竹田龍児氏も不在と。電話かけに案内してもらひしも池内先生宅に電話なく、姉婿教授(故人)の名忘れ、
名刺に「御連絡乞ふ」の旨と「11日の談話会に出ず。川久保、松本には連絡済」と書きて出、キリスト教青年会の掲示みてゐれば竹内氏来る。
会場にて待てといはれ、やむなく佐藤奎四郎氏の話すみしところへ入り、蒲生礼一氏の「ゴリスタンの植物」きく中、中山正善氏来る。
三笠宮、桑田六郎のほか富永牧太らしき姿見し。
すみて(和田博徳氏に『中国と諭吉』もらふ)、中山氏に「おくやみもせずに」と挨拶し(腕に手かけし)、
富永なるをたしかめて「お祝もせずに」と挨拶し、竹内氏にたのみて出、電車通で『桃園庁志(100)』見つけ、うれし。
田町へ出、渋谷にてライスカレー、成城大学へゆき、図書館に来ゐし山本の本『諺話甲編(340)』、『李白詩論叢(360)』、『清平山堂話本(280)』、『六部成語(640)』、『石匱書後集(400)』、『中国小説戯曲詞彙研究辞典(600)』、『明清平話小説選1(450)』、 『瓶外卮言(650)』受取り、井上女史たちの写真とりしあと、素心寮へゆきて碁と将棋し、ともに負ける。
その間、電話のせわ小沢氏にたのみしもかからず、15:30になり食堂へゆけば上原氏ら大学の出席数人。Beerのみ寒ければ帰宅。
鍛治初江氏より「『果樹園』に詩でもかけ」と。
依子より6日名古屋へゆき、11、12日にスワ君、西宮へ来るとハガキ。
井上律子より柏木に来たと。21:30羽田君より電話「あす14:00慶応で」となる。

11月11日(日)
9:45礼拝にゆく。数男来をり、駅まで同行。悠紀子とわれと思案して高円寺にて昼食。
別れて丸に電話せしに応答なし。赤川氏にゆけば無人。渋谷ゆきのbusにのり、田町行のbusにのりつぎ、慶応前にて下りれば13:45。
待つ中、三上氏来り、14:15羽田、外人の嫗を案内して来り「しばらく待て」と。
出て来りしと15:15まで大学前のすしやにてbeerのみつつ話す。青山氏らに悪口いひしことなしと(※前年11月24日記事参照)。羽田母堂結核と。
われ兼任やめるといひしに「関学へ来ぬか」と!Busにて目黒へゆき恵比須まで歩き、『漢鮮日字典(150)』買ひて帰宅。
立教の史学会の案内書来しのみ。けふ竹森先生の『ローマ書講解説教T(520)』買ふ。
鍛治初江氏へわび状。19:40姜生より電話「あすのゼミを火曜12:00に」と。

11月12日
カヂさんに「書かぬ」とヱハガキ。12:00成城大学へゆき、栗山部長潰瘍再発の電話きく。本間、三野の2生来りしも、何もせず。
藤枝晃の姪、村松生来り「よんでくれ」とのことに木曜といふ。白鳥先生に電話すれば「木曜午后来よ」と。
東洋文化史50分ですませ、まっすぐに帰宅(悠紀子けさ杉山婦人科へゆき検査料1千円とられしと。
午后三鷹のYMCAにゆき、久布白落実氏より矢島楫子嫗の話ききしと)。
石田幹之助博士より全快祝たまはる。柳野一郎より電話「われに書かせず松本夫人に書かせよ」といふ。

11月13日
9:00出かけ10:00成城着。短大すませ姜生まちしも来ず。藤井、小川など成績表とりに来る。
高橋、中国文学史すみしあと来り、けふより書くと。14:00すぎ出て帰宅。
益子輝夫氏「住金物産常務として東京支社長に着任」と。けふ相馬来り、来年3月卒業となりしと。

11月14日
9:00出て井之頭線にて松田みす子夫人に会ふ。東大にて写真くばり台湾へゆきし岡田英弘君より台湾よかりしとの話きく。
極東書店の件はっきりせざる由。
けふ阿南氏来ず、われ一人午飯を「la porte」にて食ふ。(琳琅閣に末松『新羅史の研究(1200)』を学校へと注文す)。
そのあと木内で『朝鮮新羅古蹟帖(30)』、『生類犠牲の研究(50)』、『東洋文庫十五年史(80)』買ひて東洋文庫。
田川氏より展覧目録3冊もらひ、天理のalbum2冊を呈することを約す。
そのあと立教大学。手塚氏つかまへ来年度の件いへば「専任の欠員なく困る」とのこと也。あす白鳥先生に会ふといふ。
ついで講義。すみてただ1人の男学生小田を呼びてbeerのむ。天理教東本末の教会のむすこにて可愛し。
目黒へゆき古本屋にて時間つぶし会場へゆけば矢野さんをり、娘の縁談世話すと。
柴山、倭、森田富弥、中村治光(電話かけ来し)、西川、金沢と来、宮崎氏来り、詩人上林猷夫、早川敏一など。
大阪より来し校長を見し。西川の車にて渋谷まで送らる。夫人病気と。
けふ田村春雄博士「会ふはず帰る」の電話ありしと。われ姜生に目黒より電話し、「あす来よ」といふ。

11月15日
川久保へ礼状出す。9:00出て成城。漢文すませ、小野胡桃生に『文学』貸し、姜生に(柿もち来る)仏教のこといひ、
高橋の3枚書きしを直し、中谷生教へ14:00すぎとなり、藤枝の姪『敦煌』よめと来る。
渋谷に15:45つき、白鳥先生を夫婦して訪ね、縁談おことわりす。けふ依子より「スワ君より申込うけた」のハガキ来し也。
帰りて矢野よりの電話にくり返してたのむ。(けさ岡田先生奥様より「上京しをり。けふ帰阪」と)。

11月16日
雨。竹内夫人より電話「依子返事せざりし。24日ごろ帰京」と。
学術会議に桑原、吉田精一、松本信広と投票。悠紀子のスワ君評に怒りて、聖心女子大。
10,11月分のsalaryもらふ(3,620×2=7,240)。田中保隆氏をbeerのみにさそひしもあとであやまり帰宅。(『聖心女子大学論叢19』もらふ)。
求道者会にゆくみち、また悠紀子を叱り、先へ黙りて歩むを見し。けふ寒く台風接近と。『大君の都 下(200)』買ふ。

11月17日
7:30出て成城大学。「吾妻鏡と義経記」やり、田中久夫氏休講ときく。
池田博士(※池田勉)に栗山博士(※栗山理一)の容態ききしもわからず「半自叙伝」つづけよ云々。
図書館にゆき都留生に「馬淵氏の話出ずともよし」ときき、出れば松島生、成城堂に『中国四大小説』注文にゆけば「品切れ」と。
松島生の「勉強きらひ」といふをたしなめ、同車して下北沢。
われは新宿に出、散歩せしあと池袋。また散歩し、14:45立教史学会へゆけば若原君の話。
すみて小林通雄君の話わけのわからぬことなりし。そのあと市古宙三君の話これまたつまらず、質問せんとせしに講演に質問なしと。
太平天国は儒教的となりし。晩餐会に出で(白鳥先生、芳郎君をと思ひたまふらし)、高田生の清水より来りしを喜ぶ。
海老沢博士に受洗予定いひ、指名にまた披露すれば喜びて来し学生「私も」と也。握手して「そのあと来よ」といふ。
市古君にキリスト教「的」といへば「一つもなし」と。そんな筈なし。この間和田先生に伺へば、夫婦づれで来しわが名を思出したまはざりしと。
すみて久保(富士高校来年も、となり)、高田生さそひて喫茶。
(高田生、静岡の茶くれ、神田信夫氏の台湾土産のウーロン茶とかへことせし。神田氏には『南方随筆』2冊を贈りし也)。
帰れば西寛治君より電話あり「月曜またかける」と。(『The Arabs』100で見つく)。

11月18日(日)
礼拝にゆく。傘をまちがへてもち帰るところなりし。
午后郵便、『笑の泉』にかけと!ことはる。他に事なし。
市古君への不快なくなりなれど誤りとは思ふ。広部精『亜細亜言語集』の常言、写し了る。

11月19日
登校12:00。栗山氏来りをり。高橋邦太郎氏また負傷して来をり。高橋、本間のゼミやり、三野生の数十枚の原稿預る。
東洋文化史早くすませ、本多生と話す。「死」をほとんど考へずと。
出て下北沢にて白鳥芳郎氏に電話すれば不在。君子母堂「写真の礼いまかきゐる」と。「あす朝またかける」といひ、
西寛治氏に電話すれば「肥下文集の金あつめた」と。「手間だけ也」と反対す。肥下夫人に方々よりたかりをると。
中村地平『あをばわかば(20)』、『朝鮮童謡選(30)』買ひ、汁粉くって帰宅。
薄井夫人より「肥えてゐる」と。増田夫人へ「連絡せよ」とハガキ。

11月20日
登校。短大すませれば「お好きなLorelei(※ローレライ)やります」とChorus部12月6日の切符呉る。
(白鳥芳郎氏に電話して15:00成城へと招ず)。
中国文学史すませ本間生、三野生来しゆゑ三野生に注意すれば、秋葉博士写せしのみなりし。来年へ延ばすといひし。
本間生も同調せしあと、わかりし様子にて『山水論』よます。
そのあと15:00より新聞部の座談会に入室せし直後、芳郎氏見え、
「適当な後任まだ見つからず。庫吉先生の刊行会云々。研究所云々。」、
16:00お引取りねがひ(電話してもらへると)座談会にゆく。
何としても覚悟必要といふ池田、臼井、上原、宮司氏と同坐なりし。17:00となり寒がりつつ散会。
川久保より羽田との仲直ったと慶す! (座談会のこと深夜、気にす)。

11月21日
白鳥芳郎氏より電話かからず。畠山敬子君へヱハガキ。
11:00白鳥氏より電話「河原正博、栗原某氏いかに」と。
田川孝三氏へ天理の写真集2冊(40)送り、立教へゆき、
山口広先生の「子なくしたUhlandの原詩おしへよ」の手紙もらひしゆゑ、独文の番匠谷氏(※番匠谷英一)の研究室見せてもらひしにドイツ語の本1冊もなし。
手塚氏に会ひて(※来年度の兼任辞退の件)いへば「仕方なし。小林君にいひて教授会にかける。後任はどうなるかわからず」と。
河原君(来がけ電話すれば法政は明日10:50よりの講義と)、和田久徳2君の名あげんと也。
けふ男生4人、女生3人なりし(西田、三上、平井と蜂谷、丸山、村上、小田)。すみて裏へ出、古本屋見てのちbusにて中野。阿佐谷で下車。
丸屋へ『朝鮮仏教史』探しにゆきしになく『比律賓の自然と民族(150)』買ひて帰宅。
(けふ山荘のいとこより21〜23日のchorus団出る芝居の切符贈らる)。
和田賀代女史来をりて、中川明四氏の甥沢野生の大学進学について也と。「近々来させよ」といふ。

11月22日
9:00出て成城大学。法政大学に電話すれば「河原正博君13:00に来る」と。
漢文教へにゆきしに木造教室寒くてふるへ上る。
午飯くひ、後藤武君にUhlandのこといへば、訳者隣組と。たづねおくとのこと也。
salaryもらひにゆき(1万3千円ほど差し引かる)、成城堂に1千円余り払ひ、
折しも手塚氏の電話かかりしをきけば「和田久徳氏を後任にすることとなった」と。
三野生に卒論稿返し、本間生より訳あづかり、雨となりしゆゑ内村君訪ねて富士高校にゆくか否か迷ひ、
「車」にゆけば客なき日はやめたくなると新madameの話なりし。
相馬の礼いひ、寒きゆゑ帰宅。白鳥先生奥様より鄭重なる手紙。史、「きのふ徹夜にて麻雀せし」と。

11月23日(勤労感謝の日)
よべみぞれ降り、早雪として昭和17年以来と。白鳥きみ子夫人に礼状。堀井(山口)玲子夫人「高槻に家もった」と。
山荘淑子君の招待の劇「赤穂浪士」見に12:00出て産経Hall。淑子氏をり、佳子も上京中と。電話すれば他出。
中間のchorusとおどり見て外へ出、淑子君に「あそびに来よ」といひ、juiceのます。佳子生結婚と。まっすぐ帰宅。
18:30出て求道者会。帰りて山荘佳子の電話にて「あす17:00吉祥寺へ来る」と。

11月24日
8:30登校。「史学研究法」すませ、田中久夫氏と小高根君訪問を約し、三野生のsemi。けふにてすみ、10日ごろ一旦帰省と。一難去る。
田中氏と経堂で昼食。小高根家にゆけば母上接待さる。すみて吉祥寺。
『支那研究(150)』なる『東洋』の抜萃買へば王維の「山水訳」の訳のりをり。ふしぎ。
山荘佳子むかへにゆき18:00会ひて家へつれ帰る。阪大大学院出し八幡製鉄所光研究所員と来年10月結婚と。
(依子より「26日ごろ帰宅」と。)

11月25日(日)
寒し。礼拝にゆく。来週試問会なり。(田中克己氏へ誤配の手紙を転送す)。
帰りて炬燵に入り、華語やる。岡田志紀氏より「退院した」と。
夜、矢野より電話「(※大高同窓会)30人集った。文乙成績わるかった。原田夫妻がゆきし。文甲、中野清見行った」と。
竹内夫人に電話すれば「せくことなし」と。悠紀子、田中昌三夫妻に礼状かく。

11月26日
雨の予報に傘もちて出、山田氏にきけば病気ではなかりしと。
佐藤君に『朝鮮仏教史』ききにゆけば「売れをりし」と。(きのふ河原正博氏より電話ありしと)。
姜生のsemiやり(三野生帰りゆく)一向わからぬ様子。『朝鮮仏教史』図書館で見つけわたす。「落第したら死ぬ」とのすてぜりふなりし。勉強もせで也。
(成城新聞のeditor来り、■■会の原稿見す。『耶馬台国』2冊貸す)。高橋生に「来よ」といふ。松村生「またたのむ」と。
文化史すませ(武田、笹井の2生も本かりに来る)、雨ふり出せし中Orissaへ高橋邦太郎氏とゆく。
松田夫妻また海外へ出るらし。帰れば依子より「ハトニノル」の電報来しと。
留守に林叔父来り、全快祝にハム詰合せおきゆきしと。
けふ後藤武氏に万足氏の原詩しらべてもらひしゆゑ、山口広氏に返事かく。
依子20:30帰り来る。3月結婚のつもりらし。勉のところへ嫁候補泊りをりと。

11月27日
雨。鈴木淳子と同車。成城堂へゆきHeine17版買ひ、短大の漢文の時間Loreleiうたひ、
山田氏より教授会ありと教はり、本間生に電話すれば、三野と旅行中と!
福島生themaを支那の冠婚喪祭とすと。(松浦氏にはテーマ一人も出さざりしと)。
高田氏に「露伴」を出しゐし子、新聞の座談会にて写真とりし子なりし。
教授会にて英文、芸術の56名づつとりしことをききし外、大したことなく、すみて下北沢。
『北支の自然科学(80)』買ひて帰宅。田中克己氏より転送の受取。
依子にきけば能勢(※同窓生能勢正元)、旧富士鋼業に転任。康平叔父と話すと。
(スワ君より電話あり。依子、渋谷(※叔父宅)にゆきをりしゆゑ、あす竹内家へゆくと悠紀子答ふ)。

11月28日
9:00出て東大。神田氏、田川氏おそく後藤、阿南2君と話す。(益子氏に電話し、小竹、丸と歓迎会すといふ)。
すみて神田氏と昼食。すまして琳琅閣にゆき『満和辞典』売るといふ(1万6千円位と)。学校に2冊注文し、『中国の社会風景(150)』買ふ。
『昔ばなし(60)』をゆきがけ買ひし。busにのり癌研前で下車。矢野にゆけば外出。
立教へゆき11月分手当もらひ、研究室へゆき『史苑』2冊成城へと受取る。
14:40手塚氏に会へば和田久徳氏に会ひし「市古教授の了解得るまで保留」と!河原君はだめらし。
朝鮮の年中行事すまし、また中国の年中行事にかかることとなる。男生2、女生2と喫茶。雨の中を傘もたずして帰宅。
太田陽子夫人より「福留生より物貰った」と。(けさ山中実君より電話「昭和起重機」の社歌うた直せと。筆記さされし)。
19:00出て親子3人成蹊前よりbus。駅前よりtaxiにて竹内(※竹内好)家。(※諏訪澄氏との結婚に)「Yes」の返答すれば夫人喜ぶ。
この間の三十年会に山内四郎来しと。あすスワ君より電話かからんといひ、whiskyよばれて帰宅22:00。

11月29日
9:00登校。漢文「商君列伝」下調べせずにやり好調、気をよくし高橋通子のもち来し卒論の原稿預り、15:00まへ駅にゆき、悠紀子に会ひ林。
叔父叔母をり、敏夫博士風邪でねてをり、嫁帰り来り、産おくれゐる。病児は佐藤家にをると。
叔父に案内され教会よこ通り、下北沢で悠紀子と別れ渋谷。
タバコ買ひ(400)内村君訪ねて富士高校夜間部へゆく。久保君を来学年も使ふと。
たのみて出、中野へbus。阿佐谷で下車。、『日本風俗史概説(90)』買へば在金14円となる。

11月30日
久保靖彦生の結婚披露宴12/18(火)14:30霞が関日本海運clubにてと。出席の返事す。
11:30出て聖心女子大、1時間目すまし、2時間目なんとなく新津米造翁のこときけば、助野氏亡くなられしをいふ。
いつのことかわからず、学生にきけば11月20日式なりしと。哀悼す。わが5年間、同行すること多かりし也。
帰途、吉祥寺中央書店にて『一読支那通(100)』買ひしあと『比律賓史2冊(350)』見つけ、あとでとりに来るといふ。
18:30ゆきてとり、求道者会。
けふ弓子、依子映画見るとて夜おそし。悠紀子けふ三鷹の杉山医院にゆき慶応病院の検査結果きけば「異状なし」と。

12月1日
8:30成城大学。史学研究法すまし、益子輝夫氏に電話すればGolfにゆきしあと。
11:00弁当つかひ、宮崎、浅沼、山田俊雄の3氏と同車して新宿。
山田氏と中村屋へゆき、われは喫茶。まだ時間余りしゆゑ、上富士前で30分で散髪させ(250)、東洋文庫で神田信夫氏の台湾旅行きく。
『明清史料』辛まで出しと。青山博士にまた遭ふ。出て新宿、下北沢をへて帰宅。『柳田国男集』第11回とどく。
室蘭の鈴木生より「ししゃも」賜ふ。
きのふ竹内夫人にスワ氏より電話ありしと。夜、依子に電話かかる。

12月2日(日)
礼拝にゆき、すみて試問会。小室君、柳屋君とわれと男3人。女数人。転会とて悠紀子と呼ばれ、入信の理由きかれ父の死を答ふ。
竹森先生「戦争中の国家主義者」と紹介す。すみて帰宅。
悠紀子に教会の献金のことでいひあふ。15:00出て吉祥寺高島屋でwhite-shirt2枚あつらへ(2,400の3月2賦)、
荻窪で菓子(220)、ハンカチ(285)買ひ、busにて岡田志紀翁に祝しふ。今井夫婦のほか尚子もをり。
双生の男女に送られ、松崎嬢訪ひ、母上に見舞いひ、日大二高前よりbusにのり吉祥寺にて炒飯くひて帰宅。
けふ依子、竹内家へ「ししゃも」もちゆき禅林寺の茶会にゆく。
きのふ16:15留守中来しと集英社鈴木省三重役の名刺ありし。

12月3日
11:00出て悠紀子と名店会館へゆき、久保靖彦生の結婚祝みにゆきしも、任せて登校。
本間、姜2生の指導す。本間生やや書け「こんないやな学校に居たくないもの」といふ。
東洋文化史の朝鮮歳事了り、都留生にprintたのむ。
高橋邦太郎さんと出て茶おごらる。「20日より長崎へ出張。松田氏は象牙瑰岸ゆき」と。
出て下北沢で別れ、吉祥寺にて『中国の民間音楽(80)』と『文藝春秋』12月号と買ひ帰宅。
安西均氏より『戦後の詩』贈らる。わが詩3篇あり。
(井之頭線にて伊藤佐喜雄に遭ひ『春の日4』もらふ。中谷孝雄への青山二郎の攻撃文をのす)。
けふ琳琅閣に電話せしに「主人、市へゆきをり」と。悠紀子、茶器郵便にて配達すといふにやめしと。山口広氏より礼状。

12月4日
悠紀子、中村嫗のところへ保険の証明とりにゆく。われ9:15まで駅でまち、
考へかはり渋谷で成城大学へ休講の連絡し、地下鉄にて本郷3丁目。琳琅閣へゆけば若主人にて『満和辞典』を1.5万円で買ふ。
木内へゆき『海南島地志抄(350)』、『満蒙風俗大観(100)』、『民俗と植物(200)』、『故事成語考註解(50)』買ひ、busにて駿台下。
明治堂にて『毎日年鑑26年版(30)』、『比律賓小史(300)』、『Chinese Characteristics(250)』、
木原へゆきcard300枚(130×3)買ひしあと、筑摩竹本氏に精算たのめば3,668の赤字なりし。
ふと社会思想社へ寄り、矢坂安守氏訪えへば松井君をり17年ぶりなり。
八坂氏に故事字典のことわりいひ、松井君と出て昼食(250×2)。凶酒のこと戒めんとせしもやめ、伊藤佐喜雄のこといへば校正係に紹介せんかと。
別れて『日本地理大系朝鮮篇(350)』買ひしあと、山本へゆき『醒世恒言(800)』、『警世通言(560)』、『喩世明言(640)』、『初刻柏案驚奇(950)』、『二刻柏案驚奇(670)』、『読史箚記(420)』、『敦煌変文二字通義(210)』、『語録俗語解(700)』、 『中国白話小説語釈索引・続(680)』にて5,630。
折から来し都電にて新宿。「春日」にゆけば小姐われをおぼえをり、益子氏へ電話すれば「あす帰京」と。
折からmadameの電話ありしゆゑ、来週くらゐの(※大高野球部同窓)会たのむといひ、国鉄にて吉祥寺。taxiにて帰宅。
岡田先生奥様よりご挨拶。(成城大学より電話ありしと依子)。千草来り、80すぎし姑の悪口いふ。
20:00三野生より電話「卒論かき上げた見てくれ」と。あす12:00学校へゆくといふ。
けふ14:00電話は大藤教授と。けふ悠紀子「伊勢丹」へゆき久保生に瀬戸物(1,100)贈りしと。

12月5日
雨。三野生より電話「立教へゆく」とのことに12:00成城へゆくといひ、昨日の電話は大藤教授とわかる。
11:00出てラカンにて写真とり(森田夫人と赤ちゃんとれをり。図書館うすくとれをりし)、
会計へゆき年末調整の届けし(鈴木集英社部長に1月早々わたすといふ)、
鎌田女史にきけばみな困りゐると。やがて三野生来り、月曜帰郷するまでに片付けると。勝手な話なり。
立教へ14:30つく。男生4人と西田生とのみ。すまして男生3人をさそひビールのむ。
(ゆきがけ汁粉屋より電話し、益子氏8日(土)または10日(月)良しときき、東亜鉄工所の小竹君に伝言たのみ、丸も不在となりし)。
雨やみしゆゑbusにて椎名町4丁目下車。『日本案内記中部篇(150)』見つけそろひし。
(飯島にて『韓国画報(50)』、『中国社会(70)』、『奄美のくらし(30)』買ふ)。
中野より電話すれば丸「月曜の方よし」と。高知の現代民族派諸名家書画展の目録来る。

12月6日
晴。10:00ゆき漢文教へる。
(下北沢で讃岐喜八氏に会ふ。「江の島へゆく。心配なし。家売るとて西川の世話になる。友眞の父君まだ元気」と。
富永次郎氏に会ふ。伊藤佐喜雄のこと知りをり。)
すみて誰も来ぬゆゑ都留生と話しゐれば姜来り、15分しか時間なしと。
すみて村松生来り『敦煌石窟』をよんでやる。本間生来る。松沢生来る。(高橋は来られずといふに叱る。)
15:30すまし林双生児といま一人さそひて喫茶。(益子氏より電話「月曜にしてくれ」と。小竹氏より電話「出る」と)。
下北沢より西川家へ電話し、10日の席たのみ、西川家に電話すれば「いま出し」と。
来しと夕食し、都電にて春日町。文京会館の成城chorusきく。
野口綱雄ら少数の教へ子見しのみ。19:30出、地下鉄にて荻窪をへて帰宅。21:00。
(丸に電話せしに「中野清見、関西でいろいろ聞いて来た」由)。

12月7日
金曜とて8:00起き9:00よりnote作る。12:00前出て聖心女子大。海老原氏より「23日ですね」といはれ、しばらく考へて受洗とわかる。
田部先生と話し杉浦(※杉浦正一郎)にカソリックすすめしは先生とわかる。(悠紀子、杉浦夫人に遭ひしと)。
学生たちに本貸す(台湾1冊、中国音楽2冊)。
12月分手当もらひ、歩きて青山学院横に出、不二歌道会に寄り1,000を寄附す。(鈴木君、高知へゆきゐて受取もらはず)。
玄誠堂にて『The Foreign Relations of China(150)』、『An American Diplomat in China(100)』、『Durran(100)』、『The essence of Chinese Culture(150)』、『An illustrated guide to the Federated Malay States (100)』、『動物渡来物語(20)』と買って帰宅。
夕食いそぎしたためる。河原正博君より「多田先生と話す」と。『果樹園82』、『東洋学報45-2』、『春の日4』来る。
求道者会にゆき受洗をモーニングで受けてよしと森田先生にきく。
復活の意義承り(夫人と赤ちゃんの写真2枚差上ぐ)、帰宅すれば三治夫人より電話ありしと。
かければ夫君東京へ転任、まもなく海外出張と。Christmasまでゐるとのことに面会日きめよといふ。
けふ益子氏に「春日」への地図速達せし。21:00松沢生より電話「神宮外苑駅で村松と待合せよ。あす11:10」と。

12月8日
6:30に起こされ眠く、満員電車でゆき下調べなしで「義経記」やる。
すみて都留生さそひ研究室へ帰れば三野、高橋、本間3生来る。
月曜10:00よりまたゼミといひ、10:30出て(田中久夫氏に挨拶せざりし)下北沢。渋谷をへて外苑前(森棹子をさそひに来し)。
2生を先ゆかし村松純子まちしにおくれし故、先ゆきて秩父宮groundにての商船大学とのRugby試合を見る。
村松生Half-backにて主将なり。14-0にて勝ち、優勝とて名古屋へゆくと也。
前田教務課長来をりし。3生と雑煮くひ、都留生と宮益坂へ歩き、『Sketches of 南京(50)』、『Our Hawaii(50)』買ふ。帰宅15:00。
『東方学』来をり、宇野哲人会長の米寿を祝ひをり。北京大学総長たりしと。日本人教官にろくな者なかりしは何故ならん。入浴。

12月9日(日)
9:40礼拝にゆく。「イエスはヨシユアのギリシア語」と。すみて小泉氏に月なみの献金きけば「1,000位」と。
帰れば姜生より電話、卒論のこと。夕方、高橋生より電話、卒論のこと。われも高橋の下書見、三野の清書見て1日暮る。
依子へ名古屋より電話。

12月10日
10:00成城へゆく。(よべ3:00にねし)。三野、卒論を提出、帰郷すと。本間生、高橋生、原稿をおきゆく。姜生はじめて10枚の草稿を見す。
松沢生Rugbyの応援を謝しに来る。出て成城堂に借りなきことわかる(けふ月給くれし)。
下北沢をへて高井戸に下車。Busにのり荻窪北口へゆけば正16:30。
悠紀子と古本市にゆき、『北安曇野郡郷土誌稿4(480)』買ひ、地下鉄にて急ぎ「春日」にゆけば丸まだ来ず。
18:00やっと現はれ(※大高野球部同窓会)、本宮の土産話として山本(※山本治雄)の吹田市長候補のみ。
益子先輩来り、小竹先輩来ぬゆゑ、阪本泉氏に電話せしに未帰宅。
20:00小竹来り、自動車にて1時間半かかりしと。われ酔ひて笑ひ、22:00までゐて散会。6,200の払は小竹氏せし。
大江叔母より「依子いかがなりしや。勉宅は年内に」と。

12月11日
10:00成城へゆく。宿酔にてねむし。『唐詩選』これにて打切りとし、大藤氏の話きく。「鎌田女史を講師とせん」と也。
中国文学史すませて高橋生来しゆゑ、もっと考へて書けといひ、はんぱとりにゆかす。
教授会にては定員200名とせんと也。二学科とし、専任12人(内教授6名以上)とす。Courseをへらし50万円とせんと。
すみて4人にて会、われ川本静江の副手のこといふ。
田中久夫氏の顔を見、大藤氏と話させ17:00前となりしゆゑ、向ヶ丘の紀伊国屋へゆく。
80人会しをり。すみて田中、百瀬氏らと帰る。
西洞院淑生より義弟東京へ転任、幼稚園せわせよといふごとき速達。田中順二郎君より歳暮に海苔。

12月12日
8:00起き、渋谷にて田中雅子夫人に歳暮の礼いひ、渡辺鐐子のこといへば「おぼえなし」と。
大山堂にて『仙湖随筆(200)』買ひ、鍵を池田助手より借りて研究室あけ、まてば神田氏ついで宮原、岡本の二教育大、
よみはじめしところへ田川氏包みもってお越し。(あとにて『吏文』の複製とわかりし)。12:00よみ了へ、次回は1月16日とす。
ひとりにてrice-curryくひ(琳琅閣へゆけば親父つっけんどん也。『吏文』複製いへばこの間売れたといふ。『明清笑話四種(150) 』買ふ。)、
農学部前まで歩き『本草和名2冊(250)』買ひてbusにて大塚。矢野に会へば「けふ歳暮送るところなりし」と。
栗山部長のこと話し、池袋へ国鉄。手塚氏まちて『吏文』贈呈。和田久徳氏が後任と。
4月までやり(教務へreportの題を「中国の年中行事と日本の年中行事(600字2枚以上)」と届け出る)。来年は1月16日よりとす。
裏に出て瀬川清子『祭の話(50)』、『薬用植物と其の実際的応用治療(50)』買ひ、『屍室断想(30)』買ひて遠道し、busにて中野。
阿佐谷にてまた下車。駅前にて『黄海道(30)』、『朝鮮ってどんなとこ(70)』、『聖地の風俗と習慣(40)』買って帰宅。
『ノンフィクション全集36』来り了る。(けふ立教へ神田信夫氏より電話。地図を多田先生に返却にゆくと也。校数いひしに少し多かりしと)。

12月13日
9:00ゆきて成城大学。漢文すませ昼食し、姜生に電話すれば出しと。12:30来り40枚かきし(写せし也)草稿見す。
ついで高橋、本間2生来る。高橋生に移れば姜生だまって帰りゆく。14:30やめ下北沢へゆき(暉峻博士と同車)、悠紀子と会ひて梅ヶ丘。
和田先生の金婚祝もちゆく。(あすがその日にて身内にて夏すましたまひし也。座布団2枚にて伊勢丹3千円なりしと)。
奥様に玄関にてご挨拶せしのみにて渋谷へゆき(萩原葉子氏に電話せしも応答なかりし)、母に歳暮5千円わたす。
30日高知へゆくと。離婚、慰藉料の問題となりしと。
紅松家へ電話し、受洗記念の献金、直後もしくは次の礼拝にと教へらる。
疲れて譏嫌わるく、山中父君よりこの間の社歌の評いかにとの電話かかりしに「結構!」といふ。不随となりたまひしと。

12月14日
晴。沢田四郎作博士へ見舞。西洞院淑夫人へ「いま忙し」と。100もらひて11:30出、聖心女子大。
青山博士と話す。2時間すます。Christmas-cardU組くれ、T組はあとで送ると。
ゆきは神泉より歩き、帰り道玄坂へゆき、『 ※空白  (20)』買ひ、卵雑煮くひて神泉に出て帰宅。(矢野より歳暮に甘い飲物のつめ合せ)。
求道者会の前、竹森先生にお歳暮もちゆく。令嬢留守番なりし。遠藤道具店に1,250の本棚たのむ。けふにて求道者会すみし。

12月15日
6:40起き、登校。「義経記」やる。都留生のprint出来すぎ也。
すみて都留と話しゐれば武田、笹井、2生来り、ついで姜来り、40枚位かけしを見す。
本間来り、ほぼ書き了る。姜またhys(※ヒステリー)起し去りしあと、12:00すぎしゆゑ、sandwich食ひしところへ高橋来る。これもほぼすみし也。
けふ『三言二柏』図書館へ返却す。成城堂にて『三国志』2冊受取り、『故事成語ことわざ』といふを買ふ。
まっすぐ帰り来れば園田一亀博士の死亡通知。「10日亡くなりたまひし」と。海老原氏より帯揚げたまふ。夜、入浴。雨。

12月16日(日)
午前少雨。礼拝にゆき12月分月例献金(我1,000悠紀子700)す。クリスマス祝賀会出席の申込もす(300×2)。
帰りがけ呼びとめられし長老の第一人は北沢さんとて東京女子大・慶応の講師と。夫人と挨拶さる。
鈴木正義生より「返礼ならば詩くれ」と。

12月17日
曇。岡田夫人へ追悼文かかざりしおわび。小高根二郎へ同人費。10:00森田武夫先生にお礼にゆく。家主の坊、狂乱しをり。
古本屋にてChristmas-card22枚買ひ、吉祥寺へ引き返して成城大学。高橋、本間2生すむ。姜生またhysterieおこす。不快なり。
けふbonus議会の官吏昇給通過後出ることわかる。都留生(print多くして呉る)さそひて「車」。
豪徳寺前で下車。歩きて東松原へ出、吉祥寺にて『世界史地図帳(30)』買って帰宅。
西洞院君の義弟より『京都』送られ(2,600)、家たのむと(姓名わからず)。
柳井道弘君より「(※肥下恒夫遺稿集)進行状態いかに」と。
夜、隅田、和田、白鳥、原田の諸先生、手塚、海老原、浅野夫妻、宮崎幸三、中西義章、紅松夫妻へChristmas-cardかく。

12月18日
朝、林、大江、昌三、数男、和田賀代、西角、森中、薄井夫人、小高根太郎、矢野昌彦の諸氏へ「主の祈」のcard送る。
鈴木健司生より「川本弘美と長沢の2女友に会ひ、卒論かく気となりし!」と。
12:00出て散髪(280)。渋谷へ神泉より歩き時間つぶして14:10海運clubへ着く。
内村俊雄君来をり、やがて小林、清水、井上など立教の諸教授来る。
15:00より立食の披露宴。白鳥清先生の媒妁の辞にて花嫁吉原道子さん、立教の大学院学生なるを知る。
(われに兄上より乾杯の音頭とれとありし)。
16:00すみて内村氏と地下鉄同車、新宿にてわかれ、われ荻窪をへて帰宅。(※名古屋の)畠山六右衛門氏より奈良漬贈られしと。

12月19日
手塚氏へ23日受洗と。川崎菅雄より同窓会名簿。西洞院淑夫人へ具体的に条件示せと。曇のち晴。家居、昼ねす。
夕方『婦人公論』の井上靖「楊貴妃」のために寿王のその後について質問の電話。畠山氏へ礼状と(※名古屋へ嫁ぐ)依子のこと。

12月20日
9:00家を出て登校。本間、高橋来り印捺す。姜生12:00来りこれまたすむ。高橋婚約出来をりと本間の話。
あすbonus出ると書きあり。12:30出て帰宅。村松生と下北沢まで同車。
(けふ大学入試問題集5冊、成城堂よりとり、『中国小説史』上とる)。中央書房にて『魯迅の印象(80)』買ふ。
中西夫人2週間入院と。子らに用あればいへといふ。小川雅也氏(嘉昭父)よりCookie贈らる。
けふ大藤教授より丸重俊不提出ときく。尾上一雄氏より電話「あす入試座談会に来よ」と。
年賀状200枚の印刷750、26日出来と。(成城新聞よりPeace5ケ賜ふ)。
悠紀子けふ浅野dr.へ挨拶にゆき依子の診断書もらひしと也。

12月21日
川崎、山内、能勢へハガキ。みな野球部なるもふしぎなこと也。9:00すぎ出て成城大学。
試験問題作成委員会。大藤氏はじめて出をり、われ4問作成ときめ、また1月8日に提出ときく。
ひる食にうなぎ出され、鈴木生つかって卒論研究室にはこび、大藤、池辺2氏にわたす。
渡辺、西沢、足立の3生またせ、bonusもらふ。94,600+9,000(ベア)−税17,410=86,190(+33,800(父母の 会)−4,010)
成城堂へ本代1,000払ひ3生と喫茶。同車して下北沢。悠紀子と会ひ渋谷東横dept.にて1,200の砂糖を栗山氏へ。
busにて阿佐谷、紅松家へ電話せしに夫人不在と。
『四書書目(50)』買ひ、みかん(280)もちて船越こせん嫗を見舞へば顔むくみをり。
船越章と話して出、悠紀子帰らして丸屋『日本人の習俗・迷信(300)』、『明治の御宇(100)』、『世界歴史大年表(100)』、『成語考(30)』買ひて帰宅。
本間(cakeもち)三野(うにもち)来しと。大江叔母より24日勉君の再婚式と。
けふ依子、菓子と肉饅頭ともちて竹内家へゆきしと。Britt学長よりX’mas-cardいただく。

12月22日
大江叔母、祝の速達。本間、三野、小川と3通の礼状。猿渡家より缶詰1箱。永山光文よりHam1箱贈らる。
「白楽天」久しぶりにてやり14:00出て時計のband(300)とりかへ、busにて地蔵坂。紅松夫人に電話してゆき、礼いひ教会の慣習きく。
早々出て(佐治夫人が紅松の姉にて53才にて帰天と)、女子大前にて『家なき子(100)』、田中■夫人に会ひ、
『旅の苞(50)』、『An official guide to Japan130()』、『鴎外と露伴(100)』買ひ、中西フジオ君に遭ひ、亀井勝一郎氏に遭ひて帰宅。
山荘佳子より礼状。小高根二郎君より受取。沢井孝子郎君より喪中欠礼。21:00紅松君より電話「祝す」。

12月23日(日)
7:00起き、9:00すぎ家を出る。献金(100)のほかクリスマス献金(1,500+1,000)と受洗感謝献金、転会感謝献金す。
そのあとpartyにて5分間話ささる。
神崎院長三益、牧田航空常務などなり。15:00すみ北沢氏(熊本商工教授と)より握手求めらる。田口嬢おめでたうといふ。
帰れば肥下夫人より手紙。「金いらぬ故、書け?」と也。教会より聖書いただきし。
幼児二人の洗礼するといふに隣あはせ、幼児の如くよろこびてをり。わが罪ゆるされ、みなひと救はれんと祈りをり。

12月24日
肥下夫人へ「反対でもなし。書けず」と速達。
ひるすぎまでかかりて白楽天「代書詩」やり疲れ、ひるねせんとせしに、
中川明四(昭和7年東洋史卒、三井の番頭中川家の養子と)氏未亡人、甥(沼野dr.の4男、鷺宮高校生と)とつれ来る。
第一志望日大工科と。勉強いやにて浪人したくなしと。Banana1房おきて帰る。
けふ『文学散歩』来り、西角先生より父の昨年の歌
「今年またよろめく足をふみしめて幾山河をこえゆかむいざ」なりしとしらせたまふ。

12月25日
家居。中西夫人の父母来り、安心、ただし病院に見舞へば本人覚悟の様子と。干柿たまふ。
聖心女子大東洋近世史T(芳賀馨子代表)と石井et(成城2D)より受洗祝ひのChristmas-card。
沢井孝子郎、村上菊一郎、平塚敬一3氏より喪中欠礼。宮崎幸三先生より受洗祝。(きのふ田口祥子さんよりも祝詞ありし)。
石井正己氏よりwhisky1瓶たまふ。ヒナ生の父君なり。夜、賀状出来しゆゑ、依子に宛名かかす(87枚)。
弓子ChristmasPresentにてマフラーくれる。
X’mas-card
隅田、白鳥、和田、原田諸先生
西角、森中
林、大江、昌三、数男、賀代、諸親戚
臼井、小高根太郎、手塚、海老沢、浅野建夫、宮崎幸三、中西義章、矢野昌彦、紅松一雄

賀状(※画像参照)

12月26日
「白楽天」書きふらふらとなり(170枚位)、午后出て賀状投函。
井之頭線で渋谷。都電で小川町。錦町1-21薬剤師会館に園田一亀博士令妹むつ枝氏を訪ひ、羊羹を霊前に供へる。
12月9日に亡くなられ69才と位牌に書きあり。われ昭和17年ごろ阿佐谷の邸を訪ひしのみ。
駿台下で悠紀子とわかれ(癌研に中西夫人を見舞にゆく)、
山本書店へゆく途中、巌南堂で『古典研究6冊(30×6)』買ひ、山本に3,620払ひ、
また少しく注文し、都電にて渋谷をへて帰れば18:30。『笑いの泉』来てをり!中西夫人明るかりしと。

12月27日
柳野一郎君より喪中と。小高根太郎氏より受洗につき云々、「王維絵巻珍しきものゆゑ返せ」と。
『柳田国男集12』来る。白鳥夫人より祝としてAlbum。お礼かき本間生へ「返しにゆけ」と速達。餅の配給あり。
『不二』見れば保田の悠紀雄、来年卒業にて就職三浦義一氏に依頼せしと。終日家居して「白楽天」書くも14枚。入浴。

12月28日
けふにて官庁の事務をはりと。午后三鷹へでもゆき見んとせしに、手塚教授お越し、ロールカステラたまふ。
詩を書けと紙もち来たまふ。5年間の礼いひ、今後もよろしくといひ、立教女学院の事務長関口氏のすぐ近くなるに案内す。
不二出版社より餅1枚を京にわたしゆかる。丸より牛肉の味噌漬たまふ。
日ぐれ集英社の鈴木氏、係を代りしといふ及川均氏案内し来る。あたかも「白楽天」かきをり。
1月10日ごろ本文だけでもといふ。菓子1折たまふ。

12月29日
家居。「白楽天」160枚。正宗晴江生、赤倉よりヱハガキ。園田むつ枝氏より礼状「来月熊本で納骨」と。
山中直隆氏より牛肉の味噌漬。

12月30日(日)
雨ふる中を礼拝にゆく。牧田氏に挨拶す。帰り「Gelbe-Sorte」久しぶりに売りをるを買ひて帰る。
高橋洋子(短大2年)より賀状。夕方、阿南氏、本返しに来たまふ。「蒙古八旗について」の原稿示さる。
夜になりて「遊悟眞寺」了り170枚を越す。中西夫人の母上、悠紀子の見舞の礼いふと。
(けふ『韓来文化の後栄(中)』贈らる。数男より悠紀子に電話
「船越こせん叔母の病状よくなしと賀代女史より。またツネオ春の転任ほぼたしかにて、あと我らに貸すつもり」と)。

12月31日
曇。家居。「白楽天」228と(※ノンブル)ナンバー打つ。
『Non-Fiction全集』37来る。筑摩の武本氏より手帖たまはる。京、腸を悪くす。
丸、山中直隆の2氏に賀状。高橋洋子生に同。




付記:プライバシーに配慮して人物の名前を一部省略して記してゐます。原文pdfは現在非公開です。


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