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田中克己日記 1960


【昭和35年】

 前年の解説文で、
「とかく人間の悲観的宿命(メメント・モリ)を語りたがる詩人ですが、気にしてゐた胃痛が実は盲腸だったことがわかり、年明け早々遺書めいたことを日記に記し、自らもまた人生初の手術を受けなければならなくなるのでした。」と書きましたが、

p1

 からだかゆく肝臓侵され盲腸くさりし男ここにあり。容貌は

 けふ弓子に写してもらひし写真に見よ――猫いだき

 愛情のもてゆき場所なく (中略)

 かずかずの思ひ出あれどともに語らんひとは遠くにあり――

 妻子は近くにありてねむりたり。」(1月3日)

 と、憂鬱な愚痴ではじまる昭和35年の日記です。手術前夜、1月4日の日記には、

 僕はまあ、温泉にゆくほどの些少の感情である。

 なんて書いてますが、すぐそのあとには後事を託す遺言めいた文言が並びます。

 始終苦(四拾九)の春に会ひたりおのづから。(1月4日19:50分)

 そのなかで「著作目録」は八木さんに打ってもらったタイプがあること、そしてこの「日記」についても『果樹園』での発表を八木さんに頼むことが托されてゐて、私事になりますが、日記を公開してきた管理人にとって、まま感じることもあった罪悪感が図らずも払拭される瞬間でありました。

 盲腸の手術は無事に済みました。そしてこの入院中、これまで二転三転した住居移転問題が、悠紀子夫人のみつけてきた新しい借家にすんなり決まり、引越もすべて済ませて、退院と共に詩人はこの新しい吉祥寺の家に入ります。近所には、長々と患った湿疹治療に通ふ医院があり、古本屋とともに足繁く大学へ通ふ教員生活が始まります。

 さて昭和35年といへば新安保の年。国会前でのデモに参加した学生たちは30万人を越えたと云はれ、条約を締結した岸内閣が倒れ、次の総理大臣には池田勇人が選ばれますが、当時詩人が通ってゐた「三水会」といふのは、池田の派閥である宏池会が主宰する勉強会でした。
 大学教授の立場にあった詩人にすれば、教へ子を巻き込んでの政界動乱が、まことにリアルタイムに感じられた一年ではなかったでしょうか。大蔵省に入省初年度の長男史氏の仕事も、多忙の様が早速報告されてゐます。

 友だちもまた、竹内好が安保強行に抗議の辞職表明(5月22日)をして、新聞記事にも取り上げられる騒ぎとなりました。
 これを愚行とののしる三水会の席上では、詩人は彼が親友なることを明かして肯へて座を白けさせてゐます。そして保田與重郎の友人として慇懃な誼を結んでゐる影山正治に対しても、「中共スパイ」との讒言を躍起に打ち消してゐます。
 炎上する世論に油を注いだ竹内好の慰労会は、上京する同窓生歓迎会と兼ねて10月に実現しますが、思想より人情を重んずる詩人の面目が躍如する場面といへましょう。

 そして新制大学の発足によって、昭和期をふくめて近代文学が研究対象になったことを前に述べましたが、文壇では現在進行形で、杉浦明平らによる保田與重郎・浅野晃・芳賀檀たち「日本浪曼派」グループに対する“戦犯”を断罪する罵倒が仮借なく行はれてをりました。
 詩壇でも、戦後世代が主流となるにつれ、所謂「四季派」への批判が、戦争責任問題として取り上げられることが始まります。
 これは「太宰治」や「立原道造」を卒論テーマに選ぶ学生が現れ、生き証人として彼らに助言を与へる一方で、自身戦争詩を数多く書いてきた田中克己にとっては(雑誌『日本浪曼派』同人ではなかったものの)、他人事ではなかったに相違ありません。

 この年に刊行されたばかりの、戦後初めて保田與重郎を俎上に据ゑた評論集、橋川文三の『日本浪曼派批判序説』を、詩人は図書館から借りて読んでゐます(5月28日)。
 感想こそ書かれてはゐませんが、芥川瑠璃子の詩集出版記念会(4月29日)の席上、「我々は四季派ではない」との弁をまくしたてた『山の樹』同人の鈴木亨に対しては憤ってゐたところでした。5月9日の日記に「「四季」派でなしの意味ほぼわかる」と書いたのは、果して鈴木亨の意図を理解したといふことだったか、彼の実作を見て愛想をつかしたといふことだったか、判然としません。が、『山の樹』は元来『四季』の兄弟誌として友人小山正孝も加はってゐた同人誌でしたし、当日は堀辰雄夫人の前での出来事だったこともあり、余程腹に据ゑかねたものとみえ、はるか後年には私にも語られたエピソードでありました。

 かうしたなかで、杉浦明平とは渥美半島の郷里を同じくする影山正治は、学生運動の反米姿勢には共感するものの、主宰する歌誌『不二』誌上で、日本 浪曼派を全面擁護する反論をたった独りで展開してゐました。
 戦後は右翼との関はりを嫌った田中克己ですが、自らの懺悔や戦死者の鎮魂をキリスト教に托す以前のこの当時、“国士”影山正治については感じると ころに従ひ、交際を忝くしてゐたといっていいでしょう。

 日記を読むと『不二』は竹内好にも寄贈されてゐたやうですが、影山氏にとって、保田與重郎と竹内好と、気になる両極に位置する文学者とプライベー トで身近かった田中克己について敬重してゐたことは、日記の記述や『不二』誌上の対談から窺はれます。

 また前年、保田與重郎同席の場で言葉尻を論はれ、絶交したつもりだった、学園同僚の歌人山川京子氏ですが、気性に拘りない彼女からの挨拶にたじろぎ、贈られた新刊『愛恋譜』に顕れた歌境には、保田與重郎への思慕が混ざってゐると呆れてゐる様子です。

 いったいに、謝国権の『性生活の知恵』なる医学的How to啓蒙書がベストセラーとなってゐたこの当時(この本は映画化もされ、日本人の性意識を変へたと言はれてゐます)、文学者をめぐって色んな恋愛ロマンス(所謂不倫)があったのは、読書子が周知するところです。有名な檀一雄の私小説『火宅の人』のエピソードや、島尾敏雄が自身の修羅場を描いた『死の棘』の刊行もこの年でした。

 笑談と皮肉このみしわが口がまことかたりしただひとりには。
 食(し)も水もたたれてあればこのゆふべひとをおもひて眠らむとする。(1月4日)

 田中家に於ける夫婦喧嘩の一件は前年解説に書きましたが、手術直前の最後の呟きにはかくのごとき相聞歌が記されてゐました。この年は出張での大阪旅行が叶ふものの、出発時と帰還時と、悠紀子夫人の動向を殊更書き記してゐるのは、部外者の視線からするととても可笑しい。(この出張では帝塚山短大の同窓会に出席したほか、途次、岐阜へも立ち寄って長良橋や金華山ロープウェイからの眺望を楽しんでゐるのが、管理人的には嬉しいところなのですが。)

 もちろん日記に怪しい素振りなど書かれるわけはありませんが、性的好奇心については、『東洋性典集』『日本人の性生活』『Ananga-Ranga(インド性典)』といった蒐集に、その関心の一斑は表れてをり、殊にも日本では発禁・絶版が決まった『チャタレイ夫人の恋人』の、イギリスで初刊行された「無修正版」の原書をいち早く読破してゐるのには瞠目します。

 次にひとごとについても記します。まづ日記に出て来るのは萩原葉子のこと。『果樹園』1月号に書いた「悪い恋愛」といふ一文は、葉子氏と山岸外史とのことを諷してをり、旧臘『父・萩原朔太郎』が刊行され一躍文壇デビューした彼女と父親との関係を、プライベートな思ひ出からつむいだものでしたが、葉子氏からは大昔の事とて「怒りゐず」との返信があったらしい(もっとも昨年初対面した彼女とのやりとりは一旦これで途絶えてしまひますが)。女性には貞操を強く求める明治生まれの詩人らしいところですが、出版記念会ではその相手と握手したと日記にわざわざ記してゐるんですね。

 そして保田與重郎。彼はこの時期、京都鳴滝に新築した風雅な庵居「身余堂」にあって自他ともに隠者を任じ、文壇から超然たるスタンスを持し、マスコミからもスポイルされることによって、却って有志からは仰がれカリスマ性を強めてゆくといふ、特異な晩節の名声が形作られる過程にありました。
 前年に『現代畸人傳』を新潮社から出し、中央文壇での再始動を果たした保田氏ですが、しかしながらスキャンダルもまた全く他人ごとではなかったことが、(山川京子女史もその“モテぶり”を全集月報で報告してゐますが、)下阪時の仄聞としてここには記されてゐます。これもまた私は直接詩人から聞かされましたが、気の置けない話相手だった前川佐美雄夫人からもたらされたものだったやうです。夫君が同席してゐたら話されなかったことだったかもしれません。

 ことほど左様に国民の「戦後」は1960年代にも入ると、政治的関心だけでなく、これまで社会通念上タブーとなってきた性生活についても、好むと好まざると拘りなくその関心が掻き立てられ、日常生活をゆさぶるやうになっていったことが窺はれます。

 旧制高校の青春讃歌も今は昔。佐藤春夫を敬老する会で師がやってきて言葉をかけて下さったのは、欠席した保田與重郎の消息を訊ねられたのでした。わざわざ記したのは面白くなかったからでしょうね。遺恨は保田氏が戦後詩人を三人挙げた際に「蔵原伸二郎、宮沢賢治それに伊東静雄」(『祖国』伊東静雄追悼号)と、自分が外された昭和28年に始まってゐますが、お互ひ腐れ縁とも思ってゐたかもしれないこの盟友に対し、田中克己は他の浪曼派残党のやうには仰ぐことなく、避けはしないものの近づくこともやめ、これからさき複雑な思ひを抱いて接してゆくやうになります。

 それは翌年の昭和36年に、父・西島喜代助を、その翌年には親友の肥下恒夫を喪ふこととも、或ひは関係してゐるかもしれません(学芸上の恩師和田清は昭和38年、佐藤春夫と三好達治は昭和39年に逝去)。
 まさに「メメント・モリ」や「モータリティ」を、我身にひきつめて観ずることになるのですが、下阪時には岐阜に立ち寄るのに岩崎昭弥氏に会はず、京都では親交の深かった詩人たちとも会はず、福地邦樹氏から「いよいよ皮肉が痛烈」になったと噂されるやうになった詩人。学者としても、安売りするやうになった博士号にはそっぽを向くことを決め、これら諸々の偏屈な事情が因となって欝病に陥り、キリスト教改宗への途へとつながっていったやうに、私には思はれます。

 最後に。勤め人としては私学教員として、成城大学への入学の口利きを方々から依頼されてゐますが、具体的な入学斡旋の相場を関係者から耳にして驚いてゐます。古い記録ですが具体的な名前を伏せました。またこれ以降の日記に於いて、大学運営や教へ子のプライバシーに関する記述について、適宜省略させて頂く予定であることを予め申し上げます。


昭和35年1月1日〜昭和35年3月12日 「東京日記 7」
25.9cm×18.0cm 横掛ノートに横書き

p2

【昭和35年】

1月1日 (※来翰賀状一覧名簿:転記省略)
8:00目ざめ、畠山六栄門氏よりの年賀電報受取り、9:00雑煮くひ、11:00賀状29枚受取る。
渋谷の父母(※次弟の大と同居)へと悠紀子、3女、史と出てゆきしあと、湿疹、盲腸炎、胃炎によりねてゐれば、13:00芳野清氏来賀。
居間に通ってもらひ、茉莉茶を饗せしのみ。『観潮楼附近』返却を受け、高見順2冊を貸す。
18:00、5人ともに帰り来り、「子ら大より小遣ひもらひ、健の義妹2人伊勢より来をり、明日悠紀子、和田賀代女史に紹介しにゆく」と。

1月2日
悠紀子、雑煮作らず山本の娘を和田賀代女史に紹介のため出てゆく。賀状39枚。うち17枚に返事かく。
午后の便にて人間専科社より薄謝1千円!
本田喜代治先生退官記念事業会より「1口500円を1月31日までに」と。悠紀子18:00帰宅。

1月3日(日)
晴。賀状5枚。ラマンチャ社より「10日新年会」と。
午后増村生、もなかを持ちて年頭の礼に来る。「3月まで勤める」と。堀口太平君来り「忙し」と。砂糖賜ふ。

からだかゆく肝臓侵され盲腸くさりし男ここにあり。容貌は
けふ弓子に写してもらひし写真に見よ――猫いだき
愛情のもてゆき場所なく
『平家物語雑考』を写し直して『成城文芸』へとおき
ほぼ90点以上つけし中国文学史の答案おきてゆかんとす
学生ら何を感じゐるか、さしも敏感もて鳴りし身も
いまはわからず。学もしかなり。索倫達呼爾考(※ソロン・ダウール考)を恩師に
考へよといはれしも考へつかず(枕頭にノートはたづさへん
背いたまず、体痒からざる日、そを考へんと)。
かずかずの思ひ出あれどともに語らんひとは遠くにあり――
妻子は近くにありてねむりたり。

1月4日
晴。田村春雄へ『南島資料』。田中保隆氏へ『果樹園』。手塚隆義、川久保悌郎2教授へ『東洋学報』送る。(依子、キモノ来て出勤)。賀状41枚。
『史苑』20の2来る。15:00『成城文芸』へと『平家物語雑考』清書し了る(44×200)。大源より年玉の手ぬぐひ来り、恰もけふ来し『俳句作家』に千川稚泉大源の味噌のこといふ。
悠紀子、2女をつれて出しあと16:00史に留守たのみて出、吉祥寺へ着けば17:00。
「えびす」にてrice-curry食ひしあと、吉祥寺医院にゆけば当直看護婦「(※手術の件)聞いてをらず」と。森Dr.に電話してくれ(待合室に『文学界』あり。林Dr.同人雑誌評を書かる)。1号室に入れらる。

入院
小学校の4年のとき、運動場の水溜りで滑って転んで右脛骨を折った。堺の山吹堂といふ接骨の上手に入院し、1箇月半かかって瘉った。その間に弟「泉」の死んだことは知らず。担任の肥田先生のお見舞の時には、ちゃうど教科書を見てゐてほめられた。
2回目、3回目の入院は、ともにスマトラのメダンの兵站病院で、2回目は原因不明の発熱41℃、遺言して入院すると、1本の注射で解熱、見舞に来た田中館秀三博士(この人はもう亡い!)に、現在の軍の衰勢は軍人軍属の精神力低下ゆゑと叱られた。
3回目は自動車事故で意識不明4日。意識がもどると枕許にパンツが置いてあり(誰が贈ってくれてやら)失禁して汚れたパンツを穿きかへると佐々木六郎、松下キクヲ画伯の見舞。その帰って行ったあと、付添のバタク少年をつれて支那人町を歩いた。病院では脱営と大騒ぎとなったさう。
今度は森Dr.に盲腸炎を見つけられ、やむなく一週間の入院となった。誰が見舞に来てどんなになるやら。
僕はまあ、温泉にゆくほどの些少の感情である。それほど僕は退屈であるやうだ。
――――――――――――――――――
丸にこの間の会の礼をいひ、500円の(※不足分)会費をとってもらふこと(西川、森は千円出し、我小銭ゆゑ500円しか渡さなかった)。
本を売る時は山本書店(神保町より専修大学前へゆく)店主にたのみ(羽田、松本(※羽田明、松本善海)などの諸友の紹介ありてよし)に。
学校の研究室にも2〜300冊あり。学校の本数冊まじりをる故、図書館員に見てもらったあと、これも山本にたのめ。
日記帖は一まとめにし、紫の風呂敷に包みあり。八木氏にたのんである故、わたして清書し『果樹園』に分載のことを小高根二郎氏にたのみ、毎月1千円づつ掲載料を払うふこと(この項、八木さんと相談せよ)。
(八木さん清書の時、不明の人名地名事項は、中学高校のことは西川英夫、丸三郎、大学のことは羽田明、浪速中学時代は末吉栄三(大阪城東工高教諭)、文学方面は肥下恒夫、小高根二郎両氏、帝塚山学院のことは西宮一民、滋賀県短大のことは井上多喜三郎、岩崎昭弥諸氏、東洋大学のことは齋藤晌先生、成城大学のことは栗山理一、池田勉などの諸先生にたづねたまへ。これらの諸氏は住所録にアドレスをしるす。丁寧にたのんで下され)。
子供らのことは心配せず。すこやかにして神経質をやめなされ。
借金なし(丸への500円)、財産なし。(聖心女子大紀要に書けざりしこと残念、海老沢教授に謝し玉へ)。
恩師和田先生、諸友、諸生の幸福を祈る。
始終苦(49)の春に会ひたりおのづから。4日19:50分
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悠紀子1時間して近くの友より浴衣と灰皿とを借り来る。
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著作目録は八木さんに打ってもらったタイプと本棚の下の抽斗にあるcardにしるす。この関係の本はかためてのこされよ。
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Leon Zolbrad氏の『世界恋愛詩集』に(※自分の詩の英訳)のると『日本歌人』の正月号にのせしとは、われも未だ見ず。平凡社の『アジア歴史事典』にも数項目のこれり。
――――――――――――――――――
成城の試験は前期の採点をエンマ帖にしるす。文化史のみ前期試験せず、採点なし。立教の3生には清太祖ヌルハチ年表を課す。聖心女子大は2classとも前期試験しあり。

いまひとたび國のまほろば畝傍山みむと思へりおもひ出ゆゑに。
いまひとたび若草つみにゆかなむとわれは思へり神しゆるさば。
わが子らしまるき目をもち口とがらせよひよひごとにいさかふらんか。
子らのためのみにし生くといひしひといまもさなりとうなづくらむか。
わがほそき体のうちの五臓六腑みなみなくさりあるがかなしも。
笑談と皮肉このみしわが口がまことかたりしただひとりには。
食(し)も水もたたれてあればこのゆふべひとをおもひて眠らむとする。

1月5日
9:30投薬、10:00悠紀子来り、バリウムのまされ森Dr.見しところにては胃に異状なき様子と。ついで浣腸。
13:30〜14:30盲腸摘出と。やがて呼ばれて手術室に入り、右手縛られ左手より2人の看護婦輸血する中を森Dr.ともう1人のDr.白衣にて足もとに立ちしのみをおぼゆ(全身麻酔なりし)。
担架にて40分後病室に入れられ、あと悠紀子と問答し、湖東の大阪より来るやいな等ききしと。
21:00悠紀子帰宅。あとイモワタリ附添婦、終夜わが叫ぶたびにモヒ注射しくれし也。

1月6日
11:00より片岡附添婦来り、廻診の森Dr.「あけてみたが胃に異状なく切らなかった」といふ。モヒ、痛みどめ薬など交互に施されてすみし。

1月7日
悠紀子来る前、父母来り、あと柏井尚子みかんもちて来る。

1月8日
小野和子の映像宙に浮ぶ、ふしぎ。隣室の早大英文4年女生われを笑ひゐると。歌うたひ口笛吹く。
森Dr.宿直らしく夜来りて伊藤佐喜雄とのこといふ。悠紀子に丸家へ「(※長男で教へ子の)重俊よこせ」の手紙もちゆかす。

1月9日
父来り、母「大より」とtransistor(※ラジオ)もち来る。灌腸し排便す。
千草花もち来る。田中俊子、すみ子母子来り、森Dr.の検診受く。すみ子成城大学の坂本紘子副手と青山の同級と。
丸夫人、果物とice-creamともちて見舞はれ「重俊、煦美子ともに旅行中」と。
池田勉氏へと『成城文芸』の原稿托す。父母に退去もとめ母怒りて出しあと、青木陽生来り、田中母子と話す。バカな男なり。
悠紀子の友2人来り、Castilla1箱たまふ。悠紀子「家を見つけし」といふ。

1月10日(日)
悠紀子、依子来るまへ春名一満君飲物1箱もちて来り、八木叔母の命にて来しと。
悠紀子来り、昨日の家ことはられ、向ひの未亡人の家に4間1万1千円、敷2にて出来しと(吉祥寺2856中西)。
一満君帰りしあと廻診、「歩け」と。
丸来り「この間下阪、川崎に会ひし」と。森Dr.への謝礼相談にゆきくれしも帰宅と。
夕方までに賀状の返事45枚かき、八木嬢への礼状書く。(悠紀子、登戸へ「前金放棄す」と速達)。
寿一(※西島寿一)、嬢(※齋藤工の母)をつれて来り、写真とり果物一籠をおきゆく。この日階下の便所へ通ひ疲れる。(隣室の田村嬢、退院前に会ひ本位田重美氏令嬢と同級とたしかめる)。

1月11日
父来り「悠紀子より電話、京病気ゆゑ、来るのがおくれる」と。蒲団包みもち来る。母と大に追放されし也。
午食にpão(※パン)食はせ。、船越こせん叔母への途かきて与ふ。
この間、森Dr.廻診、抜糸あすらし(8:40成城大学に電話し前田教務課長に今週休講を届けし)。
悠紀子15:00来り、城平叔父の速達をもち来る。「10日帰京の万美子と意見一致せざる故、月末会ふまで就職運動を待て」と。「承知」の返事速達す。
悠紀子、中西家へゆく。1時間して帰り来り、「敷金1.1万円置き、喜びて入れられることとなりし」と。
夜になり、万美子(※田中万美子)来り、「相手の石川島造船所所員、父と会ひ、心配さすこととなりし。帝塚山小学部には森院長に会ひてほぼきまりゐる」と。「考へさせよ」といひて帰らしむ。

1月12日
よべ腹張りて苦しかりし。悠紀子来るまへ廻診、抜糸すむ。
悠紀子、太平天国関係書みなもち来る。明日来ずとよしといふ。帰りしあと母と千草来り、母、大阪ずし2本、千草juice2本呉る。この間田中俊子姉と陽生と話し、3間貸すとの話なりしと云々。「2月11日の父の生誕祝に補聴器を贈れ」と母。
皮膚科のDr.に呼ばれ湿疹の薬かはる。成城大学庶務課に電話し、看護給付用紙を送ってもらふこととす。
坂根生来り、八重樫・四条2生来り(文化史一同よりと缶詰)、坂根生に17日転居の手伝たのむ。
やがて正平、万美子姉弟来りしゆゑ、これにも手伝たのむ。
坂根生20:00去り、姉弟21:00去る(※14文字略)(坂根生、果物缶詰2ケもち来りしを、姉弟にもちかへらす)。

1月13日
けさ快調。立教大学教務課に電話し、休講と転居届出づ。森Dr.午后まで来らず、来しと星城高校入学の話すれば名簿もちゆく。
夕方、中沢、浅賀、村田の3生来り、花呉る。「尼さんのおなら(※フランス菓子)」のドイツ語しらべつかず。
けふ海老沢有道氏に紀要の原稿ことはる。出校来週早々もむりらしきこと今日はじめてわかる。

1月14日 △
9:00成城大学庶務課に電話、「用紙すでに送った」と。高尾嬢に電話すれば「届ける物あり」と「四条・八重樫生に托せよ」といふ。「大阪の住山生より電話ありし」と。ついで松村達雄氏より「明日来る」と。
悠紀子来り、片岡女に6千円払ふ。あす掃除に来る往き来りに寄れといふ。『果樹園』48もち来る。堀ノ内歴速達にて云々。
午后を下痢せしため2食pãoとす。Cheezeうまし。缶詰を看護婦らへともちゆかす。
19:00林富士馬夫妻、菓子もちて見舞に来らる。

1月15日
9:30悠紀子が弓子、京つれて来るまで床にゐる。東洋文庫より抜刷20部その他。太田陽子夫人よりclass会の問合せ。すぐそれに返事かく。
成城大学へ試験・reportの別の届出す。父母来り、新居見にとゆく。正平来り同(けふ大江の嬢の誕生祝と)。
四条・八重樫2生成城大学気付の賀状4枚と購買券もち来る。
午后弓子のみ残して帰りしあと、松村達雄君来り、すぐ西保泰男氏(※大保香料株式会社御曹司)。「岸町を訪ねききし」と自動車にて来り、香水1瓶賜ふ(松村君カステラ?)。そのすぐ帰りしあと(近々Franceへ2度目にゆき永住やもしれずと!)、杉浦夫人来り、いろいろと杉浦(※故杉浦正一郎)の病状はなす(Cyclamen1鉢をたまふ)。18:00松村去りゆく。
みなひとの知りし秘密の内臓と心のきずといづれか重き。
弓子19:00に帰らしめ、20:00丸に電話かければ「森Dr.に(※御礼の件)ききおかん」と。

1月16日
悠紀子8:30に来るまでに起き、朝食をのこすのみとなる。
帰らんとするところへ俊子姉来り、三郎兄すぐ出てゆく。片岡附添来ることおそく(成城大学教務課に月火水の休講を届出づ)、田島、高井、鈴木、野口の4生またCyclamen1鉢もちて来る。
その帰りしあと市野など隣組来りさわぎゆく。俊子姉の手術15:40より16:20までかかり、そのあと森Dr.に会ひにゆけば帰宅と。
けふ森田宏子夫人、濠洲より年賀状、これが賀状の最後ならん。
けふ寒く日中2℃と。冷雨降る。23:00眠れぬまま賀状の分類す。
帝塚山短大の教へ子 104?
成城大学 30?
浪速中学 12?
立教大学 3
東洋大学 2
滋賀県短大 2
聖心女子大 1   154

1月17日(日)
俊子姉好調と。9:00前、母来り、のり巻呉る。三郎兄、ミツ子つれて挨拶に来る(青山学院と明治学院志望と)。
10:45万美子来る。Cyclamen1鉢もちゆかす。11:30坂根、弓子、京来る。Cyclamen1鉢またもちゆかす。
加藤とみ子夫人より歌集と詩集、住山重子より「今度は会へず」とのハガキもち来る。
12:30悠紀子、依子、服部三樹子氏をつれて来り、「丁度来合せし」と。「顔の相かはり良くなりし」と。
15:30坂根生と正平と来り、12:00自動車つきしと。待つ中、中華そばとり、服部女史甘い物とCyclamen1鉢と買ひ来る。
18:00やっと悠紀子ら来り、万美子先に帰りしと(母、transistorもちて去る)。母、来かたおそしと弓子ら叱られしと。
服部氏去りしあと20:30荷物もちて去る。京、弓子あす休校と。
けふ風呂たてられざりしと。(※岸町では)猫捨てて来、(※吉祥寺の)中西家、犬2匹すてしと。家賃13日分返され敷金返却受けしと。
けふ来し便にて「満蒙史料をよむ会」第2,4水曜日11:00と。西村公晴氏より「わが歌3首『風日』にのせた」と。
けふ森Dr.、22日17:00和田氏と会見ととりきむ。20:00skiiより帰りし咸子夫妻わが室にも挨拶してゆく。

1月18日
晴、悠紀子8:30来り、よべ新居寒かりしと。10:00森Dr.来り診察、挨拶して退院となる。
近くの遠藤商店(和田夫人不在)に、火鉢と灰皿と返却にゆき、出て吉祥寺2856中西家まで歩く。
未亡人在宅、挨拶し、本すこし整理し、父来りしを悠紀子、教育委員会へゆかしめれば、父帰りゆく(けふ病院へ1,600余払ひしと)。
東博氏の歌集『蟠花』受取る。弓子18:00帰宅。転居届書きてわたす。京、5年4組に編入ときまりしと。
中西家の子らのわかしくれし風呂に入るや、依子帰り来る(20:15)。通勤1時間45分かかりしと。

1月19日
10:00出て(京、井之頭小学校へとゆく。担任星野先生は法政大学東洋史出身と)、転居通知あつらへしに1,260と(500円内金としておく)、21日夕方出来と。
吉祥寺医院へ寄り、調薬のまに古本屋にて『千一夜物語11(60)』。吉祥寺より下北沢まで20分にて(※成城大学まで)結局1時間近くかかるらし。
事務に届を学長あてにすべしと教へられ、講師室にて諸氏に盲腸炎の説明し、『果樹園』くばりrice-curry食ひ、栗山部長に教授会欠席いへば「学科の廃止につき出よ」と。
大藤教授に代弁せしめることとせしもつかまらず、今井氏に説明して出る。けふ、Cyclamen1鉢は650〜700とわかり気の毒。
梅ヶ丘下車。和田先生お訪ねすれば、わが論文まだよみたまはず「川久保ほめてゐたよ」と。古稀記念論文集出ると。明日の李朝実録抄の会のこと申上ぐれば御承知。
出て吉祥寺にてまた古本屋4軒見て矢野仁一『動かざる支那(30)』見つけてうれし。
引越し前に来しハガキ2枚。川久保「13日ごろ在京。盲腸炎入院きいた」と。海老沢有道教授より喪中欠礼と。夜、帝塚山短大の賀状分類すれば1回1、2回18、3回9、4回15、5回17、6回30、7回13、8回1なりし。
(けふ帰りし時、平田聰子2女つれ林檎もちて見舞に来をり。森Dr.よりミツ子に托せしとの虫垂炎の診断書をもちくれし)。

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1月20日
曇。9:30出てお茶水。神保『昭南日本学園(20)』なる愚著買ひてのち、橋上に並んでbus待ち、東大東洋史研究室にゆき転居とどけしのち3階の研究室にゆく。
11:10より李朝実録抄の会。神田信夫教授の読釈。10人位にて三上氏出たり入ったりす。
13:00すみて出、田村にて昼食、Hamburg-steak(180)。地下鉄本郷3丁目より池袋。西武dept.に宮崎女史訪ね、転居報告す。
『日本歌人』あす出来上る由。出て入場券買ひ西口へ通り、taxiにて立教大学。12月分手当4,140もらひ、教務にreportとする旨云ひ、久保生の受験みとめしめ、研究室へゆけば山田助手「抜刷岸町へ送りし」と。
転居届け、井上幸治氏のゐるを知りてともにゆき18,9年ぶりに挨拶す。「4月より神戸大学をやめ立教の専任になる」と。うれし。
手塚教授に転住の挨拶し、裏通へ出れば中野行のbusあり。古本屋休みとわかり、次のbusにて中野駅北口。
吉祥寺南口へ出て『朝鮮民族の歩み(70)』『東洋性典集(250)』買ひ、coffeeをstandでのみ(30)て帰宅。
聰子また子をつれて来り煉炭呉る。
けふ吉祥寺医院へやっと看護承認申請書用紙来り(13日出し)しと。(中野より宏池会へ三水会欠席と転居とを電話す)。
太田陽子夫人より吉祥寺宛の第一便。

1月21日
晴。本の整理してのち、吉祥寺医院にゆき、森Dr.に膏薬はがしてもらひ(明日松村達雄氏も呼ぶと)、病室に俊子姉見舞ひ、出て中野下車。
空腹にてとびこみし料理屋寒く、ライスカレー食べ、堀口太平氏に15:00訪問と電話し、busにて池袋2丁目下車。古本屋見しあと研究室にゆき、『史苑』の誤植訂正を提出。講義にゆけば3名とも出席、「ヌルハチ年譜」を講じ、14:00誘ひ出て喫茶。東口よりbusにて江戸川橋。堀口氏に「僕の新年」の印刷たのむ。土曜に出来と。Chocolate坊やにとおき、角川書店にゆかんとせしが、疲れて新宿行のbusにのり西口より乗車。高円寺下車。赤川草夫氏に移転通知にと「赤ちゃん」に寄る。この間、松井氏来て噂せし由。
疲れて吉祥寺。移転通知300枚出来あり。1,200にまけてくれし。帰れば柏井尚子、田中正平(城平叔父29,30のどちらかを選べと也。竹田龍児氏病欠と)。製本屋わびかたがたCrawfurd『A descriptive dictionary of the Indian islands』もち来りしと。
山中タヅ子より「また婚約解消」と。わが太田夫人へのおしゃべり咎め来る。
坪井勝也より見舞。『墓標』の出版記念会を再び30日にと。夜(※新居での)入浴快し。
(国電にて幼方直吉氏と遇ひし。西川より依子に電話、見舞いひ夫人まだ入院と)。

1月22日
晴。寒し。11:00までに転居通知100枚とし、noteこさへずに出て、三田村、今西、中村の3教授に抜刷送り、定期券買ふ(1,300)。
渋谷にて雲呑麺昼食とし、聖心女子大へゆけば入口に田中保隆教授、ひとと話しをり(あとにて中村光夫ときく)、転居通知と『果樹園』とわたし、海老沢氏にも会ふ。
1限講義出来ず、試験問題を「Tatarについて」とす。
2限は休み中に予習し(教務に移転届し、青山定雄氏にも遇ふ)、やの了へれば14:30。試験問題は「忠王李秀成の一生」とす。
出て広尾より都電にて信濃町、角川書店へゆきHeine15冊買取る(840)。あと追ひ来て『図説世界文化史』を送るといふがありし。
大久保にて下車してcoffeeのみ、吉祥寺に16:30着き、森Dr.不在ゆゑ、俊子姉の室へゆけば悠紀子をり。俊子姉明日退院と。
17:00外科へゆけば森Dr.、ややして和田Dr.、松村達雄君の来会を17:30まで待ち「鳥忠」といふへゆき雞の水煮ごち走となる(6千円余)。
■■に松村君と会ひ西潟高校長に二人にて会ひにゆくこととなる。20:30散会。
Taxiにのりて下りがけ財布を「鳥忠」に忘れしに気づく。中に研究室の机の鍵あり。
けふ坂根生来り、渡辺三七子の見舞預りしとて、林檎もち来りしと。
けふ電気水道の工事すみしと。夜、ねむれず転居通知100枚を書き了る。時に0:30。

1月23日
7:00起き飯くひ、ひげ剃り8:00吉祥寺より井之頭線にのれば混む。8:40着き、欠勤届出し、東洋文化史15分漫談(2月6日終了と)と、鈴木生に全快祝のHeine4冊わたし、会計にてsalaryもらひ(差引3万円余!)、庶務へ看護願出し、PTAよりの見舞金5千円受取る!田中久夫氏まち、今井氏より報告きき、3年生にまたHeine7冊わたして出、田島、鈴木2生を喫茶にさそひしも店あきをらず(製本代250なりし)。吉祥寺まで来て「鳥忠」にゆけば「財布は森Dr.に届けし」と。礼いひて出、クセジュ文庫『仏教(80)』買ひ、森Dr.より財布受取り、 干芋かひて帰宅。
芳野清君より見舞状。桜井里江子とは中田富子なりしと鬼怒川の旅行先よりの便りにてわかる。
山本夏津子より「子供うまれし」と。立教史学会より写真。
15:00また出て山吹町へゆけば堀口太平君不在にて「校正せよ」と。むっとして「まかしたと云ったのに」といひ、1時間後を約して早稲田。古本屋見しも『梅花一両枝(50)』『絵本西遊記(30)』買ひ、また江戸川橋。鰻丼くひ(150)て17:00ゆけば堀口をり、まだ乾かざるを渡され、値段きけば300と。500置きbusにて四谷見附。
直行して帰来。けふより「読売夕刊」入る。

1月24日(日)
寒し。悠紀子、立教女学校入学のため柏井尚子と小金井へゆく。帰り来て寒し寒しといふに不快。八木氏、鍛治初江2氏より見舞。畑山博氏より電報「オタノミアリダンワタマヘ」と。悠紀子にゆかせれば立教の入学のこと。
上田阿津子より「春また来る!」と。坂根千鶴子16:00来り、神風連を公演する故参考書かせと。夕食赤飯炊きしを食はせport-wine2杯のみて18:30帰りゆく。

1月25日
寒し(夕刊にて吉祥寺−7度と見ゆ)。8:30出て成城大学。途中郵便局にて切手50枚買へば礼云はる。高尾嬢手伝はせて貼り、これにて賀状すむ。
LVに答案返し、清代の文芸すませ、rice-curry食ひ坂根生の電話きき、明後日16:00高野Fruits-parlourで会ふことと し、『竹崎順子(※徳冨盧花著)』見つけしのみ。
出て下北沢、古本屋にて紙入れ忘れ来しに気づき、鴎外『分身(200)』のみ買ひ、畑山夫人に電話し、立教中学の入学斡旋効なからんといふ。
帰れば紙入れあり、悠紀子王子へゆきて帰らず。押入れの整理ほぼすむ。白井紘史より岸町へハガキ(20日帰京せしと)。
史よりハガキ「皆元気と思ふ」と。(※術後の)我への懸念示さず!
昨日、火野葦平心臓麻痺(※報道)にて死に(52才)、けふ読売賞の詩歌部に村野四郎受賞。保田與重郎の歌最終までのこりしと読売に見ゆ。依子22:00帰宅。

1月26日
7:45家を出て8:40成城大学着。山本文雄氏より「転居届ついた」と。短2Aに答案返す。けふはおとなかりし。
30分して出、前田教務課長と話し、三井物産社員として昭和11年より16年までSumatraにあり、小山いと子女史を識ると。話すところへ高橋邦太郎氏、卒論の面接にとお越し。腹へり「すみれ」へchicken-rice食ひにゆき満腹、苦し。
松村達雄君と会ひ、その来学年出講きまりしを傍聴。出て(山田俊雄氏に柴祭、燔祭についてきかれ、ついで瓶子の首落つの故事(※鹿ケ谷の陰謀)について訊ねらる)、下北沢より久我山で下車。SS書房なるを見しも何もなし。
吉祥寺ガードの下の散髪屋(180)。帰宅して川端直太郎、硲君2氏の転宅祝賀。上野、佐々木2生赤倉よりのヱハガキ。西島寿賀子より寿一君のとりし写真と、母の讒訴の手紙(けふ悠紀子にも八郎夫人より同種の手紙来りし)見る。
『不二』に杉浦明平の日本浪曼派(主として保田の)の攻撃に対し影山氏の反撃のりをり。夜、入浴。
(けふ鍛治初江氏に手紙かく)。東大東洋史研究室より「和田先生古稀記念論文集の諾否と題名を2月末までに」と。「400×20以内」と。

1月27日
下痢大したことなけれど鈍痛。年賀ハガキ5等、筒井護郎、小山佳子、三田村泰助、鈴木正義、天野忠、前川佐美雄、早川敏一、井階房一、春名一満の諸氏のハガキ。郵便局へ寄りて登校。
史学研究法の予習せしも旨くゆかず。野田宇太郎氏「吉祥寺の無名会(※不詳)へ入れ」と。若菜弟に云ひて龍土会のprintもらふ。
阿部知二氏とも会ふ、「多忙」と。sandwich食ひ、今井氏と学科の打合せして出る。丸重俊来てをり「中野清見と父、きのふ23:00まで会ひゐし」と。煦美子、ゆみ子にも遭ふ。
16:00高野へゆけば坂根生をり、『竹崎順子』と『日本歴史』と貸し、桜木町へゆくといふに別る。
森Dr.に寄り中野の来るやもしれぬこといひ、地図かかす。
けふ悠紀子、和田統夫へゆき賀代氏よりの鏡台もらひ来しと。藤井陽子夫人岸町へハガキ。塩見薫、浅野晃、徳永ユリ、小高根二郎の諸氏より吉祥寺あて。
『日本歌人』正月号来る。京都大学東洋史研究会へ転居通知。

1月28日
寒し。前川佐美雄氏よりハガキ。中野清見の本2冊もちて森Dr.に寄る。会はず。高円寺下車。三和荘へゆきしに万美子姉弟をらず、名刺に「29日夜来る」と書きて置く。中野まで歩き疲る。busにて池袋2丁目。1月分salaryもらひ、手塚、清水の2教授に挨拶す。
もはやおほかた休みらし。3生にNurhaci年譜講じ、「3月15〜17日の卒論面接までに我家へ来よ」といふ(久保生大学院に残るやもしれずと手塚氏の話なりし)。
出て古本屋見、中野昭和通りにて下車。また古本屋を見、『佐倉宗吾』2冊を丸へと買ふ(80)。
帰れば西宮一民君「(※帝塚山学院)学長候補1回卒業の理博」と。山根忠雄君「賀状おくれた」と。
城平叔父「29日朝着京、30日離京の間にぜひ会ひたし」と。

1月29日
9:00朝食、聖心女子大休講ときめ、本の整理ざっとすます。今西春秋氏より「抜刷受取った」と。
12:00出て亀井勝一郎邸にゆき夫人に転居いふ。ついで竹内好を訪ぬれば在宅。「しらせれば見舞ふのに」と。『近代の超克』呉る。日本浪曼派を論じをり(※筑摩書房『近代日本思想史講座』第七巻「近代化と伝統」所載)。
歩きて一旦帰宅。16:30夕食すませて(武田富子、笠野芳子より見舞)、出て高円寺。丸邸へ18:00つき、礼いひ本を贈る。
それより歩きて三和荘。叔父をりて夕食するところ。いろいろ聞き、(※恋愛の話)反対なれど万美子ベタ惚れなり。牛肉の味噌漬もらひ、万美子にbusの停留所まで送られ荻窪。帰着22:00。

1月30日
よべ少しねむれずport-wineのみし。8:20下北沢にてまちがへて急行にのり向丘遊園前までゆき引返す。富士を見し。
「朝鮮の文化なにもなくなりし」といひ、図書館下にをり、田中久夫氏に会ひしあと出て12:00まへ帰宅。
金沢良雄「2度Wienにゆきし」と。京帰りしあと悠紀子と森Dr.に礼(小切手1,000)にゆき、夫人に会ふ。ついで成蹊前よりbusにて三鷹。浅野Dr.にゆきしに、これまた夫人。別れて古本屋2軒を見、一旦帰宅。
清水文子、山内和子(呵々の会作りしと)、萩原葉子((※出版記念会の)写真。(※『果樹園』に書いた)「悪い恋愛」に怒りゐずと)のたよりを見、16:10出て資文堂『史学要論(30)』Rilke『Ausgewählte Gedichte(※選詩集)』2冊(300)買ひて井之頭線にて渋谷。地下鉄にて新橋、駅2階の日本食堂に中村漁波林『墓標』の第2次出版記念会にゆく。著者、村松正俊の外、『詩人連邦』の同人そろひしを見しも村松氏話さず。田中冬二氏と話す内しんどくなり、野長瀬正夫氏より「見ちがへた」といはれ、近藤東を見しも話さず。
1時間余おくれて開会。面白くない顔をして人々の話をきく中、隣に来て坐りしは勝承夫。ついで木山捷平来り、これはなつかしく、20:00になりしゆゑ中座。幹事の安西均(朝日やめて帰京と)、木原孝一に慇懃に挨拶されて帰宅。

1月31日(日)
晴。暖し。京の担任野村先生より旅費積立返却。高松直子より「呵々の会」のこと。松本善海君へ「来るに及ばず」とハガキ。羽田、松本、久保3同級生に抜刷。加藤とみ子夫人に詩集と歌集の評。
午后悠紀子京また聰子へゆく。

2月1日
9:00出て成城大学、中国文学史の最終時間なり。相馬弘来て史を見す。川上恭正に「藤野先生小伝」よめと『中国文学報4』貸す。
伊達教授に会ひにゆきしに来ず。report提出者少数。不快にて出て吉祥寺へ帰り、森Dr.訪へば夫人「中村といふ夫妻」来たと云ひしと。
和田夫人けふ成城へ願書出さざりしと。明日来ることとなる。(けふ正平、坂根生偶然ひる前電話かけ来し)
帰れば悠紀子をらず。立教大学史学談話会より「10日13:00〜15:00第2食堂で卒業生の送別会」と。
咲耶より見舞のハガキ。千川義雄のハガキ。和田節子氏より海苔2缶、見舞ならん。野村先生へ礼状とHeine。

2月2日
9:00短大の中国文学。最後の講義といへばわりあひ静かなりし。(※52文字略)
昼食して松村君待てば来り、10日まで多忙と。来週けふ打合せすることとし『歴史手帖(80)』買ひ、うろうろ時間つぶし教授会。
今井氏欠席、組合の改選あり、われ5票にて次点、浅沼氏再選、大宮氏新任。大藤、池辺2氏と来年度学科の相談す。
帰り下北沢下車。古本屋見て「Penguin」にてcoffee。吉祥寺にてまた古本屋見しも何もなし。
和田夫人より送り状。堀ノ内歴君よりも何か送りしと近鉄dept.より。
西川英夫より「夫人近々退院」と。鈴木正義のreportに無礼の手紙つく。

2月3日
悠紀子、杉浦夫人に礼にゆく。竹田龍児氏「伝研病院に入院」と。丹羽千年よりハガキ。
『果樹園』ら500円と「尼さんの…」を送る。和田節子夫人へ礼状。

2月4日
晴。暖し。湿疹かゆく憂鬱にて家居。依子も疲れて欠勤。
山口広氏より見舞状。中沢晴代より送り状とreport。山本氏の長女に就職ありし模様を子供手紙預り来る。
悠紀子、高円寺へゆき、なかりし丹前を吉祥寺で買ひ来る(1,100)。

2月5日
晴。9:30家を出て浅野建夫君を訪ひ、湿疹みせれば三鷹の松崎医院を紹介さる。すぐゆきて薬塗布、注射受く。酒や刺戟性の食物不可。睡眠剤を打つゆゑ午后来よとのこと也。
一旦帰宅。堀内歴君の見舞状を見、11:00出て聖心女子大学。田中保隆、海老沢の2教授に会ふ。そのあと助野助教授より「海老沢氏立教大学専任となり田中保隆氏講師となりし」ときく。めでたし。
2時間すませ(Uは西太后、Tも訳でなく梗概とかへし)、都電にて並木橋下車。大にゆけば父母と3人をり、11日17:00より喜寿をも一度と。
出て古本屋見しも何もなく帰宅。堀内君より奈良漬来り、小高根二郎君より「『果樹園』2月号休刊、50号より月末締切」と。不快。
堀内歴君へ礼状書く。

2月6日
よべ痒く睡眠不足。9:00前、成城大学へ登校。東洋文化史に「Mongolsの文化」講じ、年度終りとなる。
田中久夫氏に会ひ、土曜出校が都合よしときく。林Dr.に電話すれば「午まで在宅」と。
すぐ出て新宿でのりかへれば矢野昌彦に会ふ。池袋で別れbusにて林邸。Rilke2冊贈りて全快祝とし、大塚まで歩き、山海楼で炒麺食ひ、都電にて畑山氏にゆけば在宅。「3月末にて大島豊をやめささんと思ふ」と。
茶菓子ふるまはれて出、池袋までbus。宮崎智慧氏に会ひ、東博の出版記念会をきけば「知らず」と。
出て荻窪下車。古本屋見つからず。また国電にのりて帰宅。
古田房子より「武居豊子の家焼け父焼死。なぐさめよ」と。18:00夕食すまし松崎医院にゆく。帰りて炬燵にて同じく痒し。

2月7日(日)
晴。暖し。朝食後また一眠りして覚めれば悠紀子、寿一宅へ祝返しに出しあと也し。
11:30松崎医院へゆく。睡眠前1時間にのめと薬渡さる。太宰治の家見んと近くまでゆきしがわからず。
帰れば羽根弥与子と山川京子女史のハガキ来ありし。悠紀子21:30帰り来り、叔母また狂人となりゐると。

2月8日
晴。暖し。10:00成城大学へゆき中国文学史の試験37名。すみて村田「report受取るや」と。「受取らず」と答へ、今井氏と教務課長に会ひ、来年度講師依頼の件きまる。
出て経堂ですし食ひ、小高根太郎を訪ふ。14:00出て帰宅。
『民間伝承』来をり、明治書院より税申告書。夕食後松崎医院。夜、加藤隆子よりreport!
けふ山川京子女史に遇ひ挨拶す!

2月9日
8:30成城大学。短大2年の試験をす。すみて松村達雄君待つま、成城園へ炒飯くひにゆき、成城堂で『明治維新の舞台裏』、角川『森鴎外』買ひなどして時間つぶし、阪本短大長(※坂本浩)に池辺君の来年度の担任ききにゆく。松村君午すぎても来らず、1時間すみて教務へききにゆき、欠とわかり帰宅。途中『千夜一夜7』を見つけて買ふ(50)。夜、松崎医院へゆく。次第によき模様。
けふ19.3℃と異常に暖かかりし。△ 辻芙美子生よりハガキ。平塚生より「13日16:00久保、高田と来訪」と。けふ西川英夫に電話かけしも不在と。

2月10日
平塚生、承知とハガキ書き、9:00出て東大。桑原論叢の浦廉一『漢軍鳥真超哈』見てのち李朝実録抄の会。
田川孝三氏来られ、後藤均平君の読み神田信夫とは比べものにならず。次回24日。
12:00すみ、本郷3丁目より地下鉄にて新宿。下北沢にて下車、中華そば食ひ、漢文の試験にまにあふ。
すみて吉祥寺へ帰り、森Dr.に会へば「今夜20:00自宅へ来よ」と。小高根二郎君より「同人費受取った」と。
住山重子より見舞。夕食後、三鷹の松崎医院、塗薬もらふ。一旦帰宅。
森Dr.にゆきて「和田裕君、日大世田谷高に合格、されど成城たのむ」と。松村達雄君に電話すれば「土曜、西潟校長に連絡し日曜以後の面会申込め!」と。夜、疲れて眠れず。

2月11日
阿南惟敬君より「講義に自信なし教乞ふ」と。渡辺三七子より「今年のあきか来年の春に結婚の話ついて!」と。
民俗学研究会より「20日(土)15:00〜20:00向ヶ丘紀伊国屋にて羽入田・重久2生の送別会」と。
立教大学のreportの採点す。久保97、高田95、平塚91.平凡社アジア歴史事典編集部に「蘇四十三の乱」書かずと返事。
16:40京の帰宅まちて出、松崎医院。Dr.「昨日は税務署来り不快にて物も云へざりし」と。悪酔の薬賜ひし。
出て渋谷猿楽町に17:20着(※父、西島喜代之助喜寿の祝)。健来てをり、青木夫婦、寿一母子とにて10人となる。
われ酒のまず。叔母の寿一にいふこと一々勘にさはり気の毒。例へば「これのみは西島の筋でなき故、頭悪しと寿一のこと嫁が云ふ」と。
19:00その寿一君に写真とってもらひ、吉祥寺駅よりtaxi(80)にて帰宅。京すでに眠りをり。

2月12日
曇。寒し。〒なし。11:00出て聖心女子大学。海老沢教授「立教大学へ転任のため収入減ずるも母校であり史学科の創設者なる責任をとって」と我にいふ。われ「公私ともにめでたし」といふ。
Uの講義にゆかんとすれば稲富生「家族のアメリカ行を送りにゆく」といふ。他にも欠席多し。
Tの試験3月1日、Uは26日、ともに13:00より。
採点報告は3日16:00までにすと徳富女史にことはる。帰らんとすれば「先生」の声あり。珍し。ともに坂下りて別れ、寒がりつつ帰宅。
松崎医院へゆきて夕食。その後はじめて「望の湯」といふへゆく。広くきれいなれど熱し。(けふ帰途、吉祥寺医院へゆけば山本看護婦「森先生、お友達と喫茶店」と。ゆき見しに見当らざりし!)。阿南惟敬氏へ「来週水〜日までに来よ」と返事。

2月13日
成城大学へ東洋文化史の試験にゆく。池田教授補助としてあり。城田信夫(UC)noteを写真にとりてもちをり、よめず中途で出てゆく。他にnoteなきが2人。1人は出てゆき1人は友のnote(これはcopyなりし)を借りゐて池田氏より注意受く。
すみて百瀬・高田2教授と話せしあと西潟高校校長に会ひにゆき、あす在宅とききしあと、森良雄君より電話「むりをしないでくれ」とのことなりし! 松村達雄君に寄りていへば、むりする気はなかりし也と。
吉祥寺医院に寄れば森君手術まへ。「夜ゆく」といひて帰り、川久保より抜刷の受取(18日転宅後の岸町へゆきしと)見てをれば森君来り、入れば必ず成城へゆくとのことなりし。
そこへ高田、久保、平塚の3生来り、平塚生、白鳥きみ子夫人の手紙と菓子と預り来る。19:00まで夕食せしめ、beerのます。高田生、清水へ帰り静岡へ通ふと。送り出して松崎医院へゆく。

2月14日(日)
11:00京をつれて三鷹へゆき、平田家へゆかしめて、われは松崎医院。Dr.「姪を成城短大に受けさす」と。
帰りて昼食すまし、松村達雄君へゆかんとせしに、駅にて森君に遭ふ。「和田坊やの日大高校に合格せしことは云ひし」と。松村君呼び出し、下北沢下車。菓子(770)買ひ、松村500出せし。
西潟高校長にゆけば来客と。散歩して再訪、同氏明治39年生、田中中学校長は40年生と。よろしくとたのみ、下北沢「Penguin」にゆきbeerよそよりとりよせてのみ、森本夫人にも遭ひしてのち、松村うるさく誘ひ、新宿の「玉川」とかにつれゆかれ、またbeerのみ、先に出て保田『佐藤春夫(20)』『パキスタン(50)』買ひ炒飯食ひて帰宅。痒し。
『パキスタン』は東洋大学出版部より出、内藤、■林、村上正二など日パ協会の理事者なり!

2月15日
城平叔父より速達「21日(日)三和荘で午食し、結論出さん」と。ハガキにて「承知」と返事。白鳥夫人への礼状。
渡辺三七子への祝辞とともに出しにゆき、森Dr.にゆけば多忙。会ひて和田博士夫人に西潟校長へ挨拶にゆくことをすすめよといひ、外口書店にてこの間より探しゐし『日本童謡集(80)』見付ける。よみて見れば何のことなし。
悠紀子ひるねしをり。『帝塚山文芸クラブ11』来る。太田夫人の努力察するに余あり。
14:30松崎医院にゆき、帰り近火見舞(三鷹八丁の古本屋昨夕焼けし也)に平田家の前にゆきしも留守らしかりし。保田與重郎より見舞。

2月16日
筑摩書房より『現代詩集』重版の挨拶。12:00出て成城大学、教授会にて社会科の教員免許状通りしときく。
教育大の楫西光速(経済学博士と)氏、昨日来り、けふまた電話かかり、令嬢受験さしたしと。
下北沢で下車。『大和文学巡礼(50)』買ひ、雲呑たべ、松崎医院へ願書もちゆけば令嬢薬大受けてのちのこととすと。他人事はみな気楽に考へてよきらしきも松村君にそのままとて気になる。
△あたたかくげんげ咲く野をゆきゆかん日をばおもひてけふもねむらん。

2月17日
相野忠雄より「18日着京、19日より2,3日滞京。諸友に会ひたし」と。
12:00松崎医院にゆき、帰りて服着換へ、森Dr.に「松村君に連絡せよ」といへば「けふ和田夫人来る故、その話ききてのち」と。(太田陽子夫人に礼状。本位田昇に転居通知出す)。
竹内好にゆけば不在。夫人に相野のこといひ、西荻窪までbus。東京駅までゆき西川英夫に会へば「夫人いまだに入院、相野の歓迎会に出席する」 と。加藤定雄に電話せしに不在。
有楽町へゆき桐山眞を毎日新聞に訪ねしに不在。Rice-curry食ひ、田中順二郎君に電話せしに不在。田中勤氏訪ねしに帰りしあとにて、桐山君また訪ねしも不在。室清のこと思ひ出し、第一生命受付にゆきしに「社員になし」と。明治生命教はりてゆけば事務調査室長なりし。茶菓ふるまはれ、明後日相野より連絡さすこととして出、日比谷よりbusにて溜池。
三水会(電話してけふありと確かめし)に出て21:00近く散会。田中忠雄、浅野晃、齋藤晌3氏とtaxiに同車。新宿へ出る。齋藤氏別れぎは「東洋大学の裁判の証人たのむやもしれず」と。
古本屋見しあと高円寺へ出、「赤ちゃん」にてHighball1杯のみ全身痒くなる。太田夫人より入れちがひに手紙。3月6日class会と。夜半まで眠れず。

2月18日
10:00すぎ阿南惟敬氏、逗子の饅頭もちて来訪。向ひの片根氏は夫人の姉と。李朝実録抄の会に出よとすすめ、抜刷2部もち帰りもらふ。
昼食して松崎医院。Dr.往診中にて歯科のDr.に注射打ってもらひしあと、先生帰来。帰宅すれば太田常蔵君待ちをり、見舞にと菓子たまふ。
桜井芳郎君校長となりしと。けふ台北より「十七世紀台湾英国貿易史料」来り、『ジンギス汗』買ひし。
平凡社より『順治帝』『シロコゴロフ』20日までにと。西宮一民君より見舞。城平叔父より「21日午、会ふことにしてくれて多謝」と。
吉森幸子夫人より「夫に会へ」と。17:00荻窪下車。天沼三田氏訪ぬれば「相野君20:00着京」と。「室に連絡せよ」の置手紙して帰来。けふは寒し。

2月19日
朝、電報「ハハシス、トシカズ」。悠紀子9:30出てゆく。
われ朝の郵便にて新藤千恵の『詩集現存』受取り、松崎医院にゆきてのち渋谷東横にてrice-curry食ひて聖心女子大へゆけば、ほどよき時間。
最後の講義みな早めにすませ、都電停留所前にて散髪し、16:30西島寿一に弔みにゆく。山口夫妻と定子とをり、千草、悠紀子台所にをる。香料1,000包み、悠紀子を帰宅せしめてのち山口翁の健康法をききて中座。
東松原にて夕食、炒飯。永福町より相野に2度目の電話すれば「まだ帰らず、class会は月曜17:30より学士会館で」と。
帰宅すれば2児夕食しをり、悠紀子まだ帰らず。城平叔父より「日曜15:00-16:00三和荘で」と変更の速達。
入浴し薬用石鹸使へば快し。気になりし採点、4年のみ2枚やることとす。「平家物語雑考」の校正来をり。
けふ「3月8日15:00より謝恩会」との聖心女子大4年の手紙もらひ、ことはりし。

2月20日
10:00前出て(Morningにて)成城大学。短大2年と学部4年の採点のみを渡す。鎌田女史にけふの会欠席をいひ、平凡社に電話して『アジア歴史事典』の締切問へば「月末」と。バカらし。
出て梅ヶ丘。rice-curry食ひ(70)、西島寿一にゆく。父来をり、林敏夫、難波和子姉弟に会ふ。青木父子も来る。殆ど物云はず受付にまはり、14:00すぎhire来ず霊柩車を待たすなど、もたもたせし。
送り出して天幕こはし手伝ひ、寿一の会社の社長来しを家に案内す。14:30出んとせしに秀樹すしもちて追ひ来る。
吉祥寺着、森Dr.に会へば「和田夫人西潟校長に会ひし。けふ松村君に電話せん」と。帰宅。
田中マサ子より「夫と坊の病気のため見舞おくれし云々」と。室より「22日(月)17:30神田学士会館ロビーに集合」と。
夜、松崎医院にゆきDr.、太宰、田中英光の検屍をせしときく。浅野Dr.にゆき経過報告す。「平家物語雑考」の初校すむ。10p.o
(けふ井之頭線吉祥寺にて竹内好見つけ、きけば旅行と。昨日わが家に来しも無人なりしと)。

2月21日(日)
白井紘史より「Arbeitにてモデルとなりゐる」と。川勝重子より「今年も上京」と。
11:30松崎医院へゆき、帰りて昼食せしあと、相野忠雄君来訪。「杉浦夫人にゆき見よ」とすすめ、ともに出る途、きけば大阪学芸大池田分校に転じ、篠田、福地両教授を識る。「宮本君は天王寺へ転ぜし」と。今度の上京は転任運動でなしと。
杉浦夫人に会はせ、われは玄関にて別れ、busに乗り、下りれば西荻窪駅なりし!がっかりして高円寺へゆき、万美子にゆけば13:10。城平叔父まちをり結論は「1年を限りて帝塚山に働く。1年後には新築の弟たちの家に帰り来るが好都合。田中勤氏に地面貸すやきいてくれ」(これは吾が発案なりし)とのことなりし。
万美子を畑山氏に会はせ、1年後の転任不可能でなきや否やきくこととす。
寒き風の中、高円寺駅に出、荻窪下車。三田家に寄れば親類集りをり、相野迷惑がる。杉浦家にては夫人友を呼び、何回忌かしをり、今帰り来しところと!吉祥寺下車。雲呑たべて帰宅。

2月22日
加藤隆子の成績もち成城大学へ登校(午まへ松崎医院へゆきし)。高尾宣子、退職することときめしと。鎌田女史に逢へば四条、八重樫2女生わが家へと出しと。
柳田国男先生お越し。池田勉、羽入田宏、川本(桑木厳翼の親類と)とわれを聴衆として大田蜀山人の『調布紀行』よりはじまって武蔵の話され、花袋との交情を話さる。台湾へ大正7年ゆかれし。時の総督安藤大将は叔父なりしと。17:00まへまで立てず。
あはてて四谷よりtaxiにて学士会館。相野、室すでにあり。矢野、谷口、西川、加藤来りて階下食堂にてbeerと定食、すみて「窓」といふにゆきて喫茶。相野を荻窪にて下して別る。2女生、弓子の留守番のところへ来てcakeおきゆきしと。

2月23日
中山八郎氏より抜刷の受取と教へ子の就職につき。鶴崎裕雄、藤田幸子より見舞。曽根桂子より中山姓となりしと。保田、四条2氏へハガキ。
3月20日の謝恩会に出席と返事。午后出て松崎医院。帰ってより退屈し、古本屋見にゆきしに、そのまに正平来をり、夕食たべんとせしところへ坂根千鶴子、本の返却に来る。
ともに夕食すませ、正平とあす目黒駅出口にて15:20待合せ、竹田龍児氏を見舞はんといひ、駅前まで送りゆき、喫茶せしあと財布なきに気づき引返せばあり! 正平に返金してすます。今日16:00すぎ皇太孫誕生と。

2月24日
9:00家を出て東大。岡本氏おくれ三上氏来ず。後藤君の読解にてはじまる。次は田川氏、その次は我なり(阿南君来をり)。
すみて赤門前にてrice-curry食ひ、busにて池袋、立教大学へゆきて2月分手当もらひ、古本屋見しあと目黒駅へゆき、また古本屋を見、つかれて餡蜜くひしあと、正平に会ひ伝研病院へ果物(345)もちてゆく。長嬢来あり、竹田龍児教授やせをり。出て喫茶。疲れに疲れをるも三鷹までゆき松崎医院。Busに中道まで乗り帰宅。
大江房子より見舞の手紙。(けふ和田先生古稀論叢に「漢軍八旗」について書くと返事す)。

2月25日
暖し。成城大学より入試監督をわり当て来る。午后松崎医院。相野忠雄より礼状来りし。

2月26日
10:00万美子来ぬ故、そとへ出れば竹棹売り翁来り、1本買ふ(80)。やがて万美子来りしゆゑ畑山博氏に紹介状かき赤羽中学へゆかせ、出て森Dr.。成績しらべたのまれ聖心女子大学へ14:30着きて答案受取れず。図書館にて待つま、係の女史と話す。お茶水を出て柳田為正、木下治雄を東大動物学教室で識り云々と。
15:00となり教務へゆきしに答案まだ来ず。1日再来をいひ(2、3月分の手当もらひし)、あはてて猿楽町。母をり大、病臥と。4月より3千円呉れとのことなり。万美子よりの電話16:00かかり、畑山氏学校にをらず。家にゆき夫人に会ひ、私立学校へきき見てやらんとのことなりしと。すぐききもらひ父にあひてのち、宮益坂にゆき、『蒋総統伝(200)』、『南洋群島水路誌(50)』、『生きてゐる兵隊(20)』、『ハイネ恋愛詩集(40)』、『千夜一夜2冊(70)』など買ひ、鰻丼くひ(120)、畑山氏に電話すれば「ともかく世話して見ん」と。
三鷹へ直行、松崎医院にゆき平田聡子に会ひ「山本の娘の就職につき賀代氏にたのむ」といひ(子供にchocolate150)、帰りて床につきをれば森Dr.来り、「和田博士夫人、成城気に入らざる様子。あす午飯ともに食ひて話さん」と。
けさ山本陽子、山中(井上)京子、2生より見舞。

2月27日
久しぶりにて雨。小室栄一より「知人の女を短大にたのむ」と。雨と風邪気味とゆゑ、悠紀子を森Dr.に断りにゆかせしに、すぐ帰り来て「ぜひ来よ」と。やむなくゆき和田夫人、裕母子にrice-curry饗されてきけば「ぜひ成城へ来たし。面接では田中先生の名のみ出し」と。やむなくしらべることを約して成城高校へゆけば判定会と。鎌田女史のところへゆけば沖縄より上京の宮部夫人(沖縄のタバコの60%を発売と)と今井、中沢、 川本、重久、羽入田の師弟と対談中なりし。
柳田先生へ2女史出てゆきしあと、沖縄の菓子くひて出、下北沢下車。和田夫人に「まだわからず」の電話かけ、松村邸に寄れば、夫人「いま出しところ。事務よりしらしくるる筈」と。用心に感心して森Dr.にその旨いひ「礼いくらせん」とききていやになり、一旦帰宅。
藤井陽子、秋山昭子2氏のたより見、18:30出て松崎医院。それより荻窪に出て山川京子氏に電話すれば無人。
都電にて丸にゆき、夫妻に相談せしのち西潟校長に電話してきけば「英語、国語(※3文字略)にて云々」。和田夫人にこれをしらせ、猩猩袴と桜草と貰ひ、重俊生に送られ、しるこ食ってのち別る。1日朝、来訪と。

2月28日(日)
曇のち晴。だるければ止めんと思ひし松崎医院。12:00前にゆき、太陽灯あてらる。平田家へ京の伝言もちゆき、平田君と話す。
けふ京の誕生日をくり上げて祝ふとなりし。午后だるくねてをり、〒なく、夕食後『アジア歴史事典』の「順治帝」「シロコゴロフ」書く。

2月29日
悠紀子、王子へ月賦払ひにゆくと云ふに、平凡社への速達托す。中野清見より「明治製菓に会社うれ、3月上京会はう」と。中千枝子より「3月結婚」と。
13:30出て成城大学。史学研究法をのぞき採点報告すませ、3年生5人呼びてreportにつき質問、叱る。この間、大藤、今井2氏社会科免状につき篠原氏にゆかんと来しも明日といふ。
15:30すみ、定期証明書もらひ、丸重俊さそひて出、風月堂にて汁粉くひ、三鷹台に松村達雄君訪ひて和田裕のこと話しあひ、出て三鷹の松崎医院。Dr.不在なりし。帰りて夕食すませしあと、けさ来し万美子また来て畑山博氏「あすあさ電話せよ」といひしと。
都庁の私学課長に会ひに同行せよとのことなりし。『初代川柳選句集(120)』買ふ。皇太孫浩宮徳仁(ナルヒト)親王と命名。

3月1日
中野清見へハガキ。「丸に酒のますな」と。10:00来る筈の丸重俊10:45まで来ず。川本生来ず。自分は道わからざりしと也。ネープルもち来る。
そこへ白井紘史来る。二人とも父は大高野球部なり、ふしぎ。そこへ小室栄一の紹介と富田夫人来り、宏子(国文15)短大を受くるゆゑよろしくたのむと土産おきゆく。
パン一切れ食ひしのみにて2息と出、3月分定期券買ひ、成城大学の教授会。万美子より14:30電話かかりしゆゑ、3日8:30高円寺駅ホームで待合すこととし、聖心女子大学へ答案とりにゆけず17:30まで卒業判定会(本年度文芸180採ると決定)、疲れて出、栗山、渡辺、山田の3氏と同車。
山田俊雄氏とは富士見丘で別れ、久我山で下車、中華そば食ひ、三鷹の松崎医院。
けふ『唐宋八家文 中』朝日新聞より贈らる。ふしぎ。

3月2日
よべ睡眠不足。6:00起され、成城大学へゆけば8:00。8:30までに用便すませ、31教室。国語できず、すみて聖心女子大に電話し、「けふ答案とりにゆく」といひ、浅沼講師と話すところへ来会せしは嬢が文芸受ける堀川講師(朝日論説委員、成城高校3回、昭和10年朝日入社と)。
午后大講堂の社会の監督。すみて出、聖心女子大へゆき答案受取り、神泉まで歩くみち汁粉くひ、『地方史の研究のまとめ方(150)』、『日記(30)』買ひ一旦帰宅。
楫西光速教授「嬢、書類そろはぬが受けてよきや、きいてくれ」と速達。(※宏池会)田村敏雄氏より「広島県の地盤の高橋良子(文芸82、短大103)たのむ」と。
小山正孝氏より「登戸へ転居でなくて残念」と。平凡社より原稿受取。けふ東横dept.で棟方志功滞米欧作品見しに『風日』来あり。夕食すまし(父母来て呆けしるしと)苛々して松崎医院。注射打たれず硫黄泉入湯よしと。『Neapel(10)』、『枕冊子(30)』など買ひて帰宅。

3月3日
8:00家を出、駅まぎはにて財布と速達と忘れしに気づく。高円寺へ8:40。東京駅へ9:10着き、喫茶してのち都庁8階総務局私学部へゆけ ば、佐瀬部長すでに出勤。畑山氏の紹介の名刺出せば先客あり。待たされ、会へば「中々口なけれど―20人に1人の割と―履歴書預らん」と。渡して1分で出、万美子と話し、東京駅より畑山氏に電話すれば、一度話して私宅訪ねんかと。万美子とhotcake食ひ、畑山氏に礼と都合きく電話かけよといひ、西川にゆけば先客。
待ちて会へば疲れて欠伸す。すぐ出て呉服橋へゆきしに、ふと大江勉を住友海上火災に訪ね、昼食くひ、相談すれば「一度帰阪させよ、他にも好く男あり」と。
喫茶して別れ(大阪へ転任を望みゐると)、都電にて小川町。中央大学へ小便しに入りしのち、筑摩書房に東博氏訪へば昼食外出。東京都民銀行神田支店に加藤定雄訪へば本店行。『陸奥宗光伝』托し、「大安」にゆき転居いひ、『太平天国(280)』買ひ、小山正孝君を中教出版に訪へば昼食他出。
水道橋駅にて田村敏雄氏に特別入学のこといへば「いくらかしらべよ」と。「イチ万ならん」といひ、国鉄に乗りしのち気になり、成城大学。教務で楫西令嬢の成績証明書のぎりぎりの期限きけば「6日午前中」と。楫西夫人に電話していひ、池田教授に問へば2、30万円なりと! 不快になりて出、帰宅。
悠紀子叱りて速達出しにゆかせ、夕食後寒き中を松崎医院にゆけばDr.不在。太陽灯かけられ夫人も同病ときく。
帰りて万美子来りしに会へば、畑山氏に電話して「大人の話に」と叱られ大阪へ一旦帰る決心つきしと。21:45帰りゆく。

3月4日
けふも寒し。8:15成城大学。大講堂110:70の女男比なりし。すみて今井氏に小室栄一のこといへばおぼえてゐると。午食くはしてもらひ(栗山氏に相談すれば「会ひてのち」と)、また1時間監督の今井氏待ち、2人して森田順子の文化史変更といふに会ひ、小室君よりの富田生のことたのみて出る。
地下鉄にて虎ノ門、短波放送buil.に15:30着き、田村氏(※宏池会事務局長、田村敏雄)に会ひてきけば「医師の女にて金に心配なし」と。 明日来れば栗山氏に紹介すといひて出、coffeeのみ青山車庫まで都電。中村書店に『四季』の欠本たのみ、『千夜一夜12(50)』買ひて帰宅。
渡辺三七子より「祝いらず」と。夜、松崎医院。薬かはる。(けふ午すぎ岩崎昭弥より電話「14:00離京」と)。

3月5日
成城大学文芸学部面接にと8:50にゆき、池田、相良、大山の諸教授と同席。男生みな不出来にてBなし。高橋生(82)も出来あしく、去年の卒業なりし。栗山部長来りて「会ひし」と。
午后また面接。すみて帰宅。夕食すませしところへ森Dr.来り、和田Dr.夫人よりとtobacco2箱。
松崎医院へゆき昨日に引きつづきアメリカの薬つけらる。あす短大の試験監督にて来れざるをいひし。

3月6日(日)
成城大学短大試験監督にと8:10ゆき、午前と午后とやり、疲れしも午后の助手うるさく、第一に呈出せし答案手にしてよまんとせしに飛びゆきて取ればあとで詫びし。
栗山部長、高橋夫人に会ふ由。帰り富永次郎氏と同行、吉祥寺にて「Ruhe」といふへ誘ひ茶ご馳走す。太郎(※富永太郎)は浅野晃と同窓と。
帰れば〒なく、来客もなかりしと。入浴。けふ悠紀子、田中三郎へ純子の縁談にとゆけば「いま交際中」と。

3月7日
午前中、聖心女子大の採点。稲富生よく出来、「詩の話ききたがったが皆はさうではなく」と書きしがありし。
午后出て松崎医院。引返して『文献双編』9冊と『朝鮮語方言の研究』2冊とtobaccoもち、まづ聖心女子大。すぐ出て都電にて四谷4丁目のりかへ、山本書店にゆけば、3千円に売れ、『唐摭言(110)』買ひ、小山君に電話すれば「来よ」と。
日本書房にて『建武年中行事通解(180)』、『朝鮮新話(100)』買ひ、小山君呼び出して喫茶。別に話することなかりし(新藤千恵は『歴程』同人と)。
駅でrice-curry食ひ(80)、水道橋より王子まで久しぶりに乗り、畑山家へゆけば夕食中と2階で待たされ、こはい顔して会ひ「(※39文字略)」と。早々に出てtobacco置くに熱心のあまり嬢の挨拶に答へず。向原より電話すれば、また畑山君出て「入浴中」とのことなりし。
林Dr.にゆき、健保計算すまして疲れゐる夫妻に酒のましてもらひ、出て池袋で釜めし食ひ(130)、丸に電話すれば「明治乳業の顧問弁護士のわれにまだ連絡なし」と。22:00帰宅(史には駅前で遇ひし也)。
柏井と田中三郎兄とで祝に背広こさへ呉れると也。

3月8日
9:45登校。10:10より判定会。190点まで問題とならざりし中に高橋嬢あり。栗山部長「秘密に」と耳打す。不快の中にすみ、伊達氏に挨拶す。
すし食はされ今井氏より富田嬢166ときき、出て下北沢より電話して「よし」とのことに「この間置きゆきしもの返すにつき所教へよ」といへば「夫人留守にてわからず」と。
帰りて昼寐しをれば平田聡子来り、山本長女の相手写真おきゆく(悠紀子けふ森Dr.にすみ子の縁談断りにゆきしと)。3月6日のclass会に山中、中馬、山尾、南隅(和島事務所に福地君の妹はたらくと)、椿下、鍛治、相良、今市、伊藤の9生と長沖、西宮2氏のよせ書(署名なかりしは涌井生と)。
小高根二郎氏より山根君不熱心のため『果樹園』の印刷おくれしと。
16:00出て松崎医院。Dr.夫人ともに不在。山梨県地図(40)買ひて帰宅。
けふ史はじめて話し「硲氏に会ひ嬢ちゃん4月より小学校」と。

p4

3月9日
朝、武居へ弔み状かく。午后、中西Dr.より速達「病院新築7千万円の費用の中、1千万円を寄附仰ぐに付、税のことにて主税局長以下へ西原理財局長から一筆書いてもらふ様、親しき貴君より云々」。困りて夕食早めにすまし、金沢良雄にゆけば「伊豆韮山にて執筆中」と。自由学園高校2年の嬢ちゃんの話。
出て柏井歯科へゆき数男に史の背広の礼にゆき、すしあつらへられ診察了るを待ち、西川に電話すれば「まだ帰らず」と。
荻窪までbusにのり帰宅すれば、史、渋谷へゆき大にも背広作ってもらひしと。むっとして悠紀子に怒りて寝る。
けふ小室栄一に電話すれば夫人留守と。そのくせ神明町富田治郎かとの問ひに「その通り」となりし。変な日なり。

3月10日
浅野建夫に相談にゆけば「出来ないことするな」と。coffeeのませてくれる。松崎先生にゆき、豊橋近在の人ときく。ちくわが名産と。
帰りて中西に断りかき、田中秀子より「中千枝子の結婚13日」とのハガキを見る。
昼寝できず、13:30出て西川に会ひて報告す。「議会開会中にて西原も忙しからん」とのことなりし。
出てしるこ食ひ新橋よりbusにて東京tower、田中順二郎君呼んでもらひ話きけば、水野成夫は池田派、前田久吉は河野派にて後者優勢と。創価学会との提携を考へゐると。その中就職祝もってくるつもり」と。
別れて飯倉へ下り散髪(100)。けふ清宮貴子内親王往復にここを通りしと。
四谷見附へ都電。急行にのり高円寺下車。正平万美子のapartへゆきみれば無人。古本屋にも何もなくて帰宅。
けふ史、富田家へ菓子など返し来しと。19日帰洛の予定と。竹内好税務署への途寄りしらしく名刺おきありしと。

3月11日
10:30筑摩書房武本君来り、『西太后に侍して』のこと知らぬゆゑ「承知したが共訳者太田七郎の遺族をさがし出してくれ」といふ。
帰りしあとすぐ出て霧島にのり豊橋19:40。

3月12日
朝、豊川稲荷にゆき、イナリの叱枳尼天につき考へたく思ふ。伊良子崎までbus150と知る。


昭和35年3月13日〜昭和35年10月18日 「東京日記 8」
25.4cm×17.8cm 横掛ノートに横書き

p5

3月13日(日)
ちくわ(100×2)買ひて土産とし、弁当買ひ9:30の汽車にのり沼津着。沼津市の地図買ひて見当つけ、水族館前で下車。さがしさがしして緑町塚山勇三君訪ね、伊達宗雄氏との間柄きき、戦災にて『四季』みな焚きしをきき、『果樹園』3冊おき「同人考慮せられよ」といひ、ともに出て千本松原の牧水「幾山河」の碑を見て小便。
和歌山家の墓へゆき、狩野川見て駅へゆけば汽車によく、三島まで乗り、改札にて韮山水宝閣は伊豆長岡が近しときき下車。きけば「taxiがよし」と。のりて水宝閣にゆけば金沢良雄君をり、中西の手紙見せれば「西原に手紙かく」と。
よろこび、思ひ出話しbeerと夕食たまはり、最終汽車によしといふ20:00までをり、またtaxi。三島より乗りしも寒く、深夜の東京かなはずと小田原下車。駅近くの旅館にゆき、朝食つきにて600払ひ入浴、眠る。

3月14日
9:00朝食くひ、浜松発の汽車にのり11:30東京着。新宿をへて成城大学に寄り富田、高橋ともに短大に入れざりしをたしかめ、柳田先生を見、今井君と話してのち出、松崎医院にちくわもちゆきて帰宅。
『果樹園』49と『不二』192来をり。杉浦明平論にわがこと書き「影山正治氏会ひたき故、日をしらせ」と鈴木正男氏の手紙。
他には楫西博士「嬢、東京女学館短大に入りしゆゑ成城へ来ず」と。龍平より「慶応一次商科文科通った」との電報ありしのみ。

3月15日
10:00俊子姉と市野夫人と来り、(※4文字略)につき11:45まで居る。その間、中野清見より「タカラホテルニイル」の電報来り、『民間伝承』来る。
昼食とれずして成城大学、cunningの処置あいかはらず甘く、長びく。すみて(中野に電話すれば不在。不二の鈴木正男氏に電話すればこれまた不在。代理の人に17〜19日の中、日時場所を指定せよといひ、丸に電話すればこれまた不在)。
丸煦美子と会ひ、電話したこといへといひ、帰れば悠紀子居らず、伊勢山本氏よりの速達に「嬢の初任給1万円でもよきと思ひしも田中氏の実弟西島健の意見をきき、1万2千〜1万5千呉れ」と来ありし。悠紀子にいへば速達を幸子嬢に出すと。
われ19:00出て森Dr.(けふ帰りに寄り中野の電報に自ら連絡せよとことづけせし)に電話すれば不在。
松崎医院にゆきてのち、また宝Hotelに電話せしも中野帰りをらず。
けふ悠紀子税務署へ確定申告にゆき2千6百円余払ひしと。

3月16日
不二歌道会の鈴木正男氏より速達「18日塾長と来訪」と。悠紀子、森Dr.に訊ねしに「中野君と連絡とれず」と。
寒く、炬燵にをりしも16:00出て松崎医院。それより渋谷をへて三水会。佐藤君をのぞく7人。田村氏「高橋Dr.喜びゐて礼」と(あとであければ1万円の三越商品券なりし)。
鈴木氏へ電話かけ途教へ、中野に電話せしもかからず。帰途丸に電話すれば夫人出て「第2こだまで上京の山本迎へに丸帰らず」と。
東京駅にてbeerのみて時間つぶし22:40寒き中をplat-formにゐれば丸、婦人(あとにて中野の恋人とわかる)と来り、出て宝Hotel。中野、姪(楽手)と待ちをり、beerのみて24:00丸と姪と3人にてtaxiにて帰宅。1:00。
けふ史、渋谷へゆき27日が忌明けとのびしとききし。

3月17日
10:00松崎医院。悪酔止めの薬もらひ吉祥寺へ出、busにて森本小路。竹内好訪ぬれば「都大へゆきて遅く帰る」と。「山本、中野つれ来るやもしれず」といひ、またbusにて西荻窪。新宿にてtoastとcoffee摂りて第一弁護士会へゆけば丸に遇ひ、けふこれより山本つれて廻ると。beerのみて待ち、最高検、農林省と廻るを待ち、すみて山本と2人となり、日銀に鎌田正美文書局長訪ひ、竹井眞野村建設支店長訪ひ(25年ぶりに会ひしと。嬢、実践に入りしと)、三越へゆき、アキ子に手帛3枚(240)贈り、宝Hotelへ引返してのち、新宿「春日」を探してゆき、みなみな探し探しして19:00。
西川、原田、矢野、室、中野、てい、律姉妹とにて焼鳥料理くふ。山本500万円の預金通帳見せ、丸に30万円渡せしをいふ。原田が「田中の詩は天才的」といひしに、中野「詩よりも誠実」といひ、楽しからず。
丸来るまへに山本、矢野去り(2万円を会費におきゆく)、丸来てのち「chez-nous(※シェヌー)」といふcabaretにゆき、中野の愛人を見る。姉妹去り、中野、西川の「コリラン」といふへ山本らを追ひゆくと別れ、丸とtaxi、高円寺駅まで送られ帰れば23:30。
けふ阿南惟敬氏使来り、「八王はJieangzu(※江蘇省)を数ふ」との論文おきあり。(春名一満来て「保証人になれ、明日午前再訪」といひしと史、朝になりていひし)。

3月18日
吉本恭子より「河原姓となり広島に住む」と。12:00まで春名一満待ち、出て竹内好にゆく。
昨日のこといひ、『西太后に侍して』(※復刊)のこといひ、『不二』のこといへば、貰ひをり、影山氏にと論文もらひ、『詩経・楚辞』もらひて出、帰れば一満君をり明大商科の入学保証人とならさる。あと埼玉大学を受けると。
帰りしあと15:00となり、表へ出れば影山氏と鈴木氏と探し廻りし様子。招じ入れて話す。保田のこと『日本浪曼派』のことはきかれず、専らわが失敗談かたらさる。19:00ごろ師弟帰るに、重き録音器を師手を貸したまふ。この日松崎医院へゆけず。

3月19日
10:00松崎医院へゆきほぼ良しとなる。白井紘史「18日帰京」と。『蟠花(※東博歌集)』の出版記念会27日(日)13:30豊島園ホテルにてと。出席の返答す。
けふ三鷹にてあざみ(20)と矢車草(10×3)買ひ入浴。

3月20日(日)
西島寿一氏より22日(土)夜35日忌すると。林敏夫より27日(日)14:30駒場寮で親類会すると案内。ふしぎなること也。
午后、京をつれて古本屋、京に『ソロモンの洞窟』買ってやり、われは牧野富太郎『植物記』2冊(150)、『四川省綜覧(100)』、『旧事記(20)』、『東洋人の心(50)』買ひ来る。
けふ成城大学の卒業式の時間忘れ、謝恩会も欠席せし也。(松崎医院も休む)。

3月21日
雨。午すぎ松崎医院へゆき、そのまま成城大学。講義要項を出す。佐野教授に「高城助教授1年休職」ときき、「それはめでたし」といひ、変な顔されし。
千草に電話で「22日35日忌」ときく。salaryもらひ成城堂ヘ払ひ、下北沢、明大前で下車。
鎌田重雄に遭ひし。永福町でしるこ食ひ、吉祥寺でまた古本屋。松本芳夫『日本の民族(250)』、『イスラーム(70)』買ふ。
松本博士!のは愚著なりし。

3月22日
14:00悠紀子、京をつれて出てゆく。われ松崎医院。途中『香料小史(20)』、『にほひ(40)』買ふ。前著はまたdouble。
夕食弓子としゐれば坂根生来り、4月20日の公演の切符2枚弓子にと買ひやり、高野勝美君に紹介かく。
20:00送りかたがた駅までゆく。定休日とて店多くしめをり、駅前で喫茶。21:00別れる。話題にせし万美子より速達来をり、病気と。龍平慶応商科にpassせしと。

3月23日
9:00出て東大東洋史研究室にゆけば10:05。まだ締りゐし故、正門前の本屋を見、10:40ごろより田川孝三氏の訳註きく。12:10すみ、busにて池袋。うなぎ丼くひ(130)、『佐倉宗吾(30)』買ひ、立教大学へゆき、三月分salaryもらひ、研究室へゆきしも無人。
裏の古本屋にて『鴎外の系族(150)』、『父(70)』買ひてうれし。地理調査所の『鎌倉』『御油』買ひ、渋谷をへて帰宅。
悠紀子、万美子の見舞にゆきてをらず(あとにてきけば会へざりしと)。
羽入田勝朗氏より令息卒業の礼状。古田房子より「4月1日ともに浜谷生の家へゆかぬか」と。(けふ西武dept.に宮崎智慧氏訪ねしに欠勤と)
夜、松崎医院へゆく。羽田君より速達「明日10:00ころまでに上田勤氏方へ電話せよ」と。

3月24日
成城の第2次入試監督に登校。3時間とも304教室にて159〜185の監督。
上田勤氏に電話すれば「羽田昨夜泊らず」と。松本善海に電話すれば「知らず」と。
14:30向ふから電話かかり「新宿にゐる」と。すぐ行きて中村屋で喫茶。ついで松本を研究所に訪ひ、誘ひ出して「丸物」にてマグロとbeerと「保田の(※8文字略)」と。
別れて阿佐谷で下車。古本屋見しも何もなし。大野知子より「学習院国文科と立教と両方入れ、学習院へゆくつもり」と。

3月25日
面接にと登校。みな思ひつめた風にて哀れなり。14:00すまし手紙かきてのち今井氏に会へば社会科免状のこと篠原事務局長にきけと。同行すれば採点表出来をり、今井氏うつすをのこして出、下北沢にてしるこ食ひ、古本屋見てのち三鷹松崎医院をへて帰宅。
平塚敬一生より「野崎生と来る故都合しらせ」と。不二歌道会より「皇太孫慶祝のうたを」と。
十日間によきゆめ二度とそのゆめにわれは出でしやわれは入りしや。

3月26日
雨。春の日の会(※佐藤春夫の会)4月9日(土)15:00般若苑にて2千円にてと!
帝塚山学院同窓会より3日総会と。悠紀子この間柏井家を訪ね、叔母早く死にたしと歎きゐしをいふ。恰もBalzacの「ゴリオ爺さん」をよむ。松崎医院に雨のためゆかず。

3月27日(日)
依子8:30出てゆく。われも出て阿南惟敬君訪ねしに臥床。原稿返し大廻りして松崎医院。
ついで平田家へ寄りしにまださめざる様子。帰りて『東洋史研究』受取る。悠紀子、平田家へゆけば和田賀代女史をりしと。桜草多くもらふ。そを植えて昼食して出、高円寺下車。豊島園行busなく阿佐谷発なるを知る。
新宿へ出て西口より急行にのりてゆけば14:20。(※東博歌集『蟠花』出版記念会)浅野、中谷、長尾などの常連のほか尾山篤次郎翁、芳賀檀にてはじまり、みな読まず感心せずと。気の毒なりし。
2次会にbeer出て東博君元気づき、われと同世代でなきをいふ。われ名坂八千子夫人にからみしこととなり気の毒(山之口獏来ゐしも2次会には出ず)。
出て松本にゆき、『コギト』半分43冊もらひ来る。あと半分もらへば欠本3冊となることわかりてうれし。佐美雄氏も喜びゐし。長尾が「主婦と生活」社に入社いはず、その他ありて夜半まで眠れず。

3月28日
晴。東洋文庫へゆかず。『果樹園』50来る。昨日万美子、夫婦留守に来り、「明後日帰阪」と弓子に云ひしとのことより悠紀子怒り、昼食14:30となりてのち松崎医院。
一旦帰りて京をつれ人形買ひにゆきしも気にいりしものなく(220)、高田瑞穂『耽美派(45)』買ひて来る。
20:00史、帰宅。渋谷へ荷物預けて来しと。城平叔父、大江叔母2軒より祝に5千円、昌三叔父よりバンドもらひし。羽田へは昨日ゆきて会ひしと。

3月29日
成城大学へゆく。人形もちゆかず高尾嬢に会へば「万年筆は事務の某君のものなりし」と。及第判定会「3入2落」の実態見て不快。500万円入るらし。
すみて昼食。庶務課より看護費わたすとのことに行きしも印鑑忘れて貰はず、4,130円と。図書館にて『満鮮歴史地理報告2,3,5』を見る。
帰途松村達雄君に寄り、17:00来るかと平塚、野崎2生のため急ぎ帰宅せしも来ず。夕食後松崎医院。
けふ和田節子夫人に電話し、夫君銀行局検査官室管理課ときき、「明日ごろ史ゆくゆゑたのむ」といふ。
堀ノ内歴より手紙。筑摩書房より『ノン・フィクション全集』刊行と。城平叔父へ礼状かく。春の日の会へ「出席」の返事。

3月30日
松本善海へ礼状。『果樹園』へ「老境」と500。松本悦治、塚山勇三2氏のことをいふ。
松崎医院へのゆきがけ速達し、タバコ、マッチ欲しくなり平田統子宅へより、山本幸子・桜草の礼いふ。渡辺三七子より「祝くれ、太田夫人男児出産」と。森田宏子夫人より返事。西村公晴氏より「短冊いそがず」と。
出んとするところへ父来り、パンをともに食ひて出、成城大学。看護料4,130もらひ、東洋歴史辞典と大漢和辞典と見てのち館長室。田島、川本2生をり、やがて鈴木生来る。
今井氏、斎藤忠氏を案内し来り、16:00出てしるこ3生と食ひ、駅にゆけば声かけしは東田千秋氏。市河三喜先生へゆきしと。下北沢で別れ、古本屋にゆけば『コギト』とりに来ると。
『元曲金銭記(100)』と『韓退之(30)』買ひ、吉祥寺にてnote5冊(100)と勿忘草1株(45)買ひて帰宅。
史、けふ和田氏に会ひしに「保証人辞退す。西原局長にたのめ」といひしと。

3月31日
風吹く。松崎医院にゆく。史の友達にて外務省に入りしが来をり、帰り来て田中三郎につれゆく。
午后、山本幸子来り、南田中町のcatholicの寮に入ると。菓子1折おきゆく。阿南惟敬君よりハガキ。

4月1日
史の初出勤のため悠紀子3:00より眠れざりしと。赤飯くひて出てゆきしあと、われも起きて朝食。ふしぎにまた11:00まで眠りし。
白井紘史、大阪よりハガキ。坂根千鶴子、高野勝美氏をつかまへ(※公演切符)10枚買ってもらひしと。
新藤千恵氏の出版記念会9日(土)にと。ことわることとす。
大江叔母へ礼状かきて松崎医院。先生出られず。16:30史の荷物来り、運賃3,800。
けふ畑山博氏、石神井高校長に転任と新聞に見ゆ。
史20:30帰り来る。「大蔵事務次官行政職7等級(大臣官房文書課)に採用する。1号俸を給する」の辞令。

4月2日
寒く、風吹く。畑山博氏へ祝状。松崎医院へ11:30ゆき、風邪薬もらひてのち駒込、東洋文庫へゆけば川久保悌郎、吉田金一2氏あり。
『八旗通志初集』はじめより見、16:00まへ川久保と出て池袋。川久保すでに松本と会ひしと。松本嬢へ鏡を買ひ、川久保と別れて電話すれば松本まだ帰らず。けふ高尾宣子より挨拶状。

4月3日(日)
曇。桜満開と。森良雄に電話して夫人に電話をいふ。高尾宣子、堀ノ内歴にハガキ。
高橋重臣氏より「入院知らざりし」と。宮崎幸三氏より「近況しらせ」と。
11:30松崎医院にゆき、帰りて田中三郎宅にゆきし悠紀子の電話きけば「松本善海氏、けふ在宅」と(丸、西川にも電話して電話開通をしらしてもらひしが、みな留守なりしと)。
阿佐谷―中村橋をへて桜台下車(35)。松本にゆき(※『コギト』)113号まで返却を受け、破損の72と125、141、142の4冊を残す全部そろひし(鏡を嬢にと渡せし夫人の礼あやふやなりし)。
もとの途辿りしも重くて雲呑くひてのち帰宅。
石川君とて外務省に入りし史の同級けふ田中2階へ入りしと。(中西夫人、東京への電話は25円もらふといひしと)。
依子21:00雨中を帰り来り、夫婦して叱れば「permanentかけに15:00から今までかかりし」と也。

4月4日
雨、家居。15:00平塚、野崎2生来る。野崎は新潟の産にて白鳥家の書生となる。芳郎君Berlinにて病むと。
18:00となりつれ出してすし食はす。すし屋「戦前より阿佐谷吉祥寺にをり、阿佐谷小山は軍人が創めし」と。けふ松崎医院にゆかず。金なくなる。

4月5日
曇。11:00出て松崎医院。それより東洋文庫、田川孝三氏の出てゆくに挨拶さる。川久保をり、16:00すませて出、駒込駅にて岩井大慧分館長より声かけらる。下北沢にゆき、明朝来るを約さる。夜、入浴。

4月6日
9:30下北沢の古本屋(大地堂林二郎)来り、『コギト』70冊にて2千円、『図説世界史』7冊にて2,500と。文求堂にをりしことありと。詩は壷井繁治を識ると。松崎医院へゆき帰りて昼食。東洋文庫へゆけば、川久保の外に立教の小林教授をり「けふの会は」ときかれ、箱根と思出すのにひまかかりし。
15:30出て筑摩書房にゆき『現代詩集』1冊買ひ、東博氏を訪ねしに他出と。加藤定雄のぞきしもをらず。
山本書店にゆけば『唐詩300首』すでに学校へ送りしと。もう1冊なきやときけば「無し」と。
極東書店にて『唐詩300首(120)』、『唐詩100首(65)』(山本にて『唐語林(190)』)、大安にて『明清史論著集(560)』買ひて金なくなりし。
「主婦と生活」社に長尾訪ぬれば早川敏一も出て来て喫茶。大蔵省宮川新一郎官房長とは同級と。新宿にて別れ、阿佐谷。
金沢良雄に『昭和詩集』もちゆけば「まだ伊豆」と。
空腹にて帰り来れば(19:30)、山本陽子、坂根千鶴子の2生待ちをり、10日ともに青年座の採用試験受けると。夕食し21:30帰りゆく。けふ15:00よりわれを待ちしと也。
小高根二郎氏よりハガキ。『果樹園』の赤字5千円、わが会費40号までと。

4月7日
風吹きて寒し。睡眠不足のため、ねてゐれば中村林次氏来訪。『漢詩選』出せと。締切近くなりて云へといふ。
午后松崎医院。満蒙史料読書会より13日(水)と。

4月8日
立教大学より「水曜7〜8時限333教室にて」と。11:00出て松崎医院。文庫へゆけば川久保より「あとで」といひ、『八旗通志初集』よみ、鄭氏との戦に奮戦せし漢軍かくことときめる。「しばらく」と挨拶せし山田君?とかは誰ならん。
16:30出て川久保と新宿下車。beerおごられる。

4月9日
晴。中千枝子より阿江姓となりしと。13:00出て渋谷、父母大の3人そろひをり。大を「春の日の会」にさそひしもきかず。
恵比須駅まで歩き、『李太白(60)』、『温泉案内(50)』買ひ、五反田駅より歩きて「般若苑」(※佐藤春夫「春の日の会」)。
中谷、外村、富ノ沢、浅野、檀、五味、井上靖、庄野潤三、榊山、井伏、林富士馬、尾崎秀樹など顔見知りあり。誰も話さず。奥野信太郎の隠し芸のあと、われ「富士山」うたひ悪酔ひし20:00前、退座。先生わざわざよこへ来られ保田のこと云はる。
帰りて入浴。憂鬱にて夜半めざむ。

4月10日(日)
聖心女子大より金曜13:00よりと前通りの時間表。始講は5月6日也。
成城大学より中国文学史月2(10:00-11:50)、東洋文化史月4(14:10-15:40)、史学研究法木2(10:20-11:50)、短大漢文木3(12:30-14:00)、漢文土1(8:40-10:10)と。
午后、千草、史への祝にと来る。京をつれて出、『新選佐藤春夫集(30)』見つけ来る。
けふも憂鬱なりしが宿酔気味とはじめてわかる。

4月11日
晴。『不二』来り、われ「平野の足にかみつき云々」とあり。概ね史の就職をしるす。
松崎医院をへて東洋文庫。『八旗通志初集』を見て17:00帰宅。太田常蔵氏より「羽田の歓迎会やらぬか、電話で連絡せよ」と。
夜、太田に「土曜、文庫にて」と返事。影山氏には「足にはかみつかず」と。
けふ西川英夫より家に電話あり、「鳩山課長に知人をして史のこといはしむれば、秀才にて云々とありし」と。和田収一氏、史に「日曜在宅」を伝へしと。

4月12日
9:00出て成城大学の入学式。11:30すみて庶務課にゆけば史の健康保険証かへせと。
『唐詩300首』52冊受取り、短大教務吉田嬢にもちゆけば、をらず。1冊ぬきとり図書館長室にゆき、『朝鮮歴史地理第2』見る。中馬君、秋田支局(朝日の)にゆき、千葉嬢結婚すと。
出て帰れば14:30。(森Dr.に寄り、鎮静剤をもらひし)。田中まさ子夫人より「17日(日)に来るがよきか」と。
坂口允男氏より「奈良女子大高校より天理大学講師に転ずる」と。畑山夫人より「忙し」と。
森Dr.の薬のめばねむくて耐らず。『李朝実録』をしらべる。

4月13日
よべ睡眠不足なれど9:00出て東大。7,8人相手に『李朝実録』よむ。(護助教授、長浜に帰り武田君に会ひしと)。
すみて松村潤君に「羽田の講演場所のちほど電話できく」といひ、出て地下鉄で新大塚。昼食して林Dr.にゆき、この間の憂鬱いひ、注射打ってもらひ、歩きて立教大学。
山田助手に始業14:50ときき、手塚教授に会へば白鳥先生をられると。電話してゆき、お話伺ひ、お礼いふ(羽田の講演13:00より早大文学部大学院にてとわかる)。
333番教室の講義に聴講4人(久保一大学院に入りしと。平塚、野崎のほか金子とてこの間曽国藩の話せし学生)。30分にてすまし、また白鳥先生と話し、bus待ちて中野。国鉄荻窪にて不通となり、雨降り出す。
coffeeのみてのち、高井戸にbusで出、井之頭線にて吉祥寺。駅で坂根生見つけ、家につれ帰る。山本陽子よりも電話ありしことあとにてわかり、疲れる(坂根生、青年座に落ち、山本生通りし也)。
19:00夕食し、和田収一氏に17日(日)夕食後参るとの手紙書く。けふ夫人節子より「都合しらせよ」とハガキありし也。
他に井上文夫君結婚せしと。

4月14日
10:00松崎医院。殆ど全快にてうれし。悠紀子class会にと出てゆく。太田君に「羽田の講演会場ワセダ」と速達す。
春名数義氏より一満君のこと。若原英明君(立教副手)より高校と大学院にと。
海老沢教授より立教専任の挨拶状。本荘健男君より「豊中へ帰りし」と。
西川英夫君より「依子のこと人事課へ陳情済」と。和田君「夕食くはす」といひしと史の話也。

4月15日
京、開校記念日で休み。われも文庫やめてねてをり。五味幸子より「紅茶送った」と。井上律子「結婚して東京へ来た」と。
影山正治氏より「『コギト』1,2週貸さぬか」と。他に中村書店より電話、「明日成城へ来る」と。
夕食後、意を決して松崎医院。依子、中野支店へ転任命ぜられしと、めでたし。

4月16日
成城の初講とて8:40ゆく。中国文学30分やり、あと2Dの成績票わたす。丸重俊はじめ来らざる者半ば。独語と当るとかにて2D聴けずと。教務課長にゆきしも了解。
鎌田女史にゆけば13日?小高根太郎君、坊やのことで来りしと。珍しければ(中村書店来り、50冊預り、原稿7月末日までときめし)すぐ出て経堂にてすし食ひしのち、ゆけば「入学後の注意ききて登校せず。和光学園にでも変へんか」と。
出て新宿高田馬場をへて早大大学院小野講堂といふにゆき、坂本是忠氏の外蒙談きき、羽田に「あとで」といふ。
太田のほか内村俊雄来あり、昭和9年以来なり。羽田のIran,Afgan,Pakistanの旅行談と写真とすみて高田会館にて喫茶。
3人にて新宿。Beerのみつつ回旧談し、故人(同窓の)三上、高橋、岩佐、橋本、山崎の5人。在京、丹波、岡部、太田、松本、内村、田中の6人。地方、羽田、原口、川久保。不明は山口、沢田、泉、奥村と18人の数あひし。
新宿にて別れ吉祥寺より雨中を帰り来る。
けふ五味幸子夫人よりCeylonの紅茶来りし。和田夫人より電話かかり「夕食に来よ」といひしと。

4月17日(日)
〒なし。13:00『楊英実録』よみゐれば田中順二郎夫妻、2児(美千子、章博)つれて来る。あげて話す中、雨ひどくなり子供退屈して困る。
史にとwhite-shirtと靴下、菓子1折くれる。14:30小止みとなりしゆゑ井之頭動物園へつれゆき、busにのるを見送る。
帰って犬の仔つれてゆきし弓子の帰りしを見、16:30となりて和田収一氏訪ぬれば、夕食と日本酒賜はる。早大出らしく京大出の兄君をられ、 やがて囲碁一番、白もちて大敗し、節子夫人に大橋停留所まで送られて帰宅。
夫君、湖南作戦にゆき衡陽、湘潭などおぼえゐし。

4月18日
成城へ10:00登校。中国文学史に短大より進学組そろひをり、教務できけばそれで宜しと也。7,8時限の東洋文化史は火曜5,6限に変更となる。(けふ前田種芳教務課長、「Javaで浅野晃と懇意なりし」と)。
丸重俊来る。その他顔おぼえにまた忙殺さる。疲れて14:30帰宅。田中秀子よりハガキ。悠紀子帰り来り、山本陽子より「坂根生けんくわ(※喧嘩)して公演に出ずといひ、どこやらゆきし」との電話ありしと。
夜また電話、大に相談すと也。けふ山本書店へ『韓国年中行事大観』注文す。

4月19日
悠紀子、寿一宅へ着物返しに出しあと留守し、11:30となりて出れば途で会ふ。下北沢で昼食し、1教室にゆき見れば文化史専攻のみ。
2冊『中国史十話』(※植村清二著)を捌き、もはや学校やめしといふ子のことききいやになる(大に坂根のこと相談すれば兄にしらすと也)。
松村に会ひてのち教授会。補欠足りなくなり部長困りし様子。すみて相馬生に会ひ、誘はれて!茶のみにゆき割勘。有羞の詩をいふ。
18:00前帰れば山本陽子まだきをらず。やがて電話かかり、すぐ来よといひ夕食くはす。坂根、意外にも1つ下の愛人と喧嘩して出しと(17日午すぎ)。羽根(青木)弥与子に尋ねてみることとす。

4月20日
和田夫妻へ礼状。雨。山本陽子より電話かかり、「ゆふべ遅く坂根帰って来た。大にも電話した」と。
角川書店より『昭和詩集』13〜14版の印税165! 志野孝子より「野口姓となりし」と。
13:30出て立教大学。手塚、白鳥2先生と会ふ。4生皆出席。14:50より15:35までやり、雨ひどしとて出、西武dept.。宮崎智慧氏に会ひ「東氏の歌集評かかせよ」といひ、三水会に電話して「今日ありや」と訊ね、地下鉄にて赤坂見附。途わからずなりて交番できき短波放送buil.に辿りつき、浅野晃氏の「パステルナーク」をきく。
帰途、齋藤氏(※齋藤晌)にきけば「(※東洋大学への訴訟)証人申請は6月にのびし。教授会にて免職可決せざりしをいへばよし」と。
井之頭線三鷹台下車の高山岩男氏と同車。「服部英次郎氏は酒のみ」と。
井上光貞『日本国家の起源(100)』買ひて帰宅。

4月21日
晴。名刺出来上りしをとり、成城大学。暉峻博士をり「杉浦の娘、国文へ転科せし」と。前田教務課長とともに鹿児島の人と。
史学研究法の時間21人をり(男5、女16)、喜びしが男1は国文専攻なりし。東洋文化史に答案出せしも採点なかりしといふ女生来り、やむを得ず80やる。
畠山生来り、ユネスコより8月渡欧と。富永次郎氏『太郎詩集』を賜ふ。時価2,500なり。
ここまで宜しかりしも短大2年に『唐詩300首』教へしあと、疲れて図書館にゆき、新2年に入庫命ぜしに館長に叱らる。
ついで帰りさそひしも誰も来ず。癪にさはりて駅にゆけば鈴木秀穂をり、相馬と来週来ると。経堂下車、喫茶してのち別れ、宮崎幸三氏に電話してゆく。
小室の世話にて明大講師と。野尻貞雄氏は千葉工大と。東洋大学の醜類思出してのち庭を拝見して出る。busにて渋谷に出て帰宅。
けふsalaryもらひしに基本給31,900と上りをり、家族手当1,600+勤務地手当20%6,700にて総計40,200。
Hotel New Japanにて記念晩餐会と。鈴木正男氏より電話、「この間の録音(※『不二』に)掲載してよきや」と。「宜し」と答ふ。

4月22日
依子けふより中野支店。10:30松崎医院へtobaccoお礼にともちゆき(※湿疹)全快となる。浅野建夫博士にゆきて礼いひ、「天才はみな30才ごろに仕事し了へゐる」ときく。
武蔵野市役所の方まはりて12:00帰宅。『狂童群』の合評会の案内来しのみ。悠紀子へ電話かかり梅ヶ丘へゆきしあと影山氏より電話あり「『コギト』借りる」と也。19:00河野氏とてもちゆきもらふ。手紙托し「録音のせざるがよし」といふ。
依子、新任の店にて合はずとてふきげん。史「も少しで首になるところなりし。机上に書類のせしままにしておきし」と。
夜半、近鉄乗場にて先にゆかれしところにて夢さむ。

4月23日
8:30登校。『史記淮陰侯列伝』を教ふ。若葉弟曰く「面白し」と。出て下北沢下車。高野家に電話すれば母上とりつぎ明子夫人出て「4日女児出産、一満君の家はしらず。電話教へる」と。
駒込へゆき12:00ゆゑ丹波家へゆけば夫人出て(※丹波鴻一郎)出社と。まづよしと上富士前あるき、六義園に入る。
『八旗通志初集』けふにて一先づ了りとなりて文庫を出、帰宅。
芥川比呂志夫人、瑠璃子の詩集出版記念会(29日)の案内と、東博氏より『日本歌人』の出版記念会に(※批評)書けとのハガキ。
19:30鈴木正男氏、影山主宰の手紙もちて来り、原稿見す。3〜4ケ所訂正し、『コギト』についての質問に答へ21:00送り出す。
けふ史、伊豆へゆき、朝注意せしに「よけいな心配を」といふ顔し、悠紀子、父へ3千円もちゆきしに母、負けおしみいひ説教せしとて面白くなきこと多き日なりし。

4月24日(日)
堀ノ内歴君より「保田のこと惜し」と「福地君の詩云々」。ハガキ6枚かく。
午后、Tarne『文学史の方法』を本屋に見にゆきて買はず。『東洋史統3(250)』、大矢根文次郎『中国文学史 上(150)』買ひ来る。
このごろ愚にてわれ乍ら呆れをり。弓子舞台芸術研究所の公演見て来て坂根生の役は端役にてほとんどせりふなく第5幕と。5時間を要すといふに17:30よりの夜間公演に京つれてゆきし悠紀子心配なり。(23:00帰り来り、坂根母子あやまりしと。ちづ子出演せしと)。
けふ李承晩引退との報。夜半まで中国文学史のノート気にしながら書かず。
このひごろ心にさはることありて何すともなくくらし来りし。

4月25日
登校の途、辻参謀の次女と同車。学習院出の長女27日結婚、卒論は海道記の索引と。
成城駅前で神田信夫氏に遭ふ。Noteなしにて中国文学史序説やり、11:30手紙とり、返事かきて出、下北沢下車。Rice-curry食ひ立教大学へ5月4日の会出席の返答し、4月分手当もらふ。
裏にて『韓愈(130)』、『せんりゅう談義(300)』、『Ricordo di Roma(20)』買ひて東口。
都電にて神保町、山本書店に6,760払ひ、学校へと多く送らせ『中国文学史綱 上(240)』、『隋唐嘉話・大唐新語(110)』買ひ、加藤定雄のぞきしにゐず、古本屋やりをるに寄りて『満洲土俗資料(70)』、『満洲国史教本(20)』の他に『青墓の処女(40)』見付ける。
筑摩書房にゆきて東博氏呼出し、誌上出版記念会に参加いひ、喫茶。『森鴎外研究(304)』買上として別る。
また古本屋、房内幸成(※歌集)『白鳥(30)』、『国史略(30)』、『Cristmas in action(50)』、『ハワイ史(100)』買ひ、地図『浜松(35)』買ひて了りとなり、満員電車にて帰宅。
恰も筑摩書房より『現代詩集』6〜9版の印税(21日出)1,173来をり。
けふ史、渋谷へ寄り、大にwhisky、祖父母に1千円贈りしと。

4月26日
堀敏一氏より転居通知。成城大学へゆけば電話かかり、Levy氏会ひたしと。「あさって午すぎ来られよ」と答ふ。姜女生をのぞく2年みな来り、東洋文化史すませ、渡辺、石渡2生より本代受取る。
社会科の教員免状4年以下みなに与へらるとわかり、教育法の時間を穂積重正氏にたのみにゆく。宜しとなり。
栗山部長を訪ねしに散髪と。(途で会ひしき稲葉生と)。追ひゆきて「高校長の了解得られよ」とたのみ、古本屋にて『魯迅(120)』買ひて帰宅。
このごろ頭悪きを自覚す。服部三樹子氏より電話かかり「1日午すぎ来訪」と。

4月27日
9:00出て東大前までbusにのり菊池眞一氏に会ふ。1時間早しとて琳琅閣のぞく。
10:30ゆきて松村君の講読きく。『史苑』の抜刷くれと名刺出せしは宮原鬼一君とて教育大講師。京城大学出らし。
池袋までbus。西武dept.に昼食に入り、宮崎夫人のぞけば大岩丈子とて退職の宝井馬琴令嬢をり『日本歌人』3月号見せられしに良き歌作る。新婚の惚気いふ。
すし食ひて出、時間余れる故、女床にて理髪(130)、研究室にゆき、山田助手に安保反対の100わたし、森静枝生のこときけば家全焼と!
5号館控室にゆき手塚教授と話し、333号室にゆけば久保、金子の2生のみ。序説了へ喫茶にさそひ、国鉄にて渋谷をへて帰宅。
『詩人連邦』来あるのみ。山本八郎夫人より「次男関学大に入りし」と悠紀子へ。
眠くて耐らず風呂へゆけば春名一満まちをり「独乙語をとりし。千早町に下宿す」と。tobacco1箱おきてゆく。

4月28日
9:00成城大学へゆき、『ドイツ語字典』買ひ、『果樹園』へと「春日宿酔」書き、宮原氏へ抜刷包み、「史学研究法」すませ(けふ姜女生来り、2Dの全員の顔そろひし。3Dに編入の短大卒も来をり)、漢文の課外やれといふ女生と話し、12:20まで待ちしLevy氏来ずと思ひ、 新入生歓迎会にゆけば、呼びに来る。
相川肇氏と同道にて丸刈、明日帰来、その後台湾へゆき10月来日と。堀敏一氏の論文に感心しをり。『漢宮妻寵』贈らんと。
東洋文庫のこと教へ『中国史十話』贈りて別れ、おとぼけ紹介なるものに出て楊貴妃のこといふ。
14:30相馬弘、鈴木秀穂の2生ともなひて帰宅。
夕食せしめ、20:30まで話しやる。相馬は秋田大館、鈴木は岩手県東磐井郡大東町の産なり。
(けさ成城の駅にて糸屋鎌吉氏に会ひ、芥川瑠璃子氏の出版記念会のこときけば未定と)。

4月29日
『果樹園』51号来る。12:30出て芥川瑠璃子(※詩集)『薔薇』の出版記念会にとゆく(※於赤坂アジア会館)。
小山正孝、西垣脩、中村真一郎などの『山の樹』同人のほか知るべなしと思ひしに堀辰雄夫人をられ、5月28日14:00ごろ多摩墓地参拝の予定承る。
乾杯の音頭われにとらされ、気がつけば最年長に近かりしならん。鈴木亨『山の樹』の話を長々とし、(※自分たちは)『四季』の系統でもなしと。腹立ちてものいはず、堀夫人と渋谷まで同道。
吉祥寺にて『異国北海道(100)』、『辺境北海道(100)』、『日本漢文学の諸問題(90)』買ひ、ドイツ鈴蘭(65)、ほととぎす(20)、えびね(30)買ひて帰る。
けふ鈴木正男氏より電話、緒方隆士、中島栄次郎、増田晃、外村繁のこと訊ねらる。

4月30日
登校。漢文終へ聴講card呈出最後の日とてごたごたしゐるも退屈。山本書店より本つきをり。
千葉司書新婚にて休みらし。外へ飯くひにゆき、帰りて高尾宣子君を見る。
12:10会計にゆき、試験手当3千円受取り、山田俊雄氏と同道。雨降る中を新宿で下車。中村屋で茶のみ別れてお茶の水をへて東大。
山本達雄教授の雲南新ィの発掘の紹介きく。「滇王之印」出てをりと。原田、中山久四郎、桑田の3先生のほか和田先生お越し、われを見てこわき顔されし。
西島君の話きき(秦漢の郡県制)、出席しゐる増淵龍夫の攻撃なることに気づきし。
すみて桑田博士と同車、お茶の水。坊ちゃん阪大工科出てNHKと。雨中、亀戸へゆき果物1籠買ひ(300)、busにて高野家。母君に会ひ68才ときく。新生の嬢見、一満君へとドイツ語中辞典おけば電話かかり来る。母君7日岐阜へと。
出て亀戸駅前でうなぎ。お茶の水下車。『佐倉宗吾郎(120)』、『藤原氏四代(130)』、『蹇蹇録(40)』、『アクセント辞典(60)』買ひて帰宅。
古田房子より「井上律子に会ひし。浜谷生経堂に転居」と。

5月1日(日)
晴。東方学会の案内来しのみ。けさ方ゆめ見て眠し。
14:00服部三樹子氏来り、運勢見す。
「35年50才。運動して請合ったような仕事からうまく運ばないような事があります。金を使ってそれが死に金となったり、いろいろ費用倒れが多くあります。本年は平凡に送って後年に期する様磨いてをくべき年です。
36年51才。比較的都合のよい年です。多くの人から敬はれて名声も出ます。又一方目下の者の世話も見なければならない年です。子供の件について面倒を見なくてはならないことがありますが、総じて本年より50才台、運気は強くなります。35.5.1鑑定」
納得して三鷹禅林寺にさそひ、鴎外先生のお墓に詣る。すじ向ひが太宰治の墓なりしを知る。
帰りて夕食し、駅まで送る途中、喫茶。帰りport-wineとさつまいも買ひ来る。

5月2日
成城大学へ登校。手紙よべ書きしに書き足し、rice-curry食ひしところへ白井紘史より電話、夜、家へ来ることとなる。
出て経堂下車。果物買ひ(300)、和田先生に参る。殷虚文学専門といふ日大生居りし。東洋文庫紀要の抜刷たまはる。けふ出来し『成城文芸21』と『史苑』の抜刷を呈出して退去。
吉祥寺の古本屋見しも何もなく帰来。
夕食時、坂根生来り「おこし」を母君の土産と呉れ、一言あやまり云ふ。20:00白井来り、これにて坂根を送らす。芥川比呂志氏のcircleに入りたしとて西垣脩氏のところ教へ、服部三樹子氏に四柱推命見てもらひたしとてところ教へし也。

5月3日(憲法記念日)
無為。家居。小林英俊追悼会すと、近江詩人会。

5月4日
「五月哀歌」近江詩人会へと作る。13:30出て会費100同封して投函。
成城大学へゆき野田宇太郎、谷宏氏などに久しぶりに会ふ。小高根二郎氏よりの受取。宮原鬼一氏の受取ともに来てをり。
社会科教育法木曜10:40〜12:10となりをり。4年生地理を西洋文化史の時間にたてよといふ。
大藤、今井2氏と話せば、大藤氏「保柳睦美氏を呼ばんか」と。「後期にせよ」といひ、高校にゆき、穂積重正氏に会ひ、来週より講義をとたのむ。
すみてまた研究室に帰り手紙再見。野田氏と同行約し、成城堂に『日本吉利支丹案内史』注文して通りに出れば、自動車より西川降りてのせて呉る。
16:50赤坂見附New Tokyo Hotelに着き、控室に入れば、17:30にとの通知なりしことわかる。
18:00の開会まで1時間まち、井上、金沢など会ひたき友の来ざるを知る。わが席の前は学芸大助教授半田元夫、左は辻善之助教授の御曹司横浜市立大助教授達也氏にて面白からず。
立教の校歌うたひて散会。預所の前にて佐々木喜市老に会ひ、coatきせんとして拒まれ、いよいよくさる。
下北沢下車。大地堂に寄り、また売れといはる。(けふ中村書店の書目来り、『詩集西康省』600、『コギト』138冊3.1万円とありし也)。
『支那文化談叢(150)』、花袋『日本新漫遊案内(50)』買ひて井之頭線にのれば、吉田元子女史眠りゐしが「永福町」の手前で目をさまし挨拶せし。
帰れば小雨降り来る。けふ東博『蟠花』の評、数枚かきし也。けふ高田瑞穂より『木下杢太郎』送らる。(西川にきけば中野清見わがことを明治乳業専務にあけすけにいひし由)。

5月5日(子供の日と)
5:00前目ざめ、茶のみ眠く、千川義雄のハガキ来しを知らず。『不二』の鈴木正男氏より電話「あす影山主宰不在」と。
14:30正平、大江房子母子案内して来る。龍平ドイツ語とりしと。苺3箱呉る。すぐ帰りゆく。
夕食後、森Dr.にゆきしもすでに閉す。一廻りして帰り来る。

5月6日
10:00出て森Dr.に寄れば待合室に市野母子あり。盲腸炎の疑と。森Dr.、魚の目に膏薬貼り呉る。これにて用なくなり、渋谷へ出て中村書店へゆき『神軍(100)』と『大陸遠望(150)』と買ひ、八幡通まで歩きrice-curry(70)。
busに乗り聖心女子大学。1年はわが講義きかざることとなりし。教室きまらず徳富女史にいふ。
時間も13:20より14:10、14:15〜15:05となりしと。海老沢氏来る。salaryもらへば(3,000−240)と昇給しをり。
他に車代500出ることとなりし。和田先生御在職中は昇給なかりし也。青山氏、田中保隆氏と挨拶。東洋近世史Tはヌルハチ伝。Uは国姓爺伝とす。
帰途また青山学院前にて下車。coffeeのみしあと不二歌道会にゆき、鈴木正男氏に会ひ「保田夫人の貞淑」なる箇所を「淑徳」と改めて貰ふやうたのみ、誌代1千円をおく(『神軍』もおきし)。
玄誠堂に寄り『朝鮮最近史(200)』、『台湾史要(150)』、『間宮林蔵(190)』、『Holland(60)』買ひて帰宅。
和田先生より北区岸町宛細字にて「先日は態々御訪れ下され『清鮮間の兀良哈(※ワルカ)問題』及び『平家物語雑考』の博学なのには感心致しま した。取敢へず御礼のみ」と。ありがたくかなし。

5月7日
8:40登校。漢文すませ健康保険証とりかへし、寒き雨!の中を成城園へ炒飯くひにゆく。経営者かはり名も変りゐし。(手紙かきし)。
帰校して13:00よりといふ国文学会に出ることとなり、田中氏(※田中久夫)(「玉葉(※九条兼実日記)」に子亡ひし嘆きをかく箇所あり、 よむべしと。後白河法皇の悪口を頼朝としたしくなりてよりいふと)、山田俊雄氏と話し、定刻ゆけば13:30、齋藤清衛博士お越し、明治26年をといふことにて、主として全生涯話されし。わがことを知り玉はず「田中克己に平家物語雑考かきしと、年よった詩かくのと、人類学のと3人あり」といはる。先生帰り玉ひしあと引揚げの機を失ひ、高田瑞穂と坂本浩2教授の奇妙なる応酬を1時間半きき、17:10やっとすみて山田氏と帰る。(※写真撮影あり)
山田氏によれば「仲好しばかりゆゑ長びく」と也。春名一満より「内職せわせよ」とのハガキありし。

5月8日(日)
意外にも晴れて大掃除をする気となり、12:30より疊あげ(本棚掃ひ)てやる。
聖心女子大3年の本多慈子より「トルコ古代美術展」の招待券たまふ。ふしぎなること也。16:00すぎ入浴。

5月9日
登校。「中国文学史」のはじまる前、池辺氏来り、歴史の時間ふやせといふ。少数の例外以外はそのむだなることを云ひ、時間了りて聴きゐし3年Dを館長室に呼べば鎌田女史喜ばざる様子。
社会科教育法15人以内にて62教室使ふこととなり、home-room53と教務にゆきてたしかめる。
了りて昼食くひ、栗山、龍口諸氏とはなし、今井氏探せしも見付からず、丸重俊に会ひ松坂屋にゆくといへば、休みではなきかと疑ひしあと否定す。
出口にて高橋邦太郎氏に会ひて挨拶し、国鉄御徒町へゆけば松坂屋は月曜定休なりし。
引返してお茶の水。「平戸」の5万分の1にて4枚となるをそろへ、長崎県(40)をもまた買ひ、古本屋ひやかし山本書店へゆき范文瀾『中国通史簡編2(460)』、『玉台新詠集 上(160)』、『王維詩選(80)』買ひ、疲れて蒲池氏(※蒲池歓一)に寄り、くづ餅(30)食ひし のち「父母によろしく」と坊やに云ひて都電、渋谷へ出、井之頭線にのりしあと三鷹松崎医院へ湿疹治療にまたゆく。
帰れば『山の樹4』来てをり、鈴木亨の「四季」派でなしの意味ほぼわかる。夜、本多慈子生へ礼状かく。

5月10日
雨、寒し。大江房子より礼状。浦畑チヅ子「永井姓となり延岡に住ふ」と。
立教大学教授団よりまた封書。出て成城大学。東洋文化史教へ、考古学好きの藤井祐介(佐世保の医者の子)を研究室に呼びて話す。
寒くてならず、講師室にゐれば松村達雄君来り、「高城助教授入院、恢復するや否やおぼつかなし。自分は明日より15日まで帰阪」と。
相良教授に誘はれtelevi見かたがたと八宝園へ出発。16:20ごろつけばteleviなく、17:20まで待たさる。話相手もなくてbeerのみ、早めに引揚げ帰りて炬燵入れる。
けふ成城堂より『日本切支丹宗門史』上中下3冊もち来る(480)。

5月11日
9:10出てお茶の水をへて東大(琳琅閣にて李亜農『中国的奴隷制与封建制(150)』買ふ)。やはり一番乗りなり。
宮原鬼一君のよみ出来ず。われ吏文の字引こさへしといひ、三上氏に変な顔されし。
すみて阿南君誘ひしも弁当もつとてやめ、本郷3丁目より都電にて上野広小路。こむといへばまづ飯食ひてゆけば空いてをりし「トルコ古代美術展」早々に目録買ひて一周。国鉄にて池袋。立教大学教授団に50円と諸願書とを山田助手にたのみ、教室広すぎると教務にいってもらへば269とて最古のバラックに来週よりと。
手塚教授、久保生らと来週東洋文庫へ石田、原田2教授の講演ききに同行を約せしも直後に三水会あることに気付きし。
渋谷、吉祥寺をへて三鷹。松崎医院にて看護婦さんに塗薬、太陽灯かけてもらふ。
けふ〒なし。弓子、伊豆堂ヶ島へ1泊にてゆき絵葉書みやげにもち帰る。

5月12日
雨やむ。穂積氏の教室変更となりしをきき、史学研究法教へ、今井氏と話し、火曜連絡会を教授会のあと講師室にて開くこととす。(山田生、名をきかれること5度目といふ)。
冷麺くひて漢文。13:30すませて出、松崎医院に寄り、汁粉くひて帰宅。
藤野一雄君より「小林英俊嗣子、台東区の上野学園大学に入りたしといふにつき取調べたのむ」と手紙。銭湯へゆく(体重41.5kg)。

5月13日
12:00まへ出て聖心女子大学。Tには「ヌルハチ伝」、Uには「国姓爺伝」はじむ。了へて都電にて渋谷。三鷹の松崎医院にゆき「魚の目」施薬してもらふ。足胝の方はだめなりと。
帰れば悠紀子をらず織原夫人と小室夫人訪ね、兄の悪口ききしと、18:00帰り来ての話なりし。
けふ上野学園大学といふを電話帳にてしらべしに台東区神吉町にありし。夜、速達「三水会は今月のみ25日」と。

5月14日
8:40成城大学。漢文了へ坪井生より記念日の行事報告受く。すでに今井講師。野口生より聞きあること也。
山本書店にて買ひし本の整理出来て来る。田中久夫氏と出て(『「却癈忘記」にあらわれた明恵上人』との抜刷もらふ)、経堂下車。
中華そば食ひしのち小高根太郎を訪へば茶碗作りをり、坊や転校せしと。
14:00出て北口の古本屋に案内し、『牧野富太郎自叙伝(120)』買ふ。松崎医院にゆきて三鷹より帰宅。
松井和佐子より佐藤姓となりしと。

5月15日(日)
昨日は史、依子ともに1泊の旅行にゆきし。10:30松崎医院へゆき魚の目切ってもらふ。
帰途、平田夫妻の家の前にゐるに会ふ。帰りて山本陽子より「悲観しをらず。ゆくさき未定」との手紙と住山重子の「televiにつとめゐる」とのハガキ見る。
史、夕方帰宅。(けふ父15:00ごろ来り、すぐ帰りゆく。神経痛とてよたよたしをり)。
このごとくわれも老いなん書もよまず孫も愛せずわれも老いなん。
あるときは烈火のごとく怒りしがいまは怒らずよろめきて去る。

5月16日
9:30登校せしに、やがて教務より電話「知人来し」とのことに迎へにゆけば塚山勇三君にて従弟の伊達信氏弔問に来しと。伊達宗雄氏の出校11:30といふに、研究室にて待たせ中国文学史30分やりて帰り、話す中、伊達氏来る。
講師室にてrice-curry食ひ、13:00出講の伊達氏と別れし塚山君とともに出て、給田町の団地へと千歳烏山行のbusにのり、団地前といふところにて下車。
別れて(誤らしきこと帰宅後、地図を見てわかる)芦花公園前より京王電車。明大前をへて三鷹の松崎医院(けふ白井紘史より電話かかりし)。
帰りて角力のradioきく。藤野一雄より「上野学園大学は女史のみ。国立の音楽大学にゆくといふに反対也」と。

5月17日
10:30成城大学へ登校。指定寄附金の使途について協議せんとせしも今井氏12:00に来り、40分間にて器具設備47万円のこり書籍費ときめる。
東洋文化史すませ、14:10より教授会。3Dの落第、金本、越智の2人決定。特選給付生3、4年ともにB、Cより出てすみ、主任会にて「指定寄附各専攻90万円づつ、使途は部長干渉せず」となる。
このこと今井氏に報告。52,53教室の展覧会の飾付見て、空腹かかへ三鷹にてしるこ食ひてのち松崎医院にゆきて帰宅。
『バルカノン13』来り、美堂正義氏の「『悲歌』に寄す」を載す。

5月18日
曇。美堂正義氏に礼状かく。高尾書店の書目と『詩人連邦』と来りしのみ。
12:30出て松崎医院へゆき、中野をへてbusにて立教大学。教務にて267教室おしへられてのち図書館にゆき閲覧章もらひ『東洋学報』vol.23借り出す。
岩生博士の「李旦考(※岩生成一「明末日本僑寓支那人甲必丹李旦考」)」を見んが為なりし。
久保生つかまへ呼出して教室おしへ「李旦考」よめず。講師室にて手塚教授に遭ひ「単独にて文庫にゆく」とことはり、4生相手にZeelandia城(※台湾の古城堡)の話をし、野崎生の白鳥先生に困りゐるを識る。
16:00すませ炒飯くひてのち、busにて林Dr.にゆきしに全家留守。大塚の古本屋見しあと、駒込にて喫茶。文庫にゆけば手塚教授すでに在り。
聖心女子大学の女生1人来をり、石田幹之助先生の「博学なれ」と原田先生(※原田淑人)の「実行せよ」とのお話承り、和田先生にも御挨拶申上ぐ。
手塚教授と駒込駅で別れ、久保生と新宿下車。「紗里文」でcaféのみ、下北沢をへて帰宅。22:20なり。

5月19日
雨模様の中を11:30家を出て成城大学。この間より同時出勤の老紳士、相良守峰博士と識る。
雨の中を短大教えへ、富永次郎氏と同室の池辺弥氏に予算のこと報告。
年中行事の会に出ざるを云ひ、館長室にて『東洋学報』また見、千葉氏よりWaley『白楽天』借出して三鷹松崎医院をへて帰宅。
高松直子生より「帝塚山学院短大の学長、鎌田政治氏に決定、自分は日生やめてお稽古する。松本一秀部長大腿骨に亀裂入り入院、あと2ヶ月」と。
『不二』来り、例の会談のせ、わが具体的なものいひに嫌悪。
けふ16日誘拐されし子、ガスにて殺されゐしこと判明とて大騒ぎ也(※雅樹ちゃん誘拐殺人事件)。

5月20日
雨。11:30止みしところ、傘もたず出て渋谷で餡蜜くひ、雨中を聖心女子大学。Uの教室221に変更されをり、salaryもらふ。
出て都電に出れば本田生?をり、トルコのアンカラに3年をりしと。
並木橋で下車。父母のゐるところにてちらしずし注文し、食ふところへ大帰り来る。傘借りて出、松崎医院をへて帰宅。
河出書房より1,730?来りしと。けふ松本君へ見舞、高松生へ返事。
昨夜、史0時すぎ帰り、議会へゆきゐしと。面前で安保条約通り、会期延長50日となりし也。

5月21日
晴。成城大学へsalaryもらひにゆく。途中大藤氏と同車、文化史専攻のみ研究費少かりしと思ひ玉ひし也。
講師室にて辻和子6年の恋むすびし(立林姓)とのハガキ受取る。
レース編みをbazarで買ひ(150、のちほど松崎Dr.に献上)、salaryもらひ、昼食にゆく加藤隆子生ら2人をさそひ「すみれ」にゆき飯くはせ、帰りて田山花袋のslideを見、坂本浩氏よりこの間の文学会の写真もらひ、2度考古展にゆきしあと出て下北沢。
大地堂にて『満洲風物誌(100)』、久保天随『支那文学史(100)』、花袋『草枕(150)』買ひ、三鷹にゆき松崎医院にゆきしあと、散髪(130)して帰宅。
住吉幸子より「西保姓となりし。惠以子の従弟が夫」と。入浴。

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5月22日(日)
松崎医院へゆけず、11:00成城大学10周年祭にゆく。山田俊雄教授と同車。
11:30より式はじまり、25年新制大学発足までの紛糾ありしをきく。すみて昼食会。
住友銀行支店長に田中克己専務のこときけば「退職して松下電器の子会社にあり」と。
野田宇太郎氏ゐるに気づき、ゆきて高田瑞穂氏より酒井森之助氏への紹介受く。東田千秋氏に酷似してこの間見まちがへし也(短大講師と)。
池辺弥君より指定寄附の28万円の使途書もらひ、講師室にゆけば芸術専攻も富永氏の同書にて困るらし。
14:00となり、出て喜多見の薄井家。(※薄井敏夫)未亡人とあきつ嬢とをり、「はるな嬢は電通につとめ、けふは高校の同窓会」と。
下北沢下車。『旅程と費用概算(30)』、『頼山陽詩集(50)』など買ひ、しるこ食ひて帰宅(花袋の『草枕』をslideの賞にと置きし)。南隅美弥子より父君和島岩吉弁護士の『三つの無罪』贈られをり。
夕食しながら夕刊見れば竹内好辞職せしと出をり(※新聞切貼「竹内好都立大学教授が辞表、“非民主的な政府”と怒る」)。ゆきて松枝茂夫氏と帰りまち、励まして帰り『南支遊記(複なりし30)』、『有馬晴信(30)』買ひて帰宅。眠りがたかりし。

5月23日
10:00起きて朝食。『果樹園』の合本、『近畿民俗』25周年記念特集号などと共に竹内の挨拶状来をり、
「私は東京都立大学教授の職につくとき、公務員として憲法を尊重し擁護する旨の誓約をいたしました。
5月20日以後、憲法の眼目の一つである議会主義が失われたと私は考えます。
しかも国権の最高機関である国会の機能を失わせた責任者が、ほかならぬ衆議院議長であり、また公務員の筆頭者である内閣総理大臣であります。
このような憲法無視の状態の下で私が東京都立大学教授の職に止ることは就職の際の誓約にそむきます。
よって私は東京都立大学教授の職を去る決心をいたしました。
この判断は私の単独に下したものであって、何びとの意志をも介入しておりません。
この処置は他人にすすめられるものでなく、またすすめる気は毛頭ありません。
私は文筆によってかつかつ生計を支えるくらいの才覚はあります
この条件の下で、私のなしうる抗議の手段として、私は熟慮の上で、この処置をえらびました。
私の辞職によって、同僚および学生諸君に迷惑をかける結果になるのは忍びないところでありますが、どうかお許し願います。
そして今後とも変わらぬ友誼をお願い申しあげます。1960年5月21日 竹内好」。
悠紀子をして渋谷にゆかしめ、半日臥床、夕食後、松崎Dr.にゆきて帰り、『源氏と平氏(70)』、『日本民俗学入門2冊(50)』買ひて帰り来る。

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5月24日
堀多恵子夫人より28日の案内「すみて食事をともにせん」と。
春名数義氏より礼状。安西均氏より「日本デザインセンター」の企画進行室に勤めしと。
小高根二郎氏より『掬水譚』の出版年月日の問合せ。
11:30出て成城大学。指定寄附金の使途、短大では英文、芸術も半分を要求しゐるとて3主任に栗山部長より話あり「誤解なり」と。
26日会議するとの廻状を鎌田氏に托し、民族学の馬淵氏の補講を火曜5時間目にしてもらふことを教務に届け出づ。
四条、八重樫2生をさそひて蜜豆。「柳田文庫の利用を火木土に限られしため困る」と。
ともに出て渋谷東横dept.にwhite shirtの仕立たのむ。6月7日出来と。松崎医院をへて帰宅。
京、けふ河口湖へ遠足。ゑはがきをみやげに呉る。依子、労音とやらにて22:00帰宅。飯くふに目をさます。
けふChiliの地震にて太平洋岸大津波なりしと。

5月25日
9:00出て渋谷をへて地下鉄にて本郷3丁目にゆけば、丁度時間よかりし。すみて本郷3丁目より林富士馬Dr.に電話して「ゆく」といひ、地下鉄にて新大塚。
すし食ってゆき依子の健保証きけば「預らず」と。注射してもらひbusに乗れば山田助手と同車、席譲られ恐縮。茶に誘ひしも断られ、図書館に寄りしあと(『掬水譚』しらべしもわからず)、salaryもらひ、4生を教へて喫茶。
(『平戸史話(130)』と『歴史学――論文のまとめ方と書き方(200)買ふ』)
渋谷をへて三水会。浅野晃、高山岩男の2氏欠席。席上、竹内の話のこと話題となり「バカ」「止めてくれればよい」とのことなりし故、親友なることを明かして座を白けさす。
帰り佐藤俊夫助教授と同行、疲れに疲れたり。
「6月19日新安保自然成立、7月辞職、9月総選挙の見通し」と。けふ田村氏(※田村敏雄)よりききし。われ田村氏に『満洲風物誌』を贈りし。(田川孝三氏に藤枝晃の托せし「克己」の印受領)(※印影あり)。

5月26日
よべ睡眠不足。9:00出て堀夫人へ「食事ともにせず」と速達出す。沢田四郎作博士へ鎌田女史と連名の状かき「史学研究法」教へ、午、池辺、今井、大藤の3氏を待ち指定寄附金の分配。3時間のすみしあと再開とし、camera2台その他にて書籍わづかとなる。可笑。
白井紘史より電話あり、約束せし15:00に10分おくれて下北沢。餡蜜食ひてのち古本屋にゆきまた『満洲風物誌(100)』。
松崎医院へゆけば睡眠薬いはざるに賜ふ。帰宅。庄野英二氏より「『ロッテルダムの灯』贈った」と。床しいて横臥。
(けふ『独和辞典』代715払ひし)。

5月27日
雨。影山正治氏より「芳賀檀を怒らしめし十返肇の文の掲載誌を教へよ」と。
宮本正都君より元気と。11:30出て聖心女子大学。すみて『昭和30年文芸年鑑』見てのち、雨中を歩きて高樹町。都電にて青山6丁目。不二塾へゆけば影山塾長在り。「竹内好は中共より大金もらひゐると教育大の漢文教授(易経専門と)いひし」と。躍起となりてこれを否定し、「十返肇はしらべて返事する」と申し、ともに出てわれのみ古本屋。
『刀伊の入寇及び元寇(40)』、『文禄慶長の役(50)』、『Korea:Her Histry and Culture(100)』買ひて三鷹松崎医院に寄りてのち帰宅。

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5月28日
晴。成城大学へ登校。「史記韓信伝」を教ふ。最前列にゐる2Aの女生5人「補講をせよ」といひ、月曜4時間目と定む。
図書館にて巌谷大四『非常時日本文壇史』、橋川文三『日本浪曼派批判序説』貸出し、『新潮』『中央公論』の十返肇の文検して浪曼派関係でなきを見てのち帰宅。
昼食し、12:30悠紀子と出て三鷹にて菓子(300)買ひ、武蔵境より多摩川線にのりかへ、多磨墓地前に着けば、堀夫人と同車なりし。
「玉由」とかいふ墓茶屋改築中にて、深沢紅子女史待ちてあり、加藤俊彦夫人、福永武彦などの次々来るを待ちて墓地にゆく。12区3側にて「堀辰雄1905-1953」とあるのみ。
蚊を払ひ花そなへ、次々に拝せしのみ。(※写真撮影あり)夫婦して先に別れ告げ、busにて三鷹駅前へ出、ice-cream食べしあと、松崎医院へゆき、悠紀子のいぼ取ってもらふこととす。
帰宅。入浴。夕食して眠く中西氏長男の東洋史の質問を「あすに」といはしめて眠る。
けふ渡辺三七子より「結納入りし」と。徳井靖子生(3A)より追試票。

5月29日(日)
晴。松崎医院へゆく。魚の目診察受けし。国会休業のままにて不快。李承晩アメリカへ亡命と夕刊に見ゆ。

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5月30日
8:30出てタバコ屋にて切手買ひ「多摩墓地」と1,100送らんとすれば、嫗、受取りて出しおくといひし。
中国文学史すませ昼食に中華そば食ひ、鎌田女史に会へば「今井富士雄氏父君逝去につき香資云々」と。
池田、大藤、池辺氏の分立て替えへ2千円わたせし。指定寄附金90万円の計算書かき、栗山部長に見せ、篠原部長の分に印もらひし。中村書店より電話かかりしゆゑ『中国史十話』売らざりしを云ひ、「来週来る」ときく。
林Dr.に電話し、「十返肇の日本浪曼派罵倒は時事新報に出し」ときき、『不二』の鈴木正男氏に電話して報告。
筑摩書房の東博氏に『蟠花』の評文出来しを云へば「見たし」とのことに「行く」といひ漢文の補講の5女生来ざるゆゑ14:30出てゆきcoffeeのみながら見せれば不満らしかりし。
別れて古本市を見、『歴史公論』の特輯、『国史の研究法(100)』、『史料研究の方法(120)』と『扈従訪日恭紀(50)』、『日露大戦史(50)』と買ひ、都電にて渋谷へ出、三鷹の松崎医院に寄りて帰宅。悠紀子けふは行かざりし。

5月31日
川勝重子生より速達、「4日(土)加藤、弓場2生と東京着、日本女子会館に入る」と。
美堂正義氏より「田中克己論を方々に書きゐる」と。
11:30出て成城大学。「東洋文化史」すませ、篠原部長に計画書出し、中村書店来しゆゑ売上590を渡し、丸重俊に補導費1千円わたす。
14:20より教授会。「bonus10日に渡す」と大宮執行委員よりの話ありし他は輔導関係のことなりし。
すみて大藤、池辺2氏と連絡会。すませて内野生を東北沢に訊ね訊ねしてゆく(途中、中野清見夫人弟姪とあふ――女子医大生)。
体悪きらしく話すうち蒼白となる。飴やりて途中『千夜一夜T(60)』買ひ、ラーメン食ひ松崎医院をへて帰宅。
(けふ立教大学生、苺もちて10:00来る。家庭教師のことききに来しならん。午后悠紀子の友より塾にゆくこととせしと苺もちて断りに来しと、ふしぎ也)。

6月1日
千草来り、「父母十日ごろ伊勢へ帰る」と。中村さんとて天沼にをりし当年60歳の老嬢、定期貯金の勧誘に来る。
13:00出て中野をへて立教大学。国姓爺を明清鼎革までやりてすまし、研究室へゆけば、手塚、小林2教授、来年度の計画を立て合はざるらしき場にあふ。そこそこに出てまたbusにて中野。しるこ食ひ三鷹松崎医院。悠紀子いぼのとれし礼に来しと。
帰りて銭湯にゆくつもりなりしも寒くてやめる。けふ立教大学にて来週の休講を4生に約す。

6月2日
昨夜3:00にめざめ、苦しけれど登校。まづ史学研究法やり、内野生の来れるを見る。
昼食そとへゆかんとせしも2女生の食堂にゐるを見、話しつつpão。一人は日立製作所社長室長の女、本間生なりし。
短大すませ篠原部長に補導費と本代の請求出せしあと、鎌田女史より池田(夫人より受取りしと)、大藤2教授の香奠代1,000返却受け、池辺君より「立替ですよ!」と声荒げられしも篠原氏よりの電話にてすみし。
下北沢下車。郵便出し、すぐのって帰宅。
小高根二郎君よりの往復ハガキ2通見る。中島栄次郎の生年月日と伊東書簡の疑問となりし。
入浴し、松崎医院へゆく(帰途、空腹にて炒飯くひし也)。
このごろ魚の目の治療も受けゐる也。眠くだるきもやや平安なり。現金なるものかな!ⴵ(※不詳)

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6月3日
よべ2:00にめざめて、以後眠れず。11:30出て聖心女子大学。「ヌルハチ」すまして「国姓爺」やらんとすれば(同室の老教授、東洋大学と善隣高商にゐて大島豊を識り、この間1億円東洋大学に貸せし人ありしと。田部重治氏、apart3軒をもつと話す)、
「先生、あすどうなさいます」とのことに「あはてず電車にのれ」といへば、新安保への賛否を訊ねるなりし、意外なることかな。
中河幹子と竹内好の2人の話し、太宰と堀辰雄の話してすまし、渋谷へ寄れば父母13日に伊勢へゆくときめし。
1万1千円にて背広作りてもらひしと見せらる。道玄坂の古本屋に寄り(餡蜜をそままへに食ひし)、『大陸文化研究(80)』、『砂の枕・人間の歌(70)』買ひ、神泉より乗車、三鷹松崎医院をへて帰宅。
『アジア歴史事典4』来をり、わが執筆は「順治帝」のみならん。依子けふbonus6千円もらひしとてport-wine1瓶買ひ呉る。

6月4日
総評傘下のストとの由にて4:00ごろよりspeakerきこえ、7:10出てゆけば国鉄通り、やや空きし私鉄にて成城大学。
図書館にて中島栄次郎のことしらべしも手がかりなし。9:15より漢文。すませて川勝生の電話まちしも来ず、11:00こちらよりかければ「未着」と。
出て丸重俊と会ひ、経堂にて下車。すし食はし、別れて池袋。西武dept.へ宮崎女史に会ひにゆけば、婦人Hall移転しをり。やめて13:00かっきりに六義園に着き、14:50まで待ちて皆そろふ。
2年生14人来をりし。beerでまっ赤となり、散歩して帰り来れば散会となりゐし。
出て巣鴨駅まで歩き、途中『魚歌(20)』、『千夜一夜物語14(60)』買ひ、松崎医院をへて帰宅。
筑摩書房より『non-fiction全集』1,2来をり、『小林英俊Requiem』と手帛2枚と来をりし(16:00また日本女子会館に電話せしも未着と)。

6月5日(日)
東博氏へ礼状。『果樹園52号』来る。悠紀子、同窓会へと出てゆく。
14:00出て高円寺。赤川草夫訪ねbeerご馳走となる。60才と。浅野晃氏と同じく歯に衣きせず。
出て丸に電話すれば在宅。中野、竹内のこといふ。竹内を理解しをり。夫人のいとこの子の嫁、わが教えへ子と。井上といふに井上律子と判明す。
増田四郎『歴史学(90)』買ひて帰宅。悠紀子また依子と買物に出をり。

6月6日
4:00まで眠れず。成城大学へゆき中国文学史また話してすます(直前、神田信夫教授来訪。父博士(※神田喜一郎)よりと『敦煌学五十年』たまふ。『中国史十話』もち帰りもらふ)。
昼食くひ、漢文の特講の女生たち忘れて出、千歳船橋下車。鈴木俊教授訪へば大学と。「あす10:00ごろまで、水曜は終日在宅」と。
『中国史十話』おき、暑きゆゑ駅前で餡蜜食ひ梅ヶ丘下車。和田先生訪ひ参らすれば御授業中と。
『中国史十話』おき、「また」といひて出る。松崎医院にゆき夫人より注射受く。湿疹、魚の目ともに良くなり来りし。
小高根二郎氏よりわが『ハイネ詩抄』につき問合せ。神田先生の本よみ了る。

6月7日
8:30家を出て鈴木俊氏を訪ふ。『満鮮史研究』は「そこのを持ってゆけ」といふこととなり、中村書店の方は要領を得ざりし。東洋文化史のnote忘れしゆゑ、研究室にて作り、下痢のためtoastと紅茶(100)。
東洋文化史の時間すみて山田、武井2生と話す。山田は米人の夫人なり。(齋藤清衛博士と蓮田碑のこと話す)。
父胃癌との長沢生に電話すれば母出て不在と。欠席届せよといひし。
『蟠花』評書き直せしも旨くゆかず。服部女史の卦、このごろ万事に当りをり。室に電話して「竹内慰める会をせよ」といひ、これもH(服部女史の卦の無駄骨折りの印)なりし。
15:30まで待ちて国文学会に野田宇太郎氏の「浮世絵と詩」をきく。(※写真撮影あり)
18:15すみ、すし食ひしあと相談、写真とて19:00近くなり、中座して松崎医院。下痢の薬を夫人にもらひて帰宅。

6月8日
8:30家を出、渋谷より地下鉄にて本郷3丁目下車。西片町長沢家にゆけば、母出てミキ子生都庁に出しあと(Hなり)。
疲れを正門前でcoffeeのみていやし、李朝実録の会に出る。三上教授も出席。阿南君のよみを我と田川氏と訂正す。
12:20すみてrice-curry食ひ、神田、松村2氏と同車。東洋文庫にゆき『太宗実録』天聡7年までよむ。吉田金一氏来る。
16:00出て渋谷東横dept.にてwhite-shirt受取り、餡蜜くひて松崎医院。けふもまた夫人の手当なりし。「bat」3箱買ひて帰宅。

6月9日
9:30成城大学へゆき、聖心女子大学へあすの休講とどけ、長沢生の来しと話し、ついで史学研究法。出席よろしく、姜生、土曜の欠席を届け出づ。
昼食くひ漢文教へ、栗山部長に『文芸文化』からんとせしもつかまらず、ふと図書館にきけば「あり」と。借り出して鈴木正男氏に電話し「来週とりに来る日を指定す」といふ。
井上律子に電話して話す。13日の休講も届け14:30帰宅。
坂本経子副手より「市川姓となりし」と。入浴し松崎医院へ18:00ゆく。眠くてたまらず。

6月10日
8:20家を出、9:30東洋文庫着(吉祥寺―下北沢―新宿の路線による)。昼食時まで『清朝実録』をよみ、昼食を玉子丼とし、金30円となり、13:30までまたよみ、漢軍2旗となりしところにて出る。
また前の路線をへて成城大学。Health Centreといふにゆき、待たされてのち検査受ける。浦本Dr.59才と。ついで会計にゆきbonusもらふ。PTAより2.4万を増しくれをり。
研究室へかへらんせしに、漢文の補習にと鈴木睦美と北森満里?2女生来り、汁粉くひにとつれゆき、蜜豆くはす。
雨ひどくなりて出、下北沢まで野口駿雄とゆき、のりかへにて古本屋、『平戸蘭館日記上下』売れしといふに『台湾ヱハガキ集(200)』、『郵便切手catalogue(40)』、『王陽明(40)』など買ひて松崎医院をへて帰宅。
天理図書館より『Africana』来をり。電話、阿南君よりありしといふに夕食後かけて来さし、凌純声『赫哲族』と『清史雑考』とを貸す。

6月11日
8:30若葉伊奈緒と同車にて成城大学。漢文すませ、成城堂に480(『切支丹宗門史』代)払ひ、東方学会に35年度会費(400)、東洋史研究会に1000払込みしのち、新宿へゆき切符買って東京駅。
折しも出発しかけゐし伊東行に乗り、小田原で切り離しの車両に乗り小田原で下車。rice-curryくひ、大阪行にのりかへて沼津下車。
塚山君にゆかず宿さがし、はじめの高さうなれば茶のみ200置きて出(1500とわかりし)、小さなのに入り入浴。beerのみ飯はすし半分食ひしのみ、熟睡せし。

6月12日(日)
起きれば8:00にて来客ありとてよべ電話かけし詩人4人!ともに10:00出てわれは餡蜜。
送り送られて富士にゆき加藤一氏に会ふ。酒店にて「もと『海盤車』をやりし。同人は麻生、准同人が矢本貞幹氏なりしと。酒井正平、川村欽吾などはおぼえず」と。
駅まで送られ土産買ひ「なにわ」で帰京。
この間Eisenhauerアメリカを出発せし也。読売はじめ新聞みな「歓迎せよ」となりし様子。
坪井明より「頒けよ」と大高文2乙の写真来をり。川勝重子より「4日は40分おくれて入京。電話かけざりし」と。

6月13日
敝衣にて東洋文庫へゆき『太宗実録』を見る。松村氏もよみゐる箇所ありしがすみ、昼食に鰻丼(150)、不味。
散髪せんと思ひしも月曜にて休みなりし。
15:00西川英夫に2度目の電話してゆき、坪井よりの写真を4枚渡す。「竹内の慰労会賛成」と。
中野まで急行でゆき、蜜豆くひ、松崎医院へ羊羹もちゆく。帰れば悠紀子、京をつれて父母を送りに出しと。和田先生古稀記念東洋史論叢編纂委員会より「執筆者毎に3冊予約を」と!
悠紀子ら22:00帰宅。父母きげんよく出発。千草経過良好と陽生云ひしと。

6月14日
9:00悠紀子とともに出、名品店にゆかんとすればまだ開かず。散髪し、遠藤商店の向ひの店にて合背広(8千円)買ひ、着換へて森Dr.に会へば「清瀬一郎に暴力ふるひし社会党云々」といふ。昨日柏井数男みてもらひしと。
出て下北沢でrice-curryくひて成城大学へゆく。
漢文やるといふ鈴木、柏岡、本多の3生と話す中、今井氏来り、「図書購入に関し了解求む」と。
電話、影山正治氏よりかかり『コギト』返却すといはるに『文芸文化』と引かへに、成城大学へよこしたまへといひ、東洋文化史やり、教授会にゆけば、概ね(※安保反対)行動参加生のことなりし。
「影山氏来らる」との案内にゆけば正治氏自らscooterにてお越しなりし。
「この間浅野晃、尾崎士郎の2氏に会ひしに、文芸日本第3次の動きにくさりゐる」とのこと也し。菓子折たまひ恐縮す。
教授会に引返し、すみて文化史の打合せ会(けふ山田俊雄氏に和田論叢の案内わたせし)。
池辺君あひかはらず感じわるくて困る。すみて下北沢にて下車。餡蜜くひ松崎医院。社会党も暴力を清瀬氏にふるひしと強き注射さる。
けふ学校へ(浜谷)河野弘子の転居通知。家へ古田房子のヱハガキ。他に『中央公論』の日本の地下水係より問合せ。

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6月15日
13:00まで家にをり休息す。出て渋谷をへて池袋。渋谷で『新東京文学散歩(60)』買ひ、池袋で『国姓爺合戦(30)』買ひし。立教大学研究室に池内先生『満鮮史研究 上世編』わたし、教授室で手塚教授、中川講師に会ひしあと45分やり、東洋文庫へゆきし久保生をのぞく3生と喫茶。
「けふEisenhauerに学位贈呈の件にて教授団、学長に抗議し、米大使館へもゆくらし」と平塚生の話なりし。
地下鉄にて虎ノ門、短波放送会館の前demo隊に対し、警官対峙して入れず隣のbuil裏口より入りゆき、三水会の諸氏みな見物しをるを見ゆ。
勝部君の話の最中も喚声しきりにて、あと竹内のことまたいひて座白け、やめと思ひつつtaxiにのれば「死者1人出し」とのことなりし(※東大生、樺美智子)。
渋谷にて浅野晃氏を喫茶店にさそひ、気持云へば「了解」と。折よく雨やみし時を帰宅。
田中秀子よりハガキ。「高松直子は売約済ならず」と。
世の中のこともしらずに眼とぢ声なくなりしをとめ子あはれ。
降る雨にぬれそぼちつつ若き子らこゑはりあげてうたひつらむか。
この人ら権力おもひこのわれはこひをばおもふともにおろかに。

6月16日
睡眠不足を押して成城大学。史学研究法やらず昨日の(※騒動の)所感をいへば山田生、頭に繃帯し、鈴木健司生見えず、すみて山田女生と武井生にさそはれ飯くひに「すみれ」へ行くことになれば川本2人らも来る。
昨夜みな全学連とともに議会にゆきし也。
帰りて学生課長に会ひ、高桑純夫講師(哲学にて昨日嬢をなくせし樺俊雄氏を識れり)らと話しゐれば池田教授「昨日の指導者はL3A笠松にて負傷」と。栗山部長にも報告し、短2Aの漢文すまし、鈴木生の下宿見にゆきしに「ゆふべ帰らざりし、けさまた出てゆきし」と。
高井生も「帰り来し」といふに一応安心にて、ふらふらゆゑ帰ることとして、駅にゆけば相馬生をり、誘ひて経堂へゆき、けふ結核の診断受けしといふ中谷生の家へ電話すれば帰宅しをり。そのまま帰宅。
悠紀子より教へられてradioきけばEisenhouerの訪問取止めを岸首相たのみ、辞職もきまりしらし。
影山正治氏の構想通りとなりめでたし。ただし新安保はその代償か。山中タヅ子より「まだ縁談おくれる」と。

6月17日
昨夜よく寝て11:30出て(山中、古田、田中3生へのハガキもち)吉祥寺駅で竹内好に会ふ。「やや雲の切れ目見えし」と。
われ彼の動静批判を伝へ渋谷で別れ、喫茶して聖心女子大学。
2classともに(※学生騒動の)所感のべしあと、ちょっと講義し、徒歩にて不二歌道会。鈴木君に礼いひ『文芸日本』托し、またjuiceのみて古本屋。
『ニューカレドニアその周辺(200)』、『The son of the Grand Eunuch(100)』、『千夜一夜物語4(70)』、Baedeker(※旅行案内書)4冊(400)買って松崎医院。
帰りて齋藤はるみの便り、坂根千鶴子の「舞芸座に入りし、いま帰阪中」、父より「無事着いた」など見、東洋文庫よりの『華夷変態補遺』受取り、夕食後入浴。依子、悠紀子につれられて松崎医院にゆく。
われ浴場より帰り来れば野口駿雄生まちをり「鈴木健司いまだ帰らず、学友会では今後ゆくなときまりし」と。「われらに任せよ」といふところへ白井裕史来り「全明大憤激す」と。けふ聖心女子大学6月分のsalaryくれし。

6月18日
8:30成城大学へ登校。丸に電話して鈴木の捜索たのみしあと、学生来り「月島署に留置され、傷は心配なし」と。
丸に電話して「必要なし」といひ、2年の漢文にゆきしに最前列の女生を叱り泣かす。困りし上、隣教室さはがしきゆゑ早々にやめて2Dの女生5人と話す。本間生がものいひし。やめて階下に来れば先ほどの女生待ちをり八つ当たりを詫びればまた泣きし。
そのあと学生課長に鈴木生のことまかせよといひ、尋ね尋ねして今井富士雄氏にゆけば「馬鹿!」といふ。学生課長と話すといふに出て成城学園前へ引返し(山田生吊し上げられ登校とりやめゐると)、田中久夫氏の帰り来るに会ひ坪井、山田君江などと同車にて下北沢(けふ高田瑞穂氏と話し、協力たのみし)。
鈴木女生に会へば家より「自重せよ」の電話しきりなりと。坪井が同方向なるゆゑ誘ひて明大前下車。すし食はせて別れ、(本間女生けふもdemoにゆくと)、『日本人の性生活(2400)』買ひて帰宅。
郵便またおくれ都内騒然。Demo隊20万人と。齋藤晌教授より「都合しらせ」と速達。けふ三鷹で夏の鳥打帽(400)を買ふ。

6月19日(日)
〒なし。11:00出て武蔵野郵便局へ。斎藤教授の返事「いつにても良し」を出しにゆく(齋藤はるみへ「出版の世話できず」と返事)。
松崎医院へゆけば注射せず薬をたまふ。帰宅して昼寝せんとするところへ鈴木健司来り、昨夜放免となり今井氏と学生課長に挨拶にゆきしあとと。 もう「懲りました」と也。「月島署の取扱ひ宜しかりし、岸への反感はありし」と。
つれ出してすし食はせ、別れて古本屋廻り『Manners and social usages(150)』、『Hawaii(80)』、『基礎朝鮮語(215)』、『新旧かなづかひ要覧(100)』買ひ、帰りみち「父の日」の贈物もちし悠紀子、京と遭ふ。悠紀子ゆかた、弓子茶碗、京箸を買ひくれし也。入口にて阿南惟敬氏に会ふ。論文見せよと也。
家に入れば弓子「竹内より電話ありし」と。掛けかへせば「岐阜の江口三五氏来りをり」と。「すぐゆく」といひゆけば大林組の訴訟にて来しらし。やがて迎へに来しと帰る。竹内と少し話して帰宅。

6月20日
登校9:00。講師室の様子かはりをり、大学新聞くれしにより、よみしに笑止なり。中国文学史に三曹の話し、鈴木健司その他ゐるを見る。
栗山部長「秋の俳文学会に吾呼べといふがありしかど云々」。
12:00出て山田、武井のゐる成城園にて炒飯くひ東洋文庫へゆく。『太宗実録』2帙すみ、『世宗実録』に入る。(昨日平凡社のアジア歴史事典係よりShirokogoroffにつき質問ありしを思出す)。
16:30了へてice-cream駅前にて食ひ、中央線にて三鷹松崎医院。Dr.年収450万円と査定されしと!(駅にて学生のカンパに100円入れし)。そのまま帰宅。
『ノンフィクション全集3』来をり。武蔵野市税2,700余と来をり。
(けふ成城堂に田中隆尚『茂吉随聞』2冊注文せしが来をり)。上巻よみ了る。(東洋文庫に受取りを提出せし)。深更下巻もよみ了る(1:30なりし)。
わがこひのうたつくるときひとはみないとひの文を作りゐるらし。

6月21日
曇。11:30出て成城大学。よべの読書にて眠けれど東洋文化史了へ、salaryもらふ。地方税4800の武蔵野市令書入りをり。きけば市役所でいひて重複せぬやうにしてもらへると也。
山田英樹生呼び、coffeeのみながら話きけば「覚悟しゐる」と。「その中、父に会はん」といふ。やがて女生4人来り、鈴木睦美のほか本多弘子、宮崎邦子なり。1年生の水谷といふがをり、「長恨歌」1/4をすませ、雨ふり出せしに傘もたず、2年生さそひて喫茶。
鈴木生はこの間、鎌倉へ座禅にゆきしと。皮肉な笑をするが宮崎にて「高等部より来て新垣淑明氏に習ひしもきらふ」と。
鈴木生の話にては短大生、われを面白がりゐると。
出て三鷹台下車。松村達雄君訪へば「痔にて入院しゐし」と。竹内のこといへば反感もちをり。同じく公務員なれば也。
傘借りて帰宅。松崎医院にゆかず。
河出新社より『西洋史物語』の500部増版印税(2,388−358)きのふ岸町より速達転送され来しと。(この間われに叱られて泣きしは福留泰子とて高知の子と)。

6月22日
St.とて9:30駅に着けばまだ混雑す。お茶の水よりbusにて神田信夫氏と同行。11:00おほむねそろひ『李朝実録』よむ。すみて(長浜に帰りし護雅夫氏より武田豊氏よりことづかりしと菓子1箱受取る)、阿南君とrestaurantへゆきlunch食ひ、黒竜江のHarha部についての論文返却。飯代割勘にせんといひしにきかず、別れて木内書店にをればまた遇ふ。
『北海道詳図(50)』、『高雄州要覧(20)』、『概説沖縄史(50)』、『朝鮮の習俗(30)』買ひ、傘忘れしらし(立教大学にて気付きし)。
busにて池袋。西武dept.の婦人Hallに宮崎女史訪いひ、東博氏の歌集評のこときけば「まだ間に合ふ」と。
出て立教研究室にゆけば手塚教授。ともにsalary受取り教室にゆけば久保靖彦、金子喬彦の2生のみ。
久保「6月15日国会前にゆきし」と。けふも16:00より会合といふにcoca-colaのみにゆき、別れて裏口へ本見にゆき『新唐詩選続篇(80)』買ひもどしてbusにて新井駅前の古本屋見しも買はず。またbusにて中野、松崎医院へゆきてのち帰宅。

6月23日
9:00井之頭線で青木秀樹に遭ふ。史学研究法すまし成城園へ飯くひにゆき、丸重俊に会ふ。
すまして出、クセジュ文庫の『世界の探検家(120)』買ひ、短大の漢文すまし、出んとすれば鎌田女史「丸重俊を使って」とわびる。
足立明子らと喫茶し(けふ金本茂2年に入ると挨拶に来し)。家に帰れば15:00。
史あての手紙まちがへてあける。悠紀子、松村家へ傘返却にゆきしと。松崎医院へゆき、帰途『東洋文化西漸史(50)』と『新唐詩選(50)』買ひ来る。本日岸首相辞意表明。

6月24日
下北沢、新宿をへて東洋文庫へ9:30ゆき、11:30まで『世宗実録』をみ、出てcoffeeとtoast。
渋谷に出て保守党の老先生と遭ふ(中大専任と)。聖心女子大学にゆけば「けふは休み、Mother三好(※三好切子?)は渡米」と。
話して休みをれば海老沢氏来る。『えびすとら』といふを頒けられ、切手代100払ひ、出て都電にて渋谷。
東横dept.にて麺くひ、下北沢の手前池の上にて下車。『成吉思汗は源義経也(150)』と『ガリヴァー旅行記(150)』買ひて帰宅。
入浴して夕食し松崎医院。餡蜜食ひ「GoldenBat」4ケ買ひて帰宅。このごろ出てゐる也。
もろともに死なば死なんといひし子はこのごろ何もいはず生くらし。

6月25日
成城大学へゆき漢文。すませてすぐ出て新宿中村屋にてrice-curry(150)食ひ、coffeeのみ(雨ふり出す)、地下鉄にて本郷3丁目。Howorth『Histry of the Mongols.W(380)』見つけ、東洋史研究室にゆき、桑原論叢の浦廉一「漢軍(烏眞超哈)につきて」抜き書きす。了りて和田久徳氏、小山助手誘ひしもきかれず(coffeeのみに)、出て門前に前より見つけありし『朝鮮六法(100)』買ひ、14:00よりの和田久徳氏の林天蔚『宋代香薬貿易史稿』の紹介と、斯波義信「宋代の地方市場一墟市の分析」とをきく。
護氏より紹介されしは早大教授栗原朋信とて浪速中学に3年学びしとてわれのことおぼえゐしと、意外。
すみて誘ひ出しcoffeeのませ昭和11年卒業ときく。別れて古本屋をまた見、地下鉄にて新宿に出、三鷹松崎医院にゆき、帰れば悠紀子、依子をつれてゆきしと。Dr.宴会にゆきしあと也。
帰り来て風呂桶見つけしを話す(6千円にて中西家と折半と)。「柏井玉叔母近々死なん」と。白井紘史よりハガキ。

6月26日(日)
きのふ小犬のトラックに殺されしを悠紀子はじめていふ!腹立ち悲しくてたまらず。
「漢軍8旗」ちょっと書く。角川書店へ「Heine11版の印税よこせ」と書く。武田豊氏へ礼状。
三鷹へ悠紀子ゆき風呂桶買ひしが午后つく(和田先生と栗山部長に盆の中元贈りしと)。中西一家を手伝ふ。
わが外へゆく時尾ふりつきて来し来ざれと叱り来さしめざりき。
わがさがはかなしきさがよ生くるもの死ぬるをおもひたのしまぬ日々。

6月27日
よべ9:00すぎ眠り12:00に目明く。いろいろ考へる中に小犬の死にしこと最も痛切なり。
司馬遷のnote出講まへの20分で作り、ゆきてすませ、「すみれ」へrice-curry食ひにゆきしあと、蓮田善明氏の建碑1口300円との案内を池田教授より受取る。
それより15:00まで待ち、その間「異常体質」作り、1千円封入小高根二郎君に送ることとす。
15:00長恨歌の会に柏岡(卒論は鴎外と)、鈴木、本多、宮崎、水谷のほか、この間泣かせし福留泰子とび入りと来る。うれし。
すみてともに出、郵便局にて速達し、同車にて下北沢。別れて松崎医院。Dr.「硫黄浴いまからやり玉へ」と。帰りて論文「対国姓爺戦における漢軍の役割」と改題。書き直して6枚となる。
高橋重臣君よりGoethe『Prometeus』の訳の抜刷。筑摩書房より『現代詩集』11版の通知。(けふ矢沢利彦君に駅前で会ひ、松村達雄君に吉祥寺駅で会ひし)。

6月28日
11:30家を出て成城大学。暑く面白きことなし。松村達雄君来る。東洋文化史すませれば「来週休むか2時間目にせよ」と本間生いひし。「宜し」といひ松島生と話し教授会まで待つ間に来し高校河村教諭を短大の癌に罹るといふ内田氏とまちがへて話せし。
教授会はbase-upに難点ありとの組合報告が主なりし。すみて今井、大藤、池辺の3氏と話し、これにて連絡会打切ることとす。
帰りてはじめてわかせし風呂にて行水。

6月29日
暑し。立教大学休みとしあれば朝より「対国姓爺戦における漢軍の役割」を書き、深更(2:00)34枚とす。不満足なり。
その間、森Dr.より電話「都住宅建設に申込むゆゑ名前かせ」と也。悠紀子に書類とりにやらせ夕食後もちゆく。お世辞いはれ、保証人を丸としてすむ。

6月30日
2:00までかかりて清書せしを朝またちょっと直し9:30家を出る。むし暑し。
史学研究法来週休むこととし、指導費立替へを貰ひ、すしやへ行く。
けふ財布と短大のtextと忘れしゆゑ、午后30分やりて池袋をへて東大。女副手に論文わたし、またbusにて神田。
『成吉思汗実録(280)』、『唐詩選新釈(80)』、『地下の島(30)(※長尾良著作集)』買ひて山本(※山本書店)。
小野忍教授をり竹内のこと話し、7,000近く学校へと本買ひ、また古本屋。『コギト』1冊200にて売りゐるを見しあと、長尾良を訪ひしに会議中と。
波木井書店にて『千夜一夜16(50)』買ひ帰宅。昨日と今日と硫黄湯(※ムトウハップ)にて行水し、松崎医院にゆかず。

7月1日
11:30出て聖心女子大学へゆく。田中保隆、海老沢両教授に会ふ。
2時間ともいいかげんにすます。(salaryもらひ8月は10〜20日の10:00〜15:00まで小林氏登校。受取れと)
紀要に書けと御愛想のごとくいはる(10月締切と)。
出てbusにて渋谷、都電にて青山6丁目。不二出版社へゆき鈴木君に会ひ、藤田徳太郎氏の年祭に出ざるをいひ、『橘曙覧』2冊(300)買ふ。
そのあと古本屋歩き、林語堂『Famous Chinese Short Stories(120)』とLignitz『日露戦史V(50)』買ふ。
けふ往来ともにcoffeeのみし。帰りて『果樹園53』受取り、宮崎氏より「村松氏と早坂氏とを(※東洋大学訴訟)証人にと齋藤氏にいへ」と。
小高根二郎君より「大阪32℃」と。湿疹わるく夕食後松崎医院へゆき、帰り『支那仏教史(100)』と『20万分の1和歌山(60)』買ひ来る。

7月2日 ⴵ
登校。漢文やり田中久夫氏と話し、池田氏と話す。『成城文芸』の編集費4千円あり。火曜に会せんと也。
田中氏のすむを待ち、ともに出て新宿。中村屋のrice-curry食べ古本屋へ案内し、『蘭領印度史(200)』買ふ。森生に与へしことと思ひし也。
高円寺柏井昇宅へ14:00ゆき、玉小母に焼香。昨夜中風10年にして死にし也。高沢小母、柏井家の過去帖出し来て見す。
浜松井上侯より5代目が数男、昇なり。
疲れゐて悠紀子のこして出、都丸にて斎藤忠『古墳(30)』、桃裕行『隣邦史書に現われた日本(30)』買って帰宅。
(宇治金時といふを不二家で食べ手紙かく)。
奥戸武より5月26日「桑港支店長よりロサンゼルス支店長に転任」と。
19:00すぎ松崎医院にゆく(硫黄行水わかせしあと)。
平田家に寄り夫妻と話し(なすの炊き方教はりし)、茄子(20)買ひて帰宅。弓子の作りし夕食くふ。悠紀子22:30ごろ帰宅。
親類みな夕飯ごろ集りしと。

7月3日(日)
晴。11:00斎藤教授(※齋藤晌)へ「宮崎氏の意見に賛成」とその葉書同封して速達し、松崎医院。注射打たれず薬もらふ。
610ハップの行水を2回す。散髪にゆけば170とらる。田村春雄博士へハガキ。

7月4日
10:00登校まへ神田先生へ『敦煌学50年』読後と15年間のお礼いひ、『成城文芸』2冊お送りす。田村春雄博士へも受取り。
柏岡生へ連絡せよといひ、成城文芸編集会のこと大山、木檜(※こぐれ)2氏に伝へ11:00出て、けふ広告来し明治堂に『Sumatraの民族(300)』ありしゆゑ、まづお茶の水。さっそく買取り、よこにありしRowe『Society(200)』といふを買ふ。Lowieと勘違ひせしにてRとLの区別つかぬはSingaporeの時以来なり。
すし食って高円寺。柏井昇家へ13:20着き、まごまごしてのち焼香し、あと茶の間にて松田氏と話し、出棺見送りて帰宅。
また610ハップに入り、悠紀子の帰りまちて夕食し、松崎医院。
(齋藤晌氏より「宮崎氏の証人は公判となればのがれられず。村松氏は気の毒ゆゑ止める」etc.)
帰れば依子ぐづぐづいひをり、叱りて松崎医院へゆかしむ。神経の病気と。

7月5日
登校。2時間目にわざわざせし東洋文化史10人しか出席せず。きけば藤井裕介が連絡せざりしらし。夏休みの計画いはす中、姜生気分悪しくなる。
早々やめてsandwich食ひ、福島生が『阿Q正伝』の研究するといふに参考書かし、午后柏岡生と水谷羚子生とつれて「車」にゆく。水谷生、漢文すきにて谷中に住む下町娘、面白し。
宮崎氏に電話して「あすあたりまた連絡してのちゆく」といふ。病臥中と。
けふひまにまかせて1LDの詩13篇つくりし。15:20より「すみれ」にて成城文芸編集会。池田、宮崎、上原の旧委員と大山、木檜、われの新委員に山田俊雄氏ならびに佐藤助手。年4回にて予算25万円と。
学術的にするとのことにて次号締切9月13日とし、われ催促を引受けることとなりし。
山田氏と出て帰宅。東大東洋史研究室より論文の受取。田中順二郎君より御中元としてカルピス2本。
けふは松崎医院へゆかず。依子欠勤して気分直りし模様。
雨中20:00角川書店より『Heine12版』印紙1,500枚を8日までにと(7月中旬発行と)。

7月6日
12:00まで家にをり昼食して出、松崎医院をへて成城大学。高田、池田、上原、池辺の諸氏に23号の締切9月13日をいひ、原稿用紙わたし、堀川、大宮、渡辺、関本の諸氏へハガキかく。川口、後藤の2氏ぬけし也。
そのあと宮崎幸三氏に電話して「ゆく」といひ、15:15ゆきて齋藤氏の手紙見す。「証人を承知したおぼえなし。村松氏と早坂氏とをはじめより推薦せし。12月18日の3教授が調停に応ずる旨了承したことを了承する教授会以後は記録なし」とのこと也しも、証人に出ずとはいはれず。
16:00出て渋谷までbus。17:00柏井昇にゆけば高沢叔母、みす子(松田夫人)、俊子姉をり、おしゃべりききつつ18:00すぎ来し日蓮宗の坊さんの回向ききしあと、すしよばれ昇君とbeerのみて20:00出、丸家へ電話せしに「まだ帰らず」と。
帰宅して610ハップの行水す。昨日より『全唐詩』の年中行事を抜書す。

7月7日
依子2日休のあと出勤。悠紀子11:00染井の墓地へお玉叔母の骨納めにとゆく。
われ京の帰り待ちて、印紙1,500もちて角川へ。渋谷をへて九段上まで都電。須藤、中西2氏とも不在と。検印紙係伊藤昭三君といふに会ひ「この10日支払が去年の10月の分」ときく。いやな顔して印紙わたし、国鉄にて三鷹。
松崎医院へゆくまへ「氷しるこ」くふ。Dr.まだ帰らず夫人疲れねたまふ。
帰りて西宮一民君より日生の就職運動のことかきしハガキ見、小林茂行?の暑中見舞見る。悠紀子すでに帰宅しをりし。子ら七夕の短冊かけしも曇空。われ年中行事抄す。

7月8日
田中順二郎へ礼。西宮一民君にハガキ。14:00成城大学へゆく。
新城常三氏集中講義に来をりと。池辺弥君、camera云々といひ、短大のsect主義たしなめんとせしに変なりし。Cameraは8ミリ35ミリとも映写機なりしこと、はじめてわかる。
中馬清福君「朝日の秋田支局」と。山本書店より『中国文学報』の4号以下来りしと。電話して「送れ」といひ、『植物名實図考長編』と『詩経の成立に関する研究』もち帰ることとす。
新城氏の話きき「日野、藤井、曾我部の3氏が東洋史の3奇人」とわかる。鎌田女史にきけば「古野清人博士都立大へ10月転任」と。
出て(郷右近生に『漢文の学び方』貸す)和田先生「守屋博士になる、きみはもう手おくれだね」と。明日より茅ケ崎へゆかると。『満文老檔5』の刊行は来年と。喜寿記念論文集出したまへと祈りて出、雨ひどきゆゑ吉祥寺で糕子くひて帰宅。
けふ成城学園名簿受取り、検すれば (※14文字略)

7月9日 ⴵ
暑し。11:40成城大学へゆき、今井氏に後期講師の件相談す。「秋にてよし」となる。丸、山田らと成城園で昼食、石渡生体ゆるく弘前の発掘にもゆけずと悲観するを経堂まで同行。
小高根太郎訪ひ、ともに出て下北沢で別れて帰宅。夜、阿南惟敬氏chocolateもち本返却に来る。麓氏、渋谷へ帰りしと。ともに出て松崎医院。「610ハップききて」といひ、Dr.にいやな顔さる。

7月10日(日)
9:00竹内好より電話「後藤孝夫来るゆゑ来よ」と。朝食してCalpisもちてゆけばまだ来ず。
竹内この間、肝臓病で1週間ねたと。11:00後藤来り、大阪中心に文化圏作り東京独占をやめさすと。
すし食はされ。14:00出てbusにて吉祥寺駅まで同行して別る。
けふ今井富士雄氏より「12日成城大学へ来よ」と。深更までかかりてLady Chatterley’s Lover(※チャタレイ夫人の恋人)よみ了る。

7月11日
晴。暑しと。われ家居して涼し。和田先生より「朝鮮の年中行事は平凡社の日本民俗大系の三品彰英氏の展望をよめ」と細字にて教示あり。
夕方、清水文子訪ね来り、見合に来て大体よろしき模様。「相模ハムの出張所長が相手」と。饅頭と葡萄酒とを呉る。「(※上京時に預った)猫6月に自動車で死にし」と。ふしぎなことなり。タバコ買ひかたがた送りにゆく。

7月12日
12:00すぎて家を出、成城大学。今井氏に会へば「大藤氏の雑誌の金、柳田文庫より出るやもしれず」と。
やがて大藤、池辺2氏と話し、池田氏に会へば「16万円柳田文庫より出す」と。編集委員を池田、鎌田、大藤、池辺とすと。池田、大藤2氏16:30柳田国男先生に会ひにと出るまで3時間かかりし也。
われ長尾龍造『支那民俗志』さがせしもわからず。丸重俊が話すといふにあはてて出て帰宅。
夕食後、松崎医院へゆく。けふ神田先生より「岑参のことよんだ」と。後藤君より「明日の満蒙史料の会を9月まで延期」と。『全唐詩』第1帙すみし。

7月13日
よべ1:00すぎ家の前に酔払ひをり悠紀子さはぐ。けさは飯くひて12:00まで眠る。夕方、松崎医院へゆけば「まだ来よ」と。

7月14日
晴。母より電話「昨日渋谷へ帰り来し」と。父よりもハガキ。松崎医院にゆかず。
猿渡茂氏に礼状。齋藤晌氏に手紙かく。姜照美へ見舞のハガキ。池田勇人自民党総裁に当選。岸刺され10[日]間の負傷と。

7月15日
関口、本位田、藤田へclassの写真包み、猿渡氏の送り状見て13:00家を出、渋谷をへて朝日新聞。受付で高垣金三郎の留守宅きけば「教へられず」と。人事にきいてもらへば全家ロンドンと。三島秀雄氏に「送って呉れ」とのたよりしたため、同氏研調部ときく。
国鉄にて東京駅。三菱6階審査課の吉森安彦氏を訪ひ、elevatorにて喫茶しにゆく途中、elev.-girlに横山薫二帰朝ときき、化学品部次長となりしに会ふ。Coffee地下にてのまされ「三水会に出る」ときき、西川訪ねしに不在。横山帰りゐると置きがきして西荻窪。 Busにて宮本小路に下車。竹内夫人に夏帽子返してもらひ、竹内の病気心配いらずときく。
夜また松崎医院へゆかず。坂根千鶴子の訪問受け、西瓜くひ送りゆく。けふ日中33℃をこえしと。

7月16日
晴。西宮一民氏より「松本一彦訪ねし。自宅加療」と。藤井陽子、堀口太平氏より暑中見舞。
15:00電話かかり中村林次氏(※中村書店主)来訪。高野の桃賜ふ。わが約束せし『漢詩の鑑賞』やめしこと説明して小野忍氏に紹介の名刺かく。『李太白』出すやもしれずといひ、「仮名遣ひ変へよ」といふに、この次にせよといひ帰らす。
夜、松崎医院へゆき依子の高血圧いへばHysterieなりと。浅野建夫に寄り『The ABO Blood Group』もらひ来る。

7月17日(日)
やや涼し。家居。京のみpoolにゆく。江崎俊平氏(文芸日本同人?)より暑中見舞。『Biblia16』来る。中西家より西瓜もらひ、こちらよりいなりずし返せし。

7月18日
家居。坪井勝也、山本昌三郎(健の舅)より暑中見舞。角川より『Heine12版』1冊。ついで堀内幸枝氏より速達「次女成城中学部の補欠試験を受けるにつき会ひたし」と。
けふも松崎医院へゆかず。

7月19日
暑し。悠紀子、京のPTAにゆく。われ『全唐詩』を見ること同じ。『民間伝承248』来り「角川源義文学博士となりし」と見ゆ。ふしぎなる世の中なり。
池田首相の政見発表に大学教授の待遇改善をいひしも反応なかりし。
夜、松崎医院にゆけばDr.「家庭療法に(※患者を)とられた」と怒る。Heineおきて帰り来る。

7月20日
暑し。成城大学より「履修科目票を23日までに教務部に提出せよ」と。明渡淑江より暑中見舞。
午后、不二出版社鈴木君より電話「8月21〜3日の間に講義2時間、萩原朔太郎の話せよ」と。影山氏代りて出、「『コギト』の欠4冊を肥下よりとりよせるはいかに」と。所教ゆ。
京の通知簿見しに(※10文字略)。夕食後松崎医院へゆく。

7月21日
暑し。三池炭鉱の労組、調停を諾し、会社側いまだと。斎藤教授より「9月5日ごろ証人出廷の予定、宮崎氏はとり下げてもよし」と。
清水文子より「大阪へ来たらしらせ」と。芳野清君より暑中見舞。今井富士雄氏母堂りつ氏より忌明けの挨拶。藤井武義氏(裕介生の父)より依頼にて物送ったと有田の深川製磁より。
13:00成城大学へゆき、聴講cardを教務にわたし、宮崎氏に電話し、salaryもらひ、用なくなりて出、下北沢にて『瀟湘録(50)』、『山陽行脚(150)』買ひてのち氷しるこ食ひ、三鷹台下車。
松村達雄を訪ひ、金尾文淵堂が文海堂(もと敦賀屋)の小僧なりしことをきく。出て家まで歩き、入浴。
夕食後、松崎医院へゆき、帰り『バリ島(80)』買ふ。

7月22日
暑し。〒なし。14:00松崎医院へゆき、中野よりbusにて立教大学。7月分手当もらひ、手塚教授に松浦教授への紹介たのみしに、帰去ののちと。
白鳥清先生、家を売りてHotel経営を考へておいでの由。けふ池袋休日にて林Dr.に電話せしに「医師会へ」と。
またbusにて中野、西荻窪に下車。『支那文学芸術考(250)』、『駅名の起源(60)』買ひ、吉祥寺にて西瓜くひて帰宅。
夜、涼しき風吹く。

7月23日
関口八太郎君より礼状(嬢は東京女学館短大と)。堀夫人より写真入りの礼状。返事かき『果樹園』送る。
夜、松崎医院へゆき平田家へ寄れば、「和田賀代女史23:00に来り、7:00出てゆくが例」と。8月2日より3日間、鎌倉の家へ入れよとの伝言たのみ、吉祥寺へ国鉄。判コ屋にゆけばゴム判まだ出来ずと。

7月24日(日)
午前中、松崎医院へゆく(悠紀子に賀代女史より電話あり、ずっと在宅のこととなりしと)。
東井昇之進、川上恭正、高井洋子より暑中見舞。
夜、判屋にてゴム印とり(90)、busにて高円寺。丸宅へゆけば在宅。「重俊生、恐山へゆくとて一昨日出し。君に悪く思はれてをらぬかと云ひし」と。「民事の証人には立証すべき内容につき通知あり」と。Melonご馳走となり21:00出て古本屋。
(このごろ『小説新潮』をよむ)、『寒山(120)』買ひて22:30帰宅。昨夜泊りし史、あたかも帰り来る。

7月25日
晴天つづきにて水飢饉と。河原(吉本)恭子、原(岩田)知子、堀ノ内歴、吉森夫妻、鍋島友三郎、吉村俊子(?)の諸氏より暑中見舞。
筑摩書房より『Non-Fiction全集』の第5冊目来る。『不二』来る。『東洋史研究』19-1来る。
夜、松崎医院へゆく。Dr.疲れてねてをり、夫人われを更年期障害といふ。

7月26日
難波香寿、山根忠雄2氏より暑中見舞。伊藤信吉氏よりパノンの会のこと質問。
14:00松崎医院へゆき、『般若心経(80)』買ひて帰宅。石渡曜子生より「軽井沢へゆきし」と。伊藤氏へ返事かく。
『骨』17号来る。佐々木邦彦特集号なり。佐々木画伯へ誤植訂正のハガキ。

7月27日
藤井武義氏(裕介父)より送付の茶器こはれて着きし。『蟠花』の評また書きしも旨くゆかず中止。
昼食し、行水せしあと15:00すぎ出て散髪。松崎医院へゆき、新宿をへて宏池会へ着けば17:40にて、佐藤氏をのぞく全員集り、池田内閣成立を喜びゐし。
高山岩男博士の「権力論」ききしあと、21:30まで雑談。池田首相ひまとなりし故、一度会ふと。
出て齋藤晌氏と9月5日の証人出廷のこと話しゐしに相談ありと喫茶店へゆく。
田中忠雄氏「3億円の金の目当てつきしゆゑ研究所を作らん」と。齋藤氏「大学を作れ」とて対立。帰宅23:30。
依子いよいよ(※仕事を)止めるつもりらし。

7月28日
暑し。涌井千恵子、千川義雄、本田茂光諸氏の暑中見舞と不二鈴木正男氏より「8月22日(月)8:00〜10:00明治神宮北休憩所で講話せよ」との手紙を受取り、返事すぐかき、13:00家を出て阿佐谷へゆく。
住友銀行なく金子書房にて柳田国男『年中行事覚書(260)』、小林胖生『丙午迷信の科学的考察(80)』、吉沢義則『點本書目(50)』買ひ、中野へゆき、住友銀行支店にて1,000を蓮田善明文学碑建立委員会成城支部への為替とし、歩きて本町通5丁目に出、古本屋2軒見しも何もなく、都電にて荻窪、深沢書店にて『Ananga-Ranga(80)(※インド性典)』買ひて国電にて三鷹松崎医院。
帰り鉄火巻(70)食ふ。けふ東博氏に電話して『蟠花』の評かくといふ。夏行は那智でと。

7月29日
よべ夕立。けふも午ごろ微雨。小野和子、河野咲耶より暑中見舞。関西大学東西学術研究所より論文13冊。
7:00京、箱根の林間学校へと出てゆきしと。14:00入浴。松崎医院にゆくまへ「対国姓爺戦における漢軍の役割」の概要400字をかき、『果樹園』に「未来」と1千円、小野和子への返事とかき、八町郵便局で2通を速達にす。
帰り『年中行事、昔と今(230)』と『万葉の花(100)』と買ひ来る。
夕刊に関口八太郎君、第5管区総監に任命されしこと見ゆ、北海道に居すわりなり。

7月30日
よべ2:00にねざめして苦し。史、けふの夜は日光泊りと。
頼永祥氏に礼状やっと書く(2月末に受手せし也)。安永姉妹、柏岡明より暑中見舞(柏岡生8月初めに来るといふゆゑ、こちらより電話すると書く)。
後藤孝夫より挨拶状。頼氏への航空便を郵便局へ出しにゆき、松崎医院。
平田家へ寄れば和田統夫結核にて8月1日入院と。細君も分娩せまり気の毒なり。鎌倉の地図もらひて帰宅。

7月31日(日)
10:30松崎医院。帰途、『正倉院の宝物(130)』買ふ。依子けふ当直とて出てゆき、弓子ひとりにて静かなり。
伊藤信吉氏より朔太郎のこと問合せ。増田春恵より暑中見舞。『果樹園』54来る。田中保隆氏に包み伊藤氏へ返事かく。
夕食後、郵便を出しに出て外口書店にて和歌森『年中行事(150)』。丸にゆき「あす山本(※山本治雄)第2こだまにて来る」を迎へにゆくこととす(21:00)。
けふ16:30京、箱根より帰り、われにヱハガキ4枚もち来る。2人で1組(50円)を買ひしと!疲れてふきげん也し。

8月1日
『全漢三國晉南北朝詩』すむ。よべ眠られざりし。暑し。丹波道久より『不二』見たと。弘前より三野、毛愛の2生。北軽井沢より白鳥夫人。谷川眞佐枝より「松本部長8月10日頃より出勤の予定」と。手塚敬一より「その中に来る」と。山本嘉蔵氏より「堀内信江もごぶさた」と。佐々木邦彦氏より「誤植気がつかなかった」と。
けふ名古屋37℃、東京34.7℃を越えたとradio。後藤孝夫より大朝紙一そろへ来る。18:00出て夜泊をいひ、松崎医院。
時間早ければ西荻窪にて古本屋見しあと26:00の第2こだまにて上京の山本を迎へ、上野のヨネダヤに泊る。

8月2日
9:30ともに出てともに日本橋。東京駅にて昼食。上野などつきあったのちbeerのみ夕食して雷に会ひ帰宅11:30。
依子、史とは会はず。不二歌道会よりアンケート来ありしのみ。京ら、ゆきしらし。

8月3日
9:00依子の朝食くひ、その鎌倉に出てゆきしあと、松崎医院。井之頭を散歩してのち、新宿にて赤飯くひたく探しまはるもなく、 chicken-riceくふ。お茶の水にて『流転の王妃(160)』と『ポケット孝経(20)』買ひ、涼しくなりて帰れば悠紀子帰りをり。
西村公晴氏より「中島栄次郎の辞世ありや」。辻芙美子、近藤園枝、八木よし子、筑摩書房『ノン・フィクション全集』、山本夏津子の諸氏より暑中見舞。
和田先生のレジュメ着きしと東洋史研究室より。『八旗通志初集』につき阿南惟敬氏より。

8月4日
『流転の王妃』見了り、慧生君『西太后に侍して』をよみしことを知る。伊藤信吉氏より礼状。
友井■輔、武山信子(文2A)より暑中見舞。
15:00出て松崎医院によりしあと東京駅。西川に会ひ紹介かかし、三代田KK社長に会ひ、山本のこといへば中々承知せず。疲れてbeerのみ、日比谷で涼んでのち都電にて西荒川にゆき国鉄にのりかへて帰宅。
涼しさを求め求めて夜ふけまで。

8月5日
12:00家を出て文庫。米田君と会ひ16:30出て納涼。風吹きやや涼しくjuiceのみて別れ帰れば20:00。
畠山六右衛門氏より「ともに北海道にゆかずや」と。長沢美喜子生より「教務に出席促されし」と!?
猿渡祥子、藤野一雄より暑中見舞。本位田昇より「写真受取った」と。また「関口の任地は帯広」と。
けふ奈良漬を東井昇之進氏より賜ふ。中西家母子帰郷。

8月6日
暑し。田中保隆教授より『果樹園』の受取。城平叔父、川本広美、辻規子、桜井(中田)里江子より暑中見舞。
けふ広島原爆投下の日とて皇太子広島へゆき、東京にては安井郁らの会あり!!
夜、松崎医院へゆき『日本愛唱歌集(80)』を買ひ来る!渡辺紳一郎『放電放談(10)』をよむ!

8月7日(日)
松崎医院へゆかず。下痢なほりしらし。春名数義氏より暑中見舞。小高根二郎君より1日付の受取。高橋重臣君より『架橋』5、6。

8月8日
12:00出て松崎医院(小島樹氏より「教科書改訂によき智慧かせ」と。)。
そのまへ『蟠花』評かき(200×9)、筑摩書房にゆけば東博氏在席。Coffeeのみつつ話して渡し、出て13:30昼食とり、涼みかたがた市川よ り松戸へゆき上野へ引返す。
やっと涼しくなり19:30なりし。阿佐谷にて途中下車。柏岡明生に電話して「明日来よ」といひ、丸に電話して「けふ本宮(※中野)清見来しゆゑ電話せしにかからざりし」ときき、帰れば中野より速達来あり「明日12:00朝日の前で待つ」と也!
里井千寿子生より暑中見舞も来ありし。阿佐谷にて『西廂記(100)』買ひし。

8月9日
10:50柏岡明来り、鴎外の話し法螺ふく。その間、中野に電話かかり福永もよこにをり、18:30朝日へゆくこととなる。
和田節子夫人、辻本禧紗子夫人より暑中見舞。鈴木正男氏よりアンケート返事の催促。
14:00柏岡、小金井喜美子と森於莵『解剖台に凭りて』とをもちて去り、われは昼寐。
16:30行水の後、松崎医院。大急ぎで有楽町朝日前にゆけば丁度18:30。声かけしは福永英右衛門、ややして中野清見来り、阪本泉氏のすむまでMünchenにゆきてbeerのみ、阪本氏の案内にて中華料理。それより溜池のPolkaと云ふにゆきドイツ語の唄うたひてのち帰宅。23:30。
野崎正昭、加藤隆子よりも暑中見舞。

8月10日
山田君江生より電話「あす武井と2人にて11:00来る」と。駅まで迎へにゆくといふ。
11:00出て松崎医院に寄りてのち、渋谷へゆけば、大、軽井沢へゆきしと、父ひとり留守す。
聖心女子大学に電話して小林氏出勤かときけば呼んでくれ、気の毒なりし。
14:00ゆきて8月分手当もらひ、都電に乗りしあと交通費なかりしに気づく。四谷3丁目でのりかへtoastとcoffeeとりてのち、山本書店。
学校へと本たのみ、わが分は『中国神話(50)』のみ。(守屋美都雄の『荊楚歳時記の研究』はなしと)。
近所にて後藤末雄『芸術の支那、科学の支那(20)』買ひしに心配せし通りdoubleなりし。
夕立に会ひて小憩。20:00帰宅。
けふ鍛治初江、花井彩、佐藤(松井)和佐子、山野(西村)和子と帝塚山の教へ子4人より暑中見舞。東井恵美子夫人より送り状。
(けふ10:30阿南惟敬氏「サルフ戦の兵力について」の稿見せに来る。アジア歴史辞典より「八旗」について書けといはれしと)。

8月11日
11号台風の余波にて夕立しばしば。松崎医院へゆき吉祥寺駅まで迎へに出れば、山田君江、武井伸子の2生早くより来ありしと。
家につれ帰り、岩木山の発掘に参加せし話きく。今井富士雄氏の苦労察するに余りあり。
15:00送り出せばすしやにつれゆかる。山田生、境にすみてこの辺りよく知りゐしらし。別れて『年中行事(20)』買ひて帰宅。
けふ相野忠雄より暑中見舞。渡辺三七子より残暑見舞。松本一彦より全快したとの通知。吉祥寺南のcatholic教会玄関にて挨拶せしは聖心女子大学の大学院学生と。

8月12日
11号台風のおかげで涼しき風吹く。山川京子より弘至15年忌の歌集。夫想ひしあと日本一の恋人を得しと也。
出て松崎医院。Dr.不在にて「魚の目あす診てくれ」といふ。
国電の駅にて第一生命の勧誘員すすめられ月収2万円以上と喜ぶ女に腹立てる。
お茶の水駅前にて昼食。文庫にて本見しあと、22日のため明治神宮の会所見にゆき、涼みて阿佐谷。丸屋市川にて『南都七大寺行事(140)』買ひて帰宅。
山中タヅ子より暑中見舞。田島靖子より弘前出しのヱハガキ。入浴す。
ひとり立ちをみなもせむとうまうまと乗せられんとすあな無惨にも。
必勝をちかひて白き鉢巻ををみなみなせるに心つかずも。

8月13日
悠紀子、和田統夫宅の見舞に出てゆく。『貝原文月全歌集』来る。そのあとまた郵便。
角川書店よりHeineの11版?の印税(70×1500×0.1)10,500−税1,575−書籍代(33.1.22と34.6.2)5,064=3,861!!
福地邦樹君より「お作をいつも拝見してゐますので身近に感じてゐますが云々、あのお家の北側に鉄工所のやうな小さな工場が建ち云々」。
野口(志野)孝子、井上恵子、田中マサ子より暑中見舞。書翰の整理せんと引出せば、一応すみをる様子。
16:30松崎医院へ雨の晴れ間を見てゆく。
「和田統夫の女房毎日病院へ布教にゆく。船越こせん叔母もちと愚痴いふやうになりし」と悠紀子の土産話なり。
よるふけてさびしくなりぬ亡きひとらいのちをかけて何をしにけむ。

8月14日(日)
雨。午后郵便。長沢生の父12日死亡と。山口広氏「結婚して新居に移りし」と。兼頭淳子、田中正平、鈴木(山本)敬子より見舞状。
毎日新聞社より「毎日前衛書展に鳶を松谷弘子氏書きをり」と入場券2枚。
夕食後、高円寺丸邸へゆけば、下部温泉に変更して出しと。夫人ならびに嬢2人も不在。次息留守しをり。電話借りて川本静江生に明日13:30お茶の水にて待合せ、長沢美喜子の弔問にゆくこととす。

8月15日
山川京子へ『愛恋譜』の受取。松本清張は従兄と跋文にあり。保田への恋と弘至への歌とを併載す。ふしぎ。
鈴木睦美、渡辺俊子、西菊代より暑中見舞。
12:00出てお茶の水へゆけば50分、間あり。聖堂内の古本屋へゆき『夏小正(120)』。
13:25来りし川本静江と喫茶店に入り、悠紀子立替の1千円を香奠としてもたし、busにて農学部前。探して長沢宅へゆき、母、兄、美喜子に会ふ。肝臓癌らし。美喜子も体わるく宇奈月の温泉にゆくつもり。学業つづけるや否や不明と。
出て本郷3丁目まで歩き、川本さそひ広小路より都立美術館へ毎日書道展見にゆく。さがしさがしして松谷弘子「鳶」といふを見つければ他人の蝶の詩なりし。事務所にいひ、作者の住所うつす。
(けふ郵便配達に打つかり、森良雄に会へば住宅公庫の書類またたのまれ変な日なり)。
下の食堂にてice-creamたべ、浅野晃氏に電話せしもかからず。上野駅に出、秋葉原で別れ水道橋。
大安にて『唐宋絵画史(100)』、巌南堂にて『満洲民族史(150)』、一誠堂までゆき、きけば守屋の『荊楚歳時記』は2年間探してゐると。
お茶の水駅へ出る途、浅野氏へ電話すれば旅行中と。松本善海に電話すれば守屋の本もたずと。畠山栄美子(19日出発のはず)に電話すれば他人出る。空腹にて松崎医院へ19:30。すみて鉄火巻くひて帰宅。

8月16日
晴。涼し。成城大学教務課より試験の有無問合せありしのみ。
夜、松崎、民衆書房にて『松倉米吉全集(40)』買ひ来る。25才で死にし也。依子、松崎医院に診断にゆきしとすれちがひ也。

8月17日
昨夜睡眠不足。昼寐できず。浅賀、中沢2生高野山よりヱハガキ。
15:50いやいや出て松崎医院に寄りてのち宏池会。米津氏の「ソ連の地代説」について。研究所の問題は不成立と。
浅野氏、わが電話はしらず。近々「果樹園叢書にて詩集出す」と。赤坂見附にて別れて中央線。
「赤ちゃん」によれば嬢の婿(2月結婚と)、松本(印刷学校にゐし)氏の坊やとに紹介さる。High-ball2杯のみて出る。(李承晩『蒋介石(120)』見つけし)。帰宅22:55。

8月18日△
曇。柿本人麻呂顕彰会より「参与となるや否や」と。前田教務課長より「長沢生へ供物料とどけよ」と。
大東塾より「25日13:00金王八幡宮にて十四士十五年祭」と。
午后の便にて角川書店朝比奈時子より『現代詩人全集 現代(4)』に掲載してもらへるや、詩集も貸せと也。
長沢和三郎氏より会葬の礼。清水文子生より「この間の縁談できなかった」と。
けふ立川産業よりshirt賜ふ。ふしぎ。
松崎医院にゆき、夕食後気になりしゆゑ、西荻窪までゆき、田島靖子生に電話すれば「明日みな洲ノ崎へゆく故、畠山送れず。電話番号はちがってゐる」と。
畠山栄美子に電話すれば「帰国おくれるかもしれぬ。送らずとよし」と。
けふ『千夜一夜3(100)』買ひ、西荻窪にても柳田先生『祭日考(130)』、『薬用植物図説(100)』買ひ、busにて帰る。史、この週公休なりと在宅。

8月19日
台風14号の影響にて雨。高橋通子、東孝子、中山正子、福留泰子の諸生より暑中見舞。長沢美喜子より弔みの礼。夕方、松崎医院。

8月20日
台風14号来るとのことに11:00すぎ成城大学前田教務課長に電話し「長沢家の香奠月曜に」といふ。
渡辺三七子より「結婚式は10月13日松坂屋で」と。貝原種氏より歌集の送り状。今井富士雄氏より「丸、藤井2生のみ残りをり」と。平塚敬一生より「久保、金子と来訪の日しらせ」と。
山本陽子より「大阪にゐることとなりし」と。上田阿津子より「この夏は上京せず」と。
正午すぎて台風来ずなりしことわかる。但し雨はやまず。なんとなく不快憂鬱。このごろ食欲もなし。
(雨中、『Non-Fiction全集6』届く。他に比留間一成詩集『天鵝』)。

8月21日(日)
晴。11:00松崎医院。夜、散髪。けふ出雲礼子より残暑見舞。よべ眠れず。神への感謝をおもふ。

8月22日
6:00起きし朝食後、すぐ出て代々木下車。明治神宮宝物殿には30分前につき、一服後15分前に北休憩所に着く。
定刻8:00影山主宰以下着。「東洋の詩人」と題して朔太郎と李白の話す。
9:50すませ次の講師國學院大學教授、北岡寿逸経済博士に紹介受けてのち辞去。成城大学へゆき前田教務課長に4年生の空き時間水曜の4時間目のみときき、長沢家へ父母の会よりの香奠3千円預り、月給もらひて出る。
池袋で昼食。手塚教授に松浦教授への紹介たのみ、その来室待ちていへば、講師3校にて時間塞がりゐるとのことなりしも色々話し、出る前小林教授に会ひ、金子生に遭ひして、丸物で喫茶。
Busにのりて本郷田町下車。長沢家にゆき仏前に供ふ。母子授業料未納とて恐縮す。
出て古本屋、出石誠彦『支那上代思想史研究(350)』、この間山本書店にて1,500と記憶しゐたる故買ふ。ついで『阿波方言集(50)』、『Turkmenskaia SSR. (120)』買ひ、地下鉄にて新宿。一旦帰宅。
悠紀子、class会より帰らず。太田陽子夫人より赤ん坊と盲腸炎とのこと。高尾宣子より残暑見舞。住山重子より「朝日TVに入って半年」と。
平凡社東洋史大事典編集部より「長恨歌、張廷玉、脱歓(※トゴン)、トルゲート、バカトゥート」執筆につき問合せ。
悠紀子帰宅。夕食すませ松崎医院。足の肉刺切ってもらひ、氷水のんで帰宅。(『玉台新詠集 上』ダブりゐしゆゑ長沢生へ与へ、三鷹にて「下」買ひし)。

8月23日
森本ヤス子夫人、軽井沢より『悪童女』出版し贈ると。
松崎医院へ午后ゆく。悠紀子、渋谷へ3千円もちゆき、帰りて「父母、誕生祝に日曜来る。咲耶新築祝に電気掃除機をせよ」と。不快。
梅田惠以子夫人より「日本歌人社の夏行に出た」。原田比富より残暑見舞。谷川眞佐枝より「松本一彦出勤」と。京、歯痛とて数男へゆかしむ。

8月24日
涼し。11:00出て松崎医院。Dr.酔ってゐると。京、数男に治療にゆきしゆゑ、西荻窪へ出て電話すれば父留守番しをり、「日曜来ざれ、忙し」といひ、古本屋にて『林園月令8冊(150)』侯爵毛利家文庫本といふを買ひ、石川三四郎『近世東洋文化史(20)』買ひ、『雛祭新考(180)』買はんとすれば金不足。とりのけたのみ、吉祥寺にてrice-curry(80)食ひ、森Dr.に会ひ、湿疹のこといへば自分もかかりをり、医者はと問はれ、答ふれば「悪し」と!?
帰れば悠紀子ら帰宅せしところ。八重樫知子、志野和子2生より残暑見舞。
夕食後、西荻窪へ『雛祭新考』とりにゆき、丸に電話すれば重俊帰りをり、ゆくと云ひ、『奄美大島』買ひもちゆけば医者に出てゆきしと。
丸帰り来りbeerのみ、重俊と話し腹立つ。20:30出て『大東京と近郊(30)』買って帰宅。
雨ふる。中日Dragons大洋に負けつづく。

8月25日
平塚生より「29日14:00ごろ来る」と。12:00出て渋谷の金王八幡の大東塾十四烈士十五年祭にとゆく。
玉串料1千円を受付におき、控室にまちしあと、13:30ころより長谷川幸男氏斎主として執行。長谷川斎主の祝詞に涙催す。主賓代表荒木元大将。献花のあと中退。
東横Hallにて喫茶、news映画見て17:00帰宅。夕食後松崎医院。依子、信州へと出てゆく。

8月26日
家居。10:30角川書店の朝比奈女史来訪。詩集5冊を貸す「村野四郎、伊藤信吉の監修」と。早大仏文出にて村上菊一郎に習ひしと。君個人に貸すゆゑ責任もてといひ、受取置いてゆく。
東方学報と松浦高嶺教授の「成城講師の件、諾。金曜15:50からのみあきをり」と。
夕食後松崎医院。Olympicはじまり水泳100m自由型をはじめとし、だらしなし。

8月27日
松浦教授へ礼状。夜、松崎医院へゆきしのみ。

8月28日(日)
家居。山本恭子より「広島の音楽学校へ入る」と。鈴木睦美生「北海道へ旅行せし」と。依子、夜帰り来る。

8月29日
10:00松崎医院。『果樹園55』来る。小高根君の「蓮田善明 前編」了る。わが『詩集西康省』に満足せざりしらし!
梅田惠以子夫人よりまたハガキ。14:00すぎ立教大学の久保、野崎、平塚の3生来る。平塚は「大月氏考」、野崎は「武帝の朝鮮征伐」をやると也。白鳥夫人に近々伺ふとの伝言たのむ。

8月30日
台風のあひまにて、涼しき風吹く。金子喬彦生、谷川岳よりヱハガキ。帝塚山学院副院長樫本眞翁、8月21日逝き3日告別式と。
鈴木正義生より残暑見舞。佐々木邦彦画伯より「個展のため出京できず」と。
夜、松崎医院(森Dr.来り、住宅公庫当りし場合のこといふ)。けふ果樹園社へ「夏日感懐」と1千円送る。

8月31日
50回目の誕生日なり。家居して〒も『桃』といふが来、保田の山川女史礼讃の再録しあるを見せしのみ。
夕方、松崎医院へゆき、夕立に会ひ、氷のみ駅に雨宿りせしあと、平田で傘かりる。和田統夫の子、昨日出産と。途中で雨やむ。

9月1日
家居。河野岑夫より転居通知。恵我ノ荘東大塚と。夕方また夕立。松崎医院にゆかず。
わが生れし日をば忘れずアラビアゆたより呉れしとおもふゆめみる。

9月2日
西沢悦子より夏休行事の報告。母より悠紀子に電話「咲耶の祝は兄姉弟4人より3千円づつ」と。悠紀子「いま払へずと答へし」と。
夜、松崎医院にゆきしも痒き箇所なく「隔日に来よ」といはる。

9月3日
曇。住宅公団より申込の受取来りしのみ。終日、漢詩のcard作る。
夜、森Dr.へ受取書もちゆきしに長唄の稽古らしく母君に渡して帰る。(阿南夫人、午すぎ来り『人文学報』2冊貸せとの夫君の手紙を示す)。

9月4日(日)
〒なし。松崎医院へゆかず。(※大家の)中西夫人、増築すと悠紀子にいふ。南側をふさぐ案ゆゑ不快。悠紀子に怒る。

9月5日
小高根二郎君より受取りと、「大塚高信博士の妾」とわがいひし田中光子氏のこと。
松崎医院へゆき、鎮静剤もらふ。
午后、竹田龍児氏より全快の通知。(『アジア歴史事典』5来る)。
悠紀子、雨中を出てゆき19:00まで帰らず。手塚氏へ松浦助教授のこと報告。

9月6日
4時目ざめ硲晃氏へ残暑見舞。竹田龍児氏へ全快祝かく。角川書店朝比奈時子氏より、文庫版『現代詩人全集・現代4』へ19篇、村野四郎選と。なかに「西康省」あり。可の返答かく。
16:00松崎医院。Dr.よべ新川の暴行殺害の検屍にて疲れ玉ふ。竹田氏より全快祝としてHandkerchief3枚。

9月7日
成城大学へゆかんとせしも雨降り出してやまず。山川京子より「ハガキの転載を」と。影山正治氏よりカステラ一箱賜ふ。『吏文』の索引作りかけしもcardなく、『全唐詩』より楊貴妃と玄宗とを拾ふ。

9月8日
よべ飲みしつもりになりし鎮静剤きかずと転々。午后成城大学へゆき、定期証明書もらひ、池辺氏、重久、鈴木正義などに会ふ。Torgut族以外は見当たらず、早々に出て下北沢。『まつりと行事(100)』買ひて帰宅。
高松直子より速達、12日夜入京、13日空きをりと(年中行事研究会らし)。渡辺三七子より「祝ひもらふ」と。
松崎医院へゆき、また鎮静剤もらふ。

9月9日
9:30傘もちて、高松直子へ「13日の都合よくなし」の速達出しにゆき、雨となりて白鳥家。
御夫妻とも御在宅にて、わがノイローゼ申上げ、和田論叢の(※白鳥清論文)抜刷50部を小山助手にいふことをお引受けし、salary2万円との立教心理出の嬢の来訪を機にCalpisいただいて出、祐天寺へ出て渋谷。
地下鉄にて三越、青龍展の佐々木邦彦を見る。「盤梯」と「北礁」大作なれどあまり感心せず。
大食堂にて炒飯くひ、また地下鉄にて新宿。高円寺より阿佐谷まで歩く。
通信学校は短大(女子?)になりをり。丸屋市川にて『ソロモン諸島地名集成(90)』、『花傭月令(150)』買ひて帰宅。
葡萄食ひ、『全唐詩』中の「開元天宝の叙事」すむ。

9月10日
山中タヅ子より「在京1週間、練馬の旭丘にあり。連絡せよ」と。阿南君来りて「八旗」の稿みせ、juice1本賜はる。
夕食して松崎医院。西荻窪へゆきて練馬に電話せしも外出中。桑原『ソ連、中国の旅(50)』買ひて帰る。
(森Dr.来り、「九州の知人、出版したがりをる故、一流出版社に紹介すべし」と也。「も少し詳しく云へ」といひて帰す)。

9月11日(日)
11:00山中タヅ子より電話かかり、会ひたしといへば「夜、ふたたび電話す」と。伊藤信吉氏より朔太郎につき問合せ。
渡部(三木)和貴子より坊やの写真。夜、山中嬢よりかかり来し故、池袋の西武終点出口にて(※明日)15:00待つこととす。

9月12日
9:00出て成城大学。中国文学史六朝歌謡とて春夫訳「子夜歌」3首を教ふ。
30分ですまし、中国文学前期の問題を呈出(長沢美喜子来り、classmateへの返しにつき相談す)。
発掘より帰りしばかりにて(120箱堀り上げしと)、呆然矣といふ今井富士雄氏と話し、『玉燭宝典』を借出し(千葉司書は井上姓と)、新城氏に挨拶し、その昼食するを見て出、下北沢にて炒飯くひ、新宿をへて池袋。西武dept.8階の婦人Hallにて宮崎女史に会ふ。
大藤氏の仲介にて柳田国男先生に会ふ話つきをりと。
14:30となり西武改札口へゆき山中タヅ子に会ひ、7階食堂につれゆきて話す。花井卓蔵の孫と見合すみ、交際といふこととなりしと。弁護士になるやもしれず、いま仙台の大学院と。
出て山手線にて有楽町、新橋演舞場近くまで送りて別る。
松崎医院に寄りてのち帰宅。依子bonus15日と。家中に金なしとて不快なれどよく眠る。
(けふ山中嬢に会ふやと吉川(星野)綾子夫人に電話せしに14日まで下阪と。夫君Olympic記者としてゆけるが為なり)。

9月13日
後藤孝夫より朝日(大阪)新聞の切抜来る。高松生よりつひに連絡なく11:00すぎ出て定期買ひ、松村達雄と久しぶりに会ひ、上原氏より原稿受取る。
東洋文化史すませ(長浜の父の死をいふ)、藤井生に伊万里焼の礼いひ、山田君江に『年中行事』与へ、教授会にて関本女史の原稿預かる。
すみて休憩して手紙かきかけなどしてのち(短大の漢文試験問題は会議中に作りし)、手紙を了へて文化史専攻の会。
年中行事関係の本3万円を買ふと承認してもらひ、夏休みの立替を篠原部長に報告にゆき、17:30よりの年中行事の会に出る。五月五日の端午のことなりし。
20:00すみて帰り、吉祥寺で焼売rice食ひて帰宅。依子けふbonus出しと。
三輪山の木の間にありてほろほろと啼きし小鳩はこよひもや啼く。

9月14日
予習せず、後藤孝夫に批評、渡辺夫人に手紙かき、13:00出て松崎医院。
夫人に頭痛を申立て頓服もらひ、暑ければ氷屋に入り、薬のみてのち中野よりbusにて立教大学。松浦氏に会ひ、講師決定をいふ。(松田氏に会ひ意向たしかめしと)。
そのあと14:50より国姓爺30分やり、久保のArbeitに関し内村俊雄に紹介することを約束す。手塚教授に会ひ白鳥先生のこと相談し、 予告なしに林Dr.にゆく。なかなか出て来ず機嫌わるきならんと察せしに果して夫婦喧嘩す。我と同じく盲腸炎にて2週間禁酒しをりと。(芳賀檀、博士となりしと)。ともに出て別れて帰宅。
悠紀子、住宅公団当選の通知見氏しあと柏井へと京つれてゆきしと。伊藤信吉氏にしらべて返事(けふ林Dr.に『茂吉随聞』もちゆき立原全集の註記を見し)。

9月15日
9:00家を出て成城大学。史学研究法やり、栗山部長に松浦高嶺氏のこと話す。「履歴書出し篠原部長にも了解もとめよ」と。
山田生cookie呉れる。午后、短大の漢文。これも早くすませ暑きと昨夜の睡眠不足とにてふらふらとなり(藤井生香奠集りしともち来る)、 吉祥寺にて坂井屋へ入れば、森Dr.居あはせ、邸内に家建て2万円にて貸すか売るつもりらし。ゆっくり考へよといひて別る。
悠紀子class会にゆきて無人。満蒙2料研究会より21日(水)開くと。
夜、八幡の祭とて3人出てゆき、中西家より強飯たまはる。

9月16日
暑し。悠紀子、渡辺三七子の祝品買物にと出てゆきしあと、『不二』を受取れば、保田われを弱卒といふ!不快がりつつ出て渋谷にてcoffeeのみ、聖心女子大学。
田中保隆・海老沢氏と話せしのみにて講義。試験問題を「女直について」と「老一官と鄭芝龍」とす。すみて広尾橋より都電。四谷三丁目のりかへにて専修大学前と8月10日と同じ道筋にて山本書店へ出石誠彦『支那神話伝説の研究』返しにゆき、代りに『文選索引』3冊(8,500)などを大学へ送らす。話しかけ来しは尾崎秀樹。
待たして『西安歴史述略(160)』買ひ、蒲池氏のぞきしに閉めをり、夫人われを知らぬ顔せしゆゑ、ふしぎがりつつ他へゆきcoffee。台湾の話し、近々竹内好訪問の序でに来よといひ、また都電にて飯田橋。国電にて三鷹、松崎医院によりて帰宅。
尾崎君と話せし林Dr.よりハガキ来をり、「更年期障害とわかりしゆゑ云々」。他に川崎宏子より「13日会ふのをたのしみに」とあり、夜になりて10月13日のこととわかる。(けふわれ帝都線にて鎌田シゲヲを見、悠紀子、杉浦夫人に遇ひしと)。
21:00山中嬢より電話、あす14:30の汽車で帰阪の予定と。

9月17日
昨夜、鎮静催眠剤イソミンといふをのみて寝しためか、朝起きて頭痛けれど、7:30出て成城大学。
漢文30分やり、夏休みに山本書店より来し『中学文学報』『東京夢華録』『中華名物考』などを図書館よりとり来る。(指定寄附はまだ出ずと)。
高田、池田、山田、田中久夫の諸氏と話し、松浦高嶺氏に履歴書をとの手紙かき、前田課長に渡せしのち、帰宅すれば悠紀子ゐず。
弓子帰り来しに昼食の仕度させ、夕方まで仰臥。悠紀子、小室家へゆき「兄の先妻(※8文字略)。今の夫人は大類博士の親戚」と妹にききしと。
夜、白井紘史「大阪よりの預り物」と昆布もち来る。

9月18日(日)
9:00起き、川崎、林Dr.、白井三郎の諸氏へハガキ。渡辺三七子へ祝品の送り状。
住宅金融公庫東京営業所より「9月14日抽籤に当選、9月28日9:40ごろ来所せよ、その際、
1.住宅を必要とする理由書。
2.申込者及家族の住民登録票謄本。
3.建築地の土地登記謄本。
4.頭金の調書に関する説明資料(残高証明書)。
5.申込者の昭和34年度の住民税証明書。
6.保証人55才以下の月収証明書及源泉票並昭和34年度の住民税納税証明書、所得税の納税証明書。
7.最近の家賃の領収書。
8.申込人の昭和34年度の所得税納税証明書。
以上を提出して設計審査申請書を35年11月5日までに建設予定地を所轄する地方公共団体に提出すること」と。
松崎医院へゆきしあと、西荻窪より電話して丸に会ひ相談すれば「止めよ」と。帰りて昼寝。

9月19日
悠紀子「森家にことわりしのち住宅金庫へことわる」と。「宜し」といひて出、中国文学史すませ、下痢ぎみゆゑ昼食せず。
出て下北沢、森本ヤス子夫人長嬢に遭ひ、「まだ軽井沢」ときく。冷ラーメン食ひて帰宅。
「吉田東洲氏出版記念会を10月6日正午に」と往復ハガキありしのみ。
悠紀子「森夫人に会ひて、(※住宅金融公庫の当選)はじめより建てる気なく、権利売買のみを目的とすることわかりし」といふ。
死刑囚となりしゆめを見て昨と同じく2:30ねざめす。

9月20日
悠紀子、住宅金庫へと出てゆく。田中秀子「宮島へゆきし」とヱハガキ。11:00出て成城大学。
文化史に唐代の年中行事やり、すみて会計へ「指定寄附の支払いつか」と問ひにゆけば、「常務理事月二回しか来ぬゆゑ」とのことなりし。
山田生にそれをいひ、■の■について「復活」との作見、松村達雄君のすむを待ち、ともに出て下北沢で餡蜜くひ、松崎医院へゆきてのち帰宅。
筑摩より『Non-fiction全集7』来をり。悠紀子、ことわりの証明書もらひ来しと。けふ丸重俊に「忠告どほり(※中止)となりし」と父宛の手紙わたせし。

9月21日
8:00に起き、東大へゆく。わが吏文索引を完成すべしと三上教授らいひ、護氏の訓を直しす。小山助手に白鳥先生の50部抜刷のこといへば「だめ」を直接答へんと。(出がけ速達にてわが「対国姓爺戦における漢軍の役割」の初校たまたま来りし)。
12:20出てbusにてお茶の水。市川よりの本多弘子生と会ふ。新宿で下車。鉄火巻くひ成城大学へゆく途、もと短大の女生、中国文学史「このごろノートつらしとみないふ」と。
salaryもらひ(三万五千円)、noteとり、立教大学へ引返す途、餡蜜くひ、14:55より国姓爺はじめ、すみて久保靖彦を内村俊雄氏(富士高校)に紹介する手紙かき、山田助手より松浦高嶺氏の履歴書受取り、また喫茶。
地下鉄にてゆけば(※三水会)齋藤氏(※齋藤晌)らすでにをり、18:00より田村、米津2氏柏壁にゆきしとて不在のまま、30分ほど年中行事の話す。
佐藤君「柳田先生の仕事手伝ひし」と。高山博士一言も言はず(浅野氏もまた)。すみてせいせいとし、夕食後、帰り来し田村氏の話きく。「水田 の1/3を牧地とし牛飼ふが池田農政」とて、これは宜し。
20:00すみ齋藤氏とtaxi。「東洋大学借金4.3億となりし。遅配はじまりし」と。新宿で別れて帰宅。23:15。
福地君(※福地邦樹)より速達。「上京する。24:25に連絡せよ」と。

9月22日
成城大学へゆき、史学研究法すませ、やっと明日休みを知る。藤井生を家へ誘ふ。
漢文すませ手紙かき、note(Journal d'anne member de la Societe)包み、電車にゆけば本多、鈴木(大船渡)、福留生をり、下北沢まで同行せし本多、鈴木2生さそひて氷しるこ食ひ、別れて古本屋。
『日清太平記(20)』、『憑きもの持ち迷信(50)』買ひ、松崎医院をへて帰宅。
渡辺三七子より「舞踏への招待のオルゴール気に入りし」と。白鳥夫人より「光彦そちらにのこりをらずや」と。

9月23日(秋分の日)
角川より『昭和文学47巻』15版(1月9日発行)の印税(135−20)115!
林富士馬氏より「手術のばした。『茂吉随聞』よんだ」と。久保靖彦生より「内村氏に会った。忙しき様子」と。
12:00藤井生来り、おはぎくはせ、吉祥寺の古本屋へとつれゆき、すしくはせ茶のます。そのあと阿佐谷の丸屋にゆき『国姓爺後日物語(200)』、『韓国併合と国史(50)』買ふ。田中といふにて散髪。(吉祥寺にて『こども風土記(50)』)
荻窪まで歩きて帰宅。

9月24日
8:30成城大学。漢文30分ですまし、帰れば白井紘史より電話「月曜またかけよ」といひ、ついで福地君よりの電話に「6:30〜17:30赤坂見附で」といひ、琳琅閣より本つきしを見、田中久夫氏を待ち、12:15ともに出て経堂のdepart地下にてわれはHamburg- steak。小高根太郎にゆくといふと別れ、新宿へ出しも暑く、気持変り東洋史談話会やめ、三鷹松崎医院。すみて帰宅。
すぐ16:00となりしにあはてて赤坂見附へ16:45ゆけば福地君来し。中村屋にてcoffee立ち飲みせしあと家へ伴ひ帰り、大東夫人のヌーヴェルバーグとは歌人との恋愛ときく。駅まで送りて帰り、しまひ風呂にて行水。
けふ吉田東洲氏に「出席」の返事出す。

9月25日(日)
講談社へ送りし校正、70円の切手なしとて送り返し来る。午后雨となる。夕飯の時、坂根千鶴子雨中を来り、あさって帰郷と。夕食をともにし(菓子くれる)、ともに出て駅前でハイボール(150)。おくさんといはれし。講談社への速達たのみし。

9月26日
登校。栗山部長に今井氏助教授申請の件いへば「前にせしも落ち、いまも無理ならん」と。
松浦高嶺氏の履歴書わたし、白井紘史の電話に「13:00明大前で」といひ、ラーメン食ひて、田島生に『明月記』のprintのこといひ、明大前へ丁度ゆき、喫茶して金なきをいひ、下高井戸の古本屋見にゆき『好逑伝(100)』買ひて帰宅。
咲耶より礼状。千草来り葡萄もち来る。

9月27日
11:00茶漬一杯食って登校。電話かかり東・中馬2生「東京にをり会ひたし」と。17:00東京駅でといひ、藤井の母に会ひ、忙しくして教授会。
松浦高嶺氏、講師の件通過。base-upを国立並にとのこといひて臼井・高田2氏委員となる。これにて
16:00前となり、大山・山田・木桧3氏と早々に『成城文芸』の編集会議すませ、文化史の会議はことはり、東京駅7:05着。
金なく2生のおごりにて19:30まで話して帰宅。疲労す。(東生(五味夫人)夫君Cylon出張よりの帰着3日おくれしと)。
けふ『葉子抄』ほぼ了る。夕刊に「上智大学法学部教授一ノ瀬直治taxiに轢き殺される」と見ゆ。東洋大学にゐて悪党一味とおぼえをり。

9月28日
雨。午后立教大学へゆき、白鳥・手塚2先生の話すところへゆく。(※白鳥)郁郎氏の「光秀(※遺稿脚本)」のこといへば「ある筈」と。
4年はあすの発表のprintしをり、教室へゆけば無人。久保生呼び、喫茶店へゆき富士高校の内村主事に会ひし様きく。会議中なりしと。修徳学園紹介せんといひ、別れてまた中野へ出、古本屋見てこの間見し荻窪の『日英アラビア語文法』買ひにゆけば1,400!落胆して『中国地図冊(100)』見付け、三鷹松崎医院へゆきて帰宅。

9月29日
11:00家を出て成城大学。短UAの試験監督(漢文)。すみて栗山氏と話し、前田課長と話し、松浦氏へ「公信まて」と手紙かく。
(上原助教授「論戦中ゆゑ次号もかかせよ、紀要出せ云々」。浅沼講師「次号かかず」と)。
だるく池辺講師にゆき『成城文芸』の原稿半分組置きをことはり、base-upは都立の現在の線へときき、会計へゆき、立替金受取り、土器洗ひ中の今井氏と山田女生とに渡し、茶のみて出る。
(丸煦美子に会ひ「明日ゆく」と父に言伝たのみし)。
吉祥寺踏切にて老嫗2人話しゐるが織原夫人と悠紀子にりし。(われもけふ若葉生に「還暦近きや」を問はれし也)。
帰れば天理図書館より「開館記念日10月18日10:00より」と。山中タヅ子より「手紙にて交際ときまりし」と。穴川裕代より「宿恋みのり11月3日挙式、相手は画学生」と。
硲晃氏より「心身よはりゐて」と。岩崎昭弥より「新居建てし」と。関西dayなりしが、悠紀子帰り、田中雅子夫人より「成城への転居、三千子を成城に入れたく、明後日来る」と。

9月30日
11:00出て成城大学に寄り、鎌田女史にprintの原稿をわたし、出て渋谷。東急食堂でrice-curry食ひ聖心女子大学。あすbazarとおくれる(9月分salaryもらふ)。
老先生(もと東洋大学)より東洋大学大島学長以下理事総辞職ときく。「老一官と鄭芝龍」の題は文学の方こまるときき、鄭芝龍のことだけかけといふ。
出んとすれば助野助教授「岡本良知氏より弁護士を介して告訴するときき困惑」と。弁護士の名きき丸三郎にきかんと。
busにのり六本木に出、喫茶してまたbus。日比谷より第一弁護士会にゆけば「午后には帰宅」と。地下鉄にて新宿に出、丸夫人に電話してゆき、きけば調停裁判にて謝罪ぐらゐならんと。
一ノ瀬のこと知りをり、成城の中学入学は楽なりしときき、出て松崎医院(鈴木尚『骨』借り3千円返却)。
帰り謝国権(※『性生活の知恵』)見付けて買ふ。
伴由欣子生より欠席のわび状来あり。『Corbeau詩集10』来をり。
(東京towerへ六本木より電話し、田中順二郎君に「あす14:00以降に来られたし」との伝言たのむ)。悠紀子風邪にて早くねる。

10月1日
早起きして8:30成城大学。中国文学の試験監督す。無事すみて穴川裕代に祝の手紙かき、経3の「景気論」といふのを監督し、岡本といふをどなる。
すみて話相手もなく、出て森田順子・比企野道子2生と話しつつ下北沢。雲呑麺くひ『西洋美術館(70)』買ひて帰宅。
『桃』の『愛恋譜』評よみ了りしところへ、朝日生命波形政市氏といふが訪ね来て「鞄かはりゐし」と持参。なるほどかはりをり。下北沢下車の前にもちかへしらしく、新宿で警官たち合であけ、この日記帖に挟みし郵便物にてわかり、たづねたづねして来しと。
礼いひtobaccoもち帰りもらふ。14:00すぎ田中雅子夫人来り、世田谷区大蔵町の住宅に当選と。成城幼稚園の話すれば「それは止め、他に見つけよ」とのことなりし。
不二歌道会より電話あり、やがて使としてこの前も来し人、夏の講習の筆記略。「東洋の詩人」とて浅薄なるに恐縮。

10月2日(日)
晴。『バルカノン』来り、美堂正義氏また『西康省』のこと書く。恐縮。竹内好にゆかんとせしもやめ、吉祥寺の古本屋みな見て、アラビア語辞典なしと決定。浅野晃氏の『風死なず(30)』買ふ。

10月3日
『風日』来りしを見て成城大学。栗山部長来ず、富永、池田、蒲田の諸氏と話し、植物図鑑にて艾(よもぎ)引き、「端午」を4枚かき、山中タヅ子と八木氏とにハガキかく。
平凡社に電話してきけば9月10日締切の「長恨歌」「張廷玉」まだ間に合ふと也。
千葉(井上夫人)司書そろそろやめる様子。出てbusにて農大前下車。大江房子に会へば「和光学園の幼稚園入学金1.5万円。毎月1,550にて入学許されん」と。
出て和光学園にて案内書とり、編入の有無はあす電話してきくこととし、小高根太郎に寄る。
出て駅へゆく途中、藤井生に会ひ喫茶し、別れて三鷹松崎医院にゆきて帰宅。
夜、鈴木(山本)敬子夫人より電話、「今度は会へず」と。

10月4日
『果樹園』受取り。見乍ら12:10成城大学。けふも栗山部長に会へず困る。松村達雄来り「研究室で勉強せよ」と。しかるを「菖蒲」を植物辞典でしらべ、「長恨歌」写せしのみ。Note検査6〜7冊すませ、和光学園に電話すれば「手続すれば考慮せん」と。
東京towerに電話せしも順二郎君いつもの如く席に不在。「17:00電話たまへ」といひ、松村と同車にて帰り、待てばかかり来る。「金土に同行を雅子君にいへ」といひて、悠紀子をゆかせることとす。
浅野晃へハガキ。けふ『吏文』のcard了る。『老乞大諺解』も見つかる。

10月5日
悠紀子を田中雅子ならびに大江房子にゆかし、齋藤晌教授より「三野弁護士また延期申請に来て証人は11月」との手紙。
古川政記氏より「前川佐美雄主宰上京につき9日(日)11:00より保谷『武蔵野』にて日本歌人会」との通知。
これを見てのち成城大学へゆきしに、栗山部長に会へず。
すぐ出て(「長恨歌」おほむね出来、張廷玉も同。水野平次氏『白楽天と日本文学』見つかる)。
立教大学へゆく。途中coffeeのみhandkerchief2枚買ふ。悒せし。講義おほむねなきも4生そろひて1時間やる。
野崎生「高校の夜学を見つけよ」と。出てcoffeeのまし、久保生と夕食し、東洋文庫の岩井大慧博士の「糞石jadaの話(※呪術石)」きく。白鳥史学の名残りをとどむ。神田、山本、榎、護の諸氏のみを見し。
久保生と下北沢まで同行、帰宅21:30。悠紀子「2夫人に会ひ用すませし」と。

10月6日
10:30出て松崎医院。負傷者はこばれ来しを見て気持悪くなる。まっすぐ東京駅。
西川に寄りて「詩を作る今井氏といふが会ひたしと云ひをる」ときき、すぐ出て新丸buil.のGrillにゆく。(※吉田東洲『日本精神衰亡史』出版記念会)
『日本精神衰亡史』を受取り、吉田東洲氏わが成城勤めを知らざるらしきにきづく。村松正俊氏の司会にて高山博士、花見達二、、荒木大将(86才と)、南喜一、福島元最高検検事などの話きく。われも早く使命受け、詩人としてSentimentalに豊満ダムと高橋匡四郎の話す。
出て地下鉄にて新宿へ出、成城大学へゆき評議員会に栗山部長ゐるを知り、交換手に手紙とりつぎたのみ、(※関西へ)研究出張の件、訊ぬれば「駄目」と。さばさばして帰宅。
小高根二郎氏より「福地君帰り、いよいよ皮肉が痛烈といひし」と。
夜、森本ヤス子『悪童女』よみ了る。けふ「長恨歌」と「張廷玉」とを平凡社に速達せし也。

10月7日△
雨。いやいや聖心女子大学にゆき、田中保隆氏と会ふ。わが「平家物語雑考」好評と。紀要の原稿しめきり21日(金)で宜しとなる。
2時間目、本多生「Nurhaciを卒論にする」と。St.Mary Antonia廊下で待ち、道博『国姓爺』かせと。
帰途、東横dept.で炒麺くふ。
夜、radioで春夫先生「文化勲章受章者ときまりし」と報ず。皇太子アメリカより帰国。
昨日より靴下駄をくはへるくせありし牝犬ゐなくなり、それにても哀れ也。

10月8日
3:00すぎまで眠れず、6:30起されて成城大学へ着く手前にて手帖開き、けふ試験監督なきことわかる。
仕方なく赤鉛筆買ひ東洋文化史のnote採点。藤井、小川、川本(静)、郷右近、山田君江などよく出来る様なり。名なしは比企野、森田とわかり比企野に電話す。
長沢美喜子来り、中陰明けにhandkerchief1箱呉る。京都へゆき富山へゆき、11月まで帰らず。試験も放棄してゆくと。
天理図書館へ「ゆけず」と返事す。中村幸彦来ると也。松崎医院へ寄りて帰宅。
浅野晃氏よりヱハガキ。生田敦子夫人より帰阪の挨拶。ひるね2時間し、大江房子よりのハガキ見る。
けふ早川(宮崎)智慧女史あすの「日本歌人」の会の案内に来しと。森本ヤス子氏と生田(中島)敦子生へ礼状。

10月9日(日)
白井紘史よりハガキ。井之頭小学校の運動会ちょっと見て駅前より保谷行のbusに乗り12:00「武蔵野」へ着けば、前川佐美雄未着。
他に長尾良呼びしのみらしく、東博君と話せしのみ。13:00より日本歌人の歌会。Beer出しためわりあひ楽にすませて帰宅。
依子、昨夜より日光へと。史は野球にて遅し。京、かけくらで2等となりしと。

10月10日
雨。8:302成城大学へ登校。経2の民法の監督にゆけば「早くくばれ!」の声あり。ついで来し両角氏たちまち3人のcanningを挙ぐ。 Canning paperを使用せしは2Eの(※2文字略)とて群馬の三島病院長の弟と2Fの(※2文字略)(鹿児島川内商工高校教員の子)、いま1人は机の上に書きをりし。
ついで文1B.C.Dの英語。わが学生票見しとて弁解に来しは横須賀の(※2文字略) (1B)とて質屋の子なり。
栗山氏に会へば「(※出張申請につき)篠原氏に会ひしや」、「会はず。悪例をのこすゆゑ」とて了りし。疲れて帰宅。〒なし。

10月11日
美堂正義氏より『バルカノン』に書けと。松崎医院にゆき、下北沢でpão買って登校。「東洋文化史」のnote批評して返却。藤井生は友達に写させしと恥ぢをり。
そのあと定期の証明もらひ、山田俊雄氏と臼井氏の2高談きく。
14:10より教授会。base-upは4月より国立並にと。その代り授業料は在学生も一律に上げると。
16:20すみて文化史の相談。学科ふやすこととし、われも東洋現代史を一般教養にもつこととせん(池田君と話し、7時間がnormaとなるやもしれずときく。主任を大藤氏に代へんと云ひ、今井氏元気なきを皆気にしてをり、とりわけ助教授申請はいかにときく)。『文選索引』 8,500は承認、あとはみな篠原氏へ云ひにゆけと也。
年中行事研究会に東大と学院の学生来り、中国地方では七夕に牛を水辺にもちゆくを云ふ。面白し。あとは柳田の亜流なり。
下北沢へ出て中華そば食えへば値上(50)。けふ考変りしとの速達来りし也。腹立てど面白し(※不詳)。(石渡生に父への依頼、下相談す)。

10月12日
よべ3:30までは寝ざりし。8:00起きて9:00家を出、東大の満蒙史料研究会。神田氏の講読。松村氏に閲覧表のこといへば、とりかへ賜ふと。『吏文』の索引を後藤君にわたし、12:00出て琳琅閣主人の表にゐるに「本着きし」といひ、rice-curryくひてのちbusにて教育大前下車。
松本善海にゆきて話し、出てまたお茶の水女子大の前に出、阪本越郎を訪ねて見しに出張中と(高校長なりし)。
時間まだあり、西武dept.の宮崎女史に会へば「前川氏、14日帰寧」と。よろしくといひ、立教大学。
松浦氏待ちしに会へず。4生にCoxinga(※国姓爺)話し、すませて手塚教授と話しつつ待ち、松浦氏にsalary3千円のこといひ、「21日16:00ごろ来たまへ」といふ。busにて中野をへて帰宅。
「浅沼委員長、17才の少年に暗殺されし」とradio報ず。
21:00すぎ日生江戸橋寮にかけ(吉森夫人よりは午後来ることとなりし)2度誤りてかけしあと、向ふよりかかり11:30北口で待つといふ。相野忠雄より「14,15オギクボに電話せよ」と。

10月13日
昨日の暗殺者の父は成城高校1回卒の陸一佐。母は村上浪六の女と。美堂正義君に『バルカノン』へ書くと返事し、松崎医院。魚の目も処置してもらひ、電車にて吉祥寺。
11:45まで待ち、高松・川崎2生と会ひ、すし食はせて家に帰れば、吉森夫人すでに待ちをり、葡萄呉る。
16:00新宿で愛人と会ふといふ川崎に15:00出て井之頭公園をへて駅前にて喫茶。構内へ入って送る(けふきけば萩原生在京。高松の兄は熱田神宮に勤む。寺本生われを訪ねられずと気にしてゐる。松本一秀の令嬢結婚し、負傷はその直後と)。
松本一秀、東北へゆくとて連絡せよの手紙を托せし。あたかも西川より電話、相野の歓迎会をあすNewTokyoにてやると。時間ききて忘れし。平凡社より受取。

10月14日
10:00家を出、渋谷より都電にて専修大学前。山本書店に『三朝遼事実録』を2,000で売り、『斉民要術(170)』、『東京夢華録注(190)』買ふ。学校へも『宋代香料史』送らせし。
また都電にて渋谷、busにて聖心女子大学へゆき、試験答案受取り(採点報告25日までと)、都電にて渋谷に出、炒飯くひて駒込。
東洋文庫にゆき閲覧票受取り、岩井大慧主事に『口北三庁志』の扎達の項おしへ、『説郛』借出して写し、あと旨くゆかず。
15:30出て丹波家に寄り夫人に電話きき、ついでまたふとその気となり都電にて飛鳥山。
女児への本(200)買ひて畑山家へゆけば夫人と女児。(※畑山博は)東洋大学、後任にて会議らし。それより大野三造家(※かつての家庭教師先)へゆき、知子生に会ふ。国文専攻にて松尾聡教授につき中世やるつもりと。私塾はやめしと。
丁度時間よくなり(西川に電話かけ場所と時間と問ひ直せし)、有楽町NewTokyoにゆけば、矢野(※矢野昌彦)、横山(※横山薫二)をり、相野の歓迎会を西川(※西川英夫)、竹内(※竹内好)、加藤(※加藤定雄)と7人にてす。
すみて文甲4人とわれとにて喫茶。新宿までtaxi。荻窪にて竹内、相野と別れて帰宅。22:00。
茶漬一杯くふ。父より新潟へゆくと。

10月15日
昨夜、矢野「(※大阪高校)佐々木恒清教授の死は昭和4年」といひ、われと賭けしゆゑ、日記見しに昭和6年なり。ハガキ書く。
10:30出て散髪(150!)。松崎医院へゆく途、平田家へよれば「和田統夫はときどき帰宅。和田賀代女史は23日来る」と。
帰り『お寺まゐり(50)』、『大東京区分地図(50)』買ひ来る。大安の書目など来しのみ。齋藤晌教授に「19日三水会にゆく」とハガキ。

10月16日(日)
依子はぜ釣にと出てゆきし。庄野潤三氏より『静物』。吉森夫人より礼状兼見舞状。「端午考」わづか15枚(200字)にて了りとなる。

10月17日
成城大学へ登校。中国文学史やる。栗山氏「本夕より熊本へ出発」と。何となく不愉快にて松崎医院へよりて帰宅。
(けふ4D鈴木生「NHKに入社予定」と。下北沢駅にて龍野四郎君に遭ふ。ひどく年寄りたり)。
平中苓次氏より「11月2日17:30春豊園での会の出欠」問ひ来る。「欠」と答ふ。
高松・川崎2生より松茸一籠贈らる。

10月18日
高松・川崎2生へ礼状。後藤へも同。「端午考」の注かかんと早く登校せしも羽田に東洋史談話会の案内状たのむ手紙かき、ILDへ詰問状かきしのみ。
石渡生「父へは都合ききをらず」と。松崎医院へ寄って帰宅。高松・川崎2生より入れちがひに手紙。「松本君19日11:00ごろ成城へ電話くれる」と。
けふ母に電話せしに「越後行24日に延ばした」と。(成城教務課へ履歴書出せし。)
かなしみもよろこびもなく冬来むと心におもひ床に入りをり。
わが夏は激しかりけり春の日の酔ひには似ずてかなしけれども。


昭和35年10月19日〜昭和35年12月31日 「東京日記 9」
25.4cm×17.8cm 横掛ノートに横書き

p10

10月19日
昨夜よく眠りて気持よし。帝塚山学院短期大学同窓会より11月3日11:30の会の出欠問ひ来る(岸町へ)。未定と答ふ。
12:30出て松崎医院。中野よりbusにて立教大学。
図書館へゆきしも著者名cardにて困り、手塚氏の来るを待ち、『後漢書』かりしもらちあかず。
手当出しときき、もらひしあと田中正義氏(組合委員長に新選と)と正俊氏のこと話し講義にゆき、野崎生の履歴書預り、金子生に『清代七百名人伝』貸し、久保生に来週月曜13:00下北沢駅にて待合せ約す。
裏の本屋にて『義経は生きてゐた(130)』買ひしあと、地下鉄にて17:30三水会にゆく。
齋藤教授の「政治哲学」ききづらかりし。すみて(浅野氏の『青墓の処女』―佐藤春夫先生にほめられしと―贈り)、中川少年の批判きき、浅野氏を地下鉄にて見失ふ。赤玉ブドー酒買ひて帰宅。

10月20日
睡眠不足にて9:30登校。史学研究法に神武紀やる。すみて石渡生に「月曜午后ゆきてよろしきや」ときいて貰ふこととし、図書館にゆき『抱朴子(岩波文庫)』探してもらひしになし。
池田氏より『伝承文化1』もらふ。『中国文学報』の講読よろしと。
次に短大の中国文学。これは評判よろしきらし。出て下北沢に下車せしに店一斉に休む
森本夫人、鉄筋にて新築しをり。汁粉たべて新宿よりお茶の水。文庫屋にゆけば『抱朴子(350)』あり。向ひにて『Soviet Tajikistan(150)』買ひ、よせばよきに筑摩に東君訪へば、常のごとくその気なし。
出て社会学研究会によれば、われを知る人不在。ここも素気なく、われとわをいやになる。
三鷹に直行、松崎医院によりしあと帰宅。長沢美喜子生、黒薙温泉よりたより。白鳥夫人より「野崎生、受洗せし」と。
夜、中沢生より電話、「鈴木正義の父逝去につき香奠を出せ」と。
(けふ前田課長に松浦高嶺氏の処遇相談し、篠原局長より手当3,500とせしときく)。
夜半めざめて「端午考」の後半の清書了る。すべてにて32×200。薄っぺらなるは性格のあらはれか。

10月21日
『今宮自彊会報』(※今宮中学教へ子同窓会報)来り、筒井信義君教頭となりしと見ゆ。東洋史研究会より案内。
11:30出て松崎医院への途、悠紀子よりの言づけもちて平田家へゆきみれば無人。
聖心女子大学へは13:10つき、途中にて買ひし支那饅頭食って1時間すまし、田中保隆氏に「端午考」わたし、2時限14:50にやめ(『西太后に侍して』を貸せと云ふがありし)、成城大学へ急げば15:40ごろ。
salaryここにてももらひ、大分まちて松浦氏を会計と教務課長に案内し、16:20よりの教室へと送り出し、今井氏の発掘整理にゆき見れば、丸重俊をり。渡辺三七子和服にて嫁入りしときき、21:00前送り出し、吉森夫人よりの電話ききて「あす13:00東京駅待合室にて会ふ」こととす。

10月22日
8:30成城大学へ登校。漢文教へ3p、耳鳴りしてやめ控室にて茶のめば止む。
栗山部長あす帰京と。松本一秀の電話10:00すぎかかり、「東京駅に来る」と。西川に電話せしに「今日都合わるし」と。倭(※倭周蔵)に電話せしに「17:00すぎになる」と。これにて止め、文2の漢文採点すまして教務課にもちゆき、出て東京駅。
吉森夫人子供つれて来り、松本来り、吉森君まちて「Pole Star」へゆきて昼食(990)。吉森夫妻と別れ、有楽町まで歩き、日劇の「白蛇伝」といふを見る。
そのあと喫茶店より電話し、倭と18:10渋谷「ハチ公前」にて待つこととなり地下鉄。18:30来りしに丸山の「長島」といふに案内され、 歌うたひbeerのみ、倭の家の前通り、信濃町で別る。
「西原と殿井と仲良く、ともに済ましや也」と。倭、松本は小学以来40年の友なり。松本令嬢の婿は日本レーヨン企画室の木戸氏とて、披露宴には増山重役も来りしと。
けふ悠紀子、渋谷へ3千円もちゆきし。(長沢美喜子帰京しをり。南洲碑文を写し来る)。
(石渡生父君「午后は概ね多用ゆゑ午前中来させよ!我は来ることいらず」と)。

10月23日(日)
起きて松崎医院へゆき、東方学会の「講演会11月4日関大で」といふと、聖心女子大学の「26日18:00より教授晩餐会」との案内見る。
悠紀子、京と織原氏へゆき、にほひ菫と菊と瑞香花ともらひ来る。(和田賀代氏より「夜学は公立よりなしと電話ありし」と)。
15:00銭湯へゆき帰りて午睡す。

10月24日
8:30家を出て成城大学。中国文学史の時間、私語してやまぬ男女あり「出てゆけ」とどなる。
栗山部長帰りをると思ひ待つこと1時間(昼食はすしやへゆき、久保靖彦に石渡経夫校長への紹介状かきて渡せし)。
帰り途にて大藤時彦教授に会ひて引返し、今井氏のこと云へば考古専攻をこさへんとの動きありと。
も少し話しつづかんとするところへ今井氏池田講師あらはれ、来年度の主任を大藤氏にすることとし、学科の組立てなど栗山部長にいひにゆかんとすれば、まだ帰京しをらぬこと判明。
落胆して出、(鎌田女史「沖縄にゆきし」と。「来年短大の講師とせん」と)。
三鷹で餡蜜くひ、松崎医院にて営養剤もらふ。
木村三千子女史より松茸1籠来あり。筑摩の井上達三氏来り、「3日後また来る」と中西夫人にいひおきしと。
けふ議会解散なり。(高橋邦太郎氏に久しぶりに会ふ。大の事件(※不詳。某女優との結婚話[女性誌のガセネタ]のことか?)しりをりし)。

10月25日
8:30出て聖心女子大学。busにて広瀬氏と一緒になり、あすの夜会に出ざるもよしとわかりしに、試験成績提出後「出席」の返事出す。
都電にて渋谷。成城大学へゆき筑摩井上達三氏呼べば、未出勤。「電話かけさせよ」と伝言し、大に電話すれば「父母出発せし」と。芸術祭作品のもめ、心配いらずと。
やがて栗山部長つかまへ来年度の学科の相談すれば、「今井氏の考古学と歴史哲学と止めさせよ。民俗学に重点といふにてもなし」と。わが研究出張には簡単に捺印したまふ。
篠原事務局長に研究出張願出し、井上氏の電話ききて「明日10:00ごろ来たまへ」といふ。話の内容は唐代政治を書けと也。
東洋文化史すませ(羽田(※羽田明)に「1日朝、電話す」とのハガキ出す)、姜女生と遭ひ、話をきけば卒業して帰鮮と。はげまして別れ、 coffeeをまみにゆき、『幸田露伴史伝小説集1(100)』買ひて帰校。
松村達雄とちょっと話し、教授会。
早くすみて大藤教授と話せば「今井−栗山2氏間は極めて悪し」と。考古学seminarのみ立つこととし(「池辺君を宥せよ」と云はれし)、和田先生に参る。
盛宣懐の伝記ありと教へたまふ。「神田喜一郎先生は博物館長をやめて自適さる」由。青山氏、横浜市大やめ中央大学専任と。京都行申上げて退出。下北沢下車。
『山西学術探険記(100)』、『豊臣秀吉(80)』買ひて松崎医院をへて帰宅。
(途中はっと気付き筑摩にまた電話し、井上氏に「明後2日(金曜)に来たまへ」といふ)。
美堂正義氏より『バルカノン』に寄稿を謝すと。夜、木村三千子氏に礼状かく。

10月26日
昨夜一睡も出来ざりし。9:00出てお茶の水よりbusにて東大前。
10:00ゆゑ琳琅閣にゆき顧康伯『中国文化史2冊(200)』を買ひ、井上にて長尾龍造『北満洲支那の習俗(180)』買ひしてゆけば田川氏来ず、神田、後藤、阿南君とで8人。
「わが『吏文』の単語帖、印刷にする」と。「和田先生の古稀祝賀6日は史学会への出張をねらって」と。
出てrice-curryくひに入れば声かけしは小野忍教授と藤堂高保氏。「竹内西下す」と。いろいろ話して笑はせ、林Dr.に電話すれば「往診」と。
いたし方なくbusにのり(※お茶の水)女子大前にて下車。阪本越郎を再び訪ねしに「教授会」と。松本善海訪ね「西下せず」ときき、立教大学の講師室にゆけば田中正義氏(東大正門にて令弟正俊に直ぐまへ会ひて噂せしばかり也)「池内先生の墓前で会ひし」と。
久保生、「石渡校長先生を訪ねしに「私学援助会の試験受けよ」と云はれし。御自身はその会の理事らし」と。
野崎生に私立高校の2部少しといへば、金子生の母校関東学院(横浜)にはありと。
4生と国鉄に同車、渋谷で下車して聖心女子大学へ17:00着。学生の演戯見せられ、19:00よりMother Britt(※初代学長)誕生祝賀晩餐会。中々■かりしも青山定雄・海老沢の2氏より話し相手なく、学生もわがことを知らず顔なりし。
すみて某老教授と渋谷までtaxi同車。雨ふりをれば吉祥寺より家に電話し、赤飯買ひ、傘もち来ると半途にて会ひて帰宅。
谷川眞佐枝より「小海線にのりし」と。けふ悠紀子「冬服を5,600で買ひくれし」と。

10月27日
9:30成城大学へ登校。史学研究法に渡辺、山田君江など欠席の届す。
すみて角川の朝比奈女史に電話すれば、「明日来る」と。栗山部長に「出張確定と考へてよきや」と問へば「よし」と。
教務課に「11月1日2日欠勤」をいふ。そのあと姜生と話し、高桑純夫氏の中共よりの帰朝談きく。明陵の発掘談おもしろし。
短大の漢文は「20分でやめよ」といはれ、15分でやめて出、松崎医院により『初代川柳選句集(120)』買ひて帰宅。
けふ出がけに速達にて「佐藤春夫先生文化勲章祝賀会を11月8日帝国Hotelにて」と。会費1,500と(「出」の返事す)。
畠山恵美子Demmarkより「愉快にやりをり」と。吉森夫人礼状。川久保悌郎より『燌酒考(※清代における焼酒の盛行について)』の抜刷。
(田中順二郎の転宅を出来心にてたしかめにゆきしに、1等良きところへ入りをり。子らと雅子とにて祖師谷大蔵まで歩き、chocolate買ひ与ふ。「和光幼稚園へ1日より通ふ」と)。
夜、明治書院より「原稿料 (1,250−180)送った」と。

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10月28日
10:00筑摩書房の井上達三氏来り、『世界の歴史』の第6『東アジア文明の変貌』に唐代の政治について400字30枚かけ、締切は12月15日と。承知す。東博氏と10年の酒友と。
ついで角川書店の朝比奈女史、詩集5冊返却に来り、初校もち来る。14頁。石渡経夫校長に贈るための『蕪村・一茶』も持ち給ふ。
「和田先生の祝賀を6日17:30本郷学士会館にて会費650にて」との通知来る。春夫先生の会とともに「出席」の返事投函。
聖心女子大学へゆく途、東横dept.にて「Camel(※タバコ)」買ふ(130)。2時間とも気持ちよくやる。
すみて靴はきをれば、なつかしげに稲富生来り、「先生お体は」と問ふに「悪し」といへば、よにも心配気なる顔せしに気の毒なりし。
けふ『聖心学報』もらふ。原田先生の『正倉院雑記』有益なり。字数勘定すれば、わが稿は5〜6pとなる模様。
三鷹台にて下車。松村達雄に寄り話す。松崎医院にゆき「慢性ジンマシンに非ずや」と問へば、一言にて否定さる。「営養剤を3ヶ月つづくべし」と也。

10月29日
8:30成城大学へ登校。田中久夫氏に会ふ。山田俊雄氏、中国語の本買ふとて相談す。
漢文すまし、点ききに来しは皆出来る子なりし。会計にて出張旅費10,340もらふ。
河村政敏(※近代文学)来りしゆゑ逃げ出し、新宿にて炒飯くひ、古本屋など見ながら歩き、都電にのりて東洋文庫にゆく。
森克己博士より挨拶受けし。吉田金一、青山、須藤などの先輩と神田、護、田中などの後輩。山本達郎博士のソ連の東洋学会の報告のあと、森博士、共産学者にいぢめられし話す。そのあと期待せし小林元教授の話はさらに痴呆じみ、あきれて小憩に出、松崎医院に旅行ことはりて薬もらひて帰宅。
「阿南君より電話ありし」といふに、やがて来り、『満和辞典』『吏文』などもちゆく。林檎を母上よりと賜ひし。
(三鷹にて『朝鮮語研究(180)』、『アラビア辞書?(100)』、『国史上問題の女性(80)』、『記紀の研究(80)』)買ふ。)

10月30日(日)
(※心配してゐた)悠紀子きげんよく、9:30送り出されて東京駅。「山本山」にて海苔2箱買ひ(350×2)、10:45の京都行にのり、14:56静岡にて下車。
駅まへ歩き松坂屋にて爪切ばさみ(60)と香水(150)と買ひ、15:53発の霧島に乗り、岡崎にて乗換へるつもりとなり、席ゆずりしあと幸田にて事故あり1時間50分またされ岐阜までゆく。21:00すぎ下車。
駅より伊藤賀祐博士に電話すれば夫人「阪大にゆきて帰り23:00」と。江口三五氏に電話すれば「夫妻にて外出と女中さんの話。やむなく駅前の宿に泊り熟睡。」

10月31日
宿より伊藤君に電話すれば「10時病院に来よ」と。9:00出て江口弁護士訪ねしにすでに依頼者待ちをり、ちゃんと服着て出てくるまで10分待たされ、「その節は失礼、昨夜はお留守にて残念」といひしのみにて出、すぐ近くなる市役所の組合にゆけば岩崎昭弥君「まだ来ず」と。
心当りに電話してくれしもだめ。「伊東博士に電話せよ」と書きて出、(※岐阜大学附属)病院にゆけば伊藤君すでにをり、湿疹のこといへば尿の検査され(正常と)、「原因不明のはむつかし」といひ、オルガドロン錠(三協製)を賜ふ。
「近々また東京へ来て山の上Hotelへ泊り菅祝四郎(菅文学部長の弟)に会ふ時呼ぶ」と也。
12:00昼食をともにせんとのことに1時間半の散歩をせんと、まづ長良橋へゆき、ついで金華山へのrope-way。御岳を見て感あり。
下山すれば12:00。病院へ再訪、昼食につれゆかれ14:30まで話し、「博士にはなった方が良し」ときき、auto呼んで貰ひ、駅にて15:15の第四比叡といふに乗り、16:53京都着。
思案してのち河原町三条に出て京都書房を見しのち、れんこんやにゆき(隣にてきつねうどんを食ひし)1本つけ、松茸にて飲み、『骨』の連中のこときけば「このごろ来ず」と。
出んとせしところへ依田義賢来り、喜びて話し、シナリオの相談するを横できき乍ら20:00となり、(羽田に電話して「2日の宿たまへ」といふ。「明日は彦根の見学、2日は楽友会館に森鹿三氏の講演きく。6日は上京できず」と。平中苓次氏に電話すれば夫妻ともに他出。女中さん?われをしりをり「出席の旨伝へて呉れ」といひし)。
駅へ出て20:40吹田へゆき山本(※山本治雄)に泊る。

11月1日
3日の夜泊をたのみてのち出て京都に引返し、丸物にて時計の革(500)買ひ、1,100のジャンパーよしと思ひ、鯖ずし食ひしのち、13:36の天王寺行にのり、奈良着。
busにて近鉄前下車。野崎家をのぞけば、その君のみをり、前川家へゆくといひ、途にて佐美雄氏に遭ふ。大阪へゆくと也。「夫人に会ひて宜しきや」ときき「宜し」とのことにゆきて保田のことを訊ねる。(※4文字略)とて保田を愛せしいとこ死にしと也。このごろ自信なくなりし様子に、われと同じきかと思ひ、野崎家の届けし飴の礼いひにゆき、「3日の同窓会に出席の旨、鍛治嬢(※鍛治初江)に電話する」といはれて出、busにて天理。
天ぷらうどん食ひ、時間よくなり八木家へゆきしに、母君松山へゆき、よし子君ひとりにて早々退去。
高橋重臣君にゆけば「昨日大分より帰りし。近日フルブライト留学第2次試験の為上京、通れば来年9月より9カ月間留学。小畑に世話たのめる」とのことなり。入浴後、1本飲みて熟睡。

11月2日
高橋君1時限の講義ありとて、わが荷物もちて出てゆく。あと夫人に挨拶してゆるゆると10:00まへ図書館に着き、八木よし子嬢の出納しゐるに挨拶し、もとの事務室へゆけば雑誌室となりをり。
富永館長(※富永牧太)に電話してもらひしに「少し待て」と。金子君あせって連れゆけば、ふりむかず。ややしてわが並より、やっと向きしと対座、「若気の至りを思ひしる」とわびすれば、きげん直りし模様にて、子の長女九州に縁づき、長男東京にあるをいひ、『稀書目録和漢書3』『Biblia17』『善本聚真』たまふ。
「眞柱によろしく」の伝言たのみ、藤井文庫のところにゐる島居、金子、西村の3君と話せば、鈴木氏(※鈴木治)呼びゐると也。
『曽良日記』は俳諧書の続に入れると也。ついで展観をみ、曽良日記の小本なるを知る。(新井トシ女史にも挨拶せしに、なつかしくなりしはふしぎ)。
鈴木氏の室にゆき、タバコ吸ひ、坊の大阪府立大に入りしをきき、高橋君の来るを待ち、八木女史の「渡米者選別にと出てゆく」をきき、高橋君と出て英文研究室に坂口允男君訪へば「すでに帰宅」と。
通りを下り、天理駅までゆけば12:02まで電車なく、鯖ずし食ひてのち東山三条まで買ひ(140)、西大寺にてのりかへ、東山三条(以前の京阪三条)に出てtaxi。楽友会館に着けば森鹿三教授「居延漢簡(※漢代の木簡)について」の講演中。
内田吟風博士「敢言之」を人名ととりちがへ、語法なることを慇懃に説明さる。神田、慶松氏などのゐるを見(羽田の出てゆきしあと)、総会となりしに北白川まで歩き、『朝鮮の風習(30)』、『神まうで(150)』、『樺太要覧(70)』、『北支の風物(50)』にて400払ひ?、喫茶せんとすれば「しんしん堂」に藤枝(※藤枝晃)、英国留学生をつれ来る。
われおごらんとすれば割勘ときかず(藤枝われのことをrather famous as poetとか云ひし)。
楽友会館に引返せどもはや上らず、待ちて表に羽田の来るを見、(慶松君とも話せし)、河原町三条までtaxi。
喫茶して話し、castilla(400)買ひ、れんこんやへつれゆきてのませ(450)、春豊園へゆく。鈴木俊、青木政代などの常連来ず、他よりは須藤、本田實信(北海道大にて鈴木朝英氏をしらずと)、佐口、神田、大淵の諸氏。
在関西は平中氏のほか(入口にて平中氏と話して去りしはあとにて栗原朋信博士とわかりし)、佐中壮、布目潮諷?、守屋、山田?ぐらゐなりし。
わが発議にて和田先生に寄せ書きし(菊咲くや師よ師よといふ弟子どもに)、出て二次会とかにて喫茶、羽田、本田守屋2君と永々と話し、はねのけられし佐口にわれ終戦のこときけば、新義州にて南下の光村班と留まる江上班とにわかれ、川久保は江上班なりしと。ふしぎなことに白鳥夫妻在洛と。
やっとすみし羽田を促してtaxiにて上賀茂。子らみな起きをり、乾葡萄1箱づつやり、入浴後、寝室に入る。
羽田、Iranにてきけば山崎忠、頭を自ら切りしと也。

11月3日
羽田とともに出て、彼は東洋史談話会、われは丸木町にて下りて彙文堂へゆきしに、しまりをり。夫人戻り来て「主人みかの原へゆきし。昨日は神田信夫さんら来り云々」。われ『小腆紀伝(720)』と『漢語史稿(280)』と買ひ、国鉄にて大阪。
荷物預け、地下鉄にて天王寺着。美術館へゆく途にてほほ笑みかけし子あり。
(※帝塚山学院短期大学同窓会)受付には原田(※原田運治)の妹をり(原田、ことしより同窓会長となると)、中井玲子、吉田■子(2服飾)両人の骨折りにて成り立ちしらしく、新学長蒲田政治氏の挨拶についで、望月信成博士の会場斡旋の辞のうち、野崎女史の電話にて来しとふ鍛治初江より山中、南隅などに連絡せしもだめ也し旨をきき、会場に入りて高岡博士より新学長に紹介受け、楳垣、守本両教授と沢井、岩橋、三苫などのほか、講師の岩田、川端、大伴、太宰、中西、藤井、藤原の老人講師のみなるを知る。
最後に自己紹介さされ、長沖一氏の来りしを知り、園遊会。
文芸ほとんど来ずなりしと。南日女史のみおぼえゐし。梅村己佐雄の嬢とかいふがゐし。兼頭は幹事ゆゑのこし、V回の内藤、高野浩子?大菊佳代のほかに鍵谷洋子のゐしを知り、カヂ君まじへ6人にて新世界。
喫茶し、じゃんじゃん横丁をぬけて地下鉄にて南北に別れ、カヂ君のみさそひてナンバ下車。喫茶してのち渡辺三七子のこと藤本氏に電話、枚方御殿山ずまひと知る。
中馬女史に電話し、こはき声にて反対されし。いづもやの舟にゆき、吉田栄次郎君にjuiceおごられ、beerとうなぎ。
殆どのこして出、茶漬屋にてカヂ君に大との(※縁談)話のよりもどし云へば「もっと年長の人を」とのこと也。
別れて大阪駅より電話し、山本夫人に「来てよし」といはれ、ゆけばやがて(※山本治雄)帰り来し。
(けふ岩橋女史より川西良三心臓マヒにて10月17日急逝。喘息もちなりしときく)。

11月4日
関大の東方学会にはもとよりゆく気なく、湖東に電話すれば、田中順二郎より電話あり、美千子発熱と。
湿疹のこといへば「金持病」と。山本も同じ症状なり。これにて気持直り、ともに出て大阪駅。
五色豆2箱(100×2)買ひしのみにて時間なくなり、準急(11時発)にのり、名古屋着13:39。
畠山氏(※畠山六栄門)に電話なかなかかからず、会社へかければ「帰宅」と。三菱銀行中村支店の難波逸夫にかければ「他出、15:00ごろ帰店」と。困りてlockerに荷物預け、五色豆一つもちてbusにて神宮東門下車(30分かかりし)。
社務所に高松弘毅たづね「博士になった方よし」ときき、参拝ののちヱハガキもらひ、西門に出ればtaxiなく(すでに電話にて畠山氏と連絡とれをり)、歩き訪ぬれば17:30よりの宴席に出よと。
長男博光君、熱田高校3年にて成城大学へ入れたしと。援助約して愛知県衛生部長小川朝吉といふを18:00まで待ち、蒙彊にありしこととなり、ともに語る。20:00帰宅。
畠山氏のねしあと夫人よりその武勇談きき、端午の肉粽(バーツァンと)のこと聞きて就寝、眠れざりし。

11月5日
六栄門氏の出社の様子ききつけ、下りて行って挨拶し、夫人ならびにのり子君にかいがいしく世話され、8:00出て8:15名古屋駅着。
Locker荷物とり、のり子君の見送りにて準急に乗り、やっと席みつけ8:30発。
同席は尾張一宮の老女、青年、田紳にて不快。口笛吹き乍ら東京着。14:20。
予定をかへて三鷹よりtaxi(60)にて帰宅せしに弓子のみをり、やがて帰り来し悠紀子の挨拶せざるに腹立てつつ、夕食後「金欠病!」と湿疹のこといひしを、腹にすゑかねて追立てて寝る。
中沢生より「あす10:00見に来よ」の電話ありし。(柏井の法事は30人よびて11:00よりと)。
留守中、着きゐし〒。松本一秀君より(10.28出)「いづれ拝眉の上にて!」と。
木村三千子氏より「返しいらぬ」と(28日付)。古川政記氏より詩を作る「外大生佐藤君紹介した」と(30日付)。
伊藤信吉氏より礼にとアルバム(31日)。「一高の座談会に朔太郎の助講として出た(白井健三郎氏の記憶)か否か」(11月3日付)。
原義夫・知子夫妻より転居通知。鍛治初江女史より「東京へ来られず」。渡辺三七子より「西村姓となり枚方住」と。
山田君江生より「休講に心配す」と。不二歌道会より「1口500円」と。藤井祐介生より「欠席わびる」と速達。
筑摩書房より「現代詩集1000部増刷」と。春名一満より「年末のdept.にArbeitを世話せよ」と。

11月6日(日)
8:00起き、元気となり、松本一秀、伊藤信吉の2氏へ返事かき、八木よし子氏へ「世話してよきや」の問合せ書き、10:00といふに9:00依子と京つれて成城大学へと出、着けばほとんど無人。
文化祭ではなく困り、発掘展見せpão食はせてのち柏井(※義弟)へゆかせ(柳田先生お越し、われの名を今井氏に問はれゐし。楳垣氏の本のこと云へば「受取らず」と!)、
「日本の祭」の映画の出来に感心し、13mの幅員の穴居のslide見てのち柏井へ着けば、和田賀代女史「夜間の中学に心当りあり」と、感謝。
ついで岡田志紀翁(※義弟岳父)に15年ぶりに話し、3女のことたしかめ、「またの日伺ふ」をいひ、史の早退を見てのち平田君の「孫呉の体験」をきき、柿剥かれて酔さまし、平田夫妻について早退。
電話して丸にゆき話せしあと、本郷学士会館へ着けば17:30にてはや着座しをり。
川久保(※悌郎)、太田(※七郎)の近くに坐り、松本(※善海)の座をのこし、、やがて来しに阿南君を呼び寄す。
和田先生古稀祝賀(88人執筆の論文集目録贈呈)と、東洋史学科設立50周年祝とをかね、原田博士(※原田淑人)、中山久四郎翁、石田幹之助、岩生成一、青山公亮、潮田富貴蔵、外山軍治、鈴木俊、日野開三郎、平中苓次、仁井田陞、三上次男(わが名を出せし)の祝辞のあと、榎一雄君(台湾の会議より帰りし)ながながと話せし。
21:00散会。原田、和田先生に外套きせかけ参らせし。河原正博に「その中、会はん」といひ、太田、川久保、松本と4人にて喫茶(佐中壮氏の名をとはれて困りし)。地下鉄にて新宿、川久保「鎌田は松田氏の斡旋にて新博士」と。
これにて終りとなり帰宅。佐藤正樹といふ青年より「都合しらせ」と。

11月7日
9:00登校(よべ3:00まで眠れず)。中国文学史の時間、和田、佐藤両先生の話し、授業料値上と一流教授でないとの学内新聞への憤慨ぶちまけ、石渡生に父君へと『蕪村・一茶』托し、池田勉氏に富永牧太・楳垣実2氏への寄贈たのみ、高橋邦太郎氏と「近々松田家へ同行せん」ときき、
出て梅ヶ丘までゆき、日記帖忘れしに気づき、引返してとり、短大2A金子栄子生?と同車。
2Bの2人と4人にて風月堂にてしるこ食ひて(わが短大での評判よく、理由はコケティッシュと!?)別れ、松崎医院。
「金欠病」ではなく中年の病気と。Dr.にHumourわからず。
けふ栗山部長と話し、学科のことsmoothにはこびし。

11月8日
8:00覚めて朝食し、また眠りて11:00おこされ、そのまま登校(鞄ももたず風呂敷にて)。
松村、高田2氏に『果樹園』わたし、東洋文化史をやる。われの機嫌よきか否を学生に問へば「悪し」と。よき理由いひ、早めにやめて短大の成績呈出。
山田俊雄氏に天理の書目と『漢語史稿 上』貸し、大藤、池辺の2氏と連絡すませしあと教授会。
劈頭「私事ですが」と断り栗山部長、愛嬢の死の際の弔問を謝さる。おどろきて散会後くやみいひ、250を文化史より各々出せしといふに、今井氏に返却のこと田島生に托し、怨みに思ひし也。
時間早けれど出て、下北沢にて古本屋にゆき、留守居の奥さんに『わが龍之介像(220)』、荒松雄『インド(180)』、『老残遊記(100)』、『印度語会話(150)』その他、托し風呂敷包み預けて出、渋谷にてnews映画を見、まだ時間余りしゆゑ、宮益坂のとっつきにて『諺の研究(200)』買ひ、地下鉄にのり赤坂見附よりtaxiにて帝国Hotel。(※佐藤春夫先生文化勲章祝賀会)
浅野、中谷、芳賀、外村、中河与一、榊山の諸氏に挨拶。庄野英二、潤三の兄弟のそろひしをうれしく、林富士馬Dr.にきいてのち先生にお祝ひ申上げ、竹田龍児夫妻と嬢とに話し。堀口大学先生には挨拶できず。狂言に笑ひしあと、ぬけて下北沢。
古本を計算せしめれば金足らず1冊(土岐善麿!)ぬきて620に負けてもらひ、『成吉思汗は源義経ならず』たのみて帰宅。
立教大学野崎生より「帰郷して病気し、あすは出られず」と。

11月9日
また4:00すぎまで眠れず。ただし心気不快にてもなし。田中マサ子より「美千子いまだ休園」と。
木村三千子、田中マサ子に返事。守屋美都雄君に「荊楚歳時記を大藤、今井、池田3氏ならびに柳田文庫へ送り賜へ」と手紙。
昼寐できず、松崎医院へとゆく途、三鷹書店にて『女王閔妃(150)』、『蘭印諸島(40)』、『支那の家族と村容の特質(50)』、『ドイツ青春の歌(40)』買えへば、妻君250にまけて呉れし。
立教大学へbusにてゆけば5分遅刻、教授会とて菅部長に会ひ、荷物もちて教室へゆき3生相手に40分講義し、早慶戦見かたがた紅茶のめば引分けとなりし。
それよりまた古本屋。『川柳江戸姿(80)』、『中央アジア探険記(50)』買ひてbus、荒井薬師で下車。また『信濃伝説集(130)』買ひ、突当りで『年表(20)』買ひて中野駅まで歩きて帰宅。
けふ民主党のKenedy大統領に当選。

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11月10日
朝食後、また眠り、10:00起きて下北沢。羊羹(750)と紅茶(220)買ひ、栗山氏にゆき霊前に供へ、夫妻と喪子のこといふ。「長女にして病臥永かりし」と。
出て成城大学。高橋度(※高橋渡)君より礼状。組合より15,000借り、論文の勉強しゐし浅賀、四條2生とすし食ひ(青山定雄氏、全家留守らしかりし)、浅賀生にききしにより荻窪の古本市にゆかんと思ひ、下北沢下車。
散髪し(170)、大地堂に寄り『敦煌壁画選11枚(150)』買ひ、高井戸よりbusにて荻窪。
古本市に和堂の爺さんをりし。『東北の民俗(50)』、『日本に於ける性神の史的研究(350)』、『台湾土俗誌(200)』、『蕃郷風物誌(200)』、『セレベス民族誌(180)』にて一包みとし、また『満洲の民芸(50)』、『亜細亜言語集(100)』買ひ、駅前にて『日英アラブ会話(1400)』買ひて吉祥寺。
busにて郵便局前下車。たづねたづねして宮崎智慧女史訪ひ、紅茶と『敦煌舞天』1枚とをおきて春名一満の紹介たのむ。
古田房子より「鍋島生★にききしとて残念。15日より在京。浜谷を訪ふ」とハガキ。(★会場へゆく途あひて会釈せし美人、5回服飾なりし。なほ来りて話さざりしは平井昌子と青木(城戸)慶子ならん)。
(けふ小高根氏に「自叙伝かかせよ」といひ同人費2千円と高橋君に手紙かきし)。

1月11日
10:00出て(よべ睡眠不足)、西永福より矢野昌彦の会社に電話すれば「未出社」と。仕方なく渋谷に電話してゆくといひ、11:00ゆきて大にも会ひ、鍛治初江のこといへば「会って見ん」と。
写真もらひて出、聖心女子大学。
2classとも概ね「はなし」にてすまし(本多生、感激してトルコ史やるといふ)、渋谷より神田。山本書店にゆき、『元劇俗語方言例釈(190)』、『突厥人和突厥汗国(80)』、『大唐伝戴(30)』、『雲谿友議(50)』、『教坊記(40)』、『南唐二主詞校訂(90)』、『長安客話(120)』にて600払ひ、向達の『唐代長安與西域文明』たずねしに「なし」と。
極東書店にもなく、大安にもなく、大安にては『東京夢華録(340)』、『火薬的発明和西伝(60)』と買ひ、山の上Hotelに「伊藤博士(※伊藤賀祐)来泊するや」ときけば「せず」と。
丸にゆかんと思ひしも、やめて吉祥寺。駅前より電話して「伊藤より連絡ありしや」をきけば「無し」と。
帰宅して太田陽子夫人、筒井信義、羽田明の諸氏よりのハガキ見、上原和君の「11月10日の締切におくれし」との速達とを見る。
松本悦治君より「伊東静雄論」ののりし『日本文学9』。

11月12日
吉田栄次郎、羽田明2氏へハガキ。10:00出て下北沢より矢野昌彦に電話すれば「来てよし」と。
大塚駅すぐ近くにありし永田精機といふへはじめてゆき、(※10月15日の)佐々木恒清先生の卒年にて賭に勝ちし1千円貰ひ、駅前にて昼食・喫茶し、林Dr.に電話すれば「17:00ごろまたかけよ」と夫人。
『年中行事むかしむかし(120)』といふを大塚仲町で買ひ、池袋まで都電。古本屋見てまはりしのち、立教大学の史学会へゆけば久保生すみ、 三原氏といふが「匈奴の祖先」をやらいふのを了りかけてゐし。
そのあと西洋史きくふりして手紙かき、夜の晩餐会に出る。
高橋幸八郎(けふ講演にStokholmでの史学会の報告す。はなはだ公式的なり)教授は昭和10年出(清水博科長もまた)と知る。
わが「東洋史専攻へ女学生を」といふPRに反響ありし。遠矢氏(開成高校)の史学会批判に同感。のちほどそれを云ふ。
林Dr.に18:00電話して栗山氏の不幸なぐさめんといひ、久保生と大久保力(駒込学園)氏と喫茶して酔さましてのち、新宿より丸に電話し、busにてゆき、畠山氏の写真見せ、重俊に『年中行事』与へ、傘かりて出、駅前にて『日本の誕生(120)』買ひてのち、「赤ちゃん」にゆけば満員。High-ball 1杯のみて出て帰宅。
西村(渡辺)三七子より手紙。河野弘子より「古田、井上2生と16日ごろ家に来よ」と。(けふ和田節子夫人に電話して「14日(月)19:00来訪」と約せし)。

11月13日(日)
ゆっくり寝てゐれば11:30。坂根生来り「山崎豊子氏へ紹介を」といふ。「長沖先生にたのめ」といひ、大阪の話し「青木弥与子また実家へ帰りし」ときく。鍛治君のこと(※弟との縁談)いへば賛成と。
19日(土)の舞芸座の切符おき、渡辺三七子への手紙と、寺本夫人訪問の斡旋引受けてゆく。(22日18:00池袋のしるこやにて待合せの予定)。
夜、バルカノンへ「秋の湖」のこと200×7かき、美堂正義君に送ることとす。

11月14日
晴。西宮一民君より「日本生命また1人採用しくれし。長沖先生のとりし写真にては笑ひゐる」と。西宮、松本一秀2氏へハガキ。
15:30出て松崎医院へゆく途、中野書店みつけ『Stanford Atlas(Asiatic Archipelago)(80)』買ひ、『うた日記(800)』問へば出し来り、止むなく買ふ。
渋谷へゆき吊書、母ごたごたいひしを父にかかせ、大、出てゆきしあと、すし食ひて出、(浜谷弘子に電話して「古田生、井上生との会、承知した」といひ、林Dr.に電話して、わがせわにて栗山氏の慰問会することとす)。
渋谷Clombin にてcookie(300)買ひ、taxiにて大橋の向ふまでゆき(70)、探し当てれば和田収一氏まだ帰らず。
(※弟の)写真と親類書わたして「鍛治君へよろしく」たのみ、帰り来し和田氏と囲碁。2番負けて帰宅。22:30。

11月15日
8:30成城大学へゆき、相良教授と9:00に304教室へゆく。前田教務課長の司会にて学科紹介。部長の挨拶ののち我、第一に「文化史courseの説明」。みな笑ひ、とりわけ相良教授笑ふ。
あと臼井、高田2教授の話うまくなし。(相良氏あとにて「貴下にHumourの特技あるとは知らざりし。南と北の放送よりよし」と)。
すみて文化史のnoteつくり、大藤教授よりも礼いはれし。
図書館より購入の本とり来り、昼食すまし、栗山部長に慰問の日取きけば「金曜以外ならよし。出張中の佐藤氏の肝入とて池袋の北京飯店にてせよ」と。
10分間にてcourseの会やり了へ、文化史にゆき、山田君江に『信濃伝説集』貸し、身体検査受け(血圧110〜70)、成城堂にて『千一夜物語5冊(500)』とりて帰宅。
長沖氏より3日の園遊会のときの写真9枚賜ひ、渡辺三七子より祝返しに靴下2足。
林Dr.より入れちがひに「佐藤氏帰らば云々」。小高根二郎君より「54号まで同人費もらった。萩原葉子氏加入した。4〜5枚なら自叙伝かいてよし」と。(定期の証明けふもらひし)。

11月16日
9:00出て渋谷より地下鉄。本郷の古本屋見て10:30かっきりに研究室。小山助手にいひて卒業生名簿(50)頒けてもらひ、上の研究室へゆけば松村君のみ。
ややして神田君来り、講師田川氏10:45来着。それまで吏文辞典の相談あり。(われ凡例をかくこととなりし)。
12:00すみて阿南君より誘はれ昼食ともにす。Sarhu戦の抜刷たまひし也。
今夕『吏文』返却に来たまへといひ、別れて木内へゆけば『朝鮮の年中行事(280)』あり、うれし。busにのれば松本善海をり、大学院の協議とて正門前で下りゆき、池袋にて時間あまり、宮崎女史訪いひしに不在。
置手紙して汁粉たべ、手塚教授に会へず、研究室にてまち、14:50ゆけば4生そろふ。
野崎生、横浜の浦島中学に話してくれといひしも、あまり積極的ではなかりし。金子生は出版社へゆくと也。眠くて30分して出、busにて中野へ出て松崎医院へよりてのち帰宅。
〒なく、19:00阿南君迎へ、昼食代の返却受ける。依子、年賀ハガキ400枚買ひ来り呉る。

11月17日
10:00成城大学へ登校。河野弘子に電話すれば「外出」と。「あとにて電話せよ」と伝言たのむ。
川本生に『朝鮮の風習』を30円にて譲ることとし、史学研究法すませる。
丸重俊また喘息の発作おきしとて休み。長沢美喜子「母のみやげ」と鱒ずし呉る。
栗山氏「佐藤氏、林Dr.と土曜17:00会することとなりし」と。
午後、短大の漢文うまくゆかず、1人採点もれありしを発見。すみて年中行事の会のため『東京夢華録』の于蘭盆の条写して置き、15:00帰宅。
ちょっと昼寝す。『訓読吏文語彙』の凡例かきし。入浴。楳垣実教授へハガキ。
けふ臼井、高桑純夫(名大教授と)氏らと語原読せしゆゑなり。
(河野弘子との電話で、あす聖心女子大学すみしあと訪ふこととす。家にも速達来ありし)。長沢美喜子のなれずし美味なりしとて礼状かく。

11月18日
悠紀子より100借りて出、下北沢より林Dr.に電話すれば、栗山氏の話しらずと。ともかくあす16:30ゆく約束して聖心女子大学。
岡田氏より「論文の大要を400字にて」といはれ、「土曜送る」といひ、海老沢氏来りしに天理の書目のキリスト教書ぬきがき見せれば「間に合はず」と。
2時間教へて出、駈足にて千歳船橋の河野家へゆけば井上律子生のみをり、17:30まで古田房子を待ち、来しに水炊きを食はさる。
2夫人とも大阪へ帰りたがり、井上夫人は2月、河野夫人は3月出産なりし。21:45の月光号にのるといふ古田生と井上夫人と3人にて20:10出て(柿多くみやげに呉る)、下北沢で別れる。
河野夫人「切手を1万枚もちゐる」と。『日本歌人』来をり、平塚敬一生より「京大の大学院へゆきたし」と。
林Dr.より入れちがひに「栗山先生は一升のまれるので佐藤氏気のりうす」と。不審なり。

11月19日
8:45成城大学(電車おくれし)。田中久夫、高田、池田の諸氏と話す。林Dr.に電話すれば「佐藤氏と連絡なし」と。「16:30ゆく」といひ、出て「すみれ」で昼食。
大蔵住宅に田中マサ子夫人を訪ぬれば「美千子、章博ともにはしかなりし」と。美千子「田中かつみ」と字書く。
出て祖師谷大蔵まで歩き『温泉案内(30)』買へばdoubleなりし。松崎医院にゆきて帰宅すれば弓子のみをり。
川勝重子より「浅田姓となりし」と。『端午考』のresumê書きて岡田純一氏に宛て、下北沢をへて大塚より林Dr.にゆけば、「往診中にて佐藤氏の連絡なし」と。
18:00まで待てば「栗山氏と30分後待つ」と。出て夕食してのちbarにゆき、佐藤氏の運転にて飯田橋。おでんやの2階にて飲み、栗山氏「池田、田中を信用す」といひ、林Dr.「伊東は田中の悪口いへば喜びし」と。
21:30われ先づ出て、あとつづかざる故、駅にてjuiceのみ新宿下車。切手を探しまはりて買ひ、速達boxに投函。小田急井之頭線にて帰宅。23:00
けふ留守に林Dr.電話たまひしと。吉井勇亡くなりしと夕刊に見ゆ。

11月20日(日)
朝食後ひるねす。依子遠足にゆく。午后、昼めしおそく食ひ、投票所(井之頭小)へゆき、共産党に投票し、最高裁判事みな×にす。考ふる所ありて也。
それより古本屋見てまはり何もなしとて竹内好までbusにてゆけば「水戸へゆきし」と。
この間の関西旅行は夫人同伴にて淡路にゆきしと。帰り途、焼き芋買ひ来る。
けふ帝塚山関係のたまりし返事かく。

11月21日
予習せずして成城大学。栗山氏に会へば礼いはる。角川の朝比奈女史に電話して「文庫できれば20冊買上げる」といふ。ついで平凡社に電話して『アジア歴史事典』のこときけば、「今月末でよし」と。
やがて東大東洋史研究室の後藤君より、『吏文語彙』の凡例について電話、末松教授の了解求よといひ、電話あるかと一時間待ち、salaryもらふ。
長沖一氏に礼状投函。下北沢で下車すれば休日なりし。松崎医院にゆき、中村へ寄りしも何もなく『千一夜物語13』買ひ来る。
けふ、ゆきがけ中西家(※大家)のマキ子嬢を夫人リヤカーにのせ来るを見て、きけば「首の骨はづれし」と。心配して帰り、問へば大したことなき様子。
山中タヅ子より「結納入った」と。太田陽子夫人より渡辺三七子夫妻の写真。井上夫人より挨拶。美堂正義氏より受取。
けふ衆議院の総選挙の結果わかり、民社は自民、社会にくはれ、1/3は社会・民社・共産(3名となる)にて保つとわかる。洋子より風邪と下痢と。

11月22日
人文書院の松本氏より「伊東全集のため、克己の己・巳いづれか」との速達。野崎正昭生より「校長先生にごあいさつさせていただきたし。23日来る」と。立教大学史学会より写真。
11:30出て下北沢にてラーメン食ふ。林Dr.へ電話かからず。12:30成城大学へすべりこみ、電話せしにまたかからず。
文化史の時間、郷右近生をのぞきて皆出席。内野生、成績もらひに来り、きけばアレルギーにて声嗄れ発熱し、「東大に入ってゐたら」といふ。浅野建夫(※友人医師)に来週つれゆかんといふ。
成城堂に本代払ひ教授会。学科志望国文19(男1)、英文57(男6)、芸術89(男30)、文化史27(男4)にて、わが熱弁の効果と栗山部長いふ。
芸術をふるひおとし文化史、国文にいれるとのことに我反対なれどきかれず。
すみて栗山部長にきけば「卒論指導を池辺氏にやらしてよし。西洋史の場合はそのため講師やとひ入れてよし」となりし。
待ちゐし3氏にその旨報告し、出て池袋。西武dept.宮崎氏のぞきしに不在。豚テキ食ひ、西口に出て電話すれば林Dr.「佐藤氏に連絡しをく」と也。「24日夕刻伺ふ」といひ、三原堂にて餡蜜くひて18:00かっきり表に来し坂根生と会ひ、土産にせんべい3袋買ひ(300)、大谷口ゆきのbusにのり、下車してわからず、うろうろしてまはりしあと向原住宅に着きながらまだわからず。
19:00かっきり寺本家に入り、坊やかはゆきを相手にす。「3月に和歌山へ帰る」と也。順吉氏帰宅し、蜜柑よばれてのち出る。
東口行のbusつかまへ、barにてhigh-ballのまんとせしも気持悪く早く出て喫茶。『千一夜物語15』買ひ(そろふ)て帰宅。23:00
古田生より武居生の住所しらせ来る。

11月23日
雨。『民間伝承』来りしのみ。13:00来訪の筈なりし織原夫妻より「来られず」の電話。
15:00野崎生来り、白鳥家の実情を訴ふ。来年、都立大学の工科へゆき、そのため夜間中学を志望すと。
夕食させて帰らしむ。「この間のわがハガキによりて白鳥夫人叱られたまひし」と。

11月24日
雨。10:00成城大学へ登校。史学研究法すませれば山田生、「昼食をともにせん」と。
全学学生大会にて短大午後休みといふに喜び、諾して出んとするところへ平塚生来り、「手塚教授にも話した」といふゆゑ「羽田教授に照会せん」といひ、参宮橋までともにゆき、松嶋正夫、武井伸子の2生とWashingtonハイツのMeigi parlourにつれゆかる。
けふはThanks-giving-dayと山田生の話なりし。甘きblunch食べさされ、自動車にて参宮橋まで出、3生と別れて池袋。
立教大学にて手当受取り、手塚教授と相談すれば「平塚生よりは話なし!野崎生は白鳥家にて9時に起きる」と。
不快にて出て丸物にてみやげ買ひ(240)、林Dr.にゆけば夫人、佐藤氏に電話し、「この間の割勘は1,000」と。
beerご馳走となり、大塚へ出て駅前で鯖ずし食ひ、都電にのれば上野へ出、「おかちまち」より国鉄にのり、高円寺下車。
都丸にて『異民族征服(30)』、『西南アジア文化(150)』、『摩尼教(80)』買ひ、赤川夫人の店(※「赤ちゃん」)にてhigh-ball2杯のみて帰宅。
(大塚の古本屋にて武田泰淳『司馬遷(40)』見付けし)。

11月25日
雨。朝、速達にて「浅野晃氏よりきき保田與重郎のこと知りたく土曜10:15成城大学へ電話す」と塚本康彦氏より。
12:00出て(中島悦子より「12月10日すぎ藤井寺の医師と結婚」と)、聖心女子大学。
2時間すませ新間教授?とともに出る。渋谷にて別れ東大佐藤君に遭ひ、神田へゆくをやめ、宮益坂登り結局中村書店にて岡崎義恵『鴎外と諦念(150)』といふを買ひ、
juiceのみnews映画見て(皇太子夫妻Iranにて歓迎と知りうれしかりし)、三鷹松崎医院に寄って帰宅。

11月26日
晴。8:40成城大学へ登校。漢文『李将軍列伝』をやる。守屋美都雄君より『荊楚歳時記』4冊来あり。池田勉氏「蓮田善明碑」の報告わたす。
その前、10:15かっきりに塚本康彦(東大大学院)氏より電話かかりし。蓮田善明碑にも醵出、『文芸文化』『日本の橋』など書くといふに、『木曽冠者』コギトの12年10月号にのりしと教ふ。
出て下北沢にてrice-curry食ひ(60)、渋谷より神田。
山本書店にて『従斉民要術看中国古代的農業科学知識(150)』、『唐太宗(50)』、『中国小説史初稿(200)』、『旧中国小説集(50)』買ひ、近隣にて『義経伝(150)』見付けしを手はじめに(成城堂にてQue-sais-je文庫の『現代の中国』、『インド教』、『古代エジプト』3冊つけにて買ひし)、宇野哲人『支那文明記(50)』、『新しき年中行事(100)』、『五節句の話(200)』など買ひ、古本市にゆき『朝鮮歳時記(200)』。
しるこ食ひてのち『千一夜物語8』買ひしを最後に帰宅。
悠紀子、渋谷(※実家)へ3千円もちゆけば母「(※大氏への縁談すすめ中の)鍛治君離婚の理由ききたし」といひしと。
春名一満より「家庭教師世話せよ」と。楳垣実教授より『民俗』3冊。齋藤はるみ生より「Des Livres」久保靖彦生来り「勉強に専心せん」と置手紙せしと。
白鳥へ電話し、野崎生に「あす9:20三鷹駅北口へ来よ」といひ、春名一満に家庭教師世話せぬ理由3条を書き、入浴せしところへ織原夫妻来訪。「明後日市川へ転居」と。

11月27日(日)
晴。寒し。悠紀子、日直とて出てゆく。われ9:00出んとせしところへ平田聡子より電話「10:00来てくれ」と也。
春名一満への手紙投函し、三鷹駅北口へゆけば野崎正昭生まちをり、biscuits1袋買ひ、北口の中村書店へゆき、『風俗画報2冊(100)』買ひして10:05平田家へゆけば水原秋桜子にゆきし和田賀代女史帰らず。平田氏と話し、「丸才司検事は父君の下僚」ときく。
10:45 和田女史帰来、高校に紹介せんとなり。出て駅前で別れ、我は松崎医院で粉薬もらひしのち、浅野建夫に電話して、着けば家より電話「和田氏来訪」と。「すぐ帰る」といひ、内野生の病状はなし、来診たのめば夫人すしを賜ふ。
この間つれ立ちて沖縄へ3日間ゆきしと。帰り三鷹駅よりtaxi(80)。
和田夫人の話にては「鍛治嬢もっと気楽なところを」と(※縁談)断り来しと。落胆し、またすし食べてもらひ、14:00悠紀子をして送らしむ。
けふ楳垣教授より「『伝承文化』ありがたく受手」と。河野弘子より挨拶。立教大学より「来年度の講義内容を12月17日までに」と。

11月28日
曇。ゆふべは悲観して下調べせず眠りしも、めざめて「カヂ嬢尤もなり」と思ふ。
9:30成城大学へゆき中国の小説につきnoteかき、講義。
すみて「すみれ」でcurrieDrice食ひ、郷右近生の登校せるに会ふ。年中行事会のため『荊楚歳時記』と『東京夢華録』とより抜書し、 鍛治初江嬢に「尤もなり」の手紙かき(八木よし子嬢に「一満君だめ」と来信同封)、
下北沢にて投函せんとゆけば、駅にて矢沢利彦教授に会ふ。6年在隊と。恰も『東西文化交渉史』をもちをりし。
下北沢にて『東大寺(30)』、『法隆寺(30)』、『山の辺の道(30)』、『春日社興福寺(30)』、『初瀬多武峯(30)』、『伏見桃山(40)』、『嵯峨野の表情(30)』買ひ、また『成吉思汗は源義経ならず』を探しにゆき、『李太白(70)』買ひて帰宅。
『Non-fiction全集9』を挿みあり。悠紀子、織原氏にゆきて帰りをらず。夜、『果樹園』に「半自叙伝の序」かく。

11月29日
昨日につづき寒し。齋藤はるみ、寺本和子2生へハガキ。
11:00大江叔母より「心配してゐる」とハガキ。野崎正昭生より礼状。塚本康彦氏より「電話の感じよかりし」と。
すぐ出て小高根二郎君へ速達し、成城大学へ中村屋のpaôもちゆき、東洋文化史また40分でやめ(藤井祐介より「不眠にて欠席」と電話。
上原和君『成城文芸』の原稿できぬと断り)、また出て炒飯くひ、15:30より学科の会。
すみて17:45まで待ちて「年中行事の会」。于蘭盆の話すみて帰宅。21:30。夕食す。満蒙史料の下よみのこる。

11月30日
9:00家を出、お茶の水をへて東京大学。10:00まへ三上教授来るをまち、我よむ。
すみていつもの通りrice-curry食ひ、busにて池袋。宮崎智慧氏に礼いひ、立教大学へゆき手塚教授に再来年の講師は考慮されよといふ。
一般教養の東洋史に石橋秀雄氏来ることとなりし由。
いつもの如く40分ほどやり、手塚生に「手塚教授に京大大学院の了解していただけ」と訓し、久保生に「一応考慮せよ」といひて出、地下鉄にて虎ノ門。
三水会に出、了りて新宿まで田村氏の自動車に齋藤晌氏と同車して帰る。
角川書店より「『現代詩人全集8』7,000部12月初旬に出版」と。『薔薇』に書けと村上新太郎氏。
けふ佐藤助教授酔ひて多弁、変なりし。

12月1日
登校9:40。八木よし子氏より「添削せよ」と童話来ありし。史学研究法に『吾妻鏡』の義経高館ならびに腰越やりて旨く出来し。
すみてすしやへゆき、ちらし食ひ(150)、帰りて添削。短大の漢文に杜詩3首、これも旨く出来、今井富士雄氏の嬢の顔おぼえし。
すませて大江叔母へ「元気」との手紙かき、『史記李将軍伝』の下調べして出、(内野生、元気になりしとて来り、うれし)、この間見つけし小矢部全一郎『成吉思汗は源義経也 続(280)』買ひにゆき、手前にて『東亜香料史(350)』、『史的素描(100)』買へば『飛鳥めぐり(30)』をまけてくれし。
それより南口にゆきて『大越史記全書』10冊(300)買ひて松崎医院をへて帰宅。
三浦久子氏より『平田春一歌集』とどけかたがた4日あたり来訪と。この間、林Dr.より噂ききをり。
『果樹園』来る。和田節子、林富士馬2氏へ礼状かく。

12月2日
浅野建夫Dr.へ礼状。渡辺三七子の結婚写真を藤本宗治氏より。「社長・専務も列席」と。三七子きれいに写りをり。
11:30出て(出がけ悠紀子「依子3月退職を父にいへといひし」と)、聖心女子大学へゆく途中、cocoaのみてゆき、新津氏(東洋大学にをりしと)71才ときく。すませて渋谷。鍛治初江氏の意向伝ふ。
すみてBaedeker『Italien(50)』、『建國大學研究院研究期報2(200)』買ふ。高橋匡四郎の論文のりをるが為なり。
寺本和代より挨拶状。20:00吉森夫人より電話「あす16:00来よ」と。諾す。

12月3日
8:45成城大学へ登校。田中久夫氏すでに来ありしゆゑ「放課後小高根家訪問」を約す。
12:00出て経堂にてラーメンともに食ひ、小高根家へゆけば陶碗だいぶ造れあり。(※小高根家太郎)『富岡鉄斎』出来しを2人に賜ふ。
14:00出て三軒茶屋の三茶書房。『新小説鴎外追悼号(350)』、『戦陣訓詳解(10)』買ひ、田中氏の先づ去りしあと三宿まで歩き、 『陸奥宗光伝(50)』また買ひて(以前買ひしは加藤定雄に与へし也)、玉川線にのり、渋谷−品川−大井町。
駅前より車庫行のbusにのり幼稚園と問ひしゆゑわからず。先までのりすぎ引き返して吉森家。
夫妻まちをり松阪牛を饗さる。19:30夫人に停留所まで送ってもらひ帰宅。入浴。
平塚生より「京大大学院の件、手塚教授の了解を得し」と。

12月4日(日)
西野直子、和田佳子、同じく日立の光仁apartに住むといふ故、西野生にハガキ。
『不二』来りしのみ。午后、雨降り、寝たままにて悠紀子、依子を買物に出せしに、16:00すぎ、三浦久子女史、文部省勤めの東洋大学法科2部生を案内として来る。「13:00より探しまはりし」と。「大島やめ理事長に勝承夫なり。日立よりの融資まちをり」と。
夕食してもらひ雨中帰りゆく。羽田明、藤本宗治2氏へ手紙。畠山博光くんへ入学の書類。
(けふ東洋大学学長に佐久間鼎きまりしと新聞に見えし)。深更、高橋重臣君へ鉄斎のこと書く。

12月5日
雨小止みとなりし故、傘もたず9:40成城大学へ登校。中国文学史教へ、高井、坪井、神戸の3生に卒論のthemeきき、すぐ出て神田古書会館へゆけば「台湾地図すでに売れし」と。
武内『台湾(150)』、那珂『支那通史(90)』買ひ、明治堂にて『比律賓の民族(150)』買ひしのち、筑摩にゆき、東博君呼び、手帖もらひ、喫茶に誘ひ出し、14:00より会議といふに別る。
都電にて渋谷。三鷹の松崎医院へゆけば「Dr.風邪」と。夕方「先生」と訪ひ来しは相馬弘。浅沼講師より「文化史の人間」といはれ卒論のtheme受取られざりしと。
きけば「外国語2単位しかとりをらず」と。夕食せしめて「あす調べて話す」といひて帰せし。
けふ西村美奈子より写真。堀之内歴より『詩と道元』を書きしと。
けふ新宿で声かけしは中野清見の姪の姉娘。「叔父けふ上京」と。「会ひたし」といひて別る。
平田春一氏に悼み状(夫人2月2日に不逞の夫をおきて逝去と也)。

12月6日
10:00出て成城大学。「朝鮮の文化」のnote作り、昼食して今井氏たづね当て「相馬のこと、のちほど教務課長前田氏と相談せん」といひ、中野清見よりの電話きき「17:00も一度かけたまへ」といふ。
文化史すませ、前田課長つかまへてきけば「文化史にのこし、論文すみてのち必要科目了らせん」といふことになり、浅沼講師にも了解を得る。
教授会にてはbonus21割と決定と。栗山部長、学長候補となりをるらしき様子にりし。
16:30すみて今井、池辺2氏と話しをれば(相馬つひに見当らず)、中野より電話「宝ホテルへ来よ」と也。ゆきて姪の妹の方、来り「詩人と恋愛しをり」と。そのあとまた女性鈴木氏といふのが来り、chicken-rice食はされ、丸と22:00出てtaxi、中野駅にておろしてもらひて帰宅。
影山正治氏より電話あり「明朝8:00またかける」と也。

12月7日
9:00影山氏よりの電話にて目覚む。『文芸文化』還すと也。「明日9:00〜15:00に成城大学へ」といふ。
また寝んとせしもだめにて『Coxinga(※国姓爺)』調べ、昼食し、13:30出て松崎医院。手の繃帯とりかへてもらひしのみにて、立教大学へ10分遅刻してゆき、やや長くやりて「これにて今年了り」といひ、久保生にきけば「この間、私学連盟の試験受けし」と。
平塚生にきけば「手塚教授の了解はうそでなし」と。
教務へ来年度の教授内容「成吉思汗 前後」を届け、また希望日時を水曜5〜6、7〜8、金曜1〜2、3〜4と届けてのち手塚氏に会ひ、来週以後の休講をいふ。しるこ食ひてのち帰宅。
けふ角川文庫の『現代詩人全集8』2冊来る。

12月8日
9:00家を出て成城大学。史学研究法の時間に出席少し。すみて石渡生を呼びてきけば、「父は月曜午前中のみ在校」と。
「来週月曜ゆくこととしたし」といひ、ついで郷右近、渡辺2生の待つそばやへ武井、山田2生とゆき、帰れば影山正治氏待ちをられ恐縮。
菓子を賜ひ『文芸文化』の返却受け、ついで成城大学へと不二出版社の本6冊賜ふ。
礼いひて12:40早大生運転の自動車にて去るを送りて、短大すませ、手紙かきて出、駅にて富永次郎氏と遭ひ、話しつつ下北沢。Coffeeおごられ井之頭線にて三鷹まで同車。松崎医院へ寄りて帰宅。
山田生より「夫君帰来のため休む」と届けあり!?「庄野潤三氏の出版記念会を12日(月)18:00椿山荘で」と。「出席」と答ふ。
角川より文庫20冊着。美堂正義、林富士馬、佐藤和雄、木村三千子の4氏にと包む。

12月9日
11:30出て聖心女子大学。「端午考」の要約の英訳を見ささる。
青山氏をり、田中保隆氏に角川文庫1冊贈る。田辺教授(哲学)に相良教授の伝言す。
出て恰度来合せしtaxiにのりて青山車庫へ出、不二歌道会にゆき、鈴木氏に会ひて誌代1千円渡し、『大賀知周歌集』1冊頒布受く(350)。影山氏出て来られ、「保田君白内障」と。
出て古本屋見しあと、炒飯くひ(130!)、散髪し(130)、地下鉄赤坂見附下車。都市centerといふにゆきchorusきく。上手なり。
20:00になりて出、taxiにて四谷見附へ出、国鉄にて帰る。
帝塚山短大の同窓会の写真来る((※旧住所)中込アパート付)。

12月10日
昨夜3:00すぎまで寝られざりしも元気で成城大学。田中久夫氏に会ひ、角川文庫を呈し、漢文やる。20名余なり。
すみて郵便局へゆき見れば速達混みをり。引返して手紙かき高田瑞穂。上原和の2氏に角川文庫を呈し、相良、上原2氏と5月の修学旅行の件をいひ、田中久夫氏を待たしをれば、石渡生「父、12日は忙しく19日にせよ」といひに来る。
12:00となり、「bonus出し」と電話あり、大宮氏に次いでとりにゆく。59,210+24,000(研究費と)−9,470=73,740なり。
山田君江生「家へ昼食に来よ」といひしもことはり、本間、郷右近、西沢、渡辺などの女性と会ひつつ駅へゆき、下北沢下車。
ラーメン食ひ、南へ出てわれは『新生中国の顔(20)』買ひ、北へ出て『三国志演義(150)』、『国語の書き表わし方(10)』買ひてのち、気がつき田中氏を家に誘へば「行きてよし」と。
悠紀子にbonus渡してのち荻窪の古本市へ送りかたがた出て、『大日本分県地図(100)』、『内藤湖南先生追悼録(50)』、『Guide through Netherland India(150)』、『趣味の植物誌(80)』包ませしあと、芦田伊人氏の遺本を田中氏に教はり、その手写にて
『松岡は5万石昌勝公の城下町也。我が蘆田家の先祖、初めてここに召し出され其の屋敷この図に明なり。子孫永く保存すべし 昭和26年12月諏訪寓居にて 伊人識』
とある袋入の地図2枚買ひ(300)、駅前にてrice-curry食ひて別る。
杉並郵便局へ速達出しにゆき、駅前にて『白話本国史3,4(40)』買ひて帰宅。
けふ大江叔母より7日出しの速達。「警察病院の人間dockに入り、10日までゐる間に歯科小野博士の世話(※入歯作製)になる、よろしくたのむ」とのことなり。けふは10日なり。

12月11日(日)
松崎医院へゆくつもりなりしも出来ず。高尾書店の目録来り、田中萬兵衞『淡路方言研究(600)』昭和9年刊といふがあり。
大江叔母にハガキ。小野文彦医博に手紙かき、武蔵野郵便局へ速達しにゆき、帰り平田家へ寄りてみる。阿南惟敬氏来り、『満和辞典』返却を受け、bayara(※護軍)はniru(※兵士300人)の外なるや否を論じてみよと宣ふ。
麓教授(※麓保孝)より高校の転校につき伝言あり。「不能」と答ふ。
高橋重臣、武田豊の2友に角川文庫包む。(『南方読本(20)』買ふ)。

p14

12月12日
登校。中国文学史やり「来週は切る」といふ。昼食そとへ食ひにゆき(栗山、池田2氏に角川文庫贈呈、本棚のこと篠原部長にいへと也)。用もなくゐる中、雨降り出せしゆゑ、吉祥寺まで帰り、電話して悠紀子に傘もち来らしむ。
汁粉屋へゆきしあと三鷹。松崎医院にゆき、出て中村にて『郷土の伝説(50)』、『ソ連・中国の印象(50)』買ひしのち渋谷をへて目白。雨中busを待ちしあとtaxiにて椿山荘。
(※庄野潤三『静物』出版記念会)佐藤春夫夫妻に庄野兄弟(一族数名来しと)へ挨拶し、村上菊一郎氏より挨拶受く。佐藤、井伏、河盛好蔵、十和田操、吉行の諸氏の祝辞あり。亀井勝一郎と会ってのち出て、目白まで歩き、ついで椎名町まで古本屋歩きして22:00前帰宅。
林富士馬氏より「妬みかもしれぬが出たくなし」と。「藤田亮策先生、狭心症でなくなられし」と夕刊にあり。かなし。
けふ年賀状あつらへしに「18日(土)出来て650円」と。

12月13日
11:00登校。相馬のこと教務に問へば「電報戻り来し」と。Paô食ひいろいろ話しゐる中、12:30となり、東洋文化史を教へ、来週もやるといへば藤井生は帰郷すと。
猿渡生を呼び角川文庫与ふ。「父、三越本店」と。14:30より教授会。「部長候補者を各専攻にて選定せよ」となり。
大藤、今井氏と協議し、わが出せし百瀬教授案に2氏賛成。篠原部長にいひにゆかんとすれば他出と。
池辺氏を加へて卒業論文の審査と来年度の時間とを決定。
池辺君8時間となるらしく、桜田氏を7千円以上といふことにて呼ばんとのこととなる。
ついで外出して炒飯くひ、帰りて18:00近くより重陽のこと(※年中行事の会)。吉事を反対の意味にとれるとわが案示す。
けふ藤田亮策先生のこと頭をはなれず。帰れば吉森、和田、鍛治3生より手紙そろひて来あり。
けふ平凡社の荒井女史に電話して「Dragon」ならびに「Torghut」を20日までに書くと約束す。

12月14日
9:00悠紀子と出て靴屋に寄り、1,900のboots買ふ。お茶の水をへてbusにて東大。
卒業生名簿2冊買ひ、『訓読吏文語彙』出来上がれるを見る。
田川孝三氏、藤田先生の葬儀にゆかれしとて欠席、松村君之よみすみて、在金100円余りなるに気づき、ラーメン食ひて東洋文庫。
『説郛[弱/2]69』の歳時記抄し、田中正俊氏に会ひにゆけば青山定雄氏に会ひ「聖心女子大学の時間割のことにて話あり」と。「あとにて」といひ、田中氏に頼みて『東洋学報35-3・4』頒けてみらふ。
16:10青山氏にゆけば、「金曜は東洋史にて4時間となるゆゑ日をかへよ」と。「研究してみる」といひて出、駒込より水道橋に出、波木井書店にて『民族の起源(25)』買ひ、山本へゆき『唐代の長安と洛陽』学校へと注文し、榎一雄『耶馬台国(290)』買ふ。
出て蒲池歓一氏に会ひ、誘はれて一盃。お宅にて栗羊羹買ひ(140)、都電にて四谷に出て帰宅。
田中マサ子より「美千子通園」と。硲晃、手塚2氏へ名簿包む。

12月15日
晴つづき暖かさつづく。若葉弟と下北沢より同車してゆく。史学研究法に欠席目立つ。義経の北走は正月とす。
昼食前、篠原事務局長に会ひ、百瀬教授の部長推薦いへば「67才ゆゑ」と難色。
「国文英文は栗山部長留任」を申出でし」と。「それにてもよし」といひ退く。便所でのちほど坂本短大部長に会へば訊ねられし。
短大の漢文すませ、今井氏探せしも会へず。出て下北沢で『婦人記者の大陸潜行記(100)』買ひ、しるこ食ひて三鷹松崎医院。湿疹またおこりし也。
角川より送り状。田中順二郎氏より乳製品1箱。筑摩より原稿用紙。中西家の増築ほぼ成り、夫人痛心の態なり。

12月16日
高橋重臣君より8日付にて「フルブライト不急のthemaとの理由にて准候補となり落胆」と来ありし。
悠紀子、渋谷へ出しあと11:00すぎ出て松崎医院。それより聖心女子大学へゆく。木間瀬教授「卒論を審査せよ」と。
15:00まちて助野助教授にきけば、原田先生主査の民俗学的論文の福査と。
「日本古代宗教−蛇を中心とした動物神」といふ藤井映子の論文かくて1月19日までにと預かりて出、Hot-cake食ひて帰宅。
松原(西野)尚子夫人より「岩橋(和田)夫人を同窓と知らざりし」と。
悠紀子帰り来り、「寿一(※西島寿一)のpaô屋、ひまとなり千草困りゐる」と。「父神経痛」と。
栗山部長に1千円の品お歳暮とし、5千円のほか依子よりといひて父母に物贈りしと。「大、しばらく嫁もらはず」と。

12月17日
定期券きれ、切符買って成城大学へ登校。田中久夫氏と話す。
すみて『新唐書』借出し、出て駅にて神田信夫氏に会ひ、和田先生お訪ねすといふ。
下北沢下車。砂糖6斤(1,000)買ひ、重きに苦しみながらお訪ねすれば出て来られ、各国史叢書見せらる。
一年の御恩謝して別れ告げ参らすれば、「羽田、学位論文を提出せず」と。わが党なり。
下北沢にまた出てrice-curry食へば英文2年の4女生をり、coffeeのみちょっと話して出、帰宅。
けふ悠紀子、松崎医院へお歳暮もちゆきしと。夕方、おとなふは森良雄Dr.。大の写真もち去る。年賀状の印刷出来て750なりし。

p15

12月18日(日)
寒き様にて松崎医院へゆかず(昨日ゆき子お歳暮とどけしと也)。
床にて年賀ハガキ書きはじむ。山本嘉蔵氏より「藤田亮策先生の夫人智慧子」と。不二歌道会より「深沢七郎の風流夢譚につき答へよ」と。
西村公晴氏より「『風日』へ歌を」と。ゆき子の買ひ来し鋸つかひしあと、ねてゐれば正平、龍平兄弟来り、正平16:00約束にと去りしあと21:00まで龍平と話す。タバコ買ひにと出、藤田夫人、山本氏へ弔問状かく。

12月19日
晴、寒し。中国文学史きりて床にをり。賀状かく。(※賀状リスト)
羽田君より「羽田博士史学論文集なんとかなる。大学院の入試は外国語2」と。林富士馬氏より「文庫は野長瀬よりももらひし」と。
午后、松崎医院へゆく。藤田智慧子夫人へ現金書留す(45)。

12月20日
よべより書きし「トルグート」と「托歓」とをもち、10:00出て、市ヶ谷まで国鉄。平凡社の受付にわたし、成城大学へ登校。
大山教授より「編集会に失念」とのわび聞きゐる中、相馬生入り来しゆゑ、どなりつけ、研究室にてきけば教務にてadDressまちがへしらしかりし。ひとりで考へんといふ手紙受取りし(12日出)せししもあらん。
東洋文化史14人出席。「丸、内野、姜、藤井(帰郷とことわりありし)」など要注意生みなをらず。
勉強のこといへば、高橋通子「アメリカ史やりたし」といひ出る。すみて森田順子、比企野道子2生ついて来しゆゑ、本見せゐれば(あとにて2冊もちゆくと断りあり)、栗山部長「部長再任決定、民俗学の講師の履歴書見た上で、salary決めん。2コマは多し。池辺君の特講にては時間8となり多すぎる」と也。
専攻へ原案もちかへりをいひ、今井氏にちょっと話し、机の上にtobaccoとchristmas-cardおきありし山田君江生に礼いひ、教授会。
芸術専攻の学科改正に、文化史とのつけあひを早速、栗山氏いひし。
すみて池辺、今井、大藤3氏と話し、大藤氏「桜田勝徳氏は東洋大学にも話あり、ひっこめる」と。
仕方なく教務へ報告し、またおでんやりをる考古学の室のぞき、おでん一つ食べて出、(卒論の面接1月31日9:00よりとす)、江知勝へゆく途、前田教務課長と同車。新宿より地下鉄、本郷3丁目へ出てゆく。
前田氏、成城出なること、昭和11年東大農なることはじめて知る。
20:00散会まで茫然としをり。本郷3丁目よりまた新宿。高円寺にて丸夫人に電話すれば「重俊は風邪」と。
帰りて美堂正義氏より文庫の受取。小野博士より「大任すました。ヒデ子も噂す。売口さがせ云々」。
けふ16:00ごろ坂根生来り、Tris-barに出ず、Televiやりをる云々。宮崎女史も来り、「あす学校でお会ひす云々」といひしと中西夫人の話。

12月21日
10:00野崎正昭生より「浦島中学校の植田ヨシ氏より神奈川県だめと便りありし」と。
武田豊氏より文庫の受取。大江叔母より「小野博士のいれば(※入歯)上出来」。
よべ書きし3日ゆくとの手紙を摂津生に投函かたがた松崎医院。
西荻窪より立教大学に電話すれば山田助手出て「手塚教授はもう登校なさらず。Salaryもすでに出し」と。
中野より立教にゆきsalaryもらひ、裏みちにて『東海の先史遺蹟・三河篇(50)』また『Kartinnyi slovar'russkogo iazyka(※ロシア語の絵辞書) 2冊(200)』と関敬吾『民話(70)』買ひて西武dept.。
宮崎智慧氏に来意きけば「別に用なかりし」と。図入辞典1冊贈り、角川文庫1冊わたし食堂へ誘ひて話す。「子供が智慧を早く引取れと[仏]に書きし」と。
16:00出て三水会。みなそろひ勝部君の印度・Pakistan・Crylon紀行きく。旅行呆けしるし。
すみて赤坂の中国料理「栄林」へつれゆかれ御馳走となり、22:30帰宅。
立教より電報「講義内容スグタノム」と! 正平来りて「明日来られず」をいひしを、悠紀子すすめてタバコやりしと。入浴。、

12月22日
佐藤和雄氏に送りし文庫返送。10:30正平来り、この間九州へ「トロッキーズムとレーニズム」の講演にゆきし。大学へ残れといはると。意外なり。大江叔母への手紙ことづけ、13:30出て立教大学。
(手塚氏より「名簿受取った。野崎生たのむ」のハガキ入れちがひに来し)。教務に電報見せてなじれば学部・大学院に分れての手違ひなりし。(高橋幸八郎氏と見まちがへられし)。
それより成城大学へゆく途、山田信江のpartyにゆく中沢晴代生と一緒となる。
[基]金とり『唐代の長安と洛陽』3冊来をりしと杉浦正一郎『芭蕉』とをとり、「12月末にて退職、来春中馬君と結婚」といふ黒柳直子の挨拶受けて、男司書補3人と出て成城書店に払ひすまし、喫茶おごる。
ついで渋谷へ出れば山荘生まちをり、和田収一氏来るやもしれずといふにbiscuits買ひて待ちしあと、雨の中をゆけば在宅。
碁2番して4目どまりとなる。西荻窪の叔父宅にをりといふ山荘生に『芭蕉』貸して帰宅。23:00。
栗山氏より「香典返しを寄附」と挨拶状。

p16

12月23日
晴。橋本俊子女史より「木村姓となりし」と。平凡社より受取。
午后a-5(※賀状リスト)の賀状もって八丁郵便局へ投函、松崎医院へゆく。
帰り『平泉志(50)』、岩波文庫『一外交官の見たる明治維新』と買って帰宅。
小高根二郎君より「『果樹園』の忘年会した。会する者、福地、池沢、堀之内の3人のみ。貴稿声援の気息がだいぶありました。60号には6枚寄せよ云々」。
けふ丸より鮭の味噌漬。本多慈子生より葡萄酒2本。影山氏のいひつけと餅を不二農場より届けらる。

12月24日
暁方、洋子とのよきmed.出来しをゆめみて覚めし。賀状183枚にて了る。後藤均平、手塚隆義2氏へハガキ。
小野文彦博士へ礼状。小野ヒデ子、山田信江2生へ文庫。
京つれて三鷹。『Vocabularia erotica et amoris (130)』、『六昆王山田長政(20)』買ひ、松崎医院。
三鷹事件と共産党の冷酷ときき、出て『Satow 下』を買ひ、『アラジンと不思議なランプ(70)』買ひ(Burton版ArabianNightsそろふ)して帰宅。
夜、人文書院「(※伊東静雄全集)月報に伊東につき好随筆を」と速達。

12月25日(日)
寒し。史出勤。村上新太郎(※詩寄稿要請)、人文書院へ断りのハガキ。家居。〒なし。

12月26日
不二歌道会より礼状。藤田智慧夫人より弔問の礼。11月3日同窓会で会ひし山田夫人(早川麗子)よりハガキ。
松嶋正夫生よりChristmas-card。山田麗子、西村美那子2夫人へハガキ。
「唐代政治史」書かんとして困る。(※他の執筆者に)栗原益男「貴族政治から官人支配へ(※「貴族政治から文臣官僚体制へ」)」といふがあり。
『アジア歴史事典5』来る。花井彩よりCristmas-card。『不二153』。

12月27日
きのふにつづき快晴。『果樹園』へ「半自叙伝序(続)」6×200書く。野崎正昭生へハガキ。
本田茂光氏より「母の忌中」と。午后、松崎医院へゆき、荻窪まで出て筑摩書房へ電話すれば井上氏不在。
古本屋見て廻り『古代印度の文化(30)』、『北京の市民(30)』、『情郷禅(30)』、『濠洲の自然と社会(30)』買ひて帰れば、千草来をり、井上氏より電話ありしといふに、かけ返せば「栗原氏の原稿見てのち2,3日中に来る」と。
荒木利夫君より依田氏母堂の喪を印刷して来る!
昨日和辻哲郎博士逝去と。佐藤竹介の伯父也。

12月28日
花井彩、松嶋正夫へCristmas-cardの礼! 丸夫人へ礼。春名一満君より奈良漬1箱。家居終日。memento-mori!

12月29日
畠山博光よりの礼状。半田ゆり子、京都よりCristmas-card。午后、松崎医院へゆく。

12月30日
寒し。午前中、手塚教授より返事。平塚生より同。午后、硲氏より礼状。阿南惟敬氏、蜜柑一箱もちて賜ふ。『唐書地理志』鈔す。

12月31日
晴。11:30松崎医院へゆく。富士見えたり。4日朝まで休みとて、薬多くもらふ。Dr.「散髪せず帰郷」と。
われも之に倣ひてbarbarにゆかぬこととす。平凡社より2月末に8項目のこといひ来る。昨日より中西家に出入り多く、裏口の扉つけ、屋根の修繕すむ。


付記:プライバシーに配慮して人物の名前を一部省略して記してゐます。原文pdfは現在非公開です。


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