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田中克己日記 1956


【昭和31年】

『果樹園』発刊の辞 (創刊号:昭和31年1月20日 果樹園発行所刊)

 われらは永い喪乱の時代を、生きぬいて来た。しかり、生きるだけは生きて来た。この間に斃れた友たちの詩魂が、南溟や北土から呼びかけもしたが、われらは詩とはなれた生き方をして来た。
 われらの愛する国土が荒れたのだ、荒地に詩は生れるか。文学は育つか。われらは否とこたへ、それを実証するかの如く、多くの非詩、非文学が出版ジャーナリズムにのつて市場に氾濫した。われらは頑くなであり、愚かであつた、これらの荒地はみづからが拓くべきであつたのだ。
 この間おのづからと、春の水のごとく融り通つて来たものがある。それは友情だ。期待もそこから湧いた。すでにわれらの国は耕やされ、培はれたのである。種子を蒔くのは誰か。われらは種子である。培ひびとではない。照りかける太陽でもない。それらの恵みのあるところ、われらは発芽し、花ひらき果実をつけるであらう。

 われらは出来うるかぎり、うましい果実をつけたいと冀ふ。これは野望であるかもしれぬ。味はふのは他のひとだからである。しかし右を見、左を見て喜ばれようとする媚びはもたない。われらが先づ恃むは同志のおのづからなる共感と共鳴とである。この共感共鳴がしだいにひとびとにひろまるときをわれらは期待してゐる。

編輯後記

 「四季」「コギト」ともに廃刊を命じられたあと十年たつた。「コギト」はこの命令のあとも内緒で八頁のパンフレツト型で四号出した。それが忘れられないので三、四号この形で出す。 せいぜい愛してよんでやつていただきたい。投稿は歓迎する。読者であると否とを問はない。同人に参加したいといふ方には別に規定がある。問合せられたい。(T)



 前年の解説にも書きましたが、小高根二郎氏と共同で編集することとなった同人誌『果樹園』は、「発刊の辞」でうたってゐるやうに、戦後出版ジャーナリズムによる伝統否定の風潮に対して、抗議を広く世に示すことに刊行の意義を置き、簡素な表紙・3段組・8ページといふ、まるで業界 専門誌のやうな節約した形姿を以て出発しました。

 「編輯後記」では『コギト』末期の仕様に倣ったものだ、なんて虚勢を張ってゐますが、連載コンテンツとして亡き伊東静雄の書簡と日記があらかじめ用意されてゐましたから、紹介に賭ける小高根二郎の意気込みはもちろん、とにかく同人誌にありがちな「3号雑誌」で終るつもりのない決意で創刊されたことだけは確かです。
 
 ただその決意が、当初参加表明した遠方の人達にどのやうに映り、伝はったものでしょう。作品が3段組で載せられるのは、発表機関も少なかった時代とはいへ、書き手にとって不本意であったには違ひありません。創刊後しばらくの誌面を見て、中村地平や小島信夫や伊藤桂一といった人たちは去り、西垣脩も“戦犯”浅野晃の参加が腑に落ちず、参加に逡巡してゐます。

 (雑誌上に同人名簿は発表してゐませんが、この年、同人費を払ったと日記に記されてゐるのは以下の人々。 田中克己、小高根二郎、福地邦樹、浅野晃、小山正孝、西垣脩、森亮、池沢茂、岩崎昭弥、斎田昭吉、高橋重臣、山根忠雄、山田新之輔、上村肇、服部三樹子、芳野清、森房子、石口敏郎、伊藤桂一:1号のみ、小島信一:2号のみ、山岸外史:5号のみ、林富士馬:客分希望)

 詩欄を枠で囲み文章欄と区別し、時には2段組で詩の特集号をやったりもし、詩人たちの雑誌として工夫はするのですが、詩誌として後進を発掘する『四季』のやうな同人サロンの雰囲気を、述志タイプの詩人が醸成することは難しかったやうです。雑誌の性格は、やはり小高根氏の伊東静雄伝記資料の連載をはじめとする「史実を思ひとともに正しく伝へたい」といふ、専ら戦争に青春を塗りつぶされた詩人たちによるオアシスの形をとってゆくことになります。それを直截に伝へたのは小高根二郎の連載のほか、田中克己による自伝エッセイや、 芳野清が亡き詩友大垣国司を紹介した「月に招かれた男」など、主に戦中戦後の思ひ出に題を採った文章の数々であり、散文がこの冊子における読み物となってゐたやうに思ひます。

 惜しいと思はれるのは、大垣国司や薬師寺衛など田中克己の弟子とも呼べる夭折した詩人たちの詩稿が失はれ、せっかくの主宰雑誌から満足な遺稿デビューをさせてあげられなかったことでしょう。大垣国司については芳野氏により悲劇的生涯の素描が捧げられましたが、戦歿詩人の薬師寺衛については、ノートが林富士馬のもとで烏有に帰したことが判明、詩人の母堂に対し申し訳ばかりの詩抄が組まれたのみにて熄(や)んでゐます。
 作品の発表場所としての『果樹園』が、詩の実作においては同時代性を重視し、過去の詩人の発掘や顕彰に澆(うす)いところが感じられるのは、文学資料や当時の証言が日々消失してゆく今日からみると残念にも思はれるのですが、戦争がまだまだ身近でありすぎた当時、(伊東静雄は別格として)それを事業として行ふゆとりがなく、同人費でまかなはれる運営ゆゑに致し方ないことだったのかもしれません。

 ただ、敗戦を経て詩人として面目を一新した浅野晃が、ここを基点に気を吐き、数々の詩集を果樹園発行所から刊行するに至ったことは、詩精神を標榜するこの雑誌に花を添へ、戦後現代詩史の流れにも一矢報ゐる痛快事となったやうに思ひます。浅野氏はまた、むかしの日本浪曼派同人の面々を『果樹園』に勧誘すべしと、雑誌の活性化にも積極的だったことが日記から窺はれます。芳賀檀、林房雄、蔵原伸二郎、神保光太郎といふ、田中克己や小高根二郎からすると一世代上の、浅野氏と同年輩にあたる協力者への呼びかけは、しかし刊行者二人にとって有難迷惑の要望だったかもしれません。 といふのも、自分たちより年長者に声をかけるとなれば同人費を払ってまで参加してくれるのかどうか瀬踏みをする必要もあり、山岸外史のやうに頼みもしないのに突然お金と共に掲載を申し出る奇特な先輩も居たには居たわけですけれど(笑)、西垣脩が感じた反動派集結の惧れはそれとして、案外そんな下世話な問題がネックとなったのではなかったでしょうか。浅野氏の想ひ描いた『祖国』なきあとの旧『日本浪曼派』同人の鳩合は、結局ここ『果樹園』ではなされず、別に興された『バルカノン(1956-1977)』で回顧され1-10号の残部を製本したもの、 のちに保田與重郎本人を迎へる『浪曼(1972-1975)浪曼発行』『浪曼派(1979-1982)出雲書店発行』といった文芸雑誌が創刊されるのを俟って達成されたのではなかったかと思ひます。

 一方同じく発表の場として『四季』を失った小山正孝が、兄弟誌だった『山の樹』の復刊を西垣脩らと画策しつつ、関西における伝統抒情詩の牙城としてこの『果樹園』を認知し、参加してくれたことも、政治色を払拭したい刊行者の思惑を大いに援けてくれたのではないでしょうか。西垣脩も先師伊東静雄を顕彰する小高根氏の連載に実際に触れ、大阪に帰って直接田中克己と会って話すことで参加への不安は払拭され、杞憂に終ったのでした。

 さうして新しく詩を書き始めた同人のなかには、たとへば岩崎昭弥のやうに、南方のインパール戦線で喪った肉親の無念を詩に憑依させて書き綴ってゆくといふスタイルの詩人も現れたのでした。岩崎氏は田中克己がかつて彦根にあった当時に識った近江詩人会の後進です。保田與重郎の心酔者であると同時に労働運動にも係り、のちには社会党の代議士となったといふ経歴の持主ですが、岐阜へ転居して以降も、敬愛する田中克己が持つべき歌集や詩集について度々刊行を慫慂し、資金面を含め心を砕き、手紙で詩人を口説いてゐます。この年には山川京子が創刊した『桃』にも歌人として参加してゐますが、同じく戦争で夫を亡くした山川氏とは、心に通底する悲しみと憤りを同じくしてゐたものと思はれます。

 『果樹園』編集の要(かなめ)にあった田中克己自身は、しかし遠方から意見や援助を申し出る岩崎氏よりも、もっと気安く何でも依頼できた若者、伊東静雄の最晩年の弟子であり、当時大阪大学の4回生であった福地邦樹氏を可愛がるとともに、公私に亘る助手として恃んでゐたやうです。
 近所に住んでゐるのをよいことに、足肉刺で通院する際には自転車の荷台に乗せて運ばせるなど、編集以外にもいいやうに使ってゐますが(笑)、高校生となった長女をはじめとする三姉妹で賑やかな田中家に顔を出し、毎晩遅くまで編集から発送に至るまでの雑務に勤しんでゐた福地氏自身、この『果樹園』一年目の出来事については、雑誌編集の機微をベテランから実地で学んだ思ひ出としてなつかしく回想してをられ、その親交は上京後も永く最晩年まで続いたことは、前の解説にても前述した通りです。
 詩人も『果樹園』編集を手伝ってくれる青年の熱意に感ずるところがあったのでしょう。5冊目となる新しい詩集の制作は結局、岩崎氏ではなく福地氏の手を借りて行ふこととなったのでした。

 その詩集――「果樹園叢書」として300部が刊行された『悲歌』ですが、装釘は見積をとった本人が不安になったほど、同じく文庫版ながら前年に出した『歌集戦後吟』を更に地味にした、極めて節約された表紙をまとって刊行されました。しかしながら内容の評判はよかったやうです。
 かつてコルボウ詩話会で激賞された「哀歌」(昭和25年度コルボオ賞に選定)をはじめ、編集に入る直前に発表した同名の「哀歌(昭和31年7月『薔薇』30号)」など、タイトルの『悲歌』に相応しい作品が、杉山平一ほか読者の涙を誘ったことが、感慨をもって日記に記されてゐます。
 戦争遂行の公的要請に憑依した詩を書いてゐた詩人がふたたび個我意識にたち返り、代表作に数へられる詩篇を詠み得るほどの復活をみたことについて、私も詩集に賛辞を送った人々と同様、そのモチベーションとなった悲しみを言祝ぐべきかどうか迷ふに悋かではありません。たださうであるなら、その容れ物についてもカバーも函もない可哀想な姿でなく、周辺の声にも耳を傾け、援助やコネを最大限利用した「挽歌」に相応しい装釘もあったのでは、といふ憾みもまた残るのです。

 出版記念会は、11月18日(日)、中之島にある大阪市中央公会堂に於いて、39名の参席者を集めて行はれました。
 井上多喜三郎、天野忠、山前実治をはじめとする、田中克己が度重なる脱退と呼び掛けを繰り返して迷惑をかけた、コルボウ詩話会や近江詩人会、『骨』で交はった詩人達が、こだはりなく集まってくれ、それ以外にも職場である帝塚山学院からは、詩派を異とする同僚小野十三郎や、専攻科で教鞭を執ってゐた今東光にも出席してもらひ、会場となった食堂は満員で盛会だったやうです。

 旧『四季』の同人としてはただ一人杉山平一が出席してゐます。十年にものぼった在阪時代の詩歴を振り返ると、その間、彼や竹中郁らと交流が特段に深まってもゐなかったことが、私には意外に映ってゐます。書評を書いてほしいと特に杉山氏を指名してゐるところをみると、「哀歌」の元となった亡児経験を同じく持ち、詩集を読んで泣いたといふ杉山平一に対して田中克己が親近感を持ってゐたことは確かです。つまりは杉山氏の方から「田中克己=癇性の詩人」といふイメージを惧れ、また敬愛する竹中郁を田中克己が必ずしも好く思ってゐなかったことを仄聞するなどし、近在ゆゑにこそ敬遠してゐたのかもしれません。杉山平一が会社経営の修羅場から退いて帝塚山学院に藉を移し、おちついて教員詩人同士として関係を深められるやうになったのは、田中克己が東京に去った後のことであったやうです。

 さうしてむしろ意外といふならば、ここでは欠席者について語るべきかもしれません。すなはち戦後、詩を書くにあたっては何ものも負ふところが無かったといふ意味なのか、保田與重郎はともかく『コギト』の発行者であった肥下恒夫がこの場に居合はせなかったといふ一事です。何より『果樹園』は『コギト』からバトンを受けた後継誌といふことで出発したのではなかったでしょうか。まさか『悲歌』を渡してなかったとは思はれないのですが、この年には、1月に『果樹園』創刊号を送付したことは記されてゐるものの、受取も来なかったのか、以来肥下恒夫のことが日記に現れてゐません。

 当時の肥下氏は帰農したものの農地改革で減らされた農地だけでは食べてゆけず、折角ありついた病院事務職も経営の内幕を知って辟易しながら勤務してゐた筈です。持ち前の潔癖心から結局その定職を放り投げてしまふのですが、さうした辛い時期にあって、もっとも気心の知れた旧友だった田中克己が、自身の事だけで精一杯といった有様で、周りのことを顧みず東京に去ってしまったのは、肥下氏に於いてはその後の悲劇的最期に大きく関係したもののやうに私には思はれてなりません。

 またこの時期の、(といふより、この時期以降、上京後もずっと、といっていいでしょうか)保田與重郎に対しても、親しく通交のあった前川佐美雄の家族(娘の家庭教師をしてゐました)を通じてよろしくない風聞がもたらされてゐますが、呆れたやうな、素気ない態度を示してゐます。
 今東光が保田氏の胃癌の疑ひにつき心配してゐると「そんなの、恋患ひですよ」と斬って棄ててゐるのには笑はかされますが、保田與重郎の女性からのモテぶりについては、たとへば山川京子による当時を回想した文章(『保田與重郎全集別巻5』月報「桜井のころ」)にもあるやうに、『日本歌人』会員の間では周知のことであったのでしょう。女性ならではの京子氏の視点にはハッとさせられますが、さきに前川佐美雄が保田與重郎を一時的に破門したと怒ってゐたのも、かうした風聞に関係したことだったのかもしれません。普段から前川氏本人よりも親しく話し込んでゐたと思しき緑夫人から聞き及んだ醜聞をうっかり日記に書き留めてゐるのは、側近の奥西、高鳥、柳井の各氏がそろって固く口をとざしてゐることだけに珍しいことに思はれます。
 とまれ保田與重郎を再び中央文壇に押し出す使命を負った『新論』もあへなく瓦解し、余波を受けて吉野書房も混乱、前田社長とも確執を生じた保田氏にとって、歌誌『風日』を立ち上げてふたたび“風雅をこととする文人”としての歩みを始めるまでといふのは、まさに八方塞がりの雌伏の時期であったやうです。

 しかしながら田中克己においても不倫は他人事ではなかった筈。恋人や教へ子に対するあけすけな恋情は『悲歌』中の詩篇に堂々と披露してゐますし(確信犯 笑)、日記に記されてゐないものの、悠紀子夫人との喧嘩も絶えなかった由(或ひは今後の日記に出てくるのでしょうか 笑)。 小高根二郎に呈した『悲歌』の扉には

わがわかきひは をみな子をこふることばはゆるされず たけきことばをつらねしが 
いまわれをとめおしへつつ それをおもへばくちをしな


 とペン書きがされてゐました。詩人の思ひは如何にあったでしょう。化粧品業界誌に載った香水商の若旦那との対談には「これまでも機会あるごとに研究をすすめてきたが」なんて書かれてますが、どうなんでしょうね。
 山本治雄事務所で懇意だった佐瀬君が解雇された真相にも驚かされますが、どうやら戦後民主主義が日本浪曼派にもたらした最も辛辣な影響といふのは、公的には戦争責任に対する糺弾だったかもしれませんが、私的には女性の解放に伴ひ、壮年期を迎へた浪曼派世代のサムライたちを、そろって「火宅の人」にしてしまったことだったのかもしれません。

 さて、さきに「肥下氏を置いて東京に去り」と書き、福地邦樹氏を紹介の条りでも「この『果樹園』一年目の出来事」と書いたのは外でもありません。詩集『悲歌』が関西在住時代の記念としてこの秋に刊行されると、翌年三月に田中克己は一家をあげて東京へ引越してしまったからです。
 
 突然のやうな上京計画ですが、実は一昨年の夏に東京へ旅行した際、大高時代の同級生である関口八太郎(自衛隊幹部)や、『李太白』の新書版を出してくれた元々社の顧問格だった齋藤晌を訪問して、在京大学への転任については打診済であり、このたびは東洋大学の文学部長に昇格した齋藤晌に対して『果樹園』同人となった浅野晃からの口添へを得て、文学的な清算のつもりで詩集を出したのを期に、満を持して実行に移されたものでした。

 小高根・福地氏ほか『果樹園』の関係者はもとより、家族もまた驚き難儀されたことと思ひます。日記には誰が反対し、誰が賛成してくれたか詳しく記されてゐますが、もちろん近親者が賛成する筈もなく、日記には親友羽田明の冷たい態度がそのままに記され、肥下恒夫、坪井明、服部正己に至っては相談どころか報告さへもまだされてゐない模様です。

 就職活動をしてゐた福地邦樹氏は、謂はば『果樹園』編集のために田中小高根2氏から引き留められ、高松への教員赴任を断念したのですし、長男史氏も、家計を考慮して進路を東大から京大に変更して合格、学生生活を送り始めたばかりのところでした。
 もっともこの詩人には、処女詩集である『西康省』を刊行した昭和13年にも、就職のあてもないのに家族を引き連れ“蝙蝠傘一本もって上京”した前例がありますから、何をいったところで無駄なことも周辺は分かっては居られたでしょう。

 詩人としての生活を一区切りさせたところで湧き上がった「学者としての焦慮」。実は詩集の出版記念会があった11月18日の直前、11月2日には東大東洋史学科の同窓会が京都であり、田中克己は恩師と同輩たちを前に、詩篇「三十年」を朗読してゐます。

 三十年     (昭和21年11月 『四季』3号初出)

先生は老来ますます御元気で
お別れを告げに参ると
原稿を示して最後の一節を誦された
「任那(みまな)日本府の撤退後
三十年にして日本の文化は花ひらいた」
いま私は法隆寺の近くに住んで
朝夕ふるい日本の文化の名残を味はつてゐる
三十年たつとまた日本の文化も栄えるだらう
豫言のやうに私の脳裏からはなれないこの考へも
しみじみ味はふと淋しい
先生はおそらくいまさずなり
私は先生の年になる!


 のちの高度経済成長の日本を予言する、田中克己の得意としたところの予言的な一篇ですが、出版記念会の席では同じく「三十年」にも及んだ自らの詩作を、これでやめてしまふと宣言したといひます(もちろん守られはしませんでしたが)。関西で築いた詩壇的地歩や友人関係をなげうち、詩筆を折る覚悟をさへして強行せざるを得なかった、田中克己の生涯を劃る最後の上京は、自身の作品で曰ふなれば“Mortality(『神軍』所載)” の自覚に抗しきれず、収穫(とりいれ)を急かされたとでもいふところでしょうか。そして上京はまた副次的に、先ほど述べた女性関係をも清算することになったのでしょうか――ひき続き昭和32年の日記の動向に注目してゆきたいと思ひます。


昭和31年1月1日〜昭和31年7月10日  本冊画像PDF

26.0cm×18.8cm 横掛ノートに横書き

p19

1月1日(日)
9:00起床。京、弓子は式に登校。依子は学友の家へ。寮生3人挨拶に来りしのみ。下元とて結核にて高知へ帰りしが来り、夜、増田弟をつれ来る。老成して見よりも年長に見ゆ。賀状218枚。在校生(80枚)、卒業生(94枚)、退寮者(6枚)。知友の中に今西春秋、村上嘉実、平戸禎一が珍しきのみ。夜、賀状120枚かく。池元、原、吉田、栗林のさはぐに24:00目をさまして注意す。

1月2日19560101
9:00起床。朝食後、池元よびてきけば吉田と相愛ならずと。栗林呼びて叱り、吉田よびて「賄室立入りをやめよ」と云ふ。(昨夜、映画につれゆき帰りて餅焼きゐしところへ原君来りしと。)「相愛」でなしと。浅沼(大塚)心臓病で急死(明日副食もち来られずと)気の毒なり。前田呼びて「明日買ふべし」と云へば金なしと。
けふ2、3組年賀に来し。福地君来り、春夫『青春期の自画像』たまふ。石田嘉子と入れちがひに退去。石田生カステラ呉れし(春木より熊取中学に通ふと)。
けふ賀状63枚。原君もあやしげなるあやまり方をしに来し。

1月3日
曇。依子、弓子早くより千日前へ映画見にゆく。賀状26枚。中間町の田代重雄のあり。次田氏「24日に小野十三郎氏へ礼もちゆきし」と。大塚来り「18日挙式、東淀川区加島町に家ありし」と。寮の副食代、大塚が立て替へしと。
午后眞野喜惣治氏来訪。北川冬彦の『時間』に参加、この間江頭彦造来り、わがうはさせしと。元大阪法務局長上田明信君の人事だめになりしと。布賜ふ。池沢茂君に『果樹園』のこと。

1月4日
雨。風の中を京をつれて悠紀子千日前へ映画見にゆく。賀状25枚。岩崎昭弥に『果樹園』のこと。

1月5日
9:00すぎ会社へゆきしに城平叔父不在。康平叔父自治会へ10,000貸せしと。我にことはりなかりし也。梅田へゆき『アテネ文庫』2冊買ひrice-curry食ひて帰る。
賀状16枚。服1の西野多美子といふより「石田様のおば様ご存じですか」と。奈良女子大の小川講師。榎本須美子より「全快して結婚許されし。石川よりchristmas-card来りし」と。

1月6日
曇。家居。賀状5枚。石田嘉子より礼状。夜、高田かよ子来り、妹久子退職さしたしと。1、2週待てと云ふ。

1月7日
久子呼びてきけば胆石症ありと。口実としてはよしと。会社へゆかんとし電話すれば、父、城平叔父ともにあらず。パン買ひにゆく京と出て、天王寺より地下鉄にて十合。児玉円城君に会へば和子、姉に会ひゐる。挨拶すませ昌三叔父に会ひ、出て斎田昭吉に会ひcoffeeおごらる。2号には書くと。(前田光子に会ひしに正月帝塚山の旧の勤先の手伝ひにゆきゐしと)。
心斎橋筋まで歩きて「オランダ」にゆけば今市夫人(安村)、疋田、鍛治の3君と西宮氏のみをり。ややして太田夫人(立川)。入れちがひに今市夫人帰り、生田(中島)、西洞院(菊池)両夫人、松井、山中、伊藤、野崎の順にお越し。長沖先生来り、出て佐竹氏のお好み焼屋にゆく。生田夫人は風邪気味の坊やづれゆゑ、帰ってもらふ。(「オランダ」の出がけに渡辺芳子に会ふ)。Champagneのまされて出、喫茶店にゆきて西洞院文昭氏に会ひ、堀枝味子(両國夫人)より挨拶受く。西洞院君は斎田君と旧知と。ナンバに出て西宮君とtaxiにて鶴橋。
けふ賀状6枚。沢田博士より「石川道雄氏来阪につき17日午后来れ」と。齋藤かずゑ君より「京都書道連盟理事となりし」と。出しあと武居、浜谷、生田、住吉、角倉の5生来てtobaccoと菓子とおきゆく。

1月8日(日)
寒し。田中洋子より速達「9、10両日は来られず」と。大塚来り、結納をおさめるに付き、自治会に貸した6,000また貸してもらへぬかと。 赤星に10,000ありと云ひしも知らざる様子。『果樹園』より6,000借りて貸せしところへ赤星来り、1万円のこと云へばありと。明日までに賄人の代り話しつけてこよと云ひしところへ福地君来り、6,000借りしことを了解してもらひし。
明日夜、連絡してくれと云ひ、送り出してのち明夜の夜学に気付く。
けふ賀状9枚。内に住山生の池の平よりのヱハガキあり、Arbeitの金にて来しと。夜、高橋重臣君へ『果樹園』のことと、田中洋子君のことと。

1月9日
8:30会社へゆき原君に池元のこと云へば知らずと。電気部長に会ひにゆけば心当りの婆さん他につとめをり放さずと。赤星にきけば1万円はありと。城平叔父に浅沼(大塚)への香奠相談すれば「出してよし」と。大江氏に会へばプロパン瓦斯のstove買へと。Busにてのりかへ白山市場へゆき大塚氏の妻子に会ひ、弔意を表し香奠置き、今里をへてbusにて天王寺。
11:00登校。鍛治君とcard書く。信江君をり、機嫌直りし様子。研究年報の校正は明後日と。元市印刷に電話すれば校正月半ばと。夜まで 待ち、1時間目の院長講話きかず。半田君挨拶に来り、院長「出来るだけ早く後任さがす」と云ひしと。2時間目すませば伊東マキ子就職さがせと。
けふ学校へ丸三郎らの賀状。家へは植村清二先生と高梨不二子の賀状。
赤星をかしな電話かけ来りしと。22:00すぎ来り、51,000会社より借りるに付、印押せと。返還の方法きめてのち、あす会社へゆくと答ふ。

1月10日
会社へゆき赤星と会ひ、ともに城平叔父に会ひ「貸すこと承知」ときく。原君に毎月salaryより300づつ差引き積立てること依頼す。出て10:30登校。
国文学史すましlistとcard引合はし、なくなりし本を推定す。岩崎嫗また早引、楳垣氏に云へば院長も遠慮しゐると。村上新太郎氏より29日までに詩をと。岡姉妹より賀状。(けふ楳垣氏より都竹[ツズク]氏『奈良県北部地方方言覚書(150)』配布を受く。)
夜、福地君来り、「伊東夫人花子肺浸潤」と。(硲君研究室に来る)

1月11日
朝、浦本浜子(昭和8生、天草栖本村995)履歴書もち来る。10:00会社へゆき康平叔父に浦本のこと云ふ。原、赤星ともに反対の様子なりし。けふ51,000渡すこととなりしと。
登校11:30。College-hourに出ず退屈し、15:00まで待ちて職員会。院長「専任の数ほぼそろひし故、励むべし」と。出て天王寺。東井家へゆき願書出せと云ふ。柴山順子夫人(安部)より「大津に住む」と。佐々木邦彦君より「8日三越に来し」と。前川佐美雄氏より「15日16:00までに浪速荘に来い」と。夜、池元久子呼びて13日退職ときめ、栗林呼びて浦本に伝へよと云ひ、大塚より明日退寮と届受け6,000返還受く。夜半「金尚憲」の再校す。

1月12日
よべ3:00すぎまで眠れず。眼鏡の弦こはれし故、早めに出て徳庵、桃谷をさがし、アベノ交叉で明けし店さがしあてとりかふ(270)。歴史すませれば松田生、周防大島の土産とて柳井の「独歩」といふ菓子と灰皿と呉る。住山生の母より電話「盲腸にて入院」と。
印刷屋午ごろ来り、初校やっとそろふ。Cardにて点検やり、小野十三郎氏に次田氏のこときけば「24日来し」と。礼云はざりしは少なかりしか。
15:00出て粉浜の林叔母訪ねしも不在。帰りて15日16:00より井上多喜三郎、荒木利夫らの会すとハガキ見、ことはりかく。
港野喜代子氏より「雑誌出すときいた」と。奈良女子大より「12月分以後のsalaryおくれる」と。夜、湖東君に電話して「印刷屋せかしてくれ」とたのむ。

1月13日
原君に電話し、久子の健康保険のこと云へば打切りたのむと。出て散髪(今月より100円に値下!)。登校して西宮、沢井2君に印刷屋の方をまかせ、漢文やりて帰れ来れば、印刷屋来をり、伝田生のprint(※伝田雅子編児童詩文集『足音』1956 刊)の見積りさせれば5号96pB6版にて35,000位(300部)か。
院長に呼ばれて岩崎嫗の無能と無責任といひ(月給7,600と)いま1人半雇へといへば、田中洋子ほぼよし。その他に夜間に半人雇はんかと。漢文の入試問題作る。
けふ元市印刷に問合せて明日15:00初校出来の旨、小高根君に伝へ、明後日浪速荘で会ふことを約す。15:30出て帰宅。
明治書院の『高等国語』に「李太白」のregime8枚にていかにと問合せ来をり。台北の頼永祥氏より『台湾風物』2冊。夜、池元久子にsalary3,000(内221引)立替て渡し、元市印刷へ行って呉れと福地君へたのむ手紙かく。明治書院には「攀」その他の訂正を申込 む。
けふ史の夕陽丘予備校の摸擬試験の成績通知を悠紀子ぬすみ見れば、2,000人中17番にて歴史悪く、英数ややよかりし。

1月14日
8:30家を出て奈良、野崎君に寄れば「2月2日その嬢の挙式にわれを呼ぶ」と。「山田新之輔の家の売買の世話せし」と。
前川家へ寄り砂糖おき、明日の会に出席を云ふ。保田、今、吉村などの諸氏出ずと。講師室に林夫人来をり、暖し。天野忠に会ひ小川講師と話して授業。12:10すまして昼食。13:03の汽車にて丹波市、高橋君に会ひ田中洋子のこと話す中16:00ごろ本人来り、採用のこと云ひ帰宅。
福地君より電話19:30「今より印刷所にゆく」と。21:30来りしと校正。割合きれいなり。24:00まへすみて帰す。高橋君より入れちがひにハガキ。林叔母より学校へ来ると。

1月15日(日 成人の日)
湖東博士より電話「昨日田中雅子夫人女児分娩」と。悠紀子を高島屋にゆかす。今東光氏にゆくつもりなりしも止め、15:30出て上六。『日本歌人』の会にゆけば14:00より集りゐしが開会せずと。小高根二郎君来りて開会。横田俊一氏来り、吉村正一郎夫妻もをり、夕食たべ、相聞短歌の話出て、平井恵美女史五條高校教官といふに楠田君のこときけば在職と。名刺托す。小高根君と出て喫茶。小島信一君の同人費300預かる。 Taxiにて京阪(140)。田中順二郎君には毛糸と菓子送りしと。
けふの〒は『詩学』。無断でわが詩のせ依田君気付で送りし。

1月16日
9:00出て寺田町より市電。桑津北口まで乗り、元市印刷所にゆく。再校15:00出ると。近鉄河堀口まで歩き登校。夜まで用なく、生駒生呼びて伝田君への伝言たのみ、鍛治君に野崎君のこといへば知らざりしと。
午、林叔母来り、今治の姉妹会社へ叔父転任と。海苔賜ふ。坪井の紹介にて英文受くる高木信嬢来り、願書出し102番と。大阪女子大の花井彩生来り話しゐる中、17:00となり、鍛治君出てゆく。伊東マキ子来り、坪井へ紹介状かく。半田生、図書館の後任にと大阪女子大生つれ来りし故、院長に会へとすすむ。
夜学1時限やり研究室へ帰れば瀧本生来り、同級生多く来ゐると。谷川、柏原、平岡、田中、清水と出て天王寺のKYKへゆき、われは汁粉。清水、大江叔母に女中世話せしと(けふ久美子に合over-coatの地ねだられ、帰りて悠紀子に云へば5,000以上と)。

1月17日
アベノ大和銀行で5,000出し登校。久美子呼びて渡す。typeおきあり授業すんで肩打ちと洋雑誌のcardと打つ。東井夫人より電話。富田林高校の土橋生、昨日願書出せしと。住吉区役所の中川俊雄庶務課長来り、学院の加納生たのむと。心配いらずと答ふ。
15:00出て沢田博士邸へゆけば石川道雄氏入浴中と。帰り来られしに初対面の挨拶し、府大の奥宮、平井2氏、山本信江父君、布施医師など20:00ごろまでにお越し。信江君給仕を手伝ふ。石川氏は高橋新吉の媒酌をし、50才にして子を成せしと。『半仙戯』に署名もらひ、『戦後吟』おきて退去。天下茶屋をへて帰宅。
東大より『明代満蒙史料46』。南村(藤野)和子氏より12月17日に女児分娩と。田中順二郎君よりもお産の通知。池元久子より挨拶。
福地君来り、明日夜、出来上りし『果樹園1』もち来ると。

1月18日
寒し。今東光氏へゆく筈なりしも止める。前川氏より礼状。西下経一氏より礼状、「攀」は訂正したと。夜、福地君来り、依子に手伝はして折り、同人14氏に袋入れ、明日16:30小高根君に集ることとす。元市印刷はあす研究室へ来ると。土曜夜、又は日曜朝に発送ときめる。

1月19日
曇。9:00登校。講義して伝田生に会ひ、元市印刷に電話して来させ見積りさすれば20,000と。大体それにきめよと云ひて伝田生帰らす(Castilla1箱呉る)。湖東君より13:00来ると電話ありしと。Salaryもらひ写真うつされ、長沖、小野2氏に『果樹園』贈り、来りし湖東とナンバへ出て「Doton」にて喫茶。大手前に長女受験さしたしとて坪井に紹介状かく。我は住吉の方良しとすすめし。
別れて荒木利夫に寄りしに出張。市電にて朝日の山田新之輔に会ひにゆけば欠勤と。日本Rayon Co.にゆき小高根君に会へば、増山成夫重役に会はして呉る。22年ぶりで見事に禿げゐたり。
16:30と約束して凸版へゆき『夫婦の法律』買ひ、引返せば福地君と会ふ。3人にて出て喫茶。2号の締切は2月10日、岩田潔の同人加入認める。小高根君、石橋に大体きまりしと。片町に出て帰宅。西下経一氏よりまた礼状。けふ久しぶりに入浴。

1月20日
晴。郵便局にて8円切手100枚買ひ、近鉄departにて『奈良観光市街図』買ひて登校。武居生「庄野英二に『果樹園』もちゆきし。田中先生好みと云はれし」と。新坂康子の母来るといふに待ち、山荘佳子の電話きき、写真も少し貸せと云ふ。新坂の母来り、「専攻科へ入れたし」と。 「喜んで入れる」といひ、菓子もらひ金一封受取らず逃ぐ。
半田退職したしと云ふに、院長に会ひ、この間つれ来し女子大生を臨時に雇ふこととす(楠本の妹を院長入れるつもりと)。三苫君に半田への伝言たのみ、近鉄の古本展見にゆき『朝鮮全図(120)』、春夫『玉簪花(100)』買ひて帰宅。
田中順二郎氏より「祝受取った」と。八木嬢より日曜も出勤命じられゐると。

1月21日
奈良へゆく。『果樹園』を服部英次郎、天野忠、小川講師、横田俊一の諸氏に配り、講義すませ弁当食ひ、高校へゆき坂口君に会ひ岡村生の成績の「秀」きけばclassのNo.1と。塩見校長にも『果樹園』贈り、前川家へゆけば無人。野崎家へゆき、父君、母君、新嫁と話しつつ、パーマかけにゆきしといふ、その君(※「そのきみ」ではなく「野崎その」君)待ちしに帰らず。
13:30出て奈良、駅より天理。途にて養徳社に寄り、中島の原稿のこといひ、高橋君夫婦に山荘佳子の写真みせれば表情よくなし。出て『日本語の構造』買ひ、よみつつ帰宅。
伝田雅子より「元市印刷で宜し。4月末に出したし」と。全田叔母より「高校、入学の斡旋たのむ」と。
20:00福地君来り、100冊の発送の支度を23:30までやる。けふ高橋君より同人費3号分と売上5部分預り、我の同人費2,000出 し、残金3,270となる。陸原実、林叔父、三村寿恵子、板原順子、成尾禧佐子、松本善海、馬淵源太郎、池沢茂、丹羽千年、野上弘の諸氏の(※くじ当選)年賀状と切手と引換了る。

1月22日(日)
午睡す。さめれば小山正孝君の『逃げ水』出版記念会を西垣、小山弘一郎、鈴木亨3君発起にてやると。古川政記『歌集葦の芽』。
午后、福地君来り、谷口君見込なしと。同人やめさすこととす。Printも福地君やり呉ると。池田宣子の母来り「兄嫁の従妹、御所高校の中島章子服飾受験につき宜しくたのむ」と。「院長にもたのみあり」と。菓子と海苔おきてゆく。五條高校平井女史「以前に堀内民一君と桜井大教会へ訪ねしが留守なりし」と。「楠田豊茂親しかりしやうに云ひし」と。

1月23日
小山正孝君より『果樹園』の受取。悠紀子よべ酒井の竈まへにて逢引しゐるを見しに逃げしと。正月3日間泊りしと。
13:00会社へゆき浦本女145円の日給にては如何と伺ひ出し、父より久美子へのわが祝、親類に大騒動おこせし!!ときき出て、鶴橋より山本、今東光氏を訪ぬれば88才の母上危篤と。(※帝塚山の専攻科)講師承知ときく。保田胃癌とのことに、恋病ならんと云ひおく。
天王寺にて氷雨。「Hugo」ひやかせしあと登校すれば鍛治君映画より帰り来る。伊東マキ来り、坪井に会へば「田中にもたのめ」と云ひしと。千川義雄に紹介かく。
福地君より電話「printすみし」と。UL2の授業中、京都より電話といふに驚きゆけば畠山氏「嫁世話せよ、重役候補にて30才」と。承知と答へ、『果樹園』18部売り、瀧本、岩井2生と出、天王寺にてお好み焼。あと茶おごり、岩井生「縁談あり。天理大の上原といふ男」と。東大教会長の息子か。「しらべおく」と答ふ。(けふ酒井に「寮にて逢引やめよ」と云へば「承知した」と)。

1月24日
寒し。父より電話、あとで来り、黒板の調査に来しと。月給表かきてわたし、出て登校。文2に専攻科の案内書をわたす。1年も2人とりに来し。近江八幡高校の越後校長といふより電話かかり「校歌を作ってくれ」と。ことわりて小野十三郎氏に紹介かく。
鍛治君と出てナンバより近鉄案内所。天牛南店に『西南戦史12冊(100)』買ひ、野崎君と「オランダ」にゆき、我はport-wine。別れてbusにて鶴橋をへて帰宅。
(けふ久美子にきけばover-coatの布、大江叔母安く買ひ呉れ、残り返すと。けさ大江の十合店員に会ひし。児玉君と知合と)。
岩崎昭弥より「あと5部呉れ」と100円。「保田の問題で新論休刊」と。山根君より同人費300。千川義雄より「勤めゐる。礼に物送った」と。浪江弁護士より「娘の入学たのむ」と。(けふ野崎君に『果樹園』1冊うり、萩原みち子訪ねしも留守ゆゑ1冊おきし)。

1月25日
寒し。8:30電話あり、菊池眞一氏より来阪と。9:30有料TOILETでと約し、朝食食ひてゆけば白髪。ともに喫茶、我はport-wineのみ色々話す。11:20新大阪ホテルへ自動車で送り、color-filmで写真とってもらひ、別れて朝日。山田新之輔未出勤。毎日へゆき天野愛一呼び出し(杉山平一君に会ふ)、昼食ともにす。『昭和史』(※岩波新書)批判を月曜までに2枚半書けと。
別れて高尾へゆき『大阪方言事典』の代払ひ『Die deutsche Frau(450)』借る(毎日で新大阪の足立巻一氏に会ひ原稿催促されし)。
地下鉄にて天王寺より帝塚山。院長に呼ばれ、楠本事務女史の妹を夜間の図書に採用と。某社へ文筆の立つ子2名推薦を云はる(のちほど青木、生 田と決める)。15:30まで待ち教授会。文芸に学院より13名、他に26名と。英文40名突破すとて文芸厳選を云ふ19560126。専攻科も厳選せよと院長。18:00すみて帰宅。保田槌三郎翁(73才※與重郎父)留守に来り、 娘の子林良子(342八尾高卒)を服飾に入れよとcastilla賜ひしと。池沢より読売に加入希望者ありと。石山直一君より礼状。福地君よりprint1部。

1月26日
登校。1年文科遅刻欠席咎め、青木大乗画伯令嬢みえ子を叱りし。小野十三郎氏休講、この間の八幡高校の話いかがなりしやらん。14:00出て元市印刷へゆき、伝田文集の原稿おき、白port-wine1瓶もらひ、寺田町まで歩き石塚にて『岩波写真文庫(富士山、富士をめぐる、美人画)』買ひて帰宅。
小高根君より谷口君のこと了解。2月5日ごろ転居と。浅野晃氏より「生きがひを感じた」と。西村公晴氏より『戦後吟』1冊ゆづれと。
夜、堀内民一氏より電話。高田の阪本歯科医の令嬢服飾へ入れよと。駄目と答ふ。けふ保田槌三郎、浪江源治二氏に同意味のハガキかき、平井恵美氏へハガキ。(住吉高校へゆき山本、板原、硲の3君と話せし)。
福地君20:00来り、『果樹園』事務片付けてくれし。けふ名刺出来(130)。

1月27日
天王寺にて木村静子と会ひ、話もてゆく。越後氏(八幡校長)より小野氏に会へざりしと。院長に青木、生田2生を推薦。14:00出てナンバ。 高島屋で野崎君の祝に『岩波写真文庫(瀬戸内海、阿蘇、長崎)』と挟み『花嫁の心得』買ひ(640)、萩原家へゆき父君、母君と会ってきけば早大出の社員と話きまりしと。菓子もらひて帰宅。
芳野清、佐々木邦彦より『果樹園』の受取。宮沢弘子より前川生結婚と(けふきけば青生も結婚と)。下新庄の福崎正氏より毎日で見たとて『果樹園』1冊送れと。夜、肥下、小高根太郎、相野にも送る。伊東マキより、千川にゆくは坪井の方きまりてからにすると。

1月28日
9:00出て10:00奈良着。野崎家へ祝もちゆく。11:00より授業。終講の辞のべ30分にて出て来、林夫人と話す。「[木辻]遊廓の隣に住み、火事こわかりし」と。出て前川家へゆけば平田春一といふ歯医者。ともに出て生駒で下車、服部(※服部正己)により将棋、1番勝つ。 「Swedenへ留学したし」と。
帰ればsalary届かず。庄野潤三君より『果樹園』の受取。大垣菊五郎氏より国司君の詩、まへに見しものを封筒に入れあり。
田中雅子夫人より赤ちゃんの写真2枚。頼永祥氏より『台湾文献6の4』と手紙。『文献』に方豪氏の誤訳指摘あり。楊雲萍君わがことを噂しゐる趣。夜、大塚覚、新妻をつれて挨拶に来る。

1月29日(日)
大毎見しとて『果樹園』申込3人。中河与一、房内幸成2先生より受取と激励。井上源一郎氏よりこの間の会の参会者3人と。今東光氏より母堂の88才で亡くなられし通知。
午后出て入洛。畠山六右衛門邸へゆけば(taxi160)恰も天野氏居り北海道の漁場長と。まへに渡せし山城嬢の写真返され、その時は福井にゐしと。水産講習所を出し35才の3男坊と。この間本位田に会ひし話きき、taxi呼んでもらって京阪三條。
帰宅すれば留守中、保田の紹介状もちて林八郎夫人来、生物の出来る子と。タバコと菓子と賜ひしと。

1月30日
悠紀子電話かければ、父「28日にはsalary出さざりし」と。西村公晴氏に『戦後吟』。池谷はる、林喜芳、岡田兆功の3申込者に『果樹園』つつむ。
午salaryとどく。午すぎ『昭和史』評5枚かきsalaryわたして出る(川副国基氏より『果樹園』受取。自衛隊の安部三郎といふ人より 同人参加申込)。
15:00出て京橋より大毎にゆき天野愛一君呼び出せばcoffeeおごり呉る。別れて旭屋にゆき『アテネ文庫』4冊包ませ金入れ忘れしに気付く。あやまりて出、省線にて天王寺。学校へゆけば文芸専攻一般にて60名を超えしと。『研究年報』出来をり。「論語」のprint切り、岡田亨子に『果樹園』買はし(これにて35部)、伊東マキと会へば、どうしようかと。岩井みよ子に2時間の分かれ目、東大教会長の子、上原君のこと話し、2時限すませて来れば中野トシ子をる。瀧本生に天野氏の話すれば心当りの31才嬢に話して見んと。
夜、教委試験受けんと2人来り、通りてもむつかしと話し、中野と同車。もの云はず、天王寺にてスカして帰宅。和田先生、天理の鈴木、高橋2氏に(※『研究年報』)抜刷送る支度す。史、夜半まで帰らず。

1月31日
登校の途、アベノ橋(Hugo)で『アテネ文庫』4冊買ひ、ゆけば伝田生来り(※文集の)表紙見す。久美子来り、午后山本信江来り、「恋愛?を父にとりつげ」と。諾せしところへ羽田より電話。高島屋でと打合せ、ゆきて会へば父君の墓碑のことにて一騒ぎと。
出て野崎groupと会ひice-creamおごられ、別れて羽田と梅田。別れて帰宅。
石中象治氏よりハガキと『芸林』。奈良女子大より(14,400−1,856)と。村上新太郎氏より催促。

2月1日
寒し。予饌会とて行かず終日臥床。西垣脩氏より同人費1,000。大上敬義氏より『果樹園』社に『地虫』。乾武俊氏より受取。史、京大法科に願書かきをり。
西垣氏へ受取。浅野晃、神田信夫、岩井大慧、今西春秋、松本善海、植村清二、川久保悌郎の諸氏に「金尚憲(※研究年報抜刷)」包む。西垣氏へまた『学報』。

2月2日
9:00出て散髪。10:30鶴橋着。『文芸春秋 三代日本の謎』買ひ、鍛治君の10:50に来るを待ち、同車にて奈良。Taxiにて奈良 Hotel(120)。挙式中ゆゑ待たされ13:00より披露宴。新郎は川口君とて近鉄案内所にて見知りの好青年。前田社長、永島福太郎氏と話し、その氏の「男まさり」ほめて了る。またautoにて奈良駅前。湖月にてしるこ食ひ電車にのれば新郎新婦と一緒になり、我のみ京橋まで同車して別る。
伊藤桂一君より同人費300。夜、福地君来る。東井夫人より電話。けふ父「信綱文集・歌集」もち来りしと。

2月3日
7:30家を出、8:30登校。退屈なる(※入学)試験監督す。浪江氏の女[※むすめ]、岡村嬢みな受けゐたり。村上鋼業社長の女もあり。12:30まむし食ふ。漢文採点はすでにすまし、鍵谷生を待たす。すみて鍵谷と出、島本を訪ぬ。四天王寺高校の化学の先生に嫁ぎしと。けふ金入れ忘れ鍵谷生に売りし『果樹園』の10円のみもちゐし。をかし。
奈良の西村公晴氏より『戦後吟』受手。影山正治氏に送りたしと200。堀内民一君より岡本令嬢224と。村上新太郎氏より詩の受取。毎日新聞より稿料2,500−375送ると。「金尚憲」を橋川時雄、村上嘉実、百瀬弘、鈴木俊、青木富太郎、佐中壮の諸先輩へ包む。夜、福地君より電話「小高根二郎氏の転宅は10日頃に延びし」と。

2月4日
10:00登校。面接。遅々として17:30までかかる。浪江弁護士の令嬢だめ、高木信だめ。その他もいかがなりしや知らず。岡村墨屋令嬢は1番か2番にて院長ほむ。南敏邦君の名刺もちてその舅、藤野欣子の身許しらべに来る。別居は19560204させたくなし、この 外に推薦してくれと。腹立てしもそ知らぬ顔して帰す。
帰途、上原専禄『歴史を学ぶもののために』と『言葉の今昔』と買ふ。
けふ毎日に『昭和史』の評出たり。相手は市大助教授原田伴彦。帰れば稿料とどきをる。井上恵子より府教委の試験通りしと。けふ西洞院夫人より電話かかりしも出ず。福地君より上村肇の原稿。

2月5日(日)
9:00前出勤。(※判定会議にて)電車の中で受験の苦心話しゐし30娘あとで落とせしをはじめ浪江令嬢、沢田医師の姪などおとす。保田の姪は良き成績なりし。堀内民一氏の云ひし岡本嬢も、東井夫人の土橋嬢も入り21:00までやりて帰宅。
けふ壽岳博士『昭和史』の不快に同感と。小高根二郎君より「池田市野町168に2月21日転居」と。中村地平氏より「同人加入保留」と。

2月6日
松本一秀に電話すれば「(※結核)だんだんよし」と。清水重役はじめ2部長の令嬢のこと云ひしも知らず。「宮口生、組合にて共産党より近づかる」と。白鳥芳郎、平中苓次、桑田六郎、護雅夫、宇都宮清吉、日野開三郎、中山八郎、竹田龍児、和田久徳、河原正博の10氏に「金尚憲」抜刷。
堀内民一氏に『果樹園』。父より電話、兼頭とて同じく鉄線業の娘のことなりし。西垣脩氏より「小山君の詩集(※『にげ水』)評を我にかけ」と。
15:00出て天王寺。東井家へ寄り土橋家のこときけば富田林に6、70軒ありと、バカらし。古本屋見、岩波文庫『朝花夕拾』買ひて登校。
兼頭夫人、学校にも来り、西宮君に会ひしと。中井玲子同窓会のためautoを運転し来をり。山本信江来り、石川道雄氏にと『戦後吟』にsignさす。寝屋川の教師といふ松川朝江「けふより出席せばいかに」と来りしを叱る。伊東マキ、千川に会ひしに一週間以内に我に返事せんと云はれしと。瀧本生、友達の親類書と写真とを托しskiiにて来られずと。

2月7日
9:00出て登校。type打ちreportの口頭試問す。早くすませ今西春秋氏、千川義雄(10部呉れと100円同封)。よべ叱りし松川の手紙受取り、学校へゆき願書その他で50払ひ、日野君に会へば岩崎嫗このごろ窮屈といひをる由。
ナンバへ出て市電にて四ツ橋、消防局に筒井訪へば忙しと。野上に5,000返せは彼もすすめしと。出て高尾に450払ひ、増田『原始刑法の探求(250)』買ひ、梅田新道より市電にて日本レーヨンへゆけば小高根氏、けふ明日と出張と。日本生命へゆき宮口、藤原、谷川3生に順次あひ、16:00宮口、谷口2生とまちあはせてお好み焼。宮口「共産党員とはさほど仲好くなし」と。宮口生と片町へ出て省線。大阪新聞より税申告票。保田の妹、林満寿子氏より礼状。野崎夫婦雲仙より。鈴木治氏より「金尚憲」受取。

2月8日
家居。桜塚の校長松浦氏より電話、郡とて落第せし子のこと。補欠と思ひちがひして守本主事にゆきて会へと云ひ、あとで学校へ電話しおく。
小高根二郎君より電話、14日(火)16:30より編集会と決める。
楠田豊茂君よりハガキ。山中良造氏より『果樹園』の申込(20円同封)。岡田兆功氏より受取。伝田雅子より表紙あれにてと。近江詩人会より藤野一雄君結婚と。『果樹園』のこと広告しくれたり。
東井夫人より土橋夫人と礼に来ると。ことわりしもきかず17:30来てshirtと金一封おきゆく。千川へ『果樹園』10部。山中氏へも包 む。

2月9日
寒し。8:40登校。2年のreportの口頭試問やりしに菊池「姉、午后来る」と。ついで松井和佐子も来ると。古典の試験に将来のこと書かせしに、みな程度低く専攻科志望も浦畑、新坂のみか。武居生「銀の鈴」社に就職決定と。14:00来りし松井生に会へば『南坊録』の講義ききに古市にゆくがよきかと。府立図書館へ電話かけてききやり、ともに出て近鉄departで西洞院姉弟に会ひ、沢井孝子郎に紹介状かき、会ひにゆかす。松井生出、西洞院夫人と鶴橋にて別れ、小阪の松本一秀訪ぬれば、隣家の夫人胃癌にて死にしと。いろいろ話せしのち出て、堀内にと『言語と生活(150)』買ひ、鶴橋をへて帰宅。
けふ学校へ岡田剛先生より安堂女のこと。青木、佐中2先輩より抜刷の受取。
浅野晃氏より100と詩「同人費500にても良し」と。岩崎昭弥君よりも詩。田中雅子夫人より「赤ちゃん美千子」と。中山八郎氏より会もちたしと。越後氏(八幡高校長)、松浦氏(桜塚高校長)へそれぞれ返事。

2月10日
同じく寒し。登校。4時限目授業なくなり図書館整理す。南日生『風俗の歴史』買ひ、三苫君『人間の歴史』買ひ、安田徳太郎大流行也!!岡田都君芸術祭の券賜ふ。東孝子の母君来り、休学か退学かせんと云ふ。中西義章の診断受けよと紹介書く。落涙しあはれ。
14:00出てナンバ。地下鉄にて本町の千川の勤先にゆきしも2、3日欠勤と。(けふ岩崎君月末退院とて挨拶に来し)。
『果樹園』の締切とて斎田、山田、山根(300同封)の3同人の詩来る。斎田君は詩の組み方にも注文あり。保田父君より林良子生の入学の礼状。神田信夫君より「金尚憲」の受取。「丁卯は丁丑の誤なり」と訂正さる。けふ買ひし『文芸春秋』に亀井勝一郎の『昭和史』評あり。

2月11日
奈良へゆく。野崎家へ寄りしに式の写真5枚と土産の砂糖漬と賜ふ。図書館へゆき『研究年報』贈り、服部英次郎氏に抜刷進呈。11:55より試験「私の杜甫論」17名出席。12:30すみ昼食。弁当代払ひ、出て横田俊一氏に会ひ、ともに前川家へゆけば佐美雄氏、橿原市誕生とてゆきしと。なるほどけふは紀元節也。横田氏に竹内訳『野草』贈り帰阪。しつこき風邪に罹りしといふ人に会ひ帰宅。
森亮氏より訳詩と同人費(300)。野間光辰氏より受取。橋川時雄氏「韃靼漂流記と川沙漂流記の合さり詩を出す」と。弘文堂より『豹軒退休集』の割引は20日までと。

2月12日(日)
寒ければ家居。小山正孝君より詩、『山の樹』再刊を考へゐると。竹田龍児氏より「和田先生1月末まで胃潰瘍で倒れたまひし」と。松浦校長より、わが思ひちがひのせいで郡嬢、聴講生を許されさうと。鈴木治氏より抜刷ワグナー氏に送れと。斎田昭吉君に『果樹園』5部包む。小山君の受取。夜、計算すればすでに631行となり628行に入らず。

2月13日
中山八郎、鈴木治(年報送るゆゑ、ワグナー先生の方はたのむと)、神田信夫の諸氏へハガキ書く。〒なし。和田先生へお見舞状。
15:00出て1,500を弘文堂へ『豹軒退休集』の代に送る(40)。学校へゆきて千川に電話すれば断りし也と。『果樹園』10冊はまだ入手せずと。久美子に研究室で会ひ、「みさ子を貰ひに来し人あり。ことはり、ことはらずで大騒ぎ」と。面白くなしと。
夜学1時間すませれば瀧本君来をり、田鍋佳子氏(大正15年生、岸和田市立大宮小学校勤務、岸和田市加守町431、幸雄氏長女)中背、北海道行承知と。2時限すませて帰宅、けふ〒なし。

2月14日
川久保悌郎、村上嘉実2氏より「金尚憲」の受取。西洞院愛信君「沢井孝子郎に会ひ岸和田産[業]高へ紹介されし」と。角川より税金申告(43,943)。小高根二郎君より電話「pompeian」なる喫茶店休店につき会社へ来いと。
15:30出て片町をへて日本レーヨン社へゆく。待つまに福地君も来り、公会堂下の食堂で編集会。行数規定にまちがひあり、わが分も出。
18:00出て京阪にて七條、市電にて畠山邸。六右衛門氏電話にて帰り来り、田鍋嬢の年齢に不満らしきも「ともかく話して見よ」と云ひ、羽田に電話してゆくと云ひ、whiskyと瓦せんべいともらひ、auto呼んでもらって上賀茂(※羽田邸泊)。羽田君も和田先生の御病臥は知らざりし。

2月15日
起きてゆけば羽田早くより待ちゐしと。朝食よばれ紅茶よばれて12:00なるにおどろきて、ともに出、大学研究室にゆき、里井君に杜臻出してもらふ。『研究年報』1冊おき、『東洋史研究』の300置く。「方豪氏より桑田先生に杜臻の問合せありし」と。阪大の岡崎助手の話。
出て研究所へゆかんとすれば桑原武夫氏に会ふ。(※寄贈した)『果樹園』のことは忘れたる様子なり。藤枝帰宅とて古本屋にて『台湾旅行案内(65)』買ひ、百万遍より市電にて吉野書房。
高鳥君をり、ややして柳井道弘君も出て来る。Taxiにて三條にゆき喫茶。『新論』1,300万円の損失なりと。美術雑誌出すも稿料なしと。危きことなり。Coffee柳井君におごらせ京阪書房に寄りて帰宅。
林夫人、昨日来り衣料賜ひしと。岡村嬢の母来り羊羹賜ひしと。芳野清君より同人費1,500。父鬼の並木富美子氏より「同人規定知らせよ」と。千川より「10冊受取し」と。柏原広子氏より「送付の手続しらせよ」と。小山正孝君の『にげ水』評525字を書く。

2月16日
9:00登校。歴史すませnote検査と発表。机の上に藤田亮策先生の手紙あり。山本嘉蔵氏より「金尚憲」見せられしと。史料多く教へ賜ひしも見るに由なき様子。
伝田生、明日来る由。榎本すみ子昨日来しとcakeおきあり。疋田生より電話、12:45天王寺で約束し、(※『果樹園』の)編集後記かき了へ、その前に電話して来し信江君の15:00の約束までに元市印刷へゆくこととす。
守本主事、専攻科の時間割を相談す。楳垣先生、前田勇『浪華しゃれことば』返礼に賜ふ。疋田生と会ひbusにて元市印刷。伝田生の(※文集の)組見本出来しをりたり。『果樹園』25日迄に出来を、とたのみ、出て近鉄にて天王寺。お好み焼食ふ。「協和銀行員との縁談また再燃せし」と。
別れて地下鉄にてナンバ。荒木利夫君に会へば多喜さん『果樹園』着かずと怒ってゐると。春夫『悲壮美の世界(100)』買ひ、信江君と愛人苅田[カンダ]君とに会ひ、将来を約さしめ、父君に会はんと云ひて別れ、成見屋薬局の電話借りてかけしに不在。帰りて信江君に電話すれば我に会ふと出て未だ帰らずと!!
堀内民一君に同人新加入を当分せずと。蒔田氏に礼状かく。21:30信江君より電話かかり、父君明日14:30来校と約束す。「お別れにpartyやってゐた」とのこと也。

2月17日
伝田生来るかと9:30登校。11:45まで待ち、開、広常の面接せしのみ。東生来をり、中西にゆけとまたすすむ。午后すみて長沖氏と話す中、山本嘉蔵氏来校。苅田君のこと云へば承知と。我に一任するや否やは返答待てと。16:45まで学会の話などし、くたくたになり、苅田君に至急来よの速達かきしあと、鍛治君誘ってナンバ。Coffeeおごり呉る。(けふ卒業生よりの贈物、万年筆をと浜谷生に云ふ)。
帰れば河出より『世界歴史物語』書けと。三島一、山上正太郎などが編集と。失礼なる言辞なり。西洞院愛信君「前田政雄に会ひし」と。「欠員ありて予算なしと云はれし」と。

2月18日
苅田君より電話あり「来よ」と云へば10:30ごろ来る。山本嘉蔵氏の気持伝へ、津山の実家へ手紙せよとすすむ。姫路工大より阪大の大学院へすすみしと。昼食して帰りしあと、信江君に電話す。
弘文堂より『退休集』代金の受取。鈴木治氏より「Wagner氏に送った」と。千川稚泉より『果樹園』に2、3句のせぬかと。平凡社より申告票(540−81)。夜、福地君電話かけて来る。

2月19日(日)
赤星を呼びて賄人への手当のこと云ふ。〒なし。午后草焚く。夜、林満寿子氏へ祝状。(沼田、午后天草より呼びし花嫁つれて来る。12日退寮せし也)。夜、「杜臻粤閩巡視紀略のこと」250字12枚を書く。

2月20日
悠紀子に郵便出してもらふ。台湾への開封(50)、頼永承氏への私信(35)と、共に航空便なり。〒なし。午后、父来る。この間、林叔父叔母に会ひ、出発少しおくれしとききしと。

2月21日
昨日より下痢。家居。石中象治氏より『芸林』4月号に詩をと。小高根君より転居通知。17:00守本主事より電話、明日補欠入学につき14:00来校せよと。夜、福地君来り、校正23日かと。

2月22日
鈴木治氏へ『研究年報』。林満寿子氏より折返し礼状。池沢茂より原稿とハガキ。高橋重臣より詩、「山荘嬢の縁談は相手に情人あるらしく話に乗らず」と。『薔薇28』。史に京大法科より受験票来る。
けさ8:00苅田君より電話「昨夜23:30まで逢ひ、我に呼ばれしと云ふこととせし」と。戒めおきしも、弟に不快感与へざるためと!!
午后出て学校。院長に会へば及第取消4名あり。補欠1名辞退。8名入り、のこり3名如何にせんと。皆入れよと云ふ。中学部にて国語の教師入用とて井上恵子推薦し、25日(土)9:00来よの速達出す。
長沖氏登校。一寸話して出、山本信江生に会ひ、母君見舞ひ、も少しゆったりかまへよと云ひ、榎本須美子を訪へば秋、京都府医大のdoctorと結婚と。17:00ナンバ駅にゆけば山本嘉蔵氏待たれ、「Etoile」と云ふにゆきて昨夜のことあかし協力を乞ふ。(沢田博士に寄りしに不在。『近畿民俗26』信江君より受取)。
けふ元市印刷に電話せしに明日校正出ると。帰り京橋にて桑田博士に会ふ。家に着きし恰も電話、伝田生より「金曜来る」と。小高根二郎氏よりも電話、24日会ひたしとのこと也しと。奈良女子大より「23日迄に来学期の講義要領しらせよ」と。織田ユリより「徳永悟氏と結婚、山本に住 む」と。

2月23日
家居。福地君より電話。元市印刷へ行ってもらふ。服部三樹子氏より200送り来る。福地君来り、ともに校正、事務片付てもらひ、また元市印刷へゆくと。送り出せしあと、苅田君来り、父の手紙見す。「先方の両親は学校の先生の仲介にて承知した由なれど、当方は一応調べて返事す」と也。すぐ山本嘉蔵氏に電話す。夕食食ひて帰る。

2月24日
朝、山本信江母君より電話、信江風邪にて代りに礼云ふと也。13:00伝田生来り、太宰博士の原稿その他置き「何もかも我に任す。4月8日に披露したき故、3月末に出来させよ」と也。元市印刷に電話せしも無人。砂糖呉れ金一封置きゆく。

2月25日
8:50学校へとゆけば「かもめ」に井上恵子をり、研究室へゆき武居豊子よりreport受取る。「銀の鈴」社に勤めて6日になると。10:00すぎ院長来り、井上生と会はせしも気に入らざる様子。信江君呼びて問合せに気をつけよと云ふ。樫本校長来り、また井上生会はせしも如何にや。西宮君、楳垣教授ら来り話す。
出て元市印刷にゆけば(※伝田文集)表紙4色刷にて3月に間に合はずと。『果樹園2』1冊とりて寺田町で昼食せしに、やがて下痢気味。1時間余り待ちて青くなり帰宅。夜、福地君来り、発送事務終ふ。芳野清君の1,500渡す。

2月26日(日)
下痢直りしらしきも日中臥床。風呂へ入り急に思ひ立ち(吉田定一君より稿料1,720。河出書房より原稿用紙すでに送りしも再度送ると見しあと)鶴橋へゆき散髪。天理につきてうどん食ひ東詰所へゆき八木家ききてゆきしも無人、高橋家に泊めてもらふ。
(けふ午前中、伝田君へ手紙かき、史に速達出しにやらす。)

2月27日
88る老嫗、絶食1ヶ月以上にて夜中ぢうわめくを聞く。9:00起床、10:00高橋君の自転車にのせられて図書館。友井製本翁に水、金2日の中に来さしてくれとたのみ、司書室にゆき司書講習受け、八木君よりcardもらひ、大学の図書館科研究室にゆき仙田氏と話してのち帰阪。
鶴橋でそば食ひ登校。雨少し降る。東生けふより試験受けられずなりしとのことに電話すれば母上水曜来らると。
夜学試験。2年に『果樹園』20部売る。伊東マキ子にきけば静雄の忌日12日と!!
帰宅してあと急風、こはし。百瀬弘氏より「金尚憲」よんだと。伝田雅子君より入れちがひらしき問合せ。河出書房より原稿用紙。(文学アルバム『朔太郎』買ふ)。

2月28日
山中タヅ子より円満退社と。菊地成子、原田裕代より出版社に就職したしと履歴書。伝田雅子より表紙の指定。井上恵子より院長、校長へ運動すべきやと。入江来布氏の死亡通知(71才、肺炎にて26日卒と)。山中生にお祝ひ、菊池、原田には口なしと返事かく。
14:30福地君来り、ややして城平叔父、風害を見に来る。マミ子受験上京と。久美子の礼云ふ。15:30出て片町より北浜2丁目下車、トッパンで『柳樽5』買ひ、中央公会堂下でport-wineのみて(※『果樹園』3号)編集会。15日締切にて伊東静雄特輯ときまる。
出て梅田まで歩く途、「Beir」の前通り、寄りしに山本、岡山へ行くとてmadame不在。beer2本のみて710を小高根君おごり呉る。けふ10:30まで寐て快し。会社のsalaryとどき『信綱文集・歌集』の立替を父、引きあり。

2月29日
9:00出て寺田町下車。石塚で『井伏鱒二詩集(60)』買ひ、元市印刷へゆけば息子ゐず。(※伝田文集の)表紙と写真ともにだめらし。のちほど電話するといひて登校。
院長に会へば生田、青木2生の書類審査を中山太陽堂で云ひをると。山中タヅ子に電話すれば3月半までまだ出社と。生田生に電話してくれ、後ほど来る。阪本昌代と話し、東夫人の来訪受けてきけば、東生、中西の診断にては休学不要と。うれし。
15:00より教授会。体操で10名再審となり、図書返却せざる子のこと云ひ、追試の手当のこと云ひ、専攻科のこと云ひ(山本恭子来ずと)、3月7日新聞社を呼ぶ。毎日は我連絡せよと。
18:00すみてぶつぶつ云ひつつ帰宅。
池沢茂より隔月刊にせよと。20:00福地君来り、同人へ報告。元市印刷へ電話のひまなかりし。(一昨日受取りし夜T田中の診断書失ひしか見当らず。けふ全田叔母の間借りたしと1人来る)。

3月1日
9:00家を出、天王寺へゆけば寒し。喫茶店より元市印刷へ電話せしも不在。Hugoへゆき『アテネ文庫』2冊買ひ、近鉄departで『和歌山市街図』買ひして10:25電話かかりしのち、10:30の急行にて東和歌山。伝田生の電話しらべしもなく、うろおぼえにて電車にのり、水軒口まできてわかり、父上とも会ひ、すしよばれて(※文集の)表紙は児童の絵にすることとし、梅田家まで案内され、大阪へ夫人ゆきしときき、車庫前より市電にて市駅。急行出しあとにて普通にのり、南淡輪で急行にのりかへ泉佐野で途中下車。電話かけて鍛治家にゆき、姉妹より歓迎受け、母上とも話して出、16:46の急行にてナンバ。
入浴し夕食すませれば高知より小高といふ元工員来る。西村はじめ皆健在らし。千川君より150送り来る。Basket-clubより3日14:00より宗右衛門町「新市」で送別会と。堀口太平より江戸川apartにて開業と。23:00奈良女子大の採点了る。

3月2日
9:00家を出、奈良へ成績表を速達で送り登校。4時限まで待つ。末吉より電話。11:00すぎ天理より友井の息子君来り、report50部と万葉研究3冊もちゆく(80×50+120×3)。試験を監督す(漢文)。出来ず。すみて末吉に会ふ。金(岩本)といふ韓国人の息女、中等部に入りたしと。だめと云ひて帰す(※受験資格ない為)。院長来りしかば長沖氏の試験すむを待ち、研究費と本位田・石浜恒夫2氏の新学期よりの講師、信江君の解職などを云ふ。鍛治君、西宮君のsalaryの件は本人達同座により云へず。野崎夫人、近所の子供つれて来る。
16:00出てナンバ。「道頓」でcoffeeおごり、天牛南店で『中国文法基礎(280)』買ひて帰宅。
けふ山田光子に「院長心配しゐる」とハガキ。生田・青木2生、中山太陽堂へ書類もちゆくと同車す。史、10:00すぎ(※京大受験に)上洛せしと。
小山正孝氏より出版記念会の写真(新藤千恵子をり)。林富士馬より山根君の詩よしと。岩崎昭弥より3月末来ると。宇治の日下部喜子氏より2号以后の代金240。

3月3日
小高根二郎君よりハガキ。13:00出て宗右衛門町の「新市」へ14:00着く。楠戸、中島、十時、久保田の送別会なれど1年住山、肥後、佐々木と3名にて淋し。すきやき食ひ、みなbeerのみ、我のみ、14:30出て心斎橋筋歩き十合に入り児玉君に会ひにゆけば真赤となり食堂にてjuiceご馳走となる。「新市」より元市印刷へ電話すれば18:00頃まで不在と。梅田新道で夕食。また電話すれどかからず。

3月4日(日)
天六にて元市印刷に電話すれどかからず。busにて天王寺。電話かからざる故ゆきて相談し、阪和にて和歌山。車庫前にてのりかへ時間を利用し梅田家へゆけば夫君も在宅。久しぶりにて話し、菓子もらひて出、水軒口にて楠戸生に偶然会ふ。伝田家へゆけば恰好の表紙出来をり。それもちて19:00大阪着。電話かからぬ故また行きてよしとなる。留守中〒なし。岩崎次男氏より全快祝として石鹸半douzen。

3月5日
家居。父より電話。福地君より電話。のちほど来り、『果樹園』事務すまして呉る。〒なし。午后史帰宅。羽田家より『コギト』24、25、27、28、31、32、34、35、37−39の11冊。京大の入試易くみな点良かりしと。

3月6日
雨、家居。謝恩会の通知来りしのみ。羽田、伝田、小山正孝、岩崎次男の諸氏にハガキ書く。

3月7日
曇。井上多喜三郎、中野清見、梅田惠以子に『果樹園』1、2。横田俊一氏に『李太白』。
12:00出て登校。14:00より教授会。だらだらと浜谷を卒業生代表とし山本実子を在学生代表とするに時間とる。すみて一休みせしあと16:00より専攻科の打合せ会。毎日、朝日、産経、読売よりも1人づつ来会。今東光氏の独り舞台となる。すみて19:30帰宅。
(けふ学校に伊東花子氏よりマキ子君、堺の幼稚園に口ありしと)。石井習氏より同人に参加したしと120。『玻璃』3月号。小川和氏より『Reflexions our le roman』。中に手紙挿みあり、「親切な先生にもはや会へず」と!?

3月8日
福地君来り、石井習氏に『果樹園』送る。小川和氏へ礼状。河合幸男氏より蒲池邸にて『果樹園』見た。『詩苑』送ると。鈴木俊氏より「金尚憲」の受取。短大へ電話すれば税金の伝票送り呉ると。今年度15万円の印税原稿料収入ありしらし。

3月9日
家居。鈴木治氏より『研究年報』の受取。郡元次夫人より礼状。中林茂子氏より『果樹園』1号よりと100。本多和子より関西二紀展に入選したと。河合幸男氏より『詩苑』2冊。
夜、郡夫人より高島屋の商品券3,000。けふ奈良女子大より来年度の時間割来り、土曜3、4時限と速達にて返事す。元市印刷へ電話せしに校 正火曜に出ると。

3月10日
寒し。〒学院より申告票449,460と来る(去年428,766)。午后電話かけて松本一秀君にゆき『日本歴史物語3』借り来る。

3月11日(日)
家居。鄭成功よむ。

3月12日
家居。また寒し。午まへ福地君来る。ともに小高根二郎君に電話し17日(土)12:30中央公会堂で会ふこととす。

3月13日
9:00元市印刷に電話かけ、10:30にゆきしに校正1時間待てと。rice-curry食はされ13:05の急行にて和歌山。伝田家へゆきて表紙2.2万円見積りのこと云ひ、校正すませ、風邪申立てて出る。表紙は大日本印刷の太秦工場に相談すと也。急行出しあとにて伝田嬢と紅茶飲み、20:50に乗り23:00前帰宅。表紙の問題のこりしも致し方なし。
千川より伊東マキの幼稚園の口なしと。村上新太郎氏より詩を31日迄にと。
けふ留守に北野高校林校長の紹介にて川井義通教諭来訪。2部服飾17井上房子の入学たのむとwhisky1瓶おきゆきしと。大工来りしも赤星応対して不快。

3月14日19560315.JPG
風邪なほらず。弘文堂より『豹軒退休集』。色々の事思ひ出す桜かな、の類なり。
井上多喜三郎氏より『果樹園』の受取。浅野晃氏より伊東の追悼の詩と500、蔵原伸二郎に送れと
14:00出て元市印刷。社長に表紙のこといひ、これにて原稿みなそろひしを云ひ、案内書の印刷たのみ、1,500をハガキ代にわたす。湖東君訪ねしに卒業式にて夫人留守。元市氏にもらひしwhiskyおき風邪薬調剤してもらひ出る。省線にて長雄英子に会ふ。開利枝より電話かかり、けふ帰着せしと。(頼永承氏より杜臻のmicrofilmたのむと)。けふ八木嬢に見舞状。

3月15日
卒業式とて京と出てゆけば学校に着きしは8:45。9:40までにゆけばよかりし也。待つ中、伝田雅子けふ来るとの名刺預り来し子あり。万年筆贈らる。式場へゆけば高岡、守本2氏morningを着ず、我を見て嫌な顔す。文芸専攻の呼名せしに不行届とて守本氏いやな顔す。笑ひ声、話多き卒業式となる。
すみて中島生よりbasket部の返礼とtobacco1箱と母君よりの洋服地ともらふ。伝田父子来り、表紙和歌山にて刷ると。長沖氏も出席と。壽岳先生の題字「足音」と。
謝恩会に出れば東夫人お越し、追試は4、5月といふ。(友井坊や製本もち来り、3,000余り)。
やがて校正見て仕事すみ、教師たちの隠し芸に出ず、15:30より専攻科の会議。10人近く申込ありし。田中洋子明日来るとのことに院長にきけば宜しと。
出て疲れしに気付く。西垣脩氏より原稿。岡崎精郎より『研究年報』の受取。河合幸男氏より同人に加へてくれと。
けふ悠紀子税務署へ申告にゆき13,651払ひしと。父来り、「河野の長男、学芸大附属に落ちし」と。

3月16日
父に電話し、十合の月賦購買券(10,000)のちほど史にとりにやらす。山根君より詩。森亮君より2.5枚。上村肇氏よりも2.5枚。河合幸男氏より詩集2冊。中島悦子へ礼状。井上斌子・山中タヅ子へハガキ。『薔薇』へ詩「卒業式」。田中洋子より電話、院長にまだ会へずと。天下茶屋に下宿探すと。

3月17日
福地君10:00来り、事務やり呉る。一足先に出てもらひ郵便まてば芳野清より原稿送ったと。八木嬢より26日頃来るやもしれずと。伝田雅子より元市印刷へゆきしと。
出て13:00中央公会堂下へゆき編集了。われは69行を伊東のことかき、10行後記をかくこととなりし。「十合」にゆき斎田君に会へば伊東の思ひ出かきかけをもつ。4月1日の会を「御門」でせよと。合セビロあつらへにゆき6,000。そのあと児玉君に会ひにゆきしに不在。昌三叔父に電話かけてもらふ(25日出来と)。「御門」にゆき喫茶。4月1日の特別室の約束し、駸々堂にて『現代用語辞典』買ひ、玉造をへて帰宅。
奈良女子大の伊藤生『杜詩』4冊返しに来、菓子呉る。父来り、今井祖母危篤にて母ゆくとのことに、見舞に1,000わたせしと。羽田より史合格の祝電来をり。(昌三叔父にきけば27日の式は出雲会館と)。
夜、岩崎昭弥より速達、伊東の追悼の詩と「25日来る」と。また福地君より電話、『果樹園』24日ごろ校正出ると。明日夜8:00にでも来よといふ。

3月18日(日)
9:30登校。10:30より2部面接、文芸12人ろくな子なし。午、湖東より電話、夕方ゆくを云ふ。本位田氏のこと道満宅へ電話してきけば東京ならんと。苅田君より電話、近日来よと云ふ。(帰りてきけば山本氏よりも祝ひの電話ありしと)。青木正子「中山太陽堂に通りし」と礼に母と来てcake呉る。生田生は落ちし。湖東に寄り日赤の耳鼻咽喉へ紹介の名刺もらひ帰宅。
20:00福地君来る。けふ岩崎昭弥よりまたハガキ。芳野君より原稿。清水文雄氏より『和泉式部歌集』。楠本、田中、岩崎嫗3人に4月2日10:30登校せよとハガキ書く。
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3月19日
9:30登校。専攻志望は9:00より待ちしと。10:20より院長の話あり。面接聴講4名中にただ1人老婦人あり。長沖さんの講義きくと。院長に鍛治君の昇給いへば心得し様子。長沖氏とナンバへ出て天満橋をへて帰宅。
(福地君と朝同車。学校まで校正とどけてくれし。「元市印刷きのふ我家さがせしも見当たらざりし」と)
西川より手紙と日本経済新聞の切抜。村上新太郎氏より詩の受取。矢野兼三氏より転居通知。夜、松本一秀君より電話、史入学の祝詞。『足音(※伝田雅子編)』の校正再校すます。深夜、京の寝床で猫出産。

3月20日
雨。西川へ『果樹園』の読者となれとハガキ。本位田重美氏への講師の交渉(水曜5、6限、古典講読をと)。眞野喜惣治君より汚職の手助けせよと、断りの返事す。横田俊一氏より『李太白』の受取。久美子の結婚披露27日12:00より出雲会館でと。
14:30出て元市印刷へゆき再校すます。帰りアベノ斎場へ出、『国姓爺合戦』見付け、天海堂で『法史閑話(80)』買ひ帰宅。
愛和幼稚園の成尾園長より学園高校につき明日来ると電話ありしと。

3月21日
神田信夫君より『閩海通言』の名見当らず『閩海贈言』とありと。和田先生御経快と。鈴木治氏より令息に『古典語典』よましゐると。湖東より電話「令嬢、大手前に合格。我に保証人たのむ故、明日15:00来る」と。
14:00出て梅田へ散歩。Svalにて『日本人の博愛(100)』買ひ鶴橋にて鰻丼食ひて帰宅。井上房子生あたかも来あはせ、礼にとcakeおきゆく。

3月22日
晴。小野和子より電話、史の及落問ひ合せ来る。保田與重郎より林良子入学の礼。小高根二郎君より服部三樹子氏同人参加と。山中タヅ子より専攻科には入れずと。
14:00湖東君来り、大手前高校の保証人の印おさす。busまで送りてゆきしも来ず。駅まで送り愛和幼稚園にゆきしに成尾園長、学園高校入学の件については佐沢氏にたのみにゆきしと。夜、福地君来訪、用なし。

3月23日
晴。依子を日赤に悠紀子つれゆき小山dr.の診断受ければ蓄膿ならずと。10日ほど通ってみよと。湖東君への手紙も托さる。河出書房より「26日までに原稿を」と。
父来り、土曜より、富士鋼業交渉決裂、ビラを貼りまはしゐると。史、明日より上洛と云ふ。苅田君より電話、ややして来り、成績見たし、釣り書ほしと。8月より結婚予定の交際とせんと。葡萄酒2瓶、史の祝として賜ふ。夜、岩崎昭弥より速達「25日こられず」と。

3月24日
よべ「国姓爺合戦」20枚を書きしも了らず。午、康平叔父より電話、寮生の人数に疑問あり(31名ならずやと)。彼らの為せる所を一度見に来よと。すぐゆくと云ひ、悠紀子の帰るを待ち、訊ねしに32名にて宜しと。羽田君より享博士の一周忌を4月8日(日)11:00興賢寺にてと。(ゆけずと返事かく)。角川より『ハイネ』5版2,000の検印紙を26日迄にと。本位田重美氏より水曜6、7時間目にと。(短大へ電話せしも守本氏28日まで登校せずと)。学院同窓会を4月1日(日)11:00よりと。
会社へゆきて康平叔父に人数のこと云ふ。原君がまちがひしと。ビラ赤旗を見て帰り来れば、のちほど田中課長来り、けふ夜、帰りし者をしらべよと。今川宅の前にapartの一室を借りをると。やがて悠紀子にしらべさせしに概ね帰寮。小倉が出て城平叔父に会ひにゆくと云ひしと。(岩崎昭弥に4月1日来よといひやる)。

3月25日(日)
悠紀子、京と弓子をつれて買物に十合へゆく。福地君来りし故、校正まだ来ずと云ひ、電話せしもわからず。行ってもらへば待たされて組み了りしを持ち来る。その間、上村肇氏の『河』来りしのみ。
14:00来りし福地君と校正。すみて『李太白』買ふことたのみ、角川の印紙投函たのむ。小高根二郎君に行くと也。
今夜また6人ほどおそくまで帰らず。昨夜、小谷、赤星、衣川、永井、増田、佐藤怪しとの手紙田中課長にかく。
夜、24:00までかかり「国姓爺合戦」50枚書き了る。我としては書き了へし感じなり。
けふ羽田に4月8日参れずとの返事出す。(背広出来)。(池沢茂に電話し4月1日おそくならば連絡せよと云ふ)。

3月26日
依子に河出への速達托す。福地君、元市印刷への途『李太白』もち来り呉る。疲れて午睡、和田先生『東亜史研究』賜ふ(1,500)。
けふ原君に田中課長への手紙托す(小谷、赤星、衣川、永井、増田、佐藤、小倉の名をあぐ)。
夜、福地君電話し来り、『果樹園3』28日出来と。(小倉によればビラ貼りに前田従事と)。

3月27日
10:00家を出て散髪、大江の坊やをり。すみて11:23にのりて森ノ宮より出雲会館へゆけば12:02。
われが最後なりしらし。式場にも出さされ披露宴、新郎(大江望)側は父母と大江父子と房子(つとむ年度末とて来られずと)。久美子の側は城平叔父、川原町叔母、康平夫婦、昌三夫婦と。藤田女史と川島女史(花柳勝田衛)杉浦氏も来をり。14:30新郎新婦出発、われ肥後橋まで歩きて片町より帰宅。
大江叔母と城平叔父とにて史の祝に鞄くれる由。帰りて今井三郎叔父よりの礼状見る。
住康子より4月会ふと。八木嬢より『新潮』19年21号に「スマトラ便り」発見せしと。浜谷弘子志賀高原より。やがて西宮君より電話、開利枝来ると(けふ吉永君に市電にて会ふ)。来りし開生に夕食くはせ『戦後吟』を餞別とす。史けふ上洛。

3月28日
史、宇治に下宿見付け2食5,000なりと。家にゐるは不快故、下宿したしと。父来り、万美子の為に下宿さがせと。悠紀子に俊子姉へ速達せしむ。(夜、城平叔父より電話、遠すぎずやと)。
岩崎昭弥より4月1日来ると。上田阿津子生、名古屋より。角川より印紙の受取。石田嘉子よりハガキ。
夜、福地君兄妹来り『果樹園3』の発送すます(120部)。

3月29日
無為。河出より「国姓爺合戦」の受取来る。守本主事に電話して本位田氏のこと云へば「5時限をおそく始めささん」と。ハガキかきて本位田氏に 諮る。

3月30日
雨。散歩に出る。金なくて悒鬱なりしに帰れば奈良女子大より8,400+4,600(車代)。1月より1時間700と上りし也。短大より採点 を7日までにと。
けふ悠紀子、藤井寺へゆき今川へゆき、叔母たちに会ひしと。(万美子に祝1,000)。

3月31日
晴。中村文子より関学大の3年編入通りしと(4名の1人と)。和田先生へ『東亜史研究』のお礼書く。
八木嬢14:00すぎ来り、史へ祝にnote5冊。子らにgame。(悠紀子、十合へ買物に出し直後)。Koffmann2冊、福尾『家族制 度史』、神近市子などもちゆく。
元市印刷より電話にて明日和歌山へ『足音』もちゆくと。月曜に短大へ1冊もち来れと云ふ。
夜、鳥取の田中洋子母より電話、胃痙攣にて2日出勤できずと。
けふ新聞にて大阪府教委の転任発表あり。瀧本美津子は岸和田城内小へ、西川良江鶴見橋中へ転任と。

4月1日(日)
弓子入学式とて悠紀子新調の和服にて出てゆく。雨となり10:00出てゆく。上町線にて西宮父子に会ふ。「かもめ」に寄り『鴎外全集 別巻2』受取り4年8か月の全集すむ。山本信江に電話し、来よと云ひ、吉田東洲なる人よりの『李太白』の批評受取る。高岡博士とすし食って出、信江君の家へゆく途中、会ひ一寸話してゆき、父上に釣書と成績証明書のこと了解せしめ、お好み焼御馳走となり、(※『果樹園』の会に)「御門」へゆけば福地、高橋、山根の3君のみ。おくれおくれに斎田、岩崎、小高根、池沢とそろひ、4号より毎月刊、16頁、同人費500ときめて出る。
岩崎、小高根2君と高島屋へ帽子買ひにゆきしも大混雑でだめ。岩崎君とbusにのり天満橋。家まで伴ひ夕食せしむ。疋田、井上斌子2嬢よりハガキ。19:30岩崎君出てゆく。子ら八木嬢よりもらひしgameばかりやりゐる。
「乾隆帝」やや案を得たり。俊子姉より2階4畳半を6,500(2食)にて貸すと返事。城平叔父より電話、21:30の彗星号にて明日久美子夫妻と上京と(8号車)。(けふ佐沢波絃氏『戦後吟』10冊代とて1,000呉れし。伊藤賀祐、渡独中と岩崎の話)。

4月2日
よべ寝られず。朝30分ほどねしところへ福地君来り、朝食。ひげ剃りともに出て京橋で別れて登校。「かもめ」のぞきしも夫人見えず。守本主事にきけば昇給われ10%、西宮君は少しと。岩崎嫗、楠本嬢と茶のみつつ、5日田中洋子来りてよりlist作らんときめ、漢文2部問題を三苫君にわたし、山本信江の成績表5日作成をたのみて出、「かもめ」に『鴎外全集(550)』代払ひアベノ橋にて炒飯くひて帰宅。
野間光辰、山宮允氏より『果樹園』礼状。伊藤佐喜雄「小金井に転居」と。
父来り、くだくだ云ひて帰る。寐られずして困る中、鈴木母子来り、夕飯くひ、依子悠紀子と出てゆく。城平叔父伊豆へゆくと。
夜半bellなり酔漢2名闖入(1名は元工員ハタと)、われ起され、原君おこし、結局出てゆきしも腹立つ。

4月3日
会社へ電話し康平叔父にハタといふ男のこと云へば「今度来たらおれの方へ廻せ」と。引揚住宅の子持仲居にだまされしならんと。院長より電話「井上生を小学へとり、四方生を中学へ廻すはいかに」と。「ありがたし」と答ふ。本位田氏より13:40出講にて宜しと。酒井絢子「19560401.JPG久賀谷姓になりし」と。村上菊一郎『果樹園』の礼状。『桃』(※山川京子主宰歌誌)来り、岩崎昭弥 の歌宜し。
湖東より電話「山本入院、ともに見舞にゆかん」と。福地君に元市印刷への支払ひたのみて出、梅田で待合せ、吹田済生会病院へゆく。膵臓潰瘍と。なほ意外なりしは夫人離婚したと。そこへ上田初枝女史来り、家事の采配ふりをること判明、よろし。3万円湖東返却。梅田にて喫茶、別れて「Sval」にて『東洋史講座3冊(180)』と『日本現代詩辞典(250)』。けふ「乾隆帝」の成案を得、うれし。
夜、福地君来る。昨日高村光太郎死にしと。

4月4日
晴。傳田雅子より礼状と『足音』1冊。上村肇氏より2号同人費300。北村徳太郎氏に送れと。「乾隆帝」夕方までに20枚。

4月5日
9:00出てbusにて小阪より布施、住友銀行支店にて7,308取り登校。田中洋子早くより来て待ちゐると。院長「井上を電話の通りにきめ た」と、めでたし。List作りやり、昼食の時、信江君来る。苅田君上京中と。成績証明書預からす。
15:30出て田中洋子にぜんざい食はせ、アテネ文庫『アヘン戦争と太平天国』買ひて帰宅。増田幸子より8日洋裁にて下阪と。硲晃君より「田中吏といふを見つけし」と。夜、ちょっと採点。大江の坊や、史への祝の鞄もち来る。

4月6日
定期買ひて登校。住高の山本重武君に会ふ。ゆきて2嬢と話しゐれば院長に呼ばれ「図書室の計画せよ」と。13:00となり昼食、井上恵子に明日9:00来よの電報打ってもらふ。15:00すませ交叉で下車。『日本山岳巡礼』買ふ。
帰れば百済生よりなつかしと。河出より催促の速達。史、帰り来り、吉野書房のArbeitは夏休みと。畠山氏手続教へやらんと。23:20 「乾隆帝」50枚書き了る。

4月7日
速達、天王寺で投函。井上恵子来り「小学校の校長秘書となりし」と。岩崎嫗おくれ来り、不快ゆゑ叱りおく。12:00すみて事務室にゐしに大東夫人(※伊東静雄の女弟子)、専攻科の用紙とりに来り、ともに出て地下鉄にてナンバ。「printemp(※プランタン)」といふにつれゆかれcoffeeおごらる。
別れて「源平」によれば美智子嬢5月結婚と。祝すると云ひ、すしもらひて出、十合にゆき児玉君に会ひて赤ん坊の病気のこときけば、時々風邪と。
雨となり地下鉄にて天王寺、寺田町にて『アラビアンナイト(75)』(十合にて『日本法の生成(100)』)。放出で下車、電話すれば弓子、京にて傘もち来る。(けふ採点2部の漢文と国文学史とわたす)。(児玉君にきけば前田光子挨拶なしにドーナツ売場やめしと)。

4月8日(日)
雨。11:00家を出て阪和12:00発の東和歌山行へのり、伝田家へ着けば14:00。住康子来をり、風雨にて参会者少く哀れなり。(※『足音』出版記念会)栗栖氏の司会にて始まり16:00すむ。長沖氏来り、太田昭子来り、武居生来る。夕食たまひ(市助役、市教育長――みな若し)、taxi呼んでもらひ市駅。4人同車にてナンバ。喫茶後、地下鉄にて天王寺をへて帰宅。(羽仁五郎『国会』買ふ)。
岩崎昭弥より保田本日転居と。硲晃、川井義通氏より(※〒)。

4月9日
家居、史(※京都大学)入学式にゆき父付添ひしと。女児もみな登校。福地君来る。角川書店より学校図書館用にわが『Heine(※『ハイネ恋愛詩集』)』を入れると。漢文の採点すます。

4月10日
9:00家を出、『文芸春秋』よみもてゆき、鍛治初江君への電話申込みlistこさふ。鍛治家へ電話かかれば一家淡路へゆき明日夕帰宅と。同嬢の月給2,500ときまりしと。午、岩崎嫗来る。山本信江に電話すれば「苅田君帰阪」と。西洞院夫人より電話、ナンバで待合せの約束し15:00で仕事やめる。岩崎嫗遅刻の穴埋めすと云ふを叱る。西洞院夫人にきけば、夫君サンケイ関係につとめ、販路拡張に協力してくれと。別れて荒木利夫君訪ねしに不在。
帰れば奈良女子大より(※帝塚山の方の)開講日しらせと。「21日(土)」と答ふ。里井千寿子より婿さがし3、4年先でもよしと。服部三樹子氏より同人費500。西垣脩氏より(※『果樹園』編集の)新構想に賛成と。梅田惠以子夫人より退院療養中と。
けふ疋田嬢来訪。姪御の入園の礼としてcastilla1箱賜ふ。浜松の縁談はこはれしと。けふ史、京大法科の個人面接に、2番で入り、1番と1点ちがひなりしと云はれしと。19560411.JPG

4月11日
10:00ゆきlist作り終り、分類皆やらんとすれば岩崎嫗アベコベ云ひどなりつけ、あとで恥かし。疋田嬢に電話せしも留守と。野崎夫人午后来り「永島福太郎氏の義妹、2部英文受験につきよろしくたのむ」と。最中と壁かけの皿を賜ふ。院長来室、日産経の本売りを■退する場にゐあはす。
16:00すまし、千川に電話かけ地下鉄にてゆき喫茶。(※『果樹園』頒価4号より10円から)30円になれば1冊づつ月極めと90円預り10冊分(3号)100円受取り、地下鉄にて天王寺。別れて鶴橋で散髪。Barton『世界史入門』買ひて帰宅。入浴、夕食。
けふ山崎忠Teheranにて死せしとradioでも云ひしと。21年ともに入館、八方美人的なる男なりしも哀れ。青木正子より「つとめゐる」と。木村三千子氏、南3軒目に大きく店出したと。伝田雅子より礼状。田中順二郎君「中野区雑色町14へ転居」と。父より新村博士の『李太白』の礼状写し。時間割出来上り。

4月12日
9:20登校。入学式。すみて写真撮影。学科説明中に教授会と呼びに来る。教授会にて図書館新築の件出る。14:30すみ、採点。保田の妹林夫人母子、兼頭母子などに挨拶うく。16:30すみて鍛治君さそひ「愛の交響楽」見にゆかんとすれば吉崎雅子(けふ聴講生[専攻科の]となりし)離れず、「面影」へゆきてport-wineのませ角座へゆき(労映の切符2枚150+170)、看了りて中華料理。すみて喫茶。帰れば22:00。
けふ井上恵子の母、礼に来りcasilla1折と近鉄商品券1,000とくれしと。開利枝より就職口きまらずと。岩崎、小高根2君の原稿。(けふ佐藤道氏「夫人病気につき講師辞退」と。本位田氏より月曜ならば都合よしと便あり、佐野氏の火曜の夜学もたのむこととせん)。(高野線で小野和子夫妻に会ひしに坊や可愛。)
父来り、万美子阿佐ヶ谷へゆきしに1時間半かかりしゆゑ、やめると云ひをると。(山本信江嬢来り住高の成績書受領、つり書は父上より渡さると。母君、明日市大病院へ入院と。)

4月13日
本位田重美氏の夜学講師交渉の速達し、登校。2門の分類かへやる。田中洋子出来ず(けふきけば7,500のsalaryとなりしと)。山本嘉蔵氏に電話すれば、坊やと苅田君と津山へゆきをり、釣書いそがずとわかる。吉崎より電話。早川麗子生来り(産経経済部)、腸閉塞となりしと。4月より1年やり直すと。次長は今沢幸とて浪中のわが教へ子と。田中洋子と3人にて出「No.1」でぜんざい食ひ、梅田新道まで同車。別れて大安にて『中国石器時代的文化(80)』『杜甫詩論(220)』。「Boir」へ寄りしもMadameゐず。山本退院せしと。京橋へ市電にて出る。
小高根二郎君より「同人費のこと心配しゐる」と。夜、福地君来り、集りゐる原稿計算すれば30行程度。編集会を木曜わが家ですることときめる。

4月14日
始業式への途、アベノ交叉の誠進書店にゆけば店員仏頂面してゐる。昨日わが店開け遅きを云ひし故なり。『続お伽草子』『街の言語学』と買ひて登校。始業式に石田博士の講演きかさる。市大やめ京都女子大と。すみて空腹かかへ天王寺。炒飯食ひ、近鉄にて元市印刷。伝田君あての請求書(20,000)受取り、藤井寺。大江叔母12日帰阪。丹波へゆき17日まで帰らずと。昌三叔父宅へゆけば叔母と(みさ子を育てることとなりしらし)今川夫人とあり。話して出、恵我ノ荘、梅本に行く(※梅本吉之助宅に泊)。

4月15日(日)
京へと衣類と靴もらひて出、学校へゆけば9:30。2部49人来をり、採点すまして「かもめ」にゆけば松村生をり、伊藤信吉『現代詩の鑑賞 下』と『外来語辞典』と買ひ昼食。面接し及落決定。補欠6人に18日(火)18:00〜19:00に再面接のこととなる。16:00すみて帰宅。
浅野晃氏より原稿と300。森亮氏よりも原稿と500。服部三樹子氏より歌稿。岩崎昭弥君より訂正。大江久美子より挨拶「仲好くしゐる」と。 けふ伝田生へ請求書送る。

4月16日
畠山六右衛門氏より電話「奨学金はだめ。その中転宅すれば家庭教師たのむ」と。小高根君に電話せしも不在と。久保田新子夫人より礼状(入れちがひにbeerの礼状出せし)。矢野好吉氏より『くにぶり』に応援たのむと。本位田重美氏より木曜に夜学としてくれと。13:00出て登校。 守本氏に云ひ木曜の西宮君とのふりかへ成り、南海にてナンバ。
松竹支社へ「夕やけ雲(※木下恵介監督)」見にゆく。越智一美来り、安西冬衛をり、ややして小野十三郎氏来る。八幡高校(※紹介した校歌作詞)の礼をもらひしと。すみて出、末沢家訪ぬれば母君も見て帰りしところと。
市電にてナンバ。川原町へゆけば叔母juiceのませ呉る。永井君を見舞ひしに元気と。大阪一のprint屋となりしと。山崎忠の死を知らざりし。出て日本一の宮本書店にて『徒然草索引(800)』とクセジュ『匂いと香料(70)』買ひ、市電にて鶴橋。支那そば食ひ、力身好子生訪ね、beer出さる。東順子の誕生日とのことに電話かけ、帰り「会社にて相手見付けしも26才にて12,000のsalary」と打ち明けらる。
(けふ小高根君より学校へ電話「伊藤桂一(※同人を)やめる」と)。

4月17日
8:30家を出、住高に寄り硲君に会ふ。Bebel『婦人論』を教科書としてとり10:00よりの専攻科開講に出、国文学史の指導やり、やが て来し西洞院氏を庄野英二、熊沢安定の2君に紹介。小野和子赤ん坊つれて来り、大江へゆかんと誘ふ。電話すれば昨日不眠に疲れて会へずと。木村陽子来り、九州旅行の話す。本屋2組来る。田中洋子下宿を見付けにゆく。専攻科にBebelを使用すと申渡し、井上、古田2生とナンバに出、高島屋にcutter shirtあつらへ(5月1日出来と)、「priuteuf」にて喫茶。
別れて荒木利夫訪ねしも不在。梅本訪ぬれば課長にあらず部長と。『果樹園』の6ヶ月申込受け、出ていづもやでまむし(駸々堂にて清野『人類の起源』)。天王寺をへて帰校。夜学の補欠入学の4人に会ふ。(2人来ず。1人は補欠なら止めよと父にいはれしと)。
19:05出て岩橋女史と同車。山根氏より詩1篇。菊地成子よりつとめゐると。けふ福地君来しと。(松本善海に電話すればもはや出勤しゐると。近日中に弥戸に転居すると)。久保亀夫国鉄経理局長となる。

4月18日
昼食すませてport-wineのみ登校。西宮君けさ専攻科やりしと。矢本定幹氏をり『海盤車』同人たりしと。加藤一君健在と。田中洋子帝塚山に下宿見付けしも2,500の外、水道電気代、前払10ヶ月と。川端氏来り矢本氏に紹介せよと。
15:00図書館規則の会議し、すみて佐野道氏に退職承知を伝へにゆく。帰途疋田家へゆきしも紀子生不在。出て帝塚山書店へゆき『文芸春秋 アメリカから得たもの失ったもの(10)』買ひ夕食。2時間目に出、漢文の答案返し再試を云ふ。
帰り産経の和田生らと同車。帰宅すれば野崎君より根木氏の及第の礼状。夜、昭和21年日記抄(※『果樹園』原稿)20枚かく。

4月19日
2時限のためゆけば庄野英二君来をり。歴史4号室とてゆけば入りきらず、25人程立ちをり。教室変更できず1時限に変更せんと守本主事。村上生に朝、増次郎君来りし(羊羹5棹持参)をいふ。長沖氏来り、大谷短大の吉井君より電話、天理の大浜君講師として来をり、会ひたしとのことに、のちほど電話すれば明日正午すぎ来ると。神島生漢文の再試験にて文句つけに来る。Christ教の本を売りに来し神女2人あり2,000余り買ひやる。疋田嬢より電話、その中に来よと云ひ、13:00出て天王寺より今墨行busにて東医院。順子・孝子姉妹と話し、またbusにて寺田町。帰れば16:00。入浴。
河出より「少し直したから見よ」と。のちほど速達来しを見れば、もち上げて大して直してなし。17:00福地、小高根2君来り、勘定すればわが稿足らず29枚まで追加し、後記10行かきて22:00了る。大江勉より世田谷4の437に転居と。『日本歌人』4月号に『果樹園』のこと書く。

4月20日
登校まへ庄野未亡人昨夜逝去の記事を見る。ゆきて長沖、西宮2君と相談し、昼休み時間に香奠もちゆく(小野勇氏同行、われ香奠1,000三苫事務長より借用)。(府立女子大の高馬君に誘はれcoffeeのむ。)
大浜君より電話、けふ来られずとのことに予定狂ひ、print切りしあと、新世界へゆき通天閣工事を見、まむし(80)肝吸(30)食ひ『東支那海路誌(120)』買ひ、平野線でアベノ交叉。字引3冊学校へと注文し、18:00の2部入学式に出る。沖殿ら3年生に9冊『果樹園』を売りし。帰れば伝田生より「写真出来ざる故未だ来ず。(※文集の)反響は大へん」と。大江望夫妻より挨拶。

4月21日
参考書をしるし、挿絵まかすとかきて河出書房へ書留速達し、9:01鶴橋発の天理行。西大寺のりかへ9:50奈良着。野崎家へ寄り、すぐ登校。
教務できけばまた69教室。横田俊一氏に会ひ、天野忠に会ひ、図書館評議会の規則もらひ、小川和氏と話し、服部(※服部英次郎)氏に放課後を約して講義。45名位をりprint不足。45分ですまし、昼食まち(50)、教務で伊藤生の所きき、なれなれしく話かける法学の講師(天理大の小林君なりし)に迷惑し、図書館で服部氏まち羊羹贈り、出て(藤岡『人類と人種』売店で買ふ)前川家。
(佐美雄氏『浪曼派』出るゆゑ『果樹園』やめよと云ひすてて他出)、われ夫人と話し、保田と西村嬢、山崎夫人の話きき、出て生駒下車。服部(※服部正己)へゆく途、長女に会ひてきけば父母ともに不在(服部今年度土曜出勤と)。前川夫人に角川源義氏大阪にありときき宿屋(金森旅館)に電話せしも他出と。
帰りて服部三樹子氏の訂正ハガキ見、岩崎待ちとも来ず。育英会の申込用紙5月10日までに呈出と。20:00岩崎昭弥来り、梅田に泊ると。 『果樹園』には1,000まで出す。わが詩集には20,000まで出すと。

4月22日(日)
晴。午后、平凡社より『世界歴史大事典』の学生版のため訂正をと。15:00入浴。福地君を訪ぬれば大掃除。『蕪村』貸し誘ひ出して諸堤の大東邸へゆき夫人、dr.に会ふ。田村春雄を知ると。夫人の専攻科の願書と検定料と預りport-wineに酔ひて帰る。

4月23日
朝、田中洋子に電話して午后ゆくと云ひ、乾武俊の「詩観ちがふ」とのハガキ見て会社。Salary表出し父に会ひてのち村上鋼業社長に会ふ。
登校14:00。図書館規定出来上りをり、角川の『国語辞典』来をり。田中洋子の分類を見、請求書の印押す。守本氏に大東夫人のこと云へば水曜の教授会にかけよと。夜学まで西宮君と話す中、三好一夫より電話、「西成府税務所の平田の漢文の点まけよ」と。不快。
(けふ悠紀子、史とわが冗費を怒ると。計算せしに4月中に10,000使ひらし)。夜学に図書借用票くばり、すみて早川生と話せば「今沢幸あひたがりゐる」と。(平凡社の『歴史大事典』の校正送る)。

4月24日
9:00家を出、登校。国文学史やる(けふより図書館開館)。松田、山本正子2人来り、三原律子の一家行方不明と。岸谷の母来り、就職したしと(山本恭子来り、長々と話ゆく)。西洞院君来り、庄野英二君に会ふと『果樹園』1、2、3買ひゆく。
16:00出れば「かもめ」夫人『国文学史(角川文庫)』品切と。帰宅。
荒木利夫君より『果樹園』2号呉れと。芳野清君より新企画に賛成と。清水文雄氏「広島市南千田町1039に転居」と。久美子より「ハガキ見た」と。

4月25日
けふcollege-hourに話すべきやと、10:30登校すれば、壽岳博士やる故不要と。むかつきて同時間出ず。図書館運営委員会の規程案作り、大阪新聞よりの電話きけば「幸福の扉」に書けと。「明けたことなし」と大笑ひし、明日かあさって来ることとなる。岩崎嫗欠勤、田中洋子を手伝ひ、教授会の開会まち、運営委員会案より館長公選と。委員の候補除かれ、むかむかして夜学まてば明日1時限歴史と。休講云ひて「国文学史」教へ帰宅。
けふ学校へ原田裕代より「協和広告に勤めゐる」と。田中順二郎夫妻より史の祝1,000。

4月26日
9:00学校へ電話さし、1時限休み10:30登校。十時の家へ電話すれば神戸へゆきしと。図書室で田中洋子に文句つけ山本恭子の問合せとて来し興信所と応対。鴎外『文づかひ』よみ(40人位)、休みに下りれば則武(妹)をり、やがて小野十三郎君来り、昼休みとなり、今東光氏来る。この間保田来りしと。
14:00帰らんとせしに、伊藤賀祐来り「楳垣氏に会ひたし」と。待たせゐる間に、大阪新聞より来ると。「幸福の扉」とて小説60行を筆記すとなり。その前来りし岩崎嫗どなり、伊藤をびっくりさせし。女記者と出てナンバ。Münchenの前にて明日筆記さすことを約し、伊藤にbeerのまされ、ドイツより来し手紙よまされて別る。
松本一秀より「弥刀に転居」と。伝田雅子より「明日来る」と。福地君より電話「印刷屋おくれ20:00出て来る」と。24:00初校了る。きけば福地君、元市老と共に植字せしと。

4月27日
登校。伝田雅子、太田昭子と待ちをり。院長より呼ばれゆけば「図書室20坪にてはいかに」と。「しらべて返事す」といふ。
漢文やりて昼食時、basketの新入生に講話し、またしばらくして大阪新聞より電話、下痢申立てて断る。小野和子けふ藤井寺へゆく筈なりしも赤ん坊下痢にて止めと。大浜君断りなしに帰りしとて西宮君早く去る。われ奈良の漢文print切り、16:00宮口に会ひにゆくといふ伝田君と別れて帰宅。
雨、午后より降り出して止まず。けふ父より電話、史に同志社大2部1年生の家庭教師せよと。西川良江より「上谷姓となりし。相手は旧同僚」と。伊藤(北沢)みち子より転居通知。西阪修より行動展の案内。竹内(※竹内好)より『魯迅友の会会報6』。服部三樹子氏より訂正承知と『果樹園』発行所宛。
20:30福地君より電話、菊版とす(従来は変菊版)。出来上りは日曜10:00と。父より「万美子、高円寺7の981藤野節子方に下宿」と。

4月28日
奈良へゆく(けさは下痢せず)。図書館にて書庫、閲覧室の坪数きき、小林君小川女史と話し(横田君見付からず)、63教室へゆけば丁度満員。 12:00まで講義、服部氏と話し昼食して野崎家へゆけば、鍛治姉妹のみ。永島氏来られ根本嬢の2部より1部への変更いはれ迷惑す。遅れし和島、椿下2生来り、出て「湖月」にてしるこ食べしあと藤見にゆく。藤田幸子(米沢)夫人より田中雅子君訪ねしと。俵青茅氏より「日動火災海上保険奈良出張所長となりし」と。東向北町30といへば野崎家の隣位なり、ふしぎ。(けふ、われ女史を竹内正夫氏に紹介する約束す。再来週とならん。田中講師名大へゆくと)。

4月29日(日)
10:00福地君より電話、11:30『果樹園4』もちて来ると。太田陽子夫人別府よりハガキ。福地君と昼食して同人の分包み、出て中央郵便局。発送し、包紙買ひ、『ギリシアの詩』買ひて阪急石橋の小高根君の新居。長男しゃべり小女黙す。同人費は催促せしゆゑ心配なしと。山岸外史より投稿来をり、2,000出すこととなり、夕食よばれて帰り、福地君さそひて家に帰り110部の寄贈読者の発送をなす。時に22:00。

4月30日
登校の途、椎寺町の府立図書館天王寺分館へゆきしに、元大原研究所とて贅沢に書庫用ひあり。参考とならず。ついで市立図書館へゆき吉井良顛館長に話きく。
登校。本位田重美氏の来るを待ち、ついで府立女子大図書館を見、帰りて院長室へ本位田氏つれゆく。昇君肥えゐると。
11:00となりアベノ交叉へゆき綿野にて『顔(100)』、誠進にて『口語新釈聖書(70)』買ひ、焼飯食ひて帰校。
和田嬢にきけば産経(大阪新聞)の女記者怒ってもゐずと。けふ鍛治姉妹3ヶ月読者となり、浜谷姉に会ひ試験手当3,000もらふ。

5月1日
8:45登校。歴史やり、退学したしといふ三原生に会ひて「止むなし」と認め、国文学史やり、東生より姉順子の『果樹園』6ヶ月分受取り、蘇原美智子より17日15:00gas buildingでの披露宴への招待受く。(藤井姓となり、石切山荘に住むと)。専攻科すまして鍛治君と行動展見にゆく。西[阪]修をり批評せよと。逃げ出して喫茶新世界を通り抜け、市電にて天牛へ『風土記』探しにゆきしもなし。佐竹の店へお好み焼食ひに入り、出て別れて地下鉄。高尾までゆきしもなし。
疲れて徳庵まで帰れば苅田君に遇ふ。「山本信江せきゐる様子」と。明日父君に連絡せんと云ひ、助教授桜井良文氏に大高17回ときく。すでに打明けありと。
福地君をり『果樹園』の赤字計算す。(けふ天王寺にて篠田博士に遇ふ)。大東夫人より手紙。「水曜登校」と。

5月2日
登校。山本嘉蔵氏に電話すれば不在。小高根君に電話すれば「野田氏との待合せ場所、十合地下喫茶と変へし」と。「痩せる法」をcollege-hourに話す。壽岳、楳垣、守本、西宮諸氏に聴かる。
すみて夜学までの時間つぶしに弱る。(大東夫人来り、壽岳博士に紹介す)。山本氏に再び電話すれば「月曜17:00学校へお越し」と。
出てアベノ橋。旭町の小映画館で「ローマの休日」観、busにて淀屋橋。日本レーヨンにゆけば小高根君帰宅。Taxiにて産経にゆけば今沢幸帰宅。大毎にゆけば天野愛一帰宅。「Boir」にゆきpeppermint一杯のみ(130)、madame植田初枝氏のこときけば4月でやめしと。ややして来り、17日より山本宅へゆくらし。出て新道の古本屋にて吉永君に遇ひ『果樹園』石山君(※石山直一)にと托し、busにてナンバ。雲呑くひて登校。2年10人しかをらず。この授業やめると演説して帰る。(けふ池沢わが出しあと来り、同人費と売上と650おきあり)。
井階房一、大同生命新潟支社長となりしと。小高根君より森房子の同人費1,000受取りしと。

5月3日(憲法発布の日)19560503.JPG
服部(※服部正己)夫人より11:30電話「30分ほどして来る」と。ついで苅田君より電話「火曜夜来れ」といふ。服部来らず16:00とな り、家を出れば姿見え、きけば「来客にておくれし。土曜関大へ出講のため会へず」と。
ともに出て玉造よりtaxiにて十合へゆけば小高根夫妻すでに待つ。18:00の閉店まぎはとなり斎田君来り、ややに野田宇太郎氏来る。三池の産と。蒲池氏とやや似たり。
ともに出て千日前「繁の鮨」にてすし食ひbeerのみ(900)、天牛南店にゆき、百田宗治氏の故家とひ、閉ぢし二階に上りして、二つ井戸(※跡)にゆけばわからず。道頓堀にて喫茶の後、taxiにて新町(80)、ついで堀江にゆき(80)、地下鉄にて梅田、別る。
けふ岩崎より同人費と売上とにて1,000。『薔薇29』。(野田氏、2人に鳳晶子(※与謝野晶子)の家の羊羹1本づつ賜ふ)。(※和菓子屋「駿河屋」のレッテル貼り込み)

5月4日
父より電話あり、羽田君けふ旅行する故だめと。小野和子より電話「14:00までに電話せざればともに藤井寺へゆかん」と。悠紀子城東区役所にゆきしあと、田中米屋夫人来り、嬢ちゃんの受験につき(西宮君の話せし)聞き、卵おきゆく。父に金尾文淵堂のことききたしと電話し、来りしに訊きしも旨くゆかず。大和アベノ支店へ金引出しをかね14:00出てアベノ橋。時間あまり『空から見た大阪(65)(※岩波写真文庫)』見つつ待てば、16:20小野和子母子あらはれ、大江へゆけば女中また新来。18:00叔父帰るまで居り(千葉にこの間叔母会ひしと)、自動車に便乗、アベノ交叉にて別れ、Mark Gayn(30)よみつつ帰宅。
けふ池沢、千川より『果樹園』のこと。小野勝年氏より「会ひたし」と。

5月5日(子供の日)
父より電話、羽田君父宅へ来り、「けふ、明日にでも来よ」といひしと。瀧口喜久子より身上相談「級友われを陰気にして辛辣といふ」と。瀧口生と八木嬢へ手紙かく(金尾文淵堂本しらべてくれと)。夜、福地君来る。

5月6日(日)
竹内正夫氏に「12日13:00佐々木恒清先生のお詣りせんは如何に」と。伊藤みち子、西川良江にハガキ。林富士馬より『果樹園』の受取。午后福地君来り、田中保子来る。大東夫人来りて羊羹賜ふ。

5月7日
祖母、今井たけ(※)死す。(5月6日午后10時10分、86才と)と父より電話。
『ハイネ恋愛詩集(5月10日発行と)5版』来る。山崎忠の葬儀10日(木)14:00と。悠紀子税務署へゆきしあと散髪に出しに月曜にて休みと気付き引返して鬚剃り登校。
院長、図書館のことにて我を待ちゐしと。三苫君、夜学のことを守本氏に云はざりしと。田中洋子と話し、鍛治君よりいろいろ報告受け、本位田氏に会ひ、print切る中、山本嘉蔵氏来訪。親類知己父母みな反対となりしと。我に手を引けとか。明日信江嬢に会はせよといひ、1年の漢文やり、瀧口生に会へば、「相手は校長さへも畏る」と。
出て急ぎ帰れば税務署すみ、市役所税務課の証明もすみしと。(税務署へは今年度申告一つもなかりしと)。
けふ今村部長に会ひしに「松田道雄氏は甥」と。父より手紙「金尾文淵堂を調べにゆき同じく調査の藤田福夫君(金沢大助教授)に会ひし」と。今井三郎叔父へ弔文と香奠1,000。

5月8日
8:30登校。本屋来り忙し。午、山崎より電話といふに学院までゆけば予想通り笹尾の母よりにて、話は予想せざりし(※笹尾とし子の)訃報。 おどろきて守本主事に相談し、弔問にゆくこととす(小森に会ひたしと母上より)。16:00出棺とのことに致し方なく専攻科やり(成尾禧佐子結婚せしと来る)、山本信江にゆき見ればまだ帰らず。明日連絡するといひてナンバ。地下鉄にて省線(『解釈と鑑賞』買ひしが悲しくてよめず。)ゆきみれば父、中庸氏のみをられ、昨日(※職場の)病院へ来て帰りてのち死せしと。母上(※自死を)報せしを不快がらるる様子に早々退出。芥川堤をゆけば悲し。
徳庵にて散髪して帰れば子猫の三毛、急に死せしと。これも哀れなり。(けふ院長によばれ図書館新築につき意見具陳せし)。八木嬢より入れちがひに手紙。『果樹園』くれと100。三郎叔父より祖母の訃報。蒲池歓一氏より『果樹園』の受取。

5月9日
起きぬけ八木嬢より電話、山崎忠君のお通夜けふと。金尾文淵堂についてもしらべて呉れをると。出て8:30学院着。山本信江に明日15:30訪問と約し、小森さがせしも欠席と。瀧口生に漱石か鴎外よめと置手紙して出発。
奈良着11:00。解散して昼食(山荘君、高井田より同乗)。別れて小野勝年君に会へば『中国地図』を和田先生より見たしと。神田先生(※神田喜一郎)にたのめと云ひ、女子大へゆく同君と歩き、別れて野崎家へゆけば鍛治、山荘2君すでにをり、あやめ池の住宅は50万円見当と。出て前川家へゆきしも不在。博物館の来匠美術展見、15:00出発。帰りついて一休みせしのち、西宮君と出て小森生の下宿さがしに長瀬ヘゆけば兄、俊徳道にあり、本人は鶴橋に住むと。俊徳道で探せしもわからず、疲れて帰宅。
けふsalary出、本俸29,000(本俸29,000家族手当1,800手当7,700四月分溯及3,500/[計]42,000 所得税3,966慶弔会費30保険料2,304/[計]6,300)と3,000上りたり(西宮君は2,000)。夜学文2は実在人員16名と判明、ばからし。(けふ院長、守本2氏に(※笹尾生葬儀について)話せしに2人とも自殺を認む)。伝田雅子より5月の会なき様子。

5月10日
8:00家を出、鶴橋より井上生と同車。吉岡弥之助を知ると。小森生待ち、2時間目終りてつかまへれば布施にゐると。身上調書かけと云へば明日と云ひて逃げられし。古典講読すませて『文芸春秋』よみながら天理14:10着。500香奠包みにし、天理公会堂にゆけば、(※山崎忠の葬儀)式はじまりしところ。自殺らしきこと中山正善、貝塚茂樹氏らの追悼にてわかる。岩村忍なにをいひしかわからず「死んでこんなめにあはさるるか」と腹立つ。入矢君(※入矢義高)、新井とし氏に挨拶し、16:00駅にゆけば25分まで電車なくいらいらして鶴橋着。信江嬢に20:00ゆくといひ、梅田の有料Toiletにゆけば18:20原田18:30やっと菊池あらはる。ともに支那料理くひ喫茶し、信江君にことはりいひて帰宅。
福地君来りしと。服部三樹子氏より同人費500。けふ小野十三郎君『重油富士』賜ふ。庄野英二君会費として300。

5月11日
けふも早く出て天王寺より南海にて玉■出下車。山本家へゆき信江嬢に会へば、ほぼ父上と同意見。同道して母上を市大病院に見舞ひ、同じこときく。出て春夫『風雲(50)』見付けて登校(田村春雄君に会ひ山本夫人のことたのむ。白髪禿頭ともに著し)。
西宮君出講と。大浜君来り、話して山崎忠君のこと同感と。ややして道満洋子の問合せに紳士来る。すまして家庭科の歴史。苅田君より電話ありし15:00近鉄の約束にせかされ(永井夫人print代950とりに来り、立替ふ)、ともに出て近鉄パーラーにてbeer2君にのませ、われはcoffee。
15:00前、近鉄改札口へゆき5分まちて苅田君に会ひ、山本家の意向伝へ、桜井助教授に会はせよといひ、別れて天海堂にて『末摘花詳解 上(270)』。市大病院へまたゆき山本夫人に報告して帰宅。京橋にて守屋君に会ふ。
けふ上村肇氏より原稿と300。田中洋子の母静子氏より礼状。宮口時喜子より琴の演奏会の案内。大阪読売より人事card。森脇昭吉氏より豊中市上野7の150の30に転居、直接読者2人出来しと。三郎叔父より礼状。福地君に日曜夕方来よとの名刺を依子に托す。(元市印刷忙しくてとりに来られずと)。

5月12日
奈良行。日動火災海上保険出張所へ寄り見しに俵君(※俵青茅)出張と。野崎家へ寄り、その君と話し登校。天野忠、横田俊一、小川和、服部英次郎と諸氏に『果樹園』くばり、横田氏に前川家行を約す。
放課、昼食後、小川氏と東京出張中といふ竹内教授宅を訪ひしに夫人も不在。恒清先生(※佐々木恒清)仏前にと羊羹おきて出、古本屋に入れば吉村正一郎氏あり。話す中、竹内夫人(恒清先生令嬢)追ひ来られ挨拶す。
前川家に寄り夫人の滞京中の話きく。檀一雄らの小遣ひ、日々2万円と。出て天王寺の司書たちの会にゆく。(片山君に紹介たのみし)。田中洋子をこのときに来さすこととし、出て上六天地書房にて『広島(65)』外1冊。鶴橋にて『農業全書(40)』『満州国全図(120)』。けふ『古義堂書目』もらひ文淵堂書目もらひし。

5月13日(日)
9:30出て雨中をtaxiにて天王寺。京都駅より電話して羽田家にゆき、育英会の斡旋たのむ。15:00出て父の宅へ寄れば箕面へゆきしと(畠山氏夫妻とも留守と羽田家よりの電話にて知りし)。新村博士邸へゆきしに学士院にて上京と。北村叔母来訪。17、8年ぶりなり。寺山町の妹宅にありと。出て小林政治氏(羽田も知りをり)を訪ひしに留守。京阪書房に寄り『大阪府名所旧跡案内(70)』買ひて帰宅。
苅田君より明日15:30以後研究室へ来よと電話ありしと。福地君すでに去り、印刷費もちゆかざりしと。和田先生より『東洋史』(羽田にきけば2月より外出したまふと便りありしと)。大田浩、大江久美子、中野英夫よりたより。「歌麿展」の案内。税務署より「15日10:30来れ」と。

5月14日
9:00小松保博、大阪外大の2部中国語科へ入りしと保証人たのみに来る。父より電話。きのふ貸した傘とりに来ると(けふ池沢と上村氏の原稿来る。開生、喜界島の中学に就職と)。16:00まへ大阪大学工学部をたづねたづねしてゆき桜井助教授に会ひ、苅田君のこときけば朗らかと。 大学院へは残れと云はずと。お茶ごち走となる(仁田工吉、内田英成を識ると)。京橋へもどり登校。
鍛治君に停留所で会ひ、西宮君に会ひ、夕食して授業。(吉田恒子静岡の新茶くれしと、おきあり。田中洋子あす大祭にて休むと云ひて帰りしと)。米沢7冊の売上210もち来る。岩井美代子来りしゆゑ、ともに瀧本生訪ねしに入浴と。明渡生に会ひ、森内生に会ひして岩井と「No.1」にゆき、しるこ食ひ帰宅。

5月15日
京とともに出て登校。鍛治君おくれて来る。吉田生の茶は研究室へくれしと。明日返すといふ。原田早苗来り、妹安子の文芸転科をたのむ。小森生来り、土曜笹尾家にゆき初七日に会ひしと。けふ14:00母君来らると。田中洋子より電話、欠勤云ひ来しゆゑ叱る。午后国際地学協会の森下正信氏といふが地図売りに来りしに話す中、元松山高校教授にて西垣清一郎を教へし人なり。長沖氏来り、明日座談会に専攻科生を使ふと。専攻科やりをへ、笹尾夫人を待つ間、梅垣主事と話せば「山本恭子、酒煙草のむとて話とりやめとなりし」と。(萩原家に電話かけて17日14:00披露の念押し、小高根二郎君と金曜編集会を約す)。
笹尾夫人来り、この間より3回自殺を企て3回目に成功せしと。高橋、小森2生にも話せしと。2生に形見分け托し、我にも羊羹賜はる。西宮君来り、山本恭子のこときけば交通公社とふざけしと。出て傘もちて帰宅。
芳野清君より1,000と詩。小高根君より原稿。村上新太郎氏より「月末までに詩1篇を」と。けふ悠紀子税務署へゆきしに係をらず、不明にてすみしと。

5月16日
雨。10:30家を出、登校して田中洋子呼びて叱れば泣き出し、布教所生活のつらさ云ふ。なだめて萩原父君より「明日祝辞を」との電話きき、高橋、小森2生に笹尾の形見わたし、口止めを云ひ、昼食後、女子大へ文淵堂しらべにゆけばだめ。帰りて専攻科に来し大東夫人と話す中、教授会。
教務に皮肉いひしが通ぜず。旅行とり止め、乃至3日の学科別修学旅行をとなへ、小野和子の来ゐしを見、親子丼くひてのち帰宅。
森亮氏より原稿と500。また別便にて推薦の詩8篇。斎田昭吉より詩。辻芙美子より便り。夜、「金尾文淵堂年譜稿」11枚にて了る。

5月17日
10:00登校。morning-coatゆゑ合over着て笑はる。長沖さん来り『お父さんはお人好し』に署名して賜はる。山本恭子、増田 幸子、武居豊子、住吉幸子の4人来る。(上町線で女子大の司書女史と同車、ゆきて文淵堂版見せよと云ひしに無し。中村府立図書館長に会ふ)。古典講義いい加減に片付く。田中洋子転居承知された、たのむと也。
pine食ひて夜学2年のこと長沖さんにたのみ、地下鉄にて淀屋橋。府立図書館にゆき(※文淵堂の本)しらべ、出て日本レーヨンに小高根君を訪ね、明日来よと云ひ、日本生命に松本訪ねしも不在。凸版にて『帝王と墓と民衆』買ひ(靴みがかせ)、雲呑たべて時間つぶし、taxiにてgas-buil.(80)、15:00着。
ややして父母氏来り、園君にも会ふ。天満博子来り話し、16:00より披露宴。隣席の宇野菊三郎dr.と話し、あとにて花嫁の讃辞、旨く出来ず。長沖さんの本贈って片町までtaxi(120)。菓子と花ともちて帰宅。
浅野、岩崎、服部三樹子の3氏の原稿着。夜、服部女史の訂正の速達。

5月18日
福地君の電話きき「午后早く来よ」と云ひ登校。大安より中国書籍もち来しと。『平妖伝(170)』『詩経選(120)』『六朝楽府与民歌(140)』とることとす。(けふも女子大司書女史に会ひ『果樹園』やる)。
長沖さん2部文2の欠席者にきいてくれ、今後欠席せざるやうになりしと。来週水曜の図書館運営委員会につき、廻状まはすこととし(建築教師に設計に注文つける)、1年のclass会なるもの(学生課主催!)に出ゐれば、西垣修君(※西垣脩)来訪と呼びに来る。
16:00ともに出てモンチャンにゆき、お好み焼食ひ、beerのみ、先に出て「御門」にゆき待ちゐし小高根君にあやまり、福地君来しと計算し、薬師寺の詩いれて不足を補ふこととす。西垣君遂に来ず(2,000を同人費として預り、鈴木亨君を入れよ、浅野晃氏の入りしは如何にと問はれし)。
18:30地下鉄にて梅田。別れて福地君と日曜に再編輯約して帰宅。奈良女子大より(1,600−192)来る。また1時間400にかへりし也。

5月19日
8:00家を出、鶴橋より西垣君に電話すれば「御門」にはおくれて来しと。小高根二郎君の電話おしへおく。
奈良着。海上火災の俵君に会ひ、ついで野崎家に寄り、鍛治君の来寧いひしもおどろかず。竹内氏より林女史を通じ6月まで会へずと。図書室にゆかず講義す。(cardしらべしに52枚。去年に引きつづき聴講は1人のみ)。12:00すませ昼食し、busにて奈良駅をへて天理。近代文学研究会にゆくといふ女子大生ありし。電話して高橋君を大学に探しあて「Monami」といふ喫茶店に待合せ、足達家へゆき詩1篇かかす(田中洋子のこと我にまかすとなり)。16:00天理発、帰宅すれば〒なし。けふ平凡社へ校正送る。

5月20日(日)
9:00福地君来り、編集しなほせば薬師寺衛の詩2篇しかのらぬこととなり、またしばらくして郵便。森房子の歌来り、薬師寺割愛。元市印刷に電話かけ「14:00までにゆく」と云ひ、うどん食ひて行き、11,500(4号印刷費)払ひ、25日初校、27日(日)出張再校校正ときめ、湖東に電話してゆく。山本不在と。信江君に電話すれば母上出られ、本日は帰宅、父上旅行につき明日20:00までに病院へゆくくや否、連絡することとなる。
湖東を出て天王寺よりtaxiにて上本町2丁目。ice-creamたべて往診の間まち、またtaxiにて坪井宅へゆけば不在。片町まで歩きて別る。
けふ杉浦源次夫人来訪。みつ子君あひかはらずと。

5月21日
西垣君よりの(※『果樹園』同人)断り状。土曜に小高根、斎田2君と「御門」で会ひしと。12:00出てbusにて小阪、堀内にて『曽良日記(50)』買ひ、住友銀行布施支店で1,408受取り、学術会議登録票投函。寺田町で炒飯食ひて登校。
本位田氏の菓子食ひ、井上恵子の旅行の土産のきびだんご食ひしてのち、浅香山。(※全田)叔母留守にて敦子にきけば、室まだ空きあり1,500にて貸すと。帰校、田中洋子に見にゆかせ、返事明日ときき、夜学まで待つ。この間、山本夫妻より電話、すみ次第ゆくこととし、19:35市大病院へゆけば山本氏待たれ、土曜の朝鮮学会に藤田亮策先生来てをられしと。わが意見はなし、木曜山本氏に会ふことときめ、古本屋にて津村信夫『善光寺平(20)』買ひて帰宅。苅田君より電話かかりしと。

5月22日
京と家を出、8:30登校。鍛治君来りをらず、1時間目すませ明日結婚(小椋製菓社長の息子と)といふ木村陽子と話し疲る。午后全田叔母より電話「(※空き部屋はあるが)自炊はごめん」と。腹立ち絶縁せんと思ふ。児玉君に電話し、田中洋子ゆかすこととし、休館せしめれば院長来り、勤務のこと云ひ、明日の運営協議会に出席すと。鍛治君さそひて「歌麿展」。つまらず。すまして近鉄departにて喫茶。おごられ出れば金井節子に会ふ。帰宅。〒なし。
高井田の赤地夫人来り、史の家庭教師きまりし様子(けふ山本信武君に会ひし)。20:00福地君来り、『果樹園』預り金みな吐き出し500円不足。

5月23日
会社へsalaryの表かき10:00出て登校。田中洋子にきけば児玉君の実家せましと。勝手にapartに入れと云ひおく。杉山平一君の話きかんとする所へ山前実治君来る。老けをり。依田君の詩集のため『骨』出ずと。荒木利夫に電話し、送り出して杉山君の話きく。けふIbsenの50年祭と。
すみて陪食、すぐ出てゆきしあと、図書館運営協議会。75万円しか出ざる様子。次回を6月6日15:00と定め、予算のわけどりとす。出て林叔母に会ふ。角砂糖おく。来月10日頃移転と。小雨の中を粉浜まで歩き、南海電車。荒木にゆけば中国へ詩見せたしと。別れて河原町。お徳叔母と話し、また出て天牛ひやかし、市busにて天王寺。帰校して夕食くひ、久しぶりに2部2年の国文学史やる。
山根君より原稿と600。井上多喜三郎君と芳野清君。大高東大阪clubより6月3日の遠足の案内。

5月24日
雨。登校10:00。守本氏に原田安子の診断書わたす。田中洋子にapart見にゆかす。岡田都君は結婚せしなり。山本信江より電話おくれ、父君に電話すれば「来週月曜に学校へ来る」と。そのあと電話かかる。
けふ梅垣女史より「児玉君Arbeit学生ほしと云はれし」ときき、電話すれば木曜にて休み。〒なし。金なし。

5月25日
登校。原田早苗来る。昼、運動部の顧問会あり。眠くて帰らんとすれば田中洋子の室の件にひっかかり、共に探しに行かんとせしところへ木村小使追ひ来り、知合の婆さんの室ありと。まかせて帰る。(けふ疋田紀子の問合せに来し人にきけば、西山卯三郎氏、豊中へ転居と)。
夕方洋子より電話、木村の話だめなりしと。堀内民一君より元々社の原稿かき直しゐると。平凡社より訂正受取りしと。けふ河出の『世界歴史物語』の広告、新聞に出し。夜、福地君来り、13pまで出し初校見る。

5月26日
奈良へゆく。野崎家へも寄らず女子大へゆき、天野君(※天野忠)と話し、廊下歩く中、本田喜代治先生来講に気付き、教務にたのみて会ひ、お話承はる。小高根太郎に会ひ雪舟展案内されしと。中野清見に融資の世話されしと。講義ののち大阪まで御案内することとなり、昼食後(来週休講を学生にいふ)教務へゆき岡谷博士へ電話さるるをきき(青木君と■襟、いま病臥中と)同車、上六へつきしに迎へゐず、電話を代りにかけなどす。先生来月末また来講さると。
帰れば田中洋子より電話、高松生の世話にて室見付かり月曜転居と。福地君より明日9:00徳庵駅へ来よと。藤田幸子、細野美智子、吉崎雅子3生よりたより。奈良女子大より辞令。

5月27日(日)
雨。9:00駅へゆき福地君と会って元市印刷。再校了へしは12:20。親子丼くはされ原稿用紙見積らせれば1万枚で6,000。2万枚なら5,400×2と。午后社長も帰り来る。湖東君に電話し、火曜の講話たのむ。
16:00帰宅。梅田夫人よりハガキ。森内、宮沢2君結婚きまりしと。

5月28日
晴。新しく買ひし鎌にて草刈る。午すぎ会社のsalary来る。〒なし。『薔薇』へ「哀歌」送り、八木、藤田、細野、堀内諸君にハガキ書き、13:30出て登校。本位田氏と会ひ佐々木三九一氏のこと云へば、令妹歌子氏は益子輝夫氏に嫁ぎしと。田中洋子にきけば沢之町の家に日曜に転居と。16:00信江氏の父君来らるを待ち、桜井氏より苅田君に云ってもらふ。我、桜井氏に云ふこととなる。夜学講義すませて帰宅。
(梅田夫人へ時間割かく。田中静子(洋子母)へ借問のこと。山本敬子、辻、藤原3君、金曜夕方来しと。おかきの缶おきありし)。

5月29日
朝、曇。8:30登校。歴史すませ一休みして国文学史。また一休みして湖東君を14:00迎へ、遺伝の話をと専攻科に案内す。遺伝の話ではなかりし。すみて新田君と話さし、山本治雄に電話せしに不在。ともに出て近鉄departにてcoffee。礼いひて帰る。久美子よりハガキ。 林叔母より悠紀子に礼状。伝田雅子より「6月7日午すぎ来る」と。大東夫人より「明日休む」と。
けふ帰り雨ふり、途中の婆さん「先生、傘もってお帰り」と声かけくれし。(長沼弘毅『和漢の散歩』といふを本屋もち来りし)。

5月30日
鍛治君より電話『紳士録』受けとりてもよきかと。三苫氏に云へといひしに、また三苫君より電話。買はずともよかりしにと、腹立つ。行けば8,000の理事長紹介の『紳士録』来あり。教授会にて修学旅行は他の短大もみなやり、苦にしをらずと。原田の妹の転科は認めずと。
はじまりし直後、林叔母beer3本もちて来る。すみて元市印刷へ電話し、待つまbeer西宮君とのみ、出て散歩。徳叔母に久美子のハガキよみ帰校。中野トシ子来る。『果樹園』を伊東マキ子にわたし、6冊文Vにわたし、国文学史やりて帰宅。〒なし。

5月31日
久しぶりにて晴。10:00登校。庄野英二君と話し、ついで長沖一、小野十三郎、今東光とそれぞれ『果樹園5』わたし、出て地下鉄にて淀屋橋。日本生命にゆけば松本をり『果樹園』売る。木下義三に義兄田中医院の改築設計たのみたしとなり。(藤原=吉森夫人の弟、悠紀子の推定通り草薙剱を盗まんとせしと。長沖氏の話。藤原検事長、間組の弁護士にて首すくめゐると)。
小高根二郎君訪ねしに、もはや日本レーヨンには出社せざるらし。Taxiにて朝日新聞、山田新之輔に会ひて書けといひ、吉村正一郎氏への分もわたし、毎日へゆき天野愛一にわたし、産経へゆき今沢幸、早川麗子呼び、学芸部へ紹介たのむ。高橋一好red-pageとなりしと。
高尾書店で電話かり、池沢の在社たしかめ岡島誠太郎『古代エジプト文化(100)』買ひ、主人と話せば金尾文淵堂よりの『社会主義詩集』出版前に押へられし見本刷を60円で他に売りしをまた警察にとられしと。
読売にゆき、池沢にうどんおごられ、560受取り我家へ泊りしとき蒲団のボロボロなりしをきき、梅ヶ枝町へ引返して京橋より帰宅。村上新太郎氏より詩の受取。福地君すでに来をり、発送22:00すむ。

6月1日
西川英夫、丸三郎、中野清見、小高根太郎の諸友に『果樹園』発送。院長より図書館建築についてきき、ついでbasket部の不平きく。阪大工学部桜井氏に電話せしに、授業中と。16:00来りし榎本須美子君にきけば「5月15日結婚」と。
西宮君と出て京橋より阪大にゆき、川端氏の今朝もち来たまひし同窓会名簿おくり、信江嬢のこと苅田君へ伝へてくれるやうたのむ。2、3日考へて見んと。(けふ小野勇氏にきけば、石浜先生博士論文提出、「わが生涯の汚点」と云はると)。〒『不二』のみ。

6月2日
9:00福地君より電話「小高根君に会へざりしため、夫人に日曜17:00会合といひし」と。夕方疋田嬢より電話「会ひたし」と。「月曜16:00家へゆく」と答ふ。夜、庄野家より香奠返し。苅田君より電話「あすまた電話し来る」と。

6月3日(日)
9:00起床、朝食すましcard挿入しゐれば苅田君より電話「京橋駅で待つ」と。すぐゆき11:10会ひ、ともに梅田。Beerのみながら話せば「恥ずかしいばかり」と。また出て喫茶。ともにおごられ、こちらが恥かしく気の毒なりし。13:00別れてbusにて南久宝寺町。長雄、二見2生に会ひ、ともに探して「天狗」にゆく。(順慶町にて堺筋より東)。青木正子、穴川、生田、井上、上田、城戸、楠戸、坂本、住吉、武居、高岩、中島、中村、新坂、根岸、浜谷、原田(早)、平井、古田、二見、増田、山本恭子、吉田恒子ら25、6人集り盛会。
16:25出て梅田。『文芸春秋ニッポンと戦った5年間』買って急行にて石橋、小高根邸にゆき、5号の同人費ほぼ集りしを知る。夕食よばれ次の編集会を16(土)17:00ときめて帰宅。(小高根君この家にゐると)。
石浜恒夫より『果樹園』受取。奈良女子大より「銀行指定せよ」と。小高根邸より預り来し「詩人・伊東静雄」よむ。(けふ大塚来り、 whisky呉れしと)。

6月4日
晴。草刈り疲る。疋田紀子生より電話「けふ差支あり来ざれ」と。父来り、小林政治氏に『果樹園』(※金尾文淵堂の記事)見せしも異議なかりしと。東宝より映画「カラコルム」を8日18:00(金)宝塚大劇場で見せると。16:00出て学校へゆけば鍛治君すでに帰宅。
弁当食ひ、教へて伊東マキ子に会ふ。齋藤史なる男性の読者を獲しと。18日売上うけとる。出て寺田町下車、荷風『ひかげの花(20)』。けふ出しsalaryわたせば2,000のこりしのみ。奈良女子大へ「三和銀行放出支店を指定」とのハガキ出す。

6月5日
8:30登校。かもめ書店にて『書物の歴史』買ひてゆく。田中洋子宿がへすみしと。岩崎嫗、山本理事長夫人に禁帯出貸さんといふ。原田裕代来る。よべ少眠にて苦しく、専攻科いやいやすまして帰宅。『解釈と鑑賞 古典と漢詩文』をユーゴー書店で買ふ。
池沢君より『果樹園』3部売れしと。上村肇氏より誤植ゆるすと。浅野晃氏より「杜甫伝」のこと楡書房へと小田邦雄君にたのめと。菊池おとせしを路上で拾ひしと、同居の寺下といふより問合せ。八木嬢より『Hammurabi法典』の訳24条。

6月6日
朝、草刈りをやり、河出書房の校正やりして13:00家を出る。(岩佐東一郎氏より『果樹園』の礼状)。15:00より図書館運営協議会。前年度の19,19,11,11の80%とし、残りを一般教養にまはすこととなる。院長来り、今70万円成立、5万円は何とかする。のこり10万円は考へるとのことなり。
すみて高松の家へゆかんとせしに、母君外出と。アベノ交叉にゆき、『女性は翼をえた(60)』を買ひて帰校。青木正子、生田、井上律子、吉田恒子の4人来り、『果樹園』買ふ。夜学了へ、和田生に大阪新聞の書評見せよとたのみて帰宅。けふ壽岳博士「金尾の結婚の話かく」と。

6月7日
雨。10:00登校。今氏来り、午后葬式ありと。長沖氏と交替。3時間早くすませて帰れば庄野、小野、越智一美君ら話しをり、やがて来し中島、楠戸の2嬢とナンバ。府立体育館にゆき、彦根短大とのbasket-ballの試合みる。久保田、十時2生も来り、8人代る代る出て29−18にて勝つ。短大へ電話し、伝田君来ゐるをたしかめ、帰りて元市印刷へゆかしむ。(ナンバにて唐木順三『森鴎外』買ふ)。けふ行くみち福地君に会ひしも夜また来り、事務片付け呉る。

6月8日
10:00登校。print切り、午となれば大浜君来り、日生の西田敬一君来る。おかげで長沖氏より500もらへず。元市印刷に電話してきけば原稿用紙などすぐ出来ると。伝田君昨日原稿みなは置かざりしと。井上暁子万葉しらべに来り、きけば「萩原美知子新婚旅行より帰り挨拶まはりせし」と。beer2本とり出して大浜君にのませ、出て近鉄snock-parlorにてまたbeer。別れて鶴橋にて散髪。
帰れば岩崎昭弥より、奥西、高鳥2君『新論』(※赤字廃刊)の責任とらされて退職、柳井君、組合を作らんとして退職勧告受けしと。宮本君蛍ケ池住宅に入りしと。庄野潤三氏より池沢の4号の作(※)ほめて来る。

6月9日
8:30家を出て鶴橋で東田千秋氏と一緒になる。竹内教授は専攻科に今日出講と。ゆきて『果樹園』くばり長橋講師より13:30京大にてHeine記念講演会ありときく。講義すませ昼食くひ、英文研究室のぞきしも無人。前川家に寄る。夫妻ともに外出前なり。「吉野書房に残るといふ柳井君来り、高鳥、奥西2君の退職金に玉井一郎君の出資にて出版社計画中。保田を阪神間に出す」と。野崎家へゆきてきけば株主総会で決定。奥西兄君も退職と。
坪井家にゆきしに帰らずと。春山行夫『花の文化史第二(85)』。けふ井上多喜三郎君より『果樹園』の受取。伝田生より学院の作品全部のせることとなりしと。芳野君より原稿。近森敏夫君より同(池沢の紹介)。依子預り来し福地君の手紙見れば、欠損を収入部に記しあり。

6月10日(日)
晴、草刈る。眞野喜惣治君より能登川に転任と。午后、鈴木一雄君来る。十合にArbeitにゆきたし。ただし事務をと。福地君来る。

6月11日
11:00中野清見より手紙。すぐ返事に山本のことかく。悠紀子児玉君に鈴木一雄君のことたのみにゆく。
14:00出て京橋より市電にて扇町商高。沢井にclass会開かんといひ、出て木村三千子女史訪ぬれば井上源一郎君をり、近処に山村順氏勤めゐると。坪井に電話せしに不在。
市電にて学校へゆけば伊東マキ子来る。本田喜代治先生に30日(土)会にはいかにと問合せかき、1年教へ、今沢幸君に明日電話かけることを約して上町線にて瀧本生に会ふ。結婚など話なしと。19560612.JPG

6月12日
京と駅までゆき定期買ふ。2年国文学史reportの指導をす。産経より電話といふに午后来れと云ひ、来しは石浜君とて2男坊、吉川博士『西山一窟鬼』の評を3枚、金曜午までにと。高橋生、父危篤とて山形まで帰省す。15:00産経に電話し、今沢君呼出せばbeerのまんと。胃悪きを申し立てて断る。
雨中帰り来れば沢田四郎作博士より「明日午后渋谷敬三氏来られるにつき来会せよ」と。柳井三千比呂君より月土在校かと。父より藤田福夫君の手紙届く。

6月13日
晴。午后出て沢田博士邸へ渋谷敬三氏の会へとゆく。15:00ごろ来らる。われ天理図書館にて迎へしことあり。欧州旅行の話さる。Hamburg博物館の民族学よしとなり。(楳垣氏も来会、同じく教授会休みしと。苦笑)。
18:00中座して(梅棹忠夫君も来会せり)、外にてすし食ひ、夜学教へて帰宅。壽岳博士「金尾文淵堂のこと」置きありし。

6月14日
登校。すませしあと13:00出て住吉高校に寄り、硲君に会ひ『耶馬台国』借り、出て佐渡島金属にゆき梅本に会ひしに月末は忙しと。歩きて丸善にゆきtypewritterの係に会へば、古物は出ず、新しく買へと。歩きて俣野訪ひしも不在。くたくたに疲る。
夕方、福地君より電話ありしゆゑ、来よといひ、編輯をさせれば12p位出来をり。帰りしあと『西山一窟鬼』の紹介6枚かき、「陳夫人」14枚かく。

6月15日
登校。疲れて院長、主事の悪口いふ。長沖氏より500もらひ14:00出て荒木利夫君訪ねしに不在。本町までまたbusにのり、紡績協会に村山調査部長訪ひ、総務部長に紹介され、type賜ふこととなる(Underwood型?)。小林生にも会ひ、礼云ひて出、住友金属に本荘君きけば不在と。歩きて日生にゆき松本一秀君に会ひ、藤原生(吉森夫人)呼び出してもらひ弟のこといへば、今同居すと。お茶よばれ、市電にて梅田。
万字屋にて書目もらひ、山川弥千枝『薔薇は生きてゐる(30)』『第二次大戦史(80)』買ひて帰宅。
本田喜代治先生より「都合よし、宿はいかに」と。岩崎、高橋2君より原稿。けふ石浜典夫君原稿とりに来し。

6月16日
奈良女子大へゆく。途に俵君に寄りしに「帰りに来よ」と。天野忠に伝へ、すまして(前期reportに「中國詩に表はれた東洋的美について」10枚)、竹内正夫氏と話す。先週来るやと思ひて待たれしと。来週と約し、出て俵君のぞきしも天野君ゐず、帰りて「陳夫人」のつづき書くつもりなりしもやめて草刈り。
小山正孝君より4,000と詩。浅野晃氏より500と詩。服部三樹子氏より500と歌。山根忠雄氏より600。今高より23日同窓会幹事会 と。福地君来り、小高根二郎氏17:00来り編集会。夕食を間にはさみ20:30すむ。わが小説削りてすみし。同人費2,000入れる。

6月17日(日)
起きて9:00出て吹田の山本を訪ぬれば、すでに外出。引返して梅田より市電にて坪井、久しぶりに会へて30日の本田先生歓迎のclass会といきむ。国語の教師の口ある由。12:00出て片町より帰宅。
けふより夏服なれど暑し。俣野よりclass会せよと。山本に会ひて3婚ききしと。短大より20日(水)15:00図書館増築につき教授会と。木村三千子氏より8×15。

6月18日
朝、電話かかり、中島氏来校、まちゐると。止むなく出んとするところへ福地君来り、校正土曜まで出ずと。登校して中島氏に会へば図書館につきplan立てをり、これに色々いひ、すみて院長に会ひ、大方そのplanだめとなり笑止。
昼食時となり三苫氏に礼状かかし、1,000借りて上六。(辻和子生、卒業式の日の写真もち来る。中村貞子家出して福島にゐると)。江馬訪ぬれば不在。置手紙して紡績協会にゆけば村山氏不在。総務部長に会ひunderwoodのtypeもらひ、taxiひろひて帰校(360)。16:30出て天王寺。ひやしうどん食ひてまた帰校。
高橋生といふより結婚の相談うけ、20分おくれて夜学。すまして3名のArbeit希望呼び、あす梅垣女史に会へとすすむ。(江馬に16:00電話かけしに「明日16:00会はん」と)。
帰りて入浴。岩崎昭弥より2,000。浅野晃氏より「楡書房3〜400円の本にするつもり」と。けふ本位田氏よりきけば「Schinzinger先生、日本人のdancerと再婚」と。

6月19日
9:00前登校。渡辺、加藤の2class委員と上六へゆくこととし、かかりし電話きけば井上多喜三郎君。「17:00大阪駅で」と約し、2生と近鉄にゆけば江馬君会議中と。電話かけてもらひ、関急Hotelへゆき、busの値段安くしてもらひ、2生を帰してHotelで定食500、beer170ときめ、1人室を約し、電車にて梅田新道。山本(※山本治雄)に会へば「夫人、佐瀬その他と姦通」といふ。
ともにcoffeeのみにゆく途、関大講師羽田といふ人と会ひ、喫茶して別れ、大阪駅へ17:20ゆけば荒木利夫、井上源一郎と多喜さんと3人待ちをり、五色豆賜ふ。
曽根崎の焼鳥屋にゆき、払ひ1,980と。金なく荒木君に割勘立替へてもらひしに井上源一郎君もなしと。多喜さん出し可笑。二次会に「ナナ」といふところへゆき裸踊見る。つまらず。駅にて別れ、帰れば森房子氏より原稿14枚。
けふ成尾園長、礼にと最中もちて来られしと。けふ帰り城東線にて挨拶せしは関学生鶴崎祐雄。(けさ上町線のり場にて湖東君に遭ひし)。

6月20日
Ural-Altai学会より24日14:00大阪外大にて山崎忠追悼会と。11:30出て放出の三和銀行に寄り2,112受取り、鶴橋よりナンバにゆき荒木利夫君に金返さんとせしも受取らず。mode喫茶なるものにゆき、ついで冷房にゆく。登校。本田19560621.JPG先生の会の案内を往復ハガキ19枚に刷る。川端直太郎氏も来合せられしに案内す。教授会にて図書室12月まで1号室に設けると。すみて住吉神社高松邸へゆき、直子生の父母に会ひ、帰りて夜学。帰り車中にて和田生よりもらひし大阪新聞見る。

6月21日
登校。古典組にとprint刷り、SchubertのWiegenlied教ふ。すみて仕事なく、住高硲君に『耶馬台国』返却にゆく。席に在 らず。帰りて〒なく、草刈り入浴。この頃唐詩植物のcardとり、杜甫、岑参、李長吉すみ、李白に入る。

6月22日
登校。中島老来りしゆゑ話きけば、本の有無を検すと。苦労察するに余あり。書棚書庫より出ざるにつき、如何するや学長と相談せん。児玉敬子来り、長沖氏に講演依頼。我にも9月たのむと。Castilla1折呉れしを長沖氏にとわたす。
石井志津子(2部2年)リョーマチとて欠席届。大阪新聞来る(※『西山一窟鬼』書評)。夜、6月のsalary表かく。(帰途、桂信子に会ひてきけば、明日の出版記念会は第二句集のと)。

6月23日
8:30家を出、奈良着。野崎家に寄り、その夫人と話し、冷たさ感ず。出て図書室。講義して次週打切りをいひ、本田先生迎へにのみゆくこととなる。
昼食しゐれば竹内教授来り、ともにお宅へゆく。池内先生のお宅へ泊りしことあり、御長女の婿と親友と。小川和女史のこといへば一度話しによこせと。
出て前川家。明日『日本歌人』の会にゆくと約し、出て帰宅。角川書店よりHeineの印税(14,000−2,100=11,900)来り、岩崎昭弥君より500来り、これにて8月分までにしてくれと。福地君来り23;30校正了る。

6月24日(日)
服部、後藤、石野より欠席通知。江馬より本田先生にと全線の無料切符。早速本田先生に転送し、岩崎、小川和氏へハガキかく。(本田先生には15:30上六出口で待つと)。
12:00出て『日本歌人』の会へと上六。途中天地書房で『朝鮮政治史(40)』『売春(80)』『人類学(50)』買ひ、ゆけば前川佐美雄 氏14:00前まで来ず、知りゐる者藤田氏位にて愛想なし。巨万の長者歯科医平田春一氏来り、われ「朔太郎」の話5分す。枚方街道筋の松井氏にゆき「くらわんか餅」食ひて帰宅。

6月25日
朝、田辺化学燃え、寮生に出勤を令し来りしと。12:00まで在宅、富山忠雄より「月末にてclass会に出られず」と。岩崎昭弥より「5号1部くれ」と。元市印刷にゆき再校、三校見、16:00となりcoffee饗せらる。けふ原稿用紙出来、半分学校へもちゆきし。
16:30登校すれば鍛治君をり夕食したため17:00すぎ鍛治君帰りしあと、高橋、涌井の2生来る。優等生と劣等生となり。楳垣先生「30日10:30BK(※JOBK大阪放送局)に録音にゆくべし」と。鈴木治氏より「眞柱に通じおく」と。帰途、『Que-sais-je(※ク セジュ)文庫 印度史』さがしにゆきしもあらず。悠紀子、角川の送金とり、今里の鈴木母子に会ひ来しと。

6月26日
京と駅へゆき8:30登校。上田阿津子来ると電話ありしと。菊池生より電話、山本有三の「姉妹」といふ作品ありやと。住吉区役所の中川俊雄君来り、「7月9日の開票に手伝ひよこせ」と。文2にいへば4、5人程承知と。高橋生帰り来り「父、死にし」と。小森生も2、3日中に帰り来ると。19560628.JPG
専攻科やり(元市印刷の長男、原稿用紙もち来る)、けふにて終りといひ、新坂康子と鍛治君と3人にて「安井曾太郎展」(上田生には日を改めて来よと電話す)見了りて喫茶。別れて鶴橋をへて帰宅。
沢井、岡本、井上、前田、坂井の5君より出席通知。依子、劇の稽古にて遅くなると。四条畷高校金崎氏よりことはり状。

6月27日
伊藤、山本より出席の返事。小川和氏より礼状。14:00出て十合(山本八郎夫人と話しもてゆく)、児玉君に会へば昌三叔父店長となりしと。挨拶にゆけと云ふに、ゆき見れば用務中と。斎田君も出張と。
出て戎橋で萩原みち子と母君に会ふ。井上睦子を知ると。(けふ奈良女子大へ30日7日休講の届す)
登校。鍛治君の帰りしあと、上田阿津子来り、「教案作成を手伝へ」と。中学へゆき西尾教頭に紹介せしも明日隅谷氏にきけと(月餅もらふ)。里井生ら中学教師さがせしに欠席。
早川麗子、富士正晴の『果樹園』評のりし大阪新聞くれしに、同車にて帰るみち、天王寺で眩暈して倒れ負傷。大阪駅まで送りゆきて帰りしあと不快。(けふ梅本に寄り、俣野に電話すれば「通知受取らずと。」不審)。

6月28日
よべ早川生に不行届なりしを悔いて眠りがたし。10:30ゆき、上田生けふは来ずときき、今氏と話し、わけのわからぬ『道頓堀』編集者に紹介され、院長に呼ばれ中島氏とともに技師に会ひ、書庫2段、窓4.5尺よりあけることとなり、鉄の書棚とりやめとなり、すみてドイツ語の歌教へ、(院長、開票の手伝よろしと)、昼食。
菊池生より電話かかり「山本有三わからず」と答へ、西尾中学教頭に断りにゆき(早川生への手紙、鍛治君に托し)元市印刷あす来るときき、住吉区役所四宮課長に電話し、代理の名簿明日とりに来るときき、坂根生と話せば「12月兄と上京、大(※西島大:克己弟)に会ひしに偉くなりゐし」と。
帰り京橋よりbusにのり、帰れば出欠もはや来ず、産経より3,00−450=2,550。関急Hotelに電話し、10人分用意をたのむ。『満文老檔』2冊、『字源』、『唐詩選評釈』2冊の製本たのまんと包む。

6月29日
8:30登校。9:00長沖、西宮、楳垣、鍛治、田中洋子と英文2年80名をつれて出発。天理のロータリーで6人拾ふ。着きて鈴木治氏の室に長沖氏をいれ、西村君に案内さし、われ雑務。
中山眞柱、隅野久夫氏と現はれ長沖氏をつれ去る。楳垣、西宮2氏と鈴木氏の室にて昼食。(八木嬢にパン、茶世話してもらふ)。天理大講師室に今西春秋氏をるとてゆき、挨拶す。「天理2号館に近々転居」と。仙田氏に会ひ、田中洋子をおき去りにす。(高橋君来りて同人費1,000渡せし)。別席場にゆき参考館見学、すみて一休みしてのち長沖氏迎へて出発。16:00すぎ帰校。『果樹園6』おきあり。休憩して帰宅。
江馬君より電話「本田先生あす差支出来し」と。坪井より欠席と。夜、福地君来り、発送福地家にてやるといひ気の毒。

6月30日
雨。白楽天のcardとり、11:30出て片町。ちょっと早きゆゑ、坪井に寄れば駄目と。出てBK(※JOBK大阪放送局)。楳垣氏まち居らる。米沢anouncerと話して待つ中、尼崎市立大庄西中の佐伯哲夫君来り、打合せすみて廊下にて明渡淑江に会ふ。
録音うまく行かず、2回せしも、われ最も話少なかりし。3,000−450=2,550もらひ、楳垣氏と市電にて上六。天地書房にて永井君に会ふ。(大手町にて夫人に会ひし)。『結婚の歴史(120)』『日照雨(80)』『敬語法(50)』『女性犯罪(80)』買ひて永井君にお茶おごる。短大生、長沖氏をほめ、わが悪口いひゐると。江馬の幸へゆきしにゐず。
15:00より関急Hotelで待ち、相野、俣野、岡本、江馬と次第に来り、本田先生、助手の急死にて来られずとわかる。井上槮来り、沢井、山本、坂井と来りしとき、川端直太郎氏来られ、わびて同席してもらひしも逃げらる。(松田)伊藤好治郎来りて10人となり、18:00まで話し、3台のcarに分乗、解散す。われ江馬、沢井と同車。
天満橋より京橋、時野谷勝『日本名著辞典』買ひて片町線、(9人分9,000−8,260=740、内200を通信費とし540預り)徳庵の 新設本屋にて『青年歌集』5冊そろひしを買ふ。
けふbasket部の肥後より電話、coacher如何にと。「月曜まで返事まて」と云ふ。8月末高尾山に合宿と。

7月1日(日)
〒小高根君より「けふ待つ。中河与一氏7、8日に来阪」と。12:30福地君来り、全田修三君へ第3号送らせ、ともに出て石橋(※小高根邸)。別に用事もなく16:30夕食よばれて出、石橋の古本屋で『儒林外史(100)』、保田與重郎『佐藤春夫(30)』。岡町で下車、『七爺八爺(50)』『殉情詩集・佐久の草笛(100)』。加藤生母子に会ひ、また一軒にて『法苑林(70)』。帰宅、入浴、茶漬食ふ。

7月2日
9:30出て会社。栗林(3,000)、浦本(2,500)との盆祝儀原案を出し、『果樹園』を新村、金尾2氏へと父にわたす。新村先生ほめをられし由。城平叔父に会はず。京橋より市電にて産経、和田生訪ねしに欠勤と。早川生呼びてbasketのことたのみ、juiceのます。この間は会社へ寄り自動車出してもらひ2日休みしと。のちほど体育部の記者に紹介してもらひ、協会の理事長といふに電話で話し、世話してもらふこととなりし。
出て地下鉄にて学校。西宮君に文芸研究室への本運びさせ、本位田氏と話し、basketの肥後生に伝へ、15:30本位田氏と地下鉄にて桜橋。ひとまづ別れて毎日にゆきしに天野愛一不在。朝日にゆき山田(※山田新之輔)に会ひ、書けとすすめ、出て竹山『昭和の精神史』買ひに入り『世界歴史物語2』見付ける。
本位田氏のゐる「にしき」と云ふをのぞいてbeerのまされ、まっ赤となって帰校。さめざるまま教室に入れば皆笑ふ。
早々すませて研究室。米沢生に『果樹園』6冊わたし、伊東マキ子より齋藤史氏(歌人と同名異人)の90受取り、寺田町で夕食して帰宅。
家にも河出より来をり、井上多喜三郎氏より『薔薇』の詩(※「哀歌」)見たと。学校へ本田先生より「名古屋より電話せし」と。(けふ父にきけば大、楢崎勤氏令嬢と縁談と。元『新潮』編集部長、いま読売文芸部長と)。山下、夜来り「久美子一週間前より藤井寺へ帰省」と。

7月3日
1時間目の歴史切り、10:00登校。本屋の払ひす(380)。院長来り、1,200冊紛失しをり、一部は学院へゆきしならんと。明日教授会 にて図書館運営協議会をせよと云ふ。中島翁にきけば1,200冊以上なしと。
秋の修学旅行にゆく者42人、行かざる者20人と。鍛治君と出て「printemp」で喫茶。荒木君と会ひ、お徳叔母に会ひにゆけば「久美子悪阻、11日頃までをる」と。松坂屋の古書部見たのち天王寺をへて帰宅。〒なし。(荒木君に『世界歴史物語』を贈る)。

7月4日
9:00山本信江より電話「一度お礼に上る」と。我より「ゆう故都合しらせ」と答ふ。13:00出て散髪。城東線にて藤井啓一氏に遇ひ、思ひついて石野伊三雄のこときけば3年休み、この9月にて馘首さると。天王寺駅にて藤井(萩原) 美智子に会ふ。洋裁にゆくと。学校にて江馬に電話し、石野のこと云へば「友なし」と。
Salary出をり、15:00教授会。すみて図書館運営協議会『女体美大系』買ふこととなりし。すみて19:00まで待ち、米沢生より6冊の代金(180)もらふ。伊東マキ子の分とで270なり。
帰れば池沢より「明日来る」と。井上多喜三郎氏より(※「陳夫人」)ほめ来り、岩崎昭弥より「体悪し」と。福井久子氏より詩集『海辺でみる夢』。今月より家に27,500わたすこととす。Bonus(会社の)土曜に出るゆゑ月曜に来よと。

7月5日
9:30ゆきて「Heidenröslein(※野薔薇)」のprint切り、図書室2階の本を文2の古典講読組に運ばす中、松本一秀君より 電話、今年度の試験は8月10日にて、同君の手をへて2、3名の受験許すこととなりしと。
池沢14:00来るとのことなりしに電話して大阪駅で待合すこととし、ゆきて喫茶。650受取り、別れて(『新中国の愛と結婚(30)』を買ふ)、市電にて住山の家。兄に会ひて話し、天六にて渡辺母に電話すれば「来てくれるな」と。明日学校へ昼頃来ることとなる。
省線天満まで歩く途、春夫『文学読本』の片われ見付けてうれし(70)。杉森『森鴎外(30)』。帰れば佐々木邦彦画伯より「個展、三越にて14〜19日」と。村上新太郎氏より「歌の批評を」と。八木嬢より「図書館8月、3〜16日閉館」と。(上町線で角倉生と遇ふ)。

7月6日
10:00ゆき11:45より漢文やめて1年つかひ本運びさせしに中途にて中島老もうよしと云ひしと。われもはや知らぬ顔して、渡辺の母に会ひ、住山重子よび、高松に会ひし(class写真うつす)。
長沖、西宮2君と500づつ出しあって鍛治君のbonusますこととし、小林千余子来しと。ともに出「No.1」でしるこ食ふ。(西洞院君来り、『果樹園』5、6買ひゆく)。「Hugo」で『世界歴史物語』買って松本のお土産とし、日生で書類3通もらひ、出て宮口に途で会ふ。
天王寺に引返し、藤井寺(松本も『果樹園』1冊)、おとわ叔母も来をり、久美子妊娠4ヶ月目と。山口の航空隊にをりしと。東京へ飛行機にてゆくといふ叔父帰り来り、夕食よばれしあと(叔母3ヶ月分90呉る)、自動車に同乗。玉造まで来て下車。
帰れば森亮氏より「誤植をゆるす」と。他に誌代100。野田宇太郎氏より11日ごろ西下と。日本文芸家協会より『果樹園』送れと。

7月7日
『日本歌人』の原稿かきゐれば電話(八木嬢より明子の離婚につき)すぐ行くと云ひ、京橋にて会ひ、大阪駅まで話きき、我も賛成、松井信子君への電話ききて別る。
帰りて昼食。「朔太郎と蕪村」書き了り(6.5枚)、依田義賢君よりの『果樹園』の礼状見て大阪駅。速達して小高根家。明日と云ひおき、けふ速達したとのことにすぐ出て百貨店にて暑さしのぎ帰宅(春山行夫『季節の手帖(90)』)。
福地君来り、『果樹園』の大江叔母(90)、松本一秀(30)、西洞院君(60)を記帳してもらひし。

7月8日(日)
9:00起き、山本家に電話し、2時間後ゆくと云ひ、朝食して出る。途中、電車の連絡悪く11:30着。嘉蔵氏、同夫人に苅田君の返答のべ、礼断り、13:30出て玉出のフミヤ書店を見、南海、地下鉄にて梅田。
万字屋で『101名歌集(100)』買ひ、石橋の小高根邸。途中、福地君に会へば「中河与一氏既に着かる」と。久闊叙し、萩原さん(※萩原朔太郎)の遺族の話承り、保田の話し、夕食中来りし池田高校の篠田君の話を笑ひ乍らきき20:30退去。
小島樹氏より『李太白』の抄のりし教科書送ったと。

7月9日
6:30起きて急いで出、天王寺よりbusにて住吉区役所前で下車、墨江小学校へゆけば既に12、3人をり、やがて9:00までに34人来る。票紙をのし、分類して地方区すみ、ついで全国区に入りしところにて午となる。神島ら4人のgroup実に感じわるく、参観人よりも声かけらる。100づつとわれに200給され、渡辺、高松、住山の3人に日生の書類わたす。3人とも数学だめと。
学校へゆき、田中洋子に明日友井令息来るゆゑ製本の注文せよといひ、三苫君に休講の掲示たのんで出、西宮君と帰る。
京橋より外へ出、『河出文庫』2冊(20×2)買ひて折よく来しbusにのりて会社へ寄れば、社員扱ひにbonus出ずと。
帰りて森房子氏の同人費1,000。池沢より「織田喜久子に会ひし」との便り見、明治書院の教科書を見、註の訂正を小島樹君にかき、うとうとしゐれば守本主事より電話、院長休講の理由を問ひゐると。くそくらへ也。
帰り赤星と一緒になり、会社よりの借金51,000を明日の期限に返し、30,000また借りること城平叔父了解と。夕方2階に1室を占拠すといふ村崎来り、認めよといふに許さずと答ふ。けふ山下来て久美子の夫、浜松に転任ときまりしと、めでたし。

7月10日
10:30登校。1年文科の歴史休講云はざりしと。守本主事に会へば、教務として休講の理由は知らねば困ると。西宮君も休講云ひ、月曜の院長 の終業式には文芸の出席なき故困ると云々。14:00、友井令息製本もち来るやと思ひしに来ず。日野君に会へば中島老4,000冊見当らずといひしと。三苫君にきけばbonusは16日と。彼、帝塚山西3丁目のTennis-coatの角に家見付けもらひしと。16日欠勤を方々に云ひ、出て鍛治君とsoft-cream食べにゆけば太田昭子に会ふ。(児玉君出張と)。2、30万円貸す人あり、出版やらぬかと。出て『文芸春秋』駸々堂にて買ひて玉造をへて帰宅。
八木嬢より「離婚さすことときまりし」と。今市佐恵、夫人ぶり「仲好くしゐる」と。参院選挙社会党80名とり、憲法改正3年間なきこととなりしらし。



昭和31年7月11日〜昭和31年12月31日  本冊画像PDF

20.9cm×15.0cm 横掛ノートに横書き


7月11日
上村肇氏より「収支表は年2回位とし、反響記事のprint出せ」と。伝田雅子より「再校見てくれ」と。成蹊詩社より「22日(日)芦屋女子高校で」と。
14:00登校。守本主事を見てものいはず、中島老に4,000冊紛失の件でいひがかりつけ、友井より製本来をらざるを見、電話せよといひ、渡辺の叔父会ひたとし云ふ電話きき、近日中に夜ゆくといひ、伝田雅子より「来てくれ」との電話きき「ゆけず」と断り、院長に会ひにゆきしも多人数ゐる故やめて、アベノにてsoft-cream食ひしてのち西宮君にゆけば不在。「明日電話せよ」といひおきて帰宅。

7月12日
元市印刷より電話、『足音』のこといひて来てくれと。3時間してゆくと云ひ、西宮君迎へて「善処せよ」といひ、ともに出て元市印刷(西宮君、葡萄酒2瓶賜ふ)。再校の目次と奥付と見、神崎院長(※神崎驥一)の文の宛字をそのままとし、rice-curryよばれ、ice-cream食べて出、今里までbusにのり、歩きて近鉄の駅にゆけば、渡辺三七子来しところ。ともに自宅へゆき母君、叔父に会ひ、我がしゃべり、たのまれてのち、駅まで送らる。
夜、福地君来りまたしゃべり、basket部の電話きけば「coacher見付からず。学生にては駄目か」ときかれて駄目と答ふ。けふ池沢君よりハガキと原稿。悠紀子、藤井寺に電話すれば久美子すでに浜松へ出発せしと。大江房子より返事来ありし。

7月13日
田中洋子より電話「友井君来しも尋ねたきことあり、明日また来る」と。三苫君より「図書館工事につき明日来よ」と。井上幸子より履歴書と、まちがひだらけの手紙。今高より500円寄付せよと。前川氏より原稿受取。浪高より「15日(日)13:00より同窓会」と。小島樹氏より「訂正は改訂の時に」と。
初枝叔母よりわび状。平凡社より(1,080−162)。夜、斎田君より電話、「出版の出資者会ひたしと云ふ」と。月曜9:00「御門」で会ふこととす。

7月14日
9:30家を出、10:30登校。上町線で友井息と一緒となり『満文老檔』2冊の製本出来し、守目堂に転居のためおくれしと。父君よりの手紙も来ありし。
守本主事1日8:30ナンバ集合を令す。11:00より新築会議。院長「研究室を家庭的にせよとの趣味人もあれど云々」と皮肉いふ。我、相手にならず。
すみて三苫、楳垣2氏に不平もらし、ナンバに出(則武姉妹、林生に遇ひし)。荒木君訪ぬれば碁をやりゐる。午食につきあはし、taxiにて三越、佐々木邦彦の個展を見、茶よばれ、梅田に出てbus待合場所で西村生(2部)に遇ふ。教員となるにむつかしきを云ふ。暑ければ甲子園までゆきしも助からず。夜半まで眠られざりし。
けふ会社のbonus出、我に5,000、2人にはいかがなりしやらん。
森亮、小山正孝の2氏より原稿。芳野君よりハガキ。高知の近森敏夫君より詩稿。
けふ大毎の天野愛一に会ひ高尾書店にて安本10冊たのみおきし。中に文淵堂のスタール『お札巡礼(※御札行脚)』あり(80)うれし。

7月15日(日)
暑し。午前中「陳夫人」のつづき書き、25枚とす。依田義賢君より『ローマ』の出版記念会の発起人たのむと。14:00福地君来り、原稿不足とわかりし時、上村肇君より速達。小高根君来り、薬師寺衛の詩と写真つかひて不足補ふこととす。
夕食して小高根君帰りしあと、福地君の家にゆき父君に会ひ、東住吉高校のこといへば、校長旧識、早速ゆきて見んと。21:30辞去。
けふ松本一秀へ電話、4人にてもよきかと云ひ、十時巫佐子へ電話、外出を止められゐるとのことに、行きて両親に話さんと云ふ。八木嬢より電話「明子もとの鞘へ収まりし」と。

7月16日
9:30出て十時ふさ子を訪ひ、母上と話し、basket部のcoacher1週に1回位なら宜しとなる。出て天満で下車、住山重子の家まで歩きてゆきしに、母子ともに不在。職人にきけば、兄居り乍ら取次せざるに憤慨。
出て市電、梅田より地下鉄。天王寺より学校につきしと、ゆきて編輯。火曜夜校正出、水曜出張校了ときまる。住山に電話し母に恨みいひ、学校に電話してbonusとりにゆけば守本主事に会ふ。38,500−5,400=33,100、他にαもらひて出(鍛治君研究室に来をり、楳垣氏仕事を学生に手伝はしをられ、ice-creamたまはる)、今宮戎で下車。今高にゆき筒井信義君に会ひ、寄附1,000し、busにて梅田新道。「大安」に480払ひ、『明朝対風刺的戦争』『明代海外貿易新論』『張煌言』『成吉思汗伝』『海録注』にて330。高尾にゆき、この間とりのけおきしスタール『山陽行脚(80)』『祭礼と世間』『炉辺叢書3冊』『新釈女大学』『鴎外文学』『原人の発見』『氏神と氏子』『民謡の今と昔』『蕪村論』とにて1,200。
出て産経の今沢幸君呼び出し、われbeerおごり(500)、ついでおごり返され地下鉄にて「御門」。
斎田君をり、伊東マキ子ら2人来り、19:30永田治君来る。われ労力奉仕して本(※自分の詩集)を出すこととなり、別れて夕食。
住山に電話すれば「明日忙し」と。21:00すぎ帰れば児玉君より電話かかりしと。悠紀子、鈴木一男君にしらしにゆき22:30帰り来る。

7月17日
8:00住山母子来り「先生怒りて推薦とりやめとなりしか」と。娘『女大学』もちゆき、母tobacco10箱呉る。松本一秀君に電話「明日13:30来させよ」と。その前高松に電話し、日生受験希望者ときき渡辺三七子に電話して皆にしらさしむ。
夕方福地君へ『蕪村論』もちゆけば80円にて譲り、ともに大東家にゆき、夫人に梅汁のましてもらひ、dr.の診断受け、魚の目ゆゑ切開必要と。30日(月)19:00再来を約して帰宅。
渡辺生より電話「みなに伝へし」と。けふ中河与一先生より8月箱根にゐるやもしれずと。涌井千恵子生より漢文の試験につき。

7月19日
奈良女子大より2,400−288=2,112。市村伎餘子より大阪郵政局に勤めて6ヶ月と。13:00出て会社、大掃除の薬代のこと康平叔父に云へば「出して宜し」と。機嫌悪く、この間の寮生への貸金38,000につき文句いふ。その通りなれど不快。
出て寺田町「石塚」にて『リルケ詩集(75)』と『森鴎外読本』と買ひ、味原町にて『史話俳談(50)』『文章軌範(70)』『大東亜海の文化(60)』『歩兵第八聯隊史(60)』。まむし食ひPomerai『結婚の歴史』買って帰宅。
けふ京大より「史、授業料未納。9月24日迄に支払はざれば除名」との通知来る。

7月19日
悠紀子を今川へゆかしめしに、午まへ高松夫人、直子生つれて来り、2時間探しまはりしと。松本われに似たりと。帰りしと入れちがひに悠紀子帰宅。マミ子帰りゐると。父来り、葡萄酒のみゆく。
山根忠雄氏より詩1篇と同人費。夕方出て小阪へbus(10となりし)。堀内に寄り『興国詩選(80)』『新薬師寺(50)』『支那年中行事(10)』『フランス語の歩み(70)』と4冊買ひ70にしてもらふ。夫人、史を見覚えしと。弥刀まで電車でゆき松本の新宅訪ねあてしに夫人病臥、松本22:30まで帰らずとのことに本返却、『果樹園4』置きて鶴橋をへ、氷西瓜食べて帰宅。福地君留守に来りしと。
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7月20日
9:00福地君来り、坪井へ紹介状書かす。会社へゆき城平、康平叔父ともにゐず。田中課長に大掃除の消毒液の稟議書出し、鶴橋をへて天理着12:10。Taxiにて図書館にゆき、鈴木治氏に朝鮮学科研究室へ紹介してもらひ、『青邱説叢3』しらべしにあらず。
出しところにて今西春秋氏に会ひ、云へば「故龍博士(※今西龍)の出版にて1冊あり」と。17:00伺ふと約し、八木嬢に『台湾私法 巻2上』借出してもらひ、ともに出、別れて友井家さがし当つ。守目堂に新築、中々好き家なり。わが『字源』まだ乾かずと。出て尾村千鶴生の家にて散髪し(120)、支払ひてのち母に云へば「現在大阪でArbeitしゐる」と。高橋家にゆけば「13日女児出生」と。重臣君をらず、のちほ どと云ひ、八木家まで上りCalpisよばれて出、高橋君に会ひ、今西氏訪ね、いろいろ話し田川孝三『毛文龍と朝鮮(※毛文龍と朝鮮との関係について:青邱説叢3)』分けてもらひ、beerをのみ、夕食くひ、最後の準急(19:36)にて帰阪。
西保(梅田夫人)、松田久生、赤見生より暑中見舞。永井州子は他の部長により他の日に日生受けると。芳野清君より原稿。(けふ足達家へ尾村母よりtobacco20箱届けありしを高橋君、今西氏へおき来し)。(放出大和支店にて2,400−288受取りし)。

7月21日
9:00寐てゐる中、畳屋来り、夕方まで6畳すむ。松本君より電話、誰か来させよといふに、渡辺生に電話してゆかすこととし、高松生にも電話す。芳野君よりハガキ。加藤順子生よりbasketの練習8月までなしと。関大三上氏より石浜先生古稀記念論文の筆者をと。山本正子生よりreportのこと。板原の父、淳曽氏より「母病気のため欠席させし」と。伝田生より『足音2』。県人会は8月に延ばせしと。夕方渡辺生より電話、松本君訪ね、明後日学校へゆくと。

7月22日(日)
大掃除なれどもすることなし。午后、渡辺生に電話してゆくと云ひ、小阪までbus。堀内にゆき『わが小説作法(100)』買ひ、今里の渡辺家へゆき、推薦状3枚かき、三七子生に送られてbus。ナンバに出、地下鉄にて十合。児玉君に会ひ、食堂にておごりしあと、17:35待合せの約束し、書籍部見をれば「面影」のmadameに会ふ。廃業して浜寺に家を建てゐると。
外に出れば甚幸、写真機もちて通りかかる。児玉君と南街buil.の屋上beer-hallにて一杯。鈴木一男の就職の礼のつもりなり。別れてtaxi、鶴橋をへて帰宅。
留守中、服部三樹子氏500と原稿もちて来しと。けふ全田修三君より20円。

7月23日
畳屋裏返しに来る。眠くて午寐しをれば渡辺三七子より電話、日生所定の用紙に推薦書かけと。直ぐ来いといひ草刈り。11:00現はれしと話しつつ書き、住山に電話すればgroup5人で北海道旅行と。
秋山(徳永)昭子夫人、東京へ転任と。(田中)大江久美子浜松より。阿原寛一、小川和、青木春子(英T)諸氏より暑中見舞。14:30畳替へすむ。けふ村崎と栗林と喧嘩せしをなだめし。珍しきことなり。

7月24日
悠紀子買物にゆく。午まへ東大文学部より『李朝実録抄2、7、8、9』4冊贈らる。羽倉裕景君、里井生より暑中見舞。渡辺三七子より「日付記入必要か」と電話。
夜、福地君来り校正。7月28日(土)小高根家へゆくこととす。山下陽子より砂糖5斤。

7月25日
鈴木夫人より悠紀子に電話あり「一男君、小野氏より預りしもの今夕もちゆく」と。草刈り。午后となり井上源一郎氏、宇野美佐子、松井和佐子、辻本(成尾)禧佐子、得津佳子の暑中見舞見しあと元市印刷にゆく。14:30より校正出、16:00すみ、寺田町まで歩きて帰る。夜、一男君来り、依子用の傘もち来る。

7月26日19560731.jpg
朝、田中米屋の嬢、お中元もち来り、悠紀子受取りてそのまま帰せし。井上恵子、下村(文T)、山内(文T)より暑中見舞。午後散歩、梅田「Svar」にて『異国情趣集(100)』買ひしのみ。
けふ読売新聞より電話「野田宇太郎氏の原稿にわがことのり写真ほし」と。百済璋子よりも電話ありしと。片町線にて大東夫人、福地君と一緒となり、大東夫人に月曜の手術たのみし。(長沖氏に高野山会議欠席を通知す)。

7月27日
小野ヒデ子(2部1年)よりbeer1打賜はる。父君文彦は警察病院勤務と。百済璋子より電話、相談ありと。17:30十合で待合すこととす。和田先生より論文『東方学』にも『東洋学報』にものすと。お体悪しと。俵青茅、亀井昇より暑中見舞。父より電話『読売』に金尾のことのりしと。
16:00出て玉造をへて心斎橋、駸々堂にて『知性』買ひしのち、百済生と十合で会ふ。木村中将の令息と話あり、同僚との間も未解決と。どちらかにきめよといひ、靴下もらって別る。

7月28日
朝、福地君より電話、『果樹園』9:00に出来、10:00にもって来ると。やがて現はれ、発送すます。そのあと昼寐。さめて池沢より読売新聞の切抜送り来しを見、新潟にゆきし井階清一より「植村清二先生と隣同士」とのハガキ。原田比富、中島寿代の暑中見舞見て(原田父より砂糖6kg)家を出、16:00前小高根邸につき、19:30まで葡萄酒のみ、夕食よばれて帰宅。原夫人帰郷せしと。

7月29日(日)
よべみなおそく酒飲みて帰りし。熊本工高の教師来て泊りをり、我に挨拶なし。服部三樹子氏より1、2号送れと。平井恵美氏、細川(文T)、助野(食2)より暑中見舞。北野徳治氏より暑中見舞と靴下3足。伝田雅子より乾武俊に悪口云はれしと。
けふ守本主事より電話、切符1枚不足と。悠紀子にわが不参いはしめしに喜ぶ色ありしと。史、依子ともに出る。植物のcard一応すむ。渡辺生より高松生と松本にゆきしと電話。

7月30日
院長に高野山会議欠席を速達し、松本に電話し、10日頃ゆくと云ふ。久保田初美、西林、鳥居治子より暑中見舞。
19:00福地君に自転車のしりにのせてもらひ大東医院。勝之助博士に「魚の目」2ケ切ってもらふ(鶏眼と学名)。帰り書生君にauto-byeのしりにのせてもらふ。

7月31日
久保田初美にハガキ。福地君、見舞に西瓜たまふ。午后、大東博士来診かと思ひしに来られず。長沖氏より欠席承知したと。林叔父、今治へ移りしと。丹羽千年よりも同。梶本(文1)、大浜(同)、井上睦子(文2)、石田嘉子、上田阿津子より暑中見舞。桂周作君より同。英1の佐々木生ら軽井沢より。田中順二郎氏より砂糖。村上弘子父上より同。脚、鈍痛あり。22:00意外にも大東博士、夫人とともに来診、歯痛のためおくれしと云はる。恐縮。書生にとbeer2瓶もち帰りいただく。

8月1日
午、父来り、大塚への靴下托す。城平叔父警察病院入院と。『読売』もち来る。大東先生来られ経過良好と。西宮君より夏休みの計画表。末吉栄三、岸明子、田中(順二郎)雅子、中島悦子、板原、青木の諸生より暑中見舞。雅子夫人、美千子君つれて帰省するやもしれずと。
硲君来り、『果樹園』3ヶ月分(7−9)置きゆく。
夕方、東順子・孝子の母君来り、孝子市内に転地しゐると。(硲君Calpis2本賜り、東夫人2,000とwhite-shirt賜はる)。
けふ弓子あす生駒への京の遠足につきゆかずと云ひ、泣かせしを叩く。夜、「清初の奴隷」書き初む。

8月2日
京、遠足へ出しが参加者少しとてとりやめしと。午すぎ原田早苗chocolateもち来る。丁度、福地君来り、決算す。500円ほど黒字と。池沢茂君より『読売』2部と同人費と売上。天理大より『Biblia6』と『善本写真集7、8』学校より転送。日本読書新聞より『鴬の卵』の書評を7月28日迄にとの速達。桜井大教会より天理図書館をへて来りし也。
中村貞子、福島県青根温泉より長沖氏と我に連名。梅田惠以子氏より鍛治富子への縁談。村田(文2)、川島(文1)、細野美智子、山中タヅ子より暑中見舞。
14:00原田生帰りし(例の西堤courseとりしと)あと、八木君来り大東先生。5日には福地君の自転車にのせてもらって宜しと。福地君帰りしあと、八木君夕食たべて去る。(子らに本とつっかけ。友井老より製本もち来る。450をもちゆき貰ふ)。鍛治君の親類書を梅田君に送る。(けふ富子生よりもハガキ来をりし)。八木君にきけばBiblia稿料出さずと。天理大借金と。

8月3日
暑し。辻芙美子、小島照美、井上律子、佐々木満嬉、中村文子、西岡照子、木村淑子、吉岡信子、小林千余子の卒業生、村上宏子(文1)、吉田笑子(英1)、西口和子(文1)、井上笑美、宇都宮和子(文2)より暑中見舞。馬淵源太郎湖北より、佐々木邦彦、畠山六栄(※右衛)門2氏京都より。
林富士馬君、薬師寺(※薬師寺衛の遺稿)のNote焼きしをあかし来る。大東先生14:30お越し。足の裏つけて歩いてよしと。けふ大阪37℃を越えしと。(37.7℃)

8月4日
暑し。10:00福地君来てくれ、自転車にのせてもらって大東医院へゆく。よべ健保の計算で徹夜されしと。帰って福地君にbeer1本もって行ってもらひ、〒十和田操氏より『果樹園』の礼。鍛治初江氏より200。鳥居清氏、疋田紀子、藤原由子、松山幸子(文2)、野原、田中孝子、鈴木(文1)の暑中見舞。鈴木生は学校面白くなしと。木村小使君来り、高野山の土産の菓子ことづかり来しと。長沖氏わがハガキ見てすぐ学校へ電話たまひしと。
夕方、吉森幸子夫人見舞に来り、松本一秀君も明日辺り来らんと。来ざるやう伝言たのむ。高島屋より元市印刷の商品券2,000と、林満寿子氏より菓子。

8月5日(日)
8:20福地君来てくれ大東医院まで運んでもらひ、夫人に手当してもらふ。鍛治初江氏より葡萄酒2本賜ふ。院長、高野山より見舞状。植村清二先生「井上源一郎君の隣に住む」と。浜谷、白馬岳より。明渡淑江、根木薫(永島福太郎氏義妹U英1)、川勝、伊奈(文2)、桜井、石塚、木村(文1)の暑中見舞。大谷、尾崎、森田3生白馬より。松本君に電話、来るな、ゆくといふ(火、木、都合悪しと)。湖東君に電話「元市印刷の中元もらっておけ」と。
夕方、京つれて散歩にゆく。高槻の小久保実氏より200。青梅の並木陸郎氏より問合せ。けふ鍛治君への礼状に20円の切手同封。

8月6日
福地君10:00前来り、大東医院へゆく。明日は先生来診と也。(けふより福地君橋立旅行)。八木君より礼状。友井老に金わたし呉れしと。岩崎昭弥よりわが詩集のこと心がけゐると。野崎その、井上和子(英2)、城戸(専)、金子多美子講師、伊藤桂一君転居、大住(?)より暑中見舞。
木村老もち来ると思ひしsalaryとどかず。

8月7日
9:20学校へ電話、三苫君をり、悠紀子ゆかすといひ、診断書もちゆかす。高野敏子よりshirt地、外に暑中見舞。尾崎政子、中井英子、佐々木千重子講師、本多和子。永井、瀧口、里井(U文3)上高地より。田中知慧子(文2)、羽畑、島田、藤本(文1)、増村篤子(服1)より暑中見舞。
悠紀子15:00帰りしあと小林千余子より電話、3人にて来ると云ふに入浴しゐれば大東先生お越し。明日も一日来診賜ふと。帰られしあとすぐ小林、力身、東順子の3人来り、小林に『右京太夫』『南蛮更紗』『日本女性歌人史 下』貸す。力身君「先日、山本信江に会ひしに死にたしと云ふ」と。Tobacco10箱賜ひ西瓜賜ふ。
ともに出てビニール靴買ふ(550)。けふ山本正子よりreportについて電話。深更までかかりて「陳夫人」24枚。

8月8日
昨日買ひし靴はきて大東医院へ参り、灰皿(楽山焼)贈ればcoffeeのまされ、博士スクーターにて駅まで送り賜ふ。片町へ出、市電にて上六。近鉄departにて印度リンゴ5(300)と蜜柑3(175)と買ひ、警察病院。今川叔母つきそひ正平、市大受験のため国語を史に教へさせよと。
出てまた上六。天地書房で『台湾志1(50)』『隠語全集(80)』『史話俳談(130)』買ひて江馬訪ねしも、歯の治療にゆきしとて不在。まむし食ひ、松本にも2度電話せしも不在。ともあれゆき見れば居りて、渡辺生、父の記載なしと。宜しくたのみて出る。
淀屋橋より市電にて天満橋。Busにて帰る。保田の妹、林夫人より挨拶状。依田、小高根2氏とも電話番号の通知。蔵本恭子、徳島より。西田、桂(文2)、西(文1)暑中見舞。(警察病院の小野文彦博士(ヒデ子父)は歯科の科長。会ひて叔父のことたのみて来し)。
悠紀子、弓子、京、生駒へゆきて18:30帰り来る。服部の長女水泳選手と。貯金出来しと。けふ上六にて散髪し200とられし。

8月9日
10:00福地君にゆく。橋立より帰りしと。自転車にのせてもらひ大東医院にゆく。またcoffeeたまふ。出て家まで伴ひ、同人費収め、小高根君に16日の会承知と伝へることたのむ。渡辺嬢に電話し、田中米屋に電話す(令嬢不在)。
父来り、日生の勧誘員つれ来る。河出書房より印税(12,000−1,800=10,200)来る。西宮君より高野山会議の内容。新大阪新聞 の足立巻一氏より「退職した」と。千場和子、柴山順子(高槻に転居と)、南(文2)、瀧川(文1)より暑中見舞。

8月10日
朝、福地君にのせられて大東医院。明日は休診日とて膏薬もらひ、13:30家を出て上洛、四明岳(※比叡山)までcableでゆき、下山して川崎邸に泊る。

8月11日
16:00ごろまでうだうだし、氷西瓜たべ、冷しうどん食ひて市電。仕伏町行のbus教はりしも出しあとにてtaxiつかまへ梅原邸(100)。薬師寺衛君の母上に会ふ。来年は13回忌と。(※詩抄の載った『果樹園』)3部おき、ちらしずしよばりて出、busにて三條。京阪書房にて電話かり羽田君。『東方学』刊行の見込なきらし。『唐史叢鈔(220)』『桃太郎の誕生(160)』『西は何方(140)』『満鮮植物字案(180)』『満洲・民族・言語(70)』『シラー選集(70)』『賀茂真淵集(80)』にて900に負けてもらふ。五色豆買ひて帰宅。
湖東君より石鹸。岡村智慧より奈良漬賜ひしと。芳野君より同人費。小高根君より原稿。前川氏より「信州へ行け。16、7日までに堀さんのことを」と。
佐竹静子、安村明美、青山一枝、岡幸代・希美、田中洋子、青木康次、久万哲男の諸氏より暑中見舞。東順子生より礼状。久保田初美より「高野山の合宿へゆく」と。父上には電話かけて会へと。岸谷、井上(幸)、加藤、松田(文2)、今井(文1)、堀内節子(?)よりハガキ。

8月12日(日)
朝食してまた眠りゐれば、10:00福地君迎へに来てくれる。大東先生へ奈良漬1本もちゆき、昨夜生駒山上で泊られしときく。帰りて『果樹園』の事務やってもらひ、〒待てば野崎君より和田夫人の住所しらせ、瀧口生(2部文3)よりのハガキ来しのみ。梅田夫人より鍛治富子君についての問合せの電話。湖東君に電話すれば外出。

8月13日
9:20短大へ電話すれば鍛治君来参、やがて来し福地君に乗せられて大東先生。あと2、3回らし。帰りて『果樹園』のback-number 整理し箱に入れてくれる。1号は62冊しかなし。すみて昼食。花井裕、池元久子(長崎にあり)より暑中見舞。力身好子、赤穂より礼状。浅野晃氏より原稿と同人費。上村肇氏より同。
鍛治君より電話、母方実家は簑島の池上七郎氏と。14:30正平来り、史より受講。16:30出て鴫野東劇へ「RichardV」と 「Picnic」見にゆき出れば22:00。留守中大塚来りsyrup賜ひ、宮口時喜子来り、缶詰賜ひしと。

8月14日
史に朝、赤地君来り、午后正平来る。赤地母君来り、授業料と御中元賜ふ。高橋重臣君より訳詩。山根忠雄君より同人費。
東井夫人、関口淑子(文1)、木村(英1)、須内(文1)、岡田享子より残暑見舞。笹尾とさ夫人より「小森、高橋来りてわが詩見せし」と。楳垣先生より『隠語全集』使ったが借りし故、譲り受けたしと。
夜、18:30福地君来り、大東博士。またcoffeeたまふ。明日休みてよしと。帰りて原稿受取4枚書く。詩集の下書きすることとなる。史、午后より信州へゆく。

8月15日
かもめ書店よりcider贈らる。野田又夫氏より『自由思想の歴史』。森亮氏より原稿と同人費。小山正孝君より原稿(詩)とハガキ「上京を待つ」と。
並木陸郎氏より切手にて200。高知の吉本青司氏より『果樹園』見たと。清水文子、森井順子、新坂康子、永井州子より暑中見舞。読売新聞より明日写真とりに来ると。13:00頃良しと答ふ。
夜、服部夫人より悠紀子に電話、13:00頃来ると。夜「堀さんのこと」14枚を『日本歌人』にと書く。

8月16日
9:30福地君迎へに来てくれ、大東医院へゆく。もう殆ど良しとて、この次は日曜に伺ふこととす。夫人butterを賜はる。
帰りて福地君一度去り、弘瀬公生、花井彩、吉野(U文1)の暑中見舞見しあと、福地君再来。斎田君13:00来る。読売尾島君来り、わが写真とる。去りしあと(伊東の写真必要とて『果樹園』与へし)、小高根君来り、編輯会すみ、出版(※『詩集悲歌』果樹園叢書1)について話す。
2君去りしあと、悠紀子に来りし服部母子去り、ふと思ひついて元市印刷へゆくこととし、19:00ゆけば伝田生まだ代金払はずと。催促すること引受け、組代その他見積りきき、24日校正出ることと定めて帰宅。2:00大江のことたづねて酔漢来り、不快。

8月17日
9:00すぎ原君に電話し、大江よこせといひ、昼寐せんとせしもだめ。栗生金借りに来りしも悠紀子外出してだめ。坪井より2部の入学について尋ね来る。19日上京と。吉本、穴川、西田(文1)より暑中見舞(けふ伝田に照会のハガキ出す)。
夜、栗生また来りし故、わけをきけば兄の家へゆくに500円貸せとなり。わけをくはしく云へと云へば帰りゆく。大江来り、きけば浜の博党にてよべ2:00頃、親切にせんとせしに因縁つけられしと。

8月18日
事なし。草刈りし「清初の奴隷」書く。西垣君(※西垣脩)より速達「大阪の詩人」14枚。池沢君より「金魚のこと書く。軍隊物は書きたくなし。沖塩徹也姫路にあり」と。

8月19日(日)19560820.jpg
涼し。9月中頃の気候と。10:00歩きて大東医院にゆく。火曜にまた参ると云ひ、帰り福地君に寄り、自転車にのせてもらふ。西垣氏、池沢君にハガキ書く。小高根君にも9月1日(土)池沢君呼ぶことにつきハガキ書く。高橋重臣君よりKrolowのこと。
前川氏より前号のわが文評判よかりしと。小西啓子より「結婚の相手見付かり10月30日の式にわれ呼ぶ」と。上野伸広より暑中見舞。三場君、梨1籠たまふ。

8月20日
北野徳治氏より電話「田中順二郎夫妻帰り来り、順二郎君明日帰京と。一度連絡たのむ」と云ふ。咲耶より「岑夫、船場支店に転任、22日帰阪」と。塚本君子(英1)より残暑見舞。よべ全然不眠。昼寐してやっと元気となる。原夫人帰り来る。『満文老檔』のcard作る。

8月21日
9:30北野氏より電話、今より田中夫妻来訪と。待てば11:30来訪。美千子嬢見るなり笑ふ。12:00京橋にて兄待つといふに註文の寿司来ず。住山生来り「日生自信なし」と。「22日より29日まで高野山高室院にて合宿」と。根木生来り、室内満員と見て上らず梨賜ふ。寿司遂にまにあはず夫婦去りしあと、住山生と話し寿司1人前だけ受取りて食ふ。
草大分刈り、入浴せしに18:00。福地君迎へに来、待たして夕食。大東医院にゆけば「もう1回来よ」と。福地家に寄り西瓜御馳走となり、家まで送られ、詩集のため選をしてもらふ。
けふ依田義賢『ローマ』来り、『東洋史研究』来りし。父より電話「読売にのりし」と。守本主事より電話「本棚図書室に入れる」と。

8月22日
雨。久しぶり也。小高根氏よりも読売紙送ってもらふ。八木嬢より「24日午前早くきてくれる」と。よべ不眠にて昼寐せず論文書けさうになる。伝田生より(※印刷代支払について)便なく困る。福地君も来るかと思ひしに来ず。

8月23日
給料表出す。よべ12時間眠り爽快。福地君寄り大東先生にゆけば「今日にて治癒」と。礼のべて福地君を伴ひ帰り元市印刷に電話すれば「校正25日」と。また詩見せれば出せと。元市印刷に電話し直し社長に云へば「校正明日17:00出す」と。「伝田生より9月初まで待てと云ひ来り諒承しせし」と。
『薔薇31号』来る。小高根君より「池沢に案内す」と。池沢より「参る予定」と。西垣君より「戸隠へ行きゐし」と。「文章は没にしてよし」 と。堀内民一氏より『果樹園』1より呉れと。
野村朝子より電通のanouncerの練習中と。南須美子より「就職したし」と。平川生(文1)より残暑見舞。

8月24日
11:00八木嬢来る。けふ明子君帰郷と。『果樹園』の90円おきゆく。悠紀子、京をつれてともに出て堺の北野家。われ留守番しをれば布施税務署より4,100(前納)を8月25日までに納めねば差押へすと。
堀見生より残暑見舞。井上恵子来り、愉快に学院に勤めゐると。調味料1折と菓子と賜ふ。夜、福地君(※に)電話かけ、のちほど来りしに悠紀子やっと帰り夕食、校正了りしは22:00。くたくたとなる。
(伊東マキ子より植田生と2人の履歴書)。

8月25日
悠紀子、税務署へゆく。われ10:30出て梅田。炒飯たべ、藤村作『ある国文学者の生涯』『中世ヨーロッパ』買ひ、鶴橋で氷西瓜たべてのち元市印刷。『果樹園』責了とし、専務の帰り待ちて夕食。Beerよばれ見積りききして帰宅。
短大より石川喜久子の手紙と本位田氏のハガキ転送。荒木利夫君より『ローマ』。出版記念会未定と。住山生、高室院より。税務署、甘言もて31日までに納めることとなりしと。

8月26日(日)
岩崎昭弥君より(※田中克己の)詩集用にと10,000送り来る。夫人承知。姑君知らずと。伝田雅子より9月末払ふと。落合明美の母より煎餅贈りしと。18:00福地君迎へに来り、大東先生にお礼もちゆく。福地君にも礼せし。伴ひ帰りて詩集の原稿(けふ午后清書すます)の勘定せし に本文109頁。
渡辺、高松、住山の3生より日本生命の試験すみしと電話ありし。

8月27日
10:00鍛治君へ電話せしに来らずと。角川書店よりHeine(※『ハイネ恋愛詩集』)の印紙2,000。9月半に出る6版のためなり。
榎本須美子志賀高原より。午后短大へまた電話せしに「鍛治君来ず」と。16:00入浴中、松本一秀君より電話、学科試験に渡辺生のみ通り、高松生140、住山生128にて落第と。渡辺に電話すれば喜ぶ。
夜、鍛治君泉佐野より電話「腹痛にて休みし」と。本位田氏のエンマ帖のこと伝ふ。
けふ岩崎君に礼状。詩集のあとがき書く。名は『悲歌』とせん。(落合明美の母よりせんべい1缶賜ふ)。
 
8月28日
雨。悠紀子買物にゆく。堀内民一氏より『果樹園』の受取。八木嬢より悠紀子に。
夕方渡辺生より電話、けふ日生の面接すみ、松本君との関係きかれしと。会社のsalary出、父より「協和銀行船場支店は本町北西角」と。

8月29日
曇。10:00福地君より電話『果樹園』出来をりと。鍛治君より電話「本位田氏のエンマ帖のため登校」と。落合カズヘ氏より手紙。村上新太郎氏より「9月20日までに詩の外に2枚かけ」と。新大阪新聞より食ひ物屋のアンケート。福地君来り16:00発送事務終了。

8月30日
雨。早川麗子よりHeine渡辺生より電話かかり、身体検査の通知なきゆゑだめならずやと。松本一秀君に電話せしに不在、のちほどかかりてやはり駄目と。高松生代りに推薦すとのことに電話すれば喜ぶ。
14:00家を出てゆけば私生児ゆゑだめなりしと。折柄来し高松生に会ふ。出てbusにて渡辺宅。叔父、母に会ひ185点なりしことを云ふ。 本人はそれをききて満足と。叔父、産経の事業部長を通じて再運動してみんと。
送られて出、アベノ橋ゆきにのり、「日本かく戦へり」と「南極捕鯨船隊」見て19:40。帰りて夕食す。前田光子より4,000送り来り「卒業免状ほし」と。東京にあり。

8月31日
久しぶりに晴。弓子の友、細川女まへに引取りし猫返しに来る。則武嘉代子よりハガキ来しのみ。三苫君に電話し、前田光子にあと1,500出せとハガキ書く。
夕方、力身生より電話「猫くれるや」と。京に相談するゆゑ来よと云へば小林生と来り、bananaとcheezeと賜ふ。京、猫を渡すことを承知せず。帰りしゆきあと夕食すれば福地君来り、『祖国』返せしところへ関学の桂君来る。小林生と噂せしあとゆゑ不思議。大毎受くると云ふにわが経験話す。Castilla1箱賜ふ。その帰りしあと松本一秀君より電話「高橋生は補欠」と。

9月1日
晴。住山生より電話。basketのcourtを屋外に造りゐると、不快。南生より履歴書。父来り、悠紀子と咲耶訪問の日を打合す。われ14:00出て小高根邸。池沢おくれて来る。森亮『ルバイヤット』『コルボウ詩集』借りて帰る。

9月2日(日)
論文うまくゆかず。岩崎昭弥より詩とハガキ。奈良女子大より「15日(土)より始まるにつき出講せよ」と。『文芸春秋漫画読本12』買ふ。岩崎江嫗よりport-wine2本贈らる、不快。榎本夫人へ石川生のadress問合せ。

9月3日
晴、暑し。植村清二先生より『アジアの帝王』賜はる。16:00松本一秀君より電話、渡辺生、産経の上田氏より社長に運動したがだめと。電話かけて呼び、夕方来りしと話し断念せしむ。

9月4日
晴、暑し。子らみな学校へゆく。われ論文かきつづけるもだるし。河野岑夫より帰任の挨拶。池沢君より西垣君の文のこと。
16:00福地君来り、斎田に会へばわが詩集反対、他も売れず、大山(※大山定一)、吉川(※吉川幸次郎)氏あたりへ頼めばよきにと。永田君に損さすのはわれもいやなればとり止めん。夜、本文ほぼ書き上ぐ。これより註。

9月5日
よべ不眠にて「清初の奴隷」本文39註53書き上げ、昼寐せんとせしに出来ず。また訂正などす。
浅野晃氏より『日本歌人』の信州夏居に参加したと。北海道の小田邦雄氏よりは浅野氏にも連絡なしと。
散髪して登校。15:00よりの職員会待つ。楳垣氏に『隠語全集』贈れば新著『隠語辞典』賜はる。職員会不快(平井生結婚のため専攻科退学と)(鍛治君、空気刷新のため3月退職希望と)。17:00すみて楳垣氏出版記念会世話役となる。
井上恵子、院長ならびに同僚に不評と。これもわが悪評の中か。夜学不眠をことはりてやらず。

9月6日
定期券買って登校。前田光子の4,000を事務にわたす。高松生来る。石浜さんに逢はんとせしに休講。小野、今講師みな来ず。今週より開講を教務達せざりし也。楳垣教授に出版記念会のこと相談す。
午まへ梅田夫人、森内嬢をつれて来る。三林といふdr.と結婚すと。梅田夫人と出て戎橋で喫茶。香水もらふ。荒木君によれば来月初位、依田君の出版記念会と。出て雨らしくなりしに天牛南店へゆき『類聚国史』2冊買ふ(300)。
帰って入浴、夕食。上村氏より3部送れと100円来りしに、思ひつき、福地君にゆき大東先生にゆく。軟膏たまひ、ついでに体のかゆみのこときけば薬賜ふ。Vitamin不足ならん。福地君呼び決算す。赤字3,500(けふsalaryもらひて同人費払ひし)。

9月7日
登校の途、久保田家に寄りしに初美君不在。登校。漢文、歴史ともにきちんとやりし。14:00院長に会ひて12日の楳垣氏の出版記念会の打合せし、案内書刷り、鍛治君と出て、不二家でsandwich食ひ、辞職申出を取り消さしむ。
別れて十合へゆく。児玉君不在。斎田君訪ひ、(※詩集)出版の件話し、永田君へ断念取次いでもらふこととし、宣伝部意匠課の藤井君(詩人なる由)呼び、16日来よと云ふ。古本部にて来た『隠語全集(100)』、秦豊吉『西洋十夜(100)』買ふ。
帰れば城平叔父来をり、名賀君といふを20日ほど泊めよと。台風来ると。夜、久保田初美に電話すれば「父にまだ行かざりしか」と。

9月8日
9:00元市印刷へ電話し、和歌山へゆかんと云ひしに、社長「その要なし」と。無為にて日暮る。石口敏郎『遠い終電車』来しのみ。夕、福地君へ散歩、高松生、身体検査月曜と電話。

9月9日(日)
朝、山本治雄に電話すれば「丸三郎また半身不随になりし」と。夕方ゆくと約して坪井にゆきしに不在。「昨日福地君父君と会ひし」と。夕方山本家へ来よと云ひ、河内町の永田治君訪ひしに他出。父君に名刺托し、市電にて日本橋二丁目、Orion座にまちがって入り「灰色の服の男」を見て「慕情」となりしに気付き、出て河原町の叔母に会へば大江房子入院、2児藤井寺にゐると。茶漬食はしてもらひ市電にて梅田。『李太白』のみ旭屋で見付け、吹田へゆけば16:00。ぶらぶらして17:00。
山本家にゆき新夫人に挨拶、湯に入れてもらひbeerと雞。夫人の辛苦察するに耐へたり。坪井来るかと思ひしに来ず、20:00出て古本屋にて吹田順助『ヘルデルリーン(30)』『未亡人(80)』買ひて帰宅。
福地君来り、山中タヅ子、井上斌子来しと。山中に電話、改めて来よと云ふ。

9月10日
台風来るとのことに3回生の会ありや否を会場に電話してのちゆけば11:30。10名位集り、12:00すぎ長沖氏来りしと共に開会。空き腹にbeerのまされ真赤となる。出席、鈴木(養子とりしと)、八木、吉本(つとめやめしと)、小島、高野浩子、鳥本、内藤、西岡(九度山より来しと)、安部、西本、則武、林、大菊、山尾(おくれて来る)、成尾(2月出産と)、浜谷(11月結婚と)、中川。北沢も2月出産、その他も怪しく、(※日本の人口)1億を越すは早からん。
学校へ電話せしに守本氏出て出席12名にて水曜の会は学校にてやると。たのみて16:30登校。台風それしにより夜学ありと。鍛治君、「富子妹、見合の相手気に入らざりし」と。仕出し屋にことわられ、近所のお好み焼屋へゆけば宇治氷くれんとす。
出て夜学。1年の漢文最後やり、3年の漢文の補点に会ふ。米沢生360立て替ふ。西宮君と話して帰宅。
山根幸夫君より和田先生の代筆として『東洋学報』に論文をと。こまる。

9月11日
山根幸夫君にことわり状。8:30登校。元気に授業し、丹羽夫人と話し、久保田父君に電話すれば他出。16:00帰社と。東順子と出て孝子出席不足故、卒業おくらせんと。Coffeeのみ乍ら話す。承知の様子なり。地下鉄乗場で恰も久保田初美に会ひ、市電にて今宮戎下車。久保田鉄工所にゆけばをらる。感じよきも「取らず」と。ナンバまで歩きて地下鉄にて天王寺、帰宅。疲る。
けふ八木嬢よりHammurabiすみしと。榎本夫人より2−520と。大東医院へゆき内服薬いただき、福地君さそひて帰宅。山根忠雄君の返金700を記帳してもらふ。

9月12日
9:00出て森ノ宮。靴直させ、本町2丁目まで市電。倉敷紡に岩田常務訪ねしに「11:00まで来社せず」と。協和銀行船場支店に河野岑夫訪ね、ついで紡績協会に村山高氏訪ね、type-writerの礼として著書2冊贈る。柴谷氏呼出し、大高野球部の会すべしと。諾して倉紡再び訪ね11:20まで待ちしあと千川を訪ねしに90円くれ、昼食おごり呉る。勤め先に女の読者1人ありしと。別れて倉紡に電話すれば岩田氏昼食にゆきしと。
地下鉄にて登校。15:00まで大東夫人と話し、鶴身生の妹より「姉の披露宴に出よ」と云はれなどし、硲君と話して『果樹園』送らざりしに気付く。
15:00より教授会。東妹の卒業日おくらすことと決定。16:00より『隠語辞典』出版記念会。食物の子の料理旨く出来し。理事長、大塚博士ら欠席。18:00終れば山中タヅ子、井上斌子まちをり、話して2部2年の授業。すみて西宮、長沖氏とともに出る。
帰れば鶴身陽子より「10月6日(土)上本町2丁目山中荘にて披露宴」と。森田宏子より「丸山に新築」と。(※青木)陽生より「下高井戸4の889へ転居」と。多喜さんより『果樹園』の受取。前田光子より8日までに金出来ざりしと。

9月13日
雨。外国航空郵便45円なることを知る。10:00すぎ登校。石浜先生お越し、庄野英二、小野十三郎、石浜恒夫君とみな始業日知らざりしと。
古典講義やり、12:00日本経済新聞より電話、来るとのことに待てば、私の詩文をと吉永孝雄の紹介にて京大仏文出の青年、話し相手となり、13:30岩田氏に電話すれば「来よ」と。行きて会ひ、紡績協会へ話して見んといふこととなる。岑夫に寄りしに他出。日本レーヨンに増山君訪ねしに不在。日本生命に松本君訪ねんとし、夫人に遇ふ。「高松80%大丈夫ならん」と。
朝日にゆき山田新之輔に会へば「詩出来ず」と。毎日に天野愛一訪ね、西原寛二君に紹介してもらひ、茶のませ、勧誘す。高尾へ寄れば『瀋陽日記(400)』ありふしぎ。三浦義一『悲天』ただにてもらふ。省線にて帰宅。
中野トシ子より「会ひたし」と電話ありしと。高松生より「入社許されし」と電話ありしと。(けふ渡辺にきけば実父死にし人と)。池沢より原稿。芳野清君よりも「送った」と。北大福の北島清香嬢(千川の勤め先)より10月号よりと100。文1西田生よりnote送付。名賀君tobacco5個賜ふ。

9月14日
昨夜半、石川喜久子に返事かく。10:00出て登校。中村図書館長の娘来をり、話してひまつぶし。授業。ひるbasket部3人来る。奈良のprint切り歴史。長沖氏に法務局より来り、思想傾向につき質問、不快。
和島嬢に電話せしむれば「も早出勤せず」と。11月医師と結婚と。
15:00出て十合。児玉君欠勤。佐渡島金属にゆき梅本より300受取り、田中十八氏に会ひ智慧子生のこときけば修学旅行のためねだりをると。出て思ひつき筒井に会ふ。「野上、恋人出来て離婚考へゐる」と。さそひて玉造にゆきbeerのます。
帰れば中野トシ子生来をり、弟日銀を受くるにつきコネをと。罵倒して帰らす。浅野氏より1,000と詩。森氏より500と詩。田中静子氏より「20世紀(※梨)送った」と。山本より「丸(※丸三郎)軽快」と。
夜、宮口生より電話「月曜来る」と。

9月15日
奈良へゆく。10:20ごろ着き、図書館天野忠君に『果樹園』3冊わたし、『コルボウ詩集6』もらふ。横田俊一氏にわたし前川家訪問を約す。講義すみしは12:00に15分まへ。昼食すまし、小川講師と話し、横田氏と出て前川家。
佐美雄氏radioへとすぐ出てゆき、緑夫人と話す。「保田出版の件に苦労しながら西垣一子女と恋愛しゐる」と。芳賀檀氏、わが会ひたしとの伝言を喜んでききしと。
出て野崎家。その君、思ひしにたがはず悪阻とて出ず。岡村家へ電話せしに、父君変な返事ゆゑ、ゆきしに「母子成長の家ききにゆきて不在」と。やがて帰り来し母君にきけば「阪大学生に恋愛しかけられし」と。やがて智慧子生より電話かかり、わがゐること知りゐる様子に、置手紙して出、石切下車。萩原美智子(藤井夫人)のぞきしに不在らしく応答なし。井上睦子にゆき母子と話す。すし賜はる。
けふ芳野清君より原稿。服部三樹子氏より同人費のみ。BKより電話「愛する歌」の放送をと。小野和子より「在店しゐるゆゑいつでも来よ」と電話ありしと。

9月16日(日)
雨。福地君より電話かかりし故「11:00来よ」といひ、呆然としをればすでに時刻。行数数へてゐる中、小山正孝君の小説来り、大超過となる。八木嬢より電話、弓子の洋服のことなりし。
14:00小高根二郎氏来り、同君の「伊東静雄」を半分にし、西垣君を没書とするといふを、半分だけ出すこととし、われに105行賜ふ。ありがた迷惑にて(詩を書けとなり)、beerのみて編集、16:00終り福地君のこり、それも去りしあと唐詩cardをしらべ、22:30「唐詩の草木」105行、編輯後記11.5行かき了ふ。

9月17日
雨。福地君9:30来り、ひげ剃りて出る。元市印刷へゆけば社長のみをり『果樹園9号』は24、5日校正、28日出来上りをたのみこむ。ついで1万円わたし3万円にてわが詩集作れと云ふ。金預りしゆゑ出来るらし。
BK垣田君に電話、15:00ゆくといひ、十合児玉君にも電話すれば、赤ん坊栄養失調にて市立病院に入院と。出て2人でうどん食ひ十合。児玉君をらず。きけば仕事中にて会へずと。斎田、藤井2君ともにゐず。怒って出、別れて北へゆけば追って来、斎田君見つけしと。喫茶して別れ、本町まで歩き河野岑夫のぞきしに、これまた不在。
市電にてBKにゆき、垣田君に会へば京大国文出と。わが『詩集西康省』もつと。「会議は踊る」「大高全寮歌」「四条畷」を歌はすこととし、水曜13:30またゆくこととなる。大手前高校へゆき、吉永君に会ひjuiceおごられ、きけば夫人(今高教諭)腎臓炎にて日赤に入院、危篤と。はげまして別れ、日本経済新聞に井上君を訪ひ、伊東の「百舌鳥のみささぎ」を教へ、出て沢田事務所。近々講義に来てくれると也。「実父死亡後3年以内ならば庶子認知訴訟出来る」と。市電にて梅田。万字屋にて『大日本普通植物誌』60円といふが50円にしてくれし。
(沢田事務所より家へ電話すれば宮口、谷川差支あり、来週来ると)。鶴身陽子の披露宴の案内と。依田君『ろーま』出版記念会23日(日)17:00河原町三條下ル西側ニュー・アサヒ3階にてと。

9月18日
依田君記念会へ出席の通知かく。森房子氏より原稿と1,000。服部三樹子氏より読者紹介の300。平田春一『象刻集』受取りてのち、昼食して出、アベノ橋の市立病院206号室に小野洋史を見舞ふ。14:00〜18:00が面会時間なりしもむりに通り、目ばかり大きな坊やあやせば泣く。前田光子の手紙見せ、出て学校。
住友銀行の広瀬重役夫人と話し、令息の坊ちゃん気質ききてすがすがし。
17:00出て鶴橋より今里。渡辺宅にゆき母、叔父と話せば三七子の父終戦後すぐ死にしと。
帰りて夕食。入浴すませれば福地君来り、事務すまし、『台湾(30)』譲り呉る。松坂屋にて古本展あり、ゆけと。

9月19日
石口敏郎氏へ同人加入勧誘状かく。父より電話、小林政治氏の死を報ず。昨日葬儀ありし。與謝野夫妻、金尾文淵堂らの友にて80才なりしと。
13:00出て森ノ宮下車。時間つぶしに社会事業短大訪ねしも孝橋、田中両君ともゐず。BKにつきしは14:00。簡易裁に沢井判事訪ぬれば会議中。またBKにもどり明渡生呼出して話し、垣田君よび出さしめ15:00より録音、10分となり時間あまり2、3度とり直し、はふはふの態にて出れば稲葉直君に紹介さる。(放送料として4,000−600=3,400もらひし)鹿熊猛の友と。
16:30出てtaxiにて松坂屋。古本展見にゆきしもすぐ閉店。台湾資料見つからず『ニクブン文典(80)』『仙台方言集(150)』『廈 門(40)』『女大学(40)』買ひ、大高寮歌集とまちがへて『六高寮歌集(80)』買ひ、出て日本橋1丁目の宮本書店にて『佐藤春夫全詩集(180)』、天牛にて『西太后(20)』見つけ、出てしるこ食ひ、源平にゆきしに萩原母君おいで「1,000にて会を」とたのむ。
鶴橋まで市電。『夜と霧』なるbest-seller買ひて省線にのれば、また鶴崎裕雄生に会ふ。明渡生より1期下と。けふ『薔薇』に詩「ラジオに」送る。高知の吉本青司君より会費300。

9月20日
よべ眠りにくかりし。9:30出て近鉄departでcoffeeのみて登校。フランス語の試験監督す。東孝子来り、母会ひたしと。来週水曜に会ふこととす。庄野英二君に『果樹園』に入れといひしに、はかばかしき返事なかりし。村山氏に電話し、(岩田生父よりききしと。『倉紡』なる印刷物もち来る)来月27日(土)15:00より「源平」にてときめる。大毎の西原君に電話せしに「席にあらず」と。のちほどゆくと云ひ、東北旅行の間に九州にゆくといふ山下、大谷、重谷のこと梅垣女史より注意うけ、早速山下の母に電話すれば「承知」と。山下、大谷つかまへ注意して帰せし。
今東光氏15:20まで講義、待ちくたびれて出、「かもめ」にて松村生に会ふ。今氏と同車、寺本(近々結婚と)、井上恵子2教員に会ひ、天王寺で別れ、地下鉄にて大毎、西原君文学やる気なしと。Coffeeおごりて別れ、高尾書店へゆき『遼東志(400)』『学士院報告4冊(150)』買ひ、省線にて帰宅。
井上睦子より萩原みち子に伝へしと。けふ依子に『西太后』托し、福地君招きしに来り、話しゆく。高松の母来り、礼に菓子1折たまひしと。
10:40「心の歌」の放送ききしに、歌の部分多くして誤魔化し呉れたり。

9月21日
福地君野菜賜ふ。昼ねして快し。夕方、木村夫人と児玉円城君より電話。昨日洋史坊退院せしと。2人ともRadioききしと。豊田久男に23年ぶりに電話で話せし。近々会ひて野球部名簿を作ることとす。

9月22日
奈良行。9:50着き、俵青茅のぞき依田君の会に出るときき、野崎家のぞき、その女史に会ふ。「根木女史に会はずともよし」と。女子大前にて自転車にのる高校長塩見氏に会ふ。ゆきて天野忠にきけばこれも明日の会に出ると。横田俊一氏に会ひ『果樹園』同人加入をすすめれば自信なしとことはらる、不快。
すみて服部英次郎教授、小川講師と話す。(小林天理大教授をわればかにしゐると小川氏の話)。
昼食代払ふ(140)。出て古本屋にゐる吉村正一郎、横田教授の2氏に気付き、入りゆけば『日本歌人』出来をり、1冊とりて前川家。すぐ出て雨に遭ひ13:35発のbusにて天理(40)。
北大路にて下車。八木家まで歩き『台湾私法』返却。中島駒次郎氏いまだ在職まちがひなしと。
雨に降りこまれ止み間を見て出、高橋家へゆく。新築あと2ヶ月以内に出来る様子、同人費2,000預りRadioの悪口云はれ、beerとす しでご馳走となりて19:00の電車つかまへ鶴橋につけばまた大雨。
家に電話し傘のこといふ。徳庵につけば雨やみをり。
全田叔母、渡敦子、吉崎雅子、藤野一雄よりRadio聞いたと。太田陽子より南三国丘町1の9に転居と。
けふ羽田君より恰も電話、下阪しゐしと。明日ゆく旨通ぜしと。日本経済の井上君より電話ありしと。

9月23日(日)
9:00出て京都。京、弓子つれて4人なり。11:00すぎ下総町へつき羽田君へ電話し、午后ゆくと云ひ、父の家につけば咲耶まだ来をらず。 12:00来しと話し、河野舅の老衰せるをきく。蕎麦食って出、羽田家へゆけば、史のArbeitを知りをり『敦煌遺書』2冊賜ふ。
折しも岩井大慧先生来られ東京の話承る。白鳥清先生ほらを吹かると。『満文老檔』の進行早しと。天理図書館の『中文地誌目録』見をられずと。悠紀子ら15:30来り、2児ともに恥かしがりて話さざるを見て、先に出(あとにてきけば仲好くなりて17:00まで遊びしと)、大丸前までbus。
阪本昌代の家をたづねあてれば黒焼屋。母入院とてすぐ別れ、古本屋見、大学堂にゐれば声かけしは佐々木夫人。これを先にやらし、会場にゆけば依田君すでにあり。
17:30(※依田義賢『ろーま』出版記念会)開会。旧コルボウ同人ほぼ全部集る。読売に紹介書くこととなり(小野十三郎の紹介と)、2度演 説し、Eliotの深瀬基寛先生と握手し、外に出れば高橋君はづれ小高根君と喫茶。別れて京阪書房により帰宅。
父にもらひし『蝸牛庵訪問記』よみて眠る。家にも『満文老檔2』来あり。
浅野晃氏より同人に神保、蔵原、芳賀、林、吉村貞司、吉本青司、前登志夫など挙げらる。困る。笹川くるみ生より謝恩会の案内。
(※欄外に来会者:天野美津子、俵青茅、安藤真澄、児玉実用、山村順、天野忠、荒木二三、荒木利夫、山前実治、井上多喜三郎、佐々木邦彦、同夫人、武田豊、杉本長夫、依田義賢、久慈徹三、城小碓、小高根二郎、富岡松五郎、たかはししげおみ、西山英雄、臼井喜之介)

9月24日
晴。終日臥床。日生の3人より電話「夕方、宮口、谷川真佐枝の2人来る」と。鍛治君に電話、print10枚ましてくれと云へば守本主事の命にて400づつ(楳垣氏記念会費)集めると。
〒なし。17:30、2生来り、栗きんとん呉る。塩尻公明『女性論』輪読の指導せよとらし。
福地君来り、2生匆々去りしあと校正。22:40すみて帰去。高橋君への受取かかし、小高根君へと浅野氏の(※同人候補列挙の)ハガキ托す。

9月25日
豊田久男に電話すれば町会の旅行と。(福地君より校正15:00と電話ありし)。高知の吉本青司君より7号以后ほしと。
13:00出て寺田町の古本屋に寄れば、元々社のわが本2冊ともあり。時枝誠記『日本文法文語篇(220)』とTizard『Guide to marriage(80)※満ち足りた結婚』買ひ、歩きて元市印刷にゆく。けさ盗難に会ひしと。伝田のこと云ひ、和歌山へ催促にゆくこととなる。(千川に電話し、俳句雑誌330部での見積やらせれば、1万3千円にて利得なしにてやりゐるらし)。
わが詩集は300部にて32,400と。製本代わづか3,000と計上しあるが不安なり。18:00校了。「菡萏(※かんたん:蓮花)」の(※活字)作字で800とられると知り、かたがた憂鬱にて帰りてもぼやく。(木曜和歌山へゆかねばならぬらし)。角川書店より『Heine(6版)』来る。10月10日発行と‼

9月26日
雨中をゆき、研究室に入るとすぐ三苫君来り、「院長、図書購入を1月まで中止せよと云ひし」と伝ふ。楳垣、守本氏らにいひして不快。沢田直也君に電話すれば10月2日(火)は上京中と。矢本貞幹氏と話しなどしてすごし、15:00の教授会まつ。
大東夫人来る。鍛治君にきけば「富子君の見合ことわりにゆきしに、梅田夫人もきらひゐし故よかりし」と。川端氏とも話し15:00すぎ教授会、おもしろくもなし。すみて図書館運営委員に伝へるところへ院長来り、(※図書購入1月まで中止は)会計の意見と。楳垣氏と2人に「アメリカ文学の本55万円にて買ふはいかに」と。関学大の某氏の書なり。金なしとことわればよきに‼
すみて木下義三君来り、「次女を高等部へ入れんと思ふ」と。やめよと云ひて別る。
台風15号の前ぶれの雨にて和歌山災あり。明日ゆくをやめんと思ふ。和島嬢より「11月16日の結婚式に出よ」と。林叔母より「友の孫に嫁世話せよ」と。

9月27日
「15号台風、東京にゆきし」と。ここは雨のみ。12:00雨止むを待って家を出れば、深瀬基寛教授より『果樹園』の礼状。天王寺へゆけば急行出しあと、天海堂へゆき鄭振鐸『書物を焚くの記(70)』買ひ、13:32にのりて東和歌山。美園町の医大にゆきてきけば「久保君、病院」と。病院(公園前)にゆけば助手、近ごろ転居せしゆゑ案内すと。
汐止まで電車でゆき、会へば歯痛と。S女あり。なつかしがって話し、帰りがけwhiskeyたまふ。水軒口へゆき伝田父子に会へば「贈与税かかりしため払ひおくれしも10月2日とかに来阪、3万円払ふ」といふに、叱って雅子生に梅田邸まで案内させれば不在。電話かけてきけば「高松の印刷屋にあり」と。
歩きてゆき母君と共にあるに会ひ、梅田邸へ引返し、すし食はされ羊羹2棹賜はって19:30出、駅へゆけば電車取消し。20:20発にのり、22:30帰宅。福地君来り、『台湾史料上下(100)』と菓子賜ひしと。
小高根君より電話「土曜15:00の会よし」と。

9月28日
元市印刷へ8:30電話すれば「不在」と。学校へゆきてかけ「のちほど行く」と約す。小野和子より電話「大江へゆかん」と。忙しくてことはる。
読売へ電話し、池沢君呼出し、埜沢氏に『ろーま』評のこときけば「その本まだ見ず」と。悪きことをせし。小野勇君来り、長沖氏と2人に野球部員の名簿きく。院長呼びて「岩崎嫗やめさすことを考慮せよ」と。守本氏水曜に『隠語辞典』のこと話せと。
出て元市印刷へゆき伝田父子のこといひ、『果樹園』受取り、『悲歌』ゆっくりせよと云ひ、福地君と10号を詩歌特輯とせんと云ひ帰宅。
夕食し入浴し、また福地君迎へ、発送托す。この間、高橋君階上にて依田氏にsignさしをりしと。(けふ岩崎嫗にきけば沢井判事よく知りをると。渡辺三七子に紹介の名刺かきし。豊田久男に電話すればまた不在なりし)。

9月29日
奈良へゆく。野崎家に寄り11月13日の和島嬢のお目出度教へ、大学にゆき、天野(※天野忠)、横田(※横田俊一)の2氏に『果樹園』くばる。横田氏『詩的体験』賜ふ。『果樹園』には入らずと。前川夫妻旅行中と。杜甫すませ(先週天理で走って電車つかまへしを見てゐし子ありしと)。服部教授(※服部英次郎)、小川講師(※小川和女史)にも1冊わたし(小清水氏に1冊托す)、前川家へ配達して大阪へ帰り、阪神の古本屋見る。ほしきものなく万字屋へゆき『袁氏世範(30)』『宋詞選(30)』買ひて石橋の小高根家。10号を詩歌特輯とすること決定。浅野氏より申越の芳賀氏、林、吉本3君には小高根君より交渉、蔵原、神保2君には吾より浅野氏にことはることとなる。
池沢と3人にて梅田まで帰り、アテネ文庫『中世日本の形成』買って帰宅。
石口敏郎君(早大仏文4年生と)より「村上菊一郎君にもすすめられ同人加入承知」と。桂周作君より保証人になれと。春名夫人より「弓子の衣出来、送りし」とゆき子へ。

9月30日(日)
依田君へ読売へ1冊送れと。桂君へことわり状。浅野氏に神保、蔵原2君同人費出すやきけと。10:00出て散歩(悠紀子は京の運動会にゆき、依子picnic。弓子留守番)。
夕方帰れば小清水卓二氏より「唐詩の草木」評賜はる。八木嬢より電話あり。仕立て代を撓擾

10月1日
悠紀子、京と鶴橋をへて十合(斎田君に電話してゆきし)。晴雨兼用rain-coat3,200の気に入りしと。斎田君にゆき帰りて悠紀子らを見ず。児玉君呼び、茶のみ、斎田君に8号まで180わたしありと云ふに、9号より3号分90とり、別れて南下、戎橋北詰「いづも屋」にて昼食、源平に寄り、27日15:00より10人位と置書し、地下鉄にて学校。
本位田氏に会ひ、不平云ふ。歴史のnoteの採点し、柳井三千比呂の電話きき、すぐ来よと云ひ、やがて来しをつれて天王寺。昼食するま話きく。「長尾良、吉野書房に帰りゐる」と。
奈良女子大付属高校長の塩見薫氏に紹介かきて別れ、本町2まで地下鉄、村山氏に会ひ、名簿のprintを案内状にいれることとし、岩田生の履歴書もたし、折柄降り来し雨にbusにのりて鶴橋へ出て帰宅。
悠紀子らおくれて帰宅。のちほど拡声器にて呼びしと。
大江の子弱々しと。西島寿賀子より「寿一君、鹿島療養所に入院、快調」と。前田光子より「授業料すませし」と。
けさ来りて原稿かきあたへし福地君、夜再来、print見す。1筆づつ書き加へて送り出す。前田光子へ手紙。小清水氏に礼のハガキ。(けふ西岡生と戎橋で会ふ。井上斌子と同じ勤先と)。

10月2日
京と出て天王寺で雨に遭ふ。かもめ書房(庄野院長令嬢)にmoratrium云へば困ると。ゆけば8:30、鍛治君すでに来をり、1限すまし豊田君に電話すればまた不在。ハガキでしらすと夫人の話也。3、4限すまし、旅行の注意す。就職のことも話す。伝田生つひに来らず。
14:30出て元市印刷所。途中雨に会ひてぬれてゆく。詩の2段組大して安くならずと(※通常の『果樹園』は3段組)。伝田の贈与税のことは嘘ならんと。詩集(※『悲歌』)の校正はそろそろ出さんと。
(けふ読売より「女性の心のふしぎ」について2枚、1週間位以内にと)。(誕生日の銀の匙と金1封ともらふ)。
依田義賢氏より「読売鈴木啓一氏にすでに送りあり」と。山中タヅ子より『果樹園』ほしと。山前君より写真2枚。夜、大東夫人の使者来り、tobacco1箱たまひ、浜谷生へnote返却たのまる。
(けふ「源平」に電話し、みち子母堂に27日15:00の室よろしとの返事きく)。(けふ前田光子に手紙出し、授業料滞納皆済を喜びしに三苫君にきけば未着と。まことに女性心理はふしぎなり)。

10月3日
9:00出て散髪屋のぞきしに満員。中道までゆき新しく大きく開店せしに入り、すませ学校へゆき、院長に呼ばれ「志賀勝氏の本、いつ搬入してよきや」と。「いつにても良し」と答ふ。岩崎嫗のことはすでに理事長夫人に話せしと。われ沢井判事のこと云ふ。
すみて守本氏つかまへbasketのcoacherのことたのむ。college-hourに楳垣氏の紹介し、すみて旅行の注意。楳垣、守本2氏長々とやり、終りて実際参加に小森、高橋2生のこと問へば誰もしらず。(中田、平田2生さとし、中田生泣く)。BKの受験を渡辺、井上幸子にすすめ、山口玲子にtypewriter屋をすすめ、15:00より教授会。図書購入禁止は志賀文庫の為なり。終りて旅行手当4,000もらひ、楳垣氏より志賀文庫60万円の不当に高値なるをきく。壽岳博士もまたbrokerなりしか‼
鍛治君さそひて出んとせば加藤とみ子夫人より電話ありしと。寄り見れば「詩吟の会に出てくれ」と、10枚入場券預かりて別れ、鍛治君とナンバにつけば八木、岩本2生(神戸女学院卒)に会ひ、5人にてjuice。地下鉄にて別れ高尾。2,750+1,200払ひ『周口店の遺蹟』もらひ、『燕呉載筆(120)』『朝鮮史話(180)』買ひて出、また地下鉄にのり上町線にてすでに19:00なるに気付く。
山本理事長夫人と2生とに会ひ「注意しつこしと、子ら怒りゐる」と。不快なれど調子合はし別れて授業。羽馬生結婚にて退学願ひ出づ。すまして和田、島田2生と出、和田生と京橋にてすし食ふ。寝屋川まで帰る由。
浅野晃氏よりハガキ。井上斌子よりハガキ。(けふ山中タヅ子来り、『果樹園』2,3,4,5,6,8,9の代とともに200預かる) (salaryもらひしに所得税2,150、慶弔会費30、市町村税810、共済組合費2,304、計5,294)手取り33,206と。や や多し。

10月4日
よべ3:30に目覚め、ねむきを耐へてゆく。近鉄にてcoffeeのみ、研究室に入れば石浜先生あり、魚澄惣五郎氏に投票すべしと。庄野英二、長沖一氏も来る。
国文学史おしへ岩田生呼べば紡績協会長に話つけしと。高橋生も来をり、(tourist bureauの佐々木といふ青年来り、文科急行券未定と。守本、楳垣2氏に山本夫人の言たしかに伝ふ)。
小森、高橋2生の分を河原女史に預けたり。あとにて良き由なり。
小野十三郎来り、今東光氏来り話し、家政の歴史採点しをへ、眠がりて出、帰れば15:30。(『中国文学報4』の代金225を彙文堂へ送金す)。入浴し夕食して鴻池新田。
福地家に寄り、大東博士にゆけば塚本邦雄君をり、詩人前登志夫と友と。博士に血圧見てもらひしに120にて低しと。鎮静剤もらひ旅行してよしと。健康保険証返却していただく。
福地君に寄り、茶ふるまはれ、連れ帰る。(同年兵相馬実死せしと四条畷の同窓名簿にあり。小寺範輝とも同期、昭和6年卒業。丹羽千年このごろ阪大講師と。『果樹園』与へしと)。
元市印刷への連絡たのむ。山中タヅ子の200。東順子の150記帳してもらふ。(東順子の150を詩集の申込とす)。
浅野、小山、岩崎の3氏より『悲歌』出版につき祝詞。藤井美知子夫人より留守のわび状。豊田久男君より渡辺怘君、正和興業KKの代表取締役。アベノ区西長居509の2(67−6259)にて出席すと云ふと。

10月5日
登校まへ近鉄でcoffeeのみ、ゆきて野球部のprint切る。渡辺三七子、沢井判事に会ひて訊ぬれば即答出来ざりしと。漢文と歴史そこそこにやり、長沖、西宮2氏に7日欠勤を云ふ。(小森来り、帰郷し、近鉄の事故にて登校出来ざりしと)。
15:00出て十合。3,200のrain-coat見当らざるに店長室へゆき昌三叔父に云へば、佐竹といふに電話してくれ、庫に入りしを出 してもらひ、2,500にしてくれし。1回の帽子売場にゆかんとせしに児玉君に会ひjuiceおごられ、仲人氏に会ふ。昌三叔父の助手なりし。
別れて帽子買ひ、靭公園前の大保商店へゆき、西保令息(※西保泰男)に会ひ、『大阪化粧品商報』記者2人呼ばれ、令息の講義きき(※10月18日対談記事となる)、夕食よばれjasmine香料1瓶もらひて21:00帰宅。元市印刷に電話しかへせば10号2,500しか安くならずと。伝田君より40,000のみ送り来しと。『悲歌』の校正9日までに出ると。平田春一歌集出版記念会14日(日)と。けふ年報の再校出しゆゑ、夜し了ふ。

10月6日19561006.jpg
〒なし。12:00出て片町(西島寿一の病院に『果樹園』8冊、中野清見へ9号送り、近畿車輌に寄り、丹羽信子に会ひてきけば村岡専務病欠。500円の同人費は高しと)。
大阪府庁へ寄り坪井に会ひ、茶のまさる。吉永夫人逝去はまことと。丁度時間よくなり、上本町1丁目山中荘へゆく。林、岩本、八木などすでにあり、花嫁(※鶴身陽子)と話しそこなひ披露宴はじまり、花嫁側の大阪歯医病院長の隣に坐らされ、演説ささる。「学習院長になれ、烏を鷺に云ひ[白]めし」といひに来し人あり。
15:45新夫婦出発。16:00われも出て肥後橋より大毎。天野愛一に『寮歌集』贈り、茶おごり、楳垣氏に道頓堀言語散歩をたのんでくれときき、別れて省線福島。秀邦印刷へゆき再校わたし、3校月曜に見に来ることとす。
豊田久男に電話すれば案内つきしと。野球部歌、印刷するゆゑ教へよと。帰れば上田一雄君より電話、原稿たのみに来ると。

10月7日(日)
9:00下痢を云ひ立てて2部卒業式に出ず。草刈る。小高根君より林富士馬君、同人に加入と。ただし客分にしてくれと、同人費500。岩崎昭弥君より同人費1,000詩集出版記念会に出ると。頼永承氏より『台湾風物』廃刊と。わが文のせしを送ると。

10月8日
南海鉄道の田杉進一氏より電話、4、5人ぬけをり、呼びて宜しきかと。村山氏に問へと云ふ。
12:00広沢雄一氏より13日石口敏郎君の出版記念会の案内。森房子氏より1,000と歌稿。
出て会社(日生外交員の森永夫人、久田氏と云ふをつれ来り、中学校へ入れたしと。Melonと葡萄と賜ふ。城平叔父にたのめと云ふ)。 Melon叔父に渡せしに、山口のやりし“Parisien”のwaitressなりしといふも「知らず」と。旅行届し、庁町をへて淀屋橋、 日生に寄り松本に『果樹園10』を売り、御霊神社に園訪ねしに『寮歌集』心がけんと。Coffeeおごられ麓信夫の脳梅毒にて廃人となりしをきき、別れて秀郎印刷。3校すまし京橋をへて帰宅。
豊田君より電話ありしといふにかけ返せば、田杉君よりここにも電話ありしと。村山氏に電話かからざりし也。よろしくたのみ、福地君に記帳さし、岩崎に出版記念会に呼ぶと書きて了る。
けふ頼永承氏より台湾刊行物1束来る。

10月9日
頼永承氏へ礼状。前田光子より東京着の汽車時間しらせと。元市印刷より電話「校正出来し」と。読売へ電話して原稿のこときけば埜沢氏出て来て「18:00頃までに持て来よ」と。
13:00出て京橋よりtaxiにて読売(120)、埜沢氏呼べば待たさる。池沢呼び出して原稿托し、出て梅田。荷物一時預し(taxi80)、地下鉄にて天王寺、元市印刷へゆきて初校了る。すみて疲れ休めにport-wine所望し、ちらしずしふるまはれ、19:00出て近鉄に乗れば、井上英美あり。赤い顔のまま梅田にゆき、わらじ屋の地図5枚買ひて(※修学旅行)集合場所にゆけば、楳垣教授すでにあり、井上睦子の母、山本実子の母姉、田中知慧子の父母らに見送られ、土産もらひて乗車(夜学の米沢来り、みやげ呉る)。西宮君来り、守本氏の注意書わたす。坐席なき子5人あり、われ3人掛け席を井上2人、高橋、滝井とともにやり、睡眠剤きかずして困る。

10月10日
桂、尾崎、白倉、田中知慧子の席にゆき、午すぎてやっと席出来る。下車まぎはになりて吉田明美、坂根、川勝、井上睦子ら発病、食中毒らしく大館駅着、taxiにて病院につれゆき、taxiにて旅行へ伴ふ。

10月11日
12:10出発、十和田湖にゆく。曇にて景色見えず。春夫先生の「湖畔の乙女」の歌に曲つけるを知る。夕食後、井上睦子きげんを直し、藤井美智子夫人へのハガキもち来る。病人おほむね良くなりし様子也。

10月12日
十和田ホテルを出て休所までboat。「湖畔の乙女」像を見、写真多く写さる。蔦温泉で休み、八甲田の初雪よべ降りしを見、岩木山を見て青森をへ、16:00浅虫着。南室に入る、不快。
中野清見君より電話、すぐ来り、夕食まで待たし、ともに「みどり楼」へ行き御馳走となりbeerのむ。20:30ともに帰り来り、食堂で話 す。夫人、新聞に夫のこと投書せし、嫉妬のためと。22:00各室をまはりて「ねよ」と云ひしあと、睡眠剤のみしもねられず。

10月13日
7:00朝食、8:00駅へゆけば中野清見君送りに来り、こけしとport-wine1本と海丹1瓶と賜ふ。われも堺の菓子を贈り別れて発 車。15:55花巻温泉千秋閣に入る。夕方19:30より鹿(しし)踊りを見ささる。意外にも面白かりし。帰りて入浴、wineのみ、山本実 子の室と尾崎菊子の室に遊びにゆく。前川夫人、大東先生夫妻、昌三叔父叔母、八木嬢、米沢昌江生に絵ハガキ書く。

10月14日(日)
10:20花巻温泉発、平泉に着き昼食、大急ぎで金色堂を見る(岩波写真文庫『平泉』を買ふ)。18:30松島海岸着、観月楼に入りしに隣の白鴎楼と部屋割でもめ、英文生hysterie症状を見す。解決後各室を廻り就寝23:00。

10月15日
よべ22:00楳垣氏、桂、尾崎の部屋を叱り、ついで二階に逃げゆきし同groupを含む20名を叱りしとて、われにあやまらる。睡眠剤のせいと、われは山本実子の部屋やかましくて眠れざりしも法政大学生をふりしに喜びゐし也。
瑞巌寺見学後、13:00より蒸気にのり塩釜着。busにのり政岡の墓と仙台城にゆく。19:30まで自由時間、われ古本屋さがしにゆき『青い花』3版(※田中克己訳)を見つけ(50)、坂根生にゆづる。和田先生に羊羹お送りす。21:00の汽車にのり、白河の前後2時間ほど眠り5:35上野着。

10月16日
水月旅館へゆき朝風呂、朝食。西川(※西川英夫)に電話し、丸(※丸三郎)に電話す。丸、角力見物にゆくやうになりしと也。林富士馬の電話わからず。数男(※義弟)の電話かからず。学習院に転校せし生悦住[いけずみ]生訪ね来をり。
7:30出て日本橋、銀座、丸ノ内をbusにて廻り東京駅。9:00の「つばめ」発車まで名物店街をうろつきcoffeeのむ。 8:30plat-formへ入り西川の送り来しに会ふ。詩集5冊買ふ由。鶴身陽子見送りに来り、のちほどwhisky-bonbon呉る。 交通公社の佐々木君、慰労に食堂(※食堂車)へゆきlunch食へば1,615にて、つけたのむ。大阪駅に院長迎へに来り、plat- formにて解散。帰宅17:45。

栗林栄、木曜より精神異状、赤星がwhiskyのませしためと。夜、浦本浜子の姉来りつれゆく。
昨日までに小高根、岩崎、山根、森房子、池沢、高橋、福地、西垣、芳野、石口と原稿あつまり、受取出せしと福地君、また詩集の再校見しと。河出書房より『世界歴史物語』の再版(?)印税2,500−1,875=10,625。今西春秋氏より『檀君考』(※先考著書)とハガキ。服部、林、浅野、森脇4氏の原稿。
奈良女子大より「20日recreationにて休み」と。黒井千鶴子より22(月)学校へ来ると。百済璋子より「2匹とも兎逃げし」と。平中氏より「11月2日17:00より春豊園で東大会(※東大東洋史学科同窓会)」と。

10月17日
桑原武夫氏へハガキ書く。和田先生に送り状。百済、黒井2生へもハガキ。読売に電話すれば鈴木氏外出中と。以後かからず。父に電話し、学校へ電話して昼寐しゐれば、服部(※服部正己)より電話「たのみ事あり、来る」と。16:30来り「弟の保証人たのむ」と。ともに夕食し、出て登校。
鍛治、西宮君ともにをり、年報印刷費20万円以上と。休講の通知しありしを今日書き直せしとて10人内外。話して出、石井生さそひてわれはpeppermintのみて帰る。
野球部会の出席9名と返事あり。(越智一美詩集呉19561018.jpgれしと)。

10月18日
10,000もって家を出、会社へゆけば父すでにをり、城平叔父に相談すれば半人前(通勤)を雇へと。宜しくとたのみ(天理教にあらかじめ同意味のたのみせし)、駅にて定期買ひ、アベノ交叉にて久保田初美みつけ、話しつつゆき、元市印刷へ電話し12:30来よと云ひ、古典講義20分やり、すまして渡辺生にきけばBKみな落第と。
院長と会ひてアメリカ留学に沢井君推薦よからんと云ひ、また相談して年報分離申し立てしも院長合併してよし、金出すと。1,100部刷りにてよしと(元市印刷専務に9,000わたす。伝田生この間より2度来しと)。
14:00出て住高へ寄りしに山本、硲2君授業中、出て帰宅。(けふ尾谷先生より明日14:30〜16:00学校へ来よと)。
林叔母よりハガキ。東方学会より4日(日)の案内。夜、福地君来り、3校あす学校すみてのち元市印刷へもちゆき呉ると。岩崎昭弥君に11月18日(日)出版記念会にては如何にとハガキ書く。

10月19日
夜半に寝覚めして疲れとれず。9:30出て天王寺のtourist-bureauへ寄り、佐々木氏に会ひcoffeeのみしあと、硲君に会 ひ、寮歌集借り、漢文教ふ。
尾崎菊子、古典講読継続を申し出づ。江馬より12:30来るとの電話ありしとて待ちしに13:10来り、長沖氏に紹介す。小西啓子より30日11:30松坂屋での披露に出て呉れ、お祝に短冊をと。返答保留。
歴史教へ、江馬の自動車にのせられ片町。放出中学の尾谷先生と会ひ、縁談見付けると約束。『ことばの生い立ち』買って帰宅。
中島駒次郎氏より出席と。伝田雅子より「なるべく早く支払ひ了へる」と。西川より会社おもしろくなしと。林叔母の友、小島スヱさんより「来週来る」と。
奈良女子大より2,400−288=2,112。夜、豊田久男君より電話、村山氏にはかけざりしと。

10月20日
寒し。蒲団かぶり乍ら「新詩作法」2通りかく。栗林栄より「(※賄職の私の)代り見付けてよし」と。
桑原氏より「Nepal国より招かれてゐる」と。硲君より入れちがひにハガキ。『骨』同人より明日安土にて茸狩するとの案内。森亮氏より「27日(土)の夕方より21:00まで時間あきゐる」と。
午后、福地君来り、小高根君来り、池沢君来り、編輯会。Beer2本のみて了る。森氏の歓迎会27日19:00「御門」でと案内かく。4日15:00小高根邸で10号の出来上り会ときめる。
秋の連休これにて皆つぶれたり。元市印刷へ電話し、あす10:00〜11:00ゆくこととす。福地君去りしあと編輯後記260字かく。

10月21日(日)
弓子、運動会とて悠紀子早起。9:20来りし福地君と元市印刷。詩集3校わたし、あす午后また見ることとす。『果樹園』校正25日に出ると。
湖東君訪ね大医大(※大阪医科大学)試験のこときけば甲南大へ2年ゆけと。午、すしよばれ、汁をこぼし失礼せし。出て佐渡氏、良幸君をり父君留守。週2回にて3,000と。
今川の古本屋にゆき『大和文学巡礼(20)』『国語叢考(15)』買ひ、千川家まで歩く。『俳句作家』印刷を元市印刷にたのんでくれと也。『モゴール族探険記』さがして歩き、『知性』買ひて帰宅。
中田富子より「睨まれてゐるらしきも悪き点教へよ」と。八木嬢より絵ハガキ見たと。『大阪化粧品商報』に西保君との対話のる。
(千川『悲歌』2冊買ふと)。夜、福地君来り、大山定一氏に斎田昭吉会ひ、我に詩かけよと云はれしと、不快。

10月22日
中田富子生へ返事。和田先生より羊羹のお礼、「京都の会へお越しあるやもしれず」と。池沢より詩の組方について。
12:00出て会社。(原君より伊津井を手伝ひに来さすと電話ありし)。月給表出し、浦本浜子に加手当500と出す。赤星に会ひぐたぐたと云はる。出て元市印刷、責了とし、佐渡氏のこと伝へ、千川に電話して紹介し、南海の田杉君(改良課長と)に電話せしに不在。27日刷り出来ると。
天王寺に出、「Hugo」にて『モゴール族探険記』見付ける(放出にて2,400−288=2,112受取る)。尾崎菊子に遇ふ。
帰れば栗林栄の義妹来り、25日より働かせよと。医師の診断受けよと云ふ。
京、発熱して休校。夜、住山生より電話、basket光華短大に勝ちしと。疋田紀子君「30日結婚」と。

10月23日
雨。登校8:50。歴史すませ、野球部歌のprintし、南海田杉君に電話すれば2、3人来さうと。Chorus練習するといふに国文学史1時間でやめる。
小森帰り来り赤福餅呉る。吉田明美心配かけしとtobacco1箱呉る。専攻科に広瀬夫人来らず、来週火曜2時限にくり上げ可否をハガキにて問ふ。
けふ旅行の写真4枚もらふ。15:00出て天王寺よりナンバ。荒木利夫君訪へば出版記念会、産経にては如何と。電話かけくれしに1時間500 とて駄目となる。「源平」へゆき13人位といひ、天牛2軒みる。南店番頭「10日ほど前、野田宇太郎氏再来、わがこと訊ねゐし」と。学生たちに遇ひて鶴橋をへて帰宅。
岩崎より「18日可」と。芳野君より訂正。昭和女子大溝江京子氏、伊東のこと論文にかきゐるとて300。けふ図書費申請に久しぶりに捺印せし。

10月24日
午前中雨。東亜鉄工所に電話すれば竹稔氏東京へ転任と。栗林栄来り、自覚せざる故「火曜に上二診療所へゆけ」と云ふ。角川より 1,4000−2,100=11,900。小島夫人より26日(金)に来ると。
12:30出て散髪。登校。研究年報あす出来るときき、中島を創元社の息子にとの高岡博士の話きき、15:30より教授会。羽馬の退学認めてもらひ、種々の日程定まって終りとなる。19561025.jpg
19:30木村静子来り、ややして里井、滝口、永井の3生、cake一折もちて来る。
19:10となりて始業、すみて和田生と帰る。栗林また来り、やめさすなといひし由。
うつくしきをとめとつぐ日千万の谷ことごとく紅葉する日(小西啓子のために)。
けふ鍛治嬢と疋田紀子にはなむけの電話す。

10月25日
京、久しぶりに泣きながら登校。われ9:00出て溝江京子氏に『果樹園』送り、小阪までbus。三井銀行支店にて角川の印税とり、堀内に寄りしも何もなし。
学校へつけば家から電話、栗林栄をつれゆく故、吉田病院教へよと。村上生と写真とられ院長より図書館移転につき云はれ、石浜先生より魚住惣五郎氏のこと念を押され、辻生よりの電話きけば服部明日の都合きく。
川西の広瀬夫人に電話せしに不在。尾崎菊子さそひしもだめ。Basketの試合ある筈なりしもとり止めらしく、出てアベノ交叉の綿野にて『法隆寺(40)』。天王寺まで歩き、寺田町より桃谷まで歩きて帰宅。
平凡社より「朱一貴について0.5枚かけ」と。森亮氏より「27日の会承知」と。栗林栄、吉田病院にとめられ、1ヶ月1万800円と。
夜、服部より電話「あす弟の会社の人来る」と。(けふ長沖氏に会ひに近鉄より2人来しも今日明日休講と)。福地君校正すます。

10月26日
朝、栗林栄の兄、岡光源二郎を呼び、吉田病院長への依頼状かく。北畠で下車、書店に寄りしにアテネ文庫『フランス大革命』見つけしのみ。漢文のprint切り4時限。大阪市大の中川女史を1年文芸に案内して家元制につき調査の紹介し、戻れば小島嫗をり「孫君の嫁せわせよ」と。もなか賜ふ。やがて旭広告社より人来り、服部の弟の保証人として印つかす。
広瀬夫人より「時間割変更承知」と。川崎菅雄より「伊藤賀祐出席」と。小林正三より欠席と。
14:30出て近鉄へゆき、短冊2枚買ひしに紙入なく、学校へ電話せしになしと(のちほど家に置き忘れしと判明)。元市印刷へゆきて書きしに書き損ず。『果樹園』校了、29日出来と。詩集もそのころ出来んと。
福地君と寺田町まで歩き、焼そば食ふ。出版記念会のことにて相談、きまらず。
帰れば青木氏不在とて副院長城所氏の手紙あり、3ヶ月位入院必要ならんと。
硲氏よりハガキ。服部より入れちがひに駄目ならんとのハガキ来ありし。今中より同窓会名簿もらふ。

10月27日
子猫ゐずなりしと。8:00出て奈良。野崎家へあとで寄るとかけ声し、前川家へゆけば夫人。「出版記念会の発起人たのむ」といひ承諾を得、奈良女子大。
服部(※服部英次郎)、横田、天野の3氏みな出張。荒木二三氏『オフェリヤ頌』おきありし。小川講師「田中講師(名大助教授に転任)の2時間もらひし」と。
11:45すまし、5分間で飯くひ野崎家へゆけば、鍛治姉妹来り、すぐ出て上六をへて戎橋。「源平」へ14:30着き、待てば先づ吉延氏、田杉、永井、村山、渡辺、益子、中島、川勝、川崎、伊藤(※伊藤賀祐)、田中春太郎と(※野球部同窓会)13人になり、みななつかしがりてうれし。
18:00閉会、われ郵送費1,000もらひ、羊羹もらって出、川崎、伊藤と喫茶。
地下鉄にて「御門」へゆけば小高根、斎田、山根の3氏と福地君とあり。やがて森亮氏来り、池沢君来る(※森亮歓迎会)。21:00まで話しbusにて天満橋。京橋にて別れ帰宅。
子猫帰り来しと。うれし。筑摩書房土井一正氏より『中日文化』16年の号もつやと。伊東マキより卒業の礼状。『薔薇』32号。

10月28日(日)
10:00出て小西家。(近鉄で原稿用紙、Note買ふ)。30日不参をことはりてすみし。
帰れば福地君まちをり、小高根君とさがしまはりて(※詩集出版記念会)中央公会堂ときめしと。雑費は主賓が半分出すが当節の礼儀と。写真とりて200円の会費とすと。岩崎君より同人費1,000。「18日たのしみて待つ」と。服部正己より保証人となりしに礼状。

10月29日
中田富子よりうれしとの手紙。午すぎ会社へゆき山本副社長と話す。「益子氏、当日会社のpicnicをすてて来し」と。原君より「三日、天の橋立へゆくか」と問はれ「行かず」と答ふ。
退職手当1年なら10日と。2,000の申請かき、駅までゆきしも思ひ直して帰宅の途、岡光夫人にあひ「申請せよ」と勧む。
帰れば井上多喜三郎氏より電話。また出て木村三千子氏の店へゆき、誘ひ出して天満駅前で酒のませ、大塚雪郎君に杉山平一君への紹介かき別れる。酒代わづか340にて持金にて足りし。
(※元市印刷にて)福地君待ちをり、(※『果樹園』)発送す。詩集は31日出来と。1日9:30までに学校へもち来れと云ふ。

10月30日
登校。この日はいつも少眠にて苦し。専攻科を2時限に上げしため連続となる。(広瀬夫人欠席)。三木、森田、写真呉る。中に西川(※西川英夫)と東京駅でとりしあり、早速送る。
午后野球部名簿切り、basket部の練習試合ありといふに17:00まで待ちしもとりやめとなりしと。男子学生数名来りをり。(鍛治君より 90×2受取る)(修学旅行費の清算すみ、560もらひて楳垣氏に林[●]代500払ふ。あと医療費を学生より徴収せよとなり)。
寺田町で雲呑くひて帰宅。村上新太郎氏より「11月15日までに詩呉れ」と。板原順子より「実習一ヶ月に延ばしてよきか」と。『研究年報4』と抜刷ともち帰る。

10月31日
午前中雨。読売新聞社より2,500−375=2,125。力身好子より「そのうち小林生と来る」と。16:00出て鴫野より緑橋まで bus。中島悦子生の家へゆき母君に会ふ。まだ早しとて(※縁談)乗気ならず。母君天草の人と。出て登校。鍛治君名簿をみな刷りあり。詩集来ず。夕弁当たべ講義すまして帰る。

11月1日
8:30出て野球部名簿23通投函。学校へゆけば早すぎしと。10:15まで待ち、来りゐし『悲歌』200と案内書50通より、庄野、長沖、鍛治の諸氏に配る。鍛治君、富子君にと1冊貪ひくる。
式はじまり、久保田権四郎翁87才といふに出席、うれし。同窓会長の祝辞巧みなりし。すみて今東光氏つかまへて(※詩集)渡し、研究室に帰りて折詰食ひ、地下鉄にてナンバ。
荒木利夫君に会ひ1冊贈り、市電にて肥後橋。朝日にゆき山田新之輔君と茶のみ、天野部長にと1冊托し、書評かかすなら杉山平一君にとことづけす。
毎日にゆき天野愛一に2冊わたせば、書評400字小高根二郎君にかかすこととなる。出て産経、今沢幸君呼びしも不在。早川麗子生に托し記念会に出てくれるやうたのむ。
高尾ひやかし『台湾蕃政史(1,200)』ほしけれど買はず。梅田新道へ出れば折しも行幸。陛下龍顔、蒼ざめたまへり。山本事務所に寄りしも不在。
読売へゆけば池沢帰宅。1冊托し、浅利君にと野球部名簿托し、busにて帰宅。福地君来てくれしと100冊おきあり。(※詩集『悲歌』都合300部発行)

夕食、入浴後、床に入りをれば来り、Loss8冊ぬき出して悪口いひしも同感せず。発起人として天野、依田2君われよりたのみ、写真屋も吾よりたのむこととなる。
案内状の表書かかし、われ悠紀子と発送にかかる。
(野球部名簿より豊田ぬかせしに気付き、一度包みしを皆はがす)。けふ岩田、神島2生を村山氏の許へゆかせし。山中タヅ子生より詩集3冊ほしと。前田光子よりまた手紙‼ 前登志夫君、先日来りしと。けふ坂根生、礼に来りしと。

11月2日
登校。西宮君をり、話すこともなく別れてあと10日間ほど出張と知る。山中タヅ子君に電話し、火曜来ると約束。東順子の妹に1冊わたし、力身好子にも電話せしに不在ゆゑ伝言たのむ。小森生に1冊わたし、笹尾母君へと托す。
14:30出て千川に会ふ。2冊買ひ呉る。松本に会ひ1冊売り、本田顕彰『大学教授』よみつつゆけば(宮口呼びてきけば忙しくて講義に呼ばずと)、busにのりあはせしは奥西(兄)君、ついで京阪に前田社長のりあはせ挨拶す。三條にて17:00前なるに気付き「れんこんや」にゆき、依田義賢君に電話、発起人承知と。女中さんに(※寄贈本)托してのち、京阪書房にて奥野信太郎『北京(50)』。
(※東大東洋史学科同窓会)会場にゆけば守屋君をり、得意げに話す。19:30つきたまひし和田先生を最後として山本達郎、前島信次、鈴木俊、護雅夫、青木富太郎らの常連、半常連を前に「30年」(※『悲歌』所載詩)を誦す。20:00[散]会(東方学会へ300を托せし)。
われ1人にて京阪。八木嬢より詩集送れと200。中野清見より「荷車の歌(※映画題名)」よめと。岩崎より出版記念会に高鳥(※高鳥賢司)を呼べと。(※祖国社関係者に縁のある)ふしぎな日なり。硲君より京都へは行かずと。天理より『Biblia7』。

11月3日
9:30家を出、京都三條につけば11:45。思ひついてbusにのり天野忠を訪ぬれば在宅。発起人承知せしめ、服部英次郎氏の悪口きき、またbus。市電にて午食にゆけば羽田君をり、すまして青木富太郎の話きく。つまらず。
出て大安の出張売店より『忠王李秀成自伝原稿箋証(170)』買ふ。(東洋史研究会へ400支払ふ)。記念撮影をすまして出る。(小林高四郎博士。仁井田博士に抜刷送り、内藤戊申氏より湖南先生『游清記1,2,3』いただく)。
四條まで電車でゆき、阪本昌代訪ね、小島氏の件きいて見れば「いやでもなし」と。汁粉食べ了り家へ戻り早く返事せよと云ひて出る。母上はまんざらでもなきが、父上「全般的に縁談にすすまず」と。
帰阪、京橋で炒飯くひて帰宅。筑摩書房土井一正編集長よりハガキ。

11月4日(日)
晴。齋藤史女史より『短歌人』。森房子氏より「歌かこんでもらひたかりし」と。林富士馬君より『悲歌』代と同人費。
13:00京都で福地君と遇ひ、いたし方なく小高根家へゆけば14:00。(大東夫人より2冊代300)。けふ太郎君(※小高根太郎)夜来るとのことに、15:00時中座、桜562丹羽千年と訪ねまはり、着けば桂信子氏不在。18日の案内状をおき、千年君と20分話して駅まで送られ、17:30小高根家に帰着。太郎君まちがてら夕食とりしも来ず。まづ夫人迎へにゆき、代りて3人20:00近くまで待ち帰宅。
住山に電話すれば昨日より不在と。(明日試合なしと云ひ来りしとあとで判明)。

11月5日
8:30小高根家へ電話すれば太郎君出、「よべ12時に着きし」と。今より藤田美術館へゆくと。我も出てゆけば休館とて庭で待ち、10:30頃現はれしに米人女、近代美術館男女2人、京都美術大の森教授と表具師岡岩太郎氏の6人。特別に見ることを許さる。法隆寺の天人ののこぼれがありし。
11:30出て天満橋でさばずし食ひ、busにて天王寺の市立美術館。樋渡主事に紹介す。阿部房次郎旧蔵の宮素然「王昭君出塞図(※明妃出塞図)」を見、ゆるゆる見るに怠屈。やがて樋渡氏にまたたのみ、山濤の画帖その他をとり出して見せてもらふあたりで先出。
太郎、野田又夫にも会ってゐずと。けふ父来り、橋立の土産を会社より托せられて来しと。池沢君より詩集の受取。木村三千子氏より誌代120。22:00住山生より速達7、8のいづれかの日、帝塚山courtで樟蔭と試合と。

11月6日
雨。8:40登校。2時限すませれば山中タヅ子生来り、井上斌子、塚本徳子の2友にもと3冊もちゆく。
12:30昼食すませsalaryもらって出、三浦貢氏を訪ね、多忙な中を会ひ、訂正してもらひ、1,000出され赤くなって辞去。住高に硲 君を訪ね1冊買ってもらふ。
天王寺をへてbusで松坂屋。古本屋にて『熱帯柳の種子(20)』『台湾読本(20)』『亜細亜大陸旅行日誌(40)』『女性二千六百年史 (100)』『亜細亜横断記(50)』『肉弾(50)』『満鉄旅行案内(90)』と買ひて、ナンバまで出てbusで鶴橋。喫茶して帰宅。
夜、福地君来り同人費払ふ。浦本浜子風邪とて臥床、伊津井女来り手伝ふと。
桂信子氏より18日出席と。民子叔母より寿一の病状。前川佐美雄氏より「14、15日より10日間夫妻上京」と。壽岳博士より歌3首。

11月7日
会社へゆき城平叔父に会へば「伊津井にいひて手伝を探させよ」と。父に1冊わたせしところへ家より電話、「福地君、鴻池新田に1人老女見付けくれし」と。早速城平叔父にいひ、栗林の退職手当(2,000)預り、池田栄一氏訪ねんと歩き、途中にてbus来りしに心かはりて乗り、天満橋より北浜2丁目へ出、沢田事務所に寄り、詩集おけば、書生君「下さるのですか、買はすのですか」と。来週火曜専攻科の話にきてくれとたのみ、紅茶を飲みて思案し、梅本吉之助に行き、南須美子の履歴書預らせ詩集1冊買ってもらふ。(200預りし)。
十合へゆき児玉君呼べば「入社試験の件にて忙し」と。昌三叔父にと 1冊わたし、いづもやにゆきて昼食。Busにて天王寺をへて登校。
白楽天のprint切る。阪本昌代より近日写真送ると手紙来あり。
15:00まへ西洞院君来り、『果樹園』つづけて欲しと90円。折から来合せし宮本正都君と詩集1冊づつとる。15:00より講演会、古武博士の話きき、研究室に帰り、吉田東洲氏より3日より7日まで在阪のハガキ見、連絡先へ電話(近畿管区警察局長と中村広三氏――外科病院長ならん)すれどつかまらず。(古田、高松兄妹、田中秀子が「かもめ」で詩集買ひくれし)。
田中知慧子生に車中会ひし競輪選手より交際の申込来あり。我にことわり書かす。
やがて中嶋悦子、穴川生とともに来り、返事きかんと宮本君と3人にて出、電車の中で「尚早」と。
別れて宮本君にbeerのませ、篠田博士へ「満足しをらず」との伝言たのみて別れ、帰校、夕食。
講義すませれば室外に45分立ちて待ちゐしとて瀧本生。ともにぜんざい食って別る。
福地君の世話の嫗だめなりしと。杉本長夫、小林英俊、田中冬二、芳野清、上村肇の諸氏より詩集の礼状。芳野、上村氏よりは金送らる、ふしぎ。
金崎忠彦君宛の名簿返送さる。竹内好より『魯迅案内』。(康平叔父へ『一日一善(140)』買ひ『吹田、池田市街地図』買ひし)。

11月8日
晴。よべよく眠り、〒多く投函して登校。沢田直也君に電話すれば「来週火曜来る」と。菊池家に電話して西洞院君の名、文昭とたしかめ、『果樹園』4,7,8投函。
庄野君「たのしく悲歌をよみし‼」と。小野十三郎氏、発起人承諾と。17日長沖氏の「なには賞」の祝賀会と。「会議は踊る」の唄教へ、尾崎菊子、井上京子より写真たくさんもらひ、渡辺恵に電話して、天王寺よりbusにて道頓堀下車、正和興業KKにゆき、会って渡辺三七子の履歴書わたし、米沢昭子の家に寄る。ついで大道裕子の家に寄り、父dr.に会ひ、昌三叔父重役になりしらしきを聞く。
荒木利夫君に寄れば『悲歌』再読せしと。出て「源平」にゆき母君にこの間の礼云ひ、美智子君へと『悲歌』托す。(渡辺君にも贈る)。
帰宅の途、鴻池新田までゆき福地君父上に賄人手伝のことたのむ。そのあと途上、大東博士に会ひし。
川村dr.、中河与一先生、岩崎昭弥君、井上多喜三郎氏、山根忠雄君、知念栄喜君、村上新太郎氏、浅野晃氏より『悲歌』の受取。小山正孝君よりなほ2冊くれと。井上氏よりなほ明日17:00依田邸にてお礼の会と。中島駒次郎氏より礼状。奈良女子大より 1,600−192=1,408。

11月9日
小山正孝君へ2冊送る。8:40登校。9:00来りし長沖氏とともに60名余をつれてゆく。東、渡辺の2生最前列にあり、梅田廻りをたのみ、 梅田シネマ前で本位田氏拾ひ、OS劇場前で1名(曽根)拾ひして11:45大原着。
寂光院前にて昼食後、中を見る。一向面白くもなし。すみて三千院門前までゆき、busへ戻り14:00すぎ出発。往復ともに依田君の向岸を通 りし。17:00帰校。
帰り上町線にて吐気催し、交叉点で下車。杢太郎『森鴎外(30)』買ひて帰宅。
山根忠雄氏より学校に2冊買はせしと。同人費、原稿、売上100。小高根二郎氏より出席(桂、石浜、庄野、井上、山前、大東夫妻)。欠席(前 川、天野忠、桑原、深瀬、野田)。現在出席10名と。

11月10日19561110.jpg
奈良女子大へゆき天野忠に会へば18日出席と。横田俊一氏に会へば同じく出席と。小川和女史に1冊贈り、案内すと云ふ。「長恨歌」教へ昼食。雨降る。小清水教授を研究室に訪ね牡丹のこと聞く。講師として来室の大阪市大吉良龍夫教授に紹介さる。
出て前川家へゆけば佐美雄氏radioの録音車に同乗、出てゆかる。横田氏と夫人と話し、出て野崎家。前田社長夫人来合せらる。その君に1冊買はし、和島みね子君へのことづけ預り、出産今月末とききて出る。
和田先生の抜刷、羽田より2冊送り来る。小高根太郎より礼状。和島みね子「結婚披露宴16日16:00新大阪Hotelで」と。天野愛一君よ り「榊莫山君に1冊送れ」と。武田豊氏、佐々木邦彦氏より礼状。佐々木君、草果の画をも賜ふ。沢田直也君より「火曜必ず来講」と。小高根二郎氏より欠(河村、小山)、出(芳野、天野忠、山根、村上、杉山、岩崎、壽岳)しらし。岩崎君より会場費1,000補助すると。並木陸郎氏より 会費150と『悲歌』1冊代。渡辺三七子生より電話。

11月11日(日)
服部三樹子氏より『悲歌』の感想と1冊代。新関西新聞社東川紀志男氏より100+〒66。山前実治君より礼状。大塚雪郎君より「(※紹介された)杉山平一君に会ひしもだめなりし」と(※就職の件か)。「大阪金銭登録器神戸事務所に勤めた」と。
山崎雪子氏より「歌集送った」と。(疋田)枡田紀子夫人より「神戸市灘区赤松町1の9番地の1の24に住む」と。
角川書店の立原道造全集編集会より速達。
    
11月12日
出て〒。放出下車、三和銀行で金もらひ、京橋より市電にて南森町下車、木村三千子氏に寄るつもりなりしも開店しゐざるにいやになり、読売まで歩き、池沢呼べば未出勤。葛原喜好も同。『悲歌』1冊と出版記念会の條かいておき、busにて梅田。旭屋にゆき和島嬢にと『冬の山』『スキー』2冊(360)包ませ、新築の阪神本社に大河原倫夫訪れしも不在。Juiceのみて高尾書店にゆき『淡路島』2冊と『朝鮮・満洲・支那案内(20)』買ひて地下鉄にて天王寺。藤井寺まで直行、大江叔母に3冊買はし『果樹園』代150もらふ。この間、房子外出ゆるされしと。叔母10万円与へしと。19561112.jpg
清水生に電話で話せば来よと。ゆきて田中生に電話し、藤井寺小学校にゆき平岡生とに3冊買はし、菓子一折もらひ(18日出版記念会に誘ひ合して来ると)、恵我荘和島家へ祝ひにゆく。けふ荷物出せしと。
帰れば小高根君より「出席、木村、たかはし、元市印刷、千川、杉本、荒木、羽田と24人。欠席、浅野、野田宇太郎、西垣3氏」と。福地君風邪にてゆかざりしと。深瀬氏より欠席のことはり。西川英夫より750。森亮氏より4冊代と〒、700。眞野喜惣治君より『果樹園』見たしと100。
夜、福地君来り、事務片付け呉る。『薔薇』へ「願ひ」かく。

11月13日
8:40登校。歴史すませば沢田直也君来てくれ、専攻科に「女性と法律」につき話してくれし。すみて礼いひ出てゆきしあと、武居生来り『悲歌』1冊買ひ、ひるすぎまで待ち呉る。浜寺の小島嫗に電話し、15:00ゆくといひ、武居生とともに出てナンバ、富士屋で茶おごり、羽衣まで急行でゆき小島家へゆき写真わたし、山本家へつれゆかれ母君に会ふ。藤原由子に電話せしに不在。阪和東羽衣より帰宅。
小高根君より「出席、高鳥、服部、[●]田3氏。欠席、東順子」と。村上菊一郎、野田宇太郎2氏より礼状。芳野清君より原稿送ったと。堀内民一君より「案内せよ」と。池沢君より原稿。山崎雪子氏より歌集。吉本青司君より詩集。安部育嫗より「病院に派出婦しゐる」と。
夜、板原生より「実習つらし」と。「やめよ」とすすむ。(岩田、神島2生とも就職出来しと。中田生別府へゆくと)。(学校穴川生より、かあゆきたより)

11月14日
午前中出る筈なりしも疲れてねてをり、羽田君より18日池内先生のお墓詣をかねて夫人同伴にて来るとのハガキ。新関西新聞社東川氏より原稿依頼の手紙見て12:00家を出、鴫野下車。平家に電話すれば城平叔父入れちがひに会社へゆきしと。用件伝へることをたのみ、京橋に降りて大東夫人にあふ。登校の途中と。散髪し、市電にて木村三千子氏を訪ひ『悲歌』買はし、市電にて天王寺。
登校すれば坂根生150置きあり。15:00より教授会。すみて父危篤といふ山口玲子に電話し、山本実子に電話すればすでに上洛と。肥後生はこの間見合のため試合に欠席せしと。(浜寺の木村家より電話ありしと。話よろしきならん)。
壽岳博士に歌3首のせてよろしときく。米田(姉)生来り、授業料未納なれど証明書くれと。みな我をきらふと。
すみて和田、島田2生と帰り『悲歌』よます。帰れば〒また来あり、芳野、浅野、森3氏の原稿、杉山平一君の礼状(「悲歌」よみて泣きしと)。
(けふ加藤とみ子夫人より『清水千代氏随筆集』賜ひあり。根本生、柿?一包みおきありし)。浜野治君宛の名簿返送さる。

11月15日
京の授業参観とて悠紀子忙し。9:00会社へゆき城平叔父待ちしに来ず。康平叔父より本代250貰ふ。玉造の職安に電話してくれしも300円位やらねばならぬらし。原氏の話にては手伝ひありと。阿部育嫗の話あとにし出て学校。
山本正英氏より電話ありしと云ふに13:00来てくれと電話し、本間君来りしにきけば「reportの参考書貸せ」と。熊沢君にも紹介し、加藤とみ子女史の電話きき、山本氏と会ふ。明日京の洋裁へ阪本生のぞき見にゆくと。大丸へ電話して写真のことを大丸にたのみ、(小野十三郎氏出席と)、今東光氏まち、出席ときき、白楽天のprintきり、女詩人湊野氏(※港野喜代子)に1冊わたして出る。
榊莫山氏より150。前登志夫君より1冊ほしと。葛原喜好氏より14、15日の「よみうり抄」に出版記念会を紹介せしと。眞野君に送りし『果樹園』返送。
21:00電報、おどろけば石口君より「ケササクヒンオクッタ」‼ 同時に大東博士並びに夫人お越し、葡萄酒4本賜ふ。
(本日、尾谷邦三郎氏より弓子催促の手紙もち来る。あと1週間まてと答ふ)。(梅垣女史と板原生を訊ね、一度父に会ひたしといひおく)。19561115.jpg

11月16日
9:30会社へゆき城平叔父に会ひ、安部育の臨時雇を承認してもらひ、寮の解散いへば「よろしけれど、お前より探りてみよ」と。安部嫗に電話し、4、5日後より来るときき、(前登志夫君に1冊送らす)登校。
泉尾高校の堀内民一君に18日の会のこと電話しおき、院長に図書館のことにてうるさく云はれ、来週運営委員会を開くこととし、講義。
長沖氏、明後日は多分出られずと。午、近鉄自動車部に電話して14:30来よと云ひ、午后の講義す。
村田温『悲歌』買ひ母に見せれば泣きしと。14:40江馬来り、長沖氏と話す中に鍛治君と出て、15:30ナンバ。
伊藤、(※鍛治)富子、椿下の3嬢と会ひ、山荘生おくれしにより地下鉄にて淀屋橋。新大阪ホテルにつけば16:00。(※和島みね子結婚披露宴)式は16:30すぎにはじまり、われ山本治雄の悪口いひて笑はす。寐心地あしからん。
すみて南隈(ナングー)美禰子夫人に別れをつげ、梅田へ出、喫茶し、『悲歌』にsignして別る。
筑摩書房より『ボードレール』。石口君より同人費と写真と『悲歌』の感想。村上菊一郎君、天理へ来る様子。壽岳博士より速達にて欠席と。
阪神東洋史懇談会12月2日(日)13:00より天王寺美術館にてと。

11月17日
8:30出発、野崎家へ寄り、女子大にゆけば寒し。天野忠と話し、服部氏に礼いはれ、overのまま教へ、寒きを口実に出て俵青茅君訪ね1冊。天ぷらうどん食って帰れば福地君すでに来をり、(出版社へ就職すると)、14:00小高根君、15:00池沢君。
16:00編集了りて出、2氏と京橋で別れ、鶴橋にて八木嬢に会ひ、われ喫茶して紫陽花のしらべたのむ。
(※長沖一「なには賞」祝賀会)会場にゆけば藤沢桓夫氏以外ほとんどそろふ。われ小林dr.、朝日永井君、松竹吉田君と同座、みなを笑はし、長沖氏より(※明日欠席の出版記念会の)代読たのむと批評受取り、帰れば23:50。
読売駒井君は後輩にて杉山平一君に批評たのみをりし。(けふ西川より詩集社中にて売れしと。中野清見君より立木を売る為来られずと。山田新之輔よりも同)。

11月18日(日)
9:00起床。飯食ひをれば城平叔父より電話、会ひたしと。すぐ行くと云ひ、売上もち『悲歌』10冊と前著5冊とをもちてゆけば、解寮のこと。今井、原2氏のこといひ、ゆっくり案じて見んと云ふ。
出て天王寺。焼そば食ひ、departで「署名簿」(220)、墨、筆買ひ、地下鉄にて淀屋橋。靴裏直させれば600とらる。
公会堂へゆけば芳野、福地、山根の3君すでに来をり、岩崎、服部、鍛治、元市迪夫、堀内、小高根、山中、井上、天野、斎田、小寺、竹内、山前、木村、大東夫妻、小野、庄野(学院より祝にと2,000)、たかはし、荒木、桂、金戸、千川夫人、川端周三?、今、臼井史朗?、小川、杉山、横田、清水、田中、杉本、村上、羽田、柳井、武居と39名となり満員。(※「署名簿」リンク)
アイウエオ順に批評、われ一々これに答へ、写真とりて羽田よりはじむ。
中坐、2生とつれて梅田新道でまつ中、小高根、岩崎、服部の服部の3氏来り、ギョーザ食ひにゆき、あとにのこりし山根、福地2君に電話すれば既に出しと。清水生ら見にゆかせしもだめ。
小高根君、1,000置きて立ち、われ勘定すれば1,800。大阪駅にて別れ、岩崎、服部2君と喫茶。岩崎君、家の土産呉る。
帰れば20分前に福地君来りしと。悠紀子わが売上もちゆきしを知らず、飯くへざりしと。不快。
金のほかおそるることなき冬の妻。
けふ聞けば大江、片目の犬を叩き殺して河に捨て、3日後あらはれしをまた殺せしと。無慚至極、許しがたし。(前川夫妻、東京より祝電。元市whisky賜ひ。岩崎port-wine賜ひしと)。榎本須美子より、疋田旧姓のままかと、失念して書かざりしらし。

11月19日
10:00すぎ福地君来り、昨日の2次会のこと云ひしに、その気なかりしと。収支決算はあとまはしとし、斎田君の同人費と昌三叔父の30円と入れる。(きのふ写真屋1時間待たせしと)。
大東先生へと佐々木君の絵もって行ってもらひ、whiskyの残り贈る。山本氏に電話せしに他出と。
12:00出て京阪にて京都。京大へ直行すれば羽田、佐伯助教授と学術会議に全国区に出る宮崎氏の運動中と。佐伯氏より『清代塩政の研究』賜ふ。
里井君に抜刷贈り、新学社に電話し、高鳥君にのちほどゆくと云ひ、杜臻のmicro-film撮影見積りを里井君にたのみ、野田君(※野田又夫)訪ねしも不在。
田村博士の研究室に引返し、60周年展観の本の相談にのり、出て喫茶。転任(※転任希望?)云へば関大にきいて見んと(守屋君、阪大教授にきまりしと。布目君助教授か、西京大学もあくと)。
出て新学社。柳井君をり、高鳥君吉野書房と。電話かけて呼び、池内先生の本のこと待ち、篠原君(吉野書房営業部長)と高鳥君の話にて、きれいなのだけ羽田邸へ転送ときまる。あとの契約は明らかにせず。
長尾良呼び出して檀一雄のこときけば女優と来をりと。居所あかせしこととなりし。這々の態にて出て(高鳥、柳井に『悲歌』1冊づつ、高鳥より200柳井より100預かる)、羽田と別る。菓子と『アジア史北方篇』もらひし。
busにて京都駅、折から動きかけし電車にのれば草津行、叩いて止めさし脱帽してあやまりし。
帰れば岩田生、礼にと毛糸くれしと。藤田福夫君、家を建てしと。けふ行きがけ桂信子訪へば、林叔父来をり、喜びゐしと。『さくらんぼ』2冊呉る。わがおしゃべり別に害せざりしらし。(高田展、一昨日退社退寮せしと)。

11月20日
8:30登校。鍛治君をり。きけばつり銭なく50円入れおきしと。歴史の時間『女大学』を写させ、2時間目専攻科にゆきてきけば、国文学史の時間みなふるへゐしと。
すみて木曜の長沖、小野2氏の時間の聴講生2人に休講の通知し、3時間目こはがらさぬ方法考へよといひて、やめる。板原生の父、23日空きゐると。喧嘩になるやもしれずと。場所、家にしたまへと云ひてやる。
渡辺生履歴書もち来る。井上京子、森田2生『悲歌』買ひに来、京子『果樹園』2冊とり30円おきゆく(米沢生の分と)。
けふ来し時、机上におきありし包あけ見れば阪本生の写真。意外におどろき、怒り、午すぎゆくことときめ、元市専務と製本あしきを云ひて30冊あまり持ち帰らしむ。ただし請求書は30,000と引きくれありし。
学院にゆき、庄野英二君に会ひ、祝儀の礼誰にいふべきやときけば、森、中村門左の2氏と。
Toan penya Bahasa banya bagus, tetapi saya penya banya 〜 manisと云ひて去り、山本正英氏の名刺さがせしもなく、山中タヅ子宅へゆき母上にきけば、知らずと。家に電話すれば悠紀子不在。
折よく帰り来し山中タヅ子嬢と話し、pocketより出て来しmemoにて明装興業とわかり、電話帖しらべて本町3の39と判明。タヅ子嬢に案内して、ゆき、会へばこの間京都へゆき、洋裁はよかりしも家をのぞき見て、蛇屋なるにおどろき、帰りて祖母に云へばふるへしと。意外にて吃驚。
album見せてもらひ探す。橋渡しだけで仲人はことわるとききてbusにて大国街をへて帰宅。不快。わが自らの愚かなるに愛想つかして。
堀内、保田の礼状。南隈みね子氏の強羅よりのハガキ。金戸先生の漢詩(この朝、天王寺にて岡田剛先生に遇ひし)など見、まちゐれば赤星来り、3万円ほど借りてapartにゆくはよしと。
悠紀子に電話せしむれば安部嫗、明日より来ると。(けふ上町線にて同車の住高生―音楽と絵画やると―に、「硲君へ返却を」と、『寮歌集』托す)。

11月21日
10:30までに和田先生に「20,000以上の勤めさがして下され」と。阪本昌代に先方祖母宗教上にて反対すと書き、元市印刷へゆけば11:30。11,000わたし一応すみしこととし、(※『果樹園』1-10号)30数冊を製本 し直さんと云ひ、rice-curryよばれて出る。
大丸写真部の小山氏に電話してわび云ひ、(※出版記念会の写真)1人60円にて送料つきと。送り先と2,400と事務室に預けよと。明装興業に電話すれば山本氏、「17:00まで会社にゐる」と云ふに「albumもちゆく」と約束す。
登校して山口玲子の父上の葬儀にゆくと云ふ西宮君に名刺托し、図書館運営協議会。高岡、須原、沢井の3氏と事務費の凍結をとくこと、その他きめしところへ院長来り長々と話す。すみて明装へゆかんとせしも鍛治君かへらず。そのあとゆきしに道に迷ひ、ゆけば17:30。山本氏もともと帰らざりしと。(※見合相手の?)album預け、返す時の心得いひ、電車にて帰校。
(けふ硲君来り『寮歌集』受取りしと。大東夫人と同車。帰り、よりて話され、dr.も喜んでをられしと)。
図書館工事にてさはがしく、国文学史(※print)切り(今週よりわれよむこととし、出席もとらずと云ふ。早川生にきけば今沢君忘れしか、日をとりちがへし模様)、事務室にて話しゐれば「先生帰りませう」と誘ひしは島田生。かあいく、出て鶴橋までさそひ、和田生とに茶のませ、われbeer。
帰れば木村三千子氏より『果樹園』に井上源一郎氏入りたしと。山中タヅ子君より入れちがひに(※出版記念会)たのしかりしと。浅野満氏より現住所と現職の通知。安部嫗、夕方より来しと。浦本浜子会ひたしと云ひしと。退職申出か。

11月22日
浦本呼びて事情きけば、安部嫗180円の日当と云ひしと。それんら考へありと。安部嫗呼びて付添のこときけば、400円にて100円食費その他1,500ほど引かれると。明日会社にきくを待てと云ひ、出て上町線にて渡辺生と同車、時間ちゃうどなりし。
古典講読われよみ、すみてEichendorffの“das zerbrochene Ringlein (※こわれた指輪)”教へ、午飯くひて泉尾高校に電話すれば堀内君出、金戸先生『悲歌』受取られし様子と。しらべてくれと云ひ、小野十三郎(近々豊橋戸ゆくと。丸山薫氏に1冊托す)、長沖一氏と話すところへ今東光氏来られ、すみて(専攻科生、太宰先生(※“太宰先生”?)の悪口云ひしと)、芝生にゆき和田生と話し、気がつけば時間なく、あはててprint切りしも中途、高校連絡会はじまり、西宮君来ず。楳垣氏病欠。beerのみ、17:00すぎよりprintつづけ、18:00退出。
家へ帰れば福地君をり、記念館の時の学園の2,000を入れて1,350『果樹園』に寄附す。浪大に父上たずねたまひしもだめと。
けふ〒なし。(「かもめ」にまた(※『悲歌』)4冊わたし、150×14×0.8=1,680受取り『太宰治読本』買って帰る。)
悠紀子、けふ上二病院へゆけば城所博士の出院は土曜にて会へざりしと。

11月23日(祭)
家にゐて色々考へ(※上京計画の事か)午后となる。清水文子よりハガキ。石口君より5部送れと。
15:30会社へゆけば城平叔父上京、明日帰阪と。伊津井嫗の云ひし手伝ことはらせしばかりと。伊津井にゆきて再びたのんでくれと云ふ。
折から来しbusにのり、天満橋『玉台新詠集 下』買ひ、『東洋のあゆみ(110)』買ひ、またbusにて帰る。

11月24日
頼永承氏へ『東洋のあゆみ』包み、8:00出て9:30奈良着。野崎家のぞけば父君「まだ出産せず」と。台湾への小包料25。女子大へゆき天野忠に礼いひ、竹内、小川2氏に名刺托し、横田教授には会ひ、12:00までやりて午食(登校まへ高校へゆき塩見主事に新学社のこと云ひしに内職禁止と)。
出て前川家を訪ふ。緑夫人まだ帰らず、きのふ帰阪の西垣脩氏と同車と。われの東京行賛成、東洋大学、日本大学につき齋藤晌氏に(※転任の斡旋)たのめと。12月1日までに7.5枚をと、春夫論を書かんと云ふ。
帰途、西垣君に電話すれば他出と。帰宅すれば(※西垣氏より)電話かかりしと。すぐ電話してあす10:00短大にて会ふこととなる。
松山市明屋支店よりの注文(福文堂)ありしのみ。(けふ1,100借り、10回分納として定期券買ふ(100)。(※値)上りて1,040となりし)。柳井君よりの電話は10:30にかかりしと。

11月25日(日)
9:00出てまっすぐ学校へゆき西垣氏に会ふ。同人費3,000預かる。わが東京転任賛成と。父上の銀婚式とて去りしあと津熊、山城、伊井と1回生3名、長沖氏と話し、藤原生、山中タヅ子らほとんど話せず。
われも(※同窓会)会場へ出ず、変なりしも記念撮影のあと昼食に小講堂へゆけば1回3名、2回(立川、安村、山荘、鍛治姉妹、和島、山中、中田光子)8名、3回(藤原、島本、中川禎子)3名、4回(明渡、市村、小林、細野、力身)5名、5回(生田、浦畑、角倉、武居、多和、浜谷、原田早苗、古田、二見、??)11名と、きはめて少数。西宮君けふ風邪と。
2回生先発せしめ、5回生と“Printemps”へゆけば鍛治、中田、山荘のみ。すみて「マンチャン」へ生田、武居らとゆきて帰る。
大東夫人より『詩集西康省』中途までよみしと。われも風邪。19:30福地君来り、23:00初校了る。

11月26日
9:00出て会社へゆきしに城平叔父すでに他出。伊津井女の口はことはりしと。工員某君に会ひ、明日か明後日に1名来さすと。
出て森ノ宮より市電にて常磐町の福文堂にゆけば、小売120なら問屋はそれ以下とのことに100現金でもらひ、同じ町内の立川ペンへゆき太田治男氏(陽子夫君)に会ひ、北野病院重松博士に名刺かき、渡辺生の就職考慮をたのみ、唐物町の俣野博夫に会ひ『悲歌』1冊売り、千川君に会ひ90受取り、大保商店へゆき兄君に会ひ、12月4日(火)に講演たのむ。梅田惠以子君妊娠と。
市電にて四ツ橋、大阪屋へ1冊わたし金はあとと(100円)。消防局に寄り筒井に会ふ。そのあとまた市電。荒木利夫にゆけば不在。出て午食。高島屋の休日なるに気付き、元市印刷へゆき再校みる。
風邪またひどくなる。就職試験すまし来し福地君に17:00。3校まかせて寺田町。『大塩平八郎(120)』買ひ、駅にて宮川満に会ふ。ふし ぎ。
帰れば大塚雪郎君「石油会社の夜警にかはりし」と。柳井君より11:00電話ありしと。
けふ三浦貢氏に電話すれば「弟の所しらず」、村山高氏に電話すれば「兄君の住所しらず」。

11月27日
9:00まへ鍛治君に電話し、休講をいふ。安部嫗休暇とりしと。午后〒小林三佐子(奈良女子大)より『悲歌』よんで泣き笑ひした、1冊くれと2,000。
大阪屋よりまた1冊註文。久保和友氏より近江詩人会で見た、1冊くれと。阪本惣太郎氏より「今後もよろしくたのむ」と。金戸先生より「1冊よんでゐる」と。島尾敏雄より『果樹園』宛「名瀬にあり」と。
けふ浅野晃氏へ「齋藤先生(※齋藤晌)に云ひて東洋大学または日本大学へ(※転任斡旋の件)たのむ」と手紙かき、小林生へ1冊送る。夜、住山生より電話「あす15:30より体育館で試合」と。

11月28日
原君より11:00電話「炊事婦見つからず」と。大阪屋よりまた1冊註文。高知市小野義三氏より1冊(150)。名古屋の山科雄護氏より1冊(200)。
午后出て玉造より大阪屋。2冊わたし3冊分300受取り、十合へゆきしに児玉君、東京出張と。斎田君不在。心斎橋筋歩き荒木利夫君にゆきしに「この間は愉快なりし」と。
高島屋にてwhite-shirtあつらへ(8日出来と)、府立体育館へゆけば丁度時間よし。十時、久保田の2卒業生来をり、院長、守本氏来会せり。成蹊女子短大に20−43で勝つ。
地下鉄にて天王寺をへて登校すれば、鍛治君帰宅。basket場で会ひし山口玲子来り、十合への推薦状かかす。丁度斎田君より電話、大山定一氏と折しも話しをりしと。山口生の父は宣伝部長たりしと。帰りしあと清水生来り、講義追へしあと瀧本生来り、天王寺へ出てport-wineのむ。
けふ会社のsalary出、浦本浜子に5,995出しと。

11月29日
小野、山科2氏へ『悲歌』送り、鶴橋より府立体育館。basket試合はじまり(対光華女子短大)3−2となりしところにて登校(中島悦子見に来る)。
古典講読やり、歌教ふ。宇都宮生来り『悲歌』買ふ。尾崎菊子「かもめ」で買ひしとてsignさす。夜学今年卒業の大野賀世子より電話「今里に住む老人の名教へよ」と。わからず。basket負けしらしく、出て斎場前へゆき田中屋といふに池内家の墓のこときけば「硝子張りにし屋根つけよ」と。
busにて上六。天地書房にゆき春夫『むささびの冊子(80)』買ひ、江馬訪ぬれば出張と。
歩きて大福寺へゆき池内大学夫人の墓見る。なるほど剥げをり、住職夫人にきけば無愛想。石富といふを教へられ、外出の石工に(※羽田明氏依頼の)見積たのみ、筋向ひの出版屋に勤めゐる武居生呼び出し、茶のませ、別れて鶴橋まで歩き、奥むめを『婦人問題十六講(80)』買ひて帰宅。
八木嬢より松井信子妹に売りしと200。土井一正氏より礼状。小高根二郎氏より1日の会16:00にしてくれと。阪倉康男氏より360を『果樹園』の費用にと。
夜、福地君より電話「切手買ってくれ」と。

11月30日
9:30家を出る(弓子に尾谷先生あて嫁さがしはだめとの書状もたす)。森ノ宮下車、玉造の職業安定出張所にゆきしに、日傭のみにて(※炊事婦希望の)該当者なしと。玉造まで歩き、coffeeのみて登校。
長沖、西宮2氏と会ふ。漢文すませ、石富よりの電話きき、glass張りよからんと云ひしゆゑ見積りせよと云ふ。井上京子、森田智子と『悲歌』もち来りsignさす。
午后すみて帰途、小森生とらへ、この間置きゆきし150の代りに『悲歌』1冊とらす。鶴橋にて下車。城東安定所にゆきて話せば気のない返事す。松本元取締役の夫人来りて働きたき様子なりしと。夕方また来るとのことに待ちしに赤星来り、伊津井女より「とるな」の伝言ありしと。
福地君来り、発送の仕事す。けふ米沢生の手紙、井上京子預り来り、誌代200入れありし。出版記念会の写真来る(※リンクあり)。小林三佐子生より受取る。
山根一郎君より野球部名簿の礼。松本陽子夫人より漸くおちつきしと。石口敏郎君より『淡交』編輯所東京支社に就職ほぼ決定と。大島利一教授より抜刷の礼と抜刷2部。
(福地君、体格にて出版社はねられ、高松市立高校へゆかんと。止める)。(けふ高松生に托して藤沢桓夫氏に『悲歌』もちゆきもらふ)。

12月1日
けふより10:50始となりし奈良へゆっくりと行く。高校へ塩見君へと「清初の奴隷」の抜刷もちゆき、天野忠、横田、竹内、小川と諸氏に『果樹園』くばり、講義時間きちきちまでやり、すみて弁当なく小清水教授の研究室にゆき、coffeeのましてもらふ。紫陽花はアジサヰではなしと牧野博士の説。
出てうどん食ひ、前川家にゆき緑夫人、すず子嬢と話し、紅茶のましてもらひ、出て野崎家へゆけば、その君まだ分娩せず。Cocoaのまされ駅にて14:30。石橋(※小高根邸)へゆけば丁度16:00。
福地君の高松行は小高根君もとめし。山根君来り、別に話なかりしも19:30までport-wineのみて帰宅。〒珍しくも、無し。

12月2日(日)
12:00家を出れば守屋君と同車‼ 13:00かっきり(※ママ)に美術館につき、中山八郎氏の来てゐるに抜刷わたす。
桑田(※桑田六郎)、鴛淵(※鴛淵一)、内田吟風博士以下20人で天野元之助博士の話きき夕食、つまらず。
アベノ橋で別れて帰宅すれば、浅野氏より「8日齋藤晌氏に会って(※転任斡旋依頼の件) 話す」と。

12月3日
9:00出て会社、城平叔父に会ひてきけば、安部嫗250の日給でよしと。浦本浜子は155にあげ、その代りbonus10,000やりてよ しと。
出て放出大橋まで歩き富士伸銅にゆき、池田栄一重役呼び出す。20年ぶりにて殆どかはらず。Cogitoのことおぼえゐしに嬉しくて『果樹 園』おきて出る。
鶴見町4丁目まで歩いてbus。読売にゆけば池沢、駒井2君ともに未出勤。駒井君に野球部名簿おき、隣の市大理工学部にゆき笹川くみ子を訊ぬ れば折しも通りかかる。ともに歩きて北野病院へゆき、太田治男氏見舞ひ、眼科に重松博士を訪ひし、歩きて梅田。
第一生命buil.へ久しぶりにてゆき、三菱商事の吉森君訪ぬ。暖かく氷宇治おごってもらひ、夫人の悪口きく。
出て高尾書店。『台湾蕃政史(1,200)』借り、中川与之助『女性宣言(20)』『白氏文集(100)』買って毎日(※毎日新聞社)。天野愛一君呼びて、詩をやめ東京へゆくと云ふ。
新関西(※新関西新聞社)の東川君訪ぬれば隣の喫茶店にをると。ゆけば石上玄一郎と同席。石上君は成蹊女子大に去年よりゐると。弘前高校にて太宰と同期。小高根二郎君の一年上級と。
出て和島事務所へゆけば出廷。風呂敷の礼伝言し、うどんを昼食とし、立原『鮎の歌(20)』買ひて金なくなり、市電にて石富にゆけば3,800にて硝子張り出来るとの見積書送ったと。
出て上六。江馬春夫を訪ね『悲歌』1冊買はせ、紅茶おごられし(折柄来合せしは杉野知博とて日動火災海上次長)。出て鶴橋をへて帰宅。
安部、浦本に申渡す。村上菊一郎君より石口君の就職につき臼井喜之助へよろしくと。石富より見積書。

12月4日
9:00登校。9:30西保泰男氏来校。専攻科に豊富なる香料見せて話したまふ。すみて国文学史教へ、3時限すみて帰り来れば鍛治君と話しをり、jasmin1瓶たまひて退出。明後日離婚の調停最後と。
午后、鍛治君と高松生さそひて戎橋。別れて荒木利夫君に寄りしに不在。高尾にゆき『世界歴史大系5(400)』買ひて帰宅。
岩崎昭弥より『果樹園』未着と。(けふ吉森夫人より電話、松本一彦君令嬢の就職につき会ひたしと)。
夜、福地君来り、清算表送付す。けふ羽田君に石富の(※父君墓碑の)見積書送り、村上菊一郎君にハガキ。

12月5日
よべより風吹く。神田、今西、川久保3君に抜刷。藤田亮策先生に同。学校へ電話し教授会欠席を云ひ、16:00出るまでに「春夫先生のこと」15枚『日本歌人』にかき速達し、梅田へ出て万字屋できのふ見し高橋盛孝氏『民俗学』見しに180!やめて「大安」まで歩き『李秀成(60)』買ふ。奈良女子大の独乙語講師長橋女史来あはせをりし。
地下鉄まで戻り登校。18:20。夕食せんとすれば瀧本生来り、けふ官公労のst.と。(教授会はわれと楳垣氏欠席のため中止となりしと)。
国文学史よみて研究室に戻れば、谷川、武居の2人も来をり、天王寺まで伴ひ木村屋でport-wineと紅茶のます。武居は会員となり(100)、谷川は「14日16:30日生ヘ講演に来てくれ」と。昼食ご馳走するゆゑ別の日にも来よと。
けふ岩崎昭弥君より『果樹園』着いたと同人費1,000。(Hugoにて佐伯氏にと『李太白』と『楊貴妃とクレオパトラ』購ひ来る)。

12月6日
佐伯富氏に2冊送る(32)。中道の太閤といふ理髪店にゆく。100円にて頭を洗ふ也。庄野英二、今東光2氏休講。
きのふ山中嬢来しといふに鍛治君に電話せしむれば不在。西保泰男氏に鍛治君をして礼状かかしむ。井上睦子ら4人『悲歌』を買ひ呉る。
帰途、中道より歩きて古本屋見しが何もなし。放出でPierre Louijs『Bilitisの歌(※ピエール ルイスのビリティスの歌)』買ひて帰宅。
深瀬基寛氏よりスペンダーを贈らる(けふ桂信子を訪れ『女流俳人』その他もらひし)。眞野喜惣治君より『悲歌』買ひしと。

12月7日
小雨の中を出て天王寺。市大病院へゆけば田村春雄君まだ来りをらず、出て門前で会ふ。
登校。西宮君また休講、長沖氏は来りしも午后休講と。山中タヅ子君来り、『悲歌』1冊買ひ、『果樹園』代300。待たせて(石井千珠子に1冊)、鍛治君と3人にてナンバ。
「Shantan」といふにゆき茶のみ、「マンチャン」でお好み焼(1月13日にclass会すると)。忘年会にと24日17:00より、山 中、鍛治2嬢、石浜、西宮、長沖3氏と6人の室とれと「丸万」に予約。cake(250)買ひて高野線にてまた帝塚山。山口玲子の家へくやみにゆく。「父上、歴史を好みし」と。「彦根芹橋に住みし」と。『悲歌』1冊おきて辞去。
芳野君より「別便にて写真送る」と。宮本君より「篠田博士に伝言を伝へし」と。大阪屋より2冊もち来れと。太田陽子夫人より礼状。

12月8日
奈良へゆく。日動火災へ寄りしに俵君そっけなく、すぐ出て野崎家。5日15:30男児出生と。女子大stove入らず。天野君のところにて火にあたり、来週にて授業打ち切りと決め、本田先生集中講義とのことに教務にてstoveにあたりつつ昼食。12:40来られしと出て駅前にゆき、藤井明氏(元県衛生部長、柘植にて開業)令嬢と昼食せらると話し、別れて前川家。
夫人病臥、山崎女史の話きく。わが「春夫論」まにあひしと。
帰途西宮家へ寄り(古本屋にて『日本・支那・西洋』『南溟の秘密』『印欧言語学序説』『日本と金銀島』『口承文芸大意』『国史と民俗学』6冊にて480買ふ)、保険申告教へ、24日の忘年会を約し、port-wineのまされて出る。けふ手袋もらふ。
帰れば三場君婚約出来、鯛くれしと。『台湾研究1』来る。今西春秋氏より抜刷の礼。角川の立原全集に貸せし手紙、小山正孝君より返却。
けふ奈良女子大のsalary2,400−288=2,112もらふ。

12月9日(日)
昨夜生駒に初雪と。寒くて終日臥床。ケ嗣禹氏より調査票。奈良市桐山京子氏より『悲歌』申込。堀内民一氏より、よんできかせしに生徒喜びしと。佐伯富氏より2冊受取ったと。羽田より石富に電話して(※夫君墓碑)命じたと。芳野清君より出版記念会の写真、よくとれてゐし(※リンク有り)。
夕方、松本一彦に電話し、明日会社へゆくときめる。小西啓子父君より祝返しに砂糖。

12月10日19561210.jpg
9:00出て会社。賄のbonus申請す(浦本5,000+5,000、安部1,000)。康平叔父去年は2,000、1,000、夏は 3,000、2,500なりしと但し書す、不快。甚幸に依子へ写真機売れといひにゆけば、高井弟君あすもち来ると。
出て放出まで歩き、三和銀行に寄りしに奈良女子大の為替まだ来ずと。玉造へゆき、市電にて大阪屋。200現金でもらひ地下鉄にて日生にゆき、松本君と話し、100『果樹園』代として預り、谷川、吉森、宮口3君そろひしところにて、出て雲呑、松本君おごってくれる(250‼)。
ついで吉森と3人にて喫茶、別れて日本レーヨンに寄りしに、増山君出張と。また地下鉄にて十合。児玉君に会ひにゆけば山口玲子面接中と。すみしと3人にて食堂。内藤順子、斎田君に会ふ。
別れて斎田君に話きけば、板倉君(※板倉鞆音)のHofmannsthal詩集編、大山定一氏より廻り来をり、『果樹園叢書』として出すや否やと。
出て心斎橋筋南下、天牛本店にて『植物記(80)』『閨秀詩集(100)』買ふ。(けふ谷川・宮口2生『悲歌』買ひくれし)。
出て戎橋にて力身生に会ひ、不二家に入れば上野、林2生をり、力身生「2月に大和銀行々員に嫁ぐ」と。
別れて鶴橋をへて帰宅。入浴しゐれば菊地盗難に遭ひしとて巡査呼びしと。出て見にゆけばover-coatとられしと。田中屋より墓石の件につき問合せ。
林富士馬君より原稿と同人費。
福地君来り、会費の清算す。坪井にまだ会へずと。

12月11日
登校。8:30。専攻科来週は打ち切る。山中タヅ子君来り、『文芸通信』の原稿作りしと。志野和子推薦状かかす。漢文の採点やらんとせしも進まず帰宅。
浅野晃氏より齋藤晌氏に(※転任斡旋依頼の件)話せしと。寺本信子生「11月22日結婚して谷姓となりし」と。神田喜一郎博士の還暦記念会1口1,000を1月末までにと。
(けふ田中屋に墓のことはり云ふ)。夕方A室盗難発見、巡査呼ぶ。村上、佐藤、三場、盗まれしはover-coat、背広などの衣類。
(放出三和銀行にて奈良女子大の手当受取る)。永井の女とまりこみゐること判明。

12月12日
曇。小高根君より「石上玄一郎氏に会った。千家元に会ひ石口君のことたのんだ」と。野田又夫氏より「羽田君に話きいた」と。
依子、写真機を高井君より譲ってもらひ来る。17:00出て夜学。
清水、瀧本、田中3君の外、沢田(逓信病院看護婦)生来り、1月医師と結婚と。すぐき1折賜ふ。萩原姓となり京都に住むと。
2年生に研究年報11冊わたし、3生と出て天王寺。木村家にてport-wineのみ、清水生より1瓶もらひて帰宅。片山哲『白楽天』買ふ。

12月13日
松本一彦君に電話し、園長に会ふまでにPTA会長にきいて見てくれと。
9:30出て登校。広瀬夫人に来週休講を通知し、「Santa Lucia」教へ(「大塩平八郎」了る)、鍛治君をして忘年会のこと石浜恒夫君に報さす。(庄野英二君、当日はだめと)。
高野線にゆき小野和子訪ぬれば訪問のこと知らざりしと。Port-wineのまされて出(沢田生のすぐき贈る)、高島屋にゆきwhite-shirtとり、鶴橋をへて帰宅。
平井恵美の父、康吉氏より婿とりしと鰹節賜ふ。昌三叔父より石田氏の女(富田林高校)の入学たのむと。
コルボウ詩話会より16日(日)会合と。石浜先生古稀記念会より1月末までに1口500円と。
夜、福地君来り、坪井に会ひしに(※採用通知のあった)高松へ行けと云ひしと。帰れば父君、東淀川高校に口ありさうと見付けたまひしと。小高根君、成蹊に話して見んと云ひしと。
松本君より電話、有望につき運動されたしと。

12月14日
登校。楳垣教授も久しぶりに来て、吐きしため自動車にて帰宅す。
漢文の答案返せしに寂として声なし。すみて15:00まで待ち、天王寺より地下鉄にて淀屋橋。凸版にて本ひやかし、coffeeのみて日生にゆく。
谷口、宮口、藤原の3生の外20人ほど少女をり、別館4階にて女性論し、すみて支那料理屋にゆき支那そば食べさしてもらひ、宮口と市電にて片町をへて帰宅。
石口君より原稿。けふ学校へ毛利菊枝氏より礼状。天理図書館より『Biblia』の件。夜、服部三樹子氏より速達にて原稿、同人費と手紙。

12月15日
安部嫗帰らず。奈良へゆき野崎家母上にちょっと挨拶して登校。
天野忠君、腎臓炎とて欠勤。横田俊一氏に会ひ、小高根君へと『詩的体験』預かる。小清水教授『はまゆふ考』賜ふ。
(けふ電車で篠田博士に会ひ『悲歌』を嬢ちゃんへと托す)。林女史に昼食代として200托し、出て前川家へゆく途中、古本屋で横田氏、吉村正一郎氏に会ふ。春夫『新秋の記(20)』買ひ、前川家へゆき、風邪なほりし夫人より『悲歌』に「老」の字多しときき、出て近鉄。
鶴橋で支那そば食ひ、梅田へゆき高尾書店へ払ひにゆきしも主人不在。『近松浄瑠璃集 下(100)』と古田生に『Pomerai(120)(※不詳)』買ひて、浪速書林で『口承文芸史考(40)』、大安書房にゆき『諸蕃史考注』『鄭成功』『西域南海史地考証訳叢五編』『南京民間薬草』『敦煌的故事』にて635。
寒風の中を京橋まで市電。森亮((※『悲歌』の)所感無断で(※『果樹園』に)のせしと叱らる)、岩崎、高橋、芳野の諸君より原稿。
夜、石口君より原稿「淡交社にもはや働きゐる」と。

12月16日(日)
西垣君より詩と『悲歌』評と2冊分(300)。11:00ごろまでに「牡丹と紫陽花」130行かく。
依子、きのふより風邪で臥床。13:00来りし福地君、14:00来りし小高根、池沢2君、14:30来りし山根君の接待に悠紀子1人にて当る。
山根君の詩入れて、『悲歌』評、保田のはのらず杉山君のみを採る。
30日15:00小高根邸で忘年会と。福地君、元市印刷へゆきしあと、齋藤晌先生に(※転任斡旋の)願ひ状。昌三叔父には石田氏令嬢大丈夫な らんと書く。

12月17日
西垣脩氏に『悲歌』5冊送る(70)。11:00家を出しに元市印刷へ着けば正12時。(石塚にて柳田『方言と昔(100)』買ふ)。年賀状 で忙しくしをりしも110枚たのむ。一昨日、伝田生来り借金みな済ませしと。
雲呑たべて登校すれば院長呼び、水曜教授会後、図書館運営委員会をすべしと。2年の採点やり、本位田氏と別れ告げて出、鶴橋にて喫茶して帰る。
川久保より母上の喪中と。今西春秋氏より『満洲語のはなし』賜ひしと。竹田正男氏(19文1)より大町市に転居と。
夜、白鳥清先生に(※就職斡旋の)依頼状かく。浅野晃氏、杉山平一氏へ編輯状。落合かずへ氏より蛤。

12月18日
8:40登校。専攻科を切りしゆゑ楽なりし。山口生、十合きまりしと。南生、何かもち来りしも受取らず。
けふ前期一部の採点報告す。西宮君来る。渡辺三七子生に渡辺恵氏へ紹介状かき会ひにゆかせ、佐沢園長に会ひにゆく。幼稚園の近くへ転居されしと。「いま保母4人居りて不要」と。
住高へゆき硲君に会ひ、アテネ文庫『遼の社会と文化』と『鴎外の子供たち』買ひ、よみつつ日生にゆき、松本に報告すれば任すと。
梅田へ歩くみち「リーチ」で『びいだあ・まいやあ(50)』『武将の家訓(70)』『中国農村の家族と信仰(100)』買ひ、帰宅すれば今西 春秋氏より『満洲語のはなし』贈らる。
鍛治嬢よりport-wine3本。山下実美氏より砂糖8斤。田中順二郎氏より砂糖5斤。

12月19日
9:00康平叔父より電話、来よと云ふに出て会社。Bonusもらふ。浦本浜子は10,000のつもりなりしも8,000とせしと城平叔父よ りことわり。安部嫗来しに1,000もたし、悠紀子に駅に来よと電話し、郵便局にゆき白鳥先生に研究年報と抜刷と送り(32)、浦本女に会ひて手渡す。
悠紀子来しに7,000わたして梅田。高尾書店に1,200の借金かへし、ケストナー『人生処方詩集(120)』、土田にて『考古学入門 (80)』と『日常生活に於ける精神病理(120)』と買ひて出、割亨学校に井上源一郎君訪ひ、同人参加ことはり茶おごる。会員となると 150預る。
梅田地下にて昼食。(兒玉花外『社会主義詩集(100)』を浪速書林)。
地下鉄にて天王寺、北畠の幼稚園にゆきしに佐沢園長忙しくて話せず。
登校。斎田君より野田宇太郎氏来阪との連絡ありしと。図書館の書棚につき訊ねられしゆゑ注文つけ、研究室にゆき山中嬢と話す中、伊東花子氏来 り、結核の疑と。『果樹園』の費用と金出さんとせしを止め、ついで来し尾崎菊子の母より菓子もらひ、15:40より教授会。
すみて図書館運営委員会。予算のための資料としての要求も不要となり、中島老の説教ききしのみ。
出て十合。野田氏(※野田宇太郎)来るまに昌三叔父に会ひ『果樹園』にと100預り、安川庶務部長に会ひ文学青年なるを知る。
19:00来し野田氏と4人にてわれはbeerのみ、斎田、野田2氏はjuice、飯食はぬ中20:00となり、天満橋までtaxiにて送ら る。明日淡路へゆくといふ野田氏に正平博士のこと云ひ、別れて帰れば22:00。
13日に出せし浅野氏の詩来をり、岩崎昭弥より『悲歌』代として1,000。『鬼』に武田豊の批評のりをり。
(けふきけば野田氏、成城大学の講師と。栗山氏(※栗山理一)文学部長代理と。話してみよとなり)。

12月20日
寒し。朝、元市印刷に電話せんとせしに故障にて中々かからず。(※『果樹園』に)杉山君の文やめ、浅野氏の詩を入れると也。
上村氏より600。田中順二郎・雅子より送り状、この間浅野建夫を訪ねしと。兼頭生の父より送り状。
午后、岩崎より訂正の詩。やむなく元市印刷へゆけば活字拾ひもしをらず、社長以下、大童なり。
寺田町で炒飯食べて帰宅。けふ悠紀子風邪にて終日臥床。

12月21日
終日臥床。天野忠より病状。依田君の詩集評判よく何とか賞確実と。
父より電話、河野父君火傷して入院と。けふ京「三越」へ学芸会をひとりで見にゆき昼食して来る。梶原、嫁とりに国へ帰ると告げ来る。

12月22日
悠紀子臥床。父に電話すれば河野父君退院せしと。賄2人も風邪。寮に6人ねてゐるとのことに、影山dr.に電話して来診を乞ふ。
杉山平一氏よりハガキの転載承知。伝田生より『足音』の残金15日に払った。依田義賢氏より忙しと(成吉思汗をradioのために書くと)。 港野喜代子氏より『悲歌』礼状。
田中十八氏より[の]送り状見、来訪の声にあはてて蒲団片付ければ、藤井寺の石田氏姉妹。服飾を富田林の妹氏の令嬢受くるとのこと也。「万里春(※日本酒)」2本賜ふ。
14:00出て昼食にrice-curry食ひ、安全剃刀の刃6本(150)買ふ。(田中米店より鰐のbandとblouse賜ふ)。

12月23日(日)
羽田邸へ電話すれば、入れちがひに速達せしと。ゆきてきけば24日お墓出来ると。東京にわが就職なからんと。野田又夫、博士論文を提出せしと。
寒ければより道せずに帰宅す。
神田信夫君より抜刷の受取。田中十八氏より砂糖。北野徳治氏より子供用Handbag。畠山六右衛門氏より千枚漬賜はる、ふしぎ。
(けふ『日本随筆大成1,7,9,10,11(150)』吹田で買ふ)。小野文彦氏より蜜柑1箱を夜、賜はる。

12月24日
羽田君の速達、朝入りをり。10:00会社へゆき浦本浜子10円昇給の伺状出し、城平叔父に賄2人の医療費の承認を得る。ムルチン(※風邪薬)打つがよしと。
学校へ電話し、筒井嬢に1,500を鍛治君(※の給料袋)に入れることたのみ、出て学校へ着きしは丁度11:30。
忘年会13:00になりしとのことに、支那そば食ひなどして時間つぶし、14:00になりて学院図書室にゆく。15:00すませ、元市印刷に 電話してbonus預け、年賀状の校正見てのち戎橋。
丸万に17:00着き、17:30には長沖、石浜恒夫、西宮、鍛治君(※初枝・富子姉妹)とそろひ、山中タヅ子に電話すれば明日と思ひちがひせしと。
20:30出てbar2軒歩き、2嬢と喫茶してtaxiにて鶴橋。賑やかなりしX’mas。taxi運転手の話きけば今夜17,000稼ぐつ もりと。
山本達郎氏より、楊雲萍君[より]預りし抜刷送ったと。浅野晃氏よりおくれたならよしと。大東夫人きのふX'mas cakeとtobaccoともち来たまひしと。東順子・孝子母上も来て、三和のgift-checkと飲物詰合せと賜ひしと。湖東博士よりみかん1箱。渡辺三七子より来るとて電話で問合せ来しと。

12月25日
原田章氏(比富父)より砂糖。青木弥与子より手袋贈らる。楊雲萍君の抜刷2冊来る。
15:00田中米店の女より電話。徳庵駅に来よと云ひ、京橋まで同車す。食物栄養を受験すと。生物の問題どんなか知りたしと。排球の選手と。
近鉄departで墨買ひ(100)元市印刷。年賀状出来をり(150)、17:00、3校にて責了となる。
福地君と中村組版氏と寺田町に出て夕食(330)。西岡虎之助『日本女性史考(290)』買ひて帰宅。
きのふ預けし54,000悠紀子にわたす。伊東花子氏、大東先生の診断受け、今後一月一回づつ来ると福地君の話。

12月26日
福地君来り、同人費わたし、昌三叔父(100)、井上源一郎(150)の会費わたし、すっから寒となる。みかん賜ひ、奨学金の保証人となる。
年賀状65枚書く
(田中順二郎、柏井(※妻実家)、西島建(※弟)、矢野兼三、保田槌三郎(與重郎父君)、八木嬢、山本治雄、和田先生(※和田清)、梅本(※梅本吉之助)、竹内正夫、筒井護郎、田村春雄、昌三(※叔父)、康平(※叔父)、城平(※叔父)、田中三郎、千川義雄、杉浦源次、鈴木俊、関口八太郎、白井三郎、篠田統、塩見薫、白鳥先生、池田四郎作、池田直也、佐々木邦彦、小川和、大東夫妻、岡田剛、大江(※叔母)、西角先生、野上弘、西川英夫、西垣脩、丹羽千年、元市印刷、前川佐美雄、中野清見、中河与一先生、江馬春夫、青木陽生、浅野晃、荒木利夫、羽田明、硲晃、服部英次郎、林富士馬、畠山六右栄門、本田先生(※本田喜代治)、石浜先生(※石浜純太郎)、岩井先生(※岩井大慧)、井上多喜三郎、壽岳文章、川久保悌郎、神田先生(※神田喜一郎)、桑田博士(※桑田六郎)、河村dr.(※河村純一)、工藤先生、小山正孝、湖東栄次郎、北野徳治、小清水教授、小高根二郎、河野岑夫)。
靴下と菓子もち来し渡辺三七子と話しゐれば、羽田より電話。髭剃りうどん食ひて渡辺生と玉造で別れ、上本町2丁目をへて大福寺へゆけば、羽田まだ来ず。
15:00来しに、花供えへ写真とり「石富」への払ひに立会ひてのち、taxiにて戎橋。出雲屋にゆき、うなぎ食はせ酒のみ、齋藤晌氏の2.5〜2.6万にてとの便、相談すれば「さあね」と。梅田へゆき「calm」にて茶のまされて別る。
けふ悠紀子、今川へ歳暮もちゆきしと。マミ子海苔くれしと。
岩崎昭弥より同人費1,000、会費200の外、『悲歌』2冊代として300送り来り「これにて終り」と。くそ喰らへ也。

12月27日
林満寿氏より肉。浅野晃氏より「正月、齋藤晌氏に会ふ」と。平凡社より「朱一貴」の原稿7日までよしと。
午后、西宮君来り、わが転任の意思告げしもとめず。Port-wine2本呉る。史に転任云へば6,000送ってくれと。

12月28日
松本善海君より抜刷。村上新太郎氏より歳暮賜ひしと。
13:00すぎ福地君来り、『果樹園』12号の発送。
母来り、父17:00すぎ来るとのことに待たす。硲君来り歳暮賜ふ。
福地君の自転車にのせてもらひ、大東先生に酒1本もちゆけば、御夫妻ともに留守。またのせてもらひ帰宅。
父母に転任云へば母、不賛成。
大塚覚君、夜来て歳暮賜ふ。
西洞院夫人より200、『悲歌』代に150とり『果樹園』2冊送る。
会社よりsalary、浦本浜子に155になりしこと申渡せしも無表情。(岩崎江嫗よりcastilla貰ふ)。夜、兼頭生より砂糖。

12月29日19561228.jpg
福地君また来り、巫女にききしに、わが東上全然よきことなしと。折しも栗山理一氏より便りあり、「いまのところ専任のあきなし」と。
福地君に謝して帰らしめしあとひるね。午后また〒来り、松本一秀夫人より郭子嬢の履歴書2枚。
夕方、岩田生、漬物もち来り、増田久美子生の就職斡旋たのむと。福助足袋にでもたのめと云ふ。『楊貴妃とクレオパトラ』探して父君にわた せしと。

12月30日(日)
羽田君より速達。すでに撮影し1p、13円と。鍛治嬢よりChristmas Eveの礼状。富士ハウス自治会より蜜柑1箱。村上新太郎氏より砂糖。依子をつれ悠紀子の買物に出しあと、餅食ひて出、万字屋にて『Elements of English law(150)』『East Indies(200)』買ひ、『文芸春秋漫画読本14』買ひて、小高根邸に15:30着けば池沢、山根、福地の3君すでに来あり。同家にも風邪ひと通りすみしと。夕食たまふ。みな東京転任に反対。(けふ履歴書かき了へ業績かかず)。
19:30帰宅。赤星、帰郷せしと。丹前、pomade、航空郵便を悠紀子買ひ来る。

12月31日
台湾の頼永承氏に13×390=5,070送れとの速達かき、著書論文目録かき了へ、齋藤晌氏に速達。
原田早苗より魚の味噌漬。井上恵子より菓子賜ふ。山口玲子より十合に採用決定と。加藤順子(英1)より「basket部の練習終りし」と。小林千余子より「論文かき了へし」と。井上恵子より送り状。
寮生、餅搗く。午后百済璋子君より砂糖。坂根千鶴子女史より忌中と。夕食にそば食はさる、珍し。関口八太郎君に転任の挨拶。


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