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田中克己日記 1953


【昭和28年】

 昭和28年は伊東静雄と堀辰雄が相次いで逝去する年です。 『四季』や『コギト』に親しんできた者にとっては、ある意味、抒情詩の命運が絶たれた年のやうに感じられる年でもあります。

 伊東静雄が国立病院長野分院で息を引き取ったのが3月12日。その訃報は田中克己には翌日、大阪市内を所用で終日かけ回ってゐる間、 自宅へともたらされたやうです。帰宅したその足で伊東家に駆けつけたのですが、すでに夜。柩は火葬場へ運ばれたあとであり、帰ってきた家族と落ち合ったことが記されてゐます。

 後日の追悼会(4月26日)には速達で呼び出され、集まったのが田中克己のほか、伊東静雄の弟子である庄野潤三と某女史の3名だけだったといふことですが、 四十九日の法要らしく、地元佐賀での葬儀に行けなかった詩人に対する遺族の配慮が感じられます(伊東家が黄檗宗であるとは知りませんでした)。

 さてその場で庄野潤三から、林富士馬は伊東先生の前であなたの悪口など云ったことはない、また田中克己の弟子だった大垣国司が発狂したのは、 出征中に預けた朔太郎ほかの大切な書簡を紛失させたことをあなたが叱りすぎたからだと“おどかされ”、日記に記してゐる位ですから随分気になってゐる様子です。 大垣国司については、実はすでに二年前(昭和26年3月4日)に精神病院で虐待死してゐたという衝撃の事実を、彼の友人だった芳野清の手紙によって知らされ、 さらに後悔することになりますが(11月24日)、その短い不幸な生涯については、 『果樹園』に連載された芳野氏による回想 を参考資料として抄出掲載させていただきましたので御一読ください。

 それも心にあったのでしょう。5月4日には、自分が目をかけてゐた別の後輩詩人、戦歿した薬師寺衛の母堂を訪ね、 遺稿『受胎告知』を借り受けて写しはじめてゐます。のちに一部がやはり『果樹園』に紹介されましたが、単行本の刊行には至りませんでした。 或ひは掲載された分のみが「小火出して薬師寺君の原稿も行方不明」の結果、遺された断簡だったのかもしれません。

 大垣国司といひ、薬師寺衛といひ、そしてこれも先立ち戦死した増田晃といひ、田中克己と親しく交はった、 抒情の質を同じくする戦前の後輩詩人たちがみな夭折し、中学、短大の教へ子からは誰一人として文壇で身を立てることなく、 文学者・史学者からはそれぞれ毛色の違ふ詩人学者・学者詩人とみなされ敬遠される向きがあったのは、 同じく神経質な詩人気質ではあったものの、大坂でも裕福な地区の中学校教師として多くの後進を育て得た伊東静雄の苦労人ぶりとは様相を異にします。 そして先輩にあっては、生きてゐれば最大の庇護者となったに相違ない、晩年古典に傾斜していった堀辰雄のもとからは、5月28日ついに恐れていた訃報が届きます。

   「けふ会社へ堀辰雄夫人より電報。夕刊にものりをり。辰雄氏1:30死去、48才と。alas!」

 すぐさま弔歌を電報で打ちますが、東京増上寺で行はれた告別式には、案内状 の到着したのが前日とて参列してゐません。『四季』に推挙してくれた最大の恩人とはいふものの堀辰雄は著名な文壇人です。実生活では、 病床にあった本人よりも家族を通じて健康を気遣ふといふ関係でしたが、このさきも多恵子夫人に対する配慮がそのまま故人への尊敬と追善を示す様が、 末永く晩年まで続いてゆくこととなります。告別式に出席できなかったことについて納得するところはあったと思はれます。

 さて雑誌『祖国』では、当然ですが伊東静雄の追悼号が組まれました。田中克己も別途に講演に呼ばれ回想を語ってゐます (「伊東静雄を語る会」10月10日市立文化会館)。
 昭和の抒情詩史を語る上で欠かせない『四季』と『コギト』にあった、カリスマ性をもつ最重要人物が相次いで病没し、大きなピリオドが打たれましたが、一方で再興の萌芽も日記には窺はれます。
 9月28日に依田義賢、荒木利夫、山前実治、井上多喜三郎、佐々木邦彦、田中克己6名による会合の席で発議され創刊されることになる、コルボウ詩人会とは別組織による『骨』といふ風変りな名前の同人誌です。

 「気骨・老骨・硬骨」いかなる含意を込めたのでしょうか。漢字で大きく「骨」と印刷された雑誌を小脇に抱へて歩いてゐると、 女子学生から奇異の目でみられたと杉山平一氏が記してゐますが、すでに近江詩人会やコルボウ詩人会があるなかでの新雑誌です。 小高根二郎氏には「無意味」であると見えたやうですが、案外にこの雑誌、その名のやうに各同人の「バックボーン」の発表機関として20年余の長命を保ち続けます。

 そして再興の萌芽がもうひとつ。小高根二郎との間で『スム』といふ誌名(?)が話題に挙がってゐることです(1月14日)。 もちろん「コギト エルゴ スム(われ思ふ故にわれあり)」からの発想でしょう。
 この年、小高根氏は第二詩集となる『郷愁』を出版、記念会も盛大に催し自らの詩業に対して一区切りをつけてゐます。と同時に、盟友だった伊東静雄の逝去をきっかけに、 やがて遺された書簡と日記をもとにして、彼と彼が生きた日本浪曼派の時代を生き証言として書き遺すことを思やうになります。
 のちに「書簡からみた伊東静雄(詩人、その生涯と運命)」として名物連載になりますが、それが載るのが小高根氏が田中克己と相談して始めた雑誌、 『コギト』の後継誌として昭和31年に創刊することになる『果樹園』です。3段組と体裁こそ簡素ながら、これもまた17年間205号を数へる息の長い雑誌となります。 そして印象を喩へるならば「保田與重郎がゐない日本浪曼派」といった趣きがあります。何故に主役である筈の保田與重郎がゐないのか。 その伏線がこの年あたりの消息からはっきりしてくるやうに思ひます。

 年末の12月18日、芳賀檀を迎へる宴席が京都でもたれました。注目するのは祖国社より(もちろん保田與重郎の意向で)、 肥下恒夫の出席を田中克己を介して要請があったことです。すでに農地解放によって大地主ではなくなり、パトロンとしての資格もないながら、 保田與重郎にとってそこにゐなくてはならぬ人として肥下恒夫が意識されてゐたらしいことは、当日付の日記に詩人自ら

   保田[與重郎]、[小高根]二郎、長尾[良]、岩崎[昭弥]すでに[※破れ]芳賀氏来るをまちて宿屋までゆき「日本浪曼派」結成の準備と知る。

 と記してゐることからも分かります。この前後のページは一度破られてゐて、最終ページも欠落してゐる事情とともに詳細不明ですが、 田中克己はこの日、保田與重郎に師事してゐる彦根時代の後輩岩崎昭弥から、かつて『日本浪曼派』に自分が呼ばれなかった理由を「官吏教師は止めとこ」 と保田氏が云ったとする口実を仄聞してゐます。それが方便であることは、同人だった伊東静雄が歴とした教員だったことからも明らかですが、 すでに『祖国』の伊東静雄追悼号の誌上で、おなじく保田氏から

   「日本の新詩始つて以来、最も意味のあつた詩人」として「昭和から次の代に亘る詩人は、蔵原伸二郎、宮沢賢治それに伊東静雄」(82p)

 と自分が入れられなかったことにも失望してゐます。校正時に見たらしいですが、そもそもこの追悼号、 当初は保田與重郎から直々に編集を依頼されたものの、富士正晴を探し出し下駄を預けてしまってゐます。 その結果としての保田氏の記事であったかもしれませんが、長らくライバルと目された田中克己の寄稿のないことが、 やはり私には異様に感じられてなりません。保田與重郎の戦後の雌伏期を支へた雑誌『祖国』の役割が終り(終刊は昭和30年)、 彼らとの蜜月時代が終息し、仲違ひした訳ではないけれども、新たな活動の場が模索され始めてゐることが窺はれるのです。

 12月18日の会には結局、肥下恒夫は参会しなかったやうです。帰農した肥下氏については、生活の窮状を救ふため、 田中克己が坪井明とともにたち動いてゐる様子が日記にみえますが、これは前年の同窓会で、会費が払へず散会間際に現れたといふ「事件」をみかねてのことでありましょう。 竹内好が土産の博多人形を売ってお金にするやう托したりしてゐます(2月7日)。そして年末には皆の斡旋策が功を奏し、堺脳病院への就職が決まります。

 いったいに師友に対する恩誼友愛によって奔走するのは「協同の営為」をこととした『コギト』同人らしい田中克己の性分でもあるらしく、 大高の恩師であった本庄実に関する頌寿記念会の醵金依頼についても、大物OB藤沢桓夫をふくむ実に各方面に広がる同窓生の元を訪ねて骨を折ってゐます(4月10日贈呈式)。 文学者こそ輩出しなかったものの、教育者としては教へ子から慕はれ、ことにも「蜻蛉会」と呼ばれる今宮中学時代の同窓会が度々開かれてゐる理由も、分かる気がいたします。

 しかしやうやく大学教員にはなれたものの、私学ならではの苦労は、たとへば有力者からの入学口利きに困惑する様子などが窺はれます(3月8日)。 教へ子の娘たちの就職斡旋については、実にあれこれと腐心して関係先を回ってをり、旅行などにも当然付添ひ、文学面では最初の女弟子と呼ぶべき西保恵以子を輩出、 氏の処女歌集『二十一歳』刊行に世話を焼き、短大からの出版物として序文を書いて言祝いでゐます。

 かうした教員生活の煩はしさや、やり甲斐について、あらためて語り会ったりしたでしょうか、天理時代にはずいぶん世話になり自宅へ入り浸ってゐた旧友の服部正己が、 愛知大学から大阪市立大学への再転任に成功、豊橋からふたたび畿内へ帰ってくるのもこの年です。ただしこの時期頻繁に立ち寄ってゐる旧友は服部正己ではなく、 法律事務所を大阪の繁華街で開いてゐた山本治雄のやうです。もっとも実際に話し相手としてつるんでゐたのは、 当時社会を騒がせた吹田事件の主任弁護士として多忙だった山本氏ではなく、事務所員の佐瀬君(佐瀬良幸氏)だったやうですが。(山本氏はのちに吹田市長となります。)

 さて最後に、この年の田中克己本人について日記で初めて知ったことを記します。ひとつめは、年初の『サンデー毎日 新春特別号』(32巻1号)に掲載された、 藤沢桓夫の「聖女たち」といふ小説(130-137p)のこと。主人公モデルが詩人本人らしいといふことで、これは私も是非よんでみたいと思ひ、 探したところ運よく入手できたのですが、読んでみたらば筋は全くのフィクションだったので紹介は割愛することにします。ただ人物紹介には笑ってしまひました。いや失礼!

   「(前略)どこの女の学校でも、学生に妙に人気のある教師がいるものだ。この大阪の郊外の女子短期大学では、国文学の桂木敬助がそうだった。
    背はひょろ高いし、顔色は蒼白いし、あまり眉目秀麗型の方でもないのだが、東大出身で、まだ三十歳を出たばかりで、
    詩人としてもちょっと名が売れていて、長髪を無雑作にうしろへ掻き上げているところが、若い娘たちにはいかにも芸術家らしい感じを与えるのでもあろうか。
    これで、彼が独身であったら、もっと騒がれているのかも知れない。(後略)」

 それから、12月3日の日記に「けふ『文芸春秋 冬増刊』に中島健蔵わが悪口を巧みにかく。」と記されてゐる、 「参謀本部日記 ―「文化人」が軍服を着せられた時代―」といふ中島健蔵の回想の文章。
かつて北川冬彦によって書かれた暴露小説「悪夢」のなかで、旧知であるにも拘らず、 たちの悪さうな兵隊とつるむいけ好かないタイプの人物として描かれてゐる中島健蔵が、同じ徴用船での出来事を自分の側から描いて申し開きをしてゐるのですが、田中克己については、

   「田中は、無邪気らしく軍刀をかまえて、「応徴詩人」とみずから名のって、どうやらこの新しい環境になじんでいくらしくも見えた。」
   「微用の第一陣の中には、深刻な内部的暗闘があって、寺崎はペナンに、海音寺はコーランポにとどまって、シンガポールの本隊を避けていた。中村地平や田中克己は、その妙な暗闘のつづきにまきこまれているらしかった。」

と記されてをり、あらためて両者を合せて読み比べてみると興味深いです。

 そして最後に、父が『カバヤ児童文庫』を執筆してゐた筈だといふ長女依子さんの記憶です。もちろん著書に数へられてゐませんし、 私も本人から聞いたことがありません。そもそもこの「おまけ本」のシリーズ、9巻以降の号が順番に発行されてをらず、書誌の全容も今だにはっきりしてゐないのですが、

 岡長平氏編著の研究書『カバヤ児童文庫の世界(岡山文庫2014)』によると、

    カバヤ児童文庫第10巻第1号 『鉄のハンス』グリム兄弟著 刊行年月日不明(昭和28年11月20日刊行?)
    カバヤ児童文庫第11巻第1号 『のんきぼうずの旅』グリム兄弟著 刊行年月日不明(昭和28年11月20日刊行?)

 といふ2冊があり、現物は確認されてゐないのですが、

    2月 5日 藤枝よりグリムたのむと。
    3月12日 藤枝よりグリム童話の原稿送られ、
    3月16日 藤枝より原稿返せと。
    9月30日 藤枝よりカバヤキャラメルの10,000送ると
    10月1日 藤枝より金来しと。

 といふ日記の記述を拾ってゆくと、どうやらこれらが怪しさうです。現物をお持ちの方がいらっしゃいましたら、御一報いただけますと幸甚です。
 ちなみにこの仕事を斡旋してくれた藤枝晃氏自身は、

    カバヤ児童文庫第10巻第13号 『アマゾンの秘宝』バランタイン著 昭和28年11月20日刊行

 を担当してをられます。



昭和28年1月1日〜昭和28年12月31日
25.0cm×17.8cm 横掛ノートに横書き

ノート   田中家系図

1月1日
8:00起床、寮生挨拶に来る。9:30年賀状143通受取り、会社へ年賀にゆく。池川医院ドクターも来る。康平叔父のみ不参。11:00早くぬけて帰宅。賀状に神田博士、吉永登、岩井大慧、河村純一、青木富太郎等のあり。堀口太平、東京にてプリント屋やりをる。吾より出せし賀状和田先生、神田先生、石浜先生、大江叔父叔母と4枚のみ。

1月2日
けふ40枚賀状。『祖国』新年号来る。午后出て小阪。堀内にゆき『古事記伝4冊(120)』と『イタリー語第一歩(100)』買ひ中西にゆけば他出、松本にゆき(土産に『音楽の聴き方(160)』)17:30までしゃべりて帰り来る。けふ海上警備隊の林佑治、せんべいもちて来る。
コルボウの新年宴会けふと天野忠より。(松本へ植野氏よりの通知にては青山正文昭和19年ニューギニアにて戦死の公報と)。

1月3日
快晴3日。賀状20枚。午後青夫妻、原課長への年賀にふられて寄りしのみ。島稔より中野清見の手紙同封。竹内好へハガキ。西下の日時しらせと。

1月4日(日)
晴寒し。賀状20枚。中に岩崎昭弥の『サンデー毎日(※昭和28年新春特別号)』に「聖女たち」といふ小説あり。[※藤沢]桓夫の作にて主人公は我と。史に買ひにやらすればいかにもさうらし。タバコにマッチ入れありしをほめしと書きあり。
午後、史、友達へとゆく。守屋君夫妻門口まで来る。羽田先生の御返事来らず。
今暁、秩父宮薨去、50才と。

1月5日
曇、賀状13枚。川久保、本宮等旧友のものあり。文芸2年藤野・疋田の賀状あり。あと7人のみよこさず。
14:00八木君、柿とみかんとタオルともちて年賀。中西君の診断にてはまだ気胸つづくと。雨の中をともに出、我は山本へゆけば客一人。かしわのすき焼食べ飽きず、子守に100祝儀として包む。
吹田の古本屋にて『イソップ(25)』、ジャコブ『骰子筒(30)』。羽田先生にお電話すれば断ると。

1月6日
10:00出て梅田。万時屋にて『狐の詩情(20)』『海国女性史(20)』。藤井寺にゆき大江叔母と相談しゐるところへ今川の勝子叔母来り、話かけんとすればとめらる。
日野月先生にゆきしにお留守。子らへと大江叔母より1000。西窪うめの君の後夫誰やらと結婚し、それを報せ来りし隣組ありしと。アベノ橋にて『東洋の政治経済(20)』。
帰りてコルボウより活字となる故、投稿をと。『不二』。賀状横山の父より。夜、大塚あめ呉る。

1月7日
10:30会社へゆけば叔父出しあと。電気代払ひ庶務課長より入学の相談うけ、大手前へゆけば坪井あり。肥下この間の留守に来しと。(天満橋の古本屋でラッツェル『アジア民族誌(200)』『遺物遺跡の研究(50)』『朝鮮民謡選(40)』買ひ、まむし食ひ(150)し)。
食堂でコーヒーのまされ、石山直一と話し、将棋さして勝ち、山本に電話せしあと事務所へゆけば帰らず。またコーヒー(120)、別れて富士銀行堂島支店に高橋玉ィ訪ねしも不在。
みぞれ降り来しゆゑ高尾書店に入り『駿台雑話(30)』、ホークポット『支那通史(20)』『離縁状と縁切寺(120)』買ひして帰宅。
けふ池内一君より礼状。和田、石浜両先生より賀状。松本一彦に山下より電話し、10日(土)坪井の教へ子(大学南校生)つれゆくと決む。高橋重臣へ9日(金)ゆくとハガキ。

1月8日
9:00会社へゆき叔父に羽田先生のこと伝ふ。午后『文芸春秋』3月号の詩17日までにと速達、諾と返事す。

1月9日
7:30家を出、小阪にて8:00すぎ準急なく、のりかへのりかへしてゆけば天理図書館10:30(※リンク写真あり)。館長に会ひ見学云へば歓迎すと。大浜、高橋に『コルボウ』のこと云ふ。(『四季 朔太郎追悼号』吉井君に貸しありと)。
八木嬢よりカードもらひて出、新城氏に経過いへば宜しくたのむと。ともに鰻丼食ひ(200)、鈴木氏にゆき小阪17:00すぎ。堀内にて『平家物語 上(20)』『万載狂歌集(20)』『南の文化北の文化(30)』。帰宅18:00。
山前実治より10日来れずと。白鳥清先生より喪中欠礼と。佐々木・後藤田二生より賀状!(西大寺にて彦根の工科の近藤君に会ひし)。

1月10日
6:00起きし、7:30家を出て定期6か月分買ひ(1890)してゆけば始業式と。ばからし。小野勇氏、本荘先生の勧誘状見しと。島本貞三郎氏来り、関口に紹介状書かす。やきもきやでコーヒーのみ(50に値下)、(庄野英二にきけば富永パワーで神経衰弱となりゐしに金借りしと)、住高へゆけば休み。山本重武に見舞にゆけば不在(御慶リンゴ28×5)。
田辺より天王寺へ出(姫松で『沙石集2冊(60)』)、山本事務所へゆき佐瀬と話せど山本風邪で来ず。ニュース映画見にゆけばなし。喫茶してスバルで重治『ハイネ人生読本(100)』『現代ナショナリズム辞典(40)』買ひして時間つぶし、大手前にゆけば阪大女生2月半ばまでだめと。西岡先生にたのむこととし、松本に電話し紹介状かきてバスにて帰宅。けふ学校にて木崎博士の賀状見、返事かく。三角とあだ名のラグビーの名スリークォーターなり。藤野一雄よりハガキ。

1月11日(日)
松本善海より毎日の『東洋史』再版送ると。午后出て松本へゆき西岡先生紹介の辞をし、雨になりて夕食よばれて帰る。堀内休店。徳庵で下りて傘買ふ(95)。

1月12日
登校。2時間目と3時間目の間に学長訓話。漢文流れ5時間目国文学史やり、すみてsolveig's Lied(ペール・ギュント)教へしところへ硲君来訪。ともに出て古本屋で『天皇制の成立(10)』『太閤記2冊(80)』『沢庵禅師書簡集(10)』『吉田松陰書簡集(10)』買ひ、別れて斎場前でまむし。帰りてストーヴにあたり夜学終へ、21:00まへ帰宅。けふ彦根短大の卒業生川辺より電話。西保嬢より前金承知とハガキ。

1月13日
風強し。焚火する道路工事の女たち咎めて登校。『文芸春秋』2月号買ふ。伊東静雄の詩あり。 長沖氏に相談し27日(火)天理行ときめる。堀内進来りコーヒーのみて『百科辞典』受取り、出てアベノ橋で別る。15:30帰宅、入浴。
けふ日野月先生より手紙。また来よと。羽田[薫]君より4月末家建つに付、辞退すと。保田より同窓会名簿2冊送れと。けふ大谷短大の吉井君に電話すれば『[四季]朔太郎追悼号』預りゐると。

1月14日
登校、島本貞三郎氏より電話。関口に会ひしゆゑ一度お礼したく連絡たのむと。1時間すまし、教員志望呼びて三野氏に紹介し、教授会。天理図書館見学許され高校2年生の講師の件再考慮してもらふ。近鉄百貨店にて『日本人の遺言状(20)』『蕪村俳句集(50)』『日本民謡論(150)』。高梨富士子より本よみたしと。長尾禎子より風邪と。北村ウメノ氏より高田へ帰ると。小高根二郎より『スム』結構と。
けふ卒業アルバム用の写真貰ひしに若くとれゐし。

1月15日
成人の日と。後藤田生より水川氏の秘書をなしをり、欠席ために多しと。文学志望にて『聖女たち』よみ先生は愛妻家と。
八木嬢よりきのふ気胸に来て1週毎に来よといはれしと。饗庭君より18日(日)13:00来てくれと。15:00出てバスにて小[阪]。孔舎衛坂下車。八田君にゆきしに不在。夫人は帝塚山卒業。毎日終電車と。池内先生の本おきバスにのり瓢箪山で下車。西宮君にビスコ(100)もちゆけば新宅。1時間して出、小[阪]。堀内にて『言道歌集(20)』買ひ、帰りて夕食すませれば宮本正都君酒気を帯びて来り、20:00まで話しゆく。
けふ保田と後藤田生へハガキ。夜『文芸春秋』3月号のために「自殺未遂」を書く。宮本君が語りし青根生を機縁とす。ふしぎなることかな。

1月16日
晴。速達出しかたがた出て上六。近鉄自動車部の江馬春夫に会ふ。バス1日10600とチップ500となり。出て学校へゆき森本氏と話し後藤田生呼び、野崎、平山、松井生呼びし、11:30出る。 寺本生尋常科にきまりしと挨拶。市立病院へゆき田村春雄に会ふ。接収されゐし家返還と。ともに支那料理食ひコーヒーのみて別れ、山崎弁護士にゆけば不在。島本にゆき関口に電話すれば長官来りゐるとてだめ。心斎橋筋を南下、駸々堂で[楽]語買ひして帰宅。、本日〒なし。珍し。

1月17日
晴、登校。硲君来り、松川殿六氏の息のこといふ。近鉄に馬より電話あり。アベノ橋へバスをといひしあと、学校へ集ることにしたしと。出て山本にゆき14:00帰り来しに会へば不景気らし。
八木あき子嬢に冬服のこといひ『今昔物語 2』買ひて帰宅。『東洋史研究12の2』来り、松本一彦より西岡先生14日来られしと。田村春雄よりリョーマチにコーチゾン錠1日3-4錠のめばよしと。

1月18日(日)
晴。浪華芸文会の新年宴会25日に十三でと。11:00出て京橋で散髪。13:00饗庭君にゆき「ニャーオ」の相談す。前金不要となりしと。寒気して15:00まへ退出。西保嬢また香水呉る。

1月19日
風邪なれど登校、バス学校へよこし呉るるやう近鉄自動車部へ電話す。ひる高等の生徒『漢文入門』3冊もち呉る。歌教へてゐのこり、天ぷらうどん食って(70)夜学。20:41にて帰宅。松本善海より『世界の歴史3東洋』改訂版。

1月20日
登校。2cも『漢文入門』2冊呉る。修学旅行の案内に詩を付す。彦根短大英文の浜田来り、ともに喫茶。清徳『形而上学(30)』買ひ、鞄直す。天王寺駅で別れて帰宅。西保嬢より礼状。宮本夫人より悠紀子へ同。梅本(※梅本吉之助)より大阪相互銀行に生島勤めゐると。高橋玉ィ君より本庄先生の報告。17,100集りしと(17日迄)。けふサラリーもらふ。税少し安くなれり。

1月21日
文芸春秋新社より原稿受取り。それを見てゆけば12:30。八木君より電話かかりしと。松本一彦に電話すれば坪井に礼いかにと。不要と答へ関口に電話申込み、高橋玉ィ君に電話しする中、大毎の天野より電話、女性の読書についてききに来ると。壽岳博士と話せば「大興安嶺」にて『北方ツングース』の訳者の名見ゆるは君かと。
やがて来し天野と齋藤、山中、井上、藤野と座談会しゐる中、関口より電話かかり明日にても明後日にても18:00大阪駅西口にてと。島本に電話かくるを忘れて天野とコーヒーのみて帰宅。 けふ由良賄人辞職を申し出づ、夜、呼びて話す。

1月22日
9:30会社へゆく前、安倍と話せば上出も辞意ありと。会社へゆき城平叔父に会ひ、竹村課長と話し、バスにて大手前へゆき坪井と18:00梅田へ来よといひ、梅田新道下車、山本事務所にゆき佐瀬と話して、まむし(85)食ひ、大阪駅で広津和郎『大和路』よみをへしあと富士銀行へゆき高橋君に会へば21,000となりしと。
2,800印刷代に預り、菅生法律事務所にゆき保田に2冊送らすこととし、500立替へ、高橋君に名簿わたし梅田新道の古本屋へゆかし、土田で『ブレイク抒情詩集(20)』買ひ、また山本へゆけば泉大津へゆきしと。
佐瀬と饗庭君宅へ2,800払ひにゆきしあと、ニュース映画見て18:00まへとなり、あはてて大阪駅西口へゆけば坪井、島本2君既に待つ。18:10来し関口と正弁丹吾亭へゆき22:00まで飲むにつきあひ、島本とはぐれパチンコ。すみて黒百合へ関口と2人でゆきジュースで880払ひ、片町まで送ってもらって帰宅。堀内進より羊羹2棹。
冬空の寒きを見つつゆきかへばおろかなるこひするひとと見む。

1月23日
9:30家を出て上洛。まづ京阪書房により学校のため『日本書紀証』『日本書紀新釋』『六国史』買ひ、鈴木氏に藤田『朝鮮考古学研究(280)』買ひ、わがために『国語国文書誌便覧(80)』と『大興安嶺探険(550)』買ひし、畠山家へゆき夫人に会ひてのち同志社にゆけば児玉実用に会へ、同志社中学校長に会へば男女校とわかり、女子中学校へゆけば帰宅。紹介の名刺もらひて下総町。母、祖母と会ひ2000わたし京大。
東洋史研究会費190払ひ、羽田を待ち池内先生のこと話し、再開をほぼ約し畠山家に帰り、夫妻留守の間に吉野書房に電話し(池内家へ5、60冊送りし。訂正は天理時報社がせざりしと)、依田君へ電話すれば29日迄上京と。やがてまぐろ持ち帰りし畠山氏と会ひ、夫人と自動車にて永島女子中学校長宅へゆきてたのみ「大丈夫でせう」と云はれ、まぐろ置きて帰り粕汁にしてもらひ、電車賃返し、からすみもらひ、タバコもらひ、京阪まで送ってもらひて帰る。
けふ羽田に『京大東洋史5』もらひ、帰れば『俳句2月号』と『Poets' School』来しあり。京橋より守屋君とともになる。平中氏にゆきゐしと。先日慶松来しと。

1月24日
登校、授業すませ島本氏に電話かければ一人づつ世話せんと。12:00まへ出て長沖氏にゆけば25、6日帰阪と。ぜひ修学旅行にと夫人にたのみ、鈴木治氏に長沖氏ゆくかゆかぬや未定と速達し、まむし食べて藤井寺。大江叔母の意見で日野月先生やめ、からすみとり出せば2,000位と。叔母にやり藤井寺駅長に学芸大へ次男入れることの不可をいひ17:00出て帰宅。
西保君より難波の歌集代150送付。亀井より来週来ると。(けふ学校へ児玉実用氏宛の手紙忘れしが森氏いれくれしや)。

1月25日(日)
家居。ひるねす。大谷篤蔵君31日女子大にて講演すと。畠山氏、羽田へ便りす。

1月26日
登校、江馬へ電話すれば10,000でよしと。4時間目府立女子大へゆき家へゆき又女子大と追ひまはして佐野君に会ふ。明日ともに天理図書館へゆくと。
梅本に電話し子守あやまり、生島に電話して声きき硲君に会へば、先日本庄さんの封筒入れ手伝ひし弟自殺せしと。住吉中に話せんと。野崎の履歴書もって帰ってもらふ。
斎場前へゆき『気候と文明(60)』『平賀元義歌集(25)』『徳和歌後万載集(20)』買ひ、まむし食ひて(130)帰校すれば坪井、ココアのみて(100)別れ夜学。山前実治より父君死なれしと。日曜大毎に図書館記事ありし。

1月27日
悠紀子発熱、依子飯を炊く。7:30家を出、8:30学校へゆけばバス既に在り。佐野氏来り、長沖氏、西宮氏と4人そろひ、学生も塚本以外そろひて出発。10:30[天理図書館]着。
長沖氏、真柱に会ひにゆく。我うろうろし八木嬢より貰ひしパン食ひて鈴木氏の室で地誌目録見る中14:00。出発して薬師寺へ行かんとせしに奈良着。歌うたひつつ帰着16:00。
谷川より電話かかりをり、きけば竹内[好]2月2、3日に来阪と。帰れば竹内よりもハガキ。山本治雄より本庄先生の醵金不成績につき直接集めんかと。19:00すぎ彦根の教へ子谷田(中央市場運送)と川部(三栄紙業)と来訪。22:00近くまで話してゆく。浜田[氏]約束しはぐれしと。

1月28日
10:00家を出、会社にゆけば電話近くかかると。池川医院にて浜口のこときけばLunge[結核]らしと。山本事務所にゆき佐瀬に会ひ受取書のこと云ひ、学校に電話して教授会欠席云ひして出、金田一『国語の変遷』買ひて帰宅。『白珠』来ありしのみ。亀井と同道、会社へ推薦せんかと云ひしも即答せず。

1月29日
朝の郵便にて保田より、会ひたき故、大阪書籍の津田正男に連絡せよと。名簿2冊代600.中野清見より長男京大経済受くるに付、藤枝と相談してよろしくたのむと。交通費2000同封。徳永昭子嬢より秋田への嫁入りにつき意見きかせよと。
午後出て京都。まづ畠山氏に会ひ自動車にて同志社。児玉君会議中のことに人文科学研究所にゆき森鹿三、平岡2氏と話し、病臥中の藤枝に会ひよろしくたのみ、schulerの序文かけと云はれ、研究所より同志社へ電話すれば帰宅と。
古本屋にて『建礼門院右京太夫集(40)』、Baedeker『Berlin(100)』五味『萬葉集作家の系列(35)』『満洲の伝統と民謡(40)』『禅真後史(200)』と買ひ(そのまへ京阪書房にて佐伯『奈良時代の国語(90)』穂積『婚姻制度講和(90)』)、児玉にゆけば疲れて眠れりと。『青い花(100)』置き夫人にたのみ、下総町にゆけば父あり「けふ家へゆきて1000とりかへりし」と。
それより畠山家へゆきomnibusにて丸山公園「菊の井」にて夕食し、競輪選手買収の一幕劇を見、京阪四條にて別れて帰阪。けふより電話つき稲田348。(父の書架より『物類称呼』もらひ来る)。

1月30日
祖国社高鳥より「玉井警察病院をやめ国に帰りし」と。松本一彦より「礼送りし」と。昼寝せしあと13:00すぎ出て大手前へゆけば坪井、吉永、2氏とも忙し。吉永氏の言では京大第一内申詮衡などなしと。
ルナン『イエス伝(60)』買ひ、桜橋にゆき奥戸に竹内の歓迎会のこと云ひ、大毎にゆき天野[愛]一呼び出し竹内好のこと云ひ、富士銀行に奥戸の1000わたし、山本にゆけば彦根と。
佐瀬と出て古本屋。白蓮『歴代女流歌人の鑑賞(30)』宮本英雄『婚姻の基調(20)』『宮沢賢治詩集(70)』など買ひてコーヒーおごり(100)帰る。

1月31日
登校、授業すみて電話島本にすれば1人だけ話しつきしと。米沢生呼びて来週面会にゆけといふ。川部に電話すれば果して洋傘忘れしと。子供寮に預けおき、守本、西宮2氏と来年の時間割。
女子大に守武の話ききにゆけば島居清あり。大谷篤蔵君話す。講師に来るやとききしも即答せず。『黒馬物語』買ひて帰れば広田君15:00より待つと。21:00の汽車で帰るといひしも泊る。

2月1日(日)
寒し。11:00広田君帰りゆく。児玉実用氏よりハガキ。失礼をわび、礼云ふ。今一度校長宅へゆくもよからんと。

2月2日
登校。谷川より電話かかり、ここ2、3日欠勤ゆゑ、竹内来たらたのむと。午後すましてうたの最後、すみて安村、疋田、三木、寺本とアベノ橋へ出て喫茶。『墨汁一滴(25)』『鶴屋南北集(50)』『トオマス・マン自伝(20)』買ひてまむし。
帰校して夜学。3年3名、はやめにすましてまたアベノ橋へ出てぜんざい。池田、河口、備前の3生なり。帰れば藤枝よりハガキ。今年度の経済学部の詮衡方針未定と。

2月3日
会社、竹村君に上出の辞職を電話でいひ登校、島本氏に電話せしに不在。奥戸より電話かかりし故「消息なし」と答ふ。坪井に電話せしもだめ。山城嬢とコーヒー店にゐる中、迎へに来しゆゑ坪井の電話にかかれば大手前の子1人たのむと。4生と出てアベノ橋。
地下鉄にて井上斌子と戎橋。「黒百合」へゆきしも「消息なし」と。紅茶よばれて帰れば竹内より速達。5日11:17準急にて大阪着と。山川京子より礼状、白鳥先生より東京へ呼びたしと。西保君より「5日校正出る」と。坪井より医師の女にてP.T.A.副会長の女と。

2月4日
9:00前登校、奥戸に電話かけ出迎へたのみ、推薦面接まへ院長、厳選を云ひしゆゑ、ゆるくすべしと云ふ。大浜来り、竹内に天理で8日(日)に講演すべしと。八田英次来り、夫人昭和13年卒業の臼井文枝と。米沢生「就職とりやめ」と。
午后教科教育の終講をし、平山呼びて島本にたのみにゆけと云ひ、出て梅田、天満。広田より礼状。浜口より帰郷挨拶。堀場正夫より同人費1000の雑誌作ると。田中来りて退社退寮申出づ。けふ花井嬢来り「四季」返し、ウィスキー呉れしらし。

2月5日
9:00登校、よべより下痢ゆゑ絶食して面接。15:00終り奥戸に電話すれば竹内来しと。21:00までかかり文芸5人補欠、服飾11人おとす。すみて曽根崎新地Dateにゆけば山本、坪井の外は文甲奥戸、江馬、相野、富山、沢井5人と竹内とともにあり。whiskyを贈り明日宿屋へ訪ねると云って天満橋までタクシーにて帰る。
角川より印紙7000枚送りしと。藤枝[※晃]よりグリム(※カバヤ文庫のグリム童話の訳担当)たのむと。鈴木治、難波礼二2氏より礼状。松本一彦より海苔送り来しと。

2月6日
10:30竹内に電話し、山本にて待合せすることとし、ゆけば中々来ず、ライスカレー食ひて待てば来り、やがて山本と3人にてFranceなる喫茶店。17:00より正弁丹吾と約束し、大毎にゆき天野と学芸部長とに会ひて喫茶。朝日にゆき谷川、後藤を呼び出してまた喫茶。
出てナンバにゆき「黒ばら」にゆけばマダム不在。小杉の店で電話かり俣野に電話。17:30正弁丹吾にゆき18:00山本と5人そろひ、俣野より白井の1000預り、やがて黒薔薇出て心ブラ。パチンコする中、3人とはぐれ山本と2人。
夕食、またDateにゆき山本宅に電話し京橋まで自動車にて終発にまにあふ。竹内夫人より速達預りあり。角川より印紙(10日までにと)。羽倉よりハガキ。

2月7日
9:00まへ学校へゆき竹内に電話すれば来ると。家政の歴史すませ3時間目の西宮君の時間もらふこととし、[※竹内好に]現代中国文学について話させ、学生より昼食出させ13:00出てアベノ橋より市立大学。橋川先生に会はせ上六までTaxiに便乗し別れる。
肥下の救捐に山本に売れと博多人形托さる。
市大へ特別講義に来ることきまりし。帰りてひるね。妻子、角川文庫の[※『ハイネ恋愛詩集』の]印捺す(けふ角川へ[※扉にハイネの]肖像のみで挿絵勘弁すと速達す)。

2月8日(日)
角川へ印紙送り中野へ手紙かき、松本へ礼かき、岩崎へハガキかく。16:00齋藤生の母、ココア一組をもちて来訪。すし食ひて帰りゆく。

2月9日
登校、守本主事に厚生補導係をおけと云へど受付けず。西宮君を助手につかへと。松井、就職試験に落第せしと悲観す。14:30すみて野崎、椿下、和島、佐々木4生としるこやへゆき、別れて藤井寺。散髪し(100)夕食くはしてもらひ、18:15より授業。
太宰博士強壮剤を賜らんとせし旨おことはりす。深沢美智子、保田の手紙もち来る。大阪書籍につとめ多忙ゆゑよろしく見てやれとのこと也。
帰れば梅原糸子氏より「2月11日は薬師寺衛の忌日」と、写真送られ「何か他にも送る」と也。

2月10日
登校、漢文教へに高校へ。昼休み天野[愛]一君来り、長沖氏と2人に北ヤ吉代議士の漢文教育振興についての批判をきく。すみて西保嬢の校正預り、文芸主任補のこと西宮君にいひ、また漢文。
すませて住吉高校。山本君に会へば第2次は外語大学よりなしと。入試内申4点以下はだめときき、阪南町の南部家にゆく。次男の夫人、杉浦の婿山本氏の妹と。長男、その娘に会ひ大谷の高校にて宜しからんといひ、すし御馳走となりて帰宅。(けふ北畠にてBrandes『19世紀文芸主潮史1(60)』買ふ)。
八木明子氏来り、せびろの裏返しおきゆき1500と云ひしと。1000わたせしと。父来り、計算尺もち来りしと。冬木康『竹の中』贈らる。

2月11日
12:50登校、途中『文芸春秋3月号』買ひしにわが詩のりゐし。島本君に電話すれば要領得ず。履歴書もう一通と。中村治光に電話すれば不在。大毎の記事のらず。
後藤田に電話かけてくれとたのみ、教科教育の時間を吊し上げに使ふ。教科教育を専門家にやらせよ、言語学(石浜先生)を変へよ。藤沢桓夫を名実ともに講師とせよ、時間一杯教へよ、名士講演を行へ等。天理見学のレポートの誤字を訂正さしてから委員3人と話し、疋田生を加へて近鉄へゆき山中、井上、疋田の3人で喫茶。府庁にゆき水川教育委員に会ひ「府教育課係長3人を[相]待せよ、後藤田府会議員を入学させよ」との話ありしのち、
堺の田村春雄につれゆき診断させ、18:00すみてアベノ橋で別れ帰宅。文芸春秋より7000(-1050)。角川より印紙7000枚の受取。『コルボウ』3冊。『文芸日本2月号』。『薔薇』より原稿依頼。田中啓史の父より挨拶。

2月12日
電話かけてもかからざりしゆゑ学校へゆきしに学長午後と。午食する中田、守本2氏と話せしに「学長反対ならん」と。14:00になりしが来ず腹立てて出、野崎、井上2生と近鉄百貨店。高野辰之『日本歌謡史3冊(250)』買ひ、喫茶。野崎君と外語にゆき願書(20)。上六より鶴橋に出て別れて帰る。『文芸春秋』来る。(野崎君、前田社長と親戚と。)

2月13日
会社へゆき城平叔父に会ひしに「理事長の干渉たのむは悪しからん、樫本氏に相談せよ」と。黒田製薬へゆけと。黒田へゆききけば「550万円より少しは安くならん。返答は来週会社へゆきてす」と。出て大阪ビルに中村治光たづぬれば不在。菅生事務所で同窓会名簿2冊買ひ、大同ビルの石原産業に本庄武重君を訪ねしに渡米と。
谷川新之輔よび出しコーヒーおごりライスカレー食ひし、富士銀行にゆきしに40,500となりをり、白井の1000入れ受取もらひ、奥戸に受取もちゆきしも不在。山本にゆけば不在。佐瀬と出てコーヒーおごり(天満橋で『米語辞典(80)』とシラー『素樸と感傷(30)』。梅田で杢太郎『食後の唄(40)』)。
別れて裁判所官舎へゆく途、木村三千子氏に寄り杢太郎与へ、子供にチョコレート(80)。官舎で河村判事に会へば夫人帝塚山8回卒と。 熊野判事に中間報告して天満橋。坪井にゆきしに帰らず。片町で『人間の歴史3』買ひて帰宅。宮本正都、岩崎昭弥よりハガキ。

2月14日
よべ不眠。学院に電話かけさして休む。中野清見より手紙。「長男早大も受ける」と。丸、失恋せしと。中明子より靴下半ダース。午后松井和佐子来る。本庄武重の名を教ふ。

2月15日(日)
10:00出て山本へゆき竹内の博多人形1000で買ってもらふ。12:00すぎ出て駅前の古本屋で『賽金花』『日本の古典』『道祖神』『古代絹街道』と買ひ(170)、饗庭君にゆけば内幕話し家庭教師たのむと。印刷の相手にならざりし。
Cinemaにゆくと云ふにともに出て阪急前で別れ、坪井にゆけば家中不在。帰れば沢田夫人礼にと菓子と毛糸もち来りしと。夜、子供らの写真とりくれし礼に石井良旺呼びて茶のます。大毎より漢文復活賛成のりしを送り来る。

2月16日
登校、文学1年の歴史すませ、樫本氏に会へば「考慮せん、神崎学長(※神崎驥一)はかなはん」と。小野勇氏、金なしと。12:00出て山本へゆき津村正光氏と会ひ、別れて山本に茶おごり(200)、堂ビルへ中田英一に会ひにゆけば不在。伊井りえ子に会ひ茶おごり(80)、呼止めし紳士山尾義春とて25年ぶりか。沢田にゆけば不在。藤田に会ひコーヒーのまされ沢田に会へば金なしと。
俣野にゆけば不在。名簿置き山田にゆき、山崎弁護士に中間報告し、十合の古本展にゆく。何もなし。アベノ橋に出てまむし食ひ『働く女性(20)』買ひ学校へ帰れば樫本氏「金は出るゆゑ君接待せよ」と。断りてすむ。
夜学2時限、池田生1名とてやめて帰る。へんな日なりし。(けふ村山高氏訪ねしも不在。石浜郁子来り5分間話せし)。

2月17日
登校、長沖氏より5000もらひてうれし。島本より平山生500預り来る!松井、渡辺2人とも石原産業通りしと、うれし。放課後、津熊、山城の2生来る(上念省三郎氏より名刺預りし学生ありし)。2生にコーヒーおごり山城つれて松竹座に「罪ある女」見る(320)。ドイツに珍しき心中物なり。喫茶後(120)『紫式部集(70)』買ひて別る。徳永昭子、港野喜代子、相馬大よりハガキ。八木嬢より19日レントゲン検査と。竹内より礼状。(けふ戎橋筋にて今川叔母に会ひし)

2月18日
9:00出て会社。城平叔父に会へば今夜より上京と。すぐ黒田社長に電話せしも不在。樫本氏の好意を無にせず府教育課よべと。出て坪井に会へば竹内、坂井、杉浦の1500と関口の名簿代と預りゐし。われも肥下への竹内の1000とわが1000とわたし、図書室の朝日君と話し500もらひ坪井にうどんおごってもらひ、日赤に湖東訪ぬれば結核にて入院と。
木崎博士に会ひ硲、乾2doctorの分として3000もらひ、電車にて富士銀行へゆきしに高橋君忙しげにて無愛想、10500わたし山本にゆけば不在。21日の大高クラブへ出よといひて堂ビルに中田英一訪ねしも不在。地下鉄にてアベノ。
近鉄デパートにて『節用集(40)』買ひ、疲れて教授会。吉川綾子表彰に反対し17:30終りて帰宅。 飯食ひゐればc室盗難。『祖国』2月号。『不二』同。黒田氏より手紙。角川より少しおくれると。安田章生より『新古今集評釈』教科書にと。岩崎、藤野よりハガキ。やがて来し巡査案内。

2月19日
昨日の盗難につき杉浦、竹村2氏来る。すみて交番にゆき小阪。堀内にゆき『塩鉄論』と『橋と塔』(70)、上六に出て狐うどん食ひ梅田。俣野より名簿代来る。

2月20日
会社より電話。11:00ゆきて康平叔父に叱られ、帰りて昼寝。西保恵以子の校正し、中野清見に32点以上進通とれば第一次パスとの新聞送り、夜、室長会。

2月21日
雪、登校、椿下生にひるのパン買ひにやらせれば多く呉る。12:00出て京町堀4丁目を訪ねまはり、谷本といふ印刷屋にゆき西保の校正わたし、歩いて御堂筋に出る途中、園克己に寄りしも来客中とて会はず。
コーヒーのみ(70)婦人子供服会館にゆけば14:00。俣野に電話すれば東京と。出てパチンコして時間つぶし、15:00帰れば津村正光氏来り、やがて常連いれて20人中に奥戸新三判事、清心井(時報社)、松本広治などあり、秋田実の話きき、黒田氏の紹介にて本庄先生醵金の説明し、旨く出来ず。
秋田氏より5000とりしのみにて山本、奥戸判事とTaxi(実は自家用車の内職200、われ払ふ)、Dateにゆかんとて支那料理食ひ1時間ゐて帰宅。畠山氏よりハガキ。田村春雄より図書館分類法につき。

2月22日(日)
雪解け道をゆき子・京・依子と買物にゆく。午後、岩崎昭弥よりハガキ。原課長きのふ来りしは[※盗難に関して]谷口助命の為と。けふまた説明し、了解せしか。、

2月23日
登校、試験やり、すみて級委員と話しゐれば守本氏なにかと不愉快なこと云ふ。谷田の妹をつれて試験受けささんかと云ふ。野崎、井上2生と出てアベノ橋。rice curryたべ(100)、ハイネ『回想(30)』買ひして帰校。また試験す。
留守中、城平叔父、竹村氏と視察に来しと。芳野、沢田利氏よりハガキ。(上町線にて渡辺芳子、中許の2人にあひ、岡陽子の結婚の前祝の帰りときく)(本庄先生の件につき藤沢桓夫氏への手紙を額田生にもちゆかす)。

2月24日
会社へゆけば竹村課長、谷口を退寮命ぜしことをとがむ。怒れるふりして説明すれば明日城平叔父に云ふべしと。黒田社長は26日来ると。ともに出て天王寺で別れ学校。
守本氏建築費によりBase低まらんと。中田博士と共に出て上野芝。斎藤家にゆき父母君と話し、斎藤生と田村家にゆき春雄帰るをまち、歯科へ紹介してもらひアスピリン買ひて帰宅。
服部(※服部正己)より市大に(※就職)決まりしと。松井生より石原産業採用と。けふ父来りしと。

2月25日
9:00会社へゆき図書費清算かく中、城平叔父来り忙しげなり。生島に電話して午后ゆくと約し、城平叔父に会へば谷口のことにて叱らる。すみて卵うどん食ひて出、先づ13:00生島を大阪相互銀行といふに訪ね、本庄先生の500もらふ。旧友ともあまり会ひたくなしと。
すみて大藤にゆき500、富士銀行にゆき阪井、小野勇2氏の500と秋田実の5000と合計7000わたす。現在75300(+印刷費2800、計78,100)と。
阪急へゆき古川大夫君に会はんとせしもゐず。柴谷貞雄氏に会ひ、文乙、理乙を中心とする教へ子なりと了解たのめばよろしと。吉延陽治とよく似ゐると我がこと忘れたり。『法律学辞典(アテネ文庫)』買ひ雨の中を帰宅す。鈴木治よりハガキ。竹内より『魯迅評論集』。
夜、A.H.2室をよび寮則厳守をいひ、大塚、石井を呼び部屋替。谷口よび退寮届撤回、部屋替、寮則厳守をいひをる中、2警官来り、いろいろ呼びて訊ね、最後にけふ帰郷しゐる筈の杉呼びて入質のこと問ひただし、原君と相談の上、寮に泊めることとし、各室に消灯いひ廻りて22:30終りとなる。茂吉死すと。

2月26日
9:00ねてゐるところへ竹村課長来り、午后刑事来ること云へば応対せんと。池田来りしゆゑ派出所へゆけと云ひ、質札のことにて橋本に注意し、原課長にたのみ羽田より28日京都へ来いとのハガキ見て天理へゆき、瀧井氏に会ひ、靴直し(350)、図書館へゆけば15:30。
富永館長とと話し鈴木氏の室へゆき『中国史学入門』差上げ、真柱に電話すれば日の寄進と。高橋君より写真もらひ16:30自動車にて鈴木氏宅。夕食よばれ1000預り、名簿代預り、生駒氏に会ひ、のろけと真柱の対本庄先生感情きき、1000預り山口氏へゆけば夫人乾性肋膜と。また1000預り、本庄先生への真柱のことききて20:40乗車。家へ帰れば22:30。
けふ杉、布施署へ曳きゆかれしと。

2月27日
羽田へ28日行けずの速達し、会社へゆき布施署へ礼にゆかんかと云へばその必要なしと。出て梅田、大河原訪ぬれば待たし2000渡す。「君の至誠に云々」。山本へゆけば来ず。うな丼ときも吸(110)食ひ、中田英一訪ねしも不在。富士銀行にゆき5000納め82800となりしと。
北野劇場にて「快楽」見、鶴橋にてしるこ食ひ、西宮君にゆき入試問題検し、いわおこし貰ひて小阪。堀内にて『比較言語学(110)』、岡田正三『詩経(100)』。
バスにて帰れば保田より「南の864島本」へ電話せよと。中野清見より大阪外語受けずと。松本善海より弟死にしと。浅野晃より李白と杜甫20〜25枚を3月10日までにと。

2月28日
9:00登校、保田の旅館へ電話かければ前田社長出で17:00すぎ行くを約す。
高校へゆき授業せず、帰り来れば守本氏火曜まで試験問題延ばしてよしと。三並敏邦より電話かかり15:00ごろ来ると。
会館にゆき、すし、菓子、果物よばれ岸生を除く大方出席。写真多くとられ15:00三並に会へば母君同道、嫁世話せよと。承知してタバコと菓子もらふ。菓子森氏に与へ(けふ健康保険証と27年度源泉徴収票228880税11101賞与19250不足2299)、鍛冶姉妹、山荘、渡辺、疋田の5人とナンバへ出、喫茶。
鍛冶姉妹に佐々木三九一氏への手紙托し戎橋で別れ、渡辺、疋田と大丸までゆきて別れ、四つ橋「笹岡」にゆく。堀内民一、栢木喜一の2君あり。保田、小学校教科書の校閲に忙し。
平林治徳氏も来る。前田社長にきけば野崎老の親類にて出戻りと。20:00堀内君と出て雨中を帰宅。中川いつじ、津田侑2君よりハガキ。

3月1日(日)
よべ不眠。金井寅之助より本庄先生一口送りしと。庄野潤三より「幼き日の思ひ出」3枚朝日放送に3月10日までにと。午後ひるね。京の誕生日とて赤飯くひ、電話十分かからざりし篠崎へ19:00ゆけば夕食。すみて詩ちょっと見、庄野院長腹上死、幼稚園10万円などを平林氏より承りしのち帰宅。(玉造にて肥後和男『日本神話』)。

3月2日
瀧井芳次氏より現金郵送にて中山真柱の2000来る。会社にゆき9日入寮のこと原氏にたのみ、杉の身許引受など相談し、1500万円増資の菓子のこして大手前。
坪井忙しく、相野に預りし500受取り府庁にゆき三並と会ひお茶おごられ快活なる子をとの条件きき、荒井や医者2名(大高の後輩にて我を知りをり)と自動車にのり、富士銀行に2500わたし11万円となりしを見、大毎へゆきしも渡辺、天野ともにゐず。山本にゆけば敷島ビルへかへりしと。
彦根泊りといふに共産党の山田六[左]ヱ門と話し、佐瀬と出て梅田で『西鶴研究(50)』『近松研究(50)』『桂園一枝(40)』『宗武曙覧歌集(30)』『天平芸術の想像力(80)』買ひ、海丹買ひ(100)喫茶して帰る。
吉田和成、浦上に布施署より呼出し。夜、H(※不詳)を迎祝し将棋2番。亀井来り蜻蛉会の写真もち来る。よくとれゐし。瀧井、浅野晃。ABC放送へ返事もちゆきもらふ。

3月3日
10:00登校、試験問題わたす。高校へゆきしに欠講。日野君に注意す。試験問題土曜日まで待つと。12:00まへ出て越智ドクターにゆき中間報告す。山城和子にゆき写真みせてもらひ、ともに出て歩いて藤沢桓夫詩を訪ひしに会へず再来を乞ふと。
住吉に出てお好み焼食べ(100)、ナンバに出、上念省三郎氏を訪ひ、コーヒーのまされて山城嬢の就職たのみ、戎橋筋へ出しに足立千栄子に会ひ、不二屋で喫茶(140)。別れて天牛[古書店]を見、日本一よりのりし市電上六止りなりしにより江馬春夫を訪ひ、家族切符もらひ、紅茶のましてもらって帰宅。杉浦よりハガキ。

3月4日
9:00家を出、江馬より借りし家族優待券にて奈良(70)。東向北町の野崎家探せばあの賑かな通りの旗屋。父母に挨拶する所へ前田隆一氏の令嬢来る。その嬢と出て小西町の岡谷診療所。実ドクター2000わたし吉田病院に電話して呉る。2回文甲の楠本正彦氏を万寿屋に訪ぬれば不在。大和タイムスに田中治郎訪ぬれば未出勤。ココアのみてその嬢の破婚の理由を性格の相違ときき、駅前にてまむし御馳走となり前川佐美雄。
兵本善矩氏あり。やや話して女子附属高校に坂口允男訪ぬれば校長は台湾にて会ひし塩見薫氏。松村一雄氏の悪口云ひ、別れて小野勝年君を訪ね、飛鳥園にて紅茶よばれて別れ(法華寺に住むと)、近鉄駅前に出、しるこ食ひて田中治郎へ名刺かき、西大寺下車。
吉田病院へゆき院長青木康次君に会へば3000出す。帰宅19:00。けふ無料となりしは僅か130のみ。(桂雲堂にて『東硯田唄集(70)』)。夜、大塚来る。

3月5日
岩崎昭弥のハガキと松本一彦の手紙見て出(庶務課長と話し谷口の外泊勝ち教ふ)。菅生事務所へゆき名簿鈴木治氏へと250渡し、朝日へゆき谷川に会ひ来週来るときき、日生へ松本訪ぬれば出張。
山崎弁護士にゆけば20000近く集りゐると。山本事務所にゆけば佐瀬君『風媒花』貸し呉る。ともに出て古本屋歩き吹田にて『ソヴィエトの市民生活(20)』『ヴィクトリヤ女王(30)』。山本宅で葡萄酒のみて疲れなほる。帰宅21:00。杉すでに検事局へ送られしと。

3月6日
終日家居。面会謝絶、採点など。『くれなゐ』来る。山口実のらず。夕方入浴。原課長検察庁へゆきしが杉に会へざりしと。スターリン死すと。

3月7日
8:30家を出て登校、試験の最後は家政科の歴史。けふ2年生の採点わたす。入試問題の校正す。疋田、今村の2生来り、山城来り、履歴書預る。高校にゆき日野君に会へば試験問題受取りしと。疋田、今村に誘はれて十合に泰西美術展見にゆく(100)、詰らず。
喫茶し、富士銀行に高橋君訪ぬれば近々高麗橋へ転任と。13万円余となりしと。出て山本へゆき発起人への催促状見せ3月31日まで延期となり(けふ青田、滝川2実行委員に電話せしも駄目。小野勇氏より上道直夫氏の1000預る)。
印刷を佐瀬君にたのみ、ともに喫茶。靴直し(70)別れて岡生に会ひ体操不合格とのこときき、桜橋にてまた本多生に会ふ。梅田駅にて石井孝?に遇ふ。ニュース映画見て喫茶。やっと終りとなる。

3月8日(日)
畠山家にて夫人に会へば合格せしと学校へ電話せしと。六衛門氏、児玉君に礼にゆき、夫人校長宅へゆきしと。児玉君に電話すれば学校と。やがて帰り来し畠山氏と昼食。
成績400人中の19番とて運動の必要なかりしならん。関口に電話し羽田に電話すれば試験の採点中と。13:30出がけお礼とてむりにポケットにねじこまれる(後で開き見しに5000)。
寺町通を歩きBennigsen『現代蒙古(80)』『いの字絵本(60)』。河原町通で『平安朝時代の詩(30)』『能美郡民謡集(80)』『女の本(40)』買ひし、コルボウ会にゆき記念撮影して帰る。井上多喜三郎近々来ると。
京橋にて『玉勝間(120)』。徳庵にてまむし食ひて帰宅。村上新太郎より20日まで原稿よしと。長尾禎子の父よりぜひ卒業さしてくれと。塚本グループ赤倉より。

3月9日
10:00登校。院長来りしも来客。10:30より判定会。院長疲れて我一人舞台。すみて方々に呼出しの速達と電話。15:00女子大にゆき河井女史に体操の点たのみ、斎藤生と出て梅田。山本事務所にゆく。17:30佐瀬君と出て封筒と発起人へのプリントとり500払ひ、かきうどん食ひて(120)梅田で別る。
夜、新入寮14人の注意、原課長のやるにゆく。21:00ABC放送の原稿かきゐれば松本一彦来り、部長の娘(吉川氏)のことたのみゆく。

3月10日
9:00登校、試験監督のあひまに今村羊子来り、学科の注意すれば泣く。鍛冶姉妹来り、赤倉の土産とて民芸品の状差し呉る。父満洲にあり縁談5月まできけずと。
斎藤来り、書道なしでもよしと府教委いひしと。椿下来り、試験すみ、ひる斎藤、椿下に茶のますれば斎藤泣く。長尾のぞき注意すみ夕方来りし渡辺と帰る。けふ珍しく〒なし。
一ね入りせしところへ服部現はれ市大3月20日発令と、泊る。

3月11日
服部朝食とらずともに出、バスのり場で別れ、登校9:45。壽岳、梅垣2先生待ちをらる。長沖氏来ず。10:00より面接。文芸2人おとして17:30終了。(谷川『古典全集』そろひ50冊もち来り10000わたす)。
夕食たべず松本にゆき夫人と話し、19:30帰り来しと話す。関学の卒業生にもたのみおきしに院長忘れゐし也。傘かしてもらひ終発19:40のバスで帰宅。
けふ月給もらふ(本俸15,000家族手当2,400地域手当4,100計21,500。所得税311、慶弔会費30、市町村民税297、手取20,882)。

3月12日
昼寝し、鈴木治氏のハガキ見、藤枝よりグリム童話の原稿送られ、朝日放送4月6日とのしらせ受け、ぐづぐづして15:30家を出、梅田で散髪(150)。
17:30野崎、鍛冶姉妹、佐々木、山荘、椿下、伊藤、和島の8嬢とおちあひ、新大阪ホテルへつれゆかれて謝恩の晩餐を受け20:00まで概ね我語りて梅田へ出、帰れば大毎より2回来りてマナスル峰[※登頂記事]のこと詩にかけと。電話して承諾といふ。
けふ買ひし『サンデー毎日』に昭和20年3月10日の東京大空襲のことあり。怱々新なり。

3月13日
眠きを辛抱し、マナスルの詩書き、大毎へ11:00まへゆき大毎グラフの次長、松村益二氏に会ひ、その場で清書してわたしコーヒーよばれ、富士銀行へゆけば高橋君不在。上道氏(1000)と岡谷氏(2000)と入庫し、朝日に谷川訪ぬれば未出勤。新道で『朝の宮(30)』買ひて山本事務所へゆけば上田女史の甥アルバイト。昼食にゆく途、西垣清一郎に20年ぶりにて会ふ。阪急に訴訟しけふ判決と。佐瀬と一寸話して出、『天平の文化(180)』井上『ハイネ詩集(50)』『西洋研究録(50)』買ひて天満橋へ出、バスにて帰宅。西保ゑい子より歌集明日出来上るゆゑもって来ると。昼寐せんとせしがだめ。
会社より電報を電話にて「伊東静雄12日死ス」らし。
17:00出て帝塚山。庄野潤三にゆけば北野田へゆきしと。学院から大毎に電話すれば記事となりしと。朝日に電話すれば谷川ゐず。高野線にて全田叔母に会ふ。白髪だらけ也。途中ききて初芝で下りバスにのり[※伊東家へ]ゆけば留守。
上りてまちゐる中、20:00頃、夫人、二児、弟すゑ男君帰り来り、火葬場へ運びしと。本葬は郷里と。2000香奠につつみ、嬢ちゃんに送られて四つ角まで来ればバスなし。歩けば萩原天神へ出る。帰宅22:30。

3月14日
9:30登校、高校漢文の採点わたし10:00より卒業式。11:00写真。西保君来り『二十一才(歌集)』出来上りしをおきゆく。13:30まで在校生の送別会。すみて守本主事、来年の時間のこと云ふゆゑ逃げて中田博士と話し15:00り謝恩会。太宰博士ピアノにて六段ひく。中座せんとせしもだめ。最後に反戦演説ぶつ。帰途を要し泣きしは吉原、岸、山口のハデ組なり。
帰り来れば八木嬢来て帰りしと。けふ北野生うつしの写真多くもらひ、野崎の交通公社就職きき、電車にて桑田博士夫妻に会ふ。

3月15日(日)
よべ解散と、バカらし[※国会バカヤロー解散]。ひるねして安息。夕方訪れしは疋田、今村2生。卒業のお礼にとハンカチもち来る。徳庵橋まで送りゆく。

3月16日
終日雨。藤枝より原稿返せと。高等学校より18日(水)11時より謝恩会と。角川よりハイネ[角川文庫『ハイネ恋愛詩集』]10冊来る。行かへ出たら目に直しあり。午后、斎藤生礼に来り、white shirt呉る。

3月17日
8:30家を出て天理。瀧井氏に会へば本庄先生と真柱と家の問題にてまづくなりしと。丹波市局で70通料金別納とし図書館。館長にレポートの製本承諾せしめ、西村より天理の[俸給の]新Baseおそはり(公立並)、うどん食ひ、鈴木治氏と一寸話し新城氏にわびてともに出、14:19の京都行にのり、谷川にゆきしも全家不在。野崎家へ寄りしにその嬢不在。来合せし永島福太郎氏と話し、女子大によりて天野忠と話し、別れて安田章生にゆきしに不在。
18:00すぎ小阪で下りしに堀内きのふ朝、伊東家へくやみにゆきしと。夫人わが見舞をいひしと。武田祐吉『古事記研究』荒川『外来語研究』2冊買ひ(110)帰宅。井上斌子、野崎そのより卒業の礼状。伊藤久子より履歴書2通。谷川より10000の受取。
けふシロ、ジョン毒団子食はされしらしくシロ死しジョン行方不明、かなしや。
夜ふけて帰る足許じゃれつきしなれら思へばかんし子のごと。

3月18日
高校の謝恩会のため登校のみち、時間早ければ疋田家さがせしも見付からず。津熊の家見付く。11:00ゆけば中々と。守本主事と話し、理事長より話なければ高給もしくは自由のいづれも駄目と。
謝恩会に出、すし食ひ、すぐ短大に帰り、出て峰家にゆき短冊と『ハイネ』を明子嬢にわたし母上と話す。7男2女の4人目と。藤井寺にゆき叔母まつ間、和島家に電話し、みね子君の写真よこせといふ。やがて帰り来し叔母、和島家のことよく知りゐる。葡萄酒のみ初江叔母に瘋癲の惚れし話きき(12日尾崎梅祖母33回忌明石でやりしと)小豆とカステラもらひて出、中村治光に寄りしも帰らず。鍛冶姉妹より礼状。川添和子氏よりその中来ると。松尾育子生よりレポート。沢田直也より「本庄先生の3000少し待て」と。峯、八木嬢より入れちがひのハガキ。
桑原武夫氏より伊東の詩集出すゆゑ『コギト』見たしと。角川より『ハイネ』40冊。(けふ疋田生よび出し今村と2人に2冊与へし)。

3月19日
9:30亀井来り、28日(土)アエバ君の所でTombo会の予定と。兄、狂気らしくそろばん学校も忙しとて哀れなり。父、来合せ金尾文淵堂の貸金とて1200返せとのハガキもち来りしにより托す。会社へゆきしも城平叔父出しあと。帰りて臥床。
17:00出て学校へゆき夜学3回生らにreportの題を「作家年譜」と「東歌と防人歌」とし5月半までといひわたす。
天満橋へ出て坪井にゆけば夫人臥病と。伊東のことのせし『コギト』23日11:00頃学校へとりにゆくといひ、本俸25000〜26000とききて出る。
けふ安田章生より礼状。賄新雇2人の身許ききて台帳にしるす。

3月20日
9:00前、会社へゆきしも[城平]叔父忙しく19:00今川での面接約せしのみ。康平叔父と話し、武田、甚幸に『ハイネ』1冊づつ与へて帰り、夕方まで臥床。
16:30出て近鉄departで万美子に500の商品切手買ひ(560)、松浦元一氏と話し(営業部長と)、今川にゆけば久美子不眠と。19:00城平叔父にいへば先づ院長に薄給いひ、ついで内職のため時間べらし云ひ、ついで転職認めさせよと。
けふ野崎よりハガキ。谷川にゆきしと。三好達治よりハガキ。

3月21日
彼岸休み。9:30ごろ近江詩人会の某嬢来る。中本町に住み洋裁に勤むと。昼食し14:00ごろ帰りゆく。けふ和島美弥子生より手紙。音田正巳君より頌寿会のこと。

3月22日(日)
15:00頃、日本生命の吉川眞郎氏見え、お礼としてwhite shirtもらふ。我も出て小阪、松本に礼云ひにゆく。堀内にて『歴代名画記(50)』。松本胆石病にてねてゐる。出て中西にゆけば帰りしところと。神崎学長のこと云ひしもわからず。夕食よばれ碁打ち21:30出る。

3月23日
雨、会社へゆき2、3月分図書費2000受取り、綾部高校の先生と話し、11:30大手前へゆき坪井に会へば帝塚山の森氏に紹介状2枚かかさる。別れて梅田より高橋、お好み焼昼食とし京都。
桑原武夫にゆけば留守。坪井よりもらひし『コギト』置き、下総町にゆき父母に会ひ、児玉[実用]にゆけば留守。あきらめて京阪、枚方へゆく。桑原武夫氏、大毎に伊東をかき大朝に三好かく。

3月24日
9:00出て天満橋より山本にゆき、すぐ出て大毎。天野に『ハイネ』与へマナスルのこと聞き合せたのみ、コーヒーよばれてU.S.consultantへゆけば中村治光また不在。大朝へゆき谷川[新之輔]に会ひ『ハイネ』与へ別れてまた山本(途中エレン.ケイ『恋愛と結婚(2冊80)』)。熊野判事にと『ハイネ』1冊托し、4月11日に本庄先生の贈呈式せんかといひ、juiceのんで別れ、天満橋まで歩きbusにて帰宅。
井上多喜三郎より子守なし。西保恵以子より礼状。宮沢弘子より卒業の挨拶。島居君より大谷君某大学へゆき後任に推されゐると。藤枝より本宮の令息だめなりしと。
ABC放送より4月7日23:05放送の写し。亀井より27日の同窓会の案内。

3月25日
曇。小雨。郵便多く来る。朝日放送より24日1700送ったと。小高根二郎より伊東のこと。内田敏子、米沢幸子、辻芙美子より卒業の挨拶。桑原武夫氏より『コギト』受取。徳永昭子氏より26日白浜の帰途泊ると。八木嬢より28日泊りに来ると。ゆき子毛布買ひにゆく。名刺出来(140)。晩、宮本君来る。学芸大池田分校へ転任となりしと。長谷川英子あたみで情死せしと。

3月26日
家居。朝〒に藤野和子より礼状。学院より5日12:30同窓会総会と。午后会社へ電報、京都秋山氏よりあす10:00来ると。[意味]わからず。〒松本一彦より西岡先生の所しらせと。大阪詩社を鈴木豹軒先生を中心に結成、5日(金)15:00より成蹊学園でと。夜、迎へにやりしに徳永昭子来り、秋山氏はその約婚者と判明。

3月27日
徳永嬢10:00より11:00まで徳庵駅へ迎へにゆきしが秋山氏と会はず、12:00昼食して十合へゆきしあと秋山氏来り、追ひかけてゆく。八木嬢より29日か30日の午后に来ると。朝日放送より1700来る。

3月28日
朝日に暁明館の事務募集の広告を見、平山に会ひにゆきしに「けふは忙しくて駄目」と。
堀内で『万葉辞典(200)』。上六より四つ橋へゆき山崎弁護士訪ひしに不在。のちほど電話すといひ新谷太郎に寄り、しんしん堂にて[地図]『宇治』と『大阪西北部』買ひ、歩きて島本にゆき、平山のこときけば面会にゆかせしと。出て俣野にゆけば東京へゆくと。本町二丁目で別れ、藤田を訪へば東京出張。沢田に会ひうどんおごり、富士銀行大阪支店探しまはりてゆけば高橋君不在。
朝日放送に訂正もちゆき後藤孝夫を呼べば出勤日ならず。ぬれて山本にゆけば帰りしあと。アエバ家より山崎氏に電話すれば11日でよしと。高橋君まだ帰らず。(梅田新道で『日本家族制度の研究(90)』『菩薩蛮記(60)』)。パチンコしニュース映画見て17:30。
アエバ家(※蜻蛉会)にゆけば加賀山あり。やがて亀井、荒井、三並、後藤、高橋、田川、服部とまた8人。終電車となりて帰る(※写真リンクあり)。ゆき子迎へに来り待ちゐし。中野清見より令息落第のこと。西保嬢より佐野氏にほめられしと。

3月29日(日)
寒し。生駒に雪見ゆ。浅野晃氏より4月12日までに原稿をと。よべ水道のカラン18ケ盗まれしと。派出所に盗難届す。夕方うす暗くなりて八木嬢来り泊る。夜、本庄先生、島居君、児玉実用君へ手紙。

3月30日
八木嬢と一家そろって朝食。11:00出て中川組監督に会ひ、会社へゆき事故報告し、呼鈴たのむ。城平叔父毎日の「マナスルに寄す」を見て喜びし由。
バスにて天満橋。富士銀行大阪支店にゆき高橋君に4日清算をたのみ、日本生命に松本を訪ね、中田英一に会ひて『ハイネ』与へ、昼食にrice curry食ひ(60)、山本へゆけば不在。後藤に電話すれば16:30とりに来よと。中村治光に電話すれば東京転任と(??)。小寺正暁に電話すれば出征中と(??)。
16:30山本と朝日にゆけば後藤出て来り、歩く中、渡辺生に会ふ。天ぷら食ひビールのみ、そば食ひして20:30(浪江弁護士を加へ)最後に3人にてコーヒーのみて22:00帰宅。
けふ、ゆき子、八木嬢、京と朝日会館にて映画見しと。本庄先生の贈呈式10日(金)朝日にての予定となる。後藤より朝日の4000預る。けふ、留守中、羽倉君来り菓子呉れしと。本庄先生醵金、金庫に本日169,021となりしと。

3月31日
よべ不眠。谷川新之輔より旧受取返せと。高橋君より本庄先生の入金表。眞野君よりハガキ。午すぎ後藤より電話。労組の室貸すならよしかと。西宮君来り、試験問題もちゆく。歴史はおくれると云へと伝言たのむ。佐野君に時間増し云ひしと。port-wineのみ30分ほど昼ねし、16:00出て藤井寺へゆく。
途中、恵我之荘、和島家へゆけばcamel10ケたまひ、琴稽古中のみね子君に妹関学法科生案内しくれ、駅まで帰りて別れ大江へゆく。
この間、城平叔父来て云ひしと。必ず通るつもりで院長に云へと。叔父にcamel5ケ与へ、大入袋3ケもらひ、和島家へ電話して礼云ひ、転職云ふ北村うめの氏をさとして中村治光にゆけば、東京の保安庁へ転ぜしと。本庄武重君への紹介名刺、学校へ送りしと。

4月1日
徳永昭子氏より礼状。彦根の宮本君送別会の寄せ書。本庄先生より10日夕、差支なしと。12:00出て饗庭君に傘返し、朝日の後藤に会ひ、労組事務局使用ときまる。出て本屋へゆけば史の受持中塚先生に会ひ、お茶と菓子おごり帰宅。花井彩氏より卒業せしと。夜、大塚来り、盗難杉浦部長にわびしと。

4月2日
よべport-wineのみしが中々ねられず。起きれば史、クラスの遠足にゆく。本庄先生の封筒かきと組別けとし、一日臥床。野崎君より勤めゐると。長尾君より口見つけてくれと。児玉実用より礼不要と。朝日放送より7日23:15に変更と。夜、畠山氏に手紙かき児玉君の手紙同封し、日本史世界史の2部試験問題作成。(けふ『文芸日本』4月号。『不二』3月号。相馬大『影』など来る)。

4月3日
10:00出て登校、2部の入試問題もちゆきしが守本氏に会ひゴタゴタ云ひ、藤沢桓夫氏に電話すれば2時頃までねてゐると。山崎三[七]喜氏に会ひ8日午后再来を約し、山本にゆく。植田女史と別ると。
平野義太郎選挙事務所へゆき名刺托し、山本と別れて吹田東口成蹊短大へゆく。石浜先生と話せず。鈴木虎雄博士より「元日口號」を「不識洛陽花咲不。斯水西流向京師。昨夜方過不惑歳。今朝猶惑君勿嗤。」と直される。みななかなか旨くて不快。
先に出て山本へゆきしも帰らず。古本屋にて瀧川『日本歴史解禁(100)』倉石『漢字の運命(75)』『中世騎士物語(65)』買ひて帰宅。八木嬢よりゆき子にわび状。齋藤生の母より陵西中学にきまりしと。

4月4日
10:00〒保田より『祖国』伊東の追悼号とするゆゑ編集せよと。
渡辺鐐子より礼状。井上斌子より「先生の理想社会はsoviet」と。出て山本にゆき藤沢桓夫に電話すればまだ眠ると。渡辺英雄に電話すれば晩に2000出せしと。池田に電話すれば少し待てと。富士銀行の高橋君に電話すれば入金表とりに来よと。
やがて天ぷらうどん食ふ中、山本より来よと電話。ゆけば佐伯千仞と昼食中。藤沢桓夫に電話すれば5000出す、名を出すなと。
富士銀行にゆき大毎にゆき天野[愛]一に富士正晴探してもらひ、ともに喫茶して『祖国』の追悼号一任し(途に中島生に会ふ)山本に帰り、報告書18:00までかかりて出来ず(23万円か24万円か不明)。佐瀬にたのみ3人でおでんや。山本また一穴主義とりやめし、可嗤。帰れば西田哲退社退寮と。

4月5日(日)
家居。本庄先生より簡素にと。父来る。午后硲君来り、弟君を南部に埋骨せしと。李白しらぶ。

4月6日
平山生より就職やめたと。祖国社より伊東静雄追悼号のこと。午后出て山本事務所にゆけど16:00まで印刷出来て来ず。来れば不足。すませて硲君と梅田にてしるこ食ひ別る。帰りて本庄先生に手紙かく。

4月7日
晴、家居。呼鈴つく。守本氏より時間割につき明日来よと。椿下生より『ハイネ』受取り茶臼山にて和島生と「神々のたそがれ」朗読せしと。岩崎昭弥より徳永嬢の婚約はじめてききしと。18日か25日に来ると。

4月8日
朝、中川くにより電報来り帰ると。よべ塀をこえさして入りしと。会社へゆき杉浦氏に報告す。城平叔父ラヂオをききしと。10:00にと出て学校。守本氏と話し火、木、金に授業ひとまづまとめてもらひ、院長つかまへれば明日10:00話きかんと。
疋田生に電話し、昼食してゆけば義兄大毎記者、父は間組らし。養子を考慮と。ともに出て難波へゆき喫茶して話し、別れて山崎氏にゆけば京都へゆき17:00頃帰ると。
梅本訪れしにゐず。ニュース映画見、『フライリヒラート詩集(30)』買ひしてまた山崎氏。10日17:00頃来れと。2.5万円預りて出、後藤にゆきしも帰宅。
会館の関響にゆけば後藤田生に会ふ。水川氏に挨拶し、18:30出て焼売と鶏汁(150)にて夕食。山本にゆけばまだ帰らず。まちて8000(西川500立替)わたし、22:00出て帰宅。(けふ山崎氏で重松おとし、森一郎きかざりしに気付く)。平野義太郎氏、6日夜、山本に泊まられしと。
帰れば川添和子氏より歌添削たのむと。西保嬢よりハガキ。高橋君よりその後の入金。松井信子君9:00頃来り、本3冊返しカードおきゆきしと。帰りの電車で亀井に会ひ、きけば荒井、羽曳野に入院せしと。

4月9日
10:00学校へゆき富士銀行高橋君に電話してゆくことを約し、院長に話せしに月給値上は考慮せん、時間へらしは駄目と。出て高橋君にゆき23,198わたして清算すみ、明日16:00頃通帳とりに来るといひ、梅田へゆき卵丼くひて瀧井。16:00出て帰宅。横山薫二より米谷利治の所しらせと。
ものたらぬおももちをして去りし子にともに行かむはいづれのくにぞ。

4月10日
昼寐す。風邪気味なり。三野ヤスエ氏退職せしと香川県より挨拶状。創元社より文庫のために写真をと。16:00出て富士銀行、通帳受取り山崎弁護士にゆけば留守。水引と色紙と買ひ(8)『富田林』買ひ、やがて帰りし山崎氏と朝日新聞。
4階労組事務室にて津村、川端、小松、仁田、工吉、後藤、山本、音田、長谷川勘一郎、大井令雄と11人にて贈呈式。すみて自己紹介。出がけ仁田に森良雄生存を伝へれば喜ぶ。天ぷらやにて山崎、山本、津村と我4人にて本庄先生と酒。われ天ぷら茶漬食ひ梅田にて別る。(けふ中田英一が脇坂栄一の金をももちて山崎氏に来りしと会ふ)。

4月11日
よべ睡眠不足。一日家居。〒なく『文芸日本』かけず。

4月12日(日)
2部面接の為9:00登校、12:00終り、まむし食ひて帰る。竹内、九州へゆくも寄れずと。肺悪しと。鍛冶姉妹より『ハイネ』の礼状。けふ寒し。

4月13日
浅野晃へ謝り状速達し、登校。院長の話きき写真うつし、後藤田府会議員に面接し、鴨南蛮食べて教授会。服飾一人を除いてみな通し、ついで学科の協議。すみて高校にゆけば謝恩金1000もらふ。
藤井寺大江へゆけば紀州のねえや病気、西窪君よこせずと。夕食よばれ昌三叔父よりラヂオ借り、和島みね子に電話し『ハイネ』の伝達の礼いふ。けふ時間割きまり火、木、金、本きまりとなる。(かもめ書店に漢文の教科書たのみ『鴎外全集23回』借る360円)。
けふ〒なし。天野[愛]一に電話して竹内のことわり伝へし。

4月14日
9:30家を出、アベノ橋近鉄で散髪(120)。高校の漢文教へて帰宅。近鉄で『Morike[メーリケ](70)』。『週刊朝日』の中共引揚号を買ふ。山城より幼稚園に就職せしと。西田哲よりわび状。夜よりラヂオ鳴る。大塚来り、将棋クラブ作るにより名誉会長をと。

4月15日
よべ久しぶりによく寝、9:23にのりて登校。10:30つきて講演会に出ず。コーヒーのみなどし、山中たづ子君呼べば忙しくなりて来り話せず。遠藤先生に御挨拶。西宮君に学科指導させて夜学の始業式といふをとりやめて帰る。
『アポリネエル詩抄(150)』『宇治拾遺物語(150)』『歴史とは何か(60)』『今古奇観(110)』と買ひ『鴎外全集2回分(760)』払ふ。
けふサラリーとりあへず旧baseにてもらひし也。宮本君より転任挨拶。西保君より宮崎智慧の歌集転送。

4月16日
相変らず寒し。9:55り授業(家を出るまへ中川組の監督洗顔に来りしを咎めし)。騒がしと叱り、米沢生の父来り、妹の手続未了なりしをすぐする故入れよといふに、院長に云ひおかんと帰し、西保生来るとのことに小出氏とまちしも来ず。
13:30出て藤井寺。羽曳山へ散歩にゆく叔父叔母と共に歩き、病院にゆけば5:30。荒井D'なりと。(A-Eまで病気を[度]す)。三並のことなどききて出、アベノ橋天海堂にて『杜甫ノート(170)』『方言の研究(100)』『蝸牛考(70)』『豊太閤と南方図(20)』買ひ、鰻丼食ひて帰校。夜学教へて帰宅。(けふ西田章子生新婚の記事見し。)

4月17日
午后からの講義と思ひて13:00頃登校すれば、4時間目漢文なりしと・院長に米沢妹のことたのめばよしと。疋田君10:00来て待ちくれしと。電話せしがゐず。帰り帝塚山書店にて『文芸と法律(130)』『日本人(20)』『歴史の矛盾性(20)』『世界史教程(30)』買ひして帰る。入浴。

4月18日
11:00会社へゆき中川賄人のこと云ひ、出て梅田。佐藤春夫2冊買ひ(60)、ライスカレー食ひ上六にて『名人戦(120)』将棋クラブの賞に買ひして帰宅。岩崎昭弥より当分来ずと。本庄先生より吉村正二の1000入りゐしと。荒井平次郎より礼状。

4月19日(日)
投票のため7:00家を出て楠根小学校へゆき、左社久保田に投票。西宮君と上町線同車してゆけば受験者22人のみ、出来ず。昼食にまむし食はされ面接採点し、及第判定会は明日と。14:00出て帰宅。
けふ岩波文庫『木下杢太郎詩集』買ふ。平野義太郎氏23日迄在阪と山本治雄より。西田章子(新姓福田)新婚旅行の船上より。中川賄人19日迄休ませてくれと。

4月20日
開票をラヂオできく。自由、左社いづれも[予?]備反対で好況。12:30出て上町線で硲君と会ひ、学校までゆき伊藤生に会ふ。帝国高校に就職出来しと。15:00ぎまで待ち、2部の判定会。みな入れて教授会。17:00帰る。
けふ山本に電話し平野義太郎氏の在家きけどわからず。羽倉君に電話し一度会はんと云ふ。

4月21日
登校、9:30。漢文4時間。ひる疋田嬢来り、結婚今少しあとにせんと。伊藤嬢帝国学園ことわり短大事務に来る模様。喜田聿衛氏より電話たびたびかかり15:00電話すればナンバへ来てくれと。 高島屋で会ひコーヒーよばれてきけば謄写版屋やりゐるゆゑたのむと。別れて近鉄案内所に野崎嬢訪ぬれば明日佐々木君東上と。アイスクリームおごり呉る。17:00へなりしゆゑそのまま帰宅。布施税務署より明日13:00来よと。伊東夏樹より静雄の忌明け。羽倉より引きちがへにハガキ。

4月22日
休みなれど会社へゆき、中川のこと杉浦氏に云へどこたへず。会計へゆけば15000ほど出さねばなるまいと。学校へゆき27年度申告票もらひしところへ亀井と三並来る。荒井見舞にゆきてわがことききしと。ともに出てバスにてナンバ。近鉄案内所へゆけばみなゐず。Ice Creamおごられ12:40出て布施。税務署へゆけば帝塚山知らず、平凡社来りゐし。土曜帝塚山の申告票もち来ることとなり欝々として思ひつき、西川英夫父君訪ねしに元気。謡の先生やりゐると。
出てのりし電車に安田章生坐りゐ、ともに鶴橋でおりて飴湯のまされ、別れて山本へゆけば入れちがひに手紙出せしと。明日平野氏と3人で話さんと。ことわりて帰り来れば、角川より48650-7297.50(15/100)=41352.50(−40冊代2240=39112.50)来りをる。川添和子氏よりビタミン剤やらんと。創元社より写真をと。

4月23日
登校、伊藤けふより事務室勤務。三並に電話して礼云ひ、野崎に電話し山本に電話して14:00行くと云ひ、『国文学史総説』の教授用と『唐詩選』ともらひて梅田。大河原訪ねしもゐず、山本にゆけば、平野さん19:30までゐずと。500わたし、出て地下道で『南海漂流譚(40)』『官場現形記(100)』買ひニュース映画を見、まむし食ひて夜学。平野先生の推薦演説ぶつ。
服部(※服部正己)より生駒に住むと。西保嬢より歌集のこと。(けふ松本健次郎に会へば紅茶おごりくれ、本庄先生の1000出すと。森良雄大阪へ来しと)。(羽倉啓吉君、夜学の前5分に来る。用別になしと)。

4月24日
登校前、参議院の選挙にゆき平野先生に投票。登校、漢文すませて昼食。山中生に電話し、午後終へて西宮君とアベノ橋までゆき藤井寺。叔母、税金のことを先づ城平叔父に云へと。夕食もらひて駅前の村岡薬局にゆき暁子生と話し、恵我荘で降りて和島家。岩吉氏と話しタバコとすしもらひて帰る。みね子君この頃事務所を手伝ふと。帰れば上出、洋裁に住込みにゆき手伝へずと。

4月25日
会社へゆきしも叔父に会へず。10:30布施税務署にゆき係(大西君)に会へば印税の紙失ひ、父をも扶助家族として呉れ5760追加としてくる。礼云ひて出、鶴橋まはりて帰宅。
叔父の後援する小林大厳(上宮校長)落選。平野義太郎氏も駄目らし。父来り、3000とり3000貸してくれと。富士鋼業の30000を父名義とすること承知と。健よりハガキ。女子生れ恵子と命名と。高橋玉ィ君よりその後1500入りしと通知。

4月26日(日)
服部正雄より蜻蛉会の写真。伊東花子氏より静雄の追悼会本日13:00にと速達。
12:00出て守屋君に断りにゆき、アベノ近鉄alefartで羊羹(150)買ひ、堀場[正夫]『遠征と詩歌(20)』、羽仁『歴史教育批判(20)』、[森]槐南『作詩法講話(150)』、木村靖二『古代農村社会経済史(100)』と買ひ、帝塚山で乗換へんとすれば硲君あり。
初芝で降りて伊東家にゆけば庄野潤三と某女史と2人のみ。黄檗宗の唐音のお経きき、すみてすしよばれながら伊東の話し、潤三おどかす。林富士馬はわが悪口云はざりしと。大垣国司、我に叱られて発狂せしらしとの説。成程ときき16:00すぎ出てバス。
帝塚山で降りれば硲君にまた会ふ。コーヒーのみて別れ帰宅。

4月27日
会社へゆき城平叔父に会ひ、税務署のこと云ひ、今月より父を顧問として謝礼し、みな父名義とすることを承知してもらひ、中川のこと留用ときめて出、大手前へゆき、石山君と話し、坪井に会ひ藤井寺へゆくと云ふに肥下に寄ることすすめ、京阪にのり京橋より帰る。

4月28日
登校、高校の漢文。沢樹生より電話かかりて来るとのことなりしも来ず。追加4月分のみにて7000(税込み)、溯及はなきらし。伊藤生事務つまらず止めたしとのこと。なだめて別れ15:30Svarにて『民族学の基本問題(80)』『朝鮮旅行案内記(100)』買ひ、十合へゆき岩波の『古典のよみかた』貰ひ、『マヌの法典』買ひ、特売場で靴見しもよからず傘(850)買ひ、1階にて3000の靴買ひnews映画見て上六までtaxi(100)。運転手とばすと思へば40milesとて巡査に掴まへられ罰金1000となり、気の毒がりつつ降り、親子丼食ふ。
(けふ十合喫茶店にて吉川綾子に挨拶さる。産経につとめ前田久吉の選挙運動にて忙しんりしと)。(服部より電話かかり待つと)。

4月29日
天長節。服部と将棋さして勝つ。ボロ家を修理して良き家とせしと。旧の三業地なり。子ら大きくなりゐる。増田渉氏も転任と
15:30出て小阪に降り、堀内にゆけば変なり。ペーリー『古代文明研究 上(50)』『蓮如上人御一代記(30)』『文学史の方法(20)』買ひて帰る。祖国社より伊東の履歴送り来る。訂正せよとなり。夜、亀井来り、堀内へ三並とゆきて変なりしと。

4月30日
雨。登校。ひる沢樹生来り、藤野生来ると。2年生京都博物館の36歌仙見にゆかんと誘ひに来しを断り、、三並に電話すれば不在。沢樹、伊藤と喫茶。15:00すぎ2人と出て近鉄案内所へゆく途、山城君と会ふ。高島屋で弓子へと『シンデレラ姫(50)』買ひ、近鉄案内所へゆき野崎君におごられ、藤野君と十合まで歩き中馬君に会ひ大丸で喫茶。引返して戎橋で藤野君と別れ、古本屋見てナンバ駅へ出れば18:00。あはてて高野線で学校へゆけば三並待ちゐる。明日会ふと約し授業。 帰り外出する新入寮生を叱りて帰らせれば21:30。取消してゆかしむ。
鈴木俊氏上洛4日(月)17:00り東洋亭で同窓会と。江馬春夫より丸太町岡崎道ライオン自動車へ転任と。

5月1日
登校、ひる米沢来り待つと。三並に17:00梅田有料toiletで待つこととし、14:00すぎ来る山中まち、busの交渉にゆく井上ら3生と同行。伊藤、西宮君と近鉄案内所にゆく。野崎の紹介にて所長にbusのことたのみ、階上喫茶roomで待ちゐし山荘、鍛冶姉妹、和島と喫茶、中座してwhite shirtの仕立に高島屋へゆき(12日出来し。collar2本300)、引返して伊藤生に菓子おごられ(米沢、先日の礼にとpeace一箱と養毛剤!と呉る)。
梅田へゆき18:00三並と会ひて夕食。従来の経過話しcoffeeのみにゆき、かまぼこもらひ、アエバ君の坂秀へゆけば主人寝しと。bear一口のみて帰宅。室より転居通知。西坂より行動展の通知。

5月2日
家居。午后〒八木嬢より『漢の武帝』探せと。本庄先生より礼状と問合せ。夜、杉釈放されて来り2、3日泊めよと。米沢嬢に祝婚歌。けふは我が結婚日なり。

5月3日(日)
〒なし。眞野喜惣治君来り、瓢箪山の植田明信局長を訪ぬるといふに名刺わたす。夜、帰り来り、会へざりしと。明日ともに上洛を約す。

5月4日
外泊届会社へ出し、原課長に杉のことたのみ眞野君と8:00家を出、天満橋より9:00乗車、10:00前京都三條。畠山氏へゆけば夫人も留守。歩きて吉野書房へゆき(京阪書房にて『六国史(4000)』『日本書紀通釈(2400?)』注文。吉井勇『短歌風土記2冊(40)』買ふ)。
奥西君に会ひ伊東年譜わたし、池内先生の本無償で呉れるときき『漢の武帝』探しまはりしもなく、『江戸ばなし(80)』『南都と西京(70)』買ひして梅原家。母上[薬師寺衛母堂梅原糸子氏]「小火出して物送らざりし。薬師寺君の原稿も行方不明」と。
出て研究所にゆけば藤枝ゐず。鈴木俊氏を迎へて茶会中、飛入りて笑はし16:00出て『ゲルマニア』買ひ畠山家。再来を約して東洋堂。やがて鯨ハム来る。硲君来られず植[渡]、八田、前川、芳村(和泉高校に勤むと)なども来り、三島一氏(平野、大山久氏にのちほど会ひにゆくと)をまじえて語り20:30畠山氏に泊めてもらふ。

5月5日
子供の日とて休み。朝食たべしあと畠山氏客迎へにと出てゆく。9:00礼のべて出、古本屋見しあと四條より京都駅。10:10の王寺行にのり宇治下車。日本レーヨンにゆけば小高根二郎勤務中なりしも休みとりて自宅へ案内。15:00まで話す。『コギト』『四季』日本浪曼派』見せらる
大久保までバス。奈良へゆき野崎家へゆき、傘借り古本屋見、17:00[吉野書房社長の]前田家へゆき入浴して待ち、19:30浅野[晃]氏来る。嬢ちゃん宝塚へ入り、明日ゆくとて天理行承知せず、新城氏[何]にも不適と。20:00保田[與重郎]来り、1:00まで話し泊りしが5:00まで眠れず。

5月6日
10:00出て京都へゆく3氏と西大寺にて別れ、天理。レポート製本受取り鈴木氏に池内先生の本のこと云へば真柱に云へと。またまたかかりし也。八木嬢より土産もらひ新城氏に送られて短大(大谷氏佐賀大へゆくと)。高橋重臣君と話し、大谷氏送別会案内をたのみ、生駒までゆきて出来心にて服部家にゆけば豊橋出張と。
帰宅、郵便見れば角川よりハイネ東京では普通と。西保君、堀内民一に会ひしと。成蹊吟社5月10日14:00と。井上斌子より手紙。大江叔母より三並に縁談のこと。文芸クラブの案内。『東洋史研究12の3』。
花の命はみじかけど、ながふみのみぞいつまでも、人の心にのこれかし。
ながよきこゑは中空に、のこりてあれどまぼろしの、おもかげびととなりにしか。
留守中、宮本君来り、9日以後に再び来るといひしと。

5月7日
登校、図書費12万円と。その他昨日の教授会のこと中田博士より報告受く。菊池より電話。高橋玉ィ君に電話。午後島本貞三郎より電話。雑誌出す人を紹介す。岸来り[JO]BKを受くると。10:00すぎともに喫茶。伊藤も来る。(けふ小野十三郎氏よりコーヒーおごらる)。夜学すませ帰れば西保君より24日出版記念会と。

5月8日
文芸クラブ参会者、椿下、和島、山荘、鍛冶姉妹、伊藤、山口、吉原、菊池、三木、宮沢、長尾、北野、疋田、井上、山中、安村、沢樹、堀、野崎おくれて岸、斎藤と22人集り、次回を6月7日(日)ときめしのみにて散会。岸グループと出て戎橋。コーヒーおごられて18:00別れ、次田潤『古事記(50)』買ひて帰る。けふ堀内民一より大手前へ転任たのんでくれと。『アサヒグラフ』配達所にたのむ。

5月9日
会社へゆき城平叔父に黒田製薬の今津工場のことで相談受け、4月分図書費受け取って出、山本にゆけば未だ来らず、svar『菅政友全集(200)』買ひハイネ買ひしてのちrice curry食ひ、黒田へゆけば社長「田辺化学へ即金にて4月末売渡せし」と、不快なり。
大毎グラフ松村益三氏より詩の稿料2000(税なしと)。眞野、杉より礼状。

5月10日(日)
岩崎昭弥よりハガキ。13:30家を出て成蹊詩社へゆけば皆おそろひ、鈴木豹軒先生より直されし我が詩「偶成」市井鄙歌暮。敝屋訪客稀。多年空慷慨。作詩吟詠微。
山本へ寄れば昼寐よりさめしところ。すぐ出て『否定の論理の発達(45)』『国民性十論(30)』買ひて帰宅。城平叔父に報告書く。

5月11日
家居。池内先生『日本上代史の一研究』よむ。夕食後宮本正都君来る。送り出してタバコ買ひにゆく。

5月12日
雨。弓子奈良へ遠足にと出しも学校にとどまるらし。硲君よりこの間の会のことわり。本庄先生より22日(金)夕お礼の会すと。興安丸の帰国者に岐阜県今西蔦子、シリュウ、ゴリュウとあり春秋夫人か。

5月13日
学制80周年とて学長の講演ある筈なれどゆかず。会社へゆき上出の礼400受取り、天王寺美術館に池内先生の本一冊わたし、藤井紫影先生の嫡子に紹介され『阿部房次郎氏寄贈中国絵画目録』もらひStutterheim『回教と蘭印群島(50)』『揚子江(40)』買ひして(新世界)、高島屋へWhite shirtとりにゆき、山本事務所へゆき22日のこと云ひ、山田にsoda水おごってもらひ富士銀行。その後入らずと。山本事務所にゆき計算すれば255,500(中藤沢氏未納5,000)となり、精算書のプリントたのみnews映画見て帰宅。
浅野晃、平野義太郎2氏より挨拶。安田章生より『新古今名歌』贈らる。

5月14日
雨。登校後、晴る。昼講義終へ漢文print刷りしてゐる中、喜田聿衛氏より電話。この間の話いかにと。14:00島本貞三郎よりの紹介にて現はれし人、服飾雑誌を100万円にて出すと。大阪にてはむりといひ、長沖氏をつかまへて紹介。小野十三郎と話しお好み焼夕食代りにせしところへ硲君来り、話す中、杉浦正一郎現はる。
夜学すませ住吉新地先の相野宅へゆき21:00まで話して帰宅。米沢幸子(新姓藤田)雲仙よりハガキ。山荘住子、武田洋裁へ入りたしと。母わが詩を見て泣きしと。

5月15日
登校。藤野、山荘2生の妹よびしもともに来ず。14:00すまして上町線にのれば向ひに坐りしは中朋子とて前田隆一氏令嬢の友だち。この間、泊りしこともすでに知れゐたり。大江へゆけば叔母ともかくありのまま三並にいひてのち写真とりよせんと叱る。北村うめの氏を近くの[温泉]の主人くどきしと。柏原南口までゆき高井田の山荘訪へば留守なりしも、ややして帰り来り、火曜に来校と。20:00までゐて国分に送られて帰る。衣川と同車。近畿大へゆきゐる也。
高橋重臣より17日(日)奈良「江戸三」で大谷君送別会をと。岩崎昭弥より17日来るやもしれずと。高鳥より伊東追悼書けと。竹内より『魯迅作品集』。

5月16日
中川賄人、昨夕出て帰らずと。竹村課長に電話かけ出て府庁にゆき三並に大江叔母よりの藤田嬢の件の手紙わたし返答たのみ、大手前へゆき坪井に会ひ、堀内民一のこと云へば履歴書送れと。凸版へゆき『ハイネ』見付け石原産業の受付へゆき松井にと托し、東京銀行の前通り奥戸のぞきしもゐず。『茉摘花(100)』買ひ山本にゆけば奈良と。print(150)とりて出、阪神で大河原に会へば胃悪しと。やせゐる。rice curryおごられ説教されて別れ帰宅。
中川帰りゐる。よびて叱れば夫、岡山大の教師にて肺療養中、そのことにて親族会議と。佐瀬よりのハガキ来り、22日(金)17:00大東楼にて本庄先生の会と。硲君にしらせのハガキかく。
西保恵以子より24日(日)13:00と。本庄先生の精算書(第二次)かく。18通。

5月17日(日)
昨夕の行水にて風邪ひく。伊東花子氏より5月5日香奠返しもちて大学に訪ねしと。山荘浩子より謝り状。12:00すぎ川添和子氏来る。もっと本よみ恋愛しなされと云へば「してゐる」と。 帰りゆきしあと15:00まへ出て奈良の大谷氏送別会へとゆく。「江戸三」とて春日一の鳥居前なり。料理まづく酒のまず風邪をなほりしのみに会費1200。けふnews映画見し。

5月18日
朝コーヒーのみて出、帰れば保田より東洋の詩人文人の名を中学教科書のためあげよと。『広東新語』を解説せよと。本庄先生より改めて22日17:00大東楼へ来よと。
rendez-vous(デート)の時間におくれ急行の速さに手をあはせゐしたはれ男ありき。ゆき見れば人はすでにゐず、時間超過45分なりしとてあはてし心をかしやな。
けふ山荘に偶然会ひし。安田章生へ『新古今名歌』の礼かき、保田へ返書かく。明日よりまた忙し。

5月19日
登校、salaryもらふ。手取り27500。山荘来り、竹内女史に紹介してたのむ。白井に電話すれば21日まで東京出張と。坪井に電話すれば秘書心当りなしと。西宮君計画の天理図書館ゆき、院長あとにせよと云ひしと。高校は試験で休み。文芸部をこさへるといふ7人と話し、アベノ橋で散髪。 アポロドロス『ギリシア神話』買ひ、佐野学『足利尊氏(80)』買ひ千日前。野崎に会ひてことわり云ひ、茂吉『正岡子規(80)』買ひして帰宅。山中タヅ子、松井和佐子より手紙。西保恵以子より24日10時に来よと。

5月20日
7:30出て短大。9:20出発、文芸一年の車にのる。長沖氏来る。須磨寺へゆけば若住職は小池義人とて元北野高校の先生。昼食後、長々と源平合戦の話す。すみて公園。鉢伏山へゆく連中に加はらず。増田正元の死せし肺病院の入口まで行きしのみ。老人連中の仲間入りし15:00まで待ちてバス。(※リンク写真あり)
三宮で下車し元町を歩き『玉台新詠集』買ひ『日本の女性文化(150)』買ひ『新漢詩作法(110)』買ひして元町より乗車。帰れば堀内、硲2氏よりハガキ。中川賄人また呼出しかけられ出てゆき、夕刻夫より退職といひ来る。

5月21日
竹村課長に中川のこと電話し、登校。津熊より電話。24日10:00天王寺のtourist bureauの前で待合すこととし、三並に電話すれば外出。例の出版社来り、来週会すると。中田印刷が後援と。漢文刷りて出、服飾の4人と大鉄departでice-creamのみ、松浦元一氏に会へば仕立代5〜7000円と。 「黒バラ」へゆけば喫茶店にかへる工事中。竹内には未練なしと。
近鉄案内所へゆき野崎にまむしおごられ夜学。『唐詩選』つかふこととして謄写版問題解決。安本文生またいやらしくなる。堀場正夫、小高根二郎、安田章生よりハガキ。

5月22日
学校。白井に電話して服地のこと云へばとりに来よと。三並に電話して縁談のこときけば断りの手紙已に出せしと。藤野生に電話して来よと云ひしところへ西川の弟現はれ、29日より3日まで在阪と。大阪屋証券に勤むと。花井彩来しゆゑ、姉裕嬢にとHeineと三好達治のハガキと渡す。
午后、山中たづ子来しところへ伊東花子氏来られ、香奠返しに盆と果物。栗山理一氏のこと云ひ連絡を約す。
宮沢生来りしゆゑ24日10:30の電車にてゆくこと云ふ。堀も和歌山と。伊東氏にもらひし果物片付け、藤野、山中と出て、山中のみつれ道頓堀で喫茶。ついで近鉄案内所へゆき野崎と文芸クラブの相談し、16:30出て地下鉄にて堂島大東楼へゆく。
本庄先生の謝宴にて山崎、山本、高橋、硲と6人そろひ、我、予備費の残484おわたしし高橋君通帳わたし、山崎君の米ソ即決論ききて20:00まへ散会。家に藤野より手紙。松本善海、川原湯よりハガキ。庶務課長、欠員補充どころではない多忙と。池本、色をつけよと。

5月23日
雨、10:00まへ会社へゆき杉浦氏に中川賄人のこと云ひ、新しく雇ふは臨時日給とすべきを云ひ、原氏に職安へ電話かけさすれば26日4人来ると。選定を原氏にたのみ、帰りて池本に超過勤務手当考慮をいひ、竹村氏に電話して道悪しく八幡製鉄の見学考慮されよといひて昼寐。
岩崎昭弥より前川佐美雄に会ひ「関西に大出版社出来るも貴下は見送られん」と、苦笑。藤野生にハガキ。石浜先生へ中村事務長の詩送ることとす。

5月24日(日)
9:00家を出て天王寺。10:00津熊来り、脚気にてゆけずと。東和歌山へつきて見れば堀、宮沢2人迎へに来る。公園前の喫茶店にゆき西保まち、やがて来しと一寸話し、もらひし弁当もちて公園。昼食し、14:00まで待てば鍛冶姉妹来り、英一の坂田?来る。
西保の隣に坐り、romanticの講義し、記念撮影(※リンク写真あり)すまして解除してもらひ、5嬢と新和歌浦、引返してブラクリ丁。ブラクリとは吊下ることと坂田嬢の話。急行食堂!といふにてrice-curry食ひ(990!)、土産あまたもちて南海駅へゆけば21:31。やがて来し普通にのり泉佐野にて急行とのりかへ、鍛冶姉妹と別れ帰宅。23:10。三並母より断り状。

5月25日
出るはずなりしが昼寐して止め、入浴。中川より来ざれどたのむと炊事へ。

5月26日
登校、4時間目、高校30分早くなりしこと通知なく呼びに来る。午後2時間すまし白井に電話し長沖氏に明日の教授会出をたのむ手紙かき、日野君と出る。南久太郎町2の22の東亜紡織に白井を訪ね、取引先へつれゆかれ「tropical」2yard半3500で頒けてもらひ、別れて島本にゆき正弁丹吾につれられ夕食。佐々木三九一大和銀行堺北支店長と。パチンコして別れ上六天地書房にて樋口勝彦『ローマ風俗考(60)』。
大手前へゆき坪井を訪ね、西川、服部(※西川英夫、服部正己)の会を6月1日ときめ、明日奥戸と連絡とることとす。france菊一株わけてもらって帰宅。西保嬢より礼状。

5月27日
9:00出て三越にゆきしに時間早く、茶のみ靴直し芭蕉展にゆけば栗山氏広島と。青龍展の佐々木邦彦の絵のみ見、大阪屋証券へゆきしも忙しらしく、淀屋橋まで歩き、凸版で『詩人全集』買ひ松本に寄り西川来ることを云ひ、11:00奥戸、坪井に電話し、大手前会館にて6月1日17:30よりときまり、出て古本屋見、1/25,000「和歌山」買ひて大阪駅。天理『善本写真集1、2』もらひ服部にゆきしも21:00まで帰らず。置手紙して来る。月々10,000欲しがり、本代と。
徳永昭子氏よりハガキ。『祖国』5月号。けふ中川賄人のうそばらしに来し人あり。「富士に入れると2000とりし」と。某社を夫婦して解雇されしと。岡山大学の先生と女学校の先生なりしなど大嘘と。

5月28日
雨。登校。西川弟に電話すれば16:00まで不在と。ひるすぎ誘ひに来し成尾、浜谷2生と出て三越。栗山理一氏と初対面。
ice-creamおごられて話し、別れて2生と喫茶、別れて大阪屋証券へゆき西川君に英夫への伝言の名刺わたせとと受付にたのみ天満橋をへて帰宅。16:30夕食して登校、夜学終へて帰る。
けふ会社へ堀辰雄夫人より電報。夕刊にものりをり辰雄氏1:30死去、48才と。alas!
鍛冶姉妹より礼状。岩崎昭弥より6月初来ると。けふ聞きしに石浜先生高血圧にて2回欠講と。

堀辰雄訃報記事

5月29日
雨。堀夫人にとりあへず弔電「あさま山みねのけぶりのいつまでもゐますとわれは思ひしものを」
登校、西川弟より電話かかり都合悪しと云ひしと。早速電話せしも不在。漢文の時間に堀さんの話し、硲君来しとききしも会へず。14:30藤野君と来し山中君と先づ近鉄depart。松浦氏を訪ねしも不在。お茶のみて待ち6月7日室満員とのことに14日(日)とかへ、会費200として出、近鉄案内所。
西川弟に電話して布施を訪ぬると云ひ、永井聿[正]氏を呼出し文芸クラブ会報に[円]にてやらすこととし、やがて来し山荘と上六。布施にて降り西川に6月1日まで出発延すことを承知せしめて帰宅。
堀亘、渡辺鐐子よりハガキ。創元社より『詩人全集8』1冊。けふ我も近鉄で1冊買ひし。夏服の寸法とってもらひし。

5月30日
会社にゆきしに賄人の後任また選びそこなひして来ずと。締切後といふに池本の臨時出講を5月1日とし、大手前にゆき坪井に会ひクラス会きけば関口4ヶ月間久里浜に入学と。生島ことわり来しと。本庄先生への案内かき、出て藤井寺。叔母、北村ウメノ君を可愛がる。某爺の話は冗談なりと。羽曳野病院にゆき荒井を見舞ひて帰宅。沢田より中島のドイツ本のこと。花井裕嬢より礼状。

5月31日(日)
山本の重役会のため大掃除。草とりやる。10:00城平叔父庶務課長と来り、パンとタオルと皆に呉れることとなりし。〒なし。堀夫人に手紙かく。

6月1日
雨。15:00出て堀夫人に香奠1000贈る。片町より歩きて大手前、島本に電話すれば行けずと。沢田に電話すればなほ心がけてくれと。([Ernst]Cassirer:Philosophie der symbolischen Formen Bd.W)。17:00坪井と大手前会館にゆき待つ内、西川、本庄先生、藤田、服部と主賓そろひ、梅本、横山、江馬、沢井、奥戸、前田、俣野、山田、白井と15人となる。西川芳の恋人に電話かけゐる中に散会20:30。
帰れば庶務課長宛に中川治子の夫、山分新一なる男より詰問状来り、返事われにたのむとなり。ハガキにて1.日割でなく月給制。2.貸借関係と荷物とのため出社せよと篇次かく。

6月2日
登校、雨。松本一彦に電話すれば、何とかするゆゑ来ずともよしと。日野君にカッシーラきけば持たずと。16:30帰宅。西保君の記念撮影の写真来る。
創元社より写真[返]り来る。今中同窓会より13日(土)16:30より委員会に出よと。
堀辰雄氏葬儀6月3日芝増上寺にてと。(※案内状写真リンクあり)
17:00株主ら叔父とともに来りしも会はず。入浴。『満文老檔』よみ終る。

6月3日
休。竹村課長に電話し、明日応援してくれることとなる。大高クラブより13日14:00り増山成夫の講演と。

6月4日
登校、昼の部教へて帰宅。堀亘より礼状。本庄先生よりrain shoesかはりしと。夕方またゆき夜、学校教へて帰る。岡崎君より6日(土)石仏展を見にゆくと。

6月5日
雨。ゴム靴穿きて登校、午後小野関大教授に事務室のこときき、出て住高へ寄り山本、硲2君と話し、山本事務所にゆけば浪江弁護士帰宅。山本は彦根と。佐瀬君より金借りて喫茶。
この間、壺井繁治来りてわれ拗ねゐるかと云ひをりし由。坪井に電話すればrain shoes心当りなしと。引揚者の住宅ほぼ出来上る。ハウスのチビ昨日死して河へ流されしと。もはや梅雨なり。京、虫歯にて医者へ通ふ。

6月6日
雨。会社へゆく賄の欠員中共の引揚者2名ありと。中川の夫山分より配給通帳をと。関大へゆき上[道]直一氏に石原修のことたのめば事務よびてききくれ外国語だけでも6科目欠、追試験手つづきしゐると。梅田へ出、古本屋見しも本なく『数学辞典』買ひ昼食。天満、瀧井。西川よりタイプの礼状。西保より礼状。けふ萩原朔太郎『遺珠(50)』買ふ。

6月7日(日)
岩崎来ず。〒なし。夜、衣川来りて、近畿大の話してゆく。

6月8日
雨。家居、〒なし。大江叔母へ速達して石原修のことを報ず。

6月9日
登校。『文芸クラブ誌』につき電話せしに日曜出来しと。山田鷹夫の紹介にて藤井氏嫁の問合せに来る。高校の奥村女史に紹介して答へてもらふ。15:00帰宅。布施消防署より人来り、懇談会の都合きくに、金又は土曜にと返事す。朝鮮の休戦いよいよ成立らし。けふ近鉄アベノdepartにて『南方閑話(70)』。

6月10日
家居。午後来し竹村氏に上出房子の手伝のこと云へばよしと。引揚の女、専務に会ひてのちきまると。西保君より明日学校へ来ると。夜、亀井昇母子来り、Biscuit呉る。

6月11日
登校、午salaryもらふ(26,887)。西保君来り、ともに出て加藤女史にゆき『Heine』1冊与へ、すぐ出て津熊家にゆけば照子不在。ナンバに出しに近鉄案内所へ野崎君不在。大丸まで歩き梅本に会へばrain shoesかはりしは彼と。大丸古本部で『新村出選集3冊(380)』。みつ豆おごられまた近鉄。永井夫人呼出して『文芸クラブ』代600払ひ、ナンバ高島屋で別れ夜学。
けふ学校へ道井の兄、田中長夫より手紙。作品見てくれと。帰れば保田の代理に深沢生より速達。土曜16:30大阪書籍へ来よと。

6月12日
登校、山中生より電話、井上生と来ると。佐瀬に電話し山本にことはりたのむ。14:00山中生来り、伊藤の不平ききてのち、ともに桑津の井上家。17:00出て帰れば杉浦、竹村二氏来り、19:00すぎ来て布施消防署長、大賀氏の話きき、帰りしあと原君酔って不快。

6月13日
10:00会社へゆけば満洲引揚の藤田女待ちをり面会に立会ふ。よろしとなり池川医院につれゆき、寮へつれ帰り、また出て山本事務所。きつねうどん佐瀬と食ひ山本を待ち、借金のことわり云ひ、伝言きいて別れ、14:00alateへゆきしも不在。置手紙し、大高クラブ。神原藤佐尾氏の経済楽観論きき(熊野判事、島本ら14、5人)増山来ざるに山田と二人出て、われは津守の大阪書籍。
保田に会ひ、堀辰雄、日本人の漢詩などたのまれ(散髪120)、西浜通りぬけ今高。すみしところへゆき夕食。山本重武と話しつつ食べ自己紹介。20:00出て饗庭君に会ひに坂秀へゆけば別居と。21:30出て帰宅。宮沢弘子より会に出られずとハガキ。

6月14日(日)
島居清君より9月頃天理図書館へゆくと。学術会議より名簿用紙。草刈りし、12:30出て駅へゆく途中、関大高校の長谷川君に会ふ。末吉栄三、伊丹第4中学へ転任せしと。石浜先生見舞ひしと。13:30近鉄アベノ百貨店へゆけば山中、奥村の2人のみ。やがて長沖氏来られ、16:00までに山荘、和島、吉原、吉川、中馬、野崎、東、北野、沢樹、堀、立川、藤野と14人のみ集り、松浦元一氏の話きき、最中よばれ17:00解散。
和島君と同車。藤井寺へゆけば康平叔父夫婦あり。久美子あり。やがて石原氏来り、修君のこと話し久美子母子と出てアベノ橋。ice creamくはせて別る。けふ北村うめの氏、目を泣き腫らしゐて辛しと。
いつまでもかはらじといひしその面わ眠れぬよるを想ひつづくる。

6月15日
家居。草ちょっと刈る。西保恵以子より礼状。夏蜜柑賜ふと。保田より支那童話をと。 きのふの礼状、沢樹(茶)、鍛冶姉妹(人形)へかく。夜、栗生来り、教科書代400借りゆく。図書6冊買ひて池田もち来る。

6月16日
登校、漢文教ふ。(西宮君と同行。アベノdepartで松浦部長への礼状托す)。梅田へゆき天満。帰れば布施税務署より5760を6月22日迄にと。津熊生、本庄先生より礼状。本荘健男、西宮へ帰り来しと。服部より本庄先生の講師復活に尽力したと。(西保君よりの夏蜜柑、小[坂]駅止に来りしと。)和島B子より手紙。いけずなのは他の子と。(土曜永山光文より電話あり。今東京にゐると)。

6月17日
晴、草刈。西保嬢よりまたハガキ。14:00出てアベノ斎場で降り潤一郎『刺青(70)』買ひ学校へゆけば15:00まへ教授会つまらず。18:00帰宅すれば大谷篤蔵氏よりこの間の礼状。

6月18日
登校、13:30本荘健男に電話し、一度会ひたしと云ひ、アベノ橋で『村の女性(20)』買ひて帰宅。夕立に会ひ安神夫人に傘かしてもらふ。17:00また出て登校。深沢君より19日都合しらせと。

6月19日
登校の途中、秋岡歯科にゆく。長沖夫人に会ふ。明日また来よとなり。講義すみて山中生よりの電話きけば疋田生と火曜来るとなり。就職希望大菊、藤原2君の話きく。大阪書籍に電話すれどかからず。14:30永井夫人にあんころもらひ、坪井に紹介かき、長沖氏にもかかし、別れて出んとすれば佐々木生あり。出てナンバ。芳鐘歯科にゆきしに忙しらしく、出て近鉄案内所。専務と話す中、佐々木生来り、沢樹生来る。17:00出てきた芳鐘、中山書店にて『西行の伝と歌(60)』。つるはしへ出て帰宅(けふ時間あまり青山正文の姉君に会ひ19年5月3日New Guineaaにて戦死ときく)。

6月20日
会社へ出勤cardもちゆき図書費5,6月分2000もらひ近鉄アベノdepartで万年筆買ひ(500)、斎場前で『堀辰雄詩集(230)』買ひ、秋岡歯科にゆきしも満員。大阪図書の深沢君呼び、昼食にパン食べて(40)、空くをまち13:30やっと施術すみ。また斎場前より飛田にゆき山王町2の46に金杉重信を訪ふ。25年ぶりか。誰とも交際なき様子。
アベノ橋に出て帰り徳庵で守屋美津雄に会ふ。「和田先生6月10日渡欧されし」と。中野英夫氏より首相官房調査室に4月より在り。役人いやになりしと。Kansai Asistic Societyより27日(土)16:00三條柳馬場のY.M.C.A.でと。

6月21日(日)
羽田より教科書送りしと。村上新太郎より詩5日までにと。午后宮本夫人2児つれて来りやかまし。15:00出て桑田博士をお訪ねし池内先生の本1冊おもちす。和田先生渡欧を知りたまはず。鴻池新田駅にて竹中靖一氏と同車。京橋にて思案し、吹田。パチンコして山本。風呂に入れてもらひ夕食して雨、小止みをまち沖野岩三郎『書き改むべき日本歴史(100)』買ひて帰宅。大雨となり待合せにパチンコせしも止まず。ぬれて帰る。

6月22日
一日家居、〒なし。

6月23日
9:00秋岡歯科へゆきしに抜歯あとにせよと。講義し、午ごろ来りし疋田君の詩を見、また漢文。すみて歯ぬかれ(右臼歯)、バスで難波。ナルシヤ小杉に会ひしも何もなく向ひの出雲屋。吉田栄次郎に会ふ。白髪となりゐし。杉本栄蔵、内外綿の重役になりしと。帰りより痛み出し夕飯くへず。島居清より9月天理への転任きまりしと。中央公論社より「花の便り」を詩選集にと。

6月24日
9:00秋岡歯科へゆく。腫れたりとてペニシリン打ちてもらふ。富士鋼業に電車し、甚幸呼び出し富美子、貴美子の所きく(貴美子現在匹田姓なることはじめて知る)。出て地下鉄にのり思ひついて今高へゆき筒井信義に会ひ、阪急産業で古田重郎に会ふ。Malacca海峡で会ひしは彼でなき由、不審。 池田にゆき宮本君に土産買ひ、篠田博士に会ひ、上村六郎氏に会ひ、助手に案内されて寮へゆく途、某助教授にきけば養徳社の××、○○と知人と。宮本君帰りをり岡本君も来り、話し池田駅まで送りてもらひて帰宅。新日本放送より歌曲の版権について契約書。その必要なしと返事かく。

6月25日
9:00へ登校、9:20歯科、弱虫だなと。消毒悪しかりしか腫れたり。土曜休みてはならずと。3時間すまし1-3月分25500もらひ、夜学欠講申し出で、昼食なしで出、(永井いつえ氏より坪井に会ひ注文来週受くとて礼状)。アベノ橋でice-cream食べ(50)、歩きて稲垣●友訪ねあて色々話す。(Heine12冊かもめで840)Heine1冊与へ雨の中を15:30出しも出がけに同窓会名簿置き忘る。寺田町の古本屋で『朝鮮歌謡選(30)』『万葉皇室歌人(30)』買ひて帰宅。塚本●子よりハガキ。成蹊吟社より7月19日(日)の案内と詠草print。

6月26日
雨、ゆく途中稲垣にゆけば名簿はあり、地図なし。昨日見し『切支丹宗門史』2冊でなければ売らずと。120にて買ひ、歯科へゆけば口あく練習せよと。西宮君と就職につき話せば小島の妹泣きしと。 昼食にシュークリーム食ひ、小野、長沖2先輩と話す。白浜行長沖先生には生徒より話ありしと。山中たづ子来り、ともに出て「かもめ」により『アテネの市民生活』とりよせたるにもはやすみしとて買はざるありと。
ナンバへゆき「黒ばら」訪ねしにまだ工事中。天牛隣にて喫茶、sandwich。別れてbusにて梅田新道。山本を訪ねジンフィズおごり借金かへしたり。杉山平一『ミラボー橋(100)』『切支丹(上)』など与へ別れてのち雲呑たべて帰宅。
けふ朝日放送より電話ある筈なりしと。28日(日)9:00京都駅前にて待合せ苔寺などへゆくと野崎groupより云ひ来りし。

6月27日
10:00秋岡歯科へゆく。事務の森君妊娠と。野崎君に京都の遠足ことわりて上洛。畠山家へゆき見れば移転せしらし。
吉野書房さがして歩き烏丸通に出て昼食してのちわかり、ゆけば高鳥、奥西兄弟あり。羽田に電話してのちほど研究所へゆくことを云ひ、折柄来し伊東追悼号の校正を見れば、保田、近代の詩人は伊東と蔵原と、我を除きたり。文学史的本音か。
15:00出て研究所。入りゆけば某氏の「歴代名画記」の話長くみなうんざりしゐる。小憩に出て藤枝にきけば今西夫人帰国と。我会ひにゆかんと云へば官吏の彼はゆきにくしと。今西いまだ在獄と。羽田と出てbeerのまし池内先生の本のことわり云ひ、三島一氏に便することを約して別れ、北白川の古本屋にて春夫『ふるさと(40)』、三浦周行『国史上の社会問題(40)』、赤松『結婚と恋愛の歴史(150)』、Loeb『スマトラの民族(2冊240)』『東印度の地理(80)』、本間久雄『婦人問題(80)』と買ひ、
薬師寺の母に会ひて詩集稿1ヶ月を約束して借り、百万遍まで歩きて帰る。

6月28日(日)
〒なし。昼食くひて小[阪]へゆき堀内に寄り『夜明け前のさよなら(80)』『加藤博士還暦記念論叢(350)』買ひ(ふしぎなことに茶出し菓子出し椅子出せし)、平山重子に寄りしに父母出、外へ出て夕まで帰らずと。出て道で逢ひjuiceのませれば話ありさうなりしが別れて松本。出て永和郵便局探しまはり見つかりしも不在。永和駅へ出て中西見れば引越しすましゐたり。腹立つ。ノート買ひ薬師寺の『受胎告知』写しはじむ。

6月29日
秋岡歯科へ9:20ゆき、すみて学校へ寄り史の在学証明呈出。道満生に明日佐々木節子(和田夫人)への贈物ことづけると云ひ、出れば庄野潤三に会ふ。祖国社へは10冊注文せし由。
帝塚山書店で春夫『霧社(20)』、辰雄『花あしび(20)』『南洋の植物(50)』買ひ、住高へゆきしに山本君授業中。Heine1冊この間の礼にと漢文の教師に托す。『李太白』手に入れしと。市電にて肥後橋。大同生命に井階房一訪ぬ。Dateなし。朝日に谷川訪ひ『古典全書』3冊出し由なればたのみ、rice-curryおごり(220)、朝日へゆき天野愛一よび出し、また、rice-curryおごり(240)、松村グラフ次長にとHeine托す。奥戸を訪ね、いまききし高坂の大朝経済部長新任伝へんとせしも留守。また古本屋にゆき佐々木君にと勇『恋愛名歌物語(100)』買ひ、高尾にて『明治天皇御集』と『昭憲皇太后御集』(20づつ)と買ひ、加藤先生の還暦論叢500なるを見る。Svarにゆき『珊瑚集(250)』そのまへ地図4枚(100)と、やきもき屋でのjuice代とあはせ1000以上使ひし。
帰れば国立図書館より『中国地誌 陝西省』来ゐしのみ。20:30になるも富士salary出ず、出ても一部との説ありしと。田中保隆へ『四季』返せと。

6月30日
登校の途、秋岡歯科による。もうほぼよろし。すみて学校より森岡宏子の実家へ電話し高垣の大阪転任を伝ふ。7月10日天理図書館へ修学旅行と掲示しあり。高校へゆき4日(土)学期末の会と。出席といふ。午ごろ田中長夫来り、原稿おく。15:00再来せよといひやり佐々木節子に電話すれば夫、和田氏出る。挨拶し道満洋子に吉井勇をわたし、午后2時間すまし(守本氏にきけば院長「田中あれで満足しゐるか」と問はれ「満足しゐる」と答へしと。白浜へは彼氏のみゆくと。高野山にも学生ゆくと。院長にはわが不参云ひしと)。田中とやきもきやでjuiceのみゐれば硲君来る。別れてまた近鉄喫茶室。戦争中、将校のだらしなかりしを咎む。夕、富士のsalaryとどく。 牧野徑太郎氏の詩集『拒絶』。片山純子より夫ドイツ留学に及第せしと。夜間入学の心得おしへよと。

7月1日
朝、池本にsalaryわたす。森田宏子より礼状。13:30出て近鉄depart階下で散髪。5階にゆき森潤三郎『鴎外森林太郎(50)』藤田元春『大東亜共栄圏地図帳(30)』買ひ教授会。三苫君病気とかで我、書記役にまはる。夏休みの計画さまざまなり。いやらし。
秋岡歯科に寄り、中学の西尾教頭と同車。鶴橋で下り俊徳道の永和郵便局長笹田繁造を訪ふ。長男学芸大2年と。全然記憶なし。帰れば『文芸日本』。けふ中野英夫へ返事出せし。7:00頃、松井和佐子枇杷一箱もち来り、呉れし由。

7月2日
朝、夏背広、松井夫人もち呉る。早速着て礼にゆき登校、昼の時間卒業写真写し12日〜14日三井寺へ大伴氏親子とゆくgroupにさそはれ返答留保。(松井和佐子に電話で礼云ふ)。きのふ死にたしといひし小野和子さそひ住吉社まで連れ出してきけば、妾腹を父に責めしと。本妻腹の姉より外に血族なしと。夏御坊へゆくと云ふに小竹稔の消息しらべてくれとたのむ。苹果買ひて石浜先生を訪へば臥床。郁子君なれなれしくものいふ。出てナンバ。小杉に一寸会ひ「天牛」へゆき、「中山書房」へゆき『馬来編年史研究(50)』とジョイス『若き日の芸術家の肖像(60)』と買ひ、アベノ橋へ出、すし食ひて夜学。(小野十三郎、昼『大阪』を呉る。『Heine』返しに与へし)。 すみて欠伸しつつ帰宅。〒なし。

7月3日
また雨。朝、歯科にゆけばこみて午後来よと。長沖氏にきけば明日の高校の懇親会に出ると。西宮君、大伴氏監督の三井寺行を守本主事にいへば叱られしと。あとで学生ら我にききに来しゆゑ大伴氏より院長に云はせよと云ふ。
帰り生島訳『第二の性』買ひ来りよめばつまらぬ本なり。松本一彦より千川と増井の住所しらせ来る。小高根二郎より増山のこと。鈴木治氏に10日天理行をしらす。けふ帰途、生れてはじめてTelevi(※テレビ)を見しにnews映画やりゐし。

7月4日
雨。痔きのふより発病。15:00出て会社へゆき寮の扉の修繕たのみ出て小阪。堀内に『第二の性』売り(150)山口実に会ひてラムネのまされ、別れて上六。生玉まで歩く途にて『地学辞典』と福尾猛市郎『日本家族制度史』買ふ。PTAの会、下卑てつまらず。痔を申立て(院長にも云ひて高野山の断りすみし)て帰宅。けふ村上新太郎氏の『薔薇』へ詩「夏」を送る。

7月5日(日)
また雨。山尾浩子より勤めの様子。笹田繁雄より中西と浜名の住所しらせ来る。15:00出てbusにて天満橋。梅田にて柳田国男『母の手毬歌(30)』。『陰名辞典』方々で見し。

7月6日
10:30京都。新京極角にて高群逸枝『母系制の研究(200)』見付けてうれし。彙文堂へ久しぶりにてゆけば主人留守。岩村・藤枝『蒙古研究文献目録(150)』、長沢『漢文学概説』『漢の武帝』買ひ、下総町にゆき祖母へ300おみやげにし、髭剃り、出て大学。
佐藤圭四郎講師と話し羽田待ちしも来ず(岩村氏に会ふ)。野田又男にゆけば帰宅。渡欧はまだしてをらず。研究所にゆき藤枝待つ間、平岡氏と話し、篠田博士に一寸会ひ、藤枝より『東洋学報』2冊分けてもらひ、篠田氏まつ間書庫へゆきしも『毛大将軍海上情形』見つからず。17:00篠田博士と話し、ぬき刷多くもらひ『陰名辞典』贈りて退出。京阪楼上でchicken-rice食べ、帰ればまだ日くれず。山本書店より書目。浪華芸文会より11日(土)15:00阪大での案内。

7月7日
登校、時間のあひまに歯科にゆけばまだ虫歯一ありとてはじまり、ちくちく痛む。雨降り出し山中田鶴子嬢に傘もって来てもらふ。19日9:00より助松へ海水浴と。石川喜久子送別会をことわりしと。15:00帰れば松本一彦より川崎民昌、小川俊郎の住所。

7月8日
秋岡歯科へゆく。学校へ寄りしところ、西保君よりすぐ来ると。10:30来り、壽岳博士へ礼として香水瓶。われにも呉る。ともに出てナンバ。不二屋でrice-curry食べ(興地先生の甥?に小出楠重氏未亡人より話ありと。●めしかどきかず)。別れて布施消防署。いろいろ話きき防火演習見て17:00。堀口に寄り、足利惇氏『ペルシアの旅』と須山『アジア民族の研究(30)』。帰れば依田義賢渡欧につき7月18日16:00りめやみ地蔵で送別会と。埜中清市より『くれなゐ』また出すゆゑ歌をと。けふ在原の勤先さがせば2、3年前につぶれしと。

7月9日
定期(560)買って登校、2年に図書館のこと教へ、1時間きり。就職希望2名の話きき、高校の試験答案とりて出、調達局に科野を訪ぬれば25年振りなるに「田中か」といふ。出て府庁にゆけば三橋退職。三好は布施府税務[署]長。大丸に木下義三訪ぬれば7月1日退職と。野上『朝鮮台湾海南諸港(120)』『蕪村(50)』、柴田武『文字と言葉(80)』買ひ、梅本吉之助呼出してice-creamおごり(100)、出雲屋でまむし食ふ中、吉田帰り来る。今高のPTAにゆきしと。出て服飾の子に会ひ4人にice-creamおごり(260)て帰校。夜学教へて帰る。
けふ大手前へゆきしも坪井出張。小野十三郎より『詩集大阪』につき読売にかけと。村上新太郎より礼状。山前実治より18日ぜひ来よと。

祖国1953.07

7月10日
9:00まへ学校へゆきbusにのりて天理図書館。見学の間鈴木氏の室に長沖氏と坐り、生駒氏と話しゐしのみ。すみてお玄関にゆき久しぶりに真柱に会ひ、お膳出され、本殿見学の連中を呼びにゆきciderのませてもらひ、薬師寺やめさせ18:00帰校。
秋岡歯科にゆき木下義三の家さがしあて、夫人に来意いひて帰宅。『祖国』伊東号来り、『東方学』6来り、堺刑務所長より来れと。

7月11日
秋岡歯科へゆく。すみて高校漢文の採点すまし、伊藤君と出て高野線、出雲屋でまむし奢り、近鉄案内所へゆきcoffeeおごられ19日の海水浴、29,30,31の志摩行約束して帰る。
伊東の忌明けに会ひし織田喜久子女史より手紙。中島夫人への「恋愛せよ」は宜しとなり。

7月12日(日)
朝、三井生命の社員2名来り、寮生の勧誘してゆく。午後ひるねせんとすれば山前実治君来り、Goethe(『ゲエテ詩集・新しい戀(訳詩)』※)120冊おきゆく。夕食くはし天満橋まで送り、パチンコやりdrop缶土産とし、chocolete1ケもちて坪井にゆく。

7月13日
秋岡歯科へゆき学校へゆかんとすれば、漢文の採点来ずと浜口大さはぎせしよし。すませて伊藤君より菓子もらひ、高野線にて難波。山口千恵子に会ひice-creamおごり別れて丸善。
山本理事長の2嬢に洋書(275+400)、東亜紡績へゆかんとし見つからず島本商事へゆきしに社長留守。南久太郎町とわかり白井に会ひ礼いひ『Heine』1冊わたし本町2丁目よりのりて帰宅。中野とし子生より遠足の礼。木下夕爾より『木靴』4。

7月14日
理事長宅へ中元もちゆき夫人に会ひ秋岡歯科。すみて学校へより三苫君よりbonus20日すぎときく。ナンバへ出、十合へゆき今川の子らに本660、sandwich食ひ今川へゆきマミ子へと香水わたし久美子と話して藤井寺。鹿熊猛に途で会ひ、後刻話さんといひ18:00まで待つ。中村治光家を150万円で売るとなり。猛君と話しすし食はされ駅まで送られて帰宅。
けふ帝塚山書店で川島元次郎『徳川初期の貿易家(100)』買ふ。江馬春夫より暑中見舞。原課長、明日8:00でに会社へ来よと。15:00で行けずと云ふ。

7月15日
朝、ねんとせしがねられず。西保君より和歌山文芸会26日と。安田章生より8月10日までに10枚ほどをと。13:00買物にゆく悠紀子に読売への『詩集大阪』評投函たのみ、15:00会社へゆき、竹村氏に会へば寮の運営につき相談せよと云はれしと。明日8:00来よと。
秋岡歯科へゆけば明日で終りと。すみて学院の宿直泉君に会ひにゆき傘借りて出、tennisの練習しゐし2生とアベノ橋でice-cream食ひて帰る。けふ洋服仕立代3000払ひしと。

7月16日
8:00会社へゆき12:00で杉浦、竹村、原3氏と会議。寮の出納みなわが管理となる。一旦帰りて3年生の最後の漢文やり、電話かけ来りし木下義三にゆく。満鉄にゐて帰り大丸につとめしも大損害与へてやめ独立するつもりと。けふ池田眞砂子よりreport郵送。

7月17日
9:30出て梅田。雨ときどき降る。フックス『風俗の歴史』買ふ。〒なし。原監督22日より月末まで帰郷と。けふ日給制など申し渡せば不平らし。

7月18日
15:00まへ出て会社。杉浦氏待つま、野崎に電話かければ明日の海水浴とりやめと。山荘も出て伊勢に先生行くことにしておいてくれと。竹村課長よりcoffeeのまされ炊事婦のbonus預り、富美子入院の見舞を約して京阪にて京都。四條めやみ地蔵へゆけば依田君をり、のちほど来ると云ひ薬師寺の母上訪ひて詩集返す。同居に池内宏とあり引揚の警官と。
めやみ地蔵へゆけば小高根二郎、大西卯一郎、天野大虹[※隆一]など日ごろ来ぬ連中みなあり。すし食ひ写真うつされ依田君に西島大(※弟のこと)きけば知りゐると。20:00まへ出て帰宅。
小野和子より「小竹稔、大阪に勤めゐる」と。佐々木(和田)節子より挨拶。けふまた紀州水害。白浜へは行けざる様子。(京都四條にてbus待つ間に津田左右吉『古事記日本書紀の研究(500)』。)(父来りしゆゑ、夏衣与へ伊勢行はなせし)。

7月19日(日)
8:00会社へゆきbonusもらふ。帰りてあけ見れば8000。その他にsalary7月より5800とすと。断らんと思ふ。午後西宮君にゆけば留守。帰り堀内に寄り『千恵子抄(40)』『木綿以前の事(100)』買ひ、松本にゆきて帰る。夜、西宮君来り、文芸のadressもち来り呉る。

7月20日
午前中ひるね。午後会社へゆけば専務、杉浦、竹村諸氏みな不在。西九條にゆき東亜鉄工所にゆき小竹稔に会ふ。御坊へその中帰ると。警察病院へゆき里村14:00頃帰りしと。富美子見舞ひ、小野和子訪へば既に白浜より帰りしと、安心。雨中を帰る。

7月21日
朝、電話杉浦氏よりあり10:00ゆくと答へゆきて城平叔父に会ひ昇給ことわれば予備費とすべしと。購入、支払、保管などみなやれと也。出て警察病院に里村訪へば欠勤。名刺托し富美子に会ひ、付添の斎藤嫗と話し、東桃谷の塘訪ひ中田歯科といふにて石原の転居先とひ、busにて天王寺。長居へゆき石原に会ふ。肺患きいてはなきや、2児の父。西へ歩き後藤田の家の前とほりPLの横へ出、busにて天王寺。帰宅15:30。 けふも〒なし。紀州の災害にてさはがし。けふ史の通知簿見れば解析T15点、吾にはなかりしこと也。

7月22日
家居、朝、羽倉啓吉より暑中見舞。吉本青司『夏路』。午後西保君より26日の都合問合せ。宜しと返事す。

7月23日
家居、菊池淑より暑中見舞、退職と。内田敏子より書類。税務署より予定申告31日迄にと。『野村英夫詩集』。竹村氏来る。夕方草刈り。

7月24日
杉浦氏より電話「9:00会社へ来よ」と。ゆけば城平叔父より父に用あり連絡とれと。帰りて史、散髪さす。小野和子よりハガキ。中野トシ子より8月9日(日)遠足と。児玉敏子(L1)より暑中見舞。三苫氏よりbonus14,000。午後田中啓之より暑中見舞。史に2000もたし500与へて京都へゆかす。

7月25日
会社へゆけば父をり8月より手伝ひせよと云はれしと。7月分俸給表出し、200父に借りて散髪。家に帰りて父より大の家きく。28日より泊りに来てくれる由。17:00八木君来り、neck-tieと石鹸半dozenと呉る。夕食して中西へ案内す。経過宜しとなり。すみて生駒まで同車、服部を訪へば土地買立てを責められて不快。salary50,000と。けふ峯嬢より暑中見舞。栗生より家助かりしも田畑駄目と。

7月26日(日)
8:30家を出、天王寺9:30発の阪和にのる(けふ私鉄はst)。10:30和歌山着。出迎へなし。ce-coffeeのみ思案せしのち一先づ水軒口下車、西保家たずねゆけば27、28両日のつもりなりしと。 父母君と話し、昼食たまひてのち宮沢、堀2嬢を加へ、雑賀山にゆき新和歌へ出れば19:05。古本屋見、堀家へゆき母上に挨拶申上げ、夕食たまはり西保家へまたゆき泊めてもらふ。(星林高校の同級生玉川岳雄氏より詩集もらひし17才の作と)。

7月27日
よべ『文芸』堀辰雄追悼号をよみたり。堀さんも怒ることありしと。 9:00出て堀嬢の手配にてmoter-carにて和歌山市駅9:30の急行にのる。ナンバ着。近鉄案内所へゆけば野崎嬢、家へ速達せしと。別れて帰宅。
史、帰り留守しゆき子、京、依子で海水浴。昼寐すれば悠紀子ら帰り来る。夕方病人3名あり。医師来るも心配なし。
伊東花子夫人より創元社の全集につき問合。藤原幸子、明渡淑江、吉本恭子より暑中見舞。西保嬢よりいれちがひに27日来よとのハガキ来あり。けさ10:00朝鮮休戦成立。夜、栗生来り、有田川の水害につき話す。

7月28日
よべ不眠。7:00家を出、上六へゆけば:00前、誰もゐず、8:30鍛冶姉妹、野崎、山荘、和島、椿下と6人になり8:40の特急にのりこめば前の席に江馬春夫あり。名古屋へゆくと。[宇治]山田で我のみ降り、健の家へゆき治子に会ひ、順、恵子の甥姪はじめて見、菓子と衣類与へ連絡たのみ、宇治山田より鳥羽までbus。電車まつ間に親子丼平らげ賢島より船。鯨望荘に15:00着き入浴。夜、隣室さはがしくて寝られず。

7月29日
昼すぎ伊藤嬢来る。午后海女見にゆき泳ぐ。スマトラのmedanのpool以来11年目なり。この日、客われらのみ。夕方、宿田奈といふところまでdrive。

7月30日
8:10の浜島発にのるため早起、港までみな送ってくる。11:40宇治山田へ着。健、待ちをり、転任の件につき話きく。三重県より出れば恩給年限にもならずと。山本下駄店が治子の実家と。宇治山田銀座で『宇治山田』『波切』『鳥羽』と地図3枚買ひ、順にと絵本2冊与へ、赤福餅貰ひ、古本屋へ案内され『延喜式神祇4冊(550)』買ひ14:22山田発にて帰宅。暑し。
留守中、松永弘江より9日の遠足新薬師寺へ?9時上六へ集れと。西田敬一より新事務所を世話せよと。藤野一雄、伊東追悼号に感激と。八木嬢より礼状。杉本聿子より暑中見舞。読売新聞より小野『大阪』評2000(-300)。会社10000仮渡しとしてくれしのみ。

7月31日
水野雅子、山本敦子より暑中見舞。和歌山市詩人会の寄せ書。盛会にて14人あつまりしらし。昼寐し(悠紀子、税金930を1回目として納めにゆきし)16:00会社。salaryの残りもらひ(note1冊もらひ)原君にわたす。富美子退院と。赤福餅を甚幸に与ふ。帰れば午后の〒、山本敬子、森田宏子より暑中見舞。末吉より豊中市立第4中学へ転任の挨拶。

8月1日
9:00会社へゆき竹村氏と話し、10:00出て天満下車。市交通局病院に出雲礼子を見舞へば面会時間12-13、15-17時と。読売にゆき受取渡し、埜沢宏君と喫茶、『文芸汎論』に詩かきしと。
山本事務所にゆけば病欠と。電話してことわりてのち佐瀬と出て昼食、news映画を見、古本屋へゆき柳田『海南小記(80)』。別れて『薬師寺、唐招提寺(岩波写真文庫)』みやげにもちて出雲生にゆく。入浴中なりし。「漢字の音と訓」をreportに命じて出、氷西瓜たべ、保田『萬葉集の精神(100)』見付けて帰宅。
家長禎子、石川孝子の2生、徳永昭子氏、小山正孝氏より暑中見舞。夜、徳庵駅付近より出火、2時間燃ゆ。あとできけば黒田製薬の空地買ひし田辺化学なりし。

8月2日(日)
よべ12軒もえしと新聞にあり。花井、井上恵子(L1)、則武、佐々木(L2)の諸生より暑中見舞。西宮君、中元におこしもち来り、昼食し羊羹もちゆく。小島憲之氏の論文のりし市大の『人文研究』2冊もち呉れし。

8月3日
10:00出て会社。父をり城平叔父より東京行と。会ひて5万円ほど借りたしと云へど埒明かず。竹村氏に薬品代730わたし、出て片町までバス。坪井にゆきて茶のみ、ナンバにゆき荒木利夫訪へば欠勤と。黒バラへゆけば川端康成命名で「面影」といふ喫茶店になりをる。近鉄案内所にゆけば野崎、石川の送別会の打合せまだ出来ず、多分7日にならんと。上六まで歩き、途中柳田『妹の力(120)』、上六天地書房で柳田『新図学談2冊(100)』。近鉄鶴橋まで出て帰宅。宮沢、西保、内田の諸生よりハガキ。『伊東静雄詩集』出来。

8月4日
10:30学校へゆく。『プシケ』の伊東追悼号3冊、関大より2冊+xとして12900もらひ平山、吉原に会ひ教員免状預り、ナンバにゆき山中たづ子に会って渡す。石川喜久子の送別会10日?別れて肥後橋。石原産業にゆき渡辺、松井2生に免状わたしjuiceのませて出、『陰名辞典(450)』買ひ直し5000預けて帰る。堀姉妹へのハガキ帰り来る。実生、鶴身、藤原加代、西本、松下、杉田諸嬢より暑中見舞。保田より漢文教科書につき手助けせよと。
名ばかりの新婚旅行にゆくといふ妹の鞄ゑらびゐしはや。

8月5日
起きがけ原君来り、9日(日)に大掃除せよと。やがて竹村氏より電話かかり同じことを。夕まへ草刈り入浴。夕食すまして小阪。堀内にゆき『日本の言葉』『日本中世史』『日本庭園発達史』(150)。
けふ暑中見舞。●田雅子(L1)、岩崎昭弥、田代充雄、百済●子(L2)、島本貞三郎、辻芙美子(L1)、佐瀬和子(L2)、瀧脇清子(食1)。末吉栄三よりその中自転車で来ると。

8月6日
会社へゆき寮へ5万円の借入に判おしてもらひしのち12:00すぎまで待ちて竹村氏を布施消防署へ砂糖5斤×3をもちてゆく。(徳●へ1500屎尿汲取代)。この間の火事の弁解気の毒なりし。別れて上六へ岩波写真文庫『薬師寺、唐招提寺』買ひにゆき天地書房で肥後『日本古代史(40)』。帰れば留守中、賄の後任来しと(けさ藤田結婚の為4、5日中にやめさせて呉れと申し出し)。暑中見舞、藤原由子(L1)と●本●子より。

8月7日
城東消防署の上田氏、辻といふをつれ来る(富山県人43才)。会社へゆき医師につれゆき洋傘おき忘れ、梅田。坂秀へゆきて聞けばアエバ君まだここに住まふと。山本にゆき逢ひしも佐々木裁判長の黙祷事件につき話せしのみ。『蒙古土産(50)』買ひ和島弁護士にゆき、B子ちゃん出しあとと。父君に話しゐる中、熊野判事来合はす。出て東京銀行にゆき奥戸と話し、そば食はされ古本屋見て別れ、津田『日本上代史の研究(280)』、梅原『朝鮮古代の墓制(150)』を高尾にて買ひて市電にて京橋、帰宅。野崎そのより10日17:30より石川喜久子の送別会をすと。浜谷照子より教室での我の写真。撫養育子(服1)、平山重子より暑中見舞。

8月8日
辻9:30来るを見、短大へつきしは11:30。本荘健男に電話すれば東京出張と。8月分salaryもらひ29日13:00ナンバに集っての高野山行承知して荒木利夫に電話し13:00勤先にゆき誘ひ出して昼食rice curry。彼はbeerのむ。けふ依田義賢日本を出ると。中共貿易に専心すると。「面影」へつれゆきてcoffeeのませ、別れて十合の古本屋へゆけば西保嬢きのふ来しと。春夫『熊野路(90)』。
大丸へゆき本名和子母子に会ひ、古本屋にて『豆の葉と太陽』『雪国の春』『海南小記』(あとにて家にあること判明)、原『東山時代の一縉紳』にて310。『犯言記 上下(200)』買ひして全田叔母に遇ひ、茶のませ片山良展の悪口ききて帰宅。深沢生よりその中来ると。赤穣生より暑中見舞。けふは立秋。

8月9日(日)
8:30までに上六へゆきしも、ややして早雲来りしのみにて9:30まで待たされ、12人にて乗車。西ノ京下車、薬師寺、唐招提寺を見学。昼食後、別れて奈良に8人と出て、春日奥山をめぐり(※リンク写真あり)ice creamを鴬陵で与へ奈良駅で別れ、野崎家へ立寄り安田章生にゆけば留守。夫人に『堀辰雄追悼』渡せずとことわり、汗ふきふき帰宅。 けふ寮大掃除中、高野敏子お中元もちて来りし由。暑中見舞、西宮、中馬、開順子(?)、織田ユリ(L2)、富永治子(服2)。

8月10日
暑中見舞、八木(L2)、小野(L2)、西岡(L2)、安部(L2)、山本(L1)。伊東未亡人より同。 14:00すぎ服部夫人来訪。藤田美津子にsalaryわたし餃子つくりて食はさる。会社へゆき杉浦氏に報告。 17:30本町二丁目の出雲屋にゆく。長沖氏も来られ東、伊藤、内田、岡、鍛冶姉妹、菊池、岸、北野、後藤田、斎藤、相良、立川、中島、寺本、野崎、疋田、平山、藤野、堀、前川、松井、宮沢、山荘、山中、山尾、和島、渡辺と石川[喜久子]の送別会として中々の盛会なり。20:00まへすみて石川、後藤田、岡、疋田の4人とice cream。Ohioのcolombus市の近くの大学へと13日出発の由。

8月11日
朝、9:30硲君、中元もちて来訪。昼食くひてもらふ。夫人分娩の為京都へ帰らると。馬路、小島2生より暑中見舞。小林君子の父、仁太郎氏より中元にwhite shirt。

8月12日
晴つづき朝の中、咲耶と母と来る。父もしばらくして来り昼食に冷しうどん食ひ、母らは宝図寺へゆく。藤原(L2)、西保、沢樹、中井、遠山、阿部純枝(?)、斎藤堅太郎氏より暑中見舞。

8月13日
晴。けふも家居。堀内民一より日本歌人の会の案内。斎藤かづ枝、成尾、山城諸生より暑中見舞。夜、将棋さす。

8月14日
9:00すぎ会社へゆき、辻賄人の日給170如何にとの伺書かき、父に3000与へ、立替の電気代もらひ天満橋より桜橋に出、高尾にて有高『元代の婚姻(90)』『淮南子(120)』買ひ、ヨシカズ書店にて『朝鮮開化史(100)』。リーチで『食物と心臓(90)』買ひして山本事務所にゆけば来ず。rice curry食ひ『宝塚』『西宮』と地図2枚買ひてnews映画見、雨にあひ嘔吐に会ひして帰宅。
けふ阪神departて革belt(70)、安全剃刀(70)、同刃(70)買ひせし。中野とし子よりうれしかったと。山尾治子よりも同。花井裕、津熊照子よりは暑中見舞。図書新聞より『伊東静雄詩集』について書くや否速達にて問合せ。
ひだちのくにいしをかまちへとゆきし子やわがいひしことのろひとやきく。
この子はもしあはせに生きよそびとを愛するすべを知るとやきほふ。

8月15日
家居。新潮社より『堀辰雄全集』編集につき書翰の問合せ。しらべしにハガキ3枚のみ。西保嬢信州より。夜、大雨警報出づ。きのふ山城南部水害。

8月16日(日)
きのふの水害にて沢樹澄子の中和束村被害らしく、11:00出て先づ坪井にゆけば盆にて帰郷と。
関口、東京の業務学校長の栄転の由。新聞にて見しを伝へ、梅田にゆき阪急にて地図買へば沢樹のところは徒歩にてはゆけるところではなきこと判明。関口を訪ねることとし、新伊丹で下車すれば不明。公衆電話すれば夫人迎へにお越しと。稲野まで引返せば駅前に夫人と末女とあり。家はすぐ近くにて西瓜(240)土産とし神戸へ映画見にゆきし関口の帰るを16:30まで待ち、官舎なく単身赴任ときき、近々坪井にクラス会開かすこととして、18:00退去。
柳田『秋風帖(50)』svarで買ひて帰宅。夜、熊本工高の教師よび西瓜くはす。けふ二部の欠課生らに通告5枚。地理調査所『上野』『笠置山』購入。佐々木●子講師より暑中見舞。西保恵以子小諸より白樺の手紙。堀さんのハガキ3枚のみありと新潮社へ。雲井預けの原稿とりかへせ、田中保隆にゆき『四季』のこと訊ねてくれと大(※弟)へ。

8月17日
新聞見しに中和束村の全滅家族として沢本國之助といふあり。出て会社へゆけば田辺化学移転をはじめしとて城平叔父怒る。坪井に電話して13:00すぎゆきしに、電話かけしもかからざりしと。朝日に電話せしむれば高垣来週まで九州出張と。今中11期の丸井貞男氏と校長会の打合せする坪井と別れ、思ひついて梅本にゆき、Münchenあたりでいかにと云はれ、十合でice creamおごられ山田鷹夫にゆきしも不在。置手紙してMünchenにゆけば三階宴会場と。野崎嬢に会ひ沢樹君のこと云へば大毎にききくれしも不明。天牛にて柳田国男『山の人生(80)』買ひ鶴橋をへて帰宅。 けふ森桃子、高橋玉ィより残暑見舞。渡清孝より23日片山良展の送別会す。ただし本人の出欠不明と。ことわりの返事出す。

8月18日
9:00出て関口へ速達出し、阪神へゆき大河原に明日の出席約せしめ、横山に電話させ、山本事務所にゆき生島、坪井、梅本、後藤に出席約せしめ、藤田、白井、俣野、山田、山本には伝言たのみ、奥戸に寄り文甲、今度は除外するとことわり、高尾で栗山周一『日本闕史時代の研究(230)』買ひ『伴信友全集5冊(350)』、津田『神代史の研究(300)』買ひたしと思ひてrice curry食ひ、京橋まで来て気がつき鶴橋をへて戎橋。
Münchenに室約し(服部に速達)、米沢幸子の母に会へば十中八九沢樹一家全滅はたしかと。小阪に姉夫婦をり見にゆきしと。野崎にしらして帰宅。
図書新聞より『伊東詩集』の評24日までに600字と。稲田郵便局長より電報電話につき不満を云へと。『薔薇』14号、「夏」をのす。

8月19日
郵便多く来る。先づ『薔薇』の村上新太郎氏より謝礼500円。田中長夫よりgroupを作りその資金かせぐつもり故、出版急げと。山中タヅ子より母帰り遊びに来よと云ふと!八木嬢より明子妹8日茨城県に嫁ぎし、図書館20日より開くと。大より大田区山王1の2600岩谷方に転居せしと。安田章生より25、26日までに原稿をと速達。残暑見舞、野村朝子(L1)、上田阿津(L1)子、佐藤和子(L1)、大菊佳代(L2)。
18:00出て天牛見て有朋堂文庫『大岡政談』見つけきけば1500が相場なれど600と。Ludwig『イエスの生活2冊(60)』買ひMünchenにゆけば関口、坪井、山田、俣野すでに在り。後藤、山本、梅本と8人にて3840飲み(6900)、山田に2次会とて肥後橋につれゆかれ、別れて山本、後藤と曽根崎の待合、山田に900返却。帰宅23:50。
けふ「雄略天皇のこと――記紀研究序説」書きはじめ、夜、大阪駅に硲君に会ひし。

8月20日
9:00会社へゆき欠食表作り、城平叔父と話せず。11:00出て散髪。34.5℃と、暑き中を帰り山口千栄子のハガキ、岩崎昭弥の30日(日)来ると云ふを見る。午后、電話かかり欠食表だめと。『東洋史研究』成蹊吟社次回は9月9日(水)と。

8月21日
8:00家を出、天理着10:00。時報社滝井氏に会ひて『新村出選集4』たのみ、もって来て貰ふ。図書館にゆけば11:30。富永氏に一寸会ひ『書紀集解』借り出し研究所にて山崎、佐藤誠、中村孝志の抜刷もらひ、昼食して『集解』よみゐれば八木嬢より電話、来よと。大浜に電話し会って18:00ゆくを約し八木家へ祝300もちゆけばお返し30円とタバコ5ケ。すみて大浜君にゆきbeerのまされ夕食たまはり23:00帰宅。
玉川君より自転車預りありと電話と。村田幸三郎より玉村式索道KK取締役営業部長となり東京へ赴任すると。早雲洋子より遠足の写真。山尾浩子より体良しと。松本善海より近況。家本実枝子より遠足の礼状。渡敦子より片山も出席につき日曜来よと。けふ13:00服部来り、速達外出後つきしと。

8月22日
9:00出て会社へゆき自転車の話きき城平叔父に話して辻の日給170にしてもらひ、食費表書き改めを承認し、10:40のbusにて大手前。府庁にゆき後藤田に会ひice creamおごって貰ひ、水川氏にまた田村doctorにつれて行けと云はれ、江商にゆけば村田幸三郎14:00まで他出と。大毎にゆけば富士正晴きのふ退職と。天野愛一木曜まで賜暇と。
高尾で『神代史(300)』買ひ『伴信友全集5冊(750)』買ひのがし、山本事務所にゆき佐瀬君に原稿用紙かはせて600字『伊東静雄詩集』批評をかき、本屋で図書新聞社の所ききて速達す。
けふも暑し。村田に電話すれば明後日赴任と。西野は不都合により解任となりしと。この次帰阪の節、送別会すると約してすまし(坪井に電話すれば24日16:00に大手前高校へ来よ、泊りがけのつもりせよと)。松永弘江よりこの間欠席のわび。小野和子20日まで六甲山上にゐしと。宮口(L1)の残暑見舞。

8月23日(日)
杉本聿子(食1)よりハガキ。午後冬over買ひにゆき子弓子と十合へ。先づ大丸でwhite shirt寸法とり(5日出来と)、十合へゆきしもよからず、ice cream食はせて古本屋。鴎外『涓滴(80)』『パプア(100)』『青白赤(100)』、春夫『薔薇と真珠(70)』『Rubens(20)』『宗達(40)』『湖国を行く(30)』と買ひ、学校へと『矢野峯人訳詩』と『方言手帖』注文して帰る。寮の自転車修繕(500)。(十合製本屋粗雑とのことにて行はず)。

8月24日
安田章生へ「堀辰雄追悼」10枚送る。東洋史研究会へ200円。峰明子より澤樹澄子に見舞出せしに全家行方不明で返り来しと。芳野清より久しぶりのハガキ。堀辰雄のこと。15:00出て大手前へゆき16:00来し関口と京都。畠山氏の新居(下京区西七条市[部]町5 電下3932)へゆく。祇園菊乃井にのみやの女将、弁、小袖、豊千代、小照など来り、21:30まで飲みて京橋23:25にのりて帰宅。

8月25日
けふ眠し。沢樹のこと本多、米沢の2人より絶望と。守本主事より30日の帰り午ごろに早くなりしと。藤井勝子(2L3)より残暑見舞。西保君信貴山より。三木正浩君より●先生昨年死なれしと。夕方雷雨。停電。
19:00出て梅田。『須磨』『神戸首都』『神戸南部』買ひ、氷食べて時間つぶし20:30platformにゆけば関口、坪井すでにあり、保安隊の見送り盛。島本も来る。21:00送り出して坪井とjuiceのみて別る。失ひし扇子学校にありと。

8月26日
9:00会社へゆき城平叔父に8月分給料支払の印おしてもらひ7月分寮会計41,000不足の報告をし、高野山行の届をす。近鉄departで松田道雄『結核をなくすために』買ひ、横山青蛾『日本女性歌人史2冊(70)』買ひ、大江へゆき昼食す。関目の叔母も来会す。14:30出てbusにて羽曳野病院、橋本須美子は個人病室にあり。松田道雄与へ15:30のbusにて藤井寺へ帰りアベノ橋で靴直し(170)、内田『近世の日本(65)』を天海堂で買ひ、氷西瓜食ひ寺本の家さがせしも見付からず帰宅。安田章生より稿料1,000。

8月27日
山中タヅ子より31日沢樹嬢の姉を訪はんと。1日にてはいかにと返事す。田中長夫より原稿今しばらく預れと。奥村宏子より10日の会に案内なかりしと。若野洲(L2)より残暑見舞。午后会社へゆけばsalaryけふは出せずと。父のsalary10,000と。城平叔父に明日よりの高野山行ことわり、原君にもたのむ。

8月28日
〒なし。安部に3000内渡しし12:00前家を出て近鉄案内所へゆき野崎に会ひ、山中に電話かければ1日13:00上六洋裁へと。高島屋へゆき『仰臥漫録(50)』買ひ13:00ゆけば守本主事あり。coffeeのみにゆきて13:20特急にのる。同車に東本願寺法主ありたりと。仏教会議と西本願寺もあり。成福院にも長井真琴博士、中山太一氏あり別室に泊めらる。

8月29日
終日会議。長沖氏17:00帰阪。「高野山」ゑはがきなど買ふ。11:00まで会議。文芸英文の研究科出来ることとなる。

8月30日(日)
よべ眠れず。碁、院長に7目にて負けしまま打かけ。安田、三木、八木三氏へ山上より送信。10:53にのり12:43ナンバ着。高島屋特別食堂にてlunchとりて解散。斎藤はるみより来るかと待ちしと。相楽郡高山村の福仲種太郎氏よりコルボオなど詩誌の問合せ来あり。会社salary出せざりしと。けふ戎橋筋にてalbum投売に会ひ200で買ふ。

8月31日
会社へゆきしもsalary出ずと。立替として6,000のみ貰ひ帰宅。早昼食べて出、天満橋で松岡静雄『ミクロネシア民族誌(160)』買ひ(梅田で『Lectures françaises T』)て帰宅。17:00八木嬢来り、けふ病院で咳止め3回分1度にのみ中毒して大騒ぎとなりしと。夜、泊れといひ泊らしむ。自治会より呼びに来り、大塚、衣川、久万にて懇談と。大掃除1,300出せと。

9月1日
11:00会社へゆく。浅沼のつけありしと。雨漏りに腐りし柱の見分を厳重に談じ込む。13:00上六洋裁にゆけば山中君門前に待ちをり、藤野君も来るとのことにtoast食べ乍ら待てば来り、juiceおごりてのち中小阪松花町の沢樹君の姉、古沢夫人に会ふ。
毛馬に上りし屍骸そのままの顔なりしと。父君雨中に懐中電灯を2回つけしが最後なりしと。一家の屍骸みな見付かりしはての家のみと。
出て小阪駅前で別れ堀内にて『実用ブラジル語(60)』『国文事典(60)』『若き女性の心裡(70)』150にまけてくれ、川添和子に案内しくれしも不在。大浜より「書紀の述作U」の抜刷速達。清水高範『冬の旅へ』。藤野和子の上高地よりの絵ハガキ。丹羽千年。山本治雄より5日(土)長男の誕生祝に来よと。末吉栄三より関大一高の教へ子の転校(公立へ)たのむと速達。

9月2日
八木嬢無事帰宅せしと。西保嬢よりハガキ。依子の計算では蔵書2,260冊と。

9月3日
川添和子より4日19:00頃来ると。林富士馬よりなつかしと。折口信夫博士死なる、66才と。

9月4日
堀夫人よりお香奠返しに『かげろふ日記拾遺』。15:00会社へゆきsalaryもらふ。竹村課長勝手に買ふもの薪炭。けふ大工さん柱、屋根を修繕に来る。17:30川添嬢来り、羊羹たまふ。夕食さして帰す。

9月5日
8:00会社へゆき7万円寮への赤字埋め願ひかき、先月預りの清算せしのち退出せんとせしに、城平叔父来り、7万円は庶務課長呼べと。大掃除の薬代のこと云へば自治会呼べと。大塚夜勤とて衣川呼べば怖がりしも会はせ「会社倒れかかりしこと数度故云々」。13日(日)10:00に寮で懇談会すと。
バスにて大手前。府庁へゆき後藤田府会議員に会へば昨日西宮君来り、7名就職引受けしと。水川委員にも会ひてのち心鬱して出、山本事務所にゆき佐瀬君に会ひ誕生祝の羊羹もちゆき貰ひ天満。山本にゆけば夫人の機嫌直りゐる。北区長藤本氏、山本と中学同級とて来り、22:30出て吹田書房に寄り『神武天皇(140)』『日本古代社会(60)』買ふ。
川添和子より礼状。また襖張りに8、9日来るやう頼みしと。中野とし子より「このみちを」の歌よみしと。西保嬢よりハガキ。

9月6日(日)
岩崎直退社の挨拶に来る。田中長夫、出版社見つかりし故原稿返せと。林佑治来り、警備隊の話をしてゆく。山口年男空手クラブを作ると許可を得に来る。

9月7日
会社へゆき7万円借用願かき直して学校。沢樹の葬式10日、15-16:00と。式に出てのち山中嬢に電話かけ、西宮君に原稿きらせ100円づつ集めることとし、近鉄案内所へゆけば野崎君欠勤、別れて上野芝へゆき高野敏子のこと斎藤堅太郎先生にたのみ、はるみ君に送らせて田村、家の中全く改悪されをり、沢田四郎作博士のprint4種もらひ水川氏のことたのみて出る。(けふ鴎外全集28巻受取)。図書新聞「伊東静雄詩集評」来をり。(片山清の弟に呼ばる)。

9月8日
久しぶりの授業に疲る。帰らんとせしに本多来るとて待ちゐれば西成署の刑事来り、岩本20万ほどの物もちて家出せしと。則武、額田、八木、鈴木のgroup呼びて訊問させしも知らずと答ふ。本多、米沢(藤田夫人)来りしも何もせず、とて呆れる。帰りて早寐。(川添嬢の紹介にてふすま屋来り、5枚はづしてもちゆく。佐々木君の絵もたのむ)。

9月9日
郵便「Poets' School」のみ。12:30夕食すまして出、十合古書部へゆきしに泉君をらず。請求書くるるやうにと云ひおき、佐渡島金屋へゆき15:00なるに驚き登校。硲君『三国史記』もち来て呉る。8月31日女子生れしと。
教授会まへ守本氏にきけば岩本の居所わかりしと。教授会にて研究科の件、来週火曜に長沖、西宮二氏と相談することとなる。帰り白井三郎へゆき冬over coatの生地たのむ。長男来春高校と。

9月10日
登校、12:30すますまでに研究科の説明、旅行のことなど話す。安村嬢より電話13:45天王寺で待合すこととし、来りし田中長夫に原稿返し、13:00すぎ『鴎外全集』「かもめ」で受取りて天王寺。近鉄departで散髪し、安村、塚本と会ひて小阪。梅垣、西宮二氏待ち居られ、山中、米沢、本多あり。やがて斎藤、平山来り、在学生代表も写真もちて来る。堀内に鞄預けて(※澄子の葬儀)会場へゆけば古沢陽子嬢の葬式なりしに不快。守本氏来り、東、伊藤、鍛冶姉妹、峯、立川、寺本、野崎、藤野、山口、吉原、和島と同classの参会19人。寺本をのぞく18人と氷のみてのち帰宅。
夕食くひてすぐ出、夜学早めにやり、すませて半田祐子の家庭訪問。院長の意向伝へて帰る。堀亘より会葬出来ずと速達。西保恵以子より13日奈良へゆかぬかと。自彊会会報来る。『文芸春秋』10月号。

9月11日
登校、授業。岩本生帰宅せしと。山本幸子、●●●へ音楽慰問にゆきしと。筒井今高教諭へ同窓の住所。早く帰り関口の挨拶状見る。日曜城平叔父10:00に来ると。

9月12日
会社へゆき書類出し、3000預り、薬代と図書費と貰ひて梅田。山本事務所へゆけば佐瀬君我に伊東静雄の講演たのむとハガキ出せしと。上田女史来合せLungeなりと。夜、雨。衣川呼びて金わたす。

9月13日(日)
10:00前、城平叔父来り、懇談会。菓子自治会にても買ふ。賄の制度考へよ。欠食払戻をやめよとなり。すみて13:00より大塚、衣川、久万の3人と懇談。結論出ず。けふ佐瀬君のハガキ着き、10月20日(火)18:00市立労働会館にてと。

9月14日
家居。けふにて浅沼氏の副食検すむ。中朋子より20世紀一箱、Heine1冊送る。

9月15日
雨、傘もちて登校、三菱商事より人求むとて井上斌子に電話せしにすでに勤めゐると。岩本生の父来り、この間心配かけしと挨拶。半田生呼び院長に会はしめれば、4000で夜間の図書係とすと。うれし。島本ら呼びて研究科につき座談しゐれば長沖氏来られ、西宮君と3人にて話せしも希望者もなく、予定立たず。
富士正晴と朝日の学芸記者来り、庄野潤三東京へ転任と。氷小豆おごり(けふsalaryもらひし)、帰らんとせしに傘なし。出がけ小野和子見つけ、呼びて同行、なぜ研究科志望せざるやきき、大鉄喫茶室でjuiceのませて別れ、藤井寺。叔母に寮のこと相談し(東京のすみ子来をり)、駅まで送られて今川。叔父帰らず、久美子に送られて乗車。『白珠』10月号。西保恵以子唐招提寺より。

9月16日
会社へゆき城平叔父に云ひ、今後買入はみな一応わが手を経ることとす。竹村不服相なりしも承知せざるを得ざりし。昼食を労務部でし、今川部長の話きく。近鉄departアベノ店で『広島』買ひ、コフマン『世界人類史物語 下』買ひて登校。壽岳博士に岩橋文雄のこときき、井上斌子より三菱物産へかはれずときき(電話)、白井三郎より冬over地見に来よとの電話きき、明日14:00ゆくと返事し教授会。研究科見送りときまる。
『天地人』より10月20日までに随筆5枚をと。『祖国』10月号。

9月17日
登校、大菊、島本2生、研究科出来たら云々と云ひ、長沖先生の付添ではゆかぬ云々と云ふ、叱る。19:00出て白井にゆき垣内へゆき冬over地2.5mで2,800×2.5=7,000払ふ。東京銀行の次長も同行。すみて松本一秀に会ひにゆきしに会議中と。梅本に会へば夫人の友の子、学院の中等部にたのむと。白井に明日同行といふことになる。大丸にて『支那雑記(100)』、信綱『山上憶良(10)』。
吉田いづもやで夕食。近鉄案内所で野崎に会ひ、山中タヅ子今しがた去りしときき、帰校後山中に就職のこと云へば考慮せんと。
夜学漢文の試験をし、中野とし子の“love letter”もらひ、山中父より諾との返事ききて帰宅。
『天地人』5。中●作夫人(明子母)より梨送ったと。(天牛南店で鍋井克之『寧楽雅帖(80)』)。(この間の奈良旅行の礼にと島田、家本らpeace10ケ呉る)。

9月18日
登校、山中タヅ子父子来り、喜びて面会にゆきしと。14:00出て十合へゆき古本部泉君に請求書かかせ、桑田『豊臣秀吉(70)』買ひ、梅本と東亜紡績。夫人のsuits地買ひにゆくと国際物産へ付合はされ退屈せしのち地下鉄にてアベノをへて帰宅。池之[父]より礼状。(『鴎外全集』28回)。

9月19日
森良雄へ手紙。高橋玉ィ君より本庄教授頌寿記念会へと高垣金三郎より2000来しが受取るべきや否やと。中朋子よりHeine受取しと。河口生よりreport受取りしやと。

9月20日(日)
午前中、自治会。すみし頃ゆき見れば原課長も出席しゐたり。夜の連絡会約し、佐瀬君より伊東静雄を語る会10日(土)18:00市立文化会館にてはいかがとのハガキ見、午後小阪。堀内に寄り『香港』と岩橋『日本舞踊史』とにて30。松本へゆけば夫人病臥。吉川部長に就職たのむは如何にと問へば気の毒と。条件は家庭と容貌と。中西にゆき引留められて22:00まで話きく。神の使者と批判されしと。野田又男、渡独中Jaspers(※ヤスパース)に会ひしを書きゐると(朝日)。

9月21日
〒なし。夜間3年の漢文採点。夜、連絡会。

9月22日
登校。沢樹嬢の姉、古沢夫人より礼状。吉村一夫氏が洋傘をかへられし由。15:00吉川嬢呼び、父君に就職のことで斡旋たのむ(松本より電話にて受付は25日までと)。出て梅田。万字屋にて『松浦宮物語(30)』。京橋をへて上洛。祖国社泊り。
肝臓を病めりとをとめ秋の夜を。

9月23日
9:00出て雨中、傘買ひ(150)朝食。生駒に出て服部。16時間にて夜学3日と。何処もよきことなし。昼食くひ、雨やみしゆゑ、傘置きてともに上六。天地書房にて『天平彫刻の典型(20)』『シラー詩抄(40)』『支那人(40)』。帰れば桑原氏より『コギト』送り返さる。

9月24日
雨、10分遅刻してゆく。吉川嬢より父君、明日17:00本社で会ふと云はるる由。高野敏子、斎藤堅太郎氏に会へば中々むつかしきも尽力せんと。昼すぎ出て淀屋橋。日生へゆき松本に明日来るをいふ。藤原が叔父検事長より社長に依頼する旨云へば却って駄目ならんと。富士銀行高橋君に会へば短大出はとらずと。横山の三菱商事わからず山本事務所にゆき佐瀬に会へば、共産党某幹部獄中の愛読書なりしとふわが『李太白』借り来りをり。横山に電話し宜しくたのみ、山本宅へゆき夫人に12月25日?の夫人忌の山本のこと云ひて出、駅前にて『海南島志(50)』『女性服装史(70)』『おもひだすまま(30)』『南欧游記(40)』と買ひて乗車。鶴橋にて天丼くひ、学校へゆき村田、山本の漢文追試(60点)、望月にreport命じて帰宅。上町線にて浪速大佐中牡教授と会ひ京橋まで同車して帰る。

9月25日
暴風警報。11:00天王寺へゆけば学生たち「もうをらず」と云ふも、ゆきて長沖、守本2氏と話す中、雨風ひどくなる。日生の吉川氏より電話、けふの会談延ばすとなり。電車もとまり出られず、18:00までゐて天王寺までbus。省線停電とて天満橋まで市電。徳庵行のbusにのりて帰宅。雨漏りし(北風のため)、寮塀倒れガラス破る。山中タヅ子よりハガキ。西保恵以子より十月第一日曜来たしと。山[前]実治より依田義賢歓迎会28日19:00木屋町「れんこん」にてと。

9月26日
会社へ米、麦の注文にゆき、風害報告をし、日本生命にゆき松本に会へば1名とると。学校に電話せしも捗らず、ゆきて島本、藤原、照崎、中川禎子の4人に身元調査書を書かせ、松本へ添書かき、(清水美紀の父、取締役と判明)、大津任といふ詩人のハガキ受取り、天丼くひて「北極星」へ山本治雄に会ひにゆきしに不在。近鉄案内所へゆけば野崎不在。「おもかげ」へゆきてcoffee。(天牛で『近代の恋愛観(10)』『薄田泣菫集(20)』)
鶴橋より京橋、安村にゆき佐恵嬢にきけば父君一昨日帰京と。手紙かきゐる中、阿倍野支店長青山氏の嬢一枝君英文1年と。安心して帰る(28日の式に我を呼ぶとなり)。図書新聞より600円(700税1.05)。沢樹嬢の姉、古沢夫人より忌明けにと風呂敷。

9月27日(日)
家居。夜、連絡会。事なし。

9月28日
風害見舞、小野和子、和田節子、西保恵以子より。岩崎昭弥より10月10日結婚式に出てくれぬかと。保田、高鳥出る由。
西保嬢へ4日より3日に来よと。古沢道子氏へ礼状。斎藤堅太郎氏へ礼状。
12:00家を出、富士銀行アベノ橋支店長青山氏に会へば自信なきも努力せんと。交叉点綿野書店にて『考古学入門(30)』『西洋文化と日本(40)』。学校へゆきて2年の漢文の問題切り、教授会。
18:00すみて省線にて京都。busにて木屋町「れんこんや」にゆけば、荒木、山前、井上、佐々木4氏あり。依田義賢20:30来りてarabiaの沙漠の美しかりしを話す。『骨』を出すこととなり、22:00出て帰宅24:00。

9月29日
登校、漢文試験すみて高校。だるし。安村妹と青山一枝とにシェリー与へ安村佐恵に伝言たのむ。14:30来し山中タヅ子、三菱商事に就職きまりしと。ともに出て大丸。青龍展に佐々木君たづね土日曜来泊ときき図録もらひ『隨縁小記(40)』買ひ『ジャム』買はせ、十合へゆき大江叔母訪ねしも会へず。戎橋まで下り、米沢宅へゆく山中と別れて荒木に会ひ「おもかげ」にて喫茶。[青木]陽生より風害見舞。山田より改姓の挨拶。

9月30日
朝、雨。午くもり。藤枝よりカバヤキャラメルの10,000送ると(※カバヤ文庫執筆原稿料)。
小高根二郎より詩集出したと(※『郷愁』)。西阪修より行動展の案内。八木嬢より風の見舞。北村ウメノ氏より10月切りにて大江やめたしと。午後、麦の収入とちがひありとて(400k←300k)会社へゆきしも竹村氏ゐず。父、明日より参宮と。出てbusにのり天満橋。pocket booksのスペイン語と世界地図買ひ(160づつ)、古本屋へゆけば同じく『詩集(80)』、Baedekerの『白耳義和蘭(70)※ベルギーオランダ』買ひ、またbusにて帰宅。坪井より高垣の歓迎会20日にせんと。

10月1日
ゆき子思ひちがひにて8:40家を出、10分遅刻して試験監督。安村の妹、佐恵姉承知したと。午まへ丹波道久来り、19日13:00警察学校で郷土史の講演せよと。13:00出てアベノ橋さがし廻り"Hugo"にてHeine見付け土産にもちて行動展(洋裁の子3人つれ)。目録買ひしに250!西阪の画、相変らずおとなし(その前久美子に電話して誘ひしに縁談あり、要らずと)。
藤井寺にゆけば大江叔父休み、上平、百済の2君の就職の件たのみrain-coatもらひ、夕食すませ、北村ウメノ氏に辞職反対せずと云ひ、帝塚山書店で『史学雑誌39冊(300)』買ひ、学校より疋田に電話し近々ゆくことを云ひ、夜学試験。帰れば藤枝より金来しと。(けふ南日と清水美紀をみつけGoethe与へ、清水父へ伝言たのむ)。

10月2日
10:30出て市立大学病院へゆき田村春雄に会へば水川氏まだ来ずと。『スマトラ民族 下』わたし、大手前へゆき坪井に2,100class会費の残り清算し、20日の高垣歓迎会のことで奥戸に電話し(就職はだめと)、天満橋の古本屋にて見付けしHeine-Geldernの民族誌(200)、Schopenhauer『女について(30)』。
今橋4丁目の三菱商事にゆきしも横山不在。野沢次長に山中生のことたのみ、富士銀行に高橋玉ィ君訪ひ、就職の件の中間報告し、十合にゆき古本屋。泉君たづねしも不在。天地書房あとを追ひ「田中先生なりや」と問ふ。代金は15日でよしと。池内先生『元寇の新研究(600)』。梅本訪ねしも不在とてnews映画見てのち梅田。天満を経て松井氏。
帰れば小高根二郎『郷愁』。横山より屑の様な人間の寄合で気違染みた連中と。山中嬢心配なり。薮秀道より風害見舞。

10月3日
家居。創元社より詩人全集の稿料(2156-323)来る。200を貯金とす。横山薫二より白井三郎へ服地買ひにゆきゐし留守とわび状。宇野美代子より卒業式謝恩会の案内状。池田眞砂子よりreport。
13:00西保嬢来り、前川佐美雄の我に対する悪感情を云ふ。色々見せ母の歌集与へゐるところへ佐々木画伯来り、依田義賢来るやもしれずと。16:00山前、荒木2君来り依田君来られずと。Beer出しすし食はしめ、西保君先づ去り20:00みな去る(佐々木君、龍子先生を送るために帰ると也。太郎の『平福百穂』もちゆく)。
昨日より痔痛みしも入浴して快し。いぼ痔なり。(鳴田勝之、中西に紹介せしに-rayとなる故、月曜にまた来よと云はれしと。)

10月4日(日)
論文かきさして守屋美津雄に『宋書』借りにゆく。子供四条畷学院に在学。けふ運動会と。12:00出てアベノ橋departにて笹川『近畿の山と谷(100)』買ひしも古本にては縁起かつがれん。今高へゆき痔痛み、知人少なく面白からず中休みにやっと増井進一に会ふ。宮崎塘医博士も来をりと。
松本(保田)の腹話術あり、やっと筒井と6人になり、同窓会名簿2冊わたし、自家用にて夕飯にゆく4人と別れて帰宅。聯絡会けふ止めて賄3人京橋へ買物にゆきしと。

10月5日
家居。徳永、宇田、若森、中川4氏同封にて岩崎の結婚を祝する旨。山前君より礼状。午ごろ短大に電話せしめ、明日高校漢文の休講を云はしむ。
16:30夕食くひ鶴橋下車、川本医院へ痔の治療にゆく。塘の紹介にて診察受くればふだん酒のまざるが飲みしゆゑと。明日来れずと云ひ洗薬もらひ、小杉放庵『唐詩及唐詩人』買ひて帰る。藤原より電話にて日生の試験に5人とも数学出来ざりしと。『雄略記』やっと50枚を越す。

10月6日
6:00起床、7:20のbusにて小阪。15分余りしかかからぬことを知る。7:40の準急にて天理。busに山口氏のり合せ、酒井先生男児出産、ゆう子君とも仲直りせしときく。
図書館へゆけば9:00の始業前。『中国地誌』出版の計画ありと。池内先生の『満鮮史研究』中世1、2よみに朝鮮語研究室へゆきしも役立たず。今西博士『百済研究』つまらず。鈴木氏の室で退屈し、山崎君にゆきciderのまさせ、諸戸氏と会ひ、ともにうどん食ひにゆきして時間つぶし、富永氏出館をまちて館外帯出許されし『明季遼事叢刊』と『古事記伝6』もちて出るよろしくお願いを(青柳嬢の話によれば吉田君発狂と。八木嬢と殆ど話さず)。
短大へゆきしも高橋君帰宅。また駅前にてやきそば食ひ、14:55天理発にのり、のりかへて小阪。堀内にcoffeeのまされ柳田『伝説(20)』買ひDas Geschlechtsleben in Glauben Sitte Brauch Und Gewohnheit Der Japaner. Leipzig.,1911』借りて帰宅。痔ややよし。よべ寮眠にてねむし。

10月7日
起きてより12:00まで『雄略天皇』の註かき、飯食ひて出(西保君より礼状。学術会議の自薦2枚)。鶴橋下車。川本医院にゆき灌腸され施術され、学校へつきしも15:00。伊藤生、三苫君に叱られし故、辞職すと。教授会終るまでまたせ、竹内の答辞直し、院長に明日伊藤と面会の許し得、小竹に電話かく。塩野氏のこと聞合せ[き]しなり。
松本より電話あり藤原、照崎、中川よかりしらし。匹田に電話し(伊藤にお好み焼おごられ)て行き、中西よりの話(筒井doctor)伝へ文芸clubの幹事になれといひて交叉点で下車。越川書店でHugo『Les Miserables 3冊(200)』、亀井『大和古寺風物誌(50)』、春夫『日本文学選(100)』『支那文学選(100)』と買ひ、市村『秘められた古代日本(180)』なる愚著をも買ふ。
けふ早くもsalary出しなり。帰れば伊藤の速達着きゐし。(けふ西宮君置手紙し後藤田府議一部へ転ずること止むと。『好色盛衰記』賜ふと)。

10月8日
8:30会社へゆき竹村氏に麦代訂正せしめ会計報告かき、10:30出て省線定期買ひ登校、守本氏と話せば伊藤免職でわが気持心配しゐし様なり。安村大三郎氏より富士銀行就職はだめと。
森良雄より便りうれし。この間本位田と飲みしと。院長に会ひ、辞職きき届けとし、漢文の試験用紙刷らし安村、佐瀬に電話し、藤野の問合せに答へ(藤原の従兄が相手なり)、松本に電話せしも不在。伊藤と出てナンバ。則武姉に会ひ[不二]屋で喫茶。別れて近鉄案内所(天牛南店で春夫『幻燈(60)』)、沢樹追悼号1、2日中に出来ると。
伊藤と別れて萩原生母子に会ひ、家へ誘はれしもゆかず、梅本にゆき本2冊与へ、駸々堂にて『心理学辞典』、Willman『日本旅行記』とAthene文庫2冊、e Candolle『栽培植物の起源 上』買ひ、市電にて川本医院、手術せずともすむと。鶴橋にて散髪、まむし食ひ(150)て帰宅。(けふ樫本、中学校長に梅本のこと云へば承知しゐたり)。

10月9日
登校、試験監督2時間。清水生つかまへ父君へよろしくとたのむ。西宮君にきけば修学旅行不参20人と。岩崎氏にきけば南日生は子2人ある出戻りと。百済、大平2生と十合へゆくも大江叔父欠勤、人事係小出といふに会ひてきけば大学出は一般採用なく高校は1月頃と。昌三叔父に会ひしも無意味。7階にて春夫『神々の戯れ(80)』見付け、市電にて細工谷。
2生と別れて川本医院。帰宅して八木嬢の「本なし」のハガキ見る。松本に電話かけしに中川禎子(けふ戎橋にて会ふ)の云ひし如く楳垣教授の●稿(朝日の8日に出、短大の認められざるを許可)問題になりしも藤原有望、照崎補欠と。

10月10日
寮のガラス直しに来り48枚。杉浦氏も来る。米、外米50kづつ入る。よべ5:00で眠られず、9:00起き、だるし。弓子運動会。15:00出て川本医院。明日来ずとも好しと。上九まで歩き、なべ焼うどん食ひ(50)、市立文化会館25人位集りしか。伊東の話喜ばる。(※講演会)
佐瀬と帰り、上六天地書房にて『瓜豆集(40)』。coffeeおごりて帰宅。けふ小高根二郎よりハガキ。東京の出版記念会に60人来しと。伊東の詩碑立つと。山中タヅ子より礼状。

10月11日(日)
10:00出て梅田。古本屋見しも何もなし。帰れば西保嬢よりはじめて歌誌に悪口のりしと。

10月12日
11:30出て暁明館へゆく途、目加田誠『風雅集(30)』と『木曜雑記(30)』買ひ、中西に会へば鳴田肋膜のみにて入院の必要なしと。筒井doctorは大正13年生と。出て小竹稔に会ひ同窓会名簿買はすこととし、うどん食ひて大ビルの同窓会事務所。歩きて和島事務所へゆけばB子ゐる。
野崎に電話すれば表書かきしと。佐瀬に会ひにゆきcoffeおごられ、やがて来し植田女史と話し、山本に他日を約して川本医院。すませて登校、卒業式(※リンク写真あり)、謝恩会に疲る。けふUral-Altai学会10月末に天理でと案内。

10月13日
登校、文芸の修学旅行に不参加21名。内に岩本生あり、注意を要す。14:00西宮君と出てアベノ橋にて別れ、古本屋見しも何もなく川本医院。腹へり途中うどん食ひしは珍しきことなり。帰れば佐瀬よりハガキ。坪井より[JO]BKを受験する某嬢に長沖氏の推薦をと。手おくれなり。奥戸転任らしと。

10月14日
14:00高野敏子tobaccoもちて来る。文芸の子ら守本主事いやとて行かざるもある由。共に出て梅田へ送りにゆく。英文藤野の母を藤野pianoの母とまちがへて恥かく。西宮君と鶴橋。雑煮くひて川本医院。けふ『文芸クラブ沢樹澄子追悼号』つく。
野崎の手紙挿入しあり。方々の中学校より教師の口あり迷ふと。荒木利夫君より中国語の訳は書類必要と。八木嬢より父君脳溢血にて倒れしと(11日)。

10月15日
登校、歴史教へ、奥戸夫人に電話すれば本店参事に栄転と。坪井に電話すれば授業中。帰りて臥床。ゆき子、松井夫人と裏地買ひにゆく(2300)。17:00また出て川本医院。あと2、3日と。夜学教へて帰宅。Radio絵ハガキ(※ラジオ番組)に4枚、25日までいかにと。坪井より竹内[※好]19日来阪。朝日にて20日17:30よりと案内。

10月16日
登校、途中住高に硲君を訪ね23日(金)15:00訪問を約す。2時間教へ、萩の茶屋にゆき岩本生の家たづねしも不明。地下鉄に花園町より乗車、ナンバにゆき荒木利夫を訪ね『骨』の原稿20日までと断り云ひ、(朝日に予告出し由)「おもかげ」にゆきしもmadame按摩中と。野崎に会ひ教師ことはれと云ふ(萩の茶屋の津田にて『一目小僧(100)』『北小浦民俗誌(30)』『支那の婚姻法(10)』)。川本医院にゆけば明日で宜しと。葉茶屋に寄り最賤の茶(100匁100円)を300匁210にさせ(見本として)帰宅。蒔田廉(蒲池歓一)『石のいのち』贈らる。

10月17日
ラヂオ絵葉書断る。昼すぎ出て会社へゆき父に3000たし3000預り。茶と炭とを竹村氏にたのみ、小阪の堀内に借りし本返しにゆけば留守。
『牧野植物随筆(30)』『支那文学十五講』『藤村作校古事記』(2冊にて50)買ひ、砂糖3斤(225)さげて川本医院へ礼にゆく。今後も酒のむなと。すみて花園町へ地下鉄、津田書店へまたゆき『La vie sexuelle de la femme(150)』買へば『瀋陽日記』ただで呉る。『子規全集』23冊2500と。英国史とを学校へもと来よと云ひて岩本泰子の家さがしあてしに機嫌よくしゐたり。菓子一折もらひてナンバへ出、とく叔母訪ねしも不在。天牛にて大町『謡曲全集(3冊100)』買ひ、いづもやをのぞけば吉田君あり。class会のこと話して帰宅。
けふ出雲礼子より卒業の礼。石川喜久子より加州(※カリフォルニア州)Pasadenaにありと手紙。日本歌人社より大伴道子夫人『静夜』。

10月18日(日)
佐瀬君より『人民文学』6部借りてありと。山前君より『骨』の原稿急げと。芳野清君より伊東に感心したと。森鹿三氏より桑原武夫氏「日本フランス文学会」推薦にて学術会議に立候補と。山尾浩子より去年の今頃我にブラ下って行きしと。午すぎ京、弓子つれて守屋君に『梁書』返しにゆく。幼き子ひとり留守番しゐたり。和田先生へ松茸送りし旨。山崎忠へ31日夜泊る、とのハガキ投函。四条畷神社にゆき帰り来る。夜、「蘇東棉蘭」10枚『天地人』のために書く。張氏一家を粗描せしのみ。

10月19日
和田先生より「頂くわけなし」と礼状。中馬敦子より沢樹生のこと。斎藤堅太郎氏より「高野生、大変おちついたいい方のやうで是非お世話申上げたい」と。
12:00まへ出て12:10片町。『新潮文学目録(10)』買ひ、待つ内、丹波道久来り、自動車にて警察学校。校長と話し13:00より「仁徳天皇の話」。静粛にて反響なきが如し。1000もらひ自動車にて大手前高校にゆけば坪井、家と。家へゆけば学校と。『今昔物語3』買ひて山本事務所。 佐瀬と会ふ前、中野トシ子に電話し、梅田新道にて待合すこととし、佐瀬君とゆけば会はず、結局交叉点まで往復し、喫茶し、狐うどん食ひて別る。
夜、西宮君来る。話す中20:00となり送り出して連絡会。

10月20日
『骨』創刊号にと「八ポ言」9枚。詩3篇かき終しところへ大、来る。ともに出てアベノ橋にて喫茶。15:00電話せよといひ登校、高校の漢文教へしに旅行の付添とのデマありしとて2時間話し、2Aのみ授業。すみしところへ大の電話あり。朝の近鉄parlourにて10:00待てと。「かもめ」で『鴎外全集26巻』受取り、天王寺へゆけばやがて咲耶、子をつれて来り、大は16:30。支那料理屋へゆき我は雲呑。咲耶と別れて3輪自動車にて梅田へ向ひ、我は梅新で下車。
「あさひ」にては未曽有の盛会。奥戸、竹内、高垣の3正賓の外、竹内の連れの都大教授も来り、田中政雄、坂井源吾、相野忠雄、松田政治郎、山本、俣野、橿山、白井、後藤、川崎、服部、坪井、梅本、我と18人、20:00散会。
上田女史より頼まれしが山本どこかへ去りし。我は川崎、服部と喫茶して別る。
けふ朝日より朝日賞を選べと。またコルボウ詩集の評をと。守屋美津雄より礼状。西保嬢より宇治へゆきしと。けふ会にて森良雄へ寄書せし。

10月21日
よべ少眠。昼食くひて小高根二郎より「西保嬢に会ひし。保田貧血症にて入院。『骨』発刊は無意味。コルボウ出しは感情的な分裂が起るやうに思ひ」と。
成尾、浜谷、藤原3生十和田湖より。平中氏より11月2日17:00同氏GPにて同窓会をと。等を見、鶴橋を経て天理。松井夫人にきけば八木義雄翁昨日死去と。香奠500用意して松井夫人と八木家へゆけば八木嬢痩せて泣く。明子氏は丸々と太る。すぐ別れて短大。
高橋君の自転車の尻にのりて大浜家。corbeau脱退、『骨』結成の話をし、17:00出て帰る。堀内に寄りしも本なし。山峯『独乙文学概観(20)』買ひて帰宅。

10月22日
登校の途、大菊妹に会へば修学旅行無事帰りしと。院長に会ひ細野の1部への転科たのみ、授業にゆきて会はせ、大より来ずと電話かかりしと聞き、安村より28日14:00天満宮へとの案内受け、中野トシ子の電話ききて帰宅。
佐瀬より礼状。浪高より11月5日(木)10:00より30周年と。窪 徳忠より11月9日池内先生追悼会と。九大より日野開三郎氏の学術委員推薦をと。八木嬢より入れちがひに父君死亡と。浪高へは当日12:00出席と返事。窪氏へは断り、九大へは諾と。16:30出て夜学。西宮君相手に記紀論ぶちし。

10月23日
10:00家を出て登校、守本主事帰り来る。14:20すませ住高へゆけば休校。busにて住吉区役所で下車、硲君のapartにゆきお祝贈る。(8月31日生れの赤ちゃん泰子と命名と)。父君来られ話し我孫子前まで送られて阪和、美章園で下車。松本健次郎訪ぬれば入洛、森良雄と親しきは小森佐一と前田幸作と。
出て寺田町まで歩き内田『国史総論(30)』買ひて帰宅。岩崎[昭弥]より保田なほりしかと。古沢道子氏より礼状。藤枝より家かまへしと。西保嬢法隆寺より。立川、藤野2嬢勝浦より。

10月24日
9:00家を出て会社。秋季慰労会費2000を受取り、出て天満橋をへて山本事務所。佐瀬と話し今高筒井に来週ゆき15日のクラス会の案内書くを約しゐる中、山本来る。荒木利夫に電話すれば原稿つきしと。2日入洛を約す。山本に昼食よばれゐる中、後藤孝夫来る。別れて『戦争地理学研究(120)』『お伽草子(100)』買ひhylsingの本、安村嬢への祝にと買ひ(180)帰宅。
筑摩書房より李白出すと。山前実治より『骨』来月初出る予定と。朝日より身許調査票、郷土史家と記入しあり。小野和子より海苔1本。鍛冶初江嬢より皮肉かきしと。

10月25日(日)
小野和子へ礼状。筑摩書房井上達三へ承知した、原稿用紙送れと。保田より警察病院月末退院と。
佐々木邦彦より離縁しをりと、並びに『骨』のこと。日本テレビより契約書。吉田病院より1日運動会の招待状。
夕方、守屋君2児をつれて『東洋中世史(490)』もちて来る。そのあと半田祐子と父君長三郎氏、社にと来りtobacco2箱賜ふ。院長宅へもゆき留守。我が家は探し廻りしと也。夜、連絡会なれど集り悪く衣川と話すのみにてとりやめ。

10月26日
朝日吉井栄治君へ『colbeau詩集1953年』の評3枚。日野開三郎氏より学術会議にたのむと。中野トシ子生よりsentimental letter。昼寝30分す。痔また悪し。森良雄へ寄せ書き送る。

10月27日
久しぶりにて登校、安村の妹つかまへお祝に本2冊わたし招待状受取る。旅行より帰りし2年生土産呉る。中に萩原、天満の2生断り西宮君にわたすを見、気の毒なりし。日生の課長来り萩原の身の上調べをす。
すみて藤原呼び泥を吐けといへば子1人ある男にて結婚後も勤めるつもりと。15:00帰らんとすれば鶴身生(我を好くと)土産呉るるとて大騒ぎなり。長沖氏よりもらひし林檎もちて警察病院、保田夫人に出口で会ひ、色々話して帰れば芳野清君待ちをり国有鉄道に勤むと(松井若夫人にover-coatの寸法とってもらふ)
21:00芦屋の寮にゆくと明日17:30梅田にて待合すことを約す(けふ西山卯二郎氏夫人来り、会社不況、次女高等部へたのむと。野田又夫氏より『パスカル』。外山・日比野2氏より貝塚氏を学術会議へと)
けふ朝、新聞見しに『現代詩人全集』創元社より出、四季派1冊に神保と我なく、三好、丸山、田中冬二の3生者と伊東、立原、津村の3死者。

10月28日
教授会休み。12:00出て(山前より6号?2、3枚たのむと)散髪。天満より市電で樋ノ上町下車。創元社へゆき受取わたし、雨に降られてtaxiにて天満宮。
「今市家」室に入り新郎憲作氏と話す中、阪大植松博士もお越し、14:30安村家一同来り、そちら側へ移り15:30挙式。すみて相生楼にて披露宴。我、上席に坐れど苦しみ、17:30すぎしに気付き新郎に断り、新婦に色直し中会ひにゆけば泣く(※新聞記事切り貼りあり。)
梅田までtaxi、芳野君と会ひ地下鉄にてナンバ。吉田出雲屋にてまむし食ひ肝すひのみ、千日前歩かせ面影にてcoffeeのませ、また梅田まで送りて別る。夜も城平叔父より電話、小倉のカラーのsizeひみつでしらべよと。

記事

10月29日
登校、細野の転部許されしと。鶴身に『女性服装史』をと同級生に托し、萩原にきけばハガキまだ見ずと。高野敏子に斎藤[茂吉]先生のハガキ見せなどし、藤井先生の欠席者を叱りし。今高筒井に電話すれば明日来よと。藤野より電話かかりて今日都合悪しとのことに、帰宅することとし、島本生にcoffeeのましてきけば藤井氏、点悪いらしいとて皆逃げしと也。渡敦子より、子の小学校長次田利夫氏会ひたしと云ふとハガキ。夜、またゆきて国文学史。硲君不在中来り、2日の京都の会に出ずと。『カトンボ山発掘報告』貸し給ふ。

10月30日
登校、岡田先生と渡敦子にハガキ。鶴身生受取りしと礼云ふ。藤原生に採用通知。けふ学歌の作曲家山田耕作氏列席の下に発表会。長沖氏と話せしのち出て今高。筒井と15日15:00天王殿で1200との通知の宛名かく。寺田町で『昔話と文学(100)』買ひて帰宅。松本一秀に礼状。夜より雨。

10月31日
傘もちて出、7:20のbusにて小阪。天理より大学行bus。荒井女史と一緒になる。図書館に入り潘岳「征西賦」の『文選』にのるをたしかめてのち仕事なし。青木、佐口よべ天理へ泊りしと。10:30羽田来り、ともに講演ききしもつまらず。
午食後、田村博士と羽田、神田信夫君を案内して参考館。大分宜しくなりをり。別れて八木家。香奠返しもらふ。
16:30図書館に引返し神田君と話し、藤枝来しを見る。18:30すみて講堂にて懇親会。中山眞柱出席。勇しき挨拶せしが窪 徳忠なり。前に川喜田二郎、今西錦司など勇しき人々あり。やがて中山眞柱に羽田紹介し、京大図書館費ampaのこと云はれて20:00発にて天理駅。
けふ朝日賞に田村博士を推薦。西保、小高根二郎、『火山灰』よりハガキ。筑摩書房井上達三君より12月末までにと原稿用紙送り来る。

11月1日(日)
臥床、朝日新聞より「コルボウ詩集評」の稿料(1,764-264)。山前君より明日18:00依田宅へ集ると。夜、竹村氏より10月決算表来り、悠紀子を叱る。

11月2日
10:00会社へゆき父に薪600束不納のこと云ひ、城平叔父に鳴田のこと云へばなぜ断らぬといひたげりし。京橋でうどん食ひ(30)京阪で三條、京阪書房で森槐南『杜詩講義(230)』買ひ、山前にゆく途中古本屋をひやかす青木富太郎に会ひ、3人にて東洋亭にてcoffee(180)。別れて彙文堂にゆき『続国訳漢文大成(20,000と)』注文し、馮至『杜甫伝(180)』買ひ、祖国社の高鳥と話して池内先生のこと念を押し、また寺町へ出て『李太白詩集5冊(130)』『英訳Heine(100)』買ひ、親子丼(100)食べて依田家。
まだ誰も来ず、羽田呼び出し断り云ひ、やがて山前、佐々木、井上と5人そろひslide見、荒木の来るのをまち23:00となり、あはてて出、出町に宿見付けて泊る。

11月3日
女中朝食もち来て、よべ快声に悩まされざりしやと。880+120払ひて市電にて下総町。母、神経痛にて臥床、500借りて野田又夫にゆけば夫人留守。嬢ちゃん「父は3月帰朝」と。
古本屋見つつゆき『熱帯生活の常識(10)』『小さきものの声(50)』買ひ、研究所へゆけば丁度中憩終りしあと。羽田まだ来ず。貝塚氏の隣にゐて2人の話きき、羽田に祖国社のこと云ひ、挨拶せし人が竹田龍児君(※佐藤春夫の甥)なり。
ともに昼食し、いろいろ話す中、13:30となり、払ひしてもらひ恐縮。彙文堂にまたゆきしも休業。梅田へゆき色々話して安心。帰宅21:00。岡正雄氏より学術会議に立候補と。芳野清より礼状。

11月4日
家居。竹村氏より電話かかり炭屋来る。600束みとめし代り今後の約束す。松井夫人松本健次郎に名刺かかせ、仮縫ひしてゆく。学術会議とて桑原武夫、本田喜代治諸先生よりハガキ。『天地人6』来り、正月号にわが随筆のせると予告。

11月5日
登校、2時間教へて浪速中学の30周年にゆく。教へ子は善見勉一人のみ。旧同僚に正富(85才)渡辺(77才)眞野吉之助、吉田吉太郎の諸氏あり。平石、礒江2氏は表彰受け、礒江氏にきけばきのふ三木氏令息慰霊祭に来て我に会ひたがりしと。出て全田にゆけば敦子、浅香山小学校の次田校長入れちがひに帝塚山へゆきし筈と。
学校へゆき15:00まで待ち名刺托し、ナンバへ出、「千とせ」へゆき徳叔母に会ひ、ひかり工房教はりクラス会名簿たのみ(13日出来と)、近鉄案内所、天牛南店にて『真淵全集(2500)』見付け明日学校へもて来よと云ひ、音田正巳君に会ひ「面影」へ同行、coffeeのませ高野線にて帰校。西保嬢来て怒りしと。(近鉄へも今市夫妻直ぐ前に来しと)。夜学終へて帰宅。
川添和子より手紙。朝日吉井栄治氏よりコルボウ詩集の発行所と定価しらせと。中條三郎より会ひたしと。

11月6日
登校、朝日吉井氏に電話す。大江叔母の都合きいてくれと村岡にたのむ。今村羊子来り長沖氏と会ふ。「学校から離れようと思ひゐし」と。よべ不眠にて疲れ、浅香山小学校へ電話かからざるまま出、『女子労働者』買ひ、よみもて帰り電車にて西宮君に会ひて思ひ出し、秀英堂へゆけば饗庭君梅田を引揚げてをり。坂根夫人はやめしと。明日見積りに短大へゆかれたしと云ひて帰宅。
中央公論社より『近代日本抒情詩集』着きをり。わが「花の便り」に春夫先生の解説あり。
入浴しゐれば中野トシ子より電話。鎌田にわが詩送り返事来しと。けふ依子多武峯へ遠足。

11月7日
よべ少眠。竹田龍児氏にこの間の礼として「幻燈」送り、会社へゆき父に500返し、月曜また来るを杉浦氏と約し、京橋より市電にて梅ヶ枝町。山本にゆき佐瀬君に本返し、山本と昼食。夫人また懐姙にてhysteriaと。別れて古本屋見しが買へず帰宅。
今高より名簿作成の原稿をと。他は学術会議のみ。

11月8日(日)
よべよく眠る。安田章生より1月号に歌をと。藤野一雄より近況。『祖国』にと「蘇東坡」清書す。

11月9日
会社へゆく。寮費値上についての秘密会議なり。すみて竹村氏と布施市水道局へゆく。許可書不要なれど道義上よりと係長の話なり。竹村氏にうどんおごられ川添和子を訪ね、パンビタ買はんとせしも金なし(樟蔭に安田章生訪へば正倉院へゆきしと。原稿ことはりたのむ)。堀内に寄り、露伴『猿簔(40)』買ひ『文芸春秋12月号』買ひて帰宅。
学術会議投票用紙速達で来る。夜、大塚呼びてきけば木炭代半額負担を竹村氏約せしと。

11月10日
登校、彙文堂より『続国訳漢文大成』来をり(22,000)うれしや。salaryもらふ。補講料400付く。野崎より電話かかり22日(日)多武峯へ遠足と。安村妹より里帰りの祝として饅頭もらふ。今高筒井より電話あり15日のフランス文学会出席者14人と。午「光工房」の永井君よび同人雑誌組に紹介すれど下手ならんとてやめしと。饗庭君の見積り28万円余にて、学報95,000にてすとの印刷屋に任すとなり。
浅香山小学校の次田校長より電話かかり15:30全田家で会ふことを約し、5:00すみてまちゐし今村、疋田2君と立話にて別れ、ゆく途中電車にて府教委水川、山川2氏に会ひにゆきし高野生と会ふ。山川課長むつかしきこと云ひしと。全田へゆけば丁度次田氏の来るところ、思ひ出話し、校歌ことわり、夕食よばれ、きけば肥下と同級と(堺中)。肥下どこにても良しと云ひをると。
20:00近くまで話し帝塚山でのりかへ寺町で下車。稲垣訪ねしに15日canaryの競覧会ありゆけずと。永井君のこさへしclass名簿置きて出る(途中、石井『古典考究(70)』買ひて途ききし)。西保嬢より12日13:00学校へ来ると。野田夫人左起子より礼状。いまHarvard大学にありと。

11月11日
定期買ひて鶴橋より奈良。野崎家へ寄ればその嬢すでに正倉院見しと。別れて古本屋にて春夫『女誡扇綺譚(100)』と『狐の詩情(30)』買ひ博物館。目録買ひて入場(30)。12:00まへ見終りて女子大。天野忠に会ひうどん奢られ『狐の詩情』与へcoffeeおごられ『正倉院雑識(40)』買ひて13:30奈良駅。学校へつけば15:00まへ。教授会早くすみ(出欠厳重にすることを云ふ)、木下義三にゆきしも不在。名簿与へ、斎場前の古本屋ひやかして帰宅。『祖国10月号』来る。京、きのふよりまた歯痛。

11月12日
登校、石浜先生に客あり、あとで満洲語をやる上原久君と。抜刷置いてゆく。英晤欠席の学生叱りしところへ西保嬢来り、ともに出てアベノ橋で喫茶。別れて警察病院。里村15日に差支ありと。康平叔父を診察しゐると。康平叔父と話し、上六まで歩きbus。大手前で下車、科野を大阪調達局に訪へば「この年で係長みなに合はす顔なし」と。不快になりて梅田より5,000とりて帰宅。
今市夫妻より挨拶。次田氏より礼状。竹田龍児氏より「佐藤春夫先生御夫妻近々上洛、その節はしらす」と。

11月13日
雨、登校。筒井に電話かければ欠勤と。荒木君に電話し、のちほどゆくと云ひ馬場東大教授、安部忠三の弟といふ柏井君に会ひ就職たのまれ、busにてナンバ。荒木君にゆけばまだ不在。溝端にて鈴木信太郎『近代フランス象徴詩抄(110)』買ひ「おもかげ」にゆけば税務署来をり、ややして近鉄案内所にゆき山荘に会ひ、電話して荒木君「おもかげ」へ呼出し2,000同人費として渡し、別れて帰宅。
徳永嬢より写真在中の手紙。佐瀬より竹内[好]17日来阪と。けふ吉田、小杉の2件に名簿わたす(吉田は不在)。

11月14日
コルボウ詩話会より小高根二郎の出版記念会15日と。薔薇短歌会より現代歌壇浪曼的なりやと(知らずと答ふ)。篠田紀氏より好川姓となりしと。中野英夫より役人やめたと。八木嬢より松井信子の耳鼻Reportのため紹介をと(里村へ紹介す)。
昨夜「蘇東坡」書き了る(34枚、保田に献ず)。
午後会社へゆき清算し今月分3,000預かる。大毎へゆき天野愛一呼出せば明日日直にてゆけずと。古本屋歩き高尾にてHeine『物語詩抄(春月訳100)』。Perry『日本遠征記3』買ひてbusにて上六。松本にゆけば白浜行と。中西にゆけば近江八幡。堀内にて『子思子(30)』。busにて徳庵へ帰り、夕食くひて大塚と話す。

11月15日(日)
川久保より岡正雄氏の推薦状に「東京にて松本、太田、岡辺4人集りてわが噂せし」と。平中氏より和田先生21日(土)歓迎会を17:00よりと。出席の返事するところへ電話。電報島稔より来り高安詰所へ来よと、万葉学会にて出張なり。電話して明日夕ゆくと電報し、13:00出て寺田町より歩きて新世界。岸邊『東洋の楽器とその歴史(70)』、高群『日本女性社会史(100)』買ひて時間つぶし天王殿へゆけば池田次郎あり。
やがて岡田先生、隅田先生、長沢、谷口両先生に井上博、梅村、遠藤、岡本、坂部、筒井、塘、古河、宮崎、吉村と我とにて12人となり1,700会費払ひ入洛。すき焼き、茶漬一杯くひて早々退去。20:00帰宅、連絡会す。夜半、島より電報、18日頃学校を訪ねると。

11月16日
雨、終日臥床。守屋美津雄君より河原正博に会ひてよろしくと云はれしと。21日和田先生上洛と。あすover-coatの出来上りを見ると。尾谷邦三郎氏より令息関大夜学出を高等学校へと。

11月17日
登校、島の電報は西宮君が打ちしと。沢田直也に電話せしにまだ来ずと。授業すませ萩原生呼びしにハガキまだ着かずと。「源平」とやらいふ料理店と。出て東天下茶屋で下車。永田三郎(辻部)の家訪ね、夫人と母君に名簿わたし一度会ひたしと云ふ。近鉄地下で散髪、busまでは初江叔母に会ひ、busおごりてゆき一里村訪ぬれば帰途と。内科の医師に会へば発作大したことなしと。(匹田)貴美子と久しぶりに会ふ。
帰って入浴。山前より18日17:00上洛せよ、『骨』わたすと也。佐瀬良幸より支那詩に韻ありやと。中條三郎より面会ことわられて残念と。けふ羽田へ『道教』21日に持ち来れとハガキす。

11月18日
休日なるにも島来るとて登校、井上生来り、家火災の為、休みしも今後は出ると。佐瀬に電話すれば竹内聯絡なければ何とかすると。荒木君より電話かかりしゆゑ、けふ上洛できずと云ひ、明日14:00すぎとりにゆくと約す。天野愛一より電話。壽岳先生の書斎訪問につきゆくと。18:00来よと教ふ。
2部2年の国文学史の採点94〜28点。15:00まへ島より電話あり、高島屋古書部前で待ち合すこととし、15:30来りしと先づ一杯のむに附き合ひ十合へゆき(沢田五倍子『無花果(100)』)「面影」へゆきし。電話、沢田直也にかければ19:30「竹仙」にてと。時間つぶしにパチンコし出雲屋でまむし食ひし。19:00竹仙へゆき待つ間に島酔ひ、沢田来ればからみ出し、●後に「逢坂」なる宿屋へつれゆきしも断頭台に我をかくると云ひて不快。沢田と別室で話せしのち、ともに出てパチンコ。「光」3ケかせぎて時間気にしつつ23:05にて京橋発、帰宅。

11月19日
登校、10:00島より電話かかり昨日何を云ったかと。教へてやるゆゑ13:00再び電話せよと云ひ授業。藤野和子の妹、姉の手紙もち来り、立川陽子、高砂鉄工技師太田治男と23日結婚と。
学報の校正あり、それをやる中、島より電話、14:00梅田でと約し、西宮にその酒乱話せば、我のこと異常なる神経質と大浜ら話せし由。出て島に会ひ叱れば覚えなしと。説教しつつ中田英一に連れてゆきて別れ、本町二の大阪府中小企業金庫に千川義雄たづぬれば長く欠勤と。
荒木にゆき『骨』33冊もらひ(25日2号締切と)、近鉄案内所へゆきしも野崎帰宅後。『骨』に22日不参のことわり書き、永井にゆき謄写版のこと云ひ「ちとせ」で親子丼。叔母不在。学校へ帰って校正終へ、授業して帰宅。
安部忠三の弟(柏井英夫と)より履歴書。松井信子より里村へゆかずと。高鳥賢司より原稿をと。島より入れちがひにハガキ。

11月20日
登校。鶴身、日野谷groupと新over-coatにて写真とり、2人にGoethe与へ、西宮君が井上生説諭を見つつ午後授業。すみて大同生命に井階訪ね、朝日に吉井栄治君訪ね『骨』2冊進呈。島の同窓会名簿のことで大高club事務所にゆけば不在。毎日に天野愛一訪ぬれば不在。『骨』2冊托し、山本事務所にゆき佐瀬に会ひrice curry食ひて帰宅。
小高根二郎より『骨』見たと。西保より旅信2.今村羊子より礼状。山中タヅ子より風邪にて22日ゆけずと。中野清見より12月来阪と。

11月21日
10:00会社へゆき、竹村氏に炭代免担と火鉢2ケ購入のことたのみ、父より図書費10月限りで打切りとの云ひ渡し受け、俸給表提出し、busにて大手前。坪井に柏井英夫の履歴書わたし、肥下のこと云ひ、ともに白井を訪ね、毛布5枚買ふを見、本庄先生待ちしも来られず。
14:30別れて島本商事へゆき木村慎吾らと話しゐるに会ひ(西川この間、白井に来しと)、地下鉄にて梅田。省線にて京都。祖国社へゆき高鳥君にきけば「蘇東坡」着きしと。『伊東静雄追悼号』3冊もらひ、奥西保氏より池内先生の本発送せしも送料は3,000もらひしのみときき、歩きて京阪書房。三上『白河楽翁(70)』、尾崎『古墳のはなし(50)』買ひ、歩きて平中邸。
和田先生末嬢と既にお越し、研究費査定のためと。桑田、潮田、駒井、佐中、石瀬、樋渡(ルオー展切符2枚賜ふ)、羽田、重本、守屋、芳村、羽倉、小池の外に森鹿三、平岡の2氏も来り、鈴木俊氏も来る。各自思ひ出話せし中に羽倉「我と田中とを困り者と仰せありし」と云へば先生困り打ち消さる。羽倉と共に出、京阪三條前にてcoffeeおごり京阪に同乗、帰宅22:40。

11月22日(日)
けふ日本歌人の会。文芸クラブの会ともにゆかず臥床。よべ5:00まで眠れざりし也。西川英夫よりこの間来阪せしと。名簿受取りしと。

11月23日
よべよく眠り、寮をぶらぶらせしに、辻賄人内緒で申上ぐとて安部育の米と砂糖竊取を告ぐ。池●呼びて訊ねしにやはり蔵匿しあるを見届けしと。
15:00出て和田先生見送りにと梅田―京、そのまま京泊り(上村家)。

11月24日
京より学校へ直行。2時間教へしに竹内[好]より電話かかり、夕方眞法院町の宿へ来よと。漢文午后やめてくれと高校生来る。やめて13:00出、近鉄departにて高橋盛孝『民俗学の実際(50)』、瀬川『販女(30)』、村上『女性の勝利(30)』と安本漁り、警察病院へゆけば叔父発作疲れでねいる。大江叔母、房子来をり、けふ明日は見舞はざらんと。出て「古賀」へゆけば15:00、16:00再来を云ひ上六まで歩く途中、吉川仁印刷所訪ねしも留守。
天地書房にて『明治家族法史(80)』『女の自由(20)』、あと時間つぶしにうどん食ひ、電車にて「古賀」へゆきて待つ間、吐瀉、便所汚し女中に200やる。
17:30竹内帰り来り、昼夜8時間教へ12月2日までと呆れる。出てまた吐瀉、桃谷より帰宅。 (けふ『詩と真実 伊東静雄追悼号』『関大石浜教授記念論叢、羽田亨、岩井大慧』もらひ住高へ『祖国』2冊もちゆき、松本喜久子を出席で叱り皆出約させし。鶴身groupのとりし写真2枚もらひ、西山groupの写真2枚とられし。)
芳野清より大垣家訪ねしに国司26年3月4日、発狂のまま死せしと、可悲。我宛の封書ハガキ1通づつ同封しあり。島稔より歌2首。

11月25日
〒凡信2。昼寝し15:00に登校、教授会。すみて婦人子供服会館での大高club。高垣話しをり坪井来をりinflaかdeflaか判明せぬ講演すみSchinzinger先生。天理の田中治郎、鈴木、瀧井、山口の諸氏とともにお越し。HeineとGoetheの訳本進呈し、自己紹介了へ19:30散会。坪井、俣野と本町2丁目で別る。
けふ(辻部)永田三郎も来をり。『骨』両中野、蒲地、西垣に送る。夜、古和田退社を告げに来る。

11月26日
登校、2時間目すみしところへ井上生、従兄とやらをつれ来て、どうしても駄目かと。荒木に電話かけてきけば『骨』の締切月末と。13:00出て警察病院、昌三叔父夫婦来る。藤井寺へゆきて麻布中の叔母に安部育の件相談し、夕食よばれて日野月先生。以前もちゆきしgift checkを問題とされしを、収めていただき、肥下に寄って事情きき夜学。
中野生来り、29日ストにて云々と。28日午后来よと云ふ。

11月27日
登校、藤野妹、山中藤野2人にて産経会館のconcertに招待すと。ことわるところへ斎藤はるみより電話、16:00来ると。柴田でcoffeeのみなどして待ち、来しと共に出て近鉄depart。coffeeとsandwichおごらせ忙しく働くとの話ききて18:00別る。立川陽子、太田治男夫妻、箱根より挨拶状。島稔より黒沢尻着と24日付。

11月28日
会社へゆき、城平叔父に安部のこと云へば、さもあらんと。帰りて15:00まで待てば森、中野、2嬢来る。卵と米とを賜ふ。夜、床に入りをれば肥下来り、堺脳病院に就職出来しらしと。
堀辰雄全集編集の前川康男より手紙貸せと。千川義雄より遊びに来よ、俳句やりをると。鍛冶初江よりお別れpartyを1日15:00より不二屋でと。

11月29日(日)
家居。堀辰雄氏のハガキ写す。伊東花子氏より転居通知。小高根二郎より春夫先生のこと。夜、聯絡会。

11月30日
朝、城平叔父より電話、正平博士の史料ありやと。鴎外全集もちゆけば出しあと。bonus表出せと杉浦氏より。busにて天満橋。扇町商高にゆき沢井孝子郎に会ひ、尾谷氏令息の履歴書托し、うどんよばれ(今34,000手取29,000位と)、北府税務署へ寄り田中幸臣訪ぬれば欠勤と。読売へゆき埜沢宏君に『骨』わたしてよろしくとたのみ、山本事務所。佐瀬君と話し、荒木君に電話すれば原稿直送せよと。 本屋で祝に『現代抒情詩抄』と『鹿鳴集』。心斎橋に出れば15:00。news映画見、梅本にゆけば不在。富沢生に会ひcoffeeのまんとさそひしもきかず。十合古本屋見、南下すれば服飾の卒業生湖崎、麓、林富美代に会ふ。武内洋裁にて久美子と同級と。みつまめおごり、天牛見て16:30[不二]屋へゆき17:00より鍛冶姉妹、野崎、伊藤、椿下、山荘、和島とgroupみなそろひて別れの宴。武田長兵衛の福岡支店小笹氏に嫁ぐと(式は6日大阪でと)。杉浦[※正一郎]に紹介せん。大阪転任運動せんと云ふ。20:00cakeもらひて別る。『鹿鳴集』にsignと「きみがゆくくにははるけしみをつくしこころつくしてこひわたれとや」。けふ西保、中野トシ子より。

12月1日
登校、大丸を受験せしもの皆落第と。永井君に電話してきれいにやれと註文つける。15:00出て鞄の直しをして帰宅。
岐阜県の伊藤勝行氏より『白い花びらのために』。『骨』の詩出来ず。
けふ「雄略天皇」の再校出来。高校生西角先生のわがこと書かれし「高石小学校75周年記」もち来り見す。由起しげ子(伊原卯三郎夫人)も後輩と。

12月2日
休み。終日臥床。

12月3日
雨、登校。漢文2Lの答案返す。高野に斎藤へと『祖国』と『ニャーオ』わたす。14:00金杉重信の紹介にて東井夫人来る。小学校入学の斡旋たのむとなり。島本生恋愛を語る。出て南田辺の千川義雄を訪ぬ。25年ぶり也。中西義章の診察受けよとすすめ、今川へゆけどマミ子ゐず、森鴎外に見えたる田中正平博士の覚書わたして出、北畠まで歩く途中soothill『A history of china(10)』、Waldschmidt『Gandhara(30)』買ふ。8人の追試行ひて帰宅。
けふ『文芸春秋 冬増刊』に中島健蔵わが悪口を巧みにかく。
亀井昇より四條小学校に就職と。肥下より堺脳病院に就職と。林富士馬より「いやさうに詩を書く」と。

12月4日
登校、9:00地鎮祭、すみて文化祭。14:00出て康平叔父。発作少なくなりしと。田中正平博士の話きく。出て大手前。坪井にも肥下より就職の便りありしと。けふ毛糸のneck-tieもらふ。齋藤かずゑ生より帰郷、療病と。

12月5日
寒し。会社へゆかず。大江叔母より一度小野和子つれて来よと。天野忠より『骨』見たと。中野清見より下阪1月にのびたと。16:30出て千日前。天牛南店にて朔太郎『[殉]情小曲集(100)』見つけてうれし。「丸万」にゆけば西宮君あり。家本、宇野、島田、高橋、竹内、中野、藤井、堀、松永と9人集る。中野生『文芸 太宰治号』呉る。20:00長沖先生のおごりとなりて解散。近鉄組3人と西宮君でtaxiで上六、近鉄をへて帰宅。

12月6日(日)
[終日]無為、臥床。『祖国11月号』。島稔より『骨』と同窓会名簿と着きしと。

12月7日
[※破れ]会社へゆき賄のbonus案提出。杉浦部長反対せしも最後に「これですか」と察したり。歩きて放出中学、[※破れ]三郎氏に会へば一人息子につきよろしくと。天満橋より北浜2へ出、日本経済に増井直一を訪ね名簿渡し、歩きて三菱商事へ寄れば横山不在。山中嬢の顔見しのみにて出、日生へゆけば松本一秀欠勤。市役所へゆけば筒井不在。地下食堂でrice curryたべ山本事務所へゆけば佐瀬君、横山源之助『日本の下層社会』賜ふ。梅ヶ枝町より市電にのれば本庄先生あり。帰宅15:30。

12月8日
登校。高野敏子、後藤田女史に山川課長へ礼にゆくことの可否とへば上手にと云はれしと。島本生就職やめたと。泉君に小学校入学の法とへば先づ幼稚園に入れよと。荒木君に電話すれば出張と。
15:00出て藤井寺へ小野和子つれゆく。明日一人で来させいろいろ聞くと。ともに出て近鉄departにて『香料小史(60)』『女の一生』買ひ、雲呑食べて別る(けふsalaryもらひし)。12月8日とて軍隊の話し中西六郎氏より「いつもいつも」とひやかさる。齋藤生より診断書。宇野より礼状。

12月9日
教授会なし。山前より『骨』2号の会10日と。祖国社より芳賀檀の会18日17:00よりと。肥下を呼べといふ。
横山薫二より不在のわび状。諫早文化協会より伊東の詩碑の会の発起人をと。14;10出て会社。明日の支払の用意おほむね出来をり、父に5000わたし、出てbusにて放出大橋。またbusて緑橋。中村外科病院に筋炎の礒崎見舞へば明日退院と。雨中歩きて白山市場の瀬戸物屋を見て通る。帰りの電車にて音田正巳君に会ふ。長尾良と同級。

12月10日
雨、登校。3時間終へ高野敏子の話きけば山川課長に5000もちゆかんかと。小野和子、艶叔母に会ひ傘借りて帰りしと。林重信に電話し17:00に会ふときめ、追試施し、松本に電話すれば井上と学校へ出しと。15:00訪ねると約するところへ現はれ、図書館へ勉強にゆきしと。
ともに出てナンバ。しるこ食べながら話きき、「面影」へ呼出し父と話し、御堂筋で別れて荒木君。『骨』同人への伝言托し『日本後紀〜三代実録(200)』買ひ、高須『近世文学十二講(60)』はdoubleり、近鉄depart。金杉と会ひしところへ千川も来合せcoffeeおごられて話し、別れて雲呑。『文芸春秋』よみつつ夜の2時限まち、後藤田女史に高野敏子のこと云ひ、授業すませて清水、平岡2生と帰る。小山緑、結婚して虐待されゐると。●幹事と答へ紅茶のませて帰宅。『天地人』より1500。鍛冶初江、笹野姓となりて新婚旅行よりハガキ。

12月11日
登校、半田に高須本与へ、八木生に千川への伝言托し、藤原を泉大津の案内にと思ひしが、これはだめ。昼食床におとし小野にパン買ひにゆかす。話したげなりしかどきかず。出て泉大津図書館。西角先生に会ひ(65才になり玉ふと)、すぐ出てナンバ。天牛南店をひやかし鶴橋に出て児島『支那文学史(80)』『大阪便用録(40)』。寒がりながら帰り来る。(けふ行きがけ定期買ひ散髪せし)。西川よりハガキ。[※破れ]Burma行の送別会せんと。大阪東大clubより18日17:00より例会と。

12月12日
9:00出て会社。遅しとて城平叔父と話せず。帰れば祖国社より肥下の参会宜しと。朝日よりコルボウ[※破れ]評のせし昨日の新聞。藤野一雄より右よみしと。

12月13日(日)
中野トシ子、藤原幸子よりハガキ。竹田龍児氏より春夫先生の上洛なかりしと。宮本正都氏、島稔よりハガキ。13:00出て梅田。石井良助『長子相続制(50)』、coyett『閑却されたる台湾(100)』買ひ、なべやきうどん食ひし。留守中、硲晃君お歳暮持ち来り、春夫訳『尖塔登攀記』もち呉れ給ひしと。

12月14日
9:00前、会社へゆき城平叔父つかまへしもbonusの件、杉浦と話せと。父と清算すませ(74,000不足)て帰宅。〒なし。夜、草野、上野呼びて退職とめしもきかず。

12月15日
登校、2年漢文の最後の授業をし、八木生より千川義雄のことづけし、菓子と小野十三郎と受取り、高野敏子より山川課長宅訪問の報告談。最後に小野和子「生れてきたわけわからず」との手紙もらひ、出て浅香山。全田に行き叔母に案内されて飯野家にゆき肥下の世話の礼云ひ、堺脳病院。
犯人の蒲団の世話しゐる肥下に会ひ、18日の祖国社行すすめ、今村羊子の父に会ひ、羊子つれてナンバ。野崎居らず古本屋見、「面影」へゆき大丸古書部にて柳田国男『小さきものの声』『遠野物語』『地名の起源』、春夫『武蔵野少女』にて500。喫茶し春夫かし、戎橋まで歩きて別る。筒井信義より写真入りの書類。夜、池田退社退寮と。。

※〈十二月十五日 二時頃、田中克己病院ヘ来訪。十八日、京都祖国社ニテ会合アル由、出席セヨト。芳賀檀モヨロコブダラウトノ由。〉 肥下恒夫日記:『悲傷の追想』澤村修治著2012 91p

12月16日
悠紀子湿疹にて城東病院へゆく。昼食して住高へ寄れば休み。漢文の先生に硲君へと『カトンボ塚発掘報告』の返却と児島『支那文学史』とを托す。歩きて帝塚山書店に寄り『名家漫筆集(50)』買ひ15:30まで待ちて教授会。すみて半田祐子に寄り『小さきものの声』与へ小野和子にゆき部屋見、お好み焼食ひて(鴎外『諸国物語(50)見付けてうれし』)別る。大江叔母に昨日手紙もらひて帰り来しと。 けふ岩崎[昭弥]より19、20日頃会ひたしと速達。(筒井信義に電話すれば休暇)。杉浦氏より来よとの電話ありしと。

12月17日
登校、国文学史の時間reportの指導うまくゆかず。高校の採点せんとせしも出来ず。萩原生と出てナンバ。喫茶後、荒木君に会へば依田君旅行で『骨』旨くゆかざる様子。別れて「源平」へよばれ萩原の父母に会ふ。父君、園克己と同窓と。近鉄案内所にゆき野崎と話し、天牛南店にて『ミラボー橋』買ひて与へ、菓子とすし貰ひて萩原生と別る。(けさ電話にてbonus15日出しと。土曜とりにゆくと電話す)。夜、渡部退職を云ひに来る。父と自転車屋すと。

12月18日
登校、授業のあひまに高校の採点し、日野月先生英語の本もちてお越しを迎へ、長沖氏と会はせしのち、出てアベノ橋でお別れし、安村妹、青山2生とcoffeeのみ、京都吉野書房へ17:00着。 保田[與重郎]、[小高根]二郎、長尾[良]、岩崎[昭弥]すでに[※破れ]芳賀氏来るをまちて宿屋までゆき「日本浪曼派」結成の準備と知る。岩崎12万にて[※破れ]集』出さんと若森、高鳥ときめしと云ふに、ともに出て歩き乍ら「官吏教師は止めとこ」と保田の[※破れ]我の浪曼派に入れざりし理由と云ひ、全詩集はこれまた保田の思はざる所ゆゑ止めよといひ [※破れ]書房で森槐南『杜氏講義3冊(600)』、辻『武家時代と禅僧(80)』買ひて「れんこんや」の[※破れ]、京阪の切符買ってもらって別る。岩崎には気の毒なりし(芳賀5月より近大に教ふと)。

12月19日
鳴田勝より家に着きしと。午后出て会社へゆく。杉浦部長と電話で話し賄人のbonus(安部4000池元4000辻2000)と我の分(10,000)受取り、城平叔父に4人退職を云へば父母に問合せ中と。原君に云ひにゆけば止めたしと会社きらふ故、仕方なしと。大手前にゆけば坪井帰宅と。家にゆけば吹田へゆきしと。ハリス『日本滞在記 上』と『プーシキン詩集』と買ひ、古本屋にて朔太郎『詩の原理(120)』『大和の古墳(130)』買ひて帰宅。bonus頒つ。

12月20日(日)
西保嬢より24日(木)電話かけると。午後、学苑新聞の記者とて新米1年生2人来り、学校へ電話せしも埒明かず詩かきてもち帰らし、松本、山口に会はんとゆけば亀井、荒井に会ふ。亀井、術つかはざれば身体検査に通らざりしと。荒井10月退院せしと。夕食たべて帰る。

12月21日
『文芸日本12月号』、午後会社へゆき徳野へ竹村課長と屎尿汲取代と餅搗代もちゆく。康平叔父昨日退院せしと。丸善へゆきしも買ふ気にならず。十合へゆけば百済生Arbbeit中にて見付く。990分本買ひ、梅本に会ひにゆき松本一秀に電話すれば1000出せしと。17:00今川へゆき久美子と話し、出て春月『ゲエテ詩集(30)』。アベノ交叉点で『日本古代史(100)』。帰れば永野要助退社したしとて来る。

12月22日
10:00家を出て近鉄departで『芳賀八一遺著(130)』、今高へゆき筒井信義より昼食おごられ、出て霞町まで歩き『森鴎外妻への手紙(30)』買ふ。中共より直接来る由にて本やすく『杜甫伝』も110なり。天六行の市電にのり鳴尾町で下車、『[日本文化史上に於ける]利瑪竇の世界地図(30)』買ひ山本事務所へゆけば山本仙台行と。松川事件死刑4人と。佐瀬と出て古本屋歩き『海南島(30)』『特殊ブラク2000年史(100)』『孤猿随筆(150)』『東洋史教授資料(120)』、三浦周行『国史概説(20)』と買ひ漁り、news映画見て佐瀬と喫茶して別る。(1月1日に来よと云ひやる。渡辺恵、生きて社長と)。中川、高野2生教員試験失敗と云ひ来る。

12月23日
家居。米屋回中、餅米3升もち来る。上村肇(諫早文化協会)より再び勧誘。

12月24日
10:00出しも保険証とりに帰り12:30学校へ着く。岩橋女史の夫君、嫁探しの同窓紳士つれ来らる。album見せて話し、学院の院長室で待ち(鴎外全集31回受取560円)、14:00忘年会。我、おでん食ひしのみ。弁当もちて小使さんにやり、電話にて待合せ約束せし西保嬢を20分待ち(高島屋古本部)、春夫『陣中の竪琴(50)』見付く。ともに荒木君訪ねcafeおごられ、古本屋ともに見て『西鶴全集7冊(350)』買ひ、別れて[※破れ]店にゆき『米版encyclopaedia britanica(1500)』12冊を15日頃届けてくれとたのみ(金[※破れ]て戎橋。吉田出雲屋で夕食。「面影」にゆき日中文化協会に出て今川君にて泊る。けふbonus[※破れ]と15,000と貰ふ)。watch500にてx君より買ふ。

12月25日
10:00朝食。天地書房にて朔太郎『昭和詩鈔(50)』。busにて天王寺、斎場前で下車。歩きて[※破れ]のみしあと藤井寺にゆく。理事長への歳暮、handkerchiefや化粧匣宜しからんと。十合社長死して叔[※破れ]上京中なりしも今日帰阪と。上平、百済の履歴書よき日を見て渡してくれとたのみ、久美子より家庭の不和きき、小野和子のことたのみ(1500万円の財産家と)て帰宅。 悠紀子に金わたせば(―)ゆゑ828のみもらふ。(時計は止りしゆゑ修理たのむ。28日出来300円の予定と)。『文芸クラブ4』、山前実治より井上君の原稿来ず発行遅れんと。北野雅子より『文芸クラブ』見しと。西保嬢より入れちがひに手紙。百済、上平2生より煙草10ケ。夜、半田祐子よりお歳暮送ったと速達。

12月26日
家居。粉河の小林氏より羊羹贈らる。悠紀子、依子、京の2児つれて十合。topper coat(2300)買ひ来る。弓子留守番して世話す。史は補習。

12月27日(日)
家居。山中タヅ子よりはがき。山前実治君より明日16:00三和書房へ校正へ来れと。12:00高野敏子、坊やつれて来り、山川夫人の言に試験に通ればあと引き受けたと。方中へ通信。竹田龍児氏へ「懐旧」よみしこと、鍛冶和枝へ杉浦夫人へ紹介状。その他ハガキ。 夕方年賀状を和田、白鳥、岩井、岡田、隅田、西角、本庄、日野月、太宰、神崎、石浜、神田、篠田、宇都宮諸教授、河村、田村2doctor、林、大江、田中昌三諸叔父、斎藤堅太郎先生と20枚書く。

12月28日
寒し。12:00出るとき郵便受取る。八木嬢より妻子へ4日に来ると。鶴身生よりハガキ。上村氏より伊東詩碑、個人の素志と無関係と。 大高7回東京会より寄せ書。久保、保安庁に転任、井上?、生きてああ大阪へ来ると。 会社へゆきsalary預り、宝国寺へ300香奠50わたし、小野昭典の退職希望を原課長に云ひ、14:00発京阪特急にて三條。古本屋見、(彙文堂へゆき『三国史記(1000)』『文選(650)』、金沢『日韓字典』註文)、石原『鄭成功(40)』『台湾を語る(50)』買ひ三和書房。荒木君を除く5人そろひて校正。れんこんやへゆき(『カロッサ詩集(35)』『飛騨の女たち(40)』買ふ。)15日14:00大阪で会合ときめ、400払ひて20:30出る。留守に小野和子来り、羊羹くれしと。青美智子より歳暮来しと。

12月29日
5:00まで眠れず。9:00竹村氏来り、餅米おきゆく。賄のsalaryわたす。山本恭子、実子姉妹より礼状。上野より帰郷せしと。徳永昭子嬢よりneck-tie贈らる。

[※以下欠]


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