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田中克己日記 1950


【昭和25年】

 昭和25年は転職の話がやうやく実を結び、詩人は新しい職場で新年度を迎へます。

 まずは碩学神田喜一郎先生からの名古屋大学へのお誘ひの話が具体化します。年末に藤枝晃氏より仄聞した情報が年明け早々、 神田先生直々にもたらされるのですが、当初1月からといふのが4月からとわかり落胆、 それならばすでに責任者との面会を果たし太鼓判を押されてゐた滋賀県の新設短大への話を優先しようと心決めします。両者とも藤枝晃氏からの情報でした。

 知合ひの誰もが名古屋大学へゆくことを推し、名大の先生達も学内に存在する“戦争詩人”の就任に反対しさうな同僚のために、 保田與重郎氏一人を悪者にした説得工作を試みてくれるなど、全般に好意的ではあったのですが、さうした善意も『祖国』同人と契る詩人にとっては固より本意ではなかった筈ですし、 加へて不発に終った大阪大学での苦い経験も脳裏を過ったのでありましょう。結局さきにお声が掛かり、自分の“獲得”を早々と新聞に報じてくれた滋賀県立短大からの招聘を有難くお受けするといふ、 この詩人ならではの義理堅い選択によって田中家は最大の経済危機から脱出を図ることになります。

 暮らし向きにつかの間の安息を得る一方で、文学的には再スタートを切った前年に続いて自ら展望を開いてゆく年になります。 すなはち田中克己が拠点を彦根に移すことによって長浜から京都へ向かふ東海道沿線上に住まふ詩人たち、井上多喜三郎(近江八幡)、 小林英俊(彦根正法寺町、円満寺住職)、武田豊(長浜)を中心に、滋賀県の詩人たちが俄然活性化の様相を帯び、 京都での「コルボウ詩話会」にひき続いて「近江詩人会」が結成されることになるのです。

 さきに述べたやうに保田與重郎は雑誌「祖国」で活動を再開、刊行元の吉野書房には田中克己も足繁く通ひ、北海道からはるばる大和旅行に招かれた浅野晃とも邂逅してゐます。 保田與重郎をはじめ「コギト」同人の面々(大阪高校OB)を排斥しない、地元関西ならではの土地柄にも助けられたといへるでしょう。周りには新しく岩崎昭弥、藤野一雄といった若い後輩詩人も現れます。 主治医でもあった河村純一氏らとともに最晩年まで親交を保った人々との縁は、湖畔で暮らしたこの一年間につくられました

 しかしながら関西圏の東端に位置する彦根での生活には何かと不如意のこと多く、学問をする上で(もちろん愛人と会ふ為にも!)、 なるべく京都の近郊で暮らしたいと希ひは強かったやうであり、年末にふたたび帝塚山学院大学への再転任の打診があると早や気持は傾いてしまひます。 天理図書館の場合とは異なり、関西大学付属高校との掛け持ちとはいへ、公立大学の職場環境はもちろん劣悪といふ訳ではなく、 折角招聘して下さった関係者の期待を裏切り去ってゆく訳ですから、辞めるにもお世話になった恩人への配慮と説得は欠かせません。 当然作ったばかりの詩人会でも後進から慰留を懇願されますが、土地に根付いてゐない人間を引き留めておくだけの理由がみつからなければどうしようもありません。

 こののちも転任理由の第一に「北陸の雪の寒さ」を挙げ、寒がりの詩人であったにせよ、幾ばくかの後ろめたさもあったのではないでしょうか。


昭和25年1月1日〜昭和25年12月31日
25.5cm×18.1cm 横掛ノート(文部省選定教育ノート大学高専用)に横書き (冒頭8p学生が使ひさしたノートを使用)

ノート   田中家系図

1月1日(日)
終日臥床。餅食ふ。神田(※喜一郎)、喜多村(※:彦根女学校校長)、松村(※一雄:滋賀県)、石浜(※純太郎)諸先生へ賀状。
午後ひるね中、賀状来る。田村春雄、木村繁喜、鹿熊鉄、大江喜代造、池田道夫、小川浩、坂口允男、埜中清市と8枚。大江叔父へ返事「元日に年賀状書くのんきもの」。
「爐」135号。森本一三君、われのこと詩に詠ず、それにハガキ。

1月2日
賀状、木村、小川、坂口、鹿熊へ。高倉、薮、八木嬢と図書館よりの賀状とハガキ。
和田先生より「天理と彦根の教授審査やられし」と。
羽田へゆけば来客、引返せば藤枝来る、珍し。ともに昼食、羽田にゆき、出て彼は矢野仁一先生へ、我は野田又夫へ。
羽田野田両家で屠蘇よばれる。わが出し時より雨。

1月3日
朝早くより起され8:30家を出、高安(※前川佐美雄邸)の「くれなゐ」歌会にゆく。鶴橋の校長先生、埜中、鳴上、池田、加藤の諸氏と吉田、平田、北川の三嬢、北川嬢は大阪学芸大学長令嬢と。
16:00出て上野芝の田村へゆけば「宿直」と。夫人も外出。急ぎて帰洛、21:00家につく。
留守中、外山軍治、日比野丈夫の二氏来訪と。健の年賀状。
けふ『くれなゐ』に「近江吟」6首わたす。

1月4日
9:15に乗り西大寺−鶴橋−枚岡。梅林にゆく。餅たまふ。
細川書店より「写真返す、来春刊行」と。岡本和子より手紙。末吉(※栄三)「城崎へゆきし」と。中野英夫「法務府に勤む」と。亀井、笹倉より賀状。
天の河の星のごとくにつらなれるあかりを見つつ坂を下るも。

1月5日
けふは寝んと思ひしに山本治雄よりハガキ「新年宴会をするに付川崎誘ひ来よ」と。
12:00川崎にゆけば「ゆけず」と。14:00まへゆきて新夫人の料理を待ちて碁将棋。
山田後藤来る筈なりしがど来ず、19:00出て帰る。
けふ八木嬢より依子弓子へハガキ。

1月6日
外山軍治、笹倉掬生へハガキ。和田賀代よりお幸叔母の悔みへの返事。平田信子嬢より「くれなゐ」の会のこと。
中野英夫、亀井、平田信子へハガキ。瀧口春男へ原稿の問合せ。

1月7日
石浜先生より浪人祝ひ状、早速「まだ浪人せぬ」旨お返事す。
よべ雪ふりて寒く、一日臥床。細川書店より写真返却。養徳社松井君よりリルケ『若き詩人への手紙』。

1月8日(日)
午後羽田にゆけば風邪。依田義賢宅のコルボウの会にゆく。近江の井上多喜三郎、神戸の山村順などの古き詩人来り盛会。小高根二郎よそに会ありとて来ず。

1月9日
定期買って出勤。「高橋(※重臣)君男児出生」と。金井君に聞けば「彦根女学のことすでに山崎喜好氏によって中村幸彦に通報」と。
丹羽千年を訪ひプール女学校の短大に斡旋せんといはれしと。千年の妹は俳人と。
松本善海よりハガキ。加藤真一郎、牧野恵太郎よりの年賀状転送。

1月10日
雨の中を出勤。富永館長に文部省の審査のこといふ。養徳社松井君来り、原稿「天狼」に載らず「七曜」にと。カロッサ呉れしを高橋君にやる。
川久保(※悌郎)より手紙。鷲教礼より手紙。京は雪。

1月11日
出勤。業務会すみて貴重書目録の会議。「八木嬢の父君肺炎にて絶食三日」と。
2000円新井氏より借用、高橋君祝返しとて餅5合賜ふ。帰り八木嬢に会ふ。
池内先生より返事たまふ「我が信、8日につきし」と。

1月12日
うす暗き中に家を出て7:41、いやになる。岡本嬢に詩のこといひ登館。八木嬢風邪とかで休み。(出勤の途、村上君に聞けば「教授の査定パスは学監にありし」と。 「辞令3月に出るやもしれぬが実授業はなし」と。不快)
帰れば神田先生より「明日午前中お宅へ来よ」と、名大漢文(※名古屋大学への口利き)の件なり。
末吉より「例の件(※関大高校への口利き)進行中」と、ふしぎなる日なり。

1月13日
やや暖かし。9:00神田先生をお訪ねす。「2月末までに講義すむ如くに中国文学助教授」と。「履歴書、資格審査書写、業績表、著書を送れ」といはる。 「文学部長工藤好美氏、新村猛氏、大浜(哲学)氏、東洋史の宇都宮清吉氏の推薦そろひて第一候補、18日教授会」と。
帰る途中外山軍治氏に会ひ東方文化に寄る。羽田に寄れば風邪とて臥床「買い被られたね」と。
帰りて書類作り悠紀子に送らし、散髪。入浴。鯛のさしみ食ふ。
けふ旗田氏よりハガキ「藤井通雄君世話しくるるに付、履歴書急送せよ」と。但し4月以降かと。
芳野清より挨拶。松村一雄先生「三人目の嬢ちゃん出来選択されし」と。

1月14日
けふも暗き中を出て7:41に乗る。雨となり養徳社安藤氏に傘借りてゆく。急ぎて中国地誌をやり20部位やりしか。
ひるすみて安藤氏に傘返し、羊羹買ひて八木嬢父子を見舞にゆく。「父君お粥食べるやうになりし」と。
石上の佐藤君を訪ぬれば留守。「昨日東京より帰りことづかりものあり」と山崎君に伝へし由なり。下りて駅まへにゆけば夫人にあふ。(書店にて玉井一郎に会ひ、きけば「老兵の記録」の初校すみしと)
けふ都新聞より原稿の催促あり。父より古書売立のこと。

1月15日(日)
午前中家居。旗田氏と都新聞とへハガキ。池内先生、川久保への手紙書く。
午後羽田にゆき、天野忠にゆく。

1月16日
日出前に家を出、7:15に乗りてゆく。高橋君の説に館長曰く「仙田氏は1月末やめ副館長田中氏なれどこれもよそへゆくこと定てをる由なればいかがせん、 高橋君にはgunior collegeの図書館学をやるべし」と。
吉田ふじ子氏より館長への年賀状「学問やるなど申せしこと以ての外」と、お幸せにて結構。八木嬢、熱止みしとて一寸来る。 明日私鉄ストとて泊めんといひしが高橋君にゆけば夫人不快なり、帰り来る。

1月17日
私鉄ゼネストとて欠勤。11:00吉野書房より電話かかり「校正出し」と。
羽田へ寄りてのちゆき奥西兄(※保)、高鳥君らと話し天理図書館。保田へ電話す。保田「21日に来る」由。
帰り下総町へ寄れば天野忠来り「(※万葉集)古義」「歴代御製集」は値つかずといひしにより売らざりしと、不快。
ゆくこころひとは知らざり笑むわれがよろこぶがごと見ゆるとうらむ。

1月18日
雨、出勤。7:15に乗る。電話効なかりしといふに八木庶務を叱る。ひるまで地誌やる。
昼食後頭痛を申立て早退。途で佐藤誠に会ひ薬もらひ、中村忠行に会へば「桑田六郎先生、石橋の阪大にお住居、よろしく」とのことなり。
八木家にゆけば父君すでに外出、水もらひて薬のみ、八木嬢に青柳嬢とわれに流感うつせしことをいひ、又くすりもらひて帰る。

1月19日
風邪の上、雨のため欠勤。「老兵の記録」書かんと思ひしも出来ず。
都新聞より「原稿未着、再びかけ」とのハガキと電話。角川書店よりハイネの印紙2500枚。

1月20日
雨止む。7:41にのり登館。石浜(※純太郎)先生来られお相手とす。相客はのちにきけば富永の義兄にて女高師の教師と。どうやら下村文相(※来訪)のとき交渉に出し奴らしくていやな奴なり。
八木嬢より200円借りてやっと帰る。石浜先生「桓夫氏(※甥の藤沢桓夫)より」と『黄坡遺稿』わたさる。「博士号とらば関大大学院に推さん」と。無理のたまふものかな。角川よりハガキ。

1月21日
7:15より登館。地誌やり俸給を待つに中々出ず、12:00をすぎてやっと貰ふ。税金少し安くなりたり。
玉子うどん食ひ(50)、タバコ買ひ(60)、あめ買ひ(60)してぼつぼつ金を費す。
伏見にてパイプ賜ふ(35)、コーヒーのめば50円。「ワ゛ン・デ・ヴエルデ(※Van De Velde『完全なる結婚』著者)」又買ふ。
吉野書房にゆけば保田すでにあり「名大ゆきてもよし」と。『くれなゐ』の「山城吟」出るに「評判よし」と。
また風邪気味なるにより20:10出て帰る。「老兵の記」明日午後高鳥君とりに来ると。帰れば名大工藤文学部長より「(※決定には)書類その他の受取、数回の教授会必要」と、意外!
なかなかにわれをはなさぬうはなりのつよきをうなのごときおしへよ。
へだて来し雲ゐの外のよそびとにこころうつさんわれならなくに。

1月22日(日)
臥床。午後、硲君より電話かかる。「来よ」といへばまもなく来訪。「結婚せん相手みつかりし。四月までに大学の助手を神田力氏に依頼せし」と。夕食すすめしに帰る。
そのまへに「老兵の記録」28枚書き了り、高鳥君のとりに来るのを待ちしかど来ず。
羽田のマサ子ちゃん、明君の半紙もち来る、「未だ臥床」と。手紙かきてわたす。
けふ母来り金もちゆく。「一興叔父の一周忌とて大、招かれし」となり。

1月23日
欠勤。ゆき子に吉野書房へ電話せしむれば「すぐ来る」と。待てば15:00ごろやっと高鳥君来る。原稿わたし、同伴の京大西洋史学科生に天理図書館へ就職のすじ道はなしす。
けふ神田先生へ速達、工藤氏の(※まだ決定では無き由の)手紙同封す。
角川へ仰紙速達。マフラーゆき子買ひ来る(300)。

1月24日
7:15にて出勤。佐藤誠に「民族学研究」14の2頒けてもらひ、きけば「中村忠行と二人で中村幸彦にわれを副館長にすべし」と云ひしと。
八木君に100借り帰り姫岡君と同車、わる口きこえるやうに云ひて別る。
羽田によれば(※我れ)大分やせゐたり。

1月25日
8:15にてゆく。風邪なほらぬを口実に早引することとす。この日はじめて仙田氏退職とのこと公表、同時に送別会。バカにしをると怒れば富永席上弁解めきしこと云ひつらねたり。
高橋君『Wunderhorn(※少年の魔法の角笛)』の訳わたす、あまり感心せず。
吉野書房にゆけば前田氏明日、「祖国」も明日と。奥西君と話し帰る。
彦根女専より研究費申請書、神田先生よりお見舞状。

1月26日
正月大祭と。われは研究日とて行かず。終日臥床せしが15:00母来る。
電話せしに吉野書房社長あり「18:00ごろ来よ」と。髭そりてゆけば『祖国』2月号出来。前田隆一氏と話し、酒よばれ21:00まへ帰宅。

1月27日
出勤。[不相変]にて午、高橋君つかまへて富永の薄情いひ「明日より来ず」と申し渡す。
午後、石浜先生によばれ、山崎君の宅へゆきウィスキーと餅、佐藤君も来会す。「新城(※新蔵)博士の令息(※新城英太郎)を図書館に入れん」と。
帰り高橋君と出てくりかへし。八木嬢と山中嬢へゆくみち自転車にて来し金井君にあひ山中嬢にゆけば「何のことなし」と。別れて酒さめ帰着21:00。

1月28日
暖かし。岡本和子より「母の病気にて桜井へ帰りし」と。
正午出てぶらぶら羽田にゆけば「神田、宇都宮両先生に会ひてきけば4月から」と、落胆。あす二先生のところへゆきて断らん。
あたたかき小春日和は雨となりゆくべき宿も傘もなくして。

1月29日(日)
晴。『くれなゐ』来る。午後神田先生を訪へばお留守。宇都宮清吉氏を訪へば在宅、「ぜひ来れ」と、「18、9時頃、神田先生を再訪せよ」と。
帰りて出直しいろいろ申上げしかど「彦根よからず、名大へゆくべし。家のことは部長に話し1日の教授会の結果すぐ報さん」と。

1月30日
朝、家を出て京都駅へゆき45分待ちて糸魚川行(9:17)にのり彦根(90円)。まはり道して女専にゆけば校長、松村両先生、県庁と。広瀬教頭に案内受 け、図書館室見、昼食後滋賀大学学長大畑氏に会ひ、「祖国」わたして駅へかけ足、膳所の校長宅へゆけば「県庁へ来よ」と。学事課で両先生にお会ひし、きけ ば「我の獲得を新聞に出されし」と。匆々辞去。豪雨の中を帰る。

1月31日
無為。午後、富永より電話「相談あり来よ」と。「病気にて行けず」と返答せしむ。
史、下総町へゆかし米麦と100とり来さす。
彦根へ研究費15,000の書類書く。Poppeのダグール語写しはじむ。

2月1日
無事。「コルボオ会12日」と通知。Poppeに、せい出しのみ。

2月2日
午後、下総町へより800とり来る。坂口允男君より『シェリー詩集』稿送付。父と会ふ。

2月3日
午後、吉野書房へゆけばみな留守。校正をし終へし頃、高鳥君来り「保田へゆく」と。手紙托す。帰り下総町へより父と会ふ。

2月4日
11:00家を出、下総町に寄り、伏見−吹田。山本治雄ややしばらくして来り、「けさ東京より帰りし」と。「丸(※三郎)に泊り、きけば子供に家庭教師つけ月費5、6万円」と。彼自らは3,4万円と。
風呂に入り夕食ともにしてのち事務所開設の通知書助けてかき就寝(山本、近頃(※共産党)入党せしと)。
をとめさび眠る子見ればとことはをちかふことばはいつはりをらじ。

2月5日(日)
11:00朝食。山本を出て坪井(※明)にゆけば「今夜東上、西川(※英夫)に会ふ」と。伝言たのみ、山川課長への(※就職斡旋話の)断りたのみ、14:30出て京阪、京都文芸懇話会なるものに桑原、 小高根二郎氏ゐるかと思ひたづぬれど毎日会館不明、野田にゆきて話せば「名大よからん」と。
帰れば波多野(※善大)助教授、一昨日の宇都宮教授の書預かりて枉駕、「(※名古屋に)家は二軒あり、但し会議にはゆけず」と。西田家の電話借らんとすれば「通話停止」。
大より「角川にゆけば「ハイネ」今月末出版の予定、支払ひは翌月末より分割払」と、Alas!

2月6日
8:00家を出、羽田へよれば就寝中、なかなか起きず一寸話し東方文化にゆき波多野氏に会ひ宇都宮氏の手紙托す。
それより丹波市へゆき養徳社にて電話すれば「管長24日まで北海道」と。やむなく登館。富永館長に「相談」受け、司書主任を当分押し付けらる。大谷君に渡すべしとの我説なり。
帰り鈴木氏にゆけば「(※転職)よからん、但しわがよしといひしことは他言するな」と。一電車おくれて帰宅。旗田氏より京阪東大東洋史会の通知。

2月7日
よべ3:00までねられず、7:00出発。登館すれば館長出張、仕事すませ桜井へゆく。途中森本忠君に会ひ饅頭もらふ。酩酊。
坂口君に同じ汽車なりしをとらへ同行、宿泊をたのみシェリーの原稿の用字訂正。保田に電話して20:00ゆけば「父君肺炎なりし」と。21:00坂口君に帰りシェリーの跋かき直させて眠る。

2月8日
弁当つめてもらひ8:30の貨物にて丹波市。9:30より分類目録の会議。吉田不二子氏の母親来り、するめ2枚づつくれし。
長尾良の弟の紹介とて来し京大西洋史の学生来り、原(※随園)教授の館長宛の紹介状もつ。「けふは駄目」といひ、15:00ともに出て吉野書房にゆき前田社長に紹介、 米田氏(管長の友と)への紹介かかす。文芸辞典の参考書費1000もらひ、帰れば「10日11:30来よ」と。関大高校よりの速達と末吉の手紙。

2月9日
雨、登館。何もせずだめりゐし。玉井一郎の紹介にて天大英文科の女生徒来り、「心理学につき教へよ」と、ことわる。
木下君(※不詳)より電話「我の後任に吉川(※幸次郎)、泉井(※久之助)博士らの紹介にて申込まん」と、可笑。
午後、司書室に我を暫定主任の紹介。14:00出て関大高校へゆく。教師たち酒気をおびゐる。末吉に断りいひ、すしおごられて新京阪にて帰宅。市長に予想通り高山(※義三)当選。

2月10日
雨。ゆけば晴。仕事やる。昼、佐藤君来り、きけば「(※関大高校)ジュニアーにわが時間割くみあり」と。「新城先生の子息15日より就任」と。案内し、研究所にて語る。
中村忠行氏にきけば「松村一雄先生より便あり、近江にて寒き目ささん(※させない)」と。
首脳会議中、木村君より電話、帰り際来り、きけば「昨年2月かに保田−堀越ラインより紹介ありしが欠員なしと断られし」と。みかん駅にて賜はんとす、ふしぎなる人なり。
「七曜日」出来て3冊もらふ。帰り吉野書房にゆけば前田氏不在。伝言オバさんにたのむ。

2月11日
出勤。司書室配置転換につき大谷君と相談、館長にいふ。
帰り駅にて法輪寺にゆく八木嬢とあひ、つれて行ってもらふ。飛鳥仏より十一面観音をありがたしと思ひ井上師にも申上ぐ。「長男東洋史の大学院学生、次女東山女学にありてわが講演ききし」と。16:00退去。
風邪発熱を押して宇都宮氏を訪へば「彦根松村先生に明日ことわりにゆかん」と。「名大七月辞令出んと。新村猛、本田先生にわがこと訊ね「保田にひきずられた」ですみし」と。 みな予想通りなれど最悪の結果なりし。

2月12日(日)
よべの薬ききて風邪軽快。羽田に寄れば「大阪へゆく」と。天野忠によりて高橋、坂口二君の原稿托し、12:00東山三條にて宇都宮氏待合せ。大津へゆけば「松村先生膳所にて会合」と。 追ひてゆけば滋賀師範の会、御馳走よばれダベリしのみにてわれ早退。膳所より汽車にのり京都着。
コルボオの会にゆく。臼井喜之助来会、あはれなり。井上多喜三郎氏に(※彦根での)家のことたのみ18:00出て下総町まで歩き父母と話して帰る。

2月13日
出勤の途、羽田夫人に挨拶すれば羽田ねまきのまま昨日の同窓会の名簿わたす。
大谷君欠勤。仕事なし。帰り金井君見舞にゆき西村に「泊れ」といはれしも帰れば大畑、上田二君と同車。大畑君にきけば「(※養徳社)9人馘首され大畑君もその一人、小高、藤田、 小牧などみなやめられし」と。庄野(※誠一)常務の心境やいかに。
けふ中野清見の村吏、宮下正義より詩40篇送り来る。

2月14日
金井君より流感もらひ直し欠勤。

2月15日
けふ新城氏着任、配置がへあるかと思ひ、むりに行きしも何のことなし。11:30出て帰り来る。羽田に会ひ「宇都宮氏に(※彦根を断る件どうなったか)訊ねてくれ」とたのむ。

2月16日
欠勤。羽田に悠紀子ゆかせしも「まだ眠る」と。坂口允男君よりハガキ。羽田ゆきがけ寄りくれ(珍し)、宇都宮氏に会ひてきけば新論出ず。 松村先生東京よりの帰り工藤さん(※名大文学部長)に会ひ兼任話されんといはれしと、ありがたし。

2月17日
欠勤。無事。「岩佐棟一郎歓迎会20日」と。

2月18日
風邪軽快。ゆくつもりなりしもいま一日と休めば昼すぎ、八木嬢より電話「大谷、金井二君も欠勤なれど高橋君のおかげにて事欠かず」と。憤慨して「もはや出勤せず」とのハガキ出し、ゆき子も怒る。
「老兵の記録」17枚書きて止む。けふ天理大学より挨拶状。可笑。

2月19日(日)
吉野書房より誰か来るかと思ひしに来ず。悠紀子を叱りて一日くらす。50円しか嚢中なきことわかり冬オーバ質屋へもちゆかしむ。愚妻に呆れたり。しばらく別居せばいかに。

2月20日
朝、ゆき子に電話せしむれば「1時来る」と返事し高鳥君18:00ごろ来る。書き足して30枚となりわたす。「保田18日は上洛せざりし」と。

2月21日
朝、八木嬢9:00すぎ来訪、あやまりに来しらし。ひる頃までゐて結局図書館の薄情みとめて帰る。果たしてサラリー誰ももち来らず。史、下総町へゆけば母300円貸しくれしと、気の毒なり。

2月22日
臥床、宇都宮氏よりハガキ「土曜会ひに来よ」と。(※義弟)数男よりハガキ「西川の所しらせ」と、珍し。
夜、大畑君来り就職の話。史を下総町にやり父の外套借らしむ、「健来ゐし」と。Poppeすみ『諸蕃志』にかかる。

2月23日
7:00出て宇都宮氏を訪ぬ。話通ぜず「松村先生とこへは行かぬ方よからん」と。
出て天理にゆき俸給もらひ富永氏に辞職のこといふ。日付なしの辞表提出。
帰り下総町に寄り4000貸す。川久保より手紙「父君亡くなられし」と。「天理には来る気なし」と。

2月24日
出勤まへ下総町にゆけばみなねゐる。健の起きるをまちて外套出して出勤。高橋重臣に独断専行を責め、中村孝志らに辞表提出のこといひ、石浜先生とともに帰る。
新城英太郎氏と今出川まで同車、大人物なり。電気代上りて400円負担せしめられしと。

2月25日
出勤。新城氏執筆の雑誌多く賜ふ。高橋重臣ものいはず、中村木村に挨拶す、不快。「山崎喜好氏は内談せしのみ」と。
新城氏と西大寺まで同車。帰れば「ハイネ(※『ハイネ戀愛詩集(非文庫版)』)」20冊来りをる、うれし。
うたつくるこころとなりて早春の丘べをゆけばふきのとう萌ゆ。

2月26日(日)
朝、硲君来り話し、羽田へ午ゆき、すぐ帰り昼食後野田君にゆく。北野高校林校長に野田君より紹介状かくこととなる。
小雨の中を天野忠に寄り散髪して帰る。

2月27日
4:00起き7:15つかまへ新城氏と同車。
ハイネを名刺として「真柱」に面会求めしも駄目。仕事のまへ青年たちに指針を与へ(西村、入江の卑怯を痛罵す)、ひるまへ大浜氏と話し帰途富永館長を家に訪へば「真柱に会へねば彼より話さん」と。また「玄関」にゆきしも駄目。
佐藤誠を石上に訪ね、金井君にゆくみち買物の夫人に会ふ。ゆきていろいろ話す中中村君も来る。すき焼にて酒のみはじめて大酔、足腰立たずなる。ふるへつつ寝しに(12:00)。
3:00ごろ金井夫人きて悪[寒](※がすると)、びっくりして医者来るを待てば「貧血と脚気」と。すまなくてたまらず。朝飯と弁当金井氏にしてもらって登館。

2月28日
よべ2時間ねしのみなれどカード挿入、支那地誌のよみ付けなどやり、金井夫人の見舞を八木、青柳二嬢にたのみ退館。管長、館長ともに消息なし。
帰り西大寺にて「真相」買ひ、楊井克巳東大経済学部教授らしきを知る。和田先生よりハイネの礼状をかね「阪大いまだ脈なしとはいへず」と、困る。
江刈村の宮本正義君より手紙。熟睡。(たてあひ会より選別500)

3月1日
11:00家を出、羽田に寄れば「このごろ会議にて疲れる」と夫人の話。
吉野書房にゆきて着きし本の運搬手伝ふ。文学辞典の参考書代としてまた2000わたされ、「祖国」1冊もらひて出、三條にてキャラメル4ケ(100)買ひ、
滋賀け県庁にゆけば「松村先生お宅」と。参りいろいろお話伺ひ安心す。保田の話出たればまことのことといふ。 京津の乗場に文学辞典あり(370)よめば「コギト」「四季」「保田」の欄あり「とにかく一個の代表的人物」と、又正論か。
帰りて天野忠により「現代日本文学全集(80)」買ひ隣の書店にて創元社「世界文学入門」買ひして用意ととのふ(けふ「ハイネ」前田氏と喜多村氏へ)。帰途また羽田によりしも帰らず。

3月2日
八木嬢よりハガキ。「金井夫人見舞にゆきしにやや良し」と、安心。「くれなゐ」来る、池田道夫の論、不快。母来り、千草に怒るといふ。
匆々出て大学にゆけば桑原氏東上、研究室に丁度来し天理研究所所員に高橋君への手紙托し、硲君の200(東洋史研究会費)わたす。
研究所にゆき藤枝に「ハイネ」、外山氏にも1冊托し、森、日比野氏らに挨拶、出て古本屋まはり「神皇正統記(10)」、鴎外「かのやうに(20)」「護持院原の敵討(20)」。
佐々木邦彦を訪へば在宅、珍し。山の絵、椿の屏風気に入る。コルボオ詩話会の最年少にて最も吾と合ふ。天野忠にゆき鈴木虎雄「陶淵明(80)」。
帰りも羽田に寄りしが不在。(けふ「文学辞典」の項目作りにヘトヘトとなりし)
帰れば松村先生より手紙「名大へは1年後にゆくべし」と!(※心外とて)早速返信。「三島江の芦のかりねのひとよ妻そをさへ忘るわれならなくに」

3月3日
12:00まで文学辞典。金井君へのハガキ書き、出て吉野書房へゆく。「保田に便なし」と。
原稿用紙と「祖国」2冊もらひ奥西、高鳥二君とともに出、寺町河原町の古本屋あるき(参謀本部「彦根」など(※地図)3枚買ふ。12×3)「竹取物語(10)」買ひしてリアル書房(※天野忠)に寄り、 羽田に寄れば帰りゐる。「阪大を和田先生に断らん」といへば「外山氏推せ」と。「名大ことはらん」といへば最後に「よし」といふ。

3月4日
12:00家を出、羽田に一寸寄る。夫人二嬢の学芸会を見にゆく。北中出の教へ子を北高へ紹介のこと硲君にいへと。
伏見より電話かければ小高根二郎「すぐ帰りて待つ」と。大久保よりバスに乗り、焼酎のまされ泊めてもらふ、「伊東静雄の妹、彼にも求婚せし」と。夫人後屈と、可笑。
あたたかく若草萌ゆる春のみちひとりあゆめばかなしからまし。

3月5日(日)
淀野(※隆三)氏上京、三笠書房へつとむと、9:00出て桑原氏を訪ぬれば珍しく在宅、新城英太郎氏の畸人ぶりを聞く。「長女ピアノを教へて食ふ」と。「名大よからん」と。
13:00出て「コルボオ」の会にゆきみな待つ間に高橋、大浜二君来る。紹介すます。「Wunderhornは9月に出す」と。
17:00までつき合ひて二君と出る。館長、中村「田中君の御意に任せ2月末退職とせん」といひしを木村、高橋君二君にて「3月末とせよ」といひしと、有難迷惑なり。帰れば高橋君「老兵」の校正もち来りしと。

3月6日
8:00家を出、留守の吉野書房に校正刷届け、天理にゆき養徳社(庄野氏常時家居と)より中山管長に電話すれば「13:00すぎ来よ」と。足達家にゆき隆之助氏に挨拶し昼食賜ふ。
13:00ゆけば富永も現はる!管長の挨拶中々よくて退職許されたり。われ「漢籍の専門家入れよ、仏文学の本買へ、東洋学の普通書入れよ」などいひて出、八木家にゆき挨拶。
16:00まへ天大にゆけば奥村氏上京、北村事務にいひ登館。高橋君にきけば「3月15日付」となりしと、をかし。
金井君と出る(法輪寺の井上嬢来会、兄君われを知らずと)。別れて養徳社により16:50にて桜井着。同車に富松(※初子)あり、双方知らぬ顔す。
保田家にて父君より夕食たまひ、保田に「文学辞典」の項目みることたのみ20:00出て坂口君にゆき泊めてもらふ。「岸知事進駐軍によばれなどして会へず」と。

3月7日
9:00まへ出て桜井高校にゆき堀内民一氏に会ふ。「老兵の記録」と「諸国吟」とつづけよと。
雨の中を出て天理へ、河野峯夫を協和銀行に訪ね100借り、田村春雄を訪ぬれば「14:00ごろ来よ」と。市役所にゆき筒井(※護郎)と話し野上への「ハイネ」托し、池永治雄と話して出、東高校に硲君訪ぬ。「上京おくれし」と。
住吉高校に口ありと。『歩兵操典』もらひて出、市民病院にゆき17:00ごろ出て上野芝にとめてもらふ。「Deutsche Balladen」もらひし。

3月8日
朝食に豚、コーヒーのみして春雄とともに出、杉本町下車、12年ぶりに浪中職員室にゆく。事務の寺田少年、平石、礒江(小寺君への弔詩を傑作といふ)、 川相常五郎、加賀山の諸氏と会ふ。園田氏向ふより挨拶に見えたり。加賀山に送られて出、
石浜先生に参れば関大。取次の老嫗にては埒明かずと思ひ「お嬢さんを」といへば(※藤沢)桓夫母君!黄坡先生未亡人にて「少女にわかる学問の話なら私でもわかります」と怒られ平身低頭。 『ハイネ』に小野勝年のことかきし手紙托し鬱々と退出。
住中にゆけば休みにて山本君不在、金なくなりて藤井寺にゆき女ばかり(※叔母達)のところにて馬鹿話(父この頃城平叔父のところにて職得し様子)。
肥下にゆけば不在、「コギト」少し見て出、電車にのれば阿部野橋にて「先生ぢゃありませんか」と吉村武。京都へ商用にくとのことにて共にゆき電車賃みな出してもらふ。 吉村、教頭の甥にて綿布業、衡陽桂林より帰りし7年兵と。途中、話たえず、ふしぎなることなりし。
帰れば留守中、宇都宮氏来訪「彦根のことはお任せあれ」といはれしと。角川源義よりハガキ『現代詩鑑賞』書けと。

3月9日
名大教授会の日。疲れて昼寝、夕方羽田「来よ」と。ゆきて小野君のこといへば老先生「駄目ならん」と云はれしと。「養徳社に田村博士怒りをらる」と。「硲君より返事来し」と。

3月10日
高橋重臣よりハガキ「3月分サラリーは一ヶ月分呉れる」由、「但し手当も21日頃」と、バカらし。
午まへ杜甫とラブレー書き原稿用紙300枚とともに吉野書房にもちゆき、来会せし玉井君にたのみ保田へもち行くことにしてもらふ。
下総町に寄れば「咲耶12、13の2日間来る」と。天野忠にゆけば「高橋、大浜二君の同人加入の件よからん」と。
けふ小野勝年、角川源義へ便り。(天野君を通りし「コギト」90冊、吉野書房へ900で入りし)

3月11日
俊子姉よりハガキ「残置きし本1600で送りし」と。『ハイネ』で景気よからんと、をかし。
午すぎ出て伏見、川崎に寄れば帰らず。帰れば留守中宇都宮氏来られ「名大教授会通り文部省手続4、5月中」と。「家は公務員住宅にて家賃1200、彦根の代り探して推薦せよ」と、をかし。
ちちははのすすむるひとにあるときは心動かんゆるせよといふ。

3月12日(日)
咲耶来をるに付「来よ」とのことなりしも寒くてゐる中、向ふより来る。何やら詰問めいたこといひていやらし。母の意志を体したるならん、終日家居。

3月13日
吹雪したり晴れたり。朝、悠紀子を下総町にやらしむ「母別状なし」と。
名大、工藤先生より「教授会通りし」と。「辞令一ヶ月以上かかる」と。「神田先生教授も決定」と。
小野勝年氏より「天理ことわり学校世話せよ」と。午後羽田へ寄れば留守。
吉野書房にゆけば前田社長不在。(リアル書房にゆき天野氏に大浜、高橋二君の詩わたす)。

3月14日
寒し。終日家居。金井寅之助君より「送別会20日」と、すぐ返事す。
石浜先生に小野氏のことわり伝ふ。夕方篠田統先生来訪、恐縮、宇都宮氏と話合ひ「当人の意向に従はん」となりしと。「本心東洋史」と申上ぐ。 神田先生名大にゆかるることに決りしらし、われは従って無用なり、うれし。

3月15日
寒し。大来る。角川への伝言たのむ。元気らし。羽田より「けふ桑田博士へゆけず」と伝言。
午後吉野書房へゆけば「栢木来る」と。待てば17:00すぎ来り、保田の「辞典」の連絡あり「短冊10枚かけ」と。「19日大和神社で歌会す」と。 前田社長も帰り来り「中西龍雄(浪中、いま大阪外語マレー語助教授)をマカッサルにて通訳に使ひし」と。(荒木隊の鳥取高農出の炊事兵、いま奈良県庁に勤むと栢木君の話)
帰り下総町に寄れば父母機嫌よし。羽田に寄れば「下阪するか否、明日11:00ごろ報ず」と。
けふ弓子、小学校入学の注意に悠紀子ゆく。

3月16日
『文学辞典』ちょっとやり11:00よびに来し亨ちゃんのあと羽田にゆき、ともに下阪。
石橋の桑田六郎博士を訪ねしに不在。芳蔵部長に会ひ御挨拶すれば助教授など全然考へざる様子。外山氏のこと羽田も一寸いひ、出る。羽田の話では「今度の去就でわれの評判きまる」由。
山本治雄の事務所にゆけば不在。沢田直也を調停裁判所に訪ぬれば帰宅。1時間以上まちて帰り来りし山本と出、家売買の口ききて2万円もらひしを見、ビールをあさひ軒(買主)におごられ、 ともに出て飯食ひにゆくみち、川村判事に会ふ(金井君と同級、全田の三周忌に来りし)。洋食おごられ微酔にて山本家にゆき12:00まへ就寝。 (22日再下阪、桑田博士に会ひ、山本、池田に会ひ、田村春雄、末吉に会ふこととす。)

3月17日
売込事件弁護にゆく山本と8:00出て10:00まへ帰宅。
「東洋史教授資料書け」と信あり。昼寝。「辞典」すすむ。

3月18日
名大の工藤部長より「松村先生(※名大行きを)了解されし」と。大津へ昼ゆき松村、喜多村両先生を雨中訪ねまたし15:00ごろ松村邸で会へば了解されざりしと。 「4月1日辞令出さん、ぜひ(※彦根へ)来よ」と。
決定して宇都宮氏を訪へば了解。神田先生にゆき申上げ(※自分のみ辞退することを)おわびすれば怒らる「よく眠りて考へ直せ」との御結論に退出去。
夕食23:00食ふ。新井女史より「20日俸給とりに来よ」とハガキ。

3月19日(日)
朝、新城英太郎先生「明日天理へ来るや否」たしかめにお越し。
史、下総町にゆかしめてのち気が付きて「老兵の記録」23枚書き、昼食。12:00出て丹波市。歩きて大和神社にゆき保田の祝詞講義傍聴し、あら人神の解釈に感心、 大名貴命の「名」に私見云ひ、別れ告げてまた歩き、八木嬢にゆけば「明日2次会を高橋君計画中」と。おどろきてことわりに行き夫人に怨まれ、やむを得ず暫時出席ときむ。
9:15に乗り檪本、極楽寺の中島明子氏に別れ告げにゆき「わだの原」の歌、中島に供へてもらふこととして泊る。

3月20日
朝起きて中島の位牌に[詣]で、昭和16年の見合写真(※リンク)もらひかき餅と米とをもらひ、8:15にのり丹波市、高橋君にゆきて米(けふの会用に)わたし、 庄野氏を問ふ「既に辞表提出せし」と。かき餅半ば分けて登館。10:30まで地誌目録やる。職員組合の役員改選、執行委員大谷、高橋、代議員上野、中林、金井と。
奥村秀夫氏に挨拶にゆけば困りし顔す。帰りてひるまでに地誌すませ、八木嬢に人名対照表やり14:00よりの送別会。
富永の挨拶上出来なり、われも又。荒川氏「田中先生に怒らされぬ人は一人もなし」と。
館へのハガキに「渕上毛銭死せし」と。15:00すまし高校の松中委員長に挨拶、駅前に修繕に出せし鞄とりにゆく(30)。
文教部にゆけば岡本課長不在、挨拶すまし16:00頃までまちて佐藤誠、山中晴子嬢を最後に高橋、大谷、金井、八木嬢と6人の送別会。佐藤誠もわが「皮肉こわし」と。
18:30出て18:48にのり大急ぎで帰れば昨日、工藤先生より「21日午前中神田先生邸で会ひたし」との電報。島稔より「北大に世話してくれぬか」と。

3月21日
8:00家を出、下総町に寄り10,000わたす。父母ともに「滋賀県の方宜からん」といふやうになりし。
神田先生に参れば「13:00頃来らるる由」、出直して外山氏にゆき阪大のこといへば「断ることもなし、有難くお受けす」と。そこへ神田先生見え早く辞去、 14:00まで時間つぶし神田先生に参れば工藤先生あり。「宇都宮氏より聞きて了解す。松村先生へも(※挨拶に)行かん」と、ありがたし。あと学問の話してすしよばれ17:00退去。
古本屋をひやかし「世界の住居(30)」「江●一詩集(20)」「近鉄双書」5冊(100)「雍正帝」など買ひす。
うつくしき新しき衣われに見すと春寒きみちのぼり来しやは。けふは吉き日なりし。

3月22日
9:00ごろの電車にて下阪、石橋の阪大にゆけば桑田先生迎へられ歓談。中々に気持よく、方豪氏「康煕五十三年測絵台湾地図考」抜刷貸し給はる。 「教員の閲歴つけるために近大(※近江大学=彦根短期)よからん、論文書きおけ」と云はる。外山氏のこと云へば御存知なき様なり。
12:00まへお別れし山本の事務所にゆき、ともに出、われ先[ず]沢田直也訪ぬれば在り、夕方の送別会承知せしめ、山本来会を待ちてのち地下鉄にて市民病院。春雄と話し散髪。 いそぎ引返せば17:30。やや話してともに北浜の料理屋にて送別宴。山本のおごり也。すみて喫茶、21:50吹田にゆき山本家に泊めてもらふ。(春雄「30,31日上京」と。)

3月23日
10:00山本とともに出、片町線徳庵に降り丹羽千年を訪ぬれば不在。みさ子、母上にて歓待。服部英次郎氏に斡旋しくれし桂信子への礼と、金井君のことたのみ退去。
同じく今津町の富士鋼業を訪ね、城平叔父と電話で話し、康平叔父と寸語。出て梅田ガード下の十合食料品店を訪ひ昌三叔父に挨拶し、缶詰あまたたまひて帰洛。
羽田にゆけば「阪大を旗田氏にもすすめし」と、ふしぎなることかな。東京より本多く着きゐる。八木嬢より「留守中来し。28日以後の都合しらせ」と。

3月24日
昼寝し、島、八木、丸の諸氏にハガキ書き散歩。リアル書房によれば天野隆一、俵青芽の二氏あり。上田敏「小唄(130)」買ひ、 吉野書房にゆき短冊10枚と「祖国」4月号とを受取り、前田社長と話せしあと新城英太郎氏を訪へば令嬢バッハのプレリュード弾き呉る。

3月25日
朝、床をはなれぬ中、新城英太郎氏来訪。「笠間杲雄(南方赴任の途死と)」氏の遺蔵書売立世話すべし」と。すぐ出て天野忠を訪ぬれば不在、佐々木氏を訪ね話し、 新居に画もらふこととなり、野田又夫に会ひして時間つぶしリアル書房にゆけば出たらめの見積。
下総町にゆきしのち善書堂にゆけば不能と。新城氏にゆき「リストいま少し手を入れよ」といひ、桑原氏にゆきて報告。
雨の中、彙文堂へゆき西田家の本のこといふ。「28日にでも来て見ん」と。笠間本にも色気あり。(けふ買ひしは中島健蔵「フランス文学入門」、中野好夫「アメリカイギリス文学」、 大島正[満]「タイヤルは招く」、新城氏より沈璿訳「東洋元文学史研究」笠間「砂漠の国」いただく。)
夜、蔵書カード作りはじめ、「悲歌」改作。(桂信子へ「七曜」贈り角川のこと問合せのハガキ出す。)

3月26日(日)
10:00家を出、東山五條の山前(※実治)へ「哀歌」もちゆく。帰り彙文堂まで歩き石田幹之助『南海に関する支那資料(80)』買ひをれば、 波多野善大氏来合せ「仰せの如き理由のみならば(※名大へ)来らるる筈なりし」と。
華僑の子を臨川(※書店)に案内し、桑原先生にゆけば不在。襟巻つひに新城氏で見付け帰りて昼食。羽田にゆきて「東洋史教授資料」ことわらんと云へばきかず。

3月27日
短冊10枚書きリアル書房に寄りしのち吉野書房にゆく。前田社長とも話せしが事なし。喜多村校長に電話せしが不在。帰りプラトンインク買ふ(55)。「不二」来る。

3月28日
雨。11:00彙文堂大島五郎氏来る。養稼先生の本の残り(「16函すでに東京へ売りし」と)1200にて引取ってもらふ。夜、入浴。
『東洋史研究』来る(95)。わが論文は次々号廻しなり。保田、中島明子へハガキ。この頃蔵書カード造りてひまをつぶす。

3月29日
晴。8:30出て新城氏へゆきしも不在。山崎より渡船にて八幡、帰れば一歩まへに八木嬢着。泊ってもらふ。「留守中新城氏来られし」と。

3月30日
雨。八木嬢、子らの着物つくり呉る。洋人漢名教へもすみて15:00去る。「尼崎の姉の家にゆく」と。岡山聡子よりお幸伯母の写真。「くれなゐ」。島稔より「北大やめし」と。 大より「角川へ再びゆきてみん」と。

3月31日
朝、新城氏来訪。彙文堂のこと伝へ、ともに出てゴルフ場散歩。帰れば硲君来訪。
羽田に昼食後ゆく。辞令受手はおくれるとのことに成程と思ふ。16:00出て帰る。
けさより京(※三女)、加減わるく藤岡嫗の診察を受くれば「肺炎となる虞あり」と、ストレプトマイシン打つ(400、初診料50、水散薬100、体温計150)。依子、八木嬢へ礼状。

4月1日
8:30雨中を出て「時事通信」に羽倉啓吉を訪ねしも来らず。伝言たのみ京阪三條まで歩き滋賀県庁学事課に松村一雄先生を訪ぬれば近江大学の書類作成中。 喜多村先生もあり、立話にて住居のこといへば「今年度には入らず」と、意外。15:00頃すむとのことに昼食し映画見て待つ。15:30松村邸にゆけば帰られず。諦めて帰洛。
下総町にゆけば父母ともに不在。家へ帰れば母来り、「汝が背広焼けし」と。天理図書館より厚生保険証と退職辞令と送り来る(3月25日付)。

4月2日(日)
11:00羽田を誘ひにゆき大谷光照君に会ひしのち飛雲閣にゆく。硲、羽倉の外、藤井、旗田氏らあはせて12名。本願寺内の案内を受け、敦煌文書を見せられして15:00やっとビールの座につく。
16:30出てコルボオの会にゆけば高橋君あり。朗読すみしのち八木嬢への手紙托し、佐々木君より齋藤勇『アメリカ文学史(120)』受取りて帰る。「哀歌」朗読し、 井上多喜三郎氏に家のことたのみなどして忙しかりし。
帰途新城氏に彙文堂のハガキ渡す。
けふ八木嬢より我と依子とにハガキ。東洋史研究会より「参考資料」の締切となりしとハガキ。

4月3日
午前中「日本詩壇」にと「コギトの思ひ出」10枚書き、午後羽田へ寄る。昨日の会、赤字になりしと。退屈なる会なりしがあれでよしと。
リアル書房にゆき天野忠に『年刊詩集』の文句つけ、安藤真澄のところ教はり下総町にゆけば祖母のみ。
吉野書房にゆき封筒こさへてもらひ切手もらひ橿原奉讃会の米井氏に会ふ。重役会と。早々退去。 彙文堂に新城氏を教へ『清文彙書』と服部四郎と思想1冊とを100円で買はせ『西齋雑著』(80)と『平妖伝』(50)とを買ひ下総町へ寄る。母「明朝来る」と。
帰りてカード作る。京、4時間毎に薬のますとて時計(650)買ひにやる。

4月4日
母12:00まへ来り、話きけば怪し。午後出てリアルにゆき『平妖伝(80)』と紙屑本ととりかへ山前実治来合せしと『年刊詩集』反対の論のべ、 母より質札もらひて高倉六角の日本信託へゆけば「あり」と。「明日とりに来る」といひて出、
吉野書房にゆけば校正来らず「保田夫人家出」と。暗然。玉井一郎18:00まへ来りしに校正して帰宅。
けふ井上多喜三郎氏に家のこと依頼。

4月5日
雨、家居。高橋、大谷氏へ送別会の礼。「くれなゐ」へ「大和通信」書かすや否、問合せ。
大より「角川に会へず」と。すぐに「根気良く催促たのむ」旨ハガキ。
けふ市民税とりに来り半ば払ひてすます。

4月6日
雨。床にゐれば11:00母より電話「けふ駄目、明日午後」と。15:00雨止み大宮通を下り天野隆一のアトリエにゆき話す。『年刊詩集』のことなど。
けふ桂信子よりハガキ「服部英次郎氏に会ひし」と。

4月7日
晴、ひる下総町にゆき母、祖母と話す。4000もちて六角へゆけば「夕方まで駄目」と。
山前実治まで歩きともに出て二條の河北印刷所へゆく途、羽倉啓吉に遭ふ。大西卯一郎を往きかへりに訪ひしも留守。
亀山おごってもらひ吉野書房にゆき玉井一郎と話す。「明日保田へゆき見ん」と。
18:30帰れば西村喜世英あり「3時間ほど待ちし」と。夕飯くはす。「青柳嬢にほれられし」と。「14日頃より上京して図書館講習所に入る」と。

4月8日
晴、10:00家を出て六角へゆけば不在、下総町にゆき母にいへど埒明かず。昼食して京都駅をうろつき15:00ゆけば在宅、200安くさせて喜んで帰る。 明日八木嬢不在に来るときまり手紙書く。

4月9日(日)
5:00起き6:10ごろ家を出、初発のバスにのり京都駅へゆけば6:40、40分待ちて7:20東京行にのる。山前実治の父と同車、彦根近くまで立ち、 降りれば諸先生なきに10日の約束なりしかと気付きしが、学校へゆき見て日直の先生と話し明日出直すこととす。
10:57にのり(ういろう土産に買ふ)京都13:00帰宅すれば八木嬢、依子の洋服つくりゐる。カード500枚もち来りくれし。
15:30子らと上賀茂社へゆく。われ30分して出ればあり。同車にて今出川までゆく。
けふ田村春雄よりハガキ「1‐6日まで丸家に泊りし」と。
かぜ寒き春の日知らず散るさくらともに眺めてゐたるひととき。

4月10日
晴、再び7:20で彦根行。川村学長(われのこと知りをりたまふ)の挨拶後、職員会となりしに河村、島津二先生の発言、激昂的にて不快。 相手はあとにて長尾先生(心理学)の説明によれば松村先生なりしと。
午飯後、サラリーの半ば6000もらふ。その後文学科長選挙ありわれに1票ありしと、ふしぎ。広瀬氏当選。「三木為堂先生(浪中教諭)の令息なり」と正浩先生より挨拶あり。
15:00ともに出て古本屋により青木正児「支那文学思想史(130)」、矢野仁一「近代支那論(50)」買ふ。
帰りの汽車中、原随園博士と同車。三木、松村、長尾三氏と話しつつ帰る。
辞令「滋賀県公立学校教員に任命する。二級に叙する。昭和二十五年四月一日 滋賀県知事服部岩吉」。
京都駅にて長尾氏コーヒー奢りたまふ。帰り羽田による。飛雲閣前の写真(70)出来。丸三郎よりハガキ。

4月11日
大谷篤蔵氏よりハガキ。和田先生に御挨拶。丸、田村春雄にハガキ。依子より八木嬢にハガキ。
区役所分所へ寄留証明書もらひにゆき(18)、帰り羽田に寄る。
午後出て吉野書房にゆく、保田の消息なし。17:30出て下総町に寄りレアル書房に寄る。「アメリカの現代作家(40)」。

4月12日
挨拶状−寺島徳八郎翁、(※青木)陽生、沢田(※直也)、杉浦(※正一郎)、坂口(※允男)、三好達治の諸氏へ。
9:00家を出て宇都宮氏を訪ねしに散髪。鹿ケ谷の花見をする中、松村先生お越し、昼食よばれてのち松村先生を家に伴ひお酒すすむ。中村地平へ寄せ書かかる。18:30お帰り。
けふ大よりハガキ「角川16日上洛の時話すといひろくろく返事せざりし」と。篠原全一、白鳥清、肥下、鈴木治の諸先生へ挨拶[状]。

4月13日
午後出て(※京都)大学へゆけば佐藤、里井(※彦七郎)の二君のみ。研究所へゆき藤枝(※晃)、森、入矢(※義高)
(天理やめしと)、田中[謙]二の諸氏に挨拶。「神田先生、博士になりたまひし」と。「民族学研究」頒けられて(110)退去。烏丸車庫より歩きて帰宅。
角川より手紙「ウェルテル訳せよ」と、可怪。

4月14日
6:20家を出てバスで西田昭夫君と同車、「当分(※京都の借家に)置き呉るるやう」たのむ。7:20に西洋史の田村君と同車、高地高校出なり。語りつつゆく中、篠田先生あるを見、 この間の会議の模様申上ぐ。承知にて「そのため来たまひし」と。
10:00より会議はじまり協議会作ることとなり、河村、島津のコンビ相変らず不快。島津わが言を誤解して「教授づらせし」といふ如き言をなす。
文学科の委員として広瀬、松村二先生を挙、これにて任終ゆ。
汽車を一時間待ち呉越同舟にて帰る。協議会の空気よくなしと。八木嬢よりわれと依子とにハガキ。

4月15日
野上弘、末吉、山本治雄、山本重武、薄井(※敏夫)、牧野径太郎へ挨拶状。
9:00出て下総町へゆけば母外出。父と話し待つ中0:30帰り来る。1000わたして出、吉野書房にゆけば「保田北陸へゆき18日以後に京へ来る」と。
東山へゆきて帰れば「留守中角川来り、エルテルのこと云ひし」と。やがて新城氏来る「21日、三笠宮図書館へ来り、22日雨天ならば句会」と、皇室の式微かなし。
しづむ日をしづむがままに見やりつつ 

4月16日(日)
角川より電話かからず。11:00すぎ出て北白川法然院にゆけば12:00、14:30までうろうろし(藤枝に会ふ)、『ゲーテ詩集』わたし伝言たのみ帰りしが角川遂に音沙汰なし。
羽田へ夜ゆけば和田先生より便あり「田中阪大をやめしは本心か」とききたまふと。岡崎精郎助手のことなどいひてお返事してくれとたのむ。

4月17日
たけのこ飯を昼食ひて昼寝。三好達治氏よりハガキ。17:00家を出てリアル書房に寄りしあと下総町。母と俊三郎叔父の帰るを待つ。
けふ矢野峰人先生、山本達郎氏へ挨拶状。

4月18日
鈴木治氏よりハガキ「赤ん坊はしかで亡くされし」と。大へ角川のこと。筒井、坪井、辻研、佐藤誠、中村治光、中野博之諸氏へハガキ。中室員重、上田嘉俊同。 上田一雄、田中城平、きわ、(※田中)昌三、(※田中)三郎へ同。

4月19日
きのふ夕より「老兵の記録」かき33枚にし、午後吉野書房へもちゆく。16:00出て帰る。
けふ末吉、八木嬢よりハガキ。
井上多喜三郎氏より「家を見付けるのに努力したまふ」と。
矢野峰人先生よりコルボオの「哀歌」見たまひしと。

4月20日
八木、井上二氏へ返事、谷川(※新之輔)、芳野、竹内(※好)へ挨拶。児玉實用(※さねちか)氏より不在のわび。吉村武、川崎菅雄、川久保、笠井(※信夫)、金井(※寅之助)へ挨拶。
雨。ひる知事選選挙にゆきしのみ。

4月21日
細雨。石浜先生よりハガキ「おどろかれし」と。白鳥先生よりハガキ「東京へ呼びたし」と。角川よりハイネ10冊。和田賀代、船越章、小野勝年、相野(※忠雄)、大原利貞、小川浩へハガキ。
知事に蜷川当選。俊子姉よりハガキ、御愛想よし。夕方下総町へゆく。米2升もらひて帰る。
児玉實用氏帰らず。『諸蕃志』終る。角川へ受取。服部、原、林正哉、(※西島)寿一、(※丹羽)千年、西川(※英夫)、本荘実先生へ挨拶状。

4月22日
堀さん(※堀辰雄)、本位田(※昇)へ挨拶状。坂口允男君よりハガキ。八木嬢より子供たちへ贈物。午後家を出て野田又夫、佐々木邦彦にゆきしがともに留守。
文学堂?にハイネ1冊やってWelther(※若きウェルテルの悩み)たのみ天野忠に寄り羽田にゆけば「まだ和田先生に書かず」と。
折から羽倉啓吉君来る。「大阪へ転勤になりし」と。家へ伴ひ帰りハイネ一冊与へ名大、阪大のこといふ。夕食すまして帰る。

4月23日(日)
早川(※須佐雄)、池沢(※茂)、石田(※幹之助)先生へ挨拶状。
9:00家を出、児玉實用氏に寄る。われを独文出と思ひ(※同志社へ)採用考へゐしと。ワーズワース訳すと。
下総町に寄り母より200貰ひ、京都駅−嵯峨嵐山の賑ひ見、松尾神社を見、大久保に出、歩きて小高根二郎にゆけば母上あり。一日より滞在と、わが変りしを云ふはる。 太郎、都立の夜学(※教師に)にゆくと。21:00までゐて帰る。
わがこころ若葉を見れば水見れば旅ゆくこころなきにはあらず。

4月24日
朝電話してききやれば「来てよし」と。11:00汽車にて彦根、安土駅にて井上(※多喜三郎)氏と同車なりしことはじめてわかり、けふゆくことと約し、学校へゆけば残額6600くれ、27日会議と。
すぐ出て『愚管抄(30)』買ひ13:50の汽車にて安土着。歩き出せば井上氏に見つかる、ふしぎ。至れり尽くせりのもてなし受け、折から降り来し雨に一泊。 同氏とは共に「マダムブランシュ」の同人たりしと判明。
春闌けて蛇飼の村を指されける。  晩春を独り寐し夜の明けがたき。

4月25日
雨中、傘借り9:20の汽車に間会ひて帰洛。杉浦、池沢、井上氏のハガキ。27日学芸部協議会の通知来あり。昼飯食って昼寐3時間。
川久保より来信「和田先生に会ひし」由、惜しと。成城高校へゆくらし。
八木嬢より電話、25、26日休館といひ来たまひしと。子らの手紙に併せ28日行くやもしれぬといふ。井上、小林英俊氏へハガキ。夕方川久保の手紙を羽田に見せにゆく。

4月26日
芳野清よりハガキ。工藤先生に手紙とハイネ([〒]12)。川久保にハガキ。羽田に一寸寄りてのち文学堂にゆきWeltherもらひ、 吉野書房にゆき『祖国』5冊もらひ保田に電話して5月1日来ることきき杜甫とハイネの原稿預け、新城英太郎氏にゆきともに加茂堤を歩き丸万書店で『遊仙窟(30)』『徒然草(10)』。新城氏に下駄貸す。
三笠宮おこしで辻部長「高松宮お越し」と失言。宮、館で「学者扱ひにされた」と喜びしと。中山氏失言をうまくとりなししと。その他ゴシップ聞く。
陽生より手紙、はじめて泣言いふ。相野「平野分校にあり」と。夕方羽田にゆきCzaplichaとりかへし来る。

4月27日
職員会とのことにて7:20にて彦根へ。同車に遠聴の助手あり。ゆけば手違ひにて会議流れ授業時数一週4時間2単位と。
正法寺の小林師見え家さがしに同行、むつかしきことわかりしも8日までに何とかせんと。
15:00駅へゆく。田村講師と同車。京都駅より丹波市。八木嬢に悠紀子のことことづけわたし、高橋君にゆけば無人。大浜氏にゆきて夫人赤ちゃん見せてもらひ泊めてもらふ。

4月28日
大浜氏とともに出て木堂森下氏方の佐藤誠君にゆけば既に登校。図書館にゆき諸氏と会ふ。
荒川氏、岸と改姓。新城氏(※保田與重郎の)「祖国正論」を卑劣と論ず。
佐藤君の室にゆき中村孝志、大浜の諸氏と話し、金井君に会へば山崎喜好ら、この間真柱邸に会し、わがことを詩人らしくなしといひしと。
12:00八木嬢のくれしすし食ひ、地誌目録一寸やり税金の証明書もらひて(三輪の池田君来り会ふ。富永とちょっと話せしのみ)養徳社にゆく。途中高橋君にゆけば怱々瀧本にゆく、怪し。
養徳社鈴木氏と話し瀧井氏に会ひ、青山諸氏会ひてきけば「庄野氏スタイル社、安藤君文芸春秋新社にゆきし」と。アパートへゆきしに中村孝志君不在、金井夫人やせゐたり(吉岡夫人泣きゐたり)。
引返して木下にて『春夫詩集』買ひしのちゆるゆる上りて佐藤氏にゆき大浜氏と三人にて夕食。いろいろ話ききて泊めてもらふ。『薬師寺縁起』もらふ。佐藤君「若様」の国語教育係となりしと。

4月29日
よべ3時まで眠られず。6時起き8:00朝食よばれともに出発。9:18の天理発にのり伏見。
昼食後稲荷の羽倉邸を訪ひ漫談、俣野(※博夫)へ紹介状書く。
出て京阪五條より山前氏を訪れ大浜氏の詩をわたす。18:30京都駅へゆき19:00米田君と落合ひて米田家に泊る。

4月30日(日)
8:00ともに出、三條まで歩きて別れ帰宅。同じバスに末吉あり、すしもち来る。昼食ともにす。上加茂社ゴルフリンクを案内(羽田家にともなひ紹介す)、15:30別る。
留守中、西川より手紙。俣野東京へ転任らし。上田嘉俊、金井君より手紙来をり。丹羽千年よりハガキ、プール(※女学校)今年度はだめと。林叔母「筒井に紹介せよ」と。

5月1日
メーデーと。服部よりハガキ「北大ことわりし、4、5年豊橋にゐるつもり」と。佐藤誠の話と異れり。林叔母へ筒井紹介の手紙。八木嬢、小林英俊へ礼状。
12:00出て羽田へ寄ればゐず。途で会ひし天野忠夫人にロシヤ本の返事し、下総町へゆけば父母ともに不在。
来会せし京法2年の笠井奈良江令息と一寸話し、帰り来し父に日記借り、吉野書房にゆけば18:00ごろ保田、栢木来る。夜食たべて相談。出版に浅野晃の言きかん。 齋藤忠の本出さんなど、われはのけものになる。
23:00出て帰宅。工藤好美先生よりハガキ。(けふ『文学辞典』とりやめきまる。)(マクネア『華僑(32)』)

5月2日
小川浩よりハガキ。松村先生よりハガキ。16:00昼寝よりさめ文学辞典の資料、吉野書房へもちゆけば保田まだあり。すぐ帰る。
加茂儀一『タバコ文化史』。夕方羽田へゆき『小方壺齋』借る。

5月3日
雨、憲法記念日と。マクアーサー共産党攻撃の演説をす。12:00出て羽田にゆき野田又夫にゆく。角川、野田又夫に訳たのみしと、ことわれと云ふ。出て児玉實用にゆけば来客、 酔ふ「矢野博士の出講日、未だしらべあらず」と。帰れば角川より10,000来しと。
夜『小方壺齋』抄す。悠紀子不逞。

5月4日
地図のカードこさふ。原正朝、中村地平、八木嬢、彦根西中学校太田守松氏よりハガキ。地平さんに返事書く。
午後第一銀行西陣支店へゆきしに「照会のハガキ来ず渡せず」と。むっとして吉野書房へゆけば立換へて呉る。
今日出海『三木清に表はれた人間像』などよみ菓子(200)ごち走して15:00出、新城英太郎氏へゆきしに出勤と。文学辞典2冊托す。
かへり古本屋にて『毎日年鑑(15)』『李太白詩集(40)』買ふ。
下総町にゆけばきのふ山口夫人来り「借金7000返せ」と不況をしるす手紙見たり。帰れば寿一のハガキ。

5月5日
小雨。児玉實用氏より「矢野先生の御出講日、火13:00-14:25、金11:00-12:25」と。
16:00末吉より電報「6ヒ10ジ来ヨ」と。
うたがはぬ妻をばもちてあきたらねうはなりすればなにとかいはむ。
浪中加賀山へハガキ。

5月6日
7:15に出て天六関大(※関大高校)へ着きしは9:30。末吉10:00すぎに来る。同僚平田君も青年。彦根に電話せしかど時間割不明とて(附属高校の)話きまらず。 月、水、木、金に15時間英語を持てと也。時間給400、電車賃も出すらし、「1学期だけ」とのことなり。
出て山本事務所にゆけば不在。阪急十合にゆき電話かりて田村春雄にかけ昌三叔父に藤井寺への伝言托し、春雄に会へば「会」と。ともに出て肥後橋で別れ、吹田の山本へゆけば在宅、 夕食よばれて19:30出、帰宅21:30。小林氏よりハガキ。
佐藤誠来り「羽田も留守なりし、来週土曜また来る」と。短大より「8日来よ」と。

5月7日(日)
林叔母より「筒井へゆきし」と。10:00出て下総町により200もらひ依田邸のコルボオ会にゆく。小高根、大浜、高橋の諸氏みな来り、18:00まで会。 シリーズの個人詩集を出すときは200づつ出して5冊もらふこととなる。いろいろありて不快。
帰り新城氏に寄れば酔眼。醜悪陋劣…の『祖国』の評語ただせしが不明。決裂ときめ鞍馬口にて別る。
母300呉れ、米2升もらふ。父10日早朝出発と。角川へ受取と『エルテル』『ハイネ新詩集』のこと問合せかく。

5月8日
7:20で彦根行。松村先生「官舎たしかゆゑ借家ことわれ」と。午すぎ「1週6時間で火、土2日」ときまる。宮川君の一般教養の歴史をやれとの故なり。 (※掛持ち予定の関大高校の)末吉にはそのまへ「少し待て」の速達出す。
西中学校の太田氏に会ひことわり、小林英俊氏に電話せしが「家へ来よ」とのことに行けば帰りゐず。坊やの案内で駅まで帰り17:40の汽車で帰る。
けふ父母にて箪笥など送り来しと。角川より「エルテルの返事いかに」と。地図6枚(75)。

5月9日
9:00家を出て吉野書房にゆけば前田氏のみ。「角川の小切手、昨日まで不渡なりし」と。
「杜甫出すや否まだきまらず」と。
四條大宮へ出ず西院より乗車、12:00すぎ関大高校にゆけば末吉ゐず、校長食事中と待たす。
むっとしてあまり勤めたくなきこと云へば末吉の推薦者ぱーじとなりしためと。日曜理事会できまると也。すし奢られ別れ、江商の村田を訪へば「西店へかはりし」と。
地図4枚(46)買ひ藤井寺へゆけば大江叔母不在。祖父の命月と。田中の叔母ネクタイ3本たまふ。肥下へゆけば「畑忙し」と。むっとして出、21:30帰着。新城英太郎氏より怪ハガキ。

5月10日
雨、終日事なし。カードつまりてふらふらとなる。
わがおもひとどかずあるか山霧らひひねもす雨降りながかた見えず。

5月11日
「西田夫人きのふ家賃値上めいたこと云ひし」と。午すぎ(※京都)大学へゆき『東洋史研究』に89払ひ、桑原氏訪へば留守。藤枝も留守。吉野書房へゆき茶ふるまはれて帰り下総町によれば母ゐず。 『字源』『和英辞典』もち帰る。(けふ岩波文庫『愚管抄』『春雨物語』買ふ)。
夕方羽田にゆき山木氏にもことわり家賃値上に応ずることとす。23:00田村君より電話。
大したことなかりしも西田夫人に掴まり「いつ出るや」と問はれ「昭夫君と相談せん」といふ。

5月12日
7:20にて彦根にゆく。開学式にて在学生の挨拶にancient regimeを打破せよといふ、面白し。まんじう貰ひ、12:29に乗り宮川助教授と話し、土曜の講義を日曜にかへなば引受けんと云はせ京都駅にて喫茶。
市電に乗り研究所にゆき宇都宮教授と話す。「再来年位来よ」と。貝塚邸なる藤枝を訪へばルソーの会。野田、桑原二先生もあり。ともに出て野田氏と同車、帰れば「和田先生還暦記念論叢に書け」と(12月まで)。
けふ学校へ彦根[の]岩崎昭弥の手紙。夕方電話「淺野晃14日夕方、京へ来らん」と。

5月13日
ひる家を出て吉野書房にゆき、うどん奢らる。辻政信『15対1』借りて出、東山にゆき将軍塚にゆく。帰れば末吉より電報「15ヒヒル来ヨ」と。佐藤誠来りて帰りしと。
わが友の画きし山に似たる山見つつ坐りてゐたるひととき。

5月14日(日)
東洋史参考書目作らんとして午前中すごし、午後羽田にゆきしも留守と思ひ引返し、17:00ゆきがけに寄り、一寸話し吉野書房にゆけば保田、栢木二君あり。 すき焼し、21:00着の浅野氏迎へにゆく。我を覚えて喜び握手。御所前の宿屋にゆき24:00まで話し帰れば1:30。終戦前後とジャバ紀書けとすすむ。 酣燈社は『15対1』の5万部で芽を吹きしと。けふ佐藤誠へ詫びのハガキ。

5月15日
10:00まへ家を出て関大(※関大高校)にゆけば12:00。校長「しばらく来てもらふ」と云ふ。教科書もまだ買はせず止むを得ず漫談3時間、疲る。校前の教科書屋へ注文にゆき末吉と出て喫茶。
平田氏よりバンド貰ふ、時価1200と。家へつけば19:00。

5月16日
彦根へ出勤。河村校長と話す。つけば1時間あり。時間つぶしに●せしあとは着授業。
程度低し。午後も川崎君と話してのち7-8時限の講義。すませて17:40の汽車にのり20:30帰宅。疲る。
けふ八木嬢よりハガキ。三輪の内山●●青年チブスで死にしと。岡村工業科教務主任より「土曜の時間変更出来ず」と。

5月17日
大阪へゆけば始業に間に合ふ。末吉ひるまで来ず、生徒怠け者にてやる気なくいやなり。
事務に旦とかいふ詩人あり、来る。5時間すまし末吉とともに出る。
けふきのふにて彦根大阪間の定期そろふ(900+680)。八木嬢へ返事。吉野書房にゆき校正直し浅野晃氏のこときけば「20日上洛、いま大和」と。

5月18日
11:45より授業、いよいよいやになる。3時間すませて早々帰る。
かのひとみわがためもえし日ありきといふ思ひしてひとりたびゆく。

5月19日
10:55より授業とてゆけば天六にて硲君に会ふ。「28日結婚」と。近所の芳村君とで昭和16年の東洋史卒業生の古本屋に案内さる。
授業すませて帰着16:30。八木嬢より「24日頃講習をかねて来る」と。

5月20日
汽車にきちきちにゆく。工業科へゆき1時間ほど待ちて開講、30名ほど、割合おとなし。
帰り雨ひどき中を吉野書房にゆけば浅野氏まだ来ず、疲れをいひて帰る。けふ工藤先生より本返送を受く。

5月21日(日)
浅野晃けふ北海道へ帰ると。送らず。
大河のながれに風の吹きわたりさざなみ立つを見ればくるしも。
父母のあるひはむすぶえにしかとゑらびしをのこつかれ眠りし。
うたつくるひまもたぬ子とゆくときしつかれしわれもあくびせしはや。
川崎不在。下総町へゆけば父ココアをのまし呉る。森一輸入商につとむと。健、今朝帰りしと。
わがためにもえしまなこのとづる日をおもへばながく生きたくもなし。

5月22日
13:00よりの授業とて1:00まで家にゐる。『日本詩人』来る。わが「コギトの思ひ出」のす。誤植だらけなり。3時間やり末吉とともに出て帰る。サラリー25日すぎと。
わが心時にしほたれ死をおもふかかるさがをば母やさづけし。
きそ見てしかのひとみをば丘のべの青き花にぞたぐへておもふ。
うなだれてつつみのみちをゆきしとき青く小さく咲きし花はも。
京(※三女)の百日咳ひどし。

5月23日
出勤。車中、石山のドクターと話す。図書館長佐藤教授と話す。学校図書館のありかたについて訊ねられし也。大学新聞に記事のる。午後の授業短く切り古本屋。 『楊貴妃とクレオパトラ(60)』内山完造『おなじ血の流れの友よ(10!)』辻『日支文化の交流(80)』。
けふサラリー呉る。税金調整690のみ。

5月24日
9:00「老兵の記録」書く、27枚。八木氏「26日くるやもしれず」と。彙文堂より笠間氏の本返事なく打切りと。彙文堂、東京東方学会へハガキ。
羽田にゆけば登校、吉野書房へゆく途中、下総町へ寄れば父のみ。歌稿かへし吉野書房にて奥西氏に原稿わたし、 引かへして河原町通の古本屋ひやかし烏丸の文学堂?にて梅原氏『東亜考古学概説(40)』買ひ、羽田に寄れば東京の話さまざま。
和田先生はじめより外山氏の気なりしと。桑田先生「将来博士になれる人でなければ駄目」といはれると。池内先生『清朝実話』3000にて東洋文庫へ入れられしと。
吉野書房へ一昨年原稿わたされ3校まで出しと。催促引受く。松本景気よく、川久保会へざりし、岩村忍いよいよ京都へ下ることとなり桑原、吉川二氏と仲好しと。
帰りて夕食、銭湯へゆき工藤好美先生、浅野晃氏へ信。

5月25日
9:00すぎ吉野書房へゆき前田氏を待ちて聞けば『満鮮古代史』は三上次男校正料1万円とりて出たら目せし様子。「とまれ出してくれ」といへば応と。
喜びて山前君へ詩もちゆけば不在。東山通歩き『佐保路(20)』買ひ、帰りて羽田にいふ。
中河与一より西太后のこと書くにつき参考書をと。(コルボオの大西卯一郎の店へ寄りし)。
けさ母来り、2000もちゆく。夏服のあつらへ店たのみおく。西田家へ500家賃追加としてもちゆけば喜びて7、8月までよからんと。中河与一へ返信(※リンク:管理人所蔵)

5月26日
出勤の電車で話しかけしは山本治雄、けふ上京、30日彦根の裁判にゆくと。梅田で別る。
登校、サラリーいつ出るかときけば出ずと。1Aで大説教。帰りのバスで内田吟風氏に会ふ。八木氏来りをり、泊まらずといひしが嘔気とて泊める。小林英俊氏よりハガキ。夫人病気なりしと。

5月27日
雨。彦根の工科へゆく。生徒たちに割と評判よろしきらし。近藤助教授と同行、平凡人。セファランチン錠のこと石山のドクターに教はる。北支で軍属(大佐級)たりし篠田博士の話面白し。 12:00まへ止めて帰り依田義賢の脚本たる「婦人科医の告白」見る。

5月28日(日)
依子弓子に八木嬢へのハガキ書かす。昼寝。17:00すぎ悠紀子と三女と大宮通へゆき火事に会ふ。夏上衣をさがし鞍馬口でトロピカル1450といふを1400にさせて買ふ。

5月29日
関大へ13:00ゆく途、吉野書房へより「祖国」6月号5冊もらふ。校長14日付辞令呉れる。月給まだ出ずとて末吉に怒り平田氏より3000もらふ。
帰り古本屋にゆき有高巖『中国社会史(70)』『東洋の家と官僚(60)』とを買ひ、すし屋にゆき末吉に1000返し平田氏に「祖国」1冊与へて帰る。月原橙一郎氏よりなつかしと手紙。

5月30日
出勤。石山のドクターにゲーテ(※『ゲーテ詩集』)1冊。喜多村、広瀬、井之口三教授と話し、ひる[おらす]を家政科女先生より賜はる。山本の弁護ききにゆきしにいまだ来ず、 尾末町の官舎見にゆき階下使用ときめ赤塚講師夫人に挨拶す。帰り山本と同車、話しながら帰る。
けふ『朝日年鑑昭和20年(20)』『マライ史(50)』『蘭領印度史(35)』買ふ。

5月31日
関大(※関大高校)。3年生叱る。12:00すみ昼食後阪大にゆき桑田六郎博士にお会ひし方豪氏の論文返却。懐徳堂の本の整理しをられたり。ともに外に出てお別れ。 羽田に参りしに池内先生三上次男に味方さると。「くれなゐ」来る、つまらず。

6月1日
あさ弓子みそ汁で火傷す。休むつもりなりしもうるさくて出しに金忘れ、梅田より歩く。
月原橙一郎へハガキ。末吉に100借る。散髪す。八木嬢よりゆき子と二女にハガキ。
関大月曜休み。水曜も休みかしれず、金曜休みと、ありがたし。

6月2日
10:00家を出しはずが11:00なりしと吉野書房で判明。13:20の汽車まで待つ。羽田と前田氏の会見のこと高鳥氏にたのむ。
15:10短大にゆき身体検査を受けしこととなり正法寺の小林師を訪ひ泊めてもらふ。
夜、選挙運動中の小学校の3先生来る。話して笑はす。夕方よりまた雨。

6月3日
歩いて工科へゆけば3、4時限生徒大会で休みと。河村[専]太郎居合はせしにより教務への抗議を托す。彼は生徒に反対なれば問題複雑とならん。 川堤を歩きて学芸科へゆき教務の女子より飴もらひ松村先生まちしに来られず。
11:57にのりて石山下車。三木正浩氏を訪へば(※三木)為堂先生あり。73才と、浪中の話をし、次の汽車にて帰洛。
八木嬢のハガキあり、富永地誌目録出したく一度来ると。細川書店より「現代詩」。けふ彦根にて『論語(20)』。
疲れたる眼をしたるをのこゆゑきみがひとみを避けんとはする。

6月4日(日)
硲君、新婦ひさ子氏をつれて挨拶に。12:05来る。昼食ごち走し羽田へ案内して別れコルボオの会へゆく。大浜君来らず、高橋君のみ。 天理のハイネ2冊返すことたのみ八木嬢へあきの時間見せることたのむ。
帰れば矢野峰人先生よりハガキ、転居したまひしと。

6月5日
関大休み。矢野先生をお訪ねすれば御不在。京大へゆき田村博士に挨拶、桑原氏は不在、彙文堂へゆく。図書集成の二十四史1.6万円と『異民族の支那統治(40)』買ふ。 満文書●しあり、既に売れしと。
吉野書房へゆき前田氏の帰り待ち、三上氏のハガキ見る。水木金の夜ならよしと。
矢野先生へ参ればいろいろお話あり。こちらもいろいろ申上ぐ。
史、下総町へゆかせれば米もなく金もなし。大野木、大山当選、共産党を非合法にする●ある様子。夜、高鳥君より電話、校正初校は向ふで見ると。

6月6日
彦根へ出勤。午後の授業を5時間目にくり上げ7時間目放棄して帰る。15:30の汽車なり。
本位田昇より法務●裁官房情報課長となり東京へ転居と通知あり。
マクアーサー日共中央執行委員22名を追放す。

6月7日
関大(※関大高校)へゆけば試験監督。すみて12:30平田氏より移転費5000借り山本の事務所へゆけば不在。筒井に会へば林叔母だめなりしと。『家畜系統史(45)』買ひて帰る。
竹内好より不景気と。八木嬢より土曜夕方来ると。悠紀子にトラックの交渉にゆかす。(吉野書房にゆけば前田社長十二指腸と。明日19:00ときめて羽田に云ふ。)

6月8日
関大へゆく。日曜石浜先生の会あり、わがこと云へば佐藤誠座にありよろしくと云ひしと。
雨降り出しすぐ帰り、18:30吉野書房へゆく。19:30羽田来るまで書籍会社と一座、 羽田よひていろいろ説教す。スマトラより帰りてわれまだ変なりしと、松本か川久保の話ならん。23:30円タクおごってもらひ帰る。運送屋来り、積合せゆゑ土曜に荷造りに来ると。

6月9日
9:00起き11:10で彦根へゆき俸給もらひ事務にことわって明後日公舎へ入ることいひ小使一人たのみ尾末町へゆき赤塚夫人にもいふ(上田講師に来たのむ)。
帰り羽田へ寄り夫人に挨拶。夕食後銭湯にゆくみち羽田先生にお会ひし御挨拶。

6月10日
工科へ講義にゆく。いつもの通り篠田先生のお話伺ひ乍ら近藤氏とゆく。河村[専]太郎無能と生徒より排斥されしと。その河村君グタグタ云ひたるにいやになり講義すませてすぐ帰る。
八木嬢17:30来宅、その前に運送屋来り、きれいに荷造りしてくれる。羽田家、西田家より餞別に御馳走賜はる。富永氏に地誌目録につき書く。近ごろ子供出来しと。けふ上京郵便局へ転居通知。

6月11日(日)
6:00起床、8:00すぎ運送屋来り荷造りし呉る。われ八木嬢と障子張り。父母来り、母に1000貸す。9:30出て羽田に寄り夫人に送ってもらふ。史の友3人も来る。 京都駅へゆけば10:10にて1時間待ち熱海行にのり彦根につけば丁度トラック来る。
赤塚氏も手伝ひくれて荷卸し完了。八木嬢15:31にて帰る。夜、赤塚氏夫妻に夕食たべてもらふ。彦根郵便局に転居通知かく。
さざなみの社たとなり住む家にきみも来りて住めといひしか。
(トラック代2500チップ300)。羽田、小林英俊、井上多喜三郎氏にハガキ。

6月12日
雨。8:53に乗って大阪。3年生にけふはやられる。16:30にのって帰る。
けふ昌三叔父を十合梅田店に訪ねしが不在。転居のこと置手紙にす。「不二」来る。政治的にていやなり。
埜本君より歌の受取、みな学校へ来しを宮川君とどけ呉れしと。学校は西小学[と]西中学にて明日より生けると。馬場事務、小使の手伝ひをたのむを忘れしと。けふ小使米(100)もち来りてわかる。

6月13日
「くれなゐ」「不二」桜井郵便局へ転居通知。前田隆一氏へ同。
出勤。移転届を出す。授業来週より8:35はじまりとなる。5-6限の世界文化史の途中「もっとゆっくりやってくれ」との声あり。失礼咎めて打切ればあとであやまりに来し。 本棚一つ組立てしのみ。本位田、竹内へ転居通知。子ら明日より登校と。

6月14日
6:09にのるため5:00起き、行けば1時間早し。帰り16:00にのれし。八木嬢と父より初便り(彦根のポストの)。大浜君来たしと云ひしと。

6月15日
関大へゆく。14:30すみて山本治雄の事務所にゆき転居のこといひ地下鉄にて田村春雄にゆく。今夜ゆくと約し、 女医氏より百日咳は100日かかる由ききて退去(梅田の古本屋にて50にて見付けし「楊貴妃とクレオパトラ」与へし)。
大江へゆく途中、大鉄百貨店にてみやげ買ひゆけば大江の女児5ヶ月にてガラガラ喜ぶ。叔母より3000借り夕食よばれ、難波店長龍氏に紹介状もらひ田村にゆけば21:00、入浴してすぐ眠る。7月また東上と。

6月16日
春雄とともに出、アベノ橋で別れ十合にゆきポーラズボン(※不詳)900にまけてもらひ古本5冊100にて買ひ上洛、吉野書房にゆく。奥西保氏のみ。荷物預けて下総町、500返してもらひ、 昼食たうべてリアル書房にゆきコルボオ会に転居通知。松本文三郎『東洋文化の研究(100)』買ひ、また吉野書房にゆき「老兵の記録」の校正し(次は10の節)、16:15東京行にて帰宅。
八木嬢より二女へのハガキありしのみ。大江叔母へハガキ。

6月17日
矢野峰人先生へ転居通知。京都へより転居届し、「詩経」借り、図書館の話し、工科にゆきて講義、面会日を火曜15:00よりとす。13:00帰りて夕食すれば松村、篠田、喜多村三先生お越し、 喜多村先生のぞく二先生一汽車おくらさる。お帰りののち西中学校長、太田先生へ御挨拶にゆきおしゃべりす。

6月18日(日)
8:50にて京都へゆく。池内、石浜二先生と岩崎昭弥氏に転居通知。
しのわけて高きにのぼりよろこべるきみがおもわをわれはめかれず。
たたかひにたふれしひとのはかどころ歩みて思ふきみがはらから。
利瑪竇(※マテオ=リッチ)伝(Pfister)写し入手。

6月19日
転居通知。上京郵便局長、硲晃、旗田、早川、原、服部、羽倉の諸氏へ。
関大へ、事なし。16:00の汽車にて帰る。「ワーズワース詩集(※児玉實用訳)」送り来る。

6月20日
雨、登校、事なし。手当土曜にくれると。夜「老兵の記録」書く。

6月21日
関大、末吉に後任見つけよと云ふ。帰りの電車で吉野書房前田社長に会ひ保田来るときく。
けふ関大にて「老兵の記録」25枚とせしゆゑ奇縁なり。下総町にゆきおはぎ食べ母より500とり吉野書房へゆけば玉井君あり。保田東京よりの電話にて何時に来るや怪しと。18:30にのりて帰宅。
池内先生よりおハガキ。住吉区役所より戸籍記載書。

6月22日
彦根大雨の中を8:52にてゆけば京より雨止み大阪にては晴。運動会明日に延期となり授業。明日休むこと末吉にいふ。帰り芳村君の店にゆき『四書集註(40)』買ひ、 新京阪にてともに上洛、白鳥芳郎君と親友と。
吉野書房にゆけば保田出しあと。栢木君帰り来しを待ちて聞けば角川に行かざりしと。「老兵の記録」8月号は休ますかもしれずと。
18:32にて帰彦。笠井君大阪の市営住宅に入りしと。硲君土曜待つと。羽田夫人。服部正己、服部英次郎氏に会ひしと。けふ先日十合で買ひし古本5冊もち帰る。

6月23日
晴、運動会ありしならん。ひるすぎ行けば毎週月金は会食日と。月曜に会議ありと。サラリーもらひ赴任旅費(30600)もらふ。
大場磐雄『日本古文化序説(45)』ジャイルズ『支那文明史話(35)』買ひ85払ひて出る。
夕方散歩に出て清水盛光『支那社会の研究(135)』武内義雄『支那思想史(135)』買ひ、出れば川崎健史君に会ふ。夫人にパーマネントやらし大邸宅に住む。酒すすめられて帰る。 野間三郎と親友と。スマトラの写真多く見せらる。末吉へ月曜のことわり。堀、堀内、丹羽、健、寿一へ転居通知かく。

6月24日
9:00出て滋賀銀行にゆき30600受取る。白鳥庫吉先生『日本語の系統』買ふ。
一旦家に帰り悠紀子に27000わたして工科。生徒「今日はあまり名講義ならざりし」と云ふをきく。京都へゆく。暑し。硲君の新宅へゆき夕食とビールたまひ、 京都駅につけば21:44の汽車一歩まへに出てやむなく下総町にゆき泊る。

6月25日(日)
起きて8:00すぎ出て佐々木邦彦君を訪ふ。われに賜ふ画はいま広島で展覧会と。
野田又夫氏を訪ひ話し、水野清一『東亜考古学の発達』梅原末治『朝鮮古代の文化』ガウエン『アジア全史』(180)買ひ、佐々木君の画を見に大丸に寄り、 昼食すし食ひ(90)、汽車待ちに丸物にゆき「李太白」見つけて買ふ(50)。
13:20にのるに時間あまり省線電車にのりて往復す。帰れば留守中中村竹次郎来りしと。
彦女の教師なりしがやめていま進駐軍関係に働くと。笠井信夫、外山軍司、小川、相野へハガキ。中村を訪ね見しも留守。

6月26日
和田先生、角川書店へ転居通知。午後学校へゆき研究費図書費の件にて会合。宮川、田村二君を牽て転居祝。赤塚氏も加はって22:50まで。
けふ神田先生、金井、田村実造教授、田中城平、康平、坪井、筒井、辻、中山正善、宇都宮教授、上田嘉俊、野上弘へ転居通知。

6月27日
眠し。田村君と登校、2時間授業をし、事務馬場君に礼1500わたして退出。
金曜また教官会と。篠田先生へ土曜の挨拶状。川久保、中野清見へハガキ。京城陥落。
夜、評議員会とて21:30やっと5先生お越し。悠紀子赤塚夫人とともに仲居役!

6月28日
6:52に乗りてゆけば遅刻、原氏代りくれをる。ややして原夫人現はれ聞けば「骨髄腫とかにて三男絶望」と。春雄にききにゆくつもりなりしも止めて帰る。 他人事ながら悲しく哀れなり。新中3年生と。
わが心なれをおもひてゐるとしきかなしきことはきくにたえ得ず。
保田、桑原、工藤先生、中野博之へ転居通知。けふ芳村君にゆきGilesの『The travels of Fa-hsien (200)』買ふ。

6月29日
7:57で下阪、昌三叔父へゆけば「大江叔母よりきかず」と。康平叔父の長女来合せゐし。
山前、松本、藤枝、小高根太郎、河野、江口へ転居通知。平田氏より3000借用。芳村夫人よりHaberlandt『Die Haupt-Literaturen Des Orients(200)』を買ふ。 1年2年の英語試験問題作成。16:30平田、末吉二君とすしやにゆき2学期よりの辞職のこといひ吹田へ一寸降りしが思ひ直し京都19:40にのりて帰れば川村助教授の●問会とて騒し。
けふ原氏の三男足を切断されしと。(※小高根)二郎、寺島翁、杉浦、肥下、陽生、沢田、島、坂口、白鳥先生へ転居通知。

6月30日
協議会有耶無耶に終り川村君に却って好感もちし如し。腹立つ。篠田先生より諾の返事、堀内民一よりハガキ。「祖国」5冊来る。
12:30ゆきて会食の席にありし松村先生に川村氏のこといひ会計のこといひ滋賀大にゆき大畑学長に面会いへば仕事中と。
帰りて会議、文学15家政10ときまる。腹立ちて耐らず。田村君に5000貸す。井之口氏「夜、来て泊る」と。赤塚夫妻広島行と。

7月1日
「祖国」の受取出し、10:17で彦根口の工科。授業すませて帰り、お出で待つ。
金井君一軒立へ移りしと。八木「十日すぎ来よ」と。金井君「29日に女児出産」と。広瀬先生「御病気にて来られず」と。小川浩。
14:00すぎ篠田松村喜多村三先生お越し1000位の御馳走にて御機嫌よくお帰り。
中村竹次郎に行きしに来客とてあげず。ゲーテわたして帰る。井之口氏泊る。

7月2日(日)
井之口氏早朝帰る。大より「井上靖に会ひし」と。丹羽美佐子江口三五よりハガキ。
ひるまへ散髪(65)、正法寺の小林氏を訪ひ、まき3束と米2升とをもちて来てもらふ。焼酎少し御馳走し6:00辞去。
史、春雄の尋ね人県営住宅にありとしらべ来る。けふ佐藤誠へハガキ。
あぢさゐの咲く山かげのみちゆけばゆくへもしぬになれがこひしも。
なにゆゑに逢ひをこばみし指折りてかぞふるごときあひの永さは。

7月3日
8:53で大阪、試験前とて早々にすます。(梅田で鴎外『十人十話(50)』買ふ)。武本生と梅田まで歩き平田君に会ひ3人で喫茶(210)。

7月4日
彦根の授業。「秦始皇帝」「婦人」とをすましてうれし。宮本氏にワーズワースその他たのみ、帰れば中村竹次郎来り16:00ごろ再度来るといひし由。 久しぶりに風呂に入りたくなり銭湯へはじめてゆき帰れば中村君待ちゐる。
けふ西川よりハガキ。大江叔母より「金受取った。勉君東京へ転任」と手紙。夕方城内へ散歩
こもろなる城のほとりを歩きしはなれ知らぬ日のわれなりしかど。
長椅子にふたりならびて坐るをばねたむにあらずされどさぶしゑ。

7月5日
6:09で大阪。吹田で降りしに浪中の卒業生阿部平八郎にあふ。8年兵となり藤枝の死を見しと、土建やりをると。
登校。3時間やらされて退去。12:07京都、吉野書房にゆけば保田昨日東上、前田社長とともにと。下條氏(※下條康麿)をかついで早川須佐雄、旅行案内社をやりゐるとてその店員来りをる。
丹羽千年、小高根太郎よりハガキ。宮本氏よりコルボオ双書のこと。けふ借りし「文学界」6月号に島稔のことあり。

7月6日
6:09で大阪。また3時間試験監督。すませて昼食、芳村君にゆけば本なし。京都で降り山前君(※文童社)にゆき「ワーズワース」10冊と「詩堂」10冊と預かり、西瓜食って出る。 16:15に乗るため丸物にゆき『韓非子(30)』買ふ。(大阪で『太平天国史事論叢(40)』)
夕食後、宮本氏にゆき不在とて帰りかけ途で会ひ話して帰る。けふ羽倉、小高根二郎、陽生、広瀬浄慧先生よりハガキ。

7月7日
朝、小使来り、文化会費もち来る。島稔よりハガキ、ふしぎ。林叔母より学校へハガキ。17:30より文科会、つまらず。19:40にてみなみなお帰り。

7月8日
9:00学校へゆきサラリー工科へ届けてくれるやうたのみ、外へ出れば四巨頭に会ふ。松村先生きのふ大阪米原間往復されしと(よっぱらって)。
工科の授業終へ6700もらひて出、上洛。宇治の二郎氏に泊る。夕方より花火、鵜飼など見につれゆかる。
韓くにのたたかひのことくだくだとしるすをとめをいだき河見る。
この土に戦火もゆる日なとわれとすみひそむべき林はいづこ。
血にあえて死ぬるよそびとあはれともいはぬこころにわれはなりぬる。

7月9日(日)
田村春雄の先妻は今村治子氏にて大江の叔母の教へ子、今村阪大係長の嬢にして二郎夫人の従姉なること判明。
朝、ともに出て8:41宇治より乗り京都駅にて別る。山前君にゆけば不在。四條の古本屋みなのぞき丸善にて『十進分類法要目表』買ふ。すし昼食にたべ(100)、シュワ゛リエの「王様」見る、 おもしろし(60)。出て『孟子(30)』買ふ。依田氏にゆけば14:00、城 小碓(※じょうおうす)の詩集出来、200わたす。高橋君にきけば「佐藤誠、生●に怒って辞表提出せし」と。 19:40に井上氏とともにのりて帰る。神田博士、工藤先生よりおハガキ。大より角川へゆかんかと。

7月10日
6:09にのりしも京で止まりとなり10分ほどちこくして試験監督。英語を暗記物とする劣等生、不遜なるカンニング未遂、営業化せる学校、商売人の如き教師たちに別れ早く告げんとし、 校長に面会日ききしがきまらず。
末吉と喫茶後、帰り1組のみ採点。白鳥先生よりハガキ「東京へ呼びたし」と。

7月11日
家居。朝、研究費のことで大学へゆきしも事務会議で宮本氏と話して帰る。ひるね中、母来り怒りて帰る。坪井より美馬憲之のハガキ転送。寿一よりハガキ。
氷菓買ひ金借りに来し老いし母ことば足らねば怒りて帰る。
吾をめぐるひとびとすべて幸なくて世の末のごとはかなまるるも。
必修の採点終る。

7月12日
7:56で京都、大阪。関大へ採点表わたす。末吉、歴史の教師の書たる謄写版の教科書もち来り、検せよと。午後夕立。帰れば彦根も夕立なりしと。
わが心スコールのごと霽れてのちふくまぬさがはきみのみぞ知る。
ともに死ぬさだめならずと父母とわかれんことはさらにいはずも。

7月13日
朝食中、松村先生お越し「研究費のこと図書のことで学校へともに行かん」と。参れば用なく午まで退屈。午後切上げて帰り来る。近江詩人会につき小林氏へ日の問合せ。
ふしあはせになすをおそるるこのさがになじかはきみはわれを愛せし。

7月14日
答案の採点終る。朝、京都より速達回送、雲井書店より「楊貴妃とクレオパトラ」出したしと、諾と返す。羽倉より俣野に会ひしと。大阪市東区唐物町1の6隣邦貿易の常務取締役と。 美馬より返事、狂気せること明かとなる。夕方「支那の怪談」3枚を大毎のため書く、旨くゆかず。

7月15日
関大へ8:52でゆき採点表わたし大毎へゆきて原稿わたせしが埒明かず。『蘇東坡(80)』。
京都吉野書房へゆき前田氏と一寸はなせしのみ。カード作成は奥西保氏引受くと。
島稔よりハガキ。東洋史研究会よりハガキ。けふ末吉より「明日浪中同窓会」との案内受取る。

7月16日(日)
退屈して蔵書カード作る。夕方正法寺へゆき小林君と相談し22日14時より詩人会ときめ、案内状出す。けふ雲井書店より若杉慧『エデンの海』送り来る、面白し。けふ悠紀子300で本棚見つけ買ひ来る。

7月17日
来信「不二」。9:30より学芸部職員会。工学、女学ともに辞職中出でしと。喜多村先生慰留ときまる。すみて昼食、カードの注文受取り、本棚と本運び、長谷川嬢、研究室の係となる。

7月18日
9:00大学へゆき天理の出張の件いひ研究室で待つ。長谷川嬢大連育ちと、面白し。副手となるらし。11:00出張旅費1280をもらひ昼食して出発。(田中●好、寺島翁よりハガキ。 武田豊君より近江詩人会を喜ぶと。雲井書店より速達、原稿用紙送ると、少女向きにせよと云々)。
12:29で京都、吉野書房にゆき奥西保君にカードのことたのむ。(学報の見積たのむこと忘れし)。散髪して15:15にて天理へゆき金井君を訪へば帰らず。玉井君も同。 木下により夕食してのち八木家にゆき父母君、明子嬢に挨拶。二嬢(※八木嬢、妹明子)とともに出、傘借りて玉井君にゆき校正受取る。今月はのせずと。 金井君にゆき話し13:30床のべてもらふ。(彦根で小島悠馬『中国共産党』買ふ)。

7月19日
金井君とともに出、別れて大浜君にゆけば学校で泊りしと。ゆきて話せば来月上京と。
図書館にゆき方々挨拶しをる中、佐藤誠来る。やめて東京へ帰るといひつのる。明日小林高四郎氏来るとのことにうっかりと会ひたしといふ。よべの睡眠不足でだるくする中、 昼食たべしあと、全員われの歓迎コンパ、一寸うれし。
15:00すぎ出て養徳社に寄り天理時報にゆき瀧井氏に工務主任への紹介たのみきけば1頁120円と。(500部200頁ならば12万円)。 ただしいき忙して8月初に原稿わたさねばだめと。ここ切上げて出ればバス来るにのりて、桜井にゆき保田家にゆけば歓迎。
夫人妊娠にてはなきらし。少女双書の企劃いふ。われはナイチンゲールを書き孔明を書けと。東京で淀野はじめわが収入で不足いはば可怪といひをると。父上叔母君で40万円医療費に要せしと。
夕食よばれ西窪氏にゆけば再婚せし模様、早々いとまつげ阪口君にゆけば職員会議と。電話かければ入れちがひに帰り来る。 来月6−16日の間に山前君に会はんと。
何事も旨くゆかず疲れて乗車、八木で降り貧相なる宿に泊る(300)。

7月20日
起きて女中にチップ100やり早々藤井寺にゆき、叔母にいろいろ話す。勉、東京へふさ子つれてゆき赤ん坊のこしゐたり。昼食たうべて300借りて出れば15:00に天理図書館着、 小林氏来りをらず、佐藤君と話し中村幸彦と話して16:00退出。
支那そばと西瓜よばれ(短大にて入浴、大浜君も奥村氏の意向伝へ大体佐藤君即時退職翻意)、八木嬢に依子への手紙ことづかり(大浜君、短大の教師を八木嬢に斡旋せんと。 佐藤君めでたけれどかなしと)、シャツの乾かしたのみ木堂へゆき夫人のもてなし受け19:00退去。(八木嬢シャツもち来り呉る。明子君わがカッターシャツをこさへ呉ると)。 本部前にて別れ金井君にゆきいろいろ話して泊る。

7月21日
8:00出て天理駅で金井君と別れ、吉野書房にゆけば皆あり。午までゐてカード見積させれば1.50−1.40、1.70−1.80と。紀要の見積もたのみ25,6日頃来るといひて出る。 ナイチンゲール編輯費として500円もらひし。
年わかきをとこ友どちいざなひは来りし時はくやしとぞのる。
帰りの汽車で川村仙太郎とともになり。アイスクリームたべさし結局松村先生の悪口ききて別る。留守中、田村春雄の便りありしのみ。けふ彙文堂にて斎藤勇『杜甫(100)』、 小野重朗『琉球文学(40)』、梁啓超『清代学術概論(30)』、長澤規矩也『支那書籍解題(100)』買ひて帰る。

7月22日
俸給日とて登校、喜多村校長に退職をとめる。(保健所にゆきレントゲン。あけぼの書店にゆきHistorian’s history他へ売りしとのことに怒り、寺義司書をやっつけることとす)。 井之口、宮川二君のみ。カード写してことわらんと、結構なり。紀要も井之口氏やると。
帰りて14:00に武田豊君来訪、小林英俊氏も来り、近江詩人会の下相談。16:30井上多喜三郎氏来り、本[決]りとなる。20:00駅まで送り出す。

7月23日(日)
11:00ごろより発熱、寒くなったりあつくなったりして臥床。37−38度を上下す。

7月24日
金井、保田、佐藤と大和諸友にハガキ。武田豊君よりハガキ。登校まへ西中へゆく史の担任を見る。若く下手な教師なり。松村先生にいろいろ申上げて12:30帰宅。 (雨森芳洲と海覚のことわれにやれと也)。夕方中村竹次郎君にゆき、ためしにナイチンゲールのこといひ出しに打ちきり貸し給はる。雲井書店へ原稿用紙の受取。

7月25日
保田へナイチンゲールのこと。朝より「老兵の記録」のつづき書く。末吉ら来ず。羽田夫人よりゆき子へ。杉森久英より文芸の編輯やめ単行本へ廻りしと。澤田直也より。羽田へハガキ。 午後学校へゆき宮本君と話す。「小説新潮」借りて来てよむ。

7月26日
末吉来るかと思ひしが来ず。ひるまへ電話かかり協議会へ来よと。すでに協議員となりゐしと。発言せず新教官採用に白紙を投じて14:00ごろ帰る。
工科の西山、岡村二教官に先輩とて挨拶せし。ボール紙でカード箱こさふ。

7月27日
末吉来ず。埜中君よりハガキ。「くれなゐ」おくれしと。夕方石島博士へ組合票とりにゆき腎臓結石との先生と話す。旅順にて軍医をし、終戦に逢ひし話面白し。22:30大風の中を帰る。

7月28日
雨の間を見て登校、京都行の定期代もらひ長尾君と話して帰る。夕方川崎君にゆけば税吏と宴会と。

7月29日
8:52で京都行。吉野書房にゆけば清水文雄氏来合はす。宮山氏の弟に来てもらひカード。紀要の見積もらふ。(名刺こさへてもらひし)。15:30出て羽田にゆけば帰らず。 やや待ちて夫人と話し、18:00出て●にのり彦根に帰れば宮本正●君来て待ちゐる。川崎君も野間六郎来たると呼びに来しと。宮本君と話してゆかず。

7月30日(日)
川崎君に電話すれば野間君と来ると。小喫後、雨中を釣にゆく。おみなる魚2尾釣り、帰りてひるね。両君釣りしを土産におきて帰りし由。八幡の錦織(※にしごり錦織恒夫:白羊)、 水野両氏より詩人会に入会申込。両氏へハガキ。善海よりハガキ。

7月31日
苗村の井上氏より申込と100。同氏へハガキ。10:00登校、朽木谷へ2日よりゆかんと。怪しげな応をなす。カードのこと吉野書房の宮山氏へたのむ。大4500、小6000。

8月1日
8:00出て上洛。石山寺にゆく。19:30(※現高島市)勝野の小川浩にゆき、若狭小浜にゆきし小川君を待ち、20:30帰りし小川君と1:00まで話す。
うみ青き岸べをゆけばスマトラのみずうみのことなぜか思ふも。
比良やまのふもとをゆきてわかれこし●なこおもへばうらがなしもよ。

8月2日
小川君と出て、9:30の電車にのれば松村、篠田両先生あり。川崎君もあり。朽木谷の興聖寺に入る。宮川君、井之口氏あはせて6人。みなみな仕事する様子なれど吾のみなくて退屈。

8月3日
朝、9:00出て朽木家にゆき宮川君の史料しらべ手伝ふ。貸出すこととなり宮川君よろこぶ。天文年代までのもの多くありし。10:50のバスにのり安曇着。1時間まちて今津へ(25)。 ここより木之本行のバス(100)。景色よし。木之本にてまた1時間待ち、生れてはじめて北陸線にのり長浜下車。武田君を訪ひ、氷水御馳走となる。長浜にて申込者6名ありと。
帰宅すれば金井君より書類。羽田、八木嬢、硲君より4日に来ると。(悠紀子5日にしてくれといひしと)。俊子姉より2姫来らしむと。果して雷雨の中を来る。船越章、放送協会を赤(※レッドパージ)にてくびとなりしと。

8月4日
末吉、高橋輝雄氏へハガキ。錦織氏へ受取。大学へゆけば記者来り、研究調査状況を聞く。リアル書房より本つく。図書館の引越し、帰りてひるねすれば17:00篠田先生お越し19:00松原へゆかる。 20:00お越しの萩原博士とゆき座談会に出る。23:30二先生とともに帰る。(けふきけば滋賀新聞に近江詩人会のこと出しと。)

8月5日
両先生を送り出して登学。松村先生に会ひ金井君のこと申上ぐ。脈ありさうなり。
帰れば健、男児出来て順と命名せしと。硲君十日来ると。昼寝す。
夕方、水野清一氏より速達にて原稿、長谷川、宮村二嬢来り、史とともに英語のレッスン。中村竹次郎君来り、9日金剛輪寺で時局談をせよと。明日確答すと約束す。

8月6日(日)
「くれなゐ」の歌三首を封し、12:29で京都、コルボオの会。井上氏すでに近江詩人会のこと披露と。安藤君の詩、面白く刷り直しとなる。11日山前君来るやもしれずと。19:40で井上氏と同車、帰り来る。ハガキ来ず。

8月7日
7:57で上洛、吉野書房にゆけばカードの見積などなしと宮山氏の弁。次の紀要のオトリのカードの安値すること判明。19:00帰る途、川崎、宮川二氏に会ふ。宮川君家まで来る。 中川[五]次氏より入会申込。公舎の契約書に印押さされしと。

8月8日
学校より電話、9:30より評議会と。萩原博士、工学長、松村先生学芸部長となり喜多村先生厚生補導部長をやめらる。公舎の家賃の外に税金多くかかる模様。帰り長尾君に誘はれ堀女史、 松林嬢とヨット。風なくあつきのみ、早く切上げ家へ伴ひ来る。夕方より英語のレッスン。すみて「御在所山」買ひにゆく。

8月9日
散髪し、17:00誘ひに来し中村竹次郎君と近江鉄道豊野下車。秦川村の金剛輪寺に至る。天台宗の大寺なり。22:00ごろより講演会とて「絶対平和論序説」となへ1:00帰りて泊る。 (燈籠に「涼風に乗りて来ますや仏たち」)

8月10日
9:30よりまたはなし、すみて座談会に入れば正午すぎ「敵上陸すればいかにすべきか」の質問あり。終始感じよかりし。お礼もらひコルボオ双書を誠徳会長吉岡君に贈りてお寺を退出、 帰れば16:00、硲君まちくれをる。やや話し、19:40の汽車に送り出す途、うなぎを贈る(220)。宮村、長谷川二嬢来り待ちゐる。成子、純子あさって帰ると。

8月11日
史、案内して成子、純子を京都へやる。午後長浜の武田君、●木君来り、15:00小林、井上2氏来る。月刊誌を「Poets'School」とせんと。すみて小林、井上2君と美粧院へゆき夕食よばれて帰る。
けふ末吉より、来る機会なく金送らんと。八木嬢より伊勢へ行くと称して姉妹2日泊りにて14日来ると。咲耶より悠紀子へあやきりにゆくべしと。

8月12日
学校へゆきしも事なし。帰り石田『食糧の東西(60)』、白秋『まざあぐうす(25)』、西鶴『武家義理物語(30)』買ひ、昼食後、綜合グラウンドへ野球見にゆく。 杉浦より8月末北海道へ移住すと。八木嬢より甲府へゆく途、寄ると。金井君よりいつでも来れと。夕方英語のレッスン。

8月13日(日)
10:57で京都、羽田へゆけば在宅、先生入院と。「還暦記念論叢」明后日までにつき立てかへ呉ると。山前君にゆき「Poets'School」たのむ。1000円にて16日までに作り呉ると。

8月14日
9:16で八木嬢、あき子2嬢来る。われ文科会とてゆく。岩崎昭弥君来り、河村専太郎のため助手になれずと。松村先生にご紹介す。12:30帰り昼食後ともに松原海岸にゆく。夕方、京下痢と。
けふ井上氏よりハガキ。佐藤誠君、八木嬢に手紙托し、月末来ると。

8月15日
10:00竹生島ゆきに八木姉妹と乗る。依子たちゆけずとて恨む。桃山時代の代表的建築との弁天堂見しのみにて乗船、帰りつく。明日6:00発といふを9:16にかへさす。井上氏よりケイサツへの届けのこと。

8月16日
八木君たち9:16にのるを送りにゆく。電報同君義兄御木氏に打ち、詩の会の案内状20通出す。ひるすぎ高校生来り、八日市高校の生徒のために詩人会のこと訊ねる。
俊三郎叔父来り2000貸せと。有金全部を与へ砂糖3斤与へ帰ってもらふ。岩崎君来り、今夕多景島へゆかぬかと。蛇こわしと断りさまざま話す。

8月17日
昼食後12:29で上洛、東方文化へゆけば藤枝不在。東洋史研究室へゆきしも無人。17:00藤枝に「羽田博士還暦記念論叢」代800わたし、宇都宮、入矢、内田吟風の諸氏と話し、 「東洋学報」2冊(110)買ひ、カバトン買ひ(35)、山前君にゆき「Poets'School」50冊受けとり、ともに出て氷西瓜食ひて19:40にのり帰宅。

8月18日
午前中に朝日、彦根夕刊、滋賀新聞、中部日本と新聞社を歴訪、20日の会のことのせてくれとたのむ(1冊づつ「Poets'School」わたす)。羽田、小川へハガキ。 河出へ「現代詩大系」の問合せの返事。夕方正法寺の小林氏にゆき、1冊わたし西瓜もらひて帰る。(町中に来てわりし)。下村海南『8.15事件』買ふ。

8月19日
錦織君より欠席と。宮川君昼まへ来り25日より3日間中野(八日市隣)の天理教会へ泊りがけにゆくべしと。昼食与へて帰らしむ。八木嬢より甲府からの便り。 16:00頃岩崎昭弥君5人ばかりつれて来る。中に蓑田君この間の戯曲につぎ小説もち来る。

8月20日(日)
午前中学校へゆき掲示板を書いてもらひ、張り、引返し硲君のハガキ受取る。12:00まへ山前、天野忠の二君来り、ついで続々と来るらしきに、さきに出て学校へゆく。 14:00、20人となり(※近江詩人会の)開会。うまく行かざれど17:00すみ、ビールをのみて駅まで送る。この次も彦根で我家にてやる由。

8月21日
雨のはれま9:00すぎ出て滋賀新聞支局にゆき佐田嬢を訪ね(留守)、木村保生氏へ伝言たのむ。登校、誰も来ず、11:00帰り高麗史地理をよみ時間つぶす。夜、岩崎君来り詩置きゆく。 阿部君興奮しゐるにつき23:00とらへてさとす。

8月22日
無事。天野忠よりハガキ。夕方、中村竹次郎にゆきしも不在。けふ入浴。

8月23日
登校。13:00エフ協議会と。研究室できて間に中野村の研究の打合せ傍聴。滋賀新聞の佐田嬢来り50円置き、松村先生より上田敏かりてゆく。長谷川嬢ミルク賜ふ。協議会つまらず、 すみて永沢先生に岩崎君のことたのむ。帰れば赤塚氏夕食たまふと。(けさボーナス1013もらふ)。阿部君と3人にてたべ終れば中村竹次郎君来りすぐ帰る。そのあと岩崎君来る。

8月24日
よべ夜半めざめて朝寝せしに予期通り八木嬢7:57で大垣より来り、起きて朝食後案内す。(子ら地蔵盆とて忙し)。金亀せんべいを土産にし彦根城より湖水を眺めて帰ることとなり、 昼食後13:55にのるを送る。精進湖でロマンチックなりしと。夕方散歩かたがた川崎君にゆけば留守、松本信広『印度支那の民族と文化』岩波『保元物語』『閑吟集』にて130円買ひて帰る。
けふ市民税の申告書く。(新井氏より14万円−1.8万円●との書類のみ送り来りし)。靴修繕400円。

8月25日
8:52にて下阪、関大へゆけば意外にも英語の講師見つかりしに、アダチ氏結核にてまた足らずなりしと。5000+2300もらひ、やむを得ず(※週)2日だけ来むといひて出、 山本の事務所にゆけば不在。ルシア書屋といふ古書屋にて石田幹之助『欧米における東洋学(100)』『公卿辞典(30)』買ひ市民病院へゆけば春雄不在、藤井寺にゆき叔父叔母と夕食。 くみ子分娩のため入院、勉近々子を引取ると。千草不平たらたらいひよこすと。(朝鮮地図買ふ)。中村治光にゆきビールのまされ説教して帰る。

8月26日
大江で朝食、出て市民病院にゆき、教授の送別会最中の教室にゆき、酔ゐし看護婦どもにナイチンゲール訊ねて埒あかず。やっと婦長より『新看護法(120)』買ひ「ナイチンゲール」借る。田村にゆき泊めてもらふ。
なつくさにまじりて咲けるひともとの青き花とぞなれをたぐへし。
おそなつの河原に下りて水かげにならぶふたつをうつしてぞ見る。
(春雄の前夫人は今村和子氏ならぬことききて唖然。)

8月27日(日)
朝寝し出しは11:00。東高安に着き梅岩寺へゆくみちで話しかけしは山口君。着けば埜中、池田の二君のみ。17:00まで飲み食ひ話し200払ひて帰り、吹田に下りて山本治雄にゆけば帰らず。 少しまちて20:02にのり京都駅にて待ちゐし20:47にのりて帰着。
三木為堂先生より詩一篇、佐々木邦彦、八木嬢、健、村田幸三郎よりハガキ。
とこしへにかはらじといひなれがめゆすなはち泪わくを見たりし。

8月28日
昼まで寝、12:29にて上洛。吉野書房へゆけば「祖国」けふ出来ると。カードの催促宮山君にたのみ、7(※質屋)にゆけば来月末までよしと。アテネ文庫『哲学小字典』買ひ、 百万遍にゆき『吉野(20)』『飛鳥路(30)』『大和の古墳墓(50)』内藤湖南『日本文化史研究(120)』、禰津正志『印度支那の原始文明』クローバー『フィリッピン民族誌』『大東亜地理民族学』(140)買ひ、 山前君にゆき500払ひ、『キンダーブック』買ひ、18:30にのり八幡より中野の天理教会にゆき座談会きく。24:00までかかりねむし。

8月29日
昨夜車2:00ごろ史料●帰来、それより寝につけば篠田先生嘔吐。朝食後、村役場にゆき戸籍簿見しも宿を特殊部落とまちがへしことわかり無駄となる。
14:14にて八日市発、先帰り(中野の古本屋にて『おあむ物語(20)』『甘肅西藏邊疆地帯の民族(30)』)。筑摩書房より来りし『私たちの詩集』と伊藤佐喜雄のハガキ見る。 萩原先生来られ阿部君のこと篠田先生にいへと。
18:30井上多喜三郎氏来訪。話す中、篠田先生見えともに夕食差上ぐ。井上氏子らにと人形5[体]たまはる。八幡の講演20日すぎと。阿部君品行あしく学費見込なき変●者なるらし。

8月30日
9:00篠田先生送り出して10:30登校。阿部君に篠田先生のこといひ、しばらくして工専の卒業者2人来り、工業科のことに干渉せざるやう松村、喜多村二先生へ伝言せよと。 萩原博士へも不満ありと、いいかげんにして帰らす。昼食して寝、夕方まで読書、帰られし篠田先生と話す中、家政科の中島馬場二嬢来り夕食手伝ふ。そのあと長谷川、宮本二嬢来り英語。 長谷川嬢9月より会計にかはるにつき出来ずと。宮本君来り赤塚氏をくはへて座談。宮本君バイ[し]て詩抄おきゆく。夜ふけ阿部君篠田先生に引導わたさる。

8月31日
9:00篠田先生し市役所、松原の戸籍簿うつす。15:00すまし望月美粧店で散髪、女史によろしくといひ、帰りて誕生日の御馳走にうなぎ食べ、中島馬場嬢と話す中、長谷川、 宮村二嬢来り英語のレッスン、これにて一先づ終りとなる。川崎君釣りし魚もち来くれしと。阿部君帰郷せしと。

9月1日
朝、篠田先生より宿泊費300たまはる。旅館の主しなりしと、おかし。
登校、4日に校歌選定委員会を開く旨、通知してもらふ(大橋、多田、湯次)。山本副手と話す。近々地理(奈良女子高等師範出)の田中副手発令とならんと。
帰途『道長日記(2冊60)』買ひ、ゆき子に130やりて飯びつ買はしむ。
午後城北小学のPTAでの篠田先生の講演ききにゆく。家政の2嫗うらめる色あり。滋賀新聞の佐田女史来りをる。
夕食後、地図(高宮、能登川)買ひに出る。
けふ島稔、井上多喜三郎氏よりハガキ。われ詩人会のハガキの外、三木先生、八木義雄氏に書き、末吉に辞意表明の速達す。

9月2日
雨。島稔へハガキ。雲井書店へ原稿料払ふや否やの問合せ、ことわりの一種なり。
午後、小林英俊氏2児つれて来訪。話す中、中村竹次郎君来る。記紀の近江関係記事のリスト作る。
けふ岩崎昭弥君訪ねしにまだ帰らずと。

9月3日(日)
朝、岩崎君来り、ラッキーストライク二箱呉る。保田にゆきしも不在なりしと。こないだ来し卒業生は川村専太郎のまはしものと。「くれなゐ」の会員さがしくれといひ、 近江詩人会会費2ヶ月分あづかる。6日頃来りて世話しくるとなり。昼ごろ帰してのち暴風。外べいなどに被害あり。赤塚夫人こ[はが]りて下り来る。夜、停電。

9月4日
9:30登校、学歌選定委員会の予定なりしが大橋教授より外、来られず。8日に流会とす。天理への研究出張申請せしも埒明かず、汽車電車不通のため誰も来ず、 やむなく13:00帰宅(けふより田中嬢副手として来る)、家にて貯金より1200引出し15:30にのれば学長と新任英語教授中島氏と。車中学長のお話伺ひつつゆく、面白し。中島氏、 石浜先生よりわが名ききをられたり。
18:00天理着。八木家へゆけば屋根とびしとて泊まれず金井君にゆき入浴。けふ出がけ「祖国」来る、浅野晃の「大和紀行」あり。 けさ出がけに「くれなゐ」へ歌6首と堀氏への「大和通信」1、2。日本詩壇へ「Poets' School」1冊送る。

9月5日
金井君と別れて富永館長を訪ね菓子を贈る。すでに登館と。追ひてゆけば八木嬢あらず、他はみなあり。挨拶後、利瑪竇(※マテオ・リッチ)せりかけしも中々進まず正午すぎ出て金井君と別れ養徳社で昼食。 松井君やめしと。館に帰りて閲覧室で読書。16:30、5冊借りて出、八木嬢の妹信子嬢の養家松井家にゆき夫人に挨拶、宿泊たのむ。
夕食後八木家へゆき礼のべ引返して3嬢(※八木嬢、妹明子、信子)に会ひ21:30より読書。目鼻つかず困る。

9月6日
よべ3:00までねられず。6:30起床。松井忠蔵氏わざわざ買ひ来たまひし、ちぬ鯛うまく食べて登館。マテオリッチだめとあきらめ愉快。ひるめし八木嬢にたまひ、 西村と出て佐藤氏留守宅にゆき、夫人といへば15日西下せんと。八木嬢世話せずよしといひしと。出て大浜氏へゆくみち八木嬢に会へば、松井氏安堵の父君病気とて帰られしと。 桜井へゆかんときめ大浜君に伝言たのみしも、あとにて気持かはり帰宅ときむ。八木家にて夕食にすし賜ふ。京都にて19:40の汽車となる。
帰れば塀なをり岩崎君けふ来て原稿受取り出し呉れし由。硲君、八木嬢のハガキ。堀場正夫氏よりハイネ出さんと。高鳥君より『祖国』の名まへ誤植のわび。『不二』影山氏の従軍記。

9月7日
7:00起きて朝食。また寝て12:00昼食。赤塚氏と話し「文芸新潮」かりてよみ夕食後、松井忠蔵、石谷、高鳥の諸氏にハガキかき、ポストへいれかたがた岩崎君にゆき、古本屋ひやかして帰る。

9月8日
9:00登校。松村先生に『おあむ物語』差上げ工学卒業生の伝言つたへ、金井君の履歴書わたし、昼食後協議会に出て学歌の選を発表す。首案は旧工学の校長先生なり。
17:00すみて月給と出張旅費ともらひて帰る。「Poets'School」に詩5篇。夕食後来りし岩崎君と受取りかき、17日の会大体ここときめ、散歩。 『わたしたちのことば』と地図3枚とを買ひて帰れば宮本君来り、喜多村先生辞意ありと。引留めよといふ。

9月9日
登校の途、『太閤記(50)』『蒙古と西支那(60)』買ひ、田中●さんより『近江』借りる。井之口氏のみ。萩原、宮本氏と話し工業科に手を焼く。 篠田先生来られねど阿部君解職となりし由。帰りて「Poets'School」の編輯をし、金井、小川浩二君のハガキ見る。小川君、本を近々送り来ると。八木嬢よりハガキ2枚、 失礼をわび来りしなり、気の毒なり。
夜、八幡高校の林君来り文学談してゆく。

9月10日(日)
10:57にて京都へ。バスにて井上氏とともになり依田君まへにて武田君とともになり、玄関にて矢野峰人先生、わが詩久しぶりにのりをり、高橋君のWunderhorn(※『少年の魔笛』)出来(200)、 コルボー双書代(330)払ひ「Poets'School」の原稿わたし、18:00京都駅着、伏見泊り。

9月11日
9:00伏見を出、吉野書房にゆく。宮山氏に電話せしめしが事明かず、12:00出て昼食。彙文堂へゆき鳥山喜一『満鮮文化史観(80)』、伊東恒治『北支蒙疆の住居(100)』、 今西龍『朝鮮史の栞(30)』買ひ、丸善へゆきしも本なく13:20にて帰宅。八木嬢へ本の受取り。

9月12日
登学まへまでノート作り。ゆきて2時間抗議。反響なきにがっかり。井之口氏の悪口、宮本君といひ(研究室近々分離と)、昼食後宮本君伴ひて帰り、話し、送り出してのち夕食。
岩崎君来り近江詩人会の案内状24通書き、文芸春秋10月号かりて送り出す。

9月13日
家居。台風九州へゆきしか、雨たびたび。八木嬢より父母るすにて台風を心配すと。金井、堀場二氏へハガキ。夕方散歩に出て『太平記(2冊60)』買ふ。

9月14日
家居、無為。『太平記』よむ。

9月15日
朝、登校。定期代の請求。京都、石田印刷所へ電話せしも要領を得ず。青木富太郎よりハガキ、珍し。すぐ返事かく。13:55にて膳所。三木為次郎先生訪ひしも留守。 喜多村先生訪ひきけば女学校長のみやめられると也。とまれお止めす。
けふ岩崎君にきけば川村専太郎、新聞記者を呼びて学長の悪口をもいひしと。帰れば留守中小林英俊氏来り、日曜会ありや否問ひゐしと。大よりハガキ。7月末にて失職、口あらばせわせよと。

9月16日
けふより滋賀新聞とれば工科のこと出をり河村老学長とやゆし、専太郎を弁護す、いやらし。工科にゆき授業、12:29にのり上洛。雨ややもよほしたれど大事なし。 山前君にゆき「Poets’School 2」受取り、19:40にのりて帰る途中、滋賀大の伊藤教授といふ人とのり合す。中村地平、宇都宮清吉、山下幸雄を教へしと。在台湾22年と。 折柄大正14年より台湾で育ちしといふ酔漢、話にわりこみ彦根着。けふきけば山中晴子やせゐしと。
とつぎ去り頬こけし子に会はん日はわがまなこをばいづくやるべき。
海こえて道ともに来し紅毛のひとを語りてこの子かなしも。

9月17日(日)
10:30岩崎君座布団もちて呉る。雨の中をはり紙4ヶ所。13:00まへよりポツリポツリ集り、計13人。茶菓出し合評。武田君面白し。 近江兄弟社へ21日5時の汽車にてゆき「詩とは何か」を話すことときまる。

9月18日
雨、岩崎君の蒲団とりに来しを機に出て、望月氏にテキスト渡してのち登学、(※資治)通鑑など運ぶ。松村先生わがままなり。帰りてノート作らんとせしが宮川君来るとて待つ。 19:00ごろ来る。けふ三木為堂、高橋輝雄氏よりハガキ。

9月19日
晴、宮川君とともに登学。講義2時間、年の誤を指摘されてうれし。午後すぐ帰る。みちで生田春月『ハイネ詩集(50)』買ふ。けふ短大の学生で「Poets’ School」観しといふが一人ありし。 吉田芳江氏にも一冊依子にもちゆかせし。八幡の錦織氏より礼状。

9月20日
6氏へ「Poets’School」郵送、登学。協議会。河村仙太郎内地留学。11日以後は今問題に関し解消と、先達ての卒業生の申入れをいひ、工科の不干渉について学長先生の意をただし、 11日以後に河村仙太郎の発言あらば責任とらすとの御説承り退去。
17:00来りし長尾君と話し18:50に送り出せしあと赤塚君と話す。

9月21日
9:00の汽車で上洛、吉野書房へゆけば初校出しあと。石田大成社に会へば今月末にカード出来と。13:30で帰彦。天野忠、島稔よりハガキ。 小林英俊氏と17:30の汽車にて近江八幡へゆき詩の会。詩とは何かを話し、とめてもらふ。

9月22日
9:00八幡図書館見学ののち10:30の汽車にて彦根に帰る。午後登学。萩原、広瀬、川崎、長尾、宮本、山下の諸氏と相談、川村仙太郎をやっつけることとし、散髪して帰り、 夕方岩崎昭弥君を訪ひしも不在。けふ山路愛山『足利尊氏(30)』買ふ。

9月23日
春分の日と。7:57で上洛、東山五條で狩野直喜『読書纂余』、浜田青陵『東亜文明の黎明』、新村出『南島記』、ローリンソン『印度及印度人史』(170)、 河原町三條で『源平盛衰記2冊(60)』買ひ、山前君に500払ひにゆく。佐々木邦彦君、絵具代と額縁代とにて1000で宜しいといひしと。 吉野書房に電話せしに校正すみしと。帰り駅で田中助手と一緒になり川崎君へ明日ゆくと伝言してもらふこととす。青木富太郎よりハガキ。大江叔母寄らずして帰るとハガキ。

9月24日(日)
8:30川崎君へゆき新聞社のこといひ、大橋教授訪ひ了解を求め、中村竹次郎へゆく。帰りて昼食後、彦根図書館を見にゆき、入浴。
けふ硲晃君より一度泊りに来よと。錦織恒夫氏へハガキ。
このさちのいまいくとせぞうきくさのはかなさ知る身たのまずといふ。
夜、岩崎君、箕田君を伴ひて来る。箕田君石鹸2ケ賜ふ。

9月25日
登校。工科へ電話かけてもらひドド君呼び話せば彦根報知へ提供の現場にゐしことを認め証人になるといふ。午後、地歴研究室かはりて疲れ、明日1、2時限休むといふ。
けふ宮野嬢に兄のこときけば彦根報知の記者と。松村先生、天理へゆかざりしと。新築官舎に入れるやもしれずと。
夕方、井上多喜三郎氏来る。夕食をともにし万一のとき滋賀新聞編集長などへの紹介たのむ。けふ山本書店へ本の注文せしむ。

9月26日
1、2時限休み、10:00登学。辰巳氏と話せば「公務員としての懲罰の理由にならずと、やむを得ぬと」なり。授業3、4限やり昼食後、ボヤボヤし長尾、 山下氏と打合せ、次いで萩原博士と打合せてのち懇話会開催。わが単独行動はやむなけれど文学部は代表として我、湯次、原女史の3人を選出し、明日学長に大学の自治を申入れんと。 帰りて夕食後、岩崎君にゆき事実確認書作り、そのあと城址の月見にゆく。守田、佐田などの女史たちおそろひ、太田守松、大橋夫人など居られしも中座して帰る。

9月27日
8:00工科へゆき百々(※どど)生まちしも来ず。図書館見しに石崎嬢わりあひよく分類しゐし。一度家へ帰り11:00出直し学長を探せば、佐藤、喜多村両教授と話しをらる。 昨日の要求書をかきなほすことを云ひ、一同のところにてゆきづまり、単独にてゆき岩崎君の報告とわが辞表と呈出、帰りて来し百々生のいやらしき報告を学長先生におわたしして退去。 萩原先生に後事托せしも音沙汰なく、夜、岩崎君来り「新彦根」に悪口書きしとてとりやめをたのむ。
けふ角川より近々金いくらか送る、残りは19000といひ来る、ふしぎ。

9月28日
早起きして「老兵の記録」書きしに9:00すぎ終る。うれしくて11:00家を出、岩崎君によれば専太郎二度来り、確認とり消せといひしと。念を押して出、吉野書房にゆけばみな不在。 カードたしかめにゆけば30日出来と。7(※質屋)にゆき480払ひ、佐々木邦彦君にゆき『早春の桂の山』もらひてうれし。野田又夫に寄れば不在。京都駅で持込料50払ひ、 彦根駅につけば百々生に見つかる。岩崎君の名あげしことを秘せよといふ。腹立ちて口論、物別れして帰れば、けふ二階で長尾、赤塚、山下3先生会せしと。松村、中島、二教授来られしと。 土曜を約されしと。赤塚氏と話し、近江根性に腹立ちて就寝。

9月29日
床にゐれば宇田嬢(※良子)より電話、やがて来り詩、見す。Gedichteなることいひてほむれば「人工流産」の詩のすと。父君仏印にゐし司政長官と。 帰りしあと中島和夫氏来りて懇々と説教す。腹立ちて耐らず。相対死は敵の思ふところ、神経衰弱よと。昼食後、思ひ返して15:40の汽車にてゆけば原女史あり。 「学長、専太郎はよき人間」と云はれしと。松村先生にゆき焼酎よばれ聞けば退職願は知事宛に書かずんばだめと。専太郎は自滅せん、旧工学校長は引止め運動ありしも退職認められしと。 喜ぶ色見せたまはず。中々老獪なり。公舎のことなどいはれ不快。漢文2学期よりもてと。いやな顔もせずに断り、21:51彦根着。
「くれなゐ」来る。けふ田村博士より東洋史参向書売捌きたのむと、不快。

9月30日
大江叔母、佐々木邦彦氏へハガキ。工業科にゆけば島津、司書にされるとてさわぎしと。萩原博士別室に呼び、わが思ひ通りになるゆゑ今しばらく耐へよと。 講義終へて駅にゆけば篠田博士来られ池田へゆくとて同行。きけば元凶は松村氏。学長は無能、十月末を期して退職せんと。思ふてもなきよきニュースなり。
長尾君にゆきて話し、夕食よばれて帰る。井上氏よりハガキ。
さむざむしみづうみわたる秋風に君わがふすまつくりたまれと。
けふ雲井書店より速達、不快なる内容、青木康次のあやめ池の病院探索されしと。

10月1日(日)
家居、赤塚君と話せしも手ごたへなし。午後カード作る。17:00ごろ岩崎君来る。「くれなゐ」渡し10月末まで待てといふ。そろそろ寒く火鉢入れそむ。
酒のまずをみないだかず早くねてながく生きんといひし友はも。
めぐらせる蓬生に啼く秋の虫いつまでふたりならびてあらむ。

10月2日
午前中無為。午後久しぶりに登学。通鑑綱目2冊借り出し懇談会に出る。協議会改革委員と紀要委員とを選びしのみ。われ双方とも票あり後者となる。長尾君さそひて帰り喫茶せしむ。 この会で有志として懇談会を招集せしことをわび、辞表の無効なりしことをいふ、不快。

10月3日
登校、4時間講義。カード到着。帰り学長先生に会へば21日の開学式までに片付けたまふと。阿部輝雄君の令兄来りて荷物片付ける。詩稿3通。

10月4日
ひるまへ登学。家政科生の料理を食べ、カードを分配し、王錫侯の字貫(和刻本)を中島利夫氏に見せてもらひ協議会。河村専太郎の隣に坐る。教官の免職は協議会の議なりと。
近江詩人会の原稿受取りを書き眠る。この二三日西遊記よむ。(けさ「くれなゐ」に歌二首と大和通信3、4)。

10月5日
雨、一日家居。佐田嬢、詩もち来るもかかあ殿会はさず。珍しきことなり。

10月6日
家居、「Poets’ School」の原稿まだ来る。小林君来る。午後岩崎君「新彦根」の記者をつれて来る。小説かへし評をいふ。

10月7日
9:00京都へゆき篠田先生に会ふ。嬢ちゃん「コルボオの会」へ来る由。地図帖140で見付けてくれたまひしと。工科すましサラリー受取り上洛。すし食ひて帰宅。けふ「祖国」来る。 誤植だらけなり。「西遊記」よみ終る。

10月8日(日)
9:00に上洛、臨川に寄り『京大漢籍目録(60)』買ひ、向ひで加藤先生(※加藤繁)『支那学草(70)』買ひ、散髪してゆけば気になりし篠田先生の令嬢まだ来られず。新城英太郎氏に会ふ。 14:30ごろ令嬢見え朗読きかれ、詩見せられしが下手なり。茸狩は田中冬二の都合で29日となる。近江詩人会に22日、佐々木氏に1000お礼として渡し篠田嬢の指導たのむ。
けふ山村順の詩集出来たり。高橋重臣、名古屋工大に口ありと。

10月9日
小高根二郎、高鳥賢司へハガキ。角川書店松原純一へハガキ。大へ(※就職の件で)西川(※英夫)の許へゆけと。
ひるまへ徳永嬢来り、短歌の近代性とレアリズムとにつき詰問す。父君龍谷大学の英文教授たりしと。登学し協議員選挙あるかと思ひしになく田村君を誘ひて帰宅、入浴す。夜、岩崎君来り建築界の内輪話す。

10月10日
登学。ノート検査2単位。午飯くって退却。佐々木邦彦氏よりハガキ、選挙の手紙送りしを喜ぶ旨。夕方岩崎昭弥君と近江詩人会の案内状21枚かきて話す。長谷川英子嬢より石鹸とするめ賜ふ。

10月11日
雨。協議会とてゆく。事なく島津協議員となりしらしきにおどろく(西山氏の代りとて出席と)。天理図書館より20周年18日と。関大生森田よりハガキ。

10月12日
久しぶりに晴。大よりハガキ、いま就職口ひとつありさうと。小川浩君より蘇峰送りしと。井上多喜三郎氏より小林氏に連絡をと。15:30正法寺までゆきしに稲刈中、たのみて松茸もらひて帰る。

10月13日
10:00の汽車にて上洛せんとせしも30分延着とて岩崎君にゆき助手殆ど脈なきことを云ふ。吉野書房にゆけば奥西君あり。「諸葛孔明」を書けと。「ナイチンゲール」とりやめうれし。 彙文堂へゆき『矢野仁一(450)朝鮮史(1500)三国志演義(150)』注文す。三木為次郎先生訪へば正治君いまだ入院と。休職となりしと。あやしきことなり。
石山にて井上多喜三郎氏へハガキ。帰れば角川より清算書。小高根二郎君より29日来たしと。堀内民一より歌集の批評をと。
けふ依子に吉田先生への手紙、史に宮村嬢への手紙もちゆかす。

10月14日
登学。篠田先生まちしも来られずと。工科の歩きノート検査。11:57にて上洛、丸物の古書を見る。宇治へ大久保からゆき小高根二郎訪ねしも不在。29日の会のこと報し19:57にのりて帰る。 青木富太郎、錦織恒夫、武田豊よりハガキ。
歌つくることも止めなん年老いし女のけはひするとひといふ。
冬近き山べを見れば泪おつとこはるのくにゆくすべもなし。
いましばししばしととどめ西山におつる日見ればいまはと去りぬ。

10月15日(日)
田村春雄より29日に来たしと。角川よりハイネ3冊と太宰治「斜陽」倉田百三「愛と認識との出発」村上菊一郎「悪の華」来る。
13:30長谷川、宮村二嬢来る。お汁粉くはし太宰、倉田さっそく与ふ。岩崎君来り、永沢氏に会ひしと。大東亜地図帖貸す。みな帰りしあと中村竹次郎君来り、 「近江人には本心あかすな、政治よりはなれ学問と教育に専心せよ」とすすめて帰る。「逍遥歌」松村先生のつづき作る。出たらめなり。

10月16日
雨。小高根二郎より29日に来ると。金井寅之助より18日来よと。井上多喜三郎より岩佐東一郎28日安土へ泊ると。
午後登学。小川浩より国民史着く。松村、川崎、宮川の三勇士、朽木へ映画とりにゆくと。学芸部の会で松村氏、篠田先生の後任見つけゐるに気付く。18日の協議会もなし。
けふ中島氏、阿波文庫の「日本寄語」見せらる、悪し。
けふ定期券代900円研究費よりの請求す。姫野氏の本のことみな我にかぶさる、ふしぎ(=不快)。けふより酣燈社のためハイネ清写す。外山軍司氏近々来ると。

10月17日
1月期終りの講義を文科で行ひ小川君の国民史購入の手続きをし、昼飯して帰らんとすれば外山軍司氏来訪。貝塚(※茂樹)さんと選挙せよとなり。 ともに出て家にともなひ城山にゆき帰りて茶のみ15:00の汽車にと駅へ送り鮎の折贈る。
篠田先生、喧嘩早き由。けふ定期代もらふ。もはや旅費なく雑費より20円借る。ハイネすすむ。岩崎君来る。

10月18日
9:30ゆき萩原博士に状況わるきをいひ、決意を示す、同感。図書館へ150わたし「諸蕃志」とる。彙文堂より本包み来る。その中より「三国志演義(150)」とる。 帰りてハイネの清書すまし浅野晃の「ホイットマン」買ひにゆけば真野君に会ひ家へ伴ふ。岩崎君来り河村専太郎より断念せよといはれしと。「先生やめずともよし」といふ。 「兄と母とに相談せよ」といひてかへす。

10月19日
悠紀子4児の冬支度に10000必要といふ、慄然。ハイネ年譜了り解説に一寸頓挫。篠田先生21日開学式にお越しと、意外。島稔、外山軍司よりハガキ。きのふけふ「三国志」よむ。
ひとあまた山のかなたにつどひつつわがめづる子に言問ふらしも。

10月20日
家居、ハイネの解説かけず。三国志よむのみ。風●へゆき帰りに長尾君に会ふ。川村徹、山下幸雄と「われ余り悲観的」といひをる由なり、不快。けふ三木為次郎氏より礼状、小川浩へ受取り。

10月21日
開学記念日と。ハイネ解説かきかけて10:30登学。篠田先生に会ひハイネ嬢ちゃんにと渡し、つまらぬ式辞ききて宴会。島津、萩原博士に食ってかかりしを止めに廻り、 ガンルーム会なるものに出しも紀要のことと。島津の暴言のこと協議会にてきくべしとだけで終り、15:00篠田先生と同車、途中姫野氏に紹介うけ、いはゆる東西度洋史料見る。 Boxerの翻訳権もらひしと。ふなずし御馳走となり、次の汽車にのりしも萩原先生あらず。京都駅階上レストランにて御馳走になり辞意おひるかへしあうて服部知事に会はれんことを願ひ、 別れて山前君にゆき「Poets’School」50冊受取り19:55にのり22:00帰宅すれば萩原先生あり。河村、島津、水原その他5人組ゐて、みな専太郎の助命書に印押せしと、呆然。

10月22日(日)
よべ3:00まで三国志よみ7:00起きて萩原先生と話す。9:00お帰り。12:30多喜さん(※井上多喜三郎)見え、事務所移転のこといふ。つづいて篠田文子嬢をはじめお越し、18:00まで話す。 小林、多喜さん、岩崎君口々に(※短大を)やめるなといふ。文子嬢に篠田先生への手紙托す。もう手を上げたの意なり。田村春雄氏に29日のことわり3日から5日にかけて来たまへと。

10月23日
8:05に乗る。岩崎君及びその友達と同車。宇治のおばさん扇風機のこといふ、可笑。硲君、職員会とて帰らず、夫人母君のとめたまふをふり切って18:30の汽車で帰宅。 小川君より運賃のことであやまり来る。けふ『青木正児』『酒の肴』買ふ、ふなずしのことあり。山中晴子嬢結婚して菅谷となりし。

10月24日
昨日萩原先生より電話かけしとて12:00ゆき(1:00まで昼寝)、川村徹、山下幸雄氏などと話し、明日教授会とのことにて帰る。角川より5000、文庫への承諾求め来る。 夕方矢守嬢来り、玄関にて話して帰る。田村実三、金井寅之助氏へハガキ。角川へ受取り。

10月25日
9:30登学。10:30教授会。結論は原案を萩原、大橋、佐藤三教授にて作り学長に呈出、学長より協議会に諮問、とのこと也。篠田先生には松村氏ゆくと。萩原博士の親戚のことにて田村春雄に紹介状。

10月26日
13:00の汽車にて上洛、先づ吉野書房へゆけば保田来ると。待ちしも中々来ず17:00北原夫人と出て北白川篠田先生を訪へば夫妻ともにお留守。 文子嬢に手紙托し送られて外山軍司氏へゆき話して京都駅へつけば20:00。汽車22:00までなく急行券を買へば定期にては急行にのれずと、払ひ戻してもらひ四條まで歩き、 帰宅24:00、夕食くひて眠る。
けふ田村春雄へハガキ。吉野書房この頃不況と、孔明(※出版企画)いかに。

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10月27日
10:30まで来りし真野氏と話し酒たのみのちほど約束して送り出し、朝昼兼用のめし食ひて登学。広瀬、萩原、松村、北村の諸氏と話し(時間割火曜の5、4。木曜は漢文、金曜工科3、4?)。 松村先生とともに出、●展見て別れ、真野氏を訪ひ六法全書見せてもらひ詩と絵の話し夕食たまひ、雨はげしきとて待ちて19:00傘借り芋もらひて帰る。八木嬢よりハガキ。

10月28日
登学。萩原先生と一寸話せしのみ。帰りて向ひの嬢ちゃんに歴史を教へ、赤塚君と話して日暮る。けふ天気快晴。塚本啓三『漢文解釈法(50)』。

10月29日(日)
岩崎君来り真野君来る。11:00真野君と駅にゆき田中冬二、岩佐東一郎をまじへ19人となり、われ買物にゆき正法寺の松茸山で17:00まで遊び、彦根へ帰る。 田中冬二、われの兵隊御苦労と。あす長浜武田君で会。(けふ1000足を出す)

10月30日
9:00汽車にて長浜へゆく。東京の2客と井上(※多喜三郎)氏、彦根より小林(※英俊)、鈴木寅蔵の2君。ゆきて大道寺など見学。松井等『東洋史精神(70)』買ひ昼食よばれ15:30出て帰宅。 中島利夫氏、岩崎君来りし由、保田より不平をやめよといひ来る。田中冬二ら北川の小説(※北川冬彦『悪夢』)よみしと。
この日ごろきみに会はねば物思ひくもれる海を眺むと知るや。
堀口大学先生への寄書に彦根と擬し「リラの木の一つだけある町に住む」。岩佐君より「落葉」の短冊。

10月31日
雨、10:00までノート書き、赤塚氏とともに登学。萩原博士この2日休みと。講義やり飯くひて帰る。平中氏より鈴木氏らの歓迎会。旗田氏の送別会と。ことわり書く。夕方雨止む。

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11月1日
朝、コルボウ詩話会より礼状。篠田博士より翻意せずと。酣燈社よりハイネの催促。一度登学せしに萩原博士来しを見、昼飯くひて帰り12:30再びゆき漢文のテキスト書きしも中途でやめ協議会に出て紀要のこといひ、 腹立てて萩原博士と帰り、辞めざるやうおすすめす。中島利夫氏も同意見なり。夕食後「Poets’ School」送付の表書かきゐしところへ宮本君来り、つづいて岩崎君来る。家の新築おじゃんとなるらしと。

11月2日
朝、井上多喜三郎氏よりハガキ。酣燈社より『宮沢賢治詩集』『ポー詩集』『ワーヅワース詩集』『ゲーテ詩集』来る。中にわがハイネ詩集の広告をのす。 登校して漢文のテキストに聊斎志異の「趙城虎」を刷り「閲微草堂筆記」より抜き講義をす。20名余り。
帰り石島博士にゆかんとせしがだめ。帰れば堀さん(※堀辰雄)より自筆の葉書、うれし。岩佐東一郎より礼状。入浴し、ハイネの解釈14枚書き了へうれし。 (けふポーを宮本君に与ふ)。けふ小川君へ2000送らしむ。

11月3日
9:00の汽車にのりゆきしに5分おくれ出直して10:57、川崎君と同車。(美馬よりの手紙ポケットに入る。瘋癲の手紙着きたり私の家)。人研にゆけば12:30、丁度中休みとて硲君と昼食。 榎、岩村氏に挨拶。神田信夫君来をり。ややして羽田博士へ論叢贈呈式。すみて1冊受取る。エリセエフ、愛宕、岩村諸氏の講演みなつまらず。石浜先生見え、 桑田先生より那波先生へ紹介たのまれ外山氏に任す。外山氏より歴史辞典1冊もらひ学校への分1冊預かる。榎、エリセエフ、羽田、岩村、鈴木俊の諸氏と同じテーブルにて晩餐。 (小林高四郎あす天理へゆくらし)。すみて神田博士より彦根へ来らるとて挨拶し、石浜先生と同車にて京都駅、硲君に泊めてもらひにゆき御馳走となる。(悠紀子にハイネの原稿を酣燈社へ送らしむ)。

11月4日
硲夫人7:00頃挨拶に見え、勤めてをられることわかる。朝飯ご馳走となり住吉へゆく同君とともに出る。(『寮歌集』、宮武正道『パラオの土俗』借りる)。 夕方雨降り出せしを押して篠田先生を訪ぬれば仙台へゆかれしと。夫人文子さんと話し文子さんに送られてバスまで出、18:00の汽車にて帰れば来彦の金田一博士を迎へにゆきし中島氏泊らると。 22:00ごろ帰り来られしと話して眠る。鈴木氏より茸狩の写真送り来る。
うみ超えて去る日を語りわが勝に坐りてゐたるをとめありしか。

11月5日(日)
中島氏7:30頃散歩に出しあと起き、8:00朝食をともにす。8:30中島氏、金田一先生の宿舎へとゆく。岩崎君来り、詩おきゆく。写真わたし写真もらふ。そのあと講演会にゆく。 金田一先生、国語改革と教育法につき話さる。国語綴の改革と混同の感あり。終りて中島氏より紹介受け、先生の御本にSignいただく。昼食にと中島氏を家に伴ひ、 出られしあと漢文の予習!をし、15:00田村春雄君迎へにゆき小憩後、城山に案内し見物してのち丸野木町の石島博士にゆきしに神経痛と。ややしばし話してのち本町、河原町、 新町を歩きて帰り、うなぎ食ひ話す。けふ箕田君ドラマ置きゆきしと。

11月6日
田村春雄君と9:00朝食。小林英俊来る。10:00家を出て学校へゆき図書館への本もちゆきしも受取をと。小雨の中を出て喫茶後、帰宅昼食。折柄訪ね来し矢守、佐田二嬢と話し、 3氏に本貸し15:00の汽車に送りゆく。けふ八木嬢よりハイネ4冊送り呉れしと。鈴木寅蔵、硲の2氏へハガキ。外山氏へ300の受取りたのみ、和田先生の学術会議の推薦状、石浜先生、 服部正己、富永牧太、相野忠雄、竹内好へ書く。

11月7日
鈴木氏へ5冊送らすこと悠紀子にたのみ、10:00登校、萩原先生と話し、関氏の履歴書お願ひす。話す中、前田政雄氏とは旧知と、奇縁なり。持久戦をいふ。明日学長の都合にて協議会なしと。 講義すまし午飯くひて帰り、井上多喜三郎氏にけふ刷りし会員名簿と4号原稿とを送りハガキ書く。田中冬二氏より礼状。吉田芳枝氏より3ヶ月分の会費。 けふ八木嬢よりハイネ4冊送りたまふ。八木嬢、前田隆一氏へハガキ。

11月8日
岩崎君「新彦根」もちて来る。ともに昼食して公共職業安定所内の中川侑雄氏を訪ふ。詩人会を脱会せず、詩の発表もす。労組の講習に詩の話せよと。望月氏にゆきしに選挙運動。 散髪して出、登校。中島教授を招けば長尾君と共に来らる。夕方、矢守嬢、松林君をつれ来る。埜中君と小川浩君に問合せ。

11月9日
入れちがひに小川君より受取。井上多喜三郎氏より受取。午前中支那語勉強し、午、西小学校へゆき弓子の受持西沢先生、依子の受持島村先生に挨拶し、吉田先生に詩を出すことをいひ登学。 漢文次より1、2時限としてもらひ講義後、萩原、川村徹2先生を誘ひて帰宅。萩原博士明日より来ずと。夕方、依子、吉田先生の詩もち来る。夕食後宮本氏を訪ね、土井晩翠借り、 ともに出て帰宅。

11月10日
よべ3:00眠れず8:00出て小林氏にゆけば田。道で呼び止められ井上氏にゆくといひ、工科で講義。13:15汽車にのらんとせしに雨。一旦家に帰らんとせしに小林氏傘もちて待ち呉れゐる。 ともに汽車にて安土下車。老蘇にゆけば井上氏京都と。16:30まてで待ち帰りしと話し、詩人会の事務会計引きつぎすませ夕食いただく。田中冬二、岩佐よりの礼状あり。 冬二の短冊(※「晩春の乙女のごとく梨の花さく」)もらひ、雨の暗がりを駅につけば汽車出しあと。1時間半まち彦根21:51着。茶のまして別る。
けふ「くれなゐ」来る。けふ汽車にて篠田氏留守にゆきし3女史に会ふ。コルボオの会場、座布団なしとて依田氏より断られしと、不審。

11月11日
8:00の汽車にて上洛。先づ研究所にゆき藤枝に会ひ、外山氏に代りて300の受取をかかし、橋川、森の2先生、吉田光邦君、藤枝とで龍谷大学へゆき史学会講演を傍聴。昼食後、 石浜先生帝塚山へ来ぬかと。諾の返事し、履歴書15日までに送ることとす。
出て14:45伏見。うどん食べ三條よりバスにのり篠田邸へゆけば長尾君もあり、博士の曰く、池田へ4月に呼ぶつもりゆゑ彦根やめて了ふはよからず、講師で帝塚山へゆけと。
長尾君とともに出、四條歩きしのち駅にゆき支那そば(60)食ひ22:13にのり24:00帰宅。北陸の温泉行にて立づめなりし。山崎忠より本2冊返すと。学術会議の投票用紙、佐々木邦彦君より青龍展の案内。
北平(※ペーピン)にわがありしときゆめに見し青衣をとめにけふぞ会ひける。

11月12日(日)
中村竹次郎君、朝来り学校の打明話すれば怒るも当然なりとの顔す、うれし。送り出して「くれなゐ」に堀さんへの手紙5、6と歌6首書き、11:57にて上洛。大西宅へゆけば小野十三郎来会。 高橋重臣名古屋も神戸もことわりしと。中山正善に止められしためと。篠田先生の文子嬢も見えたり。多喜さんに滋賀新聞と教会議長への紹介の名刺書いてもらひ17:00閉店まへの大丸にゆき佐々木邦彦君の大作見しあと17:20米原行にて帰宅。 けふ外山軍司、吉川幸次郎両先生よりハガキ。

11月13日
堀さんへ「ささなみの社のほとり伊吹根ゆ降り来る雪に埋もれむ戸ぞ」。岩佐東一郎、田中冬二、硲晃、外山軍司へハガキ。午前中登学。広瀬、佐藤二教授に会へず。 午後ゆけば広瀬先生あり。12月15日締切を認めていただく。宮川君に無関心を責め、佐藤氏の家にゆきしに不在。工科に電話し帰りたまひしにまた紀要のこといひ、通知刷らしむることとして帰宅。
けさ真野君来り、多喜さんに直されすぎていやになりし様子。
夜、堀内民一に
「しきしまの大和の国に三年住み語りもあえで別れ来にける。
ささなみの志賀の山々もみぢしてうたつくるべく眠られぬ夜。
戦ひの火中に妻子のこし来て[鏡]とるひまは哭きゐしわれか。
あかあかと敵の焚く火を見やりつつ人ころさじと吾は思ひしか。」
島稔にもハガキ。中村竹次郎より聞きて昨日留守に来し彦根口の夜間高校の先生来り、10時間もてといふ(1時間250円と)。水曜に返事することにして帰りてもらふ。

11月14日
9:00目ざめ9:57にて上洛。吉野書房にゆき宮山君弟よび紀要のこといふ。1月中頃にてもよしと。大学にゆき里井君より「東洋史研究」もらひしこととなり『清初史料四種』借り、 田村博士に教科書の件電話してもらひ、岩村忍教授に会ひ、桑原教授を訪へば下阪と。また岩村研究室にゆき永々と別離以来の話し、出て7(※質屋)へゆきオーバー出し、 京都駅へゆけば汽車延着、70分まちて20:00帰宅すれば萩原博士待ち居らる。明日の話し喧嘩と決む。けふ13:00ごろ庄野氏来りしと、木曜下阪すべきらし。

11月15日
9:00起きて萩原博士と話し、送り出せしあと赤塚氏より受験談聞き12:00登学すれば協議会取止めと。学長に申上げまづ教授会、辞職勧告ときまりしのち14:00協議会、 20:00近くまでかかり結論出ず、明日13:30より再開と。萩原博士、高原氏お二人お泊り。明日6:06の汽車にて下阪!14:00までに彦根へ帰ることとなる、苦し。

11月16日
5:00家を出て44分まで待ち大阪着9:19。すぐ帝塚山へゆき庄野兄弟と会ふ。時間給にて10時間位もつべしといへば学長の内諾書くれと。これを拒み●●きかれ今の待遇話せしに家のこといふを忘れし。 20分ほど話して帰り、梅田十合によりしも昌平叔父ゐず。10:25にのりて彦根着13:05。家にて茶漬一杯食ひしのち登学。協議会。松村、井之口いやらしかりしも票決となり河村19票、 島津17:2、水原12:5にてみな不適格となり、処分はあす学長県庁へゆきてきむと。ほぼ結果わかりたり。帰り中村竹次郎に礼によれば伴野氏あり、 礼いひことわりのこといへば校長(主任)より学長へ依頼状出さしめんと。帰りて赤塚氏と話す。けふ羽倉よりハガキ。肺浸潤にて家にて病臥と。

11月17日
8:05にて上洛、芳野君より2000借用。佐々木君と話し、野田又夫にゆきしに帰らず。丸万にて『東洋文化史大系 明(300)』、清野謙次『南方民族の生態(30)』、 井汲越次『ハイネ新詩集(50)』、趙鳳喈『中国婦女在法律上之地位(30)』買ひ、長尾君にゆけば不在。
19:55にて上田女史と同車、帰れば赤塚氏パスして身体検査に上京。
留守中、宮川、中島、長尾の三氏次々と来りしと。酣燈社よりハイネの校正。硲、服部二君よりハガキ。
戦ひに勝ちしかなしみ知るときし長津の湖雪降りしきる。

11月18日
朝、中村竹次郎君来る。高等学校ことわりのわけ云へば、終戦後のくさぐさ語り小説700枚書きしと。八幡の図書館への世話たのむ。禁煙なれど仕方なからん。 ついで岩崎君来る(けふ京都駅焚けしと)。そのあと真野君来り、いい加減にしなされと。不快。けふ終日雨。夜、頓服のむ。

11月19日(日)
朝、酣燈社132頁までの校正来り、これをすまし小林君とともに出て長浜の職業安定所の近江詩人会。15人集りし。今月より1500円となりしと。武田夫人に万引きの件きけば大分わるし、 またの日のこととして帰る。

11月20日
中村竹次郎君、朝来りしと見え手紙投入しあり、学問に専心せよ、八幡は会へず郵便にてたのみおきしと。島稔、外山軍司よりハガキ。
11:00徳永嬢来訪。何といふことなくて帰りゆく。岩崎君オールドミスにならばもらってやるといひし由。12:00登学。湯次氏によびとめられ万引きのこと。 次いで滋賀新聞に記事のり松村氏やられをると。やがて佐田嬢来る。万引き生の父親来る。元小学校長と、いやな奴なり。帰り望月澄子氏にテキストわたし、 近々それぞれへ紹介たのむこととす。宮川君来り、転任運動せんかと。けふ角川と酣燈社へハガキ書く。

11月21日
登学。教科書もちし子らによませ楽して、昼食後、久しぶりに会ひし田村君と出、望月氏に明日来訪のこといふ。河村また書きし由なり。(明日協議会なしと)。
帰れば堀内民一より批評くれと。大よりまだ就職せずと。田尻宗夫よりなつかしと。(けふ出がけに立命大学生の小林君の紹介にて十合の世話してくれと)。 14:05にて長浜ゆき、武田君と田中書店に□□□□の件たのむ。うまく聞きいれくれてうれし。共にゆきし厚生補導の中村氏は満州引揚にてよき人なり。帰れば酣燈社より233pと。 赤塚氏と話し、岩崎君とやり屋に世良氏訪ぬれば不在。

11月22日
月給日なれど望月澄子氏を訪ねる。大体事情きき新聞とらん教会も運動せんと。但し短大に美容科をこさへよと。帰って昼食。サラリーもらひはやき萩原博士に15:00もしくは16:47に乗らんといひ、 出て長尾氏に会ひ帝塚山のこといひ一旦帰宅。前川(※佐美雄)、大より便。酣燈社よりの233pまでの校正すまし送り、定期券買ひして萩原氏まちしに来られず。 単独16:47にのり藤井寺へ20:00すぎ着。叔父叔母と話して眠る。

11月23日
けふ午後久美子、離縁のため城平叔父来ると。鶴橋[岡]分[送]明寺へ散歩、15:00大江へゆけば話中。ややして帰り来りし久美子に怒鳴られ、叔父に話せば帝塚山ザックバランに云へと。 自動車に同乗、寺田町にて別る。この間父訪ね来り「克己が」といひしところにて別れしと。石浜先生にゆきスキ焼たまふ。専任教授われ一人ゆゑ色々計画立ててやれと。 家のことも申上げ不得要領にて19:30おいとまし21:20にて帰る。

11月24日
10:00工業科へゆく途中、長尾、宮川二君に会ふ。講義すませ13:00家に帰れば山下君来しと。登学、用をきけば帝塚山へ世話せよとなり(小林君も来りしと)。芳野清より久しぶりにハガキ。 角川より12月に5000位送るやもしれずと。けふレポート家へもち帰る。長尾君夕方来り、山下君の心境語る。

11月25日
井上多喜三郎氏より10日の通知。前川氏より3日の出版会。ことわる。西河君来る。面接の注意す。中村氏来られ□□□□起訴猶予となりしと。うれし。
16:00工科へゆけば事務みな帰りしあと。あきらめて帰宅。滋賀文芸懇談会の案内来る。これも3日と。芳野清、田尻宗夫へハガキ。
冬近き日なたの丘にふたりゐて山のあなたを語りゐたるも。

11月26日(日)
金井寅之助君より就職の件如何に、ますます不快と。杉浦九大へ転任と。真野君来り、話す中中村竹次郎君来る。帰りしあと答案片付けしのみ。
ひねもすをなれをおもふと知る知らずかの子はけふも笑まひてあらむ。

11月27日
採点に学芸部へゆき、定期代請求して帰り昼食後、工科へゆく。採点すませ近藤氏と語り帰宅すれば雨となる。宮川君『史林』貸し呉る。

11月28日
寒し。10:00よりオーバー着しまま講義。萩原博士にまた定期買ひしと。協議会でまづ河村より云ひ渡すときのりしと。帰れば朝日のレポーター来る。送り出して赤塚君と話す。 広瀬先生わが飛ぶを察しをられる様子。

11月29日
雨なればいかがと思ひしが、思ひ直して上洛。京都大雨にて濡れて京大、東洋史研究の金払ひ「台湾の古地図(※原稿)」とりかへし、『清朝史料四種』かへし池田君と話す中、 いしはお越し、帝塚山へ家のこと云はれし由。平戸島へゆきし学生と鼎談。先生お見送りして西洋史にゆき井上智勇氏の出しあと星田助手に案内してもらひ文科の図書室へゆきしもむだ。 野田君にゆくといへば大高の後輩とわかる。ともにゆき話し、『西洋近世哲学史』もらふ。三高の独乙語の某君来る。ともに天理外語の教師にしてこれも後輩。 出て研究所にゆきしも藤枝不在。吉野書房にゆきみな留守の中を奥西兄氏より1000、11日まで借り、出て山前君にゆき夕食よばれ、吉野書房でかきし「車中で」わたして帰る。
留守中岩崎君来しと。「祖国」12月号1冊けふとり来る。正誤なし。いやになる。

11月30日
晴、寒し8:45ゆき漢文すませ定期代催促せしに午後と。松村氏会ひたき由にてやや待ちしに駄目。帰りがけ岩波文庫『ハイネ歌の本 上』(※井上正蔵訳)買ふ。訳うまし。
昼寝ちょっとし、夕食すめば岩崎君来り助手ことわりしやうなことなり。ややして中村君来る。八幡、キリスト教ならざれば駄目と。悪口いひ帰ってもらふ。けふ梁夫人の歌集もらひ礼状書く。

12月1日
工科の授業し、帰りて雨の中を本部にゆき定期代900もらひて松村邸を訪ねしに不在。朝日の田川君も不在。望月夫人にきけば仙太郎議長にも問題にされずと。 帰りて蒙古源流のカードこさへはじむ。夕食後長尾君来り、萩原松村両先生の仲を云ふ。

12月2日
1:57に乗らんとしてゆけば井上多喜三郎氏あり。明日の会にゆかんと。安土まで話して下車後、工科の左翼学生に説教されて京都着。また芳野氏より800借り、 小高根二郎ほ訪ぬれば下阪らし。羽倉にゆき見舞いへば元気。焼酎のみ22:13にのりて0時帰宅。夕食くはせろといへばゆき子怒る。山下章雄君履歴書もち来る。

12月3日(日)
赤塚君留学許可新聞にのりをり。祝ひいひ9:57に乗らんとゆけば予備隊幹部見送りとて番野、中村竹次郎二君あり、話してのち乗車すれば朝日の田川君あり、膳所まで話しつつゆく。 リルケの『マルテの手記』もち居り、山下君にゆき昼食たべつつ話きけば、どこといはず大阪へかはりたしと。挿絵をよくすと。別れて県庁隣の産業文化館にゆけば14人あり。 堀江弘会議長と井上君との間に坐り滋賀文学会と会名をすべしと発言して出る。(木村●生氏と一寸話す)。
佐田君宅へゆけば大浜君あり、この次は5日と。大浜君と出、きけば高橋君(※天理教の)信者となりしと。佐藤誠もはや居られずと。別れて18:30にのりて帰宅。けふ赤塚君に記者3人来りしと。

12月4日
一日臥床、中島利夫氏来られ17日ごろ鈴木虎雄先生、神田先生彦根へお越しと。帝塚山のこといへば致し方なからんが追ふ人もあらんかと。羽田より便り。池内先生の御本、 吉野書房より2月ごろ出ると。小高根二郎よりハガキ。昨日「日本歌人」の会にゆくつもりと。よる赤塚氏お祝ひの席をまうく。いろいろ話す。

12月5日
学術委員投票、和田、貝塚、森末、桑原の4先生。よべ4:00までねられず電話かけて休まんとせしところへ岩崎君来り、短大あきらめ京阪に就職すと。帰りしあと山下君来り履歴書おきゆく。 昼食中、徳永嬢来り、午後、河村純一ドクターをつれ来ると。15:00ごろ来訪。Singaforeの話2時間ほどして帰る。入浴せんとせしが寒くなりてとりやむ。

12月6日
朝、小林英俊君来る。正月すぎに餅くるる由。夜、扉しめしあと宮本君来り、転勤するやなきや問ふ。けふ久しぶりに入浴。

12月7日
8:45登校。漢文の講義すませ『五雑俎』より次の題材をとり、田中頼子嬢に刷らす。萩原博士と話し、学生に23日の級会のこと約して帰る。途に真野君に会ひ伴ひて帰り話す。
ながことを思ひつつゐる日の照りのやうやくうすき北国の町。

12月8日
朝、工業。「学長閥」への反感ややに話さる。12:00帰りて昼食くふ。埜中君より原稿をと。本部へゆきサラリーもらふ。学生より新聞部の顧問をと。中島氏と帰らんとすれば宮本氏追ひ来り、 公舎新築へかはれとのことにて夜、松村氏来らるるにつき返答用意せよと。中島氏極諌せしと。酣燈社より再校以後見せず月半ばに発行といひ来る。赤塚氏、わが移転やむを得ずと。 小高根二郎、羽田明へハガキ。

12月9日
大江の叔母へハガキ。西河君のことをせかす。登校するつもりなりしも取止む。午后松村氏来られ中島氏の云ひ分はとりあげず、我には公舎(芹橋、松村宅隣)へ移れとなり。 礼いひて帰ってもらふ。「くれなゐ」へ歌5首と、大和通信7送る。向ひの大西の嬢ちゃんにたのまれ国史の参考書買ひに出、文求堂『漢字典』買ひ、望月にて理髪、 折から降り来し雨に傘借り河村純一ドクターを訪ね、マレーの話をし、傘返して帰宅、酣燈社へハガキ。

12月10日(日)
10:00にのらんとゆきしに50分延着と。小林、岩崎、中村、矢守諸氏と近江鉄道五箇荘下車、一里の途歩く、寒し。多喜さん宅で昼食御馳走、やがて来りし諸氏と例会、天野隆一氏も来る。 18:39にて帰宅、朝日支局の田川君来り、遅くまで話す。けさ5時まで眠れざりしもまた眠り難し。

12月11日
寒し。京子下痢よべ再発につき医師(八木原)にやりしあと中島氏見ゆ。わが辞職理由云へば言なし。神田、鈴木両先生接待の件も申上げ、今夕京都へ参るといひをるところへ宮川君来る。 土曜、篠田先生7人首切れといはれし由。11:57にのり京都、吉野書房へ1000返し、前田社長に山下君の絵のこといへば見んと。出て研究所にゆけば藤枝に羽田より電話かかりゐる。 研究室へゆき羽田博士論叢の受取先にこさへてもらふ。
羽田の室で佐伯氏と鼎談。(彙文堂電話和田先生の概説(※中國史概説)買ひ、大山定一氏に途で会ひ挨拶)。しんしん堂で茶のましてもらひ帝塚山のこといひ小野勝年氏のこといひ、 川久保、成城へゆきしこときき、別れて中島氏にゆけば未だ帰られず。18:30京都駅より出る汽車にのりて帰宅。
けふ研究室で宮崎市定『東洋的[近]世(135)』本展で藤間生大『埋もれた金印』買ふ。彦根で京(※みやこ)へ絵本(40)、史このごろ声変りす。三木正浩君よりハガキ。外科手術受くると。

12月12日
登学。寺義君に「羽田博士論叢」と「和田先生概説」買入れの手続きを早くせよといふ。講義すませれば田中女史教科書代わたせしも様子変なれば、きけば盗まれしと(2250、田中の2000、 前日にも500なくなりしらしと)。不注意なれど哀れにて厚生補導の中村、長谷二氏に訴へ、寒冷手当2100をもらひ、山下君に吉野書房の紹介を書き、 滋賀大に電話すれば大畑学長13:00すぎに来よと。やむなく時間つぶしゆけば埒明かず。前田氏に手紙書き15:00来し山下氏に托す。
けふ小高根二郎、梁女史よりハガキ。八木嬢より手紙。関軍治氏より手紙。(けさ出がけに西河君菓子もちて来る。23日までといひて帰す)。

12月13日
けふ協議会とのことに風邪を申立て欠勤の電話かけさし一日床にゐれば夕方中村竹次郎君来り、保田に会ひたしと。松村氏よからずといふ。「小谷城阯」を貸し呉る。 帰りしあと中島教授来られ、けふより協議員となり爆弾動議を出し島津の辞職勧告を早急にやらすこととせしと。わが転宅喜ばざる●学任決心も云ひしと。20:12に乗りて帰ると。 井上氏よりハガキ、正月の米の件。

12月14日
9:00登学。漢文を教ふ。萩原先生にあひて帰る。岩谷氏の詐偽事件にて昨日来られざりしと。木之本に国文の2先生と中島先生そろひてゆかれ雨森芳洲史料とりて来しと。 帰り中島氏寄り翻意勧告したまふ。けふ関氏より学術成績報告。

12月15日
工科へゆきノートまたとらし、左翼学生よりA Happy New Year!をいはれ、近藤氏に15:00来りたまへといひ、帰れば大江叔母より手紙。岩崎君に途で会ひ明日より山科へゆくと。 河村のため又働きしといふに説教すませし所へ山下君、ついで宮川君、ついで近藤氏。宮川君、松村家へゆくといふを引留めて泊らす。和田先生最少点にて当選したまひしと。

12月16日
宮川君送り出して寐んとすれど寐られず。12:00ゆきて芹水会に2500の借金申込み(盗難の件)、篠田先生に会ひしもすぐ帰らる。(あとで同車と思ひちがひされし由)。 期待して学生との懇談会に出れば散々。おくれて中島、萩原両氏出席、16:00すみて松原氏にゆくといへば中島氏怒鳴る。みちみち話しつつ来て1汽車おくらし、我「了解し」ゆっくりやることとなる。
けふ大江叔母よりハガキ。西河君いづれ選衡すべしとなり。

12月17日(日)
8:02の汽車にと早起きしてゆけば中島嬢あり。35分おくれしに乗り空席をさがしにゆきして男連れの長谷川嬢を発見、稲村より西堀嬢のり来り、狭き土地とつくづく思ふ。
京都を18:00たち家へ20:00帰着。羽倉より東上の帰途よれざりしことわり。一昨日の「みづき」教会の為戯作。
寒冷地手当1000円まへに置き、もだせる妻をわれはにくめる。
詩も「コルボオ」のため「二者兼一」なるを考へ出だす

12月18日
朝、川村徹氏見え、工科は紀要の形をとらず、報告とすと。論文書かんとせしも成らず。夕方宮川君あやまりに来る。きけば16日中島氏と会ひともに学長宅へゆきしと。 紀要の論文のことたのむ。定期を超過して使用、見つけられ4000罰金とられしと。
かへりしあと夕食し、そののち下痢、吐瀉の気あり、サンドイッチのためか!大江叔母、井上多喜三郎、羽倉啓吉へハガキ。羽倉東京よりの帰りよれざりしあやまりよせしなり。

12月19日
よべ吐気し、下痢す。朝絶食し、ひる少したべしのち京の保険証とりかへかたがた医者にゆき100支払ひ、河村純一氏にゆけば恰も徳永女史あり。投薬してもらひ出て登学。 ややして鈴木豹軒(※虎雄)、神田両先生お越し、大津図書館長と村長、助役さんとそろひ雨森芳洲を見、やりやへご案内し鴨なべ。我は絶食申し立てて帰る。 けふ後半の月給出、公舎1月6日に移転いひ、新聞の顔聞きてあれこれ云ひし、うるさし。

12月20日
けふ8:00より海●法師の書を2先生見にゆかるることわかりをりしも行かず。午まへ登学。お帰りかと思ひしも未だ。帰り来って昼寝。大江叔母より一度来よとハガキ。 「くれなゐ」11月号来る。けふ宇田(※良子)女史に途で会ふ。津田左右吉『支那思想と日本』武内義雄『儒教の精神』(2冊で100)買ふ。夜、「鄭氏の台湾地図」写す。

12月21日
よべ4:00まで仕事し、朝食後また寐、13:10で上洛、山前君にゆきコルボオの詩わたし、鞍馬口の中村へゆき冬服出し、吉野書房にゆけば奥西保あり。 保田、浅野の本と『絶対平和論』もらひ京都駅へゆき19:55を1時間半まちで帰る。
留守中、徳永女史と岩崎君来りしと。

12月22日
中島氏来られ明日学長に会ひ家のこといへと。午後広瀬先生お越し。予算出せと。ともに床にゐてお会ひす。

12月23日
10:00まへ登学。学長に1月6日の転居のこと申上げ辰巳部長にもいふ。10:30より職員会。12:30昼食のとき紀要のことにて野田又夫の弟子といふ土屋講師来る。 クラス会を申立てて帰れば8人あり。宮川君立腹して来る。赤塚君にきけば土屋もその一人にて我妻を加へし「反学長派」いやらしかりしと。けふ徳永女史より歌会29日にのびしと。 地歴の新年宴会3日川崎邸。生徒たちのは9日学校でと。面白くなき会の好きなる図かな。「和田先生還暦記念論叢」に「鄭氏の台湾地図」清書し終ふ。丁度60枚。

12月24日(日)
吹雪の中を史に送らせ13:10に乗らんとゆく。直行せしも藤井寺着17:30。新●昌三の義妹来あり。話す中、伊藤賀祐の親友の製薬師と。 大江叔母の話にて今川の城平叔父のもとへゆきすし食はしてもらひ、山本社長を通じ帝塚山の確約良ければ●長を兼ねて帰阪する気になる。22:00大江に帰りて泊る。

12月25日
大江叔父とともに出、枚岡君にゆく。ここにてもすし賜ふ。帰れば20:00。大江叔母の手紙来あり、早速西河君に電話せんとせしになしと。依子弓子の成績不相変悪し。 吹雪にて史、傘こはしゴム長買はしめしと。

12月26日
朝、桶屋町を尋ねて西河君にゆく。小さき雑貨屋なり。帰り学校へ寄り本代1700受取り、本屋のぞきしも何もなし。帰りて何もせず。
雪つもる越路に近き一冬をわが生のうちに加ふべしとは。
としずゑのざわめき立てる市の灯に腕をにぎりてわかれ来しにや。
妹に夫とられし天理教信者のはなしききすごし降車(お)る。

12月27日
朝より吹雪。時に1時間位晴れ間を見ることあり。いやな図なり。赤塚君より郵便物転送をたのむハガキ。学校へ来し野田又夫の『デカルトとその時代』とともに城平叔父の手紙。 手取1800を承知したと山本社長の話。正月14、5日頃会はんと。薬師寺衛の母より遺稿出版したしと。それぞれへ返事。『インドネシヤ語派の身体呼称』を書き直しはじむ。

12月28日
終日臥床。堀場正夫君より検印向ふにて押し正月早々出ると。見本送りしと。寒くて来客なし、終業の会にゆかんとも思ひしがとり止む。史をして2000父の許へもちゆかす。夜、帰らず。

12月29日
快晴、午後出て河村医師を訪れ保険証かへしてもらひ、中村竹次郎君を訪ひしに他出。一廻りしてまたゆき話す。ついで「みづき」短歌会。わが歌に投ぜしは徳永嬢の1票のみ。 16:00ごろ帰り来る。史、17:00帰り来り父の礼状もち帰る。埜中、大に、野田又夫氏とハガキ3枚書く。

12月30日
晴。午前中障子張りす。午後、佐田、矢守二嬢来る。銭湯へゆく。和田先生へ手紙。八木さんよりSumatraの地図うつし来る。天理ボーナス10割で28日に出しと。けふ餅4分1だけとり来る。
わかよはひ永くしあらむ幸多き年いひおこす友しあるゆゑ。

12月31日(日)
朝、岩崎君、餅もって来る。一昨日夕方に来りしも、閉りゐしため帰りしと。恋人田中嬢とやらの話永々とす、自殺するを待つと、戒めたれど効なからん。
昼食後、望月美粧院へ散髪にゆく。(途中『「平治物語(25)』買ふ)。帰れば小林英俊氏、留守中餅を賜ひしと。4日より忙しと。ややあって真野君来訪、 京にゴム靴賜ふ。けふと昨日にて26枚賀状を書く。夜、餅を切る。


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