(2006.12.20up 2006.12.22update)
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たなか かつみ【田中克己】『神聖な約束』1983


神聖な約束

詩歌集『神聖な約束』

田中克己 第七詩集

昭和58年8月31日 麥書房刊

54p 18.2cm × 13.0cm  並製 非売私家版 30部


表紙      中扉   目次 1 2

はしがき  1  2                                    竹森満佐一

前から、わたしは、田中克己さんに、信仰の詩を書いていただきたい、と願っていました。いつか、そのことを申しましたら、田中さんは、詩篇があるのに自分などは、 といわれました。そのうちに、笹淵友一さんとご一緒に、ドイツの讃美歌を、いくつか翻訳して下さいました。それは、今も、教会で用いております。
 キリスト教の信仰を、詩で書いた方は、何人かおられるでしょうが、田中さんのような本格的な詩人が、お書きになるのは、はじめてのことではないでしょうか。田中さんは、 そういう詩を、雑誌に発表なさったことがあるので、いつかは、詩集が生まれるにちがいない、と期待しておりましたが、それが、今度実現して、嬉しいことであります。
 キリスト教の信仰の中心は、キリストによって、罪のゆるしを受けることであります。このたびも、田中さんがお挙げになった本の題の中に、「罪のゆるし」があったことは、 喜ばしいことでした。申すまでもなく、これは、パウロから、宗教改革者へと、教会が受げ継いでいるものであります。わたしは、自分の説教で、このこと以外のことを語ったことがないのです。
 もうひとつ、わたしが、年来、強調してきたことは、礼拝ということでした。神を拝がむということが、宗教生活の中心であることは、だれにでもわかることであります。しかし、 それを形にあらわし、実際の生活にすることは、そんなに容易なことではありません。詩人の敏感な魂をもっておられる田中さんは、そのことを、信仰によって正しく受けて、 表現されたにちがいたい、と思うのであります。
 次の機会には、だれでもが歌えるように、讃美歌を、沢山書いていただきたい、と思っております。

とこしへになれ死なさじの御約束われは信じぬ年老いたれば

主の祈り 1  2

わたしは眠るまえ必ずこの祈りをする
最後までそらでいえるようになったのは
入信前わたしの借りていた家の娘
──わたしの末っ子の友だちだった──
その子が瀕死の見舞をして帰宅し
その子が死ぬころになって
やっとそらでいえるようになった
「国と力と栄えとは限りなく
汝のものなればなり」これが終りの一句である
わたしはそれ以来これをとなえないと眠れない
悪い癖だと笑う人は笑うがいい
わたしはこうとなえないと眠れない

讃美歌  1  2  3  4  5

わたしの訳したうたがうたわれた
はじめの第二句は「ちちみこみたま」とし
トヨ先生に「ちちこみたま」となおされてすわった
このうたは礼拝ごとにうたわれて
わたしはうれしくもはずかしがっている
トヨ先生の訂正は話す機会が与えられ
わたしはその会ですっかりあがって
うまくいえなかった

一、

わがたまうたえ  ものみなをば
みむねのままに  なさせたもう
主をたからかに  ほめてうたえ
いのちのかぎり  こえもたかく

二、

ヤコブの神ぞ  おのがたすけ
おのが望みを  おおみむねに
たからとさかえ  また神にと
まかせまつらば  安けくあらん

三、

主のみちからは  強くあれば
あらゆるものを  造りたもう
あめつち海を  造りたもう
海の魚をも  造りたもう

四、

悪をなさざる  者をめぐみ
信ずる者には  幸をあたえ
とらわれ人も  解き放ちて
ちかいしままに  守りたもう

五、

死のそこいなき  ふちの中に
沈める者も  救いいだし
飢えたる者に  やしないをば
与えたもうぞ  わが神たる

六、

めしいし者の  目をひらかせ
かがめる者を  立たせたまい
信ずる者をば  恵みたもう
主こそわが友  よりてゆかば

七、

よるべもたざる  とつくに人(びと)
やもめみなし子  恵みたもう
主をば信ぜぬ  ものはすべて
すまいも匡も  減びてゆかん

八、

ああほめことば  かぎりあらず
主のみ王なれ  主をばわれは
シオンの幕屋に  います者と
ほめごとうたわん  声のかぎり

一、

うたもて主をば  ほめたたえよ
うたもて救い  つねに受けなん
なやみはてなく  かさなれども
のぞみたたざれ  主すくいたもう

二、

主のみことばに  はげみたたなん
くるしみなやむ  ものどもをば
あざける敵は  主がすくいと
みちかいをもて  ほろぼしたもう

三、

おのが子見すて  愛もたざる
母はこの世に  ひとりもなし
たとえ母さえ  すてさるとも
主の十字架に  いつわりはなし

四、

主を信ずれば  すくいとして
身もそのままに  うけたまわん
主はなぐさめと  よろこびとを
罪より解きて  あたえたまわん

五、

苦しめるとき  主のみまえに
ともにあつまり  のぞみに溝ち
みことをききて  サクラメソトを
受くるものには  みめぐみあり

六、

主をほめたたえん  みめぐみもて
やすらぎをこそ  たもうなれば
愛と和のなか  み民らをば
すべます永遠(とわ)に  いまものちも

一、

主はわがかいぬし  とぼしきなし
まことにわれには  とぼしきなし

二、

主はわれいこえと  みどりの野辺
しづけき河辺に  みちびきたもう

三、

主はわがたまをば  よみがえらせ
みさかえのために  みちびきたもう

四、

死の谷あゆむも  わざわいなし
主ともにいまして  なぐさめます

五、

主はうたげひらき  あだのまえに
かみにあぶらぬり  さかづきたもう

六、

生くる日のかぎり  みいつくしみ
みめぐみみちたり  とこよに住む

信仰の証人

むつかしいことばを使わずに
鳥や花を作りたもうた神を
その可愛さや美しさでほめたたえよう
理由はいらない 好きだからである
(蛇だけはわたしは好まない
──本能的にこわいのである)
好きだから好きなのだ
神は四季を与え花を造りたもうた
神はほむべきかな

わが苦しみ  1  2

この身の幸を語ることは
そねみを呼び皮肉ととられるから
きびしくきらわれる国である
しかしなんと静かな幸福
書籍と愛とに恵まれて
わたしはおもむろに老いてゆく
若い日の仮の愛と強い憎しみとは
ともにもう消えさって
のこるは喜びだけである
だがわたしを困らせる物事がまだあるが
今にみな消えうせるだろう
少なくともわたしは感じなくなるだろう
その日はいつかわたしには予定がつかないが
もう近いのをわたしは感じている
それまでの辛福を内緒にする
わたしはおしゃべりに生まれついたので
この秘密を守るのが一番の苦しみだ

受洗記念  1  2  3

昭和五十六年十二月二十一日
寒き日を駆けつつ着きし教会の最前席にやつと坐りぬ
みめぐみとまことに満ちし栄光を見る日こそこれクリスマスなれ
世のはじめありしロゴスは栄光にみつ肉体となりにけるとよ
ロゴスとは神のみ知慧をいひにけりこれが身近かとなりしこの日ぞ
おろかなる老いし母をばキリストを信ずる者となすすべなきか
奇蹟待つ撃たれしごとくひれ伏してアーメンと呼べ老いしこの母
神のみ子めぐみまことの三つを見る聖誕祭のよろこびを祝ぐ
足るを知り何ももたずに信仰に満ちたれる代をわたるとぞ告(の)る
与へられしものに満ち足り祝福を受くるにまさる利益はあらず
わが物と思ふものみな数へあげ祝福をのみもつと思へと
辛酉の年は来たれど革命はあらずとわれは信じをりけり
雅子はもわが孫の名ぞ同じ名の木曽のをとめもさきくあれかし

受洗二十年  1  2

光満つ主うまれましし暗き世に明るき光あふれし夜よ
空に星 地には光をうぶ声をあげてみ子はもあれましにけり
「もつと光を」かくいひて死にしいにしへの詩人をおもふ恋するわれは
三十年 夜ごとにわれは祈れどもみ旨にたがふことのみ多き
キリスト者われをば恥づる日の多き二十年をばすごしきたりし
いまいくとせこの世に生くるわれなるかたたかひたへぬ年年なりき
ベツレヘム、ガリラヤの湖(うみ)われは見ずこの世を終へむみ国にゆきて

竹森トヨ先生 昭和五十七年四月十一日
み名はまだ忘れられねどはるかなる神のみ国に召されし人よ

スマトラ
シャロームとユダヤはいひしスラマトとスマトラびとはいひしことばよ

ペソテコステ
うつくしくなりてふたりの姉妹まことの人となりにけらしも

わたしの詩  1  2

昭和十八年九月に島崎藤村がなくなった
その月二十五日には次男梓が疫痢でなくなり
わたしは泣いて泣いて笑わなくなった
もう歌など歌わなくなった
二十五年間わたしは方々うろついて
骨はまだ埋めずに置いてあるが
このごろわたしは声を立てて笑う
高らかに讃美歌をうたう
詩も時々つくりたくなる
主をほめたたえる詩を

このごろの詩  1  2

ほろびに近づくと
人々はいろいろなことをする
詩も同じことで
石竹のかわりに汚い花を
バラの代りに雑草をうたう
恥しらずが集まって
お互いにほめあう
詩壇という境界があって
わたしはそこから追放された
それでもわたしは詩を作る
ほめうたを作る
感謝のうたを作る

讃歌  1  2

主はほむべきかな
野に若草が萌えて出て
枯れ枝に芽がふくらみ
日々にあたたかくなりだすと
若い新入生が喜びと期待とで登校して来る

そのようにわたしは
五十歳を越えたクリスマスに洗礼を施されて
コレジオに入り日々に試錬を受けているが
み恵みを信じることによってそれをのりこえる

主をほめまつる
さらに試錬を賜え
この信仰を鍛えられた鉄のように
さらに堅いものとなすために

復活祭のあと  1  2

主のよみがえりたまうたあと
ルターの生まれたドイツはまだ冬で
ゲーテらはイタリアにゆく
そこにはドイツ語の五月国(マイラント)(ミラノ)があり
花,が咲き鳥が歌っている
(ドイツでは太陽暦五月に
やっとスズランや色々な花が咲くのだ)
ゲルマンの国の悲しさ
主は復活したまうたが
冬は今だに残っていて
梅雨がもう追っている
五月はたのしく六月はいやだ

わたしたちの国土にたまうた季節

哀歌

中島栄次郎  1  2

もう皆から忘れられたが
よい詩論を書き
よい詩を残した
人柄がよくて誰からもきらわれなかった
第二乙種で二度の即日帰郷のあと
三度目にフィリピンにゆき
マニラから奥さん宛の便りを一度よこした
わたしには結婚も召集の告げもなかった
頼まれて検した遺稿はノートだけで
ヴァレリーのことばかりだった
遺書に「戦死後の再婚自由」を書いたので
奥さんの母上からたのまれ
伊東静雄や坪井明は本気で相手を探したが
到頭成功しなかった
わたしは残した本の整理をたのまれ
今名古屋大学に哲学書が
帝塚山学院短大に文学書が置いてある
暑い日に彼を追憶した詩は
藤沢桓夫先輩にほめられた
彼の田辺哲学の論文は残らずに忘れられた

薬師寺衛  1  2

本名倉田敬之助
お母さんにつれられて府立医大教授梅原先生に育てられ
京都師団の軍医としてレイテ島に駐屯した
アメリカ軍に攻められ
戦闘することもなく戦死した
わたしの贈った「李太白」はよみおえたか
そこには唐人の好戦の様が記されていた
わたしはいまあらゆる戦争を否定し
平和を日々に祈っている
主よ憐みたまえ 彼は主の愛について
知らずに死んだのだ

増田晃  1  2

東大文学部心理学の増田助教授の子として生まれ
生来詩を造り遺稿とならず「白鳥」という大著を作り
その出版記念会の主賓には高村光太郎が出席し
伊福部隆彦氏が主催した
主計少尉として食糧弾薬の輸送中
国民党軍に襲われ戦死した
昭和十七年任官の為一時帰郷して
結婚して一週間後出征し
夫人は再婚し妹と母とがのこり
母は遺稿を二度出版し
わたしが訪れた時 妹は結婚し母は逝去していた
小田急豪徳寺の高みを通るたび
彼を思い出した
朔太郎の会の知合で
荻窪からわたしの家にも来たが
わたしはスマトラにいて留守だった
主をほのかに信じ洗礼を受けなかった
審判の日には赦されることを祈る

萩原朔太郎  1  2

上州の詩人といわれるが
父祖の墓は河内国木之本で
密蔵ドクターは溺愛し
上州出身の母はきびしかった
極端な恐怖症にかかり
わたしに手を曳かれて新宿の大通を横ぎった
そこには酒屋があり仲居が彼の最後の恋人だった
醜い大女でどこも好いところがなく
彼には好意をもっていなかったと思う
シンガポールで死去の無電をきいたとき
わたしは三十歳ではるかに冥福を祈った
のちに神憑(がか)りになる女歌人が
彼の詩集を手にして苦痛の表情をし
地獄に墜ちていると伝えたとき
淺野晃・林富士馬とわたしとは色を失なった
わたしは入信ののち彼が浄罪界で
背信の罪を許されることを祈っている
ニュースでは五十七歳であったが
彼は五十五歳と称し
出会う女たちに必ず注目し
師白秋をこわがった
その師も昭和十七年の末逝去し
その歌は多く唱歌として残っている
「過失を父も許せかし
過失を人も許せかし」という絶唱は
わたしは父なる神に
そのひとり子の神のみ名のもと
彼のために祈っている

あとがき

この詩歌集は同類のわたしの著書の第七冊目である。竹森先生のお説教と御鞭撻とがなければ出来ないほどわたしは詩歌から遠ざかっていた。 毎週の礼拝では声を限りに歌い、これが「主の祈り」「使徒信条」とともにわたしの不眠症のいやしになっている。
 他の本に書いたが、わたしは戦争中は現人神を信じていたが、軍人の行為とサイパン陥落のあと「現人神」の伊勢神宮参拝とで、全く信ずるものを亡くした。 次男梓が満二歳で疫痢となり、男の医者はみな軍医となり、近くで開業している女医を呼んだが、処置を誤まり、手遅れになってから避病院に送られ、ここでは女医の必死の手当もむなしく、 早朝の死にわたしは茫然とし、蜜柑箱に入った死体を火葬場に運び、わたしは号哭した。やがて敗戦まぢかとなり、わたしは最後の中国派遣兵となり華北で敗戦を迎えた。 相手の敵は八路軍といって今の中華人民共和国軍で、古い銃をとってやって 来るのを迎え撃ったが、その愛国の気慨には敵ながら感心した。
わたしは情報室勤務のただ一人の二等兵として雑役とスパイのもって来る敵情の翻訳をした。敗戦の勅語は聞えず、無電で「君が代」を傍受したというので、 「何か」と問われ、ソ聯への宣戦布告であると判断した。その後、蒋介石軍と引揚邦人輸送の為の京漢線の警備に当ったが、地雷で毎日一人が戦死した。 わたしは死ねば梓のところへゆけると勇敢であったが、天国を知らず、どこへゆくつもりだったのか。
 うしろの方に戦中に死んだ友だちへのレクイエムを並べたが、かれらがみな煉獄で上層に置かれ、審判の日に宥されることをわたしは祈っている。
 三十部しか刷らないこの本をわたしは信仰の友に贈るが、それは竹森先生の御心まかせである。良き節を得てよき信者となる決心は五十一歳の晩年で、わたしは間に合ったと喜んでいる。 朔太郎の如く背信して煉獄に苦しむ一人とならなかった幸せを感謝しておわりのことばとする。なお造本担当に当った麥書房堀内達夫君とも深い縁故があり、 その努力には感心よりほかない。美しい本を作る出版人である。

奥付

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