(2006.11.19up / 2009.01.05update)
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たなかかつみ【田中克己】『詩集西康省』拾遺詩篇1932-1938


『詩集西康省』拾遺詩篇

自筆詩集 『田中克己遺稿集』
22.6×16.0cm 上製ノートに自筆

『詩集西康省』拾遺詩篇

自昭和7年3月 〜 至昭和13年4月

 尺獲虫(しゃくとりむし)に    (昭和7年3月 コギト 創刊号)

をのれ 他人(ひと)の国の山川を よくも勝手に測量しおきをつたな

 碑文(いしぶみ)    (昭和7年3月 コギト 創刊号)

この荊楚(いばら)生(お)ふる地(つち)の日の出づる処より日の没(い)る極(きわみ)まで凡そ草も獣もなべて勾奴(ふんぬ)の王の子孫(うまご)の領(もの)なること日神(ひのかみ) 月神(つきよみ)四元の神かけて疑ひあることなし。この禁忌(いましめ)を犯さんずるものはたちどころに白癩の疫病(えやみ)もて報はるるべし。

 漠

月は茘枝(れいし)の如くくされて中空に懸かつてゐた。僕(わたし)の傍には角の紅い牛がねそべつてゐた けだものめ けだものめ 僕は泪を流してゐた  獣は起き上つて莎草※の丘をかけのぼり 地平のあなたに没してしまつた けだものめ けだものめ 僕は自らの呪咀にいつしか正気を失つて行つた
                                                ※はますげ

 父と母と   (昭和7年4月 コギト 2号)

妹よ。この写真をごらん。肋骨のついた軍服を着てゐるのは、ほら次の間にいびきをかいてゐるわたし達の父さんで、支那服を着た女のひとが母さんだ。 母さんはいまは狐のやうに萎んで終つたが昔はきれいだつたね。まだ今ほど年のよらない頃、さう、僕の十二三のころ、かあさんはよく喀喇泌蒙古(カラチンモンゴル)の故園のはなしをして下さつた。 かあさんの故園には春になると瑞香花(じんぢょう)がむせかへるばかり匂つてその蔭に母さんは外国から来る金盞花(きんせんか)や薔薇や欝金香(チューリップ)を植ゑた。 王府の空は黄色く濁つて土挨が舞ひ上つてゐた。その時母さんは喀喇泌王(わたし達のお祖父さん)に連立つた日本の士官を見た。それがわたし達のお父さんでその頃はすらつとしてゐたと母さんは云ふ。 母さんはいまは日本語をはなす。わたし達は蒙古語を知らない。父さんはその後騎兵服をぬぎすて今は胴衣(チョッキ)の釦(ボタン)も合はぬほど肥えた。さあもう一度写真をごらん。 それから母さんに接吻(キッス)しに行かう。

 懶(ものぐさ)   (昭和7年6月 コギト 4号)

午睡(ひるね)から覚めると耳に毛が生えてゐた
爪は土に食ひ入り 趾(あしゆび)に蚯蚓(みみず)がゐた

 閑居   (昭和7年6月 コギト 4号)

冬深くなつて庵には鼠の食物もなくなりかけたある朝
霜の門前に嬰児(あかんぼ)の啼き声がした

 故園の花   (昭和7年10月 コギト 6号)

わたしは生涯の半ばをすぎていまだに草花を愛する わたしの故園には弟達が百合を植ゑた わたしの植ゑた夏枯草はもうない 紅甘草はもうない  弟達はダアリヤを愛しグラヂオラスを愛しすぎる Papaver Rhoeas 弟達は麗春花(ひなげし)を拉丁(ラテン)語で呼んだ

 村   (昭和7年10月 コギト 6号)

破れた電燈の笠を吊して
「優曇華(うどんげ)のはな※が咲きました ごらん下さい」
                                         ※ウスバカゲロウの卵
    ★
槐(えんじゅ)は月の淡さ
五位鷺は啼くとき影を揺がす

 ゆふぐれ   (昭和7年10月 コギト 6号)

蜩は椋の樹の梢にゐた ゆふぐれの空は海より蒼い さびしさが一羽の鴉になつてゆふひ
の方に飛んでゆく 泥を含む風が吹いて来た

タ陽はわたしの上衣を輝かす わたしは釦をはづす 白い襯衣(シャツ)に夕陽をあてようと わたしの胸は直ぐ出血しだす  わたしはそれゆゑ静かに釦をかける もつと静かに血は流れつづける 蜩(かなかな) わたしは口からも血を喀く

驟雨ゆうだち)まへの池水にわたしは影をうつす わたしの髪はメヅサ※のやうに乱れてゐる 電閃(いなづま)を水草が受ける  わたしの瞳は怖(おび)える淡紅い魚である
                                  ※メドゥサ

 八月   (昭和7年10月 コギト 6号)

八月はわたしに倦怠をもつて来た 日中の涯しない飢餓の沙漠にわたしはわたしの頭蓋骨をかじり ゆふぐれは隠し得ぬ疲労の海にわたしの肋骨は波のやうに動く  まつ白い鶏の樹にゐて啼くゆめをわたしは夜にしばしば見る 夢の断れ間にも倦怠を感じるわたしを ひとびとは夏の徴候と見た

 昼   (昭和7年10月 コギト 6号)

屍門には爽竹桃の花
窗(まど)にペチユニアを咲かせて
病室はいま午後の体熱(ねつ)のさかりだ

 戦争   (昭和7年11月 コギト 7号)

 一
炊爨(すいさん)車に鴉がとまつて啼いてゐた
青服の死骸から蝶がまひ上つた

 二
鴆(ちん)※に遭うた将軍は鸚鵡の籠の前で吐血した          ※毒鳥の一種
明け方ひとびとは将軍の苦悶を叫ぶ鳥を引出した
鸚鵡は羽をふるはせながら絞めころされた

 弾   (昭和7年12月 コギト 8号)

ころころと子供達は喉からラムネの玉を吐き出してる
木の葉のさへづりを聞く
半ば虧けた金星が坂道を駆けて降りて来る

 骨   (昭和7年12月 コギト 8号)

 A
巨きな犬達が繋がつてゐる
啼く声は森閑とした街に怒濤のやうに拡がつて行つた

 B
参星は森林の上で見つけられる
友達は骨を生じた
ああ花は骨片の様にカラカラと音たててくづれる

 C
肋骨のついた軍服の胸を張つて
僕も女を斬らう
城壁の様に厚い胸を剖(さ)いて
白い鳩を飛ばしてやる

 D
やせこけた冬の蜥蜴を
宝瓶宮※に蹴あげて見よう         ※星座名
リルリルとひびく
わたしの咳をする室の窓には霜の花が咲いた
まるでおまへが純潔ででもあるかのやうに

 十二月   (昭和8年1月 コギト 9号)

 T
すがれた菊はかすかに匂ひ
夕日は篁を紅く染める
大根畑に犬が餓えてゐる

 U
沢に小鳥が陽を索める
今年の花はみな咲いてしまつた
わたしは陶器(せともの)に夏の花を描く

 V
常磐木はいよいよ黝ずみ
昼も僧房に燈をつけてゐると
凍つた蛇が天井から墜ちて来た

 W
さよなら さよなら
後しざりする私の地平線
しらじらと霧の中にふみしだかれる生物たち

 V
北からの風が扉を開く
屍のわたしは脛骨を執つて起ち上る
朝──牝鶏がときをつくる

 Y
馬車の燈に老紳士が眠つてゐて
涙は蝋のやうにその頬を伝つてゐる

 Z
山腹に坐つて私は鉄道線路を眺める
灰色の雲のやうに豚の群が号びながら曳かれて行く
遠くの山頂で稲光りがした

 故郷   (昭和8年2月 コギト 10号)

 A
黎子はバラを植ゑてゐた
「何の花が咲き出すか知れやしない」
ぼくが指を立てて脅す真似をすると
黎子はもう泣き出すのだ

 B
天花(てんげ)※は半時ばかり見えてゐた        ※雪
弟の手はひどい霜焼だ
にいちやん おさかな
氷に木の葉がとぢこめられてゐた

 怕   (昭和8年2月 コギト 10号)

馬や牛が勝手に月光の街を歩いてゐる

 飾紐の花   (昭和8年2月 コギト 10号)

飾紐(リボン)の花は亡びた
くくしつけられた獣たちがわめいてゐる
灰色の悪虐の並木路
飾紐の花は亡びた

 曠   (昭和8年2月 マダムブランシユ 5号)

雲はこの野の上を北から南へ澎湃と動く
雲間で竪琴(たてごと)の音がする
退屈なミユウズ達が退屈な曲を奏でてるのだ
彼等は絃(いと)を断(き)つて雲からぶら下げる
彼等は一羽の鳥を飼ふ
その灰色の生物を彼等は絃にくくしつける
雲間で退屈な竪琴が聞える
懸命な鳥の羽搏きよ

 唐草   (昭和8年4月  マダムブランシユ 6号) 『田中克己詩集』未収録

女たちは単調に合唱(コーラス)しながら
石段をのぼり降りしてゐる
女体柱(カリアティ)のあひだから波の見える神殿
シャボンの泡立てる海の魚サイレンが
アカンサスのしげみまでしのびよつてゐる
ひるの太陽は蒼い蓋(かさ)を着て

 園庭   (昭和8年5月 コギト 12号)

遊動円木(ブランコ)をわたる叫びごゑ
朝日に照らされた少女たちの胴体(トルソ)
焦(いら)だつ思ひで見てゐたわたしは足袋を汚して

 悪童   (昭和8年5月 コギト 12号)

ひとびとはオルガンを悲しく奏し
花環は萎れながら匂りを立て
肉親たちは枢に横はつてゐた
すすり泣きの中に虚構を見つけ
安心してゐた悪童の自負に

 見取図   (昭和8年5月 コギト 12号)

 T
布きれの散らばつてゐる巷、脚の間をすりぬける小僧、レモン水を売つてゐるやうな屋台店、僕たちは眼の下に隈をこさへてゐた、春風と芝居の幟と、 本の表紙の金文字に水蒸気が雨とそそいで。

 U
ブロマイドから挨拶する友達ら、醜悪な切片に自ら顔をそむけてゐる、肩の上には金モオルをのせて、凡て奴等の愧死(きし)と僕等の飢死と、春の花のふる空を嗅いでゐた女たち。

 V
家鴨たちの御面相を親しく思つてゐる、十年飼つて来た犬を盗まれた、毛皮への反感、雲垢(ふけ)だらけの友だち、すべてを容赦せぬ嫉妬に近い怒り、舞台裏では月を動かしてゐる。

 L’ENFANCE※   (昭和8年6月 文學 6号)              ※幼年時代

オルガン
その古風な楽器の中で
わたしの頭痛がはじまる
なにか思念に似たものが天井をかけまはる
髪の毛をもつて吊りあげる
見えぬ手のたしかさ
育い静脈を透かせて

 晨(あした)   (昭和8年6月 文學 6号)

軍鶏(しゃも)が朝はやく人の家をのぞきこんで啼いてゐる
遠くで矮鶏(ちゃぼ)の応戦のこゑが聞えた

 墟   (昭和8年6月 文學 6号)

鴿(はと)の来て踏むわたしの墓碑
わたしの頭痛は永遠に置き忘れられた
蕁麻(いらくさ)が生える
わたしの掌に根をおろして

 季節  (昭和8年6月 マダムブランシユ 7号)『田中克己詩集』未収録

魚たちの氾濫で巷は腥(なまぐさ)い
苺が運ばれてゐる 急行列車で
海浜の避暑地で仔犬が生らされた
葉桜の季節にもひとは見えない

 薄紗の頃(けい)   (昭和8年7月 コギト 14号)

 1
黄金の髪に熟つた麦と
並木の緑とが燃え上るゆふ日のとき
子供たちが帰つて来る、いろんな彩(いろどり)の着物をきて
五月の祝祭があそこで終つたのだ

 2
ガラス戸の向ふに
子供たちの攀ぢてゆすつてゐる木が見える
白い花たちが雨のやうに
冷い空に舞ひ上る (ぼくは熱を病んでゐるのだ)
ぼくの木をもゆすれ もつと強く
子供たちの歌やわらひごゑが

 高地   (昭和8年7月 マダムブランシユ 8号)

アドニス、アドニス※                    ※王子の名(ギリシャ神話)
灌木林で谺(こだま)する
鏡は山間に澄んでゐる
時々そこを横切る人影がある
海、それも懐かしい
それらが一つとなるとき
帷(とばり)のやうに怨恨は引かれてゆく
さうして涯しない夜が来る

 隘路   (昭和8年9月 コギト 16号)

懸崖の途中には紫の花簇(はなむら)が多い
滴る水がある
雲は覗いてゐる
苔蒸す岩のあたりから

 The Topography of Formosa※   (昭和8年11月 コギト 18号)    ※台湾の地勢

 T
賢人のやうに白い唾吐く荒海と
珊瑚とる内湾とが一線でくぎられてゐる
木生羊歯(しだ)の巨大な葉つぱのあひだに
蒼い地層の傾いてゐるのが見られた。

 U
雲が舢板(サンパン)を追つかけてゐる
基隆(キールン)びとはむらがつて来る
起重機で馬をおろす
檳榔子(びんろうじ)の梢に旗が掲げられた
船はもう呼吸をしない。

 旅で   (昭和8年11月 マダムブランシユ 11号)

老衰した火山がその壮年期に堆積した膨大な容積の熔岩を
波の間に見てゆくこの旅はたしかに荘厳なものであつた
羚羊(かもしか)の駈けるのをいくたびも見たがそれはアンテイロオペと呼ばれるよりもむしろ陸の飛魚とでも名づければいい
木生羊歯の叢生した斜面では太陽は地肌まで斑(まだら)になつてゐて
魚たちはその中で皮膚を縞にいろどつたりするがそんな滑稽をも何か神秘づける理屈があるものだ
僕の見たのは噴煙の団々にすぎなかつたがもうそれで吐胸をつかれて悪魔のやうな哄笑のこゑを耳のうしろで受けとめ木生羊歯の杖を棄てて退散する小悪魔がゐる
僕の船さへも一しきりゆれると波の穂をかぞへながら退散しはじめた。

 山家   (昭和8年12月 マダムブランシユ 12号)

雲の間からヘリコオン※が見えた           ※山の名、詩想の源泉(ギリシア神話)。
ガニユメード※の草地には                ※トロイの美青年の名(ギリシア神話)。
帽子と煙管が落ちてゐる
生意気な小僧は夕方にも帰つて来ない
雷の音が一しきり、納屋の隅までいなづまが射しこむ
鶏が卵を生んでゐた
青い驟雨(ゆうだち)が李の木に降つて来た

 旅行   (昭和8年12月 コギト 19号)

ポストの佇つてゐる街角を曲り
高い山の見える通りを爪先上りに登る
棚の中にミオソテイス※の畑                    ※わすれなぐさ
煙管もつた男が下りてくる
荷物の中で小鳥が啼く
ふりむくと軍艦でお祭してゐるので
環投げして遊んだ頃を思ひ出した

 朝   (昭和8年12月 コギト 19号)

一つの生命だけが美しい
牛乳の壜のやうに輝いて
半ば開いた唇から
凡ての啓示がやつて来る
乳白色の霧が街をおほひかくす
犬たちは吼える
扉のガタピシ開く音の中で

 禿山   (昭和8年12月 コギト 19号)

 1
太陽を一面に受けた白つぽい断崖がある
鴎の波がその裾を彩る

音たてて菊の花の開く畑
眠つてゐる人は花を折り
覚めてゐる女がそれを髪に挿す
鴎たちは一斉に飛立つ
しばらく太陽だけが断崖に残る

 2
岩の露出した地方に頭蓋骨の懸けられてゐる昼
落ちて来さうな額面から鴉が舞ひ上り舞ひ下りる
つまづくと生命にかかはるやうな谷を見下して
栄光を荷つたひとがゆく

礼拝する草木のなかにわたしがゐる
果物のたぐひを捧げもち紅い頬をして
わたしは咳き入る、相貌に成就の印があらはれる

 流域   (昭和9年2月 コギト 21号)

ここでは山岳地帯のやうに音楽がよく聞えて
青銅(からかね)いろの炭が売られてゐる
馬たちが繋がれると道は通れない
砂利の上へ熊笹から蜘蛛が出て遊び
日暮までそこは日があたり食物にことかかぬと云ふ

 午前   (昭和9年2月 コギト 21号)

白烏のやうに浮く雲は尻尾の方で山脈を掃く
太陽が眼をさますともうあたりは磨かれてゐる
辻に人形使ひが立ち影はまだ長い
風見鶏が遠慮なしにがたがたひびく
おかみさんは箒に小言を云ふ
暖炉で灰がくづれた。

 午後   (昭和9年2月 マダムブランシユ 13号)

わたしは縞になつたシヤツを着てゐた
横腹のところを魚がくすぐつていつた
わたしの前に小石がありわたしが蹴ると転がつた
頭痛をさせる重い雲だ
鈍い音楽が砂の間にある
わたしは縞のシヤツを引き裂いた
もうわたしの髪は流れてゐた

 投機   (昭和9年3月  コギト 22号)

さざ波のまま凍りついた湖をわたりながら
苛性曹達(ソーダ)の投機について語つたが
若い技師達は驚くべく言葉に無頓着で
「詞句には潔癖でゐなければならぬ」と
わたしが云ふと大方の不遜な反対を招いた

 一日   (昭和9年4月 ぺえぺえ[大阪] 4号)

鶏と山羊の小舎(こや)の手入れにこの日曜をすごす
蜜蜂は梅咲く昼ぢうを眠りつづけ
チエス指すひとらは日向にゐた
枯草焚(た)いたらこほろぎたちが可哀想に焼け
パイプのやうな煙突から煙が忙しくて日が暮れる
靴を磨くのを忘れてた。

 天秤   (昭和9年4月 鷭 1号)

鴉が啼くと風が止み
花キヤベツの閉ぢる音がする
ここわたしの脚下に地軸は立ち
わたしを中心に
日が傾けば月が騰(あが)つてくる

 榕樹館   (昭和9年4月 椎の木 3年4号)

そんな名のついてゐる宿に僕は悪車夫鄭成功に引きこまれ、トランクを置く早々また連れ出された。豚の油の臭と汚血と喧燥で一杯の(どこかで胡弓を弾いてゐた)本島人の街を、 僕は内心当惑しながらふんぞりかへつて俥で見物する。龍のおとしごの乾物がある。.蛙も鼈(スッポン)もしやちこばつて見られる。 黒いステツキの束かと見えたのは蛇の黒焼で二三十匹が口を開けたまま硬くなつてゐた。鹿の腎、牛の腸、海仁草。それらの濛々とする臭気の中で人形つくりたちや、 刺繍をする少女たちが口をあけてこちらを見てゐた。石印の芥子園画伝を購ふと隣の売子翁が呼びとめる。
向吉凶何事?(なにをみてほしい) ──南方旅行(みなみへゆくのだが)、田中克己廿九歳(ぼくはにじゅうきゅうさい)。 ──往東南方吉(たつみならきち)、 貴人有平安得財(ぶじでおかねがもうかります)。
僕が鼻でわらふと俥はまた動き出す。この車夫は先刻から公鶏といふレツテル貼つた酒の瓶ばかりを気にしてゐる。向ふから玉簪花をもつた老婆が来ておはぐろの歯をむき出して挨拶する。 彼の母親だ、僕はたちまち彼が嫌ひになり薄汚いこの植民地の紙幣を叩きつけると彼は唯々として行つてしまふ。ここは城隍廟の前、市場の裏、茫将軍と謝将軍とに僕は委ねられ、 急に寂しさがこみ上げて来たがもう知つてる人はない。僕は城隍娘々に祈念する、この窮境をぬけさせて欲しいと。 その間中お供物の盛り上げられた木瓜(パパイヤ)だの蘋菠(ピンポン)などの果物が目についてならない。ふとくちなしの花がかほる。 耳環のきれいな長袗(ちょうしん)と鞋子(くつ)の華やかな少女が通るのだ。僕は後をつける。少女はWERTHER(エルテル)と看板のあがつた酒房に入る。いつの間にかネオンサインの灯るころとなり、 僕は途方に暮れやがて公鶏とレツテル貼つた酒に酔ふと、方々の榕樹の気根をかいなでて「僕のトランク」とわめきまはるのだつた。

 歌唱   (昭和9年6月 鷭 2号) 

彼等が口をあけて歌ふとき
その口腔(のど)はうす紅い
――それを俺は永い間愛して来たものだ
芳ばしい微風(そよかぜ)が薄い雲をひく
その奥で歌だけがいつまでも残る
世界はその方がもつと美くしい

灯はゆれる それらの歌につれて
悲しい聞きあきた歌だ
四つ辻では花が咲く
こめかみに弾丸(たま)の痕がある男
そのひとが俺にボンボンをくれた
俺は眠る
ゆれる灯にゆすられて

 遠近法   (昭和9年6月 コギト 25号)

 1
葡萄酒のいろに空は染められ
汚点になつて夕鳥がとびかふ
単檣船(ヨット)が入港して碇泊のために錨をおろし
その時夕映えが少しばかりゆらいだ。

 2
六月のバラがもう咲いた
帷を垂れた空の下で
ヨツトたちは浮んで雲のやう
坂を降りてゆくのは馬
裸身に光つて金色なのは汗なのだ

 水甕など   (昭和9年6月 文藝汎論 6月号)

わが諷詩(クセニエ)を聞いた人はない
口笛のあひだに咳がまぢり
静かな屋敷町の昼から
ボンボン時計が払はれる
ラムプや帆船の模型や
苔の花の中に諷詩は育ち
梢から空に墜ちこんでゆく
われも殻を背負つて
泥土にのたうつ田螺の如くある。

 日記   (昭和9年7月 コギト 26号)

 1
うすい血の色の林のなかで
小烏は啼きはばたきしてゐる
雲は軽やかになるこゆりを動かし
時々口笛を吹く
自由な水が流れては
すぐインクのいろに染まつてしまふ

 2
夏は柘榴のチューブからおし出される
終日(いちにち)おれは埃の噴泉(ふきあげ)を見る
そこここで啼く犬がゐて
昼はひと気がない
おれが悒(いぶ)せくてゐると
掌がとほくでひるがへつてゐる

山が近い 禿げてゐて
あれを思ふと海がひろがつて来る
うねる波と輝く波とが。

 碧   (昭和9年8月 文章法 4号)

潮風を吸つた時
海の薔薇園と野菜畑を理解した
あそこでは花は藍色の畝(うね)になつてゐる
子供たちは覗くと歓声をあげ
青い青いと呼ぶ
鴎が降りて来て彼等の眼を啄いた

 かもめ   (昭和9年10月 コギト 29号)

夏は犬を狂はせて水につきおとす
いまわれも青い水を見る
子供らは泳ぐ、狂つてゐるやうに
われは羽搏き水面をかすめ──
ひとはわれを食を漁るといふのであらう

 蝶   (昭和9年10月 コギト 29号)

雲の中に畑がある
老いた学士(マギステル)は李の木の下に埋められた
青い蝶は静かに夏を過ごす
けふ方々で祭典があつた

 湖水   (昭和9年10月 椎の木 3年10号)

水の中に髪
かうほねの花のやうに金色で
むかしその歌が湖水を渡つたことがある
糸杉(シプレス)のかげから夕もやが立ち
暗い水の中でかみのけは閃いた。

 長い夜   (昭和9年10月 椎の木 3年10号)

わたしたちの歌が空に昇り
雲のきれつぱしから星が降りた
むかしむかしおぢいさんとおばあさんがあり
オルゴルに倚(よ)つて死を懐(おも)つてゐた

 千年  (昭和9年11月 鵲[大連]30号)

不詳(探索中につき、御存知の方はお知らせ頂けましたら幸甚です。)

 悪夜   (昭和9年12月 詩法[紀野国屋書店])

階段を降りながら星と共に墜ちる
枯葉を籍いて踞まると
湾の満潮が脚下まで来る
月が覆ひかくしてゐた星が挨拶し
時計塔で時計が目をこする
オウロラが呼ばれる
──汽笛と霧とが一緒に来た

 山嶽志   (昭和9年12月 詩法[紀野国屋書店])

草花や木の葉や花花が輝しく混乱してゐる
背後に嶮岨な山壁が口をあけ
見事な高原が隠されてある
血みどろな手をして私はパンの木をよぢる
オセアニアはこの手の中に重い

 森林の中で   (昭和10年4月 椎の木 4年3号) 『田中克己詩集』未収録

森林の中で僕は頭をめぐらした、周囲には冷酷無情な姿勢をした
水松の樹や、いつも泣いてゐる檉柳(ぎょりゅう)などがゐた。百合の
花は槲の木と慇懃をかはしてゐた。僕は銃声や斧の音を聞いたが、
確かにそれは僕の所業ではなかつた。気がつくと僕をみつめてゐる
木があつた。名は知らなかつた。ざらざらした幹と滑らかな葉とがふ
しぎな対照を示してゐた。羚羊や兔がその前を駆けて通つた。
「君の名は?」と問ふと、倒頭答へが来た。無明の木といふのだ。
いかにも先刻から北方に向けてゐる眼は盲(し)いてゐるらしかつた。
匂ひでわかると彼が云つた僕の体臭を、自分自身で何か優れたもの
のやうに錯覚しだした。

 笛吹き   (昭和10年8月 コギト 39号)

おれは岩にゐて笛を吹く
「海豚よ来い、群れて」
波も雲も動かぬ
おれは急(せ)いてはならんと考へた
正午に 恥かしいことに
おれは空腹になつた
おれはせむ方なく笛を止めた──
一町向ふで海豚たちが叫んだ
「いまごろ止めるなんて」
おれは彼等に満腹したら
おれの反吐を食はせてやらうと思ふ。

 老公園   (昭和11年1月 セルパン 1月号)

桜の咲くひる親子が来る
ZOOでは孔雀より蛇が可愛いい
猿や熊は人の森林で狩(かり)されて
ナンキン豆で銃殺される
鶴は啼き、どじようを食べ
聖家族は正午に天丼を食べる
父は子に箸で食べさし
母は財布を出す
帰つてから疲れた子供は泣き
夫婦は欠伸をする予感。

 玩具の世界   (昭和11年1月 セルパン 1月号)

水の中へ落つこちさうな恰好で
眼鏡橋では男が覗いてゐる
日はまだ通りを横切らないが
法院の塔からは郭公が
十二度啼いてから飛び立つた
兵隊が河岸(かし)を徘徊してる
爛漫と咲き乱れた杏の花。

 山村訪問   (昭和11年2月 椎の木 5年2冊)

不詳(探索中につき、御存知の方はお知らせ頂けましたら幸甚です。)

 早春   (昭和11年2月 四季 15号)

梢たちは新芽で煙つて見え
屋根から煙の立つ藁葺の家々
埃のやうな梅の花──鴬はゐぬ
老翁が畑を打ち
鳥打帽の自転車が眼の角を曲る
   ★
林を鐘が渡つて行つた
寒さうな雲が空にあり
春は遠山の夕映えだけに見えてゐた
夕方の風は篁に残り
しめつぽく車が列をつくつて過ぎた

 春のわかれ   (昭和11年6月 四季 18号)

桜の花は町を埋めつくしてゐた
ヒロ子とツギ夫は坂下で小さくなつた
方々で鐘が鳴り出した
急に塔と雲が多い町だと思つた
淡青い空の方へ汽車は登つて行つた
小さい手がいつまでも虚空に漂(う)いて見えた。

 死者   (昭和11年6月 四季 18号)

谷に一本の桜の木の下で
きみは青い顔色で坐席を作つてゐた
何かするなと見てゐた
空が翳り出して、準備が出来た
きみは坐つて眼をつぶり
死相を身に帯びた
鳥が眼の前を一つ過つて飛んだ。

 秋と石と   (昭和11年11月 四季 22号)

野菊を手折つて山道を行つたが
花はやがて掌の中で首垂れた
人気の無い場所まで来て佇んだとき
見まはせば
巌石たちは各々の顔をもつてゐた

山川は冷い水で岩の脚を洗つてゐた
岩は円い面に一つの相を具へてゐた
小い鳥は来てその上に憩ひ
大い烏は止るとき足を滑らした

 終焉   (昭和12年1月  四季 23号)

秋が逝かうとしてゐる
どの水を見ても魚はゐない
ガラスのやうな空を最後の渡り鳥
誰かが呟く──
「日暮まであと半時間」
   ★
今しがたまで歓声のしてゐた
窓が白い手でしめられる
子供たちは花壇のある家に帰つて行つた
そのあと永い間、開き扉(ど)がうごいてゐた

 報告   (昭和12年5月 四季 26号)

事件ノ性質上今ハ詳(つまびらか)ニ説クヲ得ナイガ
陰山ノ北麓――百霊廟(ポオリンミャオ)力四子王府(スウツウワンフウ)ノ辺トデモシテオカウ――
ソコニ彼ガ率ヰテ駐屯シテヰタ蒙兵ノ一部隊ハ
突如兵変ヲ起シタ
尤モ蒙古兵将校達ハ既二数日前ヨリ逃亡ヲ開始シ
紅イ伝単※ハ度々営内二見受ケラレタガ――             ※宣伝ビラ
ソノ朝
彼ハ補ヘラレテ審問モナク
軍帽ト佩剣トヲ昨日迄ノ従卒ニ奪ハレ
目隠シヲサレタ後銃殺サレタ
彼ノ肉ト骨トハ蒙古犬ノ一群ガ即刻食ヒ尽シ
移動シ去ツタ部隊ノ跡二残ツタモノハ
彼ガ日来愛読シタ吉田松陰全集ノミダツタト云フ。

 上州展望   (昭和12年10月 四季 30号)

桑畑つらな遠く
利根川は水涸れ磧を露はせり
ここ萩原朔太郎生れし地か
見渡せば
妙義は聳え立ち
伊香保峯はいかづちし
赤城はやや遠く天の一方を占めたり
車室蒸し暑く垂れ籠めたるに
三好達治は今我が傍に
足蹙(すく)め眠りたり

 わが家に    (昭和12年8月 コギト 63号) 『田中克己詩集』未収録

わが家にしづかに処(お)れば
昨日けふ兵ら出で立つけはひしるし

紫陽花のうつろふ惜しむわがこころ
いくさのことを聞くはくるしも

何ゆゑといふにあらねど
我友の歩兵少尉の命かなしも

河北(ホーペイ)の熱き平野に屯(たむろ)せる
兵をおもひてのちは眠れる

海原ゆ吹来る風の止む夜さは
脳髄(なずき)いたみていくさも思はず

北平(ペーピン)の隆福寺街の古書廛(ふるほんや)
焚(や)けそと思ひゐたるひるあり

 上州横川   (昭和12年10月 四季 30号)

山々は小駅に脅すごとのしかかり
その彼方に夕雲は際限なき戯れに
自らが姿を犬猫牛馬に変じゐぬ
忽ち山川の瀬音高まりて
夕咲く花 花開き 駅長室に燈つき
汽車は吐息してのろのろ動き初(そ)めぬ

 秋薔薇   (昭和12年10月 10月号)

白い大きな病院は秋の空気の中に
孤島のやうに静かに浮んで見えてゐた
私は花園の最後の薔薇をもつて明るい坂道を登つて行つた
患者たちは林の中で音楽を聞いてゐた
薔薇はそこへ来ると急に馥郁と匂ひはじめた
体温表 ライネル・マリア・リルケ 死んだ友だち
私たちが話したのはいけないことばかりだつた
夕暮私は病人より蒼ざめて坂道を降りた
燈火のついた病院は今は軍艦のやうに華やかに見えた

 歳晩即事   (昭和13年1月 コギト 68号)

 一
冬至近き公園を過れば
微かなる日ざしの中に蓬頭垢面の族横はれり
遠き檻中に虎豹は吼咆し
植込は埃を蒙(こうむ)りて
わづかに瑞香花の蕾(ふふ)めるに心慰む

 二
寒風挨を捲きて
夕日黄なる時刻
少女を葬るに列す
少女十六にして痰喘(たんぜん)に死せり
此街、特に此病多く
此天、此空、余喘を保つ※を許さず                ※末期の息

 三
夜(よは)に睡(ねむり)覚めて天颷(てんひょう)※を聞く     ※つむじかぜ
海より来つて山に向つて走る
今し三国ケ丘なる伊東静雄が宅(いえ)も
睡驚かされて物語りたまふにや
微かに聞ゆるは病犬か白狐か
長く啼いて遠近(おちこち)し彷徨せるが如し

 四
戦(いくさ)大に発(おこ)つて将士奮励す
電影(シネマ)中に見る、将軍、黒貂裘(ちょうきゅう)するを
湖中の荷(はす)枯尽して一望遠く
江南柳葉散つて日影長からん
兵をしてかかる日に死なしむるに禁(た)へず

 冬の歌   (昭和13年3月 コギト 70号)

 一
夜更け目覚めて室ぢうを見廻はすと
子供は唇を半ばあけて睡つてをり
妻は背を向けて寝息もさせてない
電燈の光も氷つたもののやうだ
突如として、昔少年のころに
悲しい時出て見た冬海の青波に
舞つてゐた寒い鴎の姿が見える
あの頃は何かしらまだ頼るものがあつたのだ

 二
むかし桜井から奈良へゆく汽車で
三輸山に連なる布留や纏向(まきむく)や
高円(たかまど)の山々を感傷して眺めた
それから六年けふも冬の日光に
山脈は照し出されて山肌を見せてゐる
萬葉人は何としてこんな山々を歌つたか
この冬の淋しさを夏に忘れたか
親しい人々をその懐に埋めなんだか
奈良の停車場でもわたしはまだ身慄ひしてゐた。

 冬の歌   (昭和13年4月 四季 35号)

谷間に悲しい楽のおこるを聞いた
簫と篳篥(ひちりき)とをまじへた嫋々たるものの音
──新しい墳土は積まれたか?
ひとびとは掌で面を覆つて帰つて来た
泪は指の間から滴り墜ちてゐた──
その夜ひとびとは酒宴を催し
その賑かな笑声にわたしは全く驚いた

 二
あれは夢だつたのか
ひどいガタガタ馬車だ
道の曲角ごとに吊りラムプの光に
崖にクリーム色の花々が咲いてゐて
その蘂にクリーム色の蛾が
夥しく集つてゐたと見たことは──
わたしがそれを語り出した時
若い友だちは目的地での計画を語りやめて
一様に合図の目くばせをかはした。

 故郷へ詩人が帰つたときのうた   (昭和13年4月 コギト 71号)

お祖父(じい)さまも曽祖父(ひいじい)様もここでお生れになつた
高祖父様はここで菜種油を商つてらつしやつた
泥溝(どぶ)のやうな堀割の網の目の中に
黒い暗い家々がぎつしりと立ちならんでゐる
窓の数の少いのは小判が逃げぬためだ
詩を作るなんて──何と馬鹿げたことだ
取引所や銀行や帳場や電車の中で
せかせかと鼻音の多い異国語が話される
公園や街路の樹木はみな枯れてしまふ
詩を作るなんて──何と馬鹿げたことだ
曽祖父様は俳旬をお作りになつたが
紀州通ひの船商売で大分(だいぶ)損をなさつた
人々は頭髪(あたま)をきれいに手入れし
大衆小説や競馬の雑誌をもち歩く
空は終日(いちにち)くらいが昼、太陽の南中する時刻
人々はそろばんをやめペンを耳にはさみ
小く欠伸し帳簿を閉ぢてうまい物を食ひにゆく
そして夕もやが堀割から立つころに
家々は表戸を閉め、あかりを小さくし
小声で一日の決算をする、そして父は息子を叱る

詩を作るなんて──何と馬鹿げたことだ


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