(2006.11.19up / 2009.01.05update)
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たなかかつみ【田中克己】自筆詩集『田中克己遺稿集』1932-1938


田中克己遺稿集

自筆詩集 『田中克己遺稿集』

自昭和7年3月 〜 至昭和13年4月

22.6×16.0cm 上製ノートに自筆

p1   p2

p3

 支那   (昭和7年4月 コギト 2号)

暗い窖(あなぐら)の工房にわたしは日日をくらさねばならぬ。さて懸命に彫るは何であらう。
堆く積まれて青白く光るは亀甲兇角(じかく)牛骨麋角(びかく)。わたしは輝く小刀をもち日に日に殷代象形文字をその上に彫る。 貞衆(ていしゃう)有災九月魚 彫れば骨粉はわが膝につもり その幽かな匂ひにもいまは慣れてしまつた。さて或日わたし昼の北平(ペーピン)の街衢をゆき、 ふとゆきずりに見た般墟甲骨文字の拓本まぎれもなくわが小刀の跡なれどその魚の字や獣の字が尊くて涕涙流れて止まなんだ。わたしは明日も亀甲兇角を彫るであらう。

p4

 父と母と   (昭和7年4月 コギト 2号)

妹よ。この写真をごらん。肋骨のついた軍服を着てゐるのは、ほら次の間にいびきをかいてゐるわたし達の父さんで、支那服を着た女のひとが母さんだ。 母さんはいまは狐のやうに萎んで終つたが昔はきれいだつたね。まだ今ほど年のよらない頃、さう、僕の十二三のころ、かあさんはよく喀喇泌蒙古(カラチンモンゴル)の故園のはなしをして下さつた。 かあさんの故園には春になると瑞香花(じんぢょう)がむせかへるばかり匂つてその蔭に母さんは外国から来る金盞花(きんせんか)や薔薇や欝金香(チューリップ)を植ゑた。 王府の空は黄色く濁つて土挨が舞ひ上つてゐた。その時母さんは喀喇泌王(わたし達のお祖父さん)に連立つた日本の士官を見た。それがわたし達のお父さんでその頃はすらつとしてゐたと母さんは云ふ。 母さんはいまは日本語をはなす。わたし達は蒙古語を知らない。父さんはその後騎兵服をぬぎすて今は胴衣(チョッキ)の釦(ボタン)も合はぬほど肥えた。さあもう一度写真をごらん。 それから母さんに接吻(キッス)しに行かう。

p5

 天上有事    (昭和7年5月 コギト 3号)

     一

南ノ空ノ参宿※ニ彗星ガ留マツタトイフ号外ノ印刷デ階下ハ忙シイ  ※オリオン座
昨夜ハ交州ノ節度使カラ老人星(カノープス)発見ノ飛報ガアツタノダガ──
閑ヲ偸ンデ測天台ニ登レバ霜ガ雪ヨリ白イ
渾天儀(こんてんぎ)ニ蔦ノ葉ガヒツカカツテ枯レタ音ヲ立テテヰル
号外輸送ノタメノ馬車ガ今門ヲ出ヨウトシテリンリント車輪ヲ鳴ラシタ

     二

蘇−盗星※ヲ見キヤ                      ※不詳
張−嘗テ盗柘※ヲ見ント欲セリ 而シテ未ダ天ヲ見ルヲ欲セズ   ※中国の大盗族
蘇−天狼星※ヲ知レリヤ                    ※シリウス
張−乱世虎狼ノ輩多シ 何ゾ天ヲ仰グヲ要セン
蘇−招揺※ノイヅクニアルヲ聞ケリヤ               ※北斗七星
張−公僕我ヲ招キ白馬門前ニ待ツ マタ天ヲ聞クノ遑(いとま)ナシ
蘇−鳴呼而シテ尚蒼穹ノ在ルハ何ゾヤ 群星ノ陳(なら)ベルハ何ゾヤ

p6

 履   (昭和7年6月 コギト 4号)

私は身に山椒の臭ひを帯びた蛇(くちなは)である
私の鱗は日を受けると金色(こんじき)に光る
それは闇では濃い緑いろとなる
私の腹には紅い縞が二條(ふたすじ)とほつてゐる
私は私の洞(あな)に天南星(てんなんしょう)を植ゑてゐる
その花は私の洞をほの明るくする
その根を私は食物にする
私は四五日来(このかた)嬰々(インイン)をおもつてゐる
嬰々はあの窓の中にねむつてゐる
私はその紅い小さい履(くつ)を見た
それは私が雀の卵をとりに戸樋をつたつた時である
昨日は嬰々の婢(こしもと)に棒切れで擲たれた
私は鱗を一部剥がれてゐる
私は復仇を誓つてゐる
天南星の根を噛んでである

p7

 懶(ものぐさ)   (昭和7年6月 コギト 4号)

午睡(ひるね)から覚めると耳に毛が生えてゐた
爪は土に食ひ入り 趾(あしゆび)に蚯蚓(みみず)がゐた

p8

 閑居   (昭和7年6月 コギト 4号)

冬深くなつて庵には鼠の食物もなくなりかけたある朝
霜の門前に嬰児(あかんぼ)の啼き声がした

 オルフェエ   (昭和7年6月 コギト 4号) 

オルフェエは羊腸たる路を辿る
わたしは谷一つこちらにゐて
あの路には紅い花がある 白い花が咲くと見てゐる
オルフェエは路角を曲つてもう見えない
紅い花白い花の路にわたしは入る

p9

 昼   (昭和7年10月 コギト 6号)

ソオダ水をよぎる雲
葡萄にゐる蟻
睫毛には陽のかげりの濃さが

 弾   (昭和7年12月 コギト 8号)

ころころと子供達は喉からラムネの玉を吐き出してる
木の葉のさへづりを聞く
半ば虧けた金星が坂道を駆けて降りて来る

p10

 曠   (昭和8年2月 マダムブランシユ 5号)

雲はこの野の上を北から南へ澎湃と動く
雲間で竪琴(たてごと)の音がする
退屈なミユウズ達が退屈な曲を奏でてるのだ
彼等は絃(いと)を断(き)つて雲からぶら下げる
彼等は一羽の鳥を飼ふ
その灰色の生物を彼等は絃にくくしつける
雲間で退屈な竪琴が聞える
懸命な鳥の羽搏きよ

 十二月   (昭和8年1月 コギト 9号)

 T
すがれた菊はかすかに匂ひ
夕日は篁を紅く染める
大根畑に犬が餓えてゐる

p11

 U
沢に小鳥が陽を索める
今年の花はみな咲いてしまつた
わたしは陶器(せともの)に夏の花を描く

 V
常磐木はいよいよ黝ずみ
昼も僧房に燈をつけてゐると
凍つた蛇が天井から墜ちて来た

 W
山腹に坐つて私は鉄道線路を眺める
灰色の雲のやうに豚の群が号びながら曳かれて行く
遠くの山頂で稲光りがした

p12

 故郷   (昭和8年2月 コギト 10号)

天花(てんげ)※は半時ばかり見えてゐた        ※雪
弟の手はひどい霜焼だ
にいちやん おさかな
氷に木の葉がとぢこめられてゐた

 梅の花   (昭和8年2月 コギト 10号) 

春ごとに公園の梅の花が咲き出すと
ばくの知つてゐる囚人が牽かれてゆく
「旦那もう少しだけ世の中を見さして下さい」
頬の汚れた子守女たちが彼の世界に来て坐る

p13

 颷(ひょう)   (昭和8年2月 コギト 10号)

烈しい風の中で
彼等はバンパンと空気銃をうつてゐた
鳥たちは撃たれたやうな恰好で
枯野に墜ちて逃げてしまふ
烈しい風の中で
パンパンと銃声がつづいてゐた

p14

 園庭   (昭和8年5月 コギト 12号)

遊動円木(ブランコ)をわたる叫びごゑ
朝日に照らされた少女たちの胴体(トルソ)
焦(いら)だつ思ひで見てゐたわたしは足袋を汚して

 悪童   (昭和8年5月 コギト 12号)

ひとびとはオルガンを悲しく奏し
花環は萎れながら匂りを立て
肉親たちは枢に横はつてゐた
すすり泣きの中に虚構を見つけ
安心してゐた悪童の自負に

p15

 春旅   (昭和8年5月 コギト 12号)

紙ナプキンに花びらが散り
ナイフの匁には峨々(がが)たる山脈が映つてる
蝶がこの食堂車に舞ひこんで来た

 掌   (昭和8年6月 文學 6号) 

眠つてゐる私のまはりに
誰かか白墨で円を劃(か)いた
構はずに動くと漆喰(しっくい)の壁につきあたつた
引かへすと泥溝(どぶ)があつた
鵞鳥の啼いてゐるやうな──
眠つてゐる私に生ぬるい掌を感じた

p16

 晩餐会   (昭和8年6月 コギト 13号) 

先生は老来酒精分(アルコール)を節してゐられる
「君府(コンスタンチノーブル) ── 余(わたし)もあすこにゐた
さう千九百三、四年の頃」
(僕たちの父母がまだ結婚してゐなかつた頃なのだ)
僕たちはシネマの君府を思出してゐる
海峡を潮が河のやうに流れてゐた
歳月の潮が先生との間にも流れてゐる
(河のやうに渦巻いて)

p17

 L’ENFANCE※   (昭和8年6月 文學6号)              ※幼年時代

オルガン
その古風な楽器の中で
わたしの頭痛がはじまる
なにか思念に似たものが天井をかけまはる
髪の毛をもつて吊りあげる
見えぬ手のたしかさ
育い静脈を透かせて

 晨(あした)   (昭和8年6月 文學 6号)

軍鶏(しゃも)が朝はやく人の家をのぞきこんで啼いてゐる
遠くで矮鶏(ちゃぼ)の応戦のこゑが聞えた

p18

 墟   (昭和8年6月 文學 6号)

鴿(はと)の来て踏むわたしの墓碑
わたしの頭痛は永遠に置き忘れられた
蕁麻(いらくさ)が生える
わたしの掌に根をおろして

 懸崖の上で   (昭和8年7月 セルパン 29号) 

海の揺する前庭での昼餐(ひるげ)
尾を振る犬とエプロンかけた子供らと
塩つぽい風とを皿に盛り
母はどこかへ行つてしまつた
肉汁(スープ)がさめてゐる、子供らの膝で

p19

 悲劇   (昭和8年7月 セルパン 29号)

かぢりかけの幾片(いくひら)かのパンとソオセイヂ
食塩の瓶と並んでは石竹の花甕(はながめ)
くすんだ銅版画の中で魚釣るひとびと
すべては食卓より上にある

 視覚   (昭和8年7月 セルパン 29号)

坂のつき当りには薔薇の垂れ下る蔓に一杯のバラの花
茂みでフイロメエレ※がないてゐる            ※うぐいす
空が覗きこんでゐる
そこで饗宴がもたれてゐるから

p20

 薄紗の頃(けい)   (昭和8年7月 コギト 14号)

 1
黄金の髪に熟つた麦と
並木の緑とが燃え上るゆふ日のとき
子供たちが帰つて来る、いろんな彩(いろどり)の着物をきて
五月の祝祭があそこで終つたのだ

 2
ガラス戸の向ふに
子供たちの攀ぢてゆすつてゐる木が見える
白い花たちが雨のやうに
冷い空に舞ひ上る (ぼくは熱を病んでゐるのだ)
ぼくの木をもゆすれ もつと強く
子供たちの歌やわらひごゑが

p21

 高地   (昭和8年7月 マダムブランシユ 8号)

アドニス、アドニス※                    ※王子の名(ギリシャ神話)
灌木林で谺(こだま)する
鏡は山間に澄んでゐる
時々そこを横切る人影がある
海、それも懐かしい
それらが一つとなるとき
帷(とばり)のやうに怨恨は引かれてゆく
さうして涯しない夜が来る

 隘路   (昭和8年9月 コギト 16号)

懸崖の途中には紫の花簇(はなむら)が多い
滴る水がある
雲は覗いてゐる
苔蒸す岩のあたりから

p22

 かはせみ   (昭和8年9月 コギト 16号)

谿(たに)に白いのはあれは百合
田舎ゆゑあのやうなボンネ※をかぶるひとはない     ※ボンネット帽子
蜩は啼く 高い梢で 燃え残りの雲の中で
谿で水をつかふ昔がする

 象眼   (昭和8年9月 コギト 16号)

黒檀の匣(はこ)匪の外側に
宝石たちは窮屈におしこめられてゐる
中では少女たちが眠つてゐる
詰め綿や白い花などを
血の柘榴(ガーネット)石が象眼して

p23

 挽歌   (昭和8年9月 コギト 16号)

黒い昼顔の咲き凋むところで
あれらの歌がぼくを慄へ上らせる

二度とうしろをふり向かない
夕焼空の下のあの影は

鳥たちの啼き止めた後を
あれらの歌がぼくを取巻くのだ

 国境   (昭和8年9月 コギト 16号)

海から吹く風に
華やかな旗はみな山に靡いてゐる
馬車などは白墨の線で止められる
五大な差伸べられた腕である

p24

愚者の智慧   (昭和8年10月 コギト 17号)

わたしは知つてゐる
遠く虹色の陸地のやうに見える雲のうしろに虹色の陸地のかくされてあることを
この半球を充してゐる生命ある液体が凡て一様にほろ苦く鹹(しほから)いことを
わたしの船を追つて来る鮫や鱶(ふか)のたぐひが好んで赤児の脳髄を貪り食ふ残虐の徒であることを
ひねもす流れる海の草が紺色の水泡(あぶく)の下で船の進路を阻むことも得せず踏みくだかれてゆくことを
さうしていま檣(マスト)の上で鴎の金切声でもつて
「人が陥ちた(アン・ノンム・ア・ラ・メール)」と叫ぶこゑごゑが同じい海の蠱(あやか)しにすぎないことを
その時わたしたちの船はしづしつと船首をもとの港の方に向け変へるのだが

p25

 旅で   (昭和8年11月 マダムブランシユ 11号)

老衰した火山がその壮年期に堆積した膨大な容積の熔岩を
波の間に見てゆくこの旅はたしかに荘厳なものであつた
羚羊(かもしか)の駈けるのをいくたびも見たがそれはアンテイロオペと呼ばれるよりもむしろ陸の飛魚とでも名づければいい
木生羊歯の叢生した斜面では太陽は地肌まで斑(まだら)になつてゐて
魚たちはその中で皮膚を縞にいろどつたりするがそんな滑稽をも何か神秘づける理屈があるものだ
僕の見たのは噴煙の団々にすぎなかつたがもうそれで吐胸をつかれて悪魔のやうな哄笑のこゑを耳のうしろで受けとめ木生羊歯の杖を棄てて退散する小悪魔がゐる
僕の船さへも一しきりゆれると波の穂をかぞへながら退散しはじめた。

p26

 山家   (昭和8年12月 マダムブランシユ 12号)

雲の間からヘリコオン※が見えた           ※山の名、詩想の源泉(ギリシア神話)。
ガニユメード※の草地には                ※トロイの美青年の名(ギリシア神話)。
帽子と煙管が落ちてゐる
生意気な小僧は夕方にも帰つて来ない
雷の音が一しきり、納屋の隅までいなづまが射しこむ
鶏が卵を生んでゐた
青い驟雨(ゆうだち)が李の木に降つて来た

 禿山   (昭和8年12月 コギト 19号)

太陽を一面に受けた白つぽい断崖がある
鴎の波がその裾を彩る

音たてて菊の花の開く畑
眠つてゐる人は花を折り
覚めてゐる女がそれを髪に挿す
鴎たちは一斉に飛立つ
しばらく太陽だけが断崖に残る

p27

 午後   (昭和9年2月 マダムブランシユ 13号)

わたしは縞になつたシヤツを着てゐた
横腹のところを魚がくすぐつていつた
わたしの前に小石がありわたしが蹴ると転がつた
頭痛をさせる重い雲だ
鈍い音楽が砂の間にある
わたしは縞のシヤツを引き裂いた
もうわたしの髪は流れてゐた

p28

登山道路    1  2 3   (昭和9年1月 コギト 20号)

巨きく傾いた高原の傍を通つて
山脈の方に近づく鉄道は
小石が軌道に横はつてゐるので停車した
それは一匹の穿山甲(せんざんかう)にすぎなかつた
ツツガムシのひそむ蕗あるすすきの叢を
ひとびとは恐れながら車窓に指したが
既に濁水渓は清水渓と変じ
雲を頂いた高山たちも
裾の藍だけで十分巨きい
ああアナナス※の畑に立つ子らよ   ※ パイナップル
わがキャラメルの空き箱をひろへ
それは弾丸のやうに
客車の背後へ飛び去つた
機関車は最後の熱い一息をマンゴオの樹に吐きかけた

険阻な山路を駆けるには
この自動車は老いぼれてる
桜の杖もつた暴力団が
その中で吐気をもよほし出した
バナナの傾斜を曲れば
蛇形の大河はもう銀色の一流れ
水牛が雲かかる巒大山(らんたいざん)をのぞんでゐる
その尾のむく方で谿の声
パパイア 檳榔樹(びんろうじゅ) バナナの花
蔓生植物の林にツマベニ蝶が消えた
水が見える耳環のやうにキラキラ光り──
そこから道は下る一方で
到頭一つの街に着く
トランク提げた学生は
さびしく暴力団に別れの挨拶し
ホテルのある高地まで石段をのぼる
湖の魚捕る歌が追つかける

ホテルでは「いらつしやいませ」
つきあたりの欄間に蝶類の額
すべる廊下を怖れてゐるのは
先に着いた肥大症の老婦人と
黒眼鏡をかけたその夫の教授だが
湖は山々の足を洗ふ盥
タバコをふかすと犬が現はれる
お茶はなかなか来ない
パパイアの実がゆれてまだ青い
廊下で女中たちが押しあひしてる
「このお客様はなんて細いんだらう」
ホテルの昼食に十尾の魚が
無念に殺される
海抜は二千尺

島の中心は玄武岩の塔※だが    ※新高山(にいたかやま)
いまは雲の中で三角の山が並ぶ
湖をゆくボオトは白い
それはゆふぐれに土人の部落を訪問するのだが
向ふでは内地人を内心いやがつてる
鶏屠るお祭を
毎夜やらされるのはいやなものだ
唄に安来節をまじへたりする
こんな方法で一つの民族が亡ぼされる

p29

p30

p31

 流域   (昭和9年2月 コギト 21号)

ここでは山岳地帯のやうに音楽がよく聞えて
青銅(からかね)いろの炭が売られてゐる
馬たちが繋がれると道は通れない
砂利の上へ熊笹から蜘蛛が出て遊び
日暮までそこは日があたり食物にことかかぬと云ふ

植木屋   (昭和9年2月 コギト 21号)

遠い海から波が来て
眠いひるすぎに山茶花を植ゑる
庭の芝は枯れ日蔭では土がくづれ
家中の留守をして
物みな変改すと 本を読むとき
声を出してよみ悲しく思ふ

p32

小鳥たち   (昭和9年3月  コギト 22号)

昼過ぎになると刈株の並んだ水田では
氷がひびわれはじめる
小鳥たちは枯葉いろの衣つけてその上を歩み
渡り終つてうしろをふりかへると
ああ もう氷が足跡を埋(うづ)めつくしてゐる

早春   (昭和9年3月  コギト 22号)

ズスヘンは籠に鳥を飼つてゐた
お天気の日にはそれは紡車のやうにぶんぶん唸り声を立てた
その日をかぎつて暖い気候が来
窓の外の樹木の枝が撓みはじめるあの日以来
ズスヘンはその鳥を干乾しにした

p33

 一日   (昭和9年4月 ぺえぺえ[大阪] 4号)

鶏と山羊の小舎(こや)の手入れにこの日曜をすごす
蜜蜂は梅咲く昼ぢうを眠りつづけ
チエス指すひとらは日向にゐた
枯草焚(た)いたらこほろぎたちが可哀想に焼け
パイプのやうな煙突から煙が忙しくて日が暮れる
靴を磨くのを忘れてた。

 天秤   (昭和9年4月 鷭 1号)

鴉が啼くと風が止み
花キヤベツの閉ぢる音がする
ここわたしの脚下に地軸は立ち
わたしを中心に
日が傾けば月が騰(あが)つてくる

西康省   (昭和9年4月 コギト 23号)

 ── Dichtung und Wahrheit ※── ※詩と真実 

鴉礱江とブラマプトラ河との間に挟まれ
海抜一万二千尺の高原
そこから二世紀にはきょう羌(きょう)族が降りて来
七世紀には吐谷渾(とよくこん)
十世紀から西夏の国が出来
帛(きぬ)と幣(たから)とが馬で送り入れられた
忽必烈(フビライ)は此の地を坊主に与へ
達頼喇嘛(ダライラマ)がそれ以後山や谷を領した。
これを造つたものは誰か
中生代の三畳紀には此処は海だつた。(白い雪の様な岩塩の層が現はれる)
ヒマラヤ山が手を延して大洋を截(た)つた。
巨大な蒸発皿(岩塩の層を見よ)
巨大なメスが切つた。地球の縦の皺──
金沙江、瀾滄江、怒江、薄蔵布河が岩を噛んで歯を剥き出してはがみして降る
山々の名を敷へよう。否、山は谷のお目こぼしにすぎない。
人が来た、寧武族、霍耳(ホール)古族、木克族、玀々(ララ)、白夷、猺(ヨウ)、苗(ミャオ)族、
西蔵(チベット)人が西から来て彼等を痛めつけ
漢人が東から来て商業を営んだ
文化の伝播? 彼等は何を知つたか
昔 首府を打箭爐(Ta-tschien-lu)と云つたが今は康定と呼ぶ
そこでは彼等は一妻多夫、一夫多妻を行ひ
嬰児 殊に女児を河に投げ捨てる
彼等の男子は多く喇嘛(ラマ)僧となり
毎平方里に二人しか人がゐぬ
彼等は壮年に百斤の荷を負つて百五十里を一日にゆき
七十歳を過ぎると四十里しかゆけぬ
騾馬(ラバ)や牛や馬は二百斤を背負ひ
騾馬は百五十里、牛は八十里を行く
康定から拉薩(ラサ)まで郵便は二十五日かかり
電信線が一本、電報を運ぶ
ここでは稲、稗、高梁(コーリャン)、小麦が熟り
蚕豆(そらまめ)や豌豆は毎茎に五六十粒、豇豆(ササゲ)は毎茎二十双を結ぶ
梅、桃、アンズ、李、枇杷、茘枝(レイシ)、棗、龍眼など小屋の背後に植ゑられる、
ここの地肌を覆ふ着物、天然林では杉と柏が優勢を占め、
桐、梧、扁柏(ひのき)、羅漢松、楠がまじり、
棕(シュロ)は建築材料や農工具に用ひられ
香櫞や棐、棫、紫荊、金弾子、花椒等は何と読むか御存じか※     ※(こうえん、かやのき、たら、すおう、不評、かしょう)
彼等は木材で以て曲物(まげもの)をつくり、籐や竹を編み漆の幹を割いて鉄の飯盒で受ける。
燧石(ひうちいし)が使はれ麻織、毛織がつづけられる
彼等は牛を飼ふが生れた時が二十斤、一年で百十斤になり、
水牛や馬やロバや騾馬や、此等は生きて運び 死んでも食べられる
猪(ぶた)は重さが四百斤を越える、彼は二年で衰老期に入る
綿羊は十ケ月で生熟して三仔を生み 一年に二度の生殖季をもつてゐる。
(黄牛(おうぎゅう)や騾馬は一度しかもたぬ)
猪は四度、犬は三度、猫は二度である。
彼等の財産を計ることを得るか?
英人韋爾氏は一九二一年これをなし
彼等の土地は一二九、七〇〇、〇〇〇、〇〇〇、〇〇〇、〇〇〇億元
彼等の森林は一八〇、〇〇〇、〇〇〇、〇〇〇、〇〇〇億元
就中大きいのは石油と金と鋼で
石油は七二〇二五(○を十七此の下にくつつける──億元)
金は二一五九〇(同右)、銅は三四五二〇(同右)
故に彼等は今は貧乏であるが
何時か金持になるに違ひない。
尤も今でもここには金持がゐて、土司、土官、又は喇嘛と呼ばれてゐるが
土司土官は税(収入の10%)租(15%)債(50%)を彼等から与へられ
その他に鴉牙(アヘン)を売て20%、土地を支那人に貸して5%を得る、(歳入二十万元)
そして雲南の大理府に遊び(旅費は十万元)妻子に綢緞(どんす)や白粉を買ふ
喇嘛の収入は祈祷から来るので、長寿祈祷で10%、幸福を祈つて10%、
失ひ物を当てるので15%、厄落しで同上・・・
これをラマ達は衣服で15%、装飾品で25%、酒で8%、煙草で2%、
贅沢な食物では20%を失ふ(それでも余りは15%位あるのだが)
貧乏な彼等も中華民匡の国民ゆゑ、
彼等の大部分は税金がかかる
民国五年には四十二万六千元
歳出は二百六万四十元の中 陸軍費が百六十二万四千元
(海軍が無いのがまだしも幸せだ)
彼等は十歳になると男女共に小刀を手挿み
十六で男は成丁となり、三人に一人が兵隊にとられる、
軍隊は武器として隻刀(刃長(はわたり)三尺−四尺)大刀(全長四尺五寸−五尺五寸)の他に
村田銃や車車砲や迫撃砲をもつてゐる。
兵士は頭に白又は黒や藍の布をまき、藍の袗(うわぎ)と褲(ズボン)とをつけてゐて、
腿に布をまき足に草鞋をつけ、肩に小さい皮袋を負つてゐる。
彼等は事があれば総動員されて
勇往邁進、敵の強弱を知らず
傷を受ければ復讐を思ひ、命を犠牲にしても惜まない
敵が逃げれば之を窮迫し
占領地域の婦女財産は破壊するを常とし
俘虜を惨殺し
十人が一人になつても退却を肯んじない
(凡て軍団の模範とするところ)

役等は万人に一人の知識人をもち
それは大学や論語さへ読める──
彼等は天をラン、地をサと云ひ、父をバア母をマアと呼ぶ
彼等は紅教を信じては蓮花祖師を拝する
彼等は黄教を信じては釈迦牟尼を拝する
彼等は黒教を信じては丹巴喜饒を拝する
彼等は白教を信じては文殊菩薩を拝する
彼等は牛を拝し、棍々神を拝し、笆々神を信じ猪八戒を信じ
四元を拝し暗黒を怖れ生殖器を崇拝する
彼等を治める者は誰か、
嘗て劉成、劉湘、劉文輝等か督弁を称したがこの地を履まなかつた
彼等の地には寇盗(こうとう)が充ちてゐる
併し彼等に対しても法律がある
例へば殺人に封しては死刑や罰金や監禁の刑があり
強盗には賠償や罰金の刑があり
公文書毀棄には死刑や監禁刑があり
公衆を煽動すれば監禁が与へられる
併し彼等は刑を受けることを恥辱とせぬ
彼等は十人の中九人が罪を犯し、一人で一年に五回の刑を受ける者がある。
彼等は恋愛や仲介や掠奪や売買によつて結婚する
彼等は四十歳位で死ぬ
彼等は屍体を土葬にし火葬にし水葬にし、
又は高地に曝し、禿鷹に食はせ、洞窟に置き、屍体を撒く
喇嘛が死ぬと火葬にし附近の公私事商業を七日間停止し
婦女の装飾や男子の着換へを一個月停止する
彼等は唱歌し飲酒し舞楽し、就中賭博をなすことを好む
彼等はマラリヤに罹りトラホームに罹り疥癬を病み花柳病や天然痘に罹る
狂水病や蛇咬症、鵞喉瘡、癩病をもしばしば病む
瘴癘(しょうれい)の気は林中に立つ、そこではまた虎や豹や麝(じゃこうじか)や獐(ノロ)が見られる

千九百三十・・・年 僕は二十二歳で南京の大学に居り
僕の思索は専ら感傷に妨げられた
その頃イギリスの帝国主義は西蔵を侵し
ソヴィエートの社会主義は蒙古や支那土耳基斯坦(チャイニーズトルキスタン)を侵してゐた
(西蔵の兵がイギリス士官指導の下に
西康を過つて四川に迫つたのは少し後である)
僕は孫中山先生の三民主義に由つて西康省を建設することを良心に命ぜられた
それは専ら両大国の侵入の防壁となるべきものであつた
僕は精密なる調査と人才の登庸に因り新しい省政府を組織する
その前提として西康省民の自覚と天然資源の開発とが考へられてゐた
その後 省に省長があり中央政府より任命される
彼は省民より成る省議曾の制約を受け
譲合は立法行政司法監察の四権を行使する
省の下に市と県があり県の下に村がある
市長県長村長は何れも議会の監督を受ける
夫々の自治体は教育部、地方財務部、保安部、農芸事務部、
工業管理部、娯楽部、社会事業部等より成り
例へば映画館や劇場等の自治体による直接管理や死刑の廃止や婦女の解放等が
僕の計画では下から持つて来られる筈であつた

その頃日本が満洲に出兵し
大学生達は軟弱外交を攻撃して蒋主席に抗議に出かけた
そして大学生達は髪の毛をもつてふりまはされ靴で踏みにじられた
彼等は戦地に輸送すると脅かされた
彼等の大部分は叫ぶことを止め
後の小部分は叫び方を変へた
僕の建設計画は愈々熟したが
それはもう遠い西康省よりも近い西康省に向けられたのだつた
自分達のまはりは凡てが西康省であるから

p34

歌唱   (昭和9年6月 鷭 2号)

彼等が口をあけて歌ふとき
その口腔(のど)はうす紅い
――それを俺は永い間愛して来たものだ
芳ばしい微風(そよかぜ)が薄い雲をひく
その奥で歌だけがいつまでも残る
世界はその方がもつと美くしい

p35

灯はゆれる それらの歌につれて
悲しい聞きあきた歌だ
四つ辻では花が咲く
こめかみに弾丸(たま)の痕がある男
そのひとが俺にボンボンをくれた
俺は眠る
ゆれる灯にゆすられて

 日記   (昭和9年7月 コギト 26号)

 1
うすい血の色の林のなかで
小烏は啼きはばたきしてゐる
雲は軽やかになるこゆりを動かし
時々口笛を吹く
自由な水が流れては
すぐインクのいろに染まつてしまふ

p36

 2
夏は柘榴のチューブからおし出される
終日(いちにち)おれは埃の噴泉(ふきあげ)を見る
そこここで啼く犬がゐて
昼はひと気がない
おれが悒(いぶ)せくてゐると
掌がとほくでひるがへつてゐる

山が近い 禿げてゐて
あれを思ふと海がひろがつて来る
うねる波と輝く波とが。

 碧   (昭和9年8月 文章法 4号)

潮風を吸つた時
海の薔薇園と野菜畑を理解した
あそこでは花は藍色の畝(うね)になつてゐる
子供たちは覗くと歓声をあげ
青い青いと呼ぶ
鴎が降りて来て彼等の眼を啄いた

p37

 蝶   (昭和9年10月 コギト 29号)

雲の中に畑がある
老いた学士(マギステル)は李の木の下に埋められた
青い蝶は静かに夏を過ごす
けふ方々で祭典があつた

 湖水   (昭和9年10月 椎の木 3年10号)

水の中に髪
かうほねの花のやうに金色で
むかしその歌が湖水を渡つたことがある
糸杉(シプレス)のかげから夕もやが立ち
暗い水の中でかみのけは閃いた。

p38

琴のうた   (昭和9年9月 海盤車 3巻15号)

おととひそれは香ばしい風で来て
昨日は雪でもつて中断された
黄色い小さい花が咲き
鳥が来鳴く薮と繁茂し
雨の中にきらきらと耀(かがよ)うた

 長い夜   (昭和9年10月 椎の木 3年10号)

わたしたちの歌が空に昇り
雲のきれつぱしから星が降りた
むかしむかしおぢいさんとおばあさんがあり
オルゴルに倚(よ)つて死を懐(おも)つてゐた

p39

 鳥   (昭和9年12月 コギト 31号)

おれは塵芥とともに川を下る
一つの島に上陸し
夕焼や暁のいろを見て
高い石段を登ると
海も陸も限りなく廣かつた

 朝   (昭和9年12月 コギト 31号)

世界中に鐘が鳴りわたる
リンリンリリエンクロオオン――
蔦のからんだ塔よ 朝日のあたる石段よ
誰かが通りに手帛(ハンカチ)を落して行つてる

p40

 蛇つかひ   (昭和9年12月 コギト 31号)

誰かがこの石の上で赤棟蛇(やまかがし)を殺したのだ
こほろぎが啼くすずしい
森で羊歯(しだ)が鳴つてゐる
日向の水で少女が髪を洗つてゐる

 首途   (昭和9年12月 コギト 31号)

巍々たる峰に日輪は射す
朝は小川に
草は深い田舎
きりぎりすよ ばつたよ
旅嚢(リュック)はもう色んな画で一杯だが

p41

 青春   (昭和10年1月  四季 3号)

ある日高い山にのぼつて俯瞰する
谿間に人や馬が群れてゐて
あのあたりに隠れて僧院があるのだ
寒い岩や紅葉(もみぢ)や石塊(いしころ)や
高原の隅々に歌があり
夕方まで暮して山を降りると
白雲の中に迷つてしまつた

 零落   (昭和10年1月 日本歌人 1月号)

都会のまん中で榛の実を売る
友達は公爵や仲買人になつた
わしの作品はすべて子供の玩具(おもちゃ)
夕方わしは影を巻いて立上り
ふりかへるとみんな年老いたひとばかり

p42

 古典   (昭和10年1月 日本歌人 1月号)

イオニヤの岸には海豚が游(うか)び
春にサラミス湾に董が咲く
希臘(ヘラス)の人々は青と黄色と
すべて澄達の色を好み
酒宴には手を叩き
葬儀には首垂(うなだ)れた

 寒鳥   (昭和10年3月 四季 5号)

杳かに道を来てふりかへると
雲際をさまざまの旗たてて行列が逝つた
わしは山や谷に分けいり
懸崖に菊の花を見たが
菊は眼前に瞠(ひら)き 懸崖は
掌(て)の指のやうに裂けて見せた
わしは声を出してほうと喚び
一声のあとは幾声も出た

p43

古駅   (昭和10年10月 四季 11号)

紅葉の美しい谷へ街道は上つてゐる
毀れた水車や投げ出されてある車輪

ひつそりと山村は静まつてゐる
鴉が街道を歩いてゐる
休息に一軒の扉(と)を敲くと
白髪(しらが)の女が現はれて
入つてもいいと手真似でいふ
このあたりで言葉は尽きて了つたか

p44

多島海   (昭和10年2月 コギト 33号)

何がわたしをおどろかせたのだらう
その多岐(たき)の入江にわたしは踏みまよひ
海月と海藻の間に神々を見た

夕月のやうに輝く朝をもつた少女たち
真紅の総になつてゐる舌を吐く
山茶花に似た唇の貝殻たち

太陽光のあまねく照らすやうに
たのしい色んな思ひ出がこの夕あかりに
凡てかへつて来る 古代の説話のやうだ

血にまみれた楯に似た島が
わたしの前面に暗く立ち塞がり
背後から太陽に照らされてゐる

わたしの立てる波がまだ彼の脚に及ばない
彼は様々の樹木をもつてゐて
それから露き出しの肩と顱頂(ろちょう)とをもつ

わたしを取巻いて黄昏がある
わたしのまはりはすべて波打ち
すべてが帰還のために忙がしい

わたしは出発する
その多岐の入江を身をくねらせながら
脂粉で粧はねばならぬほど蒼ざめて

p45

ある日中島栄次郎に   (昭和10年9月 コギト 40号)

   ── HorenやMusenalmanach※では随分時間を費した(ゲーテ)

レッシングやシルレルも少年の日には
感傷を歌つたが年よつて固まつた
今年はミューズたちが遠くへ行つたので
薔薇や麦を見ても心を動かさない
遠い都会の轟々の音や
管楽器や絃楽器が時々耳を惹くが
泉の声は小さく 海の笛は大きすぎる

p46

歴史   (昭和10年12月 コギト 43号)

低い草だけから成つてゐる島々
荒天には煙つて見えなくなる
昔ここに和蘭(オランダ)人の館があつた
老人は龍王廟(ティエンクンミャオ)から骨董品を持出し
われに説明料を要求した

p47

奇蹟   (昭和11年1月 四季 14号)

ある晴れた朝 発動機船第三住吉丸は
五色の幟をひるがへして最初の船出をした
(村中が浜に集つてゐた)
発動機の音は次第に小くなり やがて

倒れるほど傾いて 彼女は進路を北にとつたが
その時ゆくてに昼の星がきらきらと輝き出で

犬たちは奇妙な咆え声で啼きはじめた

 老公園   (昭和11年1月 セルパン 1月号)

桜の咲くひる親子が来る
ZOOでは孔雀より蛇が可愛いい
猿や熊は人の森林で狩(かり)されて
ナンキン豆で銃殺される
鶴は啼き、どじようを食べ
聖家族は正午に天丼を食べる
父は子に箸で食べさし
母は財布を出す
帰つてから疲れた子供は泣き
夫婦は欠伸をする予感。

p48

 玩具の世界   (昭和11年1月 セルパン 1月号)

水の中へ落つこちさうな恰好で
眼鏡橋では男が覗いてゐる
日はまだ通りを横切らないが
法院の塔からは郭公が
十二度啼いてから飛び立つた
兵隊が河岸(かし)を徘徊してる
爛漫と咲き乱れた杏の花。

p49

催眠術   (昭和10年4月 海盤車 4巻18号)

銀の峯々 黄金(きん)の原
ドイツに青い一流れ
ザクセンの王 バイエルン王
カルルスブルクのハインリヒ
菩提樹(リンデン)咲けば猫歩む
裏町花売り 地下電車
二階に造花屋
三階医療器具商
四階美容室
五階囲碁倶楽部
六階以上は雲の中
ベルリン中が花ざかり
人に見られて散歩する
フリイドリヒ・ヴィルヘルム四世の銅像前まで

p50

 鳶   (昭和11年3月 四季 16号)

俺はとぶ
日はすでに傾き風が強い
感情が昂ぶつて弧が旨く画けない
冷い虚空で
俺はひとり言をいひ
涙を流して――
獲物にまつすぐに墜ちかかる

 烏   (昭和11年3月 四季 16号)

悔恨とはほど遠いが
日の夕方には高みにくる
ここから見れば
すべての営みの何と小いこと
この楊桃(やまもも)の林をめぐる水は
三度めぐつて町へ流れ墜ちる

p51

 生者   (昭和11年7月  コギト 50号)

横臥してしづかに息づいてゐると
人々は影のやうにまはりを去来した
道は自分の左右で光のやうに屈折し
手をのばすと人々は養ひを
もつてゐる籠から掴み出してくれた
自分は心底から楽しくて立上り
臥てゐた場所を見ると色んな花が咲いてゐた

p52

冬海のほとりに住む   (昭和11年5月 四季 17号)

夜更け目覚めてもう眠れない

海はまるで大きな紡績工場のやうだ
絶間ない轟音のあひまに
疳高い女工たちの鄙歌(ひなうた)や
テノールの監督の叱り声がまじり──
ややあつて終業の汽笛 微かに声長く
いやあれは十二時の最終航路
幾百の寝相の悪い夢たちを載せて

p53

 死者   (昭和11年6月 四季 18号)

谷に一本の桜の木の下で
きみは青い顔色で坐席を作つてゐた
何かするなと見てゐた
空が翳り出して、準備が出来た
きみは坐つて眼をつぶり
死相を身に帯びた
鳥が眼の前を一つ過つて飛んだ。

p54

怠惰な時間   (昭和11年8月 四季 20号)

教師 灰色の海から熱い風が来る
   生徒たちはやけに大きい声で斉唱(せいしょう)する
   それは蜂か否それは蜂でないそれは蝶である
   その声で最も大胆不敵な生徒(やつ)が
   寝息をたてて寝込んでしまふ

生徒 鈍い蜂の羽音で眠つてしまつた
   目が覚めるとあたりは暗澹としてゐる
   これで一日が終り、多分、殆ど確実に
   あすの朝はまた単調な一日が来る
   呟いておれは四辺をねめ廻はす

p55

俺は悪魔を   (昭和11年12月  コギト 55号)

俺は悪魔を呼んだら 悪魔はやつて来た
顔色のわるい痩せた 眼尻に皺のある
気の弱さうな男なのに一寸驚かされた
俺を見るとお辞儀をして世間並の挨拶をし
俺の研究が旨く行つてるかどうかを訊ね
自分も近頃マルキシズムを卒業して
神皇正統記と古史徴(こしちょう)開題記を読んでゐる ──
理由は外でもない テキストが安いからだ
小説や詩はつまらぬから君も読むなと忠告した
俺はじつと見つめて 此の男が
以前 大学で煽動演説をやつて
警官に逮捕された男なのを知つた
彼はこの時 最も悪魔的な方法で
そこを逃げ出したので一時有名だつた――

p56

19枚白紙

裏表紙


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