2002/11/25update
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たかまつ あきら【高松章】『高松章詩集』1982


高松章詩集

高松章詩集

高松章遺稿詩集

昭和57年11月26日 編集工房ノア(大阪)刊

20.1×18.0cm 上製函  \2500


コメント:

 『高松章詩集』(1982年・編集工房ノア刊)を入手。「椎の木」詩人のアンソロジー「詩抄」(1932年・椎の木社刊)の中で、草飼稔※の前に載せられてゐる詩人だ。21×18cmの上製本函入といふ、以前拙文でも触れた山本信雄の「木苺」と同型、 文字の組み方も遺稿集ながらその「椎の木」風の瀟洒なスタイルをなぞったのは、編者(谷口彪氏)の配慮あってのことだらう。唯一の瑕瑾は表紙の朱色だが、全体として好感に満ちた装丁である。 生前に詩集を一冊ももたなかった、そして晩年は「孤老のうち」にあったと謂ふ詩人の、これがただ一冊きりの詩集であるわけなのだが、(現代の)年配詩人にありがちな“身辺雑詩”を含んでゐない。 遺稿集としての内容に(つまりはその詩想の保ち方に)まず驚かされるのである。さきの「詩抄」所載のもの以外は初出が記されてゐないけれども、仮名遣ひを直してゐないこと(これも編者の手柄)や、 詩風に一貫する、観照の態度と言葉の知的操作、それはまさしく戦前の抒情詩人、ことにも「椎の木」一派にみられるモダニズムの色濃い抒情なのであって、戦後のものとおぼしき作品を拾っても、 そこにしみったれた夾雑物、つまり日常(テレビニュースや海外旅行や飼猫や)に感情移入して作っただけの生活抒情詩を見出すことはできない。詩集といふ“墓標”にあらはれた、 この「いずまい、たたずまい(帯の言葉)」については、篇中に「補遺」が存するところより、作品選定が編者の意向ではなく、おそらく生前の刊行を予定してゐたといふ詩人自身の筐底に秘められてきた思惑によるものに相違ないのである。

 詩人であるからには書き続け、そして発表もしたい、といふ半ばは居直りでもって、如何に多くの晩年を迎へた詩人が、自らの詩業を集成するにあたって臆面も無く、 或は愛着さへもって、それらトーンの落ちた戦後詩によって、若き日の詩業の純度を薄めさすやうな大冊を刊行せねば気が済まなかったか。まるで「詩人として蛇足のやうな人生」を自ら証明するような、 とまで添へればすぎるか。無論かうした言ひざまは、現代詩に対する我が無理解を露呈し、ただただ嘲笑されるだけなのであらうけれども、私の方も、昭和生まれの“生涯教育詩人”に嗤はれたところで、 一向平気頓着しないのだから閉口する。(かう書くから駄目なんだね)。

 そのひとが「詩人であるかどうか」の最低条件とはなんだらう。人に自分の意図や気持を伝へるために、どんな「努力」をしてゐるのかといふことにいつも注意を払って、 私は詩を読んでゐる。成功してゐるかどうかは二の次である。しかしそれは方向としてひとりよがりではあり得ないし、少なくとも「思想」の如何とは関係がない。 それが「言葉」の上にしか現れないといふことを自覚し、実行してゐるひと。それが私の中の詩人の第一の定義である。なぜにそこまで「心」が言葉を渇仰するのか、は、 さらに上位の条件として軽軽に論ずべきところでない。勿論「なぜ」書くかは一番大切なことだが、そして「書く」こと自体は勝手自由のことだけれども、 動機を振りかざして(時に動機らしいものなど何にもないのに)詩を「発表」して倦まないひとたち、つまり諷することを知らず、含羞を知らぬひとは、私の慕ふ「詩人」ではないのである。 含羞をふりきる「権利」は、身に迫った危険だけがこれを与へる。或は死後に発表された詩だから輝くのである(「雨ニモ負ケズ」のやうな詩はさういふ経緯でなくてはなんびとも此れを承認できないだらう)。 しかし言論弾圧の無い戦後の時代に、そのやうな権利を有した生きた詩人が果たしてそんなにも多く在っただらうか。私はこの高松章といふ、孤独のうちに天寿を全うした詩人について詳しくは知らない。 しかしその言葉に関る「節操」を、詩集の半分の分量を占めた、詩ではなく俳句のおもてに読んだのである。それは喩へていへば木下夕爾や風流陣の詩人たちに連なるやうな所謂「詩人の作った句」である。

パンの実を焼けば野営に星にほふ
星の峯一碧の果われ死なむ
敵機去り厨に寝間に椰子の影
捧げもち揺れゆたかなる六菊花
つつじ咲きかつ散る川の濯ぎもの
旅客機の春燈しばし星の座に
注射針皿に良夜の音立つる
あきぐさを結べば愁ひあるごとし
峰めぐるサイレン谿に栗ひらふ
コスモス濃ゆし清貧の灯をかかげ
人として山羊として生れ枯野に遭ふ
掌に渦紋炭火に染みてひとりゐむ
(2002/10/12)

草飼稔:御子息草飼薫さんによるホームページあり。


作品抄出: 詩篇にはわが杉山平一、田中克己など、四季派詩人のインスピレーションを刺激し、刺激され、したとおぼしきものも散見される。

  「筏」
1.日々に空晴れる。この頃。河べりの老椿も花を飾ってゐる。椿の花を商ふのであらう。いつも樹影に筏が繋がれてゐる。筏は枝葉のままに椿の花を満載してゐる。
2.少年が樹に登る。葉影が乱れる。少年は筏の積荷の上に寝そべってリイダアを復唱する。
 Winter is gone. Spring has come.
3.筏は出発しない。筏が椿の花を積み切らないうちに日が暮れる。

  「早春」

その中では青い壜がうなってゐる空
遥かな地方の暖い気候を憶ふと
やっぱり薄氷が破られてゐるらしい
ここの瀬鳴りに寝そべって
日あたりは草の匂ひにやけつく
河沿ひに耳かたむける風と一緒に
その歌は日ねもす雲雀を揚げてゐる

(この作品は初出がわからない。田中克己の同名の作品(昭和9年4月詩誌「ペーペー」所載)が、この作品にinspireしたかもしれない。)

  「河原」

風は草むらを分けて青い息を吐く

水が低くなり
月光の裂けてゐるところで犬が鳴く

村は砂漠の色に照らされて
月明を聴く 曇った胸だけがめざめてゐる


たかまつ あきら【高松章】(1909〜1981)

本名・高松明。明治42年兵庫県明石市に生る。神戸一中卒。「椎の木」同人。大阪新聞在勤中、昭和16年応召。旧北満州緩西、南洋群島パラオを転戦。昭和19年6月海軍病院氷川丸へ入院。昭和20年召集解除。昭和56年11月26日肺癌の為北野病院にて没。


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