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後藤松陰 ごとう しょういん (1797 寛政 9年 〜 1864 元治元年)

 『竹深荷浄書屋集』『春草詩鈔』『松陰亭集』『松陰詩稿』『松陰文稿』


詩集 『春草先生詩鈔』(写本 岐阜県図書館蔵)  『摂西六家詩鈔』嘉永2年  『近世名家詩鈔』安政5年

村瀬藤城・後藤松陰 選 『清百家絶句』

後藤松陰展と故郷 (ハートピア安八 歴史民俗資料館 第1回企画展 平成15年7月19日〜9月28日)

後藤松陰自筆 世話千字文 折帖 (2007年3月入手)   後藤松陰序跋 山陽先生横江帖(復刻) (2008年9月入手)


村瀬甒(村瀬雪峡)手稿漢詩文綴 (岐阜県図書館蔵) 嘉永三年八月六日 6丁 25cm より。 松陰山房記   承前   承前


後藤松陰 手跡その1 掛軸 (2006年9月入手)

手跡その1

暮洒處々雪
層巒白幾堆
望之清更潔
千載想霜臺

城山暮雪見附十勝之一  松陰退史

暮洒、處々の雪
層巒、白、幾かほどか堆き
之を望めば清、更に潔
千載、霜臺を想ふ

城山暮雪見附十勝之一  松陰退史

p1  p2


後藤松陰 手跡その2 掛軸 (2007年10月入手)

手跡その2

鷄聲勇喔々土筆暖炎々白黒南坡豆陰晴一葉占梅柳行[庶]
好笑歌看己添描大小生活研田聊雨沾

己酉[秋]年作城南南坡邨春分日焼大豆十二粒於煙取而列之 視其焼候 以占本年月々之晴雨若有閏者加一粒
其豆色白者爲晴黒者爲陰白黒相半者爲半晴半陰云今[年]春分在正月十一日  松陰主人機

鶏声勇しく喔々あくあくたり 土筆つくし暖かく炎々たり
白黒南坡なんばの豆 陰晴一葉の占ひ
梅柳は[庶もろもろ]の好みに行はれ 笑歌は己の添へるを看る
小生活も大きく描かば 研硯田いささか雨に沾うるほはん

己酉[秋]年(嘉永二年)作。
城南の南坡邨(難波村)、春分の日は焼き大豆十二粒を煙より
取りてこれを列べ、その焼け候を視、以て本年月々の晴雨を占ふ。
もし閏(月)有らば一粒を加ふ。
その豆色、白は晴と為し、黒は陰と為す。白黒相半は半晴半陰と為すと云ふ。
今[年]春分は、正月十一日に在り。 松陰主人機

p3  p4


後藤松陰 手跡その3 掛軸 (2007年12月入手)

手跡その3

p5  p6

p7

懶従児輩紫青紆
有酒盈尊 足自娯
今是昨非方已悟
田園忍使就荒蕪

六十七翁 松陰

児輩(小人物)に従ひ、紫青(の印綬)を紆(まと)ふは※懶(ものふ)し
酒有り、尊(樽)に盈(み)てり、自ら娯しむに足る
今是昨非、方(まさ)に已に悟り
田園に忍びて荒蕪に就かしむ

※熟語:
紆青拖紫(うせいたし:高位高官に出世する)
今是昨非(過去のあやまちを今はじめて悟る /陶淵明)


後藤松陰 手跡その4 色紙 (2008年09月入手)

p8   p9

八葉蓮峰天際緲
萬年古雪肌膚皎
豈唯山脚跨三州
千里回瞻白未了

画芙峰

八葉蓮峰、天際緲たり
萬年の古雪、肌膚皎し
豈唯に山脚三州を跨ぐのみならんや
千里回瞻すれば白未だ了せず

芙峰(富士山)を画く


後藤松陰 手跡その5 掛軸 (2009年09月入手)

手跡その5

團々介物聲呼魚。
雅歩夢跚亀子如。
休姫似月無光色。
金彈烏裙味有餘。

頃日有人饋團魚。賦此鳴謝。 松陰老人

團々たる介物、声呼して魚とす。
雅歩夢跚すること亀子の如し。
休姫は月に似るも光色なし。
金弾烏裙、味余りあり。

頃日ひとありて團魚(すっぽん)を饋(おく)る。此れを賦し鳴謝す。 松陰老人

p10 p11

後藤松陰展 (ハートピア安八 歴史民俗資料館 第1回企画展 平成15年)に展示された 同じ詩の軸


後藤松陰 手跡その6 掛軸 (2010年06月入手)

手跡その6

東風昨夜両灑[堦]  埜人賣菜聲満街
蒲公英緑猶會露  筆頭菜軟亦帶渥
藁蒿須配乾蘿菔  好向鄰家去乞醯
歓冬花苦嘗熊膽  中宵駆睡読書斎
香遠水芹野蜀葵  可羹可膾鼻先知
更愛蕨芽拳稍展  清烈千歳想[夷高]
寒儒春来享清福  斗酒有時謀山妻
却憐晩食当肉者  区々梁宍未忘懐

春蔬詩舊作録似梶野巨川雅宗 正之   松陰後藤機

東風、昨夜、両灑[堦]  野人菜を売る、声、街に満つ
蒲公英(たんぽぽ)の緑、猶ほ露に会ひ  筆頭菜(つくし)軟かくして亦た渥を帯ぶ
藁蒿は須らく乾し蘿菔(大根)に配すべし  好し、鄰家に向ひ去りて醯を乞へ
歓冬花(ふきのとう)の苦きは熊胆を嘗め  中宵、睡りを駆る、読書斎
香は遠し、水芹、野蜀葵  羹も可、膾も可なり、鼻先づ知る
更に愛す、蕨芽拳(わらび)の稍(やうや)く展びるを  清烈たり千歳、[夷高]を想ふ
寒儒も春来りて清福を享く  斗酒有りて時に山妻に謀る
却て憐む、晩食、肉に当る者  区々たる梁宍(御馳走)、未だ懐ひを忘れず

春蔬詩旧作、録して梶野巨川雅宗に似[示]す 正之[斧正]   松陰後藤機

p13 p14


後藤松陰 手跡その7 色紙 (2010年 月入手) 

手跡その7

秋冬将際此移家
快意朝朝漱井美
沈瓜願喜流金白
碧玉紅氷慰歯牙

新屋雑詩之一
松陰主人機

秋冬まさに際(まじ)はらんとして此に家を移す 快意、朝々、井の美しきに漱ぐ
瓜を沈めて願ひ喜ぶ、金白の流れるを 碧玉紅氷、歯牙を慰む

p15   p16


後藤松陰 手跡その8 色紙 (2011年2月入手)

手跡その8

肴魚名大口
口大而鱗細
豈只松江鱸
淡中味凄[絶]

題口大魚圖 松陰主人

肴魚「大口オオグチ:ヒラメ」と名づく 口大きく而して鱗は細(こまか)し
豈に只に松江の鱸のみならんや 淡中に味の凄絶なるは

(すっぽんと云ひヒラメと云ひ、さすが篠崎家に入っただけあって美食家であります。)

p17  p18


後藤松陰 手跡その9 掛軸 (岐阜市歴史博物館所蔵)

手跡その9

山光媚渓色 三両坐航人
憶下長良峡 斟来岐阜津

題画近製 松陰主人

山光、渓色に媚ぶ
三両、航に坐する人
憶ふ、長良峡を下りて
斟み来る岐阜の津を

p19   p20


菅茶山『筆のすさび』(安政四年 [1857]刊行) 序

 余かつて漢人の記事を謂ひて「随ひて聞き随ひて録す」とす。もしその虚実の有無に至りては、則ちこれを聴き読む者の各自これを評論す。邦人は則ち然らず。 つねに人の談話を聞くに、すなはち虚無の二字を胸中に置く。それ疑ふべきは、実と虚とを問はず、臆断は録さず。これ奇談異聞の、伝はらざる所以なり。あに東西人気の根、 強弱有らんや。まさに時世人情の然らしむる所ならんや。
 但し我が茶山菅翁は則ち然らず。
 文化戊寅(十五年)、余、山陽先師の西遊に従ひ、神辺駅に至り、始めて翁の謁を得、遂にその塾に三旬許りも寓す。翁、日夕飲酒すれば、輙ち必ず余を呼んで侍さしむ。酒間、 問ふに異聞奇事をもってし、国の産に及ぶ。余もまた偶ま問ふにその著す所の「冬日影」を以てす。翁咲ひて曰く。
 人心は率ね遠きを貴び近きを賎しむ。新しきを喜び陳きを厭ふ。近来、西洋学を重んじて、漢学を軽んず。擩染(濡染:カブレ)の至りなり。或は被髪侏離の語(解し難い外国語)を以て至極となす。 吾これに懼れをなして作る也。今は無用なれば、これを(甲乙の下の)丙丁に付す、と。
 一日、奥(奥州の)のひと某来れり、謁を投じて日く。さきに西遊すれば、今また東還す。一たび芝眉(尊顔)に挹(揖)して(拝謁して)帰らば、則ち吾が願ひ足れりと。翁、 時に年まさに七十、疝を患ふ。辞して見(まみ)えず、ただ命じて駅中に舘(やど)らしむ。既にして夜に入る。某また来りて曰く。先生病ひ有り。如何ともすべからず。願くは塾中の諸君と、 詩をもって会すること一餉時ならんことを。何如。すなはち相ひ共に韻をたたかはせて談咲(談笑)す。これを頃(しばらく)するに、翁手に自ら煙盤を提げて来り坐す。火光を蔽ひ、 一問一答、自ら膝の席に前(すす)むを覚えず。某つひにそれ翁なるを知らざるなり。
 一日、翁余に謂ひて曰く。吾子必ずや筆墨を以て名を成す者なり。僕に三訣有り。これを授けんや否や。余、席を避けて曰く。敢へて請ふなり。すなはち曰く。
 凡そ文筆を以て業と成さんとせば、飲食を以て陰晷(時間)を費やすなかれ。ただ酢と醤とを小甕にて調和し、投ずるに甲州白梅、乾蘿菔(大根)等を以てせよ。春月に至らば、 或は点ずるに山椒芽を以てすれば、以て酒を下すべし。以て飯も過ぐべし。これ一訣なり。
 凡そ遊び始めの境には、疲れると雖も、輿に乗るなかれ。往々の奇景を錯過す。これ二訣なり。
 凡そ儒を以て名を得たる者は、諸方より必ず多く詩文の改正を乞ふを寄せらる。之を改正するに法有り、知らざるべからず。これ三訣なり。
 (われ)曰く。改正の方とは如何に。翁咲ひて答へず。固く請ふも、つひに言はず。けだし余をして思ひ之を得さしめんと欲するなり。
 これ今を距つること三十又九年。翁の世に有りし文政丁亥(十三年)より三十年かな。このごろ書肆某、翁の随筆四冊を得て、携へ来り一言を乞ふ。ああ、 小子何ぞ翁の書に言を弁ずるをもって足らんや。しかるに強ひて匈(さわ)ぎて止まず。あに余をもって猶ほ翁を識るに及ぶなりとか。この著、翁に在りては、則ち言ふ所の桂林の一枝。 昆山の片玉のみ。而してまたもってその用心異常を見るべし。因てこれを書してこれに与ふ。或はもって随筆の一則を補ふに足りんや。

 安政丙辰(三年)重陽(九月九日)雨窓
                               後進  後藤 機

余嘗謂漢人記事。随聞随録。至若其虚実有無。則聴読焉者各自評論之。邦人則不然。毎聞人談話。輙先置虚無二字於胸中。其可疑者。不問実与虚。臆断不録。是 奇談異聞。所以不伝。豈東西人気根。有強弱邪。将時世人情所使然也邪。但我茶山菅翁則不然。文化戊寅。余従山陽先師西遊。至神辺駅。始得謁翁。遂寓其塾三 旬許。翁日夕飲酒。輙必呼余侍焉。酒間。問以異聞奇事。及国産。余亦偶問以其所著冬日影。翁咲曰。人心率貴遠賎近。喜新厭陳。近来重西洋学。而軽漢学。擩 染之至。或以被髪侏離語為至極。吾為之懼而作也。今無用。付諸丙丁矣。一日奥人某来。投謁日。向者西遊。今也東還。一挹芝眉而帰。則吾願足矣。翁時年方七 十。患疝。辞而不見。但命舘於駅中。既入夜。某復来曰。先生有病。不可如何。願与塾中請君。以詩会一餉時。何如。乃相共鬮韻談咲。頃之。翁手自提煙盤来 坐。蔽火光。一間一答。不自覚膝之前席。某竟不知其為翁也。一日翁謂余曰。吾子必以筆墨成名者。僕有三訣。授之否。余避席曰。敢請。乃曰。凡以文筆成業。 勿以飲食費陰晷。唯調和酢与醤於小甕。投以甲州白梅。乾蘿菔等。至春月。或点以山椒芽焉。可以下酒。可以過飯。是一訣也。凡始遊之境。雖疲矣。勿乗輿。往 々錯過奇景。是二訣也。凡以儒得名者。諸方必多寄詩文乞改正。改正之有法。不可不知也。是三訣也。日改正之方。如何。翁咲而不答。固請。竟不言。蓋欲使余 思而得之也。此距今三十又九年。翁有世文政丁亥三十年矣。頃書肆某得翁随筆四冊、携来乞一言。鳴乎。小子何足以弁言翁書。而強匈不止。豈以余猶及識翁也 歟。此著在翁。則所言桂林一枝。昆山片玉耳。而亦可以見其用心異常矣。因書此与之。或足以補随筆之一則也耶。
 安政丙辰重陽雨窓
                               後進  後藤 機


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