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鴻 雪爪(おおとり せっそう)

(1814 文化11年. 1. 1 〜 1904. 6.18 明治37年 )ほかに『山高水長図記』明治27年刊 


鴻雪爪翁山雨樓詩文鈔

『鴻雪爪翁山雨樓詩文鈔』

(おおとりせっそうおう さんうろうしぶんしょう)

小林正盛編  昭和11年10月5日 信之日本社 刊行

30,18丁 19.0×113.5cm  非売


  遺墨

序 1  2  3

丁巳(安政四年)之秋。同藤森弘庵、游養老瀑。遂宿千載楼
再遊美濃。飲于鉄心居士無何有荘。酒間分得坡翁之句 ほか
小原鉄心自東都寄詩責衲之疎闊。読之意辞両悲壮。忽発索居之歎。因依来韻却答 ほか
月瀬観梅 ほか
贈南邨隠士 ほか
重過鉄心居士無何有荘  同旭荘訪井上松濤賦所見 ほか
游大垣帰後寄懐鉄心小原氏 ほか
壬戌(文久二年)正月廿日敲矢島恕軒梅荘。依東坡女王城 ほか
戊辰初春偶成  井伊直弼公例祭香語 ほか
係重過無何有荘旧作。時甲戌(明治七年)之秋日也 ほか
明治紀元三月京寓偶作 ほか
訪隠士 ほか
読胡澹庵封事有感。次韻神山凰陽 ほか
辛未(明治四年)十一月重遊越前。贈本多釣月翁 ほか
明治庚午(三年)初夏。重過伊勢洞津。偶憶故拙堂翁 ほか
丁丑(明治十年)春観花墨水 ほか
養苔山房与海鴎聴水二兄飲。鴎兄有詩歩其韵 ほか
辛巳(明治十四年)海鴎君帰自広島有詩。依其韵記喜 ほか
壬午(明治十五年)晩秋一夕対月。与二三子浅酌。因海居士見眎韵。此夕即陰暦九月十三日夜也 ほか
庚辰(明治十三年)十一月初一日。喜海鴎居士至。即次其所眎韵三首。是夕適甚 ほか
偶成次韻田中雲卿 ほか
海居士観絵画共進会有作眎。和韵寄。時壬午(明治十五年)十月 ほか
正覚寺小集。有客袖来斎藤拙堂故信州地震行作。席上限其中之字各賦。衲得史。時甲寅(安政元年)晩夏。大地震之後也 ほか
堀嘉助携乃父嘉七翁肖像来請賛於衲。衲知翁久矣。因不辞而題。丁巳(安政四年)歳晩 ほか
題 半井晩香詩後 ほか
題 心越画幅 ほか
刻亦奇録序 ほか
挙明廉贈道鑑禅師跋 ほか
題 小原鉄心画游鵝図 ほか
斎藤拙堂賛一篇 および 跋文(芹沢閑)昭和11年 
芹沢閑再識 

附録 

鴻雪爪伝 1 2 3 4

鴻雪爪翁碑銘 1 2 3 4  5 6

小原鉄心遺稿鈔録 1 2 3 4  5 6 7 8 9  10

跋 1 2

奥付


 序文に、翁の臨終に際して家族が遺言を求めると「平生作るところの詩がすなはち遺言ぢゃ。」と語ったといふ。にも拘らず、遺稿は出版されず、 何故か本郷の森江書房なる古書店にて発見されたことが語られてゐる。昭和初期に於いてすでに幕末の漢詩人の遺稿といふものは子孫によってこのやうな扱ひを受けてゐたのである。 村瀬藤城の遺稿も大半が散逸し、纔かにかき集められ刊行されたのはやはり昭和2年のことであったが、謂はば昭和初期はさうした篤志家による遺稿出版の最後の機会でもあったのだらう。 今日古書店で散見する活字漢詩集の多くがこの時期に刷られてゐる。和紙の産地であるためか、特に岐阜の西濃印刷が、手間のかかるこの和綴じ体裁の自費出版ものを一手に引き受けてゐたやうである。
 編者小林正盛氏(雨峰僧正)は同じく跋文で『海鴎遺稿』を閲読できなかった憾みを述べてゐるが、昭和3年に刊行されたこの本を、図書館などで閲覧はできなかったものか、 本書が怱卒に編まれたことが悔やまれる。反対にこの本はなぜか岐阜県内の図書館に所蔵がみあたらない。これもまた、編者が『海鴎遺稿』を寄贈されたやうな岐阜の関係者と無縁だった結果である。 維新後に上京した漢詩人の交游圏にあった友人たちといふのは、故郷にあった友人たちとは意思の疎通を欠くところがあったのだらうか。


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