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牧 百峰(まき ひゃっぽう)

(1801 享和元年 〜 1863 文久3年2月13日)

名は輗(げい)、字は信侯、また信矦・信吾に作る。通称善助、また善輔に作る。自ら百峰山人と号し、別号に戇斎(とうさい)。本巣市文殊の人。 頼山陽後年の門下にして、銅駝坊に帷を下した後も足繁く交通し、後藤松陰とともに最も信を置かれた。弘化年間に学習所(後の学習院)の設けられるや儒師に聘せらる。 長楽寺に師と共に眠る。著書に『戇斎漫稿』ある由、一般には『日本楽府』註解ならびに蒲生氏郷論で有名。


牧百峰 掛軸 (2008年2月入手

牧百峰

暁起風吹雪
一樽誰共看
竹間猶籟々
松頂己團々
峯歉逢佳瑞
朝饑謂苦寒
疲驢亦憐汝
逸興未登鞍

丙申冬飢値雪有此作録似
士閑老兄正 輗

暁に起きれば、風、雪を吹く
一樽、誰と共に看ん
竹間、猶ほ籟々として
松の頂は己に団々
峯歉は佳瑞に逢ふも(峯は佳瑞に逢ふを飽き足りるも)
朝に饑う、苦寒と謂はん
疲驢、亦た汝を憐む
逸興の未だ鞍に登らざるを

丙申の冬、飢えて雪に値(あ)ひ此の作有り。 録して士閑老兄に似(しめ)す。 (教)正 輗

一樽:雪見酒の樽  峯歉ひどい歉歳(饑饉の年)のことか  佳瑞:吉兆(美しい雪のこと)  逸興:世俗を脱した風流  士閑老兄:不詳

暁に起きれば、風が雪を吹いてゐる
この一樽の酒を、誰と共に看たらよいだらう
竹林に、風はなほ籟々としてそよぎ
松の頂きには、雪がすでに団々と積もってゐる
はげしい饑饉の年にこのやうな吉兆に逢っても(山々はこのやうな吉兆に逢ふのに飽き足りても)
この朝に人々は飢える 苦寒と謂ふべきである
労務で疲れきったロバよ、またきみを憐むことだ
野遊の楽しみをその鞍にのせて今年は遊んだことがないからね

天保七年(1836)の飢饉の冬、飢えて雪に遭ひこの作を作った。 録して士閑老兄に示して正を乞ふ 輗

p3   p4

牧[木兒]                           贛齋


頼山陽自筆折帖 跋

山陽 跋


先師山陽先生兼工筆札 来請者相踵宁門常侍其研 次師曰 余於弄筆 肆意馳驟以取快焉斗 不好為人作法 法書之誤失一筆 伝習相承貽毒後来不為鮮 是亦賊夫人之子之類 吾豈必為之束縛区々自窘耶 此帖係豫人曽根主人之旧蔵書老杜夔府書懷四十韻合計四百言 一揮乃成奔放自肆 有不可禦之勢 蓋其偶書以取快者歟 求之其書帖中 実所希覩也 主人頃竹其姻丸山兄索余題題跋 因憶昔日師言猶在耳追書以還之 主人甚珍惜之
  乙卯南至題于京寓之有竹処  百峰居士輗


 先師山陽先生、兼て筆札に工みなり。来り請ふ者、相踵(あひつい)で門に佇み常にその研(硯)に侍る。次で師の曰く、「余の弄筆におけるや意のほしいまま馳驟以て快を取るばかりにして、 人の作法を為すを好まず」と。法書これ誤って一筆を失ふ。伝習相承すれば後来に毒を貽(のこ)すこと鮮(すくな)しとなさず。是れまた「かの人の子を賊(そこな)はん[論語※]」の類ひなり。 吾れ豈に必ずしもこれが為に束縛区々として自ら窘(くるし)まんや。
 此の帖、予人(伊予の人)曽根主人の旧蔵に係る。老杜(杜甫)「夔府(きふ)書懐四十韻」合計四百言を書す。一揮すなはち奔放自らほしいままに成り、 禦ぐべからざるの勢ひ有り。蓋しそれ偶(たまたま)快を取るを以って書せる者か。之を其の書帖中に求む、実に希に覩る所なり。
 主人頃(このごろ)竹その姻(妻の眷属)丸山兄、余に題跋を題せんことを索む。因りて昔日の師言の猶ほ在るがごときを憶ふのみ。追書して以て之を還す。主人、甚だしき珍なり、これを惜め。

  乙卯(安政二年)南至(冬至) 京寓の竹有る処にて題す  百峰居士輗  

※賊夫人之子 : 力不足の者に難しい任を与へては、その人の身を誤る結果に終るだらうの謂。


『天保三十六家絶句』天保九年 (1838)所載の三十首(巻中17〜21丁)

p5

三上恒編録 ; 上 , 中 , 下 -- 河内屋儀助, 岡田屋嘉七 : 須原屋伊八, 大文字屋得五郎, 天保9.9[1838][刊], 3冊.

p6

省郷
磨鍼嶺外萬崔嵬 行出関原路始開 喜見家山青好在 笑容直向馬頭來

省郷
磨鍼嶺(彦根郊外の難所)の外、よろず崔嵬たり 行きて関が原を出でて路始めて開く 喜び見る、家山の青、好く在るを 笑容として直ちに馬頭に向ひて来る

p7

葛原酒店別村瀬子錦
幾樹山櫻未作雲 一杯相要酔斜曛 預知別後春深淺 開到梢頭更憶君

葛原酒店に村瀬子錦(藤城)と別る
幾樹の山桜、未だ雲を作さず 一杯相ひ要して斜曛に酔ふ 預め知る、別後の春の深浅 開き梢頭に到りては更に君を憶はん

p8

送父到郷 原二
十年來往客京城 苦雨酸風幾別情 送父向家併見母 此行歸興冠平生

父を送り郷に到る もと二(首)
十年の来往、京城に客たり 苦雨酸風、幾別情ぞ 父を送り家に向ひて併せて母に見(まみ)ゆ 此の行の帰興、平生に冠たり

京寓遇梁公圖自西遊歸見過賦贈
烟鎖春城籠暖香 小留且勿促歸装 故園松竹陰長在 不似櫻花開落忙

京寓、梁公圖(梁川星巌)の西遊より帰り過ぎらるに遇ふ、賦して贈る
烟は春城を鎖して暖香を籠む 小留かつ帰装を促すことなかれ 故園の松竹、陰は長く在らん 似ず桜花の開落の忙しきに

秋夕喜神田實甫至
十年世路度崚嶒 自愧強顔對舊朋 尚有緇塵侵未了 木犀香底剪秋燈

秋夕、神田實甫(柳溪)至るを喜ぶ
十年の世路、崚嶒を渡る 自ら愧づ強顔の旧朋に対するを 尚ほ緇塵の侵して未だ了せざる有り 木犀の香底、秋燈を剪る

p9

舟到彦根湖上書[矚]
白沙紅樹帯湖灣 挂席無風舟路閑 廢却平生濟勝具 柁樓盡日坐看山

舟、彦根に到り湖上、矚るを書す
白沙紅樹、湖湾を帯ぶ 席(むしろ:帆)を挂(か)けて無風、舟路閑かなり 平生の済勝の具(健脚)を廃却し 柁樓にて尽日坐して山を看る

食蕎麥麵
負郭誰収二頃霜 饋我新麵白盈箱 對盤却記蘇山夕 凍雨聲中聞此香

蕎麥麺を食す
負郭(郊外)誰か収む二頃の霜(のごとき花の蕎麦畑) 我に饋(おく)る新麺、白、箱に盈つ 盤に対して却て記す蘇山(木曽山)の夕を 凍雨の声の中、此の香を聞く

p10


『嘉永二十五家絶句』嘉永元年(1848)所載の46首(巻一 22〜28丁)

奥付

江都:須原屋茂兵衛 京都:大文字屋正助、近江屋佐太郎 浪華:河内屋喜兵衞、藤屋善七、河内屋儀助、藤屋禹三郎  嘉永元年 4冊

本文画像は『詞華集 日本漢詩 第8巻(絶句集)』に依った。

p11

山陽先生三樹坡草堂奉侍 日野相公見枉駕
問花尋竹路非遥 釈剣抽簪興正饒 応是散衙帰尚早 来過東郭夕陽橋

山陽先生の三樹坡草堂に日野相公(資愛)枉駕せらるに侍べ奉る花を問ひ竹を尋ねて路、遥かに非ず。剣を釈り簪を抽いて興、正に饒(おお)し。応に是れ衙に散じて帰るは尚早なるべし。来り過ぐ東郭、夕陽の橋。

p12

p13

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p17


【塋域】 長楽寺(京都市東山区) 頼山陽墓碑の左後方にあります。

p18   p19

「考(先考)、諱は輗、字は信吾、自ら百峰山人と号し、濃州文殊村の人なり。京に於いて頼山陽先生に師事し、終に帷を下ろし業を授く。文久三年癸亥二月十三日、世を捨つ。享年六十三。 孝子 春彦建てる。」

p18

p19

p20   p21

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p24  p25

墓地よりの眺望 / 墓地入口(クリックで案内図)


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