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知道詩篇

『知道詩篇 初篇』

(ちどうしへん)

1820 文政三年序 井田経綸編、井田赤城閲 

建標楼発行,和綴 23.3×16.1cm 全1冊 

序:2丁(井田赤城)/ 序:2丁(秋葉愿良a) /  附言:1丁(従吾道人山如山)/本文:16丁 /  跋:2丁(井田経綸)

表紙(題簽欠)

知道詩篇序 井田赤城 1  2  3

知道詩篇序 秋葉愿良a 1  2  3

 老子曰く、大国を治めるは小鮮を烹るがごとし。詩道また然り、杓柄を言志永声の間に揚げ、塩梅を孝弟忠信の中に調へ、火度を興観群怨の域に徴し、 和羹を烹[飪食壬]醇沢の滋きに存して、人日に三嚼、もって鹹酸を味ひ、庸言これ信じ、庸行これ謹み、事物の感じる所に因みてもって性情の発する所に賦せば、 則ちその温厚和平にして思ひ邪ま無くもまた得べし。若し然らば則ち、士農工商その分を僭せずして身として脩まらざるはなく、家として斉(ととの)はざるはなく、所謂風雲を巻舒し、 珠玉を呑吐するも是においてか存す。然らざれば詩三百を誦し、日に日に数千万章を賦するも疾妬誹毀、牆面失愚、それ之を何をか謂はん。吾が師、赤城先生、 男経綸の撰ぶ所の知道詩篇を閲して乃ち弟子良aに序を作らしむ。葢し先生の詩を論ずるや、唐宋の格調を擇ばず、章句の工拙を議せず、貴介公子より以て黎庶に迨ぶまで、 いやしくも詩あるものは、取って以てその志思若何を観るのみ。友人、余を詰って曰く、格調工拙を議せずんば、則ち詩道なんぞ得ん。余、答へて曰く、道外に詩なく、詩外に道なし、 若し夫れ夏宵に蓮を嗅ぎ、雪朝に爐を擁して、苟も道に由って以て其の感ずる所を賦すれば、譬ふれば牡丹薔薇の各自その以て芬芳する所を呈するがごとし。友人曰く、妙なるかな詩論、 吾が儕の小人をして君子の林に入らしむ、幸ひ焉より大なるは莫し。先生の斯の篇を閲する杓柄、火度、塩梅、和羹、誰か玄味に飽かざる者あらんや。鶴の長脛、鳬の短足、 亦ただ先生の詩鼎に投ぜよと云ふ。庚辰秋七月巧夕

                                   長総 秋葉愿良a拝撰

附言 従吾道人山如山 1  2

赤城長雲卿 「家君。名某、姓井田氏、武州稲毛長尾邑の人。因って長尾某と自称す。」
有斐公子 「名乗顕、字微卿、姓源氏。」

貞甤(ずい)君 「名乗豪、字傑甫、姓源氏、号雪幹。」
拙齋  「名安親、字子孝、姓藤田氏、通称通栄、上毛矢田藩。」
関思問  「名思敬、号恭齋、俗称関口留五郎、東都の人。」
泰常  「字子久、号象洲、羽州本庄の人。」
子問  「羽州本庄の人、商家、俗称須藤善太郎。」

浅香元敬  「羽州本庄の人。」
今道召  「通称楽之進、羽州象潟大竹邑の人、業は医、八十六翁。」
今道也  「羽州象潟大竹邑の人、道召の孫、通称全常、業は医。」
藤淇水  「名信行、号翠陰、象潟大竹邑の人、通称佐藤春随、業は医。」
綱経  「字淑挙、羽州象潟大竹邑の人、通称佐々木宗琳、業は医。」

藤秀経  「号成蹊堂主人、字子恭、羽州由利畠邑の人。」
南木  「姓齋藤氏、名延秋、通称茂右衛門、羽州仁賀保の人。」
嶋鴻峯  「名公、字十八、号曰く影蘭、祖貫は東都の人、上総福俵に住す。通称嶋公齋、業は医。」
恊卿  「名克、号善庵、上総州青野の人。俗称秋葉恊二。」

木幾道  「名若水、号[扁]衆、上総州山口の人。俗称木村千代太郎。」
陸子孝  「名惟忠、号衡山、上総州清水の人。俗称陸平左衛門。」
宮恭篤  「名惟政、号孝陵、上総州清水の人。通称清宮伊左衛門。」
石保明  「名載止、上総大網の人。俗称石野六右衛門。」
深子直  「名惟康、号民陵、上総御蔵柴の人。通称深山勇右衛門。」

部子山  「名徂東、号雪顧、上総帆丘の人。俗称矢部五郎左衛門。」
秋愿  「字不侗、号知之、また蒼原と号す、上総青野の人。業は医、通称秋葉良a。」
成象童  「姓小佐野氏、俗称豊吉、甲州芙蓉山下、吉田の人。」
源嶰谷  「名光、号子龍、俗称竹屋靱負、甲州芙蓉山下、吉田の人。」

源橘園  「姓羽田氏、名知則、字恕安、また菱花亭と号す。俗称主殿、甲州芙蓉山下、吉田の人。」
山桃溪  「名詮、字文言、一号逍遥亭主人、通称山崎宗倫、宇土侯侍医。」
山[山居]崍  「名如山、字苞卿、一号従吾道人、山桃溪嫡男、江戸の人。」
東道策  「名徳義、号平原、美濃の人、京師錦街に住す。」
頌齋  「名静、字子正、姓伊庭氏、郡上藩亜大夫、俗称又五郎。」
西嶺  「名栄章、字伯煥、武州比企小川の人、俗称磯田長左衛門。書を善くす。」

村子顕  「名惟良、淡[齋」と号す、上総萱場の人。号をもって通称となす。」
釈玄英  「綽号俊山、駿州富士郡巌平の人。曹洞宗。」
石徳齋  「名篤敬、字子行、因州藩、業は医、通称石上周禎。」
新建城  「名峻、字廬卿、俗称新名表助、丸亀藩。」
芸卿  「名芸、号醒顛、上総堀上の人。通称中村養芸、業は医。」

帝出  「名震、姓伊庭氏、号柳湾、一号相牡丹、通称周齋、業は儒医、尤も周易に精し。柳橋の人。」
栄齋  「上総大網の人、業は医、通称齋藤又玄。」
田皎雪  「上総福俵の人、俗称北田栄佐。」
木静立  「名明之、号忘我、上総姫島の人、通称鈴木道安、業は医。」
富主一  「号惺齋、上総南飯塚の人、俗称冨塚戍松。」

飯子徳  「名驥、号後凋園、上総山口の人、俗称飯塚喜十郎。」
荻子徳  「名順祥、号荻城、上総本納の人、通称荻生順祥、業は医。」
根尾翼  「字垂天、号天梯、通称根尾平八郎、東都の人。」
釈柳芳  「長陽の人、東都青松寺寮頭。」
釈摂晃  「名泰忍、相州三浦横須賀邑波嶋山主、浄土真宗。」

雉玉鉉  「名鼎、上総の人、通称雉間玄雄、業は医。」
釈日冠  「名白円、江戸の人、上総州宮谷檀林僧侶。」
倉宗郁  「守静庵と号す。業は医、上総南横河の人、通称倉持宗郁。」
三上君  「名李富、字礼卿、自ら知来館主人と号す。」
新見君  「名正路、字義卿。」

松子方  「名廉、号崛奇、通称松浦凌a、業は医、上総牛込の人。」
土無逸  「名惟馨、号孜堂、また牡丹培者と号す。業は医、通称土屋良順、上総富田の人。」
中務敏  「名遜、允懐と号す、上総青田の人、俗称中邑豊造。」
小謝海  「名公純、字君嘏(か)、俗称小出弥左衛門、郡上侯大夫。」
籊(てき)川  「名潜、字孔昭、郡上侯大夫、俗称鈴木典礼。」

不換  「名恊、字至善、作州九湍邑の人、東都に住す。」
滄海  「名重僖、字孔和、郡上侯大夫、通称鈴木兵左衛門。」
西崕  「名宗定、字孔固、郡上侯侍医、通称中泉甫庵。」
順齋  「名正名、字子苟、濃州郡上藩士、俗称古沢太介。」
文齋  「名昭、明卿と号す、結城藩、俗称茂野喜内。」

韓城  「名包教、字子文、宇土藩、俗称小林貫之助。」
蘭秀  「名惟徳、字君輔、宇土藩、俗称原伝八郎、東都の人。」
平水  「名惟義、字彰伯、濃州郡上藩侍医、通称多和田自快。」
結城老侯  「名勝剛、字子柔、姓水野氏、菎嶽と号す、また淇園と号す。有斐園に住す。」

琅玕君  「名勝久、字子敬、仙籟齋と号す、俗称水野道之助。」
華陽君  「名勝安、字子遷、姓源氏、逸齋と号す、俗称水野三男之丞。」
酔月山人  「名勝敬、字子凰、通称大刀彦居閑谷齋。」
絹江  「名昌全、字子徳、結城藩、俗称松井柳吉。」
錦城  「通称赤堀春楼、江都の人、上総一宮に住す。」

明空上人  「名徳現、三州額田郡法蔵寺主、同州幡頭郡徳永邑の人。」
葦齋  「名元敦、字子叙、姓中岡氏、俗称弾之丞、郡上藩。」
弘齋  「名将房、字楽卿、姓直江氏、通称半平、郡上藩。」
文庵  「名忠義、字路卿、郡上藩、俗称氏井多四郎。」
寛齋  「名忠宗、字思孝、棚倉藩、俗称前川恕助。」

a山  「名敬行、字子信、郡上藩、通称速水佐吉。」

跋 井田経綸 1  2  3

裏表紙


川崎の一儒者父子が企画したアンソロジー漢詩集を入手、小出公純ほか郡上藩の好学家老たちの作品が載せられてゐたので一寸紹介します。序の記された文政三年は公純らが藩の文学に杉岡暾桑を招聘した年。 さかのぼって江村北海の序文を戴き『濃北風雅』を編輯した公純27歳の春、天明三年からは実に37年が経過してゐる計算です。翌くる文政四年、公純は『三野風雅』の刊行と時を同じくして亡くなるのですが、 何か伝手でもあってこの私家版アンソロジーに参加することになったのでせうか。採録詩人の出身地をみると特定の地域に偏ってゐて、これが全国津々浦々に募集したものでないことが分かります。 そして序文には

「唐宋の格調を擇ばず、章句の工拙を議せず、貴介公子より以て黎庶に迨ぶまで、いやしくも詩あるものは、取って以てその志思若何を観る」

 などと刊行趣旨がもっともらしく述べてあり、たしかに「聖霊派」の全盛時代、「工拙を議せず」は納得するにせよ、結城藩の藩主に至るまでの要路の人々が、 掲載順序にさへ異を差し挟むことがなかったのかは気になるところです。奥付の無い私家版ですから採算は各詩人からの掲載料に頼ってゐた筈です。 もちろん『濃北風雅』では小出公純が第一巻の巻頭に置かれてゐます。
 しかしアンデパンダンを標榜するところ、なんだか同じく川崎にあった「詩の家」みたいですね(笑)。自ら詩の第一人者を自称して地方の初学者をあつめ宗匠を気取るところも大正時代にデビューした口語詩人たちみたいです。 著名詩人を収めた『文政〜慶応○○家絶句』のアンソロジーより却って面白さうなのも、昭和初期の無名詩人たちを集めたアンソロジーと同様、時を経てひとつの時代を映す資料として、 裾野に位置する稀覯書となったからに他なりません。


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