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野村藤陰 のむらとういん (1827 文政10年 〜 1899 明治32年)

『亦竒録:えききろく』上中下巻 小原(鉄心)寛[野村(藤陰)煥、菱田(海鷗)禧、菅(竹洲)喬 ] 慶應3年[1867]序, 1冊 (初刷りは3冊)

『鷃笑新誌:あんしょうしんし』1集〜11集合本(明14年[9]月〜15年8月) 鷃笑社(大垣郭町1番地、社長野村藤陰)刊行

『洞簫余響』 野村藤陰/編 [致道館] [慶應3 (1867)] 跋


藤陰遺稿

『藤陰遺稿』

(とういん いこう)

明治41年10月30日 平野豊次郎 編輯・発行
印刷 岡本豊次郎(大垣活版株式会社)

全3冊 非売品 22.6×14.9cm

【上】

野村藤陰

題詞:前大垣藩主 戸田氏共うじたか 「餘徳馨る 研堂共」
題詞:小野湖山 「文質彬彬 九十五奏叟 湖山愿題」
野村藤陰肖像
写真:江馬細香画「藤陰書屋図」小原鉄心賛 / 書簡:齋藤拙堂「齋藤拙翁謙 野村龍之助様 万延元年」
承前
承前
承前 / 序文:野村龍(藤陰嗣子 野村龍太郎)

巻之一 詩

早春出遊 / 自大洞泛舟抵彦根 / 斲笋 / 牽牛花
雪竹 / 送鉄心大夫東行 / 蘭 / 将西遊浪華留別社中諸彦 / 出門 / 草津早発 / 下澱江
八月十五日夜。聞義竹大夫西下。泛舟於澱江迎焉。未至。 / 
既望夜。再泛舟迎焉。亦未也。 / 
十七日。又泛舟迎焉。終至。喜而賦呈。兼似従行諸子。 /
 畳韻寄鉄心大夫在江戸 / 送植松生帰土佐 / 
送西子奭(揖斐三輪村西川直助?)之備前閑谷 / 送中邨子久帰省備前網乾
遊伊丹九月初五.陪拙堂先生遊京師。途経痛み遂宿焉。此地頗盛邑。大率醸戸也。 遊箕面山遂宿分韵
順正書院集重陽日。凉庭新宮翁。為拙堂先生。招都下名流於南禅寺順正書院。先生携従行諸子往。煥(藤陰)亦陪焉。是日会者。中嶋棕隠、梁川星巌、牧贛齋(牧百峰)、紅蘭女史、池内陶所、牧野天嶺、佐渡精齋諸子也。賦七律一章紀之。
遊天保山矚目。似同行鈴木子飛、大槻眉叔 子飛備前人。眉叔備中人 / 辛亥早春書事 / 次韻睡翁(戸田睡翁)公剃髪詩
三月初八同佐藤子直遊金生山 / 白子途上 / 秋熱殊甚憶養老瀑布 / 
打漁行辛亥六月十有九日。従平松楽齋翁及諸君。打魚於米津浦。獲魚大小八百余尾。賦此紀壮遊。 / 題銕研先生(斎藤拙堂)梅渓遊記(月瀬記勝)後
十月望陪棲碧山房讌 / 同中川生飲呑花吟月楼在香良州 / 十一月念八日。聞鳥居研山君訃。次其絶命韵追悼。 / 蘭 / 
次韻酬江馬堯臣見寄作 / 送睡翁遊京畿 / 送小寺士毅之江戸 / 題鉄心大夫梅園
春分日。陪鉄心大夫留別宴。同諸彦賦。時雪爪禅師将之伯耆。霞山上人将遊吉野。故結末及之。
輓楽齋平松翁 /  癸丑(嘉永6年)六月有浦港之警。西溝高岡君有述懐作。次其韵。 / 待家書不至 / 送奥田季清淺井穆郷帰尾藩
伊勢途上 / 重到棲碧山房拙堂先生別墅名。余去年寓子此。 / 三月念一日同誠軒君及奥田季清淺井穆郷遊千歳山 / 
春尽日山房集分韻時三島遠叔自浦賀帰。句中故及。 / 山房聞杜鵑。送奥田季清淺井穆郷帰郷。分韻。
前地震行並引嘉永甲寅(7年)六月十四夜。地大震。大和伊賀当其衝。伊勢近江次之…
帰省路上書事 / 到家 / 方来舎留別奥田季清 / 九月望。桃源精舎集。席上分韵。送参政上田君東役。
同前。席上次川越保岡正卿韵。送其東帰。 / 送保岡正卿正卿川越藩士。游歴西。帰路来游吾藩。 / 看楓歌。陪楓痴軒雅集。呈楓痴前大夫一粲。
後地震行並引十一月四日。東海当衝。五日。南海当衝。故豆州至紀州。海嘯在四日辰後。大阪以西海嘯在五日晡後。・・・
十一月十二日帰郷。書即事。 / 咏鷹。送剣客清水生帰備中松山。 / 乙卯(安政2年)歳旦
城中梅花鉄心大夫宅課題 / 二月念九日。睡翁公招飲鉄心大夫及細香毛芥南邨遜齋杏邨霞山大夢諸子於其婿家渡部氏松茂亭。余亦陪焉。分韵同賦。
自大藪帰舟中二首 / 上巳雨与中山主人飲 / 送雪爪禅師之雲洲 / 
四月三日湘夢書屋(江馬細香宅)集。邂逅長州山縣世衡高木致遠阿州加茂永郷越前大郷百穀及我加納青木叔恭。世衡時帰自蝦夷。故句中及之。
席上賦贈縣世衡 / 陪参政高岡君飲。酒間賦呈 / 四月念六日。高岡凰鳴小野埼立堂両君見訪草堂。酒間招細香女史至。歓飲至夜分。賦此紀喜。
題松竹深処軒 / 蛍 / 乙卯九月。陞儒員列。尋抵東役。臨発賦此。時十一月十三日也。
荒井舟中 / 吉原駅望芙蓉 / 歳晩書懐 / 聞細香女史七十初度。遥有此寄。 / 奉賀故執政睡翁君七十
訪大郷学橋 / 四條橋納涼図 / 木岨道中小詩十七首 / 偶感
猟(臘)雪夜帰 / 十二月初五訪細香女史。傍嶋甘谷先在。温梅窓尋至女史喚酒留余等飲。即席賦謝。 / 燈前閲剱 / 鎌渓看花 / 蕉陰茗話
中元。戸田敢堂小原鉄心両大夫招飲藤森弘庵翁于正覚寺。此日会者十数名。余亦陪焉。分字得落字。
九月十一日。聞拙堂先生来游。同牧田井田及釈朗月三子。泛舟於水門外奉迎。 / 十二日。先生見訪草堂。賦此奉謝。 / 十三夜陪正学寺(正覚寺?)集
鉄心大夫郵筒受業於先生者有年於此矣。今茲先生来遊始得相識。談屡及経済。大夫得啓沃之益不為少矣。賦此奉呈。
二十三日送先生至加納駅奉別。帰途有作。 / 蘭
送小野崎立堂経木岨之江都 / 二月十八日。正覚寺清集。送清拙(鴻雪爪)禅師卓錫南越孝顕寺。
寄懐小原大夫在江戸。次高岡君韻。 / 寄懐南越鴻爪禅師
戊午(安政5年)仲冬。余進班中扈従。兼有東行之命。総督戸田敢堂君。督学高岡西溝君及諸教授。為余設祖筵於松野氏別墅。皆有贈篇。因賦此謝且留別。
西溝君特恵一壷酒。付以詩。次韵以謝。 / 十二月十三日。陪鉄心大夫邸舎歳晩宴。大夫有詩。即席攀其韻。同諸彦賦。此日会者。高島秋帆、大槻磐溪、 保岡嶺南、佐竹永海、岡本秋暉、春木南華、西嶋秋航、齋藤東洋、鷲津毅堂、小橋橘陰、僧南園及我藩士上田高痴、菱田海鴎等也。
慰菱田海鴎喪母 / 雪夜鉄心大夫高痴君。携酒見訪余廨舎。即席走筆謝。
除夕月白風清楼守歳。同小原大夫上田内藤二君及海鴎。分高適句為韵。余得鬢字。
己未(安政6年)元旦口号 / 玻璃瓢歌藤堂侯賜此瓢於鉄心大夫。大夫作歌以謝。余亦倣顰以賀大夫。
二月朔晴暄。春意頗佳。午後鉄心大夫高痴君及翠迂海鴎諸兄。至広尾邸。 / 
北越雪爪禅師近築一小房於其寺背山腹。名曰橡栗。千里寄書於江都。索諸君題詠。余亦顰。博一粲。 / 題画
二月十一日。鉄心大夫誘高嶋秋帆大槻磐溪春木南華。泛舟自留潮橋至洲崎。余亦陪焉。高痴君拉立堂藤渠海鴎諸子。別泛舟続至。舟中賦五絶句以紀盛遊。禄三。
送立堂君帰郷 / 坐雨得月 / 送菱海鴎帰郷 / 別後寄懐鉄心大夫及謙齋立堂海鴎諸君 / 六月念六日。発江戸取途木曽帰郷。途上得十絶句。節六。
八月十四日夜。上田高痴君招飲。同諸彦賦。 / 拙堂先生再請致仕蒙允。有詩攀其芳韵奉賀。
復月十七日同鉄心大夫及二三子登岡山。吊鳥居研山君墓。兼餞令弟圭陰君之江戸。 / 庚申(万延元年)元旦 / 酬江戸翠迂宮本医伯見贈
蘭馨自江州帰省。留三日。臨別賦贈。 / 楠公 / 咏竹寿某北堂七十 / 蘭 / 梅 / 五月書事
六月六日東征途上即目 / 接家書 / 十九夜集上田君宅 / 秋日拉井田岨水高木葆齊遊目黒邸 / 雪暁 / 雪後出遊 / 学古楼落成喜而賦
偶成寄呈鉄心大夫及凰鳴君 / 正月既望。同高痴君遊洲崎。寄懐鉄心大夫。 / 正月二十日。鉄心大夫拉南邨海鴎毛芥。観梅于牧野荒尾諸邨。
晩春同高痴君。冒雨看花殿山。帰途訪僧南園。南園有詩。用其韵。 / 熱甚憶養老瀑布
夏山雨意 / 秋日客思 / 辛酉(文久元年)三月。我公拝滞府命。煥(藤陰)亦延帰期。越九月。賜半年休暇。欣然束装上途。時九月朔也。
帰家 / 九月十日。自江戸帰。聞細香女史下世。既経数日。賦此追悼。 / 晩秋同齋藤百竹訪杏村画伯 / 
芥子閣雨集。晤家里誠軒。攀鉄心大夫韵。 / 呈鉄心大夫大夫蒙進班之命。有故称病不応命。賦此以呈。
賀謙齋君擢番頭兼補参政 / 正月念四夜。立堂君招飲。同諸彦賦。分字。 / 鉄心大夫再上封事請辞職。蒙允。賦此呈。
次韵其退職詩以呈 / 高岡凰鳴君擢郡代兼蒙度支(支那)之命。有謝恩作。次其韵以呈。 / 楠公 / 鉄心大夫乞暇浴加州温泉。賦此送別。
壬戌(文久2年)四月。幕府令我藩衛高輪東禅寺英夷旅館。参政上田君往督戍兵。有感慨詩見示。因次其韵。
仲秋発郷赴江戸。取途木曽。路上作。 / 送大槻磐溪先生帰仙台 / 謁齋藤先生
癸亥(文久3年)六月三十日従公駕赴京師。途上口占。此日残熱如焚。 / 遊東山有感作 / 四條納涼 / 西郭竹枝
八月十八日( 禁門の政変)紀事。次郷友見寄詩韵。
嵐山観楓有感 / 鞠月念二日。陪鉄心大夫観楓於東福寺。分杜牧之詩為韵。余得山人林花四字。同江馬天江、邨田香谷、岩谷迂堂、僧梅津塢賦。
帰路過鴨東酒楼飲 / 小春初三。陪東山暁雲亭清讌。是日会者。彦根岡本黄石君、桑名服部謙齋君。我藩小原鉄心君及渋谷百錬、江馬天江、村田香谷、 僧鶴立等也。酒間大和捷報至。遂帰路過岡本君官舎。観其所獲首級及甲胄器械。故句中及之。
冬夜偶成 / 正月二十日。陪鉄心大夫。同高痴君桃壷禅師及南邨海鴎百竹。冒雨探梅牧野。帰路訪檜村里正早野氏。
三月十二日。同金栗南邨百竹諸子。訪高田邨柏淵拙蔵。遂観花于養老山 / 韓信出胯図
不倒翁無欹郎賛 / 甲子(元治元年)歳晩書感三首 / 乙丑(慶応元年)早春試筆。時鉄心大夫詩自京師。翠迂老人詩自江戸至。
次韵鉄心大夫越州陣営作 / 又次韵甲子除日探梅於東山若王子延年台作 / 送小野崎立堂君之京師 / 到落合村途上
観象 / 題杭溪印譜 杭溪業医。故句中及之。 / 見付駅望不二峰 / 棘鬛魚歌
浴函根温泉。往来得五絶句録二。 / 自宮下抵三枚橋途上口占 / 横浜 / 
四月五日。鉄心大夫介訳官太田耕烟子安子徳。招飲清客李遂川、潘脩儂、労梅石、蔡伯良四名於横浜客含雪亭。接伴者菱海鴎、菅竹洲、澤蠡海、秋老泉、嶋良仲等也。余亦与焉。
潘脩儂次余韵云。喜到仙山広見聞。雨中題詠酒方醺。他時帰剪西窓燭。猶記今宵百斛文。次潘脩儂韵。
潘氏原作云。… / 廨舎竹 / 次翠迂老人韻 / 翠迂軒雨集分韻 / 寄懐清客潘脩儂 / 聞杜宇分字 / 晤木下逸雲
丁卯(慶応3年)正月念一日。出遊以東坡半瓶濁酒待君温句為韵。鉄心西溝両大夫及江金粟、菱海鴎、僧春堂賦。各得五絶七首。
七月既望。鉄心大夫誘泮宮諸教授及諸生一百名。泛楼船観月於広州。乃分赤壁賦中字同賦。余得舟字。(『洞簫余響』の故事)
仲秋九日。訪山口村筑間氏。此夜残熱殊甚。到糸貫川納涼。 / 半夜枕上口占 / 翌日主人泛舟於前溪捕香魚 / 戊辰(明治元年)五月書事
我公招集封内僧徒於府下円通寺。大設法会吊祭東征殉節諸士霊。因賦五律一章以代采蘋。時戊辰秋八月五日也。 / 巡村途上口占 / 聞 / 聞東州賊平喜賦
十月十一日賜宴松郭楓亭 / 同席上恭奉次玉韵 / 題高岡君自画山水図 / 送睢陽小原君拉高木菅二生之東京 / 寄懐 睢陽君
訪日坂村高稿氏。延留三日。賦此以謝。 / 五月念七日。斎藤誠軒君招飲鉄心大夫及余等於其棲碧山房。会者土井聱牙、戸波某、松岡環翠、 野田竹溪、神田耕雲、池田雲樵、今井竹僊、高木分仙、早崎柏、上西快堂及京師画工対山、藹山、清雅堂、黄仲祥等也。
其翌日藤堂公賜宴於其偕楽園。賦此紀喜。 / 帰途訪四日市印田某。某招大夫及余於其海浜観打魚。頗壮観也。賦此以謝主人。 / 贈小原徴士
八月既望。与偕園看月。此夜我公亦臨焉。 / 庚午(明治3年)正月念日。陪鉄心大夫及諸彦探梅於牧野。…
二月念二日。無何有荘(鉄心別荘)看梅花。次大参事小原君韵。 / 三月六日。金生山看花。送桃壷禅師卓錫江州清涼寺。 / 訪大野村渋谷氏飲其清音亭
賀井田生野県知事遷真 / 知事公将遊学米利堅(アメリカ)。恭攀其芳韵奉送 / 説田雨石見恵自画水墨山水。賦此謝。

裏表紙


【中】

表紙

巻之二 詩
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裏表紙


【下】

表紙

藤陰遺稿文 目次
承前
承前

更始風雲際會集序
航西詩稿序 / 毛芥遺稿序
孝経講義序 / 折柳集序
城堭祭詩記序 / 冬夜宴不朽殿序
養老山房集跋 / 淵齋公子遺稿跋
笙山遺稿跋 / 清人芝田画山水跋 / 題鴻雪爪翁山高水長図記後
贈伊藤子達序
送松倉子誠之越前序
送小原睢陽君之軍於浪華序 / 送高岡大夫之軍於藝州序
送岸観瀾之東京序 / 寿岳父増田耕曹八十初度序
敢堂記
覧翠亭記
遊鎌溪記
記両公拝賜事
常葉大神祠廟記
紀功碑
赤阪村温故陶器碑記
鐵心小原君墓碑銘
亡友小寺士毅墓碑銘
三宅樅台翁墓碑銘
承前
果齋井上君墓碑銘
小野崎立堂君墓碑銘
風軒上田君墓碑銘 / 愨齋翁墓碑銘
宇野南村墓碑銘
菱田静蔵墓碑銘 / 清水先生碑
金森金四郎翁寿蔵碑
竹内風也翁寿壙蔵碑
亡児喜三郎碑陰記 / 夢堂高岡君行述
市川東巌行述
細香女史画像賛 / 岳父増田耕曹君肖像賛 / 招魂社神銘鏡 / 楠公論
承前
死生説 / 白説
虎説 / 挿花説 /牽牛花説贈市川東巌翁
古今兵法弁
月喩
祭研山鳥居君文
藤陰野村君墓碣銘:小野湖山
承前
承前

跋:野村龍(藤陰嗣子)
承前 / 奥付

裏表紙

『濃飛文教史』1937伊藤信著 より 445p

野村藤陰

 名は煥(あきら)、字は士章、藤陰はその号なり。幼字を喜三郎と曰ふ。のち龍之助と改む。父を龍左衛門と曰ふ。 大垣藩歩卒にして井上左衛門の組下に属す。母は大野郡下方村の農、加納某の嫡女なり。文政十年正月藤陰を産む。

 藤陰、幼にして頴悟、学を好み、天保十二年元服の後、乞ひて藩校致道館に入る。居ること三年、学大いに進む。同十五年、歳十八にして藩学の助教に補せらる。爾後、 職に在ること数年、励精教務に力め、賞賜あり。嘉永三年、父病没し後を襲ぐ。同年、母に乞ひて大阪に遊び、後藤松陰の門に入り、翌四年、更に津藩の齋藤拙堂に学び、業大いに進む。 安政元年藩に帰り、藩校敬教堂の講官に挙げらる。この歳十一月、藩命を以て江戸に赴き、公暇を以て、贄を塩谷宕陰の門に執る。この間、学愈々進み、而して公に奉ずる忠正なり。 故に屡々金品の賜あり。慶応元年、学館の督学参謀に進み、尋いで積労を褒し禄五十石を賜ふ。

 当時海内多故、列藩争ひて文武を講ず。藩老小原鐵心、深くその為人を知り、委ぬるに学政を以てす。藤陰、感奮躬を以て衆を率ゐ、上は藩侯に侍講して時に機密に参し、 下は藩校に群才を薫陶し、実学を先にし、虚文を斥け、廉恥を重んじ、礼節を崇び、一藩翕然これに従ふ、維新の際、藩主勤皇の功、鉄心の輔翼に由ると雖も藤陰啓沃の力また少からずと云ふ。 明治元年十一月、評定局の設あり。擢でられて上局副総裁になり、班年寄に亜ぎ、郡奉行加役を兼ぬ。同年督学に拝し、禄五百石を賜ふ。のち大垣藩権少参事に進み、専ら学政を司る。 廃藩置県に及び、なほ学務を管す。五年八月大蔵省租税寮九等出仕に任じ、翌八年三月、母の病を以て職を辞し、大垣に帰臥す。その東京を発するに臨み、詩あり曰く、

家江、一たび煙波に背きてより、この鴎盟鷺約をいかんせん。またこれ薫風鱒魚の候、軒冕を投じて漁簑を著るを要す。

彩衣を脱ぎて朝服を著るを誤り、帰心夜々慈顔を夢む。決然として今日、上程して去る。去り向かふ家郷は養老山。

 爾後、郷里に帷を下して経史を諸生に授け(明治元年、私塾を開き鶏鳴塾と云ふ。ここに至り再び塾を開けるなり。)、傍ら興文義校教員総轄、師範研習学校監事、同校予科教員、 岐阜県第一中学兼岐阜県師範学校教員、興文学校付属予備学校漢学教師、華陽学校大垣分教教諭、同本校教諭に歴任し、陶冶する所の俊才その数を知らず。西濃より出でて多少の名ある者、 その教えを受けざる者稀なり。その間、戸田葆堂等とともに鷃笑社を創設し、鷃笑新誌を発刊して斯文の振興に力を致せり。社に列するもの多し。明治十八年七月、 教諭の職を辞す。のち明治二十七年、大垣中学分校の教授を囑托せられしが、一年にしてまたこれを辞し、爾來身を閑雲野鶴に寄せ、詩酒優游、時に或は南船北馬、 跡を四方に托することありと雖も、到る処ただ悠々たるのみ。

 二十九年十一月、嗣子龍太郎、束京に迎へ養ふ。時に齢七旬、三十二年三月、夫人とともに大垣に帰展す。故旧争ひてこれを迎ふ。たまたま疾に罹り月の二十五日、 遂に溘焉易簀す。歳七十二.超えて十七日葬儀を大垣全昌寺に行ふ。会する者無慮千五百人、遺命により荼毘に付し、遺骨を東京本郷長泉寺に瘞(うづ)む。のち門人相謀り、 碑を旧大垣城趾に建て、小野湖山の撰文を刻せり。配、増田氏、三男一女を生む。長は龍太郎(工学博士)なり。次は虎次郎大蔵省主計官となり、先だちて歿す。三男は喜三郎夭折す。 女は廣子、戸田鋭之助に適く。龍太郎、小原迪の女を娶る。即ち鐵心の嫡長孫なり。

 藤陰、人と為り、端正、温厚にして寡黙、その容温や、その言藹然、しかも眼中異彩あり。人をして自ら敬を致し、狎るる能はざらしむ。その人を教ふる諄々倦むことなし。 弟子に過あるも励声疾語せず。能く自ら省みて悛(あらた)めしむ。親に仕へて至孝、誠敬太だ篤し。少時父を喪ひ、家道裕ならず。母加納氏賢にして淑、大いに炊織に務め、 梳嗽を忘るるに至る。これを以て一家の経理井然として整ひ、復た後顧の憂ひなく、能く四方の志を成さしむ。斯の母にして斯の子ありと謂ふべし。鐵心、性豪邁、喜んで海内の豪傑と交る。 往々談論風発声気加はる。既にして(しばらくして)笑語歌管大いに起る。藤陰その間に処し斂然静黙、容、愈々恭しく、気、愈々和ぐ。これに近づく者、覚えず自ら斂む。 鐵心これを見て益々敬せりと云ふ。

 藤陰、学、経史百家に渉り、最も左氏に深し。もしそれ詩文筆札の如きはその視て以て末枝とする所なるべしと雖も、郷党これを貴ぶ、趙璧も啻ならず(羨望すること宝玉の如く)。 而して文章に於いて最もその長を見る。著す処『左氏伝評釈』『藤陰詩文稿』その他若干いまだ梓に上らざるものあり。 明治四十一年嗣子龍太郎氏、遺稿を刻し、題して『藤陰遺稿』と云ふ。越えて大正四年十一月、 大正天皇畏くも即位の大典を挙げ給ふや、特に従五位を追附せられ、生前の勲功を表彰し給へり。茲に於て有志相議し、翌五年四月、大垣公園内墓碣の前に於て、贈位奉告祭を行へり。 泉下の英霊また瞑すべきなり。


掛軸 (2008年2月購入)

掛軸

夢魂驚醒五更鐘
殘月光沈霜色濃
起坐養來平旦氣
更無外物接心胸

霜暁聞鐘 藤陰老逸 煥

夢魂、驚き醒める 五更の鐘
残月、光沈んで霜色濃やかなり
起坐、養ひ来る平旦の気
更に外物の心胸に接するなし

霜暁、鐘を聞く 藤陰老逸 煥

印譜   印譜


参考画像

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