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金森匏庵(かなもりほうあん)(1798 寛政10年 〜 1862 文久2年)

名は枢、字は士機。煙漁と号す。美濃大垣の人。通称魚屋嘉兵衛。梁川星巌が故郷で最も心を許した年少の友人。


金森匏庵寿蔵碑
學譽致道居士
致道居士、金森氏、諱樞、字士機、号煙漁。美濃大垣人也。爲人沈毅果決、有膽氣、受業貫名海屋。賦詩能書。又從頼山陽・梁星巖學焉。渉猟經史、略有所通 暁。年四十三、以研究益勤、患眼、終失明。然以失明不廃。益精其学、暗誦古人詩文若干、琅琅上口。其自所爲、流暢多風趣。余當與星巖等、締白鷗社於大垣、 因與士機、相識。今茲士機五十四、方築其寿蔵、使余誌焉。噫、吾雖老矣、鷗社之盟、未全寒。庶幾士機廷年、吾交得耐久耳。

友人藤城褧撰并書 嘉永五年 玄(黒|弋m48052)・困敦 復月

学誉致道居士
 致道居士、金森氏。諱は枢、字は士機。煙漁と号す。美濃大垣の人なり。人となり、沈毅果決にして胆気あり。業を貫名海屋に受け、詩を賦し書を書くす。 頼山陽・梁(川)星厳に従いて学ぶ。経史を渉猟し、略、通暁する所あり。年四十三にして、研究益々勤むるを以て眼を患らい、終に明を失す。然れども失明を以て廃せず。 益々其の学に精なり、古人の詩文若干を暗諭し、琅々とロに上す。其の自らなす所は、流暢にして風趣多し。
 余かつて星巌等と白鴎社を大垣にむすぶ。よりて士機と相識れり。今茲(ことし)士機は五十四、方にその寿蔵を築かんとし、余をして誌せしむ。
 ああ吾れ老いたりといへども、鴎社の盟、未だ全くは寒しからず。ねがはくば士機、廷年して、吾が交の耐久なるを得んのみを

友人藤城褧撰ならびに書す 嘉永五年 壬・子(1852) 復月(11月)

(旧大垣市中町、松涛寺内。松涛寺は現在大垣北高校の南に移ってゐる。 碑文未確認。)


『碑文をたずねて 一 岐阜県下碑文漢文の部』(1994岐阜県歴史資料館刊行)に拠った。


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