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聖代春唱 

           右:袋

『聖代春唱』

(せいだい しゅんしょう)

紀世允編 文政九年序, 1冊

p2

聖代春唱編来岐阜紀世允所輯也。詩
皆取古賢春日詩句為題。世允同諸子
賦之将以此為新禧之贈可謂與物為
春矣。而属序于余。余曰、新甫田子在焉。奚
不乞之。余則年七十九、今已耄矣。復何能
言。雖然縁老却繋名巻端。亦世允祝意
也。余與諸子茅隣毎有雅会輒必列其

p1

筵其来往也。不命籃輿、唯曳一鳩杖。杖則
余七十之春 君公所恩賜者也。諸子
筆健、老夫身健、千春相共回翔藝苑、不
亦楽乎 文政丙戌首春

加納嘯臺宮田維禎識

井上 順。 成象。 松山。
佐藤 憲。 有常。
森 勗 継業。 梅溪。 通称孫作。 森球の子。 『三野風雅』採録者

p3

佐藤 煥。 公章。
井上 仙山。 有栲。 楽正齋。
藤井 令壽。 敬宜、春童 安亭。 通称藤七。 『安亭集』あり。 『三野風雅』採録者
佐藤 温。 如王。 東山。 通称新助。 『三野風雅』採録者
菅 煕。 公純。 梅園。
三宅 守真。 徳夫。 東皋、信古齋、蓬原亭。 幼名弁二。  通称與三郎。
三宅暢(季休牛洞)の二男。寛政5.2.6〜文久2.6.3、穴釜墓地。18歳時(文化7年)宮田維禎の養子となり、篤太郎、篤起といった。
のち三宅家に復帰し、更に分家して断絶せる三宅与三郎家を継承した(『加納町史』)。『三野風雅』採録者

p4

僧 玄珠。 玄珠。
渡邉 章綱。 伯有。 裳華。
宮邉 記治。 正卿。 義竹園。 通称玄蕃、代々加納天満宮禰宜として藩公用を勤めた。嘉永6.4.28没。 穴釜墓地(『加納町史』)。『三野風雅』採録者
川出 羲。 龍山。
(野)田 元堅。 季好。 新甫。 通称長十郎、のち文之右衛門と改む。また文柄と称す。 野田凰川、野田良阿の弟、岐阜中新町の酒造家の人。
金華山麓に草菴を構へ白石園と呼んだ。明和8年〜天保5.2.2(64歳)。墓は小熊町円龍寺に兄弟とともに眠る。『白石園集』あり(『濃飛文教史』)。『三野風雅』採録者
三宅 守常。 廣業、徳。 樅園。 通称熊助、のち左兵衛と改む。
三宅暢(季休牛洞)の長子。寛政3.5.16〜弘化4.1.13(57歳)。加納宿宿老。邸内の樅の木最たるを以て号を名づく。 開墾事業に功迹あり、鵜沼村の原野を拓く、曰く「左兵衛新田」と(『加納町史』)。『三野風雅』採録者
僧 智真。 道猷。 貫練、幽篁亭。 方県郡則武の人、尊照寺住職。『三野風雅』採録者

p5

松波 邦道。 子章。 水齋。
僧 大信。 年古。
小野 邦教。 玄豹。 石芝、青松堂。 通称周輔、厚見郡御園の医者。吉良流礼法の塾を開く。 『三野風雅』採録者
小塩 良記。 仲猷。
宮田 龔。 士愿。『三野風雅』採録者
伊藤 安賢。 泰良。
紀 廸。 世允。 華陽。 野田元堅の甥。本書編纂者。

p6

宮田 維禎。 『三野風雅』採録者
豊 嘉言。 伯亨。 華岳。
松浪 吉啓。 教卿。 通称藤右衛門、加納宿本陣主人。
久村 長。 士長。 臨川。
西 益。 伯謙。 向陽。
僧 龍津。 隣明。 栄観。 姓は曽我、加納玄龍寺13世住職(『加納町史』)。

p7

武(山) 恒徳。 之固。 赤壁。 通称巌。  岐阜町の医者。『三野風雅』採録者
僧 恵教。 泰清。
郷 實元。 子長。 東岡。 通称新兵衛。 方県郡御望の人。 『三野風雅』採録者
羽田 時行。 百生。 張華。
安池 発。 子興。 松亭。
神山 恒殊。 士彰。 奕山。
藤田 美建。 子楽。 鷹華。

p8

初謀此集於伯父新甫凡而不●●嘯臺
老人見過曰、一遊一豫閑人之度一首一
蘭庭●之観陽和使来嘗花被松擒藻春
葩以益天意何不可之有。伯父笑而不答。
於是与吟社諸彦分題各賦物。恨時●遍
除●録未終穐鼓已画其不感此者清
俟新乎。春風春水河不一時来。

         紀世允撰

p9

 奥付のない、地元吟社が発行した自費出版の稀覯本です。内題に「九峯童梅龍、姓森名敬け小字菊之助継業(森梅溪)之男」とありますから、 題字を書いてゐるのは実に嘯臺翁の畏友、森東門の孫といふことになります。正に『三野風雅』第二冊目に収められた人たちによる続編といった趣き。編集は紀廸世允、姓が紀、名が廸、 字が世允で、『濃飛文教史』によれば又の名を堀田華陽、岐阜中新町の人とありました。跋文は彼と、もうひとり新甫田元堅。この人は野田白石といふ詩人で新甫は別号、名が元堅、 字は季好、通称長十郎といふ天保5年に64歳で亡くなった同じく岐阜中新町の人。編者堀田華陽の伯父さんです。


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