(平成12年11月『絨毯』48号初出 / 2015.08.15update) Back

四季派の外縁を散歩する   第五回

高橋渡

四季コギトの第二世代 その1高橋渡さん一周忌に

(平成11年8月『絨毯』44号初出 / 2012.02.20update)


 高橋渡さんとは、今にして思へば晩年となったこの数年の間に詩集や手紙のやりとりをかぞへるばかりに交はしたにすぎない。氏の「田中克己論」はその昔、 阿佐ヶ谷の田中先生宅で紀要拔刷の形で拝見して、当時詩人を単独で論じた評論など少なかっただけに強く印象に残ってゐる。そのコピーは長らく珍重してゐたが、 1992年に上梓された著書「雑誌コギトと伊東静雄」中の一章として、現在は誰でも読むことができるやうになった。個別の田中克己論といへばそれまでに好意的なもので大岡信氏、 歯に衣着せぬ批判に鶴岡善久氏のものがあったが、いづれも戦後現代詩陣営からのものであり、それはそれで大変有意義であるとおもふものの※、癇癖の強かった詩人について、 「筆禍」を想定せず人間像に踏み込んで書き進んでゆくことは、小高根二郎氏や福地邦樹氏にも手の余ることであったらしく、 製作動機の内実を知る「身内」から詩人の再評価の意義について書き起こされたものはなかった。 ※(とりわけ大岡氏の論考は時代相から、 同人雑誌に拠った一同人の「文学生成」の動機を簡潔に解き明かしてゐる)

 同じ現代詩世代とは云っても、大岡氏や鶴岡氏とは、謂はば「親兄弟に『罪人』を持つ同級生」程にも出自が異なるといってよい高橋氏の田中克己論は、 詩人の戦前期の精神的アウトラインを丁寧になぞった作品論となってゐる。氏が論旨をすすめゆく上で詩風変貌の重要なネックに挙げた拾遺詩篇「虹霓」を、 私は「田中克己詩集」を編輯する際うかつにも見落とし、また「絨毯」誌上の文章で、クリスチャンでもあった高橋氏が、 詩人最後の詩集『神聖な約束』の全貌を明らかにしてほしいと名指して託して下さったのに、『田中克己詩集』編集の際、私はこれからほとんど採らなかった。 取り返しのつかぬ失態・背信として今も心苦しく、亡き詩人にも高橋さんにも申し訳なく胸の重しとなってゐる。氏は別段そのことを咎めるでもなく、 はるかに年少の私に対して一冊の詩集を示された。最後の詩集となった『野の歌』であった。

 表題から何とはなしにハイデガーの散文「野の道」を思ひ浮かべた私は、詩集を散策しながら美しい詩句の花穂のみを抜書し、読後感に代へてお送りしたやうに思ふ。 云々するまでもなく、詩人としての高橋氏には先達浪曼派ゆずりの繊細な言語感覚があり、手触りともいふべき詩句片々の選び抜かれやうに心残るものが多い。 自分には頂いた詩集からさうした一節一句を抜書して作者に示す癖があって、もちろん味読の意を伝ふべくする訳だが、先輩詩人に向かって「これが勘所ですよね、ね。」と甘えるのだからもう悪癖といっていい。

 泉下の詩人に甘え序でに以下、もう破れかぶれを承知で申し上げるのだが、氏が自身のアイデンティティを表明されたエッセイ「抒情について」の中に、 私には忘れられない一節がある。戦後徹底的に論難中傷された四季派や浪曼派の抒情について「半ば生家が燃え落ちる姿を小気味よく眺める思ひもあって」といふくだりである。 非常に印象的また象徴的でもあり、物質文明に毒された戦後日本の、「精神の乏しき時代」に詩人であることの意義について苦しまれた高橋氏を始め、 「四季コギト第二世代」ともいふべき詩人達の戦後の作物を読むときには、この告白がいつも頭を掠めるやうになった。そしてどうやら1930年代の抒情詩を酷愛する自分にとって、 彼等の戦後作品に対する際、常に何らかの蟠りを感じながら対しなければならない理由の一半が、この一言の裏に云ひ尽くされてゐるやうに思はれるのである。 つまりは私自身が現代詩を身に引きつめて考へられない証拠でもあり、あらたな世代断絶の表情なのかもしれないが、戦前の四季コギト同人世代の抒情を、 その後輩である高橋氏等雁行世代が正に「見捨てる」といふ形で袂を分かったこと、その必然性を肯ひつつも、実作品に言葉尻からして否応なく顕れてくる実存への向き合ひかたが、 いまひとつ抒情詩の魅力として私にはわからなかった。孤独に沈潜した末の自問自答が、無責任な「・・・だらうか」といふ短歌的抒情の放下によって決着することを彼らは潔しとせぬ。 それは例へば高橋氏の『野の歌』に於ては、「・・・かもしれない」「・・・らしい」から足早に「・・・にちがひない」へと性急に規定する方向に向かはうとする。「・・・だらうか」も、 一層現在の自己へ踏み込んだ「・・・なのか」といふ表現へと痛ましく自らを追い詰めて行くやうにみえる。それらの姿勢は、通り一遍の詩愛好家にすぎない私には少々息苦しく、 でなければ様々な接続詞をともなひ自己解説へむかふものとして「抒情の分解」を予覚させもしたことである。

 「生命の不安」から「実存の不安」へと、実戦体験を経てソビエト抑留中に向き合ふ対象を変ずるやうにしむけられた詩人にあっては、 やがて詩作の場で「内部と外部との親和の熟するまで発酵を待つことに懐疑」するに至ったのだと聞く。確かに氏が私淑する伊東静雄の云ふとほり、 抒情詩の本質といふものがさういふ発酵の際に発する気体に大きく与るものにすぎぬとするならば、「未来形」や「過去形」だけに凭れかかってつくられてきた先輩詩人達の作品は、 歴史伝説への憧憬と戦乱への預言に身を委ねた無責任な現実逃避として批判される運命を甘受せねばなるまい。そして市井における低徊・韜晦の限りを尽くして、 「現在形」の刃物を手におのれ独りの肚をなでつつ述志をのべ続けることがその後の隱遁の系譜を継ぐべき者の使命であるとするならば、第二世代をいふに及ばず、 抒情詩の再び飛翔すべき暁など、このさきもうこの日本の詩史に求むべくもない気がする。

 一体抒情詩において責任を負ふとはどういふことなのか。この世界は地球を視野に入れてからといふもの全く狭くなってしまった。「責任」をめぐる状況は、 咲き継ぐ花にではなく摘み取る人にその非難が加へられるこの世の観光客であふれかへる高原の一景に等しい。詩人はいまやマスコミの観光通路を歩かされるか、 人生の寓居で悶々とふてくされるかの二者択一を迫られてゐる・・・。

 病ひに仆れられたといふものの、高橋渡さんや盟友西垣脩氏の作品を通じた詩人像を語ってゐると、平野さんから仄聞したそれほどにもあっけない詩人の冥界へのいそぎは、 福地邦樹氏同様鬱屈の心のほぐれた天寿によるものとは思はれぬ。詩人の詩作が今一歩早く始められ、例へば西垣氏の若い日の絶唱「霧ぬれの歌」のやうな、 暗い時代にぽっかり浮かんだ純潔一途の青春讃歌が残されてあったならば、私はそれを献花と代へたかった。実存の極みで散り散りにされた美しい詩句の花弁を拾って、 私は高橋さんの喪はれた青春時代を思ひ描かうとするばかりだ・・・。(2000.09.10up / 2012.02.20update)

追而)作品の個別論を措いてあんまり非道い文章になってしまった。あらためて「高橋渡詩集」(土曜美術社刊)を求めた折の書込を追って(詩句ではなく) 「少年期」「道」「晩夏」「吹く」などの諸作に深甚の愛着を表明して詩人一周忌にあたり御冥福をお祈り申し上げます。


高橋渡詩鈔

「少年期」

雨戸をくくる音がする
祖父のしわぶきが聞える
障子に煙が這い
木々は焔に 焔は山へ帰ろうとして
山ではさきほどから風が立つらしく
おれは地炉で栗を焼き
判らないのにラディゲを読む
都会というものを
ヨーロッパを 欲望の瞼に燃やし
知りもしない舞踏会にはなやぎ
峠のむこう少女の夢に夢かさね
にきびつぶして栗を焼く
俄かに寒くなる
背を
音が走る また 走る
木々ははじけ 焔は燃えさかる
ゆき ゆき
はつゆき はつゆき
妹のはしゃぐ足音がする
しわぶきが奥から聞え
帰ろうとする焔は
ラディゲかかえて障子をにげる

詩集「冬の蝶」(1974)より

「道」

すずらんの原 樺の林すぎ
岩間いわかがみを見るに羽音 虻のトリル
いくつかの ひだ はざま 越え
かげなく歩くに 行く道だけあって 細い

魂よこころ おまえに呼びかけたくなり
声をのむ 意味をなくして空の青 青さ
ゆらぐことなく白い蝶はかけ
むらさき ももの色 石楠をななめにすわる

火の山 そのむねのあらあらしいこと
とじる酩酊のゆめ わかい日の絵巻
つぎつぎ死んだ友 すぎ去って 時間の鮮烈

持仏のように 唐は加彩婦人の俑(ひとがた)
なかばひらかれた目にしずむ 流水の疑問符
つれだち 帰る人のない道 風に歩くよりなく歩く

詩集「犬の声」(1987)より

「晩夏」

葛の花に余念なく 一羽の揚羽
ふしぎなことに人に出会わない
その黒い黒い姿の目に出会っただけである
どこへ歩くのか分かるはずがない
ひだのきりこむ山川の渕
単語のかたこと跳ね 肩にとびのる幻影の孫
それすら かえりみさせないなにかがせかせ

腐葉土の尾根にすわる
山葡萄のつぶつぶ その酸味に
息絶えるヘルクレスの炎を目におさめる
やみはやみにかさねかさなる
流星のしずんだ辺り 時は澄み
遠のいてゆく風景 異変の気流
上昇のうずにのり落下の感覚を風がささえる

詩集「犬の声」(1987)より

「吹く」

川口にむかって雑木の林もある河川敷を歩く
陽炎もえ 生きものは
たがいの すがた かたちたおたおと
たぐりあい もとめあっては にぎやかだ

若草に寝転がる ひらける空ながめては
たんぽぽを吹く
流れにゆらぎ またゆらいで
綿毛よ 越える、その時に堪えられることか

奔る痛みに生きてあることを知らされる
文字かすみ 内なる眼に頼れというのか
  怯える躯のおく 清光のもの顕ち(たち)
みつめては怺え こらえてはくずれ・・・・・

たんぽぽを吹く 風に舞い
蒼天 生きものたちは 花も
すがた かたちやさしくいとなみかわし
綿毛は彼岸に落下するに違いなく翅けていく

芽生えて花となり 蜜蜂を虻も招くことだろう
風にのってくるものがある 海の匂いだ
光と緑にまぶれ
着地点さがし探して暫し生きていたくなった

詩集「見据える人」(1993)より


(参考)

「霧ぬれの歌」            西垣脩

山女魚 岩魚を
籠(こ)に満たし 温泉(ゆ)の宿に売りにゆく
霧ぬれの歌よ

山峡(やまかひ)を出で
天霧らふ高原を越え
落葉松の樹林を抜け
照り昃るみちを幾曲り
渡りゆく 霧ぬれの歌よ

蕗の葉に裏(つつ)むその籠(こ)は
桑畑の葉擦れひそかに嗟くとも
すべ無きことぞ
夕近み 温泉(ゆ)の宿近み
霧ぬれの歌は往きゆく

──しかすがに魂は昇れよ
松蝉のしき鳴く彼方 山裾のうへ
いま ほのかなる虹はかかれり

詩誌「山の樹」(1939.11)より


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