「立ちどまる旅」

── 三好達治における口語四行詩の終焉 ──

國中 治

立ちどまる旅

2000.3.31 発行 日本現代詩歌文学館紀要 第4号

 図書館に寄贈されてくる目録や冊子を、司書さんの手元へ渡ってしまふ前になるべく水際で目を通す様にしてゐる。しかし大学教授の手になる、 テキストをひたすら解析する類ひの紀要論文ほどつまらないものはない。先日送られてきた「日本現代詩歌研究」(日本現代詩歌文学館紀要4号)も、 そんな大学における「実績作り」の類ひかな、と目次にさらりと目を通したのだが、三好達治の四行詩についての論考が収められてゐるではないか。 つい話題の珍しさに手に取り、そのまま興味深い論旨に引き込まれてしまった。
 「立ちどまる旅」といふのは、宿痾からの恢復期にあった当時の詩人が纏綿した詩形「四行詩」について、 その「南窗集」「間花集」「山果集」の三つの詩集の特質を前後の「測量船」と「艸千里」と切り結ぶ試みのうちに浮かび上がってきた様相であるといふ。 それは用語素材における志向にとどまらぬ、

「三好の四行詩はその淡白な外観とは裏腹に、速やかな直線的読みを頑迷に拒む。読者が四行中の随所に<立ちどま>り、後戻りやよそ見をするように仕組まれている」

といった、詩の構造に係ってくるものであったといふことに注目し、この素材と構造の両面における特質を、詩人の生涯のテーマでもあった「旅」に対する姿勢の有り様に結びつけた論旨があざやかだ。
 いづれにせよ、「立ちどまる旅」とは観想の袋小路の謂であり、四季派の行きつく先のひとつともいったニュアンスを感じさせる言葉である。続いて詩人は「行かねばならぬ旅」へ赴くことになるのだが、 それはもはや観想ではありえない。立原道造と同じくそれは浪曼派的な「旅」への企投を意味するものであったわけだ。その分岐点で詩人は「磁石の針」となる。

私の詩は 旅ではない
磁石の針で あればいい
     (「磁石の針」1937)

 これについて、論者は次のやうに解説してゐる。

「これらの詩行に潜められた<崩壊>も<破調>も、語り手が<みずから>招き<志向>しているものではない。ただ、 それらの招来が必然であることを強く意識しありありと予見するが故に、大きな断念と危機感の上に辛うじて築かれたひとときの均衡と平穏を積極的に肯んじようというのである。」

 蓋しこの一節、本論文のハイライトであらう。

 このやうな、平衡感覚を失ひ傾き始める判断停止の様相を、同じく私たちは伊東静雄の「夏の終」(「春のいそぎ」所載)にも見るであらう。 三好達治ひとりについてのみあてはまる論旨ではないことを、補足して特に茲に強調しておきたい。
 従来三好達治についての研究といへば、処女詩集「測量船」における多様な実験や犀星朔太郎との関係、戦争詩古典傾斜への難詰か、はたまた私的スキャンダルに係るものが多いのだが、 それらの論考ではまま通過点としてやり過ごされることの多いこの、最も「四季派」的な知的観想の抒情にどっぷり深入りしてゐた時期について、過去の論文を踏まへた、 作品位置を判りやすく闡明した本論文は、本屋には出回らぬ文献中の一文であるが特に「新刊」として紹介させて頂いた。(2000.4.18)


追補

「三好達治詩への通路」

── 四行詩における指示語を中心に ──

國中 治

現代詩手帖

「現代詩手帖」 2000.10月号

 先月の現代詩手帖の特集は「三好達治生誕100年」。彼を「戦後有数の詩人」たちと共に顕彰しようとする編輯部の姿勢(巻末後記)には笑はせられたが、 収められた各文章は再録ものをはじめなかなか面白いものだった。なかでも日本現代詩歌文学館紀要の論点とは違った切り口で再度三好達治の四行詩に光を当てた國中氏の論考に自然、 眼を惹かされたのだが、計算された「指示語」による文体構築に託された四季派の詩人たちの企図について、きっぱりと「確信犯的な文法の歪曲」と云ひきり、 「作品の側からいへば、それは信頼のおける読者との間に密約を結んだことにほかならない」と、彼の詩人としてのポピュラリティの理由の一番本質的な秘密について解き明かしてゆくくだりは、 頷きながら嬉しくてぞくぞくしたほどである。読者各々が自分の思ひ出のサイズでもぐりこめる私的スペースを公約数的に提示しようとすると、 どうしても「この」「ここ」「それ」といった指示語によって個別の回想から私性を追い払ってゆかざるを得ない。それは一面確かに意識的でなくてはできないことに違ひなく、 モダニズムを「效用」として完全に理解した詩人の計算機がここにある。どんなに批判が集中しようともびくともしない読者と詩人との孤独の磐石なる分かち合ひ。 「それ、それ、それですよね」。それって何?と名指しで批判されれば「ないのですか?あなたの一番大切にしてゐるものぢゃないですか」と、 四季派の詩人は含羞をもって身をかはすばかりであらう。その後に続くのは「さうして…」「だらうか」「のやうだ」といった、またまた不確定な言辞をもって、 自身の思ひにいっぱいに風を送りこまうとする身振りであるはずなのだが、國中氏はそこまで四季派全体の特質を浪曼派にまでつながる形で敷衍する総括はしてゐない。 また、さうした外面をなぞった方法論でいくら解剖しても、「同感こそは詩歌の唯一の身元証明」と居直る彼等の作品自体の魅力はゆるがない。さうして収斂するところ、 やはり詩人の生き様といふ一事に依拠するもののやうに、未熟者の私にはおもはれることである。詩人の存在はだからテキストでなく、詩集にあらはれるのであって、 それは読者と詩人との確約における最終的な拠り所なのだ。詩集といふ原質に心やさしき彼等ほど一様に心砕く馬鹿馬鹿しさも故なしとせぬ。

(2000.11.14)

三好達治


戻る Back

ホームページへ戻る Top